女「あ、聞こえる」 男「え?」 (99)
「『女「あ、聞こえる」
唐突に、女が呟いた。
男「え?」
女「声」
男「声?」
女「声が聞こえる」
男「声って、なんの声?」
女「・・・」
女は、視線を窓の外へと向ける。外は、雨だ。
女「こういう話があるの、知ってる?」
男「どんな話?」
女「『自分達の現状を正確に観測し、理解するには、より高次元から自分達の姿を見下ろさなければならない』」
女「ってやつ」
男「なんだ、そりゃ」
女「知らない?」
男「知らないよ」
男はかぶりを振った。
すると、女は、どこから出したのか、机の上にノートを開き、鉛筆を握った。
女「ここに線がある」
ガリガリガリと、女はノートに線を描く。
女「この線が見える?」
男「そりゃ、見えるけど」
女「この線は、一次元世界の住人である」
男「は?」
女「この線には、一方向しか軸が存在しない。つまり、一次元の世界」
男「はあ」
女「この線は、自分が、今、ノートのどの部分にいるか、自覚できない」
男「・・・?」
女「この線がノートのどこに居て、何をしているのか、これまでどのような軌跡を描いたのか」
女「それが線には自覚できない」
男「・・・」
女「それを自覚するには、線から脱出し、ノートの紙面全体へと移動する必要がある」
女「ノートの紙面からは、描かれた線が今紙面のどの位置にいるのか、正確にわかる」
女「それは、ノートの紙面が、一次元である線と比べ、二次元という、より高位の存在だから」
男「なるほど・・・?」
女「では、ノートの紙面は、今の自分がどこに居て、どんな状態か、ということを正確に把握できるだろうか?」
男「無理なんじゃない?」
女「その通り」
女「二次元であるノートの紙面を正確に観測するには、更に上の三次元からでなければならない」
男「三次元というと」
男「俺たちの世界のことだよな?」
女「うん」
女「私たちは三次元の存在だから、ノートに描かれた線も、ノートも、正確に観測できる」
女「こうやって、手に取ることもね」
女はノートをつかみ、ぷらぷらと振ってみせた。
男「ふむ」
女「ノートを買って、この机の上に開き、紙面に線を描いたのは私」
女「彼らにとって、私は創造主ということになる」
男「はあ・・・?」
「なにいってんだこいつ」というセリフを、男はなんとか飲み込んだ。
女「・・・」
男「で、結局、なにが言いたいのかさっぱりなんだが。噛み砕いて教えてくれないか?」
女「・・・」
数秒の沈黙の後、女は口を開く。
女「声が聞こえるんだよ」
男「またそれか・・・」
女「あなたは聞こえない?」
男「だから、何の声だよ?」
男は苛々してきたのか、少し声を荒げた。
女「男は苛々してきたのか、少し声を荒げた」
男「・・・はい?」
女「・・・」
女「なんかね、聞こえるんだよ」
女「私たちの状況を説明する声が」
男「なんだ、それは?」
女の不可解な言動に、男は困惑を隠しきれない。
女「女の不可解な言動に、男は困惑を隠しきれない」
男「・・・さっきから何を言っているのか、わけがわからんぞ」
女「・・・」
女「この状況について、私なりに考えてみたんだ」
女「その結果、ひとつの結論にたどり着いた」
男「・・・と、言うと?」
女「さっきの話に戻るのだけど」
男「次元がなんちゃらの話?」
女「うん」
女「線やノートの話をしたけど、では、私たちはどうなのか?」
男「俺たち、ねえ」
女「私たちは、所謂三次元存在な訳だが」
女「先ほどの話から考えてみると、私たちが、私たちの状態をより正確に、完全に把握するためには、より高次元から俯瞰しなければならないことになる」
男「俺たちは、俺たちのことを、不完全にしか把握できていないと?」
女「そう」
女「極端に言えば」
女「私たちは、今この瞬間、この場所の、あらゆる意味で限定された情報しか、知りえることが出来ない」
男「・・・?」
女「一次元を横棒とすると、それには横の概念=x軸しか存在せず」
女「二次元になるとそこに高さ=y軸が生まれる」
女「三次元には更に奥行き=z軸がプラスされる」
男「次は四次元?」
女「うん」
男「ドラ○もんのポケットか」
女「・・・」
女「四次元となる場合、そこにプラスされるのは時間軸だと言われている」
男「時間?」
男「時間の概念なら、俺たちにもあるじゃないか」
女「概念はあっても、観測は出来ない。未来と過去の存在は理解していても、それを実際に、そして同時に体感することはできない」
女「言わば、私たちは、不可逆な時間の流れに乗っかっているに過ぎない」
男「わけがわからなくなってきたぞ?」
女「つまりはね」
女「私たちのことを完全に把握するということは、その流れから脱出しないといけない、ということだよ」
男「えーと、つまり、それは・・・」
男「一次元の棒が、ノートの紙面上へと脱出したことと同じか?」
女「まあ、似ているかもしれない」
女「時間の流れから外れた四次元は、時間というものの全体を見ることが出来る」
女「ありとあらゆる時間の、ありとあらゆる方面の私たちを観測することが出来る」
男「わかったような、わからんような」
男「・・・で、その話が、さっきから言ってる声とやらと、何か関係が?」
女「・・・」
女「このノートに線を書いたのは、私なんだよね」
女は、机の上に開かれたままのノートを見やる。そこには、棒線がぽつんと描かれている。
男「そりゃ、そうだろ」
女「線がどうなるか。それは、私の思うがまま」
男「は?」
女「線は、自分が私に作り出されて、すべてを操作されていることになんて気づけない」
男「???」
女「だからね」
女「四次元以上の存在からすれば、私たちはこの線と同じ立場にある、っていうことだよ」
男「すまん。まるでわからん」
女「でもそれなら、私たちも架空の存在じゃないって、果たして言いきれるのかな」
男「はあ?」
男はそこで初めて、女が震えていることに気づいた。
男「・・・おい、お前、大丈夫か」
女「ずっとね、聞こえるんだ」
男「だから、なにが・・・」
女「私が震えてること、今さっき気付いたでしょ」
男「そうだけど・・・それがどうしたんだよ」
女「・・・」
女「ここって、どこだっけ」
男「ああ?」
男「どこって・・・」
男「あれ?どこだっけ」
男「やばい。ど忘れしたわ・・・」
男「どこだっけ」
男「雨が降ってるのは見えるけど・・・」
女「今、ここには、窓と机しかない」
確かに、そこには窓と机しかなった。
正確に言えば、そこには男と女が一人ずついたし、机の上にはノートと鉛筆があった。
そして、窓からは雨が降っていることが解った。だが、それだけだった。
それ以外の全ては、無であった。
「私たちが立っている、ここはどこ?」
女がそう口にするのと、世界が構築されるのは、同時だった。
二人の男女が、大学の講義室のような場所で談笑していた。
季節は秋。日は暮れかかっており、夕焼けが透ける薄い雲からは、小雨がちらついていた。
男「ああ、なんだ」
男「ここは、大学の教室じゃないか」
男「なんで気づかなかったんだろう」
女「・・・・・・・・・」
女「気づいてしまったんだよ」
男「なにが?」
女「・・・気づかされたのかもしれない」
女「いや、きっとそうだ」
男「なにがだよ?」
女「私はどうすればいいの」
男「おい、大丈夫か・・・?」
女「何の意図があって、こんなことを」
男「・・・?」
女「わからない・・・」
男「どうしたんだよ?どっか痛いのか?」
男が心配して近寄ろうとするが、女はそれを跳ねのける。
女「あなたに言ってるんじゃないのっ」
男「いや、でも、ここにはお前と俺しか・・・」
女「やめてください」
女「元に、戻してください!」
女は叫び、講義室には声が反響する。
返答は、ない。・・・いつの間にか、男も居なくなっている。
女「・・・・・・」
女「たすけて」』
文章を書くとき、口に出しながら書いてしまうのは、俺の昔からの癖だ。
時刻は深夜一時二十六分。ちょっとした息抜きのつもりが、最後まで書き切ってしまった。小説の世界の中で、突然地の文が聞こえるようになってしまう女性の物語。
こんなもの、小説と呼べる代物ではないだろう。科白の前に、常に発言者の名前がつくなど、手抜きもいいところだ。状況の描写もほとんど無い。
だが、そこがミソなのだ。ある登場人物が地の文の存在に気づき、世界自体に疑いを向けていく、というのは、なかなか恐ろしいじゃないか。
自分の世界が、何者かによって作り上げられた仮初のものでしかない、と知る絶望はいかほどのものか、想像もつかない。
『たすけて、ね。助けてあげませんよーっと』
ふふっ、と、笑みがこぼれる。これは、俺の創った物語だ。登場人物の考えも、行動も、その生き死にも、すべて俺が握っているのだ。この「女」の、世界の構造という真理への気づきさえ、俺が仕向けたに過ぎない。物語を作るというのは、まさに、神の真似事というわけだ。
『と、こんなことばかりしていてはいかんな』
そうだ、俺には本業がある。こんな遊びばかりはしていられない。さて、気合を入れなおすか・・・。
と、スマートフォンの通知光が、俺の注意を引いた。俺の持っている機種は、メールや留守録が入るとLEDのライトがチカチカと光る仕様となっている。一体、なんの連絡だろうか。
『・・・はっ?』
画面を見ると、なんと着信が20件も入っているではないか。それも、全て同一人物からだ。今日は、朝からずっとこの部屋に居たはずだが、なぜ、電話に気づかなかったのだろう・・・。
『大分遅いが・・・応、かけ直すか』
何度も連絡をくれているということは、緊急の用事なのだろうか。俺はその人物、今、交際している女性へと、電話をかけた。
プルルルル、と繰り返すこと、一回、二回、三回・・・さすがにもう眠っているか。そう思い、電話を切ろうとしたその時、コール音が途切れ、向こう側と繋がった。
『あ、もしもし?俺だよ。なにか連絡をくれていたようだけど』
返答が無い。
『どうした?もしもし?・・・何かあったのか?』
『あのね・・・』
ああ、よかった。電話の向こうには、ちゃんと彼女が居るようだ。
『うん、どうした?』
『・・・変な声が』
『え?』
『変な声が、聞こえるの』
『声?』
『たすけて』
終」
私はいつものように「終」と書き、筆を置いた。
終
終わりです
読んでくれた人ありがとう
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