その剣士、サキュバス憑きにつき。 (282)
それは、夢の世界の事であった。
夢魔「こんばんは」
剣士「何用だ」
美しい少女は笑う。
獲物を見つめる目で笑う。
夢魔「貴方の精を頂きに。私はお腹が空いているの……」
剣士「そうか」
ここは、夢か、幻か。
まだ世界が平和だった頃の夢幻か。
そうあって欲しいと、いつも願っていた。
剣士「もってゆけ。口に合うのならば」
夢魔「……罠かしら。夢魔に精を捧げる事の意味、知らないわけではないでしょう」
夢魔「まあ。抵抗したところで、夢の中では勝ち目はないけれど。どうするかしら」
剣士「好きにしろ。やってみるがいい」
夢魔「言ってしまったわね。私は夢魔、ここは夢……もう逃れる事はできないわ」
夢魔の瞳が輝き、剣士の身体に紋様を作る。
夢魔「……もう。お腹ペコペコよ。手加減できないから」
剣士「そうか。味わってくれ」
そうして剣士から抜き取られる燐光が、夢魔の唇に吸い込まれ……。
夢魔「!!! うっ、ゔぉえっ……! げほっ、うう。貴方……!?」
剣士「……ああ。やはり、ここは現世か」
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剣士の精力は、ひどく汚れていた。
夢魔が今まで味わった中でも、群を抜く……。
夢魔「何よ、これぇ……濁り、淀み、腐りきっている……どう生きたら、こうなるのよ」
たたらを踏む夢魔に、傍まで歩き寄る。
剣士「俺が死ぬまで吸うのではないのか?」
夢魔「言うわね。クセになりそうだから遠慮するわ」
剣士「そうか。腹は膨れたか?」
言われ、お腹をさする夢魔は驚いた顔をする。
夢魔「空腹が……まだ一口しか飲んでないのに」
剣士「精は濃いのだろう。心当たりがある」
夢魔「貴方。いったい何者?」
剣士「お前は夢魔だろう。人の精神や記憶くらい、覗いてみせろ」
夢魔「簡単そうに言うわね。それは私のような、高位の夢魔でしかできない事よ。かいつまんで話すくらいできないのかしら」
剣士「……いずれ覗き見れるのなら、黙る事もないか。俺は剣士……勇者となるはずだった人間だ」
夢魔「面白い冗談ね。貴方のような、穢れきった精を宿す人間が破邪の化身たる勇者ですって?」
剣士「人の生たるや奇妙でな……そのようなのだよ。夢魔」
夢魔「まあ、いいわ。知りたければこれから貴方を覗かせてもらうだろうし」
剣士「これから?」
夢魔「ええ。興味深いわ、貴方。今から貴方を私の宿主にしてあげる」
剣士「得はしないぞ。やめておけ」
夢魔「そう思うなら、頬をつねって目覚めてしまいなさい。……振られたというなら、ハンカチくらい噛んであげるから」
剣士「しかしそれは目覚めるということだろう。明日は早いんだ、休ませてくれ」
夢魔「なら、気に入られたのが運の尽きね。……ちゅ」
その口づけはそう艶かしくもなく、桜の花弁が触れるような、初々しいものであった。
剣士「……。好きにしろ」
夢魔「ん、ふ。契約、成立ね」
夢魔「しかし、鼻息を荒くされても困るのだけれど……少しは嬉しそうにしたらどうなの?」
剣士「思わない事を伝えるほど、奇術師に堕ちてはいない」
夢魔「夢魔の接吻よ? 欲しがって手に入るものでもないのに。誇りが傷付いたわ」
剣士「生娘でもないだろうに。俺のような生き人形に吐息をかけて喜ぶなら、そうするがいい」
夢魔「つくづく嫌な男ね!」
剣士「そもそも、夢魔とは誘惑と快楽をもって精を奪うとされているが。今いるお前は夢魔でないように見えるぞ」
夢魔「……」
剣士「どうした、黙り込んで」
夢魔「私、嫌なのよ。男に媚ぶのは趣味じゃない……だから、魔術を磨いて強制的に精を奪う力を身に付けたわ」
剣士「それで力を消耗したらキリがないだろう。誇りと胃袋を天秤にかけるのは、高楊枝を持つ武士だけと聞いたが」
夢魔「るっさいわね。何が言いたいのよ!」
剣士「……この通り、俺は卑屈な世捨て人だ。のたれ死んで悔いる事もない、気の済むまで吸うがいい」
夢魔「気を利かせてるつもりなら、そのまま心を洗って頂戴。その後で考えてあげる」
ぐうう。
夢魔「……」
剣士「飢えた悪魔に諭されるとは、またと無い機会だろう。聞いておいてやる」
夢魔「くっ……いいかしら。他に吸える相手が居ないからよ。この渇きも、我慢できるならこんな事には、んぅ」
剣士「ん……舌を出せ」
夢魔「んっ、く……美味しくない……こくっ……」
夢魔「いじわる……んく、んくっ、ごくん……」
……………………
…………
……
娘「おはようございます、剣士さん! 今日は早いんですね」
剣士「……ああ」
夢魔「その子は?」
ああ。頭から話しかけられるのか。
俺は、ある村の小さな宿に住んでいる。
1年ほど前にこの村で行き倒れてから、宿を切り盛りする小さな娘に懐かれ、それ以来世話になっている。
夢魔「そうやって説明してくれると助かるわ」
娘「朝ごはんはどうしますか?」
剣士「買った干し肉がある。行きながら食べるだろう」
娘「そんなんじゃダメです。精をキチンと付けてください」
夢魔「そうよ、精はつけなきゃねえ。宿主様?」
剣士「む……」
娘「やめてくださいよ……咄嗟に力が出なかったせいで、帰ってこないだなんて。お金の事なんて良いから、ご飯くらい包ませてください」
剣士「……昼の弁当を頼んでも良いだろうか。討伐は昼過ぎになるから、朝は軽くていい」
娘「はいっ!」
あの娘は、父が賞金稼ぎだった。
それで早くに亡くしているらしい。俺をその父親に重ねている部分も、多分にあるのだろう。
夢魔「それであれほど怖がるのね。貴方も賞金稼ぎなの?」
俺は竜殺しを専門にする剣士だ。懸賞金のかからない竜も治安の為に狩らせてもらっているが……謝礼を受けている以上、賞金稼ぎと変わるまい。
夢魔「立派じゃない。勇者さん?」
やめておけ。楽しい話はできないぞ。
夢魔「面白い冗談が言えるんだから、ワケないでしょう? それに私が契約を切るか、貴方が死ぬかまでの付き合いなんだから。飽きたくはないじゃない」
変わった悪魔だ。
夢魔「貴方ほどではないわよ。ふふっ」
娘「では、気を付けてくださいね」
剣士「……ありがとう」
乾いた荒野に馬を走らせる。
村はすぐに遠くなり、一帯は礫地しか見えなくなった。
夢魔「裕福ではないけど……素敵な暮らしじゃない。帰る場所も、受け入れてくれる場所もあるんだから。世を捨てるには早いんじゃなくて?」
村の人間からは疎まれ、嫌われている。あのように接するのは宿の娘だけだ。
夢魔「あら、それは失礼。でも嬉しいじゃないねえ、パパ?」
よしてくれ。宿主となったなら、心の機微くらい感じ取れないものか?
夢魔「夢魔の事を精神の専門家みたいに扱うのはやめて頂戴。そもそも、精を奪えさえすれば他に何をしなくても良い種族なんだから」
すまなかった。心に何者かを宿すなど初めての事でな。
夢魔「……ま、それもそうね。口外するなとは言わないけど、あまり言いふらさないでよ? 天下のサキュバスが、宿主を吸い尽くさず奴隷にもせず、戯れに契っているなんて知れたら、あちこちで笑われるわ」
もとより多くは語らない。案ずるな。
ザッザッザッ……
夢魔「もう着く?」
あと2時間はかかる。
夢魔「……。寝てていいかしらね」
夢魔も休息は取るのだな。
夢魔「こうして起きている宿主の精神に干渉するのも、それだけで魔術を使っているのよ。それに、夢魔の食事は真夜中にしか取れないからね」
フクロウのようなものか。精神体も楽ではないな。
夢魔「あら。ちゃんと肉体は現存するのよ?」
ほう。本来は醜い老婆のような姿と聞くが。
夢魔「たいっへん失礼ね。それ、人間が誘惑に抗うために考えた迷信よ」
では昨晩の美少女が見せる寝顔を、旅路の供に夢想するか……。
夢魔「……悪かったわね。腰とか胸とか、少し盛ってたわよ。悪い?」
悪いのは口だ。直せば可愛く見えるぞ。
夢魔「く、口の悪さだけは、貴方に言われたくないわねっ! お休み!」
……………………
…………
……
夢魔「う、ん……」
起きたか。
夢魔「ええ……ふぁあ。ここは、森? もう着いたのかしら」
昼食も摂って、既に現地だ。
もう出くわすだろう……同胞の亡骸を見る準備は出来ているか。
夢魔「あら。竜と悪魔は共に人類の敵だけれど、悪魔は竜に嫌われているのよ?」
ぬ? 初めて聞いた。実力なら竜の方が上のはずだが。
夢魔「だからよ。土地柄もあって、人VS人外のずしきになってはいるけど、悪魔は共通の敵である人間を上手く使いながら竜に何とかへりくだってるの」
夢魔「強い故に、プライド高いのよね。あいつら」
覚えておこう。
夢魔「そんなわけで、遠慮なくやっちゃって頂戴。まあ、私は貴方が死んでも良いけどね?」
はて。死に場所に足る戦さ場であれば良いのだが。
ギョワアア……
夢魔「来るわよ」
承知だ。
小竜「キョエエエ!!」
ラプトル達に威嚇するつもりはないらしい。
早々と領地を侵してしまったようだ。
小竜「シャアアッ」
竜が噛むには、頭を前に出さないといけない。
俺は、それを気の毒に思う。
差し出された こうべ を落とす時、直前まで狩猟者の瞳をしていた竜たちが、まさかという瞳で俺を見るからだ。
剣士「おおおおお」
既にかわせない刃の煌めきに、すべての時を見よ。
剣士「うおぁッ!!」
小竜「コキャッ。……」
一閃と言うには汚すぎる、骨を千切る感触。
輪切りに空いた喉笛は、断末魔さえ響かせはしない。
ズシャッ。
剣士「来い。次だ」
血袋も、等しく木漏れ日は照らす。
夢魔「驚いたわ」
剣士「……」
「ギ、ギケケ……」「ゴ、ュ」「クァハ、ハ……」
夢魔「ここまでとはね」
計10匹のラプトルが地に身を投げた。
群れを成していた小竜、四方から振るうどの爪牙も剣士に届くには至らない。
剣士「介錯だ。鳴く事があれば鳴け」
小竜「カ、カ」
ズシュッ!!
小竜「……」
夢魔「貴方、むごいのね」
ああ。むごい男だ。
見たくなければ寝ているがいい。
夢魔「それだけのむごさが、それだけの強さに必要だったのかしら?」
いいや。要らないだろう。清いままでも、竜には勝てる。
夢魔「へえ。貴方ウソをついているんじゃない?」
……何?
夢魔「先ほどから少し魔力を強めて、貴方との結び付きを強くしていたわ。竜に刃を振るう貴方の心からは……悲哀が感じられる。無意識下の事かもしれないけれど」
夢魔「生理的に自分にウソをついてしまう……人って生き物は器用ね」
…………。
夢魔「ごめんなさい。心を閉ざすのはやめて。その、これからも詮索はしないけれど……私は貴方を、言うほど悪人じゃないと思っているわ」
俺は……悪人だ。
夢魔「自覚のある人をそうは呼ばないものよ」
ゴロン。
剣士「これでいいか」
町長「毎度のことながら、恐ろしい男だよ」
町に戻ると、首を3つ投げ捨てた。
町長「今日の成果がこれだけということはあるまい?」
剣士「10だ、群れ一つ以上は望むべくもない。見ていたら姿を隠してしまうだろう」
町長「見えていたらそれ以上に狩ろうと言うのだな……傷一つない君が末恐ろしい」
町長の瞳に宿る恐怖、その先には畏怖ではなく排斥の心が見える。俺の行動で平和になれば、俺は要らない存在でなるということは重々承知している。
町長「君が討伐を請け負うようになってから、世での竜騒ぎが嘘のように思える。町民からの被害報告も激減したし、本当に感謝しているよ」
剣士「そうか」
町長「では、謝礼だ……これで良いのか。いつも、もっと弾んでも良いと思っているのだが」
剣士「食い扶持に足れば良い。では」
夢魔「本当、浮世離れしてるわね」
飴色の干物を土産に買う俺。彼女は優しく語りかける。
馬鹿にした風でも、呆れた風でもない。
人の世を語るほど知っているのだろうか。
夢魔「俗世の浮世をすする魔物ですもの。私ですら、そこらの遊び人より俗物よ」
今度、夢魔の話でもしてくれ。
夢魔「あら、ふふふ。どういう風の吹き回しかしら?」
率直に興味だ。満足か。
夢魔「貴方がそう言うんじゃ叶わないわね。良い話を考えておくわ」
日が傾く前に、俺は馬に跨った。
パカラッ、パカラッ……
ヒヒーン!
剣士「戻った」
娘「剣士さん! おかえりなさいっ」
剣士「弁当、美味しく頂いた。おかげで傷はない」
娘「うふ、良かった……」
剣士「ああ、これを。町からの謝礼だ。あと、これを母に渡してくれ」
娘「こんな大金を……いつもありがとうございます」
剣士「衣食住まで世話になっているのは俺だ。ありがとう」
娘「そんな。えへへへ……晩ご飯、すぐ出来るから待っててくださいねっ!」
荷物を降ろし、血を拭いたあとの剣に油を延ばす。
夢魔「この村とあの町では、物価が違うの?」
農作物、平たく言えば食に関しては村が倍近く安い。その他のものは揃わないが、生活に必需となるものは補う術を各々が持っている。
夢魔「それで町長と娘ちゃんの見方が違ったのね」
それでも過剰だがな。気を遣う事もないだろうに,
夢魔「馬鹿ねえ。貴方だから嬉しがるのよ」
娘「剣士さーん! 今日はポトフですよー!」
夢魔「ふふ、お呼びよ」
ぬ、肉か。珍しいな……。
夢魔「黙ってて美味しいご飯が出るなんて、ほんと羨ましいわ。楽しんでらっしゃい」
汚れてて悪かったな。
……………………
…………
……
娘「一緒にミルクでも飲みますか?」
剣士「いや、休ませてもらう。お前も休め」
娘「ふふ、はーい。お休みなさい、剣士さん」
バタン。
夢魔「ふふふ。月も顔を出して、お待ちかねの時間よ。ご尊顔を拝む準備は出来ていて?」
これから毎晩こうだと思うと、流石に疲れそうだと思っていた頃だ。
夢魔「肉体はキチンと休まるわよ。ほら、早く横になりなさい」
どうせ寝るんだから有無くらい言わせろ……。
夢魔「どうぞ。待っててあげるから、待たせたら嫌よ」
剣士「zzz……」
夢魔「こんばんは、貴方様」
剣士「呼び方を考えろ。媚ぶのは嫌じゃなかったのか」
夢魔「あら、嬉しかったのね?」
昨日と変わらない美少女は、しかし昨日と違う顔で微笑みかける。
剣士「まったく。早く精でも啜れ」
夢魔「私は味わいの事で頭がいっぱいなのよ。舌をねぶる貴方は楽しいかもしれないけれど」
剣士「否定させてもらう」
夢魔「ねえ。貴方が精を汚してしまった理由……聞いても良いかしら」
剣士「……」
夢魔「隣、座らせて」
剣士「好きにしろ」
指をピンと弾いた彼女は、俺の下から現れたベッドに腰掛けた。
夢魔「話したくないなら、構わないわ」
剣士「いや。世捨て人である以上……困る事はない」
夢魔「……。貴方、自分が世から捨てられてしまってると思い込んで、自暴自棄になってないでしょうね?」
剣士「!」
夢魔「それは世捨て人とは違うわよ」
剣士「悪魔から説法を聞ける世が来ているなら、捨てずにおくのも悪くないかもな」
夢魔「茶化さないでちょーだい。分かったわよ、聞かないでおいてあげる」
夢魔「ふふ、優しいでしょう? 私」
剣士「本当に優しい顔で笑ってくれるな、疑いたくなる。それらしく、生意気な表情でもして見せろ」
夢魔「ほんと捻くれ者なんだから」
夢魔「気が変わったわ。さっさと精を頂いて、隣で眠らせて頂戴」
剣士「どういうつもりだ? 構わないが」
夢魔「出会った初日だもの。貴方の心を開くには、時間と信頼と温もりが必要みたいだから。大切なのは言葉じゃない、そうでしょう?」
剣士「……」
夢魔「貴方なら、わかってくれると思うんだけどな」
ちゅ。
夢魔「!?」
剣士「……」
夢魔「ん、んっ」
剣士「れる……」
夢魔「ん……んふふ」
こくっ、こくっ、ごくん……
剣士「……すまない」
夢魔「けほっ、こほっ。ごちそうさま」
夢魔「汚れているのもそうだけど、ひどく濃いわ。喉に、ねっとりと絡みつくような……」
夢魔「本当にすまないと思うなら、その歪んだ心を直してみたらどう?」
剣士「……」
夢魔「時々素直になるだけで良いのよ。怖い事じゃないわ?」
剣士「……」
夢魔「貴方ねえ。ここが夢で、私が夢魔という事を忘れていないかしら?」
夢魔の指が宙空をなぞる。
光の帯が幾何学模様を作り、この空間に意味を成す。
剣士「何をした?」
夢魔「さあてねえ。ところで、貴方は今何を考えてる?」
そんなの……。
剣士「お前の、舌の感触を、思い出して」
夢魔「あら……? くすくす」
剣士「!? な、何を言っているんだ俺は」
夢魔「へえ……他には?」
剣士「悔しいが、精を抜かれてしまう倒錯的な心地よさが、たまらない」
剣士「そもそもお前が媚びていなくても、お前の唇が男好きしすぎて……」
剣士「……っ! や、やめろ」
夢魔「じゃあ、こうして身を寄せたら……?」
剣士「その滑らかな肌に、意識が、吸い込まれそうになる……」
…………
夢魔「ごめんって。ごめんってば」
剣士「……」
夢魔「不能じゃないかしらって思ってたところに、あんな本音を溢すものだから、つい。悪気はなかったの」
剣士「どんな暴力より暴力だぞ、悪魔め……」
夢魔「まあ……あまりにも閉口していたら、こんな事もするかもしれないわよ?とだけ言わせて頂戴。可哀想だからもうしないと思うけれど」
剣士「そうまで、素直になれと言うのか」
夢魔「言ってないわよ。ただ、今みたいな事をされるのと、どっちが利口かは分かるわよね」
剣士「普通に吸い殺された方がマシだったとさえ思っている」
夢魔「ふふ、下ごしらえと思って頂戴。宿主さん」
夢魔「とりあえず、今日のところは帰してあげるわ。殺生があった事だし、どんなに慣れてても精神が疲れている事でしょう」
剣士「その点は本当に慣れすぎてしまった。構わん」
夢魔「今、慣れすぎてしまったと言った時に目を伏せたわね。慣れた自分を振り返って、卑下してないかしらって」
剣士「……細かいところばかり良く見ているな。まったく」
夢魔「そのベッドで寝なさい。目が覚めるわけでもないし、夢で私にからかわれる訳でもない、本当の休息よ」
剣士「……。明かりを落としてくれ」
夢魔「はい、どうぞ」
彼女がパチンと指を鳴らすと、辺りのイメージが暗くなる。顔もあまり見えない、穏やかな暗がりだ。
夢魔「ふっふふ……私もヤキが回ったかしら。おおよそ、宿主にしてあげる事じゃないものねえ」
剣士「……」
夢魔「ご主人様って、呼んであげる」
剣士「また、からかっているのか」
夢魔「いいえ、本心よ。マスター。貴方の使い魔になっても良いと。そう言っているの」
剣士「本当に、お前はおかしな悪魔だ」
彼女の手が頭を撫でる。
とても、退けられない。
夢魔「ええ。お休みなさい、ご主人様。眠りにつくまで、そばに居てあげるわ……」
ここまで
書き溜めはなし
不定期
娘「あっ、剣士さん! おはようございます」
剣士「……おはよう」
夢魔「おはよう、マスター」
なんだ、お前もか。
夢魔「乙女からのモーニングコールは不服かしら?」
既に起きている。
娘「今日はお休みでしたっけ?」
剣士「ああ。よく寝たよ」
娘「お出かけするんですか?」
剣士「そのつもりだが、先に少し手伝わせてもらう。構わないな」
娘「もちろんですよ。ふふふ、今日の剣士さんはお喋りさんですね!」
剣士「……似合わないか?」
娘「いいえ!」
夢魔「普段どれだけ無口なら、ああ言われるのかしら」
昨晩言われた事を心掛けてみたが……やはりおかしいか。
夢魔「あれでねえ。でも、良い心がけよ?」
……
剣士「シーツはこっちだったか……」
娘「あ、こっち! こっちですよ!」
…………
剣士「洗濯は終わった。手伝うか?」
娘「えーと、それじゃあ掃除をお願いしてもいいですか? 今日の夕飯に、お野菜を買いに行きたくて」
……………………
娘「ただいま、剣士さん!」
剣士「ああ。……お、おかえり」
剣士「ふう」
娘「剣士さん、ありがとうございました! これ、こないだ貰った紅茶です」
剣士「……頂く。お前も休め」
夢魔「良い天気ね」
剣士「……そうだな」
娘「え?」
剣士「あ、いや」
夢魔「少し良いかしら」
どうした。
夢魔「少しだけ、貴方が素直になれる魔法を。怖いものじゃないわ」
……どうせ、止めてもやるだろう。
夢魔「心の中まで素直じゃないんだから。ほら」
なでなで……
娘「え……剣士、さん?」
剣士「良い天気だ」
娘「え、あ、剣士さん……っ///」
おい、これは何をしている。何をした。
夢魔「良いから。掌の感触を楽しみなさい」
娘は初めこそ肩を竦ませていたが、すぐに両の手を添え頭に撫でつけていく。
ひび割れた肌に毛が引っかかるのも構わず、とても嬉しそうに笑うのだ。
娘「えへへへ……こんなに、大きいんですね……///」
なでなで……なでなで……
俺は……うれ、嬉しいのか、恥ずかしいのか、逃げてしまいたいような気も、このまま居たい気もあって、俺は……。
夢魔「もう魔法は解いたわ。今の気持ちを受け入れたなら、好きになさい」
それを早く言え!
パッ。
剣士「すっ、すまない。その、つい」
娘「ふふふ、変な剣士さん。また……撫でてくれたら、嬉しいです」
夢魔「ふふ、もったいないわねえ。こんな荒野の中でも艶やかに保たれた髪、貴方の半分ほどしかない小さくて柔らかい手、貴方だけに向けられる愛らしい笑顔……」
やめろ……とてもじゃないが、顔が合わせられない。
この気持ちは。
夢魔「ほら。紅茶がまだ残っているわ」
剣士「ん、ごくっ……」
娘「それじゃ、行ってくるんですね?」
剣士「ああ。遅くはならない」
娘「はい、行ってらっしゃい!」
パカラッ、パカラッ……
夢魔「先ほどの、貴方の狼狽えようったらなかったわ。ふふふ!」
俺をいじめるのは、昨晩で満足したんじゃなかったのか?
夢魔「あれは事故よ。こっちはワザと」
なお悪い。
夢魔「面白いものも見れたし、私はお暇するわね。お休み、マスター」
……。お休み。
夢魔が眠りについた事を何となく確認して、馬の走る先を見つめる。
剣士「素直になれ。か」
特別に難しい事を言われているわけではないというのは、夢魔の計らいで分かった。
しかし特別にむず痒い事になってしまっているのは、俺が目を背けてきた交友関係のせいだろう。
相手だって選ぶ。
町の人間の頭なぞ撫でたいとも思わないし、険しさが刻まれてしまった俺の人相を喜ぶ人間などいない。
…………。
向こうから馬が来た。
何頭かいて、その分だけ人が乗っている。
恐らくは、野盗。
手綱を引き、馬を止めた。
砂塵を防ぐローブから、汚い瞳が覗く。
体臭を引き連れて男は口を開いた。
野盗「おい兄ちゃんよ、ここは誰の土地だか知ってるかい?」
剣士「……」
野盗「ん~? 黙ってたら、どうなるかは分かるよなぁ?」
野盗の主犯格は、ままごとに使うようなナイフを抜いた。
子分たちが荷を積んだ馬に群がろうとするのを見て、これを無言で制す。
悲しい事だ。そんな人間居ないと思ってた矢先に、俺のような悪人面がこの手合いを喜ばせる。
野盗「おいおいおい、何だその手は。金をなぁ……」
野盗「よおおおおこせってんだよ!! 分かってんのかぁ、このグズ!! ぶっ殺されたくなかったら今すぐ裸になって馬を置いてけよあああああ!!?」
唾が飛んだ。
汚い。悲しい。
夢魔よ、俺は素直になっていいだろうか。
いいのだろうか。
ああ……魂を染めてなお、血に汚れる主人を許せ。
剣士「……を…………に……」
野盗「ああああああんん?? 何か言ったかああ……?」
剣士「俺はッ!」
剣士「お前らに好かれたくて、こんな顔になったんじゃないッ!!」
シャキン!!
野盗「はああ? んだよおめえ……あっテメェ抜きやがったなあ!!? やっちまえお前ら!!!」
「うらあああ」「死んじまえよおおおお!!」「おやっさん、いただくぜぇ」
剣士「自分で望んで、こんな寂しい生き方をしているわけでもない!!」
ズバン!
「……! ぎぃやああああああ!!? 腕がああああ」
剣士「人も、世も、疑いたくて疑ってるわけではない……!!」
ズバン!!
「ひっ……!? ひょっ、ぎょええええ!!!」
剣士「悲しい顔なんてしたくない!! 俺は、俺はただ力が欲しかった……!!」
ズバン!ズバンッ!!!
……
初めに舞った布切れが地に落ちる頃には、すべての野盗も地に落ちていた。
野盗「わ、悪かった、命だけは……!!」
ズバンッ!!!
男「力を得て、こんな事をしたいのではないのに……ううっ……!!」
昨日より柔らかい手応えが、まだ剣を持つ手に残っている。人の首など簡単に切れて、すぐ死んでしまう。
たったそれだけの事が、今の俺には堪えた。
素直になる事は本当に気持ちいいのか?
素直になる事は辛い事じゃないのか?
皆が素直では、誰も生きていけない。
剣士「返り血が……」
腹立たしさに身を任せて剣を握った結果が、これだ。
服にも飛んでしまった血糊は、もう娘にも隠せない。
剣士「……」
ヒヒーン!
帰るか。町に行けば通報されてしまう。
パカラッ、パカラッ……
娘「あれ、剣士さん? ああっ、血だらけじゃないですか!!」
剣士「野盗に襲われた。大事ない」
娘「で、でも。大丈夫なんですか!?」
剣士「すまないが、声が大きい」
「またあの男か……」「今度は誰を殺ったんだ?」「あの娘も、可哀想にねえ」
娘「あ……」
娘「ごめんなさい、私、剣士さんの事。みんなに誤解を解いてきた方が」
剣士「気に病むな。服を洗ってくる」
娘「では、一応お母さんに看てもらった方が」
剣士「怪我はない。案ずるな」
娘「でも、そのっ。あとで何かあったら大変ですし」
剣士「……分かったよ。すまなかった」
剣士「頼もう」
母「今度は何を殺ってきたんだい。薄汚いね」
剣士「……生きるのに必死な奴らを」
母「ふざけんじゃないよ」
剣士「乞食の類だ」
母「ただの野盗だろう?」
剣士「……そうだ」
夢魔「……この人は?」
起こしたか?
夢魔「ずーっと起きてたわよ。あんだけ叫ばれちゃね。貴方に危機でも迫ってたのかと思ったわ」
黙ってる事もなかっただろう。
夢魔「どう声をかけたら良いのよ。貴方の顔が少し柔らかくなったからね、どんな人かしらと」
母「分かってるだろうけど、外傷はないよ。毒の心配もないだろう」
こいつは宿の娘の母で、この村唯一の医者だ。
強い気性の事もあって、村では村長以上に発言力がある。
夢魔「分かるわ、こういう閉所で頼れるのは医者だものね」
剣士「すまなかったな。どうしてもお前に看てくれと言われた」
母「娘の目を血で汚すんじゃないよ。クソ虫」
剣士「……」
母「あの子は、父性を失って育った……それでも、強く育っていっているさ。でも、せめて清いままで居て欲しいんだよ」
剣士「心得ている……」
母「まァ、仕方ないか。頼んだよ」
ガチャ。
母「土産の干物、ありがとうよ。いい肴だった」
剣士「……世話になった」
…………
娘「おやすみなさい、剣士さん」
剣士「……」
娘「その」
剣士「昼間はすまなかった」
娘「いいんです。剣士さんは大丈夫でしたか?」
剣士「……慣れたよ」
バタン。
夢魔「不器用ねえ」
……。寝るぞ。
積もる話は、寝てからさせてくれ。
夢魔「はあい。待ってるわ」
剣士「zzz……」
夢に落ちると、いつもの美少女は切り株に腰掛けていた。
いや、イメージが広がる……これは森?
夢魔「いらっしゃい、ご主人様」
剣士「この光景は?」
夢魔「せっかくだから、私の故郷と生い立ちの話でもしようと思ってね。ほら、昨日は私の話を聞きたいと言っていたでしょう?」
夢魔「それに、今の貴方に語りかけても拒絶されてしまうだろうから。だから、今宵は貴方の事は探らない。それでいい?」
剣士「……ありがとう。精はいいのか?」
夢魔「ええ。貴方の精のおかげで、ずいぶん楽になったわ……マスターは平気?」
剣士「平気だ。それについては、いずれ話そう」
夢魔「それじゃあ、私の話をするわ。私は夢魔だけれど、こーんな、のどかな森の村で普通の生を受けたの……」
夢魔「母は当然サキュバスで、高名ではないけれど実力のある悪魔だったそうよ。父は魔人に属する悪魔と人間のハーフで、そう考えれば私は人間のクォーターでもあるのかしら」
剣士「さすがに面影は分からないな」
夢魔「ええ。母が純正なサキュバスだから、血はきっと濃いわね」
夢魔「まあ、その話は良くて。村の暮らしは平和そのもので、種族の違いはあれど穏やかに暮らしていた。両親からも……私は愛されて育った」
夢魔「今はおぼろげだけれど、母は綺麗で、優しく笑う人だった。私よりもよ?」
夢魔「父は厳かで、木彫り職人として暮らしていたわ。一日中、工場から響く乾いた音を、今でも覚えてる」
夢魔「私は幸せだった。」
夢魔「本当に幸せものだったし、自身でも幸せを噛み締めて生きていたわ」
夢魔「……」
剣士「それで……」
夢魔「まあ、分かりやすい前フリよね。……そうよ。その幸せは続かなかったわ」
夢魔「人間と竜の、大部隊のぶつかりがあったの。私たちの村をちょうど挟むようにして」
夢魔「私が十に届く頃かしらね。ある日突然訪れた人間の部隊に村は襲われた」
夢魔「やっぱりそこは悪魔らしく、総出で応戦したわ。自慢の父と母も、凛々しい顔で外に出て行った。私に戸棚に隠れるように言い残して」
夢魔「村は、私たちは勝つものだと。その時は疑いを持っていなかったわ。光も覗かない戸棚の奥で、終わったよと光が射すのを待っていた」
夢魔「断末魔がガヤガヤと聞こえたあと、外は少しずつ静かになっていったわ。その中に、私の知る誰の声が混じっていたかは知らない」
剣士「……侵攻部隊に対し村単位の、しかも悪魔では……」
夢魔「お察しの通りよ、勇者さん。両親の声を聞いたのはそれで最後。なんて言ってたかも細かく覚えていないというのに」
夢魔「その後、すぐに地響きを伴う足音が聞こえてきたわ。これについては竜だと分かったから、あまり不安は感じなかった」
夢魔「けれど、同時に何故争いが終わっていないのか不安を抱いたわ。静かになったのは人間を追い払ったからじゃないのか?と」
夢魔「それをよそに、竜の吼え声とパチパチという音が聞こえ始めた。つまりは木の爆ぜる音よ。竜殺しなら何が起きたか分かるでしょう?」
剣士「……ブレス」
夢魔「そう。私たちの村は、人間の殲滅のために焼かれたわ。私たちの誰に確認を取るわけでもなく、あるいは確認など取れるわけもなく」
夢魔「この音でようやく、自分の身にも危険が迫ってきている事を認識する。私は戸棚をそっと開けて外の様子を確認するけれど、見えるところには血も炎も広がっている様子なんてなくて、ただただ騒々しかった」
夢魔「そうして四半刻もしないくらいか……下卑た男たちの声が聞こえ始めた」
夢魔「私はもう一度部屋を覗いた」
夢魔「私たちの家では、四肢が垂れ下がった母が男たちに輪姦されていた」
剣士「……」
夢魔「瀕死か致死か……幼い私にも分かるくらい、母の身体は痣や火傷、裂傷でボロボロ」
夢魔「その死に顔、伸ばされた腕を見て、母は私を最後まで守ろうとしてくれてたんだなと。きっと父も。だから、私は生きなきゃって」
夢魔「……ただそれだけが、あの村での日々に残った全て」
夢魔「終わってしまったことを、当時の私はすぐに受け入れた。村の跡なんて見たくなかったし、振り返らなかった」
剣士「その後、お前はどう逃れた?」
夢魔「夜になって部屋に誰も居なくなったあと、炎を隠れ蓑に人が来た側と反対に走ったわ。悪魔の住む町に逃れ、行くあても無く野宿しようとしたところを、ある悪魔に救ってもらったの」
そこまで続けると、夢魔は指を鳴らし周囲の風景を塗り替える。人間のものとそこまで変わらない街明かりが俺たちを照らす。
ベンチに腰掛け、石畳にふわり足を置くと、新しい話を始めた。
夢魔「私を拾った人は純粋な悪魔族で、その割に魔法使いとして生計を立てる変わった悪魔だったわ」
夢魔「私は彼のもとで魔術を学び、人間を蝕むことで同胞として日々の糧を得た」
夢魔「初めのうちは人に対しての恐怖、雄に対しての不信……色々なものを抱えてたけれど、悪魔と過ごすうちに、人間に触れるうちに、皆がそうではないと。皆がそれぞれなのだと当たり前の事を知ったわ」
夢魔「もともと毒が無かったのかしらね、私……。殺人鬼にも、男憎しにもなれたのかもしれないけど、誘惑しない夢魔として窮屈に生きることを決めてしまったわ。親が守ってくれた操ですもの」
夢魔「まあ、それで見下されるのも癪だったから。魔術に留まらず、武から舞から、必死で研鑽したのよ?」
夢魔「おかけで、今もこうしてやっていけてるわ。ふふっ」
夢魔「これで、私の話はおーしまい……付き合ってもらって悪かったわね?」
剣士「いや……」
清々しそうに笑った夢魔の生は、ひどく重いものであった。
ひどく重いものだから、語り終えた顔が軽いのか。
剣士「俺に語って良かったのか」
夢魔「野暮ねえ。人はそれぞれって、言ったでしょう?」
剣士「そうか。そうだな」
夢魔「ついでに言えば、人間なら貴方だけよ。私の秘密……とっておいて」
夢魔「さて、今夜はどうするかしら。夢幻の世界で良ければ、ひとつ散歩でもどう。マスター」
剣士「すまないが、興が乗らない……今の話、俺にも思うところがあってな」
夢魔「あら、気を害してしまった?」
剣士「そうではないが……分かった。明日話そう」
夢魔「ええ。待ってるわ」
夢魔「今日は貴方も疲れてしまったものね」
剣士「すまない」
夢魔「良いのよ。ご主人様」
剣士「このまま眠っていいか」
声の無くなった街が、まだ僅かに呟く俺たちを照らす。
夢魔「肩と、膝。どっち……?」
俺は頭を肩に乗せた。
……………………
…………
……
剣士「っ」
ガバッ。
娘「おはようございます。……起こしてしまってごめんなさい」
何者かの気配で跳ね起きる。
この時間、いつもは朝食を作っている筈だが……。
娘「昨日の剣士さん、とても元気がなかったので……体調を悪くしたかと」
剣士「いや。診てもらった通り、健康だ」
娘「ごめんなさい、そんなの、嘘ですね。私心配なんです、昨日の剣士さんがとても悲しそうに見えたから」
剣士「……」
娘「だから私で良ければ、私で良いなら、話を聞こうかな、って……。きっと楽になりますから、辛そうな顔をしないでください」
剣士「していた、か?」
娘「はい。」
夢魔「ちゃんと見てれば分かるのよ、不器用さん。隠しているつもりでもね」
俺は顔には出さないように、
夢魔「顔に出ないから、貴方は分かるの」
……。どういう事だ?
夢魔「ふふ、気にしなくて良いわ。その方が、らしいもの」
剣士「その、だな」
夢魔「話してみたら? 何なら、私は耳を塞いでいるから」
信用できるか。
夢魔「あら、楽しそうだったのに。残念」
剣士「お前に話せる事ではない」
娘「そう、ですか……」
剣士「ただ、その」
なで。
娘「!」
剣士「……良いか」
娘「っ」
こくん。
なでなで……。
夢魔「気に入っちゃった? 妬けるわねえ」
……悪くはないと、いうだけだ。
夢魔「それ、良いって言うのよ」
剣士「すまない」
娘「こんな事で良いなら、いつでも言ってくださいね。えへへ……頭、空けておきますから」
剣士「……」
娘「あたたかい……///」
夢魔「ふふふっ、可愛いわね」
娘「おおきくて、ごつごつしてて……えへへ」
……良い、な。
……
娘「いただきます」
剣士「……頂く」
夢魔「今日のご予定は? 勇者さん」
大型竜の討伐だ。
隣町まで行かなくとも、外れの渓谷を寝ぐらにしているという情報がある。
夢魔「……単騎で?」
案ずるな。
剣士「……ご馳走様。じきに発つ」
娘「はっ、はい」
剣士「食べていてよい。身支度は済んでいる」
娘「わかりました……」
剣士「行ってくる」
娘「お気をつけて」
ヒヒーン!
パカラッ、パカラッ……
夢魔「様になってるじゃない。女夫みたいよ」
そのような趣味はない。
夢魔「趣味って言い切っちゃうあたり、面白くないわねえ。ところで、今日は起きていても平気かしら?」
お前が起きていられるなら、そうしろ。
昨日のような事も、そうそう無いと思うが……。
夢魔「じゃ、そうさせてもらうわ」
夢魔「……丸くなったかしら? 少しは」
やめてくれ。意識しながら話してしまう。
無理やり無愛想にするのも何か違うだろう。
夢魔「あら。そんな事も言えるのね、ご主人様は」
……お前のおかげだよ。
夢魔「皮肉ね」
お前がな。
着いたぞ。
夢魔「ここが……」
山肌が荒々しく覗く谷は、周囲より標高が低いという訳ではなく険しい尾根へと続く。
対照的な丸い川石と穏やかなせせらぎを右手に、それらしい寝ぐらを探して進んだ。
夢魔「見つけたら、すぐ殺すつもりなのね?」
そのつもりだ。
夢魔「……貴方、本当に人なのかしらね?」
そのつもりだが……さてな。
夢魔「人並み外れても人でしょう。人でいなさい」
ザッザッ……。
竜「……」
剣士「……」
何者かの呼気がする。
聞こえる。
まだ剣には手を掛けず、殺気を殺して岩陰へ。
竜「……」
剣士「……」
居た。
緑の鱗を纏う竜が、見定めるように鎮座している。
気配こそ殺していたが、話し合うつもりも殺し合うつもりも無い。
俺は日々の糧を得るために来た。一方的に殺すために来た。
故に理屈は要らず、抜いた剣を首筋に放った。
竜「!!」
逆手に振り抜いた刃が空を切る。
いつの間に半歩下がった巨体は、両の爪を構えた。
武の者だ。
夢魔より、竜は誇り高いと聞いた。この個体はそうなのだろう。
剣士「……」
必殺するまで剣は要らない。ひとたび触れたら剣は折られ、あるいは曲げられる。
腕を下ろし剣先は左へ。正面に構え時を待つ。
竜「ゥオオオアァアアア!!!」
先々の先は巨体の特権。
横薙ぎに死が迫る。
ブォン!!
後ろに飛び退きもう一度。
反対の爪からもう一度。
ブォン!!
剣士「ふっ」
息を整える。
竜と対峙する人間は、まず間合いの差を重く認識しなければならない。
これは常法である。
爪を見るたび思い出せ、牙を見るたび思い出せ。
呪われし日々を思い出せ。
積み重ねられた経験が血に巡り、勝手に四肢を突き動かす。
竜「ウアァアアア」
間合いに半身踏み込む。
すぐ爪が迫る。
これに身を翻すと、身体は半身だけ戻り、体勢は崩れるが……。
剣士「――」
竜「――」
体勢を崩せば捉えんとす。
腕を伸ばして捉えんとす。
翻した身体は弧を描き、また間合いの中へ。
勢いのまま、懐の中へ!
剣士「おおおおおおおッ!!」
踏んだ足より伸びた肩、すなわち死に腕!!
ズバン!!
竜「ッ、ゴオオオオオオオオ」
剣士「っ、ふ」
わきの下を斬り抜け、油断せず向き直る。
両断するには至らないが、腕への傷は深い。
薄い鱗から滴る鮮血は多い……致命傷だろう。
夢魔「貴方、本当に、渡り合えるのね……」
手負いは暴れる事も多い。
間合いなど気にせずに突撃する質量を捌けなければ、すぐに組まれて圧死のみだ。
夢魔「……ええ、油断しないで」
竜「グ、ウウウ……」
剣士「見事だ。もう一度構えるか?」
竜「グゥエエエウ!!!」
ダンッ!!
夢魔「跳んだ!?」
逃げたとしても、そうは持つまい。
ダッダッダッダッ…………
夢魔「違うわ、山の上から村の方へ……!」
剣士「なに!?」
……………
パカラッ、パカラッ、パカラッ
剣士「っ、走れ!」
ヒヒン!
剣士「く、見えなくなる……!」
突如走り出した手負いの竜は、血を流しながら村へと向かう。
川辺という足場の悪さから逃れた竜は、馬を越える早さで村に迫る!
夢魔「なぜ村へと?」
剣士「分からない!!」
まだ日中。
農作業をする人、商店に立つ人……洗濯を、干す娘。
夢魔「そうね、急いで!」
馬「フッ、フッ、フッ、」
パカラッ、…パカラッ、……パカラッ、
まずい。馬に疲れが出てきたか。
夢魔「どうするの、勇者さん?」
夢魔、その。
夢魔「ふふふ、何かしら」
笑うな!!
夢魔「そうね。でも、ものを頼むのにその態度はどうなのかしら?」
それっ、知っていて、お前……!
夢魔「……ご主人様、そろそろ私を信じてみて。私じゃなくてもいい、自分以外の誰かを」
夢魔「貴方が、人を信じられないと嘆くのは、誰かを信じたいと、そう思うから」
こんな時に説教か!
夢魔「……へえ。説教ですって? 昨日話した私の過去、記憶から消し去ってやろうかしら」
夢魔「誰かを!! 失う前に!! すべき事をなさい、この戯け!!」
そうとまで言ってくれるか。
ああ、その通りだよ、この悪魔!!
上等だ……!!
剣士「主人として命ずる!! 村人の精神に潜り、今すぐ屋内へ退避させろ!!」
夢魔「Yes my master!!」
頭の中から夢魔のイメージが消える。
それと同時に、村人たちが捕まって喰い千切られる想像も、どこかに消える。
もう大丈夫だ。
そう思えるだけで、心に強さが湧いてくる。
夢魔ならきっとやってくれる。
娘ならきっと聞いてくれる。
誰かを信じて生きてみて、望んだようには生きられなかったが……。
誰かを信じる心は、未だ微かにこの胸に。
剣士「もう少しだ、頼む!」
バシーン!
馬「ヒヒーン!」
…………
夢魔「聞こえるかしら! この村に大型の竜が迫っているわ、今すぐ屋内へ戻って!!」
老人「はえ? ぼけたかの……」
…………
夢魔「聞きなさい! 大型の竜が村を襲いに来るわ、家の中に退避しなさい!!」
店主「……うーん。変なキノコでも食べましたっけ?」
…………
夢魔「っ、これじゃラチが明かないわ……適当に潜ってはダメ。でも、俗世に欲の無さそうなあの子を、夢魔の私がどうやって探したら良いの……?」
夢魔(何か思い付きなさい、私。せっかくマスターが信じてくれたのだから)
夢魔「研ぎ澄まして……声を、心の声を……」
金貨があと3枚もあれば、こんな糞みたいな村出てってやる。
ウチもそろそろ建て替えたいわねえ。
お父さん……寂しいよ……
あーバインバインのねーちゃんでも嫁いでこねえかなあ。
あーうぜえ。ぽっくり逝かねえかな隣のジジイ。
夢魔「……。いや、今の!!」
ヒヒーン!
剣士「着いたっ、竜は!」
……
村長「なんだねこの騒ぎは!」
母「命が惜しけりゃ家に戻りなァ!! 喰い千切られたいのかい!!」
村長「な、どうしたんだね!?」
母「宿の剣士から伝言だ、竜がこの村を襲いに来た!!」
村長「何かと思えばあの男か? 何を真に受けて……」
母「うるせェ!!家ン中でくたばってろ!!」
バキッ!
少年「ほ、本当に来るの?」
娘「信じて!! 早く、家の中に!!」
少年「う、うん」
母「あんたも早くお入り!!」
娘「待って、まだあっちにおじいさんが」
竜「ギョワアアアアアアアア!!!」
母「戻っとくれ、早く!!」
娘「――ダメ、放っておけない!!」
老人「お、おお……?」
「ほ、本当に来た」「娘ちゃんが危ない……!」「しっ、息を潜めるんだ」
母「頼むよ、戻っておくれえええ!!」
娘「おじいさん!!」
竜「ギャアアアアアア!!」
ズン!ズン!ズン!ズン!
老人「こ、腰が」
娘「た、立って……!」
竜「ギャエエエエエエエ」
娘「引きずって、こっちに……!!」
老人「も、もうええ……離すんじゃ……!」
ドスン!ドスン!ドスン!ドスン!
夢魔「娘ちゃん、もう来てる!!!」
娘「ごみ、箱の、陰に……!」
竜「……」
クパァ。
娘「あ。……」
竜「シャアアア!!!」
夢魔「マスター!!」
娘「お父、さん」
剣士「死ねええええええええ!!!」
竜「ゴッ、フ」
娘「ひっ」
老人「ひょええ……!」
剣士「死ね、死ねっ、死ねええええ!!!」
ドパン!!
娘「あ、ああ……」
後頭部に振り下ろされた「拳」が、
竜の頭部を破砕した。
一帯に、脳と髄と血と肉が散らばる。
「今、殴……」「娘ちゃんは無事か!?」「なんだ、なんだったんだ今の……!?」
それは剣士と呼べるものではなかった。
剣士「……無事か」
娘「け、剣士さぁん!!!」
夢魔「良かった……間に合って……」
当然、勇者と呼べるものでもなかった。
……………………
…………
……
母「……説明してもらうよ」
村長「私からもだ」
剣士「……」
俺は、渓谷で討伐していた死に体の竜が突如として村に走り出した事、馬では追い付けない速さであった事、今までにこのような事例を知らなかった事を話した。
母「……」
村長「娘ちゃんは助かったから良かったものの、どうなる事かと思ったよ。やはり、お前はどんな厄介ごとを持ち込んだものか分かったもんじゃない。ここはひとつ村から出てい」
母「黙りな。ノビてて見ても無かった奴がほざくんじゃないよ」
剣士「……」
ガチャ。
「……」「……」「ヒソヒソ……」
剣士「……」
夢魔「マスター」
……。
「何と恐ろしい……」「竜に呪われてるんじゃねえのか、あいつ」「出てってくれよ、もう……やだよ……」
夢魔「本人に聞こえる声で、あくまで聞こえてないように。最低だわ」
…………。
夢魔「その、私は貴方の味方だから……気を落とさないで……」
……………………。
夢魔「ご主人様……」
………………
剣士「ご馳走様」
娘「……」
剣士「済まなかった」
娘「そんな! 剣士さんは何も悪く」
剣士「いや。今日の事は、俺の甘さが招いた事だ」
娘「剣士さんが助けに来てくれた時、まるで、お父さんみたいだって思いました」
剣士「思い出は、汚さない方が良い」
娘「そんな事言わないでください……少し怖かったけど、剣士さんは悪い人なんかじゃないです」
剣士「……」
ガチャ、バタン。
夢魔「マスター……あの子は、剣士さんの仲間と言った時に真っ先に信じてくれたの。だから信じてあげて」
信じていないわけではない……。
夢魔「なら」
今宵、話す。
夢魔「……」
………………
夢魔「……こんばんは、マスター」
剣士「ああ」
剣士「あの時は、ありがとう。夢魔」
夢魔「……ええ」
頭を下げる。
目の前には、本当にあの激しい叱咤をかましたとは思えない、穏やかな笑顔があった。
剣士「これについては、顔を合わせて礼を言いたかった。すまない」
夢魔「ふふ。あのまま意地を張っていたなら、本当に記憶を消して、契約を破棄してたわよ?」
剣士「……冗談ではないのだろうな。勘弁してくれ」
夢魔「あら、本当に殊勝ね。弱らせちゃったのかしら」
剣士「驚いたには、驚いた」
剣士「それで、本題だが」
夢魔「今ので本題じゃない?」
剣士「約束を守ろうというのだから、水を差すな。俺の精……それについて話そうと思う」
剣士「俺が生まれ落ちた里は、秘境でもあり代々勇者を輩出する使命を持つ、勇者の里という」
剣士「勇者とは、竜を討ち滅ぼす為の……その為だけに研鑽を積んだ戦いの申し子」
剣士「世間体の為に作られた、弱きを助け強きを挫くなんて思想は一切なく、ただ竜の殲滅を願う……それが勇者であり、その一行だ」
剣士「俺は、年代的にある子供と対になって産まれた。俺は彼より剣術に長けており、その世代では一番の勇者候補でもあった」
剣士「身体の捌き方、竜の身体の構造、効果的な戦術、その全てを里で学ぶ。俺は15歳、彼も15歳、ある日俺たちは長老に呼び出される」
剣士「用件はさらなる力の会得についてだった。断る事は出来なかったし、断る事もなかっただろう。さらなる力、さらなる戦闘力。俺たちはそれを快諾した」
剣士「どうやら里が新しく編み出した秘術で、ある力を身体に宿す事が詳細であった。俺と彼に、それぞれ対になる力を」
夢魔「……もしかして、昼間見せたあの力?」
剣士「ああ。」
剣士「それは、人間の持つ全ての負の感情を糧にして力を生み出す術式だった。」
夢魔「え」
剣士「この世のありとあらゆる負の感情を、この……人間の身体に押し込み、リミッターをかけて燃料タンクのように開閉させる事」
剣士「それが、あの爆発的な力を生み出す為に生み出された方法。破壊の力」
夢魔「それじゃ」
剣士「そうだ。莫大な力と、有り余る淀み。それが俺の精の正体だ」
剣士「ちなみに、対になって宿された彼の力は、喜び、楽しみ、安らぎ、勇ましさ。そのような感情を詰め込まれた燃料機関……破邪の力だ」
夢魔「本人たちの感情の動きは想像も付かないけれど……何故その燃料に、人間の感情を選んだのかしらね」
剣士「言霊などに限った話ではないが……人の想いというものは上にも下にも留まる事を知らず、無限に近い原動力となるからだ」
剣士「秘術は滞りなく完了したが、俺の力には問題があった。戦っている相手が強くなればなるほどに感情の制御が難しくなり、その力を持て余してしまう事だった」
夢魔「想像に難くないわね」
剣士「ああ。紆余曲折はあったが、端的に言うと俺はその力で里を滅ぼしかけ、そして里を追われる」
剣士「正直なところ、此度の件も小さな事なのだ。人ひとり用ではない感情のリミッターが付いているせいで、自分の感じ方を自在に制御出来てしまう」
剣士「まあ、お前の魔法でよく分からない事をさせられた時は焦ったがな」
夢魔「あら、素直になるマジックってそんなに危なかったのね」
剣士「だからやめろと言った。まったく」
剣士「これが大まかな話だ……細かい事は、おいおい話そうと思う」
剣士「もう一つ、お前に伝える事があるからだ」
剣士「俺は村を出て、旅に出る」
夢魔「娘ちゃんはどうするつもり。あの子は、貴方を必要としている」
剣士「どうにか説得する。それだけの理由がある」
剣士「昨日、お前の故郷の話を聞いたな。単刀直入に言うと、お前の故郷を滅ぼしたのは勇者一行だ」
夢魔「……。知っている人間?」
剣士「確証はない。しかし竜に対抗し得る人間の集団といえば、俺の居たあの忌々しい里の人間だけだ」
剣士「それに……お前の親を手に掛けた人間に心当たりがある。先ほど話した、俺と同世代に産まれた男」
剣士「15となり力を授かる前のことではあるが、魔物の住む、とある村に侵攻したという話をした覚えがある」
夢魔「……」
剣士「……。日付や編成が掛け違っていれば、幼い俺がお前たちを殺していたかもしれない。憎んでいるか」
夢魔「私は……」
剣士「こんな聞き方をしてすまない。だが軋轢を生まぬよう、あえて先に許しを乞うた」
剣士「夢魔よ。明日からの旅路に、これからも使い魔として付いてきて欲しい。俺は……俺の背負ったものに答えを出しにゆく。その中でお前の過去に関わる事があれば、俺がその罪を償おう」
剣士「嫌であれば、契約は破」
夢魔「何か勘違いしているわね。ご主人様」
夢魔「私が貴方の使い魔になったのは、貴方が気に入ったから。それ以上の戯れなんか、初めから無かったわ」
夢魔「あーあ、残念ねえ……。私、ますます貴方に興味が湧いてきたの」
夢魔「私の気が向く限り、貴方にいくらでも仕えてあげる。ちゅ」
剣士「!」
夢魔「うふふ。夢魔の接吻は、自分から欲しがって手に入るものじゃないのよ? 忘れないで頂戴」
ここまでにしとく
序盤はそろそろおしまい
剣士「……そっちを欲しがった覚えは無い」
夢魔「ふふ。相変わらず嫌な男ね」
剣士「お前も相変わらず変わり者だ。枯れたような男のどこが興味を引いたのか」
夢魔「あらぁ? こないだ涸れてはいないって自分で証明したんじゃなくて?」
剣士「……やめてくれ」
夢魔「まあでも」
夢魔の白い指があごを伝う。
ここは夢……いつの間にか両の手足が動かせなくなってもおかしくはない。
夢魔「私は欲しいのよねえ。貴方の唇……貴方の精が」
剣士「好きに吸え。今日のお前を労わない主にはならん」
夢魔「ふうん。縛っちゃったのに余裕じゃない」
剣士「好きに吸えと言った。縛らなくても同じ事だ」
夢魔「はあ」
パチン。
ため息と共に夢魔が指を鳴らす。突っぱねすぎたかと思ってハッとするが、どうやら俺を寝かせるベッドを用意しただけのようだ。
夢魔「そこに寝て」
剣士「……。いや、動かんぞ」
夢魔「じゃあ、押し倒してっ……あげる」
匂やかな唇が触れた。
……
夢魔「っ、こくっ、んふ……♪」
夢魔「はぁ、ふふっ、えげつない味……」
剣士「いつまで乗っているつもりだ」
夢魔「あら、今度は乗りたい?」
剣士「俺で遊ぶな」
夢魔「ふたりで戯んでいるのよ。私は常に対等でいたいと思っているわ」
剣士「……拘束して押し倒し、唇を奪うのが対等か?」
夢魔「だって、貴方もシてほしそうだったもの」
夢魔「ま、ご馳走様ねマスター。もう少し美味しくなって頂戴」
パチン。
剣士「っと、解けたか」
夢魔「あっ、そのまま。……私も寝させて」
彼女は今度こそ対等に、俺に寄り添う。
動くようになった俺の腕を抱く。よって片腕だけまだ動けない。
柔らかい肉も、溶け合う体温も、耳孔を侵す吐息も、危なく、甘い。
夢魔「ねえ、貴方」
夢魔「貴方は、自分の甘さがあの子を危険に晒したと言ったわね」
夢魔「それは事実よ。」
冷えた声が、夢から醒めるほどの衝撃を与える。
夢魔「破壊の力ですぐあの竜を殺していれば、村が襲われる事はなかったわ」
夢魔「何故、貴方は破壊の力を使わなかった? 逆に、どうして最後まで力を我慢する事が出来なかった?」
剣士「…………」
夢魔「思考が枝分かれする前に、答えてしまいなさい」
剣士「俺は」
剣士「…………」
夢魔「ね、マスター? 睦言で魔法を唱えるのは嫌よ」
夢魔「早く吐き出して、楽になってしまいなさい。」
楽になってしまいなさい。
楽になってしまいなさい。
楽になってしまいなさい。
先ほどまで刻まれていた甘美な桃の味わいが、彼女が誘導する言葉の先を桃源郷だと錯覚させる。
誘い、惑わし、誘い、惑わせる。蓄積する誘惑。
その一瞬、俺は堕ちてしまった。
剣士「怖か、った」
剣士「俺、は。もしも、もしも自分が自分の制御を離れてしまう事が……怖くて、」
剣士「怖……くっ……!?」
あああ。
我に返った。
やっちまった。
夢魔とは、俺と同じく恐ろしい者なのだ。
剣士「いや、別に俺はッ」
夢魔「怖かったわね」
間もなく、強く抱きしめられる。追撃が、思案を許さない。
剣士「む、ぐ……」
夢魔「確かに貴方が竜を殺し切っていれば村は襲われなかったでしょう」
夢魔「けれど貴方が竜を殺し切らないせいで村が襲われたなんて……誰が知るのかしらね?」
剣士「……!」
裸の心に言葉が沁みる。
先ほどまで事実を突き付けていた魔性の唇は、温かく真実を語る。
夢魔「貴方は己の力に怯え、竜を仕留め損なった。手負いは村に突撃し、暴れ、そして貴方に止めを刺された」
夢魔「それだけが真実よ。時に世は真実を見失うけれど、世界を動かすのは真実だけ」
夢魔「貴方のせいじゃない。怖いのはしょうがないじゃない」
剣士「しょうが、ない……」
夢魔「そ。ちなみに、娘ちゃんが食い千切られそうになった遠因は私にないとも言えないのよねえ。村民の退避で一番力を借りちゃったわけで」
剣士「それは……」
夢魔「そして娘ちゃんの死を防いだのは、紛れもなく貴方よ。勇者さん」
夢魔「さあ、眠りましょう……マスター。貴方を休ませてあげて」
夢魔「貴方を許してあげて」
……………………
…………
……
夢魔の指が、眠る男の頬を擦り上げる。
その指に光る雫が、そっと唇に運ばれていく。
夢魔「……。初めて味わったわ、貴方のデザート」
夢魔「とても繊細で、優しい味」
夢魔「好きよ」
間が空いてすいません
しかし何でこの剣士えっちしないの馬鹿じゃないの
……………………
…………
……
ザッ。
剣士「……」
母「発つのか」
まだ日の昇り切らない頃、村の入り口に女はいた。
剣士「ああ。戻らない」
母「てめぇ」
バチン!
剣士「っ……」
母「最低だよ」
張られた頬が痛い。
母「……今お前が出ていったら、ウチの娘は泣くだろうね」
剣士「ああ」
母「へええ知っててやってるんだねえ。おおやだ。あの時さっさと死ねば良かったものを、あの子が拾ってきたばっかりに」
母「だからのたれ死ねとも言えなくなっちまったじゃないか。可愛い娘の前で」
母「けれどあんたは村を出る。あの子が自責に駆られるであろう最悪のタイミングで、癒えない傷をあの子に増やそうとしている」
母「だってお前、死にに行くんだろう?」
剣士「そうと決まったわけではない」
母「いいや嘘だねあたしも医者の端くれだ。あるいは、死にに行くわけでもなくとも死に場所を探してる。そんな顔だ」
剣士「そんなの……」
俺の世界が平和でなくなってしまった時から、そんなの。
そんな問答は、既にして終わっている。
母「あたしはあの子になんて言ったら良いんだい。あの男は死にに行ったと言えば良いのかい?」
母「それとも、知らぬ間に消えてしまったと告げて、せいぜい慰めれば良いのかい?」
母「あの子が、あんたに投影した………………あたしに二度と埋められない、親の半身を失わせたまま過ご」
娘「剣士さんっ!!」
剣士「!」
母「……チッ」
夢魔「私との口約束でも、それはそれよ。逃げないで、ちゃんと守って頂戴」
……さては、起こしてきたな。
夢魔「さーてねえ。聞いていないでいてあげるから、するべき事をなさい。お休み」
娘「……村を、出るんですか」
剣士「……ああ」
娘「もう、帰ってこないんですか」
剣士「ああ」
娘「もし昨日の事で居場所を無くしてしまったと思うのであれば、私が全力で誤解を解きます。それでも、ダメなんですか」
剣士「行かなければ、ならない」
泣きそうな顔でもない。
怒るような事もない。
初めて見たかもしれない、母親に似た芯の強い姿。
そんな彼女が、最後の切り札を切るように言葉を告げる。
娘「それは、あの夢の女性の為ですか」
剣士「!」
そうか、知っているのか。
彼女たちがどんな会話を交わしたのか、娘が夢魔をどう思っているのかは分からない。
しかし、一般的な人間の感覚からして悪魔と親交があるのは異様だろう。
剣士「いや。自分の過去を清算する為だ」
俺の旅立ちは夢魔の為ではない。これは本心である。
これを伝えると納得したのか、いつものように柔らかい
娘「清算できたら……また、またいつか……私の頭を撫でてくれますか?」
剣士「俺は、お前の父親にはなれない」
娘「……」
なでなで。
娘「あ……」
剣士「しかし、ゆかりが有ればまた会う事もあるだろう。それでも構わないか」
娘「はい!」
剣士「!」
そうか、知っているのか。
彼女たちがどんな会話を交わしたのか、娘が夢魔をどう思っているのかは分からない。
しかし、一般的な人間の感覚からして悪魔と親交があるのは異様だろう。
剣士「いや。自分の過去を清算する為だ」
俺の旅立ちは夢魔の為ではない。これは本心である。
これを伝えると納得したのか、いつものように柔らかい笑顔と、頬から照る小さな光を浮かべた。
娘「清算できたら……また、またいつか……私の頭を撫でてくれますか?」
剣士「俺は、お前の父親にはなれない」
娘「……」
なでなで。
娘「あ……」
剣士「しかし、ゆかりが有ればまた会う事もあるだろう。それでも構わないか」
娘「はい!」
俺は村を去る。俺の一命を取り留め、俺に居場所をくれた恩人たちの村を。
剣と金、地図に油、飲み水と干し肉。それだけ背負って歩き出す。
すぐ俺は砂塵に巻かれ、顔を覆い、地平に溶けてゆくだろう。
その前に伝えるべき事があった。
剣士「ありがとう。宿の娘と、その母よ。過去の遺物に朽ちたとて、死んでしまえば過去を振り返る事もできなかった」
剣士「身体を大事にしろ」
母「けっ。あんたが言うんじゃないよ」
娘「そうですよ」
剣士「……世話になった」
俺の行く手に朝日が昇る。
ああ、気持ちいいのだ。
きっと今は素直になったとして、負の力にも飲まれないだろう。
一時だが、俺は幸せだ。
「はじまりの小村 おわり」
長く
かかった
すまない
それは夢の世界の事であった。
夢魔「お別れは済ませたかしら?」
剣士「滞りなく」
美しい少女は笑う。
主人を見つめ、柔らかく笑う。
夢魔「……本当かしら。泣かせてないわよね」
この世界は、夢か、幻か。
まだ平和な世界に過ごす俺が見ている、悪夢なのか。
そうあって欲しいと、いつも願っていた。
剣士「……」
夢魔「申し開きはあるかしら。ふふふふ」
剣士「待て。あれは嬉し泣きだ。多分」
しかしやはり、ここは現世だ。
早めの野営を決め込み、明日に備えて眠りについた泡沫の夢の事なのだ。
夢魔「あの子は。まあ仕方ないかしら。罪作りよねえ、本当に」
剣士「これ以上罪を重ねたくないとは、思っている」
夢魔「あらそうなの。じゃあ天然たらしね、怖いわあ」
剣士「いや、そんなつもりはない……」
パチン!
夢魔が指を鳴らすと、周囲の風景がガラガラと変わっていく。四角く覆われた何もない場所、これはどうやら。
夢魔「察したかしら。ここは不退転のリングよ」
剣士「……何をする気だ」
夢魔「やだ、知ってるくせに。女の子に言わせるのが趣味なワケ……?」
剣士「戦うのかと聞いている。今更そんな事をする必要があるのか」
夢魔「正確には組手かしら。まさか、サキュバスが殺しをするとでも」
剣士「ならばサキュバスらしい精神攻撃を企んでいるのだろう。この世界ではお前に何を振るうのも気が進まない」
夢魔「へえ、私を大事にしてくれてるのね……うふふっ、ありがとう。」
夢魔「でも、私強いから」
夢魔「小細工もしないし魔法も要らない。ここはひとつ、力比べでもどうかしら? 勇者さん?」
パチン!
俺の前に剣が刺さる。どうやら現実で愛用しているそれを模しているらしい……なるほど、握りも重さもその通りだ。
対し、美しい少女は棒を構えていた。棒術を嗜む悪魔など聞いた事もない。
夢魔「この世界は貴方の夢で、私の支配する世界。貴方が目覚めたいと思えば全てが終わるし、そうね、この短剣を……ほら」
剣士「!? よせっ」
夢魔「っ……ご覧の通りよ。ここは食卓、ステーキナイフも安全であるべき。でしょう?」
夢魔が腕に刺した傷が、みるみる癒えていく。そもそも血の一滴も溢れない様子を見るに、ここはそういう世界なのだろう。
夢魔「ヤる気になったかしら?」
剣士「……組手など久しいものでな」
夢魔「あっ、そうそう。戦う理由を聞いていたわね。ひとつは、これから旅をする貴方に、私の身体の感触を隅々まで知って欲しいと思っての事よ」
剣士「もうひとつは?」
夢魔「こんな男に恋破れた、可愛い娘の弔い合戦よ♪」
……。
同じ乙女として、やはり許してくれないらしい。
剣士「加減はしないぞ」
夢魔「良いわ、いらっしゃい……」
長物を持つ人間との組手は少なくない。
やはり間合いが広い事は戦いにおいてあらゆる強みとなり得るからだ。
相手が何であろうと……油断はしない。
剣士「はっ!」
夢魔「!」
ガキン!
袈裟を捌く。非力を補うように、俺の剣を逸らしていく。
ガキン!ガキン!
夢魔「あはっ、激しいのね」
剣士「まだ、小手調べだっ!」
ガキィン!!
夢魔「っ……力を使わなくても、竜と張り合えるだけの事はあるわ」
強く剣を奔らせ、棒を強く弾いた感触を味わう。
夢魔を吹き飛ばすには至らないが、しなりも加わって手のひらを痺れさせているだろうか。
少し、夢魔の逆手に踏み込んでみる。
これを見ているか?
剣士「おおっ!」
夢魔「あらあらあらぁ! ……どうしたのよ。見くびらないで」
剣士「っ、心得がないわけではないようだな」
速い。一瞬で俺の腹部を突き破ろうとした。
現実で喰らっていたら、肋骨を失い痙攣、呼吸が乱れて即戦闘不能だ。
この夢魔が何者であるか?
その問いは、続く棒術の猛りに消えていった。
夢魔「ふっ、はっ、あああっ!」
剣士「……、っ、ふっ、ふっ、ふう」
……。
手数が多い。
そして速い。
夢魔「たっ!」
足か。
夢魔「ふうう」
小手。
夢魔「やあああ!!」
ガキィン!!
剣士「首か。やらんぞ」
夢魔「ふふ、欲しくなっちゃうじゃない……!」
ガスッ。
夢魔は俺のももを蹴り、間合いを取り直そうとする。
ああ、しかし、終わりだ。
剣を翻し、宙を舞う夢魔に突撃する……!!
夢魔「!」
中央から端に握り替え、威力と射程の増した一撃を空中から放つ。
後ろに飛び退きながらの技とは思えない程、棒がしなって風を切る。
剣士「ぐっ」
ドフッ……!
夢魔「……!?」
夢魔の渾身の一撃を、間合いを詰めながら背中と腕で喰らい切る。痛みで筋肉が千切れそうだ。
一太刀も浴びれない有象無象とは相手が違う。
相手が武人であるならば、心技体の全てで制す……!
剣士「おおおおおッ!!」
ドガッ!!
夢魔「く、いやあああっ!?」
俺の体当たりに直撃した夢魔が、衝撃を和らげながらも地面を転がっていく。
あまりの勢いに、そのまま壁に激突した。
夢魔「いた、た……」
ジャキン。
夢魔「……」
夢魔「ふふ、参りました。ご主人様」
身体を打ち付けた夢魔の獲物を踏みつけ、その喉に剣先を突きつける。
勝負あったようだ。
……………………
…………
……
剣士「その技はどこで仕込まれた」
夢魔「私を拾ってくれた悪魔によ。護身用には少し心許ないかしらね……自信なくしちゃう」
剣士「謙遜するな、大した腕だ。胸を貸すほどの余裕もなかった」
剣士「お前はその身のこなしから見るに、棒術でありながら周りの物を活用した、閉所での戦いを得意とするように見える。この組手では力を発揮出来なかっただろう」
夢魔「そこまで分かっちゃうんだ。ふふ、読心術って使われる側はこんな気持ちなのね」
剣士「人聞きの悪い」
夢魔「ううん、嫌じゃない気分よ。勇ましいご主人様も、いつになく口数の多いご主人様も、素敵だわ」
剣士「……よせ」
剣士「しかし。流石のお前も、戦いとなればあのように高揚するのだな」
夢魔「あら、猛ってほしいならベッドの上でも構わないのよ?」
剣士「その手の冗談はやめろ」
夢魔「ふふ、棒術には自信があるのに……」
そうも言いながら、指を鳴らしてベッドメイクを済ませている。
襲われる事は無いのだろうが……隣に座るよう促す笑顔に何故か逆らえない。
夢魔「お休みなさい、マスター」
白魚のような指が、俺の髪を梳く。
ベッドの上で勝たせてもらえるのは何時になるのか、そんな事を考えながら眠りについた。
……………………
…………
……
着いたぞ。
夢魔「ふーん、なるほどねえ」
何がだ。
夢魔「だって、言っていたじゃない? お前好みの町だろう、って」
ああ、ここは……。
「うぉらテメエぶっ殺してやる!」
「う、ぐ……誰だよ……? 酒に何を入れやがった……」
「ほら張った張った!! ガタイのいいあんちゃんと、酔っぱらいの見せもんだァ!!」
「俺はこいつに金貨を、オラッ5枚!」
「ああ~ん、だめぇ♪ 一緒に良いとこイクって言ったでしょ?」
「うごぉ~~~~……ひっく、うごぉ~~~~…………」
「ほらよ、ブツだ。丁寧に扱えよ?」
「おお、こいつは上物だな。ふっは、歩け歩け」
「やだぁ……助けてくださいぃ……」
ここは、ちょうど行き道の中腹にある有数の歓楽街。快楽と欲望と悪意の渦巻く虚ろの町。
「ひゅーっ、ヘイ兄ちゃん!」
何故か酒瓶が俺に投げられても、それは不思議ではない。
ズバン!
剣士「失せろ」
「たっはっは、やるネェ! 仕方ねえそれはオゴリだァ、あひゃひゃひゃひゃ!!」
夢魔「路銀を稼ぐには、間違いのない町ね」
ある意味では夢より奇天烈な、異様な熱気の支配する町だった。
ガッチャン!
ドッタン!バッタン!
夢魔「ただ少し誤解されているかしらね……こういう町も嫌いじゃないのだけれど」
お前にとっては食料の山ではないのか。
夢魔「他人を陥れるような卑しい欲、自己を満たす為だけの淫らな欲が渦巻いているわ」
夢魔「誰かと過ごす中でのささやかな願望や、想い人に抱く優しい愛欲……そういうものが私の好み」
……お前、本当に夢魔か?
夢魔「そのようなのよねえ。グルメでしてよ?」
流石に分からん。
夢魔「油の多い料理や強いお酒より、小鉢に入ったサラダや温かいミルクが好きってこと」
それなら、分からなくはない。しかし、俺の精は好ましくないのではないか。
夢魔「……バランス栄養食?」
人を滋養品扱いするな……。
「あいつは、あいつだけは……! おい、さっさと捕まえろ!」
別に、食べに行きたい奴がいれば俺の元を離れても良いぞ。
夢魔「くす、貴方はそれで平気なのかしら? 寂しそうな顔はさせたくないのだけど」
言ってろ。
夢魔「いやね、私だって操くらい立てるわ。貴方が居れば、それで充分よ」
どんなサキュバスだ……。
「くっ、どいてどいてどいて……!!」
夢魔「なんだか、あちこちで荒れてるわねえ。勇者さんは我関せず、といったところかしら?」
……チャキン。
夢魔「ま、お供するわ」
路地の中を入って行くと街灯や人の明かりは急に遮られ、身が凍るような緊張感を生み出す。
帯刀に手をかけたまま、声のした方を追った。
「おい、こっちだ!」「いたぞ、追え!」
剣士「そうか。こっちなのだな」
ガスッ!
「ぐへっ……!?」「ごは……っ!」
柄の部分を頚椎に叩き付け、先を急ぐ。
しばらく行くと、そこは高い建物の行き止まりになっており、何やら大人の集団に少女が襲われていた。
数は10も居ない……腕の立ちそうな輩も見当たらない。
「捕まえたぞ……!」
少女「っや、離して……!」
「このメスガキっ、奴隷屋にでも売り飛ばして」「面倒くせえよ、この場で殺ればいい」
気分は良いか?
夢魔「いいえ、まったく」
同感だ。
剣士「おい」
「あん?」
ゴキッ!
「ぶっ!?」
鼻を押さえた小物が石畳に転がる。
振り返る集団の中から、リーダー格の男が懐をまさぐりながら歩み寄ってきた。
「何だテメェ。このガキの親父かァ?」
剣士「いや。ただの憂さ晴らしだ」
「じゃあ……」
「相手を間違えたなァ!!」
少女「!」
あれは……銃といったか。
懐をこね回して暗器を出す馬鹿がどこにいる。
剣士「鎧袖一触とはいかないが」
パァン!!
剣士「抜くまでも無い」
ドサッ……。
「な」「お、おい兄貴!」
なるほど。
竜の炎よりか、まったく細い射線だ。
「なんだ、こい、つ……」
前に斬り伏せた野盗たちとそう変わる事はない。
路地が静かになるのに時間はかからなかった。
少女「あの、助けてくれて、ありがとうございました」
剣士「礼は要らん」
シャキン!
少女「!?」
剣士「代わりに、話を聞かせて貰おうかと思ってな」
今宵、初めて抜いた剣の先を突き付ける。
あのような組織があれだけの人数で追うような事情があり、それを短時間とはいえかわしていた子供が普通だとは思えない。
少女「は、話って……!?」
剣士「とぼけるな。何をして、この手の組織の恨みを買った」
少女「え、あのっ、何をって」
少女「こういう?」
カチャ、パァン!!
剣士「っ!?」
少女は突如、あの男が持っていた銃を取り、発砲した。
それまで銃に視線を向けず、殺意も隠したまま、軽く忘れ物を取りに行くような動きで、心臓を狂い無く撃ち抜こうと。
少女「……チッ。お前、ホンモノか」
夢魔「マスター、下手したら死ぬわよ」
言うのが遅い。
パァン!!パァン!!パァン!!
少女「っ、んだよお前、見えるのか?」
剣士「生憎。」
ドフッ……!
……………………
…………
……
夢魔「ふふっ、お人好しねえ」
あの中に、あのまま転がしておいてどうする。
夢魔「勝手に逃げるんじゃないかしら?」
まあ、そうだろうが。
少女「……そこを右だ。突き当たりまで頼む」
一撃を与えたあと、俺は少女を担ぎ上げて寝ぐらまで運ぶ事にした。
既に宿を取るような時間ではない事を考えると、一晩明かす羽目になってしまうか……。
少女「お前、旅のもんにしては強すぎるだろ。何なんだ?」
剣士「いや。旅の者だ」
少女「嘘つけ……なんで鉄砲を全部避けられるんだよ」
剣士「それより怖いものを知っているからだ」
少女「ああ、着いた。ここだ、開けてくれ」
ボロボロになった木のドアを開ける。
生活臭のする毛布の類いに、少女を横たえた。
少女「まあ、改めて礼を言うよ。あと、済まなかった」
剣士「……」
少女「それで、目的は何だ。金はやれないけど、身体で済むなら遊んでやっても良いよ」
剣士「何の為にわざわざ腕ごと捕まえて担ぎ上げたと思っている。痛かったろう」
少女「……まったくだよ、しっかり畳んで締め付けやがって」
俺は、まだこの少女が敵意を失ってはいない事を確信していた。
隙あらば背中を刺してくるだろうし、施しを受ければ何か盛られていると見て間違いない。
身を寄せるなんて、もっての他だ。
夢魔「貴方は生きづらいわね」
今回は本当に危ない。
……勘ではあるが。
剣士「お前は何者だ」
少女「ナニモノって。そんな大層なもんじゃないよ、あたしはただの孤児」
剣士「盗人か?」
少女「あー、はっきり聞くね……そうだよ、人のもん盗って生きてるクチ。もっと不幸な娘だと思った?」
剣士「予想通りではないが、大して変わらん」
夢魔「ちょっとマスター」
レディの扱いは苦手でな。
少女「あってて……思い切り腹やられると、マジで足立たなくなるんだな……」
それなりに強く拳を入れたつもりであったが、既に力が戻ってきているようだった。
鈍痛を堪えるようにして立ち上がるあたり、この手の修羅場は幾度となく潜ってきたのだろう。
少女「ってて、茶を沸かさせてくれ……」
剣士「……」
少女「あたしが飲むんだっつの。盛らねーよ」
コポコポ……
隣町の茶葉とはまた違う風合いの香りが漂っていた。
今のところは背を向けたまま、新しく何かを手に取る様子もない。
少女「礼をしてやりたいところではあるんだけどね、マジであんまり物がねえんだよ。ウチは」
剣士「要らん」
夢魔「ご主人様っ」
少女「だったら帰ればいいだろ……あ、そうか、あんた宿がないとか?」
剣士「……」
少女「何だよ、図星か。ま、あたしがおっかなくて先に眠れないってとこでしょ」
コポコポ…………。
少女「別に良いよ。あんたみたいな化け物に暴れられたらひとたまりもないし、それほど強ければ寝てる間も無防備じゃないんだろ?」
剣士「別に、そうも完全無欠では……」
夢魔「マスター……」
少女「疲れてるんだろ、寝なよ。あたしもこれ飲んで、痛みが引いたら寝るから……」
剣士「……」
コポコポ…………
コポコポコポ…………………
剣士「…………」
地を、這う。
いや、何故、地を這っている?
考える、暇は……外へ……外…………。
夢魔「ご主……! マス……!!」
ガラガラガラ!!
少女「ありゃー、いっけない。出入り口の本棚倒れちゃ、った。出られなーい」
剣士「く、そ……」
コポコポコポコポ……!
剣士「……………………す、ぅ……」
夢魔「…………!! …………!!!」
剣士「っ、はっ……!」
少女「ほら、そのまま寝ちまいなよ。あ、何であたしがマスクなんか付けてるって? いやー鼻が乾いてさあ」
夢魔「マ………!!!」
少女「腹ヤったら大人しくなるんだっけな? オラよっ!!」
ガスッ!!
剣士「ごはっ……、…… …… … …」
……………………
…………
……
…………。
おねがい。
わたしと、ひとつに、なって。
剣士「……」
これは、夢か?
暖かく、懐かしい、影が笑う。
ずっと、いっしょ。
いっしょだから。
いや、夢なんかではない。
この声、あの笑顔は、俺の知る……。
俺が、一番大切にしていた……。
うふっ……あったかいね。
このまま、お昼寝しようか……。
大切な……夢?
いや、これは……これが、正しいんだ。
今までが、間違って……今までのは、俺が見てた、長い夢……?
なら、大切な、この子といっしょ、に……。
「おやすみ、しようか」
「ははははははははははははは!!」
!!!
己が燃えた。黒く燃え盛る負の炎が、この世界のすべてを焦がす!
剣士「ああ、ああああやめろ! やめてくれ!!」
「あつい……? うふふ、あついね……」
憎悪に嫉妬、狂気に絶望を焚べて、焚べて焚べて炎はまだ足りぬ!
己は燻り、猛り、この世界を壊しつくす!!
「あつい、な……はだが、ぴりぴりするよ……」
剣士「ああああああ!!! ぎゃあああああ!!!」
「たす、け て……」
剣士「があああああッ、ぐあああああああ!!!」
「はははっ、はははははははははは!!!」
剣士「ぐ、うぅう……」
「はははははは、ふっ、ふふっふ」
そう、己が中に眠る、悪夢の力は、因果の炎は……まだ、潰えてはいない。
俺はまだ、己が休むことなど許していない。
そうだろう。
「ふふっ、ふーっ、ふう……」
剣士「……」
俺はすべての燃え跡で羽ばたく、黒い翼を見上げた。
剣士「心より、礼を言う」
夢魔「ええ。受け止めたわよ、貴方の悪夢」
夢魔「貴方は何処かで、誰かの為に朽ちる事を望んでいる」
夢魔「けれど本当は死にたいわけでなく、大切なもののことを一番に考えてしまうだけ」
夢魔「我が儘で、強欲で、綺麗で……死にたくない。それが貴方の姿」
剣士「ああ。この炎を捨て、安らぎに堕ちる事など出来ない」
千の夜を越えて、何度でも目覚めさせる。忘れられない悪夢こそが、俺の生きたいという意志。
その悪夢にすら寄り添い、貪り喰らう狂気の怪物。
夢魔「Nightmareこそが現実。悪夢のような現実を、必死に抱きしめて、強く愛して、悲痛に背負って、そして生き抜く」
剣士「お前も、そう思うか」
夢魔「ええ。私もよ」
理解するという事は、大きく言い換えてしまうと魂を売るという事でもある。
人が魂を売れば、元のままではいられない。
つまり剣士は、もうただの剣士ではない。
……。
むくり。
魔剣士「ふーん、悪くない身体ねぇ」
少女「つ、強いだけじゃなくて二重人格のカマホモかよ……!!」
その剣士、サキュバス憑きにつき。
少女「テメェは戦えんのかよカマホモ野郎!」
魔剣士「あら、ごめんなさい。いくら煽られても、私全力以上にはなれないの」
再び腹部を狙って蹴りを繰り出す少女に対し、部屋の隅からモップを拾って応戦する。
剣士「おい、これは一体……?」
普段の逆よ。
簡単に言うと貴方の意識がやられてしまったから、私が術と……色々用いてその身体に成り代わっているワケ。
剣士「その、いや、すまないが、言葉遣いをだな……」
少女「おっと包丁がァ!」
魔剣士「はぁい外れ」
少女「くっそ狭い所で暴れやがって……糞カマホモ!」
剣士「いや、だからカマはともかく何でホモに……もういい、ちょっとそいつ黙らせてくれ」
魔剣士「Yes, my master。私のご主人様を罵った罪、万の悪夢で償ってもらうわ……!!」
ズドン!バキィ!!
少女「うおぉヤサを壊すなぁ! や、やべーんじゃねえのコイツ? マジで関わったらやばかった奴じゃ……!」
魔剣士「よそ見はダメよ。らあッ!!」
魔剣士「刺さりそうな柄と重そうな頭、どっちが好きかしら?」
少女「うおっ、と、どっちも、嫌だね!」
バキィ!
少女「うわ床ヒビいった……!」
剣士「その、顔とか身体とか変わってないなら、言葉遣いを何とか……」
こんな機会でもないとなかなか貸してくれそうにないじゃない?
たまにはイイでしょ♪
魔剣士「さ、もう少し激しく行くわよ」
夢魔、いや違う。俺の身体が宙を舞い、窓の縁を蹴飛ばした。何やら不吉な音が鳴った気がした……建て付けを悪くしただろうか。
ギシッ……!
少女「や、やめろそれ高いんだよ……!」
天井の柱に手を掛けながら、不釣り合いに高貴な電飾をモップで釣り上げる。
ビュン、バリーン!!
少女「あああ痛え、ガラス飛んだぞ!」
放り投げた反動のままタンスに飛び移り、飛び降りながら大きく横薙ぎ。テーブルの上の色んなものが壁に吹き飛んだ。
少女は部屋に仕込んでいた暗器の在りかも滅茶苦茶にされ、逃げ回る一方である。
少女「や、やめろ戦うから外でやろう外でやってくれ」
魔剣士「んふ、覚悟は出来て? てあっ!!」
少女「いでぇ!?」
モップを傘立てに突き立て、垂直な棒に飛び上がる。俺らしからぬ身軽さで旋回したのち、体重の乗った蹴りが少女を捉えた。
彼女は勢いに吹き飛ばされるままコンロの横に激突し……。
魔剣士「そーら、よっと!」
ガシャアアアン!!
少女「――」
直後、自分のこめかみで大音を鳴らした傘立てに失神するのだった。
ゴトン、ジョワアア……。
魔剣士「やだ、そういえば火の元を止めてなかったわね」
剣士「もう勘弁してやれ……」
コンロの上から転がり落ちた鍋を拾い、その中に入っていた大きな葉を取る。
魔剣士「これね、葉っぱちゃんは」
神経を侵す作用があって、安眠の為に使われるわ。煮出した汁なんて飲むわけないじゃない。
剣士「こぼしたところから揮発しているようだが……平気か」
神経毒が効かないくらいには、夢魔の精神は図太いのよ。それより、この子もグッスリしちゃったわねえ。
目を回した少女を見やる。息は穏やかで、そのまま寝てしまったようだ。
剣士「殺すか? 生かしておくのは危険だ」
そうしたい所なんだけれど、それじゃあの男たちと変わらないわ。
貴方の身体なんだし、貴方の顔を立ててあげる。
剣士「……他に努力するべき事もあると思うのだが」
まあいいわ。とりあえず貴方に身体を返すわよ。
剣士「済まない、正直助かった。死んでいたかもしれない」
困ったご主人様ね……ふふっ。
軽い目眩のような感覚のあと、身体の主導権が俺に戻された。
五感を共有しながらも勝手に手足が動いてしまうというのは、正直気味が悪かったので助かる。
夢魔「……ふう」
ありがとう、夢魔。
夢魔「ふふふっ、いいえ。じゃあ褒められついでに、もう一仕事してこようかしら」
俺の頭の中から夢魔の気配が消えていく。
彼女を頭の中に宿すのも、もう随分慣れてしまったものだ。
夢魔「私のご主人様に好き勝手してくれちゃったしね、この子。私の本分である、悪夢をたぁっぷりと……ね」
夢魔が消えて、隣の少女がうなされ始めたのはすぐの事になる。
……………………
…………
……
150!
はいあんちゃん180!
ああ~これでどうだ!?
ほい200!……
ッターン!
剣士「ん、騒がしいな……」
熟睡してしまっていたか。
近くに市があるらしく、町は昨晩のような妖しい喧騒とは違った活気に満ち溢れている。
少女「すぅ……ふ……すぅ」
……先に起きれて本当に良かった。
夢魔、居るか。
……
居ないか。この少女の中か、それともまだどこかで動いているか……。
剣士「しかし、酷い」
昨日は薄暗かったとはいえ、部屋が元の形を留めていない事は分かる。
家財は飛び、床板は跳ね上がり、衣類は千切れているものまで。
剣士「……ハァ」
罪悪感のない心ではない。
正確には冤罪だが、俺のやった事だ。最低限生活できるようになるまで、部屋の片付けをする事にした……。
少女「うう……ん」
剣士「……目覚めたか」
床板を剥がし、適当な板材をあてがっていたところに少女は目覚めた。
元が丁寧に片付けられていたようで、見た目よりあちこちにものがある。似たような用途であろうものを同じところに片付けていった。
少女「ん……く、漁ってんじゃねーよ」
剣士「無法者ゆえ」
少女「というかお前、これ片付けてたのか?」
剣士「俺の不始末だからな。いや、カマホモの不始末か」
少女「……。お前、本当に変な奴だな」
少女「あぁーあ、毒も効かねえんじゃお手上げだ。飯食いに行こうぜ」
剣士「今度は何を盛ってくれるんだ」
少女「野暮だな、普通の店に食いに行くの。オゴってやるよ、それで貸しはチャラだ」
小さな身体に逞しい意志を秘めた少女は、少しだけ屈託なく笑った。
柔らかいパンに、熱い肉と卵。
溢れ出す黄身と肉汁を、小麦がじゅわりと包み込む。
なるほど、ただこれだけの朝食というものが悪くない。
少女「ふもふうもうもふもふ」
剣士「……。飲み込んで喋れ」
少女「っくん。美味いだろこの店、ここで食うのがちょっとした楽しみなんだ」
剣士「肉と油は貴重だからな」
少女「そういうもんか? ああ、お前は旅人だっけな」
会話の間が待ち切れないようで、また少女はかぶり付く。
口の端から少しだけ黄身がこぼれているのを見て、俺も少し大口でかぶり付いた。
…………
剣士「良いのか。元よりお前に払わせる気は無かったのだが」
少女「殺そうとした奴に借りまで作っちまった、あたしの居心地が悪いんだよ。お前もお前で、あたしが諦めた途端に毒気無くしやがって」
剣士「ご馳走様。美味しかった」
カランコロン……
「ありあっしたー!」
少女「ケッ」
剣士「蒸し返すようで悪いが、昨日の奴らは良いのか。気絶させただけで、訳があるならお前の事をまた付け狙うだろう」
少女「ああ? 良いんだよあいつら単純だから。むしろアンタの方が恨まれてるに決まってる。まあ銃も効きゃしないアンタが不覚を取る事もねーだろうけどよ」
剣士「気を付けよう」
少女「……おう」
少女「……んで、次は……ん……あいよ」
剣士「どうした?」
少女「いや、な」
そういえばこの少女は平然としているが、昨日見せられた悪夢については憶えていないのだろうか。
剣士「昨晩はよく眠れたか」
少女「……最悪に決まってんだろ」
剣士「いや、自分でこしらえた睡眠毒の味はどうだったかと思ってな」
少女「あ、ああ。そういう事か。お陰でグッスリだよ」
あの様子の夢魔が無事に帰したという事はないだろうが……それでも何の影響も及ぼさなかった訳ではないらしい。
誰にとって何が悪夢か、人それぞれというわけか。俺のような夢見の悪い人間ばかりでもないだろう。
少女「そんな事は良いんだよ。お前、これからどこに行くんだ?」
剣士「砦の方に向かおうと思うのだが、備えも路銀も足りない。一時的に、何か仕事を探そうかと思っている」
少女「そうか、んじゃあ酒場行くか。アタシから斡旋しても疑うだろう?」
剣士「今更。……俺も日陰の人間だ」
カランカラン……
マスター「お?」
少女「マスター、アタシだ、こいつに何か紹介してやってくれ」
マスター「何だよ、ただの子連れかと思ったらお前じゃねえか。お前も『パパ』を作る年頃になったのかぁ? ハッハッハ」
少女「そりゃ良い。けど、売る体もこいつの手持ちも足りなくてな」
マスター「ハッハッハッハ!」
剣士「竜絡みで困っている事はあるか。請け負う」
マスター「おいおい、竜とやり合う気かお父さん。この辺じゃ、罠や薬にかけて遠くから撃ち殺すのが主流なんだよ」
少女「ところがどっこい、マスター。こいつはホンモノだ。そもそもアタシの紹介だって分かってんだろ?」
マスター「それはどういう事だよ? こっそり教えろや」
少女「だから、本物さ。銃も毒もこいつには効かなかった」
マスター「へえ……」
マスター「竜じゃないんだけどなあ」
主人が、ある依頼書をカウンターに叩きつける。
マスター「一個頼まれてくれるかい?」
その期待に満ちた視線、銃を向けられ毒を盛られるであろう未来に溜息をついた。
剣士「結局、こうなるか……」
少女「わりいな」
依頼の内容は、あるギャングの解体。
既に何十人もの冒険者や賞金稼ぎ、町人から旅人、役人から商売人まで、奴等にやり込まれ、あるいは行方不明となっているらしい。
歓楽街であるといえ、力強い活気に支えられた貿易の拠点に暗い影を落としているようだ。
少女「アタシも手伝ったら山分けにしてくれるか?」
剣士「足手まといとは言わんが、また何かを謀るつもりであればこの場で殺す」
少女「じゃ、オッケーって事だな。汚ねぇ金もタンマリ眠ってるだろうし……ひひひっ♪」
マスター『報酬は、金貨10枚。役所ならもう少し出せるだろうが、ウチじゃこの程度だ。それでやってくれるか』
剣士『お前は俺を殺す気か。人生設計に関わる額の報酬を約束するなど、つまりは人命と天秤にかける程の案件という事だ』
マスター『おや、お父さんはギャンブル嫌いかい?』
剣士『ああ、殺しより。他の依頼にしてもらいたい』
マスター『馬鹿だな。そいつらに、美味い汁吸われちまってる以上はマトモな依頼なんて残っちゃねえ。純粋な力だってあるんだぜ』
剣士『……考えさせてくれ』
マスター『受諾届けも契約書も要らねえさ。ぶっ壊してきて、一言「殺った」とだけ言えば金は払ってやる。ま、頼んだぜ』
少女の話によると、昨日彼女を追いかけていた組織も後からギャングに飼われ始めた組織だと言う。
これ以上の利を感じなかった彼女は、組織の金を盗んで抜け出し、今に至るそうだ。
剣士「足も一人で洗えなかったお前が、良い口の利き方をする」
少女「捕まるのは承知の上だったし、身体に色々仕込んでたんだよ。人目のない所で完全に撒いてやろうと思ったのに、大きなお世話だぜ」
剣士「ああ分かった。世話はしないからな」
少女「いざという時は世話してくれないかなー、と」
剣士「……本当に余裕のある時だけだ」
少女「それで、いつやらかすつもりなのさ」
剣士「明日だ。昨晩の事もあるし、少し消耗している……」
夢魔が戻らないのも、少し気になる。
戦力として数えられたものかは分からないが、「毒が効かない」俺である為には居て欲しい。
少女「それじゃ、またアタシのところに泊まっていきなよ」
剣士「……この町で一番安い宿を教えろ」
少女「物盗りにあっても知らねーぞ」
剣士「首取りに遭うより万倍マシだ」
あの使い魔は、どこで油を売っているやら。
少女「あいつらの居所も知らねーのに、良くも言えるぜ。どっちにしろ、片方で動いてもたかが知れてるんだから気持ち良く手を組め!」
剣士「……最もだ」
少女「おう、よろしくな」
差し出された手を取り、俺は少し迷った。
握り返し、警戒を解いた。
少女「それじゃ準備も兼ねて、家のリフォームの続き……やるか……」
剣士「……すまない」
肩を落として戸を開ける。朝方に少し弄ったが、日が昇って明るくなった部屋は見るに堪えない。
張本人は、本当にどこで油を売っているやら。
少女「しかし、派手にやってくれたなあ」
剣士「面目ない」
少女「褒めてるんだよ。猿みたいに駆けずり回りやがって」
少女「なあ、その体術は誰に仕込まれたんだ?」
カマホモの仲間……とは、言いたくはないな……。
剣士「少し、遠い異国の地で」
少女「今度教えてくれよ!」
剣士「それは難しいな……夢見が良ければ、天啓を授かるかもしれん」
少女「てんけい?」
剣士「良い子にしてれば、その内ひらめく事もあるだろう」
少女「ほーん?」
……
剣士「このトランプは、変わったデザインだな」
少女「あー、危ないぞそれ。端が刃物になってて、毒が塗ってある」
…………
剣士「壊れたものは大体掃き出したぞ」
少女「そしたら、こっちのテーブルを……」
……………………
少女「どうした、ぼーっとして」
剣士「……。すまない、少し昔を思い出していた」
……………………
少女「終わったー!」
モノが減った分、部屋は以前より綺麗になったかもしれない。
いつになく良い汗をかいてしまった。
昔も、こうして手伝いをしていたな。
少女「ほれ、ご飯」
剣士「いいのか」
少女「給料だ!」
投げ渡された握り飯を食べる。
量は足りないが、それがいっそう腹に染みる。
少女も食べ終わると、整えたベッドに身を横たえた。
少女「ああ、疲れた」
剣士「……寝るのか?」
少女「あー? 眠くなったらな」
目を閉じ、こちらを信用したのか完全に油断しきっていた。
俺と同じく額に汗を浮かべ、投げた幼い腿が服から覗いている。
少女「お前も寝るか?」
剣士「やめておく」
少女「じゃ、適当にくつろいでてくれ……」
それだけ言い残し、少女は瞳を閉じる。
軽く丸まり、毛布を抱くようにして落ち着いてしまった。
剣士「……」
戸締りをするにも、鍵がどこか分からない。外に出る事は難しいか。
…………
少女「すぅ……すぅ……」
どうやら、本当に寝てしまったようだ。
くつろいでてくれと言われても、片付けたばかりの部屋を物色する興味も、毒かも分からない食べ物をかじる勇気も無く、視線を結局は少女に移すことになった。
少女「すぅ……すぅ……」
規則正しい寝息が、部屋を静かに漂う。深く休んでいるようだ。
剣士「なぜ、このようないたいけな少女が……」
柄にも無く、この少女の境遇に思いを馳せてみる。
どれだけの修羅場をくぐり抜けて、あれだけの哀しみを宿せるのか。
生きるためには強くなくてはならない。
夢魔と理解しあった事のひとつが、頭を奔る。
同情と共感の入り交じった気持ちが手を伸ばした。
少女「すぅ……すぅ……」
寝顔はこんなに可愛らしいのに。
そして髪の毛は柔らかい。
俺がそっと手を離すとき、
少女「……」
紅い瞳の少女と目が合っていた。
剣士「……!?」
足が痺れたと思った時には遅かった。痺れは全身に回り、たちまち動けなくなっていく……!
どうしてこう、最近の俺は迂闊なんだ!
少女「うふふ、上手くいった」
剣士「何を……まさか、魔族?」
少女「うーん、半分正解。分からないかしら?」
ああ。大方そんなところだろうと思っていた。
剣士「どこをほっつき歩いてると思ったら、いつから『入って』いた」
少女「ずっとよ。貴方に入っていたように朝から」
剣士「今度はどんな茶番がお望みなんだ」
少女「すぐ分かるわ。天井のシミでも数えてればすぐ終わるわよ? ふふっ♪」
瞳の色が黒に戻ると、もそりと布団を退けた少女が起き上がる。
少女「昨日……とんでもないもの見せられちまったんだ。夢の中で。ああ、思い出したくねえ」
少女「あれは……もう、ダメだったよ。あんな悪夢、壊れちまう。アタシは5秒で降参して、悪魔女の言うことを聞くことにした」
少女「アンタの使い魔だったとは、驚いた。そりゃ嵌めたし蹴ったし、怒るわけだ。ふたりとも悪かったよ」
少女「何とか許してもらって、今に至るってワケさ」
剣士「それで、何故それを黙ったまま動き、何を吹き込んでいた……鞍替えでもする気か」
少女「あっはっは、それはねーよ。ずいぶんアンタ気に入られてるみたいでさ。あの人の世界で、直接顔を合わせたいだなんて言ってて」
少女「とても楽しいデートだった、と」
…………。
緊張を解いた。
本当に茶番じゃないか、何だったんだ一体。
少女「さて」
剣士「いや、待て。それなら、何で俺は縛られているんだ?」
少女「喜んでたけど、こうも言ってたぜ」
少女「昨晩、あれだけ働いてもうお腹ペコペコなのに、いつまで経っても精を補給してくれないって」
そ、それは直接言え……!
少女「アタシとちゃんと一緒に寝てくれればこうはしなかった、とさ。契約の事を忘れられてて怒っちまったみたいだぜ」
腕を取られ、体重のままベッドに引き込まれた!
抱き着かれたまま動けない俺は、嫌な予感に再び硬直する。
少女「精液よこせよ。」
衝撃的な囁きと、吐息の熱さが脳を撫ぜていった……。
少女「ん、しょ」
しなだれ掛かる肢体を振り払えないまま、上半身が引き込まれていく。
口でしている呼吸は熱く、耳に甘い。
少女「やっぱ、ガッシリしてんな……」
剣士「っ、やめろ」
年相応ではない低い声は耳元でだけ強く震え、それでいて女の声である。
唇の皮が耳を掠めた時、ようやく我に返ってくる事が出来た。
こ、これで押し切られてはいけない。精を与えなければいけない事はそうなのだが、夢魔の見ている前で、しかも、こんな幼い少女にそんな。
しかし気持ちとは裏腹に、睦み合う男女のように身体は寝所でもつれ合う。
少女「――アタシさ。いつも好き放題に使われるもんだから、好き勝手できるのは新鮮だわ」
剣士「な、なら尚更よせ! された側がその後どれだけ虚しくなるものか知っているだろう!」
少女「うるさいなぁ」
剣士「おい夢魔、見ているんだろう。すまなかった、止めてくれっ」
少女の細腕は背に回り、首と首を密着するように抱き合わせる。
少女「もう動けないんだし、諦めなって。今度は殺そうってワケじゃないんだしさ……ちゃんと、良くしてあげるから」
剣士「お前のような幼子に、こんなことをさせるわけにはいかん。そっちこそ、諦めてくれ」
少女「やだよ、結構腹ペコみたいだし。それとも何、他の男を食べに行っても良いの?」
剣士「それは、別に……」
少女「…………」
剣士「…………」
少女「もうヤっちゃえってさ。まあ、アタシも怒るわ。そりゃ」
な、何でなんだ……!?
剣士「そもそも、人の精を受けたからといって憑いている人間を介して補給する事は出来るのか」
少女「出来るってよ。……へへ、その気になったか?」
剣士「それとは別だ。すぐに眠るから、勘弁してくれ……」
ぴったりと固定されたハグ。
呼気にも声にも熱い蒸気が混じり、寒気がするほどに耳腔を焼いていく。
続けざま、ゼロ距離の会話。
何度かもう、びくりと身体は竦んでいる。
少女「じゃあ、眠ってみろよ。本当に悪魔娘にワビを入れたいってんなら、すぐにでも眠れるよな……?」
剣士「この膝立ちでどうやって寝ろと、っ!?」
少女「ちゅむ……」
熱い粘膜が耳に吸い付いたその時……無様なほど、俺は震える。
少女「……な、気持ちいいんだろ。ちゅぷ……」
幼い肢体がアンバランスに蠢きだす。
水音とくぐもった声が、男の洗脳を始めた。
剣士「っ……寝れるか、馬鹿」
少女「じゃあ、アタシに弄ばれるしかないなぁ……れろっ」
剣士「や、めろ。っく」
少女「耐えても無駄だぞ……時間はいくらでもあるんだから」
剣士「この調子だと、朝日が拝めそう、だな」
少女「へへへ、今は強がってろよ……お前から、楽にしてくれってせがむまで……ちゅぷ、れる」
剣士「っ。く……」
少女「眠れないよな……無理だよなぁ? しょうがないんだから、諦めて楽しもうぜ……」
…………。
どうやら、気勢を削ぐ事は無理なようだ。
言い返しても息は乱れるし、勝手に喋らせておく。
どこが……その、感じるかを、悟られてしまうのも、悔しかった。
少女「だんまりか……ちゅぷ、れぇ……」
少女「はむ、んちゅ……」
少女「……れる。……れる。……れる。」
先ほど舐めた、耳と頭の境を何度もなぞる。
耳が口の中に含まれて……甘く、ねっとりと。
どく、どくという口腔の脈が、少女から受け取るには生々しすぎた。
剣士「……ぅ」
不意打ちに身体が震えることはないが、……もう、本当に気持ちが良いと認めざるを得ない。ダメだ、いやらしい。
少女「こういうのは……?」
剣士「っ」
首に回されていた腕が解け、中指が耳にあてがわれだ。
するりと穴を塞ぎ、残りの指でさわさわと触れるように愛撫する。
少女「こうするとさ、アタシの声しか聞こえなくなるだろ。頭の中で、響かねえか?」
剣士「……、……」
少女「じゃ、もっかい。はむ、んん……くちゅる……」
剣士「……!」
少女「ちゅぷ、れるれるれる……ちゅうう」
剣士「ぁ……くぅ」
少女が紡ぐ水音が、塞がれた片耳で反射して、波のように揺れる。
娼婦のような舌遣いのせいで、思考がどんどん鈍くなっていく。息も上がる。
何度も、何度も、何度も。静かな部屋で、長い時間を。
俺の分身は、既に膨らみきっていた。
少女「ぷは……嬉しいなぁ。ちゃんと興奮してくれるんだ」
剣士「っ、ふ、はぁ……」
少女「なあ、少し聞いてくれるか」
少女「諦めろとは言ったけどさ」
少女「アタシも危ない時は、いろいろとクソじじい共に舐め回されたりしてさ。やっぱ嫌だったわけだけど」
少女「人ってさ、気持ち良いところに気持ち良いことされると、しょうがないじゃん。気持ち良くなるもんじゃん」
少女「身体は正直だな、とか言うけど、アタシそういうのマジ嫌いでさ。身体と気持ちはやっぱり別のもんだと思うんだよ」
剣士「……」
この身の事が脳裏をよぎる。
心はままならず、力は持て余している。
少女「だからさ」
少女「もし、本当に嫌だったら言って。綺麗な身体じゃないしさ……すぐ、楽にするから」
剣士「お前は優しいな」
少女「……」
少女「……///」
少女「お前、シラフでさらっと言うな! 余裕ないくせに」
剣士「分かった、お前の好きにして良い。あと、お前を汚いとは思っていない」
少女「……ありがとよ」
少女の指先から、光が奔る。
見覚えがあるような紋様を描いた時、俺は立ち上がり、その眼前に盛り上がりを突き付けた。
剣士「お前に好き放題されたい」
少女「……」
剣士「……」
いや、空気を読め。夢魔よ。
あと、素直になるマジックはやめろと言った。
体質なのかは知らんが、一気に少女の顔が紅潮する。
少女「おまっ……誘ったけどよ! 誘ったけど、そんな事考えてたのかよ!///」
剣士「割と早い段階からそうなる。可愛いお前にああもされれば、興奮するのは当たり前だ」
俺の口は留まるところを知らない。もういい。もう良いだろう。やめてくれ。
やめてくれよ……。
少女「かわ……!///」
剣士「ああ。もっと強引に犯してくるかと思ったら、あんなに焦らして、俺に許しまで請おうとする。だがそれがいい。」
少女「……」
もういい。もういいんだ俺。夢魔よ。もう十分辱めたろう。
剣士「さあ、もう先が濡れてるんだ。ひと思いにやってくれ」
少女「はいよ……」
少女が、半分覚めたような目でズボンに手をかける。
人間が、自分の思考や感情を抑圧するのは、とても怖い事に繋がるのだと知った。
あと、もう恥ずかしくて消えてしまいたい。
下着ごとズボンをおろされ、糸を引いた愚息が勢いよく飛び出る。
剣士「もう、殺してくれ……」
そして、最悪のタイミングで自我を返しやがった。
少女「あ、意識戻った? 大変だな、お前も……」
少女「ホントだ、もう垂れてら……へへ」
つるりとした先の方に、丸い雫が浮いている。
それを眺めるのは恋人でもなく婦人でもなく、俺を殺そうとした盗賊で、幼子であるというそのギャップ。
既に羞恥は通り越し、世間から堕ちていくような興奮をもたらした。
少女「……熱いな。手、冷たくねえか?」
剣士「っく、ぁ」
ついに触れた手が柔らかくて小さくて、それどころではない。
軽く添えられただけのはずなのに、長く刺激を求めていた幹に響く。
少女「こすってれば、あったかくなっかな」
剣士「あっ……!」
少女の手コキが始まった。
圧力は優しく、速度はゆるい。
感動と錯覚するような、じいんとした快感が全身に広がる。
このままでも、長く耐えられない。そう直感するのに十分な痺れ。
すっ、すっ、すっ。
しゅりしゅり。
剣士「く、くうっ」
こんな早漏ではない筈なのに……それ程までに、心身が深く絡め取られてしまったのか。
しゅっ、しゅっ、しゅっ……
少女「へへ♪ そうだよ。声、我慢すんなよ」
剣士「く、くそっ、悪魔め……!」
少女「……今はアタシがしてんの。悪魔さんの事はあとでな」
ぴと、にちゅ……。
親指が先端にかすり、音の変化に目を丸くする。
意地の悪そうな笑みを浮かべると、両手の親指でくりくりと塗りたくった。
驚くほどの気持ち良さに、勝手に身体が反応する。
少女「はは、すげー我慢汁。もう出てんじゃねーの?」
剣士「んなっ、わけあるか……!」
少女「そっか。じゃあ出せよ。」
甘く包む手が、そのまま二本に増えた。
くち、くち、くち。
にちゅにちゅ……
剣士「っ、あ、あ……」
少女「なあ、こんな時で悪いけどさ、聞いてくれないか。」
剣士「っ……?」
少女「アタシは、本気で敵わない奴なんて今までいなかったし、生きるためには優しい奴にも酷い事しなくちゃいけなかったし」
少女「嫌われるような事して、嫌われて生きてた」
少女「気に入った奴も、利用しなくちゃいけない。アタシから離れて行っちまう……だから、悲しい事なんか覚えてられないように、深く入れ込まないようにしてた」
少女「……だってさ、ガキだし! そんな上手く生きてけねえもん!」
少女「でもさ?」
少女「アタシをマジで打ち負かして、アタシの事を認めてくれて、それでただ許してくれた、お人好しな奴がいたんだよ」
少女「アタシはな。お前のことは忘れられそうにない。」
剣士「……!」
少女「お前もいつか行っちゃうだろうけどさ。アタシのこと、忘れないでくれ」
くちくちくちくち!
剣士「う、あ……!」
祈るような手が、俺が逃げてしまわないように優しく包む。
拙く悲しい生の紡ぐ、戯れじゃない手練手管。
俺がいってしまう前の、ただこの短い時のために。
そんな、ものを受けたら、俺は、俺は……!
少女「……おっけー、部屋汚すなよ。んちゅっ」
剣士「!? うっ、あ、あ……!!」
どくん!
あの口に吸い込まれると思った時、気持ちの良いものが弾けた。
今は、どこへもいかない。
そんな気持ちが愛おしそうに俺を吸う、少女の頭に手を添えていた。
少女「んっ、んっ、んふ」
剣士「あ、はぁぁ……!」
どくん、どくん、どく、……
剣士「っ、吸われ……!!」
それは精神的な絶頂を迎えたと思った。
脈動に合わせ、ぷにぷにと吸い付く唇を見つめた時、たまらない快感が流れる肉体に意識がいった。
少女「んふふ、れるれる……♪」
剣士「っ!?」
少女「んちゅ、ちゅううう……」
どく、どく、どく、どく……
まだ絶頂する肉棒が、年端もいかぬ少女に翻弄される。
柔らかい粘膜が這い、長い長い気持ちの良い射精を味わわされる。
少女「ふっふふ。ごく、ごく」
剣士「っ、あ」
少女「ぷあっ。へへ……///」
嬉しそうな笑顔と、飲み干される大量の精液。
衝撃的な体験、倒錯的な快感。それは彼女の望み通り、嫌でも忘れられそうにはなかった。
……………………
…………
……
かつて、勇者を取り巻く仲間には数多くの役職が存在した。
戦士や狩人、魔法を扱う者から神に仕える僧侶まで。
それぞれの道に精通し、到達した者だけが名乗り得る職業。
剣士「……」
しかし、男性として精通したものが、到達した際に賢者を名乗る事は、古今東西おなじみの事である。
少女「そんな落ち込んでメシ食うなよ、な? あんま気にしてないから、裸に鞭打たれてヒイヒイ言う奴もいるし、そんなのに比べれば全然」
剣士「そんなのと比べられる高さまで持ち上げないでくれないか……」
少女、淫行、絶頂。
己の罪状はこれだけでまとまる。
これから俺はお日様に顔を向けて生きていけるのか。
剣士「ごく、むぐ……」
温めてもらった粗製のスープを飲み、かなり硬いパンをかじる。
味わえる心境ではなく、あっという間に腹におさまった。
少女「んく、ごくっ……」
少女『ふっふふ。ごく、ごく』
剣士「……」
いや、口元を注視するな、俺!!!
剣士「あああ……!」
少女「……どうしたんだ頭振り乱して」
違う、これは違う。
俺はこんなに揺らぎやすい人間だったのか……?
…………
少女「んじゃ、そっちのソファー使って良いから。おやすみ」
剣士「ああ……」
少女「これで許してくれるんだよな? ……オーライ、殺されるかと思ったぜ」
剣士「……」
正直、眠りたくない。
どんな仕置が待ち受けているのか、恐ろしい……。
少女「明かり消すな」
剣士「ああ……」
少女「……もう一発するか?」
剣士「!? もうしないぞッ!」
少女「たははは、冗談だって。明日よろしくな」
少女は眠りについたのか、ここには俺がひとり。
暗い部屋が、来るべき悪夢を予想させるようだ。
剣士「……zzz」
ただ疲れていたのは確からしく、身体はソファーに沈んでいった……。
夢魔「……お目覚めかしら」
夢に落ちると、そこはベッドの上だった。
ただそのベッドに果てはなく、薄く心地の良いシーツが延々と広がっている。
それをベッドと理解できるのは、傍らに座る存在のあるが故か。
剣士「あと5分……と言ったらどうする」
夢魔「貴方は、私を5分も我慢できる気でいるの?」
剣士「お前のする事で、時々歯止めの利かない激情に襲われる」
夢魔「あら、私は罪な女ね……」
柔らかい布に手を付き、起き上がる。
女豹か狼のように襲いかかろうとする使い魔が、赤い視線を向けていた。
夢魔「では、改めてこんばんは。ご主人様、何か言い残すことはあるかしら?」
剣士「弁明を。」
夢魔「それは聞いてあげない。大丈夫よ、別に取って食おうという話じゃないの」
剣士「……済まなかった」
夢魔「済んじゃったものね。まあ、私から言うことと言えば」
夢魔「この変態。」
剣士「…………」
これは、堪えるな……。
夢魔「あの子を通して頂いた、あの濃厚な精液。最高に美味しかったわ、それはもう、腹立たしいほどに」
夢魔「このところ、口に苦い良薬ばかり飲まされてて舌が狂っていたかと思ってたけれど、安心したわよ」
夢魔「お陰で、その中身までハッキリと味わうことが出来たわ。はぁ……」
……何?
中身?
夢魔「良い? ご主人様」
夢魔「なんで私のキスより感極まって興奮してるのよ!!」
剣士「な、なんでそう言い切れる」
夢魔「分かるわよ味で!! 宿の娘ちゃんといい、貴方は小さい女の子なら何でも良いの!?」
剣士「!? それは誤解だ……!」
夢魔「なら、ああやって身体を売ってる女に興奮する性癖なのかしら!? 変態じゃない!!」
剣士「売女が好きとも売女が嫌いとも言っていない!」
夢魔「それは幼女ならどっちでも良いってことでしょう!? この変態、変態!!」
剣士「一言も言っていない!!」
……………………
…………
……
夢魔は初め、男に媚ぶのは嫌だとは言っていた。
ただ、女は女だったらしい。
女は、分からない。
そんな感想が、ヒステリックな問答の間に木霊していた……。
剣士「……」
夢魔「……」
背中と合わせた筋肉が、揺れる羽に合わせてピクピクと動いている。
横でシーツを叩く尻尾もペチペチペチ……と、どこか落ち着きがない。
ひとしきり言いたい事を吐き出したあとで、しおらしくされても困るのだが。
剣士「夢魔よ」
夢魔「……何よ」
剣士「あまり気取るな」
夢魔「どういう意味かしら」
剣士「先ほどのように、自分の思った事は言った方が良い」
……ペチペチ。
夢魔「……」
剣士「口調も、砕けていた方が良いだろう。そのように見える」
夢魔「貴方に言われたくないわ」
剣士「俺は元よりこうだ。すまない」
夢魔「……あのねえ!」
夢魔「寂しかったの!!」
壁に返らない無限の世界に、彼女は鳴く。
俺は驚いてる事を自覚し、しかし胸の中にあるよく分からないものを持て余していた。
剣士「…….悪かった」
夢魔「もう言わないからね」
剣士「夢魔」
自然と肩に手が伸びる。振り向き、振り向かせ、押し倒す。
開く瞳孔、はためく長髪、開いた唇。
夢魔「な、何あなたっ、んっ……!」
可愛いと思う事に、説明は要らない。
夢魔「ん、んぅ……!?」
魅せられてても良い。
狂ってても良い。
堕ちていっても良い。
夢魔「ん、んんっ、んちゅ」
可愛い。
夢魔「ちゅ、ちゅう……」
可愛い。
夢魔「ふあ、んんっ……」
ああ、可愛い……。
夢魔「ちゅぷ、あふ……♪」
あと、不味くてすまない。
夢魔「……んう。ぷは」
ぬるついた舌を抜くとき、びりりと気持ち良い。
赤い頬と、不満そうな顔が、また火を付けてしまいそうだ。
夢魔「……少し、癖はあるけど。今の、美味しかったから」
剣士「夢魔」
再び、襲いかかろうという俺の身を制す。
夢魔「あ、あの、お腹いっぱい、もう」
剣士「……そうか」
夢魔「露骨に残念そうにしないの……」
夢魔「余計なこと考えないで、またさっきみたいなご飯を、ご飯が、欲しいな」
夢魔「……///」
この、胸に宿るよく分からないものは何だろうか。
遠い昔に、自分が凍らせてしまったものが、ほんの少し融けたような。
剣士「……」
言葉にするのは難しいので、掻き抱いた。
…………
剣士「zzz」
夢魔「別に、お気に入りなのは公言しちゃった事だもの。今更」
夢魔「……///」
夢魔「でも、ね……私、サキュバスだし」
夢魔「私の気持ちも、彼の寵愛も」
夢魔「…………。明日、空いた時間に文献でも漁ろうかしら。いや、明日はご主人様のサポートに回らなくちゃ」
夢魔「そんな、疲れること考えるもんじゃないわね。お休みなさい、貴方様」
……………………
…………
……
剣士「……」
少女「よう、起きてたのか」
夢魔「ほら、挨拶くらい返したら?」
あ、ああ。
剣士「……ああ、おはよう」
少女は薄暗い部屋の中で荷物をまとめ、服の中に何やらガサガサと仕込んでいた。
陽が半分顔を出した頃のことである。
少女「飯、そこのパン。支度できたらいこーぜ」
剣士「すまない、いただく」
少女「へへ、昨晩は楽しかったか?」
剣士「楽しくなかった、ということは、ないな……」
少女「へぇ~?」
夢魔「何言ってるのよ……」
どう返せと……。
剣士「ご馳走様」
少女「うい。準備は出来てるか?」
愛用の剣を抜く。
油は薄く伸ばしてあり、刃も異常ない。
剣士「ああ」
少女「じゃ、行こうか。」
ああ。
夢魔「ええ。」
剣士「しかし、ギャングという実態の薄いものをどう潰すつもりだ」
少女「実態がどーちゃらと言われても分かんねーけど、隠し事の多いやつらだから口は固いだろうなあ」
秘密主義の強い組織なら、揺すろうとそう壊れる事はない。
夢魔「そうね。舐めてかからない方が良いと思うわ」
当然だ、緊張すらしている。
無法者の集まりに見えて、その手の輩は異様なほど人を束ねる事に長けているものだ。
夢魔「まあ……私もおんぶに抱っこじゃ困るだろうし、期待してても良いわよ?」
俺の身体を使う時は言え。了解したら明け渡してやる。
少女「さて、あそこに見える商社が元締めなんだけど」
大きな倉庫と合わさったような、高い建物が見える。卸売業でも手掛けているのだろうか。
剣士「ああ。策はあるか」
少女「アタシ、お前のことは本当に信じるからな」
剣士「策は無いんだな」
少女「へへ」
剣士「まったく……飾った言葉はあとで聞いてやるから、誤魔化すものではない」
正面からズカズカと門に近付いていく少女。
少女「~~~~~」
当然門番に止められるが、何やら見せると舌打ちをしながら道を譲る。
少女「おい、お前も来いよ」
剣士「あ、ああ。良いのか?」
少女「偉くはないけど元構成員だからな。門番くらいじゃアタシが末端で寝返った事なんて知らねーだろ」
少女「さって、ここらで受付なんだけど……覚悟は良いか?」
剣士「構わんが、二手に分かれるのは御免こうむる。道案内は欲しい」
少女「離れたら先にアタシが殺られるわ。よろしく頼むよ……!!」
懐から白い塊を取り出し、少女は前方に投げ付ける。
塊は煙を噴き出し、建物の玄関を覆う!
少女「煙幕と神経毒のハイブリッドさ! ねーちゃん、代わんな!」
マスクを着用した少女が煙に突っ込む。
建物内には既に声が沸き始めている……!
剣士「早速か……夢魔!」
OK、頼りにしてくれるわねぇ。
……っ!
魔剣士「っ、接続完了よ。貴方の期待に応えてあげる」
タッタッタッタ……!
魔剣士「煙の量が多いわね」
少女「ねーちゃん、こっちだ!」
少女はナイフを抜き、カウンターに迫る。
少女「『ホウレンソウ』は素早くやるもんだ。グッバイ」
受付嬢「っ!?」
少女は肩の上に飛び掛かり、喉と頸動脈の二箇所を素早く突き刺した。
少女「ビビんな! ズラかるぞ!」
本当に、殺しに躊躇はないのね……。
剣士「眺めるのは後だ、追え!!」
キャアアア!!
おい、敵襲!敵襲だ!!
くそっ、頭が痛ぇ……!
魔剣士「この煙は沈む?浮かぶ?」
少女「沈むはずだ。地下の奴らも牽制できるだろ」
通したら親父に殺される!
剣士「……殺気」
クソ野郎がッ!!
剣士「夢魔、伏せろ!!」
魔剣士「っ、少女ちゃん!!」
ガバッ!!
ダァン!!
少女「ってぇ、何すんだ」
魔剣士「撃たれるところだったわよ!」
剣士「怯むな、右だ!!」
魔剣士「クッ、右よ……!」
ダァン!!
少女「痛って!? ……くうっ、この野郎!」
少女は横腹を押さえながら、持っていたナイフを水平に投擲する。
視界の悪い中、回転するそれは見事胸元に突き刺さった。
魔剣士「撃たれた!?」
少女「大事ねぇ!! 来い、上だ!!」
煙の海を逃げ出すように階を上がり、少女はその踊り場でへたり込んだ。
魔剣士「少女ちゃん」
少女「大事ねえって言ったろ。……痛いけど、深くねえ」
抑えていた手の指からは、既に血が溢れ始めている。
剣士「バカを言うな、これは浅いわけがない。臓を抉られているはずだ」
魔剣士「少女ちゃん、無理は絶対に駄目よ」
少女「処置の用意くらいしてるに決まってんだろ? っと、いてて……」
マスター。
剣士「どうした?」
少女ちゃんを撃ち抜いたあの野郎、どう思うかしら?
剣士「……俺の考えが甘かった」
違うのよ、そうじゃなくて!
もっとこう、正直に言いたい事があるでしょう?
剣士「撃つなら……俺の身体にすればよかったものを」
そうじゃなくて、マスター。
もっと正直に、ねえ。
負の感情は、抑えつけちゃいけない……生き物には必ず、必要なものよ。
少女『嫌われるような事して、嫌われて生きてた』
少女『……だってさ、ガキだし! そんな上手く生きてけねえもん!』
少女『アタシはな。お前のことは忘れられそうにない。』
剣士「よくも少女を――」
自分の中にある、恐れていた力が灯ってしまう。
恨み、怒り、恨み、悔しさ、怒り、怒り怒り怒り。
っ、思いの外に強い。抑え付けなければ……!
魔剣士「協力ありがとう、マスター。喪われゆく生命よ、命の力よ……!」
しかし、にっこりと笑った俺は掌を少女にかざし、暴れ出る力をその腹部に向けた。
少女「う、くっ?」
剣士「これは……!?」
魔剣士「癒しの力よ。今、代謝に力を加えて炎症を抑えたわ。こう見えても私、魔法使いの弟子なのよ?」
少女の傷は塞がるに至らないが、血はすぐに止まり、顔色を見るに痛みも緩和されていると見える。
暴れかけていた俺の激情も薄れていく……なんとも、頼もしい悪魔だ。
剣士「成る程、俺から力を引き出したかったのだな」
勘違いしないでマスター、貴方の強い力を魔力に変えられるのは、起因する負の感情を私が把握できる時だけ。
剣士「それはどういう事だ?」
平たく言うとね。私も、ムカついたからよ。
剣士「そ、そうか……」
協力、というよりは、共感してくれてありがとう。
ふふっ、こうしてふたりで寄り添える限り、この力は貴方のものよ。
少女「なんか、すげーし分からねーけど……ありがとな、ねーちゃん!」
魔剣士「あら、どう致しまして。さてマスター、私の出番は終わりよ」
分かった……!
夢魔「っ……消耗するわね」
っ……平気か。
夢魔「そうね、ふふっ。今夜は楽しみにしてる」
剣士「待たせたな、行くぞ」
少女「おっけー、アンタから頼む」
剣士「分かった……追っ手はどうする」
少女「ほいっと」
少女は白い塊をもうひとつ階下に投げ込む。
階下の人間は更に悲鳴を上げ、ドタバタと離れていったようだ。
剣士「2つあったのか……」
少女「今のは玉ねぎ爆弾さ。嗅ぐなよ、ねーちゃんでも鼻痛くなるから」
マスクを取り去り、気合を入れ直したように後ろを付いてくる。
少女「こっから上にいる人間はクズばかりさ。殺っちまえ」
剣士「……お前がその許可を下しても困る」
少女「まあ、気兼ねなくやってくれって事だよ」
剣士「なら、俺からは手を下そう」
「出たぞ、ってー!!」「うらうらうらうら」「蜂の巣だっちょお!!」
最後の段を登り切り、すぐ近くのテーブルを蹴飛ばす。
宙に浮いた木の机に風穴がいくつも開いた。
少女「チッ……!」
剣士「金を」
剣士「よこせええええ!!!」
羨望、嫉妬、財欲。
いや、そんなに執着があるわけではないのだが……確かに、小さく自分にある事を認め、制御できる力を振るう。
贅沢な身体しやがって……。
「ぷげぇ!?」
突き出した拳が机を突き破り、そのままふとましい男の頬を張り飛ばす。
ダダダダ……!
剣士「おっと撃つなら肉を撃つんだな」
「ひ、ひいっ」
「く、くそ」「アニキィ!」
少女「当てられない銃なんか持つんじゃねえよ」
ダァン、ダァン!!
「がっ……」「ぐあっ!」
少女の銃撃がそれぞれの拳銃を撃ち落とす。
剣士「悪くない」
少女「えー、ちゃんと褒めてくれよ」
間合いの長い獲物で固まって戦う理由が俺には分からない……お陰で、一振りで足りそうだ。
ズバン!!
剣の速さも長さも悟らせはしない。
居合の線上に首が2つ舞った。
「よ、よくもボクのぶきゃを……!」
少女「後ろだよおじちゃん」
ダァン!!
……。
剣士「……ふん」
少女「ほれ、こっちこっち!」
ギャアアア!!!
ごは、ああっ……。
へ? あ、あ、ああー!
夢魔「………………」
夢魔(頑張ってくれている2人には悪いけれど)
彼の中に眠る使い魔は、主人の目を通して伝わる惨劇に口を押さえていた。
首も瞳もままならぬ、彼と添い遂げるに決して目を逸らせない光景が流れ込み、聴覚から伝わる断末魔が頭をおかしくする。
夢魔(吐き気が……)
慣れたつもりでも、身体と心は拒絶反応を起こす……それは生き物としての本能か、過去の傷跡か。
彼が生き物を殺す様子は何度か見ている。だがそこに負の感情がぶつけられている事が、恐怖を与えるのかもしれない。
夢魔(……集中。魔法陣を書き足して、接続を強固に……)
屍と荷物の散らかった3階を突破し、4階へ。
金細工のされた仰々しいドアノブに手をかける。
剣士「……。鍵か」
少女「いや、アタシは分からねーぞ?」
剣士「下がっていろ」
剣士「おおおおッ!!」
バキィ!!
剣士「……破れんとは」
剣の柄で挑んでみたが、手応えはない。
今、何か憎むような、負の感情を呼び起こせることがあるだろうか……。
夢魔「この変態。」
剣士「ぬおおおおおおァ!!!」
バキャア!!!
もうもう……。
素直になるマジックのくだりは、指折りの屈辱である。
夢魔「あら、いい火力ねえ」
覚えていろ……。
?「……おいおい、ご挨拶だなァ」
誇りと木屑の中から姿を現したのは、スーツに身を包んだ男だった。
?「はぁん、強そうジャン」
正装で固めてはいるが、前は大きくはだけ、胸元が覗いている。その雰囲気はどうにも締まらない。
俺は、この男に何か覚えのあるような感覚……あるいは、悪寒を覚えていた。
剣士「少女。こいつと会うのは初めてか」
少女「ん。たぶんボス」
夢魔「待って、この男……」
知っているのか、夢魔。
夢魔「知らないけど、でも、これ……」
?「そいじゃ、遊ぼうぜ」
男の瞳が赤く光る、その一瞬前。
何度も経験したおかげもあって、何とか目を逸らした!
剣士「少女!」
少女「う、ぐぁ……頭が……いてえ……!」
?「はぁ? おい、オマエ縛術避けるとか何様なワケ?」
やはりか。
夢魔「ええ、犯罪組織の元締めは……」
剣士「人間様だよ。悪魔」
?「……くっくっく、コイツは面白え。テメエ何もんだよ」
剣士「金が欲しくて、ここを壊しに来た。それだけの者だ」
少女「っく、やめろ、頭に、入るなよぉ……!」
夢魔、これは大丈夫なのか?
夢魔「良くないわ。精神が覗かれて、蝕まれてる……」
どうにか出来るか?
夢魔「超遠方からの夢干渉と、支配してからの精神侵食では……ごめんなさい。勝ち目は、ない……」
俺に乗り移っても、少女に成り代わっても駄目なのか?
夢魔「……私の術は、あくまで被術者の精神に私が入り込むもの。あれは術者の制御を離れ、被術者の精神を攻撃し崩壊させるもの……先に倒すわよ。」
了解した。
相手は悪魔。
竜より身体能力は劣るとはいえ、人間より優れた力と狡い魔術を有する種族。
扉を割った時にこちらの力量も割れているだろう……時間はかけられない。
剣士「……行くぞ」
ひとまず、深く斬るように剣を振り抜く。
それなりに素早く詰めたつもりではあったが、かすってはいない。
悪魔「っと、あぶねえ」
剣士「ふっ!」
悪魔「ほっ!」
剣士「たっ」
悪魔「ヒューッ」
剣士「穿て……!」
悪魔「おっとっと!」
身のこなしが軽い。こちらの力量を測られているか。
悪魔「オシマイ?」
不愉快な奴だ。
夢魔「……同感よ」
悪魔「じゃ、悪魔らしいことでもしてみるかなァ? クラァ!!」
悪魔の指先に光が奔る。
魔力は稲光を伴い、動けない少女を襲う!
少女「に、げろ……!」
剣士「!」
夢魔「!」
バリバリバリ!!
夢魔「く、卑怯な……!!」
剣士「今さら逃げるか!!」
痺れより、熱い……!
稲妻が肌を焼け付く!
少女「! ば、かっ」
剣士「……う、ぐ」
悪魔「へへ、バッカでー。オラオラオラオラ!!」
バリバリバリバリバリバリ!!!
剣士「ぐ、あああっ!!」
夢魔!
力を貸してくれ!
夢魔「Yes, my master……!」
少女「あ、あああ……」
少女は、強く生きてきた。
しかし、強い子供ではなかった。
剣士「……」
傷付けられれば弱り、何かを失えば泣いた。
人にそれを悟られないよう、付け入られないよう、ひとりで。
そして今もまた、大切なものを、目の前で。
バリバリバリバリ……
……。
雷が、剣士の手のひらで止まっている。
まるで吸い込まれるように。
たくましく足腰を踏ん張り、冷たく敵を睨む。
少女「え……」
悪魔「何だ?」
剣士「その辺に」
魔剣士「しておきなさい」
剣士のごとき、鋭い闘気。
魔術士のごとき、聡い眼差し。
悪魔「テメェ、憑き物がいやがったか……!」
左手を頼む。
ええ、踏ん張ってね。
バリバリバリバリ……!
剣士「く、う」
左手に灯された光が、剣士の意思や思考を離れ、紋様を描く。
反動に押される体躯は、夢魔の意思や思考とは関係なく、力強く踏み止まる。
少女「え、どっち……?」
共感、とは共通の「感情」なのか。
共通の「感覚」なのか。
あるいは共通の「感応」なのか。
あるいはそのすべてで、絆と呼ぶのだろうか。
芽生え始めた小さな繋がりは、両者の身体と心を分かち合い、前代未聞の力を育む。
悪魔「チッ」
雷が退いた。
少女「ぐ、へへ……心配、させんなよ……」
剣士「少女、もう少し待っていろ」
魔剣士「すぐ終わらせてくるわ」
悪魔「アタマが2つに増えたところでよォ!」
剣士「変わるさ」
悪魔は直接戦闘に持ち込もうと、長く伸ばした爪を振り下ろす。
右の剣を返して追い返したところに、左手が静かに牙を剥いた。
魔剣士「燃え上がりなさい!」
悪魔「ぐわっち!! んのヤロウ……!」
放たれた火の玉が直撃する!
体勢を崩したまま雷をこちらに差し向けるが、しかし俺を守るように左手が立ち塞がる。
魔剣士「三流ね」
悪魔「テメッ」
剣士「俺を忘れるな」
ズバン!
悪魔「アギャア!」
胴を狙った一閃が、ついに悪魔を捉えた。
大きく血が溢れ、悪魔はたたらを踏む。
仕上げだ。
ええ。
何も言わずとも、両の手で剣が握られる。
強い殺意と魔力が、ふたりの剣に炎を上げる!
剣士「……暴れていいか」
魔剣士「構わないわ、殺すわよ」
赤熱する光が、この町の悪魔を切り裂く!
剣士&魔剣士「「死ねえええええええ!!!」」
悪魔「あ、アグオオオオオ!!」
どちらが果たして本当の悪魔なのかは分からず、しかしてどちらが本当に強いのかは明白となった。
ズシャッ!
身体に刻んだ焼け跡は、血の跡も残さない。
すべてが丸く収まるわけではないだろうが、これで良いのだろう。
少女「っ、く」
魔剣士「少女ちゃん!」
代わるか?
いえ、大丈夫なんだけれど……。
魔剣士「大丈夫? 私が分かる?」
少女「……へへ。そんな声で聞かれても、カマホモにしか見えねえよ」
ペチンッ。
少女「あだっ」
剣士「聞こえてるぞ。さ、盗るものがあるならさっさとしろ。済んだら逃げるぞ」
少女「そうだった! おお、これ宝石っ」
治療はいるかしら? ひりついて痛いでしょう。
ああ。
ただ、今は何を憎む気にも、妬む気にもなれないな……。
ふふ、そう。分かったわ。なら……。
剣士「っ?」
全身の感覚が薄くなる。雷で受けた痛みも同様に。
半分こよ♪ ね、ご主人様。
……。
この状態なら、心の声にあげなければ思案はバレないのだろうか。助かった。
何故かと言えば、無性に彼女を撫で回したくなっていることを、悟られないで済んだからだ。
……………………
…………
……
夢魔「こんばんは、マスター」
剣士「……ああ」
その夜。
夢で待つ夢魔はいつもの悪魔らしいボンテージではなく、町娘のような、柔らかい印象の普段着を身にまとっていた。
呼び出された場所も、整った石畳の印象的な街道。いつか呼び出された場所である。
総じて、佇む彼女は可愛らしかった。
剣士「初めて見る服装だ」
彼女を照らす街灯に入ると、夢の世界で俺たちだけがスポットされたかのように感じる。
コツコツと刻む足音も、ふたりを急かすことはない。
夢魔「その、似合う? ……私のイメージと違うかな」
剣士「似合っている」
夢魔「ふふ、お世辞でも嬉しいわ」
剣士「いや。その姿も、愛らしい」
夢魔「――。」
剣士「どうした、目を見開いて」
夢魔「いえ、あの、貴方がそんなこと言うなんて、思ってなくて……」
見上げていた、ガーネット色の瞳を伏した。
尻尾は服の中に隠れているようだが、背中の羽はピコピコと動いている。
夢魔「……///」
小ぶりな耳が赤い。
くしゃり、と。
俺はガサついた掌を、そっと夢魔の頭に乗せた。
夢魔「えっ」
剣士「今日は、世話になった。ご苦労様」
夢魔「……うふふ。身構えて損したわ」
しばらく、夢魔はされるがままに身を寄せていた。
夢魔「少し、歩きましょう?」
剣士「……構わないが」
歩き出した夢魔に、半歩遅れて進む。
彼女はこちらを向かず、静かに遠くを見ていた。
夢魔「ふふっ」
剣士「?」
夢魔「闇夜の逢瀬ってところかしら」
剣士「……さあな」
少し足を早め、横に並ぶと目が合った。
隠す様子もなく彼女は上機嫌で、何も言わず眼を細める。
剣士「この町は、お前にとって大事なところなのか?」
夢魔「ええ。大事というか、私の住んでいるところよ」
剣士「逃げてきた夜、悪魔に拾ってもらった……」
夢魔「そう、その町。そうね、今の私にとって一番大切な場所だわ」
ポツポツとした明かりに導かれ、やがて小さな石橋にたどり着く。
そこだけは街灯も小さく、転落を防ぐためだけの間接光が灯っていた。
夢魔「ここ、何だか分かるかしら」
剣士「川に架かる橋だな。日ごろ息抜きに来ている場所か?」
夢魔「あら、当てられちゃった……んだけど、それは日中の話なの」
夢魔「ねえ、ご主人様。分からないかな」
夢魔の瞳が、次第に赤い光を帯びてゆく。
魔性を伴うものというよりは……どこか、本能的に熱を込めたような瞳。
気付けば、胸板が触れ合うまでの距離にまで近付いていた。
剣士「分かるさ。これは逢瀬なのだろう?」
夢魔「ふふ、本当に分かってる……? じゃあ、答え合わせを、シて」
合わせたのは唇だった。
無骨で不器用で、そして愛を注ぐ男。
可憐で蠱惑的で、そして彼を欲する少女。
如何にその生が歪であろうと、今のこの時は街角で語らう男女と変わらない。
剣士「ん……」
夢魔「ん、ん……」
ふたりはひたむきに唇を合わせたまま、胸に抱き、抱かれる。
夢魔「ん、ふ、んぅ……」
可愛い。愛らしい。愛おしい。
憧れだった。普通の恋人みたいな、キスがしたかった。
ついに、唇から伝わる想いは相互のものとなり、伝わるたびに強くなる。
精は主従関係のままに流れているが、性に流される事はなく、舌を挿れないキスが続く。
剣士「……ふ」
夢魔「んは……っ」
頭がおかしくなる前に、ふたりは唇を離す。
剣士「夢魔……」
夢魔「うん……」
「んんっ……!」
やっぱりおかしくなってしまいたかった。
…………。
剣士「さて、路銀というには足りすぎているし、明日からどうするか……」
夢魔「金も身体も狙われないとは言えないし、発つなら早い方が良いと思うわ」
熱に浮かされるような、そんな甘い口付けはいつしか終わっていて、俺たちはすぐ横にあるベンチで休んでいた。
何となく、今夜はお互いに満足してる感はある。これ以上じゃれあって空気を壊したくなかったのもあって、今度の会話はさっぱりとしていた。
……
少女『おい、マスター! 言われた通り、壊してきたぜ!』
マスター『……マジみてえだな、嬢ちゃん』
少女『これ、これとこれ宝石だしっ、これ札束に、金貨! にししっ、改めて見るとすんげー!』
あれから、その日のうちに運び込まれた盗品は大した量になった。
トップを失い瓦解した組織からは、自壊するかのように構成員が抜け出ていった。
示し合わせたように飛び込んでいく火事場泥棒と相まって、むしろ脱出する時の方が混沌としていた。
少女『んで、これ……あちこちの店の権利書。全部取り返せなかったけど、悪い奴に取られる前にさ、泣いてた奴に返してやってくれ』
マスター『……良いのかい。俺だって善人じゃねえぞ』
少女『アタシなんて大悪人さ。今日も何人殺ったか覚えてねえ! ははは』
マスター『一丁前ぶりやがって。分かったよ、責任を持って俺が預かる……よくやったな』
そこに子供らしい健やかな成長があったとは言い切れないが、俺と夢魔は口元を緩めていた。
マスター『じゃ、報酬はキッチリ渡さんとな』
少女『金貨10枚だっけ?』
マスター『まあ、本当にやってくれちゃったからなぁ……約束は守るさ。んで、2人で山分けするのか?』
少女『そうだな……』
少女は盗品の入った袋の中から、宝石類やその他価値のありそうなものを取り出し、むしろ主人に叩きつけた。
少女『アタシは要らねえ! 金貨10枚、全部こいつにくれてやんな!』
剣士『おい、少女。お前にこそ金は必要なものだろう』
マスター『へえ、何企んでんだか知らねえが』
少女が大声を出したせいで、酒場の視線が一点に集まり、あちこちでどよめき始める。
金貨10枚もあれば……例えば、あの母娘が居た村であれば3年も暮らせるだろう。
少女『アタシは、この札束でもあれば充分さ』
剣士『だからと言って、こんなに貰っても俺が困る。マスター、俺は1枚もあれば良い』
少女『だってよ。マスター、貰っときな』
マスター『……はあ。その宝石、全部寄越せ』
マスター『……すぅ』
マスター『野郎ども、聞いてんだろう!! 今晩は、ウチの店全部タダだァ!!!』
・・・。
ワァァァァァ!!!
マスター『俺は生まれてこの方、あぶく銭の使い方なんざこれ以外に知らなくてな』
少女『へへっ、ちげえねえ』
一番良い酒!
俺もだ!!
マスター肉喰いてえ!!
マスター『っと、わーったよ!! ……おい。忙しくなる前に取っとけ』
剣士『……。多いぞ』
マスター『旅にアクシデントは付き物さ、多くて悪い事はねえ。さあ野郎ども、この町の勇者様のご退店だァ!!!』
汚い喝采が、万雷の如く降り注ぐ。
それがこの町での、最大の賛辞であるらしかった。
勇者、か……。
夢魔『そうよ、勇者様。』
少女『さ、今日は帰ろうぜ。相棒!』
剣士『……誰が相棒だ』
……
夢魔「あの時、正直言って気分良かったでしょう?」
剣士「……紛れもない悪業だがな」
夢魔「でも、ちょっと嬉しそうにしてたの、分かるわ。貴方と繋がってたんだもの」
翌朝目覚めた時には、懐に3枚の金貨が眠っているだろう。
やはり、人に認められる事は俺にとっても小さな救いになるものだ。
夢魔「さて、今日はもうお休みする?」
剣士「そうだな……」
夢魔が俺の肩に頭を寄り添わせる。
こないだのベンチとは逆だ。
夢魔「名残惜しい?」
夢魔「私は、名残惜しいな」
剣士「……なんだその甘えた声は」
夢魔「きのう、気取るなって言ったじゃない……」
今度は俺の腕を取り、さらに身を寄せてくる。
温かい。
すがりつき、そっと囁く声。
夢魔「私のご主人様は、意外と深い愛情を持ってるのね」
剣士「……知らん」
夢魔「私も、どれくらいが普通かなんて知らない……でも、私が思っていたよりは、ずっと」
夢魔が俺の胸板を軽くつつくと、町の明かりがスッと消えていく。
それに合わせて目を閉じる。今日はいささか疲れた。
夢魔「お休み。また明日逢いましょう」
身体の温かさと、心の安息を感じながら、俺の意識は闇に沈んでいった。
……………………
…………
……
ほい次はこっちの肉だァ!
150から、200!?
出るか出るか~?
うー210!
215!220!……
ッターン!
チュンチュンチュン……。
少女「っと。朝這いは失敗か」
ソファの綿が沈む感触で目が覚める。
静かに目を開けると、小さな身体がのしかかっていた。
剣士「……もっと修業を積んでから出直せ」
少女「ははは、修業かぁ、そりゃいい。花嫁修業で良いか?」
剣士「気配の消せる嫁は勘弁願う。ほら、どいてくれ」
夢魔「ふふ、結局懐かれちゃったわね」
同じ女からは、そう見えるか。
夢魔「あら、女と乙女は別の生き物よ? とにかくおはよう、ご主人様」
おはよう。
少女「さ、飯食いに行こうぜ、相棒!」
……これは、乙女なのか?
夢魔「ふふ、乙女の目よ。可愛いじゃない」
少女「へへっ、早くしろよー!」
剣士「行くから、引っ張るな」
……
剣士「ご馳走様。しかし、良いのか」
少女「食い物屋で金貨出すバカがどこにいるんだよ。奢られとけ」
剣士「恩に着る」
今日は砦を目指す為の旅支度を整える事にしていた。
幸いにしてここは貿易街であり、食糧の他にちょっとした装備なども物色できそうである。
剣士「ところで、頼んだものは作れそうか」
少女「アタシを誰だと思ってんだよ。手先は器用だって知ってるだろう?」
手で筒を作って上下に動かしている。……。
夢魔「思い出したら、分かってるわよね?」
怖気がした。
思い出すな。思い出すな、俺。
少女「にしし、指に食べカス付いてたわ。れろ……」
そのまま親指を立て、ねぶるようにしゃぶり始める。柔らかかったあの舌が、れろんれろんと爪をなぞっている。
俺はもう見ないように下を向いた。
少女「ひっひっひ、ウブだなぁ」
剣士「……外でやるな」
少女「へへへへ」
夢魔「うん、マイナス10点ね」
思い出してはいない、はずだ。勘弁してくれ。
夢魔「貴方の視線は私の視界にも映るのよ? 変態さん」
あれを忘れたいのは、俺も一緒なんだ……やめてくれ……。
夢魔「まあでも、今の点数は加点法だから。おべっかでもしてみる?」
……いや、加点法がどうやったらマイナスに行くんだ。
……
剣士「武具の揃う店はあるか」
少女「あー、こっちの通りに……」
…………
剣士「こっちの砥石と、これは、柄の手入れ用……」
少女「ま、ゆっくり見なよ。アタシも自分のもの買ってくるよ」
……………………
剣士「じゃあ、これで」
結局小さな砥石とナイフだけを購入する。
金貨を差し出すと、サッサッサッと手早く釣りが出てきた。
店主「お、噂の兄ちゃんだな。これ、釣りだ」
店主が釣りと一緒に俺の手を握る。
心底嬉しそうにその手をブンブンと振った。
店主「あのいけすかねえヤツらをぶっ飛ばしてくれてありがとうよ。アンタはこの町の恩人だ」
お釣りを握らせるように店主は俺の手を離し、
少女「待ちな。ジジイ」
そして買い出しから戻ってきた少女が店主の前に出た。
店主「あん、なんだい嬢ちゃん」
少女「釣りを取る音が足りねえ。あと2枚銀貨が出てくるはずなんだがなぁ」
剣士「っ、そのようだ」
手の中を見ると、明らかに金が足りていない!
よく聞いていたな……危なかった。
店主「ケッ……ほれ、満足かよ」
少女「小遣い稼ぎなんかするんじゃねえよジジイ。ねーちゃんと遊ぶ金稼ぐより、店先の掃除でもしたらどうだ」
店主「この、クソガキ! 出てけ!」
バタン!!
少女「ったく、腑抜けてんなよ」
剣士「すまない、気が付かなかった」
少女「へへ、カッコよかったろ? 小金持ちなのは割れてんだから、気を付けろよ」
迂闊に人を信用するのも、考えものか……。
夢魔「キチンと自衛する事は人を信じるためにも必要な事よ。まあ、少女ちゃんに感謝しましょう」
少女「あと、頼まれたものは買っといたぜ。飯やらなんやらは自分で調達してくれや」
剣士「ありがとう」
この町に生きる少女は、活き活きしてるように見えるな。
夢魔「貴方が横にいるからじゃない? ふふ、得意そうよ」
少女「今日の夕飯どうすっか? せっかくだし美味いもんでも」
剣士「美味しいものは嬉しいが、落ち着いて食べたい」
少女「あいよ、そしたら市行って美味い肉でも探すかぁ!」
夢魔「良い居場所が出来たわね。」
居場所……。
夢魔「ええ。貴方が帰る事の出来る場所」
翌朝には、もう発ってしまうだろうがな。
夢魔「あら。貴方は娘ちゃんの村には帰らないつもりなの?」
いや。いつか。
夢魔「なら、それと同じよ。少女ちゃんもきっと、どれだけ時間が経っても貴方を受け入れてくれるわ」
……。
夢魔「捨てるには惜しい世じゃない、ねえ?」
…………
剣士「ご馳走様」
少女「おう、ごちそうさま」
上等な厚切りの肉に、麦の粉と香辛料をまぶして焼いただけのご馳走。玉ねぎと一緒にパンに挟み、冷まさないままかじる。
少女が一番良いと言うのなら、これが最高の夕餉なのだろう。
少女「あとは寝るだけなんだけど、湯でも浴びに行くか? そういう店あるぜ」
剣士「やめておく。気が進まない訳ではないが、落ち着いて休みたい」
少女「そうだよな。明日、行っちまうんだもんな……」
ベッドの上の少女は既に身体を拭き終わり、こちらに背を向けている。
俺も裸になった上半身と服の中、局部の周りを良く拭き、硬い布地を洗った。
剣士「干させてくれ、翌朝持っていく」
少女「……どーぞ」
鈍感な俺にも分かるくらい、彼女の背中は寂しい。
少女「あのさ」
剣士「どうした」
少女「この町に居てくれないかって、思ったんだよ」
剣士「……」
少女「でも、アンタはするべき事があって旅してんだろ? アタシには分かる」
剣士「するべき事……」
少女「ああ。腰据える場所を探してる感じでもねえし、何となくだけど」
少女「だから、アタシが旅に着いてっちゃいけねえかなって、思ったんだけどな……」
剣士「それは」
少女「あーあーあー、みなまで言うな。分かってんだよ足手まといって事も足手まといとは思わないで居てくれるって事も!」
少女「それに、アタシが着いて行くべき事じゃないって事も」
少女「あーあ……良い奴だよな、お前」
少女は布団に倒れ込み、小さな電灯を見上げる。
焦点が定まっていないようで、ここではない、どこか遠い場所を見ているようにも見えた。
何も言えない。
夢魔「……マスター」
これは、贖罪の旅だ。
慰みの旅とはいかない。
夢魔「貴方が連れて行きたいのなら、構わないのよ」
いや。
……この子を死なせたくない。
夢魔「うん。分かったわ」
剣士「少女よ」
少女「……おう。どしたい、改まって」
剣士「その気持ちだけで、俺は」
声を、声を絞り出せ。
照れを堪え、恥ずかしさを捨て。
負の感情とは反対の。
謝罪とも感謝とも違う、俺に足りないものを。
剣士「俺は、……嬉しい」
とても、大きいとは言えない吐露だった。
それでも俺の心は叫ぶつもりで、伝えようとした。
自分にとって大切な事だった。
少女「……へへ。嬉しいか」
剣士「ああ。必ず、またこの町に戻る」
言い切れた。必ずと。
その時俺は、笑顔になれた。
少女「へへへへ。頼むよ、あいぼー……」
顔を拭う幼い少女を、そっと撫でた。
……
少女「ここを……こうして……」
縫い物なんか、ほとんどしない。
ボタンは付けたことないし、ほつれた毛布もそのままだ。
剣士「……zzz」
小さなランプを頼りに、小さな糸を手繰る。
夢魔「こんばんは、少女ちゃん」
少女「!」
夢魔「あら、ごめんなさい。ビックリさせちゃった?」
い、いや。なんだ、アイツのところに居なくていいのか?
夢魔「ええ、今日はちょっとね。少女ちゃんは夜なべかしら?」
ああ。
夢魔「じゃあ、見ててもいいかしら」
……うーん。
内緒だぞ?
夢魔「うふふ、約束するわ」
チクチクチク……
少女「いでっ」
夢魔「あら大丈夫?」
難しいな、けっこう。
夢魔「ふふ、頑張って」
おう……!
チクチクチクチクチクチク…………
……………………
…………
……
剣士「んん、ん……?」
ここは、夢、いや、朝?
昨日寝たままと同じ光景に、日が差し込んでいる。
昨日は夢を見なかったのか……夢魔、いるか?
夢魔「んん、おはよう……ご主人様……」
お前も寝起きか。
眠いなら、もう少し寝ていても構わないんだぞ。
夢魔「うう、仮眠よ……さっきまで起きてたんだから」
先ほどまで……?
俺の夢に現れなかったのは、寝ていたからではなかったのか?
夢魔「私用よ。ごめんなさいね」
いや、お前も生活があるだろう。構わん。
少女「…………zzz」
よく寝ているな。
起こすのは忍びないが、そろそろ……。
夢魔「ちょ、それはダメよ。許さない」
そ、それほどの事か。分かった、朝食でも作って待とう。
少女「んゃ……もう食えないよぉ、んへへへぇ……」
少女「ふわ、ぁ、いい匂い……?」
剣士「……起きたか、台所を借りたぞ。朝食だ」
少女「え、アンタ料理できんの……?」
剣士「もとは旅人だ」
……
少女「じゃ、これ食べたら行くんだな」
剣士「ああ。砦の方まで」
少女「けっこう長くなるだろうから、気を付けろよ」
剣士「地図はある。問題ない」
…………
剣士「ところで、指先に血の痕があるが。いつ怪我をした?」
少女「あっ? ああー、ちょっとな! 気にすんな!」
剣士「腹の銃痕もそうだが、あまり痕を残すなよ。花の盛りに差し障る」
少女「花のサカリ……?」
剣士「……気にするな。早く治せ」
……………………
少女「ごちそうさん。美味かったぜ」
剣士「……お粗末様」
……
町の入り口に立つ。
日は高く、空は青い。
少女「行くんだな」
剣士「ああ」
別れの時だ。
少女「これ、頼まれてた奴な」
剣士「ありがとう」
少女から白い塊をいくつか受け取る。
少女「これが煙幕、これが火薬、これが睡眠薬。一応、どれがどれかは書いてある」
剣士「分かった」
少女「なあ、1分だけ、悪魔の姉ちゃんに外してもらってても良いか?」
剣士「ん?」
夢魔「あら? 良いわよ、ちょっと抜けてるわね」
剣士「構わないそうだ」
少女「ありがとな……」
少女は一度、息を大きく吸い込んだ。
少女「頑張れよ」
剣士「……ああ」
少女「死ぬなよ」
剣士「ああ」
少女の息が詰まった。
もう一度息を吸う。
少女「あんま、無理するなよっ」
剣士「ああ」
少女「っ、嫌になったら、いつでも帰ってこいよ!」
剣士「ああ」
少女「っく、う……」
思いごと、むせた。
彼女の目から光が流れる。
少女「っう、こ、これ」
固く握った掌から、紐のついた小さい包みを渡される。
剣士「これは?」
少女「……お守り」
中に、粉状のものが入っている。
少女「ぐしっ……アンタ、竜とやり合うってんだろ! 竜が嫌いだっていう実を、探してきて、砕いて入れた!」
少女「もし、本当にダメになりそうになって、終わりだって時」
少女「諦めるなら、自分より先にアタシとの事を諦めろ!」
少女「アンタにも、大事に思ってくれてる人がいるって事……肝心なときに忘れたら怒るからな」
剣士「――。」
少女「だから、アタシとの事なんていい。竜に食わしたっていい」
少女「でも、無事でいて欲しいから……お守り。」
曲がって見える景色を直そうと、何度も何度も瞬きをする。
ポロポロと溢れる光が、俺にはとても尊いもののように見えた。
少女「アタシは……この町が好きなんだ」
少女「いつ産まれたのか分かんねーし、ロクでもねえ奴しかいねえけど」
少女「それでも愛着があって、居心地が良くて」
少女「金も大事で、モノも大事で……でも、アンタからもっと大事なものをもらった」
少女「だからここがアタシの世界なんだ。だから残る」
少女「心配すんなよ。アタシもちゃんと、生きてくから」
少女「……ずずっ。さ、行け!」
呼吸を落ち着かせると俺を振り向かせ、町から飛ばすように背中を強く押す。
そのまま、背中に体重をかけてきた。
夢魔「ご主人様、終わっ……」
少女「――帰ってきたら、今度はクチでしてやるから」
剣士「! ちょ、ま、待て」
少女「はははは、しーらね!! へへへ、行ってこーい!!」
剣士「ぐっ……!?」
そのまま思い切り突き飛ばされると、仕方なく歩き始める。
ふたりとも知る事はなかったが、ふたりとも振り向く事はなかった。
夢魔「……さて。何の話をしていたのかしらねえ。」
剣士「弁解の余地は。」
夢魔「ないわよ。」
うな垂れてみせて、笑った。
もっと早く、こう生きてみたかったものだ。
「虚飾の町 おわり」
……閑話休題……
【その後】
少女「あぁーあ、行っちまったかぁ」
剣士たちを見送ったのち、少女はあてもなく路地裏をふらついていた。
途方に暮れているわけでもなく、悲しみを紛らわしているわけでもなく、ただ今日やる事が思い付いていなかっただけの事である。
このまま今日はゆっくりして、あとの暮らしは明日考えよう。
そんな矢先の事である。
少女「あ」
黒服「お?」
黒服「あれ」
曲がり角の先に、剣士と出会った日、足を洗った組織の人間がいた。
ふたりでアイスクリームを食っていた。
少女「……」
黒服「……」
黒服「……」
少女「えーと、あれだ。お邪魔しました」
タッタッタ……!
黒服「ま、待てやゴラァ!」
黒服「誤解じゃオラァ!」
少女「チッ……!」
アタシは必死で走りながら懐をまさぐる。
ナイフが1本、拳銃が……あ、家に忘れた。
あとは、ない。何もない。
こないだと違い備えがない……!
黒服「チッ、またこの道か!」
黒服「今度こそ手篭めにしてやんよォ」
少女(もし捕まったら……死ぬか?)
指先の傷に、もう片方の手で触れる。
チクリとした。確かに、甘くはない。
それでも、アタシはこの町で生き抜くんだ、必ず。
歩幅の差を埋めるべく必死に足を回転させる。格子状の路地を駆け回り、策を練りながら角を何度も曲がり時間を稼ぐ。
少女「はっ、はっ、はぁ……!」
黒服「っし、行き止まりだァ!」
黒服「捕まえたぞクラァ!」
「追い付かれる前に」行き止まりに到着した。
…………
昨夜、お守りを縫っていた時の事である。
夢魔『あ、そういえば』
どうした?
夢魔『体術の話をご主人様としていたと思ってね』
ああ、そんな話があったな。
あれって姉ちゃんの技だよな、教えてくれるのか?
夢魔『一朝一夕に身につくものじゃないけれど、明日行っちゃうしねぇ。簡単な事なら教えられるわよ』
いっちょ、いっせき? まあいいや、頼む。
チクチク、チクチク……
夢魔『そうねえ、身のこなしはもともと軽いみたいだし。例えば、人が飛んで壁を蹴った時、人はその後どこに落ちると思う?』
そりゃ、跳ね返って下に落ちるんじゃねえのか?
夢魔『ええ。じゃあ、後ろに引っ張られながら床を歩こうとした時に、貴女は前に進めるかしら?』
……引っ張る強さによるだろ、そりゃ。
夢魔『そういう事なのよ。頭の中を、横に半分回して頂戴。下に引っ張る身体の重さより、思い切り壁を歩く事が出来れば』
……確かに、なるほどな! それで登れるのか?
夢魔『本当はそこまで上手くいかないんだけどね。そんなイメージで身体を動かせば、いずれは。じゃあ、具体的な方法を教えるわね。……』
……
夢魔『まず、慣れない内は壁の角に向かって駆け上がりなさい。歩く床も、くぼんでた方が踏ん張りやすいでしょう?』
タッタッタ……!
黒服「なんだぁ?」
黒服「へへへ、そっちは壁だぞ~」
夢魔『足よりも、つま先に思い切り力を入れて。壁に突き刺すみたいに、全力で身体を上に』
少女「ぐっ」
ガッ!
少女「くぅぅ……!」
夢魔『その時、カカトを付けたらダメよ。身体をぶつけるくらいの勢いで、壁から離れないように、離れないように』
ガッ! ガッ……!
少女「たぁ!!」
夢魔『もう無理だと思ったら、思い切り蹴って、後ろを向いて。飛び降りたい場所を見ながら、身体のバランスを直すの』
黒服「なに!」
黒服「高っ……」
少女(ここに、確かメシ屋のダクトが……!)
夢魔『慣れない内は、掴まれるものを探して飛んだ方が良いわ。思い切り捕まるのは怖いけど、思ったより壊れないものよ』
ギシッ!
夢魔『……そうしたら、上から飛び掛かりなさい。身体が小さいから、頭か首がベストね』
少女「っし、だああっ!!」
少女(やっべ、飛びすぎた……でも)
慣性の支配するままに、曲げた膝が下を向く。
逆光を味方に、小さな体躯の全体重をぶつける!
少女(高え!! 気持ち良いッ!!)
黒服「うおっ!?」
黒服「あっ!?」
ゴキャア!!
ミシッ。
少女「あ、クビいった」
首の後ろに、高空からの飛び膝が突き刺さる。
たぶん即死はしていないだろうが、嫌な感触があった。
反応をなくした男の背中をクッションに、見事着地する。
綺麗に胸からいったな、あばら大丈夫かな。
黒服「お前っ、首折れっ……! てめええええ!!」
少女「っと、もう一人居たんだった!」
飛びかかる大男に、しゃがんだままナイフの柄を突き出す!
ずにゅっ。
少女「あ。」
黒服「!!! ――ぁふっ」
少女「わ、わりい……」
思ったより柔らかい。少女はそんな感想を抱いた。
……両手を太ももに差し込んだまま、男は倒れ伏した。
黒服「」
黒服「ん、ぁ、う……」
少女「じゃ、じゃーな。なんかすまんな……」
食べかけのアイスクリーム2つを残し、路地裏を後にしたのだった。
…………
少女(てんけー、ってのは分からないけど。アタシもちっとは良い子にして、マトモに生きてみるか……)
少女(そしたら、本当に壁を登って、この町を越えて、いつか空に飛んでいける。そんな気もすんだよ)
店主「ほい、アイスクリーム3つ! 嬢ちゃん、持てるか?」
少女「あー、1個アタシの口に突っ込んでくれ」
店主「ははは! ほい、アーン」
少女「ふもっふ。……んふふふ」
店主「毎度あり! 落とすなよー!」
少女(ちゃんと謝る時って、なんて言うんだっけな。申し訳ございませ……ございます? えーと、ありがとうございますはございますだから、あれ?)
少女(ま、いっか)
舌を甘やかす甘味に、ご機嫌な調子で路地裏に戻ってゆく。
いつの日か、この見上げる空の狭い町を飛び立つのか。
それはまだ、知る由もない。
【その後2】
お得意様を失ったあとの宿屋は、どうにも寂しいものであった。
娘(剣士さん、元気にしてるかな……)
母「しけた面すんじゃないよ。ほら、食いな」
娘「あ、うん」
しかし、父の死を境にどこかねじれていた家庭も、少しずつかつての姿を取り戻しつつある。
その手始めとして、使用頻度の低い空き部屋に診療所を引っ越したのがきっかけであった。
住まいを同じにするというのは、大きな意味がある。
しゅぽん。
母「ふいぃ……」
娘「ご馳走様。あんまり飲んじゃダメだよ」
母「あいよ。洗っとくから、先に休みな」
サー……。
娘「あ。雨だ」
娘(窓は閉めた、夜干しはしてない、戸締りも……したかな?)
ガチャ。
娘(やっぱり開いてた。危ない危ない)
バタン……ガチャリ。
娘(そういえば)
剣士と出会った日も、今日のような雨が降っていた。
……………………
…………
……
サー……
娘「……雨」
雨の日は、好きじゃない。
この、ひとりしかいない宿の中で、さらに村からも隔たれてしまったようで。
向かいの建屋には、お母さんの診療所があるけど……ああ、まだ明かりが点いてる。
まだ起きているのかな。
サー……
娘「あっ、戸締り忘れてた……」
雨の日は、嫌い。
娘「外、誰もいないよね……?」
……
ガンガンガン!!
ガンガンガン!!
母「……んだよ、うるさいねぇ」
診療所の戸が激しく叩かれていた。
こんな夜長に……。
すっかり酒に耽っていた村の女医は、心底不愉快そうに腰を上げる。
母「今日は終いだよ。帰んな」
ガンガンガン!!
娘「お母さん! お母さん、いるの!? 助けて、外に人が!!」
母「あァ!? あんたかい……」
母「雨の中、なにやってんだい。野垂れてる奴なんかほっといて寝な、そいつが悪いんだ。風邪引いても、あたしは看ないよ」
娘「だって、動かなくて」
母「……諦めな。どうせ、死んでるだろう」
自分の言葉が、胸に刺さる。
かつて、愛する者に何ひとつしてやれなかった医者に、誰かを助く熱があるものか。
娘「お母さん!!」
ああ。昔もあたしは、あんな純真な気持ちで命を見ていた……。
つまんないところばかり、あたしに似ちまったんだね。
母「あたしは、看ないよ。金持ってるかも分からないんだ、助ける義理はないね」
娘「――ダメ、放っておけない!!」
母(……。外の物音が止んだ?)
ズル、ズル、ズル。
母(引きずってんのかい。正しい運び方なんか知らないくせに)
ジャキン……。
母(頑固で、人の事になると見境がなくなるのは……あの人に似たのかね……)
バッキャアアン!!!
母「うわああっ!?」
診療所のドアが、正面から粉々に破られた!
娘「はあっ、はあっ、はあっ……」
大きな剣を、振り回されるように持ち、戸に覗いた隙間からあたしを見据える。
母「なんだってんだい」
娘「どうしても……助けてほしいの」
……………………
根負けしたあたしは、ひとまずその浮浪人を運び入れた。
剣士「……」
四肢に外傷がややあり、衰弱が激しい、体温は低く、脈が弱い、出血は多少見られ、菌や病の類いに侵された形跡は……
なんで、冷静に見ちまうんだい。
娘「どう……? 助かりそう……?」
母「黙ってろ!! 気が散るんだよ!!」
娘「ひッ」
違う……こんな事を言いたいんじゃない。あたしは、医者で、母で……。
処置は早い方がいい、時間が経てば経つほど助かる可能性は、この診療所にどれだけ道具が、薬が、ない、体力の低下に効く薬草、体温の低下を抑え体力を保たせ、
ええい!!!
母「くそったれ……」ブンブンブン
様々な思考が頭の中をグチャグチャにし、頭を振り回しても出て行かない嫌なストレスで掻き乱される。
娘「――ごめんね。集中してるだろうけど、聞いて。」
娘「この人、うつ伏せで、右腕を押さえたまま倒れてたの。お父さんが見つかった時と、同じ」
母「!!」
娘「お母さん言ってた。医者なのに、何も出来なかったって! でも、助けられるかもしれない人ですら、私は今、何も出来なくて、やっぱりお母さんに頼るしかないの!!」
娘「お願い。私はお母さんが人をもう一度助けるところを……見たい。」
……だらしないね、娘に、こんな。
なあ、あたしよ。絶対助けるとここで誓え。
あたしが、あの人を確かに愛していたと知っている……ただ一人の証人にかけて。
母「緊急手術だ。始めるよ!!」
……………………
…………
……
ガチャ。
娘「お母さん」
母「外傷の処置は終わって、どっか他に悪いところがあるようには見えない。ただ、体力が弱りつつある」
娘「……」
母「やるだけは、やったよ。今日は、あっちにあたしのベッドがあるから寝てな……あとはあたしに任せるんだよ」
娘「ありがとう、お母さん」
ガチャ、バタン。
母(未知の病変があるとは、言えないよねえ。あたしも初めて見るけど、助けると決めた手前は、必ず)
母「開くか、右腕」
母(何だい、このドス黒いのは、壊死?)
母(違うね、脈打ってるし神経も通ってる……炭化するなんて事もありえない)
ビクンッ!!
母(ただ、触れると全身に反応がある。おかしい、何かがおかしい。痛覚も反射も麻酔で切ってるはずなのに、どうして)
母(この部位がむしろ、身体に巣食っているというか、神経を支配しているというか……)
母「ええい、くそ……分からん!!」
それなりに勉強した時期があったのだ。
それでも抜けがあったのか、忘れてしまったのか、病魔の進化に勝てなかったのか。
医者の世界で「知らない」という事は治癒への絶望を意味する。
母(今からでも文献を……くそ、ダメだ腕開いてる最中じゃものを触れない。助手が居た昔じゃないんだ)
ただ絶望を前にして、折れるか折れないかは別の話である。
母(くそ、最悪だ。脈が弱くなってきてる……処置できるようにこのまま観察するか、体力の減少を防ぐために閉創すべきか)
母(結局、何も出来ないのか?)
……。
母(分からん、分からんが、これが原因だってなら切除する)
母(この患者の体力で、切除なんて無謀に決まってる……それでも。)
ブチ、ブチ……
剣士「!! ――ッ、うッ」
母(止めになるか、快方に行くか知らんが、やるならやり遂げる。それだけだ!)
ブチ、ブチブチ、ブチ……
……
…………
……………………
剣士「ここ、は」
母「すー……すー……」
娘「!!」
ドタドタドタ!
娘「目、覚めたんですか!?」
母「んぅ……安静にしやがれ……ん?」
剣士「俺は……」
娘「お母さん! お母さん起きたよ、治ったよ!!」
母「――おはよう。話せるかい」
剣士「死んだん、じゃ?」
娘(雨が止んだあの日、お母さんの顔にも少しだけ日が差したような気がして、ならなかった)
娘(それが、剣士さんとの出会いだっけ)
このSSまとめへのコメント
いいやん
続きを早く見たいですな