きみのこえ (オリジナル百合) (43)
百合
たぶん短い
ちょい暗い話
その日は台風が近づいていて、
大雨強風警報が出ていた。
『ワン! ワン!』
耳に残っている。
雨の音に交じる、失われた声。
どうしようもないことがある。
どうにもならないことが――。
彼――ロップは私と同じ14歳。高齢だったけれど、与えられたエサはいつもぺろりと食べてくれて。
走るのは前よりも遅くなった。でも、私を引っ張る力は強かった。
白くなった瞳には、もう私の姿は映ってなどいなかったかもしれない。
それでも、私の出すエサを彼はいつも全部食べてくれたのだ。
声が止んだのは、昨日の夜9時を回った辺りだった。
毎日エサをやり続けていたのに、彼はいなくなってしまった。
殺されたのだ。
私の父と母によって。
いつもそう。
あの二人は、気に食わないことがあれば、暴力で解決する。
喧嘩して、傷だらけになって、嬉しそうにしている。
吠えるロップを黙らせるために、彼らは何度も叩いていた。
何度も。
始めは甲高かった鳴き声。
徐々に小さくなった唸り声。
きみのこえは、すぐに聞こえなくなった。
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眠いのでいったんここまで
今朝になり、冷たく硬くなったロップを庭先に埋める作業を手伝った。
軒先の一部分だけがこんもりと盛り上がっていて、
その上に花を植えようとしたけれど、台風が来ているからと止められた。
指先は土臭くなっていた。
それから制服に着替えたけれど、学校は休校になったと連絡が回ってきた。
母は私に500円を渡し、仕事に出かけた。
その後、父は、
『お小遣いか、羨ましいなあ』
と言って私の腹を殴ってから、近所のパチンコ屋に向かった。
パチンコをするわけではなく、一応そこで働いていた。
父を見送って、私はロップのお墓の前に佇んでいた。
もういないのだという実感が沸いたのは、
それから1時間程してからだった。
その頃には、雨が降り始め、風が強く吹き始めていた。
500円玉を握りしめて、自室に引きこもった。
ベッドの上で寝返りを打つと、
右の脇腹が鈍く傷んだ。
蒸し暑い。
外に出て、雨に当たっていた方が、
気持ちいのかもしれない。
背中を丸める。
家には誰もいない。
扇風機の羽の音が眠気を誘う。
雨の日は、ロップを家の中に入れていた。
今頃、彼は水浸しだ。
もう関係ないけれど。
この家の唯一の味方はいなくなってしまった。
これからどうやって暮らしていけばいいのだろうか。
どうやって。
彼の首輪とリードはすぐにゴミ箱に捨てられてしまった。
二人が家から出た後に、それを拾って部屋の机の引き出しに入れた。
見つかったら捨てられる。
どこへ隠せばいいのか、わからない。
私も、いつかああやって土に埋められるのだろうか。
私のシャツや制服はゴミ箱へ捨てられるのだろうか。
その前に、私自身をどこかへ隠してしまいたい。
ダンゴムシのように、ベッドを転がる。
目測を誤って、
「あ……」
ずだんッ、と床に落ちた。
「いたッ……」
階下からヒステリックに暴言を吐く声はない。
二人がいないだけで、この家の朝がこんなに静かだったなんて。
のそりと立ち上がって、肩より少し長い黒髪を整える。
机の上にあった携帯の一番上の履歴に電話をかけた。
出ない。
もう一度かける。
出ない。
出ない。
出ない。
落ち着こう。
いなくなったわけではない。
呼吸が荒くなる。
近所に住んでいるから。
ちゃんといる。
いないのはロップだ。
友達はいる。
電話をかけた。
出ない。
留守電に音声を録音した。
精神安定剤を1錠飲んで、
ハイになっていく感情を押さえつける。
落ちていく。
テンションが高いのも低いのも、
案外と疲れる。
誰でもいい。
少しの間だけ、この家から離れることができたら、それだけで救われる。
夕方まで眠ろう。
それから、いつもの公園に行こう。
きっと友達が迎えに来てくれる。
ちょっとだけ良い夢を見よう。
―――
――
―
私は目の前で何度も鳴る携帯をイライラして見つめていた。
私の携帯は、妹の携帯と同じ機種で同じ色だった。
正直に言えば、嫌だった。
しかし、妹は逆だった。
私と同じにしたがる。
そのせいで、今、こんな事態だ
学校が休校になったと浮かれて、遊びに出かけた妹は、
浮かれた脳みそのまま私の携帯を取り間違えて持っていった。
ほら、こういうことが起こるから別のにするべきなんだ。
私がコーヒーを淹れて、トーストを焼いている間に、
もはや三回も電話が鳴っていた。
「……んぐ」
トーストの最後の一欠を食べ終えた時、
留守電サービスが開始された。
『ピー―――ひろ? あの、今日また泊めて欲しいの。6時にいつもの公園で待ってるから、良かったら少し話したい。待ってる』
ひろ――妹の友達だった。
声からすると、よく遊びに来ているひかりちゃんだと思う。
たまに、挨拶や雑談くらいはする程度の仲だ。
何より、うちのチャッピーという柴犬と、彼女の家のロップというゴールデンレトリバーとは、歳は違えど散歩仲間だった。
私は、ため息を吐きながら、妹の携帯から自分の携帯に電話をする。
出ない。
もう一度かける。
出ない。
出ない。
出ない。
ふざけんな。
携帯を掴んで、黒塗りのソファーに投げつけた。
まあ、夕方には帰ってくるだろう。
漫画でも読もう。
二階の妹の部屋に上がり、本棚から少女漫画をいくつか拝借する。
一階のソファーに積み上げる。
横になって、仰向けになる。
冷房をつける。
とりあえず、今日はのんびりしよう。
今日は眠いのでここまで
一目惚れの人?前作すごいよかったから期待
>>12
ありがと
一度一通り読んだ漫画だ。
新刊はまだ出ていない。
妹が買うのを待っている。
高校生の話。
男が優柔不断で、なかなか告白しない。
女は女で男に興味がない。
一行に二人の仲は発展しない。
それだけ。
それだけで、10巻近くあるから驚きだ。
読みふけること2時間。
手首が痛くなって、本を顔の上に被せた。
紙の匂いがした。
「ふあぁ……」
あくびが出る。
このままでは寝てしまいそうだ。
壁の時計はまだ12時を指していた。
普段なら、弁当を広げて雑談に花を咲かせているけれど。
誰もいない家で、一人静かに過ごしている。
幸せだ。
こうるさい妹もいない。
何かと世話を焼きたがる両親もいない。
最高の時間だ。
ずっとこんな時間が続けばいいのに。
あかん
寝ます
ふと、風が窓を叩きつける音が耳に入る。
携帯を見ると、住んでいる地域では警報が出ていたが、
大した風ではなかった。
買い物にでも行こう。
特別用があるわけではないけど。
目的のないショッピングは、時間の無駄遣いのようで、何か楽しい。
ソファから何とか起き上がって、
服を着替えて、化粧をして、カッパを着込んで、自転車で家を出た。
通りを歩く人はおらず、自転車さえ影も形もない。
向かい風のため、空気抵抗をモロに受けた。
途中、公園の前を通った。
誰もいなかった。
それはそうだ。
夕方に待ち合わせているのだから。
妹からの着信はまだない。
どうするんだろうか。
メッセージを聞いてしまったがために、
自分の責任でもないのに、聞いてなかったことにもできず、
悶々と公園を通り過ぎた。
コンビニで雑誌を立ち読みしつつ、
倒れるのではないかと言うくらい傾く街路樹を時折眺めて、
店員にいつ立ち読みを指摘されるかびくびくしながらも、
妹が時間までに音沙汰なく帰って来なかったらどうするか考えていた。
手っ取り早く、妹の携帯でひかりちゃんに電話する。
なんでそこまでやらないといけないのだろうか。
時間になったら、公園に行く。
めんどくさい。
ひかりちゃん家に行く。
家の場所を知らない。
レベルの低い押し問答を繰り返す。
一冊の雑誌を読み終え、コンビニでクッキーを買って出た。
なんで、妹の友達のことでこんなに悩まなければならない。
溜息。
蒸し暑さがイライラを募らせた。
さあ、次はどこへ行こうか。
もう一度妹に1分程電話をかけ続けて、
私は書店に向かった。
さっきまで読んでいた漫画の新刊を握りしめてホクホクして書店を出る頃、
私はひかりちゃんのことも妹のことも頭から吹っ飛んでいた。
というのも、自転車が風になぎ倒されて、車の車輪止めに当たって中破していた。
「……」
自転車をそっと抱きかかえるように起き上がらせる。
ホイールが歪んでいる。
ブレーキも上手くかからない。
自転車脆すぎる。
泣きそうになるのをこらえる。
この後、ツタヤに行って映画を借りる予定だったのに。
自転車を手で押して、私はゆっくりと歩き始め、近所の自転車屋に向かった。
ついてない。
途中お腹が空いて、カフェにふらりと入った。
そこでオムライスを食べて、ココアを飲んで、
ほっと一息吐く。
窓から見える現実を確認して、
後30分くらいはここで携帯をいじっておこうと思った。
家へ帰る頃には、夕方になっていた。
親も帰ってきており、夕飯の支度をしていた。
「どこ行ってたの? 台風の日に」
「その辺りぶらぶらしてた」
「暇ねえ」
「悪かったね、暇で」
鍋から目を離さずに、母が言った。
その背中は、私に部屋干しの洗濯物を片づけといてと語っていた。
無言のコミュニケーション。
テレビをつけて、今日のニュースを見ながら、
父親の仕事の作業着に手を伸ばした。
「しずか、風ちょっと止んだかな?」
呼ばれて、声だけで返事する。
「んー? たぶん」
「ちょっと、チャー君の散歩行ってくるからそれしながらお鍋20分くらい見てて」
「はいはい……え、鍋?」
「ひろが帰ってきたら……、え、鍋いや?」
この暑いのに鍋か。
そう言えばカレーの匂いが。
「机の上のメモ読まなかったでしょ。昼、カレー冷蔵庫に入れといたのに、残っちゃったからお鍋にしたの」
そんなものがあったとはつゆ知らずでした。
ごめんなさい。
「あー、あー、うん了解」
特に取り繕うこともなく私は頷いた。
洗濯物を畳みつつ、鍋をかき混ぜながら、テレビを見ていて、
私はふと違和感を感じた。
いつもなら、この時間はだいたい携帯をいじっていて、
部屋に閉じこもっているはずなのだけれど。
どうして、こんなにせっせと家の手伝いをしているのか。
それは本来押し付け合っている妹がいないからで。
妹との連絡が繋がらないからで。
そして、手元のこれは私の携帯ではないからで。
「あ……」
時刻を見た。
7時を回っていた。
「おっとぉ……」
と言って、手を休めて家を出るわけにもいかない。
こうなったらやはり妹の携帯で電話するしかないか、と思い見ると、携帯には特に不在着信はなかった。
これは、もしや待っていないというパティーンでは。
いや、きっとそうだ。
普通は返事もないのに、待たないんじゃないか。
ましてや、もう30分も過ぎている。
うん、いるはずがない。
しかも、この雨風だ。
特別何かない限り、来ないだろう。
仮にそうだったなら、何度も電話をかけるはず。
私みたいに。
結論、行かなくてもいい。
という結果に至ったのだが、心苦しくなってきて、ひかりちゃんに電話してみた。
繋がらなかった。
不安。
焦り。
どうしてこうなったのか。
「ちょっと出かけてくる」
「ご飯は?」
「食べるよ。すぐ帰るから」
「夜にあまりうろつかないでよ」
「すぐそこの公園行くだけだから」
母親が戻ってきて私はすぐに直した自転車にまたがった。
雨もほとんど止みかけていた。
こうなったら、もう後で妹に新刊のお金を請求してやろう。
だったら、ひかりちゃんがいなくても損した気持ちにならない。
情けは人のためならず。
という言葉を胸に公園へ向かった。
公園の入り口にできた水たまりを避けると、
自転車が滑りそうになったので、
急いでブレーキをかけて着地した。
案外と大きな音がした。
「あっぶな……」
暗くなって視界が悪い。
雨でも待てると言ったら、
中央の屋根付きのベンチがある所だ。
その辺りに自転車を停めて、駆け寄る。
人影。
まさか。
うん。
ホントに。
マジで。
小柄な女性が座っていた。
中学生くらいか。
「ひかりちゃん?」
恐る恐る声をかける。
あちらもびくりとしていた。
「しずかさん……?」
まさかね。
うん。
彼女はキョトンとしていた。
私もたぶん同じような顔をしていただろう。
何から言おうか。
「あの、なんで……」
ひかりちゃんが尋ねる。
「うん、それがね……うちのバカな妹が自分の携帯と間違えて私の携帯を持って遊びに出かけちゃったの」
その説明だけで、彼女は納得したように、やや落胆気味に、
「ああ……それで」
と頷いた。それから下を少し向いて、またこちらを向いた。
「それで、しずかさん来てくださったんですか……」
「そ」
「ありがとうございます……」
どこか儚げに頭を垂れる。
「いやいや、こちらこそ1時間も待ってたんでしょ? もう、本当にごめんね……ッ」
「いいんです。家にいたくなかったから……別にどこでも良かったんです」
「けんか?」
親とだろうか。
ひかりちゃんみたいな良い子でも、
親と喧嘩することがあるなんてびっくりした。
「そういうわけではないんですけど……」
言って、彼女は腕をさすっていた。
「寒い? というか、別に妹いなくてもいいなら泊りにおいでよ。学校の準備してきてる?」
早口に私は確認する。
横目で荷物を見やる。
けっこう入ってそうだ。
彼女は頷いて、
「そのまま一緒に行こうと思ってたので……持ってきてます」
「うん、じゃあ一緒にわが家へ帰ろう」
私はひかりちゃんの手を握る。
「うわ、冷たッ……」
両手で握って温めてやる。
「しずかさんの手、すごく暖かい」
「冬は重宝されるの。さ、立って」
「でも……」
遠慮しているが、
実際は家に帰りたくないのが本音とみた。
「いいから、おいで」
そう笑って彼女の手を引いた。
彼女を自転車の後ろに乗せて、
荷物をカゴに乗っけた。
「滑ったらごめん」
「頑張ってください」
「うん、しっかり捕まってて」
「はい」
「今日さ、うちカレー鍋なの。カレー臭くない私?」
「そんなこと……」
一瞬間が空く。
「今、匂い嗅いだ」
「……はい」
「正直でよろしい。カレー好き?」
「好きです」
「夕飯まだ?」
「はい」
「妹のぶんまで食べちゃっていいから」
「ええっと」
「いや、ホント。それぐらいの対価は払ってもらわないと」
「あの……」
ひかりちゃんの腰に回した腕に少し力が入る。
こそばゆい。
「ん?」
「ありがとうございます……」
自転車の車輪の音でかき消されてしまいそうな小声で彼女は言った。
「ただいま」
と、リビングに入ると母はちょうどお皿に鍋をよそっている所だった。
父も帰ってきており、すでに椅子に座り缶ビールを開けていた。
スーツを脱いで、完全に普段着で私たちが入ってきた瞬間ビールを吹き出しそうになっていた。
「あらッ」
母が声を上げる。
「今日、ひかりちゃん泊まってくから」
ひかりちゃんが頭を下げた。
「お世話になります」
「いいけど……明日学校でしょ?」
「そのまま行くの」
母は軽く一度頷いて、
「さっき電話があって、ひろね、友達の家に泊まるらしいのよ。しずか知ってた?」
「え、知らない」
携帯を確認する。
着信が入っていた。
今の今まで連絡してこなったくせに、泊まり込みか。
彼氏だな。
「不良娘だ……」
父がテレビをつけながら、ぼそりと言った。
「連絡するのが遅いのよね。もう夕飯作ったのに。誰に似たのかしら」
父を横目で見ながら、母。
「さあ……」
父。
「ひかりちゃんも、しずかも手を洗ってきて。ご飯にしましょう。あ、ひかりちゃんは食べてきた?」
「ううん。まだだよ。こっち、ひかりちゃん」
「はい」
とてとてとついてくる。
私より背の低い彼女はなんだか新しい妹のようだ。
白い肌と細い腕は、ソフト部に入りますます丸みを帯びてきた自分からすると羨ましい限り。
中学生と高校生って違うよね。
「ひかりちゃんて、ちっちゃいよね」
頭のてっぺんをポンと撫でる。
恥ずかしそうに首をすくめた。
「ご飯食べてる?」
「……食べてますよ」
「こんな細いのに?」
「食べ過ぎると、お腹が痛くなっちゃうのでもしかしたら小食の方なのかもしれないです」
「そっか……えい」
折れそうな腰に手を回す。
「きゃッ……いッ」
「え?! ごめん、痛かった?」
「いえ、ちが……あの、びっくりして」
涙目だ。
「ごめんごめん! よーしよしよしッ」
とりあえず、腰をさすってやった。
「し、しずかさんッ……犬じゃないですからッ」
ひかりちゃんはこそばゆかったようで、
手を洗いながら体をよじって笑っていた。
「ひかりちゃんは、マンゴーとか食べる? お隣からもらったんだけど」
「食べれます。好きです」
席に着くと、一口大に切られたマンゴーが大皿にたくさん乗っていた。
母は父を放っておいて、せっせとひかりちゃんの世話を焼いていた。
父は赤ら顔でうつらうつらとしてきている。
さすが、ビール二缶でで酔う男。
「しずかー……段ボールからビールを」
「いや」
「お願い……」
父のお願い程気持ち悪いものもない。
「血圧高いって言われたばっかりでしょ」
母が父の前にお冷を手渡す。
「おねがーい……」
母にすがりついている。
可愛らしい笑い声。
ひかりちゃんが口元に手を当てていた。
「女の子に囲まれてテンション上がったんじゃない?」
私は手を合わせて、カレー鍋をつつく。
父は、
「女の子?」
母を見ながら首を傾げていた。
父が自室に引っ込み、
母は夜の散歩にでかけた頃。
ひかりちゃんも少し眠そうにしていた。
「お風呂入れるよ?」
「あ、私は最後で……」
「何言ってんの、一番に入らせます。あ、一緒に入る?」
ひかりちゃんは困った表情になった。
「なんて、冗談だよ」
中学生って、女同士でもまだ恥ずかしいよね。
「タオル取って来るから……」
「しずかさん……」
「うん?」
「一緒に入ってもらっても……いいですか」
遠慮がちに、手をもじもじさせている。
「いいよー」
可愛い。
親戚に幼稚園に上がったばかりの女の子がいるけれど、
それに近い保護欲みたいなのを掻き立てられた。
「中学生まではさ、妹とお風呂一緒に入ってたんだよね」
「へえ……」
「でも、部屋が別々になってからいつの間にか入らなくなってて。二人入っても狭いんだけどね。ちょっと寂しいかな」
「私は、姉妹はいないので憧れます」
「私もこんな可愛い妹だったら大歓迎です」
「そんなこと……」
照れくさそうに言って、ひかりちゃんが着ているシャツを脱いだ。
別にそこまで見るつもりはなかったけれど、
目の前にあるものだから見てしまった。
「……ねえ、それ」
「え?」
ひかりちゃんのおヘソの斜め上辺りが、
うっすらと青黒くなっていた。
「うわあ、痛そう……、ごめん抱き着いたりなんかして」
「……」
無言。
彼女は自分のお腹を不思議そうに見ていた。
まるで出来物ができたように、触れる。
見ているだけで痛そうだ。
「転んだの?」
「いいえ……」
「寝返りかな?」
「違うと思います……」
私は服を全て脱ぎ終え、
俯くひかりちゃんの顔を覗き込んだ。
「痛そうですよね……」
「う、うん。痛かったんだよね?」
「はい……。ロップにも……同じあざがありました。お腹のところに」
「それは、偶然だね……」
「そうですね……」
「もしかして痛むの? 大丈夫?」
「痛いです……痛い。あざが出たの初めてで……ロップが死んでしまうのも無理ないなって……思って」
ひかりちゃんの言っていることが先ほどから理解しずらくなっていたが、
その言葉に私はショックを受けた。
「え、ロップ亡くなったの?」
「あ……すいません、変な事言って……あの、そうです……ロップ今日……」
それで、家にいたくないなんて言ったのか。
そりゃ、ひろにいて欲しかっただろうな。
ひろのバカ妹。
今日、ちょっと寂しそうにしてたり変な事口走ってるのもそのせいか。
私もチャーがいなくなったら、絶対沈むだろうし。
家族だもんね。
「でも、ロップのことしっかり可愛がってあげたんでしょ。だったら、ロップもきっと幸せだったよ」
私は気まずい雰囲気を払拭させたくて、また、彼女を元気づけるために、
「よし、お風呂入って温まろう。ね」
彼女の背を押す。
「ロップの声が……耳から離れなくて」
「うん?」
「私、あの子にいつも……庇ってもらってたんだ」
震える声。
「どうしたの?」
肩に手を伸ばす。
ぱしんッ、と手を払われた。
一瞬何事が起ったのか分からなかった。
「え……?」
「ロップ……ごめんッ……ロップッ」
「な、なにどうしたの?」
「ッひ……ぅ……うぇッ……ロップぅ……」
糸が切れたように崩れ落ちてすすり泣きを始めた。
ど、どうしたらいいの。
母はいないし、父は酔いつぶれて寝てるし。
妹は彼氏の家だ。
どうするもこうするも私しかいない。
「わ……わん……わん」
すすり泣きが一瞬止む。
ひかりちゃんがこちらを見やる。
私は笑う。
「ッ……ぅああァッ――」
「だ、だめかッ……わんわん」
「ろっぷぅ……ッ」
ひかりちゃんは私を抱きしめて愛犬の名前を呼んだ。
丸裸で抱きしめられるのは初めてだった。
「ひ、ひかりちゃん……」
「あ……」
期待を裏切られたような目をされた。
え、マジで。
この子本気?
「わんわん……わん」
「……ッろっぷ」
「お風呂入ろう……わん」
「うん……」
大丈夫か、ひかりちゃん。
「はーい、バンザイわん」
「ん……」
ひかりちゃんが壊れた。
全部脱がせてやって、
風呂へ誘導する。
「しずかさん……」
「はい……」
急に真顔のひかりちゃん。
「ごめんなさい……」
「戻ったの……?」
「少しだけ、今日だけでいいのでロップになってもらっていいですか」
「……」
そりゃ、大事な家族が亡くなって辛いのはわかるけど。
そんなことで癒える傷でもなし。
やっぱり、中学生の考えることは分からない。
「いいけど……わん」
しかも語尾に適当に『わん』つけただけなのに。
私、そんなに犬っぽいのだろうか。
これは人には見せられない。
「あの、髪洗っていいですか……」
ダメと言わせない空気。
私は頷いた。
なんだか、急にひかりちゃんと距離が近づいたね。
嬉しいやら残念やら。
私はこっそりと苦笑いする。
彼女の小さい手が私の頭の上で踊る。
失うってあんまり分からない。
失ってもこうやって、変な事を思いついて続いていくしかないんだろうな。
誰も知らないのかな。
こんなひかりちゃんを。
「お湯流しますね」
「わん……」
高校生にもなって、
これは恥ずかしいけど。
ちょっと楽しくなってきた。
「ろっぷッ……」
突然涙腺が緩むひかりちゃん。
それに、ハラハラさせられながら、
私はロップを演じた。
「妹の部屋使っていいよ」
お風呂から出て、部屋に案内する。
「適当に使って……わん」
「ありがとうございます」
自室に戻ろうとした時だ。
ひかりちゃんが何か言いたそうにしていた。
でも、それを我慢しているようにも思えた。
だから、それは私から言ってあげた。
「あ……ひかりちゃん」
「はい……」
「一緒に寝る……わん?」
「……うん」
ひかりちゃんが私のシャツの裾を掴んだ。
子ども欲しいなって思った。
それくらい可愛かった。
「あの、しずかさん……」
我にやっと返ったのか、ひかりちゃんが私の名前を呼んだ。
「なあに」
「変なこと頼んでごめんなさい……」
「いいよ。いっぱい甘えちゃいな」
両親に甘えられないのかもしれない。
確かに、厳しそうなイメージがある。
私は両手を広げて、抱きしめてあげる。
妹には絶対こんなことしないけれど。
「最後に一つお願いが……」
「どうぞ」
体を離して、ひかりちゃんに微笑む。
「だっこ……してください」
ゆっくりと少女は手を伸ばす。
だっこ。
って、どうやるんだっけ。
「抱き上げる感じ?」
ベッドに座り、ひかりちゃんを太ももに座らせる。
背中に回された手が必死にしがみついているようにも思えた。
「どう?」
「安心します……」
「良かった」
「公園で待っていた時……もう、きっと来ないだろうなって思ってたんです」
「ごめんね……」
「謝らないでください……。だから、もう、誰か……来て欲しくて。ずっと……心の中でロップを呼んでました」
「……わん」
「えへへ……」
彼女をあやすように、背中を撫でる。
「来てくれた……」
ひかりちゃんは相当に参っているようで、
カバンの中に何か薬も入っていて、
もしかしたら大変な時期なのかもしれない。
「しずかさん……」
「うん?」
「ロップ……」
「わん」
体を揺らして、ひかりちゃんが笑う。
嬉しそうにしている。
なんだかそれを見ると、こっちまで嬉しくなる。
「ひろは頼りないからね。何かあったら、私も相談にのるから」
「こうやって……たまに、膝の上貸してください」
「いやあ、これはけっこう恥ずかしいものが」
「だめですか……」
「この甘えん坊め」
「お願いします」
「しゃーない……」
「ロップ……ごめんね」
ひかりちゃんは私の体に隠れるように、顔を埋めた。
わんわん――。
おわり
おわりです
だっこて言われたい
このSSまとめへのコメント
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