勇者「ひとがしぬ、ということ」(42)

 鄙びた小村である。往来に人通りは多いが、誰しもみな力がない。
 それが魔王による長年の影響のせいであろうことは、想像に難くなかった。

 ふらふらとした一つの影と、足取りのしっかりとした一つの影。
 少し険のある、くたびれた印象の、剣を帯びた男――勇者。
 三白眼で褐色肌の、矢筒を担いだ女――狩人。

 二人は魔王討伐の旅のさなかであった。

勇者「疲れた……」ハァハァ

狩人「いつも思うけど、どうしてそんな遅いの」

勇者「お前が健脚すぎるんだよ、ったく」

狩人「けんきゃく……?」

勇者「足が速いってことだ」

狩人「勇者は物識り」

勇者「ルーン文字の一つでも覚えたほうが役に立つさ」

勇者「それより寝るところを確保しないと」

狩人「うん」

勇者「お、あったな。あれだ」

イラッシャイマセー
勇者「二部屋あいてますか?」

ヒトヘヤダケダヨー
勇者「だってさ。どうする?」

狩人「どうする、と言われても。ここ以外にないなら、ここしかない」

勇者「もっと嫌がるかと思ったけど」

狩人「野宿だって似たようなものだろう」

狩人「一年も旅してれば、もう慣れる」

勇者「さいですか……」

勇者「あー、じゃ、それでいいです」
マイドアリー 80gニナリマスー

 勇者は鍵を受け取って二階へと上がった。
 部屋には粗末なベッドとラグが数枚あるきりで、他に大したものは見当たらない。
 この程度の安普請は仕方がないな。勇者は息を吐き、振り返った。

勇者「ベッドが一つだけど、」

狩人「勇者が」
勇者「狩人が」

二人「「……」」

狩人「……」ジー

勇者「わかった、わかったよ。俺が寝るよ」

狩人「一緒に寝る?」

勇者「冗談だろ?」

狩人「……」ジー

勇者「そんなジト眼で見るなよ」

勇者「慕ってくれるのは嬉しいけど、やめといたほうがいい」

狩人「恩返しがしたいの」

勇者「一緒に旅してもらってるだけで十分だ」

勇者「大体、そのためにお前を助けたわけじゃない」

狩人「私がどう受け取るかの問題」

勇者「それに、未練があってもいやだろ」

狩人「未練?」

勇者「冒険者なんてやくざな稼業だ。明日の命もわからん」

狩人「怖いのか? 死ぬことが」

勇者「殺して、殺されて、なんぼだろ。理解はしてる。ただ、死ぬのは悲しいからな」

狩人「勇者」

勇者「ん?」

狩人「よしよし」ナデナデ

勇者「……」

狩人「落ち着くか?」

 「落ち着く」と素直に返すのはなんだか癪だった。
 顔の火照りを悟られないようにしつつ、勇者は立ち上がる。


勇者「俺は買い物に行ってくるから、休んでてくれ」

狩人「私も行く」

勇者「疲れてるだろ」

狩人「私も、行く」

勇者「……まぁ、いいけど」

狩人「だいたい勇者のほうがふらふらしてた。来るとき」

勇者「俺は回復が早いからな」

狩人「ベッドあるぞ。休まなくて平気か」

勇者「だいじょうぶだよ」

狩人「添い寝もするか――あうっ」

狩人「なぜ叩く」

勇者「行くぞ」ガチャ

狩人「本当につまらないやつだ」

狩人「たまには私の肉体に溺れればいいのに」

勇者「魔王倒したらな」

狩人「えっ」

勇者「うそだ」

狩人「ずるい」

勇者「ずるくないずるくない」

狩人「どこに行くの」

勇者「道具屋と、ギルドだな」

狩人「……」

勇者「どうした?」

狩人「え?」

勇者「ついてくるんだろ?」

狩人「(コクコクコク)」

勇者「じゃあ、来い。探すのはお前の仲間でもあるんだから」

 往来に出る。
 嘗ては馬も行き交っていたのかもしれないが、荷車を引くのは、今や人、人、人。
 馬は全て近隣の王国に軍馬として召し上げられているのであった。

 道具屋かギルドか迷って、ギルドにした。仲間が増えればそのぶん道具の量も増える。

 ギルドは新しく、村の中でもわりあい大きかった。こんな大陸の外れまで戦の熱気が届いているのだ。

 勇者はギルドの扉を開いた。皮と、鉄と、汗のにおいが一気に流れてくる。
 五感の鋭い狩人がわずかに顔を顰めた。

 静かだが、それだけではない空間である。緊張が静電気となって二人の肌を焼く。
 こちらがあちらを値踏みするように、あちらもまたこちらを値踏みしている。

イラッシャイ
勇者「旅の仲間を探しているんですけど、二人ばかり」

 たむろしている男が、女が、勇者とマスターのやり取りに耳を傾けている。
 勇者はそれをあえて無視し、軽く店内を一瞥した。

テーブル ニ スワッテル ヒト
勇者「に、声をかければいいのか。誰でも?」

チュウカイリョウ トル アトハ ソレゾレ
勇者「……狩人?」

狩人「(ジー)」

勇者「何を見てるんだ……ばあさんと、ガキ?」

 店の奥、二階へ上る階段のそばで、老婆と少女が何かを飲んでいる。
 どちらもギルドにはおおよそ場違いな年齢で、勇者は思わず本音を漏らしてしまった。

狩人「そんな言い方はよくない」

勇者「事実だろ」

狩人「二人とも、手練れ。だいぶ強い」

 狩人の人を見る目は悪くない。勇者はこれまでの経験から、人選は彼女に任せていた。

勇者「お前が言うならそうなんだろうな。ちょっと声をかけてみるか」

少女「その必要はないよっ!」

 黄色い、少女特有のソプラノであった。
 気が付けば勇者の胸のあたりに少女の顔がある。
 年齢相応の、けれど意志の強そうな、凛々しい顔である。

少女「ちょっとちょっと、初対面に向かってババアだのガキだの、無礼な男ねっ!」

勇者「ババアとは言ってないけど」

少女「おんなじことでしょ! 武器の錆にするよっ!」

 ざわ、ざわ、ざわ。周りが騒ぎ出したのを察して、勇者は「厄介だな」と口元を隠す。
 着いてそうそう騒ぎを起こしては、この村に宿泊することも叶わなくなる。
 やたらに血気盛んな少女から視線を外さず、残った手で勇者は道具袋の煙玉をつかんだ。

 と、勇者の肩を叩く者があった。少女と一緒の席についていた老婆だ。

老婆「若いの、ちょっと場所を移さんか。ここは騒がしくていかん。年寄りには堪える」

勇者(いつの間に後ろに……?)

 煙玉が間に合うか。戦場では思考の暇が生死を隔てることもある。逡巡している暇はなかった。
 煙玉をつかんだ手を袋から抜出し、

狩人「わかった」スタスタ

 狩人が扉を開いて出ていく。勇者は煙玉を道具袋に戻し、自分でも素っ頓狂だとわかる声を発した。

勇者「か、狩人?」

老婆「じゃ、わしも行っとるぞ」

少女「待ってよおばあちゃんっ」

勇者「え?」
 聞き返したつもりではなかったが、少女は耳聡いらしい。剥き出しの敵意で勇者を睨め付ける。

少女「は? おばあちゃんよ。アタシの」

勇者「孫と一緒に旅してるのか?」

 親子で冒険、という組に出会ったことはあったが、孫と祖母という組み合わせは初めてだった。

少女「ちょっとちょっと、アタシのおばあちゃん馬鹿にしないでよねっ」

勇者「してない」

少女「いや、したっ」

勇者「わかったから。行くぞ」

少女「指図すんなっ、馬鹿!」

 少女に尻を蹴られながらも外に出ると、日光の下、狩人と老婆が立っている。

老婆「遅かったな」

勇者「機嫌を損ねたなら謝る。悪かった」

老婆「そういうことではない。お前ら、魔王を倒すために旅をしてるんじゃろう?」

勇者「なんでそのことを?」

老婆「ひゃひゃひゃ……伊達に歳を食ってるわけじゃないぞ」

老婆「なに、旅に加えてもらおうと思ってな」

少女「おばあちゃんっ」

 少女が反射的に声を上げるが、老婆は慣れた様子でそれを諌める。

老婆「まぁ、慌てるんじゃない」

老婆「住んでいたのは北にある辺鄙な村でな。そのせいか、よく下級の魔物がやってくる」

老婆「わしの血脈はみな村を守るために戦っていた」

老婆「しかし、気が付いたんじゃよ。このままじゃ埒が明かないということに」

老婆「お前らも同じ、魔王を倒したいんじゃろう? 利害は一致しておる」

少女「でも、こんなやつらだめだよっ。絶対弱いよ!」

勇者「なんだって?」

狩人「勇者。大人げない」

少女「おばあちゃんがいいって言っても、アタシはよくないっ」

少女「魔王を倒せるくらい強くないと、意味ないもんねっ!」

勇者「って、言ってるけど」

狩人「うー……じゃあ、怪我しない程度に」」

少女「怪我で済めばいいけどねっ! ぺしゃんこになっても知らないよっ!」

勇者「安心しろ、すぐ終わらせる」

 勇者はその時ようやく、目の前の少女が背負っているものに気が付いた。
 雲のような鈍色をした金属。柄の先端と殴打面には金色の幾何学模様が描かれている。

 金槌。それも、少女と同じくらいの長さのある。

 ベルトを二か所外し、明らかに重量のあるそれを、少女は綿でできているかのように片手で振りぬいた。
 きっかけこそ不意ではなかったが、速度は余りあるほどの不意であった。しかし、勇者はそれを見ながらただため息をつくだけで、

 ぶちっ

少女「え?」

 次の瞬間には勇者の潰れた頭部が転がっていた。

 まさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。少女はぽかんとした表情で、声すらあげず、目に涙を溜めるばかりである。

 砕かれた頭から、頸動脈から、血が噴出し往来を染め上げていく。

 遠くから聞こえる通行人の困惑と、叫び声。

エッ ヒト シンデナイ?
サツジン?
ウソデショ……

少女「ッ!?」

狩人「逃げます」

老婆「おやおや……転移魔法を使うかい?」

狩人「できれば」

老婆「ほれ、孫、行くよ」

老婆「んじゃ、ほい、と」ヒュンッ

――――――――――――――――
 生まれたのは魔王城を頂く山の麓にある町だ。
 治安は決してよくないけれど、それゆえに守りも手厚く、目立った人死にが出ることもない。そんなところ。

 幼いころから、剣の素養も魔法の素養もあった。
 器用なのか器用貧乏なのか、それはともかく、支配領域を強めている魔王に対抗すべく出発するのは、まったく不自然ではなかった。

 誰しも口にこそしなかったが、彼の双肩には期待がかかっていたのだ。

 このままでは、町はいずれ迎えるであろう魔王城攻略の要衝となり、戦火は免れない。そのためだった。


 旅は熾烈を極めた。最寄のギルドに行くのすら、山を下りなければいけない。
 魔王を倒す仲間を集めることすら難しい。
 一週間もたたず殺された。どこにでもいるようなゴブリンが相手だった。

 意識が朦朧とする中、光に包まれた女性が目の前に立っているのを見た。
彼は、彼女に何者なのかを問うた。

『あなたの嘗ての先祖に、高名な冒険者がいました。彼は仲間とともに、魔王を打ち破ったのです』
『血に刻まれた加護が、魔王を倒す力をあなたに与えている』
『魔王を倒すまで、あなたにとって、死は休息であり終焉ではない』
『古の加護。自動蘇生。その名はコンティニュー』


 夕方、木の根元で目を覚ました。

 とりあえず仲間を探すところから始めた。
 魔物を殺しながら経験を積み、山を下り、王都に向かった。
 煌びやかな装飾。聳え立つ煉瓦造りの教会。煙を吐き出す煙突。

 故郷と比べてはるかに偉大な土地を、ひっきりなしに兵士が動いていた。
 戦争が近いのだ、と武器屋の店主が教えてくれた。

 最初に旅をしたのは、そこで見つけた三人の仲間とである。
 青い瞳の柔和な僧侶。
 故郷に錦を飾るのが夢の武闘家。
 国境警備軍を辞めてやってきた騎士。

 いい仲間だった。

 武闘家には酒を。騎士には戦術を。僧侶には女を。それぞれ教えてもらった。

 そして、全員が死んだ。


 わずかな気の緩みが命取りだったのだ。
 魔物の隊長格との戦闘で、騎士が倒れ、武闘家が倒れ、僧侶もまた倒れた。
 相討ち覚悟で隊長格の首を薙ぎ払い、彼もまた倒れた。

『コンティニュー』

 暗闇の中にその文字が浮かんだかと思えば、魔物の根城の前で倒れていた。
 根城の中には、三人の死体と、魔物の灰だけがあった。
 彼は勝ったのだ。方法と、犠牲はともかくとして。

――――――――――――

 勇者が目を覚ますと、鬱蒼と茂った木の葉が見えた。
 ところどころから木漏れ日が差し込んでくるが、それにしたって薄暗い。
 気温から察するに夕方のようだ。

勇者「……あー、復活したか」

 首と顔を確かめながら呟く。加護はいまだ健在のようだ。

狩人「おはよう」

勇者「どれくらい寝てた? ここは?」

狩人「おばあさんの転移魔法で、森の中。四時間くらいかな、復活までには」

勇者「そっか」

狩人「大変だったんだから」

勇者「いっつも迷惑をかけるな」

狩人「女の子は吐きまくってグロッキーだったし、宿屋には泊まれないし」

勇者「埋め合わせは、必ず」

狩人「別に、いいけど」プイッ

勇者「あの、狩人さん?」

狩人「なに」

勇者「腕を抱きしめてるのは、なぜ」

狩人「……」ギュッ

勇者「……なんだよ」

狩人「辛そうな顔してたから」

勇者「夢を見てた」

狩人「いっつもだね」

勇者「うん」

勇者「夢の中で、俺の冒険を俯瞰してるんだ。どんどん仲間を使い捨ててきたよ」

狩人「大丈夫だから」ギュッ

勇者「お前もいつか死ぬだろ?」

狩人「死なない。逃げる」

勇者「……」

勇者「ていうか、あのばあさんとガキは?」

狩人「薪を集めにいった。慣れてるみたい、野営」

勇者「すげぇばあさんとガキだな」

狩人「うん……」ギュッ

勇者(あったけぇ……勃ちそう)

狩人「楽したでしょ」

勇者「え?」

狩人「女の子と戦ったとき。死んだほうが早いって」

勇者「あれはダメだ、勝てない。逆立ちしても無理。負けイベントだな」

狩人「やっぱりそうだったの?」

勇者「対峙してわかった。ありゃ化けもんだぞ」

勇者「まぁ、負けるが勝ちってな」

少女「そういうのはずるいと思うけどねっ」

 振り向けば、鎚を背中に背負った少女が立っている。手には大小の木の枝。
 恐らく焚火にするつもりなのだろう。

少女「びっくりしすぎて涙出てきたんだからっ!」

勇者「だってお前強すぎるんだもん」

少女「ふんっ。そりゃそうだよ。だから魔王倒しに行けるんだし」

勇者「ていうか、バ……おばあさんは?」

老婆「ここにおるぞえ」

 背後から節くれだった指が勇者の頬を撫でた。
 性的なにおいのする愛撫に、全身が鳥肌を立てて拒絶する。

勇者「ギャーッ!」

勇者「な、なにすんだ!」

老婆「ひゃひゃひゃ。たまには若い男に触らんと長生きできんのよ」

 老婆もまた枝葉を抱えていた。それをまるで重そうに狩人へと渡す。

狩人「ありがとうございます」

老婆「なに、そう大した手間でもない。若者も元気そうで何より」

老婆「で、若者。ひとつ聞きたいんじゃが……」

老婆「お前のその蘇生、一体全体、どういう理屈じゃ?」

 深い皺の刻まれた表情に一瞬だけ狂気の色があらわになる。
 老婆は目を剥いて、食い入るように勇者から視線を逸らさない。

老婆「蘇生魔法は遥か昔に失われておる。その加護、神代のにおいがするなぁ……?」

老婆「お前に目を付けたのはそれのためよ。なぁ、若者。実に興味深い」

勇者「あんまり顔を近づけないでくれ。加齢臭がやばい」

老婆「あまりつれないことを言うなよ」

 指が勇者ののど元に突き付けられる。
 老婆の爪は、なぜかその一本、右手の人差し指だけが、やたらに長く鋭い。
 皮膚に爪が押し込まれる。血こそは出ないが、かなりの力だ。

 ぞわり、としたものを、勇者は背筋に感じた。

老婆「お前の腹を捌けばわかるかもねぇ?」

少女「おばあちゃん!」

 鋭い声。
 老婆が振り向くよりも早く、背中へと短刀の刃があてがわれる。
 狩人が持っていた木の枝が、ばらばらと音を立てて落ちた。

狩人「冗談だとしても笑えない」

 相も変わらずに朴訥な声で狩人は言った。底冷えのする眼光を伴って。
 少女はその時漸く、いけ好かないあの男と行動している女が、なるほど確かに狩人なのだと気が付かされた。

 老婆は「ひゃひゃひゃ」と一転軽く笑って立ち上がる。
 そうして深々と下がる、彼女の頭。

老婆「いや、なに。すまなかった。悪ふざけが過ぎたようじゃ」

狩人「……そう」

 短刀を鞘に納めて狩人は息を吐く。それだけで幾分か空気が弛緩するようで。

少女「もうおばあちゃんなにやってんのっ!」

老婆「老い先短いババアの戯言だと思って、大目に見てくれ」

勇者「……とりあえず、ご飯食べない?」

 日もとっぷり暮れ、月影すらも見えない曇天が、群青と薄灰に空を染める。

 木の陰ではそれぞれが眠りに落ちている。

 老婆の魔法で毛布の類が手に入ったのは僥倖だった。
 これまで野営といえば地べたに横になるだけで、疲れがまったくとれなかったのだ。

 勇者は石に腰おろしながら独り、火の番をしている。
 火勢が弱くなれば木の枝を放り込む。三回やれば交代だ。

 行先は勇者に一任された。女性三人はこぞって経路に興味がないためである。
 それでいいのかと思ったが、いいと言う。ならば仕方がない。

 さてどうしたものかと彼が考えていると、思考を邪魔するかのようにぱちんと火の粉が弾け飛んだ。

 食事などを通して、老婆や少女との仲はだいぶ近づいた気がする。
 とはいえ先の老婆との件を考えると空恐ろしいものもあったのだが……。

 と、不意に遠くのほうで人の声がした――気がした。
 昼間の村からそう離れていないとはいえ、ここは魔物の出る森の中。村人がおいそれと入ってくるはずはない。

 炎を見つけて近寄ってきた旅人だろうか。
 それとも。

勇者「……」

 唇を舐めて湿らせる。
 木々の隙間から、影が見えた。

 飛び出す。

 木のあるところで長剣など振り回していられない。短剣を腰から抜いて、弧を描きながら接近。

 相手がこちらに気が付く――前に二、後ろに一……否、後方にもう一人いた。

??「誰だっ!?」

 野太い男の声だった。

 無論答えるはずもなく、肉薄、前衛の脇をすり抜けて、中衛の喉笛へと刃を充てる。

勇者「それはこっちの台詞だ。夜盗か? 俺の前に姿を見せろ」

 人質はどうやら女のようである。質のいい鎧を身に着けているが、匂いと柔らかさが女のそれだ。
 鎧? 勇者は眉間にしわを寄せた。こんなものを拵えた夜盗などいるものか。
 しかも女は儀式杖を手にしている。これはもしかすると。

 暗がりから光源魔法が唱えられた。
 わずかにあたりが照らし出され、その場にいた人物の姿が浮かび上がる。

兵士1「そいつを離せ」

 屈強な兵士だった。鎧には王家の紋章が刻まれている。

兵士2「我々は王立軍の者だ。この紋章がその証」

勇者「知っている」

 嘗てともに旅をした騎士が持っていた武器防具にも、同じ紋章が刻まれていた。
 古い記憶だが忘れるはずもない。

 誤解を招いても困る。勇者は女兵士の首からナイフを離し、解放してやる。

勇者「こちらはただの旅人だ。手荒な真似をしてすまなかった」

 非礼を詫び、短剣を鞘に戻す。

兵士1「いや、いいんだ」

勇者「王立軍がたった四人で夜の森を抜けるだなんて、何があった?」

兵士3「極秘事項だ。それを答えることは許可されていない」

勇者「じゃあ、代わりになんだが、この辺で魔物の噂を聞いたことはないか?」

兵士2「ないな」

女兵士「わたし、あります、ケド」ビクビク

女兵士「この森を西に抜けると、町があります。わたしの故郷、ですケド」ビクビク

女兵士「そのそばに小さな集落があって、洞窟があって、困ってる、みたいな」ビクビク

勇者「(完全に怯えてるな)……そうか、ありがとう」

兵士3「では、我々はこれで失礼する。我々と会ったことはくれぐれも他言しないように」

 ざく、ざく、ざく。四人の兵士は土くれを巻き上げながら、夜の森を行進していく。

勇者「小さな集落、ねぇ」

少女「無茶するね」

 木にもたれかかる格好で少女が立っていた。肩に毛布を掛けている。
 右手に鎚を握っているところを見ると、もしや加勢に入ろうと思ったのだろうか。

少女「無礼を働いたってことで殺されたらどうするのよ」

勇者「生き返るからいいさ」

少女「もっと自分を大事にしたら? ひねないでさ」

勇者「そんなつもりはないんだけど」

 よもや五、六は離れている少女に言われるとは思わなかった。

少女「結構戦えるじゃんっ」

 少女は不満気味に、ぶっきらぼうにそう言った。
 そのしぐさがどうにも年相応だったので、笑いをこらえきれず、勇者は噴出してしまう。

少女「ちょっとちょっと、なんなのよっ」

 胸ぐらを掴み掛らん勢いで少女が勇者に迫る。
 この男がなぜか気に食わなかった。魔王を倒そうと息巻く癖にどうもひねているというか、厭世的なところが、特に。

 それか、逆か。
 厭世的でひねているくせに、魔王を倒そうとしていることが理解できないからか。

 少女は「ふん」と鼻を鳴らして、鎚を突き付けた。

少女「結果的に一緒に行くことになっちゃったけど、勝負、あれ、認めないから」

少女「魔王倒す足手まといにだけはならないでよねっ」

 それだけ言うと、肩を怒らせながら木の向こうに消えていく。

勇者「そうだ、悪かったな」

少女「なにが」

勇者「あー、なんだ。俺を、殺させて」

 少女の顔が引き攣った。
 反射的に少女が口元に手をやるが、体は止まらない。

少女「――――ッ!」

 びちゃびちゃと耳障りな音を立てて、指と指、手と口の隙間から、得体の知れない液体が零れ落ちる。
 鼻を突く酢酸の臭い。

 少女はえずきながら頽れる。その間にも隙間から吐瀉物が零れ落ちていくのだった。

勇者「な、おい! 大丈夫か!」

 そんなわけはないのである。あまりにもわかりきったことしか言えない自分に、勇者は心底腹が立つ。

 吐瀉物に塗れるのも構わず、勇者は少女に駆け寄った。
 が、しかし。

少女「大丈夫よ」

 あくまで毅然に少女は言った。汚れた口元を袖で拭い、手のひらは地面へこすり付ける。
 目には涙こそ浮かべているが、その瞳の鋭さと言ったら!

 そんなわけがあるか、と勇者は思った。けれど同時に、少女もまた心の底からそんなわけがあるのだ、と思ってもいた。

 少女は何よりも目の前の男に心配されるのが殊の外業腹だったのだ。
 命を粗末にする人間は嫌いだった。

少女「みっともないとこ、見せたわね」

 唾を二回吐き出して、少女はようやく立ち上がる。

少女「寝るから。ついてこないで。おやすみ」

勇者「嫌われてる、なぁ」

 答えなどが降って落ちてくるわけもなく、ただ夜は過ぎていく。

――――――――――――――――

 どすん、と地面を鳴らし、魔物が倒れた。
 凶暴に変化した大猿だ。二人のときは苦戦した敵も、倍になればその限りではない。
 というよりも、老婆と少女があまりにも拾いものであった。

老婆「もう少し数が出てくれば本気の出し甲斐があるってもんだけどねぇ」

少女「アタシまで吹き飛ばさないでよ、おばあちゃん」

勇者「信じらんねぇなぁ」

 少女は服に返り血がついてしまったと嘆き、老婆は仕方ないという風に時間遡行の魔法をかけている。
 日常と死線の境界はもはや曖昧だ。

 そしてもう一人、マイペースな人間が。

狩人「……」ザクザク

 狩人は黙々と猿の毛皮を剥ぎ、肉を手ごろな大きさに切り取っていた。

狩人「筋が多くてだめかも」

勇者「今日中には村だ。保存食はいいよ」

狩人「燻製……」

少女「なんか生き生きしてるね、狩人さん」

勇者「狩猟採集民族の血が騒ぐんだろ」

勇者「っていうか、老婆、あんたの転移魔法で村までいけないのか?」

老婆「行ったことのある地点にしか行けないんじゃよ」

勇者「思ったより使えないんだな」

老婆「」ペロン

 老婆の舌が勇者の頬を這いずる。

勇者「――――!!!!!」

 ゆうしゃの わかさに 15の ダメージ !!

老婆「そう、こんなことにしか使えないんじゃよ、うひゃひゃひゃひゃ」

勇者「老けた老けた俺今絶対老けた若さが! 童貞失った時より歳食った気分!」

狩人「何気に爆弾発言」

老婆「ほれ、立ち止まっていないでしゃきっと歩け」

勇者「誰のせいだよ、誰の……」

少女「でも、もうそろそろ着くころだよね、きっと」

狩人「たぶん。植生が変わってるから」

少女「植生? そんなのわかるんだ」

狩人「奥に行けばいくほど、葉っぱの大きい植物になるから」

老婆「この辺は手のひらサイズじゃし、ピクニックも終わりじゃな」

勇者「そんな気分だったのかよ」

老婆「何よりも重要なのは精神じゃよ」

狩人「……?」

 数度鼻をヒクつかせると、あらぬ方向を狩人が向いた。

勇者「どうした」

 勇者が声をかけるが、彼女の顔はあさってを向き、虚空を睨みつけている。

 応えを出さず、駆け出した。

狩人「早く!」

 木と木の間を華麗にすり抜け、森の奥、光のほうへと消えていく。

勇者「行くぞ」

 剣を鞘に戻しながら言った。

少女「ど、どうしたの?」

勇者「知るか。ただ、前にもこんなことがあった。――嫌な予感がする」

少女「おばあちゃんっ!」

老婆「はいはい、行きますよ」

 三人はすでに遠く離れた狩人を追う。
 姿こそ見えないけれど、下草を踏み倒した跡が彼女の行先を告げていた。

老婆「と、年寄りを、いた、わ、らんかぁ……」

勇者「自慢の魔法でなんとかしろ!」

 光がだいぶ強くなってくる。
 視界のかなたには森の切れ目が見えた。

 そして、感じる異変。

勇者(なんだ、この臭いは?)

勇者(まるで何かが焼けるような……)

 光の中へと飛び出す。
 明るさに一瞬目が眩んだが――そこで三人は、明るさが昼間の太陽だけでないことを知った。

 町がひとつ、黒煙をたなびかせながら炎に包まれているのである。

勇者「ばあさん!」

老婆「わかってるよぉっ!」

老婆「一週間分の飲料水、全部ぶちまけてやるよっ!」

 人差し指を向けると町の上空に大きな亀裂が走り、そこから大量の水が降り注ぐ。

 水の蒸発する音が一面に響き、けれど、火勢は一向に弱まる気配を見せない。
 十数メートルほど離れていても熱気が伝わってくる程度なのだ。

勇者「もう終わりか!?」

老婆「ババア扱いの悪いやつだねぇっ! ただの転移魔法にどれだけの効果があると思ってんだい!」

老婆「近くに湖でもあれば……」

 水源は探せばどこかにあるはずだが、そんな暇も土地勘も、今の三人にはない。

少女「なんで、なんでこんなっ……あっ! 狩人さん!」

 少女の視線をたどれば、確かに狩人がいた。
 一枚隔てて炎の燃ゆる塀のそばで、呆然と立ち尽くしている。

 いや、足元に誰かが倒れていた。

勇者「これは……昨日の」

 倒れていたのは、昨晩勇者に人質に取られた女兵士であった。
 顔こそ見ていないが、紋章の付いた鎧と儀式杖は見間違えようもない。

狩人「嫌なにおいがした。やっぱりだ」

 それは果たして、煙の臭いなのか、死の臭いなのか。

 勇者は少女を見た。それこそ漏らすのではとも思ったが、予想に反して、少女は眉根を寄せている。

勇者「ほかにだれかは?」

狩人「それは、どっちの?」

 その返しで勇者たちが愕然とするくらいには、不幸なことに彼らは理解力があった。

 彼女はつまりこう言いたいのだ。生きている者を指しているのか? 死んでいる者を指しているのか? と。

 すなわち、死体がこれだけでないことを暗に意味している。

勇者「何人死んでた」

 直截的に尋ねる。彼女はこういうとき、はぐらかしたりしない。
 すぐに応えはあった。

狩人「町の周囲にはぐるっと八人。あと……十二匹? くらい」

 匹。
 勇者は改めて確認するように、ゆっくりと問う。

勇者「魔物、なのか?」

狩人「可能性は高い。魔物が襲ってきて、応戦して、こうなったのかも」

老婆「勇者よ、この近くには魔王軍の駐屯基地がある。そこからでは?」

勇者「かもしれないけど、わかんない。保留だ。とりあえず生存者を探す」

少女「……」

 じっとこちらを見てくる少女に対し、勇者は怪訝な顔をした。

勇者「なんだ」

少女「いや……アンタ、こういうこと気にしなさそうなのにな、って。ごめん。忘れていいよ」

勇者「人が死ぬのは悲しいだろ」

 それは紛うことのない正論であった。少女は黙って炎を見つめる。

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