響「今ここにいる奇跡に」 (50)


・戦後70周年に触発されて

・やや後ろ暗い内容も含みます

・艦これSS初+ゲームは触った程度です

・設定の誤認(呼び名など)があったときにはご指摘くださいませ

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1439297495


夕暮れどき、大きな半島と離島の狭間、粉雪降りしきる冬の日本海を進む船影が一つ。
北の大地の言語で『信頼』と名付けられた旧式艦船。
その周囲でふいにいくつもの水しぶきが上がる。四方で生じた白波がスマートなフォルムを揺さぶる。


「стрелятьー(アゴー)!!」


雄々しい叫び。観測射撃の着弾点を視認したのち、照準を改める優秀な軍人たち。
手際よく再装填された鋼の弾が砲口から飛び出す、緩やかな弧を描いて船に迫る。
着弾、轟音。防御甲板がひしゃげる、船上甲板がめくれ返る、艦橋の一部が吹き飛ばされる。
砲撃音が発せられる度に大きく震える船体、各所から火の手が上がる、紅蓮の炎に包まれる、灰から蘇る不死鳥のように。


「大丈夫だよ、わたしは一人でも」


痛みと熱に身を蝕まれながらも、少女は自らに言い聞かせ続けてきた呪文をささやいた。
頼もしき乗組員たちの勇敢さと悲哀。南洋の海に散った大勢の仲間、姉妹たち。
多くの生と死を見届けてきた者に課せられた責任と義務を、ようやく手放す日が来たのだと思った。

満身創痍の船体、亀裂がみるみるうちに広がる。海水が船内になだれ込んでくる。
辛うじて保たれていたバランスが失われる、細長い舳先がゆっくりと天に向かう。

「ああ……、なんて、綺麗なんだろう」

火の粉と白雪に彩られた幻想的な空の下、少女は泡の棺に抱かれ、眠るように目を閉じた。

彼方に閃く砲火が、自分を仲間たちの元へ送り出してくれるのだと、そう信じて。

 19××年。某国の株価の大幅下落を発端に壊滅的な打撃を蒙った世界経済。
 買い手がつかず山となった不良在庫。債務不履行を恐れて銀行が資本の抱え込みに走る。
 滞る企業への融資。連鎖的に倒産していく商社。街に溢れ返った失業者。高まる国民の不満。
 財政の復旧に努めようと苦心惨憺する政治家たち、資本家たち。打ち出される急場しのぎの施策。
 代償として切り捨てられていくもの。その筆頭――外交政策。

 先進各国――国民の不満を国外へ転嫁しようと画策。
 失業者対策として手頃な敵対国を欲する、有り余った物資を加速度的に消費するため。
 なされた挑発的行為の数々――輸出入の差し止め、融資の差し戻し。
 加速度的にきな臭くなっていく国際情勢。もはや戦争は避けられないといった空気が漂い始める。

 そして――すべてを覆す分岐点へ。

 ある時期を境に、太平洋を航行する貨物船舶、旅客船、遠洋漁船の沈没が相次いで報告される。
 敵対国の暗躍を疑い、先進諸国から調査と銘打って派遣された駆逐艦、軽巡洋艦。そのことごとくが沈められる。
 異変が人ならざる存在によってもたらされたのだと気づくまでに、さほど時間はかからなかった。
 救命ボートで運よく近くの島に流れ着いた船員、軍人たちの証言。
 感情的、虚無的。支離滅裂のようでいながら一致する証言。


『見たこともない化け物が襲ってきた。海に投げ出された全員、あいつらに食われちまった』


 各国の重鎮たちの思考。何も戦う相手が人間である必要はない。
 対外影響力の大幅増進を目論み、化け物の討伐軍が編成される。
 当時としては最高峰の電波探信儀(以下電探)、砲撃兵器を艦載した軍船。
 その乗組員。大国の師団に属し、あるいは渡り合った歴戦の兵士たち。
 幕僚たちの激励を受け、海へ送り出される大艦隊の威容。水平線に収まり切らぬほど。見送る人々の大歓声、化け物たちの駆逐を確信。

 その数週間後、軍務大臣の執務机に山と積み上げられた書類――敗戦報告書。
 被害規模、遺族補償、傷病者手当ての試算、桁違いの数字、卒倒の大敗北を喫する。


 『深海棲艦(しんかいせいかん)』。

 生き物と無機物を掛け合わせたような異様さ。
 その造形がどこか船に似ていることからつけられた呼称。
 海には何物も浮かばせぬとばかりに片っ端から船を沈め、人をも食らう化け物たち。
 その猛威は止まるところを知らず、遠洋のみならず近海での出没が確認されるようになる。

 細切れにされたシーライン。同盟国間の連携。
 太平洋、インド洋、大西洋、地中海、北極海――もはや安全な海域は存在せず。
 多くの漁師――廃業を余儀なくされる。観光業の衰退――白い砂浜から海水浴客とゴミが消え失せる。

 拡大していく被害――世界の最先端を行くと自負する某国の試み。
 開発中の航空機を軸としたエアラインの新規開拓に乗り出す。一年を待たずに頓挫する。
 離島への食糧支援のために飛ばした輸送機が、小型の未確認飛行物体によって相次いで撃墜されたがため。
 敵の行動範囲は海のみならず空にまで及んでいた。

 敵艦載機の性能――護衛戦闘機をものともしない取り回しと火力。
 傷つけられるや我が身を惜しまず相手の動力部目掛けて突っ込んでいく攻撃姿勢。
 機動性、耐久力、数量のいずれを比べても太刀打ちできず。

 先進各国の動き。新武器の開発に一縷の望みを見出すも、費用の捻出が叶わず設計図の大半は眠ったままに。
 滞る物資の輸送、生産能力の低下、経済の低迷に伴い、衰退の一途を辿る枢軸国。
 各々が事態の打開を目指すも満足な成果は上げられず。居住区域――海岸線から遠ざかるばかり。
 さらなる追い打ち――内陸部へ追いやられた人間たちを嘲笑うかのように空襲が始まる。


 目についた人工被造物を片っ端から爆撃し、海へ向かって悠然と飛び去っていく異形の群。
 後に残された光景。瓦礫の下敷きになった者。火に焼き出された者。
 時を置かずして、家屋を失った者や身寄りをなくした子どもたちが、ターミナル駅周辺や地下道に溢れ返る。
 生活の困窮――物価の高騰、食料の暴騰。買い物に出かけて物乞いの声を聞かぬ日はなくなる。
 大八車に折り重なった、あばら骨の浮いた大人、子ども。まとめて火葬され、共同墓地に埋葬される。

 思考停止に陥った首脳たち。彼らに見切りをつけた側近。
 一族郎党を引き連れて海から最も離れた地、中央アジアの国々に亡命。
 地方都市――食料供給のあからさまな格差に憤る市民たち。
 やがて度々暴動が起こるようになる。そのほとんどが鎮圧される。双方に怪我人と犠牲者が出る。
 より険悪になっていく官民の関係。治安の著しい悪化を招く――世界中。

 抜け出せぬ負の連鎖。台頭、失脚を繰り返す為政者。入れ替わり立ち代わる内閣の顔ぶれ、年に数回のスパン。
 定まらぬ政治。選挙、方針転換の度に混乱し、振り回される官僚たち。
 普遍的な政策の立案、施行さえ困難な状況に陥る。上に立とうとする誰も彼もが支持を失う。

 ある意味納得の事象。世界滅亡を説く類の、自称救世主が蔓延る。
 深海棲艦を神と仰いでありがたがる信者たちが現れる。
 国の対応――求心力の低下を食い止めるべく、官憲に勧誘の取り締まりを強化するよう命じる。

 そんなかつてない混迷期にあって、ある朝、人々の目を釘付けにするニュースが舞い込む。


 『帝国海軍、深海棲艦を撃退か』


 地方紙の一面。戦端が開かれて以来ほとんどなかった、無傷での戦果報告例。
 情報の真偽を疑う者は決して少なくなかった。
 本当にいるかもわからぬ勝利の立役者――皆がいかつい軍人の姿を想像した。

 だがしかし、事実は違った。


「いったい何の茶番だね、これは」

黒服の護衛をはべらせた初老の男が、傍らに立つ白衣の男を憮然と見据えた。
呉鎮守府に併設された軍港。大型艦船が行き来できるよう十分な深度設計がなされた開放的な湾内。
その中央付近――両足で水面に立つ少女たち。

「お忙しい中よくおいでくださいました、閣下。ささ、どうぞこちらにおかけ――」

「室長」遮るように男が言った。

「吾輩の記憶違いでないなら、今日は新兵器のお披露目だという名目でここに呼ばれたはずだが」

「はっ、実戦を直接ご覧いただくのは危険ですので、提督のお二方に無理を聞いていただきまして――」

「そんなことを訊いているのではない。憎き化け物どもを撃退した新兵器とやらが、いったい何処にあるのかと問うておる」

声に含まれる苛立ちの成分。
どちらを向いても湾内に艦影らしきものは見当たらず。
二手に分かれ、向かい合うように並び立つ少女たちの他には。

「あの、おそれながら」

「なんだ」

「何と申しましょうか、今閣下がご覧になっているあの娘どもが、まさしくそれでございまして」


「……なんだそれは。貴様、吾輩を馬鹿にしておるのか」

「い、いえ! けしてそのような――」

 不満をあらわに折り畳み椅子にどすんと腰を下ろした男。軍服の内ポケットから葉巻を引っ張り出す。
 黒服の一人が颯爽と前に進み出、手慣れた動作で火をつけ、ひどく丁寧に差し出した。
 炙られた先端が薄らと紅い炎を湛えたのを見、男は逸らしていた顔を再び海に向けた。

「海軍の兵器開発に当たっては、吾輩も一度のみならず協力した。
財務官どもが出し渋っていた研究開発費にも融通を利かせるようあの手この手で取り計らってやった」

「は、はい、左様で。閣下には感謝の言葉もございません」

「にもかかわらず、貴様はあの娘たちが海軍の虎の子、切り札だとほざくのか?
研究所に引きこもっている間に化学物質で頭をやられていたとは思わなかったな」

 たっぷりと煙を吐き出した男に、室長は咳き込みもせず、ただただ苦笑いを浮かべた。

「あ、あの、お疑いはごもっともだと存じます。私自身、この目で確認しなければとても信じられなかったでしょうし」

「疑う以前に、ナンセンスだ。最新鋭の戦艦や重巡洋艦が手も足も出なかった化け物どもなのだぞ。
吹けば飛びそうなあの小娘どもがどうやって対抗したというのだ」


「あの、それを申しましたら、深海棲艦とて姿形は必ずしも大きくありません。
どころか、中には等身大の女性に似ている者さえいると聞いております。
にもかかわらず、我々が敗北を喫しましたのは――」

「口を慎め、馬鹿者が」

「……は?」

「敗北ではなく戦略的撤退だ。帝国は未だ彼奴らに膝を屈したわけではない。門外漢の貴様に戦術の何がわかる」

「し、失礼いたしました」

 差し出された灰皿に短くなった葉巻が押し付けられる。残り火をすり潰すのもそこそこに中指で弾き出される。

「……ふん、それで?」

「それで、と申しますと」

「話の続きだ。貴様は実際に、その光景を見たのか? あー、つまり」

 そこで男が言葉を濁し、どこか居住まい悪そうに顎をしゃくった。


「口にするのもあれだが、あの娘たちが、ごほんっ、深海棲艦に、勝利するところを?」

「はっ、演習にご協力いただいた提督の船に同乗させていただきまして、しかとこの目で」

 手揉みしながら室長が続けた。

「日々激務に身をやつされている閣下を確証なしにお呼び立てするような蛮勇は、私ごときには備わっておりません。
無論、偉大なる帝国への敬意は微塵も損なわれておりません」

「……なるほど、揺るがぬ忠節は万金にも値しよう」

「はっ、光栄であります」

「しかし、奇妙な絵面だ。あの娘たちはどういった原理で海に沈むことなく浮かんでいられる?
まさか全員が忍者の末裔などということは――――おい、誰か今、笑わなかったか?」

 吹き出すような音に反応し、男が後ろを振り返った。護衛たちのいたって真剣な表情がそれを出迎えた。

「未だ解明されていない機能も多いようですが、少なくとも彼女たちが普通の人間でないことはお分かり頂けたかと思います。
もしお叱りの言葉があるようでしたら、演習後でしたらいくらでもお受け致しますので」

「ほう、抜かしよる。では見せてもらおうか。貴様のいう、成果とやらを」


「十五〇〇(イチゴーマルマル)から始めろだとさ。各自警戒待機」

「了解。いつもと勝手が違うかもしれませんが、気を引き締めていきましょう」

 頭の後ろで手を組む少女。ざっくばらんなショートボブ、ボーイッシュを通り越した漢口調。重巡艦娘、摩耶。
 その横で長い髪を撫でつける少女。丸底レンズの眼鏡越しに柔らかな眼差し、豊満な体つき。摩耶の妹艦、鳥海。

「はぁ~。なーんでわざわざ艦娘同士で戦わなきゃいけないのよぅ」

 聞くだけで気が抜けそうな声、その発生源。左右二結びの髪と両腕を力なく下げ、水面を恨めしそうに見つめる少女。

「諦めろ瑞鶴。俺らが戦力としてやってくにゃまず先立つものが必要なんだ。金と潤沢な資源ってやつがな」

「提督も乗り気ではなさそうでしたけど、うちに限らず鎮守府の経理は火の車ですからね。
スポンサーの協力を得るためには、体を張ったキャンペーンの必要も出てくるのでしょう」

 摩耶と鳥海の言い包めに、瑞鶴は不満げに頬を膨らませた。


「お偉いさんへのパフォーマンスが大事だってのは、まあわかるわよ。
けど、ちょっと外海に出れば敵だってわんさか出てくるはずでしょ」

「それは、ですが、実戦ではどうしても不測の事態が有り得ますし」

「不測の事態って、たとえば?」

「たとえば――もし敵に空母型がいて、もし混戦の最中に敵艦載機の打ち漏らしとかがあって。
もしそれがお偉いさ……コホン、将校閣下の側に向かったりしたら」

「もしもしもしって、そんなひっくい可能性にまで気を回さなきゃいけないほど、あのおっさんの命は重くて尊いワケ?」

「おい、瑞鶴」

 不敬ともとれる発言に、摩耶が眉を潜めた。

「なーんか納得いかない。うちの提督さんは自ら船に乗って最前線で戦ってるってのに、あいつらときたらてんで――」

「口を慎みなさい、瑞鶴」

「――ッ。しょ、翔鶴姉!」

 瑞鶴が振り向いた先、腰に手を当てている白髪の少女。


「あなたの今の発言が何かの弾みで外部に漏れてしまったら?
悪い立場に立たされるのはあなたではなく提督。それくらいわかるでしょう?」

「……それはわかってる、けど……だからといって納得できるかは別だもん」

 なおも口を尖らせる妹に翔鶴が額を抑える。

「もう、この子は、少しは成長してきたかなと思ってたのに」

「まあまあ翔鶴、瑞鶴の言い分もわからんじゃないさ。
それに、誰かさんが考えなしにこうやって口にしてくれることで
ちっとはあたしらの不平不満が解消されてる向きもあるんじゃねえか?」

「なーによそれ、馬鹿にしてるの?」

「褒めてんだよ、馬鹿」

「今馬鹿って言った!」

「言葉の綾ってやつだな。しっかし頼もしい限りだよな?
泣く子も黙るあの面子を前にして、んなくだらねえこと気にしてられる図太さはさ」

 行儀悪く鼻先で相手チームを示す摩耶に、瑞鶴が口をつぐんだ。

 ――そうだ、今日の演習の相手は。


「……ッ! 摩耶、赤城さんたち、動き出しましたよ」

 鳥海の声に一斉に引き締まる三者の顔。

「一五〇〇きっかり。さっすが、時間にもお行儀がおよろしいことで。
んじゃ、ま、胸借りるつもりで頑張るとすっか」

 赤城、加賀、高尾、愛宕、一航戦の面々。艦娘きっての精鋭たち。
 彼女たちの支援の頼もしさは、敵に回したときの厄介さに直結する。

「はあ、決まっちゃった以上はしょうがないか。手ぇ抜いてみんなに迷惑かけるのもなんだし」

「おう、いい心がけだ。不本意な戦いだろうと相手にとって不足なし。
足りねえところを見つめ直す機会にできりゃ災い転じてなんとやらさ」

「それもそっか」

「そうそう。それにだ。ミスお澄ましこと加賀を慌てさせる数少ねえチャンスでもあるんだぜ?」

「そう――――確かにそうね! その通りだわ!」

みるみるうちに闘志を燃やす瑞鶴。その横であからさまな溜め息をつく翔鶴。


「ちょっと摩耶さん?」

「あん? ……おっと」

「うちの瑞鶴を変に焚き付けないでいただけるかしら?」

「お、おう。こいつぁ摩耶様としたことが、失敬失敬」

 翔鶴のにこにこ顔に怯む摩耶。その隣でくすくす笑う鳥海。

「つーか、こいつもこいつで食いつき良すぎだっての」

「加賀さんと瑞鶴さん、いつも張り合っていますものね」

「ふふん、何とでもおっしゃい。見てなさい、今日こそはほえ面かかせてやるわ」

「今日こそはって、実際にやり合ったことあんのかよ? 勝敗は?」

「つい先日、艦載機の試射でね。的に当てた回数では、その、一歩及ばなかった感じだけど……。
でもでも、皆中はこっちのが二発多かったんだからね!」


「それって、結局どっちが上なんだよ?」

「……さあ――――と」

顔を見合わせていた摩耶と鳥海が、にわかに上空に目を向けた。
相手艦載機の一波目――左右に分かれて接近。

「正攻法で来たわね、上等っ!」

「これが演習だってことを忘れないでね、瑞鶴」

 開幕爆撃を抑えるべく、瑞鶴、翔鶴が同時に弓を構える。
 片目を瞑って狙いをつける翔鶴――開戦前に提督から告げられた一言を思い出す。


 ――回避を重視して損害を最小限に留めろ。ただし、


「できるだけ派手に立ち回れ、でしたね」


「……なんだ、これ」

防波堤に立ち並ぶ男たちが揃って息を呑む。
その眼前――乱れに乱された波、湾内で激化する戦闘。

中距離の間合いで撃ち合う重巡艦娘――機銃さながらの水平掃射を、腕を掲げただけで凌ぐ。
摩耶の対空砲が、編隊を組む戦闘機を次々に撃ち落としていく。
金髪の少女、愛岩の胸部装甲が、高所からの爆撃をあっさりと弾き返す。
相次ぐ空中での爆発。射線から逃れようと、人ではおよそ耐えられそうにない軌道で飛び回る小型艦載機。
そして、それらを意のままに操る四人の少女。

海を横滑りしながらサイドテールの少女が弓矢を番える。対照的な軌道を描きながら瑞鶴が弓矢を番える。
同時に撃つ。放たれた矢が戦闘機へ姿を変える。中空で始まる巴戦。互いが互いの後ろにつこうとする。

「瑞鶴、足元!」

注意を促す姉の声に、考えるより先に体が反応。バックステップの直後、目の前で水柱が生じた。
側面から狙いをつけていた水兵帽の少女――重巡洋艦、高尾の魚雷。


「さんきゅ、翔鶴姉!」

反撃に転じんと手のひらを高尾へ向ける。上空の爆撃機がすぐさま軌道を変える。
瑞鶴の視線の動きを読んだ加賀、上空にいた艦載機が鋭角ターン、高尾と瑞鶴の間に割って入る。
味方の航空支援を受けて後ろへ下がる高尾――咄嗟に頭を下げる。鳥海の砲火がその上を通過、水兵帽を掠めて海面に着弾。
強烈な震動で気絶した小魚たちが一斉に水面に浮かび上がった。

絶え間ない銃声、爆撃、衝撃の波。遠くにあって鼓膜を突き破らんとする砲火の音。
何より、飛び交う火線の中に躊躇いなく身を躍らせ、相手を屠らんとするその闘争心に、目が釘付けになる。

先ほどから唸るばかりの将校。周囲の視線に気づく。いつの間にか自分が椅子から立ち上がっていたことに気づく。
咳払いと同時に帽子を被り直し、ゆっくりと腰を下ろす。
「いかがでしょうか」そのタイミングで室長が声をかける。

「……小回り、火力、耐久性、いずれもケチをつけられんレベルだ。旧来の艦隊で対抗するのは、正直、難しかろうな」

「恐縮です」

へつらう室長、困難ではなく不可能の間違いだという内心を、卑屈さ漂う笑みに紛れ込ませる。

なんだかんこれか


「ちなみに、今回は演習ですので安全マージンを取っているとのことですが」

「なんと、あれでか」

 下顎を撫でる将校――予想以上の好感触に、白衣の男はほっと胸を撫で下ろした。
 これで演習に協力してくれた提督たちへの約定――優先的な資源の配給も果たせそうだと思った。

「唯一の懸念は燃費性能が旧来の船とほとんど変わらぬことでありまして。
あの娘たち一人一人が、現行艦船一隻分に匹敵する資材を消費するとお考えください」

「……うむ、必要資材の捻出は軽い問題ではない。だがしかし、これほどの戦闘能力を発揮できるとあれば……」

「は、はい」

「……よかろう、そちらの言い分はわかった。何とかこちらで都合をつけよう」

「あっ、ありがとうございます!」

 白衣の男が安堵の表情を浮かべ、湾のほうへ向き直った。
 その背後で、列を成していた黒服の一人が音なく前に進み出た。


「よろしいのですか、閣下」

「何がだ」

「確かに、戦力としては申し分なさそうです。が、あのような得体の知れない力――物の怪の類では」

「物の怪でも悪霊でも構わん。今や手段を選んでいられる状況ではないのだ」

 膝の上で手を組んだ将校に、黒服の男が「出すぎたことを申しました」速やかに詫びを入れる。

「よい、吾輩とてそうした懸念がないではない。が……、先の大遠征の失敗で、海軍は多くの人材を失った。
発言力の著しい低下がどのような惨状を招くかは語るまでもあるまい。
我々の権限が奪われるより先に、誰の目にも明らかな成果を示さねばならん」

「では、ついに例の計画を?」

「そうだ、MI作戦を発動させる」

 将校、演習終了を告げられて隊列を組み直している艦娘たちを睥睨するように睨む。口元には不敵な笑み。

「あの娘たちの火力と我々の深謀遠慮をもってすれば、深海棲艦など物の数ではなかろう。
必ずや失われた海域を奪還し、我が帝国海軍の威信を世界に知らしめるのだ」


>>20 訂正


「よろしいのですか、閣下」

「何がだ」

「確かに、戦力としては申し分なさそうです。が、あのような得体の知れない力――物の怪の類では」

「物の怪でも悪霊でも構わん。今や手段を選んでいられる状況ではないのだ」

 膝の上で手を組んだ将校に、黒服の男が「出すぎたことを申しました」速やかに詫びを入れる。

「よい、吾輩とてそうした懸念がないではない。が……、先の大遠征の失敗で、海軍は多くの人材を失った。
発言力の著しい低下がどのような惨状を招くかは語るまでもあるまい。
我々の権限が奪われるより先に、誰の目にも明らかな成果を示さねばならん」

「では、ついに例の計画を?」

「そうだ、MI作戦を発動させる」

 将校、演習終了を告げられて隊列を組み直している艦娘たちを睥睨する。その口元には不敵な笑み。

「あの娘たちの火力と我々の深謀遠慮をもってすれば、深海棲艦など物の数ではなかろう。
必ずや失われた海域を奪還し、我が帝国海軍の威信を世界に知らしめるのだ」


本日は以上です
次回投下は8月15日予定です
書き出しから長くなりそうな悪寒

食蜂のひと?

>>18
言われてみれば響という名のキャラって複数いるようですね
タイトルに【艦これ】つけるべきだったかorz

>>23
です


今のところ登場が多くなりそうな艦娘は響、吹雪、夕立、鶴姉妹、不知火など
アニメ版も、一応4話まで拝見しております

投下を8月16日22:00からに変更します
申し訳ありませんがよろしくお願いします


黄昏時、停車したバスのドアを開ける瑞鶴と翔鶴。
瑞鶴が運転手に送ってくれた礼を述べる。そのすぐ後ろに座っている加賀と目が合う。ふいと顔を逸らされる。
瑞鶴の握り拳が小刻みに震える。

「何してるの? 早く行きましょう、瑞鶴」

「……ふぁい」

姉に促され、口惜しそうに下車する瑞鶴。バスが排煙を残して走り去った。

海と小山が織り成す長閑な風景。そこに一際目立つ長大な建物。艦娘が利用している寄宿舎の一つ。
守衛に証明書を見せ、二人が建物の中に。
手荷物を預けて手洗いを済ませたのち、真っ直ぐ食堂へと向かう。

広間にずらりと並ぶ丸テーブル、学生服姿の少女たち、各々夕食中、談笑中。

「あら、二人とも。おかえりなさい」

入口のほど近い二人掛けの席についていた黒髪の少女が、ナプキンで口元を行儀よく拭い取る。

「おかえりなさい、予定より早かったね」

その対面、銀髪の少女が瑞鶴と翔鶴のほうを振り返り、手にしていたナイフとフォークを皿に置いた。
帰宅したばかりの翔鶴と瑞鶴を見比べ、小首を傾げた。


「ただいま暁、響。預かり役ご苦労様」

「全然! 一人前のレディーならこれくらい楽にこなさなきゃね!」

得意げに胸を張る小柄な少女に、翔鶴が微笑ましげにうなずいた。

「こっちは変わりなかったよ。夕刻までに届いた書類は、保管箱に仕分けしておいたから後で確認してみて」淀みない響の報告。

第六駆逐隊、最新鋭の駆逐艦を表す特型の少女二人。性格は違えどおしゃまな部分は共通。

「気が利くわね、助かるわ」

「いいや。ところで瑞鶴は……小破かな?」

澄んだ水を思わせる薄い青の瞳。巫女服の肩口がほつれているのを認める。

「うぅ、最後の最後でぇ~」

指摘されるや瑞鶴ががっくり肩を落とした。
演習終了が告げられる間際、高所からの執拗な爆撃を避けることに気を取られ、背後から接近してきた愛岩に気づくのが遅れたのだ。


「あなたは加賀さんを意識しすぎ。もっと視野を広く持たなきゃ駄目よ。今後は戦いの規模だって大きくなっていくんだし」

「うーん、今日は調子悪くなかったんだけどなー。体だってしっかり動いてたし」

「彼女たちと比べたら、わたしだって至らない点が多いわ。また次頑張ればいいじゃない」

「あなたたち二人がまだまだって、もしかして今日の相手は」暁が疑問を差し挟む。

「お察しの通り、一航戦よ」

「なるほど、無傷じゃ済まないわけだ」

 合点がいったというふうにうなずく響。艦娘たちの中でも頭一つ抜けた面子が揃う部隊、一航戦。
 多くの新造艦が建造されるまでの間、領海を守り通した歴戦の兵たちで構成される。
 一航戦と五航戦の張り合い。もとい瑞鶴と加賀の張り合い。その認知度、艦娘たちの中で知らぬ者はほとんどいない。
 反面、赤城と翔鶴は割に折り合いがよく、談笑している姿を見かけることも多い。

「相変わらず仲悪いんだ? 顔を合わせる機会がそんなに多いわけでもないのにね?」

心底不思議そうな顔で食後の紅茶を啜る暁。

「向こうからいちいち張り合ってくるのよ。しかも言うに事欠いて提督の前で『五航戦の子たちと一緒にしないで』とか!
 冗談じゃない、こっちだってアンタなんかと一緒にされるのは願い下げよ!」

「あははは、今の口真似結構似てたかも」

 暁、笑ったあとで口元を手で覆うのを忘れていたのに気づく。こんなことじゃいけないとばかりに首を振る。
 幼さの残る容姿とは裏腹に一人前の淑女を目指す暁、その涙ぐましい努力。


「そういえば、赤城さんの方にも昨日新造艦が来たみたい。確か、吹雪さんだったかな」

「徐々に戦力が出揃ってきたね。だとすると、南への遠征も近いのかも」

 翔鶴の話を聞き、頬に片手を当てる響、思考中の仕草。

「間違いなく、計画は立案されているでしょうね。いつ実行するのかはわからないけど」

「本格的な戦闘は、これからってわけね」

 真剣な表情の翔鶴と暁。瑞鶴と響が決まり悪そうに顔を見合わせる。

「ああ、そうだ響、明日訓練に付き合ってもらえない? 護衛艦も含めての立ち回りをチェックしたいんだけど」

「ごめん瑞鶴。ちょっと予定があって、明日から三日ほどお休みをもらってるんだ」

「あれ、そうだったんだ。どっか出かけるの?」

「舞鶴だって。知り合いのお爺さんに会いに行くんだそうよ」暁の補足。


「へえ、知り合い。そういえばあっちにも鎮守府があったわよね? そのお爺さんも軍の関係者?」

「ん……、まあそんなところかな。新造された直後にちょっとご厄介になったことがあって。
 ドッグが空くまでもうしばらくかかりそうだし、ならちょうどいい機会だと思ってさ」

「ああ、今扶桑さんが入ってるのか。そういう事情なら、わかった。ゆっくり骨休めしてきなさい」

「ありがとう。この埋め合わせは必ずするから」

響がフォークに刺さっていた最後の肉を口に運び入れ、懸命に咀嚼。空になった食器類を手際よくトレイに乗せて立ち上がる。

「お待たせ暁。じゃあ二人とも、お先に」

先んじて食事を終えていた暁と一所に響が立ち去る。

「瑞鶴って、響と仲良かったのね」

「ん……、あの子とは色々と共通点が、ね」

「共通点? あなたと響に?」そんなものがあるのかと言いたげな翔鶴。

「そ、それより、わたしたちも早くご飯食べよ! たくさん動いたからお腹ぺっこぺこだよ!」

「きゃっ! ちょっと瑞鶴、いきなり押さないでってば」

「いいからいいから!」

 姉を急かして給仕スペースに誘導する瑞鶴、その胸に押し隠した感情。
 当人を前にしては語れぬ共通点、その最たるもの。
 かつて姉を失った者たちが遭遇した悲劇と悪夢。


本日は以上になります
次回投下は8月21日22:00予定、投下量はここまでの倍ほどを見込んでおります
よろしくお願いします


「こちらからの報告は以上です」

「うむ」

物資運搬の貨物列車に乗り継ぐさい、待機していた連絡員から集合場所の変更を告げられる。
それから三時間後――。

日が暮れた京都中央、古くからの寺院がひしめく区画。
青竹と高い塀に囲まれた屋敷、知る人ぞ知る老舗料亭。
長い長いヒノキの渡り廊下を進んだ先、中庭に突き出した和室。
座敷の三つ角に照明、ぼんぼり。中央に長卓。所狭しと並べられた料理。
海鮮かき揚げ、椀物、刺身、野菜の煮びたし、黒胡麻豆腐、等々。

技巧を凝らした美杯に手ずから酒を注ぎ足す老公。漁師と見紛う地肌のあちこちにシミが色濃く残っている。
御年六十という齢に見合わぬ眼光の強さ。人を律することに慣れた態度。元海軍中将。
先の深海棲艦の討伐失敗。そのすべての責を政敵に押しつけられ、上りつめた役職を追われた男。

「そちらは、各国の状況は掴めたんですか?」

「一月近く前の情報だが、独、伊、いずれも芳しくない。
小回りの利くやつらを打ち払うには、やはり従来の艦隊のみでは都合が悪いようだ」

「では、外からの支援は見込めない?」

「せめて技術提供だけでもと思ったが、上は、艦娘のことを外に広めるのは時期尚早だと判断しているようだ」


「そうですか。大本営が決めたことなら、従うしかありませんね」

「どのみち今からでは次の遠征には間に合わんさ。二隻や三隻増えたところで他国に回す余裕はなかろう」

「向こうにもビスマルクを始めとして有名な武勲艦があったはずだし、あわよくばと思ったんですが」

「もし数の問題が解決できたとして、他国の戦力を補強するとなれば別の懸案が出てくる。現状の戦力だけでは物足りないのか?」

「それは、わかりません。敵も味方も、何もかもが、以前とは違いすぎますから」

「以前と、か」

 老公が杯を置き、長々と息を吐き出した。
 無言のうちに共有する秘密を確認し合ったその瞬間――

「先生、今よろしいですか?」

 外から障子越しに呼び掛けられた。


「女将か、まだ酒は残っているぞ」

「いえ、お連れ様がお見えになられたのですが」

「おう、ようやっと来よったか。通してくれ」

「はい、かしこまりました」

 醤油さしを手にしたまま響が顔を上げる。

「わたし以外にもどなたか招かれていたんですか?」

「まあな」

短く言うや御大の顔が廊下側へ向けられる。響の青い目がそれに釣られる。
薄明るい障子越しに見える影絵、行燈を片手に先を行く輪郭――女将。
その三歩ほど後ろに頭一つ高い輪郭――十中八九男性。艦娘の誰かだろうという当てが外れる。
慌てて居住まいを正したのと同時に、襖がしゃらりと開けられた。


「お連れいたしました」

「どうも、お待たせして申し訳――」

詫びの言葉が途切れた。
スーツ姿の青年。その視線が、部屋の格式に似つかわしくない少女に固定された。
学生服、銀髪、線の細さ。青年が響を見下ろす。響が青年を見上げる。どちらも逸らさず、繰り返される瞬き。

「おう、遅かったな。ほれ、突っ立っとらんとそこに座らんかい」

「ああ、はい。では失礼して」

 老公の一声で青年から動揺の気配が煙のように消える。響の対面に腰を下ろす。
 細身の体躯。継ぎ目を感じさせぬ動作。短髪よりはやや長めの髪揃えに温厚そうな顔立ち。
 相手を観察しているうちに、響はふと疑問に思った。
 この男は自分が艦娘であることを、以前に、艦娘の存在を知っているのだろうか。
 御大から事前の言い含めはなかった。いったいどのように接するべきなのか。

「それでは、ごゆるりと」

 女将が柔和な笑みを浮かべてその場から下がる、襖を閉める。
 足音が遠ざかるのを待ってから老公が襟を正した。

「そういえば、君らは初対面だったな。まずは響から、簡単に自己紹介してやってくれるか」

「わかりました」

 簡単に。素性を明かすなという隠喩。
 学生帽を小脇に抱えて膝を揃え、青年に真っ直ぐ向き直り、気持ち目を伏せた。


「響です。お初にお目にかかります」

 深めに傾いだ頭の角度。いつもの口調ではなく、目上に対する言葉遣いを意識。

「これはご丁寧に。よろしくお願いします、響さん」

 会釈を交えつつ差し出された男の手に、響が目を見開いた。

「あの、何か?」

「あ、いえ、なんでもありません。こちらこそよろしく」

 差し出された手に手を重ねる。相手の手指の大きさがわかる。配慮された力加減も。
 引き続いて男が自己紹介する。その役柄、今年に入って新設された情報部署の責任者。
  
「よし、顔合わせも済んだことだし、まずは貴様も食事を楽しめ。ここの料理はなかなかのもんだぞ」


「……………………」

 遅れてきた男、目にも止まらぬ箸さばき。皿に盛られた料理の減る速さが二倍増しに。
 のみならず、頃合いを見計らって追加の酒を持ってきた女将にお代わりを要請。老公、響、二人して呆気にとられている。

「おい、少しは味わって食ったらどうなんだ」奉公人たちが皿を下げたタイミングで我に返る老公。

「いや申し訳ない、朝から飯を食う暇が、ありませんで。しかし、どいつもうまい。御大が行きつけに、されてるだけ、あるな」

 男――苦言を意に介さず。手に持つ箸が蒸した魚と炊き込みご飯とを行き来する。

「ったく、遠慮のないやつ――――と」

 驚くべき変わり身の早さ。食ってばかりかと思いきや、上座側についと進み出、いつの間にやら徳利を手にしていた。

「さささ、どうぞ一献」

 ちょうど空になりそうだった杯をちょっと複雑な表情で眺めている老公。男が笑みを浮かべながら酒を八分程度まで補充する。
 そんな二人のやり取りを横目で観察しながら茶を啜る響。思ったより抜け目がない。微妙に評価を上方修正。

「響さんも、おやりになりますか」

「え……? い、いや、わたしは」

 意表を突かれた響。言葉少なに申し出を辞去。
 別に飲めないというわけではない。むしろいける口だ。北には帝国のものよりずっと強烈な、喉を灼くような酒があった。
 ただ男の接する態度に困惑していた。女子どもに自ら酌を申し出るなど帝国軍人にあるまじき行為ではないのか。
 そこで初めて、この男は軍人ではないのかも知れない、そう思った。
 そしてますますわからなくなってしまった。軍人ではないとするなら、なにゆえ自分と同席させたのか。


 断られたことに気を悪くした様子もなく再び食事に集中する男。
 何故御大はこの少女に酌をさせようとしないのかといった文句なし、気配なし。
 やがて、男が三度の酌をしようと徳利に手を伸ばそうとしたところで、老公がそれを寄越すよう手振りで示した。

「儂だけでは飲みきれそうにない、貴様もちと手伝え」

「これは、恐れ入ります」

 男が中央に重なっていた杯を一つ両手に持ち直した。
 やや乱暴に注がれた返杯を姿勢よく胸元に引き寄せ、こぼれぬよう慎重に口をつけた。

「うん、こいつは飲みやすい」

「響は、今日はいいのか?」

「え? ……あ、えと」

「あれ? お酒、飲まれるんですか」

「いや、その、嗜む程度で」

「見かけによらず、たいした酒豪っぷりだぞ。並の男じゃ太刀打ちできん」にやりと笑う老公。

「へええ。そりゃあすごい」

 感心したようにうなずく男に、顔がかっと熱くなった。


「お、御大将」

「……うん? どうした」

「おそれながら、そろそろお控えになられたほうが。明日からの公務に差し障りがあるといけませんし」

「ああ、うむ、そうだな。ちと名残惜しいが、こいつを空にしたらお開きにするか」

 言うや空の器を手前に引き寄せ、残り少なくなった中身を注ぎ入れる。響のほうにずいと差し出す。

「ほれ、一杯くらいなら支障あるまい」

「……どうも」

 その強引さに半ば呆れるが、不快とまでは思わせないあたり、この老人の懐深さを感じさせる。
 ちびちびと杯の端に口をつけながら、考える。この席を設けた理由を。
 だが、いくら考えてもそれらしき解は見当たらなかった。

 やや酔いが回った様子の老公。男と当たり障りのない世間話をしている。
 何かと理由をつけては実家に孫を預けようとする娘夫婦への愚痴。
 はたまた、深海棲艦出現以前の、大陸を転戦した際の武勇伝。
 何かしらの思惑があるならどこかで切り出してくるはずだったが、そんな気配は微塵も窺えない。
 あるいは本当に、純粋に食事を楽しむためだけに知己の二人を呼び出したのか。

 そんなふうに考えを巡らせる最中、ふと下腹に違和感を覚えた。


「すみません。少し席を外させていただきます」

「ああ、うむ。ゆっくりしてまいれ」

 響の表情がわかりやすく揺れた。それまで聞き役に徹していた男がちょっと気まずそうに口を挟んだ。

「御大、さすがに今のご発言は……」

「おう? ……おっと、こいつは儂としたことがうかつだった。わっはっは、すまんすまん」

「い、いえ。失礼します――――ッ」

 急ぎ立ち上がろうとしたその弾みで、長卓の角に膝をぶつけた。咄嗟に踏ん張ろうとしたが――

(――まずった)

 ぐらりと前に傾いだ響の体に、対面の男が素早く反応した。顔から食卓に突っ込む寸前、差し出された両手に肩を支えられる。

「と、とと。大丈夫かい?」

「あ……ご、ごめ、すみません」

 らしかぬ失態、最悪の気分。まともに顔を合わせる余裕もなく廊下へ逃げる。小走り。
 厠の手前まで来て、やっと息をつく。酔ってもないのに顔が異様に熱い。火が出てるのではないかと思うほどに。

「……まったく、何をやってるかな、わたしは」

 自らを戒めるように額に拳を押し当てる。
 しばらく夜風に当たってから部屋に戻ろう、そう思った。


「お孫さんでは、ないですよね」

「ああ」

 先ほどまで響が座っていた空間を男が見つめる。

「ご親族のどなたかというわけでも」

「髪色と肌の色で察しろ、たわけ。前にも一度話したろう。あれが『艦娘』の一人だ」

「やはり……ですか」

 見慣れぬ銀髪、透き通るような白い地肌。あどけない顔立ちに、奇妙に老成した目の輝き。

「信じがたいか」

「……ええ、まあ。予備知識がなければ人だと疑わなかったでしょう。その――」

「うん?」

「本当に彼女に、船の魂などというものが宿っているんですか?」


「なんだ貴様、儂の言を疑っておったのか」

「先生のお人柄については全般信用しておりますとも。ただ、内容が内容ですから」

「フン、相変わらずのらりくらりとかわしよる」

「恐縮です。で、その仰りようからすると、事実なんですね?」

「そういうことらしい。本人曰く元駆逐艦だそうだが、実際にその戦いぶりを目にしたら、貴様も納得せざるをえんだろうさ」

 男の沈黙。

「なんてことだ。あんな女の子が、化け物どもとの最前線に投入されているのか」

「言葉を返すようだが、彼女はあれで儂らより遥かに強靭だ。体も、おそらくは精神も」

「それは……、理屈ではそうなんでしょうけど……」

「……ま、そうさな」

 当然の反応だというように、老公が肩をすくめた。


「初顔合わせからはもう一年ほどにもなるが、つくづく思い知った。
 とても兵器としては扱いがたい。彼女らにはれっきとした人格が備わっている」

「わたしも、そのように感じました。体温だって人となんら変わりなかった」

 男が先ほどの握手の感触を思い出すように手のひらを見つめた。あるいは、何かを懐かしむかのように。

「だがしかし、軍には彼女たちを好意的に思っていない者も多い。
 それについては、発揮される力への怖れも少なからず関係しているんだろうが」

「でしょうね。それに、担うべき役柄を奪われたと感じる者だって」

 老公が神妙にうなずいた。軍船に乗り込んで戦ってきた海兵たちの自信や誇りといったものが、
 あの少女たちの活躍によって粉砕されてしまってもなんら不思議ではなかった。

「軍に籍を置く者は、戦力として成り立つことで初めてその価値を認められる。機銃の腕然り、操船の腕然りだ」

「……はい」

「将下士官馬兵隊という言葉で皮肉られるように、戦場では兵卒より自分が乗る馬を守ろうとする上役もいるのが現実だ。
 差別される当事者が快く思えないのは当然の成り行き。ゆえに危機感の誘発は避けられんだろう」


「彼女たちが上から重用されることで、兵士たちとの軋轢が発生すると?」

「少なからず反発はあると見ている。
 逆に軽んじられれば、今度は無茶な作戦で使い潰されることにもなりかねんのだがな。
 彼女たちの置かれた現状、立場は、安定しているようでなかなかに危うい」

「理解しました」

「だからこそ、将軍職から引きずり降ろされる前になんとかあの娘らが真っ当に扱われるよう算段をつけたかったのだが」

「心中お察し致します。あの……御大は、何のために、わたしと彼女を引き合わせたのですか?」

「それしきのことがわからんほど無能じゃなかろう」

「それは……まあ、薄々こうじゃないかという見当はつきますけれども」

 老公が杯を置く。両腕を組む。神妙な顔つき。

「この先、深海棲艦との戦いはますます過酷なものになっていく。時に、犠牲を避けられないこともあるだろう」

 紡ぐ言葉とは裏腹にそうあって欲しくないといったふうに目をつむる老公。


「儂も門外漢で詳しい仕組みはわかっとらんのだが、
先般開発された『デンシン』は彼女たち『艦娘』を支援する上で、欠かせぬものなのだと聞いた」

「はい。現場での大まかな連携のみならず、不測の事態で指揮系統が乱れるなどした際、行動を一体化させるのには大いに役立つかと」

 現役引退させられた元将軍の水面下での働き。
 知恵役(ブレーン)や識者の意見を参考に、今後発展を見込めそうな技術開発に資金と人材を投入。
 縦に横に、培われた人脈を最大限駆使する老公。その奔放かつ豪快な性格。
『見込みがありそうな者への支援は惜しまん。とっとと偉くなって儂を竜宮の上座に招待せい』
 その成果の一角、新設された情報部署。

「今はまだ稼働したばかりで重要な任務を任されることはないでしょうが、遠からず上と下の橋渡し役を任されることになりましょう」

「でなくては困る。ひいては、技術を扱う者には自分の応対する相手がいったいどういう存在なのかを、じかに見知ってもらうほうがいいと思った。何となくな」

「なるほど、合点しました」

「して、効果はあったか」

「それはもう、存分に」


「左様であるなら一席設けた甲斐もあった。とにもかくにも、まずは深海棲艦に打ち勝つ力を蓄えねばならん。
 要となるのは各提督、各司令官の指揮に相違ないが、常勝体勢を築くために必要なことはまだまだ山とある」

「その話に関連して、二点ほど確認したいことがあるのですが、よろしいですか」

「構わん、申してみるがよい」

「ではまず一つ目、以前、艦娘たち同士は無線でのやり取りが可能だとお聞きしましたが」

「ああ、中破までならある程度の通信機能が保たれるそうだな。以降は送受信ともに難しくなるのだと聞いている」

 思い出すように宙を仰ぐ老公。顎に手を当てて唸る青年。

「どうにも、素人では判定が難しそうですね。通信と損傷の度合いについて、詳細なデータを送っていただくことは」

「それは、ふむ、聞くだに時間がかかりそうな感じだな。
 江田島基地の開設までには間に合わせるよう管理官に伝えておく。それでいいか」

「ありがとうございます、助かります」

「それで、もう一つは?」


「その、彼女たちを指揮する提督たちとお会いすることは――」

「それは無理だ。少なくとも当分の間は」

「わかりました。一応、その理由をお訊ねしても?」

「彼らも海軍の一員に違いはないからだ。部外者の貴様が『艦娘』の情報に詳しいことが明るみになってみろ。最悪、二人してこれだ」

 手刀をちょんと自分の喉元に当てる老公。青年の眉根にしわがよった。

「……え、いや、ちょっと待ってください。部外者?」

「おう、こいつはまだ言ってなかったか。実を言うと『艦娘』の詳細は未だ海軍内部での機密扱いでな。外に漏らせば厳罰に処されること疑いなしだ」

 はっはっはと声を上げて笑う老公を尻目に、男が両手で頭を抱えた。

「いの一番に話すべき事柄じゃないですか!」

「これで儂らはめでたく一蓮托生、共犯者だ。ああ、何かの手違いで儂が中央に復権した暁には、貴様をお望みの役職に推挙してやろう」

「……なんてこった」


「そう悲観することもあるまい。今は戦時中だしどこで何が起こるかわからん。
 何かの手違いで貴様が海軍に招聘されるような事態もあるやも知れん。そうなれば沈黙を守る理由もなくなる」

「縁起でもない。外様が呼び出されるのは内部が壊滅的にがたついたときだけでしょうに」

「わかっとる、さすがに今のは冗談だ。儂だって戦闘童貞に高望みはしとらんさ」

「嫌な言い回しだな」

「さっきはちと大げさに言ったが、艦娘たちに協力的、好意的な軍人もいないではない。
儂は当面、彼らとのパイプを太くしていくことに注力する。だから貴様は貴様の領域でやるべきことをやれ。さっきやっていたようなことを」

「さっきやっていた?」

「艦娘たちの『転ばぬ先の杖』であれ。今はそれで十分だ」

「……はぁ、期待されてるんだかされていないんだかな。わかりました、すべては秘密裏に、ですね」

「妙な動きをすれば特務の連中に気取られかねんしな。軍の施設内では、彼女たちへの同情的な発言はなるべく慎んだほうがよかろう」


「さもなくば、お偉方に目をつけられると?」

「今現在、艦娘たちが複数の基地に分散配置されているのは、表向きは地方の防衛強化という理由だが、造反を警戒してのことでもある」

「迂遠な脅しですか。もし我々に刃向かえば別の基地にいる仲間たちを処分するぞという」

「口に出さずともそういう意図は含まれているだろう。むしろ見え透いているだけ大分マシだな。
 そんな警戒が意味をなさないのも、いずれは明らかになるだろうが」

「ですね、響さんを見た限りでは、彼女たちが危うい存在ではないと周知されるのも時間の問題でしょう」

「…………」

「……御大? いかがしました?」

「いや、なんでもない。彼女たち『艦娘』は現在進行形で、帝国を守るべく命を張ってくれている。
矮小な駆け引きや企みなどは捨て置き、まずはその働きに寄り添い報いるのが男子たる者の心意気であろう」

「全面的に同意します」

「ならばよし」

 老公、軽く拳を握る。青年の右胸に押し付ける。思いを託すように。

「力惜しまず彼女たちを支援してやれ。人に対するのと同じように」

「しかと心得ました」

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