紬「桜の樹の下の彼女」 (11)



私の家の庭には大きな桜の樹がある。



桜の樹といえば有名なのが「その根元に死体が埋まっている」というやつだろう。
死体が埋まっているからこそ綺麗な花を咲かせる、という、根も葉もない噂、すなわち俗説だ。


しかし我が家の桜には根もあり葉もあり、こうして綺麗な花も咲かせている。


……つまり、それは俗説ではなく真実だということだ。




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「紬さん」


しっかりとしたスーツに身を包んだその青年は、今日も私の名を呼ぶ。


「紬さん、生きてますか?」

「……生きてますよ。まだ死ねませんから」

「それはよかった」


無駄に広い庭で何をするでもなくベンチに腰掛けて桜を眺めていると、死人のように見えるのだろうか。
私は本当の死人の顔を知っているけど、今の私があれと同じ顔をしているのかまではわからない。


「俺は今でもこの屋敷に顔パスで入るのに慣れないんですよ」

「そうですか」

「たとえ貴女に呼ばれたんだとしても、ね」

「私、呼びましたか?」

「あの日からずっと呼んでるでしょう。15年前の、あの日からずっと」

「でも、来たのは貴方だった。いつも、いつも」

「それもそうですね。貴女の望む俺は、まだ来ません。俺は花を供えに来ただけです」


眉目秀麗、という言葉が何より似合うその青年も、桜の樹の下に死体が埋まっていることを知っている。
だからこそ、この庭に自由に出入りできる。この庭は彼のためにある。


「お仕事のほうには慣れましたか?」

「ええ、おかげさまで。こうして抜け出しても怒られない程度には」


彼の就職の世話をしたのは私だ。彼には幸せになってもらわないといけない。
しかし、同時に彼には悪人になってもらわないといけない。私と同じくらいの悪人に。
幸せな悪人になってもらわなくてはいけない。それが私の望み。



「紬さんは、結婚生活は上手くいっていますか?」

「大丈夫じゃないかしら」

「他人事ですね」

「自分の幸せは見えないのよ」

「しかし、紬さんには幸せになってもらわないと困ります、俺が」


彼も私の幸せを望んでいる。
初めて聞いた時には理解できなかったが、理由を聞けば納得できた。


「でないと、俺は貴女を殺せない。幸せの中で死んでもらわないと復讐にならない」


それが復讐だ、と彼は言う。
あの大きく綺麗な桜の樹の下で眠る、彼女のための復讐。

そう言う彼は、彼女の弟だ。


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私は彼女のことが大好きだった。

すれ違いかけた私を、強引に引き止めてくれた彼女。
新しい出会いを持ってきてくれた彼女。
いろいろな眩しいものを見せ続けてくれた彼女。

私が欲しいものは、彼女と居れば全て手に入った。
だからこそ、私は彼女を手に入れようだなんて思いもしなかった。
ただ、ずっと傍に居させて欲しいと伝えた。
でも彼女が真っ赤な顔で頷いたから、結果的にそれらは同じことだったらしい。
少なくとも、私達にとっては。


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最愛の人を埋めた時に、いろいろなものを一緒に入れた。

私と彼女を繋いでいた物。私がそこに居られた理由。私と彼女が一緒に居た証拠。
私と彼女が出会った切っ掛け。私がそこで作り上げたもの。私があの時欲しがったもの。
彼女がくれたもの。彼女の笑顔。私と彼女の時間。思い出。涙。そして愛。

いろいろなものが、あそこには埋まっている。
勿論、掘り返すつもりなどない。掘り返したところできっととうに形も残っていないだろう。

私に後悔はない。
自由な学生時代を送らせてくれた両親の恩と、彼女の命。その二つに報いる為なのだから。




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「秋山さんは、元気にしていますか?」

「ええ、立ち直っていますよ」

「そうですか」

「俺は何もしていませんがね。平沢さんや中野さんや、要するに学生時代の友達がいつも一緒に居ました」

「……良かった」

「そうですね、良かったことなんです、秋山さんの場合は。でも貴女はそれを拒んだ」

「はい。私は元より元気ですから」

「それはいいことです。ではもっともっと元気になって幸せになってくださいね、俺が殺せるくらいに」

「今じゃ駄目ですか」

「駄目です」

「私は昨日また大きな商談をまとめてきました。夫にも感謝されて幸せです。なのにどうして」

「琴吹家はまだまだ大きくなります。貴女の結婚を機に膨らみ続ける泡、その限界がこのあたりだとは誰も思っていません」

「そうなのですか」

「ですからもっと頑張ってください。応援しています。では」


いつもいつも、彼と会うたびに思うことがある。
背を向ける寸前の彼の笑顔は、確かにあの死体と似ているのだ。


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あの日、私に別れ話を切り出したから、彼女は死ぬことになった。


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「秋山さんが会いたがってましたよ」

「私を殺したいのでしょうか」

「残念ながら俺にはそうは見えませんでしたね」

「そうですか、残念です」

「ええ本当に。あの人が今すぐ殺したいと言うなら、俺は従うのに」

「何故、秋山さんは私を殺してくれないのでしょうか」

「紬さんは死にたいんですよね」

「いいえ、私は誰かのためになることがしたいだけです」

「なら、秋山さんにとって貴女の死は何の価値もないということでしょうね」

「そうですか」

「俺にとっては意味のあることなんですがね」

「ありがとうございます」

「真面目な話をしましょうか?」

「できれば」

「恐らく秋山さんは、俺の姉が貴女に殺されたということ自体を疑っているんですよ」

「………」

「不慮の事故だった、とか、貴女が誰かを庇っている、とか、そういう可能性を考えている」

「……りっちゃんを殺したのは、私です」

「姉をそう呼ぶうちは、俺は貴女の言い分を信じます」

「……ありがとうございます」

「秋山さんは、姉を信じた。それだけです。それ以上もそれ以下もない」

「……田井中さんは、立派ですね」

「俺としては立派より善人と言ってほしかったですが」

「何故ですか?」

「そんなの、善人なら人を殺しても許されるからに決まってるでしょう」


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「他に好きな子が出来たんだ」と、彼女は言った。
私はショックを受け、言い返した。


「ウソね」

「マジだって」

「それもウソね」

「なんでそう思うんだよ」

「りっちゃんは優しいから」

「……あー、やっぱわかるかー」

「うん」

「……ゴメンな、ムギ」

「ううん、私のほうこそ」


彼女が謝る必要は全く無かった。原因は私なのだから。
その原因を隠せなかったこと、私の悩みが彼女に伝播してしまったこと、彼女に演技をさせてしまったこと、それらはショックだったが。
それでも、彼女が謝る必要は全く無かったのだ。


「ムギのことは大好きだよ。愛してる。でも、ムギの進む道に、私はいないほうがいい……」

「そんなこと……」

「ご両親の会社で働くんだろ?」

「……うん。今まで7年間、好き勝手させてもらったから。親に全部返すつもりで働こうと思う」

「だったら、私の存在はデメリットしかないよ。私と別れて、例えばどっかの金持ちのボンボンでも引っ掛けた方が、きっと、ムギの目的には……」

「で、でも、私、りっちゃんがいてくれないと…!」

「友達としてなら……」

「やだ!」

「わかってくれよ。ムギの足を引っ張りたくないんだよ……対等な存在で居たかったんだ、私は……」


デメリット。
そんな言葉を持ち出す彼女も、それを否定しきれず逃げ道を探していた私も、同じくらいに悩み疲れていたのだろう。
私だって、彼女と居られなくなるくらいなら自分の道を諦めよう、と思ったことは何度もある。彼女が私と別れて背を押す道を選んだように。
何かを諦めなければいけないと、それしか結論が出ない位に、私達は悩み疲れていた。
それでもきっと私達は、同じくらい諦めも悪かったのだ。


「絶対に嫌!りっちゃんがいてくれない世界なんて!」

「……世界、か。じゃあムギ、こういうのはどうだ?」

「えっ?」

「……この世界に、最初っから私なんていなかった、としたら、さ……」


それだけ言って、諦めの悪い彼女は笑顔で、前提から全てひっくり返したのだ。
自らの手で。


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「紬さんは、生きることは幸せですか?」

「どうでしょう、わかりません」

「幸せを感じてもらわないと復讐にならないんですがね」

「……では、善処します」

「よろしい。そうやって幸せな日常を積み重ねていってください。積み重ねて、積み重ねて」

「つみかさねて……」

「その積み重ねられた幸せを他の何かが奪う寸前に、俺が奪い取ってやります。貴女の幸せな毎日を理不尽に奪って、殺してやります」

「はい」

「その時まで幸せに生きてもらわないと困りますからね。また来ます」

「ありがとうございます」

「……殺すと言っているのに礼を言われるのにも、もう慣れました」

「私が感謝すれば、貴方は善人になりますからね」

「では逆に、貴女が殺した姉はどうでしたか? 感謝していましたか?」

「………」

「……忘れてください。すいません。ではまた」


私が殺したりっちゃんは、笑っていた。私の記憶の中のりっちゃんは、いつも笑っていた。
だが、それは私に感謝したからなのか、と聞かれると、それはわからない。
私は彼に感謝する時、どんな顔をしているのだろうか。それがわからないため、笑っていれば感謝しているんだ、と考えることが出来ない。
しかしそれでも、彼が私を殺してくれる日には、きっと私は笑うだろう。
りっちゃんが笑顔だったんだから、私も笑顔でありたい。それでようやく対等になれる気がするから。
それが正しいことなんだと信じたいが、正解はわからない。

ひとつ確かなことは、田井中姉弟は笑わなければそこまで似ていない、ということだ。

おわり

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