僕の名前は岸辺露伴。漫画家だ。
これから語る出来事は僕の身に起こった本当の出来事だが…………まぁ、君たちは信じないだろう。別に信じなくったっていい。『そういうこと』があるってだけだから。
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「露伴先生はぁ〜、怖い話とかって興味ありますかぁ〜?」
ある日、7月も残り数日になったころ。集英社の近くのレストランで再来週分の原稿をチェックしながら、担当編集者の丘流が聞いてきた。
「怖い話? 怪談ってことかい。そりやぁ、人並みに興味はあるが……なんでまた急に」
「いや〜、最近ネットのオカルト板とか見てるんすけどねぇ。なかなか面白い話が多くってぇ。露伴先生も参考にしてみたらいいんじゃぁないかなぁと」
僕より2歳年下の若手編集者のくせに僕の漫画に参考になるだって?
「はっ。オカルトなんて所詮他人の創作だろう? そんなものが僕の漫画にプラスになるとは思わないけどなぁ」
「そうっすかね。まぁ、『ピンクダークの少年』もホラー色強いですしぃ、少し前にきさらぎ駅の話書いてたじゃぁないですかぁ」
「結局、本誌には載せられなかったけどなぁ。でもねぇ、ああいうのは、僕が本当に体験した『リアリティ』があるからこそ書いたんだよ。まぁ、ほとんどの編集者には眉唾扱いだったけどさぁ」
未だにあの時のことを思い出すとムカムカしてくる。ああいった「面白い」ことを理解しない大人が最近は本当に多いと思う。それがまた、読者、特に子供達にも影響を与えているのが恐ろしい。
「リアリティねぇ……実はですねぇ、このオカルト板の中で、僕の地元の話があるんですけどぉ。『取材』してみません?」
丘流は読んでいた原稿から顔を上げ「ニーーイッ」と特徴的な笑い方をした。
「取材? 君の地元にか」
「はい。田んぼとか沢山あって、ちょーー田舎なんですけど。今度の日曜に墓参りに帰郷するんで良かったらついてきませんか? 涼しくていいところですよぉ」
丘流は僕の方へ体を乗り出し、上目遣いに笑ってくる。気持ちが悪い。
「そもそも、その怖い話が本当とは限らないだろ? 取材ったって何をしろと」
「いや、この怖い話なんすけど。地元でも有名な話でぇ、遭遇した人も多いんすよ。だから、その理由を取材するのはどうかなぁって」
「……取材取材って言ってるけどさぁ、取材ってことにすれば自分の移動費とかも経費で賄えるとか思ってるんじゃぁないのか?」
「えっ!? ……あ、あははは。ま、まぁそういうこともあったりなかったりしてぇ……あ、でもぉ、その話は本当ですからね」
丘流はビクッと体を戻し、しどろもどろになって誤魔化そうとする。逆にその動作で彼が何を考えていたかなんてバレバレなのだが。
「というか、その話が何かわからない限り、なんとも言えないんだが」
「あ、そうっすよね。まぁ、有名な話なんすけど。……露伴先生は『くねくね』って知ってます??」
彼が語ってくれたのはこんな話だ。
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これは小さい頃、秋田にある祖母の実家に帰省した時の事である。
年に一度のお盆にしか訪れる事のない祖母の家に着いた僕は、早速大はしゃぎで兄と外に 遊びに行った。都会とは違い、空気が断然うまい。僕は、爽やかな風を浴びながら、兄と田んぼの周りを駆け回った。
そして、日が登りきり、真昼に差し掛かった頃、ピタリと風か止んだ。と思ったら、気持ち悪いぐらいの生緩い風が吹いてきた。僕は、『ただでさえ暑いのに、何でこんな暖かい風が吹いてくるんだよ!』と、さっきの爽快感を奪われた事で少し機嫌悪そうに言い放った。
すると、兄は、さっきから別な方向を見ている。その方向には案山子(かかし)がある。『あの案山子がどうしたの?』と兄に聞くと、兄は『いや、その向こうだ』と言って、ますます目を凝らして見ている。僕も気になり、田んぼのずっと向こうをジーッと見た。すると、確かに見える。何だ…あれは。遠くからだからよく分からないが、人ぐらいの大きさの白い物体が、くねくねと動いている。しかも周りには田んぼがあるだけ。近くに人がいるわけでもない。僕は一瞬奇妙に感じたが、ひとまずこう解釈した。
『あれ、新種の案山子(かかし)じゃない?きっと!今まで動く案山子なんか無かったから、農家の人か誰かが考えたんだ!多分さっきから吹いてる風で動いてるんだよ!』
兄は、僕のズバリ的確な解釈に納得した表情だったが、その表情は一瞬で消えた。風がピタリと止んだのだ。しかし例の白い物体は相変わらずくねくねと動いている。兄は『おい…まだ動いてるぞ…あれは一体何なんだ?』と驚いた口調で言い、気になってしょうがなかったのか、兄は家に戻り、双眼鏡を持って再び現場にきた。兄は、少々ワクワクした様子で、『最初俺が見てみるから、お前は少し待ってろよー!』と言い、はりきって双眼鏡を覗いた。すると、急に兄の顔に変化が生じた。みるみる真っ青になっていき、冷や汗をだくだく流して、ついには持ってる双眼鏡を落とした。僕は、兄の変貌ぶりを恐れながらも、兄に聞いてみた。
『何だったの?』
兄はゆっくり答えた。
『わカらナいホうガいイ……』
すでに兄の声では無かった。兄はそのままヒタヒタと家に戻っていった。
僕は、すぐさま兄を真っ青にしたあの白い物体を見てやろうと、落ちてる双眼鏡を取ろうとしたが、兄の言葉を聞いたせいか、見る勇気が無い。しかし気になる。遠くから見たら、ただ白い物体が奇妙にくねくねと動いているだけだ。少し奇妙だが、それ以上の恐怖感は起こらない。しかし、兄は…。よし、見るしかない。どんな物が兄に恐怖を与えたのか、自分の目で確かめてやる!僕は、落ちてる双眼鏡を取って覗こうとした。
その時、祖父がすごいあせった様子でこっちに走ってきた。僕が『どうしたの?』と尋ねる前に、すごい勢いで祖父が、『あの白い物体を見てはならん!見たのか!お前、その双眼鏡で見たのか!』と迫ってきた。僕は『いや…まだ…』と少しキョドった感じで答えたら、祖父は『よかった…』と言い、安心した様子でその場に泣き崩れた。僕は、わけの分からないまま、家に戻された。
帰ると、みんな泣いている。僕の事で?いや、違う。よく見ると、兄だけ狂ったように笑いながら、まるであの白い物体のようにくねくね、くねくねと乱舞している。僕は、その兄の姿に、あの白い物体よりもすごい恐怖感を覚えた。そして家に帰る日、祖母がこう言った。
『兄はここに置いといた方が暮らしやすいだろう。あっちだと、狭いし、世間の事を考えたら数日も持たん…うちに置いといて、何年か経ってから、田んぼに放してやるのが一番だ…。』
僕はその言葉を聞き、大声で泣き叫んだ。以前の兄の姿は、もう、無い。また来年実家に行った時に会ったとしても、それはもう兄ではない。何でこんな事に…ついこの前まで仲良く遊んでたのに、何で…。僕は、必死に涙を拭い、車に乗って、実家を離れた。
祖父たちが手を振ってる中で、変わり果てた兄が、一瞬、僕に手を振ったように見えた。僕は、遠ざかってゆく中、兄の表情を見ようと、双眼鏡で覗いたら、兄は、確かに泣いていた。表情は笑っていたが、今まで兄が一度も見せなかったような、最初で最後の悲しい笑顔だった。そして、すぐ曲がり角を曲がったときにもう兄の姿は見えなくなったが、僕は涙を流しながらずっと双眼鏡を覗き続けた。『いつか…元に戻るよね…』そう思って、兄の元の姿を懐かしみながら、緑が一面に広がる田んぼを見晴らしていた。そして、兄との思い出を 回想しながら、ただ双眼鏡を覗いていた。
…その時だった。
見てはいけないと分かっている物を、間近で見てしまったのだ。
『くねくね』
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「………………いやいやいやいやいや、おかしいだろ」
「何がっすかぁ〜?」
「なんで、見ちゃいけない物を見たくせにこの話は語られてるんだよ」
「まぁ、そこは怪談とか都市伝説特有の『お約束』って奴っすよ。突っ込まない突っ込まない」
目の前の座席で、先ほど買った駅弁(税込680円)を食べながら丘流がそういう。僕らは今、彼の故郷へ行くための列車に乗っているのだ。
ガタンゴトンと揺れる車内に乗客は僕らふたりだけだ。窓にはさっきからずぅっと田んぼが写っている。
「何もなぁ〜いところでしょ? 明日の昼まで我慢してくださいねぇ〜」
「いや、こういった風景は都会では見られない。ちょうど木々を描きたかったんだ」
「…………なんでこんなに揺れてる電車の中で正確にスケッチできてるんすかねぇ……ま、せんせーが喜んでるのなら良かったっすけど」
電車から降りた後、呼んでおいたタクシーに乗り数十分すると今回泊まる宿に到着した。
「おやおや、とーきょーの方ですか。これはこれは遠いところまでお越しくださって……ささ、お荷物はこちらに」
「あ、ありがとうございます」
「最近はいんたーねっと? のお陰もあり、あなた達みたいな若い人がよくお越しになられるのよ。ありがたいのはこちらのほうよ〜」
「……なぁ、なんでこんなボロっちい宿屋なんかに泊まるんだよ」
「経費削減もそうなんすけどぉ〜、例の怪談はこの宿のある部屋からよく見れるらしいんすよ」
「もう少し何とかならなかったのか……というか、君は実家に戻ればいいじゃないか」
「いやぁ〜、帰るたんびに見合いだなんだって言われて……メンドイんすよ」
「……ハァ。僕の邪魔をしないでくれよ?」
中に入ると少しはマシなようだ。なんでもあの外見は例の怪談を見に来た客が雰囲気を味わえるようにとのことだった。
「こちらの部屋でございます。お夕飯は7時でよろしいでしょうか?」
「あぁ、べつにそれでいいよ。荷物はそこらに置いといてくれ」
「かしこまりましたら。お食事が出来次第及びさせていただきます」
僕らにあてがわれた部屋はそこそこの広さの和室だった。南に面した窓からは一面の田んぼと遠くの方に連なる山々が見て取れた。
また、部屋の奥には小さなテーブルと腰掛けられる椅子が置いてある。こういうのはよく見かけるが、外人が泊まる為のものなのだろうか。
「んで、その『クネクネ』はどこに現れるんだい? この部屋からも見れるんだろう?」
「はい、そのはずです。ただしぃ〜、肉眼では見えないそうですよ。そこで、これを持ってきましたぁ〜」
「双眼鏡〜〜? まぁ、君から聞いた話の中でもそんなこと言ってたけど……こんなに広い田んぼをそれで探すのか? 」
「だいたいの方向は分かってるんですよぉ〜。あの大きな山が右斜めにある角度なんで……こっちかな?」
そう言って彼は双眼鏡から一面の田んぼを覗き込む。こんなにたくさんの田んぼから人影を探すのなんて、砂浜に落ちたボールを探すのと同じくらい大変だろうに。
「ま、僕は僕でこの景色をスケッチさせて貰うけどね」
「先生の故郷もこんな感じ何ですか〜?」
「そうだね……昔はこんな感じだったけど、最近はベッドタウン化してきてるからもっと都会だけど」
「ふ〜〜ん、あ」
「まぁ、でも虫が多いのは変わらないし、自然は多い方だと思うよ」
「そうそう、次回の3、4ページ目、見開きなんだけど、ちょっと手直しするよ。もっといい構図が思いついたんだ」
「それと、来週提出のカラー見出しだけど、描き終えたから、ここに置いておくね」
コトン
「……なぁ、君、僕の話聞いているのかい……ッ!?」
返事がしてこないので、振り返り彼の姿を確認すると、彼は虚ろな目で空を凝視し、ブツブツと言葉を発していた。
こちらからの声や音は届かないようで、足元に落ちた双眼鏡のことも気づいていないようだ。
「あ……ぅ……こ、こわ…………あ……くる……やめ……」
「おい! どうしたんだ、落ち着け!」
「う、うぅ……ぅわぁーっ!! 来るな来るな来るなァーーッ!」
彼は両腕をめちゃくちゃに振り回しながら、僕に向かって突っ込んでくる。彼の腕はテーブルや棚にぶつかり痣ができているが、全く勢いを殺さない。
「『ヘブンズ・ドアー』ッ!!」
掛け声と共に現れたぼくの『半身』が彼に触れると、彼は動きを止め、本のページが現れた。これが僕のスタンド、『ヘブンズ・ドアー』の能力だ。
「すまないが、少し読まさせてもらうよ」
せっかくだから今迄の経験でも読ませてもらおうかと思ったが、そんな考えは彼の文字列を見た瞬間吹き飛んでしまった。
「な、なんだこれはッ⁉︎」
そこには…………
昼に食べた炒飯がとても美味しかったので
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこ
また食べたいとおもうのだけれども
こわいこわいこわいこわいこわいこ
自分では買えるような値段でないなら困る
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこ
新幹線の乗り降りだけで3回もこけた
こわいこわいこわいこわいこわいこわ
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
田んぼで変なものを見た。双眼鏡を使う
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
からだがさむい。おかしい。夏なのに
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
なんで、なんでなんでなんでなんでなんで
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
彼の本の中には通常通り彼の経験が書かれた文章と、まるで『その間に割りこまれたかのような』こわいの文字列があった。
筆跡も違うもので、本来は手書きの現代風なものだがこれは少し古めかしい筆文字の様だ。
次のページも、そのまた次のページも同じように続いていた。
「いったい……どういうことだ」
今わかっていることは二つ。この青年は田んぼに立っていた『何か』を見つけたこと。
そして、その後暴れ出したということ。それも、何かを払いのけるように。
「情報が少なすぎる……やむを得ない」
僕は足元に転がっていた双眼鏡を手に取り、窓から田んぼを覗き込む。
「確か……あっちのほうだったよな?」
彼が見つけた場面を見てはいないが話に聞いていたのはあそこら辺だろう。田んぼをざっと見渡すと、おかしな物体があるのに気づいた。
「あれか……」
見つけた『それ』は白っぽく霞んで見えていて、せいぜい動いていることがわかるくらいのものだった。
『それ』は言われていた通り、くねくねと蛇のような動きをその場でしている。噂を知らない人が見たら変わった案山子だと思うだろう。
「しかし、双眼鏡で覗いてもよくわからな…………ん?」
双眼鏡を覗いてよく見てみるとそれは動いていた。『前後に』だ。
まるで、こちらに向かってくるかのようにそのクネクネした動きのまま田んぼの中を動いているのだ。
「き、気のせいだ……少し水でも飲むか……」
双眼鏡から目を離し、冷蔵庫へ水を取りに行く。落ち着かなければ。そもそも噂には近づくなんて話は載ってない。
「っふぅ〜〜…………さて」
もう一度、双眼鏡を手に取る。ここからだと『それ』が何処にいるかわからない。
「あれ? さっきの奴はどこに行った……っ!? な、なんで!?」
『それ』はもうすでに田んぼにはいなかった。しかし、消えたのではない。代わりに僕らの泊まる宿の目の前ーーつまり、今の僕の目の下に『それ』は居たのだ。
そして、『それ』はもう先ほどの白いクネクネでは無かった。
『それ』は…………
「なんで……なんで、お前がここにいるんだッ!? 『吉良 吉影』ーーッ!!」
今窓の下から僕を眺めているのは、かつて杜王町で20年弱に渡り人を殺してきた殺人鬼、『吉良 吉影』だった。
顔は薄暗く、背格好は小さく見えるが、小綺麗なスーツに身を包んだそいつを、僕は『吉良吉影』だと、確信した。
何故だかわからないが、そう確信する「何か」があったのだ。
「あいつは確かに救急車に引かれて死んだ。なのに何故……」
訳がわからない。しかし、奴が生きていたり、なんらかの手段で復活したとしたら、それほど危険なことはないだろう。一刻も早く承太郎さんたちに連絡を取らなくては。
そう思い携帯を取り出してみたが、液晶画面には『圏外』の文字が。
「くそっ! なんでだ! さっきまで繋がっていたじゃないか!!」
コツコツコツコツコツ…………
この音は……階段を上ってきているのか!?
それにしたって速すぎる! 女将はどうしてるんだ!?
「あぁ、クソッタレ! なんで僕がこんな目にあうんだ!?」
急いで入口の襖を閉め、つっかえ棒で鍵をかける。その前には机や椅子を重ねておき即席のバリケードを作る。
コツコツコツ…………
「こ、こんな物、気休めにしかならないけどな……」
コツコツ…………
「そもそも、あいつのスタンドにバリケードごと爆破されたら……」
……ガタッ、ガタッ
「き、来たッ!」
…………
「い、行ったか……?」
僕がそう、胸を撫で下ろした瞬間
ドックオォォーーン!!
「うわぁぁッ!!」
襖と共に作っていたバリケードが粉々に爆破された。噴煙を上げながら、奥の廊下から人影が入ってくる。
「や、やめろ。お前は死んでいるはずだ!」
「……………」
煙から現れた『吉良吉影』は無言で僕に近づいてくる。
「く、来るな! やめろ! 」
「………………」
こわい
「へ、『ヘブンズドアー』!? どこに行った、出てきてくれ!!」
「………………」
こいつが……こわい
「や…いやだ…………来るな……誰か……」
……たすけて
「たす……け…て……」
そして、目の前が真っ暗になった。
『大丈夫……安心して』
『お姉ちゃんが守ってあげる』
『だから、怖がらなくていいのよ。露伴ちゃん』
「ぅ……うーん……」
眼が覚めてみると、部屋は酷い有様だった。
机はひっくり返り、茶菓子や湯呑みは床に転がっていて、自分の体にもどこかでぶつけたのであろう痣が幾つもあった。
窓から差す日差しはすでに橙色に変わっており、時間がかなり経っていることに気がつかされる。
「うぅ……ん。あ、露伴せんせー。おはよう……ございます」
同じように気絶していた丘流が起き上がる。そして、周りの様子を見てギョッとする。いったい誰のせいでこうなったと思っているのだ。
「せ、先生……これは……」
「君があの『くねくね』を見た後錯乱してね」
彼の顔がサーっと青くなる。実際には彼の混乱は僕が止めたはずだ。その後の記憶が僕にはないのでやったのは僕かもしれないが、それは重要なことじゃないし言わなくてもいいだろう。うん。
「とりあえず、この部屋を元に戻そう。追加料金なんか払わされたら癪だからね」
「は、はいぃ……」
「で、いったい君は何を見たんだい?」
散らばった小物や机を元通りに並べ直し、僕は椅子に腰掛けて話しかける。
「……そりゃぁもうこの世のものとは思えないほど恐ろしいものですよ」
彼はいまだ青ざめた顔でそう言うと、思い出したのかブルッと震えた。よほど嫌なものでも見たのだろう。
「そうか……やはり……」
「やっぱりって……露伴先生、『くねくね』の謎が分かったんすかー!?」
「完全に分かったわけじゃないし、これがあってるっていう核心はないけどね」
「教えてください! こんな体験滅多にないんで!」
丘流は目を輝かせて身を乗り出す。
「一つ、教えて欲しいんだが。この部屋から見える田んぼは今は使われているのか?」
「? いいえ〜? 確か減反政策だとか跡取りがいないだとかで使われていないそうですよぉ〜〜。
ただ、見栄えとかの問題もあるんで、一応ここらの住人みなで管理をしてるそうっすけど」
「跡取りか。そこの田んぼを使っていた家で最近誰か亡くなったとかは?」
「あ、そーいやそこの家のじーさんが亡くなったとか連絡きてたなぁ。結構な年だったし、俺もあんまし知らない人でしたけど」
彼は興味なさそうにそういった。まぁ、僕らくらいの歳じゃそういう話は聞く気がないのだろうが。
「なるほどな…………なぁ、君は『幽霊』を信じるかい?」
「幽霊っすかぁ〜? まぁ、都市伝説があるんすから幽霊もいるんでしょうけどぉ……それが何か?」
「今回の件はその『幽霊』。たぶん、その亡くなられたおじいさんの霊が起こしたものだろう」
「へ? 」
「僕らは同じものを見たはずだ。だが、見た『物』は違う。共通してるのは『何か恐ろしいものを見た』という点だけだ」
「は、はぁ」
「そして、僕らはそれぞれその『何か』が近くに来るっていう幻覚を見た。これが今回の話だ。
ここで、一つ疑問が出てくる。『なぜあのくねくねはそんなことをしたのか』ということだ」
「そんなの……わかるわけないじゃないですかぁ」
「簡単な話だ。怖がらせるのは『防衛反応』なんだよ。自然界にもいるだろ? 蜂みたいに警戒色を伴って天敵を寄せ付けないやつ。あれと一緒さ」
「……それでぇ〜?」
「はぁ……だから『守ってた』んだよ。田んぼをね。
きっと、あの田んぼは国の政策で無くなる予定だったんだ。でも、変なことが起きた。計測に行こうとしても、怖がって測れない。そんな土地じゃ、誰も手に入れようなんてしないだろ?」
「え、じゃあなんでくねくねなんかだって言われてたんですかぁ? 都市伝説とは全く別物じゃないすかぁ〜」
「『あれ』の力は見た人に恐怖を与えるもの。初めに見た人の誰かが元の話を知っていて、それを恐怖として幻覚を見せたのかもね。田んぼの怪談だったら比較的有名だろうし」
「で、そんな目的のためにことを起こすのはその爺さんくらいしかいない。と」
「そうだね。もし、自然現象だとしたらあまりにも局地的だし」
(まぁ、誰かのスタンドって線も捨てがたいんだけどね。ただ、普通の人間である彼が見てることから幽霊だと思ったんだけど)
「よーーし、それじゃあ早速その爺さんの家に行ってみましょう! もしかしたら、何か知ってるかも知れませんしっ!」
「いや? 行かないよ? さぁ、取材も終わったし帰り支度を始めるか」
暫しの沈黙。
「……またまたぁ〜。露伴先生の推測が本当かどうか知りたくないんですか?」
「知りたくないね。そもそも、さっきのは勝手な僕の推測だし、それを暴いたところで何の意味があるんだ?」
「そ、それはぁ……」
「ああいうものは残しといていいんだよ。『そういうことがある』、それだけで十分じゃぁないか」
「ですがーー」
「それに、僕も用事を思い出したんでね」
「用事ぃ〜? いったい、何を」
「墓参り、さ」
『くねくね』――終わり
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