小梅「よくわからない人たち」「何をしていたのか忘れた人たち」 (31)


・小梅を軸に起こる変な話を2本、話と話に繋がりはありません

・地文有り、軽いホラー要素有り、短め


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【よくわからない人たち】


「…もう、こんな時間…」


白坂小梅は今、駅前にいる

仕事を終えたので帰路につこうとしている

彼女は今、疲れている


「…今日は、こっちから…帰ろう…」


疲れているので、早く帰ろうとして近道をする

直進すればいいところを、左に曲がる

ほとんど明かりの消えたその道に、ゆっくりゆっくり、入っていく


珍しい道を通るという好奇心が、増していく

全身が暗闇に溶けこむ


「…こんな道、だったっけ…?」


一度だけ使ったことのある道が、全く違う世界のように見える

何故か記憶と一致しない

店など無かったはずなのに、店が建っている

両脇に街灯が並んでいたはずなのに、一本残らず無くなっている


「…………?」


彼女は、不思議な違和感を感じる

異世界に迷い込んだような気持ちになる

気になって振り返る


「………」


まだ駅前が見える

違和感と好奇心が混ざり合う

駅前を歩くよくわからない人たちは、左に曲がらず直進する

少し考える


「……や、やっぱり、こっちへ行こう…」


決心した彼女は、もう一度振り返って、歩き始める


するとすぐに、薬局の赤錆びた看板が見える

大きな『薬』という文字と、ひび割れた壁から滲み出る、水の垂れた跡が、また違和感を生む


「…変わった、お店……」


昭和風情たっぷりのそれは、完全にこの街から孤立している

なるほど、この店は、他の店の言うことを聞かなかったので、そのまま壊されずに済んだのかもしれない、と想像する


「…ふふ…子供みたい、だね…」


彼女の目にはその薬局が、意地っ張りの可愛い坊やに見えてくる


「……あれ…?」


2階の窓から、人型の何かがこちらを見ていることに気づく


「……何だろう……」


人間ではないと、すぐに分かった

頭らしい頭は無く、紫色のスライムのようなものが、四角になったり円になったり、変形しながらその部分にある

だが、幽霊を見慣れた彼女にとって、彼に対する恐怖は無い


「…こ、こんばんは…」


2階の彼に会釈をする

出会ったからには挨拶をするという、最低限の礼儀を守る

しかし、返答は無い

その動き回る頭は、一体どこを向いているのだろう、と彼女を考えさせる

結局わからないまま、薬局を後にする


薬局をすぎると、八百屋が見える

おもしろいほど朽ちた屋根が、そこらじゅうを舐め回すような動きで、風に吹かれている


「…ベロみたいに、なってる…」


これまた大きな『八百屋』と書かれた看板と、その下に垂らされた、緑と白の縦縞になっているもう一つの屋根

やはり、この八百屋もおかしい

現代社会から見放された孤独感を、どこか良く思っていない空気を、全体にまとっている

いや、もしかすると、それは勘違いで、最初からそんなものは無かったのかもしれない


「………あっ……」


「……また、誰かいる…」


閉められたシャッターの前に、何かが立っている

ソレは、悔しそうな顔で、『悔しい』と書かれた空っぽの買い物カゴを持ち、体中から歯ぎしりの様な音を出している

四十代後半の女、あるいは五十歳にも見える


「…どうしたんですか…?」


薬局の彼と同じく、返答は無い

ただただ全身から悔しさを出すことに夢中で、小梅の声は届いていない


シャッターを見つめるその目が、少し黄ばんでいる


「…何か…か、買い忘れたのかな…?」


この時間帯から言って、恐らく、夕飯の材料を買い忘れたのだろう、と推測する


「………おなか、すいた……」


疲れと共に食欲が湧いてきた彼女は、もう一度歩き始める


八百屋をすぎると、精肉店が見える

ここで初めて、彼女はぎょっとする


「…お店、開いてる……」


全ての店が閉店しているこの通りにおいて、たった一軒、この精肉店だけがまだ営業している

店内から漏れるオレンジの明かりが、通りを四角に照らしている

明かりを浴びながら、そっと中を覗く


「……誰も、いない……」


縦長の店内は、人気が全く無い

ガラス張りの棚も、肉の部位と値段が書いてあるだけで、何も置かれていない

しかし奥の方から、微かにラジオの音が聞こえる

はっきりとは聞こえないが、何かのニュースを読みあげているのが分かる


「……っ……」


なぜか反射的に身震いする

言い表せない不気味さを感じる

彼女はすぐにその場を離れ、足早に、元の帰路につく



精肉店をすぎ、暗闇が戻る

店は一軒も無くなり、誰のものとも知れない家の群れが、並び出す

歩いていると、駅前からずいぶん離れたことを感じる

ふと、我が家を思い出す


「…もうちょっと行って、ふ、服屋さんが見えたら…大丈夫…」


おぼろげな記憶を辿りながら、一歩一歩進んでゆく

先ほどまで感じていた不思議な違和感や好奇心は、もう無い

それもまた、不思議に思える

切ないような悲しいような、長い付き合いの友だちが転校するような、妙な感情が残る


「……………」


気になって振り返る


「……………」


すぎたはずの、駅前が見える

駅前を歩く、よくわからない人たちは、やっぱり左に曲がることなく、直進している

彼らを見た途端、彼女の頭が、変形していく

ああ、どうして近道なんてしたんだろう、と悔しくなって、涙がこぼれる

すると、両脇に並ぶ家の群れが一斉に、明かりを付け、ラジオのニュースを流しだす

アナウンサーの読みあげる文章が、今度こそハッキリと、彼女の耳に入ってくる


「………」


彼女は無言のまま、もう一度振り返って、左に曲がり、歩き始める

寂しげな背中が、暗闇に吸い込まれていく

曲がり角の向こうでは、服屋のシャッターが降ろされる

夏場にしては珍しい、湿気の少ない涼風が、辺り一面に流れている

雲ひとつない夜空

月が高く浮いている



【よくわからない人たち・終】


【何をしていたのか忘れた人たち】


遠くの方から、どたばた、慌ただしい足音が聞こえる

年末が近づくこのシーズン、どこのテレビ局もこの調子だろう


「…みんな、大変そう…」


白坂小梅は、この日二本目の収録を楽屋で待ちながら、台本を確認していた

その分厚い台本は、自身がつけた赤ペンのチェックで、いっぱいになっている


「…ここではけて、次は…歌の準備…」

「…あれ…ち、違うのかな……?」


どう考えても、十三歳の少女に覚えさせる量ではないが、


「………よしっ……」


彼女は、プロだ


「……もう一回…読み、直そう…」


華奢で小柄で、一見気弱そうな彼女も、同じ仲間と切磋琢磨しながら、死に物狂いでこの世界を生きる、正真正銘のプロなのだ

そのストイックな姿勢と、目の奥に燃え盛る熱情が、普通の少女ではないと、すぐに分からせてくれる


「……えっと、この、タイミングで……」


「…つ、次はここで…………えっ…?」


唐突に、楽屋のドアがノックされる

時計を確認するが、まだまだ収録の時間には程遠い

どうしたんだろう、何かトラブルでもあったのかな、と心配になる

すると、失礼しますという声と共に、ドアがゆっくりと開かれた


「白坂さん、お疲れさま」

「…あれ、○○さん……?」


入ってきたのは、知り合いの大道具だった

彼は、小梅が抱えるレギュラー番組の大道具で、彼女と同じく、大のスプラッタ映画好きということから、現場でよく自分の話し相手になってくれる、仲のいいスタッフなのだ

今まで一度も楽屋に来てくれたことのない彼が急に訪ねてきたので、少し戸惑いはしたが、逆に嬉しくもあった


「…ど、どうしたんです、か…?」


また新作DVDの話でもしてくれるのかなと期待しながら、彼女は言葉をかけた

しかし、わざわざ楽屋に出向いてくれた彼の目は濁っており、何だか申し訳なさそうな表情で、目線を下に配っている


「その…一つ聞きたい事があってね…」

「…聞きたい、こと…?」

「うん、そうなんだ…」


申し訳なさそうな表情のまま、そう言ってきた

彼女は不思議に思った

雰囲気と表情からして、いつもの映画トークではないだろう

と言って、彼ほどのベテランが仕事のことで質問をしてくる筈がない

むしろ、彼女の方から、質問したいことが山ほどあるくらいなのだから

彼女は、また戸惑った


「き、聞きたい事って…何、ですか…?」

「…えっと、その……」



「……俺、さっきまで何してたっけ…?」

「………………へっ…?」


彼女は、さらに戸惑った


「…ど、どういうこと…ですか…?」

「いや、いきなりごめんね…本当に…」

「急に全部忘れちゃって、さ…」

「…………」


意味が分からなかった

質問の内容も意味不明だが、それをなぜ自分に聞いてきたのか、一番の謎だった

いくら仲が良いと言って、今日初めて会う人間の動向を知る術など、ある訳がない


「なんで、それを…私に…?」

「………全部忘れた時に」

『そうだ、白坂さんに聞けば良いんだった』

「……って思い出したんだ」

「……な、なるほど……」


なるほど、と返した彼女の頭は、パニック寸前になっていた


「……何か少しでも分かる事ないかな?」

「ごめん、なさい…わ、わからないです…」

「………………」

「……………本当に?」

「……っ……!」


「私、台本読まなきゃ、ダメなんです…!」

「もう、で、出ていって、ください……!」

「………………」


必死の剣幕に、大道具の彼は無言で、楽屋から出ていった

本当に?と聞いてきた彼の目が、異常なまでに、据わっていた


もはや彼女に、台本の内容を覚える余裕などなかった

あの目を思い出すだけで、吐き気がする

壮絶なイジメを受けたような、悲しみやら憎しみを脳内にねじ込まれたような、死ぬまで考えたくもなかった感覚だった

本当に吐かなかっただけマシだ、とさえ思えた


「……っはぁ……はぁ……」


思わず、横にある水を飲み干した

口からこぼれ落ちるのも気にせず、喉の奥から逆流してくるものを、何とか抑えつけた


彼女はよろめきながら、ドアの鍵を閉めた

この異常事態の唐突さと、意味不明さと、どうしようもない恐怖と

何より、今のところ救いが無いという事実が、小さな身体を震わせる

その時


「ッ……!!」


施錠したばかりのドアを、誰かがノックした

ノックした、というより、殴ってきた、に近い衝撃だった


「…や、やめて……!」


彼女はすぐに、このドア一枚向こうに、複数人いるということを知った



「なあ白坂さん!教えてくれよ!」

「さっきまで俺たちは何をしてたんだ!」

「こいつらに聞いても分かんないって言うんだよ!」

「アンタに聞けば全部分かるんだろ!なあ!!」

「おい!!早く教えてくれよ!!」

「さっきまで何してたんだよ俺たち!!」

「そこにいるんだろ!!!黙ってんじゃねえぞ!!!」

「早く!!!!教えろよ!!!」



「俺たちは!!!何してたんだ!!!」



【何をしていたのか忘れた人たち・終】


おしまい

『おとうさんがいっぱい』の偉大さを再確認した

一瞬でも見てくれたらありがとう

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