木曾「独りぼっちは…寂しいもんな」(27)

注…鬱END・地の文


俺は雷巡の木曾だ。とある鎮守府で艦娘として戦ってる。

俺たちの鎮守府はみんな仲が良くて、団結も強い、文句なしの鎮守府だ。

そんな俺の一番のライバルであり、親友ともいえるのが、同じ巡洋艦の天龍だ。

ときには戦績を巡って共に硝煙の下をくぐり、ときには提督を巡って恋を戦ってる。

長きにわたっている深海棲艦との戦いは人類側が押していて、勝利は近いと言われつつあった。

だから近頃の作戦の合間には、天龍と提督とでピクニックに出かけたり、街に出て遊んだりして楽しむ余裕があった。

そんな厳しくも楽しい日々が続いていた。…そしてこれからも、ずっとつづくと思ってた。


ある日、俺と天龍は駆逐艦たちを引き連れて遠征に向かった。何の変哲もないいつもの資源輸送任務。

戦線から遠い海域で、自分たちが優勢な立場にあるという安穏に浮かんでいた俺たち。

その平穏が、一発の砲声で数秒前の跡形もなく消え去った。

まさか遭遇するとは予想だにしていなかった、強力な敵部隊との遭遇。急いで輸送資源を捨てろと叫ぶや、俺と天龍は迎撃の火ぶたを切った。撃った。撃ちまくった。だが、敵の火力は衰えない。

駆逐艦たちも健気に応戦するが、優勢な敵の砲火の前に次々と被弾していく。………このままでは撃沈される艦が出る。

気づけば前面に出ていた俺も天龍も小破していた。傷だらけになった己の艤装を見ながら、どうしようもない現実が苦みを増して這い上がってくる……俺たちはこいつらを守り切ることができない。

だがしばらくして、鎮守府から無線で撤退命令が出た。救援部隊も出撃したと無線が入る。これでチビたちを守りつつ撤退できる。

俺と天龍が思わず安堵の目を合わせた刹那だった。まるでその時を狙い澄ましていたかのように、足元の海面が沸騰して盛り上がり、まず海水の瀑布が視界を覆い隠し…裂け目から蒼穹の青空が飛び込んできて、宙に浮かんだ俺は海面に叩きつけられた。

激痛にのたうつ身体の悲鳴が、雷撃を受けた自分の無様をひと呼吸おいて否応なく伝えてくる。

しかしそれでもまだ浮かんでいる自分の上体を海面から引き剥がすように起こし、とばっちりを喰らったであろう相棒の方を見やる。

天龍も、被雷して海面に引き倒されていた。

………情けねえな、俺たち。

苦しそうに身を起こしながらも天龍は確かにそう言って、頭のどこかから滴らせた血で濡れた顔に苦笑を浮かべていた。

涙交じりの悲鳴を上げながら、駆逐艦たちが俺たちの周りにひな鳥のように寄ってきた。


いたいけなこいつらは、俺と天龍を曳航しようと、俺たちのぼろぼろの身体を引き起こそうとする。

しかし小破あるいは中破した駆逐艦たちが、大破状態の巡洋艦二杯を引っ張って海域を脱出することなど不可能だ。

それを分かっているにもかかわらず、駆逐艦たちは涙を振り絞って俺たちを曳航しようともがいている。

………だめだ、やめろ。俺たちなんか置いてすぐに逃げるんだ。ほら、敵機が集まってきたぞ、ここで固まってちゃだめだ…

そう言いつつも俺も天龍も、愚直なほどに健気な駆逐艦たちの献身に、思わず涙をにじませた。

すぐ訪れるだろう死ももう怖くはなかった。俺も天龍も、ただただ、ここまで連れてきてしまったチビ達を沈めたくはなかったのだ。

かくなる上は駆逐艦たちに、より酷い大破状態の天龍を曳航・退避させ、まだ被害のマシな俺は決別電報を打電して敵部隊に肉薄・自爆してこれを援護する…俺はその覚悟を決めようとしていた。

が、その鎮守府から更なる無線が入った。駆逐艦の誰かが現状を伝えたのだろう、それを受けた提督の命令はあまりにも切なかった。

  駆逐艦は雷巡木曾のみを曳航し、速やかに現海域より退避せよ

思ったよりも頭が内容を冷静に理解し、続いて思ったよりも強い激情が腹の底から吹きだした。

………ふざけんな!どうしてそんな残酷な命令を出すんだよ!俺はいいから、天龍を助けてやってくれよ!提督…!

そう叫びながら、心のどこかでは理解していたのだ。ここから俺と天龍の二杯を駆逐艦の曳航で脱出させることはできない。敵も時間もそれを許してくれないだろう。

ならばせめてどちらかだけでも救い出せるのであれば救い出す。そうなれば、選ぶべきは…


提督は“俺”と“天龍”を秤にかけたのではない。“雷巡”と“軽巡”を秤にかけたのだ。

そうだ、そうするしかなかったのだ。俺たちの提督が前者のような残酷な選択をできるわけがない。そんなことは俺も天龍も苦しすぎるほど知っている。

そうである以上、提督は心を殺し、ただ俺たちを兵器とし て無機的に比べる事しか出来なかったのだ。どちらかを選ばなければ、どちらも喪ってしまうのだから…。

俺は泣いていた。駆逐艦たちはそれこそ号泣していた。みんな自分の無力さとその結果に身も悶えんばかりに泣いていた。

…天龍だけが、笑っていた。

………悪ぃな、木曾。しんがりっていう大役をもらっちまってよ。

次の瞬間、どこに残していたのかと思うほどの力強さとしなやかさで、天龍は立ち上がった。

そしてあいつはあとを振り向くこともなく、艤装から黒煙と炎をたなびかせつつもゆっくりと敵艦隊に肉薄していく。

雄々しいという言葉が艦娘に相応しいのかは分からないが、仁王のように両手を広げた天龍の、自分の命を何かの為に燃やし尽くそうとする後姿は、本当に雄々しかった。

嗚咽を上げながら退避する駆逐艦たちに手を引かれ、俺は…遠ざかる敵艦隊の中に、ほんの一瞬だけ紅蓮の花が生まれ、やがて黒い煙となって天に昇っていくのを見た。

敵は、追ってこなかった。


帰港も入渠も押しつぶされそうな眠りの彼方に消え去り、はじめて目を開けた時の俺は鎮守府の医務室に寝ていた。

傍には提督と龍田がいた。

俺が目を覚ましたのを見て安堵を浮かべたのも束の間、提督の顔には抑えきれないほどの悔恨と苦渋がすぐに滲み出した。

恐らく報せを受けた時からずっとそうだったのであろう提督の表情を見ながら、ああ、俺たちの提督はやっぱりこういう人だったんだ…と思った。

龍田は思ったよりも気丈そうな様子で俺のことを案じてくれていた。ごめん、俺のせいで、と繰り返していつの間にか泣きじゃくる俺を、龍田は、貴女も提督も悪くなんかない、と慰めてくれた。

俺は結局提督に恨み言の一つもぶつけられないままだった。皆が皆、それぞれに同じ重さの十字架を背負っていることに気づいてしまったからだ。

駆逐艦たちも、姉さん達も、そして他の艦娘達も、俺の回復を喜んでくれた。だけど俺はそれが何よりも苦しかった。


しばらくして、俺はまた遠征任務に戻った。立ち止まり続けても仕方がないと思ったからだ。

まるでこの間のことなどなかったかのように、新しい艤装も服も、潮風を浴びて輝いていた。心だけが真っ白なセーラー服の内側で痛みにくすぶっていた。

…ある時、俺は 一人で駆逐艦たちを率いて遠征に出た。その戻りだった。

またあの忌まわしい海域で…敵の雷巡がこちらを攻撃してきたのだ。

こしゃくな、雷巡一杯なんて…と思ったが、あの時の記憶が鼻の奥をつんと刺すように蘇る。

俺は鎮守府方面と直角に艦隊を走らせ、一定のタイミングで駆逐艦たちを一杯ずつ変針・退避させていく。

今度こそは何が何でも被害を出したくない、という思いもあった。駆逐艦たちは何としても脱出させ、敵は俺一人で引き受けてやる、そのつもりだった。

…だが、俺は敵の攻撃姿勢に違和感を感じはじめていた。

雷撃コースと着弾のバラつきに、癖のようなものがあるのを感じたのだ。しかも、それは以前に見知っていたような…。

退避行動の甲斐あってか、駆逐艦たちは無事に目視圏外まで逃げおおせた。あとは指示通り鎮守府までたどり着けるだろう。

一人だけになった俺は、180度回頭してチ級と向き合った。

油断なく全砲門と魚雷発射管をチ級に向け、じりじりと微速で距離を詰める。

チ級の顔のほとんどを覆う面…通常のチ級ならそれは右眼を隠す。しかしそのチ級の面は左眼を隠しており、こちらを見据える眼差しは右眼からのものだった。


………なあ、お前、天龍じゃねえか?

俺たちの憎むべき深海棲艦を目の前にしてなお、抑えきれないとはいえ疑念がこうも呆気なく自分の口から出たことに驚いた。

しかし言葉は止まらなかった。

………お前なんだろう?さっきの砲撃も雷撃も、前に散々演習でお前に苦しめられた時とまったくおんなじだもんな?

チ級は何も言わなかった。さりとて攻撃の意思も見せてこなかった。いや、そもそも最初から命中させる意思なんてなかったのだろう。

沈んだ艦娘は深海棲艦になるというまことしやかな噂話を聞いたことがある。

単なる与太話として流していたが、今ほどそれが真実であってほしいと思ったことはなかった。要するに俺は亡霊であろうと何であろうと、俺の代わりに沈んだあいつに会いたかったのだ。

それを無言で肯定するかのように、チ級は懐かしいまなざしでこちらを見据えた。

正対していた俺たちは、いつしか触れ合うほどのところまで来ていた。

これほど深海棲艦と近接したことはない。だが、これほど殺気のない深海棲艦とも接敵したこともない。…そして、これほど敵の姿かたちをしたものに懐かしさを感じたこともない。

俺はチ級を抱きしめた。身震いするほどにその身体はひやりとしていたが、そんなことはすぐにどうでもよくなった。

チ級は、俺を優しく抱き返してくれたのだ。

………やっぱり、お前天龍だったのか!なぁ、俺、お前と色々話したいことがあるんだ。いや、その前に謝らなくちゃ…

あふれ出る思いが喉もとでつっかえて 、結局何も言葉を紡ぎだすことができない。

そんな間抜けな俺を、チ級はそっと押し放した。


戸惑う俺に、チ級は、かつて天龍が真面目な話をしていた時のまなざしでこちらを見、不自然なまばたきを寄越した。

…?

………どういうことだよ、おい、天龍…

チ級はまばたきを終えると、急いで踵を返すように反転し、高速で洋上を走り去っていった。

…それこそ呆気なく終わった再会。追いかけることも考えたが、止めておくことにした。どのみちまた会えるという確信があったからだ。

改めて考えれば、形が変わったとはいえ、天龍と会えたことは何よりもうれしかった。

俺は空に砲口を向け、当てずっぽうに数十発砲撃した。

チ級と遭遇しておきながら一発も消費せずに戻れば、鎮守府の皆がさすがに訝しむだろう。

水柱を立てることのない砲声は、さながら祝砲のように洋上に響いた。


遠征がえりに襲われたということで提督は色を失って俺を迎えてくれたが、俺の無事を見て、本当に良かったとへたり込んでいた。

ああ、俺たちはなんと幸せな艦娘なのだろう。

…提督もまだ完全に立ち直っているわけではない。

自分の命令ひとつで天龍を見捨ててしまった己を許すことができないのだろう。

天龍の喪失以来、提督は躍起になって、艦隊を挙げた深海棲艦の残党狩りにいそしむようになった。

龍田は、そんな提督の意を忠実に実行すべく、それまで以上に深海棲艦と激しく立ち回り、より多くの敵を沈めるようになっていた。

恐らく、自分の感情のやり場を戦場に見つけることにしたとしか思えない。

…こんな風に冷ややかに周りを見つめる俺は何なんだろう。

二人は二人なりのやり方で心の平穏を取り戻そうとして、全身全霊を掛けているのだ。

そんな二人に、天龍が深海棲艦として生きていたなんて言えるのだろうか。

言えるわけがない。心の中に十字架を立る場所とその悼み方を見つけた二人に、そんな一見してふざけたような事を言えるわけがない。

…あいつは、深海棲艦になって生きてたんだよ、などと…。


あのチ級が別れ際に残したまばたき…見たときからすでにその意味するところは分かっていた。

モールス信号だったのだ。

恐らく深海棲艦になってしまったことで、以前のように十分な意思の疎通が…声を発することができないのかもしれない。

だからモールスというやり方で、俺になにごとかを何とか伝えようとしてくれたのだろう。

…ナノカゴ…?

七日後?

一体なんなんだこれは?深海棲艦語なんてものがないのであれば、これは間違いなく一週間後という意味だ。

一週間後がどうしたんだろうか。何があるのだろうか。

それから六日間、俺は遠征がえりに一人になってあの海域に寄り道をした。

チ級は現れなかった。

恐らく、この頃からだったんだろう。遠征から一人だけ遅れて戻ってくる俺を、提督と龍田たちが訝しむようになったのは…。


七日目の夜明けを待てず、俺は新しい艤装の調整をすると嘘を言って、単独であの海域へ向かった。

…あのチ級は約束をたがえなかった。あいつは静かに波に揺られて俺を待っていてくれた。

………おい天龍、こないだはとんだ再会だったよな。時間がなかったのか?慌ただしく帰っちまってさ…。

………なあ、一体どうしたんだよ。ここで何があるんだよ?俺、お前と話したいことがたくさんあるんだよ。

チ級は目をそらした。表情も暗い。

おかしな様子のチ級の傍に寄ってみる。すると、チ級が今回は自分から俺を抱きしめてきた。そうこなくっちゃな、天龍…

しかし、その腕には前回のような優しさはなかった。何が何でも俺に身動き一つ取らせない強さが、チ級の確固たる意志を示していた。

………おい…何の冗談だよ!天龍…

もがきながら、俺は一瞬だけ後悔した。よく考えれば、そもそもこのチ級が天龍だという確かな根拠は最初から無かったのだ。このチ級は間抜けな艦娘一杯をハメて、ここで沈めるつもりなんじゃないのか…?

しかし、チ級はそれ以上は何もしなかった。そしてチ級はただ震えていた。何かに怯えるように震えていたのだ。

………天龍?どうしたってんだよ??

伏せられていたチ級の顔が、不意に周囲を巡らした。チ級の震えは、まるで予想外のことに直面したような明確な怯えに変わった。

俺はチ級の視線を追いかけ、その理由をすぐに察した。


…鎮守府の艦隊の皆が、少しの隙もなく俺とチ級とを包囲していた。……俺は自分が尾けられていたことを悟った。

味方が射線に入らないようにそれぞれ三つの部隊に分かれ、火砲も魚雷も艦載機も、こちらに殺意をもって向けられていた。

恐怖と怯えと憎悪とが、懇親一体となって海上に立ち込め、俺たちに押し寄せていたのだ。

その一つ一つの視線が俺に問うてくる。

………これは一体どういうことなの?なぜ?どうして?

言葉が出なかった。いや、言うべきことは分かっているが、それを言ったところで皆は俺が狂ったとしか思わないだろう。しかし、何も言わなければいずれ俺たちは沈められる。

………違うんだ…なぁ、話を聞いてくれよ…!驚かしちまったのは謝るよ。だけど…!

………こいつ…ほら、天龍なんだよ。な、俺らの仲間だった軽巡の天龍だって!!

嘆息と驚愕がざわと広がり、続いて哀れみの視線が俺を三方から刺した。

天龍を喪ったあの戦闘の記憶あたらしい皆に、当事者だったはずの今の俺の様はどう映っているのか…。

俺たちを包囲する艦娘のうちの一杯が、たまりかねたように前に出てくる。

龍田だった。彼女の怒りの視線と火線とで、俺はまるで俺自身が深海棲艦になってしまったように思われた。


………木曾、貴女どうかしてるわよ!そんな深海棲艦なんかが天龍ちゃんな訳、ないじゃない!

………天龍ちゃんはもう沈んだの!貴女、見てたんでしょう!?

チ級は龍田を見た。少しだけ懐かしそうな表情を浮かべたが、すぐに辛そうに目を伏せる。

それを見て俺はよくわからないもどかしさと怒りに駆られ、チ級の面をはぎ取った。

艶の浮かんだショートカットの髪。左目の瞼に走る小さな傷痕。肌の色こそは鉛色に沈んでいるが、この面影を忘れる艦娘が俺たちの艦隊にいようか。

………見ろよ!信じてくれとは言えねえけど、頼むからこいつをよく見てやってくれよ!

艦隊に静かな沈黙が広がった。動揺しつつも、皆それぞれに何か思うところを得たようだった。

あの時天龍に救われた駆逐艦たちなどはチ級の顔を見て目を見開き…唇を結び、ややあって顔と主砲とをほんの少しだけ伏せた。

頼む、このまま状況が好転してくれれば、ややもすればこいつは…

そんな甘い望みを思い浮かべたその時、無線が入った。

鎮守府で事の推移を見守っていたのであろう提督からだった。

………木曾、そのチ級からすぐに離れろ。我々はその深海棲艦を殲滅する。

………ちょっと待ってくれよ提督、今皆にも見てもらったばかりだけどさ、このチ級は敵じゃねえんだよ!天龍なんだ!

………黙ってて悪かったけど、一週間前にも俺はこいつとこの海で会ってさ、しかも抱き合ったんだよ!

………俺には分かる、俺には分かるんだ!こいつは天龍だっ!!


俺がひとしきり叫んだあとで、提督は静かに答えた。

………俺も、もしかしたらそうかもしれないとは思うよ。

………だろ!?だったら、みんなに命令してくれよ!砲を下げて包囲を解けってさぁ…

………だけどな、木曾。深海棲艦と人類とはどうあっても共存できないんだよ。

………今まで黙ってたけどな、国の研究所が明らかにしたことがある。深海棲艦は轟沈した艦娘の魂と身体を取り込んで、仲間にするんだ。

………つまり、皮肉にも艦娘こそが深海棲艦の宿主になりえる存在だったってことだ。

………だからこの地球上に深海棲艦が一体だけでも存在する場合、奴らはそこから無限に増えていく可能性がある。

………お前たち艦娘を餌にしてな。

………だから、深海棲艦は一匹残らず殲滅しなきゃだめなんだよ。

………俺は…またお前を失うようなことはもう絶対に嫌だ。

………俺は、今回の選択はもう迷わないぞ。俺は深海棲艦を葬り、お前を守る。そこに何の間違いもないはずだ。だろう!?分かってくれよ、木曾!!

………止めてくれ!皆も提督もどうかしちまってる!こいつは深海棲艦じゃないっ!天龍なんだ!俺の身代わりになってくれた天龍なんだっ!!!

………身体は深海棲艦でも、魂までは奪われてない、こいつは間違いなく天龍なんだよっ!!!

俺は必死に叫んだ。


………龍田、木曾に気付けの一発を頼む。

提督が静かに言った。心得た龍田は、やにわに主砲を構える。

発砲炎を見たと思ったら、すぐ目の前の海面に大きな水柱が立った。

抱き合う俺たちの腕が思わず強張る。俺もチ級も、あの時の記憶を否応なく思い出していた。

だがそんな威嚇で、このチ級を…天龍を見捨てて引き下がるなんてことはあり得ない。

誰が何と言おうとも、せめて俺だけはこいつと一緒にいてやりたい。

俺は水柱の噴き上げた飛沫を全身に浴びつつも、チ級を庇い抱くことだけは絶対にやめなかった。


………仕方がない。龍田、再度主砲砲撃用意。目標、木曾の舷側。一発だけ撃て。木曾の目を覚ましてやるんだ。

無線を傍受していた艦娘達からどよめきの声が上がった。

しかし龍田はおもむろに砲身を俺に向け、一発撃った。

身体が弓なりにのけぞり、刺すような痛みを受け止める。信管が作動しないように命中箇所と角度とを選んでくれる思いやりはあったが、同時に…次は容赦しないという殺意も込められていた一発だった。

そして同時に、その一発は俺の射撃管制装置をも殺してしまっていた。

………木曾!いう事を聞いてくれ!俺にもう非情な命令を出させないでくれよ!!

提督も半ば半狂乱になって、まるで懇願するかのように叫んでいる。

俺も俺で、嫌だ、いやだとまるで子供のように泣き続けた。

チ級も俺の腕の中で小さく震えていた。



…ややあって、龍田が吐息をひとつついて言った。

………木曾、貴女も苦しんでたのね。今分かったわ。天龍ちゃんの永遠の不在をそこまで悲しんでくれるなんて、私も妹として本当に嬉しい。

………けど、…よりにもよって深海棲艦なんかを、天龍ちゃんの代用品にすることだけは許せないわ!!!

最後のほうは絶叫に近い声で、龍田はまた主砲をこちらに指向した。

だが…その時、大質量の物体の風切音が聞こえて…唐突に爆炎が出現し、…龍田は、まるで最初からいなかったかのように吹き飛ばされた。


敵襲よっ!!!

艦娘の誰かが叫んだ。俺たちに向けられていた視線が、戦艦クラスの主砲弾が飛来してきた方向に向く。

友軍艦隊の戦艦は主砲を旋回させ、空母は艦載機を急発進させ、巡洋艦・駆逐艦は散開する。

やがて、水平線上に深海棲艦の大規模な機動部隊が姿を現し、みるみるうちにこちらへ迫ってきた。

…それが、深海棲艦たちの残存する総力を結集した、最後の反攻作戦であることに疑いはなかった。

見ると、味方の残存鎮守府からも増援の艦娘艦隊がこちらに最大戦速で向かってくる。

そうして、艦娘艦隊と深海棲艦艦隊が激突した。

四方八方から発砲炎と爆炎とがあがる。

敵味方を問わず、燃える、爆ぜる、沈む。

身をよじるように倒れる戦艦。

敵機に滅多撃ちにされて千々になっていく空母。

魚雷で吹き飛ばされていく巡洋艦。

一発の砲弾で跡形もなく消し飛んでいく駆逐艦。

損害のある艦もない艦も、とにかくもがくように走り回り、撃ち放している。


鎮守府で声を張り上げて無線指揮を執っていた提督の声が途絶えた。

直前にかすかに聞こえた死の口笛…航空爆弾の風切り音がその原因とみるしかなかった。鎮守府は敵航空戦力に叩かれたのだ。

その敵航空部隊も、時を待たずにこちらへ向かってくる。

敵味方の両艦隊がついに入り乱れた。

さながら肉弾戦の様相を呈する地獄のような戦場。

飛行甲板を失った空母が、最後の艦載機を敵ヲ級に特攻させ、怯んだところを体当たりして両者とも爆沈していく。

敵機の攻撃に逃げ惑い、膝まで沈みながらも砲撃をやめない戦艦たち。

手と手を取り合って沈んでいく巡洋艦たち。

一杯の駆逐艦が、最後に残った魚雷を両手で頭上に振りかぶり、敵タ級の後ろ姿に思い切り叩きつけ、蒸発していく。

艦載機もまるで数珠つなぎのように敵味方が順番に列をなし、前の敵を撃ち落としたのもつかの間、後ろの敵に叩き落されていく…その死の単縦陣。

もうどちらが優勢でどちらが劣勢かという状況ではなかった。

俺も本当は戦わなくちゃいけないのに、ただただその場にへたり込み、チ級と抱き合いながら目の前の戦闘を目の当たりにすることしかできなかった。

目の当たりにしているうちに…目の前の現象が、たんに何者かと何者かどうしが対消滅しあう荘厳な儀式のようなものに見えている自分を発見して俺は驚愕した。

もう敵も味方もなかった。まるで決まったことのように、二つの存在どうしが互いに打ち消しあって海に消えていく、その繰り返し。


………深海棲艦も俺らも、しょせんはどちらも呪われた存在なのか…そういった意味で、結局二つは同根だったのかもしれないな。

………あの時、天龍はこの反攻作戦のことを俺に教えたかったのか…呪われた存在に変わり果ててしまった己を顧みて、鎮守府の皆は無理でも、せめて俺だけでも戦禍から引き離そうとしてくれていたのか…。

もう戻しようもない時計の針の先端が、俺の心をゆっくりと、鋭く刺した。

どこか美しく呪われた海に、俺と天龍は力のない幼子のように抱き合いながら、たくさんの命が消えていくのを見ていた。


やがて、砲声はしんと消えた。

油の膜が、ついさっきまで生きていた命の数だけ海に浮かんで揺られている。

………二人ぼっちになっちまったな。

もう残存する艦艇は俺とチ級以外にはなかった。敵も味方も…深海棲艦も艦娘も、もうこの海には浮かんでいなかった。そう、俺たち以外には。

それきりどちらの増援も来ないところを見ると、両者とも俺たちを残して全滅してしまったのだろう。

………まるで、終末版のアダムとイヴだな。

チ級は、漂ってきた艦娘の艤装の欠片たちを手で拾い上げ…涙を浮かべていた。間違いなく龍田のものもあり、可愛がっていた駆逐艦たちの一部だったものもあった。

俺も泣いた。俺たちの浮かんでいるこの海そのものが俺たちの涙なんじゃないかってくらいに泣いた。姉さん達、龍田、チビ共、仲間たち、提督…!!

チ級が泣きはらした目で、俺に懇願するようにまばたきを浮かべた。

………オレヲ、ウミニカエシテクレ…

これ以上ない絶望に沈んだチ級…天龍のその顔を見た俺は、心の中で静かに一つの決意をした。


………おいおい、何ふざけたこと言ってやがる。

………俺だけ生き残れ、そう言うのか?

………提督もいなくなっちまった。姉妹たちも、他の艦娘達もな。

………俺一人生き残ったところで何になる。目の前で戦って沈んでいった艦娘たちにも顔向けできねえよ。

………もともとこの命はお前のそれを身代わりにして生きながらえたものさ。この先独りで煉獄に生きるためのもんじゃねぇよ。

………俺だけ独り、朽ちていくなんて嫌だぜ。

………な、仲間外れにしねぇでくれよ?独りぼっちは…寂しいもんな。

チ級は目を閉じ、頭を横に小さく振った。しかし口元は微笑していた。

………仕方のねえ奴だなってか?

………お互い様だ。

………俺たちも、美しく消えていかなくちゃな。


俺は自分の魚雷発射管を上向きにした。心得たチ級は、左腕の主砲の砲口をそこに被せる。

自分の死に際して、どうも俺の心は澄み渡っていた。すぐそこにあるチ級の…天龍の眼も同じだった。

俺たちはほんのわずかに最後の微笑みを交わした。

………またな、相棒。すぐに会えるさ、絶対にな。

…俺たちはどちらからともなく、くちびるを重ねた。

甘くて苦い死の味が、俺たちを光とともに包み込み…………消滅していった。


………………やっぱり会えたな、相棒。お前はその姿のが似合ってるよ。

………………また一緒になれて良かったぜ。まばたきじゃ伝えたいこともうまく伝えられなかったしな。

………………天龍、あの時、俺らを助けてくれてありがとな。お前のおかげで、俺たちは…

………………何言ってやがる。お前に美味しいとこ持ってかれてたまるかって話だよ。どっちにしろもう済んだことさ。

………………強いな、お前は。

………………お前だってそうじゃねえか、木曾。俺のこと、皆から守ってくれてありがとな。最後まで…

………………なんか湿っぽくなっちまったな。悪ぃ。

………………そんなことより、見ろよ。俺らのご主人様のお越しだぜ。


………………よぉ、提督。

………………久しぶりだな、提督。

………………おお、木曾…天龍…!!

………………良かった…またお前らに会えて良かった…!!!

………………ははは、俺らが提督の傍から離れるわけねぇだろ。なぁ、天龍?

………………あたぼうよ。こう見えて寂しがり屋だもんな、俺らの提督は!

………………天龍、済まなかった…俺は、二度もお前を…

………………何言ってんだよ。仕方ねえさ。提督は提督の仕事をしたんだから、それでいいのさ。

………………天龍もこう言ってんだし、またこうして会えたんだからいいだろ、提督?

………………そうだぜ提督。それに待ってたのは俺たちだけじゃねえぞ。ほら…

テンリュウチャーン!テイトクー!

ア、テイトク!テイトクガキテクレタデース!ムネガタカナリマス!マッテオッタゾ!モウ、オソカッタジャナイ!レディヲマタセルナンテ!マチクタビレタノデス!シレイカーン!!テイトクー!


………………みんな…みんなを死地に追いやってしまった、こんな俺なんかのことを…

………………たりめーだろ、俺らは提督の艦娘なんだからよ、どこへ行こうとも俺らの先頭に立っててくれなくちゃ。

………………そうこなくっちゃなぁ!それが俺らの鎮守府だもんな!

………………俺は、お前らに平和な世界を見せてやることができなかった。それが心残りだよ…

………………この海から見守ることができるさ。それでいいじゃねえか、なぁ?

………………ああ。もう砲弾も硝煙も立ち込めることのないこの海からな。それだけで十分だよ。

………………お前ら…ありがとう…!

………………さ、それよりも皆のところへ行こうぜ?俺も早く龍田を抱きしめてやりてえしさ!

………………ああ、皆待ちくたびれてるみたいだぞ。いつまでも提督を俺らだけで独占はできねえもんな!

………………そうだな…行くか!



………………艦隊、集合っ!!!!



おわり

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