雪風「ただいま」 (28)




私は今、空を見上げている。


随分歳を取ったものだ。
幼き頃の面影はなく、髪も腰まで伸びた。


たくさんの戦いの日々と、たくさんの死を目にした。

ずっと一人ぼっちは心細かったけれど、それでも私を必要としてくれた人がいたので、それは嬉しかった。



司令とお別れして、もう何十年立つのだろう。

幼き頃に抱いた恋心を貫いたのはいいけれど、私はもうこんなに老けてしまった。おかげで嫁の貰い手はなさそうだ。



「……」


この広い青空の向こうには、何が私を待っているのだろう。

天国や地獄といった世界を信じている訳ではない。また、信じるつもりもない。
それくらい、私は現実が残酷であると知っている。

皆私を置いていく。

必ず生きて戻ろうね、と約束した皆は、私を残し先に逝ってしまった。


残っているのは私か、若しくはロシアにいると思われるあの子。
今は連絡すら取る手段もない。

無事なのかどうかすらも、もう分からない。



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「……丹陽」


不意に私の名が後ろから呼ばれた。

そう、私の名は丹陽(たんよう)。
この国で必要とされ活躍した駆逐艦である。


「……」


私は声のした方を振り返る。
だがすでに台風で機関が大破しているため、体を動かすことも辛い。
まあ、それは取り過ぎた歳のせいでもあるかもしれないのだけれど。


「準備、できたよ」


その男性は優しく私に声をかけてくれる。
私の容姿は既に30代の中年、それに暴風のおかげで見れた顔ではない。
ただ、それでもこの国のために奮闘した私を称えるかのように、彼の眼は真っ直ぐ私を見つめていた。


「……隣、いいかい?」


その男性は、私がもう声を出せない程壊れていることを知っており、返事ができないことも知っている。
彼は少し遠慮がちに、海と空を見つめていた返事をしない私の隣に座った。
司令とはまた違うものの、彼もこの海の平和を望む指揮官だ。
懐かしい雰囲気に呑まれたのか、私の心は少しずつ温まっていく。


「……空を、見つめていたの?」


ええ。
正確に言えば、この晴れた空と暁に輝く水平線を眺めていたの。
遥か昔の話だけれど、この海には私と心を通わせた仲間がいっぱいいて。
この空には、誇り高き勇敢な戦士達が空を舞っていた。

そんな勇敢な皆に、少しでも近づけたら……少しでも会えるのならと、願いを込めて。



「……」


私は彼の視線を逸らし、再び海を見つめる。
あの戦いの終結から既に24年の月日が過ぎた。

『奇跡の駆逐艦』と言われた私も、他の先輩方に比べ随分長生きしたものだ。
その最後が、台風の影響で体を大破させるという自然災害とは。
天からの災には贖うことはできないと判ってはいるものの、せめて皆と同じように戦いの海で沈みたかった。
これで私が奇跡と語り継がれるくらいなのだから、自分の最後に辱めを覚えるのは普通の感情であろう。



「故郷に、帰りたいかい?」


ふと、指揮官が私に尋ねる。
故郷に……帰る。
それは願ってもないことだが、既に志を共にした仲間も司令もいない故郷に帰って何が残るというのだ。
私は兵器。戦うことが務め。
その能力が無くなれば、不必要と判断され、存在することは必要ではなくなるのだ。


……それは、誰よりも他の仲間の死を見てきた私は、誰よりも理解している。
それに


「……この海で散るのであれば、皆に会えるから」


「!」


「あはは……そう言いたそうな顔をしてるね」


「……」


さすが、10年以上私の指揮を取った指揮官。
心の中はお見通しという訳か。
……最初は「誰がお前の言うことなんか聞くものか」と思っていたのに。
強がっていた幼い頃が懐かしい。




「……ごめんね……君を最後まで……守りきることが……」


「……」


それ以上言わないでほしい。
天の災害に耐えきれなかったのは私のせいだ。
貴方は何も悪くはない。気にする必要はない。
……いつの間にか失っていた私の恋心を動かしてくれたのも、貴方のおかげだ。
言葉の分からない私が、ここの仲間と打ち解けられたのも貴方のおかげ。
だから、気にすることはない。
私は、失っていたものを取り戻す感覚を味わうことができたのだから。


「……そうだ。君に渡したいものがあるんだ」


「……?」


そう言って彼はポケットから青い箱を取り出す。
箱の中には、煌めく指輪。


「君の故郷では任務とはいえ、これを受け取ることが、最大の称賛なんだろ?」


「……」


「……だから、受け取ってくれ」


何言ってるの?
馬鹿。
馬鹿馬鹿馬鹿。
馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。


そんなもの受け取る訳にはいかない。
私は既に大破した老朽の駆逐艦。
その指輪は、これから逝くべき私に渡すものではない。


「……うぁっ……」


私は声なき声を出す。
同時に目頭から溢れ出るものを感じる。
何故だろう。
故郷を離れてから、私の眼には潤いが湧きでることはなかった。
でも、それでも。
溢れ来るものは止まらなかった。




「君の泣き顔、初めて見たよ」


彼はそう言って、私の頭をポンポンと撫でてくれる。


ああ。懐かしい。
昔は皆で楽しく談笑しながら、指令がこのように頭を撫でてくれた。
隣には姉妹や憧れる先輩がいた。
皆、笑顔だった。


あの頃に戻れるのなら、何もいらない。
だから、指輪は、これからの人のために取っておいてほしい。


だけど。
その金属からの温もりが、とてもとても心地良い。
離したくない。
私は泣き崩れる顔を伏せながら、彼の想いのこもった指輪を抱きしめた。





「……」


少々の沈黙が流れた後、声がした。


「指揮官。そろそろ」


彼の下につく、若き候補生だ。


既に解体の準備は整っているのだろう。
最後とはいえ、ここまで尽くしてくれ、気持ちの整理を待ってくれた彼らには頭が上がらない。


「……」


指揮官は不意に、私を抱きしめてくれた。
こんな、オンボロの私を。
人として扱うことすら難しい、大破した私を。


「ありがとう」


「……」


「長い間。……長い間、本当に、お疲れ様。……丹陽」


彼はそう言った後、


「いや……」


優しく





「……雪風」




私の本当の名前を呼んだ。





























私の周りには、真っ暗闇の空間の中に白い煙が舞っていた。
どこへ向かえば良いかも分からない。

これが死なのだろうか。
終わってしまえば、何も残らない。何も生まれない。
それは自身では理解しているつもりだったし、納得していた。
でも、ただでも、あの頃に戻りたかった。

一瞬でも。
毎日が煌めいていた、あの頃に。



「……雪風」



不意に私の本当名を呼ぶ声がする。

懐かしい。
とても懐かしい。
温かく、全てを包み込む優しい声。
私は声がした後ろを振り返る。



「……うふふ」



私の大好きな人、大和さんだ。
いつの間にか、私の頬から涙がこぼれ落ちていた。
そして、自分自身が幼き頃の容姿になっていることにも気が付く。





「うあぁ……!」

いくら歳を重ねたとはいえ、心の神髄は変わることはない。
目の前で彼女の死を目撃した私にとっては、今の状況程嬉しいものはない。

目の前で救えなかった彼女を想い、私の心は後悔の念だらけだったのだ。

そんな彼女が目の前にいる。本来ならその場で私は泣きじゃくっていただろう。
だが心で思う前に、私は彼女の胸へ駆けだしていた。



「うあぁああぁああああぁぁあああぁぁあん!!!」


「あらあら」


彼女は優しく、胸に飛び込んだ私を抱きしめてくれる。


「うふふ。いつまでたっても雪風は泣き虫ねえ」


「やま……大和ざん……!」


涙が止まらない。
ずっと会いたかった、大好きな人。

建造は同時期とはいえ、最初から私とは機能も年齢も雲泥の差があった彼女。
守りたかった。ずっと。守りたかったの。
私。みんなを。





「……皆、貴方を待ってたのよ。雪風」


「え……」


「……終戦後、たくさん、たくさん苦労したのね」


「……う……!」


「お疲れ様」


「あぁぁああぁ……!」


今まで誰にも甘えることなんてできなかった。
周りには、私の知らない人ばかり。
戦う理由さえよく分かっていない。
だけど。

ようやく、会えた。
貴方に。


そして、大和さんの後ろから声がする。
「雪風」、と、私を呼ぶ声だ。
たくさんの姉妹の声が聞こえた。

仲の良かった子も、駆けっこをしたあの子も、目の前で沈んだあの子の声も。





「雪風」




司令の声も。





「……しれぇ……」


「大変だったな。雪風」


「……うあ……」


「よく頑張った」


「寂しかったよお……雪風……ずっと一人で……!」


「……ああ」


「司令も皆も、いなくなっちゃうからあ!」


「……すまなかった」


「ううぁ……うあ……!」


「もう、ずっと一緒だ」


「ほんっ……ほんと……?」


「ああ」



司令は大和さんと一緒に、私を抱きしめてくれた。



ああ。
あったかい。
雪風、帰って来たんだ。
みんなのところに。





「……さあ、次は響を迎えに行こう」


「え……響?」


「ああ。あの子も、もう少しで役目を終えるよ」


「……そっか」


「……そら」


「ん?」



しれぇは私に右手を差し出してくれた。

しょうがないなあ。しれぇはいつまでたってもあまえんぼさんなんですから。

でも雪風、嬉しいです!

手、握っちゃいます!




「うふふ」


「……さ、じゃあ。行こうか。雪風」


「えへへ、はいっ!」


「これからは、ずっと一緒だ」


「み、皆も……?」


「ああ。もちろんだ」


「やったあ!」




「あ、そうだ。帰って来たお前に、これを言わなきゃな」



「え?」








「……おかえり。雪風」




「……えへへ……」




「ただいまですっ!しれぇ!」




私は二度とその手を離さないように、しれぇの手を握り返し、



彼の頬に、幸運の女神のキスのお返しをしました。













終わり






雪風の境遇を思うと書かずにはいられなかった。
彼女に敬意を。

そしてこれまでの幸運を上回る幸運を。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年03月31日 (火) 20:04:44   ID: MtTTvauE

あ艦これ…目から汗…

2 :  SS好きの774さん   2015年04月01日 (水) 18:07:12   ID: 02xd4MrV

雪風の艦歴は以前艦これで話題になった酒匂&長門などに並ぶ悲しいお話ですよね。このお話のように今は彼女たちも幸せになれていると信じています。

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