社長が首を括ったあとの話 (28)
もう何年も昔の話だ。
この話を書こうと思ったのは今日が俺にとって特別な日だからだ。
厄落としがてらここに書かせてもらう。
なぜならこれからする話は作り話だからだ。
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当時は不況で世間は灰色だった。
正直今もそうじゃないとは言えないがな。
俺がその時働いていたのは小さなところだった。
親会社が傾けば簡単に潰れちまうようなところだ。
外見も潰れそうな錆びついた建物だったしな。
もちろんそんな会社が不況に耐え切れるはずはなかった。
少しやばいなと思ったらすぐに潰れちまった。
土日を寝て過ごして迎えた月曜日。
社長が事務所でぶら下がっていたのが忘れられない。
はじめに見つけたのは俺だった。
親の葬式なんかで死体は見ていたけれど、そこで見た死体は違った。
葬式の死体は作りもののようなものだから。
綺麗に整えられたそれは人形のようなものだった。
それに比べて社長の顔は膨れ上がって、茶色、土色、あの事務所のトタンのサビの色、そんなだった。
とにかく醜悪なそれは俺の中のかなり深いところにまで食い込んできたようで、
目の端に何かがぶら下がってるのが見えることに悩まされる日々が今後続く。
これがことのはじまりだろう。
小さな会社だったから社長とはよく話したし、昔から世話になったものだから感謝もしていた。
けれどその時は悲しみなんてものは1ミリたりとも湧かなかった。
目の前のモノへの嫌悪、明日への不安、そんな身勝手なものばかり。
あとからきた他の奴らもそんな顔をして固まっていたしきっとそう思っていただろう。
誰かが警察を呼んだのか、パトカーがサイレンを鳴らせてやってきてやっと皆動き始めた。
止まっていた時間が流れ始めるとはこのことだろうと思った。
そこからいろいろとあったがよく覚えていない。
すべてはあっという間だった。
警察が代わる代わる来て同じ質問を投げかけてくる。
それに同じ答えを返す。
会社は倒産して俺は失業した。
これからどうするのか、仲間と幾度と無く話し合った。
同僚たちは日雇いの仕事を探すようなことを言っていた。
まだ決めていないと答えた俺も誘われたが断った。
正直すぐ働く気は起きなかったし守るべき家庭もない。
親の遺産なんかもあってしばらくは余裕があった。
何年ぶりの長期休暇だと内心小躍りしていた。
事件も落ち着いて地元の新聞の片隅に記事がちょこんと掲載されてこのあとは風化していくだけだった。
会社は駅に近かったからかすぐに買い手がついて更地になった。
何かを新しく建てるつもりなのだろうがどうなったかは知らない。
その間の俺はといえば昼に起きてビールをあける。
ネットやパチンコなんかで適当に時間を潰してまた酒を飲んで寝る。
ごくたまに青くなった社長を錯視する以外は楽しい毎日だった。
なぜ褐色でなく青なのか、それはわからない。
しかしそんな生活も長くは続かなかった。
貯金は底が見えてきたし、青い社長を見る頻度も高くなってきた。
だが働く気はまったく起きなかった。
社長のせいでノイローゼ気味になっていたのもあったからだ。
その頃の俺は起きている間はずっと酔っ払っていたような気がする。
しらふだと視界の隅にぶら下がる何かが見えるから。
夢にも出てくるものだから睡眠時間も減っていって、それに逆らって酒の量は増えていった。
金はどんどん減っていきそろそろ働かなければやばいそう思った。
だが頭ではそう思っていても行動に移せない。
仕事を探すような気力が俺にはもうなかった。
俺にできたのは酒を買って飲む、それだけだった。
ある晩、冷蔵庫を開けたら酒がなかった。
まだ寒い時期だったがしかたなくコンビニに行くことにした。
月の綺麗な夜で、ひんやりと澄んだ空気が心地よかった。
ふと気になって財布を開けるといくらかの小銭とカードしか入っていない。
コンビニのATMで残高をみても財布の中身と足しても酒が買えない額しかない。
仕方がないから帰ることにした。
惨めな帰り道で閃いたことは目の間にある家に入ろう、ということだった。
電気のついていないその家は明るい月夜の中で逆に浮いていた。
家人は留守だろう、これならいけるだろう、そう思った。
俺はその家に入らなければいけない、そうすればなんとかなる、義務感のようなものに駆られていた。
敷地に忍び込んで扉に手をかけるとすんなりと開いた。
鍵はかかっていなかったようだ。
息を殺して忍び込み中を探索する。
月の光のおかげで視界には困らなかった。
入ってみてわかったのは、ここはおそらく誰も住んでいないだろうということだった。
玄関をくぐってすぐに埃っぽい空気を感じた。
真っ暗なはずだが目が慣れているのか外が明るいからか、床の木目までわかった。
恐怖はなかった。
シンクがある。キッチンだろう。
棚を開けると食器があったが割れていてどれも金にはなりそうもなかった。
下の棚を開けると包丁があったからそれを頂戴した。
今思えば実は心細かったのかもしれない。
それを手にしたまま再び探索する。
次に和室に入った。
和室だと思ったのはフローリングだった床が畳になっていたからだ。
目の端に何かが映る。
ひやりとはしたが俺は人だとは思わなかった。
ああ、また社長か、振り向けば消えてしまうのだろう、そう思った。
しかし目を向けた先には確かに人の形をしたものがいた。
が、人ではなかった。
そいつの顔はあまりに青すぎた。青白いなんてものではない。
文字通り真っ青だった。
着物みたいなものを着てこっちを見ている。
俺はとうとう気が触れてしまったようだ。
息が上がって動くことができない。
そいつは「首を吊らんか」とだけ言った。
顔を見ていられなかったから本当にそいつが言ったかはわからない。
ただ俺にはそう聞こえた。
その瞬間俺はなぜか怒りに燃えた。
散々つきまとってきた社長が-社長ではなかったかもしれないが
-目の前に出てきて俺に[ピーーー]という。
よりによって首吊りで、社長と同じ姿になれという。
こんな話があるか。
考えがまとまる前に体が動いていた。
手に持っていた包丁を青いそれに突き刺した。
骨には当たらなかったのか、刃の部分が全部入ったのがわかった。
俺は走ってその場から逃げた。
そいつの叫び声だけがいつまでも耳から離れなかった。
その晩は震えて眠ることすらできなかった。
日が昇ってから自首しよう、そう考えていた。
次の日、とりあえずその家の様子を見に行くことにした。
閑静な住宅街にたくさんの警察が-と思っていたがそんなことはなくそこは平和そのものだった。
その家もそのまま建っていたがどう見ても空き家だった。
窓ガラスはなくところどころ屋根が崩れかかっていた。
平日だからか周りに人がいなかったので中に入った。
あの和室には何もなく錆びた包丁が畳に突き刺さっていただけだった。
俺はその日のうちに引っ越しの手続きをしてよその県へ、翌月には仕事も決まり今ではなんとかやっている。
このことはニュースにもなっていないしきっと幻覚だったのだろう、そう思うことにした。
あの日から社長の夢も見ないし、ぶら下がった何かを見ることもなくなった。
おわり
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