三月某日
総武高校
その教室には二人しかいない。
俺、比企谷八幡と、元奉仕部部長、雪ノ下雪乃。
この教室で、この二人が出会ったことから、全てが始まった。
いろんなことがあって、何度もこの関係は壊れかけた。
それでも俺たちはここまでたどり着き、俺は答えを選び出した。
由比ヶ浜には既に俺がこれからすることを伝えてきたから。あとは実行あるのみ。
――その日は、俺たちの卒業式だった。
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数年後
とあるアパート
八幡「ただいま」ガチャッ
雪乃「おかえりなさい」
八幡「夕飯、悪いな。急用で遅くなっちまって」
雪乃「いえ、いいのよ。私は今日は終わるの早かったから」
八幡「土日はちゃんと俺が飯作るよ」
雪乃「なら、お言葉に甘えようかしら」
卒業式の日、俺は雪ノ下雪乃に告白をした。何ヶ月も悩んでようやく出した答えがそれだった。
それから今までずっと、俺は雪乃と付き合っている。
俺が一人暮らしするようになってからは、雪乃がここにいることが多い。所謂半同棲状態である。
八幡「お、今日は秋刀魚か」
雪乃「ええ、スーパーで安かったから」
八幡「お前そんなに金に困るような立場でもねぇだろ」
雪乃「何を言っているの? 私はこう見えてもちゃんとお金の管理はする方なの。それに、後先考えずにあれもこれも買ってたら、お金なんていくらあっても足りないわ」
八幡「へいへい、そうですか」
雪乃「そう言えば来週――」
八幡「学祭だろ? 行くよ、もちろん」
俺と雪乃の通う大学は別だが、たまにお互いの大学に遊びに行くことがある。
来週の土日は雪乃の学校の大学祭だから、俺が行くことになる。
……正直、俺はあまり雪乃の大学に行くのは好きではない。
雪乃「いいの? あなたあそこに行くといつも顔色悪いじゃない」
八幡「俺の顔色が悪いのはいつものことだろ」
雪乃「そうね……。ってそうじゃなくて――」
八幡「大丈夫だから、お前は心配すんな」
一週間後
ワーワー
八幡「相変わらずすげぇな、お前んとこ」
雪乃「そうね」
八幡「で、お前が出る演劇は何時からなんだ?」
雪乃「午後の二時から……って、どうして私が劇をやるのを知っているのかしら?」
八幡「いや、練習してたの見てたし」
俺の見えないところでやろうとしても、何だかんだ見えてるもんだぞ。
雪乃「そ、そう……。恥ずかしいから、あなたには内緒にしておこうと思ったのだけれど……」
八幡「何言ってんだ。お前のその容姿で恥ずかしがってたら、俺なんかただ歩いてるだけで顔真っ赤だぞ」
雪乃「どうしてもっと素直に褒められないのかしら」
八幡「うっせ」
八幡「じゃあまだ時間あるし、その辺適当にまわるか」
雪乃「……ええ、そうしましょう」ニコッ
俺と一緒にいる時だけに見せてくれるこの笑顔。これを見るためだけに、ここに来ていると言ってもいい。
この笑顔にドキッとする度に「俺って本当にこいつのことが好きなんだなぁ」と思う。高校の時の俺だったら考えられないような思考回路だ。
結論を言ってしまうと。
俺は雪ノ下雪乃が好きだ。
だから、ここに来た。
クスクス…
――たとえ、誰に笑われたとしても。
知っての通り、雪ノ下雪乃はかなりの美人である。彼氏の俺が言うのもなんだが。
だから、彼女に憧れを抱く者は多い。そういう奴らからの中傷の笑いや声が聞こえるのは当然の話だ。
もしも雪乃の彼氏が葉山であったなら、きっと話は別なのだろうが。
これは半年ほど前の話だが、雪乃が俺のアパートに忘れ物をして、それを届けにここに来たことがあった。
その時に、俺は見知らぬ男に話しかけられた。
男『お前さ、雪ノ下さんの何なの?』
八幡『……一応、彼氏っすけど』
男『彼氏! 彼氏って言ったのか!?』
その声には嘲笑の意が込められているのがわかった。
八幡『だから何だよ』
男『お前、雪ノ下さんに騙されてるんだよ』
八幡『はっ?』
男『雪ノ下さんには他に男がいるんだよ。お前はただのおもちゃなんだ』
八幡『んなわけねーだろ』
雪ノ下雪乃はそんな嘘をつかない。それは何年も一緒にいた俺だから嫌というほどにわかっている。
だからこの男が俺にこう言うのは、ただ単に俺の中に雪乃に対する疑念を生むためだろう。甘いな、その程度じゃ俺は雪ノ下雪乃を疑ったりはしないんだよ。
ただ――。
雪乃「どうかしたの?」
ハッと我に返る。いかんいかん、雪乃が一緒なのに何を考えているんだ。
八幡「いや、何並ぶ?」
雪乃「そうね……、そこのりんご飴とかはどうかしら?」
八幡「りんご飴か、いいんじゃ――」
『ね、ね、何から食べる? りんご飴? りんご飴かな?』
ふいに脳裏にそいつの顔が浮かぶ。
くそ……、どうして今になってもまだ忘れられないんだ。
そう自問する。
でも、その答えだってわかっている。
ずっとずっと前から、わかっているんだ。
ただ、あの奉仕部での空間が、俺にとって大切なものであったからに、他ならない。
卒業式一週間前
総武高校
八幡『由比ヶ浜』
結衣『な、何かな?』
言うのがためらわれる。今ならまだ引き返せる。これから伝えようとしている言葉を発さなければいい。それでも、俺はもう決めたんだ。
八幡『俺は――』
結衣『……言わないで』
結衣『わかってるから……。ずっと前から……』
八幡『ずっと……?』
結衣『うん。ヒッキーのこと見てたからね、もうわかってた』
八幡『……マジかよ』
結衣『うん、マジ』
八幡『…………』
結衣『……だから、最後にこれだけ、言わせてもらうね』
結衣『あたしは、ヒッキーのことが……』
結衣『ヒッキーのことが……っ』
結衣『……だいっきらいっ!』タタタ
あの時の彼女の泣き顔が、今でも目に焼きついて離れない。
もしも。
もしも、俺がもっとうまくやっていたら、あんなことにはならなかったのだろうか。
ifの話をしたって意味はないから、思考はここでストップ。
八幡「…………」
雪乃「やはり体調悪いのかしら?」
八幡「いや、昔りんご飴食って腹痛になったのを思い出してよ」
雪乃「……そう、じゃあ別の物にしましょう」
八幡「助かる」
雪乃「……八幡くん」
八幡「ん?」
雪乃「何かあったら、その時は私に相談してね?」
八幡「あ、ああ……」
……やっぱりこいつには隠し事とかできねぇな。浮気とかしたらすぐにバレそう。する気もねぇけど。
雪乃が劇の準備ということで、俺はその辺を一人でぶらつくことになった。
とりあえず、人の少ない木陰のベンチに腰掛ける。小さな一人用だから友人や恋人と来るリア充どもはやって来ない。ぼっちに優しいな、この学校。
ふと、またあのことが頭にちらつく。
あの男の言っていたことだ。
当の彼氏本人にこう言う人間がいるくらいだ。雪乃に直接俺の悪口を言う人間はさらに多いだろう。
たとえどんなに雪乃が強いとは言えども、大人数という数の暴力の前では敗れざるを得ない。
きっと、この学校中に広まっている『雪ノ下雪乃の彼氏』とは、相当に捻じ曲げられた人物像になっているはずだ。
でなければ、道行く人々が俺の姿を見る度に、あんなに表情を歪ませるわけがない。
それは、雪乃にとっての重荷となっているのではないだろうか。
誤解とは言え解は出ている。一度出来上がってしまったイメージを払拭するのが難しいのは、この二十年くらいの人生で実感している。
なら、ならば、どうすればよいのだろう。
雪乃に相談する?
それはダメだ。
『俺がこの大学内での自分の評判が、地に落ちていることを知っている』ということを知れば、その時は全力でその人間たちを潰そうとするだろう。
あの頃とは違い、今の雪乃は俺のことを心から大切に思ってくれている。たとえ俺が傷ついていないと言い張っても、彼女はこの大学内で戦争紛いのことを起こしかねない。
そしたら勝敗はどうであれ、確実に雪乃が傷つく結果が待っている。
そんなの、本末転倒だ。
俺が知らないと思っているなら、雪乃は動かない。
ならば、知らないふりをしているのがベストだろう。
だが、それをいつまで続けるつもりだ?
八幡・雪乃「「いただきます」」スッ
基本的に俺たちの間に会話はない。が、それは二人にとって苦痛ではない。
雪乃「……八幡くん」
八幡「ん?」
雪乃「あなたは、本当は知っているんじゃないの?」
八幡「何をだよ」
雪乃「……いいえ、何でもないわ」
八幡「そうか」
雪乃「……!」ガタッ
瞬間、雪乃の目の色が変わる。なぜだ、俺は今ミスを犯していないはずなのに。
八幡「どうしたんだよ?」
雪乃「やはりあなたは……」
その声は震えている。しまった。俺の最も恐れていたことが起こってしまったらしい。
八幡「だから何を――」
雪乃「本当に知らないなら、あなたはそんな風に言わない……」
八幡「はっ?」
雪乃「あくまでも知らないふりを突き通すのね。でも無意味よ。あなたともう何年の付き合いだと思っているの?」
八幡「……知っていたら、お前はどうするつもりだ?」
雪乃「決まっているでしょう? あなたを傷つけた人間にそれ相応の罰を与えるだけ」
八幡「やめろ」
雪乃「……えっ?」
八幡「こっちだって長い付き合いだから、お前がどう思ってどう行動するかも多少はわかっているつもりだ」
雪乃「…………」
八幡「だから、言わなかった」
雪乃「でも――」
八幡「それでも嫌なんだ。俺が周りからどう思われようが痛くも痒くもないが、お前が傷つくのは、嫌だ」
雪乃「私はそんなので傷ついたりしない」
八幡「それは嘘だ。……いや、お前は嘘をついているつもりはないのだろうが、たとえどんな結果に終わろうとも、お前に傷が残る」
八幡「だから、やめてくれ」
雪乃「……わかったわ」
八幡「…………」
八幡「やけに――」
雪乃「?」
やけに物分りがいいな、と思ったが口に出すのはやめた。
八幡「――いや、何でもない」
雪乃「……?」
胸の中にわずかに残るモヤモヤ感。それは恐らく俺の中に雪乃に対する疑念があるからなのだろう。
問い直してみるべきだろうか。
――いや、それは今の雪乃の言葉を疑ったことをはっきり形にしてしまうことだ。
彼女はそんなくだらない嘘をつかない。それを誰よりも知っている俺だからこそ、疑ってはならないのではないだろうか。
猜疑心をあらわにするのは、彼女と過ごした数年間の否定だ。
八幡「お前がそう言うなら、信じるよ。さ、食おうぜ」
雪乃「……そうね」
雪乃を信じようと思い、彼女との思い出を思い返す。どこを見ても雪ノ下雪乃はいつだってまっすぐで正直だった。
だから、心配する必要などないはずなのだ。
――なのに、頭の端には霧のようなはっきりしない何かが、早朝の靄のように留まり続けた。
数週間後
雪乃「……ただいま」ガチャッ
八幡「おう、おかえり。今日は遅かったな」
雪乃「ええ、少し用事があって」
八幡「そうか、飯は出来てるぞ。先に食うか?」
雪乃「いえ、先にお風呂に入るわ。……ちょっと疲れたし」
八幡「そうか」
変だな、と思った。何がおかしいのか、明確な理由はわからないが、何かがおかしい。
八幡「……気のせいか?」
――
――――
雪乃「……あら、待っててくれたの?」
八幡「一人で先に食うのもなんかあれだろ」
雪乃「そう……。今日は、野菜炒めなのね」
八幡「おう、スーパーでいろいろ安かったからな」
雪乃「一応私の言ったことを実行してくれているのね」
八幡「ああ。冷める前に食おうぜ」
雪乃「そうね。出来上がった瞬間の最高の味は、その瞬間から逃げていってしまうもの」
雪乃「……おいしい」パクパク
八幡「まだまだお前には敵わんが、着々と腕は上がってきてるだろ?」
雪乃「ええ。カレーしか作れなかった時とは大違いだわ」
八幡「家事レベルが小学生で止まってたからな。今思うとあのレベルで専業主夫目指すとか無謀だわ」
雪乃「その夢自体が無謀だと思うのだけれど」
八幡「くっ……!」
いつも通り。俺から見た今の雪ノ下雪乃はいつも通りだ。だから、さっき抱いた違和感は気のせいだと、そう思うことにした。
休日
八幡「zzz…」
雪乃「まだ眠っているの? 昼過ぎまで寝ているなんてだらしない」
八幡「うぅーん……。まだ正午過ぎか……。ならあと一時間……」
雪乃「そう言ってもう二時間経つのだけれど」
八幡「別にいいだろ……休みなんだし……」
雪乃「あなたが寝ていると布団が干せないのよ。せっかくいい天気なのに」
八幡「……わかった」ムクッ
八幡「ふぁーあ……」
雪乃「あれだけ寝ておいてまだあくびが出るのね。驚くのを通り越してあきれるわ」
八幡「んー、ちょっとSS読んでたら陽が昇ってきてた」
雪乃「ただの夜更かしじゃない。身体に悪いわよ」
八幡「ふぁ……、あまりにも面白くてな……。久々にあたりを引いたわ」
雪乃「そう。……今日は、どうするの?」
八幡「……どっか行きたいのか?」
雪乃「……!」
八幡「俺も欲しい新刊あるし、出かけるか。どこがいい?」
雪乃「そういうことなら、私はどこでもいいわ」
八幡「ふむ」
この感じだと雪乃も欲しい本があるようだ。なら本屋がある場所……。
グゥウー
八幡「……朝食まだだし、ついでに何か食える場所か」
雪乃「私もお昼はまだだから、何か食べたいわね」
八幡「ふむ……」
……ん、お昼『は』?
八幡「……なぁ、お前何時に起きたんだ?」
雪乃「六時には起きていたわね」
八幡「Oh……」
俺が寝た一時間後に起きたのかこいつ。
at 津田沼
雪乃「それで……どうして津田沼なの?」
八幡「久々になりたけに行きたくなってな」
あそこの超ギタマジで美味いんだよ。一回行ったら当分行きたくなくなるくらい背脂ヤバイけど。てか朝に食べるものじゃねぇ。あ、今は昼か。
麻雀を覚えたエースの近くを通り抜けて、なりたけへ向かう。
八幡「おっ、よかった。今日は行列出来てねぇな」
雪乃「普段はそうなの?」
八幡「タイミングが悪いと結構並んでたりする。あっ、そうだ。お前はさっぱりにしとけ」
雪乃「どうして?」
八幡「お前の場合初見でふつう選んだら、多分戻すから」
雪乃「それは食べ物と言えるの……?」
アリガトーゴザイマシター
八幡「ふぅ~、食った食った~」
雪乃「…………」
八幡「ん、大丈夫か?」
雪乃「私は大丈夫なのだけれど……、あなたはどうなの? あんな、その……物体を食べて……」
ラーメンとは言わないんですね、わかります。
八幡「まぁ、昔から慣れ親しんだ味だからな」
雪乃「……人の食べるものではないわね」
それならあれを週一ペースで食ってる材木座は何者なんだ。……あ、豚か。しかも飛べない豚。それはただの豚。
ある朝
雪乃「今日は先に出るわね」ガチャッ
八幡「おう」
雪乃「あなたもちゃんと学校に行くのよ? ただでさえサボり気味なのだから」
八幡「俺のかーちゃんかお前は」
雪乃「ふふっ」
そう言うと雪乃は微笑んで扉を閉める。
雪乃「いってきます」ガチャッ
八幡「ああ、いってら」
八幡「さてと、何か面白いまとめでもあるかな……」スッスッ
八幡「むー……」
アザヤカニーソマールーソラーノイーロ♪
八幡「ん? これは、雪乃の……?」
八幡「携帯忘れてったのか?」
前にも似たことがあったな、と思う。あの時のことは正直あまり思い出したくない。
八幡「……でも、ないと困るだろうし」
あまり気は進まないが届けに行ってやろう。あの視線は俺が我慢すればいいだけだし。
――
――――
八幡「…………」テクテク
八幡「……?」
視線を、感じない?
――いや、違う。
相変わらず俺は視線の的だ。ただ、見る目が変わったんだ。
八幡「…………」スッ
男「ひっ!」サッ
振り返ると俺を見ていたのであろう男が、不自然に目をそらした。
八幡「…………」
今までこの大学内で俺を見る目には、所謂嘲笑と軽蔑の意が込められていた。
『雪ノ下雪乃に騙されている哀れな男』
あるいは
『雪ノ下雪乃を脅している最悪な男』
恐らくこんなところだろう。
だが今、ここにいる人間は、明らかに俺に『恐怖』している。さっきの男の動作がその証拠だ。
つまり、この短期間に、この大学での『俺』という存在が正反対のものに変わってしまったのだ。
そんなことができる人物は一人しかいないし、する人物も一人しかいない。
八幡「……なんでだよ」
だが俺はそれを信じたくなかった。
――
――――
八幡「……よぉ」
雪乃「八幡くん? どうしてこんなところに――」
八幡「これ」スッ
雪乃の携帯を取り出し、渡す。
八幡「忘れてたぞ」
雪乃「あ……。私としたことが迂闊だったわね。あなたのような人間に携帯を触れるような状態にしてしまうなんて」
八幡「ああ……そうだな……」
雪乃「……?」
八幡「今日は……」ボソッ
雪乃「えっ?」
八幡「今日は何時くらいに帰ってくるんだ?」
雪乃「夕飯の当番は私だから早めに帰るけれど」
八幡「そうか」
雪乃「……どうしたの?」
八幡「……いや、なんでもない」
その夜
八幡・雪乃「「いただきます」」
八幡「…………」パクパク
雪乃「…………」パクパク
八幡「…………」パクパク
雪乃「……ねぇ」
八幡「ん?」
雪乃「……どうか、したの?」
雪乃「今日のあなた、どこかおかしいわ」
八幡「…………」
言葉にすべきだろうか。
今や俺の疑念は最早その枠を超えて確信となってしまった。
このまま黙っていることは欺瞞か、それとも本物か。
わからない、わからない、わからない。
今の俺には、わからない。
八幡「…………」
雪乃「どうして黙っているの? 何かあるなら言ってと前にも言ったでしょう?」
八幡「……なぁ」
雪乃「なに?」
八幡「どうして、破ったんだ……?」
八幡「あの時の、約束を……」
雪乃「……!」
八幡「言ったよな、何もしないでくれって。それでお前が傷つくのは嫌だって」
雪乃「それは……」
弁解しようとする口が止まる。なかなか再開しないのに痺れを切らして俺は続ける。
八幡「俺との約束は守るに値しないものだったのか?」
雪乃「そういうわけじゃ――」
八幡「じゃあ教えてくれよ。どうしてなのか」
雪乃「……っ」
何も言えずにただ下を見つめるだけの雪乃の姿は、俺を苛立たせるのに十分すぎた。
八幡「……わかった。もういい」
雪乃「えっ?」
読んでて怖いな……
支援
いつの間に空になっていた茶碗を置き、上着を羽織る。
雪乃「ちょっと、どこに行くの!?」
八幡「……今日は帰らねぇから」
それだけ言い放って玄関を出た。いつものくせでドアに鍵をかける。妙なところで冷静な自分が可笑しかった。
八幡「……さみぃ」
もう少し着込んでくればよかった。そう思って漏れるため息が白くなる。
八幡「……何も考えてなかったな」
ともかくあの場にいたくなかった。きっと居続けたなら、雪乃を傷つける言葉をさらに吐き出していたであろうことがわかっていたから。
俺はそれから、冬の寒さに震えながら目的もなくただ歩いた。
こんなことをしている自分が理解できない。何よりも不思議なのは、今の自分が明らかに感情に流されていることだ。
どこぞの誰かさんに『理性の化け物』と言われる程に、俺は徹底的に理性的に理屈的に考えてきた。だからこそ『感情を理解できていない』などとも言われたわけだが。
そんな俺がこんなに感情的になるなんて、どうしてだろう。
>>37
支援どうもです
――
――――
男『雪ノ下さんさ、彼氏とかいんの?』
雪乃『ええ、お察しの通りにね』
男『あの変な男か?』
雪乃『変な男と言われても、あまりにも抽象的すぎるわね。現に今、私の前にもいるわけだし』
男『……っ! あんな男の何がいいんだよ? 目はドロドロに濁っているし、服のセンスはねぇし、ずっとキョドっているし』
雪乃『ええ、その特徴は何一つ間違っていないわね』
男『ならなんで――』
雪乃『別にあなたが理解する必要はないわ』
男『……脅されてんのか?』
雪乃『……?』
男『何か弱みでも握られてるんじゃないのか? じゃなきゃ雪ノ下さんみたいな美人があんなやつと――』
その時に、頭の中でプツンと、何かが切れる音がした。
雪乃『あなたのような薄っぺらい人間に、八幡くんの何がわかると言うの?』
そこから先のことは、あまり覚えていない。ただ、これまでずっと胸の中にわだかまっていたものを、全てその人にぶつけていたことだけは覚えている。
それだって日常茶飯事のことで、無視すれば良いだけだったのに、たまりにたまった怒りは、私を押さえつけていた何かを取っ払ってしまった。
――
――――
雪乃「……どうして、こんなことに」
してしまったことを後悔をしたって仕方がない。それでもあの時に耐えていればと思ってしまう。
……いや、それも無駄なのかもしれない。あの時に耐えていたとしても、きっといつかああなっていただろう。
私が耐えられなかったのは、へんな男たちに付きまとわれることではない。そんなのは今までずっとあったことだから。
ただ、八幡くんのことを悪く言われるのが、ひどく許せなかった。
何も知らないくせに、ただ見た目から、外見から、雰囲気から判断して、決して本質を見据えようとせずに、さも自分の方が上であるかのように貶す。
それがどうしようもなく腹立たしく、許せなかった。
ならば彼と付き合う以上、こうなるのは必然だったのだろうか。もっと他にこうならない現在をむかえる方法があったのではないだろうか。
雪乃「でも……」
もしも自身の存在が今の私を追い込むものであると知ったなら、彼はきっと私から離れるという選択肢を選んだはずだ。
だから、彼の前ではそんな弱いところを見せてはならなかった。強い『雪ノ下雪乃』でないとならなかった。
――いや、そうではない。
それもまた私の思い込みであって、本当にそうなのかはわからない。もっと言ってしまえば、私が彼を信じきれなかったことの方がよっぽど問題だったのだ。
彼がそのような選択肢を選ばない可能性だって十分にあり得た。彼だってあの頃とはまた違っているのだから。なのにそれを信じられず、自分から離れていく未来を恐れたのが、きっと間違いだったのだ。
雪乃「せっかく、MAXコーヒーを二本買っておいたのに……」
雪乃「これじゃ一緒に飲めないじゃない……」
冷たくなっていく缶の感触が、まるで『終り』を暗示しているように感じられた。
――
――――
勝手に期待して勝手に理想を押し付けて勝手に理解した気になって、それでいざ違うとわかると人はこう言う。
裏切られたと。
どうしてこんなにも精神的に参っているのかと言えば、きっと雪乃に裏切られたと感じているからだ。その思いはいくら理屈でねじ伏せようとしても消えてくれない。
あの時、確かに約束したのだ。
しかし雪乃はそれを破った。
だからそれに俺は深く失望している。
雪ノ下雪乃に、失望している。
彼女にとって俺は、その程度の存在だったのかと。
約束など、守るに値しない存在だったのかと。
いつも通り理屈ではどうもこうもできる。理性では納得できる。
しかし心はそう簡単には説得できないものらしく、胸の痛みは消えてくれない。
そうやって痛みを抱え、寒さに震えながら、行く当てもなく、ただ俺は、歩いた。
――
――――
八幡「…………」ガチャッ
雪乃「……おかえりなさい」
八幡「……ずっと起きてたのか?」
雪乃「ええ、あんな状態で眠れるわけないでしょう?」
八幡「そうか……わりぃな……」
雪乃「いえ。私も……その……悪かったのだし……」
八幡「いやいい。そのことはもう」
雪乃「それでも――」
八幡「寝てないんだろ? ならとりあえず寝ろ。眠いのに話したってなんにもならない」
雪乃「……そうね」
数週間後。
八幡「……なぁ」
雪乃「何かしら?」
八幡「……今度、どっか行こうぜ」
雪乃「あなたから誘うなんて、珍しいこともあるのね」
八幡「……。まぁ、たまにはな」
雪乃「それで、どこに行くのかしら?」
八幡「そうだな。今度の土日のどっちかにららぽにでも行くか?」
土日、と言った瞬間に雪乃は表情を曇らせる。
雪乃「……ごめんなさい。今週はどちらも予定が入っていて……。来週なら空いているのだけれど」
八幡「げっ、マジかよ。来週どっちもバイトだわ」
雪乃「代わってもらえないの?」
八幡「それが無理そうなんだよな時期的に……。最悪バックレようかな……」
雪乃「せっかく条件がいいって喜んでいたのに、やめることもないでしょう。そうね、出かけるのはまた今度にしましょう」
八幡「そうだな」
あれから俺たちは、『あの事』について話すことはなかった。一度機会を逃してしまったせいで、一種の禁句に近いものとなってしまったのだ。
いつか話そう。その時は別に今でなくてもいいはずだと。そう自分に言い聞かせていた結果がこれだ。
そのせいもあってか、ここ最近は話すのも、どこかぎこちなくなっているように思える。互いに触れてはならない事柄を避けることが頭の中にあるからなのだろうか。
こんなの、大したことではないと思いながらも、不安感は日々強くなる。
そんな風に毎日を過ごすうちに、二人の間にあった歯車が少しずつ狂い始めたような気がした。
――
――――
八幡「…………」ペラッペラッ
雪乃「…………」ペラッペラッ
八幡「……はぁ」スッ
雪乃「…………」ペラッペラッ
本の内容がさっぱり頭に入ってこない。同じ行を読んでしまうことも数度あった。結論を言うと、本を読むことに全く集中できない。
八幡「…………」テクテク
コップに水を注いで喉に流し込む。冷たい流体が身体の中に入り込んでくるのを感じる。
八幡「…………」テクテク
また元の場所に戻って続きを読む。いや、正確には読もうとする。実際には読めていないのだから、そう言う方が正しいだろう。
八幡「…………」
いつからだろう。
沈黙を苦痛と感じるようになったのは。
いつからだろう。
雪乃といる空間が重苦しいと感じるようになったのは。
そんなことを思っている自分を否定しようとしても、それでも不快感は消えずに残り続ける。
いま自分がいるのは、一ヶ月前と同じ部屋のはずなのに、全く違う場所に見える。
そこでようやく俺は、ずっと薄々勘付いていて、目をそらしていた現実を認めた。
俺たちは変わってしまったのだと。
俺たちの間にあった何かが、変わってしまったのだと。
それが何なのかは、はっきりとした実体を持たないから言葉にはできないが、それでもその事実は言える。言えてしまう。
その時、『終り』という言葉が頭の中にチラついた。
……何を考えているんだ、俺は。
俺はその不吉な言葉を飛ばすように頭を振ったが、飛んだのは数本の髪の毛だけで、不穏な予感は頭の中にこべりついたままだった。
――
――――
どんな崩壊も、初めの原因は極めて小さなズレだ。二本の直線もわずかコンマ数度のズレが原因で、伸ばし続けた先ではいずれ交わってしまう。
きっと俺たちはどこかで間違えた。それはきっと気づかないほどに小さなズレだった。
だがそれは放って置いてしまうと、重大な損失を招くのだということを、俺は知らなかった。恐らく雪乃も同じだろう。
きっと心のどこかで俺たちなら大丈夫だと、そう、思っていたのだ。それこそが最大のミスなのだと気づかずに。
そしてそれは気づいた時にはもう手遅れで、どうしようもない状態になっていた。
いつからか二人ともそれがわかってしまっていたから、そう遠くない未来にある『終り』も見えていた。
でもその未来が来るのが恐いから取り繕おうとした。しかし結局やることなすこと裏目に出て、さらにすれ違いを加速させる結果となったのだが。
数週間後。
八幡「いただきます」
今晩の夕食は俺が作ったカレーだ。いつか初めて雪乃に作ってやった料理もカレーだったな、なんてことを思い出して、妙に可笑しくなる。そしてそれが遠い昔のことのように思ってしまう自分が、悲しくなる。
雪乃「……いただき、ます」
そして食事の時に二人の間に流れる沈黙。しかしそれは、一ヶ月前のそれとは全く異質のものになってしまっていた。
――もう、限界だ。
そう、強く思った。
どうせ言うなら男である自分から言うべきだと思い、スプーンを皿の上に置く。
雪乃「……どうしたの?」
ひとつ、深呼吸。
もうダメなんだとわかっていながらも、言葉にする勇気が出ない。
雪乃「…………」
沈黙から何かを悟ったのか、雪乃は何も言わずにうつむいている。
八幡「……なぁ」
雪乃「何かしら……?」
八幡「…………」
八幡「……もう、別れよう」
その言葉を口にした瞬間、二人の時が止まった。
俺も、雪乃も動かない。
机の上にあるアナログ時計だけが、止まっている俺らをバカにするように動いている。
言った。
言ってしまった。
時計の針は止まらない。
喉が渇いて、痛い。
全身から汗が吹き出る。
秒針の音が二人の間を流れていく。
どこか、ずっと遠くのどこかで、何かが割れたような音がした。
雪乃「……そうね」
その雪乃の言葉が俺の言葉のどれほど後のものかわからない。十秒ほどしかなかったのかもしれないし、一時間以上ずっと黙ったままのような気もする。
雪乃「きっと、それが一番いいのかもしれないわね」
八幡「…………」
雪乃「それを言うってことは、あなたもわかっていたのでしょう?」
雪乃「私たちはもう、『終わっていた』のだと」
八幡「……ああ」
ひどく残酷な言葉が俺の胸を貫く。わかっていたのに、いざ言葉にされると、それはナイフのように鋭い凶器となった。
雪乃「……ねぇ、八幡くん」
八幡「ん?」
雪乃「どうして、こうなってしまったのでしょうね……」
わからない。今までずっと考えてきたのに、わからなかった。
一つ一つはあまりにも軽いのに、その数が多すぎて何が原因と断言できない。
雪乃「今も、私はあなたのことが好き」
雪乃「……なのに、あなたと一緒にはいられない」
八幡「…………」
雪乃「この一ヶ月、私はここにいるのがずっと苦痛だったわ」
雪乃「でも、それでも、あなたから離れるのが恐かった」
雪乃「あなたと別れることによって、今よりもずっと辛くなるのが恐かった」
雪乃「でも、私もあなたも、もう限界ね」
雪乃「好きという感情を、苦痛が超えてしまった」
八幡「……ああ、そうだな」
全くもってその通りだ。俺と雪乃にはどこか近い部分があったから、共にこの結論にたどり着いたのだろう。
その事実がまた俺の心を悲しませる。
八幡「……だからもう、『終り』だ」
雪乃「ええ、『終り』ね」
そこで一呼吸おいて、雪乃は言い放つ。
雪乃「……八幡くん、別れましょう」
――
――――
ガチャッと玄関の扉が開く音がする。俺はさっきからテーブルの前から離れられずにいる。
雪乃「必要な私物は全て持ったから、あとは使うなり捨てるなり好きにして」
八幡「ああ、わかった……」
雪乃の方を向かずに背中で返す。今さら現実逃避なのか、振り向きたくなかった。
雪乃「……八幡くん」
八幡「……ん」
雪乃「こっちを向いて、こっちに来て。そんなんじゃ、出て行こうにも出て行けないわ」
それも、わかっていた。だから、振り向けずにいるのだ。
雪乃「…………」キィーバタン
八幡「…………」
言い出したのは自分なのに、どうして最後の最後で踏ん切りがつかないのだろう。最後くらいカッコよくはなくても、カッコ悪い姿は見せたくないのに。
雪乃「…………」
雪乃が俺の前に来る。泣きそうになって崩れている顔が見られたくなくて、顔を背けた。
雪乃「……ねぇ、覚えているかしら?」
八幡「?」
雪乃「私とあなたが初めて、ちゃんと会った時のこと」
ちゃんと、と付けたのはその前のことがあるからなのは、すぐにわかった。
八幡「ああ、忘れられるわけがない」
雪乃「そうよね」クスッ
八幡「……あ」
雪乃「どうしたの?」
八幡「いや……」
今の一瞬、俺は雪乃に見惚れていた。
――初めて会った時と同じように。
『……そんなところで気持ち悪い唸り声をあげていないで座ったら?』
『え、あ、はい。すいません』
最初の会話はこんな感じだったっけ。我ながらマヌケなセリフだとつくづく思う。
雪乃「平塚先生に連れられて来て、更生だなんだって――」
雪乃「――今思うと本当に唐突よね」
八幡「ようやくそこに気づいたのかよ。俺なんか奉仕部の存在すら知らなかったから、頭ん中がクエスチョンマークで埋め尽くされてたわ」
雪乃「ええ、あなたのあの時の間抜けな顔と言ったら――」
そこで言葉が止まり、急に思いつめたような表情に変わり、歯を食いしばる。必死に涙を堪えているように見えた。
雪乃「……いろんなことがあったわね」
八幡「そうだな……」
雪乃「……大変なこととかたくさんあったけれど、楽しかった」
雪乃「あなたと出会えて、よかった」
八幡「…………」
雪乃「こんな終わり方で……っ」
雪乃「こんな風に終わってしまって、すごく胸が痛くて、辛いけれど、それでも……」
雪乃「……あなたと一緒にいられて、よかった」
雪乃はそう、涙を流さずに言い切った。
雪乃「……あなたは?」
八幡「まぁ、悪くはなかったな」
雪乃「ふふっ、あなたらしいわね」
八幡「……俺も、お前といて楽しかったし、それ以上に……」
すぐそこにある終わりの刻が、言葉を詰まらせる。
嫌だ、言いたくない。終わらせたくないんだ。
まだ俺は雪乃と一緒にいたいんだ。
一緒に行きたいところも、一緒に食べたいものも、一緒に見たいものもたくさんあるんだ。
こんなわがままが通じるわけがないのがわかっているのに、それでもまだこんなことを考えてしまう自分がひどく醜い。
でも、最後だから、ちゃんと、伝えなくては――。
八幡「……雪乃」
雪乃「なに?」
八幡『「俺はお前が好きだ」』
雪乃「それって……」
そう、俺が自分の気持ちを伝えた時の、あの言葉だ。
八幡「だから、お前と一緒にいて俺は、幸せだったんだ」
必死に涙をかみ殺しながらそう言った。
雪乃「そう……。なら、よかった」
八幡「ああ」
俺はゆっくりと立ち上がり、玄関の前まで歩く。後ろから雪乃がついてくる。
ドアを開き、外に出ると、冷たい風が部屋の中に流れ込んできた。
八幡「さむ……」
横から雪乃が外に出る。薄着の俺と違って上着を着ている雪乃はあったかそうだ。
さっきからずっと泣きそうになるのを堪えているから、そろそろ顔中の筋肉が辛い。それでも最後まで泣かずにいたかったから、グッと拳を握りしめた。
八幡「……ょく」
雪乃「?」
八幡「体力ねぇんだから、体だけはお大事にな」
雪乃「あなたもその捻くれた思考、もう少しどうにかした方がいいと思うわ」
八幡「うっせ」
そんなやり取りに二人で少しだけ笑って、また会話が途切れた。
うつむいたままで何をしたらいいかわからない。何を言えばいいのかわからない。
するとその時、雪乃が一歩だけ俺に寄り、その顔を俺の顔に近づけた。
一瞬焦ったが、俺はそれに応じて、雪乃の唇にそっとキスをする。
やわらかく、あたたかい感触。
そして、これが最後だと告げているような雪乃の潤んだ瞳が、さらに胸をしめつける。
永遠にも感じられる数秒が過ぎて、互いの唇は自然に離れた。
雪乃「……じゃあ」
八幡「……」
何も言わずにただ頷く。
雪乃「……さよなら」
八幡「ああ。…………さよなら」
背中を向けて歩き出す。
決して振り返ることなく。
通り慣れた道を歩いていく。
俺は何もできずに突っ立っている。
その小さくなる背中をただ見つめている。
そして人ごみに紛れて見えなくなってしまっても、
俺はそれを見続けていた。
――いつまでも。
一ヶ月後。
ゴーインゴーインアロンウェーイ
八幡「……む、メール」
八幡「って、材木座かよ……」
八幡「朝からなんだよ……って昼か」
【FROM:材木座】
【TITLE:久しぶりだな】
【どうだ、八幡。
共になりたけに行こうではないか?】
八幡「うぇ……なりたけかよ……」
寝起きにはちょっとキツくない? まぁ一度行って割と大丈夫だったけど。
【TITLE:RE:久しぶりだな】
【了解。一時間後にエースの前で】
八幡「……久々だな、なりたけ」
――
――――
材木座「むーーーー、やっはろーーー!!!」
八幡「うるせぇよ、あとうるさい」
材木座「八幡とラーメンとは久々だからな。テンションも上がるというものよ!!」
八幡「えー、なんか気持ち悪い」
材木座「さて、行くとしよう」
八幡「ノーダメージか。どんだけ守備力たけぇんだよ。千年の盾か」
材木座「八幡は捻デレだと聞いておるからな」
八幡「おいそれはどこ情報だ」
材木座「うむ、やはりここに来たなら超ギタだな。ん~。この膨大な背脂がたまらん!」
八幡「超うめぇな。一回食ったら当分食えねぇくらいボリュームたっぷりだし」
材木座「甘いな。我は週一で来ているぞ」
八幡「知ってる。そのまま血管詰まらせてしまえ」
材木座「けっか……えっ?」
困惑する材木座を無視して食べ続ける。
八幡「…………」ズズー
前に来たのは、まだ雪乃と付き合ってた時か。
隣を見るとその席は空いている。前はここにいた人間が、今はいない。
少しだけまた寂しくなって、それを頭から追い払うように麺をむさぼる。やっぱうめぇやこれ。
――
――――
材木座とはあの後ゲーセン行って、格ゲーやって別れた。てかあいつすげー腕上がってんの。ずっとゲーセンにいたんじゃないかと疑うレベル。
で、今は家でゴロゴロ漫画タイムである。笑ゥせぇるすまんめちゃくちゃ怖え。
八幡「……マッ缶飲も」
たまに来るマッ缶をとてつもなく飲みたくなる衝動。ただのコーヒーに練乳を入れたなんちゃってMAXコーヒーじゃ満足できないやつが来た。
だから俺は、本物が欲しい(自虐)。
八幡「マッ缶マッ缶~」
八幡「……がない!?」
しまった、昨日の夜に飲んだのが最後だったか。しかし今はマッ缶が飲みたい。
だから俺は(以下略)。
八幡「……コンビニ行くか」
イヤホンを耳に着けて部屋を出て、鍵を閉めたか確認して歩き出す。
ふと、一ヶ月前に同じ道を通った彼女のことを思い出した。
あの時、彼女の目には何が映っていたのだろうか。それが知りたくなって前を見てみる。
俺の目にはいつもと同じ風景しか映らない。
――その瞬間、ある光景がフラッシュバックした。
俺の前から遠ざかっていった、あの小さな背中。
あの時にも気づいていたが、彼女の肩は震えていた。
その寄る辺のない手も、同じように震えていた。
本当は彼女だって嫌だったはずなのだ。
でもそんな素ぶりを俺に見せてはならないと、必死に感情を押し殺していたのだ。
だから、もしかしたらあの時、彼女には何も見えていなかったのかもしれない。
どうしてか、そう思った。
今の自分に合いそうな曲を探して再生ボタンを押す。まぁ、なんだ。たまにはセンチメンタルになったっていいだろ。
少し遅れて、切なげなギターのイントロが始まる。
――いつか雪乃が何かの小説を読んだ時に、好きなのに別れる理由がわからないと言ったことを思い出した。その時は俺も同じようにわからなかった。
お互いが好き合っているのに、別れるという選択肢を選ぶ心理が、感情が理解できなかったのだ。
別れる原因はお互いが、またはどちらか一方が相手を嫌うからなのだと、それが全てだと思っていた。
けれど、今は何となく、それがわかる気がする。
彼女は今頃どこで何をしているだろうか。
笑っているだろうか。それとも彼女もまた、俺と同じように立ち直れていないのだろうか。
――笑ってくれていたらいいと、そう思う。
俺の知らない何処かで、俺の知らない誰かと、俺の知らない服を着て、幸せに日々を過ごしていて欲しいと、素直に思う。
なぜならそれは、俺自身が彼女にしてあげられなかったことだから。
八幡「気の向くまま 過してた二人だから そう……」
八幡「終る事感じてた 割にミジメネ……」
八幡「いつも一緒 何をするにでも 二人だった……」
八幡「あんな日は もう二度と来ない様な気がして……」
イヤホンから流れてくる曲を口ずさむ。
彼女が歩いた道をたどりながら、少しだけ思い出して、懐かしんで、最後には寂しがって。
そして今はまだ少しだけ痛む胸を抱えながら、歩いていく。
八幡「……元気でな」
そうつぶやいた俺の声は、風に流されどこかへ飛び去っていった。
【Epilogue】
ここは千葉で最も有名な某テーマパーク、その名もディスティニィーランドである。
娘「おとうさーん」タッタッタッ
八幡「おう。どうした?」
娘「なににのるのー?」
八幡「んー、そうだな。あんまし並ばなさそうなチキルームでも行くか」
娘「なにそれー?」
八幡「鳥さんが歌うんだよ」
娘「えー、それつまんなさそー」
八幡「ぐぬっ!?」
妻「こら、娘相手に手を抜こうとしない」
八幡「いやだってここ並ぶやつはめっちゃ並ぶし……」
妻「あの子が今日を楽しみにしてたの、あんただって見てなかったとは言わせないよ?」
八幡「ぐっ……、まぁ、そうなんだが……」
でも二時間待ち、三時間待ちとかまず無理だろ。俺じゃなくて子どもの方が。
八幡「おーい」
娘「なにー?」
八幡「何に乗りたい?」
娘「んーとね……、じゃあー……、あれ!」
その指差した先にあったのは――。
八幡「パンさんのハニーハント……だと……!?」
娘「……ダメ?」ウルッ
八幡「いやダメじゃないダメじゃない。全然ダメじゃない。ただ、あれは並ぶのを覚悟しないとだな」
娘「んー?」
妻「ファストパスは?」
八幡「あー、別に取ってもいいんだが、今からだと多分乗れるの夕方以降になるんだよなぁ。パンさんのはめちゃくちゃ人気だし」
娘「むー……」
八幡「……夕方まで待てるか?」
娘「…………」
八幡「パンさんのアイス買ってやるから」
娘「まてる!」
八幡「よし、いい子だ」ナデナデ
娘「えへへー」
――
――――
八幡「……まぁファストパス取るのにも並ぶんですけどね」
娘「おかーさんつかれたー」
妻「えぇー? でもこの辺に座れるところないし……」
八幡「……ほら、乗れ」スッ
娘「うん!」
八幡「うん、しょと」グオオオオオ
娘「うわーーーー!! たかいたかい!」
妻「…………」
八幡「これならいいだろ?」
妻「……うん。たまには父親らしいね」
八幡「そのたまには、が余計だ」
八幡「しかしなげぇなぁ……。どうしてこんなにも人が多いんだ……」
少し列の横に首を出して長さを見てみる。……うわ、まだあんなにあるのかよ。
ここからだと出口が見えて、そこからカップルや家族連れや友達同士の集まりが一定間隔を空けて出てくる。こんなに並んでて出るのがあの間隔って、考えてみるとあれだな。ヤバいな。
子ども「おかーさーん。パンさんおもしろかったねー」
??「ええ、そうね。やっぱりパンさんが一番可愛いわ」
――この声は。
一瞬それが誰の声だかわからなかったが、耳に入った瞬間に体に電流が走ったように動けなくなった。
ゆっくりと、その方へ振り向く。
そこにいたのは――。
――雪ノ下雪乃だった。
小さな男の子の手を繋ぎながら、こっちの方に歩いてくる。男の子をはさんで背の高い、なかなか格好いい男が歩いている。
彼女が浮かべる笑顔はとても自然で幸せそうだ。それを見て俺は、少し嬉しくなる。
ふと、彼女の目線がこっちに向く。娘を肩車している俺と目が合う。
彼女が俺の存在を知覚する。
すると、そんな俺を見て彼女は微笑みを浮かべた。
その笑顔で俺は確信した。
あんな風に微笑むことができるということは、彼女に俺以上に大切な誰かが出来たということと同義だ。
ああ、よかった。
心からそう思う。
彼女はもう、あの過去に縛られていない。
過去は思い出となり、傷はカサブタを経て消えた。
それが嬉しくて、俺も口元が緩む。
俺たちは行列に並んでいたから、彼女たちはすぐに俺たちの横を通り抜けた。
お互いに声をかけない。振り返らない。
言葉なんていらない。
ただ、あの笑顔だけで十分だ。
楽しそうな声が遠ざかって、小さくなって、やがて、消えた。
八幡「…………」
娘「どーしたの?」
八幡「……なんでもない。そらっ」グッ
娘「きゃっ!?」
八幡「どうだー? よく見えるかー?」
娘「こわい! たかい! おろして!」バタバタ
八幡「わりぃわりぃ」スッ
妻「恐がらせてどうする」
八幡「いや、なんか、こう……、はい、すいません」
目が恐いから。高いのよりもよっぽど恐いから。
あれからもう二度と恋なんかしないと思いながら、懲りもせずまた他の誰かを好きになって、フラれたり、付き合ったり、別れたりして、そうして今がある。
しっかり者の妻と、目に入れても痛くないレベルに可愛い娘。てか娘は特にヤバい。小町よりも可愛い生物がこの世にいるとは思わなかった。
そんな人と出会えて、子どもも生まれて、毎日が騒がしいくらいに賑やかな生活。
自分には贅沢すぎるくらい幸せだ。
きっと、彼女もそんな日々を送っているのだろう。
真っ青な雲一つない青空を見上げる。
神様なんてものは信じちゃいないが、それでもいるのならこう願わせてもらおう。
――どうか、彼女のこの先の人生にも、幸多からんことを。
ビュウっと心地よい風が吹く。
それはもうすぐ春がくることを告げるような、そんな風だった。
おわり
読んでくださりありがとうございました。
なんかいろいろ強引ですね。
やっぱり恋愛ものって難しい。
BOOWYのCLOUDY HEARTという曲を基に書きました。すごい好きな曲なので、よかったらそちらも聞いてくださったら嬉しいです。
http://www.youtube.com/watch?v=OlrSIZBJ7Jw
このSSまとめへのコメント
アニメ化してほしい。
なんか、悲しい終わり方だよなー。
結ばれて欲しいもんだね。
それぞれいろんな終わりがあってもいいとは思いつつも。
雪乃派からするとスゲー悲しい(泣)
八幡と幸せになって欲しかった
色々言いたいが、やはり良作ssの作者にありがとうだな
色々言いたいが、やはり良作ssの作者にありがとうだな
Butエンドだよな?感動したけとさ
お前何も分かってないわ
goodエンドかは分からんがbutではないな