小鳥「弱虫とペンダント」 (29)


「「乾杯!」」

二つの中ジョッキがチン、という軽い音を鳴らす


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今日、私はプロデューサーさんととある居酒屋に来ていた
居酒屋と言ってもチェーンのようなところじゃなくて、雰囲気のいい飲み屋だ
変に豪華な店よりも、私はこういう店のほうが好きかも

「っはぁ!やっぱり仕事上がりのビールは最高ですね」

「それおっさん臭いですよ、音無さん」

「・・・。」

「す、すみません・・・」

「いや自分でも分かってるから良いんですけどね」

またやってしまった
私には女らしさとかそういうものは無いのかしら

「ようメガネの兄ちゃん、やっとお前も女連れてくるまでになったか」

頭に鉢巻を巻いたおじさんが店の奥から出てきた
もしかしてこの店の店主さんだろうか

「店主さん、音無さんは別にそういう人じゃないですって」
「ただの会社の同僚です」

「そうなのかい?それにしちゃあえらい別嬪さんだが」

「べ、別嬪?私が?」

「そうだよ。この小僧に似合わんくらいにな、ははは」

「それ遠回しに俺のこと貶してません?」

「あ、安心して下さい。プロデューサーさんはちゃんと良い男性ですって・・・」

似合わない、ね
私なんかに今を生きる彼なんかが似合わないってことは知ってたはずだけど

「じゃあ注文聞いていいか?」

「あ、はい」

プロデューサーさんはお品書きを開いて私との間で開く

「音無さんは何食べたいですか?」

「じゃあ・・・焼き鳥盛合わせとくわいの素揚げ、ご飯セットを」

「なら 板わさ、おでん、もう一つご飯セット」
「あと今日は何か美味しい魚あります?」

「今日あるのは・・・ああムツコがあるな」

「ムツコって何ですか?」

「クロムツの卵のことだ、本体もあるから一緒に煮付けにでもしてやろう」

クロムツって確か高級魚だったような
名前だけは聞いたことはあるけど、食べたことはないわね

「音無さんは大丈夫ですか?」

「クロムツですか…名前は何度か聞いたことはあるんですけど食べたことは無いですね、一回食べてみたいです」

「じゃあそれを一つ、あと熱燗を一合下さい」

「いえ、二合でお願いします」

少しがっついて言ってしまった
やっぱ女らしくないとか思われてしまったりしてるのかしら

「了解、ちょっと待ってな」

店主さんはそう言って店の奥へと入っていった

「いやあやっと年末年始の忙しい時期が終わりましたね」
「プロデューサーさんも色々な所に回ったりして大変だったでしょう」

切り干し大根を口に運びながらそう言う

「本当に疲れましたよ・・・まさか去年よりも大変だとは思ってませんでした」

一年間の書類のまとめに年末年始の特番、そして冬の生放送やその他諸々
みんな去年よりも有名になったから、私達裏方もいっそう忙しくなった

「まあ、ああやって忙しく働いている時が一番皆の成長を実感できますがね」

「ああ、確かに分かります」
「私達裏方がてんてこ舞いになるくらいみんなに仕事があるってのは嬉しいですね」

こうやって考えてしまってる時点でワーカホリックに一歩足を踏み入れてしまってるのかもしれない
自分の情けなさに一生嘆いて生きるよりはマシかもしれないけど

「へい、くわいと板わさ、あと大雪渓の熱燗な」

店主さんがそう言いながら料理を出してくれた

大雪渓は確か長野のほうの酒だっけか
学生のころ日本酒にハマってたころに飲んだ気がする

「他はもうちょっとかかるから待ってな」
「それじゃお二人さんでゆっくり親睦を深めてくれよな」

「だからそうじゃなくてですね」

そこまで必死に否定しなくても・・・

「まったくあの人は・・・」

「ま、まあいいじゃないですか」
「店主さんも本気で言ってる訳じゃないでしょうし」

そう、本気じゃない
アイドルのみんなならともかく、こんな婚期遅れのおばさんが彼の一生を左右なんてできるはずがない

片想いは私だけで十分

「さて、それじゃあいただきます」

「いただきます」

くわいに箸を伸ばす
くわいはおせちに入ってる印象があるけど、素揚げでも食べられるのね

「ん、これ美味しい」

じゃが芋のようにほこほこしていて美味しい
あのくわい独特の味も残ってるし、何個でも食べたくなるわね

でも何故だろう、いつも見るくわいと少し小さめような・・・

「このくわい、なんか小さくないですか?」

「・・・ああ、成る程。おせちなんかで見かけるのより一まわり二まわり小さいですね」
「見てて違和感を感じていたのはそれか」

プロデューサーさんもどことなく違和感を感じてたみたい

「これ何処かに売ってるのかしら・・・」

たぶん普通に素揚げするだけだろうし、家で作れるなら作ってみたい
最近は自炊できる程時間のある日は少ないけど

「そうだ、音無さんから見て最近みんなの様子はどうです?」

プロデューサーさんはそう私に尋ねてきた
そういえばプロデューサーさんがアイドルのみんなについて尋ねてくるのは少し珍しいかもしれない

「どうって、その辺はプロデューサーさんの方がよく分かってるんじゃありません?」

「いや、女性目線でしか分からないこともあるのかなと」
「俺からはみんな元気なように見えますが、もしかしたら隠してるって可能性もなくは無いですし」

まったく、相変わらず心配性ね

「多少の気分の上下はあっても、みんな大体元気そうですよ」
「仕事も楽しそうですしね」

「音無さんがそう言ってくれるなら安心ですよ」

そこが安心感があって良いけど

「突然そんなこと聞いて、何かあったんですか?」

「いや、別に何かあった訳じゃ無いんですがね・・・」
「最近俺がみんなの足を引っ張ってるんじゃないかと思うようになってきて」

わずか二年弱で全員を紅白に出場させるほどの頑張りようなのに、まだ上を求めてるのかしら
希代の名プロデューサーと呼ばれた高木さんと黒井さんと同じくらいの腕前だというのに

「そ、そんなわけ無いですよ!」
「みんな貴方がプロデューサーだったからここまで頑張れたんだと思いますよ」

「そうでしょうかね・・・」

向上心があるのはいいことだけど、だからといってそれで自信を失ったら意味がない
私なんかよりもずっとずっと凄い人間だ

「プロデューサーさんは自己評価が低過ぎます、もっと胸を張って下さい」

「・・・ありがとうございます」

まあ、私なんかと比べられるのも迷惑だろうけど

何も行動できないでいる弱虫の私が、どうして彼なんかと一緒に並べようか
そんなことを考えながら鞄の中の箱を触ってみる

食事も大体終わり、雑談に花を咲かせていた頃
プロデューサーさんが突然ズボンの辺りを気にし始めた

「ん、電話?」

「どうしました?」

「ああ、律子から電話が。ちょっと外で話してきますね」

「戻ったらお酒がなくなってても知りませんよ~」

徳利を指で揺らしながらそう言う

「はは・・・倒れない程度にお願いしますね」

プロデューサーさんが居なくなって少しだけ静かになった酒場

「・・・はぁ」

最近、プロデューサーさんを見てると私の情けなさに嫌気がさしてくる

自分では現状に満足できてないようだけど、あの真面目さと人柄の良さは真似できるものじゃない
一緒にいるだけでも楽しくて、胸がどきどきする

なら私はどう?
男と縁もなく今まで生き続けて、今をときめくアイドル達を影で見続ける
気付いたらもう30代も目前、棚の端に積んであるただの売れ残り

そんな私に彼ほどの価値はあるの?

「・・・。」

しかも、その売れ残りが彼のことが好きだっていうんだから笑い話ね

「・・・誰か、笑ってよ」

笑ってくれれば諦められるかもしれないのに
いつまでこんな惨めな気持ちでいなきゃいけないんだろ

酔いなんて、覚めちゃった

ふと、鞄を開けてみる
中には雑多なモノと、リボンをつけて包装された革財布

半年前くらいに買ったものだけど、ずっと渡す機会を逃してしまっている
逃してしまって?いや、違う

「・・・私に、告白なんてできないわね」

こんなただの弱虫に、そんなことができる筈もない
プロデューサーさんだって、迷惑に思っちゃうだろうし

私に、そんなことができるような価値があるとは思えない

「はぁ・・・馬鹿、弱虫」

いっそ当たって砕ければこんな思いにならずに済むのかしら

日本酒を飲み干し、もう一杯注ぐ

「あ、おかえりさない。ちょっと長かったですね」

「え?ああ、少し複雑なところがあって」

プロデューサーさんがおもむろに徳利を持ち上げる

「・・・本当に全部飲んだんですか」

「あれ?もう終わってました?」

ヤケ酒、ね
昔はよくやったものだけど

「どうします?まだ飲んできますか?」

「うぅん、もういい時間ですし今日はもう帰りましょうか」

「そうですね、じゃあ会計してきます」

少し遠くのプロデューサーさんが鞄から財布を取り出す
少しだけ縒れた、革財布

最近はプロデューサーさんに奢ってもらうことも慣れてきた

私はワリカン派なので最初はプロデューサーさんに奢ってもらうことには抵抗があった
でもプロデューサーさんの"男のプライド"とやらが許さないらしい

私だってちゃんと働いてお給料貰ってんだし、ワリカンでもいいのに
雪歩ちゃんじゃないけど、男の人ってのはよくわからない

「じゃあ、また明日」

店の前でそう言われる

「おやすみなさい」

私が答える

私の帰り道はこっち、プロデューサーさんの帰り道はあっちだ
お互い別の道。他人なのだから当たり前だけど

プロデューサーさんと一緒に居れる楽しい時間もこれで終わり
また独りの時間が始まる

ふと鞄の中の箱が気になる

本当にこのままでいいの?
一生これで、一生後悔しながらで


プロデューサーさんがあっちに振り向く
あと数秒でまた離れていってしまう

最初から望みなんて無いようなものだ
駄目で元々で渡してみてもいいんじゃないの?


一歩足を踏み出しかける

まったく、この弱虫めが
そろそろ本気を出してもいいんじゃないの?

足を止める
躊躇いを消し去るように

箱を握りしめる
弱さを投げ捨てるように

声を掛けようとする
勇気を振り絞るように



「あの、音無さん!」


「・・・え?」

「・・・あれ?」

「あ、音無さん。何ですか?」

「いや・・・プロデューサーさんこそなんですか?」

「お、俺は特に・・・」

「私・・・も何も」
「あ、プロデューサーさん。その手に持ってる物は何ですか?」

「いや、これは別に・・・」
「音無さんこそ、それ何ですか?」

「あ、いや、これは、その・・・」

思考が止まる
何が起こっているの?

「・・・。」

「・・・。」

目の前には驚いた顔で立っているプロデューサーさん
手には灰色の箱がある

「・・・。」

「・・・。」

対する私も、アホのような顔をして立ち尽くしているだろう
手には革財布の箱がある

「・・・と、とりあえず、どこかで落ち着いて話しませんか?」

「そ、そうですね。そこの公園にでも行きましょうか」

はは、完全にタイミングを逃してしまった
やっぱり私には無理なのかな

「・・・。」

「・・・。」

いや、もう一度だけ、もう一度だけ言えるかもしれない
今度は落ち着いて、心から

「・・・。」

「・・・。」

プロデューサーさんの隣を歩く
二人で歩くってのはここまで緊張するものだったっけ

「・・・。」

「・・・。」

チャンスはもう一度ある
でも私自身はもう一度言えるだろうか

好きです、と


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「いらっしゃいませ!」

店に入ると店長がそう挨拶をしてきてくれた
店長と言っても昔お世話になったあの店長さんの孫だけど

「って、ああ!お二人ともお久しぶりです」

「おう、久し振り」

「また来ましたよ」

「ええと、そちらのカウンター席にどうぞ」

コートを脱いで、鞄を置く

「とりあえずお飲み物はどうしますか?」

「まあ最初はやっぱり生中よね」

「んじゃ生中二つ」

「畏まりました!」

店長クンが店の奥へと戻っていく
その後ろ姿は少し初々しいけど、あの店長さんとどことなく似ている気がする

「ふう、やっと飲める日が作れたな」

「最近忙しかったものね」

彼の鞄には少し縒れた革財布、そして指には銀のリング

「お待たせしました、生中二つとお通しの切り干し大根です!」

二人でメニューを見ていると、そう声が聞こえた

「お、来たか」

「とりあえず飲みましょうか」

「そうだな、今日は喉が渇いた」

「それじゃあ・・・」


「「乾杯!」」

二つの中ジョッキがチン、という軽い音を鳴らす

おわり

地の文なんか下手に手を出すものじゃないですね

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