黒川千秋「騎士の誇り」 (25)


 時刻は夜。普段なら既に眠りに就いているような時間帯。

 自室のベッドに横たわりながら、それでも私は中々眠れなくて。

 まるで遠足前日の子供のように、楽しみな気持ちは抑えられない。

 久しぶりに私に来た大きなお仕事、幻想公演シリーズ。

 第一弾から暫くが経ち、またそちらのアイドルを起用して第二弾をやりたいというオファーが事務所に来て。

 そして、今回のストーリーや役柄を聞いたプロデューサーが事務所で言ってくれたのだ。

 ――この役は、千秋しか考えられない。

 そう言った瞬間の彼の表情を思い出して、胸が高鳴るのを自覚する。

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 どんなお仕事だって、やるからには全力で臨んできた。

 それが私のアイドルをするにあたってのスタンスで。

 例えばメイドの役柄。

 お嬢様だから向いていないんじゃないか、なんて一部では言われたけれど。

 それでも全力でやり切ったと自分では思っている。

 他人からどう見えたのかまでは、流石に分からないけれども。


 ――誇り高き女騎士。

 それが今回私に与えられた仕事だ。

 ……彼が、私以外には考えられないと言ってくれた役柄。

 絶対に、成功させたい。

 いつもお仕事の前には抱く気持ちだけど、今回はより一層に。

 その為にも、演じる役柄をしっかりと理解することは重要で。

 私は自分が演じる“騎士”というものを考えてみる。


 まず真っ先に浮かぶイメージ。

 西洋風の甲冑を身に纏って、剣を振るう。

 主に忠節を尽くし、ひとたび戦いとなれば勇敢に立ち向かう。

 騎士道なんて言葉もある。

 ――そういえば、日本の武士道とは具体的にどういう違いがあるのかしら。

 ……いえ、今はそれよりも。

 思考が横道に逸れていたことを自覚し、再び騎士について思いを巡らせる。


 騎士道物語などは、西洋文学の定番の一つだろう。

 王の為に、或いはお姫様の為に。強大な敵に挑んで勝利する。

 相手は悪い人間であったり、ドラゴンのような空想上の生き物であったり。

 それが、今の私が持ち得ている騎士というもののイメージ。

 ただ、やはりと言うべきか。頭の中に浮かぶのは男性の姿をした騎士ばかりで。

「女騎士、か……」

 思わず私は一人呟く。


 たとえば、ジャンヌダルクが該当するのかもしれない。

 何時だったか見た記憶がある、彼女を題材とした映画を思い出す。

 あのような感じを意識して演じればいいのだろうか。

 そんな風に考えて、一つの事実に気付く。

 ジャンヌダルクの映画は敢えてジャンル分けするならば歴史物となる。

 一方で今回の仕事はファンタジー物だ。

 どちらかと言えば現実性が求められる前者と違い、後者は寧ろ非現実性が求められる場合が多い。

 そうした意味では、私が演じるべき女騎士というのも、或いはまた違ったものになるのかもしれなかった。


 私はベッドから起き上がる。

 ……どうせ寝付けないのだから、今日くらいは少し夜更かししてしまっても。

 そんなことを思いながら、ノートパソコンを起動する。

 大学のレポートを書く時などにも使っている愛用のもの。

 インターネットブラウザを開き、検索窓に「女騎士」と入力する。

 役柄を考える上での参考にしようと思ったのだ。

 マウスポインタを検索ボタンの上に重ねて、クリック。

 そして、画面が更新された瞬間、真っ先に視界に飛び込んできたのは……。


「……なにかしら? これは」

 私は疑問に首を傾げながら、検索順位の上位に来ているそのページを開く。

 

 ――くっ…殺せ! とは、女騎士がオークに陵辱される際の決まり文句である。略して「くっ殺」



「………………え?」


 思考が停止する。

 今、何か私はとんでもない文章を読んだような気がした。

 目を閉じてこめかみをほぐして、深呼吸。

 よし、と心の中で呟いて、もう一度ディスプレイを見る。

 ――くっ…殺せ! とは、女騎士がオークに陵辱される際の決まり文句である。略して「くっ殺」

 どうやら見間違いでは無いようだった。

 落ち着いて、まずは状況を整理してみるべきだろうか。


 女騎士……私が演じる役だ。彼が『千秋しか考えられない』と言ってくれた。

 オーク……稀にファンタジー作品に出てくる、基本的に知能レベルの低い醜悪な怪物。

 陵辱……プライド・個人の尊厳を傷付ける言動に出ること。または女性に対し――――

「……冗談でしょう?」

 私は呆然と呟く。

 決まり文句、というからにはそれなりに定番化しているのだろう。

 しかも「女騎士」で検索して真っ先に出てくるくらいだ。

 ファンタジー物の女騎士の役柄としては、かなり定着しているのかもしれない。


 それでも私は信じられなくて、さらにネットの中を進んでいく。

 そうして、分かったことは……。

 やはり、女騎士にとってオークに陵辱されてしまうというシチュエーションは定番中の定番らしいということだった。

 ゲームで、アニメで、イラストで、漫画で、SS――ネット上の簡単な小説のようなものらしい――で。

 あらゆる形で、女騎士がオークに辱められていた。


 ――この役は、千秋しか考えられない。

 彼の言葉が再びリフレインされる。

 台本はまだ手元に届いていない。けれども、ストーリーの概要は聞いている。

 敵として出てくるのは、オーク。

 ドラゴンでも、ワイバーンでも、ゴブリンでも、リザードマンでもなく……。

 女騎士と、オークの組み合わせ。

「…………」

 プロデューサーの言葉は、はたしてどういう意味を込めてのものだったのか。

 結局、私が眠りに就けたのは、普段と比べるとかなり遅い時間になってからだった。


 ***

 王宮に仕える女騎士の私は、洞窟へと向かう。

 そこで私を待ち構えていたのは、オーク。

 ……より正確に言えば、オークのお面を付けた見覚えのある背格好の男性。

『わざわざやられにやってくるとは、愚かな女騎士だぜ……』

 オークが喋る。お面越しだから少しくぐもっていたけれど、聞き慣れた声。

「この王宮の敵め、覚悟しなさい!」

 私はそう言って剣を抜き、オークへと斬り掛かる。

「一太刀で決める! はぁっ!」


「くっ、硬い!」

 私の剣はオークの身体へと届いたはずなのに、全くダメージを与えられない。

 そのことに動揺し、それが致命的な隙を生んでしまった。

 ブオン、と風を切る大きな音と共に、オークの棍棒が振り下ろされる。

「かはっ」

 棍棒はクッションのような衝撃だったけれども、私は地面に叩き付けられる。

 その衝撃で、剣を手から離してしまった。


 オークが私を見下ろしている。

「くっ……殺しなさい!」

 惨めな命乞いをするくらいなら、自らの誇りを抱いたままの死を。

 そんな私に、けれどもオークは一思いにトドメを刺そうとはしなかった。

 棍棒を持つ手とは逆の手を、ゆっくりと私の身体へと伸ばしてくる。

「な、何を……」

 私が呟くと同時に、オークの手が私の甲冑へと触れて力が込められる。

 その瞬間、まるで絹のように鎧が引き裂かれた。


「きゃあっ」

 はだけた胸元を、思わず私は手で隠そうとする。

「た、たとえどんな目に遭わされても、私は屈さないッ!」

 そう言ってオークの顔を睨みつけようと見上げてみれば。 

 いつの間にかオークのお面は無くなっていて、見慣れた彼の素顔が晒されていた。

 けれども、その表情は普段よく見る穏やかなものではなく、とてもサディスティックな笑みで。

 そんな彼の表情に、私はこれまでに感じたことのないような気持ちになっていることを自覚した。


 オーク――彼が、両手でドンと音を立てて覆い被さる。

 ……まるで私を逃がすまいとでもするように。

「な、何をされたって……わ、私は……」

 彼と視線を合わせているのが恥ずかしくて、私は視線を逸らす。

 心臓の鼓動が破裂しそうなほどにうるさくて。

 そんな私に、彼が私の耳元で囁く。

 普段の彼なら絶対に言わないような、加虐心溢れる言葉。

 その声を聞いて、私は顔が紅潮するのを感じた。

 ――そして私は、ゆっくりと目を閉じた。騎士の誇りも何もかも投げ捨てて。


 ***

「…………」

 私は目覚めるなり、顔を枕に押し付けた。

 そのまま二度、三度とじたばたして、声にならない声を漏らす。

「何て夢を見ているのよ、私は……」

 きっと“くっ殺”というものを寝る前に知ってしまったからだ。

 だから、そういう夢を見てしまっただけで……。

 そんな風に言い訳をしてみても、自分は騙せなかった。

 夢の中での私は、確かに彼に被虐的に扱われることに興奮を覚えていて……。

「……っ!」

 ――――私は死んでしまいそうなくらい恥ずかしくて、それから数日間、彼の顔を見ることが出来なかった。


 ちなみに数日後。

 届いた台本を読んでみれば、当然と言うべきかそんな如何わしいシーンなど一切なく。

 ただのギャグファンタジーで。

 それなのに勝手にあんな夢を見てしまった自分に、ますます恥ずかしくなった。


おわりです。お読み頂いた方はありがとうございます。
関連ありませんが前作になります。もしよければこちらもどうぞ。

北条加蓮「希望の聖夜」
北条加蓮「希望の聖夜」 - SSまとめ速報
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