男「雨音が胸の奥に響いたら」(69)
サァァァ
男「げ、雨降ってんじゃん」
男「傘持ってきてねえ……」
男「……」
男「やみそうもないな」
男「……」
男「今はまだマシな方かな」
男「……」
男「仕方ない、バス停まで走るか」
男「くっそ、帰ったらすぐシャワーだ」タタタ
男「ふぅ」
男「くっそ、服が貼りついて気持ち悪いな」
ヒタヒタ
男「あーあ、でもここは屋根があって助かる」
ヒタヒタ
男「ん?」
女「……ここ、よろしいですか」
男「あ、ああ、どうぞ」
女「ありがとうございます」スッ
男「……」
女「あの」
男「は、はい?」
女「ずいぶん濡れていますが、大丈夫ですか?」
男「あ、ああ、ええ、ご心配なく」
男「風邪は引きにくい方で」
女「そうですか」
男「ええ、ありがとうございます」
女「よかったら、このタオル使ってください」
男「あ、いや、悪いですよ」
女「遠慮なさらず、さあ」
男「えっと、ではお言葉に甘えて……」フキフキ
女「うふふ」
男「ふぅ」フキフキ
男「ちゃんと洗って返しますので、これ」
女「いえいえ、お気になさらずに」
男「いや、でも、そんな」
女「あら、バスが来ましたよ」
ブオロロロ
男「あ、はあ」
男「貴方は、乗らないんですか?」
女「ええ、私、ここで雨宿りをしているだけですから」
男「はあ」
女「では、ごきげんよう」
プシューッ
男「タオル、ありがとうございます」
女「ええ」
男「では、また」
プシューッ
男「……どうやって返そう」
……
男「はよーっす」
「おう、おはよう」
男「あのさ、昨日バス停で会った女の人にタオル借りちったんだけど」
「へえ」
男「どうやって返したらいいと思う?」
「名前は」
男「聞いてない」
「ばっかだな、お前、なんで聞かなかったんだよ」
男「そんな時間がなかったんだよ」
「特徴は」
男「えっと、髪の毛は黒くて長くて」
「ああ」
男「傘は青かった」
「……それだけ?」
男「あ、美人だった」
「……」
「この辺で美人っつったら、誰かいたかな」
男「でも、バスには乗らなかった」
男「雨宿りしてただけだった」
「お前の観察眼、そんな程度なの?」
男「や、だって、余裕なかったからさ」
「おれもここの町民、全員把握してるわけじゃねえしなあ」
男「そりゃあ、そうか」
「んじゃあもう、そのタオル毎日鞄に入れとけよ」
男「やっぱそれしかないか」
「ほれ、始業時間だ」
男「うっし、今日も頑張るかね」
……
「おーい、この書類書いたの誰だよ」
男「……」
「ったく、困るんだよなー」
男「……あ」
男「すみません、それ、僕だと思います……」
「え? あ、そう」
「ほら、ここのさ、数値が0になってんだよ」
「たぶん数式がクリアされてるからだと思うんだけど」
男「あ……すみません……気付かなくて」
「ん、気をつけてくれよ」
「まあ、こんな僻地に飛ばされてテンションあがらないのはわかるけどな」
男「いえ、そんな」
「ほら、こういうちっさなことでもさ、ちゃんとやってくれないと」
男「はい、すみません」
「ん、じゃあ訂正しといてくれ」
男「はい」
男「……」
男「はぁ……」
……
「どしたん」
男「ん?」
「元気ねえな」
男「ミスした」
男「しかもすっげー初歩的な」
「ああ、そんなもん気にすんな」
「自分でとり返したらいいんだから」
男「おれ、やっぱ、やる気ないように見えるか?」
「いーや」
「今のうちは上司に怒られて学んでくんだよ」
「それはどんな職場でも同じだろ」
男「ん、そうかもな」
「だから、さっさとミスを帳消しにするんだな」
男「あ、ああ、ありがと」
男「頑張るわ」
「はっは、素直なお前は変な感じがするな」
男「うるさいな」
……
男「……」ボーッ
「おい、ぼーっとするな」
男「あ、す、すみません」
「なんだよ、今日も覇気がないな」
男「や、その」
「ぬるいか? 町の役場ってのは」
男「いえ……そんなことは……」
「町民は見てるぞ、しゃんとしろよ」
男「は、はい、すみません」
男「うぅ」
「どした」
男「今日も怒られた」
「疲れてんじゃないのか」
男「ん、そうなのかな」
「それとも、なにか気になることでもあるのか?」
男「いや、別に」
「まあ、まだこの環境に慣れてないんだろ」
「早く慣れるように頑張ればいいんじゃないか」
男「ああ、努力するよ」
……
男「ふぅ、本日も終業!!」
男「さて、帰りましょうかね」
男「な、今日飲んでかないか?」
「いや、すまん、かみさんのために今日は早く帰らなきゃいけないんだ」
男「なにかあるのか?」
「かみさんの誕生日」
男「ははは、いい旦那だね」
「今頃、家に花が届いてるはず」
男「気障だねえ」
とりあえずこんな感じでお願いします
また明日
……
サァァァ
男「うが、また降ってる」
男「最近雨多いなあ」
男「でも、あれから鞄の中に折り畳み傘入れてるし」ゴソゴソ
男「あ、でもタオル……まだ返せてないんだよなあ」ゴソゴソ
男「早く返さなきゃなあ」
……
男「ふう、やっぱ傘は必要だね、っと」パタパタ
女「あら」
男「あ、貴女は」
女「お久しぶりです」
男「あの、これ、タオル、ずっと借りててすみませんでした!!」
女「いえいえ、お気になさらずに」
女「お風邪は引かれませんでした?」
男「ええ、おかげさまで」
女「それはよかった」
男「あ、あの、ありがとうございました、本当に」
女「うふふ」
男「あ、あの……」
女「貴方、新しく来た人?」
男「は」
女「いえ、その、あまりお見かけしないお顔でしたから」
男「あ、ええ、そうです」
男「この春、この町に越してきたところです」
女「あら、そうでしたの」
男「役場の方で働いてます」
女「あら、お役人さんね」
女「お仕事、ご苦労様です」
男「い、いえいえ、そんな」
女「ここ、小さい町ですけれど、いいところですよ」
男「はあ……」
女「みなさん、明るくて、活気があって」
男「そうですか」
女「私、この町が居心地いいんです」
男「ははは」
女「貴方も、そうなってもらえるといいのですけれど」
男「……」
男「ええ、そうなるといいですね」
男「その傘……」
女「はい?」
男「綺麗な、色ですね」
女「この色の良さがわかるのですか?」
男「ええ、そりゃあ、綺麗な色だと思います」
男「澄んだ青色というか、藍色というか」
女「うふふ、ありがとうございます」
プシューッ
女「では、また」
男「あ、あの、今日も乗られないんですか?」
女「ええ、私、雨宿りをしているだけですから」
男「で、では、また」
女「ええ、またお会いしましょう」
プシューッ
男「あ、また名前聞き忘れたなあ」
男「でも、タオル返せてよかった」
……
男「……はぁ」
「おい、仕事中にあんまりぼーっとするなよ」
男「あ、ああ、悪い」
「見てたのが上司じゃなくておれでよかったな、ははは」
「なんか、悩みごとでもあるのか」
男「悩みごとっていうか」
男「前言ってたさ、タオル借りた女の人のことなんだけど」
「ああ、返せたのか?」
男「返せたんだけどさあ、また、名前聞きそこねたんだよ」
「返せたんだったら、もういいだろ」
男「あ、いや……」
「なに、気になってんの」
男「うーん、よくわからないけど、そういう感じ」
「中学生みたいだな」
男「うるさいよ」
「美人だって言ってたな」
男「うん、なんか、儚い感じの美人」
「『儚い』って日常会話で聞いたのは初めてだ」
男「『儚い』って日常会話で使ったのは初めてだ」
「え、具体的にはどう儚いわけ」
男「んん、なんつうか、影があるっていうか、俯きがちっていうか」
「陰気なわけ?」
「じめじめしてんの?」
男「あ、いや、そこまでは言わないけど」
男「愁いを帯びた目っていうか」
「『愁いを帯びた』ってのも、日常会話で聞いたのは初めてだ」
男「うるさいな、もう」
「どこでタオル返せたんだよ」
男「また、バス停で」
「バス停の近くに住んでんのか」
男「わからない」
男「昨日も、雨宿りだって言ってた」
「……」
「おかしくないか」
男「なにが」
「その女の人、傘持ってたんだろ」
男「ああ、持ってたよ、青いの」
「なのに、雨宿りするのか」
男「……家が遠いのかな」
男「ほら、小雨になるまで雨宿りしてたとか、さ」
「じゃあ、なんでバスに乗らないんだ」
男「……」
男「確かに」
「家が近いならさっさと帰ればいいし、遠いならバスに乗るべきだろう」
男「……謎だ」
「お前、幽霊でも見たんじゃないか」
男「な、ななな」
「足、ちゃんとあったか?」
男「やめろやめろ、怖い話をするな」
「そのタオル、血がついてなかったか」
男「やーめーろ、って」
「冗談だよ」
男「あ、でもどちらかと言うと顔は青白かったな」
「あ、ほらやっぱり」
男「違うって」
「今度会ったら、ちゃんと名前を聞いとくこと」
「それから、ちゃんと足があることを確認すること」
男「へいへい」
男「会えるか知らないけどな」
「まあ、気長に、な」
「まだ若いんだから」
男「話が飛躍してるぞ」
「これがあるべき流れだろ」
男「む」
「若いうちに嫁さんもらっとけよ」
男「ノロケはいらん」
……
男「……」
男「……暑いなあ」
男「……」
ブオロロロ
男「……いねえなあ」
プシューッ
男「(このバス停使うのって、役所の人間くらいなんだよなあ)」
男「(しかも役所の人間もほとんど自転車で通勤できる範囲だし)」
男「(あの人は、なんでこのバス停に来るんだろう)」
情景が伝わっているでしょうか
不安です
それでは、また明日
……
女「あら、また会いましたね」
男「っ」ビク
女「あらあら、そんなにびっくりなさらなくても」
男「あ、いえ、すみません」
女「私がいると、思いませんでしたか」
男「え、ええ、しばらくお会いしていなかったので」
女「うふふ」
サァァァァ
男「最近、雨が多いですね」
女「私、雨女なんですよ」
男「はあ、そういう方、ときどきいますね」
女「貴方は違うの?」
男「ええ、僕は別に」
女「そう? 小学生の頃の遠足や行事で、雨が降ったことはなかったかしら」
男「ん、そう言われると、雨のときもあったような」
女「イベント事や旅行や」
男「……大学の頃の旅行は二回とも、雨が降りましたねえ」
男「傘持ってなくてびしょびしょになって観光どころじゃなかったことがあります」
女「あらあら、お気の毒」
女「貴方も、立派な雨男ではなくて?」
男「う、そうなんですかね」
女「私が貴方をお見かけするときは、いつも雨ですし」
男「それはこっちの台詞ですよ」
女「いいえ、私が先に言ったのだから、私の台詞です」
男「どういう理屈ですか」
女「言ったもの勝ちですよ」
男「ははは」
女「でも、雨は落ち着きますから、とても好きです」
男「まあ、僕も、濡れさえしななければ嫌いではありませんが」
女「今日は濡れていませんね」
男「あれから、傘を持ち歩くことにしたので」
女「うふふ、それが賢明ですね」
男「貴女も、雨宿りとは言いますけど、傘をお持ちじゃないですか」
女「ええ、そうですね」
女「ここで雨を眺めるのが、好きなのかもしれませんね」
男「はあ、なるほど?」
女「雨を眺めるの、楽しくないですか」
男「ううん、よくわかりません」
女「例えば、部屋に一人でいて、外は雨、出かける予定はなし、珈琲と文庫本」
男「ああ」
女「窓の外を眺めながらゆったり、まったり」
男「確かに、それは最高ですね」
女「でも逆に、濡れてしまえば同じだと傘も持たずに大雨の中、外に飛び出してみたり」
男「ああ、それも気持ちよさそうだ」
女「経験はないのですか」
男「まだ、実行したことはありませんね」
女「今度試してみたらいいと思いますよ」
男「あ、貴女は経験が」
女「あります、何度も」
男「何度も!?」
男「雨の日って、髪の毛が湿気で大変なことになりませんか」
女「うふふ、くせっ毛の人は、大変でしょうね」
男「あ、ちょっと感じ悪いですよ、それ」
女「うふふ、悪気はないのよ」
女「くせっ毛の人、好きですもの」
男「はあ……」クリクリ
男「僕も結構、朝大変なんですよ」
女「ええ、ええ、そうみたいですね」
女「でも貴方みたいな猫っ毛、素敵です」
男「はあ……」クリクリ
女「女性の方が、そういうのは気にするものですけどね」
男「貴女は、そういう心配はなさそうですね」
ブオロロロ
女「うふふ、お話しているのは楽しいけれど、そういう時間はすぐに過ぎてしまいますね」
男「あ、あの、貴女のお名前を」
女「私ですか、えっと、―――といいます」
女「では、ごきげんよう」
プシューッ
……
男「あの女の人の名前がわかったので詳しく調べてくれないか」
「は?」
男「この町の住民登録をちゃちゃっと見てだな」
「私用に扱うのは厳禁だぜ」
男「そこをなんとか」
「お前な、ものには頼み方ってもんが」
男「頼む、おれとお前の仲じゃないか」
「てめーこの町来てまだ二カ月だろうが!!」
男「せっかく名前がわかったのに」
「名前以外のなにを知りたいんだよ」
男「いや、その、年齢とかさ、本人には聞きにくくって」
「年齢だけでいいんだな?」
男「あと、御家族とか、住んでるところとか」
「ストーカーじみてるからやめろ」
男「スリーサイズとか」
「住民登録に載ってるわけねえだろ」
「いいか、貸しにしとくからな」
男「恩に着る」
「その間、おれが見るはずだった書類整理しといて」
男「イエッサ」
「じゃ」
男「ふう、なにか悪いことをしている気がするが……」
男「でも、あの人のこと、気になるんだよなあ」
「おい」
男「あれ、早いな」
「名前、なんだっけ」
男「そういえば言ってなかったな」
……
「ただいま」
男「お帰り、どうだった」
「あのさ、聞き間違いってことはねえか」
男「ん?」
「いないんだよ、そんな名前の女」
男「は?」
「この町には住んでいない」
「似た名前を探してみたけど、もともと人口のそう多い町じゃないし、な」
男「いない……」
「ほんとに、足、あったのか」
男「……」
「……冗談だよ」
「もう一回会えたら、ちゃんと名前、聞いとけよ」
「それか、この町の人じゃないのかも、な」
男「あ、ああ」
「さ、さっさと仕事に戻るぞ」
男「……ああ」
明日完結予定です
ではまた
最後まで行きます
現在なぜか半裸です
……
サァァァァ
女「ごきげんよう」
男「こんにちは」
男「今日は、会えると思ってました」
女「あら、どうして?」
男「今日は、雨ですから」
女「そうね、素敵な雨」
男「あの、貴女は一体……」
女「?」
男「その、この町の人ではないのですか?」
女「この町の……ですか」
女「ええ、厳密には、私はこの町の住民ではありません」
男「……そう、ですか」
女「でも、この町はとても素敵だから、いつも寄りたくなるんです」
男「寄る?」
女「ええ、寄せてもらっているんです」
男「……?」
女「でも、もうそろそろ、この町ともお別れです」
男「ど、どうして」
女「雨の季節が、終わるからですわ」
男「雨……」
男「そ、それだけで、どうして」
女「それだけってことはありませんよ」
女「私には、とても重要なことなんです」
男「はあ……」
女「貴方は、雨がお嫌い?」
男「いえ、その」
男「今までは、その、あまり雨は好きではありませんでした」
男「でも、貴女に会って、雨もいいなと、思えるようになりました」
女「そう、それはよかった」
男「また、この町に、寄って頂けますか?」
女「ええ、もちろん」
女「この町の人は、みんな明るくて、活気があって、好きですし」
女「なにより……」
男「なにより?」
女「山のふもとですからね、雨が多くて好きです」
男「あの、貴女は本当に雨がお好きなんですね」
女「ええ」
女「……貴方の心にも……」
男「え?」
女「……貴方の心にも、雨が降っていますね」
男「……え?」
女「心が、泣いています」
男「……」
女「心当たりはありませんか?」
男「……」
男「あの、最初は、僕はこの町が好きではありませんでした」
女「それはどうして?」
男「誤解を恐れずストレートに言うと……」
女「どうぞ」
男「田舎だからです」
女「うふふ、確かにここは田舎ですね」
男「上司に、僻地でやる気が出ないんだろ、と言われても仕方がない」
男「確かに僕は、少し、へこんでいたんだと思います」
女「そう……」
女「でも貴方、今は少しは晴れやかに見えるわ」
男「最初よりは、この町に慣れましたから」
女「そう、それはなにより」
男「同僚にも、同い年の、気さくなやつがいましたし」
女「それはよいことですね」
女「そう、貴女の心の雨は、もう止みそうですね」
男「……そう、なるといいですね」
女「もし貴方の胸の奥に、また雨が降ったなら、私を呼んでください」
男「……それは、僕にもわかるのでしょうか」
女「さあ、どうでしょうね」
女「でも、貴方の雨音は、私にはちゃんと聞こえますよ」
男「雨音が胸の奥に響いたら」
男「また、会いに来てくれますか?」
女「ええ、きっと」
女「そんなことがなければ、いいのですけれど」
ブオロロロ
男「ああ、もうバスが来てしまいました」
女「うふふ」
男「あの、できれば、また……」
女「ええ、きっと」
女「貴方の心に雨が降らなくとも、また雨の季節にお会いしましょう」
男「ははは、貴女は本当に、雨の話ばかりだ」
プシューッ
女「ええ、だって私、雨女ですもの」
★おしまい★
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