アニ「再会」 (44)
進撃BBS、深夜と彷徨いここに流れ着いた、人の本質に迫るレオンハート・サーガ完結編!
第1部
アニ「なぜかこの世界では」 - SSまとめ速報
(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/comic/6689/1402063130/l50)
第2部
ジャン「討伐数1!」 - SSまとめ速報
(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/14562/1412516684/)
※注意
転載禁止。
鬱とグロ満載の暗黒宇宙を展開するので、刺激に弱い人には即閉じをお勧めします(上の二つはそうでもありません)。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1419347483
なぜかこの世界では……
最良の結果を望めば望むほど最悪の結果に行き着く。
どうしてこんな茶番になると思う?
答えなよ。
あんたに聞いてるんだよ。
そう、そこにいるあんた。あんただよ。
黙ってるのかい。
言ってあげようか。私があんたの代わりに。
そ れ が 人 の 本 質 だ か ら で は ?
笑っちゃうね。笑い事じゃないんだけど。
本当に私の今の状況、笑い事じゃないよ。
水晶に閉じ籠った状態でも、私ははっきりと感じ取っていた。
空気が変わったことを。
大きな力が、場面を決定的に変えてしまったことを。
多分あんたらにも覚えがあるんじゃないのかね。冬が終わり春がめぐってきても、そこに自分の居場所はないっていう、あれだよ。言ってる意味分かる?
そう。自分がそこにいてもいい場面は終わってしまった。
新しい場面では、然るべき連中が然るべきバカ騒ぎをやらかす。ただ、私がそこにはいない。
残念ながら私の予感は、翌日地下室に入ってきた足音がご丁寧に立証してくれた。
足音は私の少し手前で止まった。そして膝を着く気配。
「アニ。久し振りだな」
エレンの声。時々鼻を啜り上げる音。泣いてるらしい。
「巨大樹の森でお前に食らった蹴りが忘れられない。あの蹴りで俺は変わってしまった。あれから何度、お前に蹴られるのを夢に見たことか。俺はお前の蹴りがなければ生きていけない体になった。お前のせいだ」
「ストヘス区で戦った時もそうだ。お前は知らないだろう。お前に蹴られた俺が、巨人の中で涙を流して喜んでたのを。お前を確保して、これで毎日蹴ってもらえると思ったら、水晶の中に引き籠っちまうとはな。ひどいじゃないか」
「お願いだアニ。俺を蹴ってくれ。そこから出てきて、気の済むまで。頼む、でないと俺は」
なかなか真に迫った涙声だ。調査兵団てところは変態ごっこの稽古も大まじめにやるんだろうか。
だけど私は笑えなかった。笑うどころか、非常にまずい事態が起こっていた。
水晶が蒸気を上げて溶け始めていた。
看板倒れの死に急ぎ野郎が涙ながらに並べる御託が、か弱いクソ女型の凍りついた心を解かし、水晶まで解凍に向かわせた?
何その笑えない冗談。
地下室の外に捕縛要員が大勢待機してるのは気配で分かってるのに。どうしてこうなるのさ。
巨人体を完璧に制御できてたつもりがこのザマ。
こんな私の未熟さが敵の知るところになったってことは、……やっぱり覚悟を決めなきゃいけないらしい。
地下室の外に捕縛要員が大勢待機してるのは気配で分かってるのに。どうしてこうなるのさ。
巨人体を完璧に制御できてたつもりがこのザマ。
こんな私の未熟さが敵の知るところになったってことは、……やっぱり覚悟を決めなきゃいけないらしい。
水晶塊が完全に崩れ落ちて私が目を開けるのと同時に、兵士がなだれ込んできた。
今度は手早く指輪を抜き取られ、舌を噛む間もなく猿轡を噛まされる。
完璧に縛られ身動きを封じられた私の前に、ジャン・キルシュタインが立った。
「てめぇ。ようやく年貢の納め時だな」
悪人面も凛々しく立派に更生を果たしたらしい元聖者様から、私はみぞおちにありがたい鉄拳(ご利益のほどは知らない)を頂戴した。そして気を失った。
そう。戦争は壁内の大勝利。
壁の内も外も、喜び狂う悪魔どもの笑い声で満ち溢れてるわ。
仲間は最後の一人になるまで戦ってみんな死んだ。もちろんライナーもベルトルトも。
私たちを見守ってくれた優しいお猿さんも。
そして捕らわれの身の私は、一刻も早く殺してもらうことだけ願ってる。もちろん奴らはそんなに甘くない。
念入りに縛られた私が目を覚ました先には、やっぱりジャンがいた。銃の手入れをしながら、小ずるそうな笑いを口の端に浮かべて私を見下ろして。
「お目覚めか。実は面白い話を聞かせてやろうと思ってたところだ」
得意の絶頂にある勝利者はさも楽しそうに話し出した。捕えられて刑場に曳かれていくライナーは完全に錯乱状態で、自分が何者なのかも忘れちまってたらしい。
「そこにいるのはエレンじゃないか! お前立体機動のコツをつかんだんだってな? お互い頑張ろうぜ、きっといい成績がつくはずだからな!」
「ジャン、コニー、お前ら何してんだよ? 俺たちこれから座学受けるんだろ? 予習やったか? 教官の質問に答えられないと走らされるぞ!」
「おい、こりゃ何の真似だよ? 明日は立体機動の野外実習だろうが、俺はその準備をしなきゃならないんだ、お前らだって遊んでる暇は…… いてぇっ! 何すんだ、いててっ!」
「俺は野外実習の準備があるんだよ! やめろよ! 痛ぇっ! 痛ぇょぉぉ!!」
ジャンの与太話が済むと、私は王都の広場で晒しものになってるライナーとベルトルトの首の前へ引き出された。
「壁は世界に勝利したのだ! よーく見ろこいつらの顔。こいつらに続いてお前を血祭に上げた時、壁の勝利は完全なものとなる!」
白目を剥いて口を半開きにした二人の首を見て私は小便を漏らし、その場で失神した。
そりゃ私だって乙女だからさ。あ、「乙女だった」って言った方が正確か。
人間が考えつく限りの苦しみを味わってから、あの二人は首を刎ねられたんだと。私にそう告げた奴の、あの嬉しそうな顔。
「こいつらは物の形が消え失せるまでここに晒される!」
気を失う直前の、そいつの声が耳にこびりついて離れない。
ライナー、ベルトルトかわいそうに。また会えるまでどれくらいかかるか分からないけど、気長に待ってて。
「簡単に死ねると思うな」
だろうね。そう来ると思った。
当初はライナーたちと同じ苦しみの極みを味わわされて首を刎ねられる予定だったのが、アルミンの懇願で変更になったんだとか。女王の影武者兼顧問官の権力ってのは大したもんだね。
「やあアニ元気そうだね。この世に生まれてきたことを血の涙を流すほど君に後悔させるにはどうしたらいいか、みんなで夜遅くまで議論したんだよ!」
私は奴らの開発した薬で巨人化能力を抜き取られた。ただの少女に戻った私はさっそく、権力を握った男たちの慰み物になった。
みんな来たよ。
私らの前で偉そうな演説をぶった調査兵団の団長。
薄ら髭生やした憲兵団師団長。
それからハゲ頭の駐屯兵団司令も。
巷で女子に大人気の兵士長まで来たのには笑ったね。
巨人の力を失ったのに、私の格闘術はよほど気掛かりだったんだろう。
ごつい鎖でこの手足を大の字に広げなきゃ、おちおち自分が男だってことも証明できない。大した連中だよ。
可笑しかったのは駐屯兵団司令の爺さん。ハゲ頭に浮き出た血管が早いとこブチ切れろとそれだけ念じて我慢したけど、思いのほかしぶとかった。
「お主の巨人は超絶美女だったそうじゃの! その時に会えなかったのは残念でならんぞ、お主に食われりゃこの世に何も思い残すことはなかったろうに! じゃが、じゃが、ワシは今お主に食われとるのじゃぞ!」
爺さんはそんなことをわめき散らしながら大奮闘。とてもジジイとは思えない腰使いでチンポコを出し入れした後、雀の涙ほどを私の中に絞り出した。おめでとう。
「お前は確か、いろいろなやり方で俺の部下を殺していたが、……あれは楽しかったりするのか?」
森での一別以来だった兵士長さんは、あの時私の頭の上で垂れた口上をそのまま繰り返した。
言葉ってのはクソと違って、ずっと後になっても同じものを垂れ流せるってことを、不覚にも私はこの時まで知らなかった。まったく、お元気そうで何より。
「俺は今っ、楽しいぞ! てめぇも、楽しいんだろ、え? どうだ、どうなんだよ!」
ええ。とても楽しゅうございます。せいぜいご堪能くださいませ。
お偉方のおもてなしは丸一週間続いた。
誰が一番よかったかって? ああそう、これも言わせられるんだね。まあ正直に言うよ。
最初に来て、私の乙女を散らしていった爺さん。彼だね。
そりゃ、事実上人類最高の権力者になったんだからさ。乙女は彼に捧げられるのが順序ってもんだろ。
爺さんは例のかわいらしい眼鏡を外して、何も言わずに裸になった。思い出してみると、この爺さんが一番口数が少なかった。
私は口数の少ない男が好きだ。クソを垂れ流すだけの口はできるだけ閉じていてもらいたいからね。
口数が少ないなりに、爺さんは頑張った。私の乙女を散らしてから、何がそんなに溜まってたんだか、私の中に3発も出していったよ。
ジジイのくせに無茶しやがって。
「鎖は痛かろう?」
「痛いね。さっさと殺してくれないと痛くてかなわないよ」
「我慢するんだな」
「嫌……」
「泣かんでもいい」
「泣きたくもなるだろ。このクソジジイが」
「私も早くお前を楽にしてやりたい。だが、そうもいかないのだ」
「嘘も大概にしな」
「そう思いたければ好きにしろ。だがな、世界はこのようにできている」
「私をからかって嬉しいだろう?」
「からかってなどいない」
「だからそれが大嘘だと」
「なぜかこの世界では」
そのジジイ──ダリス・ザックレーは私の耳元で囁いた。
「自由を望めば望むほど、自由は遠ざかっていく。どうしてこんな茶番になると思う?」
「それが人の本質だからでは?」
「その通り。お前もその歳でそれを分かっているなら、受け入れろ。全部受け入れるんだ」
そうか。そうやって流すもんなのか。
全部受け入れて、後はそのまま流しちまうのか。
流しちまえば綺麗さっぱり、何も考えなくていいんだろうか? いや…… そんなうまい具合にはいかないね、きっと。
ところで、壁を突っ切って川が流れてる。あの川の水は最後にどこへたどり着くんだろう。
この世の流れる水を全部受け入れて、静かに腐らせていく場所。
こいつらが下半身からひねり出す、ドロドロした体液が私の体の奥に流れ着くみたいに。
そんな場所ってあるんだろうか。
魚だけが知ってるのかね。
案外、ぐるぐる回ってるだけなのかも。
高いとか低いとかいうのは私たちの錯覚で、水はそんなのに全然関係ない理由で流れてるんだとしたら。
もし、私があの川を流れていったら、そうしたら腐るだけ腐って、ふた目と見られないものがまた元の壁の中に流れて来たりするんじゃ?
どっちにしてもそれは私の好みじゃない。
どこかの川底にでも引っ掛かって、物の形が消えてなくなるまで水の中に解ける方がいい。
変わり果てた私の亡骸を見つけて、その日の晩飯が喉を通らなくなる誰かさんが気の毒とかそういうのじゃなくてね。
そんなことを思いめぐらしていると、ジジイが年甲斐も無い激しい腰の振りで責め立ててきて、私はみっともなく昇天した。
自分の喉から絞り出される叫びが、喜びのそれに変わるのが分かって、余計に涙が出てきた。
ああ、これが変態っていうんだ。ご多分に漏れず私もそうだった。
ごめんなさいお父さん。
権力者たちのお楽しみが終わると、今度はアルミンのおもちゃになった。
あのゲス野郎はこの世で考えつく限りの屈辱を与えて、いいかげん飽き飽きしたってところで私を別の場所に幽閉した。絶対に自殺などできないように念入りに拘束されて。
そう言えばこんな余興があったな。
エレンとミカサがテーブルで茶を飲みながらくだらないお喋りをしている。その横で、四つん這いの私の後ろに回ったアルミンが腰を振っている。
時々、種馬気取りのゲス野郎がエレンたちの会話に割って入る。
「ミカサ! ヒストリアが今度お茶しようって」
「いいの? 女王は忙しいでしょうに」
「僕が代わりに座ってるから平気だよ。今まで誰にも気付かれなかったし!」
「おいおい。油断してボロ出すなよな」
「任せといてよ! ふん! ふん! ふん!」
エレンたちは私の存在がそこにないって素振りで、平然と会話したり笑ったりしている。
お楽しみはそのわざとらしさにあるっていう、退屈な趣向。
猿轡を噛まされた私はもう涙も涸れ果ててたから、ただじっと眼を閉じて時間が過ぎるのを待ってた。
奴さんたちすぐに飽きたのか、考え付いた自分らにうんざりしたのか、このくだらない余興はその時限りで二度となかった。連中の想像力の程度が知れるってもんさ。
もっともこのお遊びの最中、妙に粘っこいミカサの視線に気付いて、いまいましいことに一瞬目が合ってしまった。
すぐに目を逸らした私の狼狽ぶりには、さだめしミカサもご満足だったんじゃないだろうか。
勝利者の余裕を徹底的に思い知らせようという、執念を込めたようなあの微笑。
故郷で教えられた通り、こいつらの人の心をへし折る技術は到底私たちの及ぶところじゃない、そう納得した。
ライナーが錯乱するのも無理はないよ。
結局は連中の思惑通り、私の精神が受けた打撃は小さくなかった。
人はこういうことができるんだなって。私は初めて知った。
長く生きれば生きるほど、学ばされることは多い。自分が望むと望むまいと。
これを「全部受け入れろ」ってのかい。ザックレーさんよ。
あんたくらい長生きした人間の台詞だろ、それは。その歳まで生きたかったかどうかは知らないけどさ。
嫌になるね。悔やむことはどうしても残るんだし。
だからどれほどどん底に落ちても、あんたがそうだったように、こんな「悔い」に駆り立てられて人は生きたいと願うものなのかね。
何っていう茶番だろうね。
もし、来世があるのなら、そこで悔いを取り返せるんだろうか。
私にとって最大の悔いは──
そうだ。これも話さなきゃいけないんだ。
あれは第57回壁外調査の10日前。
憲兵団に入って最初の休日。私は同室のヒッチの誘いを断って、一人でストヘス区の市街地を散歩することにした。
大事の決行前だし仕方がない。
新兵ってこともあって、私服の着用は許可されなかった。さすがに立体機動装置と銃の携帯は免除されたけれど。
でもやっぱり憲兵ってのは、制服を着て歩いてるだけで周囲の空気を変えてしまう。
道行く人々と自分との間に透明な壁ができたみたいに、妙なよそよそしさというか、張り詰めた警戒感みたいなものが伝わってくる。
訓練兵の時から紋章が変わっただけで、これほど気持ちが変わるとは驚きだった。
例えは上手くないけど、いつもの道を歩いていたらいきなり空気の冷たい山の頂上に出たみたいな、そんな感じだって言えば、どうだろ…… 分かってもらえるかね。
足りない奴はこれで自分が偉くなったような気になるんだろうね。
でも…… その日の私はそれどころじゃなかった。
うららかな日差しの中を行き交う、上流紳士婦人の笑顔。
はしゃぎ回る子供たち。
幼い女の子が覚束ない足取りで私に近寄ってきて、小さな野の花を私に差し出した。
その先で両親らしい、見るからに品の良い男女が笑顔をこっちに向けている。父親が帽子を取って私に挨拶をする。
私は女の子の頭を撫でて花を受け取り、精いっぱいの笑顔で両親に挨拶を返した。
背を向けた女の子は転ぶこともなく、両親の元へ駆け戻っていく。私は彼らの姿が角を曲がって消えるまで見送った。
そして花を胸ポケットに挿し、うつむきがちになって歩き出す。下唇の内側を噛みしめて。
知っている。大抵はこうやって心が折れるんだってこと。
(「悪魔の末裔」って誰。ここにいる私がそうなの?)
戦いへの準備と気持ちの整理のための一日だったのに、覚悟がぐらついている。
私は重苦しい気分を引きずったまま、運河沿いのカフェの屋外席に座った。
お茶を口にして、椅子の背もたれに体を預け目を閉じる。胸のざわめきが収まっていくのを確かめつつ、深い息を繰り返す。
目を開けた。葉を茂らせた枝が青空に浮いて揺れている。どこかで小鳥が鳴いてる……
既に日は高く、少し暑いと感じるくらいの陽気になってた。
制服の上着を椅子の背もたれに掛け、周りを見回して通行人との距離を確かめてから、私は前日届いた手紙を開いた。
アニ
調査兵団は予想通りカラネス区から出発する。俺たちは適宜援護するが、
何が起きるかはまったく予想できないから、基本的にはすべてお前に任せる。
すまないがそのつもりでいてくれ。
どうやら陣形中のエレンの位置は最後の最後まで伏せておくようだ。
それが妙に気にかかる。連中もそれだけ警戒してるってことなんだろう。
よもやそれ以上のことはないと思うが、一応頭に入れておいてくれ。
エレンの位置は分かり次第連絡する。
ライナー
もう一枚はベルトルトから。
アニ
君ならきっとやれる。君に全部任せる格好になったのは心苦しいけれど、やむを得ない。
作戦が無事成功し、故郷にたどり着いたら僕の家で慰労会をしよう。
母さんに頼んで、君の好きな料理を山ほどつくってもらうつもりだ。
じゃあ、頑張って。
ベルトルト
まったく。そんなこと言われたら余計に重圧がかかるだろうが。
まあ、これがあいつには死ぬほど考えた末の、精いっぱいの励ましなんだろう。
不器用なベルトルトらしいと言えばらしいけれど。
微かに鼻で笑ったその時、こちらに向けられている視線に気付いて体がこわばった。
右斜め前の席で色の浅黒い若い男がこちらを見てにんまり笑い、小ぶりのスケッチ帳を掲げている。
さりげなく手紙を畳んだ私は、警戒を緩めずに相手の風体を観察した。
誠実そうだが格別鋭いとも思えない眼差し。これほど間抜けそうな中央憲兵がいるとも思えない。
そういえば数日前、同室のヒッチから聞いた。街中で気に入った女の子と会話のきっかけをつくるやり口として、こういうのが最近流行ってるらしい。
「あなたを描かせてください」と申し出るより、気付かれずに相手の姿を手早く鉛筆か何かで描いて、「いかがです?」と差し出すのが粋なんだとか。
でも、よりによってこの私に? あらまぁ大変。ところで手紙を見られては……いないよね、この距離なら。
どうやら私が憲兵だとは気付かなかったようだ。そう察して制服を羽織り、袖章がよく見えるよう腕組みをしてふんぞり返ってやると、かわいそうに、笑顔が見る見るうちにくもっていく。
妙ないたずら心が起きて、「どうしたの?」とでも言うように首をかしげてみた。青年はばつの悪そうな笑いを浮かべて…… おや? 「参りました」みたいに首を横に振っている。
そういう一見爽やかな反応を返せるってことは、……なあんだ、結構余裕じゃん。
憲兵様としてはお灸の一つもすえたくなるね。
私は席を立って青年に歩み寄り、スケッチ帳を彼の手からつまみ上げた。狼狽した視線が私を見上げ、うろたえ気味の言葉が続く。
「す、すみません。憲兵さんとは気付きもしませんで」
スケッチ帳には、手紙を読む私が斜め前から鉛筆で描かれている。自分は他人からこんな姿で見えているというのを初めて知って、軽い驚きに打たれた。
随分とまあ、つまらなそうな顔で手紙を読んでる私。ライナーたちが気の毒に思えるくらいに。大した描写力ですこと。
「お上手ですねえ」
「とんでもない」
軽く職務質問でもしてやるかな…… それはちょっと気の毒か。でもどうしよう。
「職務質問とかなさるんですか?」
「した方がいいですか?」
「何でも答えますよ。洗いざらい僕のことを知ってもらってもいいです」
「別に知らなくてもいいことまで?」
「もちろん!」
憲兵様を前にして随分と口が達者だ。でも憲兵っていったって、この私じゃね。
10日後は生きて帰れるかどうか分からない身の上だし。
私はスケッチ帳を青年に返した。
「描き直してくださる?」
「いいんですか?」
「いいですよ。押収したりしませんけど、個人的には頂戴するかもしれません」
「本当に? 参ったな、ではお言葉に甘えて!」
今度は描かれるポーズを意識し、テーブルに左ひじを着き足を組んで椅子に座る。職質代わりのスケッチは20分ほどで終わった。
……これが私。ちょっと勝気な少女憲兵。
まっすぐ前を見て澄まし顔をしてれば、つまらなそうには見えない。これは悪くない発見だった。
「気に入っていただけました?」
「いやぁ、何だか出来過ぎみたい。もう何人も女性をお描きになってるようね」
「とんでもない! 家族以外ではあなたが初めてです」
「とてもそうは見えませんよ。女性の特徴をとらえるのが上手いっていうか」
「そんな…… でもそう言っていただけるとうれしいです。これはお持ちになってください」
私は、自分の物になったわが絵姿を改めて見つめる。これはいい思い出の品になりそうだ。
ベルトルトの家で慰労会やるんだっけ。あいつのお母さんに見せてあげてもいいな。
「本当に今日は非番なんですか」
「ええ。でも新米だから外出も制服着てなきゃならなくて」
私たちはお茶をお代わりしてしばらく話し込んだ。
青年はウォール・ローゼ東区の農家の次男坊で、ストヘス区には商用で来たという。
畑仕事の合間に絵を描くのが唯一の楽しみ。ここに来るたびに庭園や建物をスケッチして帰るのだそうだ。
いつしか、目の前にいるのが憲兵だってことを忘れたみたいに彼の表情も緩んできた。
「今日は一人でいるあなたを見かけて、気がついたらもうスケッチを始めてた。普段は人なんて描かないのに」
「それが憲兵とは災難でしたね。幸い休日だったからよかったものの」
「いいえ。さっきは手紙を読んでらした?」
「まぁ、ええ」
「ああいう姿って、僕は思うんですけど、何て言ったらいいのかな…… 『ここに一人の人間がいたぞ』って感じがしたんですよね。この姿がもう少し経ったら失われてしまうのか、そう思うとね…… うまく言えないけど、それで、つい」
「……言う相手が違うんじゃないですか?」
「そうですかね」
絵だけじゃなく、女心も手玉に取るのが上手な農家の次男坊。
いつもならそうやって鼻で笑うのに、それができない。
(これは何かの転機!)私の体の底から湧き上がってくる声。
生きたい。
死にたくない。
殺したくない。
だからこんな言葉が口を突いて出たんだと思う。
「また私を描いてくださる?」
私はこの時、どんな顔をしていたんだろう。
見返した青年の顔に、驚きと明らかな気後れが浮かんでいる。
「あの、無理にとは言わないので」
「いいえぜひとも! 次は私服のあなたでよろしいですか」
「ええ。それで」
突然、自分が積み上げるであろう屍の幻影が目の中にちらついた。
10日後に私は人をたくさん殺す、あるいは自分が殺される。
(私を好きにしていいよ。何も思い残すことがないように)
頭の中の防波堤を乗り越えようとした錯乱を、私は辛うじて押しとどめる。無茶な。何を取り乱してるの。
私は息を呑み込んだ。多分、目も大きく見開いていたようだ。
ためらいがちな青年の声がはるか遠くのように聞こえる。私の顔色を窺ってるんだろうか。
「少し歩きましょう。こんな天気のいい日は、1年にそう何日もない」
「そ、そうですね歩きましょう、いやぁー、本当にいい天気だわ。前へーっ、進め!」
「どうしたんですか? 急に大声出して」
む!? 100メートルほど前方に警邏中の先輩方!
私が左足を軸に稲妻のような回れ右をしたら、青年は見事に同調してきた。やるじゃない。
もっとも、制服の背中には「ここに男と歩くレオンハート新兵!」と咆哮する一角獣が!
私は内心冷や汗をかきつつ足を早める。十を数えたところでようやく危険区域を脱した心地になった。
ほっと一息ついて運河沿いの敷石を歩く。「制服姿じゃおちおち散歩もできない」とか、どうでもいいお喋りをしながら。
私たちの横を、警告するみたいに汽笛を鳴らして艀船がすれ違っていった。
「それじゃ、僕はこれから商会に用事があるんで、失礼します」
「あ…… 忙しいのに、ありがとうございました」
少女憲兵に引き回される受難もようやく終了。ご苦労さまでした。
しかし彼が何か言っている。
「あの、もしよかったら」
「え?」
「今日一日空いてるんだったら、夕食でもいかがです?」
「あ、はい」
「それじゃ…… 夕方6時に、ここで……?」
「分かりました……」
こうして私は、初めてのデートを想定外のうちにすることになった。
巣に戻るツバメの勢いで兵舎に引き返し、私服に着替えると、上官に気付かれないよう最高度の注意を払って抜け出した。
冗談じゃない。まだ日は高いってのに、夕方までむさくるしい制服のままじゃいられないでしょ。そりゃ、私服っていっても大したものは持っていないけれど。
日が落ちていく。こうして今日という一日が終わる。
10日後を迎えるまでの間に一つ、思いがけなく割り込んできた予定を前に私の心は躍っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
待ち合わせの場所には、彼が運河を背にして立っている。何か穏やかなものが私の胸の中を流れていく。
私たちは中心街から少しはずれた場所の、庶民向けの食堂に入った。
貴族御用達の店には私たちは入れない。こればかりは男たちがどれだけ見栄を張りたくてもどうにもならないのは分かっている。大概の女ならね。
丸テーブルの向かい側で品書きを眺めながら、青年が言う。
「うちの畑で取れたジャガイモの値決めをしていてね。まあそこそこの値段にはなったよ」
「今年は豊作だったの?」
いつの間にか、私たちは敬語の垣根を取り払って会話していた。
「いいや。良くもなく悪くもなしってところかな。……やっぱり肉はないね。挽肉入りのシチューが一番の高級料理とはね」
「サヤエンドウと大豆入りでしょ? 私それ好き」
「そうか、じゃあこれを頼もう」
それから、庶民向けのパン。訓練兵時代に諸事情あってサシャに貢いだ最高級パンは、とうとう私の口には入らずじまいだった。
あれを食べ放題だった芋女は大変な幸せの先食いをしてしまったんだろう。気の毒に。
芋女つながりで、私たちは炒めたジャガイモも頼んだ。
最近は食用油も高騰していてね、炒め物もそうちょいちょい作れない。彼はそう言って寂しそうに笑う。
「自分で料理したりするの?」
「時々はね。母親からは『お前の作る料理の方が美味い』って言われるけど」
「すごいね。どこで覚えたの」
「訓練兵団にいる時に。厨房が当番制になってたんだ」
「へえ。私たちのところじゃ訓練兵は炊事なんて一切やらなかったけど」
「僕らの時はマリア陥落前だったからね。あれ以来、対巨人戦の訓練が強化されて炊事どころじゃなくなったって聞いたよ」
訓練兵を終えて駐屯兵団に入りはしたが、半年で除隊し実家に戻った。
父を早くに失くし、体の不自由な祖父と母を残したままにはできなかったのだと、釈明でもするような調子で彼は語った。
マリアが陥落したのは彼の除隊直後。私が返す言葉に詰まって目を泳がせているうちに、料理が来た。
シチューをひと匙すくって彼が言う。
「美味いよこれ…… 外で食事なんて久し振りだからかな」
「自分で作って自分で食べるのは、やっぱり味気ないだろうね。どれだけ上手でも」
「まぁ、そうだね」
大丈夫。そう遠からず、誰かがあなたのために食事を作ってくれる。
でもそれはどんな人? 台所に立っているその人の顔を思い描こうとして、急に泣きたくなった。
思わず下唇を噛む私の顔を、叱られた子供みたいな目で彼が見ている。
何か気まずい。酒でも飲んで酔っ払いたい。
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