日本戦記 (281)
これは本来の歴史の流れが変わった日本の話
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1419252550
時は1600年、関ヶ原の戦いまで遡る
名前の所、乗っ取り防止で酉(#と好きなワード)もいれた方がええで
分かってやってるのならスマン
天下を争うこの戦いで事件が起こった
当時、東軍の別働隊を率いていた徳川秀忠が真田昌幸の籠る上田城を攻撃しているときだった
一発の銃声が秀忠を撃ち抜き彼は討ち死にした
戦とか有るならメ欄にsaga入れた方がいいんでね?
>>3さん。ご指摘ありがとうございます
>>5さん。自分は始めて投稿したのでよくわからないことがあったので助かりました!
こんなかんじですか?
sageではなくてsagaですよー
それでは投稿します
関ケ原では徳川の東軍が勝利した
結局、秀忠の死は関ケ原の戦いの後に徳川家康に伝えられた。この時秀忠には嫡男がおらず家康を悩ませた。このことが徳川幕府の早期破滅の前触れだといわれる
1614年、突如徳川幕府軍は大阪の豊臣秀頼に対して攻撃をしかけた。当時の家康は秀忠の死もありかなり荒れていた
この大坂冬の陣は豊臣の勝利で終わる。秀頼はこの時ある人物と会談していた
ここは色々独自ルールがあるから、はじめてなら↓に貼ったスレを読んだほうがいいよ
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(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1417916619/)
がんばって
もっと書き溜めてから投下してよ
おもしろいんだからさ
期待
それでは少しですが投稿します
話は日本に戻るが1620年、豊臣政権が行った朝鮮出兵により国交を断絶していた李氏朝鮮と大日本皇国が再び交易を開始した
最初は拒否していた朝鮮であるが日本が謝罪したため交易ができたのだ。さらにその年、全ての大名家の解散が決まり新たに都道府県を設置した(正確には都府県であり北海道は1700年代に編入される)
大名家を解散させた為に国力の低下を恐れた政府は、改めて大日本皇国、陸軍、海軍を設立した。
指揮系統は
皇国政府
↓
軍司令部
↓
陸軍・海軍
となる(だが時代が変わるに連れ、変更されていく)
こうして皇国は清(明が崩壊した後の中国)、フィリピン(スペイン領として交流)、台湾(オランダが介入する前に皇国が統治した)などと貿易を開始し、数年後に明とは日明同盟を結ぶ
どうしたん?
>>84さん、すみません寝落ちしてました。これから投稿していきます。
そこで皇国はスペイン、アメリカ共和国両国から援軍要請が来たので武器援助と義勇軍の派遣を行った。
1919年、フランス領プロイセンで遂に反仏勢力による武装蜂起が起こった。その勢いはプロイセン各地に広がり大戦での傷が癒えてないのに、フランス帝国は軍を派遣、その討伐を行った。
それらの戦闘は翌年まで続き合計して15万人の命が消えた。
フィリピンでの戦闘も終わりを迎えようとしていた。結局、領土の変化もなくただ命が失われただけの戦争であった。
時系列は飛び1923年、皇国では世界で最初に完成した航空母艦、鳳翔が竣工した。この艦は史実と同じ設計である。
フランス領プロイセンではミュンヘンで一揆が勃発した。これの指導者は国家社会主義プロイセン労働者党(以後NS)の指導者であり、第一次大戦での撃墜王 ヘルマンゲーリングである。
しかし、フランス軍、プロイセン軍にすぐさま鎮圧された。この一揆の影の首謀者は、第一次大戦が終わり皇国が撤収する時に一緒に来日し、国家社会主義ドイツ労働者党の党首になったアドルフヒトラーである。
彼は極秘にゲーリングと連絡をとりあっていた。なお、両労働者党は後に併合される。
アドルフヒトラーはこの時、国家社会主義亡命ドイツ労働者党党首だけでなく、ドイツ植民地連邦とは別に皇国首都、東京で亡命ドイツ政府の首相をしていた。
1925年、フランスの帝政が崩壊、第三共和制となる。ロンドンで海軍軍縮条約が行われるがフランスを初めとする、旧同盟国が参加しない為に締結されなかった。
1932年、亜細亜地域初の東京オリンピックが行われる。皇国はオリンピックの為に壮大なパレードや祭を行った。
さらに皇国は軍事パレードも行った。特に海軍がすごく、鳳翔を初め
戦艦8.空母5などが披露された(史実と比べかなり技術が進歩している)
なお、扶桑型戦艦は旧式化しており近代化改装後、ドイツ植民地連邦・亡命ドイツ政府に提供するつもりである。伊勢型戦艦は航空戦艦に改装中であるため観覧できなかった。
特にこれからは兵器のスペックなどを投稿していきますがこの世界でのものなのでご了承ください
戦艦は金剛型4隻と長門型2隻と紀伊型2隻があり金剛型のスペックは
排水量…32000t
全長…232m
全幅…32.54m
主機…タービン4基4軸
最大速力…30ノット
兵装(主砲のみ掲載)…45口径41cm連装砲3基
であり、史実の改装後 強化された
長門型戦艦のスペックは
排水量…45000t
全長…238.9m
全幅…20.96m
主機…艦本式タービン4基4軸
最大速力…28ノット
兵装(主砲のみ掲載)…45口径41cm三連装砲3基
となる(見た感じは戦艦長門の主砲が三連装砲なったものと考えてください)
さらに極秘ではあるが、大和型戦艦三隻が就役予定であり既に1番艦の大和は就役しかけている。
紀伊型戦艦のスペックは
排水量…42600トン
全長…252.1m
全幅…32.49m
主機…艦本式タービン4基4軸
速力…29.75ノット
兵装(主砲のみ掲載)…45口径41cm連装砲5基
となる(見た感じはご想像にお任せします)。さらに紀伊型戦艦は後に大和型の46cm三連装砲を装備する(元々46cm三連装砲を装備できるように建造した)
それではいきます
1941年1月28日、ハワイ王国にある大日本皇国真珠湾泊地及びハワイ王国本国艦隊真珠湾基地に、キンメル大将率いる戦艦7隻を主力とするアメリカ合衆国太平洋艦隊が奇襲を仕掛けた。
この襲撃の1時間後に大日本皇国及びハワイ王国に対して宣戦布告が行われた。後に真珠湾攻撃と呼ばれる襲撃で大日本皇国太平洋艦隊の戦艦金剛・榛名巡洋艦3.駆逐艦8が沈没、戦艦紀伊・霧島が大破した。
ハワイ王国本国艦隊は、戦艦ハワイ・カホオラウェ・カウアイ・巡洋艦4隻(これらは被害が凄すぎて浮上させなかった)が沈没し事実上壊滅した。
幸運にも皇国海軍の空母赤城旗艦の機動部隊とハワイ王国空母ホノルル旗艦の機動部隊は合同演習中で基地外にいた為被害を受けなかった。
皇国海軍第一機動部隊の司令官である山口多聞中将は反撃にでようとしたがその時はまだ皇国が宣戦布告していない為にできなかった。
それでも戦艦を含む多くの艦艇を失った皇国とハワイ王国は怒りに燃えており、すぐさま両国はアメリカ合衆国に宣戦布告をした。
合言葉は「真珠湾を忘れるな」
攻撃を終えたアメリカ合衆国太平洋艦隊は本国には戻らずにフィリピンにある基地に帰還しようとしていた。この攻撃はすぐさまアメリカ合衆国の国民に知り渡り、野蛮な東洋人を駆逐したと宣伝をした。
大日本皇国政府は御前会議を開き現首相近衛文麿を退任させ、新たに大日本皇国海軍大臣である山本五十六大将を首相に任命し、戦時体制をつくることにした(山本はこの時に元帥に昇進した)
山本内閣の主な閣僚は
首相兼内務大臣…山本五十六海軍元帥
陸軍大臣…東条英機陸軍大将
海軍大臣…米内光政海軍大将
外務大臣…東郷茂徳
大蔵大臣…賀屋興宣
その他多数である。
山本は真珠湾で壊滅した皇国海軍の太平洋艦隊を本国に戻し、新たに本国に配置する第一艦隊を派遣することに決定した。
しかし、山口中将率いる機動部隊、第一機動艦隊はそのまま本国に帰国せずに、マレーシアに駐留する第五艦隊の支援に向かうことになった。
第一艦隊の艦船は
司令官…豊田副武大将
旗艦…戦艦大和
戦艦…武蔵・信濃・長門・陸奥
正規空母…加賀・土佐・薩摩
装甲空母…大鳳・黒鳳
軽空母(商船改装を含む)…飛鷹・隼鷹
巡洋艦…45
駆逐艦…60
潜水艦…20(その内2隻が伊400型潜水艦空母)
である。戦力は史実の連合艦隊を越えており、皇国を防衛する第二艦隊もこれぐらいの規模を持つ。
今回はここまでです。ご意見などあればお願いします。ではまた
この前は寝落ちしてしまいました。すみません。投稿します!
6月、ソ連赤軍のドミトリー・パヴロフ中将率いる西部戦線が80万人がオーデル川にいたレーブ上級大将の守備隊20万人の戦線を突破、そのままベルリン方面に進撃した。
しかしパヴロフ中将の軍勢の北部からドイツ陸軍のロンメル中将、南部からグデーリアン中将それぞれの装甲部隊が奇襲を仕掛けた。
結果パヴロフ中将は戦死、西部戦線は崩壊した。ソ連赤軍20万人が戦死、40万人が捕虜になった。残りの10万人はソ連本土に敗残したが督戦隊に処刑またはシベリア送りにされた。
ここで大勝利をしたドイツであったがここから大敗北が始まる。
亜細亜では、フィリピンのスペイン東洋艦隊がアメリカ合衆国太平洋艦隊に壊滅させられた。同時にアメリカ共和国の艦隊もアメリカ連合国の艦隊に敗北した。
生き残った両艦隊は皇国領域にある台湾国に撤退した。
両艦隊の軍艦の大半は損傷があったので、台湾にある基隆港で修復することになった。それでも数が限られているので残りは皇国の佐世保鎮守府で受けることになった。
余談であるが、台湾は完全に独立し皇国の同盟国である。さらに海軍も協力で、亜細亜各国の中でBest3に入るぐらいである。
7月、ソ連赤軍はドイツ本国ではなく混乱がまだ続くオーストリア方面に進軍した。司令官はソ連の中で最も優秀なゲオルギー・ジューコフ元帥で役120万の兵を率いていた。
旧オーストリア・ハンガリーでは帝政崩壊後、ドイツに編入されたが一部はそれぞれ独立しようとして内乱をしていた。
その内乱の中で最も勢力が大きかったのがチトー率いる共産主義パルチザンであった。彼は直ぐにジューコフに協力した。
8月、ソ連赤軍はハンガリーの大都市ブダベストを占領した。西部戦線では、ドイツがフランスに宣戦布告したものの、侵攻することはなかった。
ドイツ側の理由はソ連相手にそれどころではないというものである(例外としてUボート部隊はフランスや大英帝国の輸送船団や艦隊に攻撃を仕掛けている)
フランス側の理由はロンドンにいる部隊の救出やイタリア・スペイン両戦線に大量の兵員を割いている為に攻撃能力がなかったのである。
この時点での各国の主な同盟関係は
枢軸国
フランス共和国とその植民地
ギリシャ
フランス領プロイセン(ドイツの独立に従わなかった一部の地域)
ノルウェー
連合国
大英帝国とその植民地
アメリカ合衆国
ソ連(正式には同盟国ではないがそれに近い)
ルーマニア
ブルガリア
チトーパルチザン
中国共産党(中華民国北部で活動している)
新興連合
ドイツ
旧オーストリア・ハンガリー(ドイツに編入)
イタリア
アメリカ連合国
メキシコ
亜細亜連合
大日本皇国
オランダ
スペイン
ドイツ第三帝国
アメリカ共和国
台湾共和国
タイ王国
大韓民国
中華民国
満州国
である。なおしばらくは亜細亜の情勢について書いていく。
乙
>>148 ありがとうございます。少しですが投稿します。
そしてスプルーアンス艦隊はさらに中破以上の艦船を全て失ったうえにその内の戦艦2隻が皇国に拿捕されてしまった。
彼はフィリピンの基地に逃げ込んだ直後、直ぐに解任された。その後任にはキンメル大将が就任した。
一方アメリカ連合国艦隊を壊滅させた山口艦隊であるが、拿捕した戦艦を駆逐艦の護衛で皇国の横須賀まで帰港した。
後にこの二隻は修理および改装の後にドイツ第三帝国海軍に引き渡され、艦名もアドラーとファルケと名づけられた。
この時期インド方面では、大英帝国がインドシナ半島に侵攻する兆しをみせた。その第一目標は、皇国の同盟国であるタイ王国であった。
乙
>>151 ありがとうございます。
タイ王国は立憲君主制であり亜細亜でも屈指の強国であった。大英帝国植民地インド帝国だけでは攻略が難しそうであったがここで異変が起る。
フランス領インドシナでもフランス軍がタイ王国に侵攻する準備をしていたのである。列強2カ国の侵攻に耐えるだけの力は流石になく、タイ政府はすぐさま皇国に支援を求めた。
皇国は引き続き第七艦隊(第五・第六艦隊合同部隊)にタイ防衛を命令し、更に本国にある再編したばかりの皇国太平洋艦隊を援軍として送ることにした。
皇国太平洋艦隊の編成は
司令官…吉田善吾大将
旗艦戦艦紀伊
戦艦…霧島・比叡・尾張
正規空母…翔鶴・瑞鶴・慶鶴
巡洋艦…10
駆逐艦…18
潜水艦…5
である。空母の艦載機は第一機動艦隊とさほど変わらないがジェット機は積んでいない。
第七艦隊の編成は
司令官…南雲忠一中将
旗艦重巡妙高
重巡…足柄・那智・羽黒・最上・三隈・弥彦・英彦・雪彦
軽巡…8
駆逐艦…8
である。弥彦・英彦・雪彦は弥彦型重巡で利根型の次期重巡となっている。
この時の皇国太平洋艦隊および第七艦隊の敵は大英帝国東洋艦隊であった。フランスの艦隊は弱小ですでに中華民国海軍と台湾海軍の合同部隊に壊滅させられていた。
大英帝国東洋艦隊は香港から撤退したものの体した被害もなく現地で新たに建造された艦船もあり強力であった。
9月、吉田艦隊はタイ王国に向けての出港していたが途中で香港の基地およびフランス領インドシナの主要基地を爆撃した。
これは中華民国からの要請であった為に行った。爆撃の後、直ぐに中華民国陸軍が香港を奪還しフランス軍は中華民国国境まで撤退した。
またフランス領インドシナの基地も爆撃され、戦闘機・爆撃機の三分の一と生き残っていた少量の艦艇全てを撃破された。
これにより完全に制海権を失ったインドシナでは数少ない本国からの補給も受けられなくなったのでタイ王国侵攻作戦は中止になった。
航空部隊も皇国艦隊を警戒する為に沿岸部に中心的に配備された。
同月、大英帝国東洋艦隊と大日本皇国第七艦隊で海戦が行われた。アンダマン海戦と呼ばれる戦闘で、皇国艦隊は重巡足柄・羽黒・弥彦、駆逐艦3隻を大破され、重巡最上が中破した。
一方大英帝国東洋艦隊の編成
司令官…トーマス・フィリップス大将
旗艦戦艦プリンス・オブ・ウェールズ
戦艦(巡洋戦艦)…レパルス
正規空母…ハーミス・ヴィクトリアス・イラストリアス
巡洋艦…15
駆逐艦…21
潜水艦…14
で、戦闘後は駆逐艦3、潜水艦1が沈没。正規空母ハーミス戦艦レパルスが中破、その他一部小破である。
結果から見るように海戦は大英帝国の勝利であり皇国第七艦隊は沈没艦は無いものの甚大な被害を受けた。
大英帝国東洋艦隊も正規空母と戦艦を中破にされた為に駆逐艦の護衛をつけて二隻は撤退した。しかし他の艦艇は補給の為に戻ったが直ぐに攻撃してくると思われた。
10月、平穏であったハワイ王国に衝撃が走った。アメリカ合衆国太平洋艦隊が接近する報告があった。司令官はニミッツ大将で編成は
旗艦 戦艦カルフォルニア
戦艦…8
巡洋艦…8
駆逐艦…30
潜水艦…15
の戦艦主力艦隊である。戦艦は旧式型が多いが、対空兵装などを新式に変えたりと侮れないものとなった。
空母がない理由は合衆国大統領、フランクリン・ルーズベルトの政策と軍部の考えが大鑑巨砲主義のままであるからだ。
一部、航空主兵主義の軍人もいたが、異端者として更迭されたりした。その代表例がウィリアム・ハルゼー少将で、彼は基地司令官にさせられた。
エースパイロットの撃墜数が凄い事になってそうですね
>>270。皇国の航空隊で激戦をしている部隊はかなりエースパイロットをだしています。投稿します。
枢軸国
フランス共和国とその植民地
仏領プロイセン(ドイツ独立に賛同しなかったドイツ西部地域)
イタリア社会共和国
連合国
大英帝国とその植民地
アメリカ合衆国とその植民地
自由ポーランド
カナダ
オーストラリア
その他の亡命したバルカン半島諸国
新興連合
ドイツ国
ギリシャ王国
イタリア王国残党
アメリカ連合国とその植民地
大東亜連邦圏(亜細亜同盟から改名)
大日本皇国
ドイツ第三帝国
マレーシア
自由フィリピン
インド連邦共和国
中華民国
大韓民国
自由イギリス
台湾共和国
タイ王国
ハワイ王国
アメリカ共和国
スペイン王国
満州国
ベトナム民国
大ソビエト共栄圏
ソビエト社会主義共和国連邦
中国共産党
ドイツ社会主義共和国
ルーマニア社会主義共和国
ブルガリア社会主義共和国
スカンジナビア社会主義連邦国(ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの共同国家)
ポーランド社会主義共和国
ユーゴスラビア社会主義共和国
中東の多数の小国
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