男「安眠スイッチ」(116)
安眠スイッチ。
それは小さな都市伝説から始まった。
『とある医者が開発したもの』で、そのスイッチを押せば『安らかに眠るように死ねる』そうだ。
お金を積めば手術をしてもらえる。
首の後ろに神経とつないだ小さな装置を埋め込み、それに対応するスイッチを受け取る。
名刺入れほどのサイズで、ロックがかかっており、パスワードを入力して起動する。
一瞬で極楽へ行ける魔法のスイッチ。
痛みはない。
そんな夢のような都市伝説。
誰も本気にしてはいなかったが、もしそんなものがあるなら、と空想する者は多かった。
その噂の出どころは様々だった。
刑事の知り合いから聞いた。
医者の知り合いから聞いた。
ネットで見た。
最近ニュースになった不審死の若者の手にスイッチが握られていたらしい。
などなど。
安眠スイッチの存在が広く知られるようになったのは、あるネット中継が始まりだった。
この一件で、安眠スイッチは都市伝説ではなく実在する、という認識が広まった。
『安眠スイッチによる自殺を生中継します』
そんな不気味な催しが、とある深夜にネット上で行われたのだ。
少年がPCに設置されたカメラの前に座っている。
取り立てて特徴のない、ごく普通の少年だった。
みな興味本位で集った。
否定的なコメントも数多く寄せられた。
「どうせインチキに決まってる」
「最後は『やっぱり死ぬのやめます、みんなありがとう』でエンドだろ?」
「本当に安眠できるのか? 血がぶしゃーなスプラッタとかにならないか?」
「期待」
「支援」
「早く死ね」
みんな好き勝手な言葉を投げかける中、その少年は無表情で丁寧に返事を返していた。
「手術はどこで?」
『それは……ちょっと詳しくは言えません』
「いくらかかったの」
『だいたい百万円です』
「そんな金があんなら死ぬ必要ねーじゃん」
『大金がかかってでも、やり直したいんですよ、人生を』
「死んだら生まれ変わる保証なんてねーぞ」
「自殺したら地獄行きだろ、どうせ」
『でも、楽にこの人生を終わらせられたら、と思いまして』
壮絶ないじめ体験の告白と、細部をぼかした「都市伝説の裏側」談が、見る者を夢中にさせた。
やがて少年が指定した時間が来て、少年はスイッチに指をかけた。
『百万円で、安眠が得られること、証明できたらいいですね』
少年は一切の不安を持っていなかった。
多くの人間が見守る中、少年はスイッチを押した。
『おやすみなさい』
そう言って、少年は画面の向こう側でうつぶせになった。
本当に、居眠りを始めたようにしか、見えなかった。
少年は最期の瞬間まで笑っていた。
その笑顔が、見る者すべての脳裏に焼き付いていた。
次の日の朝まで、その中継は続いていた。
じっと動かない少年。
窓の外が明るくなり、小鳥のさえずりが聞こえてくる時間になった。
「どうせ寝ただけだろ、俺も限界、寝る」
「突然起きだして俺たちを驚かせるオチに1000円かける」
「時間の無駄だったな」
「そのうち中継が切れて、ハイおしまい、だろ」
そう言って視聴者はどんどん減ったが、それでも最後まで見続けた者たちがいた。
そして、扉から彼の母親らしき女性が入ってきたことで、状況が動く。
『またこんなところで寝ちゃって……だらしないんだからもう』
『ほら、起きなさい、もう起きないと遅刻するわよ』
『ちょっと、もう、起きなさいって』
母親がいくらゆすっても、彼は起きなかった。
その時、彼の顔がよく映った。
本当に、寝ているような安らかな顔。
しかし、その顔色は死者の物だった。
息子の息がないことを知った母親はパニックになり、部屋中を動き回った。
それは決して、演技ではなかった。
この時間まで付き合っていた視聴者は、その場面を目撃して眠気も吹っ飛んだだろう。
リアルタイムで見られたことに、興奮していただろう。
PCのカメラが繋がっていることに気づいた母親は、電源を落とすことを忘れなかった。
その瞬間、この不気味な自殺中継が幕を閉じた。
しかし、「安眠スイッチ」の物語は、ここから始まってしまったのだ。
「安眠スイッチは存在する」
このネット中継を見たものは、そのことを疑わなかった。
また明日です ノシ
後に「安眠少年」の手術のための親の同意書は、親の書いたものではなかったらしいことが分かった。
やはり本人による偽造だったのだろう。
しかしこのことは、「偽造でも未成年が安眠スイッチを持てる」ことを証明してしまった。
言い換えれば「金さえあれば誰でも持てる」ということだ。
安眠スイッチの存在が公になり、人々の生活が徐々に変わり始めた。
金融会社と銀行の審査が、前よりも厳しくなった。
借りた金で安眠されては困るからだろう。
それから、政府が安眠スイッチに高い税金をかける法案を異例のスピードで通した。
建前は自殺率を下げる名目だった。
しかし背景には、どうせ死ぬなら国の為に少しでも貢献せよとのメッセージが見え隠れしていた。
安眠スイッチ手術を始める医者が増えた。
宣伝などしなくても、勝手に客は増える。
中には腕が心配な医院もあったようだが、どの医院も予約で溢れかえった。
「高校生になったら、安眠スイッチ買ってもらうんだ♪」
そんな会話が聞かれることもあった。
「10年病気をしなければ、安眠スイッチをプレゼントさせてもらうプランもご用意しています」
そんな保険プランを始める保険会社も増えた。
「そんな軟弱なもん持てっかい!!」
極道の世界では軟弱者扱いされた。
しかし、いつ死ぬかわからない世界、いつ苦しんで死ぬかわからない世界だ。
こっそり小さな医院で格安でスイッチを手に入れる者もいたらしい。
死刑制度に組み込もうとする動きもあったようだ。
海外にその技術が高く評価されつつも、その技術の及ぼす社会的混乱を危惧する声が上がっていた。
闇に葬られた「黒い取引」もあったようだ。
不治の病に侵された大物俳優がお忍びで手術を受けたとも言われた。
いわゆる保険のようなものだ。
誰しも苦しんで死にたくはない。
もしそうなったとき、痛みを、苦痛を、和らげてくれるという安心が欲しいのだ。
手術をしてすぐに死ぬものは、ごくわずかだったそうだ。
「これで、いつでも安心して死ねる」
そう思えば、割と前向きに生きられるものだ。
「生まれてくるのは不自由、死ぬのは自由」
そんなキャッチコピーも生まれた。
批判を浴びてすぐに廃れたが、それを納得して受け入れた層も多かったと聞く。
「生きるのに苦労しているんだから、死ぬときくらい楽に逝きたい」
中高年や、老人にも、このスイッチは普及していった。
もはや「○○にもスイッチが普及している事態に」と言えないほど、多くの層がスイッチを購入していた。
「手術をしてしまったんですが、戻したいんです」
そう訴えた少女がいた。
勢いに任せて手術をしたはいいが、死ぬのが怖くなったそうだ。
そういう人は、少なくなかった。
散々迷った挙句に手術をしたとしても、いざ死ぬとなると怖くなってしまう。
人間とはそういうものだ。
それは若いころの無茶な生活や、軽率に入れてしまったタトゥーにも似ている。
もう、戻すことはできない。
また明日です
明日はたぶんもっと短いです、すみません ノシ
ある日、都内のビルから飛び降りて死んだ中年の男がいた。
明らかに飛び降り自殺であり、その死体は無残に砕け、血に塗れていた。
「安眠スイッチが買えなかったんだな、可哀想に」
「スーツも薄汚れている、借金苦かな」
「しかし何もこんな大通りで死なないでも……」
警察が来るまでの短い時間、野次馬が遠巻きにその死体を眺めて好き勝手に話していた。
その時、ある者が言った。
「あの腕……スイッチ持ってないか?」
離れてしまったその腕は、携帯電話のようなものを持っていた。
それは、うわさに聞く「安眠スイッチ」ではないか。
野次馬が色めきだった。
しかしいくら興味があるといっても、死体に駆け寄って近くで見ようとする者はいなかった。
ただその代わりに、携帯やカメラを向ける者は驚くほど多かった。
次の日のニュースで、驚くべきその内容が明かされた。
その男は「格安」で、正規の医者ではない者から「違法手術」で「安眠スイッチ」を買っていた。
仕事のミス、ギャンブル、借金、会社の金の使い込み、その結果死を選ぼうとした男。
男は確実に死ねるよう、ビルの屋上でスイッチを押したのだ。
そして。
男は地面に激突するその前に、大量に出血していたそうだ。
ビルの屋上に血だまりがあった。
内臓からも出血をしていた。
つまり、男のこの死は、「安眠」などではなかったということだ。
「安い手術で得たスイッチでは、苦しんで死ぬ可能性がある」
その事実に、多くの人が震えた。
すでに持ってしまった「安眠スイッチ」
それを押せば、もしかしたら大量出血をし、苦しみの果てに絶命することになるかもしれない。
これをもし誰かに奪われたら。
どんな拷問よりも精神的につらい気分を味わうだろう。
スイッチをずっと大事に抱え、怯えながら暮らす生活を送る羽目になる。
高い金を出して手術をした人も、安心してはいられなかった。
「本当に安眠できるのだろうか」
それを思うと、安心してスイッチを押すことなどできなくなった。
「安眠スイッチ」による自殺者が、急激に減った。
手術自体、前は予約でいっぱいだったのに、今では気軽に申し込める状態だそうだ。
妙な割引をする医院も増えた。
それが逆に、不安感を募らせることになった。
そして……
そして……
明日からが本編です
でもあと半分くらいです ノシ
僕の目の前に、「安眠スイッチ」がある。
正真正銘、僕が自分で買ったスイッチだ。
ただ、その値段は安かった。
「こんなことなら、ちゃんと正規の料金を払っておけばよかった……」
だからと言って、100%安眠できる保証など、どこにもないのだが。
「あんなに希望に満ち溢れていたのに、今は死ぬのが怖くてたまらない……」
笑い話さ。
こんな風に悩んでいる人間が、たくさんいるんだろうな。
僕は芽の出ない脚本家だ。
毎日ファミレスでPCを打っては、積み上がるつまらない文章に嫌気が差す。
大小さまざまな賞に応募するも、最終選考まで残ったことはない。
バイトで貯めた金を切り崩し、それでもコツコツと脚本を書く。
たまに劇団やセミプロの映画監督に使われることもあるが、ほとんど金にはならない。
親に頼み込んで金を借りた。
できるだけ安く手術をしてくれるところを探し出して、「安眠スイッチ」を買った。
安心を買うつもりで手を出したのに、押す勇気もなくなった。
結局「不安」を買っただけだった。
「高い授業料だったな、はっはっは」
なんて、笑っていられればいいけれど。
だけどそんなことができる奴なら、「安眠スイッチ」なんて買わないだろう。
このことを脚本に生かそうと考えたこともある。
けれど結局、どうしたってつまらないストーリーにしかならなかった。
「安眠スイッチ」を題材にして、すでに成功している小説と、映画と、アニメがある。
二番煎じになるだけだ。
僕程度の力量では、それらを超えることなんて到底できない。
今日もPCをカバンに入れて、僕はファミレスへ自転車をこぐ。
安眠スイッチもカバンに入れてある。
怖くてとても手放せない。
「……眩しいなあ」
信号待ちに空を見上げてみると、雲一つないきれいな青色だった。
「気分がブルーだ」なんていう言葉には、青空の下で働きたくない黒人奴隷のつぶやきから始まったという説があるそうだ。
「雨が降れば休めるのに」なんてお気楽にも聞こえるが、彼らには重要なことだったのだろう。
確かに青空は、僕にとっても見上げているとブルーになるものだ。
信号が青に変わる。
交差点を、人の間を縫いながら自転車で渡る。
一瞬、意識が遠くへ行く。
ぼうっとする。
僕は風のにおいをかいでいたのだろうか。
遠く昔の黒人奴隷に思いをはせていたのだろうか。
それが悪かった。
右から来るもう一台の自転車に気づくのが、一瞬遅れたんだ。
ガチャン!
自転車から投げ出される。
地面に転がりそうになり、とっさに手を着く。
手のひらにざりっとしたアスファルトの感覚、そして痛み。
少し遅れて腰に痛み。足首に痛み。
数秒、動けなかった。
「いでで、くっそ、ついてない……」
はっとして、見渡す。
僕のそばに、僕と同じように倒れている女の人がいた。
しまった、彼女とぶつかってしまったんだ。
ケガはないだろうか。
「あ、あの、すみません、大丈夫ですか!?」
「……ええ……すみません……」
彼女も体を起こす。
小さな擦り傷が肘にあったが、それ以外に大きなケガはないようだった。
少しホッとする。
赤色の派手な自転車が転がっているが、そちらも壊れてはいない。
「すみません、不注意で」
「い、いえ、こちらこそ、すみません」
身体は少し痛いが、大したことはない。
PCを入れたカバンも落ちてはいるが、あれくらいの衝撃なら中身は大丈夫だろう。
安心したのも束の間。
「……え?」
僕は目の前の光景に目を見張った。
「安眠スイッチ」が地面に転がっている。
なぜか……二つ……
「……え? え?」
なんということでしょう……
では、また明日です ノシ
ほんとどうでもいいことですが、最後の方に出てきた役者の名前は
「安眠スイッチ」でググってみたときに「安眠枕」だかのページがヒットして
肩とか首に効能が~と書いてあったのでそこから適当につけました
あと別に自殺賛成派という訳でもありません
でも楽に簡単に死ねる方法があるならちょっと欲しいかもなあとは思います
∧__∧
( ・ω・) ありがとうございました
ハ∨/^ヽ またどこかで
ノ::[三ノ :.、 http://hamham278.blog76.fc2.com/
i)、_;|*く; ノ
|!: ::.".T~
ハ、___|
"""~""""""~"""~"""~"
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