俺「神様お願いします!」(26)
4月に引っ越し、入居した築20年のアパート。部屋数6戸の何てことはない普通のアパートだ。
やや古めかしいが家賃5万台の2LDK。2階門部屋、広いし内装は綺麗だしで特に問題はなし。
玄関が面している共同通路の向かい側には、3階建てのアパート。こっちは外装も内装も綺麗そうだが全室空き部屋。
何で使っていないのか、改装か何かする予定なのかと眺めて半年経ったある日、ちょうど俺の部屋の正面にあたる部屋に、突然人が住み始めていた。
カーテンが開けられておりついつい見てしまったが、学生と思われる若い男女と、父母と思われる中年の男女。恐らく家族だろう。
不思議なのは、出勤時の朝は完全に空き室だったのに、夕方帰宅した時にはもう「随分前から住んでました」的に当たり前に部屋が整っていて生活感が溢れていた事だ。
凄い、俺なんか引っ越してきて暫くは全く片付かず端から見てもすぐバレそうなレベルだったというのに、家族総出で片付けて部屋を作れば一日であんなになるのかと、感心してしまったくらいだった。
そして、やっぱりこっちの建物も使ってたんだなと思った。
ちょっと困ったのは、そっちの部屋の窓からこっちの風呂場がまる見えなところ。
入口の隣に風呂場、窓つきという作りだったので、夏なんか普段は窓開けっ放しで入浴したりしていた。角部屋だから人通りもないし。
それからは気をつけて生活していた。若いネーチャンに俺の裸なんか見られたら、文句言われそうだったし。
その家族が引っ越してきてから、夜中に赤ん坊の泣き声が聞こえるようになった。
「あーっあーんっぎゃーっ」と赤ん坊が泣いているかと思ったら、何と今度はそれに触発されたのか、いつの間にか近所の猫が合わせるように鳴いているというカオス状態。
「あーっあーっ」
「あーっぎゃーっ」
「ぎゃーっニャアアアーオオ」
まあ赤ん坊の泣き声も猫の鳴き声もそれ程気にしていなかった、意外にすぐ慣れるし。
でも何だかんだでやっぱり五月蝿くて睡眠を妨害されるからか、たまーに金縛りに遇うようになった。
夜中、赤ん坊と猫が鳴いてるなあと思いつつうとうとしていると、バイクが走り回るような音が聞こえて、ズゥンと暗闇の密度が増すような気配。動かなくなる身体。
うわ来た!と慌てて寝返りでもしようと思うと、寝ているベッドから物凄い力で床に引きずり落とされて、ええっと驚いているとベッドの上で目が覚める。
金縛りは疲れている時になると知ってはいたから、俺想像力豊かすぎ、夢見悪すぎ、と思っていた。
最初の頃は。
ある日、友達夫婦が泊まりがけで遊びに来た。生後1年の息子くん連れて。この息子くんが人懐こくて超可愛いんだこれが。
誰に抱かれても泣かずにキャッキャ笑ってるから、俺に抱っこされても大人しくニコニコしててくれてマジで天使。
「マサ(俺)ちょっと窶れたか?」
「引っ越して職場近くなったのに、疲れてんの?」
と心配されてしまった。仮に宇田川夫婦とする。
「そうか?最近よく金縛りに遇うからかなー」
「えっ幽霊いんじゃないか」
「ええっ怖いー」
なんて宇田川夫婦と会話して卓飲みして、息子くんも寝かさないとだしそろそろ寝るかと布団敷いてやって終了。
ただ、電気消して寝ようとしてちょっとしたら、息子くんが火がついたように泣き出した。
俺は隣の部屋のベッドで寝てたんだけど、結局泣き止まないまま朝になってしまった。勿論みんな寝不足。
奥さんに「この子普段こんなことないんだけど、ごめんね」と謝られてしまい、俺の部屋嫌だったかなぁと申し訳なく思った。
朝、宇田川夫婦を表まで見送る。
外に出たと同時、息子くんは友達の腕の中で、漸く眠りついた。
「昨日はごめんなー、寝不足だろ」
次の日。仕事終わって部屋に帰ってきた時、宇田川から電話がかかってきた。
「こっちこそごめんな、寝やすいように部屋整えたつもりだったけど、いまいちだったんだよな」
俺も謝る。何というか、息子くんに本当に可哀相なことしちゃったなって、罪悪感があった。
「いや環境変わったせいだと思うんだよ、ごめん」
とまた宇田川に謝られてしまう。
「あとな、多分赤ん坊の泣き声してたから、それに誘発されたのかも……」と宇田川が続ける。
俺はそれで向かいの部屋を思い出し、もしかしたら、と説明した。まあでも、向かいの部屋の赤ん坊を見た事は無かったんだけど。
そしたら宇田川が「え?」と不思議そうに言う。
「あれ?お前の玄関前の建物、入居者なんていたか?俺建物綺麗なのに全室空き部屋なんて変だなって思ってたんだけど」
だと。
「いや最近突然入ったんだよー、お前が前に遊びにきた時は空き部屋だったんだ」
「そっか。じゃあうちのカズキ(息子くん)の泣き声も響いてたかな、悪いことしちゃったかなー」
「まあお互い様じゃないか?」
「そう思ってくれてたらいいけどよー」
なんて会話して通話終了。
そして俺はちょっと夜食でも買おうと思って、近所のスーパーに買い出しにいく事にした。
玄関を出て、鍵を閉めて何となくお向かいさんの窓に目をやる。
窓に張り付くようにこっちを見ている、若い女の子と目が合ってしまった。
「ふおお!?」
情けないが変な声が出てしまった。そして何故か慌ててまた鍵開けて玄関に飛び込む。
心臓がバクバクと脈打っていた。一瞬だけ見た女の子の顔が目に焼き付いている。
真っ白な肌、髪は真っ黒で長くて、両サイドでお下げにしていて。
何より、大きな目を更に大きくするように見開いて俺を見ていた顔が印象に残っている。
お向かいさんの窓は通路にほぼ隣接しているので、かなりの至近距離で目が合った形だ。
な、何だ今の!?あ、もしかしてやっぱりこの間うるさかったから、もしかして文句言いたくてこっちを監視してたのか……!?
と思うと、違う意味で心臓がドキドキしてくる。
そーっと玄関開けて向かいの窓を観察すると、真っ暗で誰もいないみたいだった。
ホっとして、でもやっぱり気まずくて、なるべくそっちを見ないように急ぎ足で通りすぎる。
30分くらいで買い物をして帰ってきて、俺はアパートの前で愕然としてしまった。
隣の3階建てのアパート、上から下まで全室空き部屋になっていた。
2階の俺の部屋正面の部屋も、今日まで見ていたカーテンとかなくて、ただ窓から明らかに空き室と分かるがらんどうの室内が見えているだけだった。
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