彼の命、その宿命 (134)



射抜くような視線を感じながら、少年は素早く身を捩る。


ーー血と暴力の渦。


生きる。

ただそれだけの為に足掻く最下層の『人間本来の原始的』な姿を求めに巨額の金を払い席に座す上層の人間とは違った視線を気に止める余裕など、少年にはなかった。

闘士とは名ばかりの奴隷の少年には、そんな余裕などなかった。

砂のしかれた円上の舞台で、少年は生にしがみついていた。

沸き立つ観客はそれを見下ろし、酒を飲み、命のやり取りを爛々とした、享楽の瞳で見ている。


「ちょこまかと避けてばかりか、それでも闘士か」


その問いを少年は無視した。




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相対する肌の黒い巨躯の男が放つ闘士としての偽りの誇り、挑発を少年は無視した。

連戦連勝の闘士であることに誇りを持つ彼の言葉は、少年にとってまったくの無意味であった。

彼が強者であることは誰が見ても明白で、それに誇りを持つことは否定しない。


だがそんな彼も、自分と同じく飼われていることに違いはないのだ。

薄暗い地下の、血の染みを拭えない砂の上で『誇り』を持つことなど無意味だと少年は思う。


前者、もしくは前々者の抜け落ちた歯の痛みを足裏に感じながら、少年はそう結論付ける。

彼も少年も、違う者に飼われ、闘士とは名ばかりの、奴隷でしかない。

更に目の前の対戦相手は、とても少年のかなう相手ではない。



あらためて見やる黒く逞しい身体、それは勝者が得る身体に違いなかった。

勝ち続けてきたからこそ、その身体の維持を許されるのだから。

対する少年の身体は細く白く弱々しいが、軽業師さながらの動きで避けている。

相対する彼がいくら誇り高く振る舞おうと、これは彼らを所有する者が取り決めた対戦であった。


彼らは従うしかない。


相手が自分を上回る実力と体躯を擁していようと、戦うしかない。

円上の舞台に立つ二人に、拒否する権利など飼われたその時からないのだ。

そうと決まったのなら受けるしかない、
相手が明らかな格上だろうが明らかな格下であろうが、だ。


こと、この場に立った時から善悪はない。



それは観客である者も、彼らの所有者である『人間』にとっても周知の事実、現実である。

勝ちさえすればいいのだ、どんな手段を実行しようと勝利すればいい。

目潰し金的、その他諸々の反則行為は、ここではよしとされる。


弱者の醜い足掻きこそ観客の求めるものなのだ。


弱者がどのような小癪な手で勝利しようが、強者がどのように弱者を嬲ろうと、なんら問題はない。


ここは、そういう場所なのだ。


少年は考え模索する、生き延びるすべを、勝利への道を模索する。

自分の数倍はある体躯、分厚い筋肉を更に脂肪で覆う太い腕を避けながら。


連戦連勝の彼に、砂での目潰しなど通じるはずはない。



おそらく、彼には金的も問題にならないだろう。

繰り出した瞬間に足を取られ、打ちのめされたのち、撲殺されるだろう。


しばしの思案の後、少年が辿り着いた答えは犠牲のうちに成り立つものだった。

左手を股間に突き出し掴ませ、へし折らせ、残った右手で眼を潰す。

模索した結果、それ以外に有効な手立てはなかった。

片腕を犠牲にする発想はまだしも、実行するとなると流石に身が縮むはず。


しかし少年には一片の迷はなかった。




暴風撒き散らす太い腕を身を屈めて避けると、棒切れのような身体を潜り込ませた。

そして男性共通の弱点である股間に本気で手を振り上げる。


「浅知恵使いの猿め、そんなやり方は馴れてるんだよ」


嘲笑で顔が歪ませた敵が、易々と少年の腕を取り、迷いなくへし折った。

弱者に対する愉悦が彼の顔を彩ったが、少年は止まらない。


当然痛みはあるし顔が苦痛に歪む。
が、激痛に耐えながら残した右手を懸命に伸ばした親指を左目をに突き立てた。


「がっ」と低く呻き彼は左手を離す。
少年が片腕を差し出し目を抉る、それは彼にとって予想外の行動、戦法だった。

しかし左目を潰され苦痛に耐えながら彼は立つ。
勝者、強者のプライドなのだろうか。


それに対し、少年は迷うことなく彼の血で粘つく親指を突き立て右目を潰した。




暴風撒き散らす太い腕を身を屈めて避けると、棒切れのような身体を潜り 込ませた。

そして男性共通の弱点である股間に本気で手を振り上げる。


「浅知恵使いの猿めが、そんなやり方は馴れてるんだよ」


嘲笑で顔を歪ませた敵は、易々と少年の腕を取り、迷いなくへし折った。

弱者に対する愉悦が彼の顔を彩ったが、少年は止まらない。

当然痛みはある、整った顔が苦痛に歪む。
が、激痛に耐えながら残した右手を懸命に伸ばし、親指を左目に突き立てた。


「がっ」と低く呻き彼は左手を離す。


年端もいかない少年が片腕を差し出し目を抉る。
それは彼にとって予想外の行動、戦法だった。

しかし左目を潰された苦痛に耐えながら彼は立つ。
勝者、強者のプライドなのだろう。


それに対し激痛で顔面蒼白になりがらも、
少年は迷うことなく彼の血で粘つく親指を突き立て右目を潰した。

もう分かんねえ、寝る

依頼出す

寝るのはいいけど続き書いてくれよ
すごく面白いよ


両目から血を流し、くぐもった唸り声を上げながらも膝を突くことはない。

勝利者、王者としての意地だ。

飼われながらも必死で手に入れた仮初めの誇りが、それを良しとしないのだ。


少年は痛みを堪え、尚も岩のごとく立ち尽くす彼にゆっくりと近付いていく。

場内は静まり観客は息を呑む、少年と彼の荒い呼吸のみが唯一の音源だった。

折られた左手をだらりと下げ、何を引きずるように歩み、少年は静止した。


視界を奪ってたという優位は動かないが、
これ以上正面から接近するのは危険だと判断したのだろう。


勝利するには戦闘不能にする他にない、視界を奪っても、その圧倒的体格差は埋まらない。

背後から後頭部を全力で蹴ったとしても、あの太い首が易々と衝撃を防ぐだろう。

勢いに任せて出たところで身体を掴まれれば終わりだ。

視界はなくとも、掴みさえすれば圧倒的な力で少年を殺すことなど、彼には造作ない。


静寂の中で少年は思案する。
どうすべきか、どう収めるべきか思案する。


相手が降参することも考えた。


しかしそれは彼自身ではなく、彼を飼う人間が決めることだが、それもない。

もしそうなら今頃とっくに声が掛かり、次の試合が始まっていることだろう。


理由は彼を見れば明らかだった。

視界を失った闘士に、最早何の利用価値などない。


闘士としての彼はもう存在しない。

今や一介の奴隷、それ以下の存在に成り下がってしまった。


気絶による戦闘不能でこの場から生きて出たとしても、
彼は『外』で殺されるだろう。

飼い主によって、あらゆる苦痛を与えられた後、惨たらしく。

今尚も闘士としてあり続ける彼の背を見て、少年は遂に選択した。


ゆったりとした足取りで、彼の飼い主がいる席へと向かう。

砂を踏む僅かな音さえ、はっきりと聞こえる程に、場内は今も静寂していた。


逃亡防止の高い壁から見下ろす彼の飼い主には、良い闘士を失った未練などないようだった。

稼ぐ手段など、彼がいなくとも無数にあるのだろう。

そんな飼い主に対し怒りがこみ上げる。

身体が熱を帯びるのを感じたが、何とか抑え込み、少年は口を開いた。


「決するには武器がいる。
 降参の声明がない以上、彼の命はこの場に立つ俺が所有していると解釈する。許可を」


少年の声明に対し如何なる返答があるのか、観客は一斉に視線を向けた。

返答次第で、何もかもが変わるだろう。飼い主はほんの一瞬、歪んだ笑みを浮かべた。


それは己が場内を支配しているという、一種の全能感。

あるいは神にでもなったような、肉体では得られない快感が生み出した笑みだ。


深く考える素振りをしながら一通り観客の視線を浴び、それに満足したように顔を上げた。

その様を見た少年は、奥底で唸る怒りを鎮めるのに精一杯だった。


「いいだろう、許可する」


たっぷりと間を置いて発せられた言葉に少年は頷き、投げ落とされた短剣を拾う。

気配を感じられぬよう、つま先で砂を噛みながら、彼に忍び寄る。

その途中で彼の飼い主から声が掛かった。


「出来るだけ派手にやれ」


囁くようなその声に少年は嫌悪を隠せなかったが、頷く他なかった。


右手に強く握り締めた短剣に、観客の視線が絡みつくように感じたが、振り払った。

少年は大きく息を吸い一気に距離を詰め、彼の両足首の腱を素早く切断した。


短い呻き声を上げ、ついに膝を突いた。

彼にはもう抵抗する意志はなかったが、少年は腕の腱も切断した。


両腕を伝った血がしたたり落ちて、砂を染めた。

少年は背後に回り込み、喉元に短剣の刃を寄せた。

すらりと横へ滑らせれば、凄まじい量の血が吹き出し、更に砂を赤に染めるだろう。


泣き叫ぶこともなく、もがくこともせず、醜態を晒すこともなく、彼は待っている。


己は闘士だと言って誇る者でさえ、
死の間際には子供のように泣き叫び懇願するというのに、彼はそうしない。

彼は本当の意味での闘士なのだと、少年は彼に対する考えをあらためた。

少年は彼の耳元で、誰にも聞こえぬよう注意深く囁いた。


「あんたは、闘士だ。
 誰が何と言おうと、闘士であり続けた。
 あんたのような闘士と戦えて、俺は『誇り』に思う」


その言葉に彼は身体を奮わせ、それに答えた。


そして悟られぬよう俯きながら
「闘士として死なせてくれることに感謝する。名は」と口早に訊ねた。

「ミスカ」即答であった。迷う間もなく、ミスカは答えてしまっていた。

彼は満足したようにふっと笑い
「俺はグラート、ミスカ、よければ覚えていてくれ」と言い、己の最期を促した。


「闘士グラート、あんたのような闘士がいたことを、俺は決して忘れない」


そう告げると同時、あくまで無表情を保ちながら、首筋の短剣を滑らせた。


グラートの首から噴き出した血は、正面の壁にまで達した。

砂が血を吸いきれず、膝下には溜まりが出来ている。

そして前のめりにグラートは倒れ、顔面から赤い砂に突っ伏した。


ややあって、場内は番狂わせに熱狂し、絶叫ともとれる歓声に満たされる。


ミスカの持つ中性的な、男性とも女性ともとれる絶妙にバランスのとれた顔と

軽やかなステップを踏むたびにさらりと揺れる美しい金色の髪が、観客の心を掴んだ一つの要因であろう。

そしてミスカは外見に反し、烈しく、男性的で、野生の熱を持っている。


将来有望な闘士だと観客は口々に言い、感嘆した。

老い若きにかかわらず、女性客はミスカの美しさと野生に惹かれた。

場内の歓声と嬌声を一身に浴びたが、ミスカには何の感慨もなかった。


観客に礼をし短剣をその場に置くと、ミスカはさっさと退場した。


去り際にあるのは、生き延びたという一時の安堵感とグラートへの哀悼。

残ったのは、暗く燃え上がる怒りだけだった。

胸糞って言ったらおしまいなんだよなぁスレタイに読点つけんなって言ったらおしまいなんだよなぁ

一人でも読んでるって分かって良かった、依頼出しちゃったし終わる。

好きに書かせろよ、ぐちぐちうるせーな。

>>19 好きに書かせろよ、ぐちぐちうるせーな。


止まぬ大歓声を背に、ミスカは苛立ちながら勝者の扉を開けた。

勝利の喜びを感じないと言えば嘘になるし、
感情とは別の原始的、本能的な部分でミスカはそれを強く感じている。

しかしそれは一時の昂ぶりでしかなく、
左手は激しく痛み出し、顔はますます青ざめていた。


戦闘の緊張と興奮が切れた今、勝利に酔うことなどミスカにはできない。

それは相手がグラートだったことも大きく関係しているだろう。

いつもなら『生きる為』だと切り捨てるが、今回だけは違った。


今まで屠ってきた相手は記憶しているし、殺した相手、殺さずに終わった相手もいる。

その中でもグラートは別格だった。


技術と強靱な肉体は勿論、
人間としても闘士として、これまでにない相手だった。

もしグラートが左手を掴まずに払っていれば、
この場所にいるのはグラートだったはずだ。

一か八かの賭け、当てが外れていれば間違いなく死んでいた。


救護班の処置を上の空で受けながら、ミスカはグラートの姿を浮かべていた。

闘士とは名ばかりの奴隷として、
この狂った殺し合いの舞台に立ってどれくらい経ったのだろう。

つい最近のようにも思え、遠い昔のように思えた。


(グラート、あんたは何の為に戦っていたんだ)


口の中で発した言葉には当然返答はなく、
処置を完了した救護班はそそくさと離れていった。



知った闘士の顔もあったが、今は誰と気分にもなれない。

何度かグラートを見たことはあるが、話したのは今日が初めてだった。


王者として振る舞う彼をミスカは嫌っていたし、
闘士などという偽りの肩書きも気に入らなかった。

闘士だと胸を張っても結局は奴隷なのに、
何故あんな風に振る舞えるのかが、ミスカには分からなかったのだ。


もしかしたら、奴隷という姿から少しでも遠ざかりたかったのだろうか。

分からなくはないが、ミスカはそれが答えではないと己の推測を否定した。


あの誇り高い男が、王者が、
現実から眼を背ける為に闘士を名乗っていたなど、あるはずがない。

何かもっと別なものを、グラートは目指していたのかもしれない。

名前はあるんだな、奴隷なのに



知った闘士の顔もあったが、今は誰とも話す気分になれない。

この部屋で何度かグラートを見たことはあるが、話したのは今日が初めてだった。


王者として振る舞う彼をミスカは嫌っていたし、
闘士などという偽りの肩書きも気に入らなかった。

闘士だと胸を張っても結局は奴隷なのに、
何故あんな風に振る舞えるのかが、ミスカには分からなかったのだ。


もしかしたら、奴隷という姿から少しでも遠ざかりたかったのだろうか。

分からなくはないが、ミスカはそれが答えではないと己の推測を否定した。


あの誇り高い男が、王者が、
現実から眼を背ける為に闘士を名乗っていたなど、あるはずがない。

何かもっと別なものを、グラートは目指していたのかもしれない。



「グラート、もっとあんたと話したかった。
 何を考え何を目指していたのか訊きたかった」

周りに聞こえぬように呟きながら壁にもたれ、ミスカはゆっくりと眼を閉じた。

薄汚い馬車に収容されるまで、まだ時間がある。

確か残り三試合ほどあったはずだから、まだまだ休む時間はあるだろう。

しかし壁を突き抜けて聞こえる富裕層の野蛮な歓声が、
いつまでも耳にまとわりつき、満足に休めそうにない。


「お前なら勝って信じてた、おめでとう。
 ああ、急で悪いんだが大事な話しがある」


馴染みのある声に、ミスカは心底うざったそうに瞼を開く。


ミスカの不遜な態度に対して何の咎めもない。

この状況を見る限り、そう悪い扱いは受けてはいないようだ。

寧ろ恵まれすぎていると言っていいほどだろう。


当の本人、ミスカ自身がどう感じているのかは別として、だが。


声の主は、ミスカの飼い主である男、バハルド。

その傍らには見慣れぬ老人が立っていた。そこにミスカは驚いた。

老人の気配をまったく感じ取れなかったからである。


バハルドが近付いて来たのは靴音と装飾品の音で分かったが、
かたや老人は、突然そこに現れたようであった。



呆気にとられ目を開くミスカの返事を待たず、バハルドは話し出した。

「この方から良い申し出を受けた」上機嫌に笑い、バハルドは続けた。

ミスカが今日をもって、
この名の知らぬ老人の物となることを、ごく簡潔に告げた。


「待て、この老人は誰だ」怪訝な表情でミスカは訊ねる。

まさか名も訊かぬまま契約したというのだろうか。

いや、用心深いこの男がそんなことをするわけがない。


「名前はこちらで用意する。さあ、支度をすませて表に出ろ」


それは普段のバハルドを知っているミスカからすれば、
彼の発言とは到底思えなかった。


普段の彼ならば、名前は勿論、住まいや収入、
それら全てを徹底的に調べ尽くした上で、売買に応じる。

なのに今日一日でいきなり奴隷を売ると言うのが、ミスカには信じられなかった。


追求したところで何の意味を持たないのを、ミスカ自身は分かっている。

売られたという事実に変わりはないが、それでも気になった。

しかしその疑問はすぐに解けた。


(金だ。それ以外にバハルドが納得するはずがない。
 それも富裕層の人間ですら出せないほどの、巨額の金)


「どうした、早く支度しろ。
 あまりこの方を待たせるな」

「ああ、分かったよ」



「手間を取らせて申し訳ありません。少々お待ちを」

あのバハルドが媚びながら話しているのを見て、ミスカは絶句した。

この界隈で知らぬ者などいない奴隷商人が、何者かに媚びるなどとは考えられなかった。


嫌らしく機嫌を取りながら何やら話し掛けているが、老人に応じる様子はない。

支度と言っても着替えるだけだが、
ミスカは出来るだけ時間を掛けて老人を観察した。


黒いローブの内側には威圧感が、
やや隠れた表情からは闘士さながらの強靱さが滲む。

老人とはいえ、そこらの闘士など問題ならないような強者特有の匂いを感じる。

すると、一瞬だけ目が合った。だがその一瞬で十分であった。


試合の中で感じた観客と異なる視線の主、
それがあの老人であることを、ミスカは瞬時に悟ったのだ。

続き来てるか
期待


あの老人は最初から俺を手に入れる為に、俺を買う為に来たのか。

しかし何故俺なんだ。

かと言って、子供を飼って喜ぶ富裕層の変態共とは気配が違いすぎる。

そんな連中にどれだけ金を積まれても、バハルドは俺を手放そうとはしなかった。


それなのにこうも易々と売買に応じ、果ては即決するなど、あり得ない。

あの老人は、一体何者なんだ。


支度が終わり、手枷足枷をされたミスカは、老人と共に表に出た。

外は月明かりで照らされていたが、
ミスカに月を見上げる余裕などなかった。

無駄だと分かっていながら、この老人の正体が何なのかを探ろうとしていた。


「ふぅ」やがて諦めたのか小さく息を吐くと、
ミスカは今日は妙な日なのだと、そう結論付けた。

グラートとの一戦からまだほんの時間も経過していない、忘れられぬ出会いだ。

しかしまさか、こんな風に売られることになるとは思いもしなかった。


まるでおかしな夢でも見ているようだと、ミスカは思う。


するとふいに、思い出したかのように左手が痛み出した。

そして手枷足枷の重りと歩くたびに鳴る鎖の音が、現実に引き戻した。


今や戦いの熱はすっかり冷め、ミスカの内側は水を打ったように静かだった。

多少の動揺、疑念はあるものの、それを受け入れる覚悟はできていた。


横目で見ると、バハルドはしつこく老人に寄り添って何やら口説いている。

が、やはり何の返答はなかった。

老人はミスカに目隠しをすると、助手席に乗せ、自身もすぐに馬車に乗り込んだ。

バハルドはとうとう諦めたのか、もう口を開くことはなかった。


老人もついにバハルドとは口を利かず、無言のまま馬車を走らせたのだった。

part-1 奴隷 1ー1から1ー2へ続く

今日はこの辺にしとく

もう依頼出しちゃったんだけど、
取り消して下さいって頼めば大丈夫なのかな?


長い間馬車に揺られながら、目的地に到着するのをミスカは無言のまま待っていた。

目隠しと手枷足枷をされたまま、馬車を操る老人に何の問いもせずに、ミスカは待った。

過去を振り返り、辿りながら、馬車に揺られる。


ミスカ・ユヴァは元からの奴隷ではなかった。


父も母も奴隷ではなく、中層以上の暮らしをし、真っ当な教育を受けていた。

それに加え富裕層との関わりがあり、何不自由なく暮らしていた。


それが壊れたのがいつの頃だったか、ミスカにも思い出せない。

あまりに突然でショッキングな出来事だった。


一夜にして全てを奪われた少年には、何も残ってはいなかった。

その夜の記憶さえ朧気なもので、役には立たない。

ミスカの意図とは違う場所で、精神を守る為にとられた措置なのかもしれない。

唯一の事実は、両親を亡くしたところをバハルドが奴隷として拾ったことだ。


激変した暮らしに混乱し戸惑ったが、ミスカは生きることを諦めなかった。

奴隷として飼われながら、奴隷であることを決して認めなかった。

あらゆる面での盲目的服従は死を意味すると、ミスカは知っていたのだ。


そしていつか必ず『奴隷』から抜け出し、
両親を殺害した者に死を与える為、度重なる辱めに堪えた。


闘士になるにあたり、ミスカは誰よりも努力し、誰よりも学んだ。

ミスカに技術を教えた者は命を落としたが、それが更に奮起させる結果となった。


だからこそ、途上の少年でありながら闘士になり得たのだろう。


あの狂った殺し合いの舞台に立ってからは、より一層励んだ。

そのころから、ミスカは富裕層に対して拭いがたい不快感と嫌悪を覚え始めた。

全てが反転し、正しく教育された道徳や倫理は次第に役に立たなくなった。


だがそれでも狂うことなく人間性を保ち、生き抜くことに専念した。

奴隷を受け入れられないのと同じく、富裕層の狂った人間性が理解出来ず、怒りに燃えた。

人間の醜悪さを、痛烈に叩きつけられた。


その怒りこそが、より一層技術に磨きをかける大きな要因であった。


決して少なくない命を奪い、生き残り、戦った。

生きる為とは言え、殺人が紛れもない悪であることをミスカは理解している。

己の行いが正しいとは思わない。


ただ懸命に死と向かい合いながら、何とか生きる道を切り開き、歩んできた。

グラートも、そうだったのかもしれない。


まだ成長過程にあるミスカの素質をいち早く見抜いたのは、他でもない、飼い主であるバハルドだ。

だからこそ、如何なる闘士より、美しい女奴隷より大事に扱われていたのだ。

どこかで選択を間違えれば、男娼として立たされていたかもしれない。

ミスカはその恐怖と、男娼として立たされた同年の者の顔を思い出し、僅かに身を震わせた。


「生を貫くのなら、怯えなど捨てることだ」


ミスカの異変を敏感に察知したのか、無言で通していた老人が口を開いた。

それ以上は何も言わなかったが、ミスカは次第に心が落ち着いていくのを感じた。


そして、過去の暗い出来事を巡り辿るのを止めたのだった。


頭が止まった、寝る

乙。
こんなスレが立っていたとは。話は興味深いし、文章も勉強になる。
普通の小説形式はこの板では少数派。だからこそ応援したい。
専ブラのトップに出しておくよー。

グラディエイター ステンバーイ

>>38
一応、HTML化スレの最初の方に以下の注意書きがあったよ
取り消し依頼は受け付けてるみたい

>・「依頼の取り消し依頼」が少なくありません本当にHTML化してもよいのか、依頼前に今一度考えてから依頼してください
> どうしても依頼を取り消したい場合は、依頼した自分のレスにアンカー(安価)をつけて取り消しの旨を書き込んでください

>>46 続けるか迷ってたけど頼んでみます。
読んでる人、感想書いてくれた人、ありがとう、嬉しいです

感想なんてつかないと思ってたので

取り消しお願いしてきました。
ちょっと覗いたら二つも感想がついていて驚きました。
読んでる人いたんですね。
今度は本当に寝る

いるよ!がんばれ!


その後は沈黙が続き、馬車が揺れるたびに鳴る鎖の音だけが響いていた。

夜道の為に馬車の速度はゆっくりしていて、光源は月明かりのみであった。

ミスカは目隠しをされているから感じられないが、灯りを掲げなくともいいほどだ。


今更ながら、この老人は非常に用心深い人物なのだなと、ミスカは思う。


手枷足枷をしているのだから、目隠しなどそもそも必要ないはずだ。

道を覚えられることを避ける為に目隠しをしたのだと、ミスカは推測していた。


相変わらず無言のまま馬車を走らせる老人に、ミスカは少しばかり苛立ち始めた。


特に深い理由はなかった。

ただ、名も知らぬ老人の一言で落ち着きを取り戻したことが気に食わないのかもしれない。

それは年相応、子供が誰かに突っかかりたくなる衝動に似ていた。


「なぜ俺を買ったんだ。
 あんたの歳なら孫の一人くらいいるだろう」


それとも男色の気があるのかと口に出そうとしたが、ミスカはそこで止めた。

目隠しをされたままちらりと顔を向けるが、老人からはやはり何の声もない。


淡々と馬車を走らせ、いつ着くとも知らない目的地に向かう。


バハルドの時と同様だった。

この老人に如何なる質問をぶつけようと返答はないのだと知ると、ミスカは途端に毒気を抜かれた。


正面に向き直り座席に深く腰掛けると、ミスカは目隠しの下でゆっくり目を閉じる。

眠れはしないだろうが、あの部屋よりは静かに息をつけそうだ。


些細な馬車の揺れや鎖の音など、
あの品のない大歓声に比べれば子守唄のように感じる。

左手は鼓動や揺れに合わせるように鈍く痛むが、さして問題にはならなかった。

バハルドがミスカの為に集めた救護班の処置が良かったのだろう。

打撲や切り傷、擦過傷に刺し傷、ミスカの体には様々な傷痕がある。


しかしそれはうっすらと残った程度でしかなく、顔面に関してはほぼ無傷である。


あるのは鼻先を付けるほど密着しなければ分からない、薄い縫合痕だけだ。

それだけ見ても、どれだけバハルドがミスカを大事に扱っていたのかが分かる。


それは勿論人間としてではなく、
あくまで奴隷として売り物として、ではあるが。


数多くいる奴隷の中で、ミスカほど美しい奴隷はいなかった。

きらめく金色の髪、名高い陶芸家に作られたような整いすぎた顔立ち。

それは見る者の目を奪い、立ち止まらせ、文字通り釘付けにした。


ひやりと冷たく身震いするような『美』そのものが、命を得て歩いているように思えただろう。

奴隷だと知りながら一瞬たじろいでしまう者もいたが、不思議がる者は誰一人なかった。


その美しい宝石を見せびらかし人前に出すことを、バハルドは誇りにさえ思っていた。


服装も富裕層が着るような派手な物を着せ、手枷足枷をし、
バハルドは、ミスカを連れて何度も町を歩いた。

高貴な服装に手枷足枷という異常な組み合わせが、更に人目を惹いた。


その姿を見て欲情する者さえいた。

ミスカにとってそれ以上屈辱的で、奴隷だと突き付けられることはなかった。


「着いたのか」突然停止した馬車の揺れで、ミスカははっと身を起こした。

老人は相変わらず無言ままだったが、突然目隠しを外した。

「うっ」月明かりが眩しいほどに感じられ、ミスカは一瞬顔を顰めた。


やがて視界が慣れてきて辺りを見渡すと、道脇は深い森に囲まれていた。


先にはまだ道が続いている。
きっとこの先に目的地があるのだろう。

何故止まったのか、何故目隠しを外したのか、ミスカは訊ねようとしたが口を噤んだ。

老人から返答がないことは最早分かりきっていたからだ。


「どうやら追い付かれたようだ」


突然の停車と目隠しを外したことを訝しむミスカに、老人は平坦に告げた。

「バハルド」そう直感し、ミスカはその名を口にしていた。

そうだ、そもそもあの男がこんな上客を放っておくはずがない。


後を追い、何とか老人の正体を暴こうとするに違いない。

もしくは老人を脅し、無理矢理にでも関係を築こうとするだろう。

欲する物があればどんな手段を用いても手にしようとするのが、バハルドなのだ。

ちょっと休憩


土を蹴る音が、追っ手がさほど遠くない位置にいることを示している。

今から馬車を走らせても追いつかれるのは必至だろう。

ミスカは、自分を座席に置いたまま馬車から降りる老人を見て、何か手段があるように思えた。


特に焦った様子もなく怒りもない、先程と何ら変わらない雰囲気。

その落ち着いた姿は、この事態を最初から予測していたのではないかとさえ感じさせた。

更に言えば、追っ手を待つ老人の姿は戦闘前の闘士のそれのようにも見える。


老人の異様な佇まいをじっと推察していたミスカだったが、遂に追っ手がやってきた。


座席から身を乗り出し後方を見ると、
六名の男達が馬上でへらへらと笑っていた。

老人はその間、ゆっくりと彼らの方へと歩き、距離を測るようにして足を止めた。

ミスカは、いつの間にか彼らの前に立っていた老人の背を見ていた。


今から何かが起こる。

交渉かそれとも脅しか、ともすれば暴力に訴え出るかもしれない。


「バルハドが差し向けたのは、お前達だけか」
老人は六名の顔をそれぞれに見ながら簡潔に訊ねた。

「ああそうだ」
冷静なその様に多少驚きながら、頭目らしき男が答える。


未だ優位に立っていると思っているのか、余裕の笑みは崩れてはいない。



座席から身を乗り出し後方を見ると、
六名の男達が馬上でへらへらと笑っていた。

老人はその間、ゆっくりと彼らの方へと歩き、距離を測るようにして足を止めた。

ミスカは、いつの間にか彼らの前に立っていた老人の背を見ていた。


今から何かが起こる。

交渉かそれとも脅しか、ともすれば暴力に訴え出るかもしれない。


「バハルドが差し向けたのは、お前達だけか」
老人は六名の顔をそれぞれに見ながら簡潔に訊ねた。

「ああそうだ」
冷静なその様に多少驚きながら、頭目らしき男が答える。


未だ優位に立っていると思っているのか、余裕の笑みは崩れてはいない。


しかし老人が「そうか」とだけ言うと、
にやついた顔の一つが消えた。

トマトか何かを壁にぶつけたように、人間の頭部が突然弾け飛んだのだ。

「銃じゃない、何が起きた」
ミスカは何の予兆もなしに起きた死に驚いた。


伏兵など見当たらない。

もしいるとすれば一斉に飛び出し、彼らを取り囲むなりしているだろう。

思考を巡らせる内に二人の頭が前者同様に弾け飛んでいる。


馬上で妙な格好に身を捩り、
それは糸を切られたように地面に落ちた。

残った三人は今更慌てたように周囲を見渡したが、その間にも一人が死んでいた。


森から老人に視線を移す間に、また一人が声も出さずに弾ける。


老人はやはり無言であった。

月を背にしたフードの奥には暗闇があり、それが恐怖を倍増させる。

ミスカは最後の一人が死ぬ寸前、光る糸を見た。


老人の手元から伸びたそれは真っ直ぐ頭部に向かい、鼻から上を吹き飛ばした。

月明かりを反射して輝いた糸は、銀色の鎖だった。

遠目だが、その先端に黒い鉄球のようなものが確認できる。


老人が持っていたのは分銅鎖。

それを手元だけで操り、六名に気付かれぬ内に殺害したのだった。瞬殺とはまさにこのことだ。

唯一気付いたのはミスカであったが、気付いた頃には死んでいただろう。


主人を失い逃げ出した馬と、死体を馬車に載せる老人の姿を眺めながら、ミスカは老人がただ者ではないことを理解した。


(一体今日は何なんだ)
口には出さないが、誰かに答えを求めたかった。

ここに至り、流石にミスカは混乱する。

本物の闘士との出会い、突然の売買、
何も言わぬ老人、追っ手、そして殺害。


よくよく考えても、一日に起きるであろう出来事の数を容易く超えていた。

老人は何者で何故自分を買ったのか、疑問の数も増えるばかりであった。


死体を積み終えた老人は何事もなかったように馬車に乗り込み、
戸惑うミスカに目隠しをし、再び走らせた。

馬車の速度は先程より各段に早く、揺れも激しくなっていることに気が付いた。


そう、老人はわざと追っ手を呼び込み殺害したのだ。


一時的に目隠しを外したのは見せる為だったのかと、ミスカは考えた。

(しかし何の為に)やはり疑問は増えるばかりであった。


抱いた疑問は何一つ解明されないまま、
馬車は更に速度を上げて走る。


車輪と土を蹴る音が激しくなり、風が一層強くなる。

急激にこれまでの人生から引き離れていくような奇妙な感覚が、ミスカを包んだ。


グラートとの出会いも、
今や遠い過去の出来事のように思えてならなかった。


「なあグラート、
 俺はどうやらとんでもない人間に買われたみたいだ」


彼に呟いた言葉は一瞬で風に掻き消され、遠方に置き去りにされた。

座席にもたれると、これまでの疲れが噴き出したように眠気がやってきた。

何とか押し退けようとするが、それも長くは保たなかった。


「疲れたな」


やがて何もかも面倒になったのか、左手を胸に抱えるようにしながらミスカは目を閉じ、馬車の揺れに身を任せた。

老人は横目でミスカを見たが、何も言わずに馬車を走らせる。


風で露わになった老人の顔にどんな表情があったのかなど、ミスカには知る由もない。

頭が止まった。

乙!



「なぜ俺を選んだ、なぜ俺を買った。あんたは誰で、一体何者なんだ。
 屋敷は立派なものだが、あんたは堕落した富裕層の人間には見えない。
 答えろ、あんたは何が目的で俺を買った。」


屋敷に到着する前に死体の積まれた荷馬車を路上で燃やし、そこからは馬による移動になった。

痕跡を残さない為にしたのだろうが、どこまでも用心深い老人の行動に、ミスカは疲れ切っていた。

屋敷に到着し扉を抜けると、ミスカは目隠しと手枷足枷を外され肉体的な自由を得たが、その表情は暗い。


ここに着くまでに生まれた多くの疑問で頭が一杯だった。


すぐに灯りを持った若い女性が老人を出迎えたが、ミスカは彼女に興味を抱くことはなかった。

老人の他に誰が住んでいるかなど、今のミスカにはどうでもよかった。


女性に灯りを手渡された老人は
「ついて来い」と短く告げ、ミスカは黙って案内された部屋に入った。

老人は長いテーブルの真ん中に灯りを置き、ぼんやりと明るくなった部屋に二人きりとなった。

現在二人は、テーブルを挟んで向かい合い、肘掛けの付いた椅子に座っている。


質問する直前に出された料理には目もくれず、
ミスカは蓄積された疑問をぶちまけたのだった。


やや間があったが老人はフードを外し、その顔を初めて露わにした。

よく撫でつけられた白髪と切れ長の目、すらりと通った高い鼻、
きつく結ばれた口、肌は白く目元には皺があった。

頬に無駄な肉はなく引き締まっていて、青い瞳には強靭な意志が光っている。


過去に出会った誰とも違う種類の人間が、ミスカの前にいた。

その細く鋭い目を前にして若干の動揺はあったが、ミスカは目を逸らさなかった。


「私の名はテオドル・コムザーク。
 お前を買ったのは堕落したこの国を正す為だ。
 下層から搾取し肥え太った富裕層や貴族に、民衆は反発の意を強めているのは知っているか。
 無論、奴隷も然りだ。だが、行動に移す者は誰一人いない。
 それは未だ富裕層の力が強く、民は怖れているからだ。
 一部ではあるが、富裕層に恩恵を受けている者もいる。
 金で転ぶ者が多い中で、反乱組織を作ることは容易ではない。
 現状を打破するには、民衆の思いを体現する者がいなくてはならないのだ。
 それは彼らの意志の象徴。反逆の戦士、道を示し導く者、言わば英雄だ」


きつく結ばれた口から力強く発せられた答えに、ミスカは何も言えずにいた。

国を変えるなどという想像を遥かに超える答えに動揺し、戸惑った。



だが、その発言の現実味の薄さに気付いたのか、ミスカは即座に口を開く。


「馬鹿げてる。たった一人の人間が国を変えるなど到底無理だ。
 東部西部南部、どこを見ても同じ有り様だ。
 奪われ飼われ、気に入らなければ殺される世の中だ。
 歪んだ形が正しくなったこの国をどう変える。
 今では生まれながらの奴隷も珍しくないんだ。
 国を変えるだって、富裕層の人間を片っ端から殺すとでも言うのか。
 一人の人間がいくら正しさを説いても、町の一つも変えれはしない」


怒りを抑えることすら忘れ、半ば叫ぶようにミスカは言い放った。

瞳は怒りに燃え、今にも噛みつきそうな獰猛な野生を剥き出しに睨み付ける。

外見とは異なるミスカの内なる姿を、テオドルは静かに見つめている。


「何とか言ったらどうだ。
 そんな妄想めいた言葉を、どう信じろと言うんだ」

何の反応もなくこちらを見据えるテオドルに、ミスカは更に苛立ちを募らせた。

堪え続けた四年半の奴隷生活の怒りを、今や隠すことなく露わにしている。

バハルドにさえ見せたことのない怒りを、ミスカは初めて爆発させた。


そもそも子供でありながら怒りを抑え、冷静を保っていたこと自体異常なのだ。

が、異常であると共に、賞賛すべき精神力を持っているのも確かだろう。


しかし奥底に秘めた復讐と怒りの念は、易々と飼い慣らせるものではない。

ぐつぐつと煮え滾る、どろりとした溶岩にも似た怒りが、獰猛な唸り声を上げている。


「お前はまるで燃え盛る炎のようだな。
 だが、その怒りを私に向けてどうなるものでもない。
 そのことをお前は分かっているはずだ。違うか」

細い目を更に細め、テオドルはテーブルの上で手を組んだ。

問い掛けた声は穏やかで、子供をあやし、諭すようなものであった。

ミスカが少しばかり落ち着いた様子を確認し、
テオドルは「それとも」と言葉を区切った。


それに続く言葉を待ちながら、ミスカは脈が早くなっているのに気付いた。


「奴隷の分際で何をほざく、とでも言って欲しかったのか」


射抜くような視線で、テオドルはそう言った。

嘲りのない表情と声に、ミスカは驚きを隠せなかった。


なぜなら、テオドルの指摘は的中していたからだ。

手枷足枷を外され、見張りもいないままに話すなど有り得ない。

しかもその相手は女奴隷を侍らせることもせず、一対一で会話に応じている。


テオドルの態度は所有物に対するそれではなく、見下す素振りもない。

ひた隠しにしていた怒りを表に出したのは、『それ』が原因だったのだ。


ミスカは肉体だけでなく、感情をも自由に表現出来ていた。

奴隷としてではく人間として目の前の老人と会話していた。

自分が『ミスカ・ユヴァ』として会話していたことに気付いたのだ。


それは本来喜ぶべきことで、涙してもおかしくはなかったが、ミスカは泣かなかった。


それどころか怒ってさえいた。


人間として接しられたことに動揺し、少しでも嬉しく思う自分に怒っているのだ。

それほどまでに奴隷が染み付いていたのかと、ミスカは血が出るのも構わず唇を噛んだ。

人間であり続けたつもりが奴隷を受け入れつつあったなど、屈辱以外にない。

あの暮らしを少しなりとも良しとしていた自分がいたことを、ミスカは許せなかった。


「俺はあんたの奴隷か、俺は性根まで奴隷か」


やっと絞り出した声は震えていて、唇からは血が滲んでいた。

この問いには、決して服従しないという、再度誓った強い意志が宿っていた。

ちょっと休憩、もう少し書く予定


「お前は誰にも従わないだろう。
 従っているように装っていただけだ。もしあの男、名はバハルドだったか。
 あれがお前に酷く不当な行為や非人間的な行為を強いたのなら、お前はバハルドを殺していた。違うか。
 加えて言っておくが、環境に慣れることと服従することでは全く意味が違う。混同するな」


淡々と語るテオドルに何が分かると言いたかったが、ミスカは言えなかった。

その言葉通りだったからである。

バハルドの奴隷であったのは、堪えられる範囲内の屈辱しか与えられなかったからだ。

何より思い留まらせたのは、両親を殺害した者への復讐心だろう。

殺そうと思ったことなど数え切れないが、ミスカは踏みとどまった。


(環境に慣れることと服従することは全く意味が違う、か)

テオドルの言葉は気休めにしかならなかったが、ミスカは少し救われたような気がした。


たが、バハルドの奴隷であったことは事実であり、過去は変えられないのだ。

そこで再びミスカは問う。


「奴隷でないなら俺はあんたの何だ。
 あんたは確かに、『買った』と言った」


人間は買われない、売買されるのは奴隷だ。最下層なんてものではない。

人間としてすら扱われない存在なのだ。


「金を払い買ったの事実だ。それは否定しない。
 だが、お前は私の奴隷ではない。
 そもそもミスカ・ユヴァは死亡扱いになっていた。書類に登録されていたのは偽名だった。
 奴隷の売買は認められるが、奴隷の略奪は認められていない。
 バハルドがお前を引き取った経緯には必ず裏がある。
 話しが逸れたな。ミスカ、私はお前を子として、弟子として育てるつもりだ」


惜しげもなく差し出された情報に不信感を抱いたが、ミスカはひとまず信じることにした。

情報はともかく、育てるということに関してだけは、信じることにした。

part1-奴隷 1-2から1-3へ続く

もっと書きたいが、止まった。また明日書くと思う


与えられた部屋、設えられたベッドの上で、ミスカはテオドルとの会話をまとめる作業に入った。

『今必要なのは、民衆の思いを体現する戦士だ。
 歪んだ国の在り方に反逆する英雄なのだ。
 私はお前が適正だと判断し、バハルドから買ったのだ。
 しかし勘違いするな、私はお前を奴隷とする気はない。』


テオドルの言葉を思い返しながら、ミスカは思いを巡らせた。

国を変える戦士、民衆の英雄になるなど想像出来ない。

テオドルの思想には多少共感したが、それが偽りだった場合、
ミスカはどのような手段を用いても殺そうと決意していた。

明日からどのような日々が始まるのか、テオドルの思想が本物かどうか見極める必要があった。

part1-奴隷 1-2から1-3へ続く。

書き足し申し訳ない、ではまた

期待

色々足りないと思った >>78から書き直す。


たが、バハルドの奴隷であったことは事実で、その過去は決して変えられないのだ。

そこで再びミスカは問う。

「奴隷でないなら俺はあんたの何だ。
 あんたは確かに、『買った』と言った」


人間は買われない、売買されるのは奴隷だ。最下層なんてものではない。

人間としてすら扱われない家畜同様の存在なのだ。


「金を払い買ったの事実だ。
 それは否定しない。だが、お前は私の奴隷ではない。
 そもそもミスカ・ユヴァは死亡扱いになっていた。
 書類に登録されていたのは偽名だったのだ。
 奴隷の売買は認められるが、奴隷の略奪は認められていないのは知っているな。
 バハルドがお前を引き取った経緯には必ず裏があるはずだ。
 話しが逸れたな。ミスカ、私はお前を弟子として育てるつもりだ」


惜しげもなく差し出された情報に不信感を抱いたが、ミスカはひとまず信じることにした。

情報はともかく、育てるということに関してだけは、信じることにした。


テオドルの表情は険しいが、それが誠実さと実直さを示しているようだった。

口にした情報もおそらく嘘ではないだろう。

だが、ミスカは未だテオドルの正体を知らない。

ともすれば、テオドルという名前さえ偽りの名かもしれないと、ミスカは考えていた。


「まだ答えてないことがある。
 テオドル、あんたは一体何者だ。
 俺を弟子にすると言うのなら、こちらの質問に答えてくれないか。
 師を知らぬままに教えを請うなど、俺にはできない。
 俺は『誰の』弟子になるんだ。答えてくれ」


ミスカの声に怒りはなく、その表情は冷ややかですらあった。

しかし瞳は表情に反し情熱的で、純粋に真実を求めていた。


奴隷ではなく人としてと言うのなら、質問に答えるはずだ。

国を正すと言うのなら、両者の間に嘘偽りがあってはならないと、ミスカは思ったのだ。

師弟関係も然り、その間には確かな信頼が必要になってくる。

命じられるままに行動するのでは、奴隷と差して変わりはないのだから。

ミスカの瞳を見てそれを感じ取ったのか、テオドルは目を閉じ、静かに語り出した。


「以前、私はある組織を率いていた。
 この国に在り方に不満を持ち、正そうとする志を持った者達が結集した組織だ。
 中層、富裕層、様々な立場の人間が一つの目的の為に活動していたのだ。
 その中には暗殺謀殺もあったが、それは民衆を覚醒させ反旗を促す為のものだ。
 それらは各地で行われた。奴隷の解放、圧制する権力者の追放、粛清。
 歩みは遅かったが、我々は着実に目的に近付いていた。」


「だが、たった一人の裏切りにより組織は壊滅した。
 それこそ呆気なく、一夜にして私以外の同胞は死んだ。
 この私も、表向きは死んだことになっている。
 それから私は長い間待った。民衆の不満が高まり、我々の思想が必要とされる時を待ち続けた。
 それが今なのだ、しかし私はこの通り年老いてしまった。
 私には継ぐものが必要だった。
 私がお前を選んだのは、その素質があったからだ。」


「だが、理由はもう一つある。
 お前の父、アハト・ユヴァは組織の一人で私の弟子だった。
 ユヴァ家も他の同胞と同じく殺されたと知らされていたが、ミスカ、お前は生きていた。
 登録上の名は偽名だったが、顔を見た時、お前がユヴァ家の者だと確信した。
 それはお前が、母ヴェルナと瓜二つだったからだ」


「あの試合を見るまでは何としても引き取り、
 奴隷の鎖から解放しようとだけ考えていたが、その考えはすぐに覆された。
 身のこなし、野生、覚悟、相手への敬意。それら全てが、アハトを彷彿とさせた。
 だからこそ、私の弟子にすることにしたのだ。
 ミスカ、これが今の私に出来る精一杯の解答だ。納得しろとは言わん、全て信じろともな。
 しかしこれ以外の答えを、私は持っていない。」


ミスカは一切口を挟まず、テオドルの言葉に聞き入っていた。

過去を追想するように目を閉じたテオドルは、言葉の端々で感情を表した。

初めて見るテオドルの表情の変化と溢れ出る感情の波を、ミスカは感じ取った。


両親の名を訊いた時は驚き、どんな関係だったのか問いただそうともした。

だが、時折り見せるテオドルの苦悶悲痛の表情がそれを止めた。


全てを聞き終えたミスカは、
「疑ってばかりでは進まない。テオドル、俺はあんたを信じてみようと思う。」


揺らめく灯りに照らされ美しく輝くグレーの瞳と女性的とさえ言える穏やかな笑みを湛えながら、テオドルに答えた。


その言葉と微笑みに、テオドルは内心驚いていた。

警戒心が強いミスカの心を解きほぐすには、
それなりの時間と対話が必要だと感じていたからだ。

まさかミスカ自らが歩み寄ってくるとは考えてもみない出来事だった。


「お前はそれでいいのか」

案ずるような声で、テオドルは問い掛けた。

あくまでミスカの意志を尊重する為の問いでもあるのだろう。


「今のところ英雄だ何だにはあまり興味はないし、実感もない。
 ただ、父が目指していたものを知りたいとは思う。」


亡くした両親を想っているのか、ミスカは弱々しく笑いながら答えた。


テオドルは「そうか」とだけ言い、物思いに耽るミスカを見つめていた。

この会話を最後に二人は沈黙したが、テオドルが先程の若い女性を呼び、ミスカを部屋に案内させるように言った。

結局食事には手をつけぬまま、ミスカは部屋を後にして、女性に後に続いたのだった。

二階へ上がり与えられた部屋に入ると、ミスカはすぐに横になり目を閉じた。


「父が目指したものを追い掛ければ、いずれ全てを奪った人間に辿り着く。
 何年掛かろうと必ず見つけ出し、この手で殺してやる」


父と母の姿を浮かべながら呟いた言葉には、並々ならぬ決意が滲んでいた。

国の歪みを正す。

彼らを邪魔に思う者が両親を殺したであろうことは、テオドルとの会話から察していた。

父が目指し掲げた理想を理解したいという純真な思いと、
両親を奪った者に対する強い憎しみが、ミスカの中を満たしていた。

手直し申し訳ない、また後でちょっと書くかもしれない


1-3

木造二階建ての広い屋敷、絵画も美術品もなく、装飾品はない。

外観とは違い、内部、どの部屋も質素で必要な家具以外はない。

かき集められた装飾品で溢れていたバハルドの屋敷とは全く違う様相だ。

あれから二ヶ月が経ち、ミスカは見慣れた部屋を見渡しながら、軽く伸びをした。

ベッド、机の上には日記とペン、衣装掛け、壁に掛けたカンテラ。


冬が近いのか吐息は白い。

左手は既に完治しており、ミスカは左腕一本で腕立てをした。

一通りの運動を終えると、いつもの服に着替えた。


白い肌着に足首が縮まったゆったりとした白いズボン、
その上から厚手の黒いローブを着る。

ローブは股先から分かれていて、脚を振り上げても問題ない作りになっている。

ローブの内側には革の留め具とポケットがあり、
その中に短剣や銃、分銅鎖を仕舞えるように設計されている。

今のところは短剣、剣、分銅鎖のみだが、それを仕舞い、ミスカは部屋を出た。


廊下のガラス窓は気温差で白く染まり、外の様子は見えない。

袖で窓を拭き外を見ると、うっすらと靄がかっていた。

人里離れた高地にあるこの屋敷は、どこよりも早く冬の訪れを感じさせる。


忽ちに白くなった窓を後に「行くか」と呟くと、ミスカは金色の髪を後ろに撫でつけ階段を下りた。

続き?ここまでしか書いてないよ!
誤字脱字は勘弁してください、これでも確認してるんです。
もう分かんねー、完結するまでどんだけかかんだよって話しだよ。
私は寝る

コンスタントに更新されるなーって思ってたらストック切れたのか
期待して待ってる

仕舞うは違うね、しまうだね。

面白くなってきたね
期待です


階段の手摺に手をかけ一歩踏み出した時、ふわりとした明るい栗毛が見えた。

栗毛の主は、テオドルの屋敷に来て初めて出会った女性、カテジナだった。


「ミスカ、今日も早いのね」と、カテジナは悪戯っぽく笑い、黒いスカートをはためかせ振り返る。


成人間近だが、ミスカとさほど年齢は離れていない。

しかしカテジナの動きは綿密に計算されたように美しかった。

年齢よりも遥かに大人びていて、妖艶という表現がしっくりくるほどだ。

どう動けば男性を虜にできるのか理解しているような立ち振る舞いである。


「早く武器に慣れておきたい。特に分銅鎖は早く使えるようになりたいんだ。」


階段で少しばかり立ち止まりローブの中の分銅鎖を見せ、ミスカは言った。

するとすぐに階段を降り、ぽかんとするカテジナの横をすり抜け玄関に向かう。

カテジナに興味がないというわけでもなく、かと言って意識的に避けているわけでもない。

どちらかと言えば前者なのだろうが、ミスカに気にする様子はなかった。


「あなたって本当に無愛想ね。そんなんじゃ、この先苦労するわよ」


カテジナはその様を見て、呆れたようにミスカの背中に語りかた。



ふと立ち止まり振り向くと、カテジナは大げさに手を広げ、首を振り溜め息を吐いていた。


「それはどういう意味だ」


そのわざとらしく作られたような動作に若干苛立ちながら、ミスカは訊ねた。

二ヶ月の間テオドルと共にカテジナとも過ごしてきたが、彼女にはまだ慣れていない。

どうやら女性らしさを全面に出してくるところが苦手なようだ。


「そのままの意味よ、女には優しくしておいた方が得するってこと。
 巷の情報とかターゲットの居場所とか、色々とね。
 あなたは嫌かもしれないけど、媚びを売るのも一つの技術なの。
 言っておくけど、あたしだってこんなの本当は嫌なんだから。」


心底嫌そうな顔で腰に手を当て、深く溜め息を吐くカテジナ。

その姿は演技ではないようだ。


更に額に手を当てると、「まったく」と誰に言うでもなく気怠そうに呟いた。

初めて見るカテジナのその姿に、ミスカは

「今後、俺の前であんな態度は取らなくていい。俺もあんたも疲れるだけだ。」と、やや気の毒そうに言った。

「あら、あたしに幻滅したりしないのね。その年なら女に思うところはありそうなものだけど」


随分と気が楽になったのか、カテジナは装うことを止め、ミスカに笑いかけた。

壁にもたれて腕を組む様は、男を誑かす女を演じるよりずっと似合っているとミスカは思った。

そんなカテジナに対し、ミスカは目を伏せながら答える。


「唾を吐きかける女、口汚く罵る女、口に出すのも穢らわしい性癖を持つ女を見てきた。
 女は皆そうだとは言わない。が、今より幻滅できるとは中々思えない」


己が体験したことではないが、思い出せば次々と出てくる。

それらは全て、飼われていた時に見た『人間』の醜い姿だ。

決して忘れられない痛烈な記憶と、それを強いられる男奴隷の顔が浮かんだが、なんとか振り払った。


「ごめんなさい。何だか嫌なものを思い出させちゃったみたいね」


あまり謝罪の気持ちは伝わらないが、これが本当のカテジナなのだろう。

ミスカにとって本気で謝罪されるより、そんな態度をとられる方が気が楽だった。


しかしまったく謝罪の意がないわけではないようで、
ミスカの過去を見透かしたように琥珀色の瞳を細め、ちらりと向けたのだった。

ミスカはそれに対し、何を分かったような、とは思わなかった。

きっとカテジナも飼われ、テオドルに引き取られた身なのだ。

男を虜にする術も、生きる為に必死になって身に付けたものなのだろうと、ミスカは推測していた。

もしくはテオドルに教えられたか、そのどちらかだろう。


「気にしなくていい、俺には今のあんたの方が接しやすい。寧ろその方が好感が持てる」


屈しないという強い思いを覗かせるカテジナに、何の含みもなく、ミスカは言った。

すると、カテジナ本来の野性的な笑みが零れた。


可愛らしく庇護欲をそそる顔はなりを潜め、
肉食の獣のようなカテジナらしい笑顔だった。

ミスカは本来の彼女を知らないが、そのほうが『らしい』と思えた。


「もしかして口説いてるのかしら。まだ子供のくせに」

「あまり子供をからかうな。俺はもう行くぞ、時間が勿体無い」


犬歯をちらりとと見せながら近付き、わしわしと頭を撫でるカテジナの手を払い、ミスカはうざったそうに言った。

子供扱いを気にしないミスカを、カテジナは多少気に入らないようだった。

ミスカのように気位の高いタイプなら、子供扱いすれば反発すると思っていたからだ。


「可愛くないわね。でもあたし、あなたのそういうところ好きなんだけどね」


背を向けて扉に向かうミスカに告げた言葉は、
異性に対するものではなく、己と同じ者に対するそれだ。

ミスカもそのようで、
「俺も、今のあんたの方がずっといい」と、素っ気なく返し扉を開けた。


「あたしは結構本気だったんだけど、お互い幸せとは無縁だものね」


閉じた扉に囁くように、カテジナはそっと呟いた。

寝る、感想ありがとう

>>106からちょっとだけ書き足し


可愛らしく庇護欲をそそる顔はなりを潜め、肉食の獣のような、カテジナらしい笑顔だった。

ミスカは本来の彼女を知らないが、そのほうが『らしい』と思えた。


「もしかして口説いてるのかしら。まだ子供のくせに」

「あまり子供をからかうな。俺はもう行くぞ、時間が勿体無い」


犬歯をちらりとと見せながら近付き、わしわしと頭を撫でるカテジナの手を払い、ミスカはうざったそうに言った。

子供扱いを気にしないミスカを、カテジナは少々気に入らないようだった。

ミスカのように気位の高いタイプなら、子供扱いすれば反発すると思っていたからだ。


「可愛くないわね。まあ、あたしはあなたのそういうところが好きなんだけど」


背を向けて扉に向かうミスカに告げた言葉は、異性に対するものではなく、己と同じ者に対するそれだ。


ミスカもそのようで、
「俺も、今のあんたの方がずっといい」と、素っ気なく返し扉を開けた。


「あたしは結構本気だったんだけど、お互い幸せとは無縁だものね」


閉じた扉に囁くように、カテジナはそっと呟いた。


扉を閉じ、朝靄の中で、ミスカはカテジナの呟きを聞いていた。

そう、幸せなど望んでいないし、今更手に入れようとも思わない。


(ああそうだ。幸せなんてものは、とうの昔に捨てた。)


背後の扉を隔てたカテジナに、心内でミスカは答える。

両親を亡くした時からずっと、復讐と生き残る為に戦い続けてきた。

何名もの命を終わらせ、懸命に生き延びてきたのだ。


闘士という生き方も、生き延びる為に必要だったからに過ぎない。

だが、たった一人、その生き方に本当の誇りを持つ男がいた。

自分が終わらせた命の中で最も記憶に残る男を思い出し、ミスカは苦笑した。


「グラート、出来ればあんたと共に戦いたかった」


朝靄の中に浮かぶ自身と同じ黒いローブを身にまとう男の背中を見て、ミスカは悲しげに呟いた。

本当に寝る。読み辛い?分かってます

もう少しタイトル考えれば良かった、今更だけどもね

>>112
連載形式だと最初にタイトル決めちゃうからそういう事あるよね
続き待ってます

しかばねの王様とオニのお姫様
しかばねの王様とオニのお姫様 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1417093535/)
良ければこんな感じのもどうぞ。

こっちはもう少しまとまってから更新します

>>1から酉が付いてれば検索でヒットするっぽいから紹介されなくてもググって読むんだけどなぁ
と言うのは時すでに遅しか

作者の書き込みは二カ月だけど、
一カ月何の書き込みも無い場合でも落とされるんだっけ?

何となく保守。続き楽しみにしてます


ミスカはゆっくりと近付いていく、呼吸も歩みも普段通りに距離を縮める。

隠せば隠すほど気配が表れてしまうということを、この2ヶ月でミスカは理解していた。

何度も試したが、テオドルに隠れて近付くことは遂に出来なかった。


見付かってしまうのではないかという心の内、その焦りが、テオドルには見えているかのようだった。

そこでミスカは隠れず隠さず、普通に近づき普通に武器を手にすることにした。

顔に焦りはなく武器を持つ手に震えもない。


気の昂ぶりや緊張もなく人を殺すことが、これから必要になってくる。

教えられたわけではないが、テオドルを見ていたミスカはそう結論付けた。

あの夜、六人の男を一呼吸に殺害したテオドルが正にそうであった。


(いつでも人を殺せる人間、殺人をいつでも実行出来る人間。
 日常に殺しがあるということ。俺がこれから身を投じるのはそういう世界。)


武器の射程内に入りミスカは手元で鎖を回し、十分に威力を発揮出来る回転に達した瞬間放った。

手の輪からするすると抜けた鎖は真っ直ぐに伸びて、分銅が標的に迫る。

音もなく完璧なタイミングで放ったのだが、ミスカの顔色は苦かった。


分銅の根に近い鎖が剣に当てられ、分銅は剣を中心に小さな円を描きながら地に落ちた。

半歩動いたかどうかという僅かな移動で、テオドルは分銅の勢いを完全に殺した。

ミスカはこの2ヶ月でテオドルという別種の存在を随分と突き付けられた。


明らかな実力差は勿論、人間離れした気配への嗅覚と技術。

技術と一口に言ってもその一つ一つ、どれを取っても人間とは思えぬものばかりだ。


本当に人間なのか訊ねたくなるほどに、テオドルは違った。

闘士になるにあたり学んだ技術が無駄だとは言わないが、まるで通用しない。

魅せる必要など一切なく最低限の動作で人を殺すのが、テオドルの技術。

武器の扱いは役に立ったが、悟られずに近付くという闘士の足運びは通用しなかった。

ミスカが学んだものとは別の技術。


「テオドル、あんたが英雄になった方がいいんじゃないか。」

相変わらず背を向けたままのテオドルに、溜め息混じりに声を掛ける。

奇襲のつもりで攻撃したのだが、あらかじめ想定していたかのように対処されたのがショックだったのかもしれない。


「弟子に2ヶ月で追い付かれては師として失格だろう。違うか、ミスカ」


弟子に落胆させたくないと思い魅せた技術だとしても、行き過ぎだとミスカは思う。

あれほどの技術を身に付けなければならないのなら、この先戦う相手はどんな化け物なのだろうか。

世界を変えるということ、それがどんなに遠いのか、ミスカはテオドルを通じて理解しつつあった。


無言のミスカに、テオドルは振り向くことなく地面に落ちた分銅鎖を剣に絡めて投げ返した。

短いけどここまで

(´Д`) ええー、更新するならまとまってからじゃなかったのでも帰ってきたから乙


剣を腰に差すと振り返り、ふっと白い息を吐き出すと

「ここの暮らしには慣れたか。カテジナとはあまり上手く行っていないようだが。」とテオドルが問う。


慣れるも何もこの場所、この環境は特殊なものだ。

そもそも暮らしと言えるかどうか判断し辛い。

ただ生活という意味では奴隷時より遥かに良いと断言出来る。

が、人として暮らすことから数年の間遠退いていたミスカにとって戸惑う部分は数多くある。


まず武器を装備することが有り得ない、手枷足枷もなく共に食事することも有り得ない。

悪くも慣れ親しんだ冷たい金属の輪が今では存在しないのだ。

ただそれだけでも、ミスカの生活はがらりと変わったと言えるだろう。


「彼女とはそれほど話していない。話す必要もあまりないと感じている。それに」

足下に落ちた分銅鎖を拾い上げローブの内側にしまい、ミスカは言葉を区切った。

言葉を切ったミスカに「なんだ。カテジナに不満でもあるのか」とテオドルが訊ねる。

思考の中からミスカが帰って来るのを待ってからの発言だった。


ミスカはそれに気が付いてはいるが、嫌な気はしなかった。

それはきっと、気遣うわけでもなく発せられた含みのない声だったからだろう。

気に入らない部分があるとすれば、自分の性格を理解、把握されているということだ。


心の内までテオドルの手中にあるのではないか、そんな歪んだ発想に至ってしまう。

勝手に描いた想像妄想で研いだ牙で噛み付きたくなる。

その妙な衝動は、やはり幼いからであろう。


思考、言動は大人びているが経験が足りない。


生き延びるという部分で言えばかなりの経験はあるが、それとは別の部分。

十代半ば、誰もが迎える時期。抑えられない怒りや破壊衝動。

それを自覚しているが為に余計に苛立つだったが、ミスカは平静を保ち答えた。


「不満などない。話す必要がないというのは、互いにある程度理解しているからだ。」



「境遇を通して、か。」

「ああ、彼女を見れば分かる。
 彼女も以前飼われていたんだろう。
 なら話すことはない。少なくとも、今はない。」

「ミスカ、過去ではなく今を考え話したらどうだ。
 簡単に拭い去れるものではないが、それも必要なことだ。
 お前はもう囚われてはいないのだからな。」


「過去を忘れろと。」


「違う。目を向ける場所の話しだ。己が立っている場所を見るのだ。
 食卓にいれば食卓に、戦場に立てば戦場を見る。存在しない場所に立つな。」


存在しないが忘れられない場所、つまりは過去。

奪われ飼われ、人ではなくなった。

生きる為に戦った。


勝てば生き、負ければ死ぬ世界に自ら踏み出した。

他に道はなかった。

男娼になど、なりたくなかった。


自分が自分である為の最低限の何か、それさえ消えてしまう気がしたからだ。

それは、失えば最後、決して取り戻せないもの。

尊厳と言えば一言で済むのだが、それだけではない何かだ。

それを失うくらいなら、身を捧げ穢れるくらいなら、命を奪ってでも生き延びる。


それが闘士という生き方だった。


奴隷には違いない、飼われていることにも違いない。

ただ、ミスカとして生きたかった。それだけは、絶対に捨てたくなかった。

奴隷となった当時はそれだけに必死だった。


父と母を想う度、途轍もない喪失感に襲われたことは数え切れない。


その想いは今でもあるし、想わない日はない。

しかし奴隷生活の中でその想いは徐々に変わっていった。

失った悲しみ、与えられ屈辱、肉体的、あるいは精神的な苦痛。

それら全てが怒りと憎しみに直結し、様々なものに向けられている。


父と母を奪った者に、己を物として扱った男に、そして本来なら見ることのなかったであろう人間の醜悪さに。


今の自分は過去がなければ存在しない。

耐え難く辛い過去であっても、それだけは変わらない。

だが今は違う、全てが変わった。

目の前に立つ一人の老人によって鎖から解き放たれ、自由を得た。


再び人間として生きることが出来る。

かと言って、そう簡単に割り切り、切り替えられるわけもない。

掲げる目的も、常人なら発想に至らぬ程に大きなものだ。

だからだろうか、ミスカは未だテオドルに対し感謝の言葉を口にしたことはない。


テオドルの目的を達成するには流血は避けられないのだ。


決して少なくない血が流れ、己の血をも流すだろう。

それがミスカの『これから先』だ。

そんな未来の何を語れというのだと、ミスカは思う。


「これから先を話して何になる。一体何を話せというんだ。」


決まっている未来を語る必要がどこにある。

目的について談義でもしろと言うのか、それこそ無駄だ。

やるべきことは決まっているのだ。


苛立つミスカに、テオドルは語り掛ける。


「私が言っているのは目的を達成した後、民が目覚め自由を得た後だ。
 その時、お前はどうする。どう生きているのかが見えるか。」


「まるで目的が達成されることが確定しているような口振りだな。
 そう簡単に行くか、国を変える前に俺が死ぬ可能性の方が遥かに高いんだ。」


「だからこその訓練だ。死なない為、勝利する為のな。だが今は関係ない。
 新たな時代を切り開き、その先をお前はどう生きるか。私が言っているのはそこだ。」


ミスカは言葉を失い、その問いに答えられなかった。

テオドルの言うように目的を終え、復讐を終え、新たな時代になった時、自分はどうあるのか。

それは、考えもしなかった『未来』だった。


その問いを受け微動だにせず地面を見つめるミスカに、テオドルが言う。


「戦いで命を落とすな。どんなに困難でも生き延びるのだ。
 そしていつの日か、お前が望む日常を生きろ。」

「両親を奪われ、奴隷となり、命を奪い生き延びた。
 目的の為に多くの血が流れ、多くの人々が命を落とすだろう。
 だがお前には」

テオドルはそこで言葉を詰まらせた。


敵や危険、そのいずれかを察知したわけではないようだ。

ミスカは不審に思い見上げると、テオドルは何かを躊躇っているようだった。


(テオドルが、躊躇う。一体何を?)

六人の追っ手を躊躇なく殺した男が、躊躇っている。

ミスカにはそれが衝撃的だった。


心のどこかで人間離れしているテオドルを超人、別種の者だと思っていたからだろう。

だが何を想い言葉を詰まらせたのか、ミスカに分かるはずもない。

が、ミスカは次の瞬間更に驚愕することとなる。


「ミスカ、私はお前に生きて幸せになって欲しい。
 その手が血に染まり幾多の命を犠牲にしても、それを掴み取って欲しいのだ。」


その顔は穏やかで、ほんの僅かだが微笑んだように見えた。

ミスカは何も言えぬままテオドルを見つめ、何かを感じ取った。

それが何かは分からなかったが、不思議な心地良さがそこにあった。

遅くてごめん。今日はここまでです。

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