杏「おっす、プロデュー…………死んでる」 (78)
人が死ぬ話だよー
陰鬱だよー
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暗室で唯一発光しているテレビが、煌びやかな世界で踊る少女を映していた。
対面のソファーで寝ている私は、ただ胡乱にそれを見ていた。
どこかぎこちない、だけど、溌剌とした動きでステージを駆ける少女は、弾ける笑顔でこちらに手を振っている。
私は――――
00:暗闇に一人
働くのも。動くのも。もしかしたら、生きることさえも。
何もかもが億劫で、面倒くさくて、怠くて。
ただ寝て起きて寝るだけの毎日が送ることが出来れば、ああ、どれだけ楽な人生なのだろうか。
もっと楽に生きたい。
かったるいことはなしで、もっともっと、気楽な人生を送りたい。
死ぬまで死んだように生きていたい。
今私の口にある飴の様に、それは甘い考えなのだろう。
それこそ、飴を舐めるごとく、人生を嘗めている。
『アイドルになれば、印税で一生楽に生きていけるぞ』
ふと思い出す、かつての言葉。
昔の私はとてつもなくアホだった。
こんな甘言にホイホイ騙されて、だらだらとした人生とは真逆の生活を歩んでしまったのだから。
思い出す。思い出す。
思い出し、苛つく。
ひょろりとした体型。ムカつくぐらい、柔和な笑み。包むような低い声。
脳裏にチラつく度に、心が掻き毟られる気がした。
ぐちゃぐちゃした何かが、私の胸でぐるぐる回り、浮かぶのは、イラつき。
それをかき消す様に、かき消したくて。
私は強く奥歯に力を込める。
ガリ、と口の中の飴が、音を立てて崩れていく。
そのまま乱雑に噛み砕き、私はすぐ手元に置いた袋を引き寄せ、無造作に手を入れた。
中身を見ず、抜く。
手には白い飴。薄荷味。私の嫌いな飴で、アイツが好きな飴だった。
くるりと紙の袋を剥いて、そのまま口に放り投げる。
辛味の様な清涼感。独特の味。私が苦手な味。
「マズ……」
一つ悪態をついて、しばし口の中で白いそれを転がす。
思い出す。
思い出す。
思い出す。
思えば、あの男と私は、何もかも違かった。
味覚の好みも。人生への考え方も。存在そのものが違う人間だった。
薄荷味が好きで、情熱に溢れてて、ただがむしゃらに生きていた。
思い出す。
思い出す。
「順番が……」
口の中で、飴が豪快な音ともに砕け散り。
口内を噛んでしまったのだろう、途端舌に刺す鉄の味。
ついで、と言わんばかりに頬に伝る冷たい水。
「順番が、違うだろうが……」
止めに私の口から出た弱さ。
一つ、分かった。
薄荷の味は、血にくらべれば幾らかマシらしい。
口内を漂う生暖かい苦味は、最早悲しみを打ち消すかの如く、猛烈に不快だった。
なんでやる気溢れ、輝く人が先に逝き、ダラダラと生きる私が残るのか。
私には分からなかったし、考えるのも怠くて、でも、思考は止まらなかった。
飴はやがて溶けてなくなる。
内部の鈍い痛みも、マズイ鉄の味も、何れはなくなる。
ただ心中にあるムカつきは、今でも噛み砕くことが出来なかった。
歌い。踊り。笑顔を振る。
アイドル。
どんな冗談か私はそう言う存在で。
私をその道に引き入れた男が死んで、二ヶ月が経っていた。
リノリウムに血溜まり。土色の顔。冷たい体。倒れた椅子。割れた蛍光灯。
蛍光灯を換えようとしたところ、椅子から転び、頭部を強打。当たり所が悪く、そのままポックリ。
笑ってしまう。
最初に見つけたのが私、と言うのも含めて。
暗闇に一人。ソファーの上で私は涙を流した、
モニターの向こうでは、ツインテールの少女がはにかむ笑顔を見せている。
画面越しの少女に、私は笑いかけようとして、だけど頬の筋肉が歪に曲がっただけだった。
01:手首を切りました
「……なにこれ」
古ぼけたビルの、古ぼけたテナント。
その中にあって、多少マシに小奇麗な応接室。
窓際に、椅子に座りながら両手を組んで机に置いた初老の男性が居る。
そして、部屋の中央に座り心地が微妙なソファーに鎮座する――――私。
革張りのソファーに深く体を沈ませて、私はテーブルの前に置かれた書類を手に取った。
私の名前に、私のプロフィールに、私の顔写真。加え、どこかの芸能事務所の情報がちらほら。
疑問符が突発的に口から出たものの、大凡、この書類の意味を、私は分かっていた。
「……引き抜きの話が来ている。是非、双葉君に来て欲しいと言う事務所が、いくつか」
初老の男性――この事務所の社長は、草臥れて、それでいて優しくゆったりとした口調でそう言った。
そして、ため息を一つ。重く、硬く、疲れきったその吐息は、全ての負債を身に積めようとする苦悩がありありと出ていた。
「色々な事が……あった」
私は黙って聞いていた。
「……今、君がこの事務所にいるメリットは……双葉君が望むなら、すぐにでも――――君なら、どんなところでも――――」
「私は行かないよ」
社長のゆっくりとした、幼児に言い聞かせるような、底抜けに優しい言葉を、私は遮った。
聞きたくない。
そんな話は、聞きたくない。
「私は、どこにも行かない」
手に持った書類を乱雑に放し、私は社長に向かい合った。
白髪に皺の目立つ顔はただ無表情で、だけど瞳は優しいままだった。
「……理由を、聞いても?」
しわがれた暖かい声。
それを聞いて、私は目を瞑った。
社長は、底抜けにお人よしで、薄暗いものが渦巻く芸能の世界にあっても、どこまでも『良い人』だ。
今のこの事務所の現状を鑑みて、そしてそれが、所属するアイドルに相応しくない、そう考えているのだろう。
だから、移籍を促していた。君の為、彼女の為、アイドルの為……この人は、そう言う人だ。
だけど、だけどだ。
私がいなくなったら、この事務所はどうなる?
自惚れかもしれない。傲慢かもしれない。
しかし、事実として、分かる。
私がいなくなったら、この事務所は――終わる。物理的に、と言うか、経済的に、だ。
元々が少人数の、弱小事務所だ。
そして今や、アイドルを売り出すプロデューサーさえも、いない。
そんな中、紛いなりにも一番露出が多い私がいなくなれば――――考える迄もない。
笑える。もしくは、笑えない。
だらけ切って、面倒くさがりで、やる気が皆無の私が、こんな、こんなことを考えるなんて。
面倒は嫌いだ。働きたくはないし、あるいは動くのだって、最低限でいたい。
だけど、それでも、身体を動かさなくても、頭は動く。
なくなるのか、ここが。この事務所が。
こんなカタチで、終わるのか。
あの子が、社長が、皆が、あいつが……私が愛したこの事務所が、終わってしまうのか。
そんなのは、真っ平だ。
ああ、らしくない。この私が、私が……
瞑っていた目を開け、私は適当に髪を掻いた。
「まぁ……社長にタメ口を聞ける事務所なんて、ここぐらいだから。居心地の良いところからは、動きたくないよ」
照れ隠しと、真実と、嘘が混じった言葉。
はっきり言って、今、ここは居心地の感で言えば、最低に近いものがある。
泥沼。その言葉がしっくり来る。
しかし、いや、だからこそ、
このままでは、駄目だ、駄目なのだ。
人は欠け、暗闇が溢れていても尚、私は、あの時の輝いた日常を、もう一度、また。
「……そうか」
社長は顔を笑みの形にした。
「前川君も、輿水君も……島村君も……佐久間君も。みんな、残ると言ってくれたよ……」
「そっ……」
私は素っ気無い言葉で返事をしたが、心中で安堵した。
他の皆の胸中迄は分からないけれど、それでも、まだここに残りたいと、皆がそう願っている。
それで十分だ。
今は、その思いさえあれば、いつか。
私の中にある小さな希望。
私が、らしくなく、とても、らしくなく、だけど、私が『頑張る』ことで。
事務所も盛り上がって、もう一度、あの時の様に。
そう、なれば。
しかし、その灯火はどうしようもなく矮小で。
容易く呑まれてしまう。大口を開けている絶望に。
扉を叩く音が、二回。
社長が扉に向かい、どうぞと言うと。
「失礼します」
そう言って、今居る最年少のアイドル、幸子が片手に紙を持って部屋に入って来た。
幸子はちらりと私の方を見て、ついで、社長を見た。
その様子を見て、社長は話はもう終わったよ、と穏やかに言った。
そうですか、とだけ幸子は言い、社長の机に持っていた紙を置いた。
「今から撮影の仕事に行って来ます。あと、電話がいくつか」
冷たく、揺るがず、未だ中学生とは思えない程平坦な声で、幸子は言う。
そして終わりに私に掛けた「電話番、お願いします」という言葉も、単なる事務仕事、事務処理。
私は、かつての輿水幸子を思い描こうとして、止めた。
無駄だ、無駄なのだ。希望を持つのはいい。らしくはないが、やる気、を出すのも、まぁいい。
だが、これは。これは、もう、私の手に負えるものでは。
「輿水君、どうかね……佐久間君の様子は……」
報告は以上と言わんばかりに、即座に踵を返す幸子の背中に社長は声を掛けた。
「一応、安定していますね」
幸子は振り向き、言って。
「ただ、昨日、手首を切りました」
やはり無表情のまま、そう締めた。
「ヘアピンで、ですが。大丈夫です。刃物の類は全部なくしていますから。まぁ衝動的なものでしょう」
絶句。
言葉が出ない。
部屋に漂うどうしようもない閉塞感に、息苦しささえ感じてしまう。
社長は無言で、私も、表向きには顔に色は出さなかった。
けれど、出来得るのなら私は即座に頭を抱えたかった。
場合によっては溢れる絶望感に何か喚いていたかもしれない。
しかし、それは許されない。
最年少の幸子が、危ういところで踏み止まっているのだ。それを、どうして私が弱さを出せるのか。
今から出ます。
電話がいくつか。
留守番お願いします。
手首を切りました。
全く同じ口調で、幸子はそう語った。
彼女の顔を見る。
ぞっとするくらい、冷たい顔。
かつての自信に溢れて、その分一生懸命で、皆に弄ばれて、好かれて、笑いあっていた彼女は、もう、ここにはいない。
あまりにも――――あまりにも、幸子は重荷を背負いすぎている。そしてそれは、やはり彼女しか背負えなくて。
私には、何も出来ない。
どうしようもないくらい、無力だ。
やらない、ではなく、出来ない。出来ない。
「……引き続き、よろしく、頼む」
「はい」
社長は、これまた事務処理をこなすかの如く、冷たい口調で幸子に告げる。
しかしそれは、明らかに無理をしているのが見え見えで。
幸子はここで笑った。
「ボクに任せて下さい」
それは儚く、悲しく、弱弱しい笑みだった。
扉が開き、幸子が出て行って、また閉まる。
その閉開音もまた、あまりにも脆弱で、私は何かに祈るように、天を見上げた。
けれど天井に神様はいない。ただ無機質に光る蛍光灯だけが、嘲笑うようにちらついていた。
続く。
このSSまとめへのコメント
あー、そうだったいい所で終わってたんだった
この人SSまだ書いてんのかね
アニメ後はだいぶ雰囲気変わったから気になる