優雅に歩く一匹の猫。
まんまるの瞳には確固たる意思があった。
目的の空き地に着くと猫は土管に飛び乗る。
そして――にゃおおおおおおおおん。
犬ならぬ猫の遠吠えが住宅街に響いた。
塀の隙間や電柱の影から次々に猫が集まってくる。
僅か一分足らずのことだ。
招集をかけた猫の背後に数十匹の猫がいた。
一匹残らず背筋を伸ばし、
土管を前に整列する猫の軍団。
くるりと振り返った白猫は、
シニカルな笑みをふと浮かべる。
白猫「ついにこの日がやってきたにゃん」
白猫「ついに、この日が、やってきたにゃん!」
にゃー! にゃー!
白猫「散るにゃん! 散って散って――チョコを奪い尽くすにゃん!」
にゃー! にゃー!
これは人間の知らないバレンタインの、闇の記録である。
黒犬「待つわん!」
白猫「……駄犬風情がなにしにきたにゃ?」
黒犬「決まってるわん! ご主人達の幸福な日を邪魔するお前たちを、見過ごすわけには行かわんわん!」
白猫「お前の口癖は無理があるにゃあ」
黒犬「ほっとけわん! ともかく、ここから先は一猫足りとも通さないわん!」
白猫「貴犬一匹に……にゃにができる?」ニャッニャッニャッ
黒犬「犬がわん匹で動くとでも? わん?」
白猫「にゃにぃ!?」
ザザザザザザザ
わおーん、わんわん、きゃんきゃん!
黒犬「犬はご主人への愛で溢れてるわん! ちょっと呼びかければこんなもんわん!」
白猫「……それが、どうしたにゃああああああ!」
白猫「みんにゃ! ここは私に任せて先に行くにゃん! 奪って奪って、奪い尽くすにゃん!」
にゃあにゃあ! にゃああん!
黒犬「逃すな! 追うわん!」
わおおん! わんわん!
白猫「行かせにゃい!」シュッ
黒犬「お前の相手は俺だわん!」ギャリィィンッ
白猫「ちぃっ! 邪魔くさいにゃあ! 貴犬からぶち殺してやるにゃ!」
黒犬「やれるものなら!」
猫は器用なバックステップで下がっていき、
木に駆け登ると高く跳躍した。
白猫「喰らえ! 空中殺法ブリュンヒルデ! にゃ!」グルグルグル
高速回転の勢いを乗せて放たれた猫の爪が犬を襲う。
黒犬「その手は、読めていたぜえ? "わおおおおおんっ"!!」
犬の雄叫びが空気砲となって猫の爪を弾き返す。
白猫「にゃああ! うざいにゃああ!」シュンシュンシュン
地に降り立った途端にサイドステップ。
その連続に猫の姿は残像を残した。
黒犬「犬の嗅覚を舐めるなわああああん!」クンクン「そこ!」
前のめりの体当たりは白猫の胴体を見事に打った。
白猫「ぐっ……はぁっ」
黒犬「考えてもみるわん。狩猟犬として、人間と一緒に戦ってきた俺達が、自由奔放に愛された猫に負けるわけがない!」
白猫「そ……それが、どうしたにゃ?」ニヤッ
白猫「だからって……負けて、いいのかって、それは、違うにゃ」ググググググ
黒犬「ど、どうして……たかが猫がこんな根性を……?」
白猫「猫は自由奔放にゃ……身勝手で我侭で、いつだって自分の幸せを願ってるにゃ……だから、だから……」
白猫「アイツのあんな顔、いつまでも見ていたくにゃいにゃあ!」ググッ
黒犬「……立たない方が良かっただろうに、わん」
白猫「貴犬の口癖と同じで諦めが悪いんだにゃ」ペッ
黒犬「お前は俺に勝てないわん。そんな独りよがりの力じゃ、とてもじゃないけど」
白猫「だったら貴犬達はひとりよがりじゃにゃいって?」
黒犬「当たり前だ! 俺達はご主人のため。そのためにどれだけでも頑張れる!」
白猫「にゃっにゃっにゃっ……それなら――負ける気しにゃいにゃあ」
黒犬「!? ……まさか……お前……」
白猫「余計な詮索は身を堅くするにゃ? その身を刻んで刻んで、肉の塊にしてやるにゃあ!」
白猫「にゃああああああああああああああ!」
黒犬「この気迫……まさかこれが伝説の……ッ」
白猫「にゃああああ!」ボフゥゥン
紫煙が靄となって白猫を包む。
その霧の中で弾ける雷の数々。
白猫「……ふう」
黒犬「……使えたのか、擬人化を」
白猫「猫をにゃめちゃあ――いけにゃいぜ?」シュンッ
黒犬「消え――ぐあっ!?」ガリガリッ
白猫「気をつけるにゃ……この姿の私は、手加減ってもんを忘れてる」
黒犬「ふ……はっはっは!」
白猫「気でも狂ったかにゃ?」
黒犬「いいや、違う。ただ、楽しくって楽しくって、笑いが止まらないんだわん!」
黒犬「まさか擬人化を使える奴が――俺以外にいたなんてわん!」
白猫「にゃあ!?」
黒犬「わおおおおおおおおおおおおおんっ」ボフゥゥン
バチバチ バチバチ
黒犬「っく……はあ。久しぶりだなあ、この姿ァ」コキコキ
白猫「にゃんて……犬にゃ……」ガチガチ
黒犬「お前も気をつけろ? この姿の俺は、ちょっとばかし凶暴だァ!」ドンッ
白猫「速っぐにゃあああああ!」ドゴォォォォォン
黒犬「まだまだァ! はっはー!」ガシィ ブオンッ
白猫「にゃああ!」クルクルクル パッ
黒犬「流石猫だわん。空中はお手の物か?」シュン
白猫「ひっ」
黒犬「うおらァ!」バキィ
ドォォォォン
黒犬「もうちょい楽しませてくれよ、可愛い子ちゃん」スタスタ
白猫「ガ……ああ……」ググッ
黒犬「もう終わりか? ったく、つまんねェなあ。その程度の力でいきがってたのかよ」スタスタ
黒犬「殺してやるぜ」
黒犬が手の先端を尖らせて、
振り上げた力に殺傷を込める。
猫は思う。
にゃにしてんだ、私。
猫は思う。
猫のくせに、と。
アイツは私がいなくても元気してるかにゃ?
なにせ、友達なんて一人もいにゃい奴だからにゃあ。
ただいま、って言うのも私に対してで。
毎日毎日決まった時間にただいま、って。
どんだけ暇人にゃ。
きっとああいう奴のことを人間は堕落者とでも言うにゃん。
友達もおらず、恋人もおらず、一人でいる阿呆。
バレンタインの時なんて、いっつも寂しそうだにゃ。
チョコなんて母親から貰えばいい方で。
『俺にはお前がいるからいいんだよ』
なんて、根っからの阿呆にゃ。
……でも、ほんとの阿呆は私にゃ。
猫のくせに。
人間に恋するなんてにゃあ。
白猫「だから」
白猫「だから!」
白猫「こんにゃとこで死んでられないんにゃ」ガシィッ
黒犬「まだ止める力はあったかよ」グググッ
白猫「アイツのために、この日を失くすにゃ!」グググッ
白猫「アイツのために、チョコを失くすにゃ!」グググッ
白猫「そしたらアイツはもう、悲しまなくて済むから!」グググッ
黒犬「猫のっ……くせにっ」グググッ
白猫「猫を、にゃめちゃあ――いけにゃいにゃあ」
白猫「"最終奥義"」
黒犬「やる気か? それをやっちまえばお前はもう、生きてられねえんじゃねえのか? わん?」
白猫「猫が自分のために死ねるにゃら本望にゃ。ましてや――アイツのために死ねるにゃら、私は何度だって死んでやるにゃあ!」
黒犬「上等だァ! 来い!」バチィ
白猫「"猫殺"! にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃあああああ!」ズドドドドドドドドドドド
黒犬「この程度ォ!」ガガガガガガガガガガガガガガガガ
白猫「にゃああああああああああああ!」ズドドドドドドドドドド
黒犬「わああああああああああああん!」ガガガガガガガガガガガ
白猫「にゃあ!」ズダンッ
黒犬「わん!」ガシィッ
黒犬「はあ……はあ……最終奥義ってだけあるぜ。だが、受けきっ――!?」
白猫「犬も歩けば、棒に当たる、ってにゃ」クルッ
黒犬「ばかな……受けきったはず……ッ」ガクガクガクガク
白猫「最終奥義、にゃめてもらっちゃあ――困るにゃあ」キリッ
黒犬「ぶっ」バタンッ
白猫「……にゃっ」ガハッ
白猫「この技はやっぱ……ちょっと、疲れるにゃあ」
白猫「でも、こいつがいなけりゃきっと成功するにゃ」
白猫「みんにゃ……頑張ってにゃあ」バタン
小さな空き地に猫と犬が横たわる。
風が吹けど動かず、雨が降れど動かず。
陽に照らされた猫と犬。
その猫は、白く、美しい毛並みをしていた。
その犬は、黒く、美しい毛並みをしていた。
血に染まることなく。
主人が褒めてくれた誇りを汚すことなく。
ただただ、安らかに。
眠る――少しだけ。
白猫「にゃー。腹が減ったし帰るにゃ」
黒犬「今日のところは俺の負けでいいわん」
白猫「はいはい。いつでもかかってくるにゃ」
黒犬「次は勝つわん! 絶対に止めてみせるわん!」
白猫「その前にその口癖なんとかするにゃあ。気ににゃって仕方にゃい」
黒犬「ほ、ほっとけわん!」
「ただいまー」
にゃおん。
「遅くなってごめんなー。でも聞いてくれよ」
にゃおん?
「今日チョコ貰ったんだぞ、俺」
……にゃん。
「義理だって言ってたけどなあ」
にゃおん。
「でも、嬉しかった。こういう日も悪くないな」
にゃおん。
「で、俺はお前にこれ」
にゃんっ。
「チョコ……は無理だから、またたび買ってきたぞ」
にゃおん。
「とりあえず、今はお前がいるからいいや」
……にゃん。
白猫(来年のバレンタインこそはぎったぎたにしてやるにゃあ!)
おわり。
みすった。
鳥は忘れてください。
非リア充より猫愛を込めて。
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