韓国人「日本の武士の鎧の起源は後百済?」 (5)

スレ主韓国人

いや、これはまた無条件愛国麻薬を打ったのかと主張される方がいらっしゃるか分からないが、今回の文章は確定するのではなく、皆さんの考えを聞きたいので最後まで読んでみてください
今日のテーマは、「後百済の鎧が侍の鎧の起源か?」これです。
はい。百済ではなく、後百済です。

一旦数百年前に時間を戻して、百済がこのような鎧を作ったのは分かることでしょう(全羅南道で発掘した物を復元)

当然これを着た百済軍が日本に進出したので、日本も百済鎧を着てました。なので、当時の百済の鎧と日本の鎧を見ると、100%同じように出来ています。

百済/伽??の鎧が徐々に進化していってるでしょ?

日本は古代日本の鎧が百済の物だと言う事は認定してます。
しかし、それでもその後の有名な侍の鎧は、百済の影響が強く残ってあっても、自分たちだけの独創的なのだと考えてきました。

でも面白い資料があります。後百済の将軍金摠(キム・チョン)の肖像です。現在文化財でもあります。

まだ侍の鎧は初期の頃は華やかな頭の飾りもなく、後百済の将軍キムチョンの鎧と100%同じです。
問題は現在日本で発掘された侍の鎧のうち最初のものは10世紀、つまり900年代のものだということです。侍というのも10世紀になって現れます
しかし後百済の将軍キムチョンは9世紀、つまり800年代の人ということです。つまり、あの将軍は、日本の最初の侍の鎧よりおよそ100年は先に存在したと言う事なのです。


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