少女「嗤うは骸か人類か」(199)

これは夢だ。幻だ。

「ケタケタケタケタ」

目の前のそれは、首を傾げながら私に近づいてくる。

「ケタケタケタケタ」

夢だ。悪い夢に決まっている。
歯を剥き出しにして。
歯どころか骨を剥き出しにして嗤うそれは、どう見ても人間ではなかった。

「ケタケタケタケタ」

そう、そういえば理科室で見たことがある。
肉のない、骨だけの、それ。
それが今、動いている。

私はなぜこんなところにいるのだろう。
目の前にいるこれは、一体何なのだろう。
頭がゆっくりと状況を整理しようとし始めた。

夏。
私の両親が死んだ。
事故死だった。

その日、私は両親に連れられて、親戚の家を訪れていた。
行きたくなかったけれど、仕方ない。

「やあ、久しぶり、学校はどうだい」

「ええ、楽しく過ごしていますわ、伯父さま」

「勉強の方は、頑張っているかな」

「ええ、なんとか」

「嘘おっしゃい、前よりも順位を二つ下げてしまったじゃないの、頑張りが足りないわ」

私と伯父の会話に口を挟んできたのは母だった。
母は学力至上主義の人で、私に勉学に励むよう常に言い聞かせてきた。

中学生になっても門限は5時だった。
中学生になっても携帯電話は与えてもらえなかった。
中学生になっても月のお小遣いはなかった。

そのかわり、毎日家庭教師がついた。
外出の際は母が送り迎えをしてくれた。
必要なものは、すべて母の財布が買ってくれた。

「勉学の妨げになる物は、あなたは持つ必要はありません」

そう、毎日のように言われた。
ペットを飼いたい、と願ったときも。
キャラクターものの筆箱がほしい、とねだったときも。
運動会の実行委員に立候補したい、と言ったときも。
友だちと遊びたい、と言ったときも。
部活動を始めたい、と言ったときも。

「この子はよく頑張っているじゃないか、悪いのはあの家庭教師だ」

隣で父が私を庇う。

「結果が伴っていない、そろそろ代えどきかもしれんな」

父も、母と同じく学力至上主義の人だ。
ただし、私が社会に出たときのためにと、最低限の経験は積ませてくれる。
受験に有利だからと、部活動や委員会活動にも参加すべきだと父は言った。
ただ、私は友だちのいる陸上部に入りたかったが、それは叶わなかった。

「陸上部などに入ってどうなる」

「そんなものが将来役に立つのは、ごく一部の恵まれた才能の持ち主だけだ」

「茶道部か華道部にしなさい、日本文化を身につけておくことは必要だ」

「生徒会に入りなさい、社会の縮図だから、人間関係もそこで学べばいい」

私は、両親が引くレールをただのろのろと走るトロッコのようなものだ。
あるいは、マリオネット、操り人形だ。

「ごめんなさい、今日は家庭教師が来る日なの」

「ごめんなさい、早く帰らないと母がうるさくて」

そう言って、友だちの誘いを断ったことが何度あっただろうか。
最初のうちは残念がっていた子たちも、すぐに私を誘わなくなった。
両親にとって、友だちなんていうものは「勉学の妨げになる物」の一つでしかないのだ。

私は楽しそうに放課後遊ぶ彼女たちが羨ましくて、そして憎かった。
あの輪に入れない自分は、本当に将来のために今を生きているのか。
今、楽しくなくとも、本当に将来この我慢が役に立つというのか。
私にそうさせた両親のことも、憎くて仕方がなかった。

親戚の家での会食は、私にとって苦痛でしかなかった。
多くの親戚が集まっていたが、その関係性はまだよく覚えられていない。
記憶系の勉強は苦手だった。

誰誰の息子が今度どこどこの大学に推薦が決まっただとか。
ピアノコンクールで金賞を受賞しただとか。
学年トップの成績を修めただとか。

結局はみな、自慢したいのだ。
自分の血を分けた子どもが、自分のできなかったことを達成することに喜びを感じているのだ。
父も母も勉学においてそれほど突出した才能があるわけではない。
ここにいる大人はみな、平凡な人間だ。
それなのに。
それなのに、自分たちの子どもには重荷を背負わせる。
当たり前のような顔をして。

見ろ、この場にいる子どもは、みな死んだような眼をしているじゃないか。
大人は誰一人気づかない。
あるいは気づいていても、目を逸らしているのか。

不快な会食の最中、突然誰かが言った。

「……揺れてる」

その言葉を頭が認識している間に、天井からほこりが落ちてくるのを目が捉えていた。

「きゃあっ」

突然の大きな揺れ。
横方向に引っ張られる。
地震が起こったときは机の下に避難する。
そう先生が言っていたのを思い出したが、頭でわかっていても身体は動いてくれなかった。

目の前のテーブルにしがみつき、揺れが収まるのをひたすら待った。

「……おさ……まった?」

恐る恐る目を開けると、ほこりが充満していたが、ぼんやりとみんなの顔が見えた。

「驚いた、いきなりだもんな」

「かなり大きかったよね」

「電気が消えてるな」

「みんな、無事か?」

私も、みんなの顔を見回す。
みな怯えたような顔で、私の方を見ている。
ふと横を見ると、さっきまで隣に座っていた父と母の顔が見えない。



私の横には、倒れてきた重そうな箪笥があるのみだった。

葬儀は滞りなく終了した。
というか、覚えていない。
ぼーっとしているうちに、すべてが終了していた。

同級生のすすり泣く声と、線香の匂いをかすかに記憶しているだけだ。

それよりも。

見たか。あの親戚の顔を。
一緒に死んでいてくれればよかったのに、と言いたそうな顔を。
誰があの子を引き取るの、と顔を見合わせる大人たちを。

私は勉学に励み、苦手な記憶系も一生懸命頑張ってきた。
しかし最も身に付いたのは、相手の顔色を窺って「よい子」であろうとする防衛反応だ。
今どうするのが得策か、冷静に考えて対応する能力だ。

父の兄夫婦に引き取られると決まったとき、私は真っ先に「よい子」であろうとした。

「ご迷惑をおかけします、中学を出たら働いてお金を入れます」

「それまで、申し訳ありませんが、お世話になります」

「いいのよ、そんな」

「両親が亡くなって辛いだろう、私たちを本当の家族と思って、楽にしてくれ」

「いえ、そんな」

「高校にも、ちゃんと行きなさい、それくらいのことはしてあげられるつもりだよ」

「では、その代わりに、家のこと、なんでもします」

伯父さんも伯母さんも、「いい人」であろうとした。
私たちは互いに仮面をかぶって生活をするのだろう、と思うと憂鬱になった。

父と母の遺骨がお墓に入ったとき、私は一人でお墓の前に立った。
周りには誰もいない。
線香をあげ、花を添えて、墓をじっと見つめた。
どんな感情が込み上げるか期待したけれど、悲しみは湧いてこなかった。

「……っふふ」

「……うふふふふうふ」

「……っはっははは」

「あははははははははははは」

湧いてきたのは、笑いだった。

「あっはっはっは!! なにこれ!! 娘より先に死んじゃうなんてさあ!!」

「あはは!! おかしい!! なにやってんの!!」

「私をがんじがらめに教育しといてさあ!! 途中ではい、さよなら!!」

「残った私は!? どうして生きていけばいいのよ!?」

「引かれたレールを走ることしか能のない私が!?」

「最低!! もう、最低!!」

「あっはっは、泣いてなんかあげない!!」

「私が一緒に死ねたら、もっとよかったのにね!!」

それから彼は、布を持ってきてくれて、私の棒に丁寧に巻いてくれた。

巻きながら彼は、「人間と話したのは久しぶりだ」と嬉しそうに語っていた。

彼は、それからもたくさんのことを話してくれた。
高校に通っていたけれどバイトばかりの毎日が退屈だったこと。
高校を出たらすぐに働くつもりだったのに、頼りの両親が事故で亡くなったこと。
それから自分一人で弟を養っていこうとしていたこと。
その矢先、弟もいじめに遭い、命を落としたこと。

弟さんの話になると、彼は凄く苦しそうで、つらそうで、見ていられなかった。
いじめはとても壮絶で、弟さんは苦しみながら亡くなったそうだ。

「いじめた人たちは……どうなったんですか?」

私は絞り出すように聞いた。
天罰が当たっていないと、弟さんが浮かばれない。
のうのうと生きていられたら、他人の私だって腹が立って許せなく思う。

「おれが、殺した」

「っ」

その答えを聞いたとき、私は奇妙な興奮と恐怖を感じた。

「殺したって言っても、間接的に、だろうけどな」

「間接的?」

彼は、いじめの主犯格とその取り巻きを徹底的に晒しあげたそうだ。
マスコミに、インターネットに、学校に、その名前と個人情報をばらまいた。
家にマスコミが集まり、誹謗中傷が殺到し、同姓同名の芸能人が迷惑し、そして……

「主犯格は、自殺した」

「……」

「おれが殺したようなもんだ」

「その事件……知ってる……」

私は、テレビで報道されていた内容を思い出していた。

「おれは何一つ後悔しちゃいない」

「……」

「遊び半分で弟を死なせたあいつらを、許すことなんてできなかった」

「……」

そういえば、最近もテレビでそのニュースの続報が流れていた。
そうだ、確か……

「お兄さんが……行方不明だと……」

「その兄ってのが、おれだ」

「行方不明になったあなたがここにいるってことは……」

「ここを抜ければ、きっと元に戻れる」

「そう、ですね」

「ただそうなると……」

「私も、今、行方不明になっているってことですよね……」

「ああ」

どうしようどうしよう。
死んだのでなければ戻れるかもしれないけれど。
今も伯父さんたちは私を探しているのだろうか。
それとも、遊び歩いて帰ってこないと思っているだけだろうか。

……どこかで死んでいればいいのに、と思っているだろうか。

「おれは正義感でやったわけじゃない」

「単なる復讐だ、私怨だ」

私怨……
普段の生活じゃあほとんど聞かない単語だ。
でも、このとき聞いた「私怨」は、この単語がこのときのためにあると感じさせてくれた。

「やりすぎだと言うやつもいたが、おれはまったく後悔しちゃいない」

「むしろ、死んだ加害者を笑いに行ったよ」

私の耳がぴくっと反応した。
笑いに行った。
私と似ている。

「弟の墓にお参りして、花を添えて、『あいつ死んだぞ』って報告してやった」

「それから、加害者の墓にも行って、『自業自得だ馬鹿』って笑ってやった」

「そしたら……」

同じだ。
私もお墓の前で笑ってた。

「足元がぐにゃあってなって、めまいがして、いつのまにかここにいた」

「一緒です、私と……」

「君も?」

私も、ここへ来る直前、両親の墓の前で笑ってたことを話した。
「ざまあみろ」とか「自業自得だ」なんて感情はなかったけれど。
それでも悲しんだり苦しんだりする感情ではなかった。

「似てますね、私たち」

そう言いながら、私はどこか妙な感覚を感じていた。
似ているからどうだと言うのだろう。
墓の前で死者を笑ったら、地獄に落ちるというルールでもあるのだろうか。

「……」

彼は難しい顔をしてなんだか考え込んでいる。
その姿は、私よりもずっと大人びていて、こんな状況だと言うのに少し素敵だと思ってしまった。

「それ、偶然かな」

彼は顔をあげて呟いた。

「それが、ここに来る条件なんだとしたら……」

「墓の前で死者を笑う、っていうことがですか?」

「そうだ。だとしたら……」

「……」

「どういうことなんだろう?」

「ですよね」

少し状況がわかった気がしたが、気のせいだった。
私たちの頭では、到底この状況は説明できない。

「でもさ、来る条件があるってことは、帰る条件もきっとある」

彼はそう言って笑った。
強い人だ。

「ここって、夜とか昼とかあるんですか?」

「……ないな」

そう言って、彼は腕時計を見せてくれた。

「今ほら、19時だけどさ、周りはずっと薄暗いし、月が出るわけでもないし」

「……ですね」

「朝になれば明るくなるわけでもないし」

「……健康に悪そう」

今更健康を気にしても仕方がないだろうけど、私はそう言わずにはおれなかった。
私、これからどうやって暮らしていくんだろう。

パカン

気持ちのいい音がして、缶詰が開けられる。

「はい」

中身は豆のスープみたいなものだった。
曲がって汚れたスプーンと一緒に渡される。

「……豆、嫌い?」

「いえ、好きです」

好き嫌いはほとんどない。
この状況でなら、嫌いなものでも食べなきゃいけないだろうし。

ていうか、たき火で温めた豆のスープは、驚くほど美味しかった。
小学校で食べた給食よりもずっと美味しい気がした。

「ごめんなさい、貴重な食料なのに」

「構わないよ、話す相手がいる方が、ずっと素敵だ」

でも彼は、私のことを聞かないでいてくれた。
墓の前でどのように死者を笑ったのかは話したけれど、両親への思いや愚痴は言わなかった。

その代わり、彼はたくさんのことを話してくれた。
どこに缶詰があって、どこに木の実があって、どの水道から水が出るのか。
意外とカエルは美味しいんだとか。
今までやっつけてきた骸骨は多分30匹を超すとか。
昔野球部だったから、スイングは得意だとか。

「たき火見てるから、そっちで寝てていいよ」

「でも……」

「大丈夫、寝ちゃうかもしれないけど、ここにはほとんど骸骨は来ないから」

「……」

私、甘えすぎてる気がするな。
こんな状況に放り出されたら、こんなにも無力だなんて。

毛布をかぶり、たき火に背を向けて寝た。
鼻をすする音が、彼に聞こえなければいいのだけれど。

後から後から、ポロポロと涙がこぼれた。
だめだな、私。
弱いな、私。

……

なんだかいやな夢を見た。

真っ暗で、よく見えなくて、でも赤い光だけがチラチラと近づいてきた。

骸骨だ。

目の奥で赤く光っている。

二つ、四つ、八つ……

もっとだ。たくさんの赤い光が私を取り囲んでいる。

……

それでは、また明日

「おはよう」

「おはよう」

「よく眠れた?」

「……ううん」

「だろうね」

「ずっと、起きていてくれたの?」

「ああ」

「……ごめんね」

「なんで謝るの」

「おれの方が年上だし、男だし、ここのこともよくわかってる」

「でも……」

「いいからいいから、さ、顔でも洗ってきな」

こんな廃墟みたいなところの水は怖かったけれど、案外きれいなものだった。
変なにおいもない。
飲み水にもなるのかな。

「朝食に、木の実盛りですよー」

「あ、ありがと」

「あと紅茶風ドリンクね、冷めないうちにどうぞ」

「……すご」

こんな状況でも、この人は力強く生きている。
すごいな。
ていうか紅茶風ってなんだろ。

「ここ、ぶっちゃけやることねえんだ」

「緊張感はあるけどさ、それだけっていうか」

確かに、ここには楽しそうな要素がなにもない。
私、やることがないときって、なにしてたっけ?

「君は、普段なにして遊んでんの?」

「え?」

「ヒマなとき」

「あ……」

「私は……」

私は、ヒマなときなんてなかった。
友だちと遊んだ記憶もほとんどなかった。
ずっと、ずっと勉強してた。

「私は……遊んだこと、ない」

「!?」

「ずっと勉強、勉強で」

「……そっか」

彼は困った顔をしている。
そうだよね。
今どきの中学生が「遊んだことない」なんて、おかしな話だよね。
私もちょっと、困った顔をした。

「じゃあ、今日は遊ぼう」

「え?」

彼は顔をあげ、笑顔でそう言った。
遊ぶ?
こんなところで?
骸骨が襲ってくるのに?
一体なにをして?

たくさんのことが頭をよぎったけれど、どれも言葉にならなかった。

「遊びに行こう」

そう言って、彼は私の手を引いて外へ連れ出した。

「広い……」

「野球のグラウンドだよ、ボロボロだけどさ」

芝も土も真っ黒だけど、そこは確かにグラウンドだった。
照明も観客席もある。
高い高いネットもある。

「すごい……」

「いやあ、久しぶりにさあ、キャッチボールしてえなあと思って」

彼はそう言って、私に何か黒い塊を投げてよこした。

「ひゃっ」

「ぼろいけど、それグローブね」

「グ、グローブ……」

グローブなんて初めて触った。
父は野球が好きだったけれど、主に観戦するだけだったし、
女の私にキャッチボールをさせることもなかった。

「そんでこれがボール」

「わ、わっ」

彼はひょいっと軽く投げたのだろうけど、私は慌てていてうまくキャッチすることができなかった。

「最初っからうまくできるわけないんだから、ゆっくり、ね」

彼は下手くそな私を相手にしているのに、なぜかとても嬉しそうだった。

スパァン

気持ちのいい音が響く。
上手に投げるのはまだ無理だけど、キャッチできるようにはなった。

「いい音!!」

スパァン

彼もとても嬉しそうだ。
やっぱり男の人ってキャッチボールが好きなのかな。

私のボールはまだへろへろだけど、彼はうまくキャッチしてくれる。

楽しい。

「こう、ね、肩を開きながら……」

「こう?」

「そうそう!! それで肘から先に投げるんだよ」

「んん……難しい」

手だけで投げるんじゃなくて、身体全体をひねって投げる。
ボールを投げるのって、こんなにも難しい。
でも、こんなにも楽しいということを初めて知ることができた。

「ていっ」

「お、ちょっとうまくなった!!」

「ほんと?」

「飲み込みすっごい早いよ」

「えへへ」

あたりは真っ黒だったけれど、不思議とボールを見失うことはなかった。
彼はボールを投げながら、子どもの頃お父さんとキャッチボールをしていた話をしてくれた。
真っ暗になるまでキャッチボールをしていて顔にボールを当てて痛かったこと。
二人ともお母さんに怒られて、しょんぼりしながらご飯を食べたこと。

でも、今はちゃんとボールが見える。
やっぱり、「暗い」のと「黒い」のは少し違うんだろう。
よくわからないけれど。

スパァン

私が何十回目かのキャッチをしたとき、私の目は彼の背後にくぎ付けになった。

「っ!!」

動悸が激しくなる。
息苦しくなる。
言葉が出なくなる。

危ないよ。

そう言おうと思ったのに、口からはなんの音も出てこなかった。

「どうしたの?」

私の様子に彼は気付き、後ろを振り返った。

一瞬で状況を把握した彼は、あっという間に私のそばに来てくれた。

「大丈夫、動きは遅いから」

私の肩を掴み、励ますように、なだめるように、目を覗き込んでそう言った。

「に、逃げよう」

「だめだ、足は遅いけどどこまでも追いかけてくるから」

「じゃ、じゃあ、どうしたら……」

「倒すんだ、ここで」

倒すって、どうやって?
彼が作ってくれた棒はグラウンドの隅っこに置き去りにしてきてしまった。

「君が倒すんだ」

「え?」

私がその意味を理解できないうちに、彼は猛然と走って行ってしまった。
倒す? 私が? どうやって?

無理!!
絶対無理!!

目はずっと骸骨の方を睨んでいたけれど、足はすくんでいるし手も震えている。

怖い。
ただただ怖い。

でも、あれに喰われて死ぬのはもっと……怖い。

骸骨はゆっくりとこちらに近づいてくる。

目の奥が赤く光っている。

ここに来て最初に見たやつと同じだ。

夢で見たのと同じだ。

もし掴まれたら……

もし囲まれたら……

足が震える。
足が震える。
足が……

私はすとんと、糸の切れた操り人形のようにその場にへたり込んでしまった。

「あ、あ、あ……」

もうだめだ。
私、ここで死ぬんだ。

足の感覚がない。
それどころか、もう全身の力が入らない。
借り物の身体みたいだ。

仮想現実のゲームって、こういう感じなのかな。

骸骨から目を逸らした。
もう、あれを見たくない。
いっそのこと気絶してしまいたい。

ふと、私はグローブの中のボールを見ていることに気がついた。

「ボール……」

その瞬間、私の右手だけ、感覚が息を吹き返した。
投げよう。
ここで死ぬとしても、少しくらい抵抗してやろう。
ただ喰われてしまったら、あのとき彼が助けてくれた意味がなくなるじゃないか。
なんのために生き延びたんだ。

次に骸骨を見上げたとき、私は少しだけ勇気が湧いていた。
彼の教えてくれた投げ方で、あの、赤い光をめがけて。
力いっぱい。

私はボールを投げた。

ゴツンッ

鈍い音とともに、なんとボールは骸骨の顔面に命中した。

「あ、当たった……」

骸骨は全く砕ける様子がない。
でも少しだけ、よろよろとしている気がした。

私の足は自然と立ち上がり、ボールを拾いに走っていた。

「何度でも当ててやるぅ!!」

それはまぐれだったとしても。
ボールを当てられた感覚が、私の全身に響いていたんだ。

当てられる。
攻撃ができる。

そのとき、私は少し、笑っていたかもしれない。

ゴツンッ

「まだまだ!!」

ゴツンッ

「早く倒れなさいよね!!」

ヒュンッ

「ああっ、外れた!!」

「やるじゃん」

いつの間にか彼が傍に立っていた。

「あ、ちょっと!! 女の子ほっぽって逃げるなんて最低よ!?」

「これ、取りに行ってた」

彼は私に棒を渡してくれた。
ずっしりと、手に重さを感じる。

「私、最初腰抜かしちゃったんだからね」

「でもちゃんと応戦できてるじゃん」

「紙一重だったの!!」

「まあ結果オーライってことで」

「無責任!!」

私は、骸骨がまだ目の前にいることも忘れて、彼に生意気な口をきいていた。
きっと心のどこかで、もう安心だと感じたのだろう。
最初に腰を抜かしていたのが嘘のように、私はリラックスしていた。

「ほれ、とどめ刺しちゃいな」

「う、うん」

「まっすぐ振り下ろせ」

私は棒を、ぎゅっと握りしめて、骸骨の目の前に立った。

怖くない、怖くない。
倒せる、倒せる。
私は、骸骨を倒せる!!

頭の上に構えた棒を、私は力任せに降り下ろした。

「あ? 傷が消えた?」

あの店で、前と同じように待ってくれていた骸骨のおじさんは、気さくに私を迎え入れてくれた。

「……」

私はどう説明したらいいかわからず、ぼそぼそと単語をつなげ、ようやく言いたいことが伝わったが……

それっきり、黙ってしまった。
私も、口を開けなくなってしまった。

店の中には、激しいロック調の音楽がかかっていた。

プツン

おじさんは、気を利かせてか、音楽を止めた。
確かに、こんな話をするには向かない音楽だった。

「傷がねえ、ううん」

おじさんは、私の話を聞いてから、ときどき唸るだけだった。
話が聞きたい。
できれば説明がほしい。

「嬢ちゃん……」

私は彼の目があったであろう穴を、見つめた。

「おれからはな、あんまりこの話は出来ねえんだ」

「……そう、ですか」

胸がギュッと苦しくなる感覚。
迷路の行き止まり。
知りたいことが秘密にされるよう。

「この世界のことはな、タブーっつうか、人間に教えちゃならねえっつうか」

人間と骸骨は、やはり相容れないのか。
喋って、襲ってこない骸骨でも、人間の味方はしてくれないというのか。

「ただ、その、嬢ちゃんの身体は今はないってことだ」

「え?」

「魂以外は、この世界に来ていない、っつうか」

「……はあ」

「んん、うまく言えねえな」

「魂だけだから、ケガしてもすぐに治るの?」

「ああ、まあ、そういう感じだと考えたらいいと思うぜ」

「……そっか」

「あとな、この世界は、人間を身体的に痛めつけるための世界じゃねえってことだ」

「え?」

「……」

「どういうこと?」

「あとは自分で考えな」

「……」

「しっかし、よく一人で来れたもんだ、武器も持たずによ」

「それは……」

「おれが仲間集めて待ち構えてたら、どうするつもりだったんだい」

「ふふ、そんなことする人じゃないって、思ってましたから」

「人じゃねえよう」

「ふふふ」

答えはもらえなくても、ここに来てよかった。
少し、話すと落ち着いた気がする。

「いや、しかしよう、嬢ちゃん一人で骸骨に囲まれたら、どうすんだい」

「……それならそれで、もう諦めちゃおうかなあ」

「喰われてもいいってのか」

「……ぐちゃぐちゃ喰われるわけじゃないって分かったから、まあ、それもいいかなって」

「……ふっ」

おじさんは笑ってた。
うんうんと頷いて。

てっきり、「最後まで諦めるな」なんて言われると思ったのに。

「ま、でも私一人が勝手に死んじゃったら、悲しんじゃうかもね」

「あの兄ちゃんがか?」

「そ」

「……そう、だな」

「私のこと、心配してくれるの、優しいでしょう?」

「ああ」

「……ほんとの、きょうだいみたいでしょう?」

「……ああ」

「ありがと、元気出た」

「ああ、すまねえな、たいしたこと言えなくってよ」

「ううん、いいの」

腰を上げる。
また来たいな、と思う。
今度はまた、彼と一緒に。

「さて、早く帰らなきゃ」

「おれのバイクを使っていいぜ」

「え? いいの?」

「ここまで歩いて来たんだろ?」

「でも……」

「また今度、返しに来てくれたらいいから」

「……ありがとう」

バイクに自分で乗ることになるとは思っていなかった。
重い。

「気いつけろよ」

「うん」

「スピード出すなよ」

「うん」

彼のようにうまく乗れるだろうか。
帰り道にケガしたらどうしよう。

「あ、そうだ、最後に一つだけ」

「え?」

おじさんが神妙な顔で、言った。

「骸骨は、人間の『敵』じゃねえから」

襲ってくるのに?
人間を食べるのに?

「じゃ、またな」

おじさんに手を振って別れる。
帰り道はずっと、おじさんの最後の言葉を思い出していた。

『敵じゃない』

どういうことだろう?
でも、仲間でもない、と思う。

どういうことだろう?

……

「馬鹿!! 心配かけんな!!」

帰って早々、彼に叱られた。

「血の付いた軍手とほったらかしの棒!!」

「なにがあったのかってびっくりしたじゃねえか!!」

「……ごめんなさい」

叱られた。そりゃそうだよね。

「……まあ、無事でよかったけどさ」

「……ごめんなさい」

「いいよ、それよりどっかケガしたのか? 見せてみ」

「あ……それは……」

私は、手のことを彼に伝えた。
窓ガラスで切ってしまったと思ったのに、軍手を脱いだら傷が消えていたこと。

骸骨のおじさんの『魂以外はこの世界に来ていない』という言葉。
『人間を身体的に痛めつけるための世界じゃない』という言葉。

そして……
『骸骨は人間の敵じゃない』という言葉も。

「ねえ、この世界に来てから、ケガをした?」

「ケガ……ね」

「些細なことでもいいけど」

「転んだりは何度もあったけどさ、いちいち確かめたりしなかったからなあ」

「そっか」

もしかしたら、この世界ではケガをしないかもしれない。
でも、それを確かめる勇気は、ない。

「骸骨は、敵じゃない?」

「そう、そう言ってた」

「敵意はないってことか? 襲ってくるのに?」

「私にも、よくわからなかった」

「あのおっさんは確かに敵じゃなさそうだけどさ、他の骸骨もってのはちょっと……」

「でも、言えないながらもなにか伝えようとしてくれたんだと思う」

「……そっか」

正直、全然わからない。
でも、おじさんの言葉は、きっと何か意味があるんだと思う。
そう、信じたい。

明日、完結予定です
ではまた明日

    ∧__∧
    ( ・ω・)   ありがとうございました
    ハ∨/^ヽ   またどこかで
   ノ::[三ノ :.、   http://hamham278.blog76.fc2.com/

   i)、_;|*く;  ノ
     |!: ::.".t~
     ハ、___|
"""~""""""~"""~"""~"




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