キリト「それが――運命石の扉の選択なんだろ!」 (154)

注 ネタバレ 捏造 if展開  SAOと科学ADVのクロスオーバー





――1,052368%


It matters not how strait the gate,

How charged with punishments the scroll.

I am the master of my fate:

I am the captain of my soul.


――これは、ゲームであっても遊びではない。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1407421456



世界が始まった。

世界が開始した。

世界の運命を決める戦いが――幕を開ける。



「――始まるんだな」

漆黒の黒衣を纏ったキリトは、静かに火蓋を切った。

「文字通りの世界を救う戦いだね」

水妖精族の細剣使い――アスナがキリトの右手を握り締めながら口を開く。

「大事になっちゃったね。まさか自分達がこんな事件に巻き込まれるなんて思わなかったよ。あ、お兄ちゃん達は三回目だっけ」

風妖精族の長剣使い――リーファが両こぶしに力を篭めながら爛々と瞳を輝かせる。

「一部の日本政府のお偉いがたやラースの前面バックがあるのが救いだな。どう思うよ?」

火妖精族の刀使い――クラインは腕を組みながら飄々とした態度で嘯く。



「全ては私達次第って事ね。上等じゃない。こんな馬鹿げた下らない舞台は、主犯ともぶっ潰してやるわ」

猫妖精族の狙撃手――シノンがこんな時でもクールな美貌を崩さず闘志を漲らせていた。

「あはは……シノンさんって本当にクールですよね。あたしも見習いたいです」

同じく猫妖精族の短剣使い――シリカがふわふわした頭に小竜を乗っけながら苦笑。小竜も合わせてきゅるきゅると鳴いた。

「そういうあんたも思ったより緊張してないじゃない。泣き虫だから心配してたんだけど、必要なかったようね」

鍛冶妖精族の戦槌使い――リズベットが姉御肌を吹かせながら茶化しにかかる。

「俺からすれば、お前らはむしろ緊張感が足らんように思えるがな」

土妖精族の斧使い――エギルが巌のような顔を気難しげに顰める。

「まあまあ。ヘタに緊張しても事態は好転しません。リラックスして普段通りに振舞えるのなら良いと思いますよ」

水妖精族の魔法使い――クリスハイトが柔和な笑みを浮かべ、毒にも薬にもならない諭しを挟んだ。

「パパとママ、それに皆さんの力があれば、私達は絶対に大丈夫です!」

宙をぱたぱたと飛ぶ小妖精――ナピゲーション・ピクシーのユイが力強く宣言する。



十名と一匹。
運命の決戦を迎える中、全員が固まるようにし、遥か遠くの光景を睨み付けている。
その視線が貫く先には。
かつて最後の最後まで運命に抗い、宙を漂っていた真紅の宮殿。

「……勝とうね、キリトくん。皆」

溢れ出さん感情を押し殺した声音で、アスナは誓うように口を開く。

「もちろんだ」

キリトは大きく頷いた。他の皆も頷く。
そう。俺達は負けない。

「勝って――俺達の世界を取り戻す。んで、現実世界でもパーティを開いて騒ごうぜ」
「いいねぇ。エギルの旦那、頼むぜ」
「任せろ。なにせ御代はクリスハイト持ちだしな」
「いやはや。是非もありませんか。経費で落ちることを願いましょう」

全員で笑う。
ああ、大丈夫だって思う。恐怖や不安は否定しない。命が懸かっているんだから。
だけど。
だけどさ。
俺は絶対に勝つって確信してる。だって――これだけの素晴らしく頼もしい仲間が集まっているんだ。
負ける道理がどこにあるというのだ。仮にあったとしても、んな道理は捻じ伏せてやる。
それに俺達だけじゃない。俺達以外にも、頼れる仲間は大勢いる。
キリト達の背後。そして左右。前方。更には上空。
360度、何処を見渡そうが、視界には羽と剣を持つ仲間が控えていた。
火妖精族の領主、風妖精族の領主、水妖精族の領主、土妖精族の領主、陰妖精族の領主、闇妖精族の領主、猫妖精族の領主、鍛冶妖精族の領主、音楽妖精族の領主。
九つの属性を司る領主達が集結している。そしてその配下達。
大規模ギルドの面々や小規模ながらも実力有数なスリーピングナイツに風林火山。
ソロで活躍する者たち。
更には。世界観ぶち壊しの近代兵器――拳銃やライフルを肩に担いだ連中までもが集まっている。
その総数――万超え。
ALOに住む一万以上のプレイヤーと、GGOの一万以上のプレイヤーが集結している事になるのだ。



「今世紀最大のビッグウェーブって奴だな」

「確かに壮観ね」

「どうせなら全員で記念撮影とかしてみたくありませんか?」

「それはいいな。店の額縁に飾っておきたいもんだ」

「ついでにこの事件を起こしたクソ野郎のコテンパンにした顔も飾っておきたいわね」

「うわぁ……リズさん趣味悪いですよ」

「じょ、冗談よ冗談」

「しかし――よくこんだけ集まったもんだよな」

「本当にね。こういうのをなんて言うんだっけ――馬鹿の大馬鹿だったかしら」

「ああ、違いない」

「エギルさん……そこは同意じゃなく否定して欲しかったです」

「諦めなってシリカ。逃げたって誰も文句言わないのに、ここに集まった時点で言い訳不能だわ」

いつものノリで、仲間達は会話を交わしていた。
命懸けだけど、世界の運命が懸かっているかもしれないけど、キリト達はいつだって無茶、無理、無謀の無軌道を忘れず駆け抜けてきたのだと、信念を持っているから。だから今回も同じ。絶対に勝つと信じているからこそ、もう迷わず、駆け抜けようとしているのだ。

「だったらここはこう言おうぜ」

キリトも信じるからこそ、そのノリに乗っかって口を開いた。
 
「――物好きってな」

不敵に堂々と。
仲間内から無茶苦茶と、散々言われなれた態度を持って。



「そうだな。オレ達はヒーローでも何でもねぇ。何処にでもいる、ただのゲーマーだ。そのオレらが世界を救おうと命懸けようとしてんだ。そりゃあ物好き以外にねぇだろうよ。まあゲーマはゲーマでも、オレは侍だけどな」

野武士面が己の信念というべき、腰の刀を示すように叩いた。
侍発言とその行動に、周囲の皆も気に入ったのだろう。それぞれの信念を握り締める。俺も今の発言には虚を突かれはしたが、気に入ったのだから信念を握り締める。クラインにまさかの一本を取られた気分だ。
何故なら。
俺達は生きているから。確かにゲームは遊びかもしれない。だけど俺達は、此処で『生きて』いるのだ。この場に集まった物好き連中も――きっとそういう類の連中ばかりで。類は友を呼ぶとは、この事なのだろうと笑わずにはいられない。

「…………」

もう一度、遥か先の前方を睨み付ける。
目指すべき深紅の宮殿。
その周囲を守るように八つの巨大な塔が囲み、塔の眼下や進路方向には幾千幾万の犇き蠢く魔と闇の軍団を認識する。
その総数は視認出来るだけで、こちらの数倍。
全てが合わさった場合、幾程の戦力差が生まれるのだろうか検討もつかない。

「だからどうした……」

俺達は負けない。勝って――帰るのだ。俺達の日常へ。

「俺達に喧嘩を売ったことを後悔させてやるよ――三百人委員会、PoH」




――――



晴天。
穏やかな陽射しと緩やかな風が靡く草原を、一陣の風が切り裂いていく。
緑と赤を主体にした服装の野武士面――クラインが草原のフィールドを走り抜けていた。
右手には刀を抜刀している。全速力。

「うおおおおおおおおおおっ!!」

彼の周囲で破砕音が巻き上がる。風が悲鳴を上げ、着弾した地面から土が跳ね上がる。
駆ける速度よりも速く飛来する凶器が、彼を射抜こうとしているのだ。

「ッチ。この距離だってのに、やるじゃねぇかシノン!」

「こんなもんで驚かれても困るってのクライン!」

シノンと呼ばれた少女は、クラインから五十メートルは離れた距離から、長弓を引き絞りつつ応えた。
言葉だけでなく、追加で三本の矢を早撃ちするオマケつき。
ソードスキルを発動させた訳でもないのに、少女の早撃ちには目を見張る物があった。彼女が根城にしていたGGOの世界ではないのだ。獲物は拳銃から弓へ。なのにその早撃ちは、拳銃に勝るとは言わないが、常人には真似しようのないクイックドロウ。
更には、

「どんな精密射撃なんだっての!」

悪態をつくクライン。
ほっとんど狙う余裕もないだろうに、放たれた弾道は彼を穿つ軌道。初撃と二撃目は逃げ道を消すように左右に放たれ、最後の一矢が直撃コース。

「だけど甘めェ」

全神経を集中させた彼は、直撃する一本だけに狙いを絞り刀を動かす。
仲間内では冴えない評価を受けるクラインだが、彼もかつてSAOでは攻略組の一角を背負った一員だ。デスゲームで鍛えられた生存本能と実力は、そこらのプレイヤーには負けていない。
ダッシュの勢いを殺さず、刀を居合いのように腰に密着させ迎え撃つ構え。
先に放たれた二本の矢が肩を掠っていき、HPバーを微かに減少させるが気にも留めず、少し遅れてきた本命に集中し――間合い飛び込んできた凶器を見事に叩き切って見せたのだった。




「どうでぇ、見たか!このクライン様の居合い切りを!」

確かに素晴らしい反応速度であり高難易度な技だった。
大半のプレイヤーなら、距離を詰めようとダッシュしていた勢いを殺され回避していただろう。
だが、

「だったら、これはどうかしらー?」

小悪魔な微笑を持って、長弓を携えた少女は――溜めに溜めていた力を解放した。
弓スキル。エクスプロードアロー。
真っ赤な焔を纏った軌跡が、システムの補正を伴って通常攻撃のそれより早く速度を持ってクラインに牙を向く。

「うおおおおおお!?」

まさかの二段構え。
気を抜いていたクラインは、驚きながらも咄嗟の緊急回避。
不恰好な姿勢だ。着地も綺麗に決まらず、右半身を地面にぶつけ転げまわっている。
そこに。

「貰った!」
「いきますっ!」

二人の少女が、雄々しい叫びと共に突っ込んできた。
猫妖精族のシリカと、鍛冶妖精族のリズベット。
短剣とメイスが、光輝きながらクラインに襲い掛かる。

「や、やべぇ――!?」

慌てるクラインだが、回避しようにも姿勢が悪かった。尻餅状態からバックステップをしようと両足に力を篭めるが間に合わない。
空気を切り裂くようにして二つの得物がクラインに直撃しようとした寸前、

「ヌウンッ!」
「い……やあァァァッ!」

クラインの背後から声が響き、風が吹いた。
甲高い音と金属音と、空気を焦がす火花がクラインの視界一杯に広がり、シリカとリズベットが吹っ飛ばされたのが映る。

「助かったぜ、アスナちゃんにエギル!」

水妖精族のアスナと、土妖精族のエギル。
クラインを助ける為に二人がソードスキルで割って入ったのだ。



「突っ込みすぎだろ、クライン」

「ちょっとは後先考えてください」

「悪ぃ悪ぃ」

お小言を貰うクラインは、罰が悪そうな笑みで応えた。
しかし戦況は動いている。
ソードスキル硬直により固まったままのアスナとエギル。そして尻餅をついたままのクラインを一網打尽にする範囲攻撃が狙っていた。

「ちょっ、やばっ」

「おいおいおいおい、シノンに手加減はねぇのか?」

「早く回避しないとっ!」

三人が見たのは頭上から降り注がんとするばかりの星の輝き。
弓スキル。スターダストアロー。
文字通り、星の屑が何本も降り注ぐ範囲スキルだ。その数は十六本。弓スキルの最上位に位置するクラスだ。

「まだディレイは解除されてない!」

「同じくだ!」

「ええいチクショウ!」

スキルディレイに囚われていないクラインが二人を攻撃範囲外へと強引に突き飛ばす。自らもその反動を持って全力回避。
その直後に、彼らがいた場所に無数の矢が突き刺さっていた。

「いてて……無茶しやがって」

「クライン……もう少し優しくしてよね。女の子なんだからわたし」

「しゃーねぇだろう。余裕無かったんだからよ」

すぐさま立ち上がり構えを取った三人は、背中を庇い合うようにして身構えた。



「やっぱシノンがネックだな」

「そうね。後方支援の重要性を痛感しちゃうよ」

「泣き言ばかり言っても仕方ないだろう二人とも」

その後方支援たるシノンは、いつでも攻撃を放てるように油断なく弓を構え、そして周囲には、

「シノンにはそう簡単に近づけさせないわよ」

「そうです。わたし達がバッチリと守ってますから」

メイスを肩に担ぐリズベットと、身軽なフットワークを披露するシリカが待ち構えている。

「……このままじゃオレらジリ貧じゃね?」

「厳しいな」

男二人が渋面に呟く。

「クライン、エギルさん。わたしがシノのんに突っ込むからサポートお願いします」

「了解」

「応よ。でも注意しろよ、まだ一人……姿現してない奴がいるからな」

「分かっています。でもこの状況を変えないと、詰みですから」

クラインの忠告に、細剣を構えたアスナが周囲に注意を払いつつ答えた。
作戦が決まった三人が、それぞれ身を低くしていく。
それに応じて、シリカとリズベットも身を低くする。

「うおォォォォォ!」

「おりゃァァァァッ!」

まず飛び出したのは刀使いと斧使い。
オトリになろうとしてか、上段構えの派手な攻撃でシリカとリズベットに身を飛ばしていく。
空気を切り裂く鋭い白刃がシリカへ、空気を押し潰す重たい鈍刃がリズベットを抉ろうとする。
シリカとリズベットに、一瞬だが硬直が生まれた。迷いの為に。
三人の狙いはシノンだ。
男二人が飛び出してきたのは、自分達の足止め。襲い来る刃を防御した瞬間にアスナが駆け抜けようという作戦だろう。
しかし看破はしたが、防げるかは別問題。
判っていても、目の前に迫る危機に対処しなければ守りの要である自分達が倒れてしまうのだから。
金属と金属のぶつかり合う音が響く。
シリカとリズベットが迎撃した証。



「――行きます」

その隙を見逃さず、かつての世界で『閃光』と評されたアスナが飛び出した。駆け抜ける先は、刃を閃かせ合うクラインとシリカ、鍔迫り合いをするエギルとリズベットの中央。
堂々と駆け抜けていった。
一筋の閃光は、狙撃手へと一直線に駆け抜けていく。その距離二十メートル。
アスナの周囲で地面が弾け、風斬り音が耳を貫いていく。
弓による射撃。ターゲットであるシノンもカカシではない。

「くっ……!」

矢が掠る。腕に脚。肩や腰。全身のあらゆる箇所に。
必要最低限――身を捻り、握り締めた細剣で弾く――の回避で速度を殺さず突き進むが、それでも遠い。
双方の距離十五メートル。剣の間合いには遥かに遠い。
射撃。身を捩り回避。
射撃。身を地面スレスレにつけ回避。
射撃。身を捻るも掠る。またHPバーが削られた。
射撃。細剣を咄嗟に射線に押し込むも、受け流せず腕を貫かれる。人目で判るほどHPバーが削れる。
不利な戦況ながらも、距離は縮まっている。残り八メートル。もう直ぐだ。
冷徹な狙撃手も顔を顰めている。そこには僅かな賞賛も。自らの狙撃に絶対なる自信を持っているからこそ、防ぎ突き進んでくる友人の少女を誇る気持ちがあるのだろう。

――行ける!

アスナは勝利を確信した。
この距離ではソードスキルを放たれる事はないだろう。避けられたらスキル後の硬直により致命的な隙を作ってしまう。
援軍の心配も……おそらくは大丈夫。
背後からの複数の剣戟が教えてくれている。クラインとエギルは役目を全うしてくれているようだ。
未だ姿見えぬ隠者も、左右に視線を走らせるが確認は出来ない。上空にも。
この勝負――貰った!
アスナとシノンの距離が五メートルに縮まり、あと一呼吸で剣の間合いへと迫る瞬間――アスナの本能に痺れるような感覚が襲い掛かった。
危機感は頭上から。
雷鳴の如く牙を剥く。




「やあああああああああああっ!!」

風を従え、音を置き去りにして上空から襲い掛かってきたのは風妖精族の少女。
少女の名はリーファ。そして姿を現さなかった隠者だ。
風妖精族でも随一の強さを誇るリーファが、長剣から疾風を巻き上げてフライングアタックを仕掛けてきている。

……油断したっ!

まさか上空からとは。警戒はしていたはずだが、姿は目視出来なかったはず。どうやって? とアスナは疑問に思った。実際には、リーファは上空に漂う雲の間に姿を埋めつつ、絶好の機会を窺っていたのだ。
シノンを狙い、単独で突き進むしかないだろう獲物を。
作戦勝ち。
狙われていたシノンが満足げに唇を歪めているのに対し、アスナは悔しさからの感情で唇を歪める。

……でも諦めないっ!

剣士の誇りとして、唯では負けてやらないとアスナは迎撃姿勢へ。
上空から襲い掛かってきたソードスキルの一撃目の直突きがアスナの胸部中央を捉え、続けてまた直突き。そこから左へと切り裂き。合計三連撃を綺麗に貰う。HPバーは半分を振り切りイエローゾーンへ。
そして返し刀の右上へと横切りの四連撃を貰いレッドゾーンへ。次の一撃でHPはゼロになるかほぼゼロ状態になるだろう。
漸くそこでアスナも迎撃姿勢が整う。
繰り出すは一連撃技。リニアー。
細剣の基本技であり、素早い一撃を放つ極単純なソードスキル。敏捷性が高ければ凄まじいスピードの技になる補正もついている。
その一撃を、

「うそっ――?!」

リーファの口から驚愕が溢れ出した。
アスナの放った突きが、最後の一撃とばかりに繰り出された長剣を捉え、弾き返したのだ。
一点集中の突破。
それに賭けた精神力と度量。そして神業ともいえる技術。
リーファが驚愕するのも無理は無い。
技と技の衝突により、アスナとリーファはお互いに逆方向へと弾かれていく。





「でも未だだよ!――シノンさんお願いします!!」

「任せなよ!」

逃がさない。ここで勝負を決めるとシノンは弓を引き絞る。
空中を滑るように吹っ飛んでいるアスナは、スキルディレイで身動きは出来ない。慣性に流されるがまま。
 
……絶好の的よね。
 
シノンは力を解放する。当たれ、と。意思と確信を持って。
放たれた力は一直線にアスナへと吸い込まれていく。
しかし、

「そう、未だだ! 俺がいるんだからなァ!!」

後方で白兵戦をしていたはずのクラインが割って入り矢を弾く。見事なパリィ。

「ちょっとどうやってこっちまで来たのよ! この野武士!」

「誰が野武士だ猫娘! こっちだって伊達にギルドの頭張ってねぇんだよ! 仲間のピンチには嗅覚が働くってなァ!」

口撃を交える合間に、吹っ飛んでいたアスナとリーファの体制が整う。
助けてくれた感謝に頭を下げつつアスナは尋ねた。

「シリカちゃんはどうしたんですか?」

「ああ? あー……それならな」

ニヤァと厭らしい笑みを浮かべたクラインは、

「押し付けてきた」

「え」

「やっぱ壁のエギルの異名は伊達じゃねぇよな!」

堂々と最低な発言をしたクラインに、背後から怒声が響き渡る。

「この大馬鹿野郎がっ! お前は後で覚えてろクライン!!」

若干、本気の怒声。
不安になったアスナがシノンとリーファに注意を向けつつも、チラリと背後を盗み見れば。必死の形相で二対一の状況を持ち堪えるエギルの姿が見えた。

「……それでもオトリ役を果たしてる辺り、流石ですよね」

何処に行こうとも当たる、巨大な壁。
故に壁のエギル。




「んじゃあ……仕切り直しだ。続きと行こうぜ」

クラインの言葉に、緊張感が戻ってくる。
お互いの距離は五メートル。この距離は――剣の間合いだった。

「うおおォォォ!」

遠距離からハリネズミに晒されていた鬱憤を爆発させるかのように、クラインは突進する。それを阻む為に前に出たのは風妖精族の少女。長剣を振り上げ足止めを狙おうとする。シノンは距離を取ろうとしていた。リーファが時間稼ぎに徹し、己の領域を確保しようとする。

「リーファちゃんの相手は私よ!」

アスナがリーファと相対する。

「アスナさんっ!!」
「任せたぜアスナちゃん。オレはシノンの相手してくるわ!」
「くっ。抜かれた!シノンさん逃げて!!」
「させねぇっての!」

クラインは逃げるシノンに追い縋る。
ここで距離を取られたら、それこそ元の木阿弥。
逃がせば勝機を失う。だから駆ける。バックステップで逃げるシノンよりも、前へと体重を傾け身を飛ばす自分の方が早い。追いつく。
追いついた。

「喰らえやァ!」
「――ッチ」

閃く刃を避けるシノン。半身を横殴りに襲い掛かった刃に膝を折り曲げて回避した結果、重心が後方に崩れかかっている。間髪挟まず第二撃目の袈裟斬りをバックジャンプで逃げる。新体操の選手が見せるような、華麗な回転だった。
置き土産に、サマーソルトの要領で右の爪先で顎先を狙ってきている。

「しゃらくせェ!」

首を捻りやり過ごすと、前方にダッシュ。
シノンは今、空中で回転し着地を決めようとしている。着地時には避けられない隙が生まれるだろう。
ソードスキル。フェル・クレセント。
曲刀カデコリの上位スキル。四メートルの間合いをコンマ四秒で詰める優秀なスキル。それを発動させた。
刺突。ソードスキルによってアシストされた加速の一撃がシノンを捉える。

「鬼ごっこは終わりだぜ」
「そう――じゃあ次は斬り合いかしら?」

クールな声音。シノンらしい一言と共に、両手に握っていた弓が光放つと透明にへと変化していき、その代わりとばかりに新たな光が生まれたのをクラインは見た。
光は瞬時に形を取る。少女の手の平で短剣の形へと。
金属と金属のぶつかり合う音が響き、空気が悲鳴を上げた。




「……逃げながらもウインドウを操作して、装備切り替えてやがったのか」

「正解」

 至近距離で睨み合うクラインとシノン。
 二人は鍔迫り合い状態で、お互いの獲物に力を篭めあう。


「器用な真似すんな。動きながらの操作は、かなりの難作業だってのに」

「狙撃手だもの。それぐらい冷静にこなせなきゃ、務まらないのよ」

「剣の師匠は、シリカだったよな」

「そう。私から頼み込んだの。遠距離からの狙撃ばかりじゃ、接近されたら足元掬われちゃうしね。そんじゃそこらの剣士さんには負けないかな」

「だったらオレがおめぇの腕前を評価してやるよ」

「お手柔らかにね野武士さん」

「上等だ、猫耳娘!!」

力任せの弾き飛ばしに、シノンは逆らわず背後へと飛んだ。
開いた間合いをクラインが詰めてくる。
上段の叩き下ろし、右下から左上への返し刀、ほぼ同時かと思うぐらいに左から右へと斬り付けてくる三連撃。ソードスキルじゃない通常攻撃なのに早い。敏捷特化の刀使いの真骨頂。アスナやキリトに総合力の速度では劣るが、純粋な一刀。居合いのように放たれる横切りはキリトやアスナより早いとシノンは分析する。
その三連撃を。

「クゥ――ッ」

なんとか合わせた。
狙撃手としての鷹のような眼、銃弾舞う戦場で培った危機管理能力、純粋な身体能力、その他モロモロ。全てが合わさった結果、ギリギリながらも防ぐ事を可能にした。





――――


イクドラシル・シティ大通り。
リズベット武具店の工房では、鍛冶妖精族の店主が模擬戦で消耗した仲間の装備品を順に回転砥石を当てていた。
散々と獲物と獲物をぶつけ合ったせいか、一回こっきりの模擬戦だったにも関わらず、ちょっとしたクエストに挑んだぐらいの消耗度を示していた。それだけ激しい戦いだったんだろう、と回転砥石を当てながらリズベットは皆の武器を見て頷く。
そう。

アスナ、クライン、エギル。
リズベット、シリカ、リーファ、シノン。

このチームで分けて戦っていたのは模擬戦だったのだ。
理由は純粋に暇だったから。特に大規模なクエストもなく、しかし会社員のクラインや店を構えるエギルが揃うのは稀なこの頃。何かしたい、と全員の思いが一致した時、じゃあ模擬戦でもすっかー、となったのは不思議でも何でも無かった。全員で遊べるなら、何でも良かったし暇だったから尚の事。

……まさかこんな白熱するとは思わなかったけどさ。

苦笑してしまうのは仕方ない。暇潰しだったにも限らず、いざ始まれば全員が本気の本気。笑い楽しんでいたとは言え、誰も彼もが負けず嫌いな連中なのか好戦的なのか。相手を打ち負かす気概だったのだから。
その当の負けず嫌いな連中は、

「な~にが「この勝負勝たせて貰うぜェェえええええええええええ!!」だったのかしらね~。ほんとっ今思い出すと笑っちゃうわ」

いつもはクールなシノンが、感情の揺れ幅を隠さず笑いながら言い。

「うるせぇー! 結果はどうあれ、おめぇはオレの剣に防戦一方だったろうが!!」

唾を撒き散らさん勢いでクラインがそれに噛み付き、

「でもクラインさんと真正面から戦って、本来は弓使いのシノンさんが短剣で戦えた事実だけでも凄いですよね」

頭にふわふわした水色の小竜を乗せたシリカが感心の表情を浮かべていて、

「うぐっ」

「師匠の教え方が良かったからね」

痛いトコを突かれたクラインが呻き、シノンが嬉しそうに頷いている。




「でも本当に凄いですよねー。今日の結果だって、シノンさんが居なかったら勝つには厳しかったですし」

リーファが砥石され戻ってきた相棒の長剣を確かめながら感想を言い、

「そういうリーファちゃんだって、あの上空からの強襲はお見事としか言いようがなかったけどね」

かつて攻略参謀を務めていたアスナが、作戦を読み違えたと悔しそうに、しかし晴れ晴れと笑っている。

「そ、そんな事ないですよぅ。偶々、上手に作戦が嵌っただけです。そういうアスナさんこそ、発動中のソードスキルを浴びつつも、それを迎撃するなんて神業披露してますし」

「ただで負けるには悔しかったしね。実は当たるか賭けだったんだけど」

お互いに賞賛しあっている。まるで姉妹のように仲が良い二人だ。

「それはそうとだ」

沈黙を保っていた巌のように厳つい体躯にスキンヘッドのエギルが、静かに口を開いた。

「クラインよ。俺にシリカを押し付けて、自分は良いとこ取りだったな。そこいらについてはどう思う」

「やっぱり殿が頼れると、前衛が好き勝手できるよな。チョーかっこよかったぜエギルの旦那!! ほらほらっ、おめぇらもそう思うよな?!」

「それで騙せると思うなよこの大馬鹿者がっ!」

「悪かったってー! 今度酒奢るから勘弁!!」

クラインとエギルの漫才じみた掛け合いに周囲がどっと沸く。
リズベットもクスクスと笑いながら、最後の武器――自分の相棒たるメイスに回転砥石を当てる。

一連の会話の流れを見たら解るだろうが。
模擬戦の勝敗結果は、リズベット達の方だった。

エギルがシリカとリズベットを。クラインがシノンを。アスナがリーファを。その流れは模擬戦決着まで続き、リーファが相打ちも辞さない覚悟でアスナを攻め立て、HPバーがレッドゾーンに追いやられていたアスナが逸早く脱落。そこからの展開は早かった。リーファがシノンに加勢し、メインウェポンへと持ち替えたシノンとリーファに攻められクラインも脱落。善戦していたエギルも、流石に四人がかりでは耐えられる筈も、無く。フルボッコにされ勝負は決着したのだった。




「やっぱりアレだよねー……。後方支援の重要性が、どれだけ大事が思い知る結果だったよ」

「うむ。ダメージディーラーに比べると目立たぬ存在だが、壁役や後方支援が居てこそだしな」

「ヒースクリフだってこれじゃ勝てないだろうぜ」

負けたチームの反省会。
クラインが出した人名に、違いないとばかりにアスナとエギルも苦笑を張り付かせて頷いていた。

「かつて攻略組のトップだった三人に褒められるとはねー」

「それだけあたし達も強くなったって事でしょうか……」

あの世界では中堅層だったシリカと鍛冶職人として攻略組を支える職人だったリズベットは、どこか寂しそうに笑う。あの頃に、この実力が欲しかったと思ったのかもしれなかった。
なんとなくだが、場の空気がシンとする。
その空気を壊したのは、

「……むぅ」

「これが仲間外れというものよリーファ。仲間外れ同士、仲良くやりましょう」

「はーい。シノンお姉ちゃんだーいすきっ」

「甘えたがり屋さんね。もうあんな女垂らしの妹より、私の妹になりなさいよ」

あの世界には居なかった風妖精族と猫妖精族の二人の少女。年下の少女がわざとらしく身を寄せるのを、クールな美貌を笑みに崩した少女が抱き寄せ頭を撫でてみせる。
他の皆も、そんな光景を見せられたら纏っていた空気を弛緩させない訳にもいかず。



「うぅ……ごめんなさいです」

「あたしも悪かったよ」

一番年下のシリカとしゅんと肩をすぼめ、姉御風のリズベットが顔の前で手をチョップするようにしてかる~く謝った。

「全くだぜ。そこは誇るぐらいでいいってのによ」

クラインがやれやれと肩を竦める。

「「「…………」」」

無言。
全員の視線がクラインに集中する。

「どうかしたかオメェら?」

「「っていうか元凶はクライン(さん)でしょうが!」

天然を発揮する野武士に、少女二人からのユニゾンツッコミが突き刺さったのだった。
えぇー!? と驚くクラインに、アスナとエギルも失笑しているが、

「もちろんアスナやエギルさんも同罪だから」

ドライアイスよりも冷たいシノンの一言に、ピシリと固まるのだった。

「「「ごめんなさい」」」

「じゃあ今度何か奢って貰おうかしら。どうリーファ?」

「あっ、それいいですね! 私達のチームが勝ってますし、それも含めてって事で!」

調子を取り戻したシリカとリズベットも加わり、どんどん罰ゲーム内容が勝手に決まっていくのを、敗者チームの三人は目を見開いて口を挟もうか困惑する。
しかし悲しいかな。
敗者にそんな人権はなく、この流れには確かに自分達にも非あるわけでぐぬぬ……と歯軋りするしかないのであった。



「やれやれだぜ」

端的にマトメてみせたクラインは、もうどうにでもなりやがれと肩を落とす。そして横で苦笑しているアスナに尋ねた。

「ところでよー。旦那はどうしたんだ?」

「……まだ旦那じゃありませんから」

思わず顔を赤らめるアスナに、年長者でもあるクラインとエギルの二人は「いつまでもウブだなー」と生暖かい視線を投げてしまった。過剰に反応してしまったアスナは、余計に羞恥心を煽られながらも誤魔化すように咳払いをする。

「キリトくんなら個人的な用事があるからって。ALOにはログインしてますけど、どこかをフラついてるみたいです」

「嫁さん放置とは、いいご身分だな」

「全くだぜ。しかもあの野郎、ここ一ヶ月ずっとそうだよな。アスナちゃんにも秘密なんだろう?」

ここ一ヶ月。
誰にも言わずALOの世界――厳密に言えばその空に存在する浮遊城アインクラッドの何処かを放浪しているのだった。

「茶化すのは勘弁してください二人とも。……でも、そうですね。キリトくんに訊いても教えてくれなくて」

「なんだかねぇ。キリの字に限って浮気は……」

「無いな」

「有り得ねぇな。アスナちゃんに首っ丈だし」

アスナもそこは全面的に信頼しているからこそ、クラインが放った爆弾ワードに動揺はしていない。



「また何か……変な事件に巻き込まれてるとかじゃ」

「むぅ」

「否定できねぇのが、キリの字のキリの字たる由縁だしなぁ」

呻く三人。
歩くトラブルメーカー。彼を深く知る人物なら誰もが共有する想いだろう。

「本当に危険だったら、ユイちゃんが教えてはくれると思うんですけど」

自分達の大切な娘がキリトについているからこそ、まだアスナも強引に聞き出す強行権は発動させてはいない。しかし一抹の寂しさは拭い切れはせず、頬を膨らませ唇を拗ねた様に尖らせてしまう。
大人らしい彼女にしては子供っぽい表情や仕草は、物凄く魅力的に映るのを無自覚なのだろう。

「そういえば知ってるか? 最近になってアインクラッドで変な野郎が多くなってきたって噂」

「俺も小耳には挟んでいるな。各層の主街区を下着姿で走る変態男の噂だろう?」

「そうそう。しかし見せびらかすのが目的じゃないのか、決まって深夜というか早朝だったり人が少ない時間帯を狙っているらしいぜ」

「露出の気はあるが、見られて喜ぶタイプでは無いという訳か。まあ突発的な馬鹿が稀にやっちまうのは聞くが……」

キリトの話題は何処に消えたのか、シモい話題を展開するクラインとエギルに白い目を向けるアスナ。女性の自分には、そんな変態な話を聞かされても嬉しくない。



「もうっ。なんでそういう話題に転がるのかなクライン。後エギルさん」

「俺じゃなくこのアホに言ってくれ。俺は乗っかってやっただけだ」

「ケッ。オレだけかよ悪者は。まあ全然関係ねぇ話でも無いんだよコレがな」

「関係ないって……キリトくんとですか?」

「ン」

意味が解らないと首を捻る。
……今の話題に、どこでキリト君が絡むんだろう?

「あくまで噂だけどな。その例の変態だが……タイムアタックでもしてるかのように下着姿で街中を爆走してるからか、まともに顔も視認できねぇらしいだが。目撃した奴が言うには……」

「……言うには?」

あまりにも嫌な予感に、思わず小声になるアスナ。
気付けば他の皆も、クラインの話に注目している。……ゴクリ、と唾を飲み込んだのは自分だったのか。全員だったのか。

「キリの字に後姿や髪型が似ていたらしい」

「……マジか?」

「目撃情報ではな」

「うそだー。お兄ちゃんがそんな……ある筈ないよ、ね?」

「リーファもそこは否定しておきなよ。でもキリトならあるいは」

「確かに、キリトさんって無茶苦茶な部分ありますから……」

「女装して人の下着姿見たしね」

「これは……確定かもしれんな」

本人がいないのをいいことに、好き勝手言いまくる友人達。
アスナは顔を真っ赤にして怒鳴った。



「き、キリトくんはそんな変態じゃありませんっ!!」

「おおっと、旦那の汚名に妻がお怒りだわ。なんか熱いわねここー」

「り、リズゥ!? そんなんじゃないから!!」

周囲はニヤニヤとした厭らしい顔を止めようとしない。
それどころか「みんな冗談なのにアスナだけ必死すぎ」みたいな空気を醸し出している。中には手をヒラヒラさせ顔を扇ぐ者も。

……うぅ。皆、遠慮なさすぎ。

ガックリと首を垂らすアスナに、周囲から笑いが響いた。

「もうっ」

会話の肴にされたアスナは嘆息する。
でも悪い気分じゃない。これも仲が良いからこその関係だ。
アスナは思い出す。
当時の。苦しくて不安で……壊れるんじゃないかと思った日々を。

今日はここまで。レス感謝してます

この世界線にキリトくんハーレムは存在しません
ハーレムが大好きな人は現実世界線の原作を購入しましょう。新刊も発売されてるよ

次の更新は火曜日。では次回で



――――


「くしゅんっ」

むず痒くなったと思った時には、くしゃみが飛び出した。まだむず痒さを感じるのか、黒のコートを羽織ったキリトは、地べたに座り込みながら指先で鼻を擦る。

「パパ、風邪ですか?」

頭上から声が振ってくる。
頭に乗っかったナビゲーション・ピクシー――娘のユイからだ。

「んー。どうだろうな。ここが埃っぽいからかもしれん」

「だったらいいんですけど。体調管理には気をつけてくださいよパパ?」

「こう見えて体の頑丈さには自負があるぞ」

リアルにネットと数々のトラブルを乗り切ったからこその自信溢れる台詞なのだが、

「病院のお世話になる数が増えるだけです」

娘の容赦のない言葉に真っ二つにされたのだった。しょんぼりしてしまうが、心配してくれていると判るので、ごめんごめんとキリトは謝った。

「そろそろ休憩終了するか。いつまでもこんな辛気臭い場所に居たくないしな」

「ママも心配していますし」

「そうだな。俺だってアスナの傍にいたいし」

座り込んでいたキリトは立ち上がると、コートを叩き汚れを払う。
彼がいる場所は黒い石造りのダンジョンだった。
アインクラッド。始まりの街に隠された迷宮――かつての世界で娘のユイと一時の別れを迎えた場所。そして彼が休憩している前には、別れを運命に逆らう為に、必死になって操作した操作パネルが台座していた。
今は完全完璧に活動停止している、背景オブジョクトの一つになった台座。



「……本当に『フラグ』を満たせば、動いてくれるんだろうなコイツ」

「現在はALO運営社によりシステムは抹消され沈黙していますが、SAOサーバーには手がつけられないブラックボックスも多いままだと聞きます。その一つの部分に、このシステムが該当する可能性は高いと判断します」

「そう信じるしかないか。駄目だったらここ一ヶ月の努力は水の泡だけど」

「大丈夫だと思います。なにせ私達が今求めているのは……」

「ああ、そうだな。あの茅場晶彦の――遺産なんだから」

遺産。
『ソードアート・オンライン』というVRMMOの先駆けとなった創設者が、どのようにしてブロジェクトを実現させたのか、を書き綴った創作秘話とでも言うべきレポートが、キリトとユイが追い求めている遺産である。

「しかし……最後の『フラグ』だけあって地味にムズいんだよな。今で何回目のトライだっけか?」

「次で三十二回目になりますパパ」

「もうそんなにやってんのか……そりゃあ疲れるわけだ」

ここで説明しなければならないのは『フラグ』の意味だろう。
『フラグ』はゲームで言うところの『クエスト』と言い換えてもいい。

それも面倒臭い部類に属するお使い系の。
何々のアイテムを何十個集めろ。何々のモンスターを何体も倒せ。そんな類いのお使いクエストは、古くからゲームの定番になっているが。
今回キリトが挑んでいる『フラグ』の詳細は。

『始まりの街に隠されたダンジョンの最深部にある台座から、指定されたコースを正確に駆け抜け六十秒のタイムを駆け抜けろ。コースを駆け抜ける際にポップするMobについては全て倒すこと』

それがクリア条件だった。



「直線距離にして八百メートル。現実世界なら世界新記録を何秒更新するんだが」

「この世界なら絶対に不可能という難易度ではありません」

上位ソードスキルには七メートルをコンマ七秒で駆け抜けるスキルもある程だ。
そう考えると難易度は低いのかもしれないが。

「…………出現するMobが厄介なんだよな」

Mob自体はそこまで強くはない。かつてもユイを連れて鼻歌交じりで攻略できたぐらいだ。それに此処に存在していたボスも既に攻略済み。
しかし規定のコースを通る際にポップするMobの数が異常なまでに多いのだ。まるで予め想定されていたかのように。いや、きっとそのコース限定でMobの出現率が弄られているのだろう。
六十秒でクリアの足枷と、Mobは全て倒すのが条件。
MAXスピードで駆け抜けたら余裕でクリア可能なのだが、それを邪魔する障害が多すぎる。

「やっぱ使うしかないのか……うーむ」

策はある。
これを使えばクリア可能だとも思ってはいた。しかしキリトの矜持やプライドが邪魔するのだ。



「パパ、パパ?」

「どうしたユイ」

「パパが悩む理由も判りますが、二刀流を使うべきだとユイは判断します」

「そうなんだけどさぁ……それでもなぁ~……」

二刀流を解禁すれば手数が増える。それも二倍じゃなく、キリトに掛かれば三倍や四倍にも。あの厄介なMobも苦労なく切り崩せるぐらいに。
それでも尚渋るキリトに、ユイは小さく溜息を付いた。

「パーパー! パパの気持ちも判りますけど、ここは折れてください」

「ぐぬぬ……」

「それにですね……もうパパは手遅れです」

どこか哀愁漂うユイの台詞に、嫌な予感を感じたキリトの背がビクリと跳ねた。

「……パパは街や村を裸で走りぬける変態さんなんですから」

「うわぁ――――ッ!!!!」

頭を掻き毟り絶叫を上げるキリト。



「違う違うぞ違うんだ! 俺は変態なんかじゃないぞユイ! あれは仕方なかったんだ――ッ!!」

キリトは否定を叫びながら、安全地帯に設定された台座前でゴロゴロと苦しみにのた打ち回った。思い出すのは過去の行い。一刻も早く忘却の彼方へ追いやってしまいたい数々の所業が、ユイの言葉によって走馬灯のように脳裏を駆け巡っていく。

「はい。あれは仕方ありませんでした……他にも女装したり」

「いやだからそれは仕方なくて――」

「……オリジナルのお歌を熱唱したり」

「違う違う違うんだ知らない知らない俺は知らない覚えてない!」

「他にも他にも――」

「や、止めてくれもう勘弁してくれユイ――ッ」

黒い物体がビッタンバッタンと悶え跳ね上がっては土埃が舞い上がる。
そして最後には力尽きたのか動きを停止させた。痙攣しているのか黒い物体はビクンビクンと震えている。

「……わたしはそんなパパを応援しています」

憐れみ百パーセントの娘からの言葉が、最後のトドメだった。チーン。南無南無。
……、
それから五分後。



「ふ、ふふっ……二刀流を解禁した俺の本気を見せてやるぜ」

矜持やプライドを完膚なきまでに破壊された、狂気の二刀使いが降臨していたのだった。
ユイはそんな彼の頭に乗っかりながら溜息を付く。
もっと早くに決意してくれていたら、こんな茶番は必要なかったのにと。
ユイにしてもパパを傷付けるのは心苦しいが、無駄に時間を消費して、待っているママに余計な心配をさせたくないとの判断である。

「んじゃあやるか」

ウインドウを操作していたキリトは、ストレージからアイテムを取り出した。
無手だったキリトの左手に無骨な長剣が握られる。

「《エクスキャリバー》は使わないんですパパ?」

「……せめてもの抵抗にしておいてくれ」

「なるほど。パパは頑固者です」

「いいんだよ。俺の取り得の一つなんだし。それにコイツはコイツで、捨てたもんじゃないんだぜ」

とある迷宮区の中ボス的存在からドロップした黒塗りの長剣。性能は中々のものだ。
右手にはリズベットが鍛えた長剣を。左手には黒塗りの長剣を握り締め。
二刀流の剣士は疾走の姿勢を構える。

「ユイ。ナビ頼むぞ」

「任せておいてくださいパパ」



八百メートルのコース。


安全地帯を飛び出て広い大通りを真っ直ぐ進み続けると。左右に別れる道と直進する分岐路がある。
『フラグ』で指定されていたのはその分岐路を左に曲がり、グルリと周回するように走っていくコースである。最後まで行くと初めの分岐路の右側に戻ってこれるようになっていた。
イメージとしてはオリンピックなどで選手が走る円を描いたコースだった。
もっとも黒塗りの岩や大理石の柱で設計されたこの場は、現実世界の競技場のように暖かな光も見晴らしのいい観客席にも無縁の地ではあったが。
攻略済みのダンジョン故、観客もいない通路を疾走する影があった。

「――――!」

黒尽くめの二刀使いが、空気を切り裂く弾丸となって駆け抜けていく。
弾丸となる彼の前方に、道を塞ぐように障害が待ち受けていた。
腐った死体や骸骨剣士で構成されたMob。その数は七体。

「――シッ!」

構わず飛び込む。
速度を一切緩めず飛び込むと、まずは近い距離にいた骸骨剣士二体が反応する前に、右の一刀を鋭く二度振り首を撥ね無効化。二体のポリゴンがエフェクトを弾き飛ばす。
エフェクトが乱れ舞い散る中、三体の骸骨剣士と腐った死体が前方から飛び掛るように襲い掛かってくる。




「おおおおっ!」

黒の剣士も衝突するように突っ込むと、三体のうち真正面から飛び掛ってきていた腐った死体の胴を左の一刀で横薙ぎに斬り捨てた。胴を断つ感触が左手から伝わってくる。
遅れて襲い掛かってくる左右の骸骨剣士と腐った死体。
横薙ぎに振るった左の長剣と、右の長剣をクロスさせるようにして二体の敵も斬り捨てた。
ここまでの動作は一瞬。
遅れて三体の敵がエフェクトライトを撒き散らせ爆散していく。

「パパ、二体がソードスキルを発動させようとしてます!」

ナビ役の小妖精からの警告。
一番奥に控えていた骸骨剣士二体の剣から不吉な発光。
構えからして重突進系に部類される剣技だと見抜く。
定石なら足を止め待ち構え、防いだ後にカウンターを決めるのだが。そんな暇は無い。

「――うおおおっ!!」

 弾丸のように駆ける速度をむしろ上げ、

「きます!」

二体も剣技により発動した急激な速度で真正面からぶち当たってくる。
一体の剣はこちらの顔面。もう一体は心臓。
当たっても死にはしないが、技の威力により弾き飛ばされだろう。六十秒の制限がある中、そんなロスを喰らえば間に合わない。
二刀をクロスさせるようにして――顔面と心臓を狙う剣に優しく添えるように当てると、軌道を逸らす。そのまま添えた剣を逆に跳ね上げて相手の首を断った。エフェクトが爆散する。



「お見事ですパパ!」

「おう! 今で何秒経ったユイ!!」

「十七秒! 順調なペースです!」

やはり二刀流を解禁した恩恵は大きい。
流れるような動作で、現れるMobを薙ぎ倒せていた。
駆ける。駆ける。駆ける。
駆け抜ける先に出現する障害物は、そこそこな数だ。
右の一刀を振るい、左の一刀を一閃し、両の二刀を交差させて斬り捨てて。
それらを容赦なく苛烈な剣激が葬っていく。

「四十五秒経過! 残り百メートルですパパ!」

行ける。現実世界の百メートル走の世界記録を出せばクリア確定だ。この世界なら余裕がありすぎる。
しかし、

「そう簡単に行かせちゃくれないよな――!」

最終関門とでも言うべきか。
三十メートル付近に大きな壁のような物体が、コースを塞ぐように待ち構えていた。
硬い石で構成されたゴーレム系のMob。正式名称《クラッシュ・ゴーレム》。
三十一回全ての挑戦において、苦渋を飲まされた相手だ。コイツさえいなければ片手剣クリアも夢じゃなかったのに。
総合力としてはそこまで脅威ではない。
動きが鈍く、落ち着いて戦えば御し易く経験地も多く貰える美味しい相手でさえある。

……こんなときじゃなけりゃな!

双方の距離が確実に近くなる中、キリトは忌々しいと舌打ちした。



「パパ! 既存のソードスキルよりもOSSで正面突破を!」

「ああ! どうせ既存のじゃ属性付加されてねぇから、アイツの防御を破れないしな!!」

娘と父の意見は合致し。
右の一刀を弓を引き絞るように構え、剣先を相手の胴体中央にロックする。
あの敵は兎に角にも硬いのだ。
物理耐性がこのレベルのダンジョンにしては段違いに強く設定され、ゴーレムらしくHPも高い。更にはその名が示すとおり一撃の攻撃力は侮れない。
『フラグ』達成の枷を背負って戦うには、かなりの強敵に向かって。

「う……おおッ!」

肉薄したキリトは、裂帛の気合を吼えるとソードスキルを発動させた。
オレンジ色の輝きを纏った右手の剣が閃く。《ハウリング・オクターブ》。
絞りに絞った右手を高速で五度突き、斬り下ろしから斬り上げ、仕上げに全力の上段斬り。属性は物理四割、火炎六割。片手剣八連撃の大技なのだが。

「削りきれません!」

ユイの焦りにも似た警告。
キリトが七連撃まで繰り出し、今は最後の上段斬りへと移行しているところだった。



……やっぱり無理だよな!

分っていたが、やはり硬い。
このまま最後の一撃が繰り出してしまえば、スキルディレイに捕まる。幸いゴーレムの右ストレートは七連撃時点での強ノックバックにキャンセルされているから、硬直中に一撃を喰らう心配はない。
ないが。

――それじゃ意味ねぇんだよ!!

繰り出す右の一撃から、キリトは意識を切り離した。
強烈な違和感。それを無の境地で殺し。
刹那。
右の一刀が繰り出された後の硬直を逃れ――

「おっ――らァあああ!」

――左から孤を描く蒼色の軌跡が水平にゴーレムの胴体を抉った。
《スキルコネクト》。
ソードスキルとソードスキルを繋げ硬直を掻き消すシステム外スキル。それをキリトは使用したのだ。放つソードスキルは《サベージ・フルクラム》。
胴体を抉った蒼の軌跡は、そのまま垂直に跳ね上がりゴーレムの巌の顔面を砕き、軌跡を辿るようにして、垂直の振り下ろしへ。
その一撃により、強固な硬さを誇ったゴーレムは、今度こそ真っ二つに穿たれるとライトエフェクトの撒き散らしたのだった。
本来のシステムによりキリトもスキルディレイで硬直する。



「パパ――残り七秒です!!」

「くっ――」

間に合うか!?
焦るキリトは早く早くと念じ――三秒経過と共に硬直から脱出する。
一歩目から全速だった。

「もう少しですパパ! ファイト!」

声援に押されキリトは駆ける。

四秒――残り十五メートル。
三秒――右手の剣からエフェクトが光り、剣を突き出した。残り七メートル。
二秒――剣を突き出したキリトの姿がブレるように加速して。
一秒――次の瞬間には剣を突き出した姿勢のまま、ゴール地点の向こう側に出現していたのだった。最後に使ったソードスキルは突進系のソニックリープだ。

「……間に合ったよ、な?」

「はい。大丈夫なはずです」

「ふぅ……。予想以上にギリギリだったな」

「お疲れ様なのです。かっこよかったですよパパ」

「サンキュ。しかしこれって本当にクリア前提で作られてたのかねぇ」

二刀流を使用して尚、ギリギリ。
SAO時代は、本当にクリア可能だったのかとキリトは疑いたくなったが、

「きっとソロ用じゃなかったんだと思います。数人で挑めば容易かったかと」

「あっ……」

なるほど。納得。その発想は無かった。
頷くキリトだった。



「まあ気付いても手伝いを要請する気はしなかったけど……」

「パパが隠れて変態さんになっていたとママが知れば、きっとママは泣いちゃいますしね」

「……最近のユイは反抗期だ」

ズーンと影を背負ったキリトは、黒の衣装も相まって余計に黒く見えるようだった。
それはそうとして。

「まあ冗談は置いといて、さっさと確認するか」

挫けない精神はタフだった。
安全地帯に設定された真っ白な道を奥に進んでいく。途中に分岐の道があるが、真っ直ぐ台座へと直進して辿り着いた。

「さて、と……」

『フラグ』は満たした筈だが……一見した限り石作りの黒い台座に変化はない。
恐る恐るキリトの手が台座へと伸びて……ひんやりとした感触が指を通して感じた瞬間、黒い石から数本の光の筋が入り、表面に青白いホロキーボードが浮かび上がる。
ドクンッ、と世界全体が脈動した気がした。

「動いたっ!」

「やはりブラックボックスの一つに分類されたシステムだったようですね」

キリトは感動から。娘のユイは違う観点から意見を零す。



「ご丁寧に項目にはレポートについて、とあるな……」

自動で展開されていくプログラムを見れば、他の機能に触れさせるつもりはないらしく。
レポート4という項目が点滅し、他の機能や項目についてはロックがかかっているようだった。

「他の機能も使えるようになっているのか?」

「分りません。ただかつてはGM――茅場晶彦が致命的なバグや、カーディナルが自動で対処不可能な問題を人の手で対処する為の緊急措置として、設置された物です」

「だが運営がユーミルに変わり、ユーミル運営はユニークスキル同様に未知のプログラムは徹底的に削除したから」

「はい。あくまで名残だけで、起動しないと見たほうが普通だと思います」

「つまり悪用される心配はない訳だ」

仮にキリト達以外のプレイヤーがレポートを発見し、ここまで到達した場合。
そのプレイヤーがどう行動するかを危惧したのだった。

「茅場晶彦はそれぐらいのセキュリティは組んでいたと思います」

「まあ。そうだろうな……」

ユイの魂をバックアップしようと抗った時、GM権限を持たないキリトが青白くフラッシュした衝撃に弾き飛ばされた事を思い出す。

「わたしにならあるいは可能かもしれませんが」

「へ?」

驚くキリトに、

「お忘れですかパパ? ユイはかつてGM権限を持ったプログラムだったんですよ?」

寂しそうな表情で言うユイ。



「そういやそうだったな。俺達の大切な娘って認識しかしてなかったから、すっかり忘れてたぜ」

意図したわけでも強調したわけでもなく、自然な口調で「ユイはユイだ」と言ったキリトに、ユイは頬を綻ばせた。キリトはきっと気付いていないのだろうが。

「んじゃあ……押すぜ」

「はい」

人差し指で『レポート4』の項目をクリックする。
システム上にDL中と文字が表示されプログラムが動き出す。
そして、

「感動も何もなくストレージに収納されたな」

「なにか不満なんですか?」

「ここまでの苦労を考えると、もう少し演出があってもいいと思っただけさ。労い的な意味でさ」

「変な演出が無かっただけありがたいと思うべきですよパパ?」

「それもそうか。あの野郎のジョークセンスは壊滅的な気がするしな」

無駄口を叩きつつ、自ストレージに収納されたレポート4をエフェクトする。
ウインドウが展開し、長い長い文章が浮かび上がったのだった。

今日はここまで

支部っぽいのは初めて言われたな。vip系列の方が経歴ながいけど
次回はレポートの内容について。

次は日曜日。次回で

乙!渋でも見てたよ



茅場レポート。
SAO創作秘話と名付けられたレポートは、四分割のレポート体系を取っていた。
 
一つ目のレポートには――彼の自己紹介や経歴を説明し、そこに天空に城を浮かべた理由などの心情を交えて説明した内容。
二つ目のレポートには――VRMMOを構成する際のシステム等の科学的な視点から解説した内容。正直、専門家でも無ければチンプンカンプンの馬の耳に念仏だ。

そこまでなら、有り体に言えば――あの茅場晶彦にしては変哲もない真っ当なレポート内容で……面白くもないと評価した人物も居ただろう。
キリトだって内心は少しそう思っていた。
もちろん学者や第三者にしては涎物の価値があるのだが、幾度か本人と接したキリトだからこそかもしれないが。
しかしその考えは、三つ目のレポート内容から雲行きは怪しくなる。

三つ目のレポートには――協力機関や研究に対する支援団体の話だったのだろう。
 
だったのだろう、と内容を確認したにも関わらず憶測な言及になってしまうのには深い事情があった。
なにせレポートの始まりが、

『初めに前提として覚えておいて貰いたい。私がこれから語る協力機関や支援団体については、一切の存在が無い物であることを。そんな協力機関や支援団体は、現実世界では存在しなかったのだと、頭の片隅に置く事を前提に、話を読んで貰いたい』

そんな注意文とも忠告とも取れるような警告から始まるレポートだった。
……は?
そんな疑問に首を傾げる事であろう。
しかし読み手の疑問を置き去りにして、レポートの主は何事も無く、話を進めていく。




簡単にマトメれば、それは苦労話だった。
若き天才科学者だった茅場晶彦。その彼にしてもVRMMOという人類初でもある分野には、かなりの苦労があったらしい。
例えば人体の仕組み。例えば脳の仕組み。例えば機械工学。
他にも様々な分野の知識の結晶が集められたのが、『完全ダイブ』を可能にさせたのは言うまでもないだろう。

どの分野にしても、専門の、それも超一流の科学者が必要だった。何十人も。
しかし事実はどうだろうか。

ナーヴギアの基礎製作に関わっていたメンバー数十人は確認されているとは言え、そのメンバーは一流かもしれないが超一流の頭脳ではなく、SAO事件が発覚した当時には、基礎製作に関わったとは言え、大部分は茅場晶彦が設計したと耳を揃えて発言を残しているのである。

それもその筈だろう。
もし彼らがもっと中心軸で設計に絡んでいたのなら、ナーヴギアに施された凶悪なまでの悪意に気付いた筈なのだろうから。

裏を返せば。
様々な分野の超一流科学者が集まって設計が可能だった筈の代物を、茅場晶彦はたった一人で完成させたと言い換える事が可能なのだ。

不可能だ。
何十年もその道を歩いた先駆者達の叡智を、いくら百年や二百年に一人の天才だろうが実現不可能だ、とあの事件直後から、現在に至ってまで学者の世界では論議されている。

だが当の茅場晶彦が故人になった為に、真相は闇の中。
世間がいくら否定しようが、異常な天才と納得するしか無かったのである。
その闇に埋もれた筈の真相が、この茅場レポート3とでもいうべき物から明らかになるのは皮肉な物であったが。



茅場晶彦はレポート内でこう残している。

『さしもの私も独学では限界があった。仮にかの機関からの私個人宛にコンタクトが無ければ、私の計画は後三十年は遅れていたことだろう。その機関はどこから私のプロジェクトを嗅ぎ付けたのか、個人用の誰にも極秘だった筈のメールアドレスに、知識と技術の提供をする、という文面を送りつけてきたのだった』
 
……ツッコミ所が多すぎて、正直何に突っ込めばいいのか判らない、と半目になったのをキリトは覚えている。
取り敢えず三十年後には独学でも完成していたのだから、茅場晶彦は悪魔的に天才だったのは立証されたかもしれない。

『彼らの知識や技術は表の世界に出回っている物に比べれば、比較するのも馬鹿らしい程に洗練された物だった。アメリカのヴィクトル・コンドリア大学脳科学研究所で発表された脳に直接イメージを投影し、それを対象者に現実で認識させる技術の具体的なメカニズムまでも把握していた、と言えば理解できるだろうか』

彼のレポートは淡々と続いていく。
かの組織から提供された知識を土台に、彼が求めていた世界を創り上げる研究は続いていった。
計画は順調だったらしい。
提供される知識は彼が言うには、雛形で改良が何段階も必要だったらしいが、苦も無くどんどん形にしていったらしい。

設計段階で理論はほとんど完成され、後は実際に実験着手にまで漕ぎ着けたが、そこで問題が発生したらしい。
個人的に伝手を頼れば実験スペースや人員は確保は出来たらしいが、ただ一つだけの用意するのが難しい物があったと。





資金だ。

若き天才ゲームデザイナーにして量子物理学者と今では謳われているが。

彼が当時勤めていたのは、数多ある弱小ゲーム開発会社でしか無かった。量子物理学者にしても、ゲームデザイナーにしても、天才と言えるだけで歴史を変える新発明を開発した等のバックホーンたる実績があった訳では無い。

そんな一個人に、巨額な製作資金を援助するスポンサーがいたはずもなく。レポート内にもその対策をどうするか苦心したと書かれている。

『幾つもの伝手を当たりはしたが、私が求めていた目標までには足りなかった。致し方ない事実だろう。私が頼ったスポンサー達にしてみれば、私の発想は夢物語であり、成功の余地など無いと思われていたのだから。彼らは笑ったものだよ。だったら千億でも融資すればいいかね? それだけあれば、自分達でも実現できそうだ、と』

彼らの言葉にも一理ある。資金を際限なく注ぎ込めるのであれば、ズブの素人が監督であろうとも、大ヒット作品を世界に送り届けるのは可能なのだ。周囲の演者やスタッフが超一流であればいいのだから。痛烈な皮肉。

資金援助しました。失敗しました。それで済まされないのが大人の世界だ。

それでも幾らかの資金を提供してくれるスポンサーはいたらしい。ならば試作段階となるべき物を作り、己が理論は正しいと立証すればいいだけだ、と諦める気持ちは無かったらしい。
純粋なまでにストイックさで、限られた資金を元手に彼は前に進もうと決意した、とレポートには綴られている。




『そんな私に契機が舞い込んできた。私のプロジェクト実働により、スポンサーを募っていたのを知った、とある団体が資金提供しようとコンタクトしてきたのだ。それも数社がだ』

何処かで聴いた様な展開だ。
ツッコミポイントを更新していく読み手を、やはり置き去りにしつつレポートは続いていく。
その支援団体が提供してくれた資金は、当初推定していた予定を大幅にクリアするぐらいの規模だったらしい。
もちろん、彼らには彼らの狙いがあったのだろう。ギブ&テイク。仮に研究が成功し、実現した際のメリットは計り知れない価値を含んでいる。その利益の一部、もしくは何を要求するのか。自然と交渉の流れになるだろう予想は、

『驚いた事に、彼らから要求は特に無かった。ただ彼らは見たかったらしい。この研究が成功した先に、どのような光景が広がるのか、と』

怪しさ爆発である。

一体、どんな慈善団体なのか。んなもん存在する方がおかしいだろう。
今日の飲み代は奢ってやるよ、なんて気軽な単位の金額ではないのだ。
普通ならば警戒し、あからさまに怪しい取引は断るのが定石なのだろうが、茅場晶彦は普通では無かった。
結果、彼はこの取引とも言えない取引を承諾し、莫大な資金を手に入れる事に成功したらしい。

騙される心配は無かったのか、等の危惧について、茅場晶彦はレポート内でこう残していた。
その心配は杞憂だと。確証も無くも、確信はしていたらしい。



その後の流れは特に説明するまでもないだろう。
無事に計画を達成させた茅場晶彦は、天空に城を浮かせて見せたのだから。
レポートの内容はそこまで語られ、締めくくりへと続いていく。


『これがソードアート・オンライン誕生の秘話だ。こういう経緯を経て、君達プレイヤーを捕らえている世界は創り出された訳だ。しかしここまで読んだ君は覚えているだろうか。私が冒頭で綴った文章を。そう、君は思ったはずだ。あの文章が真実なのならば、私に関わってきた機関や団体は存在せず、これまで語ってきたエピソードは全て嘘八百なのではないかと。結論から言おう。私は研究に関する知識提供も受けており、資金提供も受けていた。しかしその機関の名も、団体の名も、地図上にもネット上にも存在していない。ただそれだけの話しだよ。もっとも、それを知ったのは、プロジェクトが一段落し、気になった私が調べて発覚した事なのだかね。その頃には彼らからの連絡は途絶えていたし、連絡を取り合っていた連絡網も軒並み停止していた。狐に包まれた、とはこの事を指すのだろう』


不思議で……不気味な内容だ。
それが事実だとすれば、得体のしれない機関や団体と一時的とは云え、行動を共にしていた事になるのだから。


『しかし目標到達まで後一歩まで近づいていた私は、特に気にせずプロジェクトを進めていた。彼らには彼らの目的があったのだろうが、私には私の夢があったのだから。そうは言いつつも個人的に彼らの組織を調べはしたがね。そこで彼らの正体なる物をある程度は察しはしたが……これは君達プレイヤーには関係の無い話であろう。そもそもこのレポート自体が、蛇足気味であるのは否めないが』

『さて。これでソードアート・オンライン誕生について纏めたレポートを終えようと思う。このレポートが日の目を見るかは君達プレイヤー次第だが、このレポート内容についてはどう扱おうと構わない。胸に秘めるもよし、告発に使うもよし、これにより得た知識を使用し富を気付くのもいいだろう。どう使うかは自由だ』

『それではこの世界の支配者にして、このゲームを創り上げたゲームデザイナーとして、君達に始まりであり祝福でもある言葉を送ろうと思う。
 ――これはゲームではあっても、遊びではない。諸君のゲームクリアを祈っていよう』



こうしてレポート三つ目は締め括られ、長い長い文章で綴られた創作秘話は語り終えられた訳だ。



もちろん……納得できる筈もなく。


レポート3を読み終えたキリトは、思わず「ふざけるなっ!」と叫び出したくなった訳だが。
なにせ肝心な――正体不明の組織の真相に触れずじまいで話を終わらせたのである。
しかも、今だからこそ憤慨から叫ぶぐらいで済むが、もし当時のSAOの世界に囚われたままの時に、『――これはゲームではあっても、遊びではない。諸君のゲームクリアを祈っていよう』等と見せられたら発狂してしまうんじゃないかと思うぐらいだ。悪趣味にも程がありすぎるだろう。
そんなこんなで茅場レポートは終わりを告げたかのように思えたが。

四つ目のレポートが存在していたのである。

これに気付いたのは、偶然と言うことでも無い。むしろここまで苦労してレポートを集めたプレイヤーなら、必然的に出会えるように設定されていたと言うのが正しい。

アインクラッド第一層。始まりの街。

隅の隅の裏通りの場所に、薄汚れた小屋で過ごす老人のNPCがいるのは、誰もが知っていた。《ALO》になってからもそのNPCは削除されず、ユイが言うのはブラックボックスの一つに当て嵌まっていたのではないか、と指摘している。
その老人のNPC。
老人は《SAO》でも《ALO》でもクエストNPCだとは誰もが言っていたのだが、そのクエストが開始される事は一度も無かったのである。
その老人に話しかけると、

『……『フラグ』が満たせてねぇ。出直してこい』

そんな如何にもな台詞を吐いて、後は沈黙を貫くだけで。何度、プレイヤーが話しかけても同じだった。
時間や季節限定、特定のアイテム所持、幾度も議論を出し合ったプレイヤー達だったが。
結局は老人の言う『フラグ』は満たされる事なく、攻略が進むにつれ忘れ去られて行ったのだが。

茅場レポートを集め続けた暇人には。嫌すぎるほど『フラグ』という言葉と響きの意味が理解できる仕組みだったのだ。
そりゃあNO1からNO3までを集める為に、あれだけ異常な『フラグ』をクリア――アインクラッド上に存在する主要拠点を裸で走る等――してきたのだ。そこに至るのも必然だったに違いない。
 



キリトもそれに思い当たり、期待半分不安半分の微妙な気持ちで第一層に赴き、件の老人NPCに話しかけたら。

『……奇特な奴だな』

 
それはNPCを通した茅場晶彦の本音だったのだろうか。 

『お前さんが此処にきたのはコレだろ。受け取るんなら受け取りな。しかし……後悔しても知らねぇがな』

やはり『フラグ』とは茅場レポートを示していたのだと気付くと同時、目の前にウインドウが開くのを認識する。

『老人NPCからレポート4に関するアイテムが提示されています。受け取りますか?』

システムメッセージと、Yes/NOのコマンドが選択肢として表示されたのを、若干緊張気味ながらもYesと選択したのをキリトは覚えている。そしてアイテムがストレージに収納されたのを確認。

人の目を気にして、誰も近寄らない場所に移動してから、アイテム名『レポート4』と命名されたアイテムをクリックし展開すると、目の前に半透明のウインドウが表示され、レポートが展開されたのであった。


『まずはご苦労と労うべきなのだろうかね。これを入手したと言うことは、レポート1から3までをクリアしたと言う訳なのだから。そして予想はしていただろうが、このレポートに綴られる内容は私に接触してきた正体不明の組織に対する、私の推論を含んだ見解を綴った物になる。
 決して攻略の足掛かりになる物では無いと、ここで明言しておこう。そして好奇心は猫を殺すとも。……最後にはアレと相対する事になるのだから。
 それを覚悟した上で、『フラグ』を受け取ってくれたまえ。それを達成すればこのレポート内に、続きの文章が浮かび上がるようにプログラムしてある。第一の『フラグ』は――第五十七層の湖で主を釣り上げろだ。君達の検討を祈ろう』


そうして指定された『フラグ』を解除する為に、黒の剣士は汗水垂らして走り続ける事になったのだった。
蛇足だが、レポート4の第一『フラグ』をクリアするには、釣り熟練度が1000必要で、二十二階層の湖の主からドロップする釣竿を使用しないと釣れない仕様だったと言っておこう。相変わらずフザけた『フラグ』だったと。

何はともあれ。
無事に全てのフラグをクリアし、レポート四の全文章のプロテクトを解除する事になった経緯なのであった。





真っ白な空間に突っ立ったキリトと、黒髪の頭に乗っかったユイ。
二人は無言でウインドウの文字を凝視していた。
茅場レポート四の内容が、そこには展開されている。
それを読み終えた二人は、

「……有り得ない」

「そう信じたいです……」

信じがたい物を見たとばかりに、枯れたカカシにように佇んでしまう。
そう。
有り得ない。
もしこのレポートに書かれている内容が、まっとうな思考で書かれていたのだとしたら、事実を丸ごと受け止めるには二人にはかなり難しい事だった。

「狂ってやがる……」

キリトは呻きつつ、読み終えたレポートに目を向けた。
そこに書かれた内容に、やはり変化は無い。炙り出しとかで全ては冗談だ、とあったほうが幾分か救われた気がした。例えそれが笑えない悪趣味なジョークだったとしても。
レポートの内容は、一言で言えば。



陰謀論。

都市伝説。黒い服の男。メディア。プロパガンダ。NASA。ワン・ワールド・オーダー。情報操作。世界を騙る支配者。世界人間牧場計画。
散りばめられた単語の羅列は、意味不明な物だったり世界的にも有名な施設や研究機関だったりする。

「……ねーよ」

頭が痛くなるとはこの事か、とキリトは首を横に振った。
しかし馬鹿に出来ない点も、キリトは感じてはいるのだ。

「これを茅場晶彦が書いた……てのが笑えないんだよな」

「はい。わたしもそう思います。もしこれが知らない人物が残したメッセージなら審議の余地もありませんが」

「あいつは少なくとも本当の天才で。冗談を言うようなキャラじゃないってことだ」

ニワカには信じがたい。
しかし自分達がよく知る茅場晶彦は、聡明で歪みつつも確固たる信念を持った真鉄の通った人物だった。
彼自身も、疑われるだろうと危惧していたのか。レポート内でこう記していた。

『これを読んだ君達がどう受け止めるかは君達次第だ。私は私の推論を元に見解を綴ったにすぎない。真実とは限らない。しかし古来より人間が文化を築き、今に至るまで繁栄を約束されているのは。一種のプロパガンダ――情報操作による大衆の扇動し、とある方向により導く事で文化を、国家を、増長させることにより繁栄していったのは揺ぎ無い事実だ。使い古された手法ではあるがね』

否定はしない。
国際問題だって言ってしまえばプロパガンダにより扇動された結果、発生する物でもある。日本ととある国の軋劣を見れば一発だろう。結果論だけ言えば、テロや紛争の闘争も似た様な根源を辿るに違いない。

『私に接触してきた組織――彼らはそんな中でも極めて特殊な集団で構成された組織だと私は推測している。私達が知る世界の舵を仕切るのが表の世界政府だとするのなら、彼らは影の世界政府と言うべきかもしれないな』

表と裏。
陽と影。
それは普段は姿を現さずとも、反転すれば瞬時に交わる物だ。切るに切れない関係。





『私が何故、実在するかもどうか分からない架空の存在でしかない彼らを、自分に接触してきた正体不明の組織だと睨んでいるのか疑問に思うことだろう』

だよな、とキリトは内心で頷いた。ユイも同意だろう。
その結論に達した道筋が掴めない。

『ここで残念な事実を伝えなければないことを宣言しよう。私が彼らだと睨む証拠や確証は一つも無いと。科学者でありながら、証明の一つも無いのだよ。しかし前提としてこれは推論に推論を重ねた私の見解だ。だが判断になった材料ならある。こういう業界に長く身を置くと、一つや二つの都市伝説は耳に挟むことになる。その一つが、現代の科学では到達不可能な技術の新発明や新発見をした人物の元に、黒服を着た謎の男達が訪れる、と言った類いだよ』

怪談話でもよく登場するエピソードと丸っきり同じものだった。もしくは陰謀論そのまま。世間にとって公表できない研究をする人物に、ある日黒服が訪れるという都市伝説。

『笑い飛ばすのは簡単だが、火のない所に煙はたたない様に。世界で名ある研究者が唐突に消失すると言った例はそこら中に転がっている。気になるのならインターネットで調べてみればいい。最も、大体は身の丈を知らず大言を吐いた結果、恥に気付き社会から身を隠すと結論が付いて回るのだが。私も九割はそうだと思っている。しかし残り一割は不自然な工作が目立つのだよ。かの組織は技術や科学力を独占している。世間には一切公表せず、現代の科学力ではオーバーテクノロジーと属する技術を、自分達の目的の為に隠匿しているのだ。君達も知っている通り、このVRMMOの基礎である完全ダイブにはそのオーバーテクノロジーが幾重にも注ぎ込まれた代物であり、その提供者は謎の機関だったのだと』 


筋は通っている気がした。
オーバーテクノロジーに挑む研究者を連れ去る黒い服の男達。
オーバーテクノロジーに挑む茅場晶彦に情報提供した謎の機関。
結果は違うが、どちらも正体不明の何かが接触しているのは確かなことだ。
その機関が技術を独占しているのも、茅場晶彦自身が証明している。
しかし、

「結果はどうして変わった。もし技術を独占したいのなら、茅場晶彦自身もその対象として……消されてなきゃおかしいんじゃないか」

「その考察についてはココに書いてますよパパ。……さっきちゃんと読みました?」




「……実は流し読みしてた。話しが一々難しいし、文字多すぎて頭痛くなるんだよ」

「気持ちはわかりますが、そこは頑張ってくださいパパ」

「善処はするけど……絶対に画面の向こう側の奴を考えた文章じゃないよなこれ」

嘆息し、重くなる思考を振り払うキリト。
再びウインドウに視線を向けて、ユイが指摘した場所を見た。途中には『彼ら』がどうして技術を独占するか。その目的は。と書かれていたがキリトは流し読みしていた。

『消えた一割の研究者達と、研究を手助けまでされた私。それは明確な違いがあるようで、彼らにとっては些細な事なのだろう。彼らの目的に――利用できるか否かだけで。否だった研究者達は消され、可だった私は踊らされたに過ぎないのだろう』

身も蓋もない結論だが、それ故に真理を穿った結論だとも言える。
彼らが目指す目的は、さっき読み流した部分に書いていたが。
世界人間牧場計画という一部の権力者が世界を支配し、一部の大衆を家畜のように扱い、その他は殺戮。理想社会を築き上げようとするプロジェクトらしい。

『私が発明した完全ダイブについては遅かれ早かれ、いずれ社会に浸透し世界の在り方を塗り替えていくシステムだ。私は私の目的で、天空に浮かぶ浮遊城を再現する為にオンラインゲームの方式を取っていたが、これが医療目的や軍事目的で登場したとしても何の驚きも無い。事実、君達がこのレポートを読んでいる際に、社会ではそういった動きが水辺化で動き出しているだろう』

慧眼もここまでくれば恐れ入る。
メディキュボイドや《プロジェクト・アリシゼーション》を筆頭に、もはや世界ではそれらの技術が溢れ出していた。
もはやゲームに留まらず、一般人が身近に触れ合えるスナック菓子感覚で。
一昔流行ったスカイプという遠距離でも画面越しに映像会話できるアプリケーションは廃れ、今ではVR世界で顔を突き合わせて触れ合えるのが台頭している昨今だ。
技術の進歩は、確実に世界を塗り替えている。




「……」

改めてジックリと読むと、末恐ろしい現実に気付く。
いつのまにかキリトは、どこか強張った表情を浮かべていた。
その世界の塗り代わるキッカケとして――彼が《ザ・シード》を公開したからかもしれなかった。
レポートは続く。
このVR技術がどのようにして世界に浸透し、人々が活用するか。そういった事や有効活用する様々な術を科学者の視点から綴った部分を読み流し。
最大の謎である部分が記された場所に届くのだった。

「どうやって茅場晶彦が、この組織の存在に気付いたか」

「正確には、この組織の目的が目指す理想社会だと言う理由ですね。組織に気付けても、その目的までは普通なら至れませんから」

「世界人間牧場計画ね……。大仰なネーミングすぎるぜ。いくら狂気の天才とは言え、ここまでの発想は推測じゃ語れやしないもんな」

それに至った根拠は、

『二○二○年。その組織の名称と目的が、世界的に流出するに至る事件があった。今ではデマや誰かのイラズラとして処理され、過去の風物となってしまっているが、確かに世界を震撼させた事件が発生したのだよ。君達も知っているのではないだろうか……東京のお台場でロボットが暴走した事件を。そして……SNSアプリを中心に広まった怪文を』

キリトは知っている。当時はSNSはやっていなかったから怪文については知らないが。
ロボットが暴れ東京全体が混乱に陥ったのは覚えている。自分もその被害者だ。

「そんなにロボットが多かったんですか?」

「ああ……。当時はロボット産業が流行ってて、世界的に巨大ロボを作ろうという企業が多かった。小型のロボットも多くて、東京とかには街中にも関わらず多く配置されていたよ。暴走事件からセキュリティの問題を指摘されて大幅に数も減ったけどさ」

「今でも動いているんです?」

「あるとこにはあるよ。ROBO-ONEって世界的な大会もあるし、ロボットだけで動く工場とか。興味あるのかユイ?」






「そうですね。一度、見てみたいような気もします」

「そっか。機会があれば見せてやれるかもしれない。そういう博物館とか、工場なら知ってるからさ」

「楽しみにしておきますねパパ」

「ああ。アスナと一緒に行くか」

父と娘は約束を取り付けながら、レポートに目を戻した。

『その怪文を――君島レポートと言う。君島コウという研究者が、かの組織を摘発した内容だ。それを誰かが見つけ、世界中にSNSでバラ撒いたのだがね。実は私のこのレポートもその君島レポートに似せて作られた物だ。
 このレポートを入手する為に膨大な数の『フラグ』をクリアしてきただろうが、その君島レポートも発信時にも超難易度な『フラグ』が設定されていて、読む為にはクリアが必要だったのだよ。
 結局、どこかの誰かがプロテクトを解除して、一部の内容は露出してしまったようだがね。まあこの部分は蛇足的な説明と取って貰って構わない。重要なのは私がどうしてここまで、かの組織についての詳細を綴ってマトメたかだ』

そう。
キリトは疑問に思っていた。
茅場晶彦はどうしてこんなレポートを残していたのか、と。その意味について。
だからこそ追い続けてきたのだ。
この最後のレポートを。




『――警告だよ。ただし、これは私個人の独善的な正義でしかなく。一般的に善たる人達には意味を成さぬ警告だろう。何故ならこのレポートは、自分で言うのも心苦しいが、普通の人間には手に入れられない難易度で設定されている。そもそもこの世界の脱出を目指している君達プレイヤーには、そんな余裕は何処にも存在しないはずだ。日の目を見ることなく朽ちて消えていく、無用の長物になるに違いない』

ならば茅場晶彦はどうして遺したのか。
その答えは、

『それでも、もしこのレポートが日の目を見る事があるのなら。それは運命の分岐点を担った存在という事になるだろう。理屈ではなく道理でもなく、そう運命付けられた存在だ。もしくは過去に――かの組織と相対した者達か。そうでなければ、このレポートは入手できないような設定だ。ここまで読んだ君達も自覚しているのではないかね? 自分がどこか常識から外れた――位置外にいると言うことを。文字通り、命など捨てても問題ないと思うぐらいには、何かに必死になった事があるはずだ。それが善か悪かは関係なくね』

ゴクリ、と唾を呑み込む。
確かにキリトは、自分の命など問題ないと思えるぐらいに、かつて必死になった事はある。文字通り、命を捨てたりもした。奇跡的に運が良かっただけで、本来なら死んでいても不思議では無い。




『別に私は何も頼みはしない。何も求めはしない。君達がこれを知った時点で、もし知らなくても結果は同じだ。私の推論が正解だったとした場合、かの組織は架空から現実になり、VR技術が繁栄した世界で何かしらの牙を剥こうとするだろう。
 その時、このレポートを追おうと本気で思えるような人間ならば、必ず動き出すだろう。巻き込まれずとも、自ら渦中に飛び込むはずだ。故に私は頼みも求めもしない。結果がどうあれ、私は天空に浮遊城を築き上げら時点で、目的は達成しているのだからね。もしその先があるとしたら……いや、これは私の胸に秘めておこう』

ここに来て胸に秘める思いとはなんだったのか。
それは明かされることなく、レポートは締め括りに入る。

『かの組織の正式名称だったが。その名は――三百人委員会という。陰謀論で度々目にする謎の組織だね』

キリトもそれは知っている。コアなネット廃人なら、一度は目にした通り名だろう。
所詮は、架空の存在でしか無いが。


『これにて私が綴ったレポートは終わりになる。ただ忠告しておこう。レポート1から3までは好きに扱ってもいいが、この4については取り扱いに注意しておいた方がいいだろう。公表されようが私は困らぬが……君達の身に危険が迫るかもしれないからね。デスゲームに巻き込んだ私が言える立場では無いが。誰かに相談するのなら、メールや電話は止めたほうがいいだろう。エシュロンに捉われる可能性もある。あと相談相手も気をつけることだ』


「……こんなの誰かに相談しようとも思わないけどさ。頭が狂ったかと思われるのが関の山だろ。それにエシュロンってなんだ?」

「軍事目的の通信傍受システムです。これも存在は確定されていませんが」

「ふぅん……」

「次で最後ですね」

『三百人委員会。彼らは何処にでもいる。その事を念頭に置いて行動するべきだ』

レポートは終わった。これ以降はスクロールしても、何の反応も返しはしない。



「やはりこれで終わりですね」

「……二度目だけど気味が悪い締め括りだな。やっぱり茅場晶彦に冗談のセンスは無かったようだ」

軽口を叩くが、読めば読むほどに薄気味悪くなる心境だった。
とても信じられる内容ではないが、SAO内で下手に関わってしまった結果、彼の天才性や理性的を知ってしまっているだけにキリトは笑い飛ばせないでいる。

「まるで悪い宗教に嵌るような感覚だ……」

信じようが信じまいが、こういうのは思考の片隅に影を落とす。
ならば後はふとした時に思い出し、どんどん深みに嵌っていくのが筋と言うもの。
キリトにしても、これは信じる信じないは別問題として。
忘れられない記録として焼き付きそうだった。

「どうしたもんか……」

「パパは全部見つけたあかつきには、ママにも知らせるって言っていましたけど。どうするんです?」

「……言えると思うか?」

「それをわたしに聞くのは反則ですパパ」

眉を垂らした表情で弱りきった二人。
どうしたものか。二人は判断に迷っていた。



「むぅ……。ユイてきには、この文面の真偽はどう思う?」

「そうですね。実は先ほどから三百人委員会について軽く検索をかけていたのですが」

「げっ。大丈夫なのかよ……そんな事して」

「パパは信じちゃったんです?」

「いや信じちゃいないけど……なんかさぁ?」

レポートの内容が内容だっただけに、ユイの行動は怖いもの知らずのようにキリトは感じてしまっているが、陰謀論が語られる際には、非常にポピュラーな存在である。書籍で『三百人委員会の陰謀』と販売されるぐらいには。
本人が気付かぬ内に、ズブズブと沈んでいるようである。

「検索結果ですけど」

「ああ」

「表層部分を洗っただけですけど、眉唾物と断じたほうがいいでしょう。それこそ陰謀論です」

曖昧な物言いではなくハッキリと断言したのは、プログラム故の習性なのだろう。
逆にこれは真実でしょう、と断言されても困るのだが。



「そうだよな。取り敢えずアスナに伝えるのは保留で。正直、このまま忘れちまいたい記憶でもある」

「パパがそういうのなら。でも何度も言いますが、ママは寂しがっていましたので、これが終わったらちゃんと傍にいてあげてくださいね」

「反省はしてる。この埋め合わせはちゃんとアスナにもユイにもするさ」

「それでこそわたしのパパです」

キリトはどうやって埋め合わせをしようか悩みつつ、この場から立ち去ろうとした。
その時。

「……音?」

キリトの鋭敏な聴覚が、カツンカツンと一定の間隔で鳴る音を拾う。
音の正体は足音だ。それも近づいている。

「こんな場所に来客か……珍しいな」

誰もいない地下迷宮は、無人だからこそ音が大きく反響する。
しかし足音は随分と近くに感じられた。これだけ静かな場所なら、ポップするMobと戦闘する音が、遠い場所から微かに聴こえても不思議では無い筈なのだが。
この足音は一定間隔を保ち、ポップするMobとはエンカウントしていない様子だ。

「隠蔽スキル持ちか?」

「違うと思います。私達の位置まで足音が響いていれば、上級隠蔽スキルを発動させていても、効果は無いでしょう」

「だよな……。魔法でMobから姿を隠す効果のもあるにはあるが、効果タイムがあるから悠長に歩くとも思えないし」

議論するが結果は出ない。
しかし足音はシッカリと一定間隔に反響し……確実にこちらの方へと近づいていた。
一直線に迷いなく。
まるでキリト達が目的だと言わんばかりに。




「ははっ……まさかな」

自分の思考に「ないない」とばかりに首を横に振って振り払うが、

『三百人委員会。彼らは何処にでもいる。その事を念頭に置いて行動するべきだ』

不吉な忠告がフラッシュバックし、身が強張った。
カツンッ、と近付く足音に、ドクンと鼓動がシンクロする。
仮想アバターでしかないキリトの背中に、ひんやりとした感触が撫でていく。ゾワリと肌が粟立った。

「隠れよう……ユイも」

「はいです」

短衣の胸ポケットに飛び込むユイ。
キリトは自身の隠蔽スキルを発動させると、足音を立てないように忍び足で移動する。
足音はもう近い。捜索スキルを全開にすれば、真っ白な純白が覆う安全地帯の場まで近付いているのを教えてくれる。

……アンタの目的を確かめさせて貰うぜ。
 
謎の足音の持ち主に心の内で宣言する。
自分達が目的なのか。通りすがりのプレイヤーか。可能性は低いがレポートを求めて行き着いたプレイヤーの可能性もある。
 



この安全地帯の場は、白紙同然のように設定された区域だった。
最深部に黒い台座だけしかなく、他に幾多の分岐路があるにはあるが、そこには何も無い。

忘れられた場所。そんな雰囲気を醸し出す場所だ。
キリトは台座があった場所から遠ざかり、三つの分岐路を右に曲がりつつ、そう思う。
もし足音の相手がキリトを目的にするのなら、台座が設置された最深部には行かないだろう。この三つ又の分岐路が決定権を持つ。

「……そろそろ到着するな」

捜索スキルが認識する相手の位置は、あと二分程で三つ又の分岐路に着くはずだ。
真っ直ぐ直進したら最深部へ。右側に折れたら……その先を想像したくはない。

ドクンドクンッ。

嫌になるぐらい心臓の鼓動がうるさい。
VR内では鼓動の変化など感じる筈も無いのに、キリトはある筈の無いし心臓が破裂するのではないかと思った。
そもそも。
あんなレポートを真に受けて行動する自分は、第三者視点でどう受け止められるのか。

カツンカツンッ。

三つ又の分岐路で、足音が立ち止まった。
そして……カツンッと音を立てて進んでいく。ルートは直進だ。



「はぁ……。思い過ごしか……そりゃあそうだよなぁ」

溜息をついたキリトは、身体を弛緩させた。ドッと疲れた気がする。
しかし、なら疑問がある。
あのプレイヤーは、あの台座で何をするというのだろうか?

「……盗み見は性に合わないんだが」

再び忍び足でキリトは来た道を戻っていく。
三つ又の分岐路を覗き込み、誰もいない事を確認すると台座があるルートに進んでいく。
ゆっくりゆっくり、足音を殺して。
そして、

「……なんなんだアイツは」

黒塗りの台座が鎮座していた部屋を盗み見たキリトは、思わず呻き声を発したのだった。
この世界観にミスマッチな――白衣を着た謎の人物を見て。

今日はここまで。>>74どうもどうも。またお付き合い頂けたら嬉しい

ロボノ未プレイの方にも解り易くしたつもりが、逆に説明文増えてアレかもなぁ、と思いつつ
アニメではクラインとかMORE DEBANさんが少しでも動いてて嬉しい

次は水曜日。では次回で

>>77に対して、どうでもいい指摘
シュタゲ内で紅莉栖が応用して使ってるからか、脳科学研究所のもの勘違いしがちだけど
VR技術はヴィクトル・コンドリア大学『精神生理学』研究所の研究
脳への入力以外の、脳からの出力・解析なら脳科学の分野だから無関係という訳じゃないけどね

2027年なら渋谷秋葉原勢は30代中頃、種子島勢は20代中頃かぁ
段々クロスしてきてすごくワクワクしてきた。更新が楽しみ

 

その人物を一言で表すのなら……科学者だった。

性別は男。

ダーググレーのスラリとしたジーンズに、白のティーシャツ。その上から羽織るのは使い込まれたヨレヨレの白衣。
どの角度から眺めても、絵に描いたような医者、もしくは科学者然とした格好。
それ故に、このALOの世界観には馴染まず異様な違和感を発していた。

「……なんなんだアイツは」

影から顔だけを覗かせるキリトは、ソイツを見て呻く。
明らかに普通のプレイヤーではない。
オーダーメイドすれば白衣等も作れるのかもしれないが。
それでもダンジョンで武装――武器すら持っていない――を放棄してまでロールプレイをする奴は限りなく特殊極まり、そんな奴がいたら一躍珍妙プレイヤーとして噂は広まる事だろう。

……あんなプレイヤーを見掛けた覚えもないぞ。

チラリと覗けた横顔を、記憶から参照し遡っても出会った事はない。



キリト自身、記憶力も顔が広いとも言えないが、ここまで強烈な印象を与える相手なら絶対に忘れないと思う。

……外見は三十代中頃ぐらいか。

所詮はアバターだが、背格好や年齢はアミュスフィアの認証登録時に必要とされる。
それを基礎としてアバターが構成される事が多い。
あくまで目安程度にしかならないし、例外もあるが判断基準の一つとしては有りな筈だ。

「台座を触っていますね……」

胸元のポケットから首だけ出したユイが囁く。キリトも頷いた。
レポートが目的なのだろうか。
しかし白衣の男はタイムアタックに挑戦してはいない。フラグは未クリアの筈だ。

……何か他の目的があるのか?

暫らくベタベタと台座に触れていた男は頷くと、白衣のポケットに手を突っ込み取り出した物は。



……は? いやいやマテマテマテ。何で携帯なんだよ?!

現実世界で誰もがお世話になる小型の携帯通信端末機。
それを耳元に持っていき、

「ああ、俺だ。漸く見つけたよ。巧妙に隠蔽されてはいるが、俺の目から見たら金魚すくいの網のようなものだ」

白衣の男は語りだす。

「……悪かった。少し声量が大きかったようだな。俺としたことが警戒を緩めすぎていたようだ。注意しよう」

通信相手に注意されたのか、白衣の男は声量を絞る。
キリトの耳でも捉えられないほどの声で、ボソボソと何かを呟いている。

……いや、ねーよ。ねーから。この世界に携帯とか通信機なんてねーから!

ツッコミたい衝動を押し殺し、キリトは辛抱強く相手の行動を観察する。

「……その通りだ。俺はこれから行動に移る。これも運命石の扉の選択だ。エル・プサイ・コングルゥ」

謎の合言葉を言い放つと、携帯を仕舞う白衣の男。
彼は鎮座された黒塗りの台座の前に立ち、儀式のように右の手を左方向へ振り払った。
途端、振り払った空間に透明のホログラフィが浮かび上がる。



目を剥くキリト。
有り得ない現象が、目の前で展開されていた。おかしいだろう!? と幾度目かの衝動と動揺。
しかし事態は待ってはくれない。

「我が眼は真実を見抜く。我が指先は真実を貫く。故に我の欲するまま――真実を解き放て!!」

ノリノリな白衣の男の指先が、浮かび上がったホログラフィをタッチし。
視界が暗転するかのような発光が、正方形に切り抜かれた部屋を埋め尽くした。
六メートルは離れた位置で覗き見るキリトですら、網膜や焼かれるようなスパーク。

「フゥーハッハッハッハ! 来たれ来たれ来たれよ! 我が欲するが儘に!!」

哄笑と発光。
それらが収まった時――視界が戻ってきたキリトが見たものは。
特定化の条件を除き、不動の沈黙を保つはずの黒い台座から、数本の光の筋が入り表面に青白いホロキーボードが浮かび上がっていたのだった。

「ふむ……なるほどな」

頷いた白衣の男は、己が展開させていたホログラフィを消すと、青白いホロキーボードを操作する。

「これか……」

軽快にタッチングされていた指先が、お目当ての項目を探り当てたのか、一時停止し。
すぐさま、クリックされた。

「…………………………ダウンロード完了。茅場レポート4。確かに頂戴した」
 
満足そうに頷く白衣の男。己の目的を無事に達成できたからだろう。
だが。
満足とは程遠い感情を抱く人物が、ここにはいた。

「ふざけんなァァああああ!!」



――――


キリトは気付けば叫んでいた。
しゃがみ覗き込む姿勢は、ピンと立ち上がり相手に向かって指先を突きつける姿勢へと変化している。

……やっちまったか?

正体が知れない相手に面と向かって対峙してしまう失態。
相手は明らかに正規のプレイヤーじゃない。脳裏に茅場晶彦の忠告が過ぎり、キリトの身体が僅かに強張る。

……知るかよ。

やっちまったもんは仕方ない、と即座に開き直ったキリト。
出たとこ勝負は今回に限った事じゃない。
アドリブはステージ上だけのものじゃないと、幾千の経験から得た力は頬に堂々とした不敵な笑みを刻むことを成功させている。

……相手はどう出る。

身構えるキリトに、白衣の男はフリーズしていたかと思えば。

「な――なななな、何者だお前は!?」

哀れなぐらいの焦り具合を見せている。
逆にキリトが拍子抜けしてしまうぐらいに。



「それはこっちの台詞なんだけどな……アンタ、そこで何をやってた」

「くっ……何の話だ! 俺は何もしていない! ただここは不思議な台座があると興味があり来ただけだ!」

「へぇ。シラを切るってのか」

キリトの目が細まる。
白衣の男も気付いているのだろう。自分が行った一連の有り得ない行動を。
システム的にそれは不可能な現象。

……逃がさないぞ。

キリトは神経を研ぎ澄ます。
今の位置関係は、出入り口をキリトが塞ぎ、白衣の男は黒塗りの台座前にいる。

その距離は三メートル。
白衣の男に取っては袋小路。逃げ場はない。
仮に転移結晶やシステム外のチートでログアウトしようとも、この間合いなら阻止出来るとキリトは思う。少々、荒っぽい事になりそうだが。

「チッ」

舌打ちをした男は、白衣のポケットに右手を突っ込む。

……逃げる気か!?

腰を深く沈め、駆け出そうとするキリト。だが取り出したのは小型の携帯通信端末機。



「……俺だ。厄介なことになった。俺達が極秘に進行させていたプロジェクトが外部に漏れてしまった。ああ、分っている。そもそも此処には部外者は誰もいな――」

白衣の男は携帯に早口でまくし立てている。

「なあ……アンタは誰に通話しているんだ?」

「まさか『機関』が――」

「おい。おい!」

「どちらにせよ俺達に残された選択は――」

「無視かよ……いい加減にしやがれっ!」

キレたキリトは俊足を発揮する。
三メートルの距離を目にも止まらず詰めると、白衣の男が反応する前に端末機を奪い取る。

「ちょおまっ」

無視し、距離を開けると耳に端末を当てるキリト。

「……? どこにも繋がってないぞ?」

「…………」

「……アンタ、誰と話していたんだ?」



白衣の男は苦い顔をすると、

「ふ、ふんっ。貴様に答える義理はないが一応教えてやろう。それは俺以外が触れると自動的に電源がオフになるという特別仕様なのだっ。フゥーハッハッハ! 分ったらさっさと返せ!」

「……そうか。独り言だったんだな」

考えて見れば当たり前なのだ。
この世界に文明の利器があるはずがない。世界観ぶち壊しにも程がある。
しかし。そう。その場合。

……かなり痛い人になるんじゃないのかコイツは。

主に頭が。

「……」

改めてキリトは、目の前の人物を観察する。
年は三十代中頃。ひょろりとした痩躯に、髪はボサボサで顎には不精ヒゲを生やしている。そして現実世界の服装に、ヨレヨレの白衣。
髪型をセットしヒゲを剃って、服装を気遣えばそこそこなイケメンになるだろう。元は悪くない。黙っていればイケメンに属するタイプか。

……ここがALOじゃなければ異常じゃないんだけどな。



「もう一度問うぞ。アンタは何者なんだ。何が目的で此処に来た。アンタのその格好や、このスマホだって、この世界じゃ不自然極まりない異物なんだ。ここまで証拠が揃っていて、本気でシラを切り通せるとは思ってないだろ?」

「…………」

「アンタが正規のプレイヤーじゃないのも分ってる。チーターだ。アンタが弁解しないんなら、俺は運営に報告する義務があるんだけどな」

淡々のプレッシャーを掛けていくキリト。
白衣の男は「フ……」と気障ったく吐息を吐き出すと、

「やればいいのではないかね。その程度でこの俺を脅せるとは思わぬ事だ。世界中の『機関』から狙われようとも、俺は三千世界すら超えて逃げ切ってみせるだけだ。これまでのようにな!」

「どんだけだよ……痛すぎるぜアンタ」

脅しを歯牙にもしてしない。
むしろ付き合うキリトの方が、頭が痛くなる始末。

「そうかい。だからって俺も簡単に引き下がれやしないんだよ。なにせ俺もここに来るまでに、色々と恥やプライドを捨ててきたんでな」

「貴様の事情など知らぬよ」

「……茅場レポート」

ピクンッと白衣の男の眉が動いた。

「どこでその名を知った少年」

初めて。
初めて白衣の男が、素のままの言葉を吐いた。



「アンタはチートであのレポートを手に入れたみたいだが、俺は正攻法で手に入れたんだよ」

「カマ掛けには乗らんぞ。どうせ俺のさっきの言葉が聴こえていたのだろう」

「いいや。俺は俺の力で『フラグ』をクリアして入手したさ」

「あの『フラグ』をクリアしたと……?」

「ああ」

「ふっふははっ……面白い。面白い冗談だ。しかし冗談ではなく、真実なようだな。出なければ、お前が『フラグ』などと知っているはずもないことだろうしな」

「話が早くて助かるよ。だったら……俺が言いたいことも察してくれるよな?」

緊迫した空気が辺りを覆いだし。
ふざけた空気はなくなり、二人は鋭い視線を交差させることになった。

「……」

キリトは目の前の男に畏怖を感じた。
佇まいも、目付きも、発する気配も。
何もかもが一変している。
痛いキャラクターは演じていたのか。その仮面を剥がした先には、確固たる信念と覚悟を持つものだけが勝ち得る人間性が垣間覗かせている。



「……少年よ。この問題から手を引け」

一方的な通告。

「イヤだね。俺はまだ何も知っちゃいないんだ」

「世の中には知らなければ良かったと。そう思う事は多い。これもその一つだ」

「だったら手遅れだな。俺はもう知ってしまったんだから」

少なくともアンタって存在は。
シニカルな笑みで、キリトは忠告をバッサリと斬り捨てた。
そして問う。

「アンタは……三百人委員会を知っているのか」

「それを知って貴様はどうする。そして俺が素直に答えると思っているのか」

そもそも、と白衣の男は首を振り。

「三百人委員会など本当に実在すると思っているのか? 陰謀論に思考を犯された末期患者にしか俺には見えないが」

「だったらアンタは白衣のドクターらしく、俺の病気に付き合えよ」

「生憎と医師ではない。俺は科学者でな。専攻違いだ。他を当たれ」

どちらも譲らない。
見解は平行線を巡り、両者の意思は交わらない。



「埒が明かないな。そこまでして、どうして秘密にするかが俺には分からないんだけど、科学者らしくご教示してくれよ」

「それも断ろう。俺が教授してやるのは俺が気に入った奴だけだ。その選考基準だと、君は落第だよ。この件を含めて、身の丈にあった場所で自身を琢磨させることだ」

「それはアンタが決める事じゃなく、俺が決める事だな。他の誰でもない、俺だけが決められることだ」

「社会の仕組みを一から勉強する必要性があるな。就職や進学にしても、その持論は通じないだろう」

「だろうな。だけど挑戦という選択まで踏み躙られる覚えもない。そうだろう?」

キリトはニヤリと笑った。
落第だと言うのなら、裏口入門だってしてやろう。手段は選ばない。
だから、

「俺はアンタのお眼鏡に適わない、頭の悪い子供みたいだ。でもそれならそれで、他にもやりようはあるんだよな」

「何が言いたい」

「なぁに。頭の悪い奴は、何をするか分からなくて困ったということさ。かつての二番煎じみたいで、あんまやりたくないんだけど」




厭らしい笑みを浮かべるキリトは、まるで悪役の親玉だった。
黒尽くめの衣装も相まって、かなりのはまり役ではないだろうか。

「まさか貴様は――!?」

かつて。二番煎じ。

そのキーワードに白衣の男は、キリトが暗に仄めかした目的に気付いたようだ。頭の回転は悪くない。いや、間違いなく聡明だ。

「――レポートを世界に公表する気か!?」

眉を逆立て、睨みつける白衣の男。
握り締められた拳の力加減は、それは許されることではないと告げている。

「取引しようぜ。俺が質問してアンタが答える。俺はアンタに答えて貰う代わりにレポートを世界に公表しない。公平な取引をさ」

これが俺の挑戦だ。気に入って貰えたか? だったらご教示を頼むよ科学者さん。
そう言わんばかりに、キリトは人を食った笑みを浮かべてみせた。
 

今日はここまで。レスどうもどうも。>>98も指摘感謝。読み込み度足らなかった。

もう誰かは隠すまでもないけど、三十何歳にまでなって中二病をやっているなんて、な人です

次は土曜日。また次回で


SAOのssは当たりが無いなぁ
基本的にキリトがイタイ子だからしょうがないけれど



鳳凰院凶真との邂逅から二日後。

時間は一〇時。休日の日曜日に。

桐ヶ谷和人はエギルの店《ダイシー・カフェ》のカウンター席にいた。
モーニングや昼食には中途半端な時間帯の結果、店内にはあまり客が入っておらず。数人がテーブル席でコーヒなどを静かに飲んでいる。
和人も他の客と同じように注文したコーヒを飲みながら寛いでいた。

「……落ち着つくな。時間帯のせいかもしれないけど」

「そう言って貰えると店主としては悪い気はしないな」

エギルはニカッと厳つい顔を笑みに変えつつも、食器を片付ける手を休める事はない。

「美味い食い物に、上質の酒まで揃えてるときてる。オレに取ってはオアシスみてぇだぜ」

和人の隣席に腰掛けていた人物――クラインがグラスに注がれた液体を呷りながら口を挟んできた。額には趣味の悪いバンダナが巻かれている。

「……朝っぱらから酒なんて身体に良くないぞ」

「うるせぇよ……ほっとけキリト」

和人が眉を顰めつつ忠告するも、ダウナーな雰囲気を纏うクラインは酒を呷るのを止めはしない。明らかにヤケになっている。

……二日前は元気だったよな。

和人は参加しなかったがクライン達がチームで模擬戦をしたのは知っている。妹の直葉や明日菜からも話を聞いたが、クラインも元気だったと確認できている。
そんな彼が。荒れて落ち込んでいる。それも人前で。



……珍しいよな。

クラインはムードメイカーだ。
普段の滑稽染みた言動や行動も、道化を演じている節がある抜け目のない人物だと和人は思うときが稀にある。
あくまで稀で、その評価を覆すほど馬鹿をするので霞んでしまうのだが。

それはともかく。
故にこんなクラインの姿を見たのは、キリトにしても初めてと言っていいぐらいだ。

「……何かあったのかエギル?」

和人が来店する前からクラインはエギルの店にいた。だから何か知っているのかと店主に尋ねたのだ。小声で。

「ああ。実はな……」

エギルも迷惑な客だ、とは思ってはいないだろうが、苦笑は隠さずキリトに小声で説明し始めた。
隣に本人が居るのだから小声に意味は無いが、クラインから制止はされなかった。追加注文した酒をやはり呷るだけだ。

「どうも女に振られたらしい」

「うっ……それはご愁傷様だな」

「俺も全部は知らんがな。なんせコイツが愚痴っていたのに付き合って真相が分ったぐらいだしよ」

「朝の忙しい時間をこなしつつか。エギルもご苦労様だな」

「朝は上さんがメインだこの店は。俺は夜からがメインでな」

酒を求めてサラリーマンが訪れる時間帯は、常連で占めるこの店にしても稀に厄介なお客さんが混じるらしい。
そういう時はエギルの人相や体格は武器になるだろう。



「それで朝から厄介なお客さんが来て、エギルは付きっ切り接待か」

「変に騒がないし金払いが悪いわけじゃない。仲間だから暇なら相手してやるさ」

気持ちのいい笑みを浮かべると、更に追加注文のアルコールをするクラインに「これで最後だ。それ以上は毒だぜ」と窘めながら注文を用意するエギル。

「……何か大変だよな」

「社会人になるとそういう苦労もあるさ。この酒飲みにもな。普段から女にだらしない奴だが、今回マジだったらしくてよ」

「告白で? それとも交際後に?」

「前者だ。二ヶ月ぐらい仲良くやって覚悟を決めて告白したら、貴方は良い人だけど……と玉砕したらしい」

「うわぁ……」

告白を断られる際のお約束パターンじゃないか、と和人は顔を顰めた。
横で「何が良い奴だよクソッタレ……」と不穏な呟きがブツブツと聴こえる。

「どうにかしてやってくれんか?」

「どうにかって……」

無茶な頼みをするエギルに、和人は口を濁すしかない。
元々、こういう話題には疎いのだ。
昔に比べると随分とコミュニケーション力は上がった自覚はあるが、それでも人付き合いが苦手な和人。その頼みは人選ミスとしか言いようが無い。



「うむ。キリトには難しい注文だったな」

「エギル……性格悪いぜアンタ」

恨みがましい視線を向けてやるが、エギルは涼しい顔だ。
ガックリ、と和人は肩を落とす。

「まあ事情を知ったんだから、慰めの言葉の一つや二つはかけてやれ。それぐらいはキリトだって世話になっているだろう。借りや恩だってあるはずだぜ、仲間ならな」

「……おう」

エギルはそのまま離れていった。どうやらお客さんが席を立とうとするのに気付いて、精算準備をしようとしているらしい。雑談しつつも、そこらの気配りは忘れないのはプロの仕事だった。

……世話に、借りや恩か。

エギルはこう言いたかったんだろう。
世話になるし世話をする。借りを作れば恩で返す。だから俺達は仲間だ。一方的な施しだけを受ける奴は肩を並べる資格はない、と。

……厳しい言葉だけど、得がたい存在だよな。

世間の荒波を渡る立派な大人であり、人生の先輩。
エギルと接していると、自分がどれだけ子供で。それに甘えているかを教えられる。
それは決してエギルに対してだけでもない。

横にいるクラインに対してもそうだと、和人は癪ながらも自覚している。  

普段は馬鹿で女に駄目なクラインだが、SAO事件を例に出すまでもなく。
キリトは幾度もクラインにお世話になっているのだ。
剣の世界に囚われた当時のガキすぎた自分は、生きる為の選択をしたと言え、余計なお節介だと言って幾度も差し伸べられる手を振り払った。それはクラインに対してだけじゃないが。

その事実を胸に留めて。
現実世界に帰還し、勉学や社会を学ぶことで、当時の自分のあまりの稚拙さに恥ずかしくなる時が和人にはあるのだ。





……だったら。

その稚拙だった自分を、雪辱する機会だと和人は頷く。
正直、こういう人生相談みたいなのは苦手分野だけど。負けっぱなしは悔しいし、少しは彼らみたいな大人になってみたいと思うから。

「……なあ、クライン。聞こえてるか?」

「あん? なんだよキリト。慰めならいらねぇぞ。それよりおめぇはこの後のアスナちゃんとのデートプランでも考えとけよ。昼頃にここで待ち合わせしてんだろ」

「そうだな。デートプランも昨夜、随分と計画を練ったから大丈夫だ」

「余裕だなぁ。まあそれならオレも安心だけどよ」

最後の一杯と言い渡されてか、チビチビと未練らしくグラスを傾けるクライン。
酔いとテンションの落差から、普段の彼を知っているだけに取っ付き難さは相当なのだが、それでも自分は二の次、相手優先らしい。

……何で俺が逆に心配されてんだよ。

和人は自分の慰めスキルの熟練度低さに密かにショックを受けた。
命を懸けた切った張ったの大立ち回りの際では、和人自身が行動で示すからこそ、純粋な話術はそこまで高くない由縁かもしれない。

「いや、あのさ」

「んぁ?」

面倒臭そうに視線を寄越すクラインに、和人はめげそうになる。
クラインも、昔の自分を相手にしていた時は、こんな気持ちだったのだろうか?



「俺が心配する場面なのに、何で逆に心配するんだよクラインは」

少しは借りを返させやがれ、と和人は文句を言うが。

「だっておめぇ……前科持ちじゃねぇか」

「……ここでその話を持ち出すのかクラインさん。あれは気にするな、お前は良くやったって言ってくれたよな」

「でも事実だろぉがよぉ。違うっていうのかよキリト」

「いや、その……機嫌悪い?」

「ハッピーに見えんなら、その眼球抉り出してやる」

しまった藪蛇だった!? と和人は思わず周囲にヘルプの視線を飛ばす。
対象相手はエギルなのだが……帰った客のテーブルを片付けていたエギルは、和人の視線に気付くと親指を立てた。

……どういう意味だそのサムズアップは!?

駄目だ、助けにならない。むしろ敵の可能性が多大にある。

「おめぇはなぁ。恵まれてんだよキリト。あんな可愛い彼女に、アスナちゃんに愛されててよ。聞いてるかぁ?」

「……はい、聞いてます」

「おう。だってのにおめぇはアスナちゃんを不安にさせすぎだってんだ」

「……はい、反省してます」

酒臭い息にクドクドと説教臭い口調を乗せるクライン。完全に目が据わっている。オーラーもダウナーなままだ。

……こいつって絡み酒だったのかよ!?

和人はクラインに滅多に使った事のない敬語で応じながら、内心で勘弁してくれと絶叫した。
酒飲みなのは周知の事実だったが、ここまで酔っているクラインを見たのは初めてだ。
きっと振られたショックで、普段はセーピングしていた限界値を振り切ったに違いない。逆に言うと和人を含む未成年の前では、大人であろうと心掛けてはいたのだろう。



「二日前だったかぁ……アスナちゃん笑ってたけど、内心じゃ不安がってたぜぇ」

「それは……」

ここ一ヶ月ちょっとのレポート集めが原因なのだろう。
それもあって、今日は埋め合わせのデートに誘っているのが和人だった。

「そんなおめぇが人の心配なんて早いんだよ。そんなんだと、また一年前に逆戻りになっちまうぞ」

「悪かったよ……悪かったからさ……そんな一年前、一年前って連呼すんなっての」

若干ながら本気で凹みそうな面構えの和人。
もう一年、なのか。まだ一年、なのか。
しかし月日は確かに流れる。刻一刻と。止まることなく。
一年前……恋人がいるはずの自分に対し、仲良くしていた女友達や血の繋がらない妹の四人から告白を受けたのを、和人は自分が迂闊すぎたと教訓として刻み付けている。
クラインが絡み酒で指摘している前科とは、これを指しているのは和人自身が深く深く理解していた。
その際の出来事での驚き、苦悩、後悔は一生忘れないだろう。骨身に染みたから。



「こらこらクライン。酒の飲めない未成年に、酒に呑まれて絡むもんじゃないぞ」

「エギル……」

仕方ない奴だと呆れた表情を浮かべたエギルが助け舟を出してくれた。
思わず名を呼び、助けてくれと藁をも縋る思いで視線を向けてしまう和人。

「別に絡んでなんかねぇよ……ただよぉ、オレはこいつが心配で少し説教をなぁ」

「それが絡んでいると言うんだ。横に嫁と待ち合わせするリア充野郎がいて、自分が振られたからって嫉妬は見っともないぞ。理解したらこれでも飲め。水だ」

「嫉妬じゃねぇーっつぅの。オレは本気でよぉ」

「分かった分かった。まずは水を飲め」

酔っ払いの相手は手馴れたものなのか、グダグダのクラインを軽く流しつつ水を飲ませるエギル。
和人はその手並みに感心しつつ、自分は役に立ってないな、と思わずにはいられなかった。

明日奈との待ち合わせ時間まで、まだ三十分以上ある。
酔っ払うクラインの相手を、エギルにバトンタッチした和人は黙ってその様子を眺める事で、暇を潰すことにしたのだった。

眠いので一回中断。今日の22時ぐらいにまたくる

>>126 キリトはまだ子供だしね。このSSでもその辺、軽くは掘り下げれたら嬉しいなと思いつつ

また夜に。おやすみなさい



――――


「悪かったキリの字! おめぇを悪く言うようなこと言って!」

「いや……そんな何度も謝るなってクライン。別に気にしてないから」

クラインが酔いから醒めたのはアレから二十分後。
水を飲んで、顔を伏せて黙り込んでいたかと思えば……唐突に面を跳ね上げると大声で和人に謝り出したのだった。和人は驚きはしたものの、気にしていないと首を振ったが、クラインは何度も謝るのを止めようとしないのである。

「でもよぉ……キリの字は何にも悪くねぇのに、しかも心配までしてくれたってのに」

クラインは自己嫌悪の口調で、

「オレの醜態から嫉妬しちまって、何様な顔で説教臭ぇこと言っちまったんだぜ」

「別にいいよ。お前らには何度も迷惑かけてるし、あの件にしても俺の迂闊さから始まったんだしさ。裏じゃ色々と心配してくれてたんだろうエギルもクラインも」

だからお相子にしようぜ、と和人は笑った。
それでも不満そうなクラインの表情に、和人は内心で仕方ないなと思いつつ妥協案を口にした。

「それでも納得できないんだったら、今度何か奢ってくれたらいいさ」

「応。もうちょっとで夏のボーナスもあっから、何でも言ってくれや」

クラインも流石に察したのか、それ以上は食い下がろうとしてこない。
それに楽しみにしていると笑い、この話題は自然と終わりへと向かっていった。



「それにさ、クライン」

「ん。何だよ?」

「今回の件は残念だったけどさ。クラインなら大丈夫だって。エギルやお前は嫉妬からって言うけど、俺はそう思わなかったしさ。自分が女に振られてるのに、俺のことを心配までしてくるんだからさ。自分より他人優先の、そのお節介ながらも優しい性格を気付いてくれる人は、その内見つかると思うよ」

「…………」

「……何だその目?」

「……キリト、熱でもあんのか?」

「お、お前な! それが今の言葉に対する返答かよ!!」

怒鳴った和人に、クラインは「いやおめぇがそんな台詞を……」なんてモゴモゴと弁解してくる。

……くそっ。やばいぐらい恥ずかしいぞ。

特別、意識していた訳でもなく素で吐いた台詞だけに、猛烈な羞恥心が込み上げてくる。
しかし、

「でもありがとよキリト! おめぇにそう言って貰えると、オレもそんな気がしてくるわ!」

「……おう」

邪気のない朗らかな笑みで喜ばれては、羞恥より伝えて良かったと思うのだから現金な物だ。恥ずかしさから顔は渋面になっていたが。



「やればできるじゃないか」

ずっと黙って様子を見ていたエギルが、含み笑いをしながら声を投げてくる。

「……そりゃあどうも」

「そうだぜエギル。こいつはやるときはやる奴なんだぜ」

「何でお前が威張ってるのかなクラインは……はぁ」

現金なのはクラインも一緒か。
まさか自分程度の下手な慰めでここまで元気になるなんて、と和人は考えていたりするが、それは自己評価を低く見積もりすぎているのに本人は気付いていない。彼の言動は他人にとって魅力的な影響を与えるのを。
和人は思う。

……少しは大人に近づけたのかね。
 
分からない。しかし変わって行こうと思う気持ちが大切だと実感はしたのだった。
それからは雑談だった。
三人で喋りつつ話題はコロコロと変わる。
クラインの社長の愚痴、エギルの新作メニューの考案の提案、ALOの新クエストの情報、昨日の模擬戦の感想。
そして、

「キリトはアスナちゃんとデートすんだろ? 今日は何処に行くんだよ」

当然のように他人の恋路を肴にする話題にもなったりするのである。



「……どこだっでいいだろう」

「別にいいじゃねぇか、今更隠すことじゃないんだしよ」

「よくねぇっての……お前は俺のオカンか何かか」

「うむ。どちらかと言われれば弟を見守る兄みたいな心境だな」

「エギルも勘弁しろよ。アンタみたいな強面の兄貴なんか俺にはいない」

ほっとけよ、と顔を顰める和人だが、友人二人は厭らしい笑みを浮かべつつ諦める気はないらしい。いや本気で聞きたい訳でなく、和人の反応そのものを楽しんでいるだけなのだろうが。

……ほんとっ、いい友人を持ったよな俺!

溜息をつく和人。オモチャにされるのを我慢できなくなったのか、もう勝手にしろと重たい口を割ったのだった。

「……工場だよ。都内から少しだけ外れた場所にある工場に行くんだ」

「「工場……?」」

デートなのに、何でそんな場所へ?
二人の頭にクエスチョンマーク。

「ユイがさ言ってたんだよ。稼動しているロボットを見てみたいって」

「なるほどなぁ」

「娘の頼みなら、父親なら断れないよな」

うんうん、と頷く二人。



「しかし、どうしてロボットを見てみたいと思ったんだろうな」

「俺も理由は教えて貰ってないけど、薄っすらとだったら察してはいる」

それは、

「ユイ自身が、誰かの為に作られたAIだろ。俺はプログラムとかそんなの気にしちゃいないけど、ユイは同じように誰かの為に動くロボットを見てみたかったんじゃないかって思ってる」

「ユイちゃんがねぇ。……やっぱ寂しいと思ったりすんのかねぇ」

「……どうだろうな」

クラインのポツリと零された言葉に、和人は即答を出来なかった。

……寂しいか。
 
ユイは人間とは違う、独自のプログラムから創られたAI。
どれだけ和人や明日奈、またクライン達がそんな些細な事情を気にせず、愛情や友情を注ごうと、確かにそこには明確な差異や壁は存在するのだ。

「まあ仮にそうだとしても、おめぇらなら問題ねぇだろうけどよ」

「その通りだな。仮にそうだとしてもそこは父親や母親――キリトやアスナちゃんが穴を埋めてやればいいだけだ。お前達だってそれぐらいの心構えは当然あるんだろう」

「そりゃあな」

気負いもなく和人は頷いた。
そのつもりで、彼は将来設計を決めているのだから。エギルもクラインもそれを知っている。



「アメリカか……もうすぐだな」

「……ああ。九月にはアメリカに留学しているよ」

「アスナちゃんも一緒なんだろ?」

「ああ。俺の我が侭に、文句の一つも言わず付き合ってくれる最高の彼女だよ」

「ここで惚気かよケッ。でもよぉ……寂しくなるよなぁ」

もう三ヶ月後には和人と明日奈は日本にはいない。
誰もが自分の道を歩む。人生とはそういう物だ。
でも。それでも。

「そうだな……俺も寂しいよ」

いつになく素直な和人は、自らの気持ちを吐露する。
去年はクラインの野武士面や、エギルの店に財布を軽くせずに済むと軽口を叩いていたが、やはり時期が近付くにつれ実感が大きくなってきているのであろう。

「なあに。今生の別れではあるまい。VRMMOでなら世界中で繋がれるんだしな」

「ALOやGGOは海外からのアクセスは禁止だろ。それで残念だなって話になったじゃねぇか」

クラインがエギルに突っ込むが、

「それなら……なんとかなると思う」

「ほぉ……」

「マジかよ!?」

二人は和人の発言に食い付いた。
和人は頷き、



「明日奈とも色々話してたんだけどさ……やっぱり皆と合えないのは寂しいってさ。それで明日奈ってほら……ALOの元開発企業でもあるレクトの跡取り娘じゃん?」

「つまり……社長である親父さんにお願いしたと?」

「うん。まあ……その通りなんだけどさ。俺の事も随分と気に入られていてさ、向こうの親父さんに。だから向こうに行っても皆とVRMMOでは遊べると思うよ」

夏休みを使って、ホームステイ先や留学先を明日奈と見学したり下調べもしようと、明日奈と話し合っている和人。

「だから大丈夫。これまで通りとは言わないけど、向こうに行った後も、明日奈と俺はインするから。その……今まで通りよろしく頼むよ」

改めてと和人は頭を下げた。
それだけこの絆を大切にしているのだと、第三者が見ても伝わるだろう光景だった。

「応よ。へへっ……オレは嬉しいぜぇキリト。おめぇとまだまだ遊べるんだからよぉ!」

「うわっ、おいよせって」

嬉しさのあまりか肩を組んでグイグイと自分の方に引きよせようとするクラインに、和人は鬱陶しいそうにしながらも邪険にはしなかった。

「他の連中にも伝えてやれ。きっと喜ぶだろうからな」

「ああ。後でメールしておくよ」

二人を微笑ましそうに見ていたエギルの言葉に、和人もしっかりと頷く。



……でも、問題は他にもあるんだよな。

和人はどうしたもんかと悩んでいるのは、現実世界ともVR世界とも違う。
第三の世界。
そこには現実世界で知り合った仲間達とは違う、大切な仲間達が存在している。

……こっちはまだ未解決なんだよな。

留学先で早々になんとかしたいところだが、等と和人が物思いに耽りそうになった時、また話題がコロリと変わる発言がエギルから飛び出した。

「ロボットと言えば。二人はあの東京での事件覚えているか?」

物思いに耽りそうだった和人の心臓がドキリと跳ねる。
頭を過ぎったのは茅場レポートの内容。

「あ、ああ。二〇二〇年のだろ……?」

「そういえばあったなぁ。当時は大騒ぎだったよな」

「あれのせいで街道や街中から配備されたロボットがいなくなったんだがな」

「それがどうかしたのか?」

和人は尋ねると。

「いやな。俺はロボットアニメが大好きでな。それで当時のロボット産業の火付け役になったアニメをお前らは知っているかと思ったのさ」

「オレは知ってるぜ。ガンヴァレルだろ?」

和人はアニメにあまり興味が無かったから、黙って首を横に振ったが、クラインは知っているようだった。
自然、エギルとクラインを中心に会話が進む。



「そのガンヴァレルだが、どうやら二期の製作が密に進行しているらしい」

「えっ、まじかよ!?」

「ああ、大マジだ。未だにガンヴァレルのファンは多い。ロボット世代は、昨今のロボットブームの鳴りの静め方に不満も感じているらしいな。それが新たな起爆剤にならないかと考えているらしいぜ」

「っていうかよぉ……エギルの旦那はどっからそんな情報を仕入れてくんだよ」

「こう見えて顔が利くんでな。とある情報者からのリークだけ言っておこう」

喫茶店のマスターなのに、妙なコネクション力を持っているエギル。
和人が《ザ・シード》を預け、それが世界に旅立ち、新世界の芽吹きとなった一因は、この男のコネクションによるところが大きい。喫茶店のマスターになる前は、一体何をしていたのが詳細不明な男である。

「しっかし……それが本当なら」

「ああ……そうだなクライン」

二人は顔を見合わせると、ニヤリと笑みを揃えて。


「「――楽しみだ」」


楽しみすぎて堪らないと笑いあう二人。
彼らの年代にとって、そのガンヴァレルとやらは青春らしい。

……あんまアニメに興味ないからなぁ。

和人を蚊帳の外にしつつ、エギルとクラインの談笑は止まらない。あのアニメのエピソードはかっこ良かったよな、と盛り上がっている。

……聞いてみるべきだろうか。

あの件を。レポートに記されていた、君島レポートの件を。
二人の様子からロボット関係に詳しいのは、なんとなく察した。当時を深く知るエギルとクラインなら、何か情報を持っているかもしれない。



……よし。

内心で頷いた和人は、談笑する二人の会話が途切れるタイミングを探り、その合間を縫うように自然な感じで問いかけた。

「話題を蒸し返すようで申し訳ないんだけど、ちょっと訊きたいんだけどさ」

「ん?」

「どしたよ?」

「ロボット暴走事件の時に、同じタイミングぐらいで出回っていた君島レポートって知っているか?」

ストレートに質問した和人。
その瞬間、

「……」

「……」

ピタリ、とエギルとクラインの二人が停止した。

……え?

和人は疑問に思うが、その解答は得られそうになかった。
二人は停止したままだ。
笑っていたはずの顔は、のっぺらぼうな素面へ。表情筋はピクリとも動かない。
発する気配もどこか固く、その気配が伝播するように周囲の空気がどんどん重くなるような雰囲気を和人は感じ取った。



「お、おい。どうしたんだよ二人とも?」

明らかにおかしい二人は、和人の言葉に黙したまま微動だにしない。
和人の口元が引き攣った。
店内には他にお客様はいない。つい十分程前に最後の客が勘定を済ませたまま、来店してくるお客様はいなかったのだ。
和人、エギル、クライン。
この三名だけの店内に、不吉な沈黙が蔓延している。
その時だった。
豹変したエギルがカウンター側から動くと、店の出入り口の方に音も無く歩き出し、

……鍵を内側から閉めた!?

何でどうしてまだ開店中だよなそもそもこの嫌な沈黙はなんなんだよ!? 慌てる和人だが二人の雰囲気に圧され、身体を動かせないでいる。

……待て、待ってくれよ。

おかしい。異常だ。少なくとも和人にとって、目の前の二人は正常に見えない。

……まさか。

思い当たる節はある。しかしそんな馬鹿な、と思わずにはいられなかった。

『三百人委員会。彼らは何処にでもいる。その事を念頭に置いて行動するべきだ』

これが、その警句だったとでも言うのか?
有り得ない。そんな馬鹿なことがあってたまるか。
しかし、

「オメェハドコデソレヲシッタ」

いつの間にか平坦すぎる――感情を宿さない瞳を向けたクラインが、片言の口調でこちらを見てきて。



「オマエハドコデソレヲシッタ」

鍵を閉めたエギルが、カウンター席の向こう側でなく、自分の背後にやってきている。
包囲された形だ。

「……冗談は止めようぜ二人とも。全然笑えないからさ」


声を絞り、健気にも笑みを作って場を和ませようとするが。

「――なにしやがる!?」

クラインが和人の左手を掴み、エギルが背後から和人の両肩を固定するように拘束してきた。反射的に暴れそうになるが――拘束する力が強すぎてピクリとも動かない。
――まさか本気なのかよ!?
ガチガチと震える身体。有り得ない恐怖が、心の底から泡立ってくる。

「オメェハドコデソレヲシッタ」

「オマエハドコデソレヲシッタ」

シンクロする異口同音の口調。
まるでロボットみたいだ。
和人は、とうとう耐えていた理性が崩壊するのを感じた。

『三百人委員会。彼らは何処にでもいる。その事を念頭に置いて行動するべきだ』

そして。
崩壊は絶叫から始まり、

「うわああああああああああああああああ!!!!!!」

拘束を引き千切ろうと暴れようとしたところで――ガランゴロンと来店を告げる音が響いた。



「おっ邪魔しまー…………キリトくん?」


純白の清楚なイメージを基調としたワンピース姿の女性――和人の恋人である結城明日奈が待ち合わせの時間五分前に来たのだった。
そんな彼女を出迎えるのは、半狂乱の和人の叫びと必死な表情。そして彼を拘束する彼女にとっても友人の二人。
ポカンと口を開けてしまうのも無理はない。
和人も半狂乱に陥り、混乱の極みにある思考ながらも、明日奈が来たのは気付いていた。
気付いたからこそ、


――ここから逃げてくれ、明日奈!!


恋人の身を案じて、更に思考は混乱の渦へと叩き落とされる。
彼を取り巻いていた現実が、ガラガラと音を立てて崩れていくのは、この直後からだった。

ハイここまで

次は来週。また次回で

このSSまとめへのコメント

1 :  Light   2014年12月01日 (月) 13:07:06   ID: hrUqPgpv

微妙・・・

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