星梨花「夜間非行」 (152)

草木も眠る丑三つ時……というのでしょうか


パパもママもぐっすり眠る夏の夜。時計を見るとぴったり深夜の2時でした



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1406395538

「なんでこんな時間に起きちゃったんだろ……」


ぼんやりと口にしてみましたが、聞こえてきたのはかすれたような声でした


あ、喉が渇いてる


そう分かった時、夜の暑さで目を覚ましちゃったのかな? と、他人事のように思ったのでした

今の私は、背中と胸のあたりに汗をかいているみたいです


(ちょっぴり気持ち悪いかも……。…喉も渇いてるし、寝る前にミルクかお水でも飲もうかな…)


そう思って部屋を出て、私は自分の部屋を出てキッチンへ向かいました



喉だけじゃありません。今の私は、背中と胸のあたりに汗もかいてるみたいです


(ちょっぴり気持ち悪いかも……。…このままじゃ眠れそうにないし、ミルクかお水でも飲もうかな…)


そう思いながら部屋を出て、私はキッチンへ向かいました

私のお家のキッチンは、私の部屋とは少し離れた、ダイニングと繋がった場所にあります


部屋を出た私は、ドアを閉め、他に起きてる人がいないことを確認しながらゆっくりとキッチンへ歩を進めます


警備員さんならいいんですけど、もしパパやママに会ったら「こんな時間に起きているなんて!」と怒られそうで、怖い気分がするからです


だから、少しだけドキドキ、少しだけびくびくしながら、私はキッチンを目指し歩いて行きました

「はぁ~……」


無事キッチンへたどり着いた私は、冷蔵庫にあったミルクをカップ一杯分飲みました


「はぁ…冷えてて美味しいなぁ……」


汗が全部おさまったわけではないですが、喉の渇きが解決したので今はとってもいい気分です


「…カップはちゃんと洗わないと。ミルクを飲んだ後、ゆすぐだけだとカップに『あぶら』が残っちゃうもの」


ミルクに入ってる『あぶら』がなんなのかはよく分かりませんでしたが、以前ママに叱られたことを思い出しながら、私はカップをスポンジで洗い始めました





その時です



カッ…カッ……カッ………



という、窓ガラスを何かが叩くような音が聞こえます


この近くでは、私がいるキッチン以外には灯りはついていないはずです


だから私は(外にいる虫が、灯りにつられたのかな?)と思い、特に気にしないままカップを洗っていました

私はカップを洗い終わりました


ミルクを冷蔵庫にしまって、キッチンの灯りも消して、後は自分の部屋に戻ってまた眠るだけです


ここから部屋までは灯りが少なくて暗闇に近いのですが、ここは私の家ですし、一度通ったこともあってちっとも怖くなんかないです


でも、部屋に戻る前に





カッ……カッカッ………





という、未だに小さく響くあの音のことを考えずにはいられませんでした

どうやら、ガラスを叩いてる人(?)は灯りにつられた虫ではなく、さっきからあまり移動もしてないみたいです


その証拠に、私はキッチンにいてそこにしか灯りをつけてなかったのに、例の音はずっとダイニングにあるガラスの方から聞こえてきています


一度は「不審者」の可能性も考えましたが、そういう人が家の中にいる人に気付かれるようなことをするのは変だと思います


それに、あの辺りはジュニオールの犬小屋があってジュニオールが寝ている場所なので不審者は入りにくいはずです


ということで、私は意を決して、例の音のする方へ謎の正体を確かめに行くことにしました



さて、行き先はどうしましょうか


いつものお散歩コースを辿るだけなら、暗い時でも安全には行けるでしょうし、安心感もあります


でも、こんな時間に、それもジュニオールと二人きり(?)でお散歩するなんて、私には初めてです


折角ですし、いつもと違うコースを行きたい気持ちもありますけど……大丈夫なんでしょうか…


……と、さっきに続いてまたまた悩み始めてしまった、その時です



「ゥワフッ」



小さく鳴くと、ジュニオールは歩き出してしまいました



「ちょ、ちょっとジュニオー…!」



どこかへ逃げたら大変です! 私もすぐに追いかけようと……したの、ですが、…




「フンッ…フン……」



…ジュニオールは、鼻を鳴らしながら道路に敷いてある、タイルの隙間に生えた草の匂いを嗅いでいます



「フスッ……フンッ…」



…かと思うと、また歩き出して、電柱の側まで行って鼻を鳴らし始めました


いつも着けているリードが無いからでしょうか? それとも、この時間に散歩が出来ることが嬉しいのでしょうか?


さっきも思いましたが、今夜のジュニオールはいつもと一味違うみたい……ですっ!



「…ジュニオールっ」



と、声をかけてみると、ジュニオールは『どうしたの?』というような顔を向けてきます


いわゆる『無我夢中』な状態ではなさそうです。気分は高まっていても、心のどこかはきちんと落ち着けているのでしょう


これなら、いきなり逃げ出すようなことは無いかな……と思ったところで、私の脳裏に、ある考えが浮かびました



まず、私の先を行っていたジュニオールに近づきます


そして、匂い嗅ぎ(とでも言うのでしょうか?)の最中に申し訳ないな、と思いつつ……



「…えいっ」


「…フスッ?」



私がお尻を強めに押すと、ジュニオールは不思議そうな顔をしながら私を見て、匂いを嗅ぐのをやめ、電柱から離れて…


…そして、タイルの上を、ゆっくりですが確実に進み始めました



私の考えとは、ジュニオールにお散歩のコースを決めてもらおう、というものです


元々はジュニオールのための夜更かしですし、時間制限もありますし、悩んじゃうくらいならジュニオールに任せちゃおう、と思ったのです


さっきの感じでは、いきなり走り出して私を困らせることも無いでしょうし、ジュニオールに先を歩かせても問題ない…はずです


こういう歩き方は、普段のお散歩ではあまりしません。広い所で、リードを外して遊ぶ時くらいでしょうか?


普段と違うお散歩を楽しめるのだから、どうせならお散歩のやり方も普段と違うものにしよう、というつもりもあります


…とにかく頼んだよ、ジュニオール!



出だしは順調です


私に先導を任されたジュニオールは、道端で匂いを嗅いだり、草や花を舐めたりしながら、てくてくてくてく、歩いていきます


自由なお散歩が楽しいのか、夜のお散歩が不思議なのか。とにかくそわそわ、ハフハフと鼻を鳴らしながら、歩いていきます


時々、私が付いてきているかどうか、後ろを向いて確認してくる仕草が可愛いんです!


私がいないと心細いからでしょうか?


それとも、私のことが心配だからでしょうか?


夜のお散歩は、いつもと違う友達の顔を見せてくれるのでした



なんだか、普段と違うお散歩も楽しめる雰囲気になってきた、その時です


ジュニオールが身構えたのが分かりました。ピタっと動きを止めて、視線の先にある何かを見ています


私も止まります。ジュニオールの真似をして、じっと前を見つめることにしました



じっ…と前を見ていると、私たちの進む先、道路の端に、何か黒くて横に長い物が落ちている(?)のが見えました


大きめの服のようにも見えますが……なんなのでしょう?


止まっているジュニオールを追い越して、その黒い物へ近づこうとした、次の瞬間……!



「ワッ! ワンッ!」



ジュニオールが吠えながら、黒い物目がけて走り出しました!



「…………!!」



すると黒い物は、ジュニオールに気付くと同時に起き上がって、走って逃げ出しました! 何かの生き物だったのでしょうか!? 



「ウゥフッ…!」



ジュニオールは、黒い物の姿が見えなくなった所で追うのをやめました


突然のこと過ぎて、とってもびっくりしましたが…犬という動物のことを考えると、ああいうこともたまにはあるのでしょう


事実、私も懐かれる前は何度も吠えられ、追いかけられたような……苦い思い出です



ところで、私と苦い経験を共有することになった黒い物ですが、どうやらすぐ近くのお家の駐車場へ逃げ込んだようです


駐車場と言うより、『駐車スペース』と言った方がよいでしょうか


シャッターの無いガレージの中、丁度一台だけある車の下に、その黒い物は潜り込んだのだと思われました



私には、黒い物の正体に心当たりがありました


さっきの出来事が嘘のように落ち着いているジュニオールと対照的に、今の私はちょっぴり変な気分になっています


あの黒い物のことを確かめたい、と思うと同時に、もうちょっとだけ黒い物を困らせてやりたい、と思っていたのです



ジュニオールが近くにいることと、車や人の足が近づいていないことを、耳を澄ませて確認します


安全を確認した私は、例のガレージの側へ行き、そこに止まっている車の正面に立ちました


そして、猫のように四つん這いになって、車の下を覗きます


そこには、私が想像していた通りの眼光が待ち構えていました



「…にゃーん」


「……………………」



……むむむ。相手に合わせた言葉(?)で話しかけたのですが、効果は薄いようです



「にゃ~ん…」


「……………………」


「…うみゃお? みゃん…」


「……………………」


「にゃん、にゃーん…」


「……………………」



「にゃん。にゃん、にゃ~ん…」


「……………………」


「…なぁ~ん。なぁ~ん……」


「……………………」


「ふ~…! にゃんっ、にゃん…!」


「……………………」



…うぅ。私の言葉は、今見つめ合っている、あの黒猫さんには通じないのでしょうか……?



…いいえ、こんなことで諦めてはいけません!


たとえ言葉は通じなくても、私なりに一生懸命メッセージを伝えれば、相手も分かってくれるはず…!


「にゃぁ~ん…。ねこさ~ん…ナカマデスヨー……にゃ~ん…」


「……………………」


「…うぅ。にゃ~ん。にぁ~ん」


「……………………」


「なぁ~ん…! な~ん…」


「…………!」



!! 手ごたえありです!



今、黒猫さんのこっちを見る目つきが明らかに変わりました!


反応が怪しい時もありましたが、相手はどうやら、『にゃ~ん』ではなく『な~ん』の方に反応してくれるようです!



「…なんっ。なぁ~ん…」


「………!」


「なぁ~ん……なぁん…」


「……!」


「なぁ~ん…!」


「…!」



相手はとうとう身を起こしました! ここで一気に…



「(*>△<)< ナーンナーンっっ」


「!!!!」


「…あっ! ま、待っ…!」


「!!!!!!!」


「あ……あぁ……」



…私の声に驚いたのでしょうか


車の下に逃げ込んでいた黒猫さんは、私の脇を通り抜け、ジュニオールが吠える暇もなくどこかへと走り去ってしまいました…

中の人ネタ(しかもパクリ)を混ぜて申し訳ありません。またいつかの夜に更新します



「……あれ?」



光は、私に近づく動きを止めてゆらゆらと空中を漂っているようです。そこでやっと、その光が懐中電灯のものだということに気がつきました


自転車かなにかと勘違いしたのは、暗がりで事故に気を付けるあまり過びんになっていたからなのだと思います


普段通りの私なら、自転車の灯りと懐中電灯の灯りを見間違えるなんてことはありません!


…多分、ですけど



さてさて


そんなことを考えていると、懐中電灯を持って私に近づいてきたその人は、私に向かってこう言ってきたのです



「…星梨花じゃないか! こんな所で…こんな時間に、何してるんだ!?」



顔はよく見えませんが、声ですぐにその人の正体は分かりました


その人はここで私と出会ったことにすごく驚いているようで、私は、かえって落ち着いたような気になりました



「そっか。眠れなくて、ペットと散歩してるのか…」


「はいっ。こういう時間に歩くのって、初めてだけどすっごく楽しいです!」


「そっかぁ…」



と、そこで


懐中電灯の光が、私の足元にお座りしてるジュニオールを照らしました



「…楽しいのもいいけど、リードはきちんと付けておかないと危ないと思うぞー」


「あぅ…」



覚悟はしていましたが、悪いことをしているのをとがめられると、気まずい気分になるものです


特に、『悪いことだ』と自覚していたことをとがめられた時は、いつもよりずっともやもやした気分になります


こっちを心配そうに見上げるジュニオールの表情が、私を更に暗い気持ちにさせるのでした



「…ごめんなさい。次からは、めんどくさがらないでちゃんとリードを……」


「いやいや、謝らなくても! …というか、こっちも星梨花のことをあまり強く言えないし…」


「え? どうしてですか?」


「いや、その、なんと言うか…」


「どうしたんですか?」


「あー……」



そうやってもじもじしている響さんの気分は、多分、ついさっきまでの私と同じなのだと思いました



「えぇっ!!? わ、ワニを逃がしちゃったんですか!?」


「に、逃がしたんじゃないし! 目を離してたら、どこかに行ったってだけだぞ!」


「でも、それって逃がしたのと一緒なんじゃ…」


「と、とにかく静かにして! 近所の人に聞かれたりしたら、軽くパニックになっちゃうぞ!」


「は、はい…」


「ワニ子はおとなしいけど、知らない人とかにビックリしたら何をするか分からないから…」


「え、っと……」


「星梨花も、もし見付けたりしたら無理に捕まえようとしないで自分に知らせてね?」


「……あぁぅ…」



響さんに言われたことは、正直に言って私にはよく分かりませんでした


まず、ワニのお散歩ということからして信じられません。響さんがワニを飼っているのは知ってましたが、こうやって事実としての実感を持つといっそう信じられなさが際立ちます


それに、逃げ出したワニが人を噛んだりしたらどうするんでしょう? 事務所の評判とか、噛まれた人の命とかは危なくないのでしょうか?


ワニも、どれくらいの大きさなのでしょう? 響さんから逃げたということは、きっと素早くて見つけることすら大変なような…


…そもそも、響さんが私の家から歩いて10数分の所にいるのも変な感じです。どうして…


どうして……


どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして………………



「…………ピー…………」


「うわーっ! 星梨花、どうしちゃったんだー!?」


「…ワウッ!ワウワウワウッ!!」


「うわっ、吠えないでよー! 自分が悪かったからー!」


「ワンッ!」


「うぎゃーっ!!」



目が覚めると、疲れたような表情をした響さんがワニに逃げられるまでの話を教えてくれました


なんでも、人通りが少なく、気温もちょうどいい深夜にワニとお散歩をして、今日はたまたまいつもより遠くまで歩いてきて、


喉が渇いたために、自販機で飲み物を買って休んでいる所でワニに逃げられてしまったそうです



「自分がもっとしっかりしてれば…! …首元のリードが緩んだせいで逃げられるなんて、今までなかったから油断してたさー…」



と、本当に悔しそうに響さんは述かいしていました


その間、響さんがジュニオールにずっと睨まれていたのは何故なのでしょうか…

今回分終わり

余談ですが、『響 ワニ子』で検索したら、原作初登場時のテキストとアニメ化以降の画とでサイズが随分違って驚きました

このssではアニメに出ていたデカいワニの方を想定しているのでよろしくお願いします



星梨花「あの、響さん」


響「ん?」


星梨花「その、ワニ子…ちゃん? の逃げた先に心当たりとか、ないんですか…?」


響「うーん、そうだなぁ…」



と、響さんは考え込むようにして手をあごに添えました


さっきの響さんは『どこかに行っちゃった』って言っていましたけど…


手がかりがまったく無いとなると、すごく怖いことになりそうです


ですから、私は響さんから良い返答がくることを一生けん命に祈りました



響「心当たりとは違うかもだけど、多分、ここからそんなに離れた場所にはいないと思うんだ」


星梨花「ほ、ほんとですか!?」


響「ワニってそこまで早くは歩かないし、この辺には水場もないからね」


響「自分も目を離してたのはジュース飲んでる間だけだったし、諦めずに探してけば見つけることはできるよ!」


星梨花「そ…、そうなんですか!」


響「うん! 多分ね!」


星梨花「…………っ」



…なんだかとっても不安な気持ちですが、動物に詳しい響さんがああ言うなら大丈夫……だと思います


と言うより、今はワニ子…ちゃんが、遠くに逃げないうちに探しに行くべきではないでしょうか?



響「…それは星梨花に悪いさー。ペットの責任は飼い主が取るものだし、さっきも言ったけど、危険だってあるから付き合わなくていいよ?」


星梨花「でも、私たちの暮らす側に大きなワニが歩いてるって思うと…!」


響「……よし! それなら、自分が探してくるから星梨花はここで待ってて! もしもワニ子がここに来たら、大きな声で自分の名前を呼んで欲しいさー!」



これは助かりました。どうやって来たか分からない道から、さらに外れていくと迷子になっちゃうかもしれないからです


それに、今話してる響さんの声を聞いたワニ子ちゃんが、ここに戻ってくるかもしれません。だから、これは重大な役目だと思います


……ワニの耳がそこまで良いかどうかは、知りませんけれども…



こうして、私たちは二手に分かれてワニ子ちゃんを探すことになりました


響さんはさっき来た道を戻り、別の道を探すことにしたようです。私が歩いて来た方にワニはいなかったし、これはふつうの考え方ですね


私の方は、目を凝らし、耳を澄ませてひたすら路面を注視しています


響さんによると『ワニはお腹を引きずって歩く』そうなので、何か路上を動くものや音がしたら、すぐにチェックできるようにしているのです


私は、響さんがワニ子ちゃんを見つけてくれることを祈り、がんばって暗い夜道に目を凝らします


一生けん命に……しっかり気をはって………


じっと……ずっと…………



………………響さんが待ち遠しくなってきました


どれくらい時間が経ったか正確には分かりません。もしかしたら2分か3分くらいかもしれません


道路に音がしないわけではありませんが、大体は風や虫のせいで草が擦れる音だと思います。路上を動く物なんて全然ありません


その場に止まったまま見張りをすることが、こんなに退屈だとは思いませんでした。正直、この役目を引き受けたことを後悔し始めています


…ワニ子ちゃーん。ワニ子ちゃーん…!


……その呼びかけに応える声が、あるはずもなく、夏の夜に寂しさだけが募っていきました



いえ、寂しいというのは正確じゃないかもしれません


退屈に耐えられなくなりそうな私に比べ、あくびもせず、側にじっと立ってくれているジュニオールは本当に立派だと思います



星梨花「よしよし。えらいね、ジュニオール♪」ナデナデ


ジュニオール「クゥーン…」



と、退屈しのぎをかねてジュニオールを撫でている最中、私は大事な用事を忘れていたことに気が付きました



星梨花『あの…ごめんなさい。…はい。はい、すいません…』



大事な用事


お散歩に出て時間が経ったり、トラブルに遭ったりしたら、必ず守衛さんに連絡をするという約束



星梨花『…ごめんなさい。私、ついさっきまで忘れていたんです…』


星梨花『…はい。本当に、本当にごめんなさい……』



幸いにも、守衛さんは私に怒ってはいないようでした


ただ、私から連絡がないことをとても心配していたということが受話器の向こうからひしひしと伝わってきます。とても辛い思いをさせてしまったのだと分かりました


私のわがままから始まったことなのに、二人で決めた約束を破るなんて、私はとても悪い子だったと思います


今夜は色々悪いことをしましたが、一番強く申し訳なさを感じたのは間違いなくこの時だったでしょう


それと同じく


この夜一番の怖さを感じたのも、間違いなくこの時だったのです



『それで、星梨花ちゃんはもう帰ってるところなんですか? 道に迷ったりしていませんよね?』


『あ、それなんですけど…』



そこで私は、『事務所の先輩にばったり会って、それから…』という具合に、


言葉を紡ぐ、つもりだったのですが






「ワウワウッ!! バウワウワウワウッッ!!!」







この夜初めての大音量が私の耳を打ち、のどまで出かかった声を飲み込ませました


何があったのかと驚き声のした方へ向き直ります。それはつまり、ジュニオールの威嚇が飛んだ方向と同じです



「ウゥゥ~…!」



唸り方だけで、私の足元から強い敵意が発せられているのが分かります


そして、まさかと思いつつ目を凝らした先にいた者は、


この道を通る街の人でも、


ここへ戻ってきた響さんでもなく……!



最初に口を出た言葉は「うそ…」でした


そこから私は、何も言えずに立ち尽くすことになります


だって、本当に自分の目の前に、響さんのいない状況で遭遇するなんて思わなかったんです


思えなかったんです


手の中のPHSから、守衛さんの声が聞こえました


でも、何を言っているかは全然聞き取れません


目の前で起きていることを、呆然としたまま見ていることだけが、私にできることでした



最初に口を出た言葉は、「うそ…」 でした





そこから私は何も言えず、ほとんど動かないまま立ち尽くすことになります


だって、本当に、自分の目の前に、響さんのいない状況で出てくるなんて思わなかったんです


思えなかったんです


手の中のPHSから守衛さんの声がします……が、何を言っているかは全然聞き取れません


目の前で起きることを、ただ見続けること


それだけが、私にできることでした



「ウゥ~……アウッ!!」



ジュニオールが吠えました。相手は動きません


いつの間にここまで近づいていたのか、考えようとしたけど頭が回りませんでした


私の目は、思考は、全ての神経は、眼前の光景を捉えるので精一杯です



「グゥゥ~…!」



時折瞳を光らせるそれを前に、ジュニオールだけが向き合っていました



はっきりとした大きさは分かりませんが、街灯と夜闇のコントラストがおおまかな輪郭を映してくれました


尻尾の分を差し引いても、とても大きい生き物でした。単純な体長で考えると、ジュニオールには自分の何倍ものモノが見えている筈です



「ウゥ、グルゥ…」



ジュニオールは威嚇を止めません。相手は、先程と同じく動かないままです


暗さも手伝い、表情や目の色が全く分からないのが不気味でした



「ワウッ!! ゥアゥアウッ!!!」



激しく吠えたてながらジュニオールが身を揺らします


すると、相手は(私の見る限り)初めて身体を動かし、頭をこちらの方へ近づけました


太い脚についたツメが、暗い中でもそれと分かるようにこちらへ向いています


応じるように、ジュニオールも半歩だけ足を踏み出しました



ここにきて、私はやっと自分たちが敵視されている可能性に気が付きました


繰り返しますが、相手は私と同等以上に大きな身体を持っています。硬そうなツメと、恐らく、それ以上に鋭いキバも持っています


響さんいわく動きは早くないそうですが、もし襲われたとしても、私たちが逃げられる自信はありませんでした


私が、逃げるどころか足を動かすことすら出来なさそうなのはもちろん、ジュニオ―ルには逃げる気すらないでしょう





二匹の生き物は、互いの威嚇に反応して今にも飛び出しそうでした



根拠はありません。が、互いの視線がぶつかり合うのが感じられました


このままじゃ、


だめ。


やめて。


私のことはいいから、逃げて。


でないと…!



『だめーっ!』という言葉は、声になる前に消えてしまいました


ジュニオールが、こちらを一瞥し、相手に向き直ります


私からの制止が無いことを確信してしまったのでしょう。先程までのように、ツメを立て、キバを剥き、


そして、何度も鋭く鳴きながら、自分より遙かに大きい相手へ向かっていきます


それをみとめた相手は、待ち構えるように少しだけ身を伏せ、


そして、今まで見せることの無かった最高の武器を……






「見付けたぞーーーっ!!」







…見せる間も無く、飼い主の響さんに捕まってしまいました……



「ワニを捕まえる時は、口を開けられないように真後ろから一気に顎を抱えるんだよっ。星梨花、知らなかったでしょ?」


「は、はい…」


「それにしても、大した犬さー。あれだけ大きな相手に怯まなかったなんて、結構凄いと思うぞ」



そう言って響さんはジュニオールを撫でました


褒められて嫌な気分はしなかったのでしょう。さっきは響さんを睨んでいたジュニオールも、今は私へのものと同じ、穏やかな目を向けています



「本当に良かったよ。この子の声が聞こえてこなかったら、自分、間に合わなかったかもな…」



ジュニオールを撫でながら、響さんは顔を曇らせました


確かに、あの状況で響さんがいなければ、凄惨な光景が現れることになったであろうということは否定できません


私とジュニオールがそういった苦境に陥る原因を作ってしまった。そういう、自責の念を感じているのではないでしょうか…



「…なあ、せり「ごめんなさいっ!」



響さんを気遣ったわけではありません。が、



「私のジュニオールがワニ子ちゃんを怖がらせ……いえ、怖くはなかったかもですけど…」


「とにかく、興奮させちゃってすいませんでした! ワニ子ちゃんにもそう伝えてあげてください!」



こちらが謝られる前に、これだけは言っておく必要があると感じました



例えば、たった一人で暗い夜道を歩くことを想像してみます


それは楽しいことかもしれませんが、歩いてる内、きっと心細さが募るはずです


まして、信じあえる友達と別れた後ならば、一刻も早く合流したいと思うのが普通のことではないでしょうか


そんな中、激しく威嚇し、剥き出しの敵意を向けてくる相手に遭ってしまったら


きっと、大きさに関わらず驚くでしょう


そして、どうにかして逃げるか追い払うかを考えることでしょう


それは多分、どんな生き物にでも共通する感情だと思うのです



「だから、私たちはワニ子ちゃんに『ごめんなさい』って言いたいんです。私たちもワニ子ちゃんに驚きましたけど、独りでいた分、きっとワニ子ちゃんの方が驚いたはずですからっ」



そう、きっとそのはずです


だって、響さんといる今のワニ子ちゃん、こんなに優しそうな瞳をしているんですから!





と、そこまで言ったところで、


私は響さんに抱きしめられ、言葉を続けることができなくなってしまいました



それから、響さんは私のPHSを通じて守衛さんにあれこれと説明をしてくれました


「とにかく、星梨花のお陰で助かった」という趣旨の言葉を聞く度にくすぐったくなりましたが、上機嫌で話す響さんに受話器の向こうの守衛さんも参ってしまったようです


代わった私には『寄り道しないで、早く帰ってきてくださいよ』と言っただけでしたが、その声に咎めるような調子がないのは明らかでした


お陰で、私も上機嫌です。連絡を途中で切った言い訳をする必要がなくなり、まさしく『重荷を下ろし』たような気分でした



さて、帰り道です


守衛さんと約束した時間はとうに過ぎていましたし、できるだけ早く帰ろうと、私たちはここまで来た道を早足で戻りました


お家から遠くないとはいえ、慣れない道を(行きとは違って)目的地を定めて往くのは、ちょっとだけ怖くて、楽しい気分になりました


気付けば行きの道と同じように、リーリー、リーリー、という『風流』な音色が周囲を包んでいます


夜空は変わらず、気持ちの良い暗さを保っていました。ひとつ、ふたつ、小さな星が私たちの目に飛び込んできます


どこかで見たことのある車。少しだけ期待して車体の下を覗きましたが、黒猫さんは見つけられませんでした



少し前に通ったばかりの道に関心はないのでしょうか


帰り道のジュニオールは、たまに道を逸れはするものの、私にぴったり付いて歩きます


なんとなく立ち止まってみます


するとジュニオール。私の立っている場所、その少し先まで進んでから



「どうしたの? 早くお家に帰ろうよ」



と言いたげな目を向けてきました







私たちのお家


お散歩の終点は、もうすぐそこです!



「ただいまっ!」


誰に言ったわけでもなく、ただそう言わなければいけない気がして言いました



「おかえりなさい、星梨花ちゃん」



私たちを見た守衛さんは、それに笑顔で応えました





「ただいまっ!」



誰に言ったわけでもなく、ただそう言わなければいけない気がして言いました



「おかえりなさい、星梨花ちゃん」



私たちを出迎えた守衛さんは、それに笑顔で応えてくれました



「はい。ミルクかコーヒーか、どちらかお好きな方を」


「じゃあ、ミルクで! 一口だけで大丈夫です!」


「はいはい。ところで、先輩の方はあの後どうされたんですか?」


「守衛さんに電話してから、私と少しだけお話しして、それから別れました」


「そうですか。いやはや、ワニを一人で連れて歩く子がいるなんて、765プロも変わった事務所だなぁと思いましたよ」


「これからは、リードにも気を付けて目を離さないようにするって言ってましたよ!」


「そうしてもらわなければ困ります。今回だって、下手をすれば星梨花ちゃんだけじゃなくジュニオールまで大変な目に遭ってたかもしれません」


「……」


「本人も自覚なさってるでしょうが、星梨花ちゃんからも、もう一度釘を刺しておいていただけますか?」


「…は、はい……」



「まあ、この話は今はやめましょう。それより星梨花ちゃん。今夜のお散歩は、楽しかったですか?


「はいっ!」


「それは良かったです。今夜はもう寝て、また明日か明後日にでも、お散歩の話を聞かせてくださいね?」


「はいっ」


「うんうん。どうだ、お前も楽しかったか?」



言いながら、守衛さんはジュニオールを優しく撫でつけ、ジュニオールは甘えるように守衛さんに身体を擦り付けます


その様子は、何故だか見ていて「むっ」となるくらい和やかなものでした



ということでお休みの時間です


暗くなっている玄関から入り、自分の部屋へ向かいます


ジュニオールは犬小屋へ戻し、お散歩グッズも元の場所に片付けました


これでパパやママには、私の夜更かしがばれることは無い…と思いますが、


何か、大事なことを忘れているような……


見逃しているような……。そんな不安は否めませんでした



時計を見ると、深夜2時半を回って短針が「8」に来るところでした


お散歩に行く前に感じていた喉の渇きや気持ち悪い汗はもうありません


さっきまで感じていた高揚感や、夜更かしがばれないかどうかの不安もありますけど頑張って眠ろうと思います


明日は早く起きる用事もありませんが、ママはいつも『生活習慣は崩さないように』と言ってくるのです


ですから、「悪い子」をやめた今の私は、しっかり眠ってしっかり起きないといけないと思います



こうして、いつもと何も変わらない、私にとっては特別な一夜が幕を下ろします


ジュニオールはもう眠ったでしょうか


守衛さんは、今も門の側でお仕事を続けているでしょう


響さんとワニ子ちゃんはお家に帰ったのでしょうか


今日会った黒猫さんは、どこに寝場所を見つけたのでしょう?


そんなことを考えていると


私の中に、「おやすみなさい」の声が響きました…

夏休みの時期から長々やってきたけど本編はこれでおしまいです


短いおまけを考えているので、もう少しだけこのスレは続けます


それでは、僕も眠ることにします。おやすみなさい…

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