美希「運命の女神」 (79)

SS初投稿です
地の文形式で進めるつもりです

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1404849063

目が覚めると、真っ白な天井があった。

鼻を突く消毒液の匂いで、ここが病院だということがわかる。

ぼやけた視界で枕の横のコールボタンを押そうとすると、

「プロデューサーさん?」

と声を掛けられた。

「意識がもどったんですね、今すぐ先生を呼んできます…!」

そう言って少女は勢い良く病室を飛び出した。

そして、

どんがらがっしゃーん。

まるでコントのように転ぶ音が聞こえた。

果たして大丈夫だろうか。


それにしても、ぼんやりと見えた少女のリボン、あの声、そしてすぐ転んでしまう癖

あれはまるで…

程なくして、白衣を着た男性と先程の少女が入ってきた。

「気分はどうかね」と先生に訊かれ、

「悪くは無いです」と応えた。

とにかく今は状況が掴めない。

なぜ自分が病院にいるのかの心当たりすら無いのだ。

周囲をきょろきょろ見渡していると、気を利かせた先生がベッドの側にあるケースから眼鏡を出してくれた。

「はい、どうぞ」

眼鏡を掛けて、ようやく視界がすっきりした。

先生の顔も後ろの少女の顔も…


一瞬、思考が止まった。

先生に自分の状況を尋ねることなどすっかり頭から吹っ飛んでしまった。

こんなことはあり得ない。だが現実に彼女はそこにいる。

「天海、春香…?」

「え…?」

ノックの音が響く。

「入っても大丈夫でしょうか?」

と女性の声がした。

先生がドアを開けると、女性達が次々と入ってきた。

秋月律子、我那覇響、双海姉妹、三浦あずさ、如月千早、四条貴音…

皆、目を覚ました俺を見て喜んだり、安心した表情を見せている。


だが、当の本人である俺は更に混乱してしまった。

「何で、765プロのアイドル達がここに…?」

すると、双海真美が

「そんな言い方無いっしょ、兄ちゃん」

続けて亜美が

「そうだよ、皆心配してたんだからー」

と不満気に漏らした。

そして、秋月律子が少し不安な様子で

「あの、もしかしてプロデューサーも記憶が少し飛んでるんじゃ…」

と言った。

「あら、それは大変。あの、私が誰だかわかります?」

と三浦あずさに聞かれ、

「はい、三浦あずささんですよね、765プロの?」

とすかさず返した。

「765プロの…?」

如月千早はどこか引っかかる部分があったようだ。

「もし、貴方の名前を聞いてもよろしいですか?」

と四条貴音に訊ねられた。

もちろん淀みなく答えることができた。

「では、貴方の職業は…」

と続けて聞かれ、勿論すぐに答え…


あれ、俺の職業…


一体、何だ?

誕生日、出身地はすぐに頭に思い浮かんだ。

なのに、職業が思い出せないなんて…

「えー、プロデューサー、自分達のプロデューサーだって事を忘れちゃったのかー!?」

我那覇響が驚いた声を上げる。

「これじゃあ、まるで」

と天海春香が言いかけた所で、再び扉を叩く音が聞こえた。

今度も女性が入ってきた。

あれは、確か765プロの事務員である音無小鳥さんだ。

そして、その後ろにはー

彼女を見た瞬間、胸が高鳴った。

そして、彼女に視線が釘付けになってしまった。

星井美希。765プロのアイドル。

そして俺の最もー

星井美希は俺の周りにいる女性達と決定的に異なる点があった。

それは服装だ。

彼女だけが病院の服を着ている。

つまり、彼女も入院していた…?

気が付かなかったが、俺の隣にもう一台、誰かが先程まで寝ていたであろうベッドがあった。

もしかして、俺の隣で星井美希が…などと考えていると、

「えっと、プロデューサーさんの様子を見に来たんですけど…」

と、音無さんが先生に尋ねた。

「ええ、意識の方はだいぶはっきりしているようです」

と先生が返す。

「しかし、記憶の一部が不安定になっているようで…」

と先生が続けると、音無さんは悲しそうに

「そうですか…」

と呟いた。

俺はというとさっきから星井美希を見つめたままだったが、不意に、美希もこちらを見つめてきた。

心臓が更に早鐘を打つ。口の中が渇いてくる。

そして、美希は俺にこう聞いてきた。


「えっと、あなたが私のプロデューサー…さん?」


俺の頭はますます混乱して、どうにかなってしまいそうだった。

とりあえずここまでです。

ある程度展開は定まっていますが、書き溜めは無いのでのんびり進めていきます。

それでは

少し書き溜めたので、投下していきます。

その前に訂正
>>16

「えっと、あなたが私のプロデューサー…さん?」

「えっと、あなたがミキのプロデューサー…さん?」

俺が美希の質問に答えられず口をぱくぱくさせていると、律子が腕時計を見て、

「いけない、そろそろ行かないと。

亜美、あずささん、準備して頂戴」

と二人に促した。

亜美は不満気に

「えー、こんな状態の兄ちゃんを放っとけないよー」

と漏らしたが、あずささんが

「駄目よ亜美ちゃん、こんな時だからこそ、しっかりお仕事をこなさないと。

それに、伊織ちゃんに美希ちゃんとプロデューサーさんが無事だったってことをちゃんと伝えてあげないと」

と諭した。

亜美は渋々といった感じで準備を始めた。

律子が音無さんに

「これから伊織と合流してロケに向かいます。小鳥さん、後のことをよろしくお願いします」

と伝え、音無さんも

「わかりました。任せて下さい。くれぐれも安全運転でお願いしますね?」

と返した。

律子は少し微笑んで

「勿論です」

とだけ答えた。

そして俺の方に向き直って

「プロデューサー…あー、今はPさんと言った方がいいでしょうか、申し訳無いのですが、私達はもう仕事に向かわないといけません。

今、社長が病院に向かっているところです。

現在の状況について、音無さんと社長、双海先生と確認して下さい。

今後のことについては、三人の報告を聞いた後で、私も含めて話し合うつもりです。

あんな事故の後ですから、しっかり検査して、安静にしていて下さいね?」

そして今度は美希に

「美希、今は安静にしていなきゃだけど、あんまり寝過ぎて睡眠リズムをくずしちゃダメよ?それから、病院の食事はしっかり摂ること、後は…」

とまくし立てたところで亜美が

「律っちゃん、お小言長いよー。もう行かなきゃいけないんでしょ?早く済ませてよ」

と突っ込まれた。

律子はまだ何か言いたげだったが引き下がり、

「そうね、後のことは皆にお願いするわ。

双海先生、音無さん、二人のこと、よろしくお願いします。

仕事かレッスンのある子はしっかりこなすこと。

寝不足は言い訳にならないわよ?」

それじゃあ、と言って3人は慌ただしげに病室を後にした。

美希が

「律子は相変わらずいちいちうるさいの」

と小さく愚痴っているのが聞こえた。



律子達が出て行くと、先生に

「さて、P君もまだ混乱しているようだし、診察も兼ねて状況確認をするとしよう。

診察室まで付いてきてくれないか?」

と提案された。そして、

「君達もあまり眠れていないだろう、まだ時間に余裕のある子は仮眠室を使うといい」

とアイドルに促した。


真美が先生に

「パパ、兄ちゃんのことバッチリ治してあげてね」

と言うと、先生は何も言わず真美の頭をやや雑に撫で回した。

「星井さんはP君の診察が終わったら念のためもう一度検査するから、もう少し待っていてくれないか?」

先生が美希にそう言うと

「わかったの。ミキ、たくさん話して少し疲れたから休んでるね」

とだけ言ってベッドに飛び込み、あっという間に眠りに落ちてしまった。



…本当にすぐに眠れるんだな。



病室に美希を残し、俺と先生と音無さんは診察室に、アイドル達は仮眠室に向かった。

診察室に入ると、先生が

「身体の検査の前に、まずは簡単に今の状況を確認しよう」

と提案してきた。

「昨日の夕方17時頃、君と星井さんは交通事故に巻き込まれた。

二人とも目立った外傷は無かったが、病院に運ばれた時には意識が無く、星井さんは朝8時頃、君はついさっき意識を取り戻した、という訳だ」

診察室の時計に目をやると、針は10時を少し過ぎたあたりを指していた。

「あの、一つ聞いてもいいでしょうか?」

「どうぞ」





「どうして、俺と星井美希が一緒に事故に巻き込まれたのですか?」

「ふむ、まずはその辺りについても確認していかなければならないようだね」

と先生は独りごちた。

「君にとって、星井美希さん、いや765プロのアイドル達はどの様な存在かな?」

先生に尋ねられて、俺は思わず口籠ってしまった。

いい歳をした大人が人前でそんなことを言うのは恥ずかしい。

だが、今の状況を整理するためには必要な事だということは解る。

目が覚めてから今までどうにも話が噛み合わないのだ。

俺はやや躊躇いながら

「俺にとって彼女達はかけがえの無い存在です。

彼女達の歌に元気付けられ、彼女達の踊りに勇気をもらい、彼女達の笑顔に何度助けられたか…

ええと…」

ダメだ。自分でも混乱して何を言いたいのか分からなくなってしまった。

すると音無さんと先生は、少し驚いた表情を見せてから抑えるように笑った。

「いや、言葉が悪かったね。

君とアイドル達との関係性という意味で聞きたかったんだ」

先生に謝られ、俺は顔が熱くなるのを感じながら

「そうですよね、はは、すいません」

と俯きつつ返事をした。

そして、一呼吸置いてから

「俺とアイドル達との関係…ですよね。




芸能人と、彼女達を応援するファンの一人です。

それ以外に、何かあるのでしょうか?」

と答えた。

その答に、二人は顔を曇らせた。

「ふむ…質問を続けよう」

それから先生は、俺の名前、血液型、誕生日、現在の住所などを次々と尋ねてきた。

俺はそれらについて迷うことなく、全て正確に答えることができた。

だが、先程貴音にされたのと同じ質問、自分の職業についてはどうしても思い出せず、答えられなかった。

「思い出せないか…

では教えよう」

先生は俺の目を真っ直ぐに見据え、




「君は、765プロのプロデューサーだ」

とはっきり言った。


俺の混乱は、いよいよ頂点に達していた。


とりあえずここまで

続きは後ほど投下するかもしれませんが、明日になるかもしれません。

投下していきます。

昨日できなかったので、今日は少し多めで

俺が、765プロのプロデューサー。

先生に言われた言葉をもう一度頭の中で繰り返す。

まさか、そんなことがあるはずがない。

俺にとって彼女達は画面の向こう、ステージの上の存在だ。

俺なんかとは縁がかけ離れていて、会話できたことさえ奇跡のようなものだ。


だが、それならば先程の彼女達のリアクションはどう説明すれば良いのか。

彼女達は俺のことをプロデューサーと呼び、事故の後意識が回復したことを喜んでくれた。

あれは、演技だろうか?

それもおかしな話だ。

たかが一ファンである俺にそんなことをする理由も無い。



つまりー

「それは…本当なんですか?」

とりあえず信じる他無いということだ。

「ああ、そうだとも。

いつも娘達が世話になっているね。」

少しはにかみながら、先生は言った。

思わず、双海と書かれた先生のネームプレートに目が行く。

先程は驚きの連続であまり注意が向かなかったが、この人は双海姉妹の父親だ。

確かに、どこかあの双子の面影がある気がする。

先生は説明を始めた。

「実は、君の前に星井さんにも話を聞いたんだ。

彼女は君より目覚めるのが早かったからね

目覚めた後の彼女は意識がはっきりしていたし、看病していたアイドル達ともいつも通りにコミュニケーションできていた。

すぐにでも退院して、活動を再開できるんじゃないかと思った程だよ。

だが…彼女が発した質問で、何もかも無事で済んだ訳ではいないと分かった



彼女はアイドル達にこう聞いた

『隣で寝ている人は一体誰?』と」

「星井さんの質問を聞いて、驚いた彼女達は君に関する質問を幾つかしてみた。

だが、星井さんはどれも答える事ができなかった。

他の記憶に関しては完璧と言っていいほど正確に答えることができたのに、君のことだけを思い出すことができなかった。



…まるで、君に関する記憶が切り取られてしまったように」

「もちろん、記憶喪失は一時的なものかもしれない。

時間が経てば君の事を思い出すということも十分にあり得る。

だが…万が一という場合もある。

そして問題はそれだけでは無い。

…君の記憶についてだ」

「俺の記憶…ですか?」

先生は頷いた。

「星井さんが部分的な記憶喪失だと判明した時点で、彼女とほぼ同じ状態で搬送されて来た君も何かしらの記憶障害が起きている可能性があった」

もっとも、と先生は続けて

「ただの杞憂で終わってくれたら良かったのだが…」



「先程から君の様子だけでも、部分的に記憶喪失になっていることが分かる。

だが、星井さんより状況は深刻かもしれない。

私達は、君が何について覚えていて、何についての記憶が失われているのか、はっきり確かめておきたいんだ」

先生が一通りの説明を終えると、今度は音無さんが俺にプロデューサー業に関する質問を始めた。

アイドルについての情報、CDや衣装、今までに開催されたライブのことなどについてはすらすらと答えることができた。

だが、プロデューサーとしての業務内容、アイドル達とどんな会話をしたか、記者や取引き先のひととなりなどについては全く答えることができなかった。

俺が質問に答えられない度に悲しそうな表情を見せる音無さんに、申し訳無い気持ちになる。

それと同時に、やはり俺がプロデューサーだなんて何かの間違いではないのか、という思いが再び強くなってきた。

先生は俺達の問答に耳を傾けながらペンを走らせて、難しい顔をして考え込んでいる。



音無さんの質問が一通り終わったところで、ノックの音がした。

看護師が扉から顔を覗かせ

「双海先生、ちょっと…」

と、先生を呼び出した。

「少し待っていて下さい」

とだけ言うと、先生は俺達を残し部屋を出た。

それにしても、と音無さんが切り出して

「プロデューサーさんは仕事に関する記憶を無くしているのに、私のことは覚えていてくれたんですね。

一体どうしてでしょう?」

「それは、音無さんはファンの間でも有名ですから、765プロの美人事務員として」

と答えると、音無さんは赤面して

「や、やめて下さい、そんなこと…」

かなり恥ずかしそうに俯いてしまった。

そんなことをしている内に、先生が戻って来た。

先生は後ろに男性を連れていた。

765プロの社長、高木順二朗氏だ。



実は、俺はこの人と一度直接会ったことがある。

もっとも、当時の俺は学生だったし、765プロも人気が出る前のことだったから恐らく憶えていないだろう。


「待たせてしまって済まない」

開口一番に社長は言った。

顔には疲労の色が見える。

社長は近くの椅子に座ると俺の方を見て

「君が事故に遭ったと聞いた時はどれほど肝を冷やしたか。

無事でいてくれて本当に良かった」

と言い、心から嬉しそうな表情を見せた。

…本当に無事かどうか、怪しいところです、とは流石に言えなかった。

「さて、高木さんも来たことだし、P君の状況に関する確認をもう一度しておこう」

先生はそう言うと、社長に美希と俺の記憶に関する聞き取り内容を説明した。







先生は一通り説明を終えると

「何らかのショックによって、強い思い入れがあるものに関する記憶が失われるという事例は今までに報告されている。

星井さんはP君に対してかなり積極的にアピールしていたと聞くから、その症状に当てはまるし、P君も同様の症状が出る可能性を考えたのだが…」


先生の言葉を聞いて、俺は一瞬思考が止まった。

美希が、俺に積極的にアピール?

説明を全て中断して、そのことについて詳しく問い質したい衝動に駆られたが、この状況でそんなことをできるはずもなく、先生の説明は更に続いた。

「だが、P君の場合は事情が異なる。

プロデューサー業に関する記憶は失われているのに、アイドル達に関する記憶は驚く程はっきりしている。

…プロデューサーとしての接点を除けば、だがね。

ここまで詳細にアイドル達のことを憶えているのに、彼女達に対する思い入れが薄いというのは、流石に無理がある」

「…つまり?」

「現時点で、君の症状に関する明確な説明はできない、ということだ。

この様な症例は聞いたことが無い」

俺は落胆してしまった。

医者に匙を投げられてしまっては、俺の記憶は元に戻らないということなのか?

俺と彼女達の繋がりを示してくれるかもしれない手掛かりが失われた気がして、どうしようもなく孤独を感じた。

俺の落胆を察してか、先生は

「なに、落ち込むことは無い。

先程も言ったが記憶喪失は一時的なものの場合が多く、大抵は時間が経てば回復する。

慌てなくとも、時間が解決してくれるだろう」

「しかし、それでも治らなかったら…」

「…ショック療法というのも一つの手だが、今回の場合は適切では無いだろう」

俺は再び落胆しそうになったが、不意に社長が

「…プロデューサーとしての記憶が無くなったことがそんなに問題かね?」

と口を挟んで来た。

俺は思わず

「どういう意味ですか?」

と聞き返してしまった。

「確かにプロデューサーとしてのノウハウを忘れてしまったのは痛手かもしれない。

だが、そんなものはこれからいくらでも学び直せば良いだけの話だ。

君は、記憶を失ってもなお彼女達に強い思いを抱いている。

プロデューサーにとって最も大事なことは、彼女達を輝かせたいという熱意を持つことだと、私は思う。

そして君にはそれがある、そうだろう?」

社長の言葉に、俺は驚いた。

プロデューサーである俺の記憶が無くなったというのに驚く程前向きだ。

しかも、この人は俺のことを完全に信じてくれている。

俺が彼女達を再びプロデュースするだろうということに疑いが無い。

「君の記憶が戻るか、プロデューサーとしての仕事を再びこなせるようになるまで、私も最大限フォローしよう。

彼女達も、立派に成長してくれた。

記憶を失う前の君がいなければ何もできないなんて言う程ヤワな娘はいないだろう。

…君はこれまで、我々の信頼に応えて多くの成果を残し、彼女達を導いてくれた。

今度は我々が君に報いる番だ。

どうか、君の手助けをさせてくれないだろうか」

社長の目は真剣そのものだった。

目が覚めてからというもの、信じられないことの連続だった。

765プロのアイドル達に看病され、しかも彼女達のプロデューサーだと言われ、診断不可の記憶喪失だと宣告された。

何が起きているのかを理解することも追いつかず、何を信じて良いのかも分からなくなっていた。

だが、社長の言葉には俺を信じさせてくれる何かがこもっていた。

こんなにも熱い言葉をもらったことは、今までに無かった。

そして、記憶を失ってしまった俺のことを信頼してくれているということが、何よりも嬉しかった。



ならば、俺もそれに報いなければならないだろう。


「こんな俺で良ければ、どうかよろしくお願いします」



「うむ、君はやはりいい眼をしている。

初めて会った時のことを思い出すよ」

俺は内心驚いた。

もしかしたら、あの時のことを憶えていてくれたのだろうか?


そして社長は思い出したように

「そうだ、君にこれを見せよう。

もしかしたら、何かを思い出すきっかけになるかもしれない」

そう言うと社長は手帳から一枚の写真を抜き出し、俺に見せてくれた。

それは765プロの集合写真だった。

くたびれた感のある事務所の中で、アイドル達が楽しそうに笑っている。

その中にはアイドルだけではなく、音無さんや社長、それに


「俺が…いる」


写真の中の俺は、下ろしたてのスーツを着て、顔は緊張してなのか強張っている。

自然な表情を見せているアイドル達とは対称的で、明らかに浮いている。

「それは君が入社した時の記念に撮った写真だ。

今持ち合わせているのはこれだけだが、事務所に行けば皆との写真はまだまだあるだろう」

この写真によって、俺は今まで感じていた緊張がかなり和らいだのを感じた。

考えてみれば、記憶を失ってから765プロと俺との繋がりを示す明確な証拠は何も無かった。

彼らの証言だけで自分の状況を信じざるを得なかった俺にとって、この写真は大きな安心感を与えてくれるものだった。

緊張が解けると、急に激しい尿意を感じた。

「あの…すいません」

「どうした?

何か思い出せたのか?」

「トイレに行きたいのですが…」

苦笑する先生に道を教えてもらい、トイレに向かった。



用を足している最中、目が覚めてから今までに起きたことを頭の中で整理した。

自分のことながら、かなりとんでもないことに巻き込まれてしまったものだ、と思わざるを得ない。

だが、こうなってしまった以上、やるしかない。

…現状で最大の問題は、やはりプロデューサーとしての仕事を忘れてしまっていることだろう。

社長はああ言ったが、厚意に甘えているだけではダメだ。

何か状況を改善する方法は無いだろうか…

ふと、あることを思い出した。

「もしかしたら、何とかなるかもしれない」

少し楽観的過ぎるかもしれないが、何かしらの情報を得られる見込みはあるはずだ。

少しずつだが、前に進んでいる感覚を得た。


手を洗い、鏡を見る。

さっきまでの俺は、恐らく社長に見せてもらった写真のように、強張った顔をしていただろう。

だが、今はだいぶマシになったように見える。

俺を支えてくれると言った社長のためにも、心配してくれたアイドル達のためにも、頑張らなければならない。


決意を新たにドアを開けると、突然

「あなた様」

と声を掛けられた。

声の主は貴音だった。

「どうしてここに?

仮眠室に行ったんじゃなかったのか?」

俺は平静を装ったが、かなり緊張していた。

いくら自分がプロデューサーだと納得した後だからといって、一ファンの気分は未だに抜けていない。

自分の推しているアイドルにトイレの前で出待ちされるなんていう状況に、喜びを感じつつも若干の恐怖を覚えた。

「まずは、あなた様に謝らなくてはなりません」

「謝るって…一体何を?」

「わたくし、先程の診察室での会話を盗み聞いていました」

俺は貴音の言葉に驚きを隠せなかった。

高潔にして秀麗、『銀髪の王女』の異名を持つ彼女がそんなことをするとは思いもよらない。

「一体どうしてそんなことを?」

「今回の事故に、何やら不吉なものを感じたからです」

不吉なこと…?

もしかして、俺と美希の記憶喪失のことを言っているのか?

「なあ、確かに俺はプロデューサーとしての記憶が無くなってしまった。

アイドル達に負担を掛けることになる。

だが…」

と言ったところで貴音に遮られてしまった。

「いえ、そのような意味で申し上げたのではありません」

申し訳ありません、と一言詫びを添えて、貴音は続けた。

「今回の事故について、不可解な点があるのです」

「不可解な点?」

「はい、それについて申し上げる前に確認しておきたいことがあります。

あなた様は昨日の事故が起きる前の出来事について、何か憶えていらっしゃいますか?」

貴音に聞かれて、俺は初めて昨日一日の記憶が無いことに気付く。

「いや…何も憶えていない」

「やはり…そうですか。

現在、えすえぬえす等で事故について様々な憶測が飛び交っています。

しかしそれらの多くは捏造や事実と異なるものです。

わたくし達は独自に情報を集め、恐らくほぼ間違いない事実に辿り着きました」

「その事実というのが、不可解な点に関係しているということか?」

「はい」

「それは一体…?」

「目撃者による証言をまとめると、最初に美希が道路に飛び出し、あなた様が追いかけました。

そして美希を庇うように抱き止め、向かって来た大型とらっくに二人共撥ねられた、とのことです」

…俺は思考が追いつかなかった。

貴音はジョークを言っているのか?

「そして救急隊員の話によると」

貴音は俺の混乱をよそに話を続けた。

「あなた様と美希の衣服は激しく損傷していたにも関わらず、身体には一切の傷が無かった、というのです」

「何だそれは、それじゃあまるで…」

そこから先は口に出せなかった。

頭では分かっているが、いや、分かっているからこそ結論を拒否しようとした。

だが、貴音が俺の台詞の先を補った。

「あなた様と美希が無傷で事故から生還したことは、あまりにも不自然なのです」

貴音はそう言うと、鞄からスマートフォンを取り出した。

「昨日の事故直後、えすえぬえすに投稿された写真です」

そう言って差し出された画面には、抱き合いながら道路にぐったりと横たわっている男女が写っていた。

女性の顔は向かい合って抱き合っているため見えないが、美希のものと分かる長くてクセのある金髪だ。

そして男性の顔は…眼鏡をかけていないが、間違い無く、俺だ。



俺は顔が青ざめていくのを感じた。

写真の中の俺と美希は、とても無事で済んでいるとは思えない程、服の損傷が激しかった。


まるで自分がゾンビにでもなった気分だ。


すると、貴音が両手で俺の手を握って来た。

「申し訳ありません。

本来ならば、このようなことを言うべきではありませんでした。

しかし、わたくしは今言わなければならないという予感があるのです。」

貴音に握られた手から熱を感じる。

「あなた様と美希が事故に遭ったと聞いた時、皆がどれだけ心配したか、意識が戻った時どれほど安心したか、どうか忘れないで下さいませ」

そう語る貴音の瞳はほんの少し潤んでいた。

「…ありがとう」

貴音のおかげで、落ち着きを取り戻すことができた。

俺が礼を言うと、貴音は手を離した。

「申し訳ありません。少し取り乱してしまいました」

そう言うと、貴音は俺のイメージ通りのミステリアスな雰囲気に戻った。


「それで、予感というのは?」

と貴音に問うと

「そうでした。これからそのことについてお話致しします。


今回の事故は、本来ならば生きていることすら幸運と言える程のものでしょう。

目撃者によれば、確かにあなた様と美希はとらっくに撥ねられました。

寸前のところで躱した、という可能性は目撃者の証言等から鑑みるに、ほぼあり得ないでしょう。

つまり、お二人はとらっくに撥ねられたにも関わらず無傷で生還した、ということになります。

わたくしはそこに、人知を超えた何らかの力を感じたのです」

貴音は淡々と答えた。


「…人知を超えた力?」

「はい。

言葉で表すのが難しいのですが、そうしたものが関係していのではないかと思うのです。

そして、わたくしがそう思う根拠は事故からの生還だけではありません。

お二人の、記憶喪失に関することです」

「俺と美希の、記憶?」

はい、と貴音は続ける。

「わたくし達は美希が目を覚ました後の会話で、あなた様に関する記憶が失われていることに気が付きました。

そして、あなた様も同様に何らかの記憶が失われているようでしたので、診察室での会話を盗み聞きあなた様がぷろでゅうさぁとしての記憶を失っていることを知りました。

これは、お二人が『ぷろでゅうさぁ』に関する記憶を失うという、共通点のように感じるのです。

…これは果たして偶然なのでしょうか?」

「…共通点、か」

記憶喪失について、そんな考え方は思い付かなかった。

確かに、絶対に助からないであろう事故で無傷だった『奇跡』、プロデューサーに関する記憶を失うという『共通点』、これらをただの偶然と結論付けるのはまだ早い気がする。

「わたくしには、これらがどのように結び付くのか、それとも本当に何の関係もなくただの偶然なのか、分かりません。

しかし、どうかお気を付けて下さいませ。

人の身に余る奇跡というものは、往々にして相応のりすくを伴うものです。

あなた様はわたくし達にとってかけがえの無い存在なのです。

どうか無茶をなさらぬよう、ご自愛下さいませ」



「それでは、わたくしはこれからろけに向かいます」

見送りに行こうかと提案したが

「いえ、あなた様はまだ高木殿と話さなければならないことがあるでしょうし、検査もお済みでないのでしょう?

まずはご自分のことを優先なさって下さい」

と断られた。

気が付けば思ったよりも話し込んでしまって、社長達を待たせてしまっている。

急いで戻らなければいけない。

「それじゃあ、ありがとう。

ええと…」

貴音はクスっと笑うと

「昨日までのあなた様はわたくしのことを『貴音』と呼んで下さっていました。

これからもそのようにお願い致します」

と言いたいことを先読みされてしまった。

「分かった。ありがとう、貴音」

ふと、俺は気になっていたことを聞いてみた。

「貴音は俺が記憶喪失になる前から、俺のことを『あなた様』って呼んでいたのか?」

すると貴音は、人差し指を唇に当て、





「とっぷしぃくれっと、です」





とだけ言い残して、行ってしまった。


俺は少しの間呆然としていたが、診察室に戻らなければいけないことを思い出し、急いで元来た道を歩き始めた。

診察室に戻ると、音無さんと社長が待っていた。

時計は部屋を出てから30分近く過ぎている。

音無さんに心配そうに

「大丈夫ですか?」

と尋ねられると、何だか罪悪感が湧いてきた。

「双海君なら美希君の検査に向かったよ。

君も後で受けるといい」

社長を待たせるなんてとんでもないことをしてしまったな、と思いつつ返事をして、椅子に座った。


さて、と社長が本題を切り出した。

「今後のことについて、さっき3人で話していたんだ。

そのことについて君の意見も聞こうと思ってね」

「まずは美希君についてだ。

彼女は今日の検査で特に異常が見つからなければ、すぐに活動復帰させようと考えている」

「あの、事故の後でそこまで急ぐことはないんじゃないでしょうか?」

と驚いた勢いで聞いてしまった。

「双海君とも話したのだが、事故による身体へのダメージは全く無いと言っていい。

記憶喪失に関しても、彼女が忘れている範囲は君に関わることだけだから、仕事への直接的な影響は少ないのだよ。

あとは検査の結果を待つだけだが、双海君によれば異常が見つかる可能性はほぼ無い、ということだ」

確かに、美希は今や知名度も全国区の売れっ子アイドルだ。

仕事はプロデューサーが懸命に探さずとも向こうから舞い込んで来るレベルだろうし、スケジュールの調整など、最低限のサポートでこと足りるのだろう。

美希については、特に問題が無いという結論に達した。



さて、問題は…

「次に、君についてだが…」

「社長、一つ提案があるのですが、よろしいでしょうか?」

「何だね?言ってみたまえ」

ここで俺は、先程トイレで思い付いた案を話した。

社長は聞き終わると、

「ふむ、いいじゃないか。

それでやってみてくれたまえ。

それ以降のスケジュールについては、また後日決めるとしよう」

とあっさり了承してしまった。

こんなにあっさりでいいのかと考えたが、これも信頼の証なんだろうと思うことにした。

「お二人には迷惑をかけることになりますが、よろしくお願いします」

と言うと音無さんには

「プロデューサーさんは今が一番辛い状況ですから、あまり無理しないで下さいね。

私も出来る限りのサポートをしますから」

と返された。

彼女の優しさがひしひしと伝わってくる。

そして社長には

「いつも君には頑張ってもらっているからね。

たまには私も頑張っているところを見せないと」

と言われた。

社長は心なしか楽しそうに見えた。

「さて、私と音無君はそろそろ事務所に戻るとするよ。

君も慣れないことの連続で疲れたのではないかね?

病室に戻って休むといい」

社長にそう言われて、自分がかなり疲れていることに気付いた。

目を覚ましてから3時間程度のはずなのだが、その何倍にも感じられた。

二人を病院の玄関まで見送り

「それじゃあ、また明日…ではなく明後日だったか。

良い結果を期待しているよ」

社長はそう言い残して病院を後にした。

俺はそのまま病室に戻ることにした。

病室に戻って用意された昼食を食べ終わった頃、検査を終えた美希が戻って来た。

「やっと終わったの、あふぅ」

と言うと美希はすぐにベッドに潜り込んだ。

何か話しかけようと思ったのだが、一体どんな事を話せばいいのかと思い悩む。

考えてみれば、今回の記憶喪失で俺と美希は互いに過ごした時間を忘れてしまった。

つまり、今までの関係が完全にリセットされてしまったのだ。

何か話題を見つけないと、と必死で考えていると

「ねえ、プロデューサー…さん?」

と美希の方から声を掛けて来た。

「あなたがミキのプロデューサーだったんだよね?」

と美希は聞いてきた。

「ああ、どうやらそうみたいだ」

「? 自分のことなのに分からないの?」

「事故の影響で、プロデューサーとしての記憶が全部無くなっちゃったんだよ」

「ふーん、何だかタイヘンなんだね」


…会話を繋げられない。

完全に上がってしまって、何を話せば良いのかわからなくなっている。

すると、突然美希がベッドから降りて俺のベッドの上に乗ってきた。

そして俺の肩を掴み、俺の顔をじっと覗き込む。

俺は美希の瞳に釘付けになってしまい、石のように動けなくなった。

「…やっぱりわかんないの」

美希はそう呟くと、俺から離れて自分のベッドに戻った。

「分からないって何が?」

心臓の鼓動が段々静まるのを感じながら、美希に聞いた。

「ミキね、目が覚めてから響達にプロデューサーさんのことばっかり聞かれたの。

知らない人だ、って言ってるのに何度もしつこく聞いてきて、うんざりしちゃった。

しかも、ミキがプロデューサーさんのことをハニー、って呼んでいつもベタベタくっ付いてたなんて…

全然信じられないの」





美希は俺の方を見て

「ミキがプロデューサーさんのことを好きになるなんて、あり得ないって思うな。

おしゃべりしても楽しくないし、顔だってぱっとしないの。

どうしてこんな人を好きだったのか全然わかんないの。

きっと昨日までのミキはどうかしてたんだね。

あ、でもミキのプロデュースは続けてもいいよ?

律子…さんは怒るとすっごく怖いの。

だから、あんまり怒らなそうなプロデューサーさんはミキ的に大歓迎なの。

そういうわけだから、明日からよろしくね、プロデューサーさん」

言いたいことだけ言うと、美希はすぐに眠ってしまった。

俺は、美希が眠った後もしばらく放心状態だった。

一瞬の内に告白されて、振られてしまった。

何を言っているのか分からないと思うが、俺自身もよく分かっていない。

一方の美希はというと、とても幸せそうな顔で眠っている。



ノックの音がして、双海先生が入ってきた。

「そろそろ検査を受けないか…ってどうしたんだい、酷い顔をしているが」

先生は俺の顔を見るなり驚いてそう言った。

「もしかして、星井さんに何か言われたのかい?」

先生には見透かされているようだ。

「そんなに落ち込むことはない。

あの位の歳の娘はズバズバと言いたいことを言うものさ、悪意無しにね」

先生が言うと説得力があるが、あまり慰めになっていない気がする。

「それは置いておくとして、そろそろ検査を受けないか?

あまり遅くなると今日中に退院できなくなってしまう」

どうやら思っていた以上に長い間放心していたようだ。

慌てて準備を始める。

検査の結果、特に身体に異常は見つからなかった。

検査が終わった後病室に戻ると、美希は既に居なかった。

看護師さんによると、俺が検査を受けている間に親御さんが連れて帰ったらしい。

俺も退院の手続きを終わらせ、双海先生に挨拶をしてから家に帰った。

昨日までここで生活していたはずなのに、何だかとても久しぶりに戻って来た感覚がする。


家の中に入ってすぐに、俺は机の横にある引き出しの中を探った。

プロデューサーとしての記憶は失ってしまったが、幸い日常生活に関する記憶は残っていた。

残った記憶を頼りにプロデューサー業の助けになるものは無いかと考えたら、案外すぐに思い当たった。

俺の予想が正しければ、アレは今の俺にとって強力な武器になるはずだ。

引き出しの奥からお目当てのものを見つけ、目を通す。

どうやら、社長の期待を裏切らずに済みそうだ。

今すぐにでも読み進めるべきなのだろうが、今日はもう休むことにする。

今日だけで色々な事が起こり過ぎて、字を読む気力すら起きない。



俺はベッドに横になり、今日一日で起きたことを考えた。

だが、考えれば考える程に不安が強くなってしまう。

本当に今の俺にプロデューサーが務まるのか、貴音の予言めいた警告、リセットされてしまった美希との関係…

いくら考えても解決策が見えて来ないことを延々と考えている内に、俺は眠りに落ちていた。

今日はここまで

導入部分だけで予想以上に長くなってしまいました。
今後のペースについては未定ですが、ゆっくりでも進めていけたらいいなと思っています。

それでは

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