梓「ムギ先輩は私のこと好きですか?」 (43)

 
-梓

ファーストインプレッションは、もったいない先輩…でした。
出るところは出ていて、顔のパーツも整っていて、筆舌しがたいほど綺麗な髪で--。
それなのに太い眉毛のせいで、ちょっと野暮ったい。

他の先輩たちとのやり取りから、優しくて丁寧な人だとは感じていましたが、その程度で。
特に良い印象も悪い印象もありませんでした。

そんなムギ先輩のイメージが変わったのは、軽音部に入ってしばらくしてからのこと。
ある昼休みのことです。

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お昼ごはんを済ませた私は、中庭にいました。
憂が唯先輩のところは行ってしまい、手持無沙汰だったし、学校を探索することにしたのです。

花壇に目をやりながら歩いていると、ふと金髪の後ろ姿が目に入りました。
ひと目でわかりました。ムギ先輩です。

ムギ先輩は座りこんで何かしているようでした。
何をしているか気になり近づくと、先輩はこちらに気づきました。

「あれ…中野さん」

「こんにちは。琴吹先輩……あ、その子」

「ええ、迷いこんだみたいなの」

「猫さん…」

「ふふふっ」


「?」

「猫さんだなんて、随分かわいらしい言い方だなって」

「う…」

「気にしないで、褒めてるんだから」

なんだか出鼻を挫かれた気分です。
先輩はそんな私のことなど気に留める様子もなく、猫を撫でています。
喉元を撫でられたその子は、気持ちよさそうに、ニャァと…。

「私も撫でていいですか?」

「ええ、もちろんよ!」

「おいでー」

猫は素直に近寄ってきて、顔を差し出しました。
まるで撫でてくれと言わんばかりに。


「ふふ、素直な猫さんねぇ…」

「はいです」

「そういえば中野さんはどうしてこんなところに?」

「ちょっと学校探索です」

「ふぅん…この学校広いからわかりにくいでしょう?」

「はい。でも、最近はだいぶ慣れてきました」

「そっか。ねぇ、よかったら私が案内しよう…」

「ん?」

「…探索は自分でやるから楽しいんだよね。ごめん、忘れて」


探索は自分でやるから楽しい、というムギ先輩の発想は面白く感じました。
私は何度か校内探索に出ていましたが、それは所詮暇つぶしで。
面白いかどうかなんて考えたこともなかったのです。

でも振り返ってみれば、結構探索を楽しんでいたかも…。


「あの、琴吹先輩」

「なぁに?」

「やっぱり案内をお願いできませんか?
 1人での探索ならいつでもできるので」

「ふふ、そっか。
 じゃあ、この子とはお別れね。バイバイ」


猫は名残惜しそうにムギ先輩が離れていくのを見ていました。

「さて、どこか案内して欲しいところはある?」

「えっと…」

「特にないんだ?」

「ごめんなさい…」

「中野さんが謝ることないわ。順に見て回りましょう」


中庭、特別教室、部室練、会議室…特にあてもなく、私達は歩きました。
ムギ先輩は施設が見えるたび熱心に説明してくれたので、軽い気持ちで案内を頼んだのが申し訳なく思えました。


「…と、これくらいかしら。もういい時間だし」

「そうですね」

「じゃあ、またね」

「あの…」

「どうしたの?」

「今日はありがとうございました。
 それから…ごめんなさい!」

「どうして中野さんが謝るの?」

猫と戯れている先輩を邪魔してしまったこと。
軽い気持ちで案内を頼んでしまったこと。
私の中では「申し訳ない」ことなのだけど、うまく説明できそうにありませんでした。

「…中野さん」

「…はい」

「ふふ、唯ちゃんが中野さんに抱きつく理由がわかったかも」

「え…」

先輩は戸惑っている私に近づき、そっと頭を撫でてくれました。

「先輩が、先輩風を吹かせるのに理由なんていらないのよ
 少しでも後輩の役に立ちたくて、先輩は必死なんだから」

語りながら、優しく髪を撫でてくれる。

「ふふ、中野さんの髪はさらさらね」

「先輩の髪だって…」

「触ってみる?」

「いいんですか?」

「もちろん」




私は恐る恐る、手を伸ばした。


…あの時のことは、今でも覚えている。


ただ先輩の髪を触るというだけなのに。


ほんの数十センチ手を伸ばすだけなのに。


それがひどく特別なことに思えて。


どうしようもなく、心臓がざわついて。


あぁ、これが「ときめく」ってことなんだと----


 
 
 
 
 
ムギ先輩の髪はさらさらで。それから--


--とてもいい匂いがした。

 
 
 
  
 

私が「もったいない先輩」を好きになったきっかけは、その一件なのだけれども。
そのきっかけが「好き」という言葉に昇華されるまでには時間がかかった。

他の先輩に気づかれないようにこっそり目で追って。
ムギ先輩と目が合うとサッと逸らして。

そんなとりとめのない、それなりに楽しい時間を過ごしてきた。

そんな私の変化に他の先輩たちもムギ先輩も気づいていない…と思っていた。
でも、それは大きな間違いでした。

とある夏の日。
澪先輩が夏風邪気味なため、部活はお休みだというメールが来た日。

私は部室に行きました。
特に理由はありません。
強いて言うなら、誰もいない部室を探索してみたかったから…かもしれません。

部室にはムギ先輩がいました。

「あら、梓ちゃん」

「ムギ先輩? 今日部室は休みだって」

「あー…そうなんだけど。ちょっと氷を処分したかったから」

「氷…あ、お茶のですか?」

「うん。部活で出すお茶に入れてる氷なんだけど」

部活が突然休みになることはしばしばある。
その度にムギ先輩はこの作業をしているのだろう…。

「梓ちゃん?」

「?」

「何か考えこんでたみたいだけど」

「な、なんでもないです。
 あ、そうだ!
 良かったら、ちょっとお話しませんか?」

「ふふ、名案ね!
 氷さんもそのほうが浮かばれるでしょうし」

氷さん。
その響きがおかしくて笑いを堪えていると、あっという間にアイスティーが出てきた。

冷たいお茶を飲みながら、部室でしばし談笑。
話したのは、休日の過ごし方、友達のこと、律先輩のオデコのこと。

ふと、話題が途切れる。

ムギ先輩はグラスに口をつけ、コクコクとアイスティーを飲みはじめた。

ふたりきりだったからか。それとも夏の日だったからか。

私はムギ先輩の唇から目が離せなくなってしまった。

アイスティーを飲み終えた先輩は、こちらを向くと、悪戯っ子みたいに笑った。

それから私の方へ歩いてきて、唇を重ねた。

そっと触れる程度のキスの後、すぐ唇を離した先輩は「勘違いじゃないよね」と呟いた。
「勘違いなわけないです」と返すと、舌で私の唇を抉じ開けた。

突然のことで頭が真っ白になった私のことなどお構いなしで、ムギ先輩は私を愛しはじめた。
舌は生き物のように私の口内で暴れまわり、涎が2人の口から滴り落ちる。
キスを続けたまま、先輩は器用に私の服を脱がせて、胸を愛撫しはじめた。

トクン

トクン

突然だったけど--
突然過ぎたけど--
ムギ先輩と愛し合うんだって実感が湧いてくる。

私も懸命に舌を絡めて、快楽を貪った。
ムギ先輩は乳首を暫く攻めた後、私の大事なところを攻め立てた。

私が十分に濡れたのを見計らい、先輩は唇を離した。
2人の息は荒い。
十分な酸素を補給した後、今度は私のほうからキスをした。
再び舌を絡めながら、ムギ先輩の指で…私は達した。


「ムギ先輩」

「なぁに」

「ファースト・キスですか?」

「ええ」

「どんな味がしました?」

「えっと…」

「ムギ先輩も?」

「うん…」

「衝撃的すぎて、味わう余裕なんてありませんでした」

「私も。アイスティーの味なんだろうけど、その直後に梓ちゃんの味を知ってしまったから」

「…」

「どうしたの?」

徐ろにキスをして、舌を入れた。

「ムギ先輩の味を覚えておきたくて」

「ふふふ」

愛の告白も、高校生らしい葛藤もないまま、私とムギ先輩の関係がはじまった。
と言っても、特に何か変わったわけではない。
たまに2人で遊びに行くようになった程度である。
学校生活でも、部活でも、身の振り方を変えるようなことはしなかった。

ただ、それでも先輩たちは2人の変化に気づいたみたいだ。
その上で何も言わないでくれたのは、とても有り難かった。

一番変わったことは…定期的に愛し合うようになったことだ。
私はあの日から…正確に言うとあの日以前から、ムギ先輩を性的な目で見てきた。

あの日以降、私はムギ先輩を見ると、どうしようもなく発情してしまうようのだ。

男子高校生なんて猿みたいなものだなんて言うけど、女子高校生は猿以下かもしれない。
そう思えるくらい、どうしようもなくムギ先輩を求めてしまう。

部室で、ラブホテルで、先輩の家で。
何度も何度も愛しあった。

2人でインターネットを見ながら研究もした。
その成果もあり、二人同時に達することもできるようになった。

爛れた日々。
でも幸せな日々。

そんな日々が永遠…とまではいかずとも、しばらくは続くと思っていた。
けれども、私は気づいてしまったのだ。

一緒にいるうちに、どんどん先輩について理解していった。
ムギ先輩は、誰かを助けることに喜びを感じる。

それは例えばお茶を入れることだったり。
あるいは唯先輩の面倒を見ることだったり。
とにかく、誰かを助けて喜んでもらうことに、最上の喜びを感じる。

もちろんムギ先輩自身の願望(例えば食欲)もあるけれど、
それ以上に、ムギ先輩の根っこに「奉仕による喜び」がある。


最初は小さな違和感に過ぎなかった。
ムギ先輩の「赤い顔」を見たことがない、という小さな違和感。

でも、ムギ先輩について知っていくうちに、
ムギ先輩について理解していくうちに、
違和感は疑念へと変わっていきました。

もしかしたら、ムギ先輩は----

ある日。
私達はホテルにいた。

お互いに下着姿になった後、私はムギ先輩を押し倒した。
先輩はニコニコしている。
いつもはムギ先輩が終始リードしてくれる。
きっと先輩は「今日は梓ちゃんがリードしてくれるのかしら」とでも思っているのだろう。

私はムギ先輩の目を覗き込む。
ムギ先輩は目を逸らさない。

覚悟を決めて、私はその問を発した--



「ムギ先輩は私のこと好きですか?」



言ってから、少し後悔した。


-紬



「ムギ先輩は私のこと好きですか?」



「好き」と出かけた言葉を引っ込めました。
梓ちゃんの問いの、その「好き」の意味は……きっと違うから。

梓ちゃんはそのまま私に体を預けました。

「聞こえますか?」

トクントクン

トクントクン

心臓の音。
私のではなく、梓ちゃんの。
とても大きく鳴り響いている。

私の心臓は平常運転。
梓ちゃんがこんなに近くにいるのに…。

サッと血の気が引いていくのがわかりました。

梓ちゃんの瞳が急に怖くなって、目を逸らして。

それでもいたたまれなくなって、体を横に反らして…。


私は…。
私は…。
私は嬉しかったんです。


後輩が、かわいい後輩ができて。
その子が自分に恋愛感情を持ってくれて。

私は梓ちゃんの恋愛感情を成就させてあげることしか考えていませんでした。
それが悪いことだなんて、考えたこともなかったのです。


でもこうして、梓ちゃんに問い詰められて。
やっと自分のしてしまったことに気づきました。

好き合ってもいないのにキスをして、好き合ってもいないのに体を重ねる。
それは恋愛に対する冒涜であり。
梓ちゃんに対する酷い裏切りです。

気づいてしまうと、もうどうしようもありませんでした。

私はベッドの隅で泣きました。
弁解のしようもなくて。
謝罪する気力さえなくて。

ただ無責任に泣き続けました。



……と。
私の髪に触れるものがありました。

そっと、撫でるように。
ううん。撫でるようにじゃなくて、撫でているんだ。

泣いている私を、梓ちゃんは撫でている。


「私はこの髪、好きです」

「……うん」

「ムギ先輩は私の髪、好きですか?」

「……うん」

「でも多分、私の好きとムギ先輩の好きは違うです」

「……うん」

「だから……ごめんなさい」

「どうして…どうして梓ちゃんが謝るの?」

「楽しかったからです」

「…どういうこと?」

「説明するのは苦手です」


それっきり言葉はなかった。
梓ちゃんは私が泣き止むまで、ずっと頭を撫でてくれた。

それだけが、私にとっては救いでした。

家に帰って、1人になって。
もう一度泣きました。
一頻り泣いた後、恋について考えました。

恋すると「ときめく」そうです。
とくんとくん。そう、心臓の音で表現されるように。
ドキドキして、いてもたってもいられなくなって。

…私はそういう感情をまだ経験したことがありません。


梓ちゃんに「ときめく」ことができれば。
本当の意味で恋人同士になれるのかもしれません。

でも、どうすれば「ときめく」ことができるのか、私にはさっぱりわかりません。

何の解決策も見いだせないまま、眠りにつき、翌日学校に行きました。

どんな顔をして梓ちゃんに会えばいいのか。
考える間もなく、梓ちゃんはあらわれました。

「ムギ先輩、おはようございます」

「っ…あ、梓ちゃん」

「あのー、ムギ先輩。お願いがあるんです」

「なぁに?」

「手、繋いでもらえませんか?」

「え」

「手ですよ、手」

そう言って梓ちゃんは右手を差し出した。
私が恐る恐る左手を差し出すと、しっかりと2人の手は繋がれました。

「ふふふーん」

「あ、梓ちゃん…これ…」

「やっぱり嫌でしたか? 目立っちゃいますし…」

「ううん。嫌じゃないけど。でも、どうして…」

あんなに酷いことをしたのに…。
私が釈然としないでいると、梓ちゃんは説明してくれました。

「だからです」

「だから?」

「今までは安全だと思っていました」

「?」

「ムギ先輩とは両思いだから、他の誰かに盗られたりしないって」

「…」

「でも、そうじゃないなら、ムギ先輩に好意を持っている他の誰かにも、ムギ先輩は…」

「そんなこと--」

「ないって言えますか?」

言えませんでした。
自分がやってしまったことを考えると、とても--。

「ねぇ、梓ちゃん」

「どうしました?」

「私のこと、まだ好きなの?」

「好きです」

「どうして…、あんなに酷いことをしたのに」

「好きって気持ちは簡単には変わりません。それに--
 そんなに酷いことをされたって思ってませんから」

「梓ちゃん…」

私は、困惑しました。
でも、とても嬉しかった。
梓ちゃんが、まだ私のことを好きだと言ってくれて。

とても嬉しかったのです。

それからというもの梓ちゃんと一緒にいる時間は劇的に増えた。
お弁当も2人で食べるようになったし、平日も部活が終わった後、2人で遊びに行くことが増えた。

学内でも学外でも手を繋いで歩いているので、私達のことはすぐに噂になった。
ただ、そんなことは気に留めもしなかった。
梓ちゃんが困らないなら、どんな噂が流れたって構わなかったから。

2人の時間が、私は決して嫌いじゃなかった。
負い目はあるけれど、そんなことを忘れさせてくれるくらい、梓ちゃんは明るい。
そんな明るい笑顔につられて、こちらまで笑顔になってしまう。

キャンプ地の吊り橋にいって、吊り橋効果を試したりもした。
結局、変化はなくて、私はちょっと落胆したけれど、梓ちゃんは気にする様子もなかった。

それから、それから、本当に沢山のことを一緒にやった。
それでも、私が「ときめく」瞬間は訪れなかった。



ある、部活がお休みの日。
私は部室に呼び出された。

唯ちゃんに。

「こうやってムギちゃんと2人でお話するの久しぶりだねー」

「うふふ、そうね。最近は--」

「あずにゃんとずっと一緒だもんね」

「ええ」

「ねーねー、それでちょっと聞きたいだけど、あずにゃんとムギちゃんって付き合ってるの」

「どうだと思う?」

「あ、教えてくれないんだ。う~ん、わからないから聞いたんだけど」

「そうよね」

「最初はね、仲良しカップルさんだと思ったんだよー。でもなんだか…
 なんだか、ちょっと無理してるように見えて」

「心配してくれたんだ」

「うんっ!」

「えっとね。実は私に問題があるの」

「えームギちゃんに問題なんてないよー」

「私ね、『ときめいた』ことがないから…」

「…ふーん。なるほどなるほど」

「え、分かっちゃったの?」

「んーん。全然わかんない」

「……そ、そう」

「でもね。分かったこともあるよ。
 ちゃんと恋できてないんじゃないかって悩んでるんでしょ?」

「うん。まぁ、そうかな」

「えっと、じゃぁね。私と澪ちゃんが付き合うことになったって言ったら」

「え、唯ちゃんと澪ちゃんが付き合うの!!
 どちらから告白したの?」

「む、ムギちゃん。例え話だよ」

「なぁんだ…」

「じゃあさ、あずにゃんと澪ちゃんが付き合うことになったって言ったら」

「…」

「ムギちゃんの、その顔が答えでいいと思うよ」

「でもね、唯ちゃん。嫉妬はしても、『ときめき』はしないの」

「ムギちゃん、『ときめき』だけが恋じゃないと思うよ」

「えっ、どういう…」

「それじゃ私はもう行くね」

「…うん」

唯ちゃんが去った後、私は独り部室に取り残された。
唯ちゃんの残した言葉を考える。

「ときめき」だけが恋じゃない。

もしその言葉が真実だったとして、
他に恋と呼べるようなものを、梓ちゃんに対して抱いているのでしょうか?

私は…。

と、そのとき、扉が大きな音を立てて開きました。

「ムギ先輩!!」

「あ、梓ちゃん?」

「…唯先輩は?」

「もう行っちゃったけど…どうして唯ちゃんといるって知ってるの?」

「クラスメイトに聞いたんです」

「慌ててたみたいだけど、それは?」

「…心配でしたから」

「心配?」

「……言わせないでください」

考えてみる。
心配。
もしかして……。

「私と唯ちゃんが…そういう心配?」

「…はい」

「そんなの、あるわけないわ」

「なぜそう言えるんですか?」

「だって、唯ちゃんが私のことを好きだなんて…」

「100%ないとは言い切れません」

「そんなの…」

「では聞きますが、もし唯先輩がムギ先輩のことを好きだったら、
 ムギ先輩はどうするんですか?」

「え」

「ムギ先輩は優しいから…そのキスとか」

「そんなこと絶対にしません!!」

「どうしてそ--」

「梓ちゃんの悲しむことは絶対にしません!!!」

「…先輩」

「…ごめんね、梓ちゃん。心配かけて。
 けど大丈夫。私は梓ちゃんの悲しむことはしないから」

「…本当、ですか?」

「ええ、だって梓ちゃんは特別だもの」

「特別ですか?」

「ええ、特別」

「どんな風に特別なんですか?」

「梓ちゃんが悲しんでると、私も悲しくなるの」

「なるほど……じゃあ澪先輩が悲しんでいたら?」

「それは…悲しくなるわ。でもね、違うの」

「どう違うんですか?」

「梓ちゃんが悲しんでるときのほうが、ずっとずっと悲しくなるの」

「…澪先輩がかわいそうです」

「けど、しょうがないの。梓ちゃんは特別だから」

「でもドキドキはしないんですよね?」

「うん。ドキドキはしないの。でも梓ちゃんは特別なの」

「特別…」

「私ね、考えてみたんだ。梓ちゃんと澪ちゃんが付き合ったら、私はどうするだろうって」

「え、なんで澪先輩と」

「憧れてるでしょ?」

「だからって付き合いませんよ!」

「もし梓ちゃんが私のことを好きじゃなくなったら、私ね…。多分、梓ちゃんのことを殺すと思うの」

「殺すんですか?」

「ええ、殺すの。殺して食べちゃう」

「どうして殺すんですか?」

「なんでだろう?」

「理由もなく殺されるんじゃ、私がかわいそうです」

「特別だからじゃないかしら」

「なるほど…」

「特別だから、その現実を消してしまいたくて殺すの。
 …ごめんね。うまく説明できなくて」

「それはお互いさまです。私もうまく説明できませんから…。
 でも、ちょっとだけわかります」

「なにが?」

「殺すってこと」

「梓ちゃんも、私が他の誰かを好きになったら殺すの?」

「多分、殺意は持つと思います。
 実際に殺すかどうかは別ですけど…」

「ふぅん…」

「な、なんですか、その目は」


「ふふ、『気持ちの大きさ』なら梓ちゃんより私のほうが上みたいね」

「そんな…じゃあ私も殺します。無理心中します!」

「私は食べて一つになるから!」

「肉体的に一緒になっても意味無いです。無理心中なら地獄で一緒にいられます!」

「むむむ」

「むむむ」

なんでだろう。
むちゃくちゃなやり取りなのに、少しだけ心が軽くなってしまった。
くだらない言葉の売買で、梓ちゃんと対等になれてしまえた気がした。

「あの、ムギ先輩」

「なぁに」

「実はこの学校にきてから、ムギ先輩以外に『ときめいた』ことが一度だけあるんです」

「へっ!?」

心底驚いた。
唯ちゃんか、それとも澪ちゃんか、あるいはりっちゃん純ちゃん、はたまた憂ちゃん…。
ううん。私の全然知らない子かも--。

「あの、覚えてますか。お昼休みにムギ先輩にあって、学校を案内してもらった日のこと」

「うん。あの日から--」

梓ちゃんとの距離が縮まって…

「あの日出会った猫です」

「え、猫」

「はい。猫にときめいたんです」

「…梓ちゃん、猫に恋したの?」

「恋じゃありません、あまりに可愛かったので……
 ともかく」

「…うん」

「『ときめく』ってそんなに特別な感情じゃないと思えてきたんです。
 それこそ猫に抱けるぐらいの、そういう感情で。
 きっと『好き』を構成する一要素でしかないと」

「私は梓ちゃんにときめかないけど、梓ちゃんのことを好きでもおかしくないってこと…?」

「はい」

「そっか、私梓ちゃんのことを好きだったんだ…」

「いえ、それは分かりません」

「そうなの?」

「特別といっても色々ありますから…だからムギ先輩にお願いがあります」

「お願い?」

「そう、お願いです」

「言ってみて」

「私は…私はムギ先輩のことをもっと知りたいと思います。

「知りたい?」

「はい。ムギ先輩の嫌いな食べ物、好きなお城
 エッチのとき感じる場所、嫌な模様…」

「うん…」

「まだまだあります。
 20歳になったムギ先輩のことも、
 30歳になった先輩も、
 40歳も、50歳も、60歳も、70歳も、80歳も、
 そして最後のときのことも、全部知りたいって思うんです」

「…」

「だから、先輩。私のことも知りたいって思って欲しいんです。
 私の性感帯から、お婆ちゃんになったときの皺の数まで
 全部全部知りたいって思ってください。
 …退屈はさせませんから」

「…」

「…それが私のお願いです」

梓ちゃんの言葉を聞いて、私の胸は高鳴った。
でも、「ドキドキ」はしない。
でも、「ワクワク」する。

そしてひとつの確信に至る。
私の恋は「ドキドキ」ではなく「ワクワク」でできている。



だって、

幼少の頃、ピアノのコンクールで受賞した時より、

りっちゃんに軽音部に誘われたときより、

4人で舞台の上に立ったときより、

そのどれよりも激しく、

梓ちゃんの言葉は、

私の心を踊らせたのだから----



不安そうな顔をしている梓ちゃん。
私にもう不安はないけれど、きっと上手く説明できない。
だから説明するかわりに、こう言った。


「梓ちゃんの性感帯なら、もう全部知ってるわ」


梓ちゃんは少し考えたあと、にっこり笑った。


「なら、証明してみてください」


おしまいっ。

一部ある作品のオマージュです。
一日遅れですが、ムギちゃん誕生日おめでとうございます。

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