もざいくランブル! (518)
アリスちゃん、わが命の光、わが腰の炎。アリスちゃん――
冒頭から気色の悪いポエムを脳内に垂れ流している人物こそ、本作の主人公
播磨拳児である。
学校の教室では、彼の右前に彼女、アリス・カータレットの席がある。
後ろから見るアリスの姿はまた幻想的であった。
金色に輝く髪、青い瞳、小柄な身体、そしてなぜか頭には簪(かんざし)。
抱きしめたくなるような愛くるしい雰囲気を持ちつつ、やや控えめで恥ずかしがりな
性格が彼の心を掴んで離さなかった。
中学生時代から素行が悪く、遅刻や欠席が頻繁にあった彼が高校に入ってから、
ほとんど休まなくなったのは彼女の存在が大きい。
なぜ彼はこれほどまでに彼女に魅かれたのか。
きっかけは本当に単純なものであった。
小柄で金髪のイギリス生まれの少女。
普通の高校なら、注目されて当然だが、彼らの通う学校には、留学生や帰国子女
も多かったため、それほど目立つこともない。
とはいえ、多くの外国人生徒の中でもアリスの存在が際立っていたことは間違いない。
珍しい物を見る様な目で周囲から見られていた彼女は入学当初、まるで小動物のように
怯えていたような気がする。
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彼女がホームステイしている同居人で、同じクラスの……、名前はよくわからないが
遠くから見るとコケシみたいな形をした女子生徒といつも一緒にいた。
播磨はというと、出会ったばかりのころはその存在は認識してはいたけれど、周りの
生徒ほど興味は持っていなかった。
否、彼の場合自分以外の人間に興味を持つこと自体少なかったかもしれない。
身長180センチ以上の大柄な体格に、サングラス、そして髭。どこからどう見ても不良の彼に対し、
積極的に話しかける者は一部を除いてほとんどいない。
彼のほうも、人間関係が面倒だったのでそれでいいと思っていた。
彼は一人だった。
なまじ腕っぷしが強いばかりに、彼を支えるような人物は身近には現れない。
もちろん彼の周りにも人はいたけれど、どいつもこいつもガラの悪い連中ばかりである。
誰もが認める不良。そして自分も自分のことを不良だと認識していた。
「アリス、携帯電話持ったの?」
「うん、最近は物騒だからってね」
アリスはそう言って真新しい携帯電話を友人たちに見せていた。
「お揃いですよお」
隣の大型こけしがそう言って色違いの携帯電話をアリスと同じように見せる。
その時、
《~♪》
不意に鳴った着信音。
そのメロディに播磨は聞き覚えがある。
「きゃっ」
自分の携帯電話の音に驚くアリス。
「何やってるのよよ。授業中に鳴らすと怒られるから、ちゃんとマナーモードにしておいてよ」
黒髪のツインテールが呆れるように言った。
「でもさ、アリスの今の着信音、なんだか珍しいね」
茶髪で、少し大柄な女子生徒がそう言って携帯を覗き込む。
「ああ、これ好きなんだよ」
アリスは照れながら言った。
アリスの持っている携帯電話の着信音、それは偶然にも――
《~♪》
播磨のものと同じであった。
「あれ、今の音って」
「俺のだ」
滅多に入ることのない着信が、この時偶然にも播磨の携帯に入ったのだ。
「今の音、アリスの携帯のと同じだよね」
ツインテールが言った。
「何の音だっけ」
「確かアリスが好きなテレビ番組なんですけど」
こけしはそう言って首をかしげる。
「あ、あの!」
不意にアリスは声を出した。
「!!」
その声に、播磨は驚く。
これまで借りてきた猫のように大人しかった小柄な少女が急に目を輝かせ始めたのだ。
「あ、あの……、今の着信音って」
そして恐る恐る、こちらに話しかけてきた。
「あ、ああ。『三匹が斬られる』のテーマだけど、それがどォした」
教室内で滅多に話しかけられることもがない播磨は、異国の少女に急に声をかけられたことに少し動揺していた。
「……」
周囲の女子生徒たちは心配そうにこちらを見ている。
(大丈夫。別に取って食ったりはしねェよ)
播磨は心の中でそう思いながら、アリスの表情を見た。
不安そうな瞳。
彼女なりに勇気を振り絞った結果なのだろうか。
「時代劇、好きなんですか?」
「ああ、好きだな」
「三匹がきられるの中で一番好きなのは――」
「もちろん、万石だ」
「わ、私もです」
そう言って、アリスは笑顔を見せた。
「あ……」
その笑顔は、彼が今まで見てきた中でも一、二を争うほど眩しい笑顔であった。
「時代劇好きな人がいて、嬉しいな」
「そ、そうだな……」
外国人にしてはやたら流暢な日本語を話す彼女は、相当の日本マニアなのだろうか。
そんな風に思っていると、いつの間にか彼は右前に座る彼女のふわふわの髪に突き刺さった
簪を見るのが日課になっていた。
もざいくランブル!
第1話 突 然 encounter
アリスが日本に来てから数か月。
彼女は少しずつであるけれど、クラスの連中と打ち解けてきた。
固かった表情も次第に柔らかくなり、花のような笑顔も見せる様になった。
一方、播磨は相変わらず孤独である。
ただ、彼の心の中ではアリスに対する思いが強くなっていた。
(くう、今日も可愛いぜアリスちゃん!)
こんなことを考えている間、彼は無表情であり、サングラスに隠された瞳の思考を読み取れる者はいない。
というか、誰も彼の思考を理解しようとは思わなかった。
なぜなら彼は不良だから。
(しかし、こんなことをしていたのでは埒が明かないな)
播磨は足りない脳を使ってアリスとの関係が進展する策が無いか少しずつ考え始めていた。
いつまでも後ろの席から彼女の簪を眺めるだけの日々から卒業したい。
一言二言、声をかけるチャンスはあったけれども上手くモノにできなかった。
いや、たとえモノにできたとしても、その会話を上手につなぐことはできなかったであろう。
そもそも播磨は、女の子と付き合ったことはおろか、まともに友達づきあいすらしたことがなかったのだ。
人と仲良くなる方法など知る由もなかった。
(何とかしねェとな。このままじゃあ夏休みになっちまう)
夏休みになると、当然会える数は減ってしまう。
播磨はそう考えると不安になった。
(夏になると人は解放的になる。そうなると、アリスちゃんにも悪い虫がついてしまう可能性も。
ああー、それは不味い。非常に不味いぞ……!)
播磨は心の中で頭を抱えて身悶えていた。
もちろん、そんな風に悩んでいることなど、当のアリスは知らない。というか余計なお世話である。
(なんとしても早くアリスちゃんと仲良くなって、不埒な輩が近づくことを阻止しなければ)
彼の頭の中で、自分がその“不埒な輩”であるという認識が微塵もないことは言うまでもない。
(だめだ。やはり俺一人の知能では限界がある。いっそ誰かに相談を……。くっ、バカ野郎。俺は不良だぞ。
一体どこの世界に女の子と仲良くなる方法を相談する不良がいるってんだ)
播磨が一人、悶々と悩んでいると、
「どうしたの? 具合悪いの?」
不意に声をかけてくる生徒が一人。
(アリスちゃん!?)
変な期待をしつつ、顔を上げるとそこには黒髪でおかっぱ頭の女子生徒がいた。
(コイツは確か、いつもアリスちゃんと一緒にいる)
「アマクサ?」
「大宮。大宮忍です。すぐ前の席なんですから、覚えてください」
「オオミヤ……」
「この前自己紹介したのに」
「そうだったっけかな」
播磨は今、アリス以外の女子生徒、というか人間自体にほとんど興味を持っていない。
ゆえに他の生徒の名前を覚える必要性すら感じていなかった。
「何だか具合悪そうだったけど、風邪でも引いきましたか?」
「あ? 別にそんなんじゃねェよ」
播磨は生まれてこの方、風邪などひいたこともない健康優良児である。
「そうなんだ。私、保健委員だから、何かあったら言ってくださいね」
そうだったのか、と播磨は納得する。
というか、委員会自体播磨には興味のないことだ。
「ところでよ、大宮」
「何?」
「お前ェ、アリスちゃ……、アリス・カータレットといつも一緒にいるよな」
「ええ? アリスと!? そこまで一緒ではないと思うんですが」
(自覚なしか)
「そういや入学した時からずっと仲良かったけど、どういう関係だ?」
「関係? そんなの改まって言うほどでも」
大宮忍はそう言って身をくねらせる。
(ウゼェ……、さっさと答えろ)
播磨は胸の底からわき上がるイラつきを抑えながら忍の答えを待った。
「アリスはですね、今ウチにホームステイしてるのです」
「ホームステイ……、だと?」
そういえばそんな話を聞いたことがある、と播磨は思った。
「正しくは、Home stay かな」
(発音なんかどうでもええわ)
播磨は心の中でツッコミをする。
「実は私も、中学の時にイギリスにあるアリスの家にホームステイしていたことがあったんですよ。
その縁で、今はアリスが日本でホームステイしているんです」
「そうだったのか。それでいつも一緒に」
何も知らない異国の地で、数少ない知り合いを頼ることはよくあることだ。
播磨は未だに外国に行ったことはないけれど、何となく想像することはできた。
「ところで大宮」
「なんですか?」
「お前ェ、イギリスに行ったんだよな」
「そうですよ」
エッヘン、という音が聞こえてきそうなほど、彼女は得意気な顔で胸を張る。
胸はあまり大きくない。
「だったら英語とか得意なのか」
「えー、それは……」
そう言って忍は目を逸らした。
「I live in Tokyo.を過去形に直してみろ」
「か……、過去形?」
忍は口ごもる。
(コイツはどうやって高校に入れたんだ……)
「過去は振り返らない主義なんです」
(どんな主義だ貴様)
*
人間何がきっかけになるのかよくわからないが、その日以来播磨は忍とよく話をするようになった。
バカ同士で波長があったのかもしれない。
(ふむ。本来の目的とは少し逸れるが、将を射んとすればまず馬からとも言うし。
アリスちゃんと仲の良いダチと関係を築くことも大事かもしれん)
「播磨くんって、英語が凄く得意なんだね~」
「お前ェがバカすぎるだけだろ」
「酷いよお」
(悪いな大宮。お前ェはアリスちゃんと仲良くなるための踏み台になってもらうぜ)
そんな野望を抱きつつ、アリスに接近する播磨。
しかし、
「フーッ!」
アリスはまるで子猫を守る母猫のごとく、警戒心丸出しで播磨を威嚇していた。
(どういうことだ!)
アリスと仲良くなるために彼女の親友に接近した播磨は、その目算が狂ってしまったことになる。
(一体何があったんだ)
アリスの態度の急変に困惑する播磨。
もっとたくさん時代劇の話とかしたいのに。もっと歴史の話とかもしたいのに。
あわよくばイチャイチャとかもしてみたいのに。
そんな淡い希望は、敵意に満ちたアリスの視線にかき消されてしまった。
(どういうことだ)
そんなアリスに戸惑っていた播磨の前に、今度は別の女子生徒が現れる。
「ねえ、播磨くん」
「あン?」
大宮忍か、と思ったら違った。
忍と同じ黒髪だが、長い髪を二つに縛っている、いわゆるツインテールの女子生徒だ。
髪型と目つきからして、何となく気が強そうに思える。
「誰だ」
「小路(こみち)よ。小路綾。いい加減クラスメイトの名前くらい覚えなさいよね」
「前にも同じことを誰かに言われた気がした」
「まあそんなことはどうでもいいんだけどさ」
「いいのかよ」
「聞きたいことがあるの」
「なんだ」
「播磨くん。あなた、忍のことが好きなの?」
「俺はむしろ忍びよりは剣豪のほうが」
「誤魔化さないで」
ぐいっと顔を寄せるツインテール。
「んだよ」
「“しの”のことが好きなのかって聞いてるの」
「シノって……誰だ?」
「しのぶよ。大宮忍」
「ああ、アイツか」
「それで、あの子のことが好きなの?」
「なんでそうなんだよ」
「だって、最近よく話してるじゃん」
「よく話してたら好きってどういう状況だ。つうか、そんなに話してねェし」
「そうなの?」
「ったりめェだ」
「うーん、私はてっきり播磨くんがしのに気があると思ってたんだけどなあー」
「酷ェ勘違いだ」
「おかげで最近アリスが機嫌悪くてさあ」
(アリスちゃん……!?)
その名前に播磨の心は反応する。
「なんで、その、アイツが機嫌悪くなんだよ」
「うーん、やっぱりあれかな」
「アレ?」
「ヤキモチってやつなのかな、やっぱり」
(アリスちゃんが俺と大宮の関係を疑ってヤキモチ? 嫉妬か。そいつは一体、どういうことなんだ)
播磨は一瞬考える。
そして、
(そうか。つまり、アリスちゃんは俺と大宮が仲良さそうにしているのを見て嫉妬したんだな。
つまり、彼女も俺のことを)
という結論に至った。
(ふっふっふ、ありがとうよアリスちゃん。俺も同じ気持ちだぜ)
「おーい、播磨くーん。聞いてる?」
小路綾の声はすでに播磨拳児には届かなかった。
*
別の場所。
「ああ、つまりシノは別にハリマくんとお付き合いしているわけではなかったのね」
「そうだよアリス。なんでそんな考えになるんですか」
忍とアリスが廊下を歩きながら話をしていた。
アリスは、ここ最近忍と播磨がよく話をしているのを見て二人の関係に嫉妬してた。
ただし、嫉妬の対象は播磨ではなく親友の忍のほうである。
「シノが獲られるんじゃないかと思って心配したよ」
「とられないから……」
忍はそんなアリスの言動を苦笑いしながら聞いていた。
アリスはかなり嫉妬深いようで、忍の友達だけでなく学校の先生にもヤキモチを焼いていた。
そんな二人の前に、大きな人影が一つ。
「播磨くん? どうしたの?」
忍が言った。
その言葉にアリスが反応する。
「いや、その、なんつうかよ……」
いつもより歯切れが悪い。
「俺は別に、その、大宮とは何ともないからな。ただのクラスメイトってだけだ」
「はい?」
「それを言いにきた」
「はあ」
そう言うと、播磨は足早に去っていく。
「一体なんだったんだろう」
アリスは首をかしげた。
もちろん、忍にもよくわからない。
わからないけれど、それ以降アリスが播磨に対して敵愾心をむき出しにする事態は、
一応収まったようである。
*
場所は戻って教室。
「ねー綾」
先ほど播磨に話しかけていたツインテールの小路綾が席に戻ると、彼女に話しかける女子生徒が一人。
「ああ、陽子。どうしたの?」
少し茶色がかった髪の毛に、(比較的)豊かな胸を持つその女子生徒は、
綾の中学時代からの親友である、猪熊陽子である。
「さっき播磨くんと話をしてたよね」
陽子は興味深そうに聞く。
「え? ああ。しののことで少しね。それがどうしたの?」
「播磨くんってどんな感じ? ちょっと近づき難いところあるけど」
「いや、別に。普通だよ。見た目があれだけど。まあ何考えてるのかわかんないところもあるけど」
「そうなんだ」
「……、まさか陽子も彼に気があるとか言うんじゃないでしょうね」
「……え?」
一瞬言葉を詰まらせる陽子。
「本当に気があるの?」
「違うよ綾。私が興味あるのは――」
「興味あるのは?」
「播磨くんのカラダ」
「身体?」
「いや、なんていうか。服の上からでもわかるけど、すごく筋肉ありそうじゃない?」
(そうだった。陽子は筋肉マニアだったか)
綾は中学時代のころを思い出す。
「写真、撮らせてくれないかなあ」
いつの間にか陽子はデジタルカメラを手にしていた。
「いや、本当に待てっよ陽子」
「私は播磨くんの身体にしか興味がないから、安心して綾」
「安心できねー!」
綾の心配は続く。
*
まるで人形のような可憐さを持つアリスは、留学生や帰国子女の多いこの学校内でも
一際目立つ存在であった。
当然、同級生や上級生からも注目される。
入学当初、彼女は色々な男子生徒から声をかけられていた。
ただ、人見知りなアリスははっきりとモノを喋ることができず、いつも戸惑っていた。
だが、いつの間にかあまり声をかけられなくなっていく。
「わたしとしてはそっちのほうが嬉しいな」
アリスは言った。彼女は静かに暮らしたいタイプである。
「飽きられたか」
陽子は言ってみる。
「ちょっと、そこは慣れたとか馴染んだとか言ってあげてよ!」
と、すかさず綾がツッコんだ。
中学時代の同級生らしく、二人のコンビネーションは息ピッタリである。
もちろん、アリスが男子生徒から声をかけられなくなったのには理由がある。
少し前の話。
「ねー、キミ。一年のアリスちゃんだよね」
アリスに見知らぬ男子生徒が話しかけた。
「え? はい」
「俺さあ、A組の佐野だけど」
「はあ」
「キミに凄く興味あるんだ。今度、キミの友達と一緒に遊び――」
そこまで言いかけて、二年生は言葉を止めた。
「どうしました?」
「いや、何でもない」
そう言うと、アリスに声をかけた二年生はそそくさと走り去っていった。
そんなことが何度も続くうちに、少なくとも男子生徒が気軽に声をかける、ということはなくなっていた。
「へー、不思議だねえー」
忍はそんなアリスの話をまるでおとぎ話のように聞いていた(つまり、あまり深く考えていないということ)。
もちろんこの話にも裏がある。
二年生の佐野という男子生徒は、異性に対して積極的な男で有名であった。
なまじ顔も良いため、女にはモテた。
そんな彼がアリスに食指を伸ばすのはある意味必然だったかもしれない。
しかし――
アリスの後方約十数メートルにいた、播磨拳児という男の存在が、彼女を他の男たちから
遠ざけていたことは、あまり知られていない。
*
播磨の観察によると、アリスには仲の良いクラスメイトが三人いることがわかった。
まず、1人はホームステイ先の住人である大宮忍。遠くから見るとコケシに見えなくもない彼女は、
性格はおっとりしていてあまり頭がよろしくない。
二人目は、最近話しかけてきたツインテールの小路綾。
そして小路の親友らしき、猪熊陽子。
正直、播磨にとってはアリス以外はどうでもいい存在なのだが、アリスが仲良くしている時点で、
無視できない存在であった。
「言葉って難しいですね。改めて思います」
英語の教科書を見ながら忍がつぶやく。
「そうなのかな」
アリスが答えた。
「だって心で通じ合うとか言っても、やっぱり言葉がわからなきゃ誤解しちゃいことも
あると思いますし」
「そうかもね」
「だから私も、アリスのことを理解するために、英語の勉強頑張りますね」
「頑張って、シノ!」
(そうか。言葉か)
播磨は二人の会話を聞きながら何かを思う。
(確かにアリスちゃんが俺のことを好いていても、俺がそれに対してはっきりと言葉に
してあげないと、相手も不安になってしまうな)
言うまでもなく播磨の勝手な解釈である。
(やはり思いははっきりと口に出したほうが良さそうだな)
だがしかし、いつもアリスの周りには例の三人がいる。
さすがに公衆の面前で思いを告げることは避けたい播磨。
(別に恥ずかしがってるわけじゃねェぞ。アリスちゃんに変な思いをさせねェためだ)
播磨は自分自身に言い訳するように心の中でつぶやく。
そしてチャンスは意外にも早くやってきた。
「シノ。帰りましょう」
授業も終わり、アリスがシノを誘う。いつもの光景だ。
「ごめんねアリス。今日はちょっと先生に呼ばれているからすぐには帰れません」
「じゃあ待ってる」
「補習なので、時間がかかると思います」
「あ……」
何かを察したように、アリスは頷いた。
「ですから、みんなと先に帰っていてください」
(これは……)
いつも一緒にいる大宮忍が今日は一緒ではない。
それだけでも彼にとっては大きな好機であった。
(もしかして、アリスちゃんと二人きりになれるチャンスがあるかもしれねェ)
そう思った播磨は急いで帰り支度をする。
「アリスー。一緒に帰ろう」
「はーい」
しかし、アリスのすぐ近くにはツインテールの小路綾とやや大柄な猪熊陽子がいた。
(この二人を何とかしねェとな)
播磨は三人を尾行するように下校する。
その姿はまるでストーカー、否、ストーカーそのものである。
*
帰り道、アリスたち三人は駅前のペットショップに寄ったり、雑貨屋の商品を見たりと、
色々より道をしていた。
(何やってんだよあいつら。さっさと帰れよ! 真っ直ぐ帰れよ!)
播磨は電柱の陰に隠れて三人の様子を伺いながらそう思った。
彼の姿を見た通行人はギョッとしていたが彼は気にしない。
今の播磨にはアリスしか見えていないからだ。
(こんなチャンスは滅多にねェんだ。何としても、何としても告白を成功させてやる)
イライラに耐えながら尾行を続ける播磨。
そして時は来た――
アリスが綾と陽子の二人と別れたのだ。
これから家に到着するまでのわずかな時間。
これがチャンスだ。
彼女の家までの道のりはだいたい頭に入れている播磨は、頭の中で瞬時の
告白プランを練り上げた。
(長編ラブストーリーを期待していた連中よ、残念だったな。今日でこの物語も終わりだぜ。
俺とアリスちゃんの幸せな結末(エンディング)によってな!)
播磨の頭の中にはすでにエンディングテーマが鳴り響いていた。
(待っていてくれアリスちゃん。今キミのもとへ!)
そう思った矢先、
「ちょっとキミ」
何者かが声をかけてきた。
「あン?」
振り返るとそこには、紺色の制服に身を包んだ警察官が二人。
「サングラスをかけた学生服姿の不審者がいると通報があってね。ちょっと、話を聞かせてもらえないかな」
「不審者?」
「ちょっとお話をするだけだから」
言葉は丁寧だが、有無を言わせぬ威圧感を出す警察。
これが職務質問というやつか。
中学時代、ヤンチャをしていた播磨はあまり警察にいい思い出がない。
「キミ、どこの学校? 高校生?」
「……」
(冗談じゃねェ。この大事な時に警察なんかの相手してられるか)
あまり懸命ではない彼は、目の前の告白という目標しか見えていなかった。
そして後先も考えずに……、
逃げ出した!
「あ、待てええ!!」
(ふざけんな! こっちは一世一代の大告白をしなきゃいけねェんだ! こんな所で立ち止まっているわけにはいかねェ!)
そう思い、播磨は一気に駆け出す。
走る、走る、走る。
警官も怒って追いかけてくる。
「職務質問って任意なんだろうが! 断ってもいいんだろうが!」
「ちょっと待てええ!!」
理屈の上では任意である職務質問。だが、いきなり何も言わずに逃げだしたら警察官も怪しいと思うはず。
だがそんなことは今の播磨には一ミリも考えられなかった。
(俺がどれだけ待ったと思ってんだ。この一言、この一言を伝えてやる。後はどうなってもかまわねェ)
すでに告白に命をかける覚悟をした播磨は止まらない。
走り過ぎて心臓と肺が悲鳴を上げていることも構わず、とにかく進む。
そして、路地で警官の追撃を振り切る。
元々身体能力の高かった播磨は、追いつめられて更に大きな力を発揮したのだ。
(いよっしゃ、警官の追跡を振り切ったぞ。早くアリスちゃんのもとへ)
再びアリスの姿を探した播磨。
そして捜索の末、彼女の後ろ姿を発見した。
(よかった、見失っていなかった)
可憐な金髪。その後ろ姿はアリス・カータレット。
しかしそんな彼女の姿も、すぐに建物の影に隠れてしまった。
「やべェ、早く追わなけりゃ!」
急いで歩道橋の階段を降りる播磨。
だが久しぶりに全力で走った彼の脚は、限界に近づいていた。
「待ってくれ!」
もはや心の中の声を隠そうともしなくなった彼は、全力でアリスのもとへ向かう。
しかし、
「ぐっ!」
脚の疲労が彼の前進を妨げる。
そして、彼は大きくバランスを崩す。
(こんなことならもっと普段から運動しときゃよかった)
転倒しながら、播磨はそんなことを考えていた。
「ぐわああ!!」
何とか受け身を取ったので怪我をしていない。
早く立ち上がって彼女を追わなければ。
逸る気持ちを抑えて顔を上げた時、夕日に輝く金色の髪の毛が見えた。
「大丈夫デスか?」
(アリスちゃん!?)
見えないところまで行ってしまったと思われたアリスが、すぐ近くにいた。
(そうだ、俺たちは通じ合っている。これしきの障害など)
そう思った播磨は、差し出された手を強く握る。とても細く、柔らかい手であった。
「キミのことが好きなんだ!! 付き合ってくれ!!」
周りの人間が驚くほど大きな声で、彼は告白した。
(言った、言ってやったぞ)
胸の高鳴りを抑えるように大きく息を吸った播磨は、ゆっくりと顔を上げる。
そこには、
「What?」
金髪ではあるけれど青いパーカーを着た全くの別人がそこにいた。
(……誰?)
アリスとは明らかに違う金髪少女の手を握ったまま、播磨は硬直してしまった。
つづく
夕日に染まる街。
買い物客や下校中の学生もいる中で、播磨拳児は一世一代の告白をした。
ただし、相手は全然知らない相手だ。
それも金髪の少女。灰色の瞳が印象的である。
「あ……」
間違えました。
そう言えば済むことかもしれない。しかし、あまりにも全力で告白してしまった彼は、
引っ込みがつかなくなっていたのだ。
(しまった、早く、早く何とかしなければ)
手を握ったまま考え込む播磨。
「あ! いたぞ!」
そこにさきほどの制服警官が現れる。
「やべっ!」
警官の姿を見た播磨は反射的に手をはなし、その場から立ち去った。
何か言い訳をしないと不味い、とは思ったけれど警官に捕まることは避けなければならない。
(大丈夫。相手は外国人だ。たぶん、日本語とかわかんねェだろ)
そんな希望的観測をもとに、播磨は走り去った。
もざいくランブル!
第2話 友 達 relation
翌日――
「昨日は散々だったな……」
その後、播磨は警察官に捕まって二時間以上説教されてしまった。
別段何も悪いことはしていなかったので事なきを得たけれど、逮捕でもされたら危ないところであった。
(しかし、昨日の女は一体なんだったんだろうか。間違えて告白しちまったけれど、
多分変な外国人から手を握られて、何かを叫ばれくらいにしか思わねェだろう。
それより問題はアリスちゃんだ。告白に失敗しちまったから、また新しい作戦を
考えねえと)
そんなことを考えながら、播磨は教室に向かった。
「はあ」
朝からテンションも低く、教室に入ると、教室内で人だかりができていた。
(何やってんのかね)
人混みが好きではない播磨は、そんな集まりを横目に自分の席に向かう。
「あ、播磨くん」
そんな播磨に声をかける生徒が一人。
「あン?」
大宮忍だ。
言うまでもないが、クラスで播磨に声をかける者は少ない。
忍はなんだか変わっているので、特に問題なく声をかけてくる。
「どうした大宮」
「大変ですよ播磨くん。転校生ですよ転校生」
「こんな中途半端な時期にか?」
「そうなんですよ。しかもその転校生っていうのが――」
忍がそこまで言いかけた時、人垣がまるで出エジプト記のごとく割れる。
そして播磨の目の前には、見覚えのある金髪と青いパーカーが姿を現した。
「あー! アナタは昨日の人デスねー!」
「お前ェは!!」
忘れるわけがない。
「え?? 播磨くんと知り合いだったの?」
周囲の生徒たちは驚く。
無理もない、ほとんど人と関わりを持とうとしない不良が外国人らしき金髪
少女の転校生と知り合いだったのだ。
「ハイ。この人、昨日警察に追われてました」
「まあ、不良だからな」男子生徒の一人がそう言って頷く。
「しょうがないよね」女子生徒も同意した。
「待て! 警察に追われていたのはちょっと事情があったからだ。俺は何もしてねェ!」
とはいえ、狼少年のごとく、不良のその言葉を信じる者は少ない。
「そういえば自己紹介、してなかったデスね」
金髪の少女は、ややカタコトの日本語でそう言って笑う。
「私、九条カレンと申すデス。イギリスから来ました!」
「……」
「むぅ。こっちが自己紹介したのだから、あなたも名乗ってください」
「お、おう……。播磨拳児だ」
播磨は九条カレンのハイテンションにやや圧倒されていた。
同じ金髪でも、アリスとこうも違うものかと。
「ハリー・マッケンジー。外国人みたいデスね」
「播磨だ! 播磨拳児。っていうか、外国人はお前ェだろうが」
「オーケー。ハリマね。わかったネ」
「ったく」
そんな会話をしていると、横から一人の少女が入ってきた。
「カレンは播磨くんのことを知っているの?」
(アリスちゃん!?)
「お前ェ、この外国人と知り合いなのか」
播磨はアリスに聞いた。
「カレンは、私のイギリスにいたころの友達です」
アリスは答えた。
「NO! 今も友達デース!!」
カレンはそう言ってアリスに抱き着く。
「う、うん。そうだね」
アリスは戸惑いながらそう言った。
(いいな。女同士だとあんなことできてよお)
播磨は心の中で少しだけカレンを羨ましいと思った。
「ところで話を戻すけど」
不意にアリスは真顔に戻る。
「カレンと播磨くんはどうして顔見知りなの?」
「いやっ、それは……」
昨日のことを思い出し言葉を詰まらせる播磨。
「イヤー、なんかShockingな出会いだったネ」
しかしカレンは、特に躊躇なく話始めた。
「おいよせ、やめろ!」
播磨は前に出て、カレンの話を止めようとするも、彼女の言葉は止まらない。
「昨日、街中でカレに告白されたんデス」
「え?」
一瞬で凍りつく教室内。
「ああ……」
播磨の全身の力が抜ける。
「告白って、あの告白?」
恐る恐るアリスは聞いた。
「ハイ、LOVEの告白デス!!」
「おいバカ、やめろ!」
「ハリマは私の手を握って言ったんデス。『キミのことが好きなんだ!! 付き合ってくれ!!』ってネ」
「きゃあああ」
「うそおー!」
「なんだとー!?」
「あぎゃあああ!!!」
「おまかせあれ!」
「スバラ!」
カレンのその言葉に、クラス中のざわめきは一気に台風クラスの混乱へと発展していく。
「おいっ! 違うんだ!」
そんな混乱の中で、播磨の言葉が届くはずもなかった。
「すごく強い力で握られマシタ。思い出したら今もドキドキデス」
「やーめーてーくーれえええええ!!!」
播磨拳児、魂の嗚咽。
「あらあら、ウフフ」
「凄いのです。告白なのです!」
「すげえな、播磨。この子のどこが気に入ったんだ?」
「だから違うと――」
「でもゴメンなさいデス」
「へ?」
不意に頭を下げるカレン。
その言葉に、周囲は押し黙る。
「せっかくの告白、とても嬉しいデスけど、アナタとはおつきあいできません」
「あ……」
「パパも言ってました。よくわからない男の人とお付き合いするのはいけないって」
「そりゃそうだろうな」
誰かがボソリと言う。
「いや、だから」
必死に言い訳しようとする播磨。しかし、精神的ダメージと疲労によって彼の言葉は弱々しかった。
「本当にゴメンなさいネ」
「その……」
播磨の全身の力が抜け、その場に膝をつく。
「あ、そろそろ時間デスね。私、職員室に行かねば」
そう言うと、カレンは早足で教室を出て行った。
(何? 俺は振られたのか)
播磨は混乱した状況の中で自分の頭を整理しようとする。
「だ、大丈夫? 播磨くん」
「はあ……」
心配そうに話しかけてくる忍の声も、今は彼のもとには届かない。
(一体何が起こっているんだ)
*
九条カレン――
それが彼、播磨拳児が間違えて告白してしまった少女の名前である。
アリス・カータレットとはイギリス時代からの親友であるという。
アリスと同じく金色に輝く髪の毛が特徴的だが、アリスの髪は少しが癖があり、
フワフワなのに対し、カレンの髪はストレートでサラサラしている。
また、瞳の色は、アリスが青、カレンはブラウン。
慎重は、カレンのほうがやや高い。
性格は、まだあまり付き合いがないのでわからないけれど、
カレンは少なくともアリスのように人見知りするような性格ではないだろう。
「まあ元気出せよ播磨。別に女の子はカレンちゃんだけじゃないんだし」
「うるせェ、消えろ」
冗談半分に声をかけてくる男子生徒を追い払った播磨は、再び悶々とする。
「カレンって、ウチのクラスじゃなかったんだね」
「隣りのD組だって」
「へえ」
幸い、彼女は同じクラスではなかったので、普段から顔を合わすということはなかったのだが、
それにしても気が重い。
振られたことがショックではない、と言われればさすがに嘘になるが、それよりも
自分の思い人であるアリスに、別の女のことが好きだと誤解されたほうが彼にとって
は問題であった。
(くっそ、ショックを受けてる場合じゃねェ。この状況をなんとか打開しなけりゃ)
そう思い顔を上げる播磨。
すると目の前には、小路綾と猪熊陽子という二人の女子生徒がいた。
元々自分とアリス以外の生徒には興味のない播磨だが、この二人はアリスと
友人なので、名前を覚えていたのだ。
「なんだお前ェら」
「ねえ播磨くん。ちょっと聞きたいんだけど」
ツインテールの綾がそう質問する。
「ンだよ」
「あの子のどこが気に入ったの?」
「お前ェにゃ関係ねェだろ」
「何よ。人がせっかく心配しているのに」
「心配してくれなんて頼んだ覚えは――」
そこまで言いかけて播磨は考える。
(待てよ。コイツらはアリスちゃんの友人。だったら、コイツらを通じて誤解を
解くというのも一つの手なんじゃねェか?)
そう考えた播磨は、出かかった言葉を飲み込んで、新しい言葉を発した。
「なあ、大道」
「小路よ。小路綾」
「どっちでもいいだろ」
「よくない」
「とりあえず聞け」
「何よ」
「アイツの告白の話、覚えてるな」
「カレンの? それが何?」
「あれは間違いなんだ」
「間違い?」
「そうだ。あの告白はあいつの勘違いなんだ。だから、俺がアイツを好きなんてことはねェ」
「そ、そうなんだ……」
「ん?」
「わかったわよ。まあ、頑張ってね」
なぜか悲しい目をした小路綾とその友人(陽子)は、足早にその場を去って行った。
(まあよくわからんが、これでアリスちゃんの誤解が解ければ安いものだ)
*
少し離れた場所。
播磨の前から離れた小路綾に、忍が近づく。
「どうでした? 播磨くんの様子は」
少し心配そうに聞く忍。
それに対して綾は、一つため息をついてから答えた。
「かわいそうに。振られたショックだろうな。告白したこと自体、無かったことにしているよ」
「そんなにひどいのですか?」
「そりゃそうだろう。なんか、思い込み強そうな顔してるし」
「うーん」
「しかし播磨も変な奴だよな。出会っていきなり告白だもん。そんなの断られるに決まってるのに」
「でも、でも、カレンって凄く可愛いじゃないですか。好きになる気持ちもわかるかも」
「気持ちはわかるけど、物事には順序ってものがあるしなあ」
「たぶん、播磨くんは女の子とお付き合いしたことがなかったんですよ。だから女の子の
気持ちとかもよくわからなくて」
「あたしもあんまり男の気持ちとかわかんないけど」
「熱い思いを終わらせるのって、凄く勿体ないと思います。ねえ、陽子ちゃん!」
忍はいきなり陽子に話を振る。
「え? ゴメン。お菓子食べてたからよく聞いてなかった」
「まだ午前中じゃないですかー!」
「それはいいけどさ」
忍の肩を掴み、強引に話を戻す綾。
「なんですか?」
「しのはなんで、そんなに播磨のことを気にするんだよ」
「え?」
「別にどうでも良くない? 男子が女子に振られたくらい」
「それはそうですけど、でも、でも」
「ん?」
「播磨くんって、いっつも一人で、凄く寂しそうです」
「そうかな」
「もし、人を好きになることで、誰かと繋がることの素晴らしさに気づくことができたら、
それはとっても素敵なことだなって」
「よくわかんない」
「それに、言われたカレンも、なんだかまんざらでもないって顔をしてたし」
「まあ、人に好かれて嫌なやつはあんまりいないかもしれないけど」
「でしょう? 私もアリスに『好き』って言われたら幸せだなあ~」
それはまた違うんじゃないか、と綾は思ったが言わないでおくことにした。
*
「ケッ、今日も散々だったぜ」
放課後、授業を終えた播磨は下校する。
すると、前方にアリスを含む女子グループが目に入った。
(あ、アリスちゃん。くそっ、夕方のアリスちゃんも可愛いぜ!)
だが今の播磨は、彼女に声をかけるだけの気力は残っていなかった。
昨日の告白(誤爆)で、ほとんどの情熱を使い果たしてしまったためだ。
(しかし、今日ばかりはアリスちゃんとも顔を合わせづれェ……)
そう思いつつ、やや顔を伏せて歩いていると、
「あ、播磨くーん!」
大宮忍が声をかけてきた。
(くっ、なんなんだあのコケシ女は。こんな時に限って)
播磨は無視して帰りたかったけれど、アリスの手前、あまりそっけない態度は取ることはできなかった。
「なんか用か」
できるだけ心の動揺を悟られないよう、低い声で播磨は返事をする。
「播磨くん。これから帰りですか?」
「おう、そうだが」
「へえ、そうなんだあ」
「何なんだよ一体」
忍がそう言っていると、
「Hey!」
「ぬおっ!」
忍の背中の辺りからひょっこりと金髪の少女が顔を出した。
「Good afternoon ハリマ!」
「ロバート」
「NO! 九条デス! カレン・九条デスヨ!」
「一体何なんだ」
播磨はカレンから視線を外し、忍に聞いた。
「昼間、播磨くんのことをカレンに話したら、また会いたいって言ってね」
(このコケシ、余計なことを……!)
播磨のイラつきに気づく素振りもなく、忍は笑っていた。
「ねえハリマ」
再びカレンが声をかける。
「私、アナタの告白とても嬉しい。でも付き合うことデキナイ」
「いや、だからアレは違うんだ」
「stop! 話を聞いてクダサイ。世の中にはprocessというものが大事だとカレンは
思うデス」
「はあ?」
「だから、まずはFriendから始めるのがヨロシイと思うデス」
「友達……?」
「Exactrly(そのとおりでございます)。今日からカレンとハリマはフレンドデス!」
「……は?」
「やっぱり、段階はしっかりしないとネー」
「ちょっと待てよ。俺とお前ェが友達ってことはつまり」
「ん?」
「アイツらとも?」
播磨の視線の先には、先ほどから一切喋っていないアリスが一人。
ちなみに陽子や綾もいるのだが、今の彼には目に入っていない。
「はい、当然デス! トモダチのトモダチはフレンド!」
「……」
「世界に広がる、FriendのWA!」
「お前ェ本当にイギリス人か?」
というか、高校生であることすら怪しい。
「カレンはイギリスと日本のハーフデス」
「そうだったな。まあどうでもいいけど、お前ェらはいいのかよ」
播磨はアリスたちのほうを見て言った。
「構わんよ」
ツインテールは答える。
「よろしくね」
と、陽子は言った。
「やったね、播磨くん」
忍はそう言うと、親指を立てる。
こいつも何か勘違いしてそうだ、と播磨は思った。
「よ、よろしくね。播磨くん」
他の三人とは違い、少し控えめにアリスは言った。
(いよっしゃあああああああああああああああああ!!!!)
顔には出さないが、播磨は心の中で大きくガッツポーズを決める。
アリスちゃんと友達→関係進展→恋人関係
播磨の頭の中にある出来の悪いコンピュータがカシャカシャと音を立てながら計算する。
「わかった……。九条、お前ェとトモダチにならせてもらうぜ」
「オオー!」
播磨のその言葉に、周辺から声が上がった。
そして拍手。
何か激しく選択肢を間違えた気のする播磨だが、とりあえずアリスのためにカレンの
申しでを受けることにしたのだった。
「それでは、Friendとして一緒に帰るデス」
「いや待て九条。いくらダチだからって、別に一緒に帰る必要はね――」
播磨がそこまで言いかけた時、不意にカレンは彼の右腕にスルリと自分の腕を絡ませる。
「な!?」
「きゃあああああ!!!!!!」
九条カレン。まさかの腕がらみ。
『何やってるのよカレン!』
あまりの衝撃で、思わず英語が出てしまうアリス。
『パパが言ってたよ。ニッポンでは、友達同士はこうして腕を組んで歩くんだって』
『そんな事実はありませーん!!』
「ちょっと待てお前ェ!! どうでもいいから手を放せ!」
こうして、播磨拳児には初めての友達ができたのであった。
ただし、これによって彼の恋が前進するかは定かではない。
つづく
九条カレン。イギリスからの転校生。
日本人の父とイギリス人の母の間に生まれたハーフ。
元気。
とにかく元気。どうしようもないくらい元気。
彼女がきたことで、静かだった一部の人間の生活が一気に賑やかになったことは確かだろう。
「カレン、大丈夫かなあ」
朝の教室で、アリスはカレンのことを心配する。
「大丈夫ですよアリス」
特に根拠はないが、アリスのホームステイ先の娘である忍はそう言って彼女を安心させようとする。
「ほら、カレンは明るくて元気だから、すぐにお友達もできますよ」
カレンは、現在D組である。ちなみにアリスや忍たちはC組だ。
「私もこっちに来てすぐのころは、シノたち以外とはすぐに仲良くできなかったし」
「心配なら見に行ってみる?」
忍がそう言うと、不意に教室のドアが開いた。
「オハヨゴジャイマス みなさん!」
ストレートの金髪で、髪の一部が若干お団子になっているカレンが教室に入ってきた。
「あ、カレンだ。もしかして寂しくてC組(こっち)に来たんじゃあ」
カレンの姿を見たアリスは心配そうにつぶやいた。
しかし、
「ヘイ、アリス! シノ! New friendを紹介するデ-ス!」
「フレンド?」
カレンと一緒に教室に入ってきたのは、やたら背が高く、浅黒い顔をした外国人であった。
「メキシコからの留学生、ララ・ゴンザレスだよー!」
「ワタシ、ララ。クジョーと同じクラス! ヨロシク!」
(うわあ、濃いなあ)
(はわわわわ……)
まるで肉食動物のように目つきの鋭いメキシコ人留学生に対して、アリスがおびえたことは言うまでもない。
第3話 食べ物 life
昼休み。学校の生徒たちが思い思いの場所で食事や休憩をする時間。
カレンはしょっちゅう、アリスたちのいるC組に顔を出す。
「みんなー、遊びに来たデスよー」
彼女の両手には、色々なお菓子がある。
「また貰ってきたの? カレン」
飽きれたような感じでアリスは言う。
「そうデス。みなさん、親切デス」
カレンは、クラスの生徒たちからお菓子やパンなどをよく貰うのだ。
「かわいい動物にエサをあげる感覚なのかしらねえ」
綾は言った。
「ちょっとは遠慮しなよー」
少し羨ましそうにしながら、陽子も言う。
「ミンナトテモ優シイ、私嬉シイ、ミンナハッピー!」
「カタコトにしてもダメ!」
動揺するカレンに、アリスは追い打ちをかける。
「カレン、日本に来てから太った?」
「ええ!? そんなバナナ!!」
「毎日たくさん食べてたら太るよー」
「うう、でもミナサンの気持ちを無駄にするわけにはいかないのデス」
「いや、そりゃそうだけど。少しは数を減らしたほうがいいと思うよ」
「あと、半分以上は陽子が食べてマス」
「え?」
気が付くと、カレンが持ってきたお菓子類の半分以上が無くなってた。
「……陽子、アンタ」
周囲の視線が集まる中、口元にチョコレートを付けた陽子は照れくさそうに笑う。
「いやあ、今日も早弁しちゃったから、食べるものがなくて。てへっ」
「じゃあ早弁しないでよ!」
「えー」
全員の関心が陽子に向かったところで、カレンは周囲を見回した。
「どうしたの? カレン」
先ほどから空気になっていた忍が声をかける。
「あ、シノ。今日もハリマが見えないようデスが」
「ああ、播磨くんね」
「知っておられマスか」
「ここ最近は、昼休みになるといなくなるんだよね」
「先週までは、ここでパン食ってたけどなあ」
綾はそう言って、播磨の席を指さす。
「一体どこで何してるんだろう」
「モクでも吸ってんじゃないかね、不良だし」
カレンが持ってきたポロツキーを食べながら綾は言った。
「こら綾。未成年者の喫煙は法律違反だよ」
スナック菓子をモシャモシャ食べながら陽子は言う。
というか、この女はいつまで食べる気なのだろうか。
「例えばだよ、例えば。別に何しててもいいじゃない。他人のプライベートにそこまで踏み込まなくてもいいじゃない」
「アヤヤは冷たいデスねえー」
少し寂しげにカレンは言う。
「プライバシーを尊重してるって言ってよ」
「トモダチなんだから、もっと関心持って」
「関心って言われても」
「あ、そうだ」
陽子が何かを思い出したようだ。
「どうしました、ヨーコ」
「そう言えば、昨日いつものように早弁をして、お昼に何も食べるものがなかったので、
購買にパンを買いに行った時なんだけど」
「うん。その話に早弁のくだりはいらないね。それで、何があったの?」
綾はなぜか笑顔で相槌をうつ。
「購買からの帰り道なんだけど、校舎の外にある水飲み場があるじゃない?」
「ああ、体育の時とかに手を洗ったりする」
「そうそう。そこで播磨くんを見たよ」
「え、そうなんだ。何をしていたの?」
「遠くなんで、あんまりよくわからなかったけど、水を飲んでいたかな」
「水デスか」
「そう、水」
「ウォーター」
「なぜ水」
「喉が渇いていたから?」
「わざわざ昼休みに飲みに行かなくてもいいじゃない。水道なら校舎内にもあるわけだし」
「それもそうだねえ」
「ちょっと行って見てきマス!」
そう言うや否や、カレンは素早く教室から出て行った。
「あ、待ってカレン」
綾はそう言ったが、カレンの耳には届いていない。
「無駄です。カレンは昔から思い立ったら止まりませんから」
アリスは冷静に親友の行動を分析する。
「そんなこと言ってる場合じゃない。とにかく追わなきゃ!」
そう言って綾も立ち上がった。
「ええ? まだお菓子残ってるし」
陽子は不満そうに言う。
「帰ってからでも食べられるでしょう。とにかく行かなきゃ」
「なんで?」
「だって、このままだと播磨くんとカレンが二人きりになっちゃうかもしれないでしょう?」
「それが何か問題でも?」
「大ありのオオアリクイよ。お父さんが言ってたわ。男は狼なんだって」
「生きてる限り狼よね」陽子は言った。
「播磨くんは、一匹オオカミって感じかなあ」忍も続く。
「千代の富士、いいよね」アリスはそう言って笑う。
「そうじゃなくて、とにかく追うわよ」
「はわわわー」
こうして、綾たちもカレンと共に、校内のどこかにいるであろう播磨拳児を探しに行くことになった。
*
数分後、カレンと合流した忍たちは、昨日陽子が播磨を見た、という校舎外の手洗い場に
行ってみることにした。
するとそこには、播磨拳児がいた。
(あ、いまシタ。ヨーコ凄いデス)
(しっ、カレン静かに)
忍が声を殺してカレンに注意する。
彼女たちは、校舎の影に隠れて見つからないように播磨の様子をうかがっているのだ。
(それにしても、何やってるんだろう)
アリスがそう言うと、不意に播磨が蛇口に向かう。
(あ、水を飲んでる)
陽子が話した通り、播磨は昨日と同様、外の手洗い場で蛇口から水道の水を飲んでいたのだ。
(でも何で水なんて飲んでるんだろう)
ひとしきり水を飲み終えた播磨は、腕で口元を拭くと空を見上げた。
「ふう、バイト代入るまであと数日。なんとかやり過ごさなけりゃな。チッ、にしても腹減ったぜ。
水を飲むくらいしかやることはできねェけどな」
空腹のためか、やたら大きな独り言を言った播磨は、そのままどこかへと行ってしまった。
「行ったようデスね」
カレンは全てを理解したように言った。
「どういうことですか?」
しかし、忍は理解していないようである。
「確かバイト代とか言ってたよね」と、陽子。
「つまりアレね。播磨くんは今、お金が無いのね」
「お金ですか?」
アリスが驚いたように聞き返す。
「そう。お金がないから、ああしてお水を飲んで空腹をごまかしてたのね」
「ダイエットしているわけではないようデス」
「男の人はあんまりダイエットしないと思うわ」
綾は言う。
確かにそうだ、と全員が頷いた。
「でも、お昼が食べられないっていうのは辛いよねえ。育ちざかりの食べ盛りだし」
と、陽子はしみじみと言う。
「トモダチとして、何とか助けてあげたいデス」
「どうするの? カレン。お金でも貸してあげる?」
と、綾が言うと、すかさずアリスは否定した。
「いけませんよ、綾。お金の貸し借りは人間関係を壊します。シェイクスピアの本にも
書いてありました」
さすがのイギリス人。
「まあ私の予想だと、彼のあの性格だと私たちの援助とかは受け付けないと思うなあ」
陽子は少し諦めたように言った。
確かに。
全員が思った。
「時期に、バイト代(?)が入るみたいだから、放っておけばそのうち普通に昼食を
食べるんじゃないかしら」
綾はそう言って、その場を収めようとするも、1人納得しない者がいた。
カレンだ。
「そんなんじゃいけまセン! 食事は人生における宝デス。それを放棄することは
生きることを放棄することに等しいと思うのデス!」
食事に関してはお察し(イギリス)出身とは思えない食へのこだわりを見せるカレン。
「じゃあ、どうするのよ」
「私にいい考えがありマス」
「いい考え?」
「ウフフフ」
そう言うと、カレンは不敵な笑みを浮かべるのであった。
*
翌日の昼休み。
「今日、カレン休みかなあ」
心配そうにアリスは言った。
「そう言えば、今日は見てないですね」と、忍は言う。
二人がそんな話をしていると、無言で播磨が立ち上がった。
この日も彼は、空腹を紛らわすために水を飲みに行こうとしたのだ。。
すると、
「ちょっと待ったああー!」
息を切らしたカレンが教室に入ってきた。
「カレン?」
「どうしたの?」
アリスと忍が同時に声をかける。
しかし、カレンはその二人ではなく播磨に話しかけた。
「ハリマ、ちょっと待ってくだサイ」
「ああ? 何か用か」
「こ、これ。lunchを作ってきたデス」
「昼?」
よく見ると、カレンの両手には可愛らしいバスケットが見えた。
「なんだって急に」
「Lunchtimeは大事にしないとネ!」
「別に俺はいい。施しは受けねえ」
カレンの誘いを断り、播磨は教室を出ようとする。
そんな彼のベルトをカレンは掴んだ。
「待ってくだサイ! 一緒に食べましょう!」
「こら、放せ」
播磨が言ったその時、
大きな腹の虫の音が鳴り響く。
「……!」
「お腹空いてるじゃないデスか」
「ほらほら」
空腹には勝てなかったのか、播磨は諦めたように自分の席につく。
そして、カレンはそんな播磨に自分の持ってきたバスケットを差し出した。
「ちょっと食べるだけでもいいデス」
「なんだってこんなことを」
「トモダチですから」
「あン?」
「困った時、助け合うのがトモダチでしょ?」
「いや、だからってこんなことまでしてくれなくてもよ」
「いいから開けてくだサイ」
「わーったよ」
ブツブツ言いながら、播磨はバスケットの蓋を開ける。
すると、中にはこれまた可愛らしいサンドイッチが入っていた。
「イギリスと言えば、サンドイッチデス」
「まあ、昼の定番かもな」
「メシアガレ」
「いただく」
「……」
「これは普通の――」
食べながら、播磨の言葉が止まる。
そして口に手を当てて苦しむ。
「だ、大丈夫デスか!?」
それを見て焦るカレン。
「ンー! ンー!」
「あわわわわ」
ひとしきり苦しんだ後、なんとか飲み込んだ播磨はカレンに言った。
「不味いじゃねェかこのヤロー!」
「ひっ!」
「どうやったらサンドイッチをこんなに不味く作れんだよ! おかしいだろ!」
「色々と思考錯誤の結果でシテ」
「思考よりも錯誤のほうが上回ってんじゃねェか! 異次元過ぎんぞ!」
「うう……」
「おいおい、播磨くん。そんなに言うことないじゃないか、折角持ってきてくれたのに」
宥めるように、陽子が二人の間に割って入ってきた。
「猪熊か。だったらお前ェも食ってみろよ」
「え? いいの? ちょうどよかったあ。今日のお弁当は少なかったか――」
陽子の動きが止まる。
「ヨーコ?」
「ううう……、死ぬ」
大抵のものは何でも食べる陽子であったけれど、顔を真っ青にして綾に助けを求める事態になってしまった。
「お前ェよ、メシマズは食材に対する冒涜だぞ。そう思わねえか、九条」
「はあ、こんなハズでは……」
いつも元気印なカレンが、項垂れている。
こんなに落ち込んだカレンを見るのは初めてかもしれない、と忍は思った。
「アイムソーリー、ハリマ。出直してくるネ」
そう言うと、カレンはサンドイッチを片付け、バスケットを抱えて教室を出ようとした。
「おい、ちょっと待て九条」
「What? 何ですか」
「それ、そのサンドイッチ、どうすんだ」
「捨ててきます。このまま置いていても、腐ってしまうカラネ」
「待てよ。捨てるんなら、ここに置いて行け」
「どういうことデスか?」
「貸せ」
そう言うと、播磨はカレンの持ったバスケットを無理やり奪い取る。
そして、中にあったサンドイッチを鷲掴みにして、口に放り込んだ。
「うぐっ!」
口に入れた瞬間、苦悶の表情を浮かべる播磨。
だが播磨は咀嚼をやめない。
「ハリマ!」
「水持ってこい、水」
「OK。ちょっと待ってて」
カレンがそう言うと、忍が素早く水筒のお茶を紙コップに注いだ。
「カレン。これを」
「Thank you シノ」
忍からもらった紙コップを播磨に渡すカレン。
播磨はそのお茶を飲み込むと、残りのサンドイッチも食べ始めた。
「ハリマ、もうやめてください」
「うるせェ!」
カレンが止めるのも聞かず、ハリマはサンドイッチを食べ続ける。
「ハリマ、どうして」
「黙ってろ」
そしてついに完食。
播磨は食べきったのだ!
「ハア、ハア。やりきったぜ」
「ハリマ。どうしてそんな……」
「バカ野郎。捨てるなんて勿体ないだろ」
「でも、味が」
「確かに味は最悪だ」
「うぐっ」
「だけどよ」
「?」
「お前ェがその、手をそんなにしてまで作ったモンを捨てさせるなんて、そんなことは
俺にはできねェ」
「ワタシの手……」
忍たちがカレンの手に注目する。
「カレン、あなた」思わず陽子が声を出す。
すぐには気が付かなかったけれど、カレンの両手には絆創膏や小さな切り傷が無数にあった。
細くてキレイな指や手が傷だらけになっていたのだ。
「料理、やったコト無くてね。エヘヘ」
カレンは恥ずかしそうに傷だらけの手を隠す。
「今回は全部食ったけど、次やるときは気をつけろよ。何度も言うけど不味い料理は、
食材に対する冒涜だ」
「わかりまシタ。ハリマは優しいネ」
「ケッ、腹が減ってただけだ。それに――」
「それに?」
「お前ェの気持ちはちょっと嬉しかったぜ。ありがとな」
「……ハリマ」
そう言うと、播磨は立ち上がり、教室から出て行く。
「カレン」
教室から出て行く播磨の後ろ姿をじっと眺めているカレンに、忍は声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「Good idea だと思ったんだけどナー」
目にうっすら涙を浮かべたカレンは、そう言って虚空を眺める。
「カレン……」
「ねえ、シノ」
不意に忍の名を呼ぶカレン。
「はい?」
「ハリマは、いい男ネ」
「……そうだね」
「助けるつもりが、助けられちゃったかも」
「うん」
人を助けるって、どういうことなのだろうか。
忍にはそれがまだ、よくわからなかった。
*
別の場所。
(クックック。なかなかいい男っぷりだったんじゃねェか? この俺はよう)
先ほどの自分の行動を思い出し、悦に浸る播磨。
(これで、アリスちゃんの好感度もうなぎ上りだろうよ)
そんなことを考えていると、
「うっ!」
腹部を襲う激痛。
(やべえ。やっぱ、あのサンドイッチ、食うんじゃなかった)
激しく後悔しながらトイレに駆け込んだ播磨は、午後の授業を休むことになった。
ちなみにそのことを、カレンは知らない。
つづく
彼女の名前は烏丸さくら。
アリスたちのいる、C組の担任でもある。
優しく、生徒たちの任期も高い。
メガネをかけており、なぜかいつもジャージの上を着ている。
英語に堪能であり、忍が憧れている人間の一人でもある。
「からすちゃーん」
忍の同級生、猪熊陽子は彼女のことを「からすちゃん」と呼んでいる。
「先生を『ちゃん付け』で呼ぶのはどうなんだろう」
そう思う生徒や教員がいることも少なくない。
しかし、烏丸さくらは広い心で陽子のような生徒も、忍のように(あまり出来の良くない)
生徒も受け入れている。
「からすちゃん。この問題なんですけど」
今日も、烏丸を慕う生徒たちが彼女に話しかける。
「カラスマ先生は『からすちゃん』と呼ばれているんデスね」
そんな様子を見て、カレンは言った。
「そうだね」
たまたま隣にいた綾が相槌をうつ。
「ほかに、あんな風に呼ばれている先生はいないデス」
「確かに。からすちゃんは特別かな」
そんな話をしていると、不意に烏丸さくらに近づく人影が。
「あ、ハリマデス」
播磨拳児である。
普段、教員に近づくことのない播磨が、烏丸に話しかけようとしていた。
「さくら、この前のプリントのことなんだがヨ」
「ちょっと拳児くん? 学校では烏丸先生って呼ぶようにいつも言ってるでしょう?」
烏丸は顔を真っ赤にして怒る。
「うるせェな。他の生徒には『からすちゃん』とか呼ばせてるじゃねェか」
「け、ケジメが大事なんですよ。もー!」
そう言うと烏丸は頬を膨らます。
「それにカラスマって苗字、なんか嫌いなんだよ」
「だったらせめて先生って呼びなさい」
「お前ェが先生って柄かよ」
「今更なんなのよ!」
「……」
二人のやり取りを見ながら、カレンと綾は絶句する。
「……アヤヤ」
「なに?」
「ハリマとカラスマ先生との関係って、何なんでしょうか」
「……わからない」
「拳児くん? ちゃんと期末テストの勉強してる?」
「うるせェな。つうか、お前ェこそ学校で『拳児くん』とか呼んでんじゃねェ!」
もざいくランブル!
第4話 勉 強 means
テスト。
期末テストが近づいている。
光陰矢のごとしと言うけれども、学生にとっての一学期(4月から7月の間)の早さ
は2学期の比ではない。
すぐに終わってしまうような感じだ。
慌ただしく過ぎて行く時間。
それは忍たちも例外ではない。
「しの、あなた大丈夫なの?」
心配そうに問いかけたのは綾である。
「ふえ? 何がですか」
「テストよテスト。期末テスト」
「ああ、期末テストですか」
「随分と呑気なものね。まあ、呑気なのはいつものことだけど」
「酷いですよ綾~」
「この前の小テストもあんまり点が良くなかったし、このままじゃあヤバいわよ」
「何がヤバイんですか?」
「だから、期末で赤点とか取ったら、補習や追試があるんだから」
「そうなんですか? 二回もテストを受けられるなんて、いいじゃないですか」
「よくないわよ。補習は夏休み中にやるんだから。そうなったら、夏に遊ぶ時間とかも無くなっちゃうよ」
「え?」
「アリスたちは、8月には本国に帰るっていうし、そうなったら、結局今年の夏はアリス
と遊べなくなっちゃうってこともあるんだから」
「ええええ? そそそそ、それは困ります」
「やっとやっとことの重要性を認識したか」
「どどど、どうしましょう」
「どうしたもこうしたもないわよ。ちゃんと勉強しないと」
「べ、勉強はしていますよ。毎日海外の本とかを読んで」
「それが点に結びつかないと意味ないでしょうが」
「うう……、学校教育なんてキライですう」
「まったく」
綾はそう言って一息つく。
「ねえ、これから勉強するわよ」
「勉強、ですか?」
「そう。苦手な教科を中心に勉強よ。あなたは特に英語の成績が悪から、そこから
攻めるわ」
「英語なら毎日アリスの英語を聞いているんだけどなあ」
「それが成績に影響しないのは、よっぽどあなたの頭がテストを拒絶しているから、
なのかしら」
「ふむふむ」
「とにかく、勉強よ。幸い、テスト期間になったら校舎の一部が自習用に開放されるから、
そこに行って皆でやりましょう?」
「アリスも一緒ですか?」
「もちろんよ! あの子も苦手教科とかあるから、お互いに教え合って頑張ればいいと思うわ」
「勉強会ですね」
「そうよ」
そんな綾と忍の会話を聞いていた者が一人。
アリス、ではなく忍のすぐ後ろに座っていた播磨である。
*
播磨は考える。
(テスト勉強。そして英語。そうか、英語をアリスちゃんに教えてもらえれば、
成績も上がって、更にアリスちゃんとも仲良くなれる。一石二鳥じゃねェか)
なんという素晴らしいアイデアだろうか。
彼は思い込みが激しい性格なので、一度そう思ったら、ほかに考えられないのだ。
(アリスちゃんと一緒に勉強。なんだか青春のようだ)
そう思った播磨は、忍に声をかける。
「よう、大宮」
「ふえ? なんですか? 播磨くん」
「その、なんつうかよ。俺もその……、テスト勉強してもいいか?」
不良がテスト勉強なんておかしい。播磨自身もそう思っていたけれど、目的の為ならやむを得ない。
「ええ? 播磨くんも一緒ですか?」
ダメか。
「大歓迎ですよ。嬉しいなあ。一緒にやってくれる友達は何人いてもいいですよ」
「お、おう」
あまりの歓迎っぷりに戸惑う播磨。
「ね、綾ちゃんもいいでしょう?」
「そ、そうね」
綾も明らかに戸惑っている。
こうして、播磨はテストに向けて忍たちと一緒に勉強することになった。
もちろん、彼の頭の中にはアリスしかいないことは言うまでもない。
*
自習用に学校が用意した教室には、すでに多くの生徒たちが集まっていた。
それだけ自宅では勉強に集中できないということなのだろうか。
それは播磨も同様ではあるけれど。
「それじゃあ、今回はマンツーマンで苦手分野の克服をしましょう」
今回の勉強会の仕切り役である綾がそう提案する。
「はーい」
全員、その提案には依存がないようだ。
「私、今度こそ英語を頑張ります」
英語のテキストを持った忍が言った。
「英語ならアリスが適任よね」
と、綾。
「はい。シノ、一緒に頑張ろうね」
アリスはそう言って忍に笑いかける。
それは見た播磨は言った。
「お、俺も英語を――」
「マンツーマンデス!」
いつの間にか播磨の目の前には、九条カレンが座っていた。
「English なら任せてください」
「あー、うん」
播磨のたくらみは最初から暗礁に乗り上げていた。
*
「うーん、ニッポンの英語は難しいデス」
「意外だな。お前ェの故郷は英語の本場だろうが」
「ニッポンで教えている英語と私の知っている英語とでは、やっぱり違いマス」
「そんなもんか。でもお前ェ、日本語も上手いよな」
「パパがニッポン人デスからね」
「日本語と英語のバイリンガルってやつか」
「No、家では英語onlyだったネ。パパも普段は英語を喋っていたよ」
「それじゃあ、お前ェの喋ってる日本語は誰が教えたんだ?」
「ああ、もちろんパパからも教えてもらったヨ。でも、最初から覚えていたわけではないのデス」
「後から覚えたから、そんな変なイントネーションになっちまったわけか」
「ま、そういうコトネ。でも気にしない」
「別に気にしちゃいねェよ。でもよ、アイツは、違うわけだろ」
「アイツ?」
「その、アリ……、カータレットのことだ。あいつはハーフでもないわけだろ」
「そうデスね。なぜかよくわからないケド、日本のことが大好きになって、日本語を物凄く
勉強していたヨ。私のパパもアリスに教えていました」
「大変だよな」
「確かに大変かもしれないネ。日本語だけじゃなくて、日本の文化とか、違うところが多いから」
「苦労してんだな」
「ワタシも苦労しているんデスよ。こう見えても」
「ああ、そうかい」
「そうなんデス」
「お前ェ、あいつみたいにホームステイしているわけじゃねェよな」
「そうですね。ホームステイはしてまセン」
「一人暮らし、ではねェよな」
「一家そろって移住したんデス」
「は?」
「私もニッポンに行きたいって言ったら、パパが移住してくれました。イギリスから」
「なんじゃそりゃ。凄いな」
「ハイ、凄い人デス」
「お前ェ、兄妹とかいないんだよな」
「ハイ」
「だったら、親父さんとお袋さんと、お前ェの三人で暮らしてんのか?」
「オフクロさん?」
「マザーだよ、マザー」
「オー、ママのことですね。確かにパパとママも一緒に来ました。でも、パパは仕事が忙しくて、
あまり家に帰ってくれません」
「だったら、二人暮らしか? つうか、お前ェの母さんは、日本語大丈夫なのか?」
「ママの日本語、少し不自由デス。でも大丈夫」
「ん?」
「日本のことをよく知っている執事(butler)がいるから、OKデスよ」
「はあ? 執事!?」
思わず大きな声を出してしまう播磨。
周囲の生徒たちが一斉にこちらに注目する。
「ああいや、何でもねェ」
そう言って、播磨は大きく息を吸う。
(執事? 何言ってんだこの娘は)
「もしかしてお前ェ」
「ん?」
「お嬢様なのか」
「オジョウサマ? どういうことデスか?」
「いや……」
よくよく考えたら、思いつきみたいな発想で家族ごと日本に移住できるくらいだから、
相当のお嬢様であることは間違いないだろう。
だとしたら、自分のような庶民と考え方の面で大きな違いが出てきても仕方ないか、
そんなことを思う播磨であった。
*
1時間後。播磨は自習室から逃げるように、中庭の自販機前にやってきた。
休憩、と言えば聞こえはいいけれど、早い話がサボりである。
不良の彼にとって、1時間以上机の前でじっとしていることは拷問に等しい。
(バイト代も入ったことだし、ジュースでも飲むか)
そんなことを考えながら、自動販売機の前に向かうと、近くのベンチに見覚えのある
コケシが座っていた。
「大野じゃねェか」
「大宮ですよ、播磨くん」
葡萄ジュースの缶を持った大宮忍である。
「何やってんだ? いや、まあいい。聞くまでもねェか」
「休憩ですよ。アリスが先生に呼ばれましたから」
「何? 何かあったのか」
「ちょっと授業のことで話があるみたい。留学生は色々と面倒だから」
「そうだな」
播磨はこのままどうしたらいいか迷っていた。
すると、忍のほうから何かを察したのか、こう言ってきた。
「そんなところに立ってないで、座ってください」
「あ、ああ。悪いな」
女子の隣りに簡単に座っていいものなのか、播磨自身躊躇があったものの、
忍は異性をそれほど意識していないようだ。
播磨は冷たい缶コーヒーを持って忍の隣りに座る。
ただし、彼女からは少し離れた場所だ。
そのため、彼はベンチの端に座ることになる。
「播磨くんは凄いですね」
唐突に忍は言った。
「何が凄いんだよ」
「だって、ちゃんと勉強しているし」
「お前ェだってしてるだろうがよ」
「真面目だねえ」
「不良が真面目なわけあるかよ」
「じゃあ、どうして勉強するの?」
「あン? そりゃあ、ガリ勉すんのは似合わねェけどよ、でもそれ以上に留年とかしち
まったらカッコ悪いだろうがヨ」
「確かにそうだね」
「お前ェも、留年しねェように気をつけろよ」
「はーい」
(本当にわかってんのかよ)
播磨は少しだけ心配してみたけれど、基本的に彼はアリス以外の人間にはそれほど
興味はないので、其れ以上は追及しないようにした。
「テストで点を取るって、なかなか難しいですよね」
「まあな」
「播磨くん、わたしね?」
「あン?」
「通訳になるのが夢なんです」
「通訳。通訳って、あの通訳か」
「そう、外国の人と日本の人を結びつける通訳」
「そうか」
「でもやっぱり難しいですよね」
「まあ、そりゃあな」
通訳なら普通に英語を喋るよりも難しい。
そんなことは播磨でもわかる。
「皆からも言われて、私も薄々気づいていたけど、今の英語力じゃあ通訳どころか、
受験だって危ないかも……」
確かに、大宮忍の成績は、お世辞にも良いとは言い難い。
「でもよ、大宮。九条も言ってたけど、学校教育の英語だって完全じゃねェんだろう?
そこにこだわるのもどうかと思うぜ」
「そうですけど」
「それによ、通訳ってのは言葉の壁のある連中を、言葉を通じて結びつけるのが仕事だろ?」
「はい」
「だったらよ、その……、俺はお前ェがいたから、九条や……、カータレットとも知り合いになれたわけだ」
「え……?」
「だったらよ、それも一つの通訳なんじゃねェかなって、俺は思うわけよ」
「それが、通訳ですか?」
「人間、言葉の壁以外にもいろんな壁があるわけで、それを乗り越えて結びつくには、
まあ色々努力しなきゃならねェだろ?」
「あ、はい」
「悪いな。俺は頭悪ィから、上手く説明できねェけどよ、とにかく、俺はお前ェのおかげで
友達(ダチ)と呼べるかどうかは疑問だけど、異性の知り合いができたわけだ。
それはそれで、十分凄いことだと思うぜ」
「私が、凄い……?」
「まあ、通訳のことはどうかわからねェけども、お前ェにはちっとは感謝してるってことだ」
「そんなこと、初めて言われました」
「俺だって初めて言ったぞクソが」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちのほうだっての」
「私、頑張ります」
「おう、まあ適当に頑張れよ」
「はい」
「ったく。柄にもねェこと言っちまったぜ」
そう言いつつ、播磨がコーヒーに口を付けると、
「あ、アリスとカレンです」
不意に忍は言った。
「ぶっ」
その声に播磨は驚き、思わずコーヒーを吹き出しそうになる。
顔を上げると、確かにアリスとカレンが二人並んでいる。
でもなにか様子がおかしい。
「シノ! こんな所でsabotageしちゃダメでしょ!」
アリスは明らかに怒っているようだった。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ」
「ほら、行くよ」
「あわわわ、播磨くん。またね」
忍はアリスに引っ張られるように、自習室へ戻って行った。
しかし、カレンはそんな二人のやり取りにはほとんど目もくれず、
じっと播磨を睨んだ。
「な、なんなんだよ」
「ズイブンと楽しそうでしたね」
カレンは腕組みをした状態で言った。
どうも機嫌が悪い。
何があった。
「いや別に、そんなつもりはねェぞ」
「これは思ったよりもしっかり手綱を握っておかないとダメみたいデスね」
「何言ってんだお前ェ」
「Shut up!(静に!)、まだ課題は残ってマス! 綾と陽子にしっかり教育
してもらわないと、ダメみたいデス!」
「おい、なんで機嫌悪いんだよ」
「別に悪くはナイデスケド」
「サボったのは悪かったよ。だけど休憩とかしたかったんだ。元々机に向かうのは
好きじゃねェからよ」
「だったら」
「ん?」
「ラーメン、奢ってくれたら機嫌がなおるカモ知れませんネー」
「ラーメン? そんなんでいいのか」
「本当に奢ってくれます?」
「いや、悪い。ちょっと金が」
「ま、冗談デスケド」
「お前ェ、ラーメン好きなのか。意外だな」
「冗談って言ってるじゃねいデスカ! モウ!」
「おい怒るなよ」
「怒ってマセン!」
「わかった。奢ってやるよラーメン。バイト代入ったらな」
「本当ですか?」
「ああ」
「約束デスよ?」
「男に二言はねェ」
その後、カレンの機嫌がすぐに元に戻ったことは言うまでもない。
つづく
それはいつもより夏の気配の濃い朝の出来事。
日差しが強くなり、ひんやりとした空気の中から、新緑の季節の到来を感じさせる。
「おはよう、シノ。アリス」
「おはようございます。綾ちゃん、陽子ちゃん」
「オハヨー。アヤ、ヨーコ」
忍、アリス、綾、そして陽子の四人は、いつものように通学していた。
彼女たちが学校の付近に到着するころ、校門の前で大きなリムジンが停車していた。
「あの車、どこかで見たことがある気がする」
車を見て、アリスがそうつぶやいた。
すると、運転席から背の高い紳士が現れ、素早く後ろに向かうと、後部座席のドアを開く。
「あ、カレンです」
忍は言った。
自動車の後部座席から出てきたのは、九条カレンその人であった。
「お、皆さん、オハヨゴジャイマース! 」
アリスたちの存在に気付いたアリスがそう言って手を振った。
「おはようカレン。にしても凄い車だな」
陽子はピカピカに磨かれたリムジンを見てため息交じりにそう言った。
「はい。日本に来るときにパパが買ったそうです。日本の道には日本の車がいいみたいデス」
「移住した上に車まで買うって、どれだけブルジョアよ」
綾は言った。
「お嬢様。カバンを」
「うん、Thank you ネ」
やたら背が高く、ガタイの良い男性がカレンにカバンを手渡す。
すでに夏であるにも関わらず、彼は黒いスーツに身をかためていた。
「カレン、この人は?」
恐る恐る忍が聞く。
確かに、怖い。良く見ると、眼帯をしており、髭も生えている。
「ああ、シノたちは初めてだったネ。彼はButler(執事)の『ナカムラ』デス」
「執事!?」
アリス以外の全員が顔を見合わせる。
「執事って、本当にこの世に存在したんだ」
そう言ったのは陽子だ。
「凄い……」
「ナカムラさん、お久しぶり」
どうもアリスとは面識があるようだ。
「今日はちょっと出かけるのが遅くなっちゃってね。それで、ナカムラに送ってもらったデス」
「はあ……」
「お嬢様。私めはこれで」
そう言うと、執事のナカムラは一礼する。
「ハイ、ご苦労様デス」
「くれぐれもお気をつけて」
「ハイハイ、わかってマス。ナカムラは心配性デスねー、本当に」
「ご学友の皆様も、よろしくお願いいたします」
そう言うと、ナカムラはこちらが恐縮するほど深々とお辞儀をしてから、車に乗り込んだ。
「へえ、やっぱりカレンってお嬢様だったんだなあ」
感心したように陽子が言った。
「オジョウサマって、この前ハリマにも同じこと言われマシタ」
「そりゃ言うでしょう? あんな凄い車見せられて、しかも執事まで」
「そうデスか?」
カレンは首をかしげた。
自分自身特別だという認識が、このお嬢様には無いらしい。
もざいくランブル!
第5話 女 心 difficult
期末テストも終わり、学校内ではひと時の解放感に包まれていた。
「いやー、やっと終わったねえ」
「なかなか大変でした」
「あの問題どうだった?」
テストのことを気にする者、これからの予定を考える者、部活動へ勤しむ者。
それぞれ、自由な行動をしている。
そんな中、播磨はどうすればアリスと一緒にいられるか考えていた。
(テストのほうは、まあ大丈夫だろう。それよりアリスちゃんだ。確か、8月中は
実家(イギリス)に帰るみてェだし、一緒に遊べるのは7月中くらいしかないようだ。
それなら早いうちにケリをつけねェと、ひと夏のアバンチュールも危ういぜ)
ちなみに播磨はアバンチュールの意味をよく知らない。
「ハーリマ!」
「ぬわっ!」
播磨は一人ブツブツと考え事をしていると、それをぶち破るように隣りのクラスから
カレンが飛び込んできた。
「なんだ九条か」
「なんだとはなんデスか。もっと興味持ってくだサイ!」
「何か用かよ」
「用が無ければ話しかけちゃダメなんデスか?」
「面倒くせェだろ」
「酷いデスよ。最近冷たいデスね」
「冷たくねェよ。それよりどうした。大宮たちならそこにいるぞ」
「No、確かに今日はシノたちにも用がありますが、ハリマにも用があります」
「なんだ、用があんのかよ。で、なんだ?」
「実は、Shopping に付き合って欲しいのデス」
「は? なんでそんなこと」
「ダメデスか?」
「女の買い物は長ェから嫌いなんだよ。あれでもないこれでもないって、
全然買わねェものまでご丁寧に見てまわりやがる」
「それも楽しみじゃないデスか」
「でもよ」
「シノやアリスも一緒デス」
「なに……!?」
播磨の心が揺れる。
(アリスちゃんと一緒に買い物。一緒にお出掛け。つまりこれは、アリスちゃんとデート!!)
※違います。
播磨の頭の中が暴走する。
「ちなみに、何を買いに行くんだ?」
「Swimsuitデス!」
「水着か」
「Yes! 夏デスからネー!!」
いやでもよ、そういうのはその、男と行くもんじゃねェだろ。
アリスと一緒に買い物には行きたい。
だが水着コーナーは恥ずかしい。
播磨の心は揺れる。
「つうか水着売り場って、男女別になってるし、男と行くものか?」
「実はデスね、数日前にパパとSpeakした際、水着を買う時は Boyfriend と一緒に
行って見てもらうべきだって言われたネ」
「は?」
「However、ワタシには Boyfriendと呼べるようなトモダチは、今の所ハリマくらい
しかいない。Accordingly こうしてハリマを誘ったというわけデス」
「なんでお前ェの親父さんはそんなことを言ったんだ?」
「Reasonはよくわかりませんが、日本にはそういうculture があるのでしょう」
「ねえよ!」
(しかし)
と、播磨は思う。
(アリスちゃんと買い物。しかもアリスちゃんの水着)
忍と楽しそうに話をするアリスを見ながら播磨は思った。
「わかった、一緒に行こう」
「Thank you ハリマ! ふふ、今から楽しみデス。アリスー」
そう言うと、カレンは笑顔でアリスの所に行った。
*
買い物で駅前にくるのは久しぶりかもしれない。
大型のショッピングセンターには、特設の水着コーナーもあり、そこでは気たるべき
季節に備えて、若い女性たちが水着選びに精を出しているようだった。
そんな光景の中で、むさ苦しい男である播磨の存在が明らかに浮いていたことは言うまでもない。
「水着を日本で買うのは初めてだからドキドキするなあ」
照れくさそうに笑うアリス。
ちなみに今回、綾と陽子は来ていない。
水着と聞いて、綾の具合が悪そうになったのは気のせいだろうか。
「アリスなら、何を着ても似合うと思いますよ。こんなのでも」
そう言うと忍は旧スクール水着を取り出して見せた。
「シノ! よくわからないけどそれは犯罪の臭いがするよ!」
というか、そんなものどこに置いてあったんだ。
「試着コーナーがありマス! 早速選んで行きましょう」
水着を前に、更にテンションを上げるカレン。
水着以外にも、店内には海を思わせるポスターやビーチボールなどが展示されており、
弥が上にも夏を意識せざるを得ない。
(夏か……)
特に夏に思い入れがあるわけではない。
ただ、夏は人を開放的にすると誰かから聞いたことがある。
(アリスちゃんに変な虫もたかりやすい。ここは全力で守らなければ)
密かな決意を胸にする播磨。
しかし、周囲の人間はそんなことを知る由もない。
「アリス~。これを試着してください」
「シノは着ないの?」
「わ、私は大丈夫だから」
「……」
忍とアリスの会話を見ながら、居心地の悪さを感じる播磨。
(くそっ、アリスちゃんとは一緒にいてェが、この場には長くいたくねェ。つうか、
この場所は“女度”が高過ぎるだろ)
高鳴る心臓を抑えるように、播磨は上を向く。
「ハリマ!」
「うおっ、なんだお前ェ」
急に声をかけられて驚く播磨。
「こっちとこっち、どっちがいいデスか?」
二つの水着を持ったカレンが聞いてきた。
「どっちでもいいんじゃねェか」
「ちょっとは真面目に選んでクダサイ!」
「つうか、俺は水着とかよくわからねェし」
「知識とかどうでもいいデス! 何より feeling を大事にしないとネ」
「んなこと言われてもよ、こういうのは」
そう言いつつ、播磨は手前の水着を見る。
(この水着、アリスちゃんに似合いそうだな)
ふと、そんなことを考えながら播磨は一つの水着を手に取る。
(しかしビキニか。くそっ、こんなのを着たらただでさえ魅力的なアリスちゃんが
更に魅力的になってしまう。それこそ、天使と言っても過言ではないくらいに……!)
「お、ハリマはそれがいいデスか!?」
「うわっ、よせっ。何やってんだよ」
「ハリマ、なかなか Good sense してるデス!」
「いや、それはその……」
「ちょっと子供っぽい感じもしマスケド」
「いやだから」
「とりあえず試着デス!」
「おい、待て!」
カレンは、まるで忍者のような素早い動きで試着室に入ると、シャッとカーテンを閉めた。
(くそっ、あの中に入られたら手出しできねェ)
苦虫を噛み潰したような顔をしながら、播磨はアリスたちのほうに目をやる。
「播磨くん。カレンはどうしました?」
水着を手に持った忍が聞いてきた。
「今試着中だ」
「へえ、もう選んだんですね」
「カレンは昔から決断が早かったですからね」
アリスは言った。
「そうなのか」
そういえば、アリスとカレンはイギリス時代からの親友だったという話を思い出した播磨。
「でも、決断が早すぎて間違うこともしばしばあったよ。それで迷子になったりとか、
よくあったなあ」
「まあ、なんとなくわかる気がするな。考える前に行動する、みてェな」
「うん。ハリマくんもカレンのこと、だいぶわかってきたみたいだね」
「あ? 別にそんな」
確かに、最近はアリスよりもカレンと会話している時間のほうが長い気がする。
カレンのほうが話しやすい、というか向こうから積極的に話しかけてくるから、
自然と会話が増えただけなのだが。
(いかんいかん。今は金髪お嬢のことを気にしているわけにはいかねェ。折角、
アリスちゃんが目の前にいるんだ。しっかりアッピールしねェと)
そう思いつつ、播磨は並んでいる無数の水着に目をやる。
「なあ、カータレット。この水着なんて――」
そこまで言いかけたところで、いつの間にか姿が見えなくなっていた忍が戻ってきた。
「アリス、この水着なんていいんじゃないですか?」
明るい色だが、ヒラヒラが付いており、播磨には少し子供っぽく見えた。
(おいおい、それだったらまだコッチのほうがアリスちゃんの魅力を十分に引き出せると思うがなあ……)
「ありがとうシノ。早速試着してみるよ」
しかし、播磨の考えとは裏腹に、アリスは忍の選んだ水着を持って試着室に入る。
「うふふ。きっと似合うと思うなあ」
忍は幸せそうに笑う。
「お前ェは買わねェのかよ」
播磨は忍に聞いてみた。
「私のは、お姉ちゃんのおさがりとかあるし」
「姉がいるのか」
「うん」
「だけどよ、姉のおさがりとか嫌じゃねェか? 体操服とかならともかく、水着だぞ」
「ええ? 洗濯すれば平気だよお」
「いや、まあそういう問題じゃねェと思うけど」
「HEY、ハリマ! Try is over!」
不意に別の試着室からカレンの声を聞こえた。
「お前ェうるせえぞ。ほかの客の迷惑になるからやめろ」
面倒くさそうに播磨は、カレンが入った試着室の前に歩き出す。
「急にいなくなるから焦ったデス」
「どこにも行きゃしねェよ。ったく」
試着室の前に行くと、カレンは首だけ外に出していた。
「何やってんだお前ェ」
「ちょっと恥ずかしいデス」
「今更恥ずかしがってどうすんだ」
「もうっ、ハリマは乙女の気持ちがわかってないデスね!」プンプン
「別にいいだろ。んなことはよ」
「ジャーン!」
シャーッとカーテンを開けると、そこには見事にビキニを着こなしたカレンの姿があった。
カレンは夏服の上に更にパーカーを着ていたので、あまり意識していなかったけれど、
胸も結構あるようだ。
「あ……、いいんじゃねェか……」
予想外のお色気に、思わず顔を背ける播磨。
(何やってんだ俺。アリスちゃん以外の女にドキドキするとか、ありえねェだろ)
「ちょっと、ちゃんと見てくだサイ!」
そう言うと、カレンは播磨の顔を掴んで、強引にグイッと顔をまっすぐに向かせた。
播磨の目の前には、カレンの胸の谷間が飛び込んでくる。
「おまっ、その……、なんつうか」
「どうデス? 私のスタイル」
「いや、まあ……、その」
「そこは『姉ちゃん、ええ体してまんな」と言ってほしい所デス」
「セクハラじゃねェか!」
「水着も見てくだサイ」
「いや、いいな」
少し子供っぽいかとも思った水着だが、カレンが着ると随分大人っぽく見える。
自分で選んどいてなんだが、かなり似合っているのではないだろうか。
「わあ、あのこカワイイ」
「モデルかなあ」
他の買い物客がカレンを見て、ヒソヒソと言い合っていた。
「わかったろう、よく似合ってるよ」
「うーん、まだ不安デスね」
「は?」
「もう一着選んでくだサイ」
「ちょっ、おまっ!」
「早く、早く。ハリーハリーハリマー」
「うるせェ、もういいだろ」
「お願いしマス。青春の水着選び、Don't wanna regret(後悔したくない).」
「水着なんていつでも買えんだろうがよ」
「今日というこの瞬間は、二度と戻ってはこないのデス」
「安っぽい歌の歌詞みたいな台詞言いやがって。ったくしょうがねェ。もう一回だけだぞ」
「Thank you ハリマ!」
「ったくよ」
ブツブツ言いながらも、カレンの水着選びを手伝う播磨、結局、その後4回試着を
繰り替えした後、最初の水着に落ち着いた。
「今までの試着はなんだったんだ」
「Don't be afraid!(気にしちゃダメ!)」
「お前ェはちっとは気にしろ! ったくよ、だから女との買い物は……」
そう言いつつ、忍たちの所に戻ると、すでにアリスの試着と買い物は終わっていた。
「……終わったのか」
「はい、とてもよく似合ってましたよ」
ニコニコしながら忍は言った。
「シノが真剣に選んでくれて、楽しかった」
アリスも笑顔だ。
(ああ、アリスちゃんの水着姿、見たかったなあ)
播磨は危うく心の声が漏れ出てきそうなほど後悔しながら心の中でつぶやく。
「そういえば、カレンの水着、まだ見てなかったね」
アリスはカレンに聞く。
今日は播磨の前にもかかわらず、珍しくよく喋る。
「まあ、それは本番の時の楽しみにしておいてくだサイ」
と、カレンは答えた。
「ハリマくんが選んだの?」
「Yes! ハリマはなかなかイイセンスしてるデス」
「別にしてねェよ! 女の水着とかわからねェし」
「またまた~、What you have to choose me seriously, I know(あなたが真剣に選んでいてくれたこと、私は知ってマス)」
「別に真剣じゃねェし。つうかお前ェ、試着長すぎなんだよ!」
(おかげでアリスちゃんの試着を見れなかったじゃねェか)
「ハリマがせっかく選んでくれたんデスから、しっかり試着しないとネ」
「いらん気を回すな」
「カレン、これからどうするの? お茶でもしていく?」
アリスは聞いた。
(ナイスだアリスちゃん! これでアリスちゃんとお茶ができる!)
「Oh,お誘いはありがたいのデスが、これから家の用事があるのデス。アイムソーリー」
「そうなんだ、残念だね」
(お前ェ、用事があるんだったらもっと早く試着を済ませろよ!)
播磨の常識的なツッコミは、ここでは効かなかった。
「それじゃあしょうがないですね、みなさん帰りましょう」
忍のその言葉で、その場にいた全員は帰路につく。
(くそう、アリスちゃんの水着が、お茶が)
そんな後悔をしながら、播磨たちはショッピングセンターを後にした。
*
建物の外に出ると、強かった日差しが更に強さを増していた。
「この日差しを見ると、夏って感じですね」
忍はしみじみと言った。
「日本の夏はちょっと蒸し暑いから苦手かも」
少しげんなりした感じでアリスは言う。
確かに、比較的涼しいイギリスから来たアリスたちにとって、日本の夏は厳しいかもしれない。
しかも最近は温暖化の影響か、昔よりも夏が暑いという話も聞く。
「まあ、カレンはあんまり季節とか気にするタイプではないけどね。って、カレン?」
「ん?」
気が付くとカレンの姿がない。
「どうしよう。またカレンが迷子に」
「おいおい、いくらなんでもこんな距離で迷子には」
と、播磨も思ったが確かにカレンの姿が見えない。
「どこだ」
周囲を見回すと、
「あ、あそこ!」
忍が叫んだ。
「なっ!?」
忍の指さす方向には、カレンが。
しかもしの周りには、見るからに怪しい黒服の男たちがいたのだ。
この暑い日に。
「ちょっとやめるデス!」
「一緒に来てもらいます!」
「早くしろ」
「タスケテくださいデース!」
「カレン!?」思わずアリスは身を乗り出す。
「お前ェらはここにいろ!」
アリスを抑えるように、播磨は走り出した。
考えるよりも先に、身体が動いていた。
つづく
前回のあらすじ
九条カレンが水着を買いに行った帰り、正体不明の黒服の男たちに囲まれていた。
「どどどどうしようシノ!!」
「おおおおお落ち着いてくださいアリス」
動揺する二人。
「そういえば、カレンはお金持ちで有名でしたので、イギリスでも誘拐とかを心配してました」
「そんな」
「大変だ。日本は安全だって聞いていたけれど」
「大丈夫だよ、播磨くんが行ったから」
「でもでも、拳銃とか持ってたら」
「はわわ、とにかく通報しましょう」
*
「ちょっと放してクダサイ」
「了解、このまま連れて行きます」
黒服の一人は、そう言うと軽々とカレンを抱える。
「ちょおおっと! 何するデース! 助けて、help!」
「静かにしろ」
「Help me ハリマ!!」
「うっせえな、俺は近くにいるつってんだろ」
「ハリマ」
カレンの下に駆けつけた播磨。
しかしその間には、体格の良い男たちが二人並んでいた。
「どういうつもりだ。ああ?」
だがそんな相手にビビるような男ではない。
「ここを通すわけにはいかない」
「さっさと帰れ」
「悪いな。ここで素直に言うこと聞くような性格じゃあ、ねェんだ」
「ハリマ!」
もざいくランブル!
第6話 大和魂 pride
「事情はよくわからねェが、その娘は返してもらうぜ」
二人の大男の間をすり抜けるように播磨はすすむ。
だがそれを察して、進路を塞ぐ男たち。
「どうしても行きたいというのなら、力づくでこい」
一人の男が言った。
「そうさせてもらうぜ」
スーツを着た男たちは明らかに身体を鍛えている。
ちょっとやそっとの打撃で動くようには見えない。
だが、普通の人間ならば必ず鍛えられない場所がある。
「ふんっ」
「な!」
一瞬、ほんの一瞬播磨の手のひらが男の胸に当たる。
どんなに鍛えても鍛えられない場所が人間にはいくつかある。
それが弱点や急所と呼ばれる場所。
だが、播磨の狙いは違う。
「貴様」
「でりゃあ!」
ほんの一瞬、播磨が力を加えると、右側の男が崩れ落ちた。
「発勁か!」
「遅い!」
もう一方の男の腹にも、播磨は平手で一撃をくらわせる。
中国拳法の発勁、それは外側の筋肉ではなく直接内臓など、内部の器官に打撃を与えるもの。
内臓はどんなに外側を鍛えていても鍛えられない場所だ。
派手に吹き飛ぶような技ではないが、確実に相手にダメージを与えられるため、
昔は播磨もよく多用していた。
早くも崩れ落ちる二人。
だが敵はそれだけではなかった。
「待て!」
残った黒服は、倒れた仲間には目もくれず、カレンを抱えたまま走り出す。
「くそが!」
播磨もそれを追う。
走る、走る、走る。
かつて告白に失敗した播磨は、その失敗を反省して多少なりと身体を鍛えるようにしていたので、
多少の追いかけっこならできるようになっていた。
「そこか!」
狭い路地に逃げ込む男。
だがそれは罠であった。
「そんなこったろうと思ったぜ」
薄暗い路地に入ると、どこからともなくチンピラ風の男たちが出てきた。
その数は5人、いや、6人か。
「随分と手の込んだことしやがって」
「さっきのようにはいかねえぜ、兄ちゃんよ」
先ほどの黒服よりは明らかに弱そうなチンピラ風の男が言った。
「試してみるかよ」
「どりゃああ!!」
一斉に襲い掛かる男たち。
「ぐっ!」
パンチを掻い潜り、播磨は一人にカウンターで拳をくらわす。
ぐちゃりと、肉が潰れる感触が拳を伝わってくる。
今度は後ろから迫ってくる敵に後ろ蹴りをくらわせた。
すると、蹴りは上手く腹に入り、男は悶絶した。
(一人倒したか)
そう思った瞬間、別の黒服が蹴りつけてきた。
「くっ!」
何とかガードで受けたものの、鍛えているためか、衝撃も大きい。
次に別の大男が大振りの右ストレートを放ってくる。
防御は危険だ。
腕を十字にして攻撃を受ける播磨は、すぐに体勢を立て直そうとする。
(ここで畳み込まれたら終わり!)
そう思った播磨は倒れないように強く踏ん張り、丹田に力を込める。
(ん?)
その時、播磨の脳裏に違和感が浮かぶ。
(こういう1対多の戦いなら、相手に反撃されないよう、一気に潰すのが基本のはず。
だけど奴らはご丁寧にわかりやすい攻撃を仕掛けてくる。こいつら何だ。素人か?)
そう思った瞬間、ハイキックが飛んできた。
膝を曲げてそれをかわした播磨は、ローキックで相手の軸足を払う。
「うわっ」
支えを失った男は一気にその場に倒れ込む。
受け身を取ったようだが、すぐに起き上がらないよう播磨は男の鳩尾をふみつけた。
こういう闘いの場で情けは無用。
今度は二人一緒にかかってきたので、1人の服を掴むと、それをもう一方に投げつけた。
体重差があったので、もう一人は簡単に投げられ、それをぶつけられたもう一方は無様に倒れ込んだ。
一人一人の技のキレは決して悪くない。
だが、集団での戦い方が明らかに稚拙に思えた。
「どりゃあ!」
「ぐはっ!」
何度か打撃はくらったものの、致命傷にはならず、なんとか播磨はその場にいた数人を倒したのだった。
「ソイツから手を放せ」
「ぬおっ!」
最後に、カレンを捕まえていた黒服を投げ飛ばすと、播磨はその場に血の混じった唾を履いた。
「ハリマ! 大丈夫でしたか!」
思わず播磨に抱き着くカレン。
「ケッ、どうってこのねェよ」
「でも、血が」
「こんなのかすり傷だ。つうか、コイツら誰だ」
「知りません。全然知らない人です」
「誘拐って奴か?」
(それにしてはおかしい。誘拐なら武器でも隠し持っているはずだが)
播磨は違和感を抱えたまま、その場を離れようとした。
しかし、行く手を阻む影が一つ。
「誰だ!」
「……」
そこには無言で立つ大男が一人。
帽子を深々とかぶり、マスクをしているので顔がよくわからない。
「ハリマ」
不安そうにカレンは血の付いた播磨の制服をぎゅっと握りしめる。
「大丈夫だ九条。お前ェは頭でもおさえて目をつぶってろ」
「……」
逆光で顔はよく見えないけれど、目の前にいる大男は、先ほどの黒服やチンピラども
とは明らかに異なる雰囲気を持っていた。
「ここでラスボス登場ってことか。どうすんだ? もう俺のツレが警察に通報しているところだぜ。
このままやってもお前ェは警察に捕まるだけだ」
「……」
播磨が挑発をするも、帽子の男は何も答えず、右手の手のひらを上にして、人差し指で
チョイチョイと手前に引いて見せる。
挑発をするつもりが、逆に相手が挑発をしてきたのだ。
「なるほどね、とにかくお前ェを倒さねえと帰れねェってわけだな」
全てを察したように播磨が言うと、
「……」
帽子の大男は軽く頷いた。
「クソ弱い連中ばかりで退屈してたところだ。楽しませてくれよな」
「ハリマ」
「わーってる。あくまで正当防衛の範囲内でやる。心配すんな」
「でも」
恐らくカレンの心配はそれだけではない。
それは播磨にもわかっている。
彼らの目の前にいる帽子をかぶった大男は、明らかに今までの相手の比ではない殺気を放っていた。
カレンはそれなりに運動神経が良いと言われているので、相手の只者ではない雰囲気を感じ取っているのだろう。
「わかったから手を放せ。すぐに終わらせる」
そう言うと、播磨は優しくカレンの右手を外す。
(そういやコイツの手を握るのって、あの時、あの間違えて告白しちまった時以来だな)
そんなことを思いつつ、播磨は一歩前に出た。
「……」
帽子の男は構えない。
だが張りつめた空気の中で相手が只者ではないことがよくわかる。
自然体というやつだ。
「いくぜ」
相手の攻撃を待って、などということはない。
先手必勝。
これこそが勝つための手段。
「どりゃあああ!!!」
相手は強い。ならば、小細工は無用。
正面からぶっ壊す。
しかし、
「なっ!?」
男はよけることも反撃することもせず、腕を十字にして播磨の拳を受け切った。
「ソノテイドカ……」
押し殺したような声で男はつぶやく。
「なに!?」
不意に視界の外から何かが飛んできた。
スピードに乗った鋭い上段蹴り(ハイキック)が播磨の右頭部を襲う!
辛うじて右腕でガードしたものの、スピードがあっただけに衝撃も段違いであった。
なんだこの蹴り。
ほぼノーモーションから放たれた蹴りは、まるで刃のように痛みを与えてくる。
(強いなんてレベルじゃねェぞ!)
次の瞬間、今度は左の下段蹴り。バチンと勢いよく当たった蹴りは播磨のバランスを
崩してしまう。
「んにゃろ!」
何とか態勢を立て直して反撃に出ようとするが、今度は裏拳が飛んできて、思わず
のけぞってしまう。
(なんつう身体バランスだ!)
体格差から見て遠くからの殴り合いは不利。
そう思った播磨は、今度は距離を詰めようとする。
しかし、一瞬のフェイントとともにボディに一発入る。
「ぐほっ!」
鍛えていなければ危なかった、というほど見事なボディブロー。
「この野郎!」
もう一発入ってきたが、今度は辛うじて肘でガードする。
だが、次の瞬間再び下段蹴りを繰り出し、そして距離が離れたところで前蹴りを放った。
「だはっ!」
思わず三歩、四歩と後ろに下がってしまう播磨。
「ハリマ!」
そんな播磨をカレンが受け止める。
「下がっていろ九条、危ねェぞ!」
「相手は強い」
「んなこたぁ百も承知だ畜生が」
「デモ!」
「いいから下がれ!」
多少イライラしながら播磨は叫んだ。
(普通ならここで一気に仕掛けて行くはずだ。さっきのチンピラといい、何かおかしいぞ)
そう思いつつ、播磨は構える。
相手は息一つ乱れていない。
「そりゃあ!」
足でフェイントからの右ストレート。
だがそれは読まれる。
だったら今度は左フック。
それもガード。
まるで動きが全て読まれているような錯覚に陥る播磨。
「な?」
そんな播磨の小細工を嘲笑うかのように、男の右ストレートが放たれる。
見え見えのパンチ。
防御からの反撃を試みる播磨だったが、
「!?」
左のガードから押し込むようなパンチは、播磨の防御を破って一気に頬まで到達してしまった。
「ぐはあっ!」
一瞬、視界にノイズが走る。
だが次の瞬間、拳が襲い掛かってきた。
今度は止まらない。
右、左、そしてまた右、さらに右の回し蹴り。
防御が追つかない。
息ができない。
何より、膝が立たない。
「舐めんなコラア!!」
起死回生のアッパーを繰り出すも、それも十字で止められてしまった。
(何なんだコイツは!)
播磨は男の服を掴む。
今度は投げ技を繰り出そうとするも、すぐに外され、逆に投げ飛ばされてしまう。
合気道の小手返しという技だ。
激痛とともに、アスファルトの地面に叩き付けられてしまう。
こんなにも鮮やかに投げ技を決める人間を、播磨は知らない。
かつて柔道三段の相手とも戦ったことがある播磨ですら、ここまで見事に投げられた
ことはなかった。
更に追い打ちをかけるような蹴り。
「ぐわっ」
播磨の身体は、まるで藁の束のようにくるくると転がってしまう。
「畜生が!」
すぐに立ち上がる播磨だったが口の中は鉄臭く塩辛い液体で充満していた。
さきほど殴られたショックで、口の中が切れたのだろう。
「ハリマ! 頑張れ!」
背後からカレンの声が聞こえる。
「……」
前方にいる大男は何も喋らず、まるで機械のように佇んでいる。
機械との違いは、その圧倒的な殺気であろうか。
恐怖――
そんなものは感じたこともなかった。
だが今は違う。
圧倒的な力の差を感じている。
(コイツ、本当に人間か)
「アキラメロ」
不意に耳に飛び込んでくる低い声。
「冗談言うな、クソが」
ペッと、再び血の混じった唾を吐いた播磨は再び距離を詰める。
少しでも攻撃を当ててやる。
そう思い、相手の懐を目指す。
「……っ!」
ノーモーションで放たれる拳と蹴り、それをサイドステップで上手くかわしながら、
肋骨の当たりに一撃をくらわす。
「ぐ……っ」
入った!
「どりゃあ!」
今度はストレート。
しかしそれは防がれる。
(まだまだ!)
次に中段蹴りで相手の態勢を崩す。
更に腕を掴んで、投げようとするも、すぐに外されてしまう。
(しまった)
次の瞬間、相手のパンチを予想した播磨。しかし放たれたのは、拳でも蹴りでもなく、
体当たり。
今まで感じたことのない衝撃が身体を襲う。
身体がふわりと宙に浮いたかと思ったら、硬い壁にぶち当たってしまう。
「ぐはっ!」
ぼんやりする頭を必死に回復させ、次に大男が放つ拳を寸でのところでかわす。
(危ねェ)
だが、更に放たれる波状攻撃に播磨のスタミナはどんどんと削られていく。
(コイツの体力は底なしか?)
と、次の瞬間、男の拳が播磨のガードを破る。
集中、集中だ。
そう思ったが、思考に身体が追いつかない。
(調子に乗りやがって)
次々に放たれるパンチの前に、なす術のない播磨。
(くそっ。もうちょっと待て)
播磨は心の中でタイミングを計る。
そして、相手が大振りを狙ってきたところで――
(ここだあ!!)
右ストレートを放った!!!
「ハリマ!!」
脳に衝撃が走る。
「ぐ……」
播磨の右ストレートは、上手く相手にカウンターを返されてしまった。
(い、今のは……)
思いっきり入った拳。
遠のきそうになる意識は辛うじて保ったけれども、両ひざは限界にきていた。
がっくりと、その場にひざをつき、崩れ落ちる播磨。
その場にうつ伏せに倒れることはなんとか耐えたけれども、このままでは蹴りの的に
なることは火を見るより明らかであった。
「もうやめるデス!!」
不意に、播磨の目の前に人影が立つ。
(九条……)
九条カレンだ。
帽子をかぶった大男と播磨の間に、カレンが仁王立ちした。
遠のく意識の中でも、カレンの声だけははっきりと聞こえた。
「アナタの目的は私なのでしょう!? だったら、私だけ連れていきなさい! もうこれ以上、
彼に危害を加えることは許しません!」
「……」
男は無言である。
(九条、お前ェ)
「早くしなサイ。私は、逃げも隠れもしまセン!」
(ふざけやがって)
九条カレンのその言葉を聞いて、播磨の心の中に沸いた感情は、何よりも「怒り」
であった。
(あのなあ、九条。男にとっては、ケンカでボコボコにされるよりも、中途半端に情けを
かけられるほうがよっぽど辛いんだよ)
播磨は大きく息を吸う。
もう、まともに戦うだけの体力は残っていない。
ボクシングで言えば、クリンチを繰り返すくらいしかできないだろう。
だが、それでもまだ身体は動く――
*
帽子をかぶった大男がゆっくりとカレンに近づく。
なぜ自分がこんなことをしたのかよくわからない。こんなことをしても播磨は喜ばないだろう。
むしろ怒るだろう。
それはわかっていた。だがやらずにはいられなかった。
目の前で傷つく姿は、其れ以上見たくはなかったのだ。
今、自分のすぐ後ろにいる男は、自分を守るためにボロボロになるまで戦った。
それだけで十分嬉しかった。
もうそれだけでいい。
男の手が迫る。
「ふっぐ!」
カレンは恐怖のあまり、両目を閉じた。
しかし、次の瞬間彼女の身体は暖かいものに包まれた。
「え?」
大男に抱きかかえられた、というわけではない。
カレンのよく知る人間の匂いだ。
「なに?」
カレンが目を開くと、先ほどまで膝をついていた播磨が立ち上がり、そしてカレンの
身体を抱き寄せていた。
「悪いなオッサン。ここでこの娘を渡すわけにはいかねェ。男のプライドにかけてもな」
「ハリマ、一体何を……」
恥ずかしさと恐怖と驚きと、その他色々な感情の入り混じったカレンは何が何だかわからなくなっていた。
ただ、全身熱い。それだけはわかった。
「九条。俺がコイツの動きを止める。その間に逃げろ」
「でも播磨は」
「いいから言うことを聞け。近くに大宮たちもいるはずだ。すぐに合流すりゃ大丈夫だ」
「ハリマは」
「お前ェはお前ェの心配だけすりゃいいのよ。俺は自分の意地を通す」
「ダメだよハリマ」
「うるせェ。あと……」
「あと?」
「お前ェの制服、血で汚してすまなかったな」
「――!」
*
カレンを放した播磨は、倒れそうになる自分の下半身を励ますように一度叩くと、
大きく息を吸って大男と正対した。
「ここは通してもらうぜ! 化け物が!」
そう言うと全力で男に突っ込む。
相手はそれに合わせてカウンター気味にストレートを決めようとするが、播磨はそれを掻い潜って、
男の懐に入る。
「ぬがああ!!」
もはや技術も体力も関係ない。
全力でぶつかるのみ。
男にタックルをかました播磨は、そのままビルの壁に男を押さえつけた。
大したダメージにはならないことはわかっている。
だが、少しくらい動きを止めることはできるだろう。
「早く行け九条!!!」
「は、ハイ!!」
播磨の心情を察したカレンは全力で走り出す。運動神経抜群の彼女は走るのも速い。
「……!」
男は播磨を振り払おうと身体をよじる。
だが播磨は簡単には離れない。
ゴツゴツと背中に肘や拳が当たる衝撃が走る。
それでも今の播磨には、それほど痛みを感じなかった。
(残念だったな。お前ェの目的は――)
そこまで考えたところで、後頭部に大きな衝撃が走り、そして播磨は気を失う。
真っ暗な闇の中で、カレンの笑顔だけがやけにリアルに映し出されていた。
*
「はっ!」
目を開くと、そこは見たことの無い天井。そして見たことの無い部屋であった。
(どこだここは)
かなり広い部屋に、播磨は寝かされていた。
(病院……、ではないか)
少なくとも病院ではないことは確かだ。
身体を起こすと、身体のいたるところに絆創膏や包帯が巻かれていた。
(治療されている。一体誰が)
「気ガ付かレマシタカ?」
「は?」
入口のほうを見ると、金髪の女性が立っていた。
「九条……? いや」
九条カレンに似ているけれど、明らかに雰囲気が違う。
なんというか、大人っぽい。大人のカレンだ。
「カレンの母デス」
「ああ、どうりて」
九条に似ていると思った。
ただ、カレンよりも更に日本語がたどたどしいのは、純粋な英国人だからだろうか。
「英語でかまわないッスよ。喋りにくいでしょう」
『あなた、英語がわかるの?』
「まあ、人並みには。同居人がアレなもんで」
『そうなんですか』
「それよか、今の状況説明してくれねェか。何が何だかわけがわからねェ」
『それもそうですよね。入ってきなさい』
カレンの母がそう言うと、見覚えのある大男が入ってきた。
「お前ェは……。どういうことだ!」
昼間、播磨と闘った帽子をかぶった大男である。
男は帽子を脱ぐと、オールバックに眼帯という、明らかに堅気には見えない自分の
素顔を晒し播磨の前で片膝をつく。
「昼間は大変失礼いたしました。私、九条家の執事をやっております、ナカムラと
申します」
男は流暢な日本語でそう挨拶をする。
「執事? 九条家? 一体どういうことだ。なんであんなマネを」
『ごめんなさいミスターハリマ。全てはウチの夫が仕組んだことなの』
カレンの母は言った。
「は? 仕組んだ?」
「カレンお嬢様に思い人ができたということを知った旦那様が、カレンお嬢様に相応しい人物であるか、
確かめるよう命令したのです」
「それで、何であんな事態に」
「お嬢様を見捨てて逃げるような輩であれば、その場で成敗するつもりでありました。
しかし、あなたは違った」
「……」
『本当にごめんなさいケンジ・ハリマ。このお詫びは何でもいたしますから』
少し泣きそうな顔をして言うカレンの母。
「滅茶苦茶だぞ。どこの世界に、娘によってくる男をぼこぼこにする家があるんだ。暴力団かよ」
自分も、アリスに近づく男を威嚇していたことは棚に上げる播磨であった。
「本当に申し訳ございません。このお詫びは何でもいたします。私をいくら恨んでも
構いません。ですがどうか、どうかお嬢様だけは」
「その九条は、お前ェのところのお嬢様は“このこと”を知ってたのか?」
「いえ、内密にことを進めておりましたので」
「ったくよ。まあ気持ちはわかるぜ」
「と、申しますと?」
「俺も男親だったら、可愛い一人娘に男が近づくことは嫌だろう。ましてや俺みたいな
不良だとよ」
「それは……」
「だけどな、一つ言っておくが」
「はあ」
「俺と九条はただの知り合いってだけで、別に付き合ってるとかそんなことはねェんだぞ」
「はい?」
「What?」
「だからよ。せいぜい友達(ダチ)ってところだ。お前ェらが心配するようなことはねェ」
「いや、でも播磨様」
「様とかやめろバカ」
「ですが、お嬢様は播磨様のことを」
「トモダチって言ってただろ。まあ、そんなところだ。特別でもなんでもねェ」
「だとすると」
「お前ェらの早とちりってところだ」
『まあ』
「そんな……」
「よっこいしょっと。さて、じゃあ俺はそろそろ帰るわ」
『まだ動かれてはまずいですよ』
「身体が丈夫なことだけが取り柄なんでね」
そう言うと播磨はベッドから降りて立ち上がる。
「痛てえ。オッサン強ェな」
「まあ、執事の嗜みですので」
(執事のたしなみってなんだよ)
『今夜は泊まって行かれては』
不意にカレンの母がそんな提案をする。
「奥さま!」
今度は執事がビビっていた。
「同居人が心配するんでな、帰らせてもらう。お詫びがあるんだったら、治療費くらいは貰うぜ」
『でしたら、ナカムラ』
『かしこまりました、奥様』
そう言うと、ナカムラはアタッシュケースを取り出す。
「現金で二千万ございます。どうぞお受け取りを」
「ブー!!」
思わず吹き出す播磨。
「足りませんでしたか」
「多すぎるわボケ! 何やらかしとんじゃ!」
「ですが、治療費だけでなく慰謝料や迷惑料などを込みで」
「こんなにいらねェっつうの。せいぜい数万ありゃ足りる」
「播磨様」
「様はやめろバカ」
『ですけど、私どもの気持ちが』
カレンの母も言った。
「何でもかんでも金で解決できるもんでもねェだろ。そんなにも受け取れねェ」
「ですが……」
「それはそうと、九条はどうした」
「お嬢様のことですか?」
ナカムラが答える。
「そうだが」
「お嬢様は居間におられます。お会いになられますか」
「ああ、そうだな。挨拶くらいして行くか」
そう言って、部屋から出て、ナカムラに案内されるまま居間に向かう。
(というかこの家広すぎだろ。マンションってレベルじゃねェぞ)
そう思いながら歩いていると、今に見覚えのある金髪が座っていた。
「ハリマ!?」
人の気配に気づいたカレンが、播磨の姿を見ると、素早く立ち上がった。
「よう、九条」
「ハリマ! 無事だったデスか!!」
「ぬわっ!」
まるでダイビングヘッドのように勢いよく飛びつくカレン。
そしてそれを受け止める播磨。
「あんなにボロボロになって、心配したデス」
よく見るとカレンの瞳が充血している。
「心配すんな。身体だけは丈夫なんだ」
「あの、お嬢様。あまり抱き着かれると播磨様にご迷惑が」
オロオロしながらナカムラが言う。
今のこの男がとてもあの時の戦闘マシーンのようには見えない。
「ベーっ、だ。ナカムラとはもう口きいてあげないデス」
「お嬢さま~、仕方が無かったんですよ~。もう少し手加減はするつもりだったんですが~」
ナカムラは情けない声を出す。
『カレン、あまりナカムラを困らせないで。元々はパパが悪いのだから』
『だからって、アレは酷いわ。やり過ぎよ! 私、どれだけ心配したことか』
カレンは英語で怒っている。
相当興奮しているのだろう。
「あのよ、九条。そろそろ腕をはなしてくれねェか。帰らなきゃいけねェんだ」
「ダメデスハリマ。ハリマは今日、ウチに泊まるデス」
「そりゃ不味いだろ」
「カレンが一晩中看病するネ」
「いや、病気じゃねェし」
「脳に障害とか残ってたらどうするつもりデスか」
「その時は病院行くから」
「今日は一緒に寝るデス!」
『あらあら』
「お嬢様! それだけは! それだけはご勘弁を!!!」
ナカムラは半分涙目で訴えた。
なんとかカレンを宥めて、播磨が家路についたのはかなり遅くなってのことであった。
同居人に怒られたことは言うまでもない。
つづく
夏、それは心躍るイベントが目白押しの季節。
「なんでこうなったんだろうな」
播磨はその日、8人乗りワゴンの2番目の席に座っていた。
「Never mind(気にしちゃダメデス)」
そして隣にはなぜかカレンが座っている。
運転席では九条家の執事ナカムラ、助手席にはメイドの格好をしたマサル
(どう見てもオッサンにしか見えない)が座っていた。
(なぜあのメイドを見て誰も気にしないのか。名前がマサルとか言ってるし、明らかに
男じゃねェか)
播磨の懸念をよそに、ワゴン車は進む。
この日は、カレンの家の車で、アリス、忍、綾、そして陽子などの友人を連れて海にでかけていた。
そしてその中で、播磨も呼ばれたわけだ。
ナカムラの話では、以前迷惑をかけたから、ということらしい。
慰謝料を含めた治療費も貰っているわけだし、播磨にとっては特に気にする必要もないのだが、
アリスが行くとなれば話は別だ。
行かないわけにはいくまい。
「随分と楽しそうだな」
隣に座るカレンに、播磨は言った。
「I was looking forward, today(今日という日を楽しみにしていたデス)」
満面の笑顔でカレンは答える。
「それはいいが、なんで俺はこの席なんだ?」
播磨は三列シートの真ん中の、窓際に座っている。
参考までに、行きの車ではこのような座り順となった。
(後部)( 忍 )(アリス)(陽 子)
(中部)(播 磨)(カレン)( 綾 )
(前方)(ナカムラ) (マサル)
「うう、陽子の隣りに座りたかったのに……」
俯いた状態で綾はつぶやく。
「え? 何? 綾、どうしたの?」
後ろに座っていた陽子が聞いた。
「べ、別に何でもないんだから」
綾は顔を赤らめながら吐き捨てる。
「俺が助手席でよかったんじゃねェのか」
播磨も言った。
「カレンの隣りは嫌デスか?」
「いや、そういうわけじゃねェけどよ」
(本当はアリスちゃんの隣りがいいなんて言えねェ)
それぞれの思いが交錯する中、車は海へと向かう。
もざいくランブル!
第7話 海 voyage
海、それは心躍る場所、なのか。
「オッサン、熱くねェのか」
「いえ。この格好は執事の嗜みですので」
執事のナカムラは暑苦しい執事服のままだ。ちなみにマサルの姿は消えていた。
「アロ――――――ハ~~~~~~~~」
遠くでは忍が海に向かって何かを叫んでいた。
登山か何かと間違えているのだろうか。
「ところで播磨殿。貴殿は着替えないのでしょうか」
「あン? 着替えはもう済ませてある。水着は下に着てんだ」
「チッ、しまったな」
「おい、なんで今舌打ちをした」
「いえ、別に何もしておりません」
ナカムラは軽く咳払いをした後、遠くを見る。
「お、お嬢様方が戻ってまいりましたぞ」
全力で話を逸らされているような気もしたが、其れ以上は追及しないようにした。
「おーい、ハリマくーん」
「!!」
播磨の名前を呼ぶその声を聞き間違うはずもない。
アリス・カータレットその人だ。
(あ、アリスちゃん)
播磨が顔を上げると、そこにはヒラヒラのついた水着のマサル……、
「ムッ!」
「テメー! 今までどこに隠れてやがった!」
「ムー!!」
メイドのマサルを押しのけると、そこにはアリス、綾、そして陽子の三人がいた。
もちろん水着姿だ。
綾が恥ずかしそうにしているけれど、播磨の視線はアリスに釘付けであった。
ワンピースタイプの水着。胸のあたりには可愛らしいリボンがついている。
(さすがアリスちゃんだぜ。かわいすぎる)
播磨の興奮を余所に、アリスは忍に話しかける。
「シノは水着に着替えないの?」
「昔の外国では、着古したお洋服が水着だったそうです」
「へー、そうなんだ」
「では、ちょっと行ってきます」
「へ?」
「大変だ! シノが、シノが大自然に戦いを挑もうとしている!!」
波打ち際まで走る忍。
だが、波に足を取られて転倒してしまった。
「うわああん!」
(何がしてェんだこの女は)
着衣水泳をあきらめた忍は、その後普通の水着に着替えることにした。
「それにしても熱いなあ」
「播磨くーん」
次に声をかけてきたのは意外にも陽子である。
「どうした。オイル塗ってあげようか」
「は? いや、別にいい。上にTシャツ着てりゃあ、多少は違うしよ」
「遠慮しないでえ。浅黒い男の子とかモテるかもしれないよ」
「かもしれないって、なんだよ」
オイルの瓶を片手に笑っている陽子は、正直不気味であった。
「ちょっとでいいからさ、その上のシャツ脱いで見せて」
「なんか手がいやらしいぞお前ェ」
「ほらほらあ」
「おい、やめろ!」
「陽子! 正気に戻って」
「あごっ」
後ろから見慣れたツインテールが、シャチの浮き輪みたいなので陽子の頭を叩く。
「まったく、目を離すとすぐこれなんだから」
綾はそう言って、ため息をつく。
「はっ、私は一体何を!」
「ようやく落ち着いたみたいね」
「どうしたの? 綾」
(何やってんだこの二人は)
わけのわからないコントを見せられた播磨は、一緒に車できたとある人物の
姿がまだ見えないことに気が付く。
「そういや、あいつ、どこへ行ったんだ?」
「ムッ!」
マサル登場。
「お前ェじゃねェよ!」
「おや、カレンお嬢様のことが気になりますか?」
ニヤニヤしながらナカムラが聞いてきた。
「別に気になるっつうか、1人いねェとおかしいだろう」
「お嬢様なら、播磨殿のすぐ後ろにおられますよ」
「うおっ!」
いつの間にか、カレンも播磨たちのところへきていたようだ。
「なんだ、来ているなら来ているって言えよまったく」
「べ、別に最初からいまシタ」
なんだか様子がおかしい。
「水着に着替えたんだろ?」
「ソウデスケド?」
「はあ」
カレンは水着の上に白いパーカーを着こんでいた。
それだけならよくあることだが、裾の部分を抑えてモジモジしている。
「あまり見ないで欲しいデス」
「何恥ずかしがってんだ? 試着の時にあんなに見せてたくせによ」
「バカ!」
「なんなんだよ」
「乙女心と秋の空ということです、播磨殿」
耳元でナカムラが囁く。
「今は夏だぞ」
*
「私、泳ぐのが苦手なんだ~」
忍との会話の中で、アリスは何度かそう言っていたことを播磨は聞き逃していなかった。
(よし、ここはアリスちゃんに泳ぎを教えて、好感度アップといこうじゃねェか)
そう考えた播磨は、マンツーマンで泳ぎの練習をすることを提案してみた。
「播磨くんにしてはまともな提案をするのね」
と、陽子は関心する。
「わ、私は別に泳げなくても」
綾は遠慮がちだ。
「なによ綾。せっかく海に来たのに泳がないのはもったいないよ」
「私は陽子みたいにアウトドア派じゃないし」
「アヤヤ、これをきっかけに泳げるようになるデス!」
いつの間にか元気になったカレンが言った。
「いや、別に私は泳げるし。普通に泳げるんだけど」
綾は恥ずかしそうに反論した。
「じゃあさ、私が泳ぎを教えてあげるわ。それでいいでしょう?」
そう言って陽子は自分の胸をたたく。胸のあたりが揺れた。
「べ、別にいいから」
「いいからいいから~、ヨーコを信じて~」
「もう、カレンまで」
そんな彼女たちの会話を聞いていたアリスは言った。
「シノ。私も泳ぎが苦手だから、教えてくれたら嬉しいな」
「はい。テストでは英語を教えてもらったお礼に、今度は私が泳ぎをお教えしましょう」
忍は嬉しそうに言った。
(あれ? 俺がアリスちゃんに泳ぎを教えるはずだったのに……)
当初の思惑と異なる展開になってしまったことに戸惑う播磨。
「デース」
そして彼の目の前には、カレンが立っていた。
「何やってんだお前ェ」
「そういえばカレンも、泳ぎを教えて欲しいデス」
「ウソつけ、お前ェ泳げるだろう」
「そんな、私はカナヅチですよカナヅチ」
「お前ェ運動神経はいいじゃねェか」
「もー、みんながみんな泳ぎのレッスンしているのに、こっちはつまらないじゃない
デスか」
「スイカ割りでもすりゃいいだろ」
「それは後でやりマス」
「ったくよ」
「私も、手を繋いでバシャバシャってやるヤツやって欲しいデス」
「浮き輪膨らましてやるから、それで我慢しろ」
「手取り足取りやるヤツがしたいんデース」
「わがままだな。意味ねェだろうがよ」
「ハリマと一緒にいることに意味があんじゃないデスか」
「……何バカなこと言ってやがる」
「バカじゃいデス」
正直なところ、カレンの言葉に少しドキリとしたことに播磨は認めざるを得なかった。
「きゃあああー!」
不意に聞こえたアリスの声。
「なんだ!」
播磨は声のした方向に急いで走り出す。
すぐに駆けつけると、波打ち際で泣きじゃくる忍と動揺するアリスの姿があった。
「おい、何があった!」
忍に駆け寄る播磨。すると、
「私も実は泳げなかったんです……」
と、忍は言った。
「何やってんだ」
「ちょっと見栄を張ってみたくて」
「ったく。心配させてんじゃねェぞ」
見栄をはりたい、という気持ちは播磨にも理解できたので、忍を責める気にはなれなかった。
*
「ということで、お願いします」
「待て待て」
「はい?」
「なんで俺が大宮を教えることになったんだ」
播磨の目の前には水着姿の大宮忍がいた。
「すみません。アリスも泳げませんので、教えていただけるのが播磨くんしかいないんです」
「なんだよそれは」
(アリスちゃんに教えたかったのに……)
播磨は心のなかでそう思ったが、当然のごとく口には出さなかった。
「と、とにかくよろしくお願いします。アリスのためにも、泳げるようになりたいんです!」
「……わーったよ。とりあえずどんぐらい泳げるか見てやる」
「や、やった。ありがとうございます」
というわけで、播磨は忍を連れて海に行くことになった。
「あ、あの……」
「あン?」
「私……、(海で泳ぐのは)初めてなんで、優しく(指導)してください」
「お前ェ、わざと言ってんのか! 誤解されるようなこと言うな」
「すすす、すみません」
「はあ……。とりあえず、お前ェはどれくらい泳げるんだ?」
「それがもうさっぱりで」
エヘヘ、と言って忍は笑う。
「小学校でプールの授業とかあるだろうが」
「全然身体が浮かばなくて事故になりかけたことがありまして、それ以来プールにも
入ってません」
「マジかよ。とりあえず、ちょっとそこいらで浮いてみろ」
「浮く?」
「そうだ。海はな、塩水だからプールの水よりは浮力が高いんだ」
「フリョク?」
「水に浮く力だ。船が浮かんだりするだろう」
「サ○エさんにそんなシーンがありましたっけ」
「そっちのフネじゃねェよ。とにかく、筏みたいに水に浮いてみろ」
「ど、どうやって」
「こうやってだな、風呂に入っているみたいな感覚で」
「お風呂で水着は着ませんよ」
「お前ェおちょくってんのか!」
「ごめんなさい」
「まあいい。とにかく、こう膝を曲げて水に浸かってみろ」
「こうですか」
「ああ、それで、海底からゆっくり足を離して」
「……ん」
「こう、浮かぶだろ?」
「ゴボゴボゴボ」
「うわ! 何やってんだ!」
「ぶはあ! ウガビバゼン、全然うがびばぜん」
「何言ってんのかわかんねェよ。あと鼻水出てるぞカッコ悪い」
「ひい。全然身体が浮かないじゃないですかー、播磨くんの嘘吐き」
「ウソじゃねえよ。つうか、お前ェちょっと力入れ過ぎなんだよ」
「力、入れ過ぎですか?」
「ああ、あんまり力んでっと、浮かぶものも浮かばねェ」
「はあ」
「もっとこう、リラックスしてだな」
「で、でも怖いですよ。足に何か当たったりしても」
「まずは恐怖心をどうにかしなけりゃな」
ちなみに現在、播磨と忍がいる場所は、だいたい腰くらいの深さの海域である。
「とりあえずアレだ。俺が手を握っておいてやる」
「ふぇっ?」
「だから、沈まねェように手を持ってやるって言ってんだ。だからそれで浮かんでみろ」
「わ、わかりました」
そう言うと、忍は播磨の両手を握る。
かなり力が強い。
「そんなに強く握ったら力んじまうだろうが」
「だってだって」
「大丈夫だ。とにかく、大きく息を吸ってみろ」
「は~、ゴホッ、ゴホッ」
「やり過ぎやり過ぎ。つうか、どんだけ不器用なんだお前ェ」
「ズビバゼン」
「鼻水なんとかしろ」
「ふい」
「まあいい。続けるぞ。こうして両手を持ったまま、うつ伏せになる感じで水に浸かるんだ」
「犬かきみたいですね」
「喋ってるとまた口の中に海水が」
「ボホッ」
「ほら言わんこっちゃない」
「播磨くんは意地悪ですよおお」
「意地悪じゃネェ」
とりあえず、呼吸を整えた忍は再び海に挑戦する。
「こうして、手を取って。力を抜け」
「うう……」
「大丈夫だから」
「放さないでくださいよ」
「放さねえよ。ほらっ」
「おっ」
「お、いいぞ。そのまま足をばたつかせてみろ」
「……」
播磨に言われた通り足をばたつかせた忍。ぎこちないバタ足であったけれど、
ゆっくりと体が浮かぶ。
「ほれ、浮かぶじゃねェか」
「ぶはあ。今、身体が浮きましたよね」
「そうだな」
「凄い! どんな魔法ですか」
「魔法じゃねェよ。人間の身体はそうなるようにできてんだ。俺も詳しくは知らんが」
「もう一度いいですか?」
「いいけどよ、もっとバタ足を練習したほうがいいな」
「もう一回お願いします。はいっ」
そう言うと忍は自分の両手を差し出す。
最初は恐る恐るだったものが、慣れると段々と積極的になってきた。
「まあ、こんなモンだろ。ビート板でもありゃ、もっとちゃんとした練習ができるんだがな」
「凄いですよ播磨くん! 英語だけじゃなくて水泳の才能もあったんですね!」
「別に才能じゃねェ。こんなの普通だろうが。お前ェが出来なさすぎるだけだ」
「はうう……」
「とにかく、もう一通りやったら……」
そこまで言いかけたところで、播磨たちのいる場所に大きな波が襲い掛かってきた。
「きゃあ!」
「大宮!」
二人に大量の海水がかかる。しかし、幸いにも海水に浸かっただけで、波にさらわれる
ということはなかった。
「大丈夫か」
「え? はい」
いつの間にか、忍は播磨の身体にしがみついていたのだ。
「きゃっ、ごめんなさい。怖かったからつい」
「いや、別にいいけどよ」
播磨から忍が離れたその時、
「HEY!」
「ごわっ!」
播磨の背中に衝撃が走る。
そのまま、播磨はうつ伏せの状態で海面に倒れ込んでしまった。
「播磨くん!」
「ぶはあ! 何があった!」
立ち上がって後ろを振り返ると、
「Hellow ハリマ、シノ」
何やら変な板に乗ったカレンがいた。
「何やってんだ九条!」
「ボディーボードデス。なんだか面白そうだったので、マサルに用意してもらいました」
「こんな所でやってんじゃねェ!」
※ 海水浴場でのボディーボード、サーフィン等は危険なので、絶対にやってはいけません。
*
「というわけで、私にも泳ぎを教えてほしいデス」
「お前ェは普通に泳げるだろうが」
「カレンも手取り足取り教えて欲しいデース!」
「わがまま言うな!」
「だったらアレですか? シノには丁寧に教えてましたケド、あれは特別な感情があったからとか」
「ん……、そんなわけあるか! アレはあいつが不器用すぎるからだ」
「だったら私にもシノと同じように教えてください」
「基礎は大事デス。SLAM DUNK にも書いてありました」
「これまた懐かしい漫画を出してくるな。つうか、俺も好きだったけどよ」
「ハイ、漫画は大好きデス」
「とりあえず、どっから教えたらいいんだ?」
「そうですねえ。『私……、(海で泳ぐのは)初めてなんで、優しく(指導)してください』というところからお願いしマス」
「お前ェどこで聞いていやがった! つうかモノマネ上手ェな」
*
「I want to split up a watermelon!(スイカ割りするデース!)」
海と言えば恒例のスイカ割りである。
カレンは高々にスイカ割り大会の開会を宣言したようだ。
「つうか、スイカなんてどこにあんだよ」
播磨は聞いてみる。
「ここに二つあるデース」
そう言うとカレンは陽子の胸を指さす。
「エロオヤジか貴様!」
そう言って、陽子は自分の胸を腕で隠した。
「スイカはここに用意してございますお嬢様」
「ん!」
いつの間にかナカムラとマサルが、大きなスイカと木の棒を用意していた。
ボディーボードといい、ビーチパラソルといい、こいつらはどこから道具を出しているのだろうかと不思議に思う播磨。
あの車にはあんなにも荷物は乗らないはずだが。
「私スイカ割りってはじめてー」
アリスはそう言って笑う。
(ああ、アリスちゃんカワイイ)
アリスの笑顔に癒される播磨。
そんな播磨を、カレンが呼んだ。
「ハリマ! こっちに埋められて欲しいデス」
「なんで俺が埋められなきゃならんのだ」
「スイカ割りと言ったら、スイカの近くに人が埋められていて、スリルを楽しむのが
日本の伝統デス」
「そんな伝統はない!」
「お嬢様、穴を掘り終わりました!」
円ピ(シャベル)を持った中村が報告する。
「掘るなあ!」
「いやあ、播磨くんがいるとツッコミをやらなくていいから助かるわあ」
そう言って陽子は播磨の肩に手を置く。
「俺だって好きでツッコンでるわけじゃねェ」
「まずはシノからやるデス!」
「おい待て九条! 一番やらしちゃダメな奴だろ、そいつは」
「シノ! 頑張れ!」
「カータレットも煽るな!」
忍がスイカではなく海に向かって突き進んで行ったことは言うまでもない。
*
「だあ、なんかどっと疲れたぞ」
そう言って、ナカムラが用意したパラソルの下に腰を下ろす播磨。
「お疲れ」
「ん?」
不意に横から差し出されるジュースが一つ。
横を向くと、見慣れたツインテール少女の綾が体育座りの状態でジュースを差し出していた。
「お、おう。サンキューな」
とりあえずジュースの缶を受け取る播磨。
手渡されたジュースは水滴がついており、程よく冷えている。
「お前ェ、遊ばねえのか」
「さっき泳ぎの練習したから疲れちゃった」
「相方は九条たちと遊んでっぞ」
「相方言うな。まあ陽子は身体を動かすのが好きだからね」
「お前ェは苦手なのか?」
「別にそんなんじゃないけど」
「ん?」
「あんまり外に出るのが好きじゃないだけ」
「ふうん。猪熊のほうはそうでもねェみたいだけど」
「陽子は、そうだね。昔から外で遊ぶのが好きだった」
「でも仲いいよな、お前ェら」
「まあね。一応、付き合いも古いし、親友だと思ってる」
「そうか。でもよ、タイプが違うのに仲がいいって珍しいよな」
「そう?」
「普通はよ、なんつうか、類は友を呼ぶみたいな感じでよ、似たような連中がつるんだりするもんじゃねェか」
「ああ、確かにそれはあるかも」
「お前ェらはそうでもねェな」
「まあそうかもしれないわ。でも、アレよ」
「あれ?」
「全く違うタイプだったからこそ、今日まで上手く付き合ってこれたってこともあるんじゃないかしら」
「ふん?」
「お互いに誤解しあったこともあるけどさ、それでも私は陽子と友達でいたいなって思うってるの」
「……」
「磁石のS極とN極ってあるじゃない? あれって、同じ極同士だと反発しちゃうけど、
違う極同士だとガッチリと繋がりあう。そういう関係が理想なのよ。私にとっては」
「そういうもんか」
「そうよ」
「……」
「ねえ、播磨くん」
「あン?」
「あなた陽子のこと、どう思う?」
「は? 何言ってんだお前ェ」
「いやだからさ、その、異性として見てるかっていうか、その……」
「恋愛対象かってことか?」
「ま、まあそうだけど」
「別に見てねェよ。いい奴だとは思うけどな」
「そうなの?」
「ああ」
「陽子って魅力ない?」
「なんだいきなり」
「だってほら、胸だって大きいし、ちょっと大ざっぱなところあるけど、
女の私から見てもこう、魅力的っていうか」
「ああ、確かにいい女だとは思うぜ」
「やっぱり」
「でもよ、俺の好みじゃねェっつうか、そういう感情はねェよ。そこまで見境の無いわけじゃねェからな」
「……そっか」
「なんなんだよ一体」
「男は狼ばっかりだと思ったけど、播磨くんは違うのね」
「はあ?」
「ううん、ゴメン。こっちの話」
「なんか失礼なことを言われた気もするが」
「それじゃ、やっぱりさ――」
「なんだ」
そう言うと、播磨は渡されたジュースを口に含む。
「播磨くんはカレンのことが好きなんだ」
「ブーッ!!」
「ちょっと、どうしたのよ」
「ゴホッ、ゴホッ、いきなり何を言い出すんだテメー」
「いや、だって。今日だって凄く仲良かったし」
「たまたまだ。つうか、アイツは、九条は誰とでも仲良くなってんだろう」
「そうかなあ。カレンは播磨くんに対しては特別っていうか、あなたも好きなんでしょう?」
「いや、違うつってんだろ。九条は違うんだよ。猪熊も違うけ――」
「そぉい!!」
「ぶふぁ!!」
いきなりビーチボールが飛んできて、播磨の顔に激突した。
「きゃあ! 播磨くん!」
「痛ェ、何しやがんだテメエ!」
「ソーリーハリマ」
どうやらカレンの打ったビーチボールのようだ。
しかしカレン自身は口では謝っているものの、特に悪びれる様子もなく、腰に手を当てて立っていた。
「ハリマ、アヤヤ。ビーチバレーするデス」
「私は遠慮しとくよ」
綾は即答する。
「俺も」
播磨も同調したその時、
「そぉい!!」
今度は播磨たちの目の前でボールが跳ねる。
「だから危ねェっつってんだろうが!」
「ほっといたら、またハリマは誰かとイチャイチャするデス」
「してねェよ。つうか、なんだイチャイチャって」
「シノとしたような……」
「おいバカやめろ」
「播磨くん、本命はしのだったの?」
隣にいた綾が口元に手を当てて後ずさる。
「違う。あれは事故だ」
「やっぱり男は狼だったのね。危ないところだったわ」
「だから違うつってんだろうが!」
「ハリマくん。シノにそんなことしたの? 最低」
(アリスちゃん!?)
「いや、違うんだカータレット」
アリスに誤解されて焦る播磨。
「つうか、こんな時に大宮はどうした」
「忍様でしたら、マサルとかき氷を買いにいきました」
いきなり現れる執事、ナカムラ。
「うおっ、びっくりした。つうか、なんでこんな時にいねェんだよ」
「近づかないで!」
「だから違うつってんだろう」
「ハリマは罪な男デース」
「つうか、お前ェのせいで誤解されてんだろうが」
「そんなことよりビーチバレーするデス」
「こんな状況でできるかあ!」
*
そんなこんなで、海の一日は終わり、播磨たちは帰路につく。
全員、海の家のシャワーで落としきれないほど潮の香りを染みこませつつ、
帰りの車のなかは気だるい空気に包まれていた。
「It was fun today ハリマ!」
「俺は疲れた……」
帰りの車の中でもカレンのテンションは高い。
結局、スイカ割りやビーチバレーなど、カレンは遊びっぱなしであった。
播磨も播磨で、アリスたちと一緒に砂のお城(姫路城)を作ってそれなりに
楽しんだけれど、カレンのハイテンションに終始圧倒されっぱなしであった。
「I am happy that I am able to spend time with everyone today(今日という日を、
みんなと一緒に過ごすことができて、私はとっても幸せ).」
「随分と大げさだな言い方だな」
「It is not exaggeration(大げさなんかじゃないよ)」
「そうかよ。確かに、友達と一緒ってのは、いいのかもしれねェな」
「Of course I'm very happy that you came(もちろんあなたが来てくれたことも、とっても嬉しい).」
「……ああ、そうか」
文化なのか性格なのか、カレンのはっきりとした物言いは、播磨にとっては照れくさいものであった。
「……ハリマ、今日はありがとうデス」
興奮が少し収まってきたのか、カレンは日本語に切り替えて改めて礼を言う。
「俺は何もしてねェよ」
「そんなことないデスよ」
「そうか?」
「私がこんなにも楽しい気持ちになれたのは……」
「……ン?」
そこまで言いかけて、カレンの言葉が止まる。
「どうした」
横を見ると、カレンは播磨の肩にもたれかかって寝息を立てていた。
(いきなり寝やがった。まるで赤ん坊みたいだな)
そう思って周りを見ると、運転席のナカムラ以外は全員眠っていた。
今日カレン以外の連中もはしゃいでいたので、相当疲れたのだろう。
ビーチパラソルの下で日焼け止めを熱心に塗っていた綾ですら、
最終的にビーチバレー大会でハッスルしていたのだから。
播磨は、そんなことを思いながらアリスの姿を探す。
(アリスちゃん。寝顔も可愛いぜ)
後部座席で、忍にもたれかかって寝息を立てているアリスを見ながら播磨は思う。
「もう、よそ見しちゃダメデス」
「!?」
不意に聞こえるカレンの声にビビる播磨。
だが改めて隣りを見ると、彼女は先ほどと同じように寝息を立てていた。
(寝言か……)
播磨は改めて肩、というか二の腕辺りにもたれかかるカレンを眺める。
まるで人形のようなキレイな肌が、夏の夕日に照らされていた。
(寝てる時くらい、大人しくしてくれよ)
そうは思ったけれど、決して悪い気はしない播磨であった。
つづく
夏祭りの日。
カレンはアリスたちと一緒に、忍の家で浴衣の着付けをしてもらうことになった。
「これがユカタデスか。私感激デス!」
「カレンは何を着ても似合いますねえ」
忍にとって長い髪をアップにまとめ、藍色を基調とした浴衣に身を包んだカレンは、
とても幻想的に見えた。
「シノ、私は? 私は?」
「うん、アリスも可愛いですよ。持って帰ってしまいたいくらい」
カレンと違い、クリーム色を基調としたアリスの浴衣は、暖かい周りを暖かい
気持ちにさせるように思える。
「フッフッフ。コレで夢だったアレができマス」
「夢?」
「それでは早速ハリマを呼びましょう」
そう言うと、カレンは携帯電話を取り出して播磨にメールを送り始めた。
「夢だったって、何ですか?」
「やだなあ、そんなの決まってるじゃないデスか~」
「??」
「帯をこう引っ張って、くるくる回って『あ~れ~』ってやるヤツデス!」
そう言うと、カレンはその場をくるくると回転した。
「ダメだよカレン!」
驚いたアリスが必死に止める。
「それはまだ早すぎます!」
二人の必死の説得により、何とかその場は踏みとどまったカレン。
だが将来的には、やってみたいという希望は残していたようだ。
もざいくランブル!
第8話 花 火 moment
「祭りか……」
正直、播磨は人が集まるところはあまり好きではなかった。
どちらかと言えば一人で静に過ごしたいタイプなのだが、この祭りにアリスが
来ると聞いて黙っているわけにはいかない。
矢神夏祭りは、矢神市における夏の前半の大イベントの一つだ。
当然、屋台や出店だけでなく、花火大会もある。
日本文化に興味があるアリスが食いつかないわけがない。
「おーい、ハリー」
待ち合わせ場所に立っていると、不意に声をかけてくる者が一人。
「ちょっとやめなさいよ、恥ずかしい」
「お前らか」
同じクラスの猪熊陽子と小路綾の二人組である。
「随分早いのね。もしかして楽しみだった?」
赤を基調とした浴衣に身を包んだ陽子が悪戯っぽい笑みを浮かべて顔を覗き込む。
「そうでもねェよ。たまたま今日は暇だったから早くきただけだ」
「そうなんだ。実はね、綾もさっき待ち合わせ場所に30分も早く着てたのよ」
「ちょっとやめてよ! そういうこと言うの。まるで私が楽しみでいてもたってもいられない人みたいじゃない」
「実際その通りじゃん」
綾は怒っていたけれど、その実楽しそうに見えた。
もちろん陽子も同様だ。
「しのたちはまだ来てないの」
「そうだな。さっき九条からメールが来たから、もうすぐ来るんじゃねェか」
「ところでさ、ハリー」
「どうでもいいが、さっきからハリーって何だよ」
「いいじゃん。ハリマだからハリー。可愛いでしょう?」
「可愛いって何だ」
「それよりさ、ハリー。綾の浴衣どう思う?」
「あ?」
「ちょっと、やめてよ」
播磨と陽子の二人に見られて恥ずかしそうに身体をよじる綾。
「意外と似合ってんな」
「意外とは余計よ」
「髪型はともかく、体型は日本の着物に合ってんじゃねェか」
「それって私が寸胴ってこと!? ああ?」
「いや、別にそこまでは言ってねェだろうが」
「本当、男って不潔。女のことをそういういやらしい目でしか見ていないんだから!」
「なんでそうなんだよ」
「そうだよ綾。そんな偏見はよくないからね」
陽子は言った。
「ところで猪熊よ」
「何?」
「何でさっきから俺の腕を触ってんだ」
「いやあ、そこに筋肉があるから?」
陽子はニコニコしながら答えた。
「意味がわかんねェ。痛いから止めろ」
「いいじゃん、減るもんじゃないし。ねえハリー、力こぶ作って見せてよ」
「だからやめろって」
「ちょっと陽子! あんまり播磨くんに触らないで! 臭いとか移ったらどうするのよ」
「おいツインテール、俺を何だと思っていやがる」
「この僧帽筋がええわあ」
「キャラ変わってるぞ」
「てりゃあ!」
「ぬおっ!」
どこからともかく女物の下駄が飛んでくる。
「『父さん、やりました!』『でかしたキタロー、次は毛針じゃ!』」
「お前ェ一人で何やってんだ」
「グッドアフタヌーン、ハリマ。ゲゲゲの鬼太郎ごっこデス」
下駄を片一方だけ履いたカレンがこちらにやってきた。
「カレン、あなたも浴衣なのね」
綾が思わず声を出す。
「エヘヘ。シノのママが着付けしてくれたネ。あと、髪の毛もアップにまとめてもらったよ」
照れくさそうにカレンは笑った。
「なんだか大人っぽい」
「ペガサス昇天盛りデス」
いや、それは違うだろ。
「せっかく着付けしてもらったんだから、もっと大人しくしろや。リモコン下駄とか
懐かし過ぎんだろうがよ」
そう言って、播磨は受け取った下駄をカレンに返す。
浴衣は激しく身体を動かす時に着る着物ではない。
「いやあ、下駄を履いたら一度はやってみたかったんデスよね。鬼太郎ごっこと
明日の天気占い」
「占いのほうがやったのか」
「ハイ、明日もいい天気デス」
「そりゃよかったな……」
「ちょっ、反応薄い。もっと興味持って!」
「そんなことより、あいつらはどうした。一緒に来たんだろう?」
播磨は背筋を伸ばして周囲を見回す。
すると、そこには光り輝く天使の存在が!
「お待たせしましたー」
明るい色の浴衣が、アリスの可愛さを引き立てている。
播磨はそう思った。
外国人ではあるけれど、体型はそれほどアレではないので浴衣もよく似合う。
「ハリマ!」
「んだようるせェな」
「カレンの浴衣の感想、まだ聞いてないデス」
「ああ、似合ってる似合ってる」
「Look properly(もっとちゃんと見て!)」
播磨の顔を強引に自分のほうに向けるカレン。
彼の視線は自然と胸のあたりに……。
(くっ、またこのパターンかよ)
播磨は体にまとわりついた蔦を外すようにカレンの手を振り払うと、彼女の頭にポンと手を乗せた。
「ああ、似合ってるぜ。見違えるくらいだ」
播磨は目を逸らしながらそう答える。
なんだか、ドキドキしたら負けなようなきがしたからだ。
「ハリマも素直じゃありまセンネ」
そんな播磨の様子を見て、カレンはなぜか満足そうに言う。
「男の子だからしょうがないよね。ウチの弟もそうだわ」
陽子が嬉しそうにそう言った。
「うっせェな」
そんなことよりもアリスちゃんだ、と思っていた播磨はアリスの姿を目で追うが、
彼の正面にはコケシが立っていた。
「播磨くん。私の浴衣、どうですか?」
(もう、何回聞くんだよその質問)
いい加減うんざりしてくる播磨。
正直、今の播磨にはアリス以外の浴衣には興味がないのだが。
「なかなか可愛いんじゃねェのか?」
播磨は適当に言った。
「ほ、本当ですか!?」
しかしその言葉に忍は予想以上に驚いているようだ。
優しい播磨は、「和服を着ているとますますコケシみたいだな」と思ったけれど、それは言わなかった。
次の瞬間、右足の先に激痛が走る。
「いった! 何しやがる」
「I’m sorry ちょっと踏んでしまったネ」
悪びれる様子もなく、カレンは言った。
「お前ェ、下駄は痛ェんだぞクソが!」
「大丈夫デス。爪の当たりは踏まないように狙ってましたから」
「やっぱりわざとじゃねェか!」
「さあ、お祭りを楽しむデス。ブーン」
そう言うと、カレンは両手を翼のよに広げてアリスたちと合流する。
「カレンも初めてのお祭りで浮かれているんですよね」
そんなカレンを見て忍は言う。
「浮かれるだけならいいが、実害が出るのは勘弁して欲しいぜ」
播磨は踏まれた右足をさすりながら、アリスたちに合流する。
*
夏祭りと言えば、色々な屋台があってそれなりに楽しめるものである。
「Perfectデス!!」
カレンは射的が上手かった。
というか、彼女の場合何をやらせても器用にできてしまうのだが。
「んがあ、できないなあ」
陽子は片抜きが苦手であった。
彼女の場合、金魚すくいなどの繊細な作業は苦手である。
「しょうがないわね、私がとってあげるわ」
そう言って綾が変わりに金魚すくいに挑戦するも、彼女の場合は慎重すぎて失敗する。
金魚すくいは慎重さだけでなく大胆さも求められるのだ。
アリスは焼きそばやトウモロコシなど、食べ物類に興味津々のようだ。
「この綿菓子はフワフワで、まるでアリスみたいだね」
嬉しそうに忍が言った。
「甘くておいしい」
祭りを満喫しているようで何より。今の播磨はそんな嬉しそうなアリスを見るだけで
満足であった。
「HEYハリマ。リンゴ飴欲しいデス」
そんな播磨に声をかけるカレン。
「んなもん自分で買えばいいだろう」
「ハリマに買って欲しいデス」
「なんでだよ」
「もう持てません」
「……」
カレンの手には、綿菓子やら射的の景品やらお面やらが色々抱えられていた。
「何やってんだお前ェ」
「普通に歩いてたら、お店の人がくれたりしたデス」
ここでもカレンは人気者だったようだ。
「それじゃあ、リンゴ飴買っても持てねェだろうが」
「すぐに食べるから平気デス」
「腹こわすぞ」
「モー!」
「わーったよ。買ってやる、ちょっと待ってろ」
自分でも押しに弱い男である自覚は多少ある播磨。
だが、カレンの場合はそれ以上に押しが強かった。
(このままでいいのか)
播磨はリンゴ飴を買いながら考える。
(全然、アリスちゃんと仲良くできねェよな)
リンゴ飴を持ってカレンのところに戻ると、カレンは言った。
「食べさせて欲しいデス」
「自分で食え」
「もう持てません」
「どっかで置いておきゃいいだろう」
「いいじゃないデスかあ」
「なんつうわがまま」
よく考えたら、彼女はお嬢様なのだからワガママなのは仕方のないことかもしれない。
「今回だけだぞ」
そう言いつつ、播磨はリンゴ飴の包みを外して、カレンの口元に近づける。
「ハグッ!」
するとカレンは勢いよくリンゴにかぶりついた。
「おいっ!」
だが、固い飴にまもられたリンゴはびくともしない。
「固いデスー」
「当たり前ェだろう、飴なんだから」
「これはリンゴ飴を甘く見ていたデス。飴(キャンディー)だけに」
「上手くねェからな」
「お嬢様、お待たせしました」
不意に現れる執事のナカムラ。
神出鬼没は執事の機能なのか。
「モー、ナカムラ。出てくるのが早いデス」
「ああ、失礼しました」
何言ってんだこの二人は。
余分な荷物などをナカムラに持たせたカレンは、リンゴ飴だけを持った状態になる。
「お嬢様、そろそろお時間かと」
「Oh,もうそんな時間デスか」
「なんだ。もう帰るのか」
「NO,違いマス。メーンイヴェントデスよ」
「ん?」
「早く行きマース」
そう言うと、カレンはリンゴ飴を持っていない方の手で播磨の手を引っ張る。
「おい、ちょっと待てよ」
播磨は引かれるままに、駆け足でカレンに着いて言った。
*
「アリス、シノ!」
「あ、カレン。どこに行ってたのよ」
カレンの視線の先には、アリスや忍たちがいた。
「Sorry リンゴ飴を食べていたら遅くなってしまったヨ」
「あれれー? ハリーとカレン、随分と仲良くなったみたいですなあ」
なぜかオッサンのような喋り方で陽子が言った。
「いや、これは! 九条が勝手に」
そう言って播磨はカレンの手を振り払う。
そう言えば、先ほどからずっと手を繋ぎっぱなしであったのだ。
「ハリマがグズグズしているから引っ張ってきたんデス」
カレンはそう言って胸を張る。
「ハリーって、やっぱ尻に敷かれるタイプなのかな」
ニヤニヤしながら陽子は言った。
「何の話だ」
「わ、私も陽子のお尻ならひかれてもいいかな……」顔を赤らめながら綾は言った。
「お前ェも何の話をしているんだ小路」
「そんなことより、fireworks(花火)デスよfireworks!」
「そういえばそうだね」
気が付くと、周囲には同じように花火を見物しようとしている祭り客たちがいた。
「はじまるよ、花火」
誰かがそう言うと、夏の夜空に大きな大輪の花が咲き始める。
「ボールショオオオップ!」
そんな花火を見ながら忍は叫んだ。
「何言ってんだお前ェ」
「播磨くんも言います? キーショップって」
おそらく、玉屋と鍵屋のことだろう。
修正するのも面倒なので、播磨は放置しておくことにした。
「ハリマ」
不意にカレンが播磨の名を呼ぶ。
「何だ?」
「キレイデスね」
「イギリスにも花火くらいあるだろう」
「ロンドンでも花火は見たことあるヨ。でも今日の花火は特別デス……」
「特別か」
「Because there is you together……」
「……俺が、一緒」
思わず胸元で腕を組む播磨。
そんな彼に、カレンはそって身体を寄せた。
浴衣越しに、彼女の二の腕の温もりが伝わってくる。
それは単純な体温だけでなく、彼女の中にある感情を伝えるには十分過ぎる行為であった。
つづく
夏祭りから数日後、カレンとアリスは実家のあるロンドンへ里帰りして行った。
そして播磨は日本で残された夏を過ごす。
九条カレンのいない夏は、とても静かに感じた。
「……」
眠れない夜。彼は特に興味もない深夜アニメを見ながら物思いにふけっていた。
「コダカ、ワタシハオマエノコトガ」
「エ? ナンダッテ?」
「イチカ、ワタシトツキアッテクレ!」
「カイモノクライナラツキアウゼ」
「カミジョウサン、アナタノコトガ」
「ソノゲンソウヲブチコロス!」
「イチジョウクン」
「ゴメン、ネテタ」
(なんでコイツら、ここまで鈍くなれるんだ。残酷すぎんだろ)
アニメを見ながら播磨は思う。
だが一方で、今はこの連中の鈍さが羨ましく思える自分もいた。
九条カレン。
間違って告白してしまった相手。
今、彼女は自分のことをどう思っているのか。
そのことがわからないほど、播磨もバカではなかった。
もざいくランブル!
第9話 現 実 grief
空港。
出会いと別れが交錯する場所。
この日、播磨はナカムラに頼んで空港でカレンを出迎えさせてもらうことにしていた。
「ハリマー!!」
「ぬわあっ!」
予想通りというか予想外というか、空港で久々に再開したカレンは人間技とは
思えないほどの跳躍力を見せて播磨に飛びつく。
播磨でなければのけぞって倒れてしまいそうなほどの勢いであった。
「しばらく見ない間に大きくなったデスねえ」
「たった二週間だろうが! そんなに変わらねえ。つうか離れろ」
「ワオ、照れてるんデスか?」
「カレーン、ちょっと待ってよおー」
遠くからカレンを呼ぶ声が聞こえる。
カレンと一緒にイギリスに里帰りしていたアリス・カータレットだ。
「アリスー」
「ひゃあ! シノ!」
今度は一緒にきていた忍のほうからアリスに抱き着いていた。
どうやらカレンが抱き着いたところをアリスには見られていないようだ。
そこだけは安心する播磨。
「なあ、九条」
「ん? What happened ハリマ?」
「戻ってきたばかりで悪いんだけどな――」
*
数日後、播磨はとある海浜公園をカレンと一緒に訪れた。
「ハリマのほうから誘ってくれるなんて、私感激デース」
「……」
「どうしたのデスか? 元気がないデスね」
「いや、その」
「あ、あれはミカサですね!」
「ん?」
カレンは公園の一角に保管されている昔の軍艦を発見して駆け寄る。
「私と同じ英国で生まれた戦艦デース」
「そうなのか」
「ハリマは日本人なのに知らないデスか? 日露戦争で活躍した艦よ?」
「……ああ」
「どうしマシた。前から様子がおかしいと思いましたが」
「わかるか」
「私を誰だと思っているデス」
「……ちょっと、向こう行こうぜ」
そう言うと、播磨は展示館から少し離れた場所にある噴水の前のベンチに座った。
「九条、お前ェに大事な話がある」
「ふん? なんデスか?」
「お前ェ、俺と初めて会った時のこと、覚えているか」
「……忘れるわけ、ないじゃないデスか。あれは、とても衝撃的でした」
「ずっと言おうと思ってたんだがよ、あの時のこと。あれから全然話していなかったから」
「最初は私もびっくりしたデス。見ず知らずの人からあんなことを言われたんデスからね。
でも、今は違います」
「九条」
「あれから数か月、ハリマと話をして、ハリマのことをたくさん見てきました。
それで、カレンは思ったデス。私も、ハリマのことが――」
「九条、聞いてくれ!」
「へ?」
「あれはな、間違いなんだ」
「……間違い?」
カレンは首をかしげる。
言いたくはない、だが言わなければならない!
「いいか、俺はお前ェに告白してしまった。今更その事実を否定する気はねェ。だけどよ、
これだけは言わなければならねェ」
「……はい」
「あの告白は、“間違い”だったんだ」
「ハリマ?」
「人違いだったんだよ。こうして、二人きりでゆっくり話をする機会がなかったから、
ちゃんと説明できなかったけどなあ」
「ハリマ、なんでそんな冗談を」
「冗談なんかじゃねェ!」
「ハリマ!」
「すまねェ、九条。俺には、他に好きに奴がいるんだ。それは、お前ェじゃく……」
「ずっと騙していたんデスか」
「そういうつもりじゃ」
「なんで、今更……」
「悪いと思ってる。だけど――」
「……うう」
「九条」
「バカ!!! I hate to be you! Not even want to talk to!」
「九条!」
カレンは怒り出し、そしてその場から駆け出して行った。
「くそ……」
言うんじゃなかった。そんな後悔が頭を過る。
だが、其れ以上にカレンの笑顔を見た播磨の、良心が抉られていた。
*
その日の夕方、忍とアリスは夏休みの宿題をやりながらカレンのことを話していた。
「カレン、凄く楽しみにしていましたねえ」
「ハリマくんと初めて二人で出かけるって言ってたけど、大丈夫かな」
「大丈夫でしょう。播磨くんだし」
「カレンったら、結構はっきりとモノを言うタイプだし、ケンカとかになっていなければいいけど」
「ならないと思うよ、播磨くんは優しいですから」
「シノ、その計算間違ってる」
「え? 本当ですか?」
そんな話をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「ア○ゾンから何か荷物が届いたのでしょうか」
忍は独り言を言いながら立ち上がる。
「実家から荷物が届いたのかも」そう言ってアリスも立ち上がる。
この日、大宮家では姉も母親も帰りが遅くなるという話なので、今の所家には
忍とアリスしかいない。
「はーい」
忍の家には、インターフォンにカメラがついているのだが、そのカメラの映像をモニター
で見ると、見覚えのある金髪の少女が見えた。
俯いていたけれど、後頭部の当たりのお団子を見れば誰だかすぐにわかる。
「カレン?」
そう言うと、忍は素早く玄関のドアを開ける。
すると、やはり九条カレンが立っていた。
夕闇に照らされたカレンの表情がよく見えない。
「カレン? どうしました?」
忍が恐る恐る聞く。
いつもと様子が違う。
「シノー? カレンが来たの?」
少し遅れて、家の中からアリスが出てきた。
すると、不意にカレンが忍に抱き着く。
「カレン、一体何を」
「う、うわあああああああああああ!!!!!」
今まで聞いたことの無いような、悲痛な声でカレンが泣き出してしまったのだ。
「どどど、どうしましょう」
予想外の展開に焦る忍。
「と、とにかく家にあげよう。落ち着かせないと」
オロオロしつつも、アリスは適切な提案をする。
その後、泣き叫ぶアリスを抱えた二人は、彼女を自分たちの部屋に案内するのだった。
*
翌日、市内某所にある喫茶店。
「随分と情報が早いじゃねェか」
四人掛けの席に、陽子と綾、そしてその向かい側に播磨が座っている。
「カレンが大泣きしてしのの家に駆け込んだって言うじゃない。聞くところによると播磨くん、
あなたと一緒に出掛けた後にああなってしまったみたいね」
「……」
まるで刑事のように強い口調で喋る綾。
隣の陽子は黙っており、向かい側に座る播磨も座っている。
「あなた、カレンに何をしたの」
「何もしてねェよ。それは言える」
「だったら、何か言ったの? 傷つけるようなことを」
「……許さないわよ。当然じゃない。カレンは親友なんだから」
「……」
「播磨くんに限って、無闇に傷つけるようなことはしないと思ってたけど、
あのカレンが理由も言わずに泣きじゃくるなんて異常でしょう? 聞かせて欲しいわ」
「……」
「黙秘? それとも、プライベートのことだから、喋りたくないとか」
「そんなんじゃねェよ」
「じゃあどうして」
「本当のことを告げたんだ」
「本当のこと?」
「あいつが、九条が勘違いしていたことだ」
「それって、何?」
「九条が初めて学校にきた時、あいつは言っただろう。俺が出会ってすぐに告白したって」
「そういえば、そうね。あれは衝撃的な発言だったわ」
「うんうん。まさかハリーがそんなキャラだったとは思わなかったね」
いつの間にか頼んでいたパフェを頬張りながら陽子は言った。
「ごめん陽子。しばらく静にしていて」
やや不機嫌そうに綾は言う。
「はい」
「話を戻すわね。それで、あの告白が何だっていうの?」
「あれが間違いだってことだ。お前ェらには言っただろう」
「告白が、間違い」
「あれは、九条(あいつ)に対してやった告白じゃねェ。ほかの女にする予定だった。
だがあいつは、自分への告白だと勘違いした。全ての発端がそこにある」
「え、じゃあ前に言ってたことって、やっぱり本当だったんだ」
「おい、俺が嘘ついてたと思ったのかよ」
「ごめん。振られたショックで記憶が混濁しているのかと」
「んなわけあるか!」
「なんで、今になってそんなことを……」
「もしも、だ」
「もしも?」
「ああ、今までの関係がずっと変わらねェなら、その、特にアレを言う必要はなかったかもしれねェ」
「……」
「だが、俺はそうはならねェと思った」
「それはつまり、カレンの感情が、その……」
「友達以上の関係を望んでいたかもしれねェってことだ」
「そんな。でも、播磨くん」
「あン?」
「仮にそうだとして、何か不都合があるの?」
「それは……」
「カレンってさ、凄く可愛いじゃない? 髪もサラサラで。校内だけでなく、校外
からも人気なんだよ」
「そうなのか?」
「うん。だからその」
「なんだよ」
「そのまま付き合ったって、いいんじゃないかなって」
「……悪いが、それはできねェ」
「どうして? ほかに好きな人でもいるの」
「それもあるが、その……、あいつはふざけているように見えて、いつも真剣で、
素直だった」
「……」
「そんなやつに、中途半端な気持ちで向かい合いたくはねェんだ」
「それって」
「仮に俺があいつのことを好きになったとしてもだ、その時は真正面からぶつかっていきたい」
「だから、真実を告げた、と」
「ああ。できれば傷つけたくはなかった。だけど、それを告げないでズルズルと
時を過ごしていったら、必ず“しこり”になると思ったからだ」
「馬鹿ね、播磨くんって」
「……」
「確かに道理としてはそうかもしれないけど、でもこれでカレンとの関係は終わって
しまうかもしれないのよ? それでもいいの?」
「構わねェ」
「播磨くん」
「……どのみち、出会うことのねェ相手だったんだ。仕方のねェことだ」
「……ふう」
「綾?」
綾のため息を聞いて、陽子が心配そうに顔を覗き込む。
「行こう、陽子」
「え? どうして」
「もし、播磨くんが身勝手な理由でカレンを傷つけたのなら、一発ガツンと言ってやろう
かと思ったけど、どうやらそうでもないらしいから」
「……」
「あとはもう、当人同士の問題ということにします」
「じゃあ、どうするの?」
「播磨くん」
「なんだ」
「私たちにはどうすることもできないけど」
「ん」
「もし、相談したいことがあったらいつでも言って。話だけなら聞いてあげる」
「別にねェよ」
「んもう、素直じゃないのね。まあいいわ」
そう言うと綾は立ち上がる。
「支払は俺がやっとくぜ」
と、播磨が言うと、
「格好つけないで。私と陽子の分は自分たちで払っておくから」
そう言って伝票をピラピラと振ってレジへと向かおうとした。
しかしその時、不意に陽子が播磨の顔を覗き込む。
「ねえ、ハリー」
「なんだ」
「ハリーの好きな人って、誰? カレンじゃなかったら誰なの?」
「!!?」
「ちょっと陽子!」
たまらず、綾は陽子の肩に手をかけて止める。
「私だって気になってたのに、あえて無視してたっていうのに」
「ねえねえ、教えてよお」
「それこそ教えられねェよ!」
「ええ、もしかして綾だったりして」
「ちょっと陽子、何言ってるの!」
いきなり名前を呼ばれて顔を赤らめる綾。
「うるせェよ、早く帰れ」
「んもう、ハリーのケチ」
「他のお客さんの迷惑にもなるから、行くわよ、陽子」
そんなこんなで、綾と陽子は播磨よりも先に店を出た。
「あ、天気悪いね。早く帰ろう」
店を出た綾は空を見上げて言う。
この日、夏の終わりを告げるように長い雨が降り続いた。
*
少し、時間は戻って大宮家。
急に転がり込んできたカレンを忍とアリスはとりあえず出迎える。
「……」
しばらくの間カレンはずっと泣きっぱなしで、さらに時間が経つと黙り込んで何も話さなくなった。
心配した忍は陽子と綾に電話したため、後に播磨が彼女たちと面会することとなる。
『カレン、少しは落ち着いた?』
ミルクティーを差し出しながらアリスは言った。
本当は緑茶のほうが好きなのだが、今はカレンを元気づけるために実家から持ってきた
紅茶を淹れて出したのだ。
『めいわくかけて、ごめんね』
弱々しい英語でカレンは答える。
『気にしてないわ。落ち込むことなんて、誰でもあるもの』
忍のいる前では遠慮して日本語で話すアリスも、二人きりのときはこうして英語で話す。
『ハリマくんと何かあったの? もちろん、話したくなければ言わなくていいけど』
『……アリス』
『なに?』
『私、フラれちゃった』
ふと、遠い目をしながらカレンはつぶやいた。
『フラれた? それって』
『ハリマは私とは恋人の関係にはなれないって、そう言ったの』
『そんな、あんなに仲が良かったのに』
『仲良しだったのは私の勘違い。いえ、確かに仲は良かったと思うけど』
『けど?』
『それは友達(フレンド)としての仲の良さだったってこと』
『カレン』
『最初、私は彼が私のことを好きだと思っていたわ。彼が私のわがままを聞いてくれるのも、
私のことを好きだからって』
『……』
『でもそれは勘違いだった』
『勘違い?』
『ええ。ハリマは他に好きな人がいたの。そのことをわざわざ教えてくれた』
『じゃあ二人きりで出かけたのって』
『そういうこと。てっきり、「付き合ってくれ」って言われるのかと思ってたから、
正直ショックだった』
『それって、何かの間違いじゃあ』
『間違いじゃないよ。彼ははっきり言ったんだから。今時律儀に』
『……』
今度はアリスが言葉を無くす番であった。
恋愛経験の少ないアリスにとって、今のカレンにどう声をかけいいのか、
よくわからなかったからだ。
『でも、初めてハリマに手を握られた時、何て言ったらいいんだろう、凄く嬉しかった』
『嬉しかった?』
『うん。例え間違いであったとしても、あんな風に愛してもらえる人は、凄く幸せだなって、
思っちゃったよ。ただ、それが私じゃないだけ……』
『カレン、そんなことが』
『情けないネ。こんなにショックだとは思わなかった……』
『大丈夫だよカレン。私がいるから』
そう言うと、アリスはカレンの頭を軽く抱く。
サラサラした髪の毛が雨のためか、しなやかさを失っているようにも感じる。
『……』
その後カレンは何も喋らなかった。
アリスも言葉を発せず、カレンの気持ちが落ち着くまで静に時を過ごした。
*
9月1日。
夏休みの終わりと同時に、長かった雨もやみ、さわやかな晴れ間の中での登校となった。
「おはよう」
「久しぶり」
「おはようなのです」
「焼けたねえ」
「ずっと部活だったんだ」
久しぶりの旧友との再会に元気な声が飛び交う。
「おはよう、忍、アリス」
校門付近で綾が二人に声をかける。
「おはようございます、綾ちゃん」
忍は挨拶を返す。
「おはよう。私もいるぜ」
綾のすぐ後ろには陽子もいた。
「おはよう」
四人は口ぐちに挨拶をする。
彼女たちは夏休み中もよくあっていたので、久しぶりという感じはしなかったけれど、
夏の終わりには天気も悪いこともあって、少しだけ疎遠になっていた。
「カレンは大丈夫なの?」
心配そうに綾は聞く。
「あれからメール以外では会っていないんですけど」
少し目を伏せながらアリスは言った。
「メールでは元気そうでしたけどね」
と、忍も続く。
「メールだけじゃあな。今日も休んでいるとか」
「新学期早々、休むなんてことはないんじゃない?」
陽子は言った。
「でも、あんな風に落ち込んでいるカレンは初めてだったし」
「カレンにとっては初めての経験って奴なのかも。私はよくわかんないけど」
綾がそう言って一息つくと、
「HEY!」
「!?」
聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきた。
「これは……!」
振り返ると、見覚えのある金髪、そしてノースリーブのパーカーを制服の上に着た
女子生徒の姿が。
「カレン!」
真っ先に言ったのはアリスであった。
「カレン、今日はちゃんと登校したんだね」
「はい、今日もいい天気デスね!」
カレンに抱き着きながらアリスは笑う。
「もう気持ちのほうはいいのか?」
ふと、陽子が聞いた。
「あ、こら陽子」
まずいな、と思ったらしい綾が止めようとするも、カレン自身は気にする様子もなく答える。
「まあ、ショックがないと言えばウソになるネ。でも、暗い表情で学校に来たんじゃあ、
楽しくないデス」
「偉いですね」忍がカレンの言葉に感心する。
「二学期も長いデスから、気合、入れて、行くデース!」
そう言うとカレンは拳を大きく突き上げた。
「おー!」
それに便乗するように忍が拳を突き上げる。
アリスが空を見上げると、雨上がりに空に大きな虹がかかっていた。
もざいくランブル!
第1部 完
1 これでfinish!? なわけないでしょう!
2 はい、榛名は(もう終っても)大丈夫です!
疲れた。きんモザ二期やるっていうからなあ。
筆者は二学期から本気出すタイプ
夏休み明けの九月。
制服が夏服、ということもあってまだ夏の気分が抜けない者も多い。
そんな学校の教室で、見慣れない長髪の生徒が入ってきた。
「失礼する!」
なんだか暑苦しそうな雰囲気をプンプン出している男子生徒だ。
「誰だろう?」
綾は言った。
「いい筋肉しているわね」
ペロリと舌なめずりする陽子。
「アンタはそこしか見ないのか」
綾たちが呆れていると、その生徒はずんずんと教壇の上に立つ。
「俺は1年D組、東郷雅一だ!」
東郷と名乗る暑苦しい男がそう叫ぶと、複数の人影が教室に入ってきた。
「ワタシは、メキシコカラの留学生! ララ・ゴンザレス!」
浅黒い肌に背の高い女子生徒がそう名乗る。
「アメリカからの留学生、ハリー・マッケンジーだ」
金髪の美形少年がそう言って、大きなサングラスを外す。
「きゃー」
「イケメンなのです!」
「スバラ!」
一部の女子から黄色い声が上がった。
「イギリスからの留学生! 日英ハーフの九条カレンデース!」
そして普通にイロモノ軍団の中にまじるカレン。
「カレン、何やってんだ?」
陽子は口に出してみた。
まったく訳がわからない状態だ。
あっけにとられるC組の面々を余所に、東郷は話を進める。
「俺たちD組は、C組に宣戦を布告する! 今度の体育祭で、お前たちをコテンパンに
負かせてやるぜ!」
東郷は拳を握って熱弁した。
「デース!」
カレンも、何故か腕組みをして得意気な顔をしている。
「……はあ」
しかし、他の生徒たちはポカンとしているようだ。
そんな中、東郷は再び歩き出し、とある男子生徒の前に立った。
「貴様、播磨拳児と言ったな」
「んあ?」
微妙な反応の播磨は、うたた寝をしていたようだ。
「よく聞け播磨拳児! 俺は貴様をブッ倒す! 覚悟していろ!」
「はあ!?」
いきなりの「ブッ倒す」宣言に面食らう播磨。
しかし東郷(とその仲間たち)は、特に理由も説明しないまま、教室を後にしたのだった。
「なんだったんだ?」
播磨は疑問を口にしたが誰も答えてくれる者はいなかった。
もざいくランブル!
第10話 腑抜け brokenheart
D組による謎の来襲を受けたその日の昼休み。
播磨はぼんやりとパンを食べていた。
「……」
あの日以来、なんとなく生活に張りがないというか、力が入らずにいた播磨。
その打開策も見つからないまま、二学期を迎えていた。
「……播磨くん。元気ないの?」
気を使ったのか、大宮忍が声をかけてくる。
ここ最近は綾や陽子とも距離をとっていた彼にとって、話しかけてくるの彼女くらいなのだ。
だが今の彼にとっては少々有難迷惑でもある。
「なんでもねェよ。それよか、カータレットのところに行かなくていいのかよ」
「アリスは今、お出掛け中だから」
「そうなのか?」
一学期の間は、一挙一投足も見逃さなかったアリスの行動。
だが、最近は見逃すことも多くなってきたのかもしれない。
「播磨くん、お弁当はそれくらいで足りるの?」
「んあ? 別に大丈夫だ」
播磨の昼食はパン一つ。お金がもったいない、ということもあるのだが、
あまり食欲が出ないのが一番の原因だ。
「おいおい、育ち盛りの男の子なんだからしっかり食べないとダメだぞ」
何かを食べながら幸せそうな陽子が言う。
「つうか、なんでお前ェら俺の席の周りでメシ食ってんだよ」
「たまたま播磨くんがいるだけでしょうが」
スパゲティを食べながら綾は言う。
「播磨くん、新学期になって元気ないから」
「関係ねェだろうが」
「そう言う言い方ないだろう? 陽子だって心配してんだから」
綾は立ち上がる。
「別に心配してくれなんて頼んだ覚えはねェよ」
「もう、素直じゃないのね」
「どっちがだ、クソ」
険悪なムードになる二人。
だが、そんな空気を読めない者が一人。
「ほら、播磨くん。美味しい卵焼きですよ。あーん」
「おい、大宮。やめろこら」
「美味しいもの食べたら元気になれますよ」
「だからやめろって――」
ゴンッと、不意に後頭部に衝撃が走る。
「なんだ?」
振り返ると、小さな箱のようなものを持ったカレンが立っていた。
「……」
「く、九条か」
あの日以来、播磨はまともに九条カレンと話をしていない。
カレンのほうも、積極的には話しかけないようになっていた。
この日は久しぶりに二人が向かい合ったことになる。
「どうしました? カレン」
「お弁当余ったから、みんなに食べてもらおうと思ってきまシタ」
ぶっきらぼうにカレンは答える。
「そうなんだ。へえ」
「……」
気まずい。
「か、勘違いしないで欲しいデス。別にハリマくんに食べて欲しいと思ったわけじゃないデスからね!」
「は?」
そう言うと、弁当箱を机の上に置いたカレンは、つかつかと教室を出て行った。
「何だったんだ」
その場にいた数人は、あっけにとられながらカレンの後ろ姿を見送った。
「それはそうと、この箱の中には何が入ってるんだろうね」
机の上に置かれた弁当箱に、陽子は興味津々の様子であった。
「ねえ、開けてみなさいよ、播磨くん」綾はそう言って播磨を促す。
「何で俺なんだよ」
「そりゃあ……、ねえ」
そう言って綾は陽子のほうを見た。
「確かに。ハリー、早く」
「俺が食っちゃマズイじゃねェか」
「むしろ播磨くん以外に、誰が食べるのよって話よ。この場所で二つも三つもお弁当
が食べられる人なんて、播磨くんか陽子くらいのものよ」
「酷い綾!」
「早く」
綾は陽子の反応を無視して話を進める。
「……」
蓋を開けると、中にはサンドイッチが入っていた。
「サンドイッチ」
それには嫌な思い出がある。
不恰好だが、確かにサンドイッチだ。
「大丈夫なのか」
播磨は不安になるが、周囲の目はその場からの逃亡を許してくれそうにない。
播磨はサンドイッチの一切れを手に取り、そして口に入れた。
「……」
「どう?」
最初に聞いたのは陽子であった。
「……普通に、美味い」
ちょっと不恰好だったけれど、それは正真正銘のサンドイッチであった。
かつて食べたことのあるカレンのサンドイッチは、わざとかと思うくらいの
不味さであったけれど、この日のサンドイッチはオーソドックスな味付けで、
不味くはない、というよりむしろ美味いくらいだ。
「あいつ、何でこんなことを……」
カレンの考えが読めない播磨は、少し混乱してしまった。
*
翌日の昼休み――
播磨は屋上にいた。
普段立ち入り禁止のその場所にいられるのは不良の特権とも言うべきか。
ともかく、昼休みになるとそそくさと教室を脱出し、屋上に「避難」したのだ。
(なんでこの俺がこんなことをやらなきゃならねェんだよ)
愛しのアリスは教室で友人たちと食事を楽しんでいる。
その様子を眺めることも、播磨の楽しみの一つであったけれど、今は違う。
(俺がいると、あいつも来難くなっちまうからなあ。って、何考えてんだ)
播磨は頭の中に浮かぶ金髪少女の像を必死に振り払う。
「あー、アホらしい。そもそもアイツがいたから俺の青春が狂っちまったんじゃねェか。
むしろこっちの生活のほうが普通なんだよクソが」
「アイツって、誰のことだ?」
「な!」
不意に声をかけられたので、驚いて屋上の鳩小屋(ペントハウス)から落ちそうになる播磨。
「誰だ! ここは立ち入り禁止のハズだぞ」
「だったら何でお前がいる」
「お前ェは」
下を見ると、そこには暑苦しい長髪姿の男子生徒が立っていた。
「トウジョウ……」
「ふっ、悪いが俺はイチゴパンツは履いていない」
「いや、その返しもどうかと思うぞ」
「東郷だ。東郷雅一。隣のD組の委員長だぞ」
「左様か。つうか何の用だ。委員長様が立ち入り禁止の場所にいたら、他の生徒に
示しがつかねェんじゃないのか?」
「お前はいいのか」
「俺は不良だからな」
「だったら俺は、その不良を注意するためにここにきた、という設定にでもしておこう」
「なんだよそれは。風紀委員の真似事なら余所でやってくれ」
「それもそうだな。だったら、そうだ。ここで梨でも食わんか」
「は?」
*
何を思ったか、東郷は梨を取り出してそれの皮をむき始めた。
播磨に負けず劣らずのガタイをしているわりに、手先は器用なようで、上手く梨の
皮を向いている。
「どういうつもりだ」
「食わんのか」
「まあ、いただくけどよ」
今年初めて口にする梨は、甘さは控えめながらも瑞々しく、なかな美味であった。
「うめェ」
「それは何より」
「つうか東郷」
「なんだ」
「まさかこの俺に梨を食わせるため、ここに来たわけじゃねェだろうがよ」
「そうだな。たまたま見かけた、という話ではダメか」
「たまたま見かけて話をするような関係でもないと思うが」
「そうだな。じゃあ率直に言おう。ウチのクラスの姫(プリンセス)の元気がない。
原因は貴様だな、播磨」
「は?」
「違うか」
「ちょっと待て」
「なんだ」
「そもそもプリンセスって誰だよ」
「一人しかいないだろうが」
「……メキシコからの――」
「ララも魅力的であるが、姫ではない。お前も良く知っている相手だ」
「……」
「九条カレン。この俺にここまで言わす気か」
「あいつ、プリンセスだったのか」
「まあな。俺たちにとっては太陽のようなものさ」
「太陽?」
「She is the sun for us」
「そのイタリア訛りの英語はやめろ、なんかムカツク」
「ふっ、彼女が俺たちにとっての輝きであることは間違いない」
「そうかよ。だがな、残念ながら俺と九条とは無関係だ」
「ほう……」
「確かに一時的に元気がなくなることもあるだろう。だが、時間が経てば元に戻る」
「本当にそう思っているのか?」
「何が言いたい」
「正直に言えばな、彼女の不調の原因であるお前を、この場で徹底的に潰すつもりだった」
「なんだと? やんのかコラ」
「だがヤメだ」
「な……、どういうつもりだ」
「今のお前のような腑抜けをやったところで、何の得にもならん」
「おい!」
「梨、もう一つ食うか」
「お、おう、センキュー」
「美味いか」
「ああ、美味い……って、そうじゃねェだろう! 俺が腑抜けってどういうことだ!」
「無論、言葉の通りだ。せいぜい次の体育祭では潰されないよう気を付けるんだな。
まあ、逃げても構わんが」
「おい! 待てよ東郷!」
東郷は残った梨をタッパーに入れると、そのままどこかへ消えてしまった。
(くそっ、何なんだよ。あと、手がベタベタして気持ち悪い)
*
別の場所。
アリスと忍が校内を歩いていた。
すると、ドジっ子な忍が校舎の角で何者かとぶつかる。
「ふにゃっ!」
「シノ!」
心配して忍に駆け寄るアリス。
ふと顔を上げると、忍とぶつかった生徒は見覚えのある人物であった。
「あなたは……」
「大丈夫かい」
「確か、D組の……」
アリスがそう言うと、男子生徒は忍を抱きかかえたまま自己紹介をする。
『失礼、私はD組のハリー・マッケンジーだ』
アリスとは違うアメリカ訛りの英語で、ハリーは言った。
『そういえば、今朝の』
『朝はウチの東郷が失礼した』
『そ、そんなことより!』
『ん?』
『いつまでシノを抱いてるんですか!』
『おっと、これまた失礼』
ハリー・マッケンジーは、ぶつかった瞬間、忍が倒れないように彼女の身体を支えていた。
しかしすぐには手を放さなかったので、結果的に忍を抱いたままアリスと会話をする、
という事態になってしまったのだ。
「実に魅力的な女性だったもので、つい手を放すのが遅れてしまいました。大丈夫ですか?」
流暢な日本語に切り替えてハリーは言った。
「あ、いえっ。お構いなく!」
それに大して、忍は顔を紅潮させながら混乱を振り払うように答える。
「東郷のことだけではないけれど、自分も今週末の体育祭は期待している」
「え?」
「お互い、良い勝負をしよう」
そう言うと、ハリー・マッケンジーは甘いシャンプーの匂いを振りまいて、どこかに去って行った。
「何だったのよ……」
ハリーの後ろ姿を眺めながらアリスはつぶやく。
「……」
「忍?」
一方、忍は先ほどから熱でもあるかのように、ぼんやりしている。
(大変、いつもボーッとしているシノがいつも以上にボーッとしている!)
アリスの目にも、彼女の異常はすぐにわかった。
「どうしたの? シノ! 何か具合でも悪いの?」
アリスがそう聞くと、忍はぼんやりしたままで答えた。
「もし、金髪の人と結婚したら、私の子は金髪になるのですかねえ」
(シノ!!)
ニッコリと笑う彼女の横顔に、アリスが危機感を持ったことは言うまでもない。
*
「ハリマくん!」
昼休みの終わり、播磨が教室に戻ってみると真っ先にアリスが呼びかけた。
(アリスちゃん? 彼女のほうから話しかけてくるなんて珍しいじゃねェか)
播磨の胸が高まる。
「ど、どうしたカータレット」
「今度の体育祭、絶対に勝とう」
「へ?」
「D組だけには負けちゃダメ!」
「お、おう。任せろ」
謎のやる気に、播磨は少しだけ戸惑っていた。
運動関係が苦手なアリスが、ここまで体育祭にやる気を出すのは何か理由があるのだろうか。
「なあ大宮。何かしらねェか」
播磨は、近くにいた大宮忍に聞いてみた。
しかし、
「ふへへ。金髪の子供。男の子でも女の子でも、可愛いだろうなあ」
何か意味不明なことをつぶやきながら笑っていた。
忍の笑い顔を見ながら、不気味に感じた播磨は、アリスについて聞くことをあきらめたのだった。
つづく
次回は、体育祭編。何が起こるやら。
ついにはじまった体育祭。
それぞれの思いを胸にその日を迎えるのだが、盛り上がる生徒たちの中で、
イマイチ乗り切れていない者もいた。
播磨拳児もその一人である。
(一体なんだっつうんだよ。クソが)
一応は、クラスの一員として参加しているものの、この日一日をどう過ごしていいのか
わからなかった。
午前中、百メートル走や障害物走、大縄跳び、綱引きなど定番の競技が次々に
行われる中、気持ちの整理がつかない男は一人黄昏ていた。
そして午後、この学校のメインイヴェントの一つとも呼ばれる競技が開始される。
「ハリマくん」
「はっ、カータレットか。どうした」
この日も、珍しく播磨に声をかけるアリス・カータレット。
彼女はなぜか、数日前よりD組に対して無駄に敵愾心を高めていた。
「次の競技は、播磨くんの出番だよ。頑張って」
「俺の出番? なんだっけな」
「もう、この前HR(ホームルーム)で決めたじゃない」
「?」
「借り物競争だよ。クラス対抗の」
「そうなのか」
「頑張って、応援しているから」
「お、おう」
単なる借り物競争に、なんでこんなに気合いが入っているんだ?
その時の播磨は、そう思っていた。
もざいくランブル!
第11話 壁 obstacle
《さあやってまいりました、矢神体育祭のメインイベント! 借り物競争だああああ!!!》
なぜゆえに借り物競走ごときでこんなにも盛り上がっているのか。
播磨にはすぐにはわからなかった。
「ふっ、ここでキミと戦うことになろうとはな、播磨拳児」
「誰だお前ェは」
一度会ったことがあるにも関わらず、播磨は名前を聞いた。
他人に興味を持たない彼は、本気でハリーのことを覚えていなかったのだ。
「私は、ハリー・マッケンジーだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「何言ってんだ」
「悪いが、この戦いでキミを潰させてもらう」
「D組の代表として、か」
「クラスは関係ない。私は個人的にキミを潰したい、そう思っただけだ」
「なんだってんだ」
《さあ、時間となりました。出場選手は続々とスタート位置についていきます》
なぜか、放送が競馬の実況のようにテンションが高い。
(一体どういうことなんだ)
播磨は不審に思いつつ、スタート位置に立つ。
「ハリマくん、ガンバレー!」
ふと、アリスの声がした。
「ハリー! ファイト!」
陽子の声も聞こえる。
(おい、ハリーつったら、そこの金髪外国人もハリーだろうがよ)
しかし播磨に対する応援はその程度であった。
それ以外は圧倒的にハリー・マッケンジーの応援である。
「ハリーくん頑張ってえええ!」
「マッケンジー!!!」
「きゃー、素敵いいい」
「体操服姿もカッコイイのです!」
「スバラ!!」
よく見ると、同じクラスのはずのC組の女子もハリーを応援している。
(なんなんだクソ)
ほとんど敵だらけのような感覚に陥りつつ、播磨は首を振った。
(あー、バカバカしい。いくらアリスちゃんの頼みだからって、こんな勝負になんの
意味があるっていうんだ。だいたい、借り物競争でどうやって潰すってんだよ)
そんなことを考えていると、スターターが目の前に現れる。
「位置について!」
全員が構える。
「よーい」
乾いた火薬の破裂音が秋空に響く。
クラスの代表者が一斉に走り出した。
播磨の足は遅くない。むしろ速いほうだとも言える。
ゆえに、多少力を抜いてもすぐに借り物の紙を拾うことができた。
(さて、俺は何を借りてくればいいんだ?)
そう思い紙を開くと、
九条カレン(1年D組)
と書かれていた。
「なんじゃこりゃあああああ!!」
思わず叫んでしまう播磨。
「くそっ、他の紙は……!」
周りを見回すと、すでに紙は全部取られてしまっていた。
(なんてこった。どうしてよりによって、九条がここに)
播磨は考えてみるが、答えなど出るはずもない。
応援席を見ると、アリスや綾たちが応援している。ちなみに他の生徒たちはみんな、
ハリーを応援している。
さすがにここで辞退するのはカッコ悪すぎる。
(まあいい、九条には一緒に来てもらうだけでいいだろう。少しの間だけだ)
そう思った播磨は、気を取り直して1年D組の応援席に向かう。
しかしそこには――
「な!?」
播磨の目の前にあるのは、まさしく「人の壁」であった。
《おーっと、今回最難関であり、人気ナンバー1との呼び声も高い、1年D組の
九条カレンさんを引き当てたのは、C組の播磨拳児だあああああ!!!!!》
放送の声がさらに高くなる。
(なにィ!?)
《さあ、播磨選手はこの強力なD組の親衛隊を抜けて、見事九条カレンを『借りる』
ことができるのか!!》
「おいちょっと待て! ルールおかしいだろうが!」
播磨は本部に抗議をするも、誰も受け付けてくれない。
「おかしくはないぞ! 播磨拳児!!」
聞き覚えのある声が響く。
「貴様は」
暑苦しい長髪姿の男、東郷雅一である。
「ハッハッハ、俺の名は東郷。1年D組を統べる者だ」
一段高い台の上に乗って、腕組みをする姿はどこかしら滑稽であった。
「貴様がわが姫(プリンセス)を欲しいというのなら、力づくで奪ってみせろ!」
「べ、別に欲しいわけじゃねェよ! この紙に書いてあるからちょとの間だけ、
借りるだけだ!」
「御託はいい。さっさとかかってこい!!」
「なんなんだコレは」
《みなさん、わかっていると思いますが、これはただの借り物競走ではありません。
“競争”なのです! 存分に争ってください! 流血しない程度に!!》
※ 全然関係ないけど、筆者は学生相撲をテレビで見た時、思った以上に流血するの
を見てかなりビビりました。相撲って怖い。
(明らかにおかしいだろうが。だがここで九条を連れ出さねェと終れねェみたいだからな。やるしかねェか)
播磨は覚悟を決める。
だが、行く手には数多くの生徒たちがいるのだ。
「ここは絶対に通さねえぞお!!」
「カレン姫を守るんじゃああ!!」
「エッチなのはいけないと思います!」
「ク・ジョーハ、私ガ守ル!!」
「いいぜ、お前が九条カレンを連れて行けると思っているのなら、まずはその幻想をぶち殺す!!」
(くそっ、仕方ねェ)
播磨は覚悟を決める。
複数人の不良を相手に喧嘩をしたことなど星の数ほどある男である。
今更殺気立っているとはいえ、一般の生徒たちに怯むようなことはない。
「だっしゃりゃああ!!!」
気合を入れて突っ込む播磨。
この人数に小細工はいらない。
襲い掛かってくる生徒たちを千切っては投げ千切っては投げ、そしてその視線の
先には九条カレンがいる。
しかし、カレンの表情は暗く沈んでいるように、播磨には思えた。
(何て顔してんだお前ェは)
ふと、彼は思う。
(お前ェはもっとよ、明るくて楽しそうで、周りを元気にさせる笑顔が魅力じゃねェか)
だが今のカレンにはその面影はない。
もちろん笑顔も見せているけれど、どことなく寂しそうだ。
「戦いの中でよそ見か! 播磨!」
不意に登場の声が響く。
その瞬間、生徒たちが次々にのしかかってきた。
「ぐわっ!」
思わずバランスを崩し転倒する播磨。
「潰せ潰せええ!!!」
「今だあ! 敵は怯んだ!!」
勢いを失った播磨に対し、ここぞとばかりに襲い掛かる男たち。
(くっそお……)
すでに目の前の視界は暗い。
このままだと、あのハリーとか言う外国人が言うように潰されてしまう。
そう思うと悔しくてたまらなくなる。
(こんなのってアリかよ)
そうは思っても、どうしようもできない。
結局、このままカレンを借りることができなければ、失格である。
*
「……」
目の前で、播磨がクラス男子生徒たちに潰されていく様子をじっと眺めながら、
カレンは言葉が出なかった。
自分はどうすればいいのか。
何を言えばいいのか。
それがわからない。
(ハリマ)
ふと、彼の名を心の中でつぶやく。
すると不意に、彼女の中で言葉があふれてきた。
(な、何をやっているの私。別にハリマのことなんか全然関係ないのに)
あふれ出る思いに蓋をしながらカレンは首を振る。
彼がここで潰されてギブアップしようが、自分には何の関係もない。
そう、今のカレンと播磨拳児とは何の関係もないのだ。
だから、素直に時間が経つことを待てばそれでいい。
時間切れになって播磨は失格する。
そうすれば自分のクラスであるD組の勝利だ。
親友であるアリスたちは残念がるかもしれないけれど、仕方ない。
頭の中ではそう考えて納得するカレン。
でも、頭でわかってはいても心の中で何かが納得しない。
(なんでイライラするの? どうして?)
カレンの胸の中でイラつきがどんどんと増していく。
腹が立ってしかたない。
そして、その怒りを爆発せずにはいられなかった。
カレンは大きく息を吸い、そして言葉を発した。
「どうしたハリマケンジイイイイイイイ!!!! それで終わりデスカアアアアア!!!!!」
カレンの大声に、一瞬会場が静まり返る。
マイクも使っていないのに、彼女の声は秋空によく通っていた。
*
多数の男たちに潰されながら、播磨は思った。
このまま終わりでもいいのか、と。
だが、ここで奴らの言うとおり潰されたままじゃ、自分のプライドが許さない。
「潰せ!」
「ここを通すな!」
D組の生徒たちが叫ぶ。
だがそんな男たちの声をかき消すように、高い声が播磨の耳に飛び込んできた。
「ハリマケンジイイイイイイイイイイイ!!!!!!」
紛うことなき、九条カレンの声だ。
(うっせえなクソッ。お前ェに言われなくても、こんな所で終る気はさらさらねェよ!!)
とても不思議なことだが、まるで地下から吹き出すマグマのように力が湧いてくる。
それがまた腹立たしい。
「いつまで乗ってんだあああ!!!」
2、3人吹き飛ばすと、まるで鉄人28号のように力強く前進する播磨。
「くそっ、復活したか。だがこの俺が止めてやる!!」
「邪魔だ!」
「そげぶっ!」
吹き飛ばされる男子生徒。
「一人じゃダメだ。スクラム組めスクラム!!」
「バカ野郎、よけられるだろうが」
「おい、来るぞ!!」
「うおりゃあああああああ!!!!」
体当たりで数人を吹き飛ばした播磨は更に進む。
「でりゃああ!!!」
そして最後にたどりついたのは、目的の姫(プリンセス)がいる場所だ。
少し息を切らしながらも、余裕の表情で播磨はカレンに先ほど拾った紙切れを見せる。
「九条、俺と一緒に来てもらうぜ」
「嫌デス」
「なっ!」
「ツーン」
そう言いながらカレンは顔を逸らす。
(コイツ、まだ怒ってんのかよ)
「どうしてもカレンを連れて行くというのナラ」
「あン?」
「力ずくで連れて行けばいいでショ?」
「……ああ、わかった。つまりこういうことか」
「ひゃっ!?」
播磨は素早くカレンの後ろに回り込むと、彼女を一気に抱きかかえた。
いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「しっかり掴まってろよ九条。落ちて怪我しても知らんぞ」
「その時は、責任取ってクダサイ」
「悪いが、保険には入ってないんでな」
このままゴールに行けるほど、状況は甘くなかった。
「播磨拳児、ここを通すわけにはいかん」
先ほどぶん投げられていた生徒たちが復活してこちらに向かってきていた。
「コイツらをかわして行くのか。なかなか骨の折れる作業だぜ」
播磨はつぶやく。
「私を連れて行くのなら、これくらいの障害は越えてもらわないとこまりマス」
耳元でカレンは囁いた。
「言ってくれる」
「はっ!?」
予告無く動き出す播磨。そのあまりの素早さに、周囲は意表を突かれる。
とても女の子を抱いた状態で動いているとは思えない。
先ほどの猪突猛進とは打って変わって素早い動きで周囲を翻弄する播磨。
(さすがに九条を抱いた状態で潰されるわけにはいかんからな)
《女の子を抱いている、という極めてバランスの悪い状態にも関わらず、
播磨拳児の動きは実に素早い。なんということか! これが、これが、
これが姫の力(プリンセスパワー)なのかああああ!???》
放送係がやたら興奮気味に叫ぶ。
(訳の分からんこと言ってんじゃねェぞ!)
そう思った播磨だ。しかしカレンを抱いていなかった時よりも、明らかに状態が
良いことは確かであった。
「せりゃあ!!」
「アッー!」
次々に襲い掛かる男たちを全盛期のマラドーナ並みの動きでかわした播磨であったが、
ゴール前で最大の障害にぶち当たる。
「なんじゃコイツは!」
《で、出たあああああ!!! 身長190センチを超える巨体!!
フランスからの帰国子女でありながらスキンヘッドの巨漢!
天王寺昇くんだああああああああああああ!!!!》
やたらデカイ男が播磨たちの前に立ちはだかった。
190センチと言いながらも、見た目が10メートル以上あるように見える姿は
まるで大豪院邪鬼だ。
「ふっ、さすがの播磨もあの天王寺を超えることはできまい」
腕組みをした状態で東郷は言った。
「お前ェは今まで何をしていたんだ」
「細かいことは気にするな。それよりどうする」
「グルルルル」
まるで野獣のようにこちらを威嚇する天王寺。
「今のお前にアイツが超えられるかな」
「へっ、何言ってやがる」
「なに?」
「楽勝だ」
そう言うと、播磨は今まで抱いていたカレンをクルリと背中に回す。
カレンも慣れたもので、すぐに播磨の背中におぶさった。
「どうするデス? この状態でテンノウジくんに勝てマスか?」
肩越しにカレンは播磨の耳元に囁く。
「俺単体なら楽勝だがよ、今はお前ェがいるからな」
「だったら、諦めマスか?」
「冗談言うな。俺はな、負けるのが大っ嫌いなんだよ。例えお遊びでもな」
「じゃあ、どうシマスカ?」
「きょ、協力してくれ、九条」
「……ホウ」
「べ、別にタダでとは言わねェよ」
「何をしてくれるデス」
「ラーメンおごってやるよ」
「ラーメン……」
「お前ェ好きだろ、ラーメン」
「……別にそこまで好きじゃないデスケド」
「……」
「奢ってくれるナラ、ご馳走ニならないコトもナイデス」
そう言うと、カレンは掴んだ両腕の力を少し強くさせた。
(なんか背中に当たってる。いや、待て。集中だ集中)
カレンのアレに集中を乱される播磨。
(確か、海で見た時も結構。いや、違う)
「何イチャイチャしてんだコラアアアア!!!!」
二人の様子を見て天王寺の怒りが爆発する。
※確かに天王寺はキレていい(神の声)
「うおっ!」
カレンを背負った状態で天王寺の拳をかわす播磨。
本当に10メートルの巨漢が攻撃してくるような迫力だ。
「行くぜ、九条。いち、にい、さんだ」
「One Tow Threeのほうがいいね、ハリマ」
「別にどっちでもいいが」
二人はタイミングを合わせる。
そして天王寺の次の攻撃。
大振りの右ストレートがさく裂しようとしたその時だった。
「いち、にい――」
「Three!!!!!」
掛け声と同時に、カレンは播磨の肩の上に乗る。
そして、大きく飛び出した。
「ぬわっ!」
それに驚く天王寺。
しかし、
「よそ見すんなデカブツ!!!」
天王寺のボディに播磨の蹴りが入る。
「ぐおっ!」
思わず身体をくの字に曲げる天王寺。
しかし、攻撃はそこでは終わらない。
「そぉい!!!」
上から九条カレンの足が、天王寺の顔面を踏みつけるという、一歩間違えれば
ご褒美にもなりかねない攻撃が天王寺を襲う。
「うがあ!」
そして、
「よっと!」
上から降ってきたカレンを、下にいた播磨が受け止めたのだった。
ドスンと、大きな音とともに天王寺が倒れる。
その死に顔(死んでない)は、とても穏やかであったと、同じクラスのララ・ゴンザレスは後に証言した。
*
天王寺昇という最大の壁を乗り越えた播磨とカレンは、無事にゴールにたどり着くことができた。
もちろん、カレンを抱いたままである。
「おらっ! 九条カレンだ! これで文句ないだろう!」
カレンをその場に立たせ、審判員に見せる播磨。
「確かに、九条カレンさんです」
審判員は笑顔で言った。
そして、
「おめでとうございます、播磨拳児さん。見事完走です」
「いよっしゃああ!!!」
なぜかわからないが、今までに感じたことのないほどの達成感を味わう播磨。
思わず両手ガッツポーズをやってしまった。
「おめでとー」
「おめでとう!!」
「感動した!!!」
「すげえよ播磨!」
そんな彼に対し、観客席からは惜しみない拍手と歓声が送られる。
「おめでとう播磨くん!」
「やったねえ!」
しかし、謎の達成感に浸る播磨に審判員は冷静に声をかける。
「まあ、この競技では最下位なんですけどね」
「…………はあ?」
そう、播磨拳児は最下位であった。
当たり前である。
あれだけの大立ち回りをやってのけたのだから、その間に他の選手たちはゴールをしていたのだ。
「なんじゃそりゃあああああ!!!!」
この世の理不尽を呪う播磨。
が、しかし、
「ハリマ」
ふと、後ろにいたカレンが体操服を引っ張る。
「んだヨ」
振り返って播磨は答えた。
「約束、忘れナイデくださいヨ?」
「……」
播磨は少しだけ考え、そして、
「わかってる」とだけ答えた。
つづく
心配しなくても次は文化祭ですよ。
大豪院邪鬼については自分で調べてね。
とある日の昼休み。
最近ちょっと太ったんじゃない? というアリスの軽い一言をきっかけに、
全員で体重測定をすることになった。
「失礼しまーす」
「あれ? 先生いないね」
保健室に入る、忍、アリス、陽子、綾、そしてカレンの五人。
「あ、体重計ありましたヨ。とりあえずはかってみるデス」
体重計を見つけたカレンが言った。
「待って、私が先に行くわ」
カレンを制して綾が前に歩み出る。
「大丈夫? 綾」
心配そうに陽子は言った。
「いや、ただ体重計に乗るだけだから」
そう言って、綾は体重計に乗った。
すると、
「……」
「どう?」
「……」
答えない綾。
「多分、上着が重いんだと思う」
そう言って、上着を脱ぐ綾。
「うむ……」
「どうなの?」
陽子は再び聞いた。
「多分、もう一枚」
「ちょっと綾」
「たぶん、このブラウスを脱いだら軽くなるから!」
「ちょっと綾、現実を見なさい」
「はなして陽子。私の現実はそんなものじゃないわ」
ぎゃあぎゃあ言っている二人を眺める残りの三人。
ついに綾がブラウスのボタンに手をかけると、
「ああきっつ、胃薬ねェか」
見覚えのある長身の生徒が入ってきた。
「播磨……、くん」
「なっ、何やってんだお前ェら」
播磨の目の前には、ブラウスの第三ボタンまで外し、少しブラが見えている綾、
そしてその綾の腕を掴んでいる陽子の姿であった。
「ああそうか、そういうことか」
何かを察する播磨。
「お幸せにな」
そう言うと、彼は保健室のドアを閉めてどこかに行ってしまった。
「いやあああああああああああああ!!!!」
「ハリー! 違うの! 戻ってきて!!」
播磨の誤解はすぐにとけたものの、事情を説明した綾は更に恥ずかしい思いを
することになったのだった。
もざいくランブル!
第12話 桃 色 sweet
体育祭に続く秋イベントといえば、そう、文化祭である。
播磨たちの通う高校でも、文化祭の準備が着々と進んでいなければ、ならないはずなのだが。
播磨たちのクラス(C組)では食品を出す店をやる、という点では一致していたものの、
その形態を巡って意見が割れていた。
「メイド喫茶がいいです。かわいいメイド服が売りですよ」
にこやかに、おそらく誰かのメイド姿を想像しながらであろう忍が言った。
「甘味処がいいと思います。メイド喫茶なんてありきたりですから」
それに対して、アリスが反論する。
アリスは日本文化が大好きなので、西洋的なメイドよりは日本的なお団子屋さん
みたいなもののほうがいいのだろう。
「メイド!」
「甘味!」
珍しく対立する忍とアリス。
こんなこともあるんだな、と播磨はぼんやりと思った。
「争いたくはありませんが仕方ありません! アリスとて容赦はしませんよ!」
忍は言った。
(一体何の勝負だ……)
「アリス! 引いてくれなければ夜トイレについていってあげません!」
「きゃああああああ! 今その話は関係ないでしょう!」
意外な場所で親友の私生活(プライベート)を暴露する忍。
この女、意外と腹黒なのか。
「甘味処にしてくれなきゃ、シノのこと嫌いになるから!!」
「なっ、私だって……!」
「ぐぬぬ……」
「ぐぬぬぬぬ……」
「メイドがいいです……」
「かんみ……うっ、うっ」
ついに泣き出す二人。
(おいおい、委員長困ってんじゃねェか)
播磨はそう思っていると、
「ねえ、ハリー」
二学期最初の席替えで播磨のすぐ後ろになった陽子がシャーペンの後ろで播磨の
背中をつつく。
ちなみに播磨のことをハリーと呼ぶのは陽子だけだ。大半の生徒にとって、ハリー
と言えばD組のハリー・マッケンジーのことを言う。
「あン? なんだ」
「ハリーはどっちがいい?」
「何がだ」
「だから、メイド喫茶と甘味処よ」
「お前ェはどっちがいいんだ、猪熊」
「もう、質問を質問で返すなって、先生に言われなかった?」
「いいから答えろよ」
「私はどっちでもいいかな。美味しいものが食べられたら」
そう言って陽子は涎をたらす。
「メイドは食べ物じゃねェからな」
飲食店をやったところで、自分が食べられるかどうかはわからない。
だがそんなことは、あまり陽子も気にしていないようだ。
「甘味」
「メイド」
播磨はふと考える。
ここで愛しのアリスの肩を持つことは簡単だ。しかしそうなると、あのコケシと
感情的な“しこり”が出来てしまう危険性がある。
女の知り合いとの、ぎくしゃくは、かなり厄介であることはすでにカレンとの
関係で経験済みの播磨は一つのアイデアを出した。
「面倒くせェな。だったら、両方やりゃいいだろう」
「両方?」
アリスと忍の二人がこちらを見る。
「だからよ、甘味を出すメイド喫茶ってやつ? 一粒で二度おいしいみたいな」
「グ○コアーモンドチョコレート? 私好きだな」
陽子が口を挟む。
「猪熊、お前ェは黙ってろ」
「播磨にしてはなかなかいいアイデアだな。では多数決を取ろう」
メガネの男委員長(かなりウザい)の取り計らいで、1年C組の出し物は、
メイド甘味処というハイブリットな模擬店になったのだった。
*
文化祭の醍醐味は本番よりも準備にあり、とはよく言ったものである。
実際、文化祭で遅くまで準備をすることで、相手を理解することもできるだろう。
時間には限りがあるけれども、店の内装から衣装の用意、肝心の料理の手配など、
やることは山ほどある。
播磨は店の飾りつけや仕入れなど、主に力仕事を任されることが多く、衣装を
担当していたアリスとの接点が少なかった。
(畜生。真面目に準備してりゃあ、アリスちゃんと接する機会が多いと思ったのによう。
これじゃあサボってたほうがマシだぜ)
のこぎりでズイッコズイッコと角材や板を切りながら播磨は思った。
ほかの連中は楽しそうだが、播磨は黙々と作業をこなすだけである。
「もうこんな時間か」
気が付くと、窓の外は暗くなっていた。
あまり遅くまで学校に残っていることの少ない播磨にとっては、少しだけ新鮮な光景であった。
そんな播磨を見つめるブラウンの瞳。
*
(ハリマは一人で作業してマス)
(意外と真面目なところがあるわね)
教室の外から播磨の様子をうかがっていたのは、九条カレンと小路綾の二人であった。
「何やってんの? 二人とも」
偶然通りかかった陽子が二人に声をかける。
「しっ! 静かにデス」
そう言ってカレンは陽子をその場にしゃがませた。
「な、何だよ」
「ちょっとハリマの様子を見てたデス」
「なんでそんなストーカーみたいな真似してるの。堂々と教室の中に入ればいいじゃん、
いつものことなんだから」
「実は、ハリマについて知りたいことがあるデス」
「ん?」
「ハリマがどんな女の子が好きなのか、ちょっと気になるのデス」
「なんだよカレン。まだハリーに未練があるのか?」
「そ、そんなことないデス。な、ないんだからネ!」
「静かにしろって言ったのそっちじゃないか……」
陽子は半ば呆れながら言った。
「それで、どうするんだ」
「播磨に質問して欲しいんデスよ」
「え? 好きな人は誰かって?」
「そそそ、そんなstraightな質問はしなくて良いデス。そんなことしたら、
播磨の好きな人が気になるみたいじゃないデスか」
「いや、事実気になってるんだろ」
「だから、例えばWhat kind of girls do you like?(どんな女性が好みですか)みたいな」
「もう、めんどくさいなあ。私がちゃっちゃと聞いてくるから」
「あ、wait wait」
「なんだよ。あまり過激なことは聞かないでくだサイ」
「あいよ」
そう言うと、陽子は教室の中に入って行った。
「大丈夫かな……」
綾は心配そうにカレンに言った。
「多分大丈夫です」
カレンの横顔は少し寂しげでもあり、それが綾の心を締め付けた。
(カレンには幸せになって欲しいけど、播磨くんの思い人も気になる)
そう思いつつ陽子と播磨のやり取りを、カレンと一緒に見つめる綾。
カレンに同情しつつも、やはり他人の色恋沙汰にはやはり興味深々である。
「ねえハリー」
「あン?」
「からすちゃんから差し入れが届いてるよ。ハリーも飲む?」
「コーヒーか。一本貰うぜ。それはいいが他の連中は」
よく見ると、教室には播磨と陽子だけしか残っていなかった。
ほかの生徒たちは、別の場所に行っているようだ。
「料理の仕込みと、あとはしのたちは衣装の製作」
「今から作るってのも大変だな」
「既存の衣服にちょっとヒラヒラとかつけるだけみたいだから、大丈夫じゃない?
まあ座りなよ」
そう言いつつ、陽子は播磨の近くに腰掛ける。
(さすが陽子。男の子相手にも物怖じしないなんて)
陽子の姿を見ながら綾は感心する。
(もう、早く聞くデスヨーコ!)
カレンは二人の様子を見ながらギリギリと歯ぎしりをしていた。
(カレン、落ち着いて)
今にも教室に乱入しそうにしているカレンを宥めながら、綾は二人の会話に耳をすませた。
「ところでさあハリー」
「あン?」
「あなたの好きなタイプって、どんなの?」
「ぶっ!」
飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる播磨。
「アハハハ。今時ギャグ漫画でもそんな描写ないよ。ほら、ティッシュ」
「悪い。つうか、そんなこといきなり聞くな」
陽子から箱のティッシュを受け取った播磨は、何枚か取り出し手や口元を拭いた。
「だって気になるじゃない。あのカレンを振ってるんだよ? 普通の男子なら絶対
そんなことしないと思うけど」
「何言ってんだ」
「あんなに美人なのに。金髪美少女だよ。しのだったらヨダレが3リットルくらい
出そうなほどの」
「気持ち悪いこと言ってんじゃねェ」
(ホント、ヨーコはキモチワルイデス)
(カレン、落ち着いて)
そんなことしていると、ふと陽子の顔が真顔に戻る。
「でもさ、カレンは美人だと思わない?」
「そりゃあ、キレイだと思うゼ。肌もそれにあの髪もよ」
(……!)
一瞬で真っ赤になるカレン。
この子、分かりやすいわ。
綾は思った。
「だけどヨ、それとこれとは別だ。あと勘違いしているようだが言っとくけど」
「え?」
「別に俺はあいつ(カレン)を振ってなんかいねェ。初めて会った時の誤解を解いただけだ」
「誤解を、解いた?」
「だからよ。アイツとは元に戻ったんだ。ただそれだけだ」
「そうなんだ。だったらもし、またカレンがハリーのことを好きとか言ったら」
「バカなこと言ってんじゃねェぞ」
「アハハ。ごめんね」
ここであっさりと引き下がる陽子。
(ヨーコ、なんでそこは突っ込まないンデスか)
赤面しながらも陽子への不満を口にするカレン。
でもこれ以上陽子が突っ込んだら、カレンのほうが心配になる綾であった。
「それで話戻すけど」
「なんだ」
「ハリーの好きな人のタイプって、どんなの?」
「どんなのって言われてもなあ……」
(あ、そこは真面目に答えるつもりなんデスね)
カレンはつぶやく。
(やっぱり律儀なんだなあ。見た目に反して)
綾も小声でつぶやいた。
「例えば、胸は大きい方がいい? 小さいほうがいい?」
「何言ってんだお前ェ」
「基本じゃない?」
「何の基本だ」
(何聞いてるデスかヨーコ!! それじゃ親父のセクハラじゃないデスか!)
(アンタがそれを言うのか、カレン)
「べ、別に大きさなんか関係ねェよ。胸の大きさが女の価値だとは思ってねェし」
「オー、なかなか男前な意見だね」
「普通だろ」
「それじゃあさ、料理ができる子とできない子、どっちがいい?」
「別にどっちでも構わねェ」
「そうなの?」
「料理なんて別にこれから上手くなっていきゃいいだろうがよ。プロになるわけでも
ねェし」
「それもそうだね。私も料理はするけど、味付けはパッパッと」
「お前ェは何でもかんでも、唐辛子をふりかける癖はやめたほうがいいぞ」
「あらまあ。でも美味しいよ」
「ものには限度ってモンがあるだろうよ」
「カプサイシンで美容に良いらしいし」
「胃に悪いっつうの」
「なかなか心配性だね、ハリーは」
なんというか、普通に仲の良いカップルのような会話にちょっとイラついてくる綾。
(……)
だがカレンはそれ以上に怒っているようだ。小刻みに震えているし。
「うーん、それじゃあさあ。性格はどうかな。どんな性格が好み? やっぱこう、
積極的なほうがいいかな」
「そうだな」
ふと播磨は考える。
こんなバカバカしい質問にも真面目に考えて答える播磨は、相当のお人好しか、
もしくは正真正銘のバカなのだろうと綾は思った。
「ちょっとくらい恥ずかしがり屋のほうが可愛げがあっていいかもしれねェな」
(恥ずかしがり?)
その言葉に、綾は少しだけ反応する。
「ほほう、恥じらいってのは大事ですね」
「度が過ぎるのもアレだが、お前ェはもっと恥じらいをもったほうがいいんじゃねェか」
「旅の恥はかき捨てって言うし」
「旅はしてねェだろ」
「ふむふむ」
陽子は笑いながら廊下のほうを見る。
隠れて見ている綾たちに目で合図を送っているのだ。
だいたい「よくわかったかな?」みたいなことを言いたいのだろう。
「それじゃあさあハリー」
「ん?」
「好きな髪型とかって、どんなの?」
「どんなってそんなん」
「私みたいなの?」
陽子はそう言って茶色がかったボブカットを見せる。
「違ェよ」
「じゃあ」
「そうだな、髪を二つに縛ってるのとか、いいんじゃねェか」
「なかなかの少女趣味?」
「違ェよ。例えばの話だ」
「ほうほう」
(……!!!)
綾は胸が急に締め付けられる感覚に襲われる。
(どうしましたアヤヤ)
心配そうにカレンが聞いてきた。
(な、なんでもない)
綾はそう言って口元を抑える。
「?」
(もう、なんなのよう)
綾は持ち前の記憶力で、先ほどの播磨と陽子との会話を思い出した。
播磨は胸の大きさを気にしない、つまり小さくても良い。
料理ができるできないは気にしない。ちなみに綾は料理はするけれど、全体的に
薄味なので、カレンやアリスには不評であった。
性格的に恥ずかしがり屋のほうが好き。
髪の毛を二つに縛っている、つまりツインテールが好き。
それらを総合すると……。
(やだっ! 播磨くんの好きな人って、もしかして私!?)
カレンを目の前にして動揺する綾。
(どうしよう。播磨くんって男らしいところもあるけど、基本私の趣味じゃないし。
でもあんな太い腕で抱かれたら……、アババババ)
「あれ? 綾ちゃんいカレン。どうしました?」
「ふひぃ!!!」
心臓が飛び出るかと思うほど驚く綾。
「そこまで驚くことないじゃない」
そう言ったのはアリスだ。
「Oh! シノにアリスじゃないデスか。どうしました、その格好は」
「模擬店の衣装ですよ。播磨くんにも見せようと思って」
そう言うと、忍はくるりと回って見せる。
ロングスカートのメイド服だ。
エプロンドレスの白が眩しい。
「あー、そうなの」
綾はまだ胸の動悸が収まっていなかったけれど、努めて平静を装った。
*
翌日、まだ綾はドキドキが収まらないまま、学校へと向かった。
「おはよう」
「うん、おはよう」
クラスメイトや顔見知りの生徒たちとあいさつを交わしながら学校へ向かう。
(どうなんだろう。やっぱり播磨くんは私のこと。だからカレンとは)
そう考えるとどんどんと顔が熱くなる。
「どうしたの? 綾。顔が赤いよ」
一緒に登校していた陽子が綾の顔を覗き込みながら言った。
「なななな何でもない」
「あ、わかった」
「何よ」
「メイド服を着るのが嬉しいのね」
「ち、違うから。それに嬉しくもないし」
「そう」
(陽子は恋愛感情とかには疎いからあんまりわからないだろうなあ)
そう思いながら綾は一つため息をつく。
(もし、播磨くんに告白されたらどうしよう。確かに、文化祭で仲良くなって付き合う
カップルは多いけど……)
「オハヨゴジャイマース」
変な日本語で挨拶をする生徒はあまり多くない。
「おはようカ――」
振り返ると、昨日とは違うシルエットが。
「ど、どうしたのカレン、その髪型」
「いえいえ、文化祭なのデ、ちょっとimage changeしてみまシタ」
カレンはそう言って笑う。
「イメチェンって言われても」
カレンは長いサラサラの髪の毛を綾と同じように二つに縛っていた。
ただし、髪の毛の量が多いのでツインテールではなくツーサイドアップではあったけれど。
つづく
文化祭の準備も終盤に差し掛かった頃、再び教室に入ってくる暑苦しい面々。
東郷雅一およびD組のメンバーだ。
今日はハリー・マッケンジーは来ていない。
「おいおい何の用だ? 文化祭に勝負するようなことはないと思うが」
男子生徒の一人が言った。
「よく聞けC組の生徒たちよ! わがD組は今度の文化祭で演劇を行う!」
「ENGEKI!」
ララ・ゴンザレスがなぜか得意気に同じことを言う。
「デース!」
そしてカレン。
「我々が行う演劇は、愛と感動の物語だ!」
「MONOGATARI!」
「デース!」
「午後から公演が始まる。皆の者、括目して見よ!」
「ミヨ!」
「デース!」
そう言うと、東郷たちはツカツカと帰って行った。
「あいつら、何しにきたんだ」
別の生徒がつぶやく。
「よく聞け! B組の生徒たちよ!」
ふいに、隣りのクラスからも声が聞こえてきた。
どうやら、宣伝に来ていたようだ。
しかし彼らは単純に演劇と言っただけで、具体的になんの劇をやるのかは、
C組の面々にはわからなかった。
もざいくランブル!
第13話 舞 台 shine
文化祭当日。
播磨たちのいるC組はイギリス風のメイドと甘味処を合わせたちょっとわけが
わからないものになっていた。
和菓子と洋菓子。
メニューも二種類、さらに店員の服(コスチューム)も二種類ある。
甘味処組は和服姿。メイド組はメイド服を着ている。
ふだんからヒラヒラしたものが好きな忍はメイド服を嬉しそうに着ていた。
一方、すでにお忘れのかたもいるかもしれないけれど、日本文化を愛してやまない
アリスは和服を着ている。
これで金髪でなければ、時代劇の団子屋に出てきてもおかしくないだろう。
なお、陽子はアリスと同じ甘味処の衣装、綾は忍と同じメイド服を着ているのだが、
「あれ? 綾は?」
陽子が周りを見回す。
「アレレレ?」
「あ、あっちにいるよ!」
別の女子生徒が教室の外を指さす。
「何してるのよ。早く入って」
陽子がわざわざ外に出て綾を引っ張り込む。
「ややややヤメテー!」
恥ずかしそうに綾は顔を伏せる。
「綾ちゃんカワイイー!」
「似合うー」
「もうっ、本当にやめて」
顔を真っ赤んした綾が怒る。
彼女は本当に恥ずかしがっているようだ。
「アリスも恥ずかしがり屋ですけど、綾ちゃんはそれ以上ですねえ」
忍はそう言って笑う。
「もうっ、笑い事じゃないんだから」
「そういえば、しのはメイド服だけど」
陽子が不意に忍に話をふる。
「はい、どうですか」
忍はくるりと回転して見せる。長いスカートがフワリと浮きあがった。
もう何回やったかわからない。
「まあなんていうか、普段の服装があんなんだから、別段驚きはしないけど」
「ん?」
「しのの場合はアリスみたいな和服のほうが似合ってるんじゃないかなあって思って」
「そうですよ! シノは和服のが似合います!」
アリスはいつになく強い口調で言った。
「そそそ、そんなこと言われましても……、私、メイド服好きだし」
「まあ、しのが和服来たら市松人形みたいだけどね」
笑顔で陽子は言った。
「え、それは褒めてるんですか?」
「もちろん!」
陽子の顔に迷いはない。
「おい、仕込みの材料はまだあんのか?」
不意に長身のサングラスが入ってきた。
播磨拳児だ。
「ひゃあっ!」
播磨の姿に驚いた綾が慌ててアリスの背中に隠れる。
「何やってんだ?」
「照れてるのよ、綾は」
陽子は笑って受け流す。
「それよりハリー。あんたエプロン姿似合うじゃん」
「うるせェ。制服が汚れるからこうしてるだけだ」
「またまたあ。それよりどう? ウチらの制服」
「制服?」
「喫茶店の制服と言えば、メイド服ですね」
忍は迷いなく言い放った。
「いや、多分それは違うと思うぜ……」
播磨は小さくつぶやく。
「それでハリー。うちらのフロアー衣装はどうなの?」
「感想言わなきゃダメかよ」
「せっかくの衣装なんだよ? 楽しまないと」
「和服のほうは……、いいな」
播磨は少し考えてからつぶやく。
「何よ、もっと具体的に言ってよ」
「いいつってんだろうがよ」
「照れてる?」
「照れてねェよ」
「じゃあメイド服のほうは?」
「メイド?」
播磨が視線を向けると、忍は笑顔を見せてスカートの裾をちょこっとあげて見せた。
「まあまあ」
「あれ?」
「綾はどう?」
「ちょっと陽子、やめてよ」
照れながら怒る綾を無理やり播磨の前に出す陽子。
しかし綾は恥ずかしさのあまり、アリスを抱えたままであった。
「どう? 綾のメイド服」
「……ふむ」
「何よ」
極度の緊張と恥ずかしさのためか、アリスを抱きしめながらキッと播磨を睨む綾。
「意外と似合うもんだな」
「い、意外とは余計だし!」
心なしか照れくさそうにする播磨。
(やっぱりこの人、私のことを……?)
「まあいい。俺は仕込みに戻るぜ」
「おー、頼むよ」
「ふわああ」
播磨は大きな欠伸をした。
「何なのよハリー。文化祭の当日にそんな緊張感のない欠伸しちゃって」
「昨日はろくに寝てねェんだよ」
「夜更かしはダメだよ。美容の敵だ」
「俺は別に肌質とか気にしてねェから」
そう言って、播磨は教室を出ようとすると、不意に綾に抱かれたままのアリスが声をかけた。
「あの、ハリマくん」
「どうした」
先ほどまでの眠たそうな顔が、一気に元に戻る播磨。
「色々頑張ってくれて、ありがとうね」
「お、おう……」
「どうしたのハリー」
「何でもねェよ」
なぜか、播磨は顔を赤くしながら教室を出て行った。
「なんなのよ、アイツは」
そんな播磨の大きな後ろ姿を見つめながら、綾はポツリとつぶやく。
*
「おはよゴジャイマース! 遊びにキタよ!!」
元気いっぱいの九条カレンがC組の喫茶店に遊びに来た。
「いらっしゃいませ」
人見知り気味のアリスが必死で挨拶をする。
「ひゃーっ、団子屋の娘みたいなアリスもカワイイデス!」
「きゃっ、やめてよカレン」
カレンは勢いよくアリスに抱き着く。
「甘味処とメイド喫茶の融合デスか。なかなかカオスデスネ」
「普段からカオスなカレンには言われたくないなあ」
珍しく皮肉で返すアリス。
「いらっしゃいませ……」
「ひゃあー! アヤヤ! アヤヤカワイイデース!」
「もうっ! やめてよ。やっと慣れてきたところなのに!」
綾のメイド服姿に興奮を隠しきれないカレン。
「カレン、私のメイド服はどうですか?」
物凄い笑顔で忍は言った。
「え? ハイ。可愛いデスヨ」
反応が薄い。それもそうだろう。普段からヒラヒラした服が好きな忍のことを
カレンは知っていたからだ。
「ナカナカいい雰囲気のお店デスネ。素人くささがいい味出してマス」
「それは褒めているのか?」
お茶を出しながら陽子は言った。
「いいデスネ。喫茶店。カレンもwaitressやってみたいデス」
「ほう、いいね」
その言葉に陽子は頷く。
「カレンが店員なら、すぐに店のナンバーワンになれるよ」
「ちょっと陽子。ここはそういう店じゃないから」
素早くツッコミを入れる綾。
「いらっしゃいませ! ご注文は何に致しマス? お団子? おケーキ?」
「……」
「おっとお客様! 私は商品に入りませんデスよ!」
「……」
「……それで注文は?」
「んもう、ノリが悪いデスね。それじゃあこの、和洋折衷セットをください」
「かしこまりました」
陽子は一礼すると、再びカレンを見る。
「どうしマシた?」
陽子の視線に気づいたカレンは、そう聞き返す。
「ハリーならいないよ?」
「ブッ!」
思わず吹き出すカレン。
「ゴホッ、ゴホッ。一体何を言ってるデス」
「あれえ? さっきから教室の中見回してたから、もしかしてと思って」
「べ、別にハリマのことなんて気にしていないんだからネ!」
「まあ、それならいいんだけど……」
「ヨーコ。私は午後から舞台があります」
「ああ、そういえばD組は演劇をやるんだよね」
「ぜひ見に来てくだサイ」
「もちろん行くよ。それで、演目は何?」
「え、知らないのデスか?」
「もう全然聞かされてないよ」
「それは――」
*
「白雪姫?」
「うん、カレンの言うにはそれがD組の劇の演目みたい」
「しっかし、白雪姫なんて古風だねえ」
午後になってから、模擬店の客足も少なくなったので、綾や陽子たちは連れだって、
体育館で行われるD組の演劇を見に行くことにした。
「あ、結構人が多い」
体育館に着くと、薄暗い体育館に並べられたパイプ椅子はかなり埋まっていた。
「まさかこんなに人気とは……」
人の多さに圧倒されるアリス。
「本当ですね」
忍も言った。
「そういえばしの、なんでまだ着替えていないの?」陽子は聞いてみた。
忍は未だにメイド服のままである。
「え? だって可愛いじゃないですか」
「……そうですか」
陽子はそれ以上言うことをあきらめる。
「もうすぐはじまるみたいですよ。早く席に着きましょう」
「やっぱり白雪姫っていうくらいだから、カレンが白雪姫なのかなあ」
まだ幕の開いていない舞台を眺めながらアリスは言う。
「確かに、カレンの白雪姫ならお似合いかもしれませんね」
忍もそれに同意する。
白雪姫は、継母(原作では実母)に殺されかけた姫が、森の中で7人の小人と暮らし、
その後リンゴ売りに化けた継母に毒りんごを食べさせられて死ぬ話である。
最後は、王子様が現れ、その王子様のキッスによって復活するという都合の良いお話である。
「高校生がやるにはちょっと子供っぽいかもしれないけど」
陽子はプログラムを見ながら言う。
「私は結構好きかも」
それに大して綾は言った。
「綾は恋愛ものがいいんでしょう?」
「べ、別にそんなんじゃ」
それぞれが話をしながら待っていると、ブザー音とともに幕が開いた。
「ワタシガ! 白雪姫!!」
カレンよりも更にカタコトな日本語が会場に響く。
浅黒い肌に長身、キレイな黒髪が特徴であるメキシコからの留学生、ララ・ゴンザレス
が白雪姫役として出てきたのである。
「……斬新な白雪姫だな」
全員がそう思った。
*
播磨拳児は朝からずっと眠気を我慢していた。
それでも模擬店の仕込みを午前中からずっとやってきたため、その疲労も重なって
眠気がピークになる。
(どこかで休めるところはねェかな)
そう思いながら校内を徘徊する播磨。
文化祭中は、いたるところに人がいるので寝ていると目立ってしまう。
こんな所で人に見られるのも嫌なので、なるべく人目のつかない場所を探していた。
そしてたどり着いたのが、体育館の舞台裏。
演劇用の大道具などが所せましと並べられている。
そんな中、なぜか置いてある巨大なベッド。
「お、ちょうどいい。このベッドで休ませてもらおう」
眠気がピークに達していた播磨は、ベッドに横にある。
遠くからは、何かバタバタやっているような音が聞こえるけれど、今の播磨には
そんなことを気にしている暇はなかった。
目をつぶった瞬間、一気に意識が途切れる。
*
「おのれえ! 白雪姫の仇いいいい!!」
「ギャアアアアアアア!!!」
継母とその護衛、そして7人の小人たちによる大規模な殺陣(たて)が終わると、
いよいよクライマックスである。
王子様のキスによる白雪姫の復活。
毒りんごによって死んでしまった白雪姫を王子様が発見するのだ。
幕が上がると、白雪姫が寝ていると思われる大きなフランスベッドが舞台上に
運び込まれていた。
しかしベッドに寝ている人物を見て、会場の一部がざわつく。
「え? あれって」
陽子は思わず声を出した。
「播磨くん?」
ベッドに寝ていたのは、お馴染みのサングラスをかけた不良、播磨拳児であった。
「なんであんなところに」
ただ、播磨を知っているC組のメンバー以外は、白雪姫役のララ・ゴンザレスの印象があまりに
も強かったので、今更白雪姫が男になっていてもあまり驚いていなかった。
(なんであそこに播磨くんがいるのよ!)
驚きと動揺の中、舞台上には九条カレンが登場した。
《そこに現れたのは、隣国のカレン王子でした》
ナレーターの声とともに、カレンが登場する。
ディ○ニーの映画に出てくるような典型的な王子様の格好だが、スタイルの良い
カレンにとって、男装は似合い過ぎていた。
「カレン、素敵」
カレンの男装を見て忍は溜息をつく。
*
満を持して舞台上に登場するカレン。
緊張の瞬間だ。
しかしそこには、
(!!!)
播磨拳児である。
播磨拳児が、本来白雪姫の寝ている場所で寝ているのだ。
(なななななん、なんでハリマがここにいるデス!)
驚きのあまり、頭の中まで日本語で考えるカレン。
(落ち着け、落ち着くのよカレン。これは何かの間違い。私は夢を見ているのよ)
そう思い、もう一度舞台隅にあるベッドを見るが、やはり播磨拳児であった。
これは緊急事態だと重い、舞台の前で指示を出す演出担当の生徒のほうを見ると、
『No problem. Continue.(問題ない。続けろ)』
と書かかれたスケッチブックをこちらに見せてきた。
(おのれサガラ、何を考えているデス)
怒ったところで仕方がない。
「ああ! なんとキレイな姫でありましょうか!!」
カレンは演技を続ける。
脚本によれば、ここでキスをして白雪姫が復活するのだが。
(うう、どうすればいいデスか)
カレンが近づき、播磨に触れると、
「ふわあああ! 少し楽になったな」
いきなり播磨が起き上がる。
「……」
「あれ? 何だ? 何で俺がこんなところに」
播磨は状況を理解していないようだ。
《なんということでしょう! 王子様の愛によって白雪姫が復活しました!》
強引なナレーションによって、物語は進む。
「えええええ!?」
突然の状況に驚いた様子の播磨。
(ちょっと起きるデス!)
そんな播磨を、カレンは強引に起こしてベッドから出させる。
(おい九条。これは一体何だ)
(こっちが聞きたいデスよ。それより、ここは上手く乗り切って欲しいデス)
(上手く乗り切る?)
舞台上で小声で会話をする二人。
この間数秒。
(とにかく、上手く話を合わせて欲しいデス。もうすぐ劇は終わりますから)
(お、おう)
カレンの提案に乗って、播磨は彼女に協力することにする。
忍や陽子相手だと、しばしば誤解の生じるカレンのコミュニケーションだが、
播磨相手だとほとんど言葉を交わさずに話が通じてしまうから便利だとカレンは思う。
だが何をしたらいいのかわからない。
「さあ白雪姫! これから二人で未来を築こう!」
とりあえず台詞を言ってみる。
「は、はい」
それに対し、弱々しく、播磨(白雪姫)は返事をする。
《こうして、白雪姫と王子様は結婚して幸せに暮らす……》
やっと舞台が終わる、と思ったそのとき、
《――かのように思われましたが》
「え?」
「ふわっはっはっは! ちょっと待ったあ!!!」
「!!?」
聞き覚えのあるクソウザい声が会場内に響き渡ったのだ。
つづく
スクランときんモザの文化祭シナリオを混ぜたらとんでもないことになってしまった。
果たして収集はつくのだろうか。後編に続く。
基本的に全部書き終えてから投下するのが筆者のジャスティス
なぜか白雪姫役として舞台に立つことになった播磨拳児。
演劇の中だけとはいえ、カレンが演じる王子様と結婚して幸せな結末を迎えると思われたその矢先、
「ふわっはっはっは! ちょっと待ったあ!!!」
「!!?」
聞き覚えのあるクソウザい声が会場内に響きわたる。
ここでナレーションが入った。
《どこからともなく登場したのは、王子様の国の隣りにある、トーゴー王国の姫、
トウゴウ姫だったのです》
「トウゴウ姫……?」
「王子様と結婚するのは、この私だあ!!!」
無駄のない筋肉のついた二の腕を惜しげもなく晒したドレス姿の東郷雅一が舞台の
中央に現れた。
ご丁寧にもスポットライトが当てられている。
(こいつ、なんつう格好をしてんだ)
女性用ドレスを着た東郷は、特に恥ずかしがることもなく堂々としている。
むしろ見ているこちらが恥ずかしいくらいだ。
「貴様! 白雪姫とか言ったな!」
トウゴウ姫役の東郷が播磨に向けて指をさす。
「なんだ?」
「この私を差し置いて王子様と結婚など許さない! 勝負しなさい!」
「なにい!?」
予想外の展開に驚く播磨。
(白雪姫ってこんな話だっけ)
頭の中にある童話の話を思い出すも、こんな展開はなかった。
「勝負って、何をするんだ」
「もちろん、決闘よ!」
そう言うと、東郷は竹刀を持った。
もざいくランブル!
第14話 決 闘 crossroads
「さあ、剣を取れ白雪姫!」
東郷はそう言うと、播磨に竹刀を投げてよこす。
「どういうことだこりゃあ……」
播磨がいきなりの展開に戸惑っていると、舞台そでからゾロゾロとスタッフが出てきて、
舞台上に置いてあった木々やベッドなどを次々に片付けて行った。
次いで、播磨と同じように竹刀を持った生徒たちがドカドカと入ってくる。
「衛兵の皆さん! そこの白雪姫をやっちゃいなさい! カレン王子には危害を加えないように!」
東郷は言い放つ。
「ちょっと待て! お前ェが戦うんじゃねェのかよ!」
播磨は東郷に向かって叫んだ。
「バカなことを、総大将がいきなり前線に立つはずがないだろう。俺を倒したければ、
衛兵を倒してからにしろ」
役を忘れたのか、男口調にもどった東郷がそう言い放った。
「ハリマ……」
不安そうに声をかけるカレン。
「九条、お前ェは下がっていろ。何、すぐ終わる」
「ワカッタ」
カレンは頷くと、舞台の隅に避難する。
舞台を見回すと、総勢十人程度。
全員手に竹刀を持っている。
衣装はまちまち。西洋風の甲冑を身に着けている者もいれば、足軽みたいなやつもいる。
一体この物語はどこの国のいつの時代のものなのか、播磨にはわからない。
「とにかく、このまま黙って袋叩きにされる気はないぜ」
播磨がそう言うと、
「斬れい! 斬り捨ていい!!」
まるで悪代官のように言い放つ東郷。
「うおわあああ!!!」
その言葉を合図に、二人が斬りかかってきた。
「どりゃあ!」
それをかわして背中や頭などに竹刀を叩きこむ播磨。
ストリートファイトを多くこなした彼は、武器の扱いも慣れているのだ。
「いいぜ播磨。お前がカレン王子をモノにできると思って―― そげぶっ!!!」
一人の生徒が台詞を言い終わる前に播磨は竹刀を叩き込む。
容赦などしない。
「そっちがその気ならこっちも手加減しないぜえ!」
「どりゃあああ!!」
バチンバチンンと竹刀がぶつかる音に合わせて、会場では《キンキン》という
効果音が響く。それがまるでチャンバラ映画を見ているような臨場感を生み出していた。
「おりゃあ!」
「ぐはあ!」
次々に襲い掛かってくる敵を斬って斬ってきりまくる播磨。
中には一度倒されたのに再び起き上がって戦おうとする者までいたが、そういう
奴は倒れた上に蹴りをかます。
戦うこと十数分、多少は苦戦したものの、播磨は粗方の敵を倒し終えた。
さすがに時代劇の敵役のように相手はあっさりとはやられてくれなかったようだ。
おかげで播磨の持っていた竹刀はボロボロである。
「はあはあ、ちょっとキツかったが、体育祭のアレに比べりゃ楽勝だぜ」
そう言っていると、再び舞台が暗くなる。
そしてまたスポットライト。
「ああ?」
光の先には、東郷雅一がいた。
しかも今度は先ほどまで来ていたドレスではなく西洋風の鎧を身につけている。
「なんだお前ェ、その格好は」
「ふっ、戦いに赴くのにドレスはなかろう。これが決闘における正装だ」
東郷がそう言うと、今まで倒れていた連中がよろよろと舞台そでに避難して行く。
(まだ動けたのかよコイツら。意外と根性あるな)
そんなことを思っていると、東郷も誰かから竹刀を受け取る。
「俺は部下たちとは違う。このトウゴウ姫、貴様を倒すぞ! 覚悟しろ白雪姫!」
辛うじて設定を覚えていたようだが、もはや東郷は女言葉は使わなかった。
無理もない。舞台衣装からして、どう見ても女には見えないのだ。
東郷の着ている鎧は、見た目は光っていたけれども、よく見ると柔らかそうだった。
本物の鎧を着ていたのでは重くて上手く動けないだろうし、当たり前かもしれない。
「勝負だ! はり……、白雪姫!」
一度名前を間違いながらも、東郷は播磨に竹刀を向ける。
「ハリマ……」
舞台の隅からカレンが心配そうに声をかける。
「問題ねェ。パパッと済ませてやる」
播磨はそう言い放った。
(くそが。また九条に心配されるとは、俺もまだまだだな)
播磨は心の中でそう思いながら竹刀を構えた。
「いい構えだ」
《~♪》
体育館のスピーカーからは時代劇『三匹が斬られる』のテーマが流れる。
白雪姫のはずだったのに、雰囲気はもう完全に時代劇だ。
「行くぜ!」
「来い!!」
乾いた音が舞台上に響く。
東郷と播磨の一騎打ちに観客席は弥が上にも盛り上がる。
「うおおおおおおお!!!」
「トーゴー! トーゴー! トーゴー!!」
D組のサクラがいるのか、やたら東郷コールが繰り返されていた。
播磨の応援も少しはいるけれど、東郷コールの前にかき消される。
(気分悪いぜ)
そう思いながら激しく竹刀がぶつかり合う。
「その程度か、播磨拳児」
「お前ェは姫様じゃなかったのかよ!」
振り払う竹刀が東郷の竹刀を叩く。
「まだだ、まだ負けん!」
「ぬ……」
一瞬の動き。
微妙な変化に播磨は対応しきれニア。
「ぐっ!」
あと一歩踏み込みが深かったらやられていた。
「くそが……」
筋骨隆々の東郷であったが、その剣は決して力任せではない。
むしろ風のような鋭さすら持っている。
そしてここぞという場面での打撃は、
重い――
「ぐわっ!!!」
一歩、二歩と引く播磨。
ジワジワと舞台隅に追い込まれていくようだ。
(クソッ。こいつただのウザキャラではなかったか。明らかに天王寺よりも強いぞ)
体育祭で暴れた天王寺昇よりもはるかに大きい威圧感を播磨は感じていた。
「なんと手応えの無い。鎧袖一触とはこの事か」
「ほざけっ!」
今度は播磨が攻勢に出る。
一歩、二歩と東郷を押し返す。
だが東郷に焦りの色は見られない。
じっくりとこちらの動きを見ているようだ。
「確かにいい剣だ。しかし、怨恨のみで戦いを支える者に俺を倒せん!
俺は義によって立っているからな!」
「義だと?」
「貴様にはわかるまい」
鋭い衝撃によって播磨の竹刀は弾き返される。
「何い!?」
そして上段からの一刀――
「!!!!」
その瞬間、当初の激戦の中で壊れかけていた播磨の竹刀が完全に崩壊する。
(しまった――!!)
そう思った時、既に東郷は竹刀を冗談に振りかぶっていた。
(負けるのか、この俺が!!)
播磨は腕を上げて衝撃に備える。
骨が折れるということはないだろう。
だが、そうとうの痛みはあるはずだ。
(くそ、この痛みは罰なのか)
竹刀が振り下ろされるまでの刹那の中、播磨はそんなことを考えていた。
だが、
「な!!」
乾いた衝撃音。
だが播磨は痛みを感じていなかった。
(何があった)
播磨が目を開いたその時、
目の前に一つの影があった。
「お前ェ」
「なに!?」
九条カレンが竹刀で東郷の竹刀を防いでいたのだ。
東郷の体重の乗った打撃を受け流すカレンの守りの剣捌きは見事という他ない。
「カレン……。どういうつもりだ!」東郷は言う。。
それに対してカレンは、
「フェアじゃないデスよ、トーゴー。播磨の剣は壊れています」
「勝負の中でそんな不運はよくあることだ」
「勝負というのなら、なるべく対等になるように取り計らうべきデス。
すでにハリマはあなたよりも多く戦っていマス」
「キミはどちらの味方だ、プリンセス」
「今は“プリンス”デスよ。トーゴー姫」
「……そうだったな」
そう言うと、東郷は構えた竹刀をおろす。
「おい九条。どういうつもりだ」
播磨はカレンの後ろ姿に向かって問いかける。
「別にどうということはありまセン。私は対等な戦いが見たいだけデス」
カレンはそう言うと、自分の持っていた竹刀を播磨に渡した。
「九条」
「なんデス?」
「お前ェに助けられたのは、二度目か」
「二度目……」
一度目はそう、夏にカレンの執事、ナカムラ(が変装した男)に襲われた時だった。
「余計なことしやがってヨ」
播磨はそうつぶやく。
「余計ですか……」
「お前ェよ。これで負けたら、本気で俺がかっこ悪いじゃねェか。女に護られた上に負けるってよ」
「だったら――」
「……」
「だったら勝ってクダサイ。それならイイでしょ?」
「ケッ、言われるまでもねェ」
そう言うと、播磨はカレンから受け取った竹刀を一振りする。
ヒュッと風を切る音が鳴り響いた。
気のせいかもしれないが、腕が軽くなったようだ。
「チッ、行くぜ東郷。仕切り直しだ」
「フッ、何度やっても同じことだ。播磨!」
もはや役名では呼ばなくなった二人は、再び竹刀を構える。
「……」
「……」
一瞬の静寂。
二人は互いの間合いを探る。
どちらも自分の都合の良い間合いを探してるのだ。
(東郷の剣は早く、そして重い。だが、付け入る隙はあるはずだ)
「でりゃああ!」
「フンッ!!!」
ガチリと竹刀がぶつかり合う音。
そして数発の打ち合い。再び間合いを取って、更に打つ、打つ。
「どりゃあ!」
「甘い!」
剣道とは違うので、下半身の攻撃もある。
だが東郷は、巨体に似合わずふわりと播磨の剣をかわす。
防具も付けていないので物凄い緊張感だ。
「ウオオオオオオオオオ!!!」
「行けえええええ!!」
「東郷おおおおお!!!」
その真剣勝負に会場は再び沸いた。
後から考えれば、大けがにも繋がりかねないこの勝負をよくもまあ学校側は容認したものだ。
そんなことはどうでもいい。
とにかく播磨と東郷は打ち合う。
「トーゴー! トーゴー! トーゴー!」
再び響く東郷コール。
コールに合わせて床を慣らす者もいる。
接近してのつばぜり合い。
顔が近くに寄った。
「往生際が悪いぞ、播磨拳児!」
「そいつはお互い様だろうがよ」
東郷の息遣いがわかるほどの近さ。
「お前は何のために戦う」
「戦いに理由なんてねェだろう」
「ウソだな」
「なに?」
「貴様、本当はカレン嬢のことをどう思っているのだ?」
「何で今そのことを」
「これは重要なことだ、播磨拳児」
「いちいちフルネームで呼ぶな気持ち悪い。あと唾を飛ばすな」
「俺はこの戦いに勝てば、告白しようと思う」
「……!」
「九条カレン、実に魅力的な女性だ」
「……そうかよ」
「ちなみに、劇中では王子様と結ばれた姫がキスをすることになっている」
「はあ!? どういうことだそりゃあ!」
「今言った通りだ!」
バチンと竹刀を叩きつけた東郷は再び距離を取る。
「訳の分からんことばかり言いやがって」
「貴様が理解しないだけだ」
「理解する気もねェな」
「心に正義の無い者が、この俺を斬ることはできん」
再び距離を詰める。
「まだまだ!」
播磨は竹刀を払う。
だが東郷は止まらない。
「どりゃあ!」
肩口からのタックル、いわゆる体当たりが決まる。
「どわあっ!」
想定外の衝撃に思わず吹き飛ばされる播磨。
だが袴をはいていない彼はすぐに体勢を立て直して起き上がる。
そこに襲い掛かる東郷。
重い剣。
それは竹刀や筋力だけの重みではない。本物の重さ。気持ちの重さ。
「トーゴー! トーゴー! トーゴー!」
「東郷おおおおおお!!!」
「おおおおおおおおおおお!!!」
東郷を応援するD組の生徒たち。
単純に勝負を見て興奮する者たち。
熱気と混沌が包む世界の中で、播磨は――
「ハリマアアア!!! しっかりするデエエエエエエス!」
不意に耳に飛び込んでくる、カレンの声。
すぐ近くにいるから。
それだけでは説明できないほど、明瞭に彼女の声だけを拾うことができる。
「終わりだあ!! 播磨拳児いいい!!」
再び上段に構えて向かってくる東郷。
「終わりなのは、テメーだああ!!」
脚力を全力で使い、そこにぶつからんほどの勢いで突進。
そして、
竹刀を全力で振り抜く。
「――なっ」
何度目かの静寂。
その戦いを見ていた、誰もが息をのむ。
先ほどまで対峙していたと思われた、東郷と播磨の二人がいつの間にか背中合わせになっていたのだ。
「……見事だ」
その一言を残して、東郷はその場に倒れた。
「終わったのか」
播磨が振り返ると、そこにはうつ伏せに倒れた東郷の姿があった。
「うをおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「やったあああああああああああああ!!!!」
「すげえええええ!!!!!」
勝負の終わりとともに、一呼吸遅れて客席から大きな歓声が上がった。
(やっと終わった。これで帰れるぜ)
播磨はそう思いホッと胸をなでおろす。
「おめでとうデス。ハリマ」
そう言ってカレンが近づいてきた。
「こんなんでよかったのか。なんか滅茶苦茶になっちまったけど」
「滅茶苦茶なのは最初からデス。構いません」
カレンはそう言って笑う。
顔が紅潮して見えるのは、舞台の気温が照明の熱と観客席の熱気で上がっているからだろうか。
《こうして、トウゴウ姫との勝負に勝った白雪姫は――》
ナレーションは続く、
《幸福なキスを交わしました》
「……は?」
「キスだあああ!!」
「きゃああああ!!!」
いきなりのキス発言に驚く播磨。
(確か東郷も、そんなことを言っていたような)
ふと見ると、先ほどまで紅潮していたカレンの顔が真っ青になっている。
これこそ予想外な展開であろう。
「キース! キース! キース! キース!」
先ほどまで東郷コールをしていた連中が、今度はキスコールを繰り返す。
「キース! キース! キッス! さっさとキスしろ!」
「しばくどっ!」
「羨ま死刑!!!」
会場が揺れる。
キスをしないと暴動でも起きかねないほどの盛り上がりだ。
(どうする! ここでキス……、んなことできるわけねェ!)
(ハリマ……!)
カレンの視線から播磨は彼女の思考を読み取る。
ここはもう、覚悟を決めるしかない。
播磨は決意し、手に持っていた竹刀を捨てる。
「キース、キース、キース!」
大きく息を吸い、そしてカレンの手を握った。
久しぶりに握った彼女の手は、相変わらず柔らかかった。
指に絆創膏があるのは、また料理の練習で失敗したからだろうか?
「九条」
「ハリマ」
怒涛のキスコールの中、二人の取った行動は、
escape(逃げる)!
二人は手を取り合って走り出すと、人垣を縫うように体育館の外に飛び出した。
暗幕で暗くされた体育館の中から急に明るい外に出ると、太陽の光が眩しい。
「ハリマ!」
「ん?」
「眩しいからサングラス貸してくだサイ!」
そう言うと、カレンは播磨のサングラスを奪い取る。
「おいっ! 何しやがる」
「返して欲しかったら、追いかけて!」
「もういいだろう! おい!」
播磨とカレンは、少しの間だけ追いかけっこをする。
二人とも、舞台の上での恥ずかしさが冷めるまで、しばらく走っていたかったのだ。
つづく
播磨が少年誌の主人公である限り、バトル展開は避けられない。
これにて文化祭編は終わり。さて、次回はあのツインテールが?
お嬢ではなく九条です。
本日マグロタイムのためお休み。明日更新しまっす。
「はい、とういうわけで、今日は学校ボランティア活動の一環としてゴミ拾いを
行いたいと思いまーす」
というわけで行われるゴミ拾いのボランティア。
参加する生徒の大多数は面倒だと思っているこの行事に、播磨拳児をふくむ
多くの一年生たちが強制で参加させられるのである。
しかも今回は、担任の烏丸教諭の思いつきにより、お楽しみ要素が加えられることになった。
ゴミ拾いは数人の組で行われるのだが、その組はくじ引きによって決められる。
(全くいらん要素だ。ゴミ拾いも嫌だが、くじ引きでグループ作りとは)
播磨はそう思いつつくじを引く。
しかし、少しばかり期待もしていた。
(もし、アリスちゃんと同じ組になったら……)
だが世の中そんなに上手くいくはずもない。
「あ、播磨くん」
「小路?」
播磨拳児は、同じクラスの小路綾と同じグループに入る。
なお、他のメンバーの名前はよく知らない。
もざいくランブル!
第15話 ゴミ拾い preparation
(あー、マズイマズイマズイ)
別に美味しくない料理を食べたわけではない。
小路綾の心の声である。
(今はあまり播磨くんとは会いたくなかったんだよなあ。なんていうか、
まだ心の準備ができていないというか)
動揺の中、必死に自分に対して言い訳をする綾。
なんのために言い訳をしているのかは定かではないけれど、とにかく焦っていた。
「おい、何してんだ」
「ひっ!」
播磨に声をかけられただけで、身体が大きく揺れる。
「おい、大丈夫か」
「アハハ、大丈夫大丈夫」
珍しく愛想笑いをしながら、綾は手を振る。
思えば、文化祭の準備をしていたあの夜から、綾は播磨のことを考えるようになっていた。
(どうしたらいいんだろう。そりゃあ、播磨くんはいい人だと思うけど)
彼女の苦悩は続く。
数日前、綾はそれとなく陽子に聞いたことがある。
☆
「ねえ陽子」
「なに?」
「播磨くんのこと、どう思う?」
「え、ハリー? どうって」
「だからその、好きとか嫌いとか」
「好きだよ」
「えええ!!?」
あまりにもはっきりと言ったため、綾は腰を抜かさんばかりに驚いた。
「アハハ。でも好きって言っても友達としての好きだけどね。なんていうか、
ハリーとはあんまり恋愛とかの関係にはなりそうもないっていうか」
「どういうこと?」
「まあ何となく? ほかに好きな人いるみたいだし」
「誰?」
「わかんないよ。直接聞いてみれば?」
「い、いや。なんていうかもうっ!」
☆
思い出しただけで顔が熱くなる綾。
(播磨くんの好み。胸は小さくて恥ずかしがり屋で髪の毛を二つに縛っているって、
やっぱり私なのかな)
播磨は好きな人がいるから、という理由でカレンとの関係を断ち切った。
一時期はいい感じだと思われていたその関係は、夏休みを境に終わってしまったのだ。
(あんな美人との関係を壊してまで、追い求める彼の想い人って)
そう思うと、自分に自信が無くなる綾。
(播磨くんは、カレンと一緒にいる時、すごく幸せそうに見える。それはカレンも同様。
あの二人は、とても相性がいいと思う)
ここ最近、綾は同じことばかり考えていた。
(でも、もし私が播磨くんと付き合うことになったら……)
「……」
(想像できねえええ!!!!)
「おい、本当に大丈夫かよ」
「いや、いやいや。大丈夫だから!」
「何怒ってんだ」
「怒ってないから。むしろ泣きたいくらいよ」
もはや自分が何を言っているのかわからなくなる綾。
(とにかく、今は心を静めて、冷静になるのよ綾)
綾は自分に言い聞かせるように心の中でつぶやく。
*
ジャージに着替えた生徒たちが、河原や公園などでゴミ拾いをする。
毎年の恒例行事である。
「じゃあね、綾。頑張って」
「う、うん」
親友の陽子と別れて、綾は自分のグル―プに入る。
空を見ると分厚い雲がかかっていた。
天気が悪くなりそう。
そう思うと少しだけ気分の沈む綾。
(まあ、そんなことを考えても仕方ないか)
気を取り直して、自分たちのやる作業を確認する。
綾たちのいるグループは、主に河川敷を中心にやるらしい。
堤防を超えた場所には、確かにゴミが多い。
大雨が降った時に上流から流されてきたゴミもありそうだ。
「おい」
「ひっ!」
播磨の声に一々驚く綾。
「そんなにビビンなよ。何もしやしねェよ。それとも、まだ体調がおかしいのか」
「べ、別に。それじゃあ私行くから」
「おい待てって」
「な、何よ」
「軍手、忘れてっぞ」
「あ」
そういえば綾は素手であった。
ゴミ拾いに素手は不味い。
「ありがとう……」
そう言って綾は播磨から真っ白な軍手を受け取る。
「それじゃ行こうぜ」
そう言って、ゴミ袋や樋廻などを持った播磨が歩き出す。
「うん」
綾はその後ろに着いていくように歩いた。
トテトテと歩く綾。
元々インドア派で、それほど運動が得意ではなかった彼女にとって、歩幅の広い
播磨に着いていくのは少し大変であった。
(歩くの速いなあ)
そう思いながら綾は着いていく。
大きな後ろ姿は頼もしくもあるけれど、なぜか遠く見える。
*
「ここら辺が担当区域よ」
グループ長の女子生徒がそう言って範囲を指さす。
「それじゃあ、時間まで安全にやりましょう」
そう言って、作業開始。
ゴミ拾いなので、それほど難しくはないけれど、わりと量が多いので大変である。
周りを見ると、楽しげにお喋りをしながらやっているグループもいる。
これはボランティアではあるけれど、同時にレクリエーションのような要素もあるのだろう。
これを機会に、ちょっと播磨と話でもしてみようか。
綾は急にそう思い立つ。
何が彼女を思い立たせたのか、自分でもよくわからない。
「あの……」
そう言いかけた瞬間、見覚えのある金髪が目に飛び込んできた。
「じーーーー」
「カレン?」
「ひょっ、私はカレンじゃアリマセンよ?」
草の束を両手で持ったカレンがそう言った。どうやら草で偽装したつもりだったようだ。
しかしそのツヤのある金髪は草原では目立ちすぎる。
「ク・ジョー。ココニイタカ。探シタゾ」
不意に、別の場所からカレン以上にカタコトの日本語が聞こえてきた。
「ララ?」
長身で浅黒い肌。ツヤのあるキレイな黒髪が特徴的なD組のララ・ゴンザレス(メキシコ出身)である。
「何言ってるデス、ララ。カレンはずっとこの場所デスヨ?」
と、カレン入ってみるが、
「早クシロ。私タチノ場所ハココジャナイ」
そう言うと、ララはカレンのジャージの後ろ襟の当たりをチョンと掴んで連れて行った。
「もうちょっとこっちにいたいデース!」
「ハヤクシロ」
「カレンにはやることがあるんデース!!」
カレンの訴えも虚しく、彼女は元の作業場所に戻されて行った。
「なんだったんだありゃ……」
その様子を見ながら播磨はつぶやく。
「アハハハ」
綾は笑うしかなかった。
*
作業を進めながら綾は考える。
(あまり播磨くんと二人きりになるような機会って、ないのよね。だったらここで、
聞いた方がいいのかしら。でもどうやって)
そんなことを考えていると、クラスの女子生徒が話しかけてきた。
「ねえ、小路さん」
「え、なに? 嵯峨野さん」
「小路さんって、播磨くんと仲いいよね」
そう言って横目で播磨を見る女子生徒。
「え? いや。別にそこまで仲良しってわけじゃないけど」
「やっぱりさあ、アレなの? D組の九条さんと付き合ってるの?」
「うーん、それはないと思うけど」
「え、ないの? あんなに仲良さそうなのに」
「確かに仲は良いみたいだけど、好きとかそういうんじゃないって、本人も言ってたし」
「じゃあ誰と付き合ってるの?」
「いないんじゃないかな。よくわからないけど」
「誰が好きなんだろう」
「気になるの?」
「ほら、アレじゃない。播磨くんって、あれで結構目立つから」
「そりゃそうだけど」
「誰が好きなんだろうね。猪熊さんかな」
「それもないと思うけど……」
女の子は“そういう”話題に敏感だ。そして大好物でもある。
そして彼女の話をきっかけに、綾はもう一度考えてみる。
(播磨くんの好きな人が、忍でもなければ陽子でもない。ましてやカレンでもない。
だとしたら、やっぱり――)
そこまで考えて、いつも思考が止まる。
(もう、何考えてるのよ。確かに播磨くんは悪い人じゃないと思うけど。まあ、
不良だけど。でも文化祭の準備とかわりと真面目にやってたし、何だかんだ言って
先生の言うことも聞いているし、いい人なのかな)
グルグルと同じことを考える綾。
(ああ、わからない。やっぱり本人に聞いてみるしかないのかな。でもどうやって聞けば
いいのかしら)
迷う綾。
そして数分後、そんな彼女に天が味方(?)した。
*
突然の雨。
いや、予想通りと言ったところか。
昼過ぎから泣きそうだった空がついに雨を降らす。
それもかなり強い雨を。
「おおい、こっちだあ」
散り散りになっていた生徒たちが軒のある場所に避難したり、学校に戻ったりしていく中、
綾たちも避難することになった。
「おい小路。何やってんだ。行くぞ」
雨空を見上げながらぼんやりと立っている綾に、播磨は声をかける。
「どうした。やっぱり体調が悪いのか?」
「あ、いや、そうじゃないけど」
「濡れると風邪ひくぞ。早くしろ」
うん。
播磨と一緒に移動。
やや駆け足で進むので、付いていくのが精いっぱいだ。
「ねえ、播磨くん」
突然、綾は播磨を呼び止める。
「あン? なんだ。どうした」
「こっちで、雨宿りしよう」
「??」
綾は学校とは別方向を指さして言った。
*
河川敷にある橋の下。
漫画などでは、よく不良が喧嘩をしたり主人公がスポーツの特訓をしたりする場所だ。
橋は幅が広く、雨宿りにはちょうど良い場所でもある。
「ったくよ。学校も近いんだし、少し走ればいいじゃねェか」
肩口の雨粒を軍手で払いながら播磨は言った。
「ちょっとしたら雨も弱くなるよ。それに時間もわりと余裕があるから。それに私、
走るの得意じゃないし」
綾は厳しいと知りつつも言い訳をする。それは播磨に対して、というより自分に対する
言い訳でもあった。
「ね、ねえ播磨くん」
周囲には雨の音があり、自分の声がかき消されていくのがわかる。
「なんだよ」
「カレンとは、何ともないの?」
「ぶっ、何ともって何だよ」
「この前の文化祭の時だって、あんなに仲良さそうだったし」
「あれは成り行きだ。それに演劇の一部だからな」
「そうなのかな」
「そうなんだ」
「カレンのこと、好きじゃないんだよね」
「……まあな」
少し間があった。
これはもしかして、迷いがあるのか。
綾はそう察する。
(言わなきゃ、ここで言わなきゃもうチャンスがないかも)
綾は意を決した。
周りには誰もいない。
「ねえ、播磨くん」
「なんだよ」
「私のこと……、好きなの?」
心臓が高鳴る。
興奮で頬が熱い。
自分でも何でこんなことを言っているのかわからない。
だけど、聞かないわけにはいかなかった。
「あ、その……」
しかし播磨の反応は――
「はあ?」
「え?」
播磨の反応は綾の想像していたものとは違っていた。
もっとこう、焦ったりするのかと思ったのだが、
「え、何?」
「おい小路」
「ひゃいっ!」
動揺のために変な返事をしてしまう綾。
「なんで俺がお前ェのことを好きなんだよ」
「いや、そのだって」
「だって何だよ」
(違っての? ねえ、違ったの??)
小路綾、混乱。
「おい、本当に悪いモノでも食ったんじゃねェのか」
「だ、だけどその」
「なんだよ」
「播磨くんは、カレンのことは好きじゃないんでしょう?」
「な、なんでそこで九条の名前が出てくる」
「夏の終わりにあんなことになったんだから」
「ぐっ、確かにそうだが」
「あなたが好きなのは、陽子でも忍でもない」
「うるせェな。だから何だって」
「あ……」
「おい」
「まさか播磨くんって」
「……おい」
「アリスのことが好きなの?」
「!!!」
明らかに今までと反応が違う。
「やっぱり」
「なにがやっぱりだ。違ェぞ!」
「だって変に汗かいてるし、目だって泳いでるし」
「うるせェ。目は見えねェだろうが。サングラスしてんだから」
「播磨くん、少なくとも私たちにウソをついたことがないもの」
「小路」
「やっぱり、アリスのこと」
「おい小路」
ガシリと播磨の大きな手が綾の両肩を掴む。
こんな風に父親以外の男性から身体を触られたのはどれくらいぶりだろうか。
「播磨くん?」
「お前ェ、言うんじゃねェぞ」
「な、何が?」
「俺が好きな相手だ」
「アリスのこと?」
「だから言うなっつってんだろう」
正直というか単純というか、そんな態度を見せたらまるわかりである。
「やっぱりアリスだったんだね」
「うるせェよ」
「でもどうしてアリスなの」
「理由なんてわからねェよ。つうか、何で俺がお前ェにそんなことを」
「決まってるじゃない。私とアリスは友達なんだから。友達を気遣うのに、理由なんて
ないわ」
「そりゃそうだけどよ」
「ねえ、播磨くん」
「んだよ」
「カレンのことは、本当にいいの?」
「おい、今はそのことは関係ねェだろ」
「だけど……」
「いいか小路。このことは絶対に誰にも言うなよ」
ぐっと、両肩を掴む播磨の力が強くなる。
痛くはないけれど、その気持ちは両手の体温からも十分伝わってくる。
「わかったから放して播磨くん。あなたの気持ちは十分わかったから」
「お、おう」
播磨が手を放そうとしたその時、
「アヤー!」
聞き覚えのある女子生徒の声が橋の下に響く。
「!!?」
振り向くとそこには、ビニール傘を持った金髪の少女。
「あ」
「え?」
向かい合う二人。
「ハリマくん、アヤ……」
アリス・カータレットであった。
「……ごめんね、邪魔しちゃったネ」
明らかに動揺した声でアリスは言った。
「いや、これは……」
播磨も動揺しているために上手く声が出ない。
「違うのよ、アリス」
綾も言った。
だが、
「二人とも、ごゆっくり!」
そう言うと、アリスは傘を持ったままその場を立ち去って行った。
「おい待てカータレット! 傘は置いて行け!」
播磨の訴えもむなしく、アリスは物凄いスピードでその場を去って行った。
「ああ、どうしよう」
明らかにアリスは誤解している。
「どうすんだよお前ェ!」
怒る播磨。
「なんで私のせいなのよ!」
「お前ェが変なこと言うからだろうがよ。アリスちゃんに誤解されちまった」
「アリスちゃんって」
「うるせェ」
「だいたい、播磨くんだって、私の両肩つかんでたじゃない! そんなことをしたら
誤解されるわよ」
「両手はもうはなしてるだろうが。それより、どうすんだこれ!」
頭を抱える播磨。
その姿を見て、複雑な思いにかられる綾なのだった。
つづく
勘違いはラブコメの基本ね。綾ファンのみなさん、いかがだったでしょうか。次回は紅葉を狩ります。
紅葉狩り。
それは風流な日本の心――
「紅葉狩り……。mapleをhuntingするのデスか?」
行きのワゴン車の中でカレンはやや興奮しながら言った。
「違うよカレン。紅葉狩りは直訳するとmaple-viewing、つまり紅葉(こうよう)
を見るんだよ」
日本に詳しいアリスはそう説明する。
「コウヨウ」
「赤く染まった葉っぱだね。銀杏の場合は黄色だけど」
「へえ、そうだったんだ。私はてっきり、カエデの葉っぱを大量に持ち帰るのかと思ってたよ」
陽子は笑いながら言った。
「陽子、カエデの葉っぱを大量に持ち帰って何をするのよ」
呆れながら綾は言う。
「そりゃあ、メープルシロップを作るとか」
「メープルシロップは、サトウカエデという木の樹液から作るんだ。日本の在来種の
カエデとは性質が違うわよ」
「そうなの? 綾は賢いんだね」
そう言って陽子は綾の頭を撫でる。
「もう、やめてよっ」
「ところで、インドア派の綾が紅葉狩りを提案するなんて、どういう風の吹き回し?」
「それ前も聞いたよね。今年はアリスやカレンがいるから、もっとこう、日本の文化
を堪能してもらいたいと思って考えたの」
「そうか、そうだったね。うふふ。楽しみだなあ」
「陽子が楽しみなのは、マツタケや果物でしょう?」
「まあ、それもあるかなあ」
もちろん今綾の言ったことは正しい。
だが、この紅葉狩りにはまた別の目的も隠されていた。
自動車の運転席には、九条家執事のナカムラ、そして助手席には播磨拳児が座っていた。
「すまねェな。こんな時に運転手も頼んじまってよ」
助手席の播磨は言った。
「いえ、構いませんよハリマ殿。お嬢様も楽しみにしておられましたから」
運転しながらナカムラは答える。
「しかしよ、あんなことになっちまって、今更何かを頼める立場でもねェのに」
「問題ありません。“今は”お嬢様の笑顔が第一ですので」
「そうか」
ナカムラの言葉に少し引っかかりを覚えた播磨だが、とりあえず今はとある目的に集中することにした。
もざいくランブル!
第16話 秋 Early winter
小路綾の提案によって行われることになった紅葉狩り。
もちろん播磨に紅葉を愛でる気持ちがあったわけではない。
綾との関係の誤解は解いたものの、肝心の播磨の気持ちは伝えられていなかった。
そのため、絶好の機会としてこのレジャーが企画されたのである。
《いいこと? 気持ちってのははっきりと言葉にしないと伝わらないんだから。
ちゃんと言いなさい》
まるで姉か母親のように言い聞かせる綾。
彼女の言葉に根負けするように、播磨はアリスへの言葉を考える。
(一体何を言えばいんだよ)
この期に及んで及び腰の播磨。
「ねえ見てハリー。山がキレイだよ」
後ろにいた陽子が肩を叩きながら言う。
「ああ?」
車の助手席から窓の外を見ると、見事な紅葉が目に入る。
「うおっ、すげえな」
いつもは山野の自然など毛ほどにも興味がない播磨ですら、この光景は圧巻であった。
「夏場に見たときはあんなに青々してたのにねえ。変わるもんだねえ」
「当たり前だろう。季節が変われば変わるもんだ」
播磨はそうは言ってみたものの、秋の装いに少しだけテンションが上がっていた。
*
「お昼には秋の味覚を存分に用意しておりますゆえに、まずは山の自然をお楽しみください」
「やっほーい」
ナカムラの言葉に喜ぶ陽子。
「陽子は食べることが一番の楽しみなんでしょう?」
付き合いの長い綾は言った。
「まあね」
陽子は笑いながら片目を閉じる。
色気よりは食い気、というのが今の彼女らしい。
その点では今日の播磨と対照的だと綾は思う。
「……」
播磨は見るからに緊張していた。
こんなんで大丈夫かな、と綾は心配になる。
「播磨くんどうしたんだろう。体調でも悪いのかな」
山には似つかわしいヒラヒラのついた服を着た忍が言った。
「しのは人の心配よりも自分の心配したほうがいいんじゃない?」
「え? 何がですか?」
「ここは山よ。もっと動きやすい服装をしないと」
「でも可愛いですよ?」
「いや、可愛いとかそういう問題じゃあいから」
忍は相変わらず長いスカートをはいていた。
一方綾や陽子は、動きやすい綿やジーンズのボトムを着ている。
色が少し派手目だけれども、それは山の中で迷っても目立つ服装をしていたら、
発見されやすいという考えに基づくものである。
ハンターの着ているベストが蛍光色やオレンジ色なのに近い。
「そんなことよりも彼ね」
綾は播磨に近づく。
「もう、そんなんでいいの? 今日はちゃんと話すんでしょう? そのためにわざわざ
こんな山奥まで来たんだから」
周りに聞こえないよう、声を低めつつ綾は播磨に話しかける。
「お、おう。わかっている」
そうは言ったものの、不安の種は尽きない。
播磨のことだから、こちらの想定をはるかに超えるようなへまをしてしまいそうだと、
綾は持った。
「アヤヤー、何をしてるデス! 早く行きましょう」
向こうでカレンが呼ぶ声が聞こえてきた。
ここ矢神自然公園には、紅葉をよく見ることのできる散歩コースがいくつも用意されているのだ。
「さあ、何してるの。行くわよ」
「でもよ」
「しっかりしなさいよ」
そう言って播磨の背中を叩く綾。
そして小声で彼に言う。
「アリスと二人きりの時間、作ってあげるわ」
「本当か?」
「ただし、長くは取れないわよ。決めるか決めないかはあなた次第。わかるでしょう?」
「お、おう……」
綾の言葉に勇気づけられたのか、播磨は立ち上がり背筋を伸ばした。
「じゃあ、行くか」
「まったく、男っていうのは手間がかかるわね」
そう口にした綾ではあったけれど、播磨の嬉しそうな後ろ姿を見ると、悪い気はしなかった。
*
「陽子。ちょっと協力して欲しいんだけど」
移動中、綾は陽子に協力を求める。
「なに? 協力?」
「実は、理由は言えないのだけれども、あなたには忍の相手をしてほしいの」
「しの? どうしたのよ」
「私はカレンの相手をするわ」
「ん?」
唐突な情報に陽子は首をかしげる。
無理もない。自分もそう言われたら疑問に思うことだろう。
「どうしたのよ」
「本当、詳しくは言えないんだけど、播磨くんとね」
「ハリー? はりーがどうしたの」
「播磨くんがアリスに話があるっていうから、少しだけ時間を取ってもらいたいの」
「え、なんで?」
(鈍いなあ、この子は。もう昔から鈍いんだから)
中学校時代から男子生徒に異様にモテていた陽子のことを綾は知っている。
だが彼女は恋愛に関しては、ハーレム系ラノベの主人公並みに鈍いので、
ことごとく言い寄ってくる男たちは力尽きて行った。
「とにかく、二人だけの時間を作って欲しいの。ちょっと込み入った話があるみたいだから」
「そうなんだ。わかったよ」
特に詳しい理由を聞かないまま、陽子は頷く。
この場に陽子がいてくれたことは、彼女の作戦にとって大きなプラスになるのだった。
*
「ちょっとしのー。こっちおいで。面白い遊びがあるんだよ~」
そう言って陽子は忍を別の場所へと誘い出す。
そして綾もカレンを連れてどこかへ行ってしまった。
十分後にナカムラの待つ中央広場で合流する。それが約束である。
つまり残された時間は長くても十分以内。
それまでに勝負を決めなければならない。
播磨に残された時間は、少なかった。
「はあ、ちょっと疲れちゃったかな」
差し入れのリンゴジュースを飲みながらアリスは言った。
播磨とアリスは、休憩用のベンチのある東屋で二人並んで座っている。
「……」
播磨は緊張していた。
無理もない。アリス・カータレットとこうして二人きりで話をするのは初めてのことなのだ。
出会ってからかなりの時間が経っているけれど、一対一で話したことが今までなかった。
このため、どう話していいのかわからない。
(くそ。これが九条とかだったら、雑談でもして緊張をほぐすこともできるのに)
そう思ったところではじまらない。
時間制限(タイムリミット)は刻一刻と迫っている。
「なあ、カータ――」
「こんな風に二人で話をするのって、そういえば初めてだね」
アリスが播磨の言葉に被せる様に喋ってしまう。
お互いの呼吸がよくわからないので、会話のタイミングが噛み合わなかったのだ。
「そ、そういえばそうだな」
播磨は自分の言葉を飲み込んでアリスの言葉を拾う。
「播磨くんって、結構真面目だね」
「真面目?」
「そうだよ。体育祭でも文化祭でも頑張ってたし」
「別に、そんなことねェよ」
「そんなことないよ。初めはね、その、初めて播磨くんを見た時は、ちょっと怖い人
かなって思ってたんだ」
「……」
「でも、私にとっては誰でも怖い人なんだけど。ほら、私って人見知りするから」
「そうなのか」
「うん。だから、学校の先生とか、クラスの他の男子生徒とか怖かった」
「そうだな」
「でも、慣れるとそうでもないんだね」
「そうだな」
「それにしても、紅葉ってキレイだよね。私初めて生で見たけど、感動しちゃった」
「ああ。俺もあんまり意識してなかったけど、確かにキレイだ」
ここで「お前のほうがキレイ」などという言葉は、たとえ冗談でも出てこない播磨であった。
(しまった。こんな世間話で時間を潰している場合ではない。ちゃんと話をしなければ)
「そういえば播磨くん」
「ああ?」
「最近はアヤとも仲がいいよね」
「あや? ああ、小路か」
「そう。この前も河原で仲良さそうに話をしていたし」
「あれはだな……!」
焦る播磨。
「わかってるよ。誤解なんでしょう? ちょっとした」
「当たり前ェだっ! あいつとは、何でもねェ。そこはちゃんとわかっていてくれ」
「そうなんだ」
「もちろん、猪熊(陽子)とも何でもねェぞ。アイツはアレだ、どんな奴にでも馴れ馴れしく
話ができるやつだから」
「羨ましいな。私は人見知りしちゃうから」
「まあ、俺も」
「播磨くんも人見知り?」
「いや、人見知りっつうか、あんま人とは話さないしよお」
「勿体ないよ、そういうの」
「そうだな」
会話の主導権を奪われっぱなしだ。
ここで何とか挽回しないといけない。
時計の針は容赦なく回っていく。
(しかし、それにしても)
この時、播磨はふと思う。
こんな風にアリスと普通に話ができるなんて、出会ったころは想像もできなかった。
彼女は自分でも言うとおり人見知りな性格なので、かなり仲が良くならないと話ができない。
これはこれで、凄いことなのだ。
しかし、播磨にとってはこの程度のレベルで満足できるはずもない。
ないはずなのだが、
「……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもねェ」
今のこの距離感で満足している自分がいる。
(俺は、アリスちゃんが好きなはずなのに。こんなんでいいのか)
「ねえ、ハリマくん」
「ああ? どうした」
「カレンのこと、どう思ってる?」
「なんで今九条の話を」
「聞いて」
「?」
「あの子は、私と違って元気があって明るいけど、凄く寂しがり屋なの」
「……」
「多分、日本に来て私以上に心細い思いもしていると思う」
「……そうかも知れねェな」
不意に浮かぶカレンの笑顔。
なんでこんな時に。
播磨は思う。
答えなど出てこない。出てくるのは、カレンの姿だけだ。
「播磨くん。カレンのこと、もう一度よく考えてあげて」
「カータレット。俺は」
「ごめんね。二人の問題なんだから、こんなことを私が言うのも変だって。
でもあの子は私の大切な友人だから。そしてあなたは――」
*
別の場所。
播磨たちが見えない場所のベンチで、綾とカレンが風景を眺めていた。
「アヤヤはウソが下手デスネ」
秋の青空を眺めながらポツリとカレンはつぶやく。
「え? なに」
「私に話なんて、大したことないものでしょ?」
「そ、そんなことないよ」
「ハリマは……、アリスのことが好きだったんデスね」
「いやだから違うって」
今日気づいた?
いや、違う。
「いつから気づいていたの?」
「体育祭が終わった時デスでしょうか。夏の終わり、あの人と距離を取って、
冷静に周囲の関係を見ることができたデス」
「……カレン」
それでいいの?
その言葉が喉まで出かかった。
「ほんの少しの間でしたけど、男の人を好きになることができて幸せでした」
「……どういうことよ、それ!」
意味がわからない。
もう、恋はできないとでも言いたげな言葉だ。
「もう、時間がありませんからね」
「カレン?」
1人の少女の意味深な言葉を残して、彼らの秋は終わろうとしていた。
つづく
「38度4分、かなり熱があるわね――」
「んなもん平熱だ」
「何言ってるの。もうすぐテストなんだから、ちゃんと寝ときなさい」
同居人に頭を抑えられた播磨は、そのままベッドの中に倒される。
普段ならこんなことはないのに、今の彼は弱い。
「他の先生がたには私のほうから言っておくから、今日はちゃんと寝ておくのよ」
同居人はそう言って体温計をケースの中に戻す。
「メシはどうすんだよ」
「冷蔵庫の中に入ってるから」
「豆腐しかねェじゃねェかよ」
「お豆腐は栄養満点なのよ!」
確かに豆腐は栄養満点ではあるけれど、病気の時に食べたいとは思わない。
「とにかく、今日は一日大人しくしておくこと。まあ、一日寝ていれば大丈夫よ。
元気になれるわ」
「本当かよ」
「本当です。じゃあね。外に出ちゃダメよ」
「出ねェよ」
そう言うと同居人は部屋から出て行く。
播磨はマンションの中一人、取り残された状態で天井を見つめていた。
もざいくランブル!
第17話 秘 密 private
播磨拳児、学校を休む。
「珍しいね、播磨くんが学校を休むなんて」
昼休み。昼食を食べながらアリスと忍は話をしていた。
「確かに、いつも健康そうでしたからね」
忍もそれに同意する。
「季節の変わり目って、体調を崩しやすいから、シノも気を付けてね」
「そういうアリスもですよ」
「わかってるよ」
そんな会話をしながら、忍はリンゴジュースのストローに口をつける。
「そういえば、播磨くんはどこに住んでいるのでしょう」
「へ?」
予想外の疑問に、アリスは驚く。
普通、クラスメイトがどこに住んでいるのかなんて、あまり関心がないものだ。
中学校や小学校などと違って、高校になれば色々な場所から通ってきている。
「以前お話した時、実家には住んでいないと言っていた覚えがあります」
「そうなの?」
「でも一人暮らしをしているようには見えませんけど」
「どうして?」
「だって、播磨くんの制服、とってもいい匂いがするんですよ」
「え? っていうか、シノ。嗅いだの?」
「まあ、時々ですけど」
「うわあ……」
「男の一人暮らしでしたら、あんまり香りとかを気にするとは思いませんけど」
「そうなのかなあ」
「同居人がいるのかもしれませんね」
「同居人?」
「そう。アリスみたいな」
「っていうことは、播磨くんは女の人と一緒に住んでいるとか」
「はあ、それは」
「気になるデス!」
「わっ!」
不意に顔を出すカレン。
「カレン、どうしたのよ」
「ハリマの家、とっても気になります。私」
どこぞの黒髪少女のような言葉を発するカレンは、目を輝かせていた。
「正直、彼のprivateはmysteryに包まれていますからね。ここいらで、ちょっと
調べてみたいと思ったデス」
「なんで急に」
「カレン探偵デス」
「……ええ」
「もしかしてカレン」
「ハイ?」
「播磨くんのお見舞いに行きたいのですか?」
「べ、別にそんなんじゃないデス。ちょっと、気になるだけデス。ハリマが病気なんて
珍しいネ」
心配なんだな。
忍はそう思ったがあえて口には出さないでおくことにした。
*
「と、いうわけで職員室でハリマの住所を調べてきました」
「それって、大丈夫なのかな」
アリスは不安そうにつぶやく。
「大丈夫デス! あくまで人道的な理由デスからネ」
「うひひ。なんだか楽しそうだね」
一緒についてきた陽子がそう言って笑う。
「アヤヤも来たらよかったのに」
寂しげにカレンはつぶやいた。
「綾はちょっと家の用事があったんだって。まあ仕方ないね」
「そうデスね。アヤヤの分まで、しっかりお見舞いするデス」
「カレン……」
不意に、アリスがカレンの名を呼ぶ。
「ん? どうしマシタ?」
「ううん、なんでもない」
だがすぐに首を振った。
カレンが明るいのはいつものことだが、今日の彼女はいつも以上に寂しげに見えた。
「アリス?」
そんなアリスに、今度は忍が声をかける。
「大丈夫だよ、シノ。なんでもない」
アリスは先手を取って、彼女に笑顔を見せた。カレンと同じように、明るい笑顔を。
*
「ここがあの男のhouseデスね」
「カレン、使いどころを間違ってるよ」
すかさずツッコむアリス。
最近はカレンへのツッコミも慣れてきたようだ。
「ふええ、結構いいマンション住んでるんだねえ」
陽子は建物を見上げながら言った。
「とりあえず行ってみるデス」
住所の書かれた紙を見ながら、カレンたち一行は目的の部屋まで突入する。
*
マンション内にある、播磨が住んでいると思しき部屋の前。
玄関のドアの前に表示されている表札の名前を見て一同は驚く。
「KARASUMA?」
「カラスマって、あの」
その苗字に覚えがあるとすれば、彼女たちの担任である烏丸教諭の名前である。
「どうして播磨くんの住所がからすちゃんの家になってるの?」
陽子、混乱。
「落ち着いてくだサイ、ヨーコ。これは何かの罠かもしれまセン!」
玄関の前で騒がしくカレンは言った。
「どういうことなのカレン」
アリスは聞く。
「いわゆる同姓同名です。たとえば、烏丸大路という人と一緒にすんでいるかも
しれまセン」
「ああ、なるほど」
陽子は納得する。
「納得しないでください陽子ちゃん。っていうか、カラスマオオジって誰ですか」
「人気漫画家の二条丈の本名デス」
「知らないよ、そんなこと」
「とにかく、この家を訪ねてみようよ。そうすれば謎が解けるかも」
「わかったデス。では、カレンがチャイムを押します」
そう言うと、カレンが前に出て、玄関のチャイムを鳴らす。
ピンポンと、家の奥に呼び鈴の音が響くのが聞こえた。
全員が息を殺し、耳を澄ます。
《ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!!》
「鳴らし過ぎ! 鳴らし過ぎだよカレン!」
あまりのピンポン連打に、さすがのアリスもカレンを止めた。
「ちぇっ、今いいところだったのに、デス」
「どこがいいところなのよ」
しばらくすると、部屋の中からドタドタと物音が聞こえてきた。
これで別人だったら謝って住む問題じゃないな、とアリスは一抹の不安を抱えていた。
*
「うっせえなあ」
カーテンが閉められて薄暗くなった部屋の中。
誰が来ても居留守を使ってやり過ごすつもりであったけれど、さすがに連打されると
腹が立ってきたので、頭痛と身体のダルさを抱えつつも、播磨は起き上がった。
(ったく誰だよ。どうせアイツの知り合いあろうけど)
そんなことを思いつつ、播磨は玄関のドアを開ける。
新聞の勧誘なら怒鳴り散らしてやろうかと思っていたその時、
「デース」
「……」
見覚えのある金髪が玄関先に立っていた。
「……」
播磨はドアを閉める。
「これは夢だ。夢に決まってる」
『ちょっと開けるデス! ハリマ! 開けなさい!』
ドア越しに怒鳴り声が聞こえてきた。
ドンドンとドアを叩く音も響く。
「やめろこら、近所迷惑だろうが!」
とうとう観念した播磨は、とりあえずドアを開けた。
「播磨くん?」
「あ、あの……」
「やっはろー、ハリー」
(アリスちゃん? と、その他……)
*
マンションの居間。
「ったく、茶は出ねェぞ」
玄関先でこれ以上騒がれるとまずいので、とりあえず全員を部屋の中に入れる。
「小路はいねェのか?」
播磨は陽子に聞いた。
「綾は用事があるから来なかったよ。なに、気になるの?」
「いや、別に。ただ、いつも一緒にいるからどうなのかなと思ってよ」
「そういえばそうかな」
陽子は天井を見ながら何かを思い出すように言った。
「突然押しかけてごめんなさい。私たち、心配だったから」
顔を赤らめたアリスが申し訳なさそうに謝る。
「い、いや。別にいいんだ。急なことなんでびっくりしただけだ……」
「今日は連絡用のプリントとお見舞いの品を持ってきました」
そう言って、隣りにいた忍がスーパーの買い物袋を見せる。
「いや、別にそんなことをしなくてもよ」
親以外の人間にこんなことをされるのは初めてかもしれない。
播磨はやや緊張しながら部屋を見回す。
すると、
「アイツがいねェ」
*
すぐに自室に戻った播磨は、ベッドの下の辺りをゴソゴソと探っているカレンを発見した。
「何やってんだお前ェ!」
「お、見ちゃイヤデス」お尻のあたりを押さえながらカレンは言った。
「ああ、すまねェ。じゃ、ねえよ! 俺の部屋で何やってんだよ」
「いやあ、ベッドの下は基本かな、と思ったデス」
「何の基本だまったく」
そう言うと、播磨はカレンのパーカーの背中のあたりを掴む。
「ひゃあー、やめて欲しいデス」
「やめて欲しいのはこっちだ。こい」
播磨はカレンのパーカーを引っ張ったまま、居間に戻る。
「体調悪いんだから手間をかけさせるな」
「ハリマこそ、体調が悪いなら寝てないとダメデス」
「誰のせいで起こされたと思ってんだ。お前ェらこなかったら寝てたわ」
とりあえずカレンを居間に戻した播磨は、頭痛がぶり返してきた。
「くっそ、気分悪いぜ」
「ところでハリー。表札の『カラスマ』の件なんだけど」
今度は陽子が面倒なことを聞いてきた。
「ああそれか、話すと長くなるんだが」
「ただいま拳児くん! 無事? 無事なの!?」
「!!?」
室内に聞き覚えのある声が響き渡る。
*
「つまり播磨くんと烏丸先生は親戚同士で、今は烏丸先生の家に播磨くんが下宿している、
ということでよろしいですか」
「まあ、そんなところです」
烏丸さくら。
播磨の通う高校の教師である。
生徒たちからは「からすちゃん」の愛称で親しまれている彼女は英語を担当している。
「ああ、なるほど。だからハリーは英語の成績だけはよかったんだね」
「別にそんなんじゃねェよ」
播磨は否定する。
「まあ親戚同士とはいえ、一応生徒と教師ですから。変な誤解をされないために、
このことは隠していたんです」
「隠したほうがよっぽど誤解すると思いますが」
忍は言った。
もっともなことである。
「っていうか、俺戻っていいか」
「もう拳児くん。何やってるのよ。風邪が酷くなったらどうするの」
さくらは頬を膨らませて怒る。
「お前ェらがゴチャゴチャやってるからだろうが。つうか、寝るぞ」
「ちゃんと温かくするのよ」
「わーってるよ。子ども扱いすんな」
そう言うと、播磨は部屋から出る。
「まったく、昔から変わってないんだから」
「先生は、播磨くんを昔から知っているんですか?」
忍が聞いた。
「そうよ。小さいころからね。小学校くらいの時は可愛かったなあ」
「へえ、どんな子供だった?」
陽子もその話題に食いつく。
「凄く素直でね、私のことを『お姉ちゃん、お姉ちゃん』って言ってついてきてたの」
「うっそお。今じゃ信じられない」
「写真もあるのよ」
「あー、見たい見たい!」
「お前ェら余計なことすんな!!」
たまらず播磨が戻る。
ただでさえ酷かった頭痛が更に酷くなったことは言うまでもない。
*
それからどれくらい時間が経ったろうか。
外はすっかり暗くなっていた。
騒がしかったマンションの居間はもうすっかり静かになっている。
「拳児くん」
同居人のさくらが播磨の身体を揺する。
「んあ。さくらか」
「お夕飯できたわよ。一緒に食べましょう」
「あいつらは?」
「もう帰ったわよ」
「そうか」
「大丈夫?」
「まあ、何とかな」
起き上がりながら播磨は思う。
(あいつらは何のためにきたんだ? 俺の見舞い? でも、どう考えてもさくらと
雑談していた時間のほうが長かった気がする。余計なこと、言ってねェだろうなあ)
そんなことを思いながら台所に行くと、ほんのりとごはんの匂いがただよっていた。
とてもいい匂いだ。
熱のせいで食欲が減退していたけれど、食べ物の匂いを嗅いだことで急にお腹が減ってきた。
「美味そうだな」
「そうなの。実はね、お見舞いに来てくれた子たちが作ってくれたのよ」
「へ? あいつらが?」
「そう。元気になるようにって。ねえ拳児くん。ちゃんとお礼を言わないとダメよ」
「わーってるって」
「でも私嬉しい」
茶碗の用意などをしながら、さくらはふとつぶやく。
「何がだよ」
「拳児くんにこんなにもたくさんお友達ができて、お見舞いにも来てくれるんだから」
「別に大したことじゃねェだろう。あいつら、俺の普段の生活が気になっただけじゃ
ねェのか?」
「そんなことないよ。だって、どうでもいい人の普段の生活なんて、気にならないでしょう?」
「まあ、そうかもしれねェけどよ」
「ほら、冷めないうちにいただきましょう?」
さくらが出したのは、美味しそうな“おじや”であった。
野菜や鶏肉などがたっぷり入っており、見るからに栄養価が高そうだ。
「これを、あいつらが作ったのか」
「うん、特にカレンさんが頑張っていたわ」
「九条が?」
播磨はカレンの顔を思い出す。
「なんかね、凄く包丁の使い方とかも上手で。練習していたみたいね」
「そう、なのか」
「拳児くん?」
「んだよ」
「ちゃんと、お礼を言っとかないとダメよ」
「わかってるっつうの。何度も言うな。というか、肝心な味はどうなのかね」
播磨はいつか食べたサンドイッチの味を思い出しながら、おじや用に用意したレンゲを手に取る。
「味噌汁も作ってくれたのよ」
「……」
料理は普通に美味かった。
少し濃い目で不器用な味付け。
でも、それを口に含んだだけでも一生懸命に料理をするカレンの姿が頭に浮かんだ。
(ありがとよ)
播磨はそう思いながら、夕食を食べ続けた。
つづく
「カレン、お誕生日おめでとう!」
クラッカーが一斉になる。
この日、12月1日は九条カレンの誕生日である。
「いやー、ありがとうデス」
カレンは照れながら後頭部をさする。
照れる時に彼女がよくする仕草の一つだ。
この日、忍の家で友達を呼んでささやかなカレンの誕生日パーティーが開かれていた。
パーティーには忍、アリス、綾、陽子のいつもの四人に加えて、忍の姉の勇(イサミ)
も加わっていた。
「はい、プレゼントだよ。シノと二人で選んだの」
アリスがそう言ってきれいにラッピングされたプレゼント用の箱を差し出す。
「ワオ、Thank you デスアリス~」
そう言ってカレンはアリスに抱き着く。
「ちょっとカレン。シノもお金を出してくれたんだよ」
「シノもありがとうデス」
今度は忍に抱き着く。
「私たちからもね」
今度は陽子と綾からのプレゼントだ。
「私幸せデス。こんなにも皆に祝ってもらって」
「カレンも16歳なんだよね」
「これで大人の仲間入りデス」
「まだちょっと早いよ~」
「そんなコト、ないデスよ……」
ふと、悲しげな表情を見せるカレン。
「どうしたの?」
「なんでもありまセン。それより、素敵なpartyを始めるデス」
「そうだね」
「はあい、料理できてるわよ」
台所からイサミが出てきた。
「待ってましたデス!」
「早く食べようよ」
美味しい食事と楽しい仲間。
期末テストを前に、カレンたちはひと時の幸せな時間を過ごしていた。
*
ふと、綾が気づいた時、カレンの姿が見えなくなっていた。
(どこだろう。トイレかな)
カレンはフリーダムな性格なので、時々目を離すととんでもないところに行っていたりする。
パーティー会場である居間から廊下に出てみると、玄関のドアが少し開いていた。
物騒だな、と思いつつ綾は靴を履いて、ドアを閉めようとすると、玄関先に立つカレンの
姿が見えた。
「カレン」
「あ、アヤヤ」
「どうしたの? こんなところで。寒いよ」
「ちょっと外の空気を吸いにきただけデス」
「そうなの」
季節はもう12月。すっかり日の暮れた外の空気は冷たい。
先ほどまであんなに楽しそうにしていたカレンだが、今はなぜか寂しそうに見える。
「ねえカレン。どうかしたの?」
「どうもしないデスよ? アヤヤ」
「でもだって――」
「アヤヤ」
「……なに?」
「大人になるって、どういうことなんでしょうネ」
「どうしたの? いきなり」
「別に、何でもないデス」
「カレン」
カレンの様子がおかしい。
アリスだけでなく綾もそう思ったけれど、期末テストや年末の準備など慌ただしい時期の中で、
一時的にそれを忘れてしまっていた。
もざいくランブル!
第18話 贖い gravity
12月後半。
受験生にとっては忙しい時期だが、それ以外の高校生にとっては期末テストも済んで、
比較的心に余裕が出てくる時期でもある。
12月24日は世間ではクリスマスイブと呼ばれている日だが、この日は学校では二学期の
終業式の日でもあった。
(不味いな……)
そしてこの日、播磨はとある女子生徒に呼び出されていた。
その子の名前は九条カレン。
隣のクラスのよく知っている女子だ。
(どうする)
播磨は焦っている。
彼女は自分に話があると言っていた。
何の話か、なんとなく想像がつく。
だが今の播磨には明確な答えが出せない。
(何やってんだ。俺の気持ちは決まってるじゃねェか)
そうは思っていても、心の中のモヤモヤは晴れない。むしろどんどんと大きくなっていく。
(そりゃ俺だって嫌いじゃねェさ。だがよ、モノには順序ってものがあるし、
何より気持ちの整理がついていないのに)
そんなことを考えているうちに、どんどんと時間は過ぎてく。
このまま待たせるわけにはいかない。
そう思った播磨は立ち上がった。
*
播磨が屋上に行くと、すでに相手はそこで待っていた。
この寒空の下。腕を組んで待っている。
屋上は周りに障害物が無いので、風が強い。
「やっと来ましたネ」
九条カレン――
屋上は風が強かったけれど、彼女の高い声はよく届く。
「九条、話ってのは、なんだ……」
白々しいと思いながら、播磨は聞く。
「私、ハリマに伝えたいことがあるデス」
「……」
(待ってくれ。まだ言わないでくれ)
焦る播磨。
まだ心の準備ができていない。
半年前であったら、躊躇はなかっただろう。
だが今は違う。
彼女を拒絶するには、あまりにも二人の距離が近くなりすぎた。
「ハリマ。聞いて欲しいデス」
「待ってくれ九条」
「ゴメンナサイ。時間がありません」
「時間?」
「ハリマ」
「……」
「Being able to meet you was my happiness.」
「おい」
「……」
「なんで……」
「……」
「なんで“過去形”なんだよ!」
「ゴメンナサイ」
「なんで謝る!」
その時だった。
『別れの言葉は済んだか? ハーフジャパニーズ』
不意に低い声の英語が耳に飛び込んでくる。
「誰だ!」
『くっくっく。そいつがお前の日本での王子様ってわけか。カレン』
『マックス……』
カレンにマックスと呼ばれたその男は、金髪で長身、そして碧眼。
どう見ても日本人ではない。
そして顔には無数の傷があり、どう見ても堅気ではなさそうだ。
「おい、知り合いか九条」
「彼はマックス。中学時代の知り合いデス」
カレンは力なく答える。
いつもの元気さなど微塵も見せない。
むしろ恐れているようにも見える。
『マックス。まだ時間はあるはずじゃない』
カレンは英語で呼びかける。
『生憎、ウチの大将はせっかちなんでな。早く会いたがっているから、こうして迎えに
きたのさ』
『余計なお世話ね。一人でも行けるわ』
『いいことを教えてやろう。俺の目的はそこにいるゴミ屑のような奴と、
お前を接触させないようにすることもあるんだ』
『……』
『わざわざ日本まで来て、そこにいるような不良と恋愛ごっこでもしたのか?』
『彼をバカにしないで!』
『おっと、俺に怒ってもしかたないじゃねえか』
「おい、そこの外国人」
「ハリマ!」
カレンとマックス。二人の間に割って入るように、播磨はマックスの前に出た。
播磨も日本人の中では十分長身だが、マックスは更に大柄だ。
「何好き勝手言ってやがる。俺はな、まだコイツと話があんだよ」
そう言うと、播磨は後ろにいるカレンに親指で指し示す。
「だから邪魔すんな」
「……クックック」
すると、マックスは再び笑う。
「何がおかしい」
「報われねぇな」
「日本語!?」
先ほどまで英語を喋っていた男が急に日本語を話し始めたので驚く播磨。
「おい、そこのジャパニーズ。誰だか知らんが、お前のその思いは、無駄になるんだよ」
「無駄だと?」
「今夜、九条カレンは婚約者と会う」
「なに!?」
「俺はそのescortだ」
「エスコート? というか、婚約者って何だよ。まだ高校生だろうが」
「知らねえよ。そんなの。まあ大人の事情って奴だろう」
「何が大人の事情だ馬鹿らしい。おい、九条」
『行きましょう、マックス』
ふと、カレンは播磨の顔を見ずにすれ違う。
「九条……」
「これでさよならデス。ハリマ」
「お前ェ、それでいいのかよ! なんだよ、婚約者って!」
「いいんデス。特別な環境に生まれたからには、特別な運命を受け入れなければならない。
わたしはそう思いマス」
「わけわかんねェぞ。おい!」
「……」
「だからちょっと待て」
カレンを止めようとしたその時、播磨の目の前をモノ過ぎスピードで風が通り過ぎる。
いや、風ではない。
「なんだお前ェ……」
播磨の目の前を通り過ぎたのは、マックスの拳であった。
いつの間にか拳を握って戦いの構えを見せるマックス。
キレのあるパンチ。格闘技の経験もある播磨にはその凄さがすぐにわかった。
ほんの少しかすっただけでも、マックスの打撃は大変なダメージを負うであろうことを。
「余計なことをすんなよジャパニーズ。次は当てる」
『やめなさいマックス! この人に危害を加えることは許さない』
『落ち着けカレン。こいつ何もしなければ、俺は何もしないぜ。大人しくしていればな』
『マックス……』
「おい、どうしたジャパニーズ。ビビッて声も出ないか」
マックスは日本語で挑発する。
「なあ九条。お前ェはそれでいいのか」
だが今の播磨には、マックスよりも重要なものがあった。
「九条!」
「いいんデス。これで。今までありがとうございます」
「九条……」
『さっさと行くぞ』
『わかっています』
マックスとカレンはゆっくりと階段を降りて行く。
そして今の播磨には、それを見届けるより他なかった。
(俺は、どうすればいいんだよ)
*
「大人の事情って、何よそれ!」
教室で待ち受けていた綾が叫ぶ。
「知らねェよ。あの変な外国人がそう言ったんだ!」
播磨は言い返す。
「……」
アリスは黙ったまま。忍はオロオロしている。陽子もいつものようにご機嫌ではない。
「まだ高校生なのに、婚約者って凄いな……」
陽子は独り言のようにつぶやく。
「私だって信じられない。けど……」
ここ最近のカレンの行動を鑑みると、少しわかる気がする。
出会った頃のように明るかったカレン。だけど、時々見せる寂しげの表情は、
単なるホームシックではないだろうとは思っていた。
「たとしても婚約者って。アリスは知ってたの?」
綾は聞いた。
アリスはカレンにとって長い付き合いだ。
「ごめんなさい」
何かを言う前に、アリスは謝る。
「どうして、謝るの?」
「カレンのこと、実は知ってたの」
「婚約者のこと?」
「うん。こんなに早いとは思わなかったけど」
「そんな」
「カレンの家はすごくお金持ちで、色々な業界とも知り合いがいるの。だから、
そういった家の事情に彼女も巻き込まれていたんだと思う」
「そんなのってないよ! だってカレンはカレンだよ。家のことなんかで」
「私たちにはわからない事情っていうのがあるのかなあ」
陽子は宙を見上げながら言った。
「もう、陽子もそんな他人事みたいな……」
「他人事だろうが――」
不意に播磨は口に出す。
「え?」
「あいつは自分の意思で婚約者のところに行くって言ったんだ。俺たちの出る幕じゃねェ」
「自分の意思って、まだ高校生じゃない」
綾は言い返す。
「高校生つっても、もう16歳だ。自分のことは、多少はわかってんだろう」
「そんなのってないよ!」
「だから、俺たちがとやかく言う問題じゃねェつうの」
「酷いよ播磨くん! それでいいの? カレンがどうなっても」
「俺にはもう、関係のないことだ」
そう言うと播磨は席を立つ。
「どこに行くの?」
「帰るに決まってんだろう。もうここには用はねェ」
「ちょっと……」
「家庭の事情に他人の俺たちが首を突っ込むもんじゃねェ」
そう言うと、鞄を以て播磨は教室を出た。
すでに校舎内では人はまばらである。部活に出た者、廊下で喋っている者。
弁当を食べている者。
年末の浮ついた空気は、校舎内にも充満していた。
だが、播磨の気持ちは違う。
鉛のように思い気分が彼の胸に沈んでいる。
「尻尾を巻いて逃げるのか、播磨拳児」
「ああ?」
ふと目線を上げると、正面に腕を組んだ東郷雅一が立っていた。
冬だというのに上着も着ずに、ワイシャツ一枚である。
「東郷(マカロニ)かよ。何の用だ」
「負け犬を笑いに来た、と言えば満足か」
「負け犬だと?」
「違うのか。家の事情ごときに、尻尾を巻いて逃げだした負け犬だ」
「どういう意味だコラ」
「ここまで言われてもまだ気づかんのか? じゃあ言ってやる。貴様は己の意思を
放棄した哀れな負け犬なんだよ」
「お前ェ、知ってんのか」
「わが九条カレン(プリンセス)のことならば、何でも知っている」
「見てたのか」
「俺に知らないことはない」
「だったらもうわかんだろう。俺らにどうこうできる問題じゃねェ」
「……播磨」
「なんだ」
「カレンを賭けてこの俺と闘った時のことを忘れたか」
「何を言ってやがる」
「それとも何だ。相手が俺なら戦うけれど、大人や巨大な組織であれば諦めるのか。
お前の九条カレンに対する思いはその程度なのか」
「その程度って、何だよ」
「見損なったぞ、播磨拳児!」
「なんで勝手に期待していやがる。最初から何もなかったんだよ」
「ふっ、負け犬は家で大人しく寝ていろ」
「ちょっと待て、何をするつもりだ」
「知れたことよ。九条カレンを取り戻しに行く」
「お前ェ、そんなことをして」
「フンッ」
一瞬のことであった。
素早く距離を詰めた東郷の拳が播磨の腹に突き刺さる。
「ぐはっ」
不意打ちとはいえ、まともに攻撃をくらってしまった播磨はその場に崩れ落ちてしまった。
「哀れだな、播磨拳児。いつものお前なら、この程度の攻撃、防げないほどじゃないだろう」
「な、何しやがる」
「負け犬はそうやって床に這いつくばっていけばいい。だが、俺は違う」
「ま、待てよ……」
「さらばだ播磨」
「東郷!」
播磨の声に、東郷は振り向くことがなかった。
「くそっ、何なんだ」
*
東郷の攻撃から回復した播磨はヨロヨロと立ち上がり、帰路についた。
その時、不意に後ろから声が聞こえてくる。
「播磨くん」
「アリ……、カータレットか」
走ってきたのか、アリス・カータレットの息は少し乱れていた。
「何やってんだ。まだ帰ってなかったのかよ」
「播磨くん、お願いがあるの」
「……なんだ」
「カレンを、カレンを取り戻してほしい」
「カータレット。お前ェ、自分が何を言ってるのかわかってんのか」
「カレンの家の事情のことは、他の友達よりもわかっているつもりよ。それでも、
いえ、それだからこそ、カレンを連れ戻してほしいの」
「……なんで俺なんかに」
「播磨くんだから頼んでいるの。いいえ、播磨くんじゃないと、ダメだと思う!」
「カータレット」
アリスの目には大粒の涙があふれていた。
婚約は家の人間が決めたことだ。
将来を決める重要な決定。
それを自分ごとき不良が壊すことが許されるだろうか。
許されるはずがない。
(あいつの将来にまで責任が持てるのか? 今の俺に。いや、将来の俺に)
播磨は考える。
だが答えは出てこない。
「今、俺には答えが出せない」
「だったら答えなければいいんじゃない?」
「は?」
「まだ答えがわからないんだったら、無理に答えを出さなくてもいいってことだよ、ハリー」
「猪熊?」
猪熊陽子だ。
「わ、私もいるわ」
綾もいた。
「実は私もいました」
ついでに忍も。
「お前ェら、何を言ってるんだ」
「ねえハリー。あたしらって、まだ16じゃない。自分で言うのもあれだけど、
まだまだ若いんだよね。だから、焦って答えを出す必要もないんじゃないかと思うの」
陽子は言った。
「……」
続いて綾も言う。
「だからね、カレンにも急いで答えを出してほしくないの。まだ、もっとよく考えて欲しい。
そのための時間も場所も。そして仲間も」
「お願い播磨くん。カレンに時間を。私たち、もっとたくさんカレンと同じ時間を
過ごしたいから」
アリスは再び播磨に訴える。
「酷いもんだな、お前ェら。他人任せかよ。親友だろうが」
「それはそうだけど……」
口ごもるアリスの前に、再び陽子が顔を出す。
「でもさ、ハリー。お姫様を迎えに行くのは男の役目でしょう?」
「……」
「ごめんなさい、播磨くん。勝手なお願いというのはわかっていますけど」
忍は頭を下げる。
「あーうるせェうるせェ。ちょっと黙れお前ェら」
「……」
「とりあえず、九条はこの俺が迎えに行く。だが戻る戻らないを決めるのはアイツ自身だ。
それでいいか」
「播磨くん」
パアッと花が開くようにアリスたちの顔が明るくなった。
「たのむよ、ハリー」
「お願いね、播磨くん」
「お願いします」
「……ああ」
考えても答えが出ない。
そう思った播磨は考えるのをやめた。
考えなくなったバカが次にやることは、動き出すことだ。
播磨は早足で学校を出る。
(だが、九条は一体どこに行ったんだ? どこへ行けばいい?)
こんなことなら、東郷からカレンの居場所を聞いておくべきだったと、今更ながらに
後悔する播磨。
「!?」
そんな播磨の前を、一台の見覚えのあるリムジンが停車した。
「この車は……」
ピカピカに磨かれた黒塗りのリムジンから、これまた見覚えのある長身の男が出てくる。
「アンタ、確か九条の家の」
「ナカムラです。播磨殿」
ナカムラは礼儀正しく、播磨に一礼をした。
つづく
王道展開。だがそれでいい。
『国家はなぜ衰退するのか』(早川書房)を読みました。非常にわかりやすくて面白いよ。妖精さんは出てこないけどね。
あまり高級車には縁のなかった播磨にとって、こういった社長とかお嬢様が乗るような
車に乗ることはなかった。
そのため、中は広いのにやけに窮屈に感じたものである。
下手をすれば、このまま冷えたシャンパンでも出てきそうな車の後部座席で、
播磨は運転席に座るナカムラに話しかけた。
「なあ、アンタ。本当にいいのか?」
「何が、でございますか? 播磨殿」
ナカムラは答える。
「いや、だってよ。アンタ、九条の家の人間だろう。だったら、トラブルを起こしに行く
とわかってる俺なんかを、その、お嬢様の所に連れて行ってもいいのかってことだ」
学校の前に停車したリムジン。
それを運転していたナカムラに、播磨は九条カレンの居場所を聞いた。
するとナカムラは、何も言わずに「乗りなさい」と言ったのである。
「私は別に、あなたをお嬢様のところへ連れて行くとは言っていません」
「どういことだ?」
「私は、お嬢様のお忘れ物を届けに行くだけです。そこにたまたま、あなたが同乗
しただけのこと。別にあなたをお嬢様に会わせるためではございません」
「なるほど、そういうことか」
表向きには一切関係がない、ということをナカムラは言いたかったようだ。
彼の意図を察した播磨は大きく息をつく。
もざいくランブル!
第18話 選 択 power
道中、ナカムラは運転し、播磨は後ろの席にずっと座っていた。
播磨はナカムラのことをほとんど知らないので、必要最低限の話が終わると、
ずっと黙っておくことにした。
この沈黙がどこまで続くのかわからない。
というか、この車がどこに向かっているのかも、今の播磨にはわからなかった。
「……」
「……」
しばらく続く沈黙。
その沈黙を破ったのは、ナカムラの方であった。
車が高速道路に入った時、彼は不意に言葉を発する。
「播磨殿。実はあなたに謝らなければならないことがあります」
「なんだ藪から棒に」
「以前、私があなたと戦った際、私はあなたを“試した”と申しましたと記憶しております」
「ああ、そんなこともあったかな」
何をやっているのか知らないが、播磨はナカムラの圧倒的な戦闘力に屈してしまった。
彼にとっては衝撃的な思い出である。
「実はあれは、ウソなのです」
「ウソ? 何が嘘なんだ?」
「はい。旦那様からは、あなたを『潰す』ように仰せつかりました」
「俺を、潰す……?」
潰す、という言葉に覚えがある。
そうだ。D組の東郷雅一も確か同じようなことを言っていた。
「私は当初、軽い気持ちであなたを潰すつもりでおりました」
「潰すって、どうするつもりだったんだ」
「圧倒的な力の差を見せつけ、もう二度とお嬢様には近づかないように警告します。
もちろん、手切れ金も用意しておりました」
「もしかして、あの二千万円って……」
「あれは奥様のへそくりでございます。お金は別に用意しておりました」
(九条の母ちゃん何やってんだ?)
「とにかく、私はあなたを潰そうとしていました。しかし失敗した」
「失敗?」
「私にはあなたを潰すことはできませんでした」
「アンタは十分強かっただろうが。現に俺は気を失ったわけだしよ」
「確かに、力でねじ伏せることはできたかもしれません。しかし、心まではねじ伏せる
ことができなかった」
「……」
「それに、播磨殿に対するお嬢様の気持ちが、私が思っていた以上に強力であられた。
この二つが大きい」
「だからお前ェは」
「はい、時間の許す限りあなたとお嬢様の行く末を見守ろうと思いました。それは、
旦那様の命に背く行為でありましたけれど、後悔などありません」
「……あのよ、今やっていることも相当やばいんじゃねェのか? やっぱり」
「確かに、九条の家としては喜ばしいことではないでしょう。ですが、お嬢様のことを
考えると、どうしても……」
「どうしても?」
「いえ、忘れてください。とにかく、今までウソをついていて申し訳ございませんでした」
「別に。アンタにはアンタの事情があるんだろうけどよ。済んだことを今更責める
気はねェ。ただ、もしそのことに負い目があって、こういうことをするんだったら、
やめてもらえねェかな。わかるだろう?
俺は九条に対し、多少なりと負い目がある。だけど、そうだからと言ってあいつを
迎えに行くわけじゃねェ。俺が行こうと思ったから行く。ただそれだけだ」
「別に私はあなたに負い目があるから協力しているわけではありません、播磨殿」
「ん?」
「あくまで私は、お嬢様のために、“忘れ物”を届けに行くだけでございます」
「……そうかよ」
*
九条カレンがいると思われる場所。
ナカムラという男の言葉が正しければ、彼女はそこにいる。
東京都内にある某高級ホテル。
正面入り口から入ると、そこはまるでファンタジー世界のお城のような幻想的な
光景が広がっていた。
外見がお城のようなホテルなら、播磨の地元にもたくさんあるけれども、このホテル
はそんな安っぽい城ではない。
照明から内装品にいたるまで、全てが本物だ。
「あの、お客様。どのようなご用件でしょうか」
ホテルの従業員と思わしき人物が駆け寄ってきた。
それはそうだろう。ホテルの雰囲気とはまるで会わないサングラスに学生服の
男が入ってきたのだから。
「九条カレンという女がここにいるはずだ」
「はい?」
従業員は驚く。
しかしそこは高級ホテルの従業員。すぐに冷静さを取り戻し、落ち着いた声で案内をする。
「御待ち合わせのお客様でしょうか。それでは、あちらのテーブル席でお待ちくださいましたら」
「そんな暇ねェよ」
播磨はホテルのスタッフを押しのけるように、ずんずんと建物の奥に入っていく。
「申し訳ございませんお客様。他のお客様のご迷惑になりますので」
「うるせェ。このホテルに金髪の女子高校生が来ているはずだ。そいつは俺の同級生だ。
さっさと出せ」
「そうおっしゃられましても、お客様は多くおられますので」
『そいつの相手は俺がしてやる』
不意に癖の強い英語が聞こえてきた。
この低い声には聞き覚えがある。
「出やがったな」
播磨は思った。
マックス。
学校からカレンを連れ出した男。
本人はエスコートと言っていたが、実質強制連行のようなものだ。
(やはり、あのナカムラのオッサンが言っていたことは本当だったか)
播磨は確信する。
この男がいるということは、ここにカレンがいる。
「あの、お客様……」
先ほどの従業員が、どうしていいのか迷っているようだ。
だが播磨もマックスも、すでに周りの状況は見えなくなっている。
「九条はどこだ」
播磨はサングラス越しに睨みつけながら聞く。
『俺が大人しく教えると思うのか?』
不敵な笑みを浮かべながらマックスは答えた。
「教えねェなら力づくでも聞き出してやる」
「クックック、報われねえなあジャパニーズ」
今度は日本語で言うマックス。
この男は日本語もかなり理解できるようだ。
「ここの場所を突き止めたことは褒めてやる。だが、それでおしまいだ。
お前はprincessを目の前にして、倒れることになる」
「やってみなけりゃわかんねェだろうがよ」
「果たしてどうかな」
パチンとマックスが指を慣らすと、どこからともなくガタイの良い外国人が
ズラズラと出てきた。中には日本人を含むアジア系も何人か見られた。
「ウチの主人のボディーガードだ。お前一人で、こいつらを相手できるか」
そう言うと、マックスは播磨に背を向け、ホテルの奥へと進んで行った。
「俺は主人の護衛をしなければならんのでな」
「おい! 待て!」
播磨は叫ぶが、播磨とマックスとの間には、数人の屈強そうな男たちが立ちはだかる。
「糞が。お前ェらを相手にしている暇はねェが仕方ねェ。まとめてぶっとばしてやるぜ」
そう言うと、播磨は自分の上着を脱ぎ捨てる。
(しかしこの人数、一筋縄では行かねェぞ)
そう思った瞬間、不意に背後に気配を感じた。
ホテルの従業員か? いや、違う。
「少し遅れたか」
見覚えのある金髪、そして大きなサングラス。
「お前ェは……」
「D組のハリー・マッケンジーだ。覚えていてもらえると嬉しいのだがな」
「何でお前ェ、こんなところに」
「ワタシモイルゾ!」
「!?」
浅黒い長身の女子。
「ララ・ゴンザレスだ。ワタシ、ク・ジョーのトモダチ!」
「そうかよ」
そのララよりも更に長身の男。しかもスキンヘッド。
「確かこいつ、天王寺だったか」
ここまで、カレンと同じD組の生徒が来ている。
ということは、
「ふっ、ヒーローは遅れてやってくると言うじゃないか」
暑苦しい長髪の大男が腕を組んでやってくる。
「東郷……」
「やはり来たか、播磨」
「お前ェ、俺よりも先に学校を出て癖に、なんで遅くなってんだよ」
「ふっ、勢いよく学校を出たはいいが、少々道に迷ってしまってな」
「アホかよ」
「そんなことより播磨」
「あん?」
「ここにいるザコどもは俺たちに任せろ」
「なんだと?」
「何度も言わせるな。三下どもは俺たちに任せろと言っている。お前はさっさと
プリンセスを迎えに行け」
「なんでお前ェなんかに指図されなきゃならんのだ」
「だったら、お前一人でこいつらを相手するか?」
目の前には十数人の男たち。
目つきが悪い連中だ。
「……それは」
「だったら早くしろ」
『おい、簡単に行かせると思ってるのかよ!』
集団の中で、リーダーらしき金髪の男が英語で叫ぶ。
だが、
「……!」
一瞬であった。
前に出た東郷の右拳が先ほど叫んだ外国人の男を吹き飛ばす。
あまりのことに、その場にいた全員が言葉を無くす。
「いいことを教えてやろう。俺は自分の道は自分で選ぶ。だが、もし進むべき道が
ないのなら。自分でその道を作ってやる」
「東郷……、わかった。こいつらは任せる」
「必ず連れて帰ってこいよ」
「言われるまでもねェ」
播磨がそう言った瞬間、東郷は後ろにいた仲間たちに指示を出す。
「お前たち! 播磨の前進を支援だ! その後じっくり敵を殲滅するぞ!」
「おおう!!」
「うぉおおおおお!」
「ウリャアアアア!!」
普段はクールなハリーも、この日は熱かった。
冬にも関わらず、この日の夜は熱い。
*
「くそっ、九条の奴どこにいる」
ロビーに多数現れたチンピラどもを東郷たちに任せた播磨は、ホテル内でカレンを探す。
しかし、高級ホテルだけあって建物内は広く、どこにカレンがいるのかわからない。
その時であった、
「播磨殿、こちらです」
「はっ」
聞き覚えのある声に振り返ると、頬かむりをした執事服の男が立っていた。
「ナカムラのオッサン。何をやってるんだ」
「私はナカムラという者ではございません。通りすがりの忍者です。ニンニン」
(今時ニンニンかよ)
呆れて声も出ない播磨。
しかし、今はこの変な忍者に頼るほかない。
「播磨殿、この先の部屋にカレンお嬢様はおられますニン」
「もうニンとかつけなくていいから」
播磨は、ナカムラの言うとおり先に進み、彼が指し示す部屋の前に立った。
「ここにるのか」
「はい」
ナカムラは答える。
「そんじゃ、ちっと行ってくるか。ありがとな、色々と」
「いえ、私は自分の役目を果たしたまでです、播磨殿」
「役目? どう考えても役目とは違うだろう。むしろ裏切りじゃねェか?」
「いいえ、播磨殿。私は役目を果たしました。私に与えられた仕事は、お嬢様の
忘れ物を届ける、ということです」
「忘れ物……か」
「はい」
「じゃあ、しっかり届けないとな」
「……はい」
播磨は改めて前を向くと、大きな扉を開く。
扉の先にはダンスパーティーでも開けそうなほど広い部屋が広がっていた。
「ここにいたか、九条」
「……ハリマ?」
見るからに高級そうな絨毯の先に見えたのは、ドレス姿の九条カレンであった。
着ている服が違うからなのか、この部屋で見たカレンはいつも以上に輝いて見えた。
「ハリマ、どうしてここに?」
カレンは大きく目を見開いた。信じられない、という顔をしている。
「決まってんだろう、そんなの。お前ェを連れ戻しに来たんだよ」
「そんなのむりデス」
「無理じゃねェよ」
「ハリマ……」
「あのなあ、九条。俺はお前ェのわがままに散々付き合わされてきたんだ。だから
今度は、俺のワガママに付き合ってもらうぜ」
「それは――」
「できない相談だぜ、ジャパニーズ」
「テメェは……!」
マックスだ。
上着を脱いだマックスがそこにいた。
着こんでいるとわからなかったけれど、この男も東郷と動揺に筋骨隆々である。
「ここまでたどり着いたことは褒めてやる。だが、ただで帰れると思うなよ」
『マックス! やめて!』
カレンが英語で叫ぶ。
『大人しくしておけ九条カレン。俺はこれから、このジャパニーズに制裁を加える』
『ぐっ、はなして!』
いつの間にか現れた二人の男たちに両腕を掴まれるカレン。
「おい、相手は女だぞ。手荒な真似をすんな!」
播磨が叫ぶ。
「心配ない。彼女は大事な婚約者だ。怪我などさせるつもりは毛頭ない。むしろ、
少しでも傷つけたら問題だ」
「……貴様」
「ここにたどり着いたこと、改めて褒めてやろう。だがその頑張りもここで終わりだ
ジャパニーズ。お前は憧れのprincessの前で、半殺しにされるのだからな」
「黙ってやられるつもりはねェ。いい加減にしやがれ」
「吠えるな。せめて俺の拳で、痛みを感じる前に葬ってやる」
「クソが……」
「ハリマ!」
カレンの声が響く。
「九条!」
それに対し、播磨は答える。
「黙って見ていろ。俺は必ず、お前ェを取り戻す」
大きく息を吐く播磨。
彼の目の前には、不敵な笑みを浮かべるマックスがいた。
つづく
かつての敵との共闘っていう展開は好き。次回、ついに決戦。
播磨の運動能力がやたら高くなったのには理由がある。
それは時をさかのぼること6か月前。
播磨の同居人であり保護者を兼ねる親戚の烏丸さくらが風呂上りに、体重計に乗っていた時のことだ。
「なんということでしょう……、こんなのが許されるのか」
さくらは体重計の上で絶望していた。
「これは不味いわね」
そう言って身体に巻いていたバスタオルを自分ではぎとるさくら。
だが、その程度で体重計の重さが変わるわけもない。
「ぐぬぬ……」
彼女の視線が体重計に集中していたその時、
「さくら、風呂開いたか」
急に脱衣所のドアが開いた。
「が……!」
同居人の播磨拳児だ。
「いやあああああああああああ!!! 見ないでえええええ!!」
必死に体重計の表示を隠すさくら。
「おいさくら! もっと隠すべきところがあるだろう! 尻とか胸とか!」
「いやああああああん!!」
*
とりあえず二発ほど殴られた播磨は、さくらと話し合うことになる。
「運動をしましょう」
唐突にさくらは言う。
「はあ? 何言ってんだ」
「だから運動よ。やっぱりね、運動で体脂肪を燃やすことが一番いいと思うの。そうでしょう?」
ぐっとこぶしを握り締めるさくら。
「いや、そりゃわかるけどよ。やればいいだろう」
「ダメよ拳児くん! あなたもやるのよ」
「俺も? なんで俺が」
「同居人として、家主に従うのは当たり前でしょう!?」
「んな理不尽なことがあるかよ。なんでそうなるんだ」
というわけで渋々ながらさくらの運動に付き合うことになった播磨。
そして二週間後、
「おいさくら。走りに行くんじゃねェのかよ」
「もう5分ほど眠らせてよお」
「お前ェ、そんなんじゃ続かねェぞ」
「拳児くん、私の分まで走ってきてえ」
「……」
播磨は、さくらが挫折した後もトレーニングを続けた。
それが後に、彼の強靭な下半身とスタミナを作り上げた……らしい。
もざいくランブル!
第19話 血 戦 promise
「とりあえず、九条(コイツ)は連れて帰るぜ、外国人」
「お前はその意味がわかっているのか?」
マックスと向き合った播磨は、迷いなく言葉を発する。
もう、後には引けない。
「もう考えるのが面倒くせェ。細かいことは後で考えるぜ」
そう言うと、播磨は拳を上げて構える。
「そういう考えはキライじゃないぜ」
同様にマックスも構えた。
「だが――」
「あン?」
「貴様のその思いは、報われねェぜ」
一瞬で距離を詰めるマックス。
「ぬわっ」
播磨の顔のすぐ傍をマックスの拳が通り過ぎる。
鋭い。
まるで錐かナイフのような鋭さを持つ彼の拳。
「ぐっ!」
ガードをすると、突き刺さるような痛みが腕を走る。
すでにわかっていたが相当の手練れだ。
「でりゃあ!」
播磨の蹴り、拳。
しかし上手く躱されてしまう。
(こいつ、防御も心得ていやがる。ただの喧嘩屋じゃねェな)
元々わかってはいたけれど、拳を交えて確信した。
この男は強い。
それも、今まで戦ってきた者の誰よりも。
「ふっ、少しは楽しませろよジャパニーズ」
「くそがっ!」
一見すると動きは単調だが、微妙にリズムが変わっている。
重いパンチと軽いパンチ。そんな緩急をつけた攻撃が、じわじわと播磨を追い詰める。
そして何よりその足元。
(この打撃、ボクシングか?)
素早く放たれる左ストレート、そして重く強い右のフック。
その攻撃はボクシングそのものだが、足元はステップを踏まない、すべるような
すり足であった。
(そうだ、思い出した。この動きはあいつだ。マイク・タイソン)
播磨は昔見た映像を思い出す。
かつて最強と呼ばれたボクシング、ヘビー級王者。マイク・タイソン。
その足さばきは、普通のボクサーと違ってスッテップを踏まない、滑るような
“べた足”であった。
すり足は、障害物の多い屋外ならともかく、道場やこの部屋のように平らな場所
では理にかなった戦い方だ。
(確かに強ェ。だがこれはボクシングじゃあねェんだ。喧嘩なんだぜ)
次の瞬間、播磨は身を低くしてマックスの足元を狙った下段蹴りを繰り出す。
だがその動きを読んでいたマックスは素早く播磨の蹴りを受け流すと、素早く
ストレートの打撃を繰り出してきた。
「くそっ!」
ガードの上からでもわかる強力な打撃。
(殴り合いは不利。だが――)
かつて戦ったナカムラに比べれば、破壊力は劣る。
それは身長や体重のせいばかりではないだろう。
「ぐふっ!」
マックスの拳が播磨の腹に突き刺さる。
だがまだ浅い。
これで“重いパンチ”をもらったらまずかった。
次の攻撃を防ぐように播磨は中段の蹴りを繰り出す。
攻撃は最大の防御。
一気に畳みかけようとするも、マックスは独特なすり足で素早く播磨の攻撃をかわし、
体勢を立て直す。
恐らくガタイの違いから距離を取った殴り合いは不利。
そのことは播磨も相手も十分認識している。
だからこそ、マックスは素早い身のこなしで自分の得意な距離を保っているのだろう。
だがそこはひっくり返さなければならない。
播磨自身、まだ決定的な一撃は食らっていないものの、このまま戦い続けれは、
確実に攻撃を受けてしまうことは本能的に感じ取っていた。
「こんなものか、ジャパニーズの実力というものは」
構えながらマックスはわかりやすい挑発をする。
「勝手にほざいてろ。大和魂がこんなところで負けるわけねェんだよ」
「寝言も大概にしておけ」
再び距離を詰めるマックス。
「させるかっ」
播磨は前蹴りでカウンターを狙う。
だがそれは読まれていた。
「しま――」
寸でのところでマックスの打撃を防ぐ播磨。
しかし、その衝撃で彼のバランスが崩れてしまった。
均衡が崩れたかと思われたその時、
(なめんな――)
マックスの大振りの拳。
それを掻い潜るように播磨はマックスの懐に飛び込む。
(今だ!!!)
前に重心の乗った脚を、一気に薙ぎ払う。
「ぐわっ!!」
一瞬、無重力にでもなったかと思うほどに、マックスの身体が宙を舞う。
そして床に叩き付けられる。
普通の試合なら「待て」がかかる場面だだが、ここはそうではない。
一気に追撃を仕掛ける播磨。
播磨の蹴りがマックスに当たる。
手応えは十分だ。
更に追撃をかける。
衝撃が足から伝わってくる。
いくら鍛えていたからといって、脇腹や肩口を何度も蹴られて無事でいるはずがない。
「これで、終わりだあああああ!!!!」
渾身の力を込めて、播磨は自らの拳をマックスに突き刺す。
だが、その拳は絨毯を叩いただけであった。
(なにい!?)
次の瞬間、素早く床の上を転がったマックスはスッと立ち上がる。
先ほどまで何度も播磨の蹴りを受けていたとは思えないほどに、簡単に立ち上がったのだ。
「ふんっ、なかなかやるな」
コキコキと首を慣らしながらマックスは笑った。
「な……!」
『だが甘い。倒れた相手に対する攻撃は中途半端のようだ』
口元の血を拭いつつ、彼は再びファイティングポーズを取った。
ある程度ダメージを受けているようにも見える。
だが相手の戦闘力は全く衰えていない。
むしろより強力になっているようにすら見えた。
「どういうことだ、という顔をしているな」
「なに?」
「ハンデだぜ、ハンデ。これくらいやらないと、貴様ごときでは勝負にならんからな」
「勝負にならねェだと?」
「決まってるだろう。貴様のような甘っちょろい奴が、この俺に勝てるわけがない」
「やせ我慢してんじゃねェぞ!!」
再び距離を詰める播磨。
だが、
「な――」
視界の外から飛んでくる蹴り。
そして、
比較的高い場所からの打撃に身体がひっくり返る播磨。
一瞬何が起こっているのかわからなかった。
横になった彼の視界には、膝を高く上げるマックスの姿が。
「テメェ、蹴りも使えるのかよ」
起き上がりながら播磨は言った。
「蹴りを使えないとは言った覚えはないが」
拳だけの攻撃と素早いフットワーク。
とあるボクサーに似た戦い方。
ただそれだけで播磨は、マックスの動きがボクシングによるものだと思い込んでいた。
しかし、実際は違う。
マックッスの足さばきは明らかにボクシングのものとは違う。
強いて言うなら、
「せいっ!」
「ふんっ」
拳の軌道には覚えがあった。
「空手か」
「貴様が知っているような甘っちょろいスポーツ空手とはわけが違うぜ」
マックスの正拳突き。
それを両腕交差で防ぐ播磨。
重い――
更に前蹴り、後ろ蹴り。
「がはっ!」
耐え切れず後ろに下がる。
裏拳、そして肘。
隠していた技が次々と播磨を襲う。
一瞬、視界が飛んだ。
(いいのを貰っちまった!)
口の中が切れたか。
播磨は思った。
興奮していて、今は気にならないが、時期に口の中に鉄の味と臭い、そして唾とは
違う生暖かい液体があふれることはわかっていた。
ジンジンと耳鳴りが響く。
まだ倒れるほどのダメージではない。
更に接近――
(なめんな!!)
腰の入ったパンチをマックスの腹に入れる播磨。
今日初めてとも言える、クリーンヒットだ。
しかし、マックスはひるむことなく肘を繰り出した。
「がはっ!」
当たる寸前に、何とか手で防いだものの、ガードごと衝撃が播磨の頭部を襲う。
(なんてことだ、ガードの上から)
圧倒的な攻撃力。
そして絶望的な耐久力。
まるで壁と闘っているような圧迫感は、普通の人間なら心を折るのに十分だろう。
半年前の悪夢が蘇る。
「どうした! この程度かあ!!」
マックスの攻撃が更に威力を高める。
まともにガードをしてもダメだ。
できるだけかわし、後は受け流す。
そうして衝撃を最小限に抑えなければならない。
「どりゃあああ!!!」
物凄い気合いとともに、マックスの拳が播磨の二の腕に衝突した。
彼としては防御のつもりであったけれど、腕を挟んでもなお、その衝撃は胸を突き刺す。
「くそがああ!!」
こちらも負けずに気合いを入れる播磨。
だが、大振りの攻撃が当たるはずもない。
(もっと、もっと冷静になれ)
自分に言い聞かす播磨。
だが考えるよりも先に、マックスの攻撃は容赦なく播磨の身体に突き刺さる。
何発か、ガードの上からねじ込んでくる。
(強ェ。この強さ、技術とか筋力とか、そんなレベルじゃねェ。もっとこう――)
播磨は今までに感じたことの無い強さに戸惑う。
こんな相手は今までにいなかった。
それは外国人だから、というだけではないだろう。
(この強さはなんだ)
技術的なことではない。
「せりゃあ!」
左のカウンター。
(決まった!!)
播磨の拳がマックスの頬にめり込む。
だが、
ニヤリ――
不敵な笑みを浮かべたマックスはすかさず回し蹴りを撃ちこんできた。
(こいつ、痛みを感じねェのか!)
焦る播磨。
そして攻撃の手を緩めないマックス。
無限に続くと思われる攻撃に、播磨の心はぐらついていた。
*
「ハリマ!」
思わず叫ぶカレン。
序盤は対等かと思われた戦いも、その後はマックスのペースで進んでいる。
播磨の攻撃も当たるには当たっているけれど、其れ以上にマックスの攻撃が効いているようだ。
このままではやられる。
勘の良いカレンは本能的にそう悟った。
(止めないと)
無意識のうちにカレンの身体が動く。
いつもそうだ。
播磨の姿を見ていると、考えるよりも先に身体が動いてしまう。
『お待ちくださいお嬢様!』
『危険です!!』
マックスの手下の二人がカレンの両サイドからカレンの腕を掴む。
「私に触れるなデス!!」
「うわあ!」
カレンは一人の腕を振りほどくと、もう一人を合気道の技の要領で投げ飛ばす。
運動神経の良いカレンは、以前合気道教室で習った技を無意識にうちに習得していたのである。
不意打ちを食らった男たちは、思わず手を放してしまう。
その間にカレンは播磨の所に駆け寄った。
『もうやめてマックス!』
カレンは英語で叫ぶ。
『どけっ! まだ戦いは終わっちゃいない』
口から血を流しながらマックスは英語で返す。
負傷はしているけれど、今の播磨よりは幾分かマシだ。
すでにカレンの背後にいる播磨の身体はボロボロである。
『もう十分でしょう? 何をやっているの? これ以上彼を傷つけないで』
『そっちのジャパニーズが売ってきた喧嘩だ。それを返り討ちにして何が悪い』
『これ以上人を傷つける必要はない、と言っているの』
『そいつはどういうことだ』
マックスは未だに戦闘態勢を解いていない。
今にも自分に襲い掛かってきそうなほどの殺気を身に纏っている。
『私は言われた通り、婚約者と会います。だからこの戦いには意味はないわ。
だからこれ以上戦わないで』
『俺は別にそれでもいいが、後ろのそいつはどうかな』
血の混じった唾を床に吐きながらマックスは言った。
「ハリマ……」
振り返るカレン。
そこには血を流し、痣だらけになった播磨がいた。
「おい九条」
不意に播磨は声を出す。
「お願いハリマ。もうこれ以上戦わないでクダサイ。もういいんデス。カレンのことは、
もう放っておいて――」
「九条カレン!!」
「!!?」
カレンの言葉をかき消すように播磨は叫ぶ。
「お前ェは何度俺に恥をかかせる気だ」
「ハリマ、あの」
「俺はな、自分の意志でお前ェを連れて帰るって決めたんだ! 今更変える気はねェ!
例えお前ェが嫌だつっても連れて帰るぜ」
「もういいんデスハリマ。アナタの気持ちだけで私は幸せデス」
「俺は幸せじゃねェよ!」
「ハリマ!」
「どけっ!」
「……」
「今度邪魔したらタダじゃおかねェぞ」
播磨はカレンを横に押しのけながら言った。
「……」
「ラーメン、奢ってやんねェからな」
「ハリマ? それって――」
もう随分前の話のように思える。
一学期のテスト勉強をしていた時、播磨と交わした約束。
まだ叶えられていなかったあの約束を、彼は覚えていた。
*
『クソが……』
マックスは小さくつぶやく。
これまで殴られてもけられても不敵な笑みを浮かべて攻撃を続けてきた男が、
初めて見せた感情的な表情。
(これは、まさか――)
播磨の心の中に一つの仮説が浮かび上がった。
つづく
ナカムラに鍛えられたカレンは意外と強いと思う。
正直、俺はまともな教育を受けられるような環境に生まれ育ったわけではなかった。
一言で言えば、ゴミ溜めのような場所で、泥水をすすりながら生きる。
そんな言葉がお似合いの環境で生まれ、そして育った。
父親も母親もロクでもない奴らで、俺は早くに捨てられた。
そんな俺が、曲がりなりにもまともな教育を受けられたのは、腕っぷしの強さを
認められ、とある令息の用心棒をするようになったからだ。
そいつが俺の主人だった。
まあ、そいつにとって俺はたくさんいる召使いの一人であったわけだが、
少なくとも俺はそいつのために人を殴り、生きて行った。
すさんだ生活の中で心も荒んでいく。
当然、俺の周りには主人以外の人間が寄ってくるはずもない。
だが、そんな中で一人の例外が現れた。
九条カレン。
彼女だけは、周りが恐れて話しかけてもこないこの俺に対し、平等に接してくれた。
底抜けに明るい笑顔と、日本人とのハーフとは思えないほどの美しく艶のある金色の
髪の毛が、俺の心を癒してくれたのだ。
しかし、そんな希望も打ち砕かれる。
九条カレンは、俺の主人の許嫁であった。
旧時代の話に聞こえるかもしれないが、金持ちの世界はわからない。
九条もまた、俺の主人と同様に別世界の人間だった。
そんな彼女が、ある日突然姿を消した。
聞けば日本に行ったというではないか。
それを聞いたとき、俺は悲しむよりも先にホッとしたのだ。
なぜなら、誰かに取られることを見るよりも、目の前から消えてくれたほうがいくらかマシだと思ったからだ。
どうせ結ばれない関係ならば、最初から無かったことになればいい。
だがそんな淡い気持ちは打ち砕かれる。
俺の主人は、婚約者を追って遠い極東の島国まで飛んで行った。
当然、用心棒の俺も同行することになる。
彼女と、九条カレンとの再会は苦いものとなった。
もざいくランブル!
第20話 思い distance
目の前を覆うどす黒い感情。
其れを悪意というのなら、自分は喜んで悪に染まろう。
マックスはそう思い播磨に向かう。
ありったけの憎しみを込めて。
(なぜコイツは、なぜコイツは……!)
何度も拳を打ちつけながらマックスは問いかける。
(なぜ、この男はこんなにも彼女に愛されているんだ……!)
九条のカレンの表情を見ればわかる。
彼女が見ている先は決して自分ではない。
(俺は生きるために彼女をあきらめた。しかし、何の苦労もしていない、
日本というぬるま湯のような国で平凡に暮らしているような男が、
彼女を手に入れるというのか……!)
「くそがあ……!」
マックスの拳が血液で濡れる。
だが、次の瞬間彼の前進がはばまれた。
「な!!」
急に目の前に現れるサングラス。
頭が揺れる。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
だがすぐに腹に大きな衝撃が走った。
「ぐはっ!」
何とか踏ん張って倒れることを防いだマックスは大きく拳を振り上げて播磨を殴りつける。
手応えが軽い。
首をひねってダメージを殺したのか。
この男のどこにそんな余裕があるというのか。
*
先ほどとは明らかに戦い方が違う、と播磨は確信した。
ついさっきまで、戦いを楽しんでいるようにも思えたマックスの拳からは、憎しみが
にじみ出ているようだ。
何があった。
いや、違う。
今まで隠していたものが漏れ出たというべきか。
渾身の一撃を放つため、大振りになったマックスの攻撃に合わせ、播磨は頭突きで
カウンターを食らわせる。
一歩間違えば顔面に思いっきり食らってしまいそうなほど、危ない攻撃であった。
しかしリスクを取った分、効果は大きい。
「ぐはっ……!」
自分も痛かったが、不意を突かれた相手もよろける。
だがすぐに反撃してきた。
(このくらいじゃあやられてくれねェか)
すでに足元も覚束ず、頭もガンガン痛んでいるにも関わらず心は冷静だった。
高鳴る心臓の音も、今はクラシック音楽のように落ち着いて聞いていられる。
まるで自分の身体が自分のものではないような感覚。
「くそがあ!!」
マックスの拳を受ける。
もはやガードもまともにできない。
ボロボロだ。
だが、まだ戦える。
戦いの中で播磨は確信する。
この男は単純に命令だから戦っている、というわけでもない。
「おい、マックスとかいったな」
播磨は戦いの中ではじめて彼の名を呼ぶ。
「なんだ」
構えを崩さずに、マックスは答えた。
「お前ェ、もしかして」
「……」
「九条のことが好きなのか?」
「!!!」
「!!!!」
唐突な質問に、マックスだけでなく周囲の人間も絶句する。
「……お前、こんな時にふざけているのか」
「いや、そういうんじゃねェけどよ。なんつうか、そんな気がしてよ」
「今はそんなこと、関係ないだろうが!」
マックスは叫ぶ。
「いや、別に好きじゃねェならそれでもいいけどよ、もし好きなら」
「なんだ」
「俺には勝てねェ」
「どういうことだ」
言葉と同時に蹴りを繰り出すマックス。
だが先ほどのようなキレはない。
播磨は寸でのところで上段蹴りをかわす。
鼻先をかすりそうになるほどの蹴りだ。
少し当たっただけでも大きなダメージは避けられないだろう。
だが今は、当たる気がしない。
大振りの攻撃を諦めたマックスは距離を詰める。
「やってやろうじゃねェかよ」
播磨も前に出る。
ゴツンと額と額がぶつかり合う。
いわゆるバッティングというやつだ。
ボクシングなら反則だが、今はそんなことはない。
ぐらつく視界を振り払うように播磨は拳を繰り出す。
それはマックスとて同様だ。
大振りのハイキックならばともかく、超接近戦の打撃はなかなか躱せない。
「ふぐっ!」
「ぐはあ!!」
唇や口の中が切れ、何度も血を吐きながら相手に拳を当てる。
ぐにゃりと、柔らかい感触もあればやたら固い感触もある。
拳が切れて血まみれになる。
だが痛みなど感じない。
「そろそろ倒れたらどうなんだ、ジャパニーズ」
荒い息をしながらマックスは言った。
「それはこっちのセリフだブリテン野郎」
「ほざけ」
マックスの肘、それを防いだ播磨の拳。
それを叩き落とすマックス。すかさず播磨の頭突き。
だがマックスはそれに怯まず拳を繰り出す。
それに対し、播磨も攻撃を止めない。
すでに足は止まった。
最初の頃に見せていた、マックスの滑るような足遣いも今はない。
ただ、床を踏みしめて相手を殴るだけだ。
それは播磨も同様だった。
ここまでくるともはや技術は関係ない。
意地と意地とのぶつかり合い。
どこまで耐えられるのか、どこまで闘志を燃やし続けられるのか。
バトルオブブリテン、はたまたガタルカナルの戦いを彷彿とさせる消耗戦の中で、
播磨はマックスの拳を掴む。
同様にマックスは播磨の拳を掴んだ。
「九条が好きなら、素直にそう言ったらどうなんだ」
「ああ? だから今そんなことは関係ないだろうが」
顔を突き合わせながら二人は睨みあう。
「お前ェが主人の命令で仕方なく戦っていると思っている限り、俺はお前ェには負けねェ」
「ジャパニーズが、粋がるな……!」
手を持ち替え、二人はお互いの両手を掴みあった。
プロレスで言うところの力比べの体勢だ。
「九条がお前ェの主人の許嫁とか言ったな。だったらお前ェは何のために戦う」
「邪魔者は排除する。ただそれだけだ」
「九条が無理やり結婚させられるのを、お前ェはそれでいいと思っているのか?」
「貴様に何がわかる」
「わからねェなあ、自分の意志で動かない奴のことはよお!」
「だったら貴様の気持ちはどうなんだ! 貴様は九条カレンのことをどう思っている!」
「な……!」
「その思いが、叶うとでも思っているのか」
「俺の思いは――」
「ハリマ!!!」
不意にカレンの声が耳に飛び込む。
(いつもそうだ。いつもいつも、何で辛い時にコイツの、九条カレンの声が耳に入ってくるんだよ)
「ハリマケンジ! Never give up!!!!」
「言われなくともわかってんだよおおおおおおおお!!!!」
驚異的な力で体格で勝るマックスを押し返す播磨。
「お前にカレンを幸せにできるか! 一生面倒を見る自信が、能力があるのか!?」
「先のことなんか知るかああ!!!」
播磨は思いっきりマックスの頭に頭突きをくらわす。
「ぐわっ!」
思わずよろけ、手を放すマックス。
「確かに俺は迷ってるさ。だがな、お前ェほどじゃねェ。俺は今日、九条カレンを連れて帰る。
その目的のために命をかけるだけだ」
「命だと? 生ぬるい平和ボケした国民が命などと軽々しく口にするなあ!!」
マックスの右!
「!!!」
それに反応した播磨が拳を繰り出す。
そして、両者の拳が交わる。
だが、両者の攻撃は互いに相手の顔を捉えていた。
いわば相打ち状態である。
一旦離れた二人は、更に打ち合う。
もはや防御などない。
ただただ打ち合うだけだ。
『いい加減倒れろ!』
「それはこっちのセリフだ!」
体当たりをしても、二人は倒れない。
すでに体力はつき、まともに腕も上がらない状態。
それでも二人は戦う。
汗と血が混じり前も良く見えない。
だけど、ただ一つの意地を貫き通すために。
「これで終わりだ! ジャパニーズ!!!」
マックスが拳を振り上げた瞬間、
播磨は飛び出し、彼の心臓に向けて拳を突きだす。
「……ぐふっ」
動きの止まる身体。
「マックス、日本語で自信って言葉は、自分を信じると書くんだ。だけどお前ェは
自分にウソをついた。だから勝てねェんだよ」
「バカな」
播磨は拳を引くと、マックスはゆっくりと膝をつく。
すでに汗と血で汚れた絨毯が、やさしく彼を包み込むように見えた。
「ハアハアハア……」
「ハリマ!」
膝に手を当て、肩で息をする播磨に駆け寄るカレン。
『なんでいつもこんな無茶なことを……』
カレンは播磨のサングラスを外し、彼の顔をじっと見る。
怪我の様子を見ているのだろうか。
「俺がいつ無茶をしたつうんだよ」
「何を言ってるデス! いつもいつも無茶ばっかりしてるじゃないデスか!
本当にモウ!」
カレンは語気を強める。
「九条、帰るぞ」
「え……」
「さっき言ったろう。俺はお前ェを連れて帰るって」
「それって、お持ち帰りってことデスか?」
「いや、誤解を受けるような言い方はやめろ」
「で、でも」
「俺のわがままだ。何度も言わすな」
「ハリマ、私やっぱり――」
「終わったか播磨!」
カレンの声に被せる様に、キザな男の声が部屋に届く。
「東郷!」
「ふっ、随分と手こずったようじゃないか」
「お前ェらこそ」
東郷の制服はビリビリに破け、顔や体中が痣だらけであった。
それは一緒にいた天王寺やララたちも同様だ。
ハリー・マッケンジーはサングラスを外している。
「播磨、歩けるのか」
東郷は聞いた。
「何言ってやがる、楽勝だ」
そこまで言いかけた時、プツリと意識が途切れた。
ここまで保っていた緊張の糸が、情けないことに東郷たちを見た瞬間切れてしまったのだ。
*
見覚えのある天井。
そして頭が痛い。
いや、違う。痛いのは頭だけではない。
播磨は思った。
懐かしい感覚、そして懐かしい匂い。
『気が付いたかしら、王子様』
「九条……、いや、九条の」
九条カレンを大人にした感じの女性。
彼女の母親である。
暗がりの中でもそのはっきりとした目鼻立ちはすぐにわかる。
「またこのパターンか」
『お医者様にもちゃんと見せたから、問題ないわよ』
快活な英語でカレンの母は答える。
『それにしても、やってくれたわね』
「謝ればいいのか?」
『謝って済むような問題じゃないわ』
「だろうな。どうする。俺はこれから殺されるのか」
カレンの家は超がつくほどの大金持ちだ。たかだか、日本の不良高校生一人を行方不明
にすることくらい、造作もないことだろう。
『……あなたは、なぜカレンを連れ帰ろうと思ったの?』
カレンの母は静かに質問をする。
月明かりに照らされた彼女の眼は、とても責めているようには見えなかった。
「なぜかって、そりゃあ……」
播磨は少し考える。
どう答えればいいのか。
彼は元々頭が良くないので、いい言葉が見つからない。
でも、何かを答えなければならない、ということだけはわかっていた。
「嫌だから、か」
『嫌?』
「なんつうかよ、まだ高校生なのに結婚相手がもう決まってるとか、嫌だろう、普通。
もっと色々な経験とかもしたいと思うだろうし」
『それはあなたの考えでしょう? カレンの考えとは違うかもしれないわ』
「わかんだよ。アイツの考えてることは」
『え……?』
「別にわかりたくもねェんだけど、なんかわかっちまう。自分の目の前にある現実に
対し、嫌って言いたいのに言えねェところとかよ」
『それだけあの子のことを大切に思っているってことかしら?』
「いや、別にそういうんじゃなくて、単純に嫌なんだ。自由に生きられるのに生きねェ
やつを見るのが」
『あの子が拒否する、ということは考えなかった?』
「考えたさ。だからはじめは、今回の事態も無視しようかと思っていた」
『だけど?』
「ああそうさ。放っておけなかったんだよ。コイツは俺のワガママだ。ワガママで
許嫁との面会を滅茶苦茶にした。この罪を逃れるつもりはねェ。煮るなり焼くなり
好きにしろや」
『ミスターハリマ』
「あン?」
ふっと、身体を近づけたカレンの母は播磨の顔を両手で包み込む。
懐かしい匂い。
そうだ、これはカレンと同じ香りだ。親子なんだから当たり前なのだが。
『許嫁の件、カレンははっきりと断ったわ。無論、私もそれに同意した』
「……いいのか」
『あの子が自らの信念で出した結論よ。私はそれを尊重するわ』
「もしかしてこの騒動って」
『なに?』
「九条が一言『嫌だ』って言えばそれで済んでたんじゃねェのか?」
『うーん、そうかもね』
「なんだそりゃ、イテテテ」
『ほら、大人しくしてなきゃダメでしょう?』
「何してるデェェェェェス!!!!!」
部屋が揺れるかと思うほどの大声が響く。
『あらカレン。まだ起きてたの? もう、早く寝ないとダメじゃない。明日は早いんだから』
『マムの姿が見えないと思ったら、ハリマの部屋で何をしているの?』
「おいちょっと待て九条。なんでここが俺の部屋なんだ?」
播磨はそう言ってみたが、カレンはその言葉を無視する。
『ハリマの面倒は私が見るって言ったでしょう? マムは大人しくしていて!』
『あらあら。こんな楽しそうなこと、ママにもさせてくれたっていいでしょう?』
「いつまでハリマを抱いてるデスかあ! 早く手を放してクダサイ!!」
興奮のためか、なぜか日本語に切り替わるカレン。
「ああもう、うるせェなあ! 静にしろよ、近所迷惑になるだろうが!」
『大丈夫よケンジ。このマンションは一棟まるごと借り切ってるから』
ニコニコしながらカレンの母はとんでもないことを口にする。
あと、何気に播磨のことを下の名前で呼び始めていた。
「はあ……?」
凄いとは思っていたけれど、ここまで凄い金持ちだったとは正直予想外である。
『まあ、仕方ないわね。私はここでお暇するわ。後は二人で話なさい?』
そう言うと、スッと播磨から手を放したカレンの母は立ち上がる。
まるでモデルのようにスラリとした身体のラインは、とても子供を産んだ母親には見えない。
『でも興奮したからといって、いきなりやっちゃあダメだよ、ケンジ』
「おい! 何を言ってやがんだ!」
播磨がそう言っていると、カレンの母親は部屋を出た。
ドアの閉まる音が部屋の中に響いた。
「……」
「……」
静まり返る部屋の中。
今は時計の音だけが響く。
(今更何を話せばいいだろうな)
播磨は再び考える。
この場合、何と言っていいのかわからない。
「ハリマ」
不意にカレンが声を出す。
「なんだ」
「アリガト、デス」
カレンは消え入りそうな小さな声で言った。
「別に感謝されるようなことはしてねェ。俺はやりたいことをやっただけだ。怒られる
ならしかたねェけど」
「それでも嬉しかったデス」
「……そうか」
「でもそれ以上に、カレンは怒っているデス」
「は?」
「何回心配させれば気が済むんですか、ハリマは。何度も何度も何度も、私は凄く
心配だったんデス」
「……お、おう。悪い」
「本当にもう、無茶苦茶やって。そんなハリマも素敵ですが……、それより!」
「……」
「あまり心配はかけさせないでクダサイ」
「悪かったよ」
思わず播磨は、近くに寄ってきたカレンの頭を撫でる。すべすべしたキレイな金髪は、
さわり心地も柔らかかった。
「本当にすまないという気持ちがあるのなら」
「……なんだよ」
「怪我を直してください。それで、ラーメンを奢ってくださいネ」
「わかった……」
あの約束は、まだ忘れていなかったんだ。
そう思うだけで播磨は少し嬉しかった。
つづく
次回、最終回。
最悪、ある意味最悪の正月休みだったのかもしれない。
クリスマスイヴにマックスとの死闘を演じた播磨は、年末年始、ずっと戦いの疲れと
怪我の回復に努めざるを得なかった。
そして体力が回復したころには、冬休みは終わっていたのだ。
(別に休みの日に何をするってわけもねェけどな)
アルバイターにとっては稼ぎ時の年末年始を逃したのは、少し痛かったかもしれない。
1月の寒空の下、始業式のために播磨は学校への道を歩いていた。
「オッス、ハリー」
ふと、懐かしい声が聞こえる。
「猪熊か」
「私もいるわ」
小路綾もいた。
厚手のマフラーを巻いた綾の口元からは、白い息が漏れていた。
「怪我の具合は大丈夫?」
猪熊陽子はそう言って播磨の顔を覗き込む。
「大丈夫だ、問題ねェ」
「ふへえ、カレンの話だと随分ひどい怪我だと聞いていたけどねえ」
「そこまでヤワじゃねェ」
「綾も心配してたんだよ」
「な、何を言ってんのよ陽子!」
「あん?」
播磨が綾のほうを見る。
「べ、別に播磨くんの心配をしていたわけじゃないんだからね! まあ、カレンを連れ戻して
くれたことは感謝しているけど」
なぜか怒りながら、綾は顔を背けた。
「ったくよ。まあ、心配かけてすまんかったな」
「珍しい。今年のハリーは素直だね」
「別に俺はいつも正直だ」
「そうなの。あの子の前でも正直になってあげたらいいのに」
そう言うと陽子はニヤリと笑う。
「あの子?」
その刹那、背中に悪寒が走る。
何かが近づいている音、
だが反応するよりも先に、播磨の身体に衝撃が走った。
「な!!」
「ハリマアアアアアアアアアアアア!!!!」
「ぐおわあ!!!」
急に後ろから飛びつく人影。思わず前のめりに倒れそうになる。
子泣き爺か!?
いや、違う!
子泣き爺よりは軽く、何よりいい匂いがする。
サラリと、播磨の横の視界に見覚えのある長い金髪が朝日を反射して輝いていた。
間違えるはずもない。
「コラ九条! 朝から何やってんだ! また怪我したらどうすんだ」
「What are you talking about? この程度でやられるほど、私のハリマは弱くないデス!」
「さりげなく『私の』とか言ってんじゃねェぞ!」
「んフフン。カレンが故郷(イングランド)に帰っていた間、寂しかったデスか?」
「別に寂しかねェよ」
「素直になりなさい」
「ああもう! 早く降りろ」
「ついでだから教室まで連れて行ってください」
「いい加減にしろ。つうかお前ェと俺じゃあクラスが違うだろうが」
「ひゅー、お二人さん、仲がいいねえ」
冷やかすように陽子は言った。
綾はカレンと播磨のやり取りを見てなぜか赤面している。
そして他の生徒たちも、カレンの行動に注目しているようだ。
急に恥ずかしくなった播磨は、カレンの腕を無理やり外すとその場に立たせる。
「やめろ九条。恥ずかしいだろうが」
「恥ずかしがっちゃダメデス。羞恥心からは何も生まれナイ」
「何言ってんだお前ェは。とにかく、新年早々騒いでんじゃねェぞ」
「騒いではいまセン! ただちょっと嬉しかっただけデス」
「はあ?」
「ハリマに会えて、……嬉しかったデス」
そう言うと、カレンは照れくさそうに顔を赤らめながら目を伏せる。
「な……、何言ってんだ。バカらしい」
播磨は吐き捨てるようにそう言うと、学校へと向かった。
(嬉しい、か)
大きく息を吸うと、冬の空気が気持ちよかった。
もざいくランブル!
第21話 変 化 weather
昼休みの屋上。
誰もいない場所、というとこういう場所になってしまう。
風が少し、いや、かなり冷たい。
小路綾は、そんな場所でカレンと向き合っていた。
「大丈夫なの? カレン」
去年は色々とあったけれど、年末にカレンが母国に帰ってしまっていたので、
あまり話ができずにいた。
こうして二人きりで話すのは久しぶりだ。
「心配ありまセンよ。アヤヤは心配性デス」
カレンはそう言って笑う。
12月に見せた、力の無い笑顔とは違う。元の、あのカレン独特の輝くような笑顔がそこにあった。
「ねえカレン。まだ彼のことが好きなの?」
「ハリマですか」
綾はあえて名前を出さないようにしたにも関わらず、カレンは躊躇なくその名を出す。
彼女は、播磨の好きな人が自分ではないと知って以来ずっと悩んできた。
そして迷いもした。
ナカムラという執事の話から、その悩みの中で許嫁との婚約に踏み切ろうとした、
ということにもなりかけていたようだ。
結果的には、播磨を含む数人が乱入したためにご破算になったのだが、何よりカレン
自身が許嫁との結婚を拒否したことが大きい。
九条カレンは、自分の進むべき道を選んだのだ。
それがいばらの道であったとしても。
「アヤヤ。私は人を好きになると言うことは、とても素敵なことだと思っていました」
「違うの? カレン」
「ハイ。いざ好きになってみても、相手は自分の思うとおりにはなってくれません。
いっぱい悩むこともあったデス」
「……」
「でも、私は決めました」
「え?」
「この思いを最後まで貫くことを」
そう言うと、カレンは自分の胸に手を当てる。
「どういうこと?」
「私は、彼のことを好きでい続けようと思います。私の思いが届く、その時まで」
「ねえカレン。それって、とっても大変なことなんじゃあ」
「わかっていマス。でも、そうでないと、私の気持ちが収まらないのデス」
「……うう」
カレンの瞳に迷いはない。
いや、違う。
これまで散々悩んできたんだ。悩んで、悩んで、悩み抜いて、そして出した結論。
(カレン、あなたの思いは多分、届いていると思うよ)
ふと、綾はそう思った。
口には出さないけれど、すでにあの二人の間には、強い結びつきのようなものを感じ取っていたのだ。
*
「ヒックショ」
思わずくしゃみをする播磨。
「ハリマくん。また風邪?」
心配そうにアリスは言った。
「あーいや。そんなことはねェと思うけどよ」
播磨はハンカチで口元を拭きながらアリスのほうを向く。
「それでね、日本に帰ってきてからすぐに『三匹が斬られる』の年末スペシャルを
見たの」
「ああ、あれはいいモンだな」
「万石の殺陣のシーンが凄く迫力があってよかったよ」
「日本では珍しい、ワイヤーアクションだったからな」
「周星馳監督が協力してたんだって」
「どうりてな。それはともかく……」
「どうしたの?」
「暑くねェのか?」
「まあ、ちょっと。エヘヘ……」
アリスは苦笑いをする。
冬なのに、アリスが暑がった原因はすぐ隣にいる。
昼休みの間も、隣りにいた忍がアリスをまるで抱き枕のように抱っこしていたのだ。
「年末年始を一緒に過ごせなかったから、アリス成分が不足しているんですよお」
そう言いながら、忍はアリスのフワフワな髪の毛を撫でまわした。
「まあ、いいけどよ」
ふと、播磨は周りを見回す。
そういえば、今日はアイツをまだ見ていない。
なんというか、最近は一日一回は見ないと落ち着かない気がしている。
(何なんだコレはよ……)
自分の中の感情に戸惑う播磨。
「やあハリー」
ふいに、猪熊陽子が話しかけてきた。
「猪熊か。どこ行ってたんだ?」
「ちょっとからすちゃんに呼ばれていてね」
「そうかよ……」
そう言うと、播磨は話を打ち切る。
すると、
「……」
陽子はじっと播磨の顔を覗き込む。
「なんだ」
「カレンなら、綾と一緒に屋上にいたよ」
「誰もンなことは聞いてねェよ。なんだいきなり」
「いやあ、なんか知りたそうな顔していたし」
「してねェよ。勝手なことを言うな」
「そうか」
「べ、別に俺は九条のこととか気にしてねェし」
「ワタシがどうかしましたか?」
「げェ!」
「オハヨゴジャイマース」
そう言うとカレンは後ろから播磨に飛びつく。
「何しやがる」
「ハリマ、寂しかったんじゃないデスか?」
「んな訳ねェだろう。つうか引っ付くな」
「照れてちゃダメデス」
ふと、シャンプーの良い匂いが漂ってくる。
「別に照れてねェ。つうかよ、こういうのはよくねェんだよ」
無理やりカレンの腕を引き離しながら、播磨は彼女と向き合う。
「何がよくないのデスか」
「時間と場所をわきまえろ」
「ほっほう? 時間と場所をわきまえたらいいんデスか?」
「あと人も選べ」
「大丈夫デス。播磨以外のboyにこんなことはしまセン」
「余計悪いわ!」
「なんなんデスかもう」
そう言ってカレンは頬を膨らませる。
ちょっと可愛いと思ってしまう自分に苛立ってしまう播磨。
(なんなんだよコイツは)
こうなってしまった原因が自分にあることはわかっている。
だけど、それを受け入れられるだけの余裕が、今の播磨にはなかった。
*
三学期の時間の経過はやたらと早い。
気が付くと、カレンたちが豆を投げ合っており、忍が大量の鳩に襲われていた。
そして2月14日にはあの日がまっている。
そう、バレンタインデーだ。
「拳児くん、今年はどうかしらね」
朝食のパンを食べていると、パンにバターを塗りながらさくらが聞いてきた。
「どうって、何がだ」
「決まってるじゃないの。バレンタインデーよ。乙女の祭典なのよ」
「ケッ、アホらしい」
「何よ。今年は期待できるんじゃないの?」
「別に期待なんてしてねェよ」
「本当に?」
「お前ェはどうなんだ、さくら」
「え? 私?」
「誰か渡す相手でもいるのか」
「……うぇええええええん」
「おい、泣くな」
朝からいきなり泣き出す同居人に戸惑いながらも、播磨は学校に向かう。
もうすぐ学年末テストもあるし、バレンタインデーなどというイヴェントに浮かれてもいられないのだが。
*
2月14日。
この日はやけに学校内が浮足立っているように思えた。
だが一方で、ある種の緊張感も感じられる。
そんな緊張や期待など、播磨には縁のないものであった。
去年までは。
「ハリー」
「播磨くん」
ふと、見知った顔の二人が播磨に声をかけてくる。
「猪熊と……、小路か」
猪熊陽子と小路綾の二人である。
陽子はいつものようにニコニコ笑っており、綾は少し顔を伏せている。
「どうした」
「どうしたって、ハイ。バレンタインチョコだよ。私と綾の二人から」
そう言うと陽子は播磨にチョコを渡す。
手に取ると、コロコロと小さい球状のものが転がっているような音がしたので、
恐らく市販のアーモンドチョコレートにバレンタインらしい包装をしたものなのだろう。
「俺にか?」
「ほ、他に誰がいるっていうのよっ!」
なぜか機嫌が悪そうな綾はそう言って横を向く。
「何怒ってるんだ? 小路は」
「照れてるんだよ」
再び笑いながら陽子は言った。
「べ、別に照れてなんていないんだから」
綾はそう言うと、自分の席に戻って行く。
「いや、でもその……」
播磨が戸惑っていると、
「気にしなくても義理だから。お返し、期待してるね」
陽子はサラリと言った。
「お、おう。まあ別にいいけどよ」
播磨はとりあえず、陽子たちから貰ったチョコを机の上に置く。
「それで、もう貰ったの?」
目を輝かせながら陽子が聞いてくる。
「今貰っただろうが」
「違うよ。本命のほう」
「はあ?」
「つまり、カレンから貰ったのかってこと」
「ちょっと待て、なんでそこで九条の名前が出てくるんだ」
「そりゃ決まってるでしょう? ハリーの本命なんだから」
「あのなあ。別に俺たちはそんなんじゃねェって何度も言ってるだろうが」
「またまた~」
そう言うと陽子は播磨の腕を肘でつく。
「そういうんじゃ、ねェんだよ」
播磨はもう一度言った。
「ねえ、ハリー」
「あン?」
不意に真顔になる陽子。
「あんまり待たせるのは、可哀想だと思うよ」
「別に……、待たせてるわけじゃねェ」
「もう答えは出てるんじゃないの?」
「答えって、何だよ」
「私がカレンだったら、やっぱり耐えられないかも」
「……そりゃあ」
「おっと、もうすぐ授業はじまっちゃうな。じゃあね、ハリー」
そう言うとまたいつもの顔にもどった陽子は、自分の席へと歩いて行った。
(くそっ、俺はどうすりゃいいんだ)
「ハリマくんオハヨー」
不意に、アリスが声をかけてくる。
「お、おう。おはようさん」
動揺する播磨。
「どうしたの?」
「いや、何でもねェ」
「ふうん。もうすぐ先生来るよ」
「わかってる」
少し前の自分なら、アリスからのチョコレートを期待していただろう。
しかし今は違う。
そのことを、播磨自身が明確に感じていた。
*
天気の悪い昼休み。帰りには雨が降るかもしれない。
生徒たちが思い思いの場所で休憩時間を楽しんでいる間、播磨はいつもの屋上で
空を眺めながらそんなことを考えていた。
「うう、やっぱ二月は寒いぜ」
数か月ぶりにやってきた屋上は風が強い。
「こんな場所に隠れていたのか、播磨拳児」
「……ああ?」
聞き覚えのあるウザい男の声。
間違いない。東郷雅一だ。
「東郷(マカロニ)か。何の用だ」
「お前の行動はわかりやすすぎる。嫌なことがあったらすぐにここだ」
「……」
「それならいっそ、マグロ漁船にでも乗ったほうがいいんじゃないのか」
「嫌味でも言いにきたのか。だったら帰れ」
「まだ悩んでいるのか。九条カレンのことで」
「関係ねェだろう」
「確かにそうだ。だがな、播磨。お前が悩んだり苦しんだりするのは勝手だ。
だがD組(ウチ)の姫まで心配させるのは我慢ならん」
「……」
「どうした」
「いや。アイツには、悪いと思っている」
「だったらちゃんと話し合ったらどうだ」
「だけど、俺は……、今のあいつに」
「ふんっ。バカな男だ」
「なんだと貴様。喧嘩売ってんのか」
「喧嘩ならいつでも買おう。だが、今重要なのはそこではないだろう」
「……」
「貴様の本当の気持ちだ」
「あン?」
「もう答えは出ているんじゃないのか」
「それは……」
*
それから数分後。
東郷は教室に戻るために廊下を歩いていた。
「ねえ、東郷くん」
そこに声をかける女子生徒が一人。
C組の小路綾だ。
「播磨くんと、話をしてくれたんだね」
「ふっ、偶然通りかかっただけだ。他意はない」
東郷そう言って顔を逸らす。
「でもわざわざ播磨くんがいる屋上まで行ってくれるんだから」
「アイツには借りがあるからな」
*
放課後の屋上。
上空の雨雲は更に濃さを増している。
今にも振り出しそうな雰囲気の中、播磨はとある人物と相対していた。
それは、カレンではなく、
「急に呼び出してごめんね、ハリマくん」
「構やしねェよ、カータレット」
アリス・カータレット。
ふんわりとした彼女の髪型は、今日の湿度の高さで少し湿っているようにも見えた。
そのせいか、元気が良いように見えない。
「今日ここに来てもらったのは、確認したいことがあったからなの」
「確認……」
「うん。ハリマくんの好きな人だよ」
「……」
何となく想像はできた。
アリスの顔は真面目だ。他のクラスメイトのように興味本位で覗いてみたい、
というような表情ではない。本気で自分の親友を心配している。
そんな顔であった。
「カータレット」
「なに?」
播磨の頭の中に色々な思い出が去来する。
もしこの問いかけが、“あの時”だったら、彼は間違いなく目の前の彼女に思いを伝えていただろう。
だが今は違う。
人の心は変わる。
そんなのは当たり前だとおもっていた。
だけど自分だけは違うと思っていた。
それなのに、
「ハリマくん」
「……」
「あなたはカレンのことを、どう思っているの? いい加減結論を出したほうがいいと思う」
「そうだな」
播磨は再びカレンの顔を思い浮かべる。
屈託のない笑顔。
物怖じしない性格。
時々飛び出す思い付き。
友人だけでなく、彼女の行動には播磨も振り回されてきた。
最初は鬱陶しいと思っていたことも事実だ。
彼女のせいで、本命であるはずのアリスに接近できなかったのだから。
だが今は……、
「今は」
心の中の思いが声になるのにかなりの時間がかかった。
だがそれも仕方がない。
自分の気持ちがわからない時がある。ましてや他人の気持ちなど。
播磨は意を決して口に出す。
「俺は好きだ……!」
思わず力を込めて宣言する播磨。
「あ……」
しかしその言葉に対するアリスの反応は意外なものであった。
「なんだ?」
アリスの視線は播磨の背後にある。
(まさか)
恐る恐る振り返ってみると、屋上のペントハウスの入り口に立つカレンの姿が。
手には、プレゼント用に梱包された小さな箱があり、その表情は青ざめていた。
「アハハ……。邪魔しちゃったデスね」
すぐに気を取り直したカレンは、無理やり笑い顔を作った。
「いや、違うんだ。これは」
確実に勘違いしている。
播磨はそう確信した。
「ワタシはこれで失礼するデス」
そう言うとカレンは素早くその場から離れる。
「お……」
はぐれメタル並みの素早さに、播磨は一瞬動けなかった。
「はっ!」
先に正気を取り戻したのはアリスだ。
「何やっているのよハリマくん!」
「あン?」
「追いかけないと。絶対誤解されてるよ!」
「お、おう」
一足遅れて播磨はカレンを追いかける。
しかしカレンの走りは速い。とにかく速い。陸上部にスカウトされるくらいだから、
相当なものだろう。
いつの間にかカレンは学校の校舎を出ていた。
(あいつ、長距離は苦手じゃなかったのかよ)
そう思いながら昇降口で靴を履きかえた播磨は校外に出たカレンを追う。
一体どこまで逃げるつもりなのか。カバンも持たずに。
「おい待てええええ!!!」
思わず大声を上げる播磨。
「着いてくるな!」
「話を聞け!」
「Do not want to hear!(聞きたくない!)」
なんというワガママ。
いや、彼女のワガママは今に始まったことでもない。
水着選びの時も、海に行った時も、家に見舞いに来た時も、常にワガママだった。
徐々にスタミナが切れてきたのか、カレンのスピードが落ちてくる。
それを見逃さなかった播磨がカレンに追いつき、腕を掴む。
「どこに行くんだ!」
カバンも持たずに。
「ハリマには関係ないデス!」
播磨も腕を振り払おうとするも、そこは女子。男の力にはかなわな――
「!?」
と思った瞬間にカレンは素早く播磨の手をねじるように離すと、上段蹴りを放った。
(速い!)
一瞬パンツが見えたかと思ったが、すぐに体勢を立て直したカレンの掌底が播磨の
顎を襲う。
(これは!)
普通の女子生徒の攻撃ならば、そこまで焦る必要もないのだが、カレンの攻撃は確実に
人間の急所を狙ってきている。その上、運動神経がいいので攻撃が鋭い。
「放っといてくだサイ!」
(誰がこんなことを教えやがった)
播磨の脳裏に、オールバックで眼帯をした執事の姿が浮かび上がる。
『お嬢様。外は危険がいっぱいです。最低限の護身術はマスターするべきです』
(最低限どころか人もコ●シかねねェぞ)
そう思いながら播磨は攻撃を避ける。
幸い、夏の間にスタミナは鍛えられていたので、先ほどのダッシュでやや疲れの見える
カレンの攻撃ならば躱すことも難しくはない。
「って、話を聞け!」
「話ならアリスにしたらいいじゃないデスか!」
学校の前の橋で攻防を繰り返す二人。といっても、攻撃しているのは専らカレンのほうだ。
「なんだなんだ?」
「ケンカですかい」
放課後ということもあって、多数の生徒たちが周りに集まってきた。
こんな所でゴタゴタやっていては、教師連中まで呼ばれてしまいかねない。
「いい加減にしろ!」
そう言うと、播磨はカレンの一瞬の隙をついて彼女の身体を抱え上げた。
「ふえ!?」
思いもよらぬ行動に一蹴動きが固まるカレン。
「おおおおお!!!!!」
ついでに周りも興奮する。
「見せもんじゃねェぞ!」
そう言うと播磨は、カレンを抱えたまま学校へと戻って行った。
*
「ったく、手間かけさせやがって」
薄暗い教室。そこで播磨とカレンは二人きりになっていた。
「……」
カレンは先ほどの疲れと恥ずかしさでしばらく声も出ないようであったので、
播磨は彼女の気持ちが落ち着くまでしばらく待つことにした。
「コーヒー、飲むか」
なぜか播磨の鞄には缶コーヒーが二本入っていた。
「紅茶が飲みたいネ……」
カレンは力無く答える。
「紅茶はねェよ」
紅茶は無かったけれど、彼女の声が聞けて播磨は少しだけ安心した。
「なあ、九条」
「……」
「お前ェは大きな勘違いがしている。それはわかるか」
「…………!!!!」
つい先ごろまで青ざめていた彼女の頬が真っ赤に染まる。
カレンは自分の誤りに気付いたからだ。
しかも派手に暴れ回ったため、自分でもどうしていいのかわからなくなっていた。
「九条、息を大きく吸え」
「すー」
「吐け」
「はー」
「落ち着いたか」
「……少しは」
「そうか」
「ハリマ」
「なんだ」
「あの告白は、本当にアリスに対するものじゃないんデスネ?」
「ああ、そうだ」
播磨はそのことを何度も説明した。
「それじゃあ、アナタが好きな人は……」
「それは――」
そう言いかけて播磨の言葉は止まる。
これでいいのか?
一瞬、迷いが出た。
なぜ迷ったのか。
それは彼のかつての気持ちに折り合いをつけるためだ。
「なあ、九条。落ち着いて聞いてくれ」
「……ハイ」
「俺は、あいつが、アリス・カータレットが好きだった」
播磨はカレンの目を見据えて行った。
大きなブラウンの瞳ははっきりと播磨の表情を捉えている。
告白した相手はアリスではないという、前の話とは矛盾するかもしれない。
だが、これは彼なりのケジメの着け方であった。
「……だけど、今は違う。付き合ったとか、フラれたとか、そういうんじゃねェ。
今、好きなのはカータレットじゃあねェってことだ」
「だったらハリマ、今好きなのは誰ですか?」
「それは……!」
少し釣り目な大きな瞳。
流れるようなストレートな金髪。そして何より、明るすぎるその性格。
「九条……、俺はお前ェが好きだ。今度はウソじゃねェ」
「……」
播磨のその言葉に黙りこくるカレン。
「な、何とか言えよ。恥ずかしいだろうが」
先ほどまで播磨を見つめていたカレンの視線は、彼女の手元にあった。
「あ」
バレンタインデー用のチョコ。キレイな包装がなされたその箱は、先ほどの大立ち回り
ですっかりグチャグチャになってしまっていた。
「I'm sorry ハリマ。私がバカなばっかりに」
「まったく。貸してみろ」
そう言うと、播磨はグチャグチャになった箱をカレンから強引に奪い取る。
「ああ、どうするデス」
ビリビリと包みを破ると、高級そうな箱が出てきた。
いつもさくらが食べているチョコレートとは値段がヒトケタ違いそうなチョコレートである。
箱を空けるとチョコレートの香りが彼の鼻孔を刺激する。
甘いものはあまり好きではないけれど、ここは覚悟を決めなければならない。
「ほれ、外側はアレだけどよ。中身は無事じゃねェか」
そう言うと、播磨は一口サイズにしては少し大きめのチョコレートを口の中に放り込む。
(こりゃあ……)
美味いというよりは、いつも食べているお菓子類との違いに戸惑ってしまった。
でも不味くはない。決して不味くはない。
「あ、でも。これ食っても良かったのか」
そう言えば、カレンからこのチョコが播磨用だとは聞いていなかった。
もしかして、今はやりの「友チョコ」というものかもしれない。
「大丈夫デス。美味しいデスカ?」
「ああ、うめェよ。いつも食ってるようなのと、全然違う」
「私は、甘いものが大好きデス」
「そうか」
「でもそれ以上に――」
「……」
「ハリマケンジ、 I love you (あなたが好き)」
「……、Me too」
『ケンジの英語、とっても素敵よ』
「別に珍しくねェだろ。学校で英語習ってんだし」
「ねえケンジ」
「ああ?」
「もう一回言って欲しいデス」
「何をだよ」
「好きってことをデス」
「う、うっせ。そう何度も言えるか」
「いいじゃないデスか。減るもんじゃないデスよ」
「バカ野郎。それより――」
そう言うと、播磨は立ち上がり入口のほうに向かった。
そして勢いよく引き戸を開けると、そこには陽子、忍、ついでにララや東郷たちまでも集まっていた。
「お前ェら! 揃いも揃って、何やってやがる!!」
「し、親友として気になるといいますか」
照れくさそうに忍は言った。
「私は最後まで見届けようかと」
「ク・ジョー! 頑張れ!」
「これが若さか……」
「テメーら! さっさと帰れ!!」
「クックック。報われちまったなあ……」金髪のオールバックは言った。
「お前ェはイギリスに帰れ!!」
播磨がそう叫ぶと、集まっていた生徒たちは文字通り蜘蛛の子を散らすように解散していった。
「帰るのはあなたもよ、拳児くん」
「なに!?」
振り返ると、そこには播磨の従姉で担任の烏丸さくらがいた。
「もう下校時間は過ぎてるんですから」
「わーってる。すぐ帰る」
そう言って教室に戻ろうとすると、
「待って拳児くん」
不意にさくらが呼び止める。
「ンだよ」
「寄り道はあんまりしちゃいけないけど、今日くらいは最後までエスコートしないとダメよ」
と言って、さくらは軽くウィンクをした。
どうやら、彼女もある程度の事情を知っていたらしい。
「……!」
そう思うと急に恥ずかしくなる播磨であった。
*
「まいったな」
播磨とカレンの二人が生徒昇降口から外に出ようとすると、すでに暗くなっていた
空からポタポタと大粒の雨が降り出していた。
少しすれば本降りになることは間違いない。
そんな空を見たカレンが言った。
「今日もいい天気デス」
「はあ? 何言ってやがんだ。雨降り出してんじゃねェか」
「だからいい天気デスよ?」
そう言うと、カレンは傘を取り出して見せる。
「一度あなたとやってみたかったデス」
播磨とカレンの相合傘。
播磨のほうが背が高いので、彼が傘を持つ。
「おい、くっつき過ぎじゃねェのか」
「くっつかないと濡れちゃいマス」
「そりゃそうだがよ」
雨音をBGMにしながら二人は歩く。
言うまでもなく二月の雨は冷たい。ただ、コート越しに伝わってくるカレンの温もりは、
何より彼の心を温かくさせた。
「寒いから、ラーメン食って帰ろうか」
「奢りデスよ」
「わかってるよ。約束だもんな」
随分と前の約束を、やっと果たす時が来たようである。
「ラーメン一つ、ホットでお願いしマス」
「……いや、ラーメンは普通にホットだろ」
「ワタシの心も、ホットデス」
「ったく……」
もざいくランブル!
完
あとがきに代えて(蛇足)
みなさん、ラノベ一冊分くらいの分量のある当SSをお読みいただきまことに
ありがとうございます。いかがだったでしょうか。
序盤レスが無かったので、正直第一部で終らせようかとも思ったのですが、
最後まで投下できてよかったと思います。
本来メインヒロインだったはずのアリス・カータレットが、序盤からすでに
塚本天満や小野●さんみたく、影が薄くなってしまったことはまことに申し訳ない。
というのもこの物語は九条カレンのために書いたからなのです。
きんいろモザイクの原作を読みながら、彼女に恋をさせたら凄く可愛いだろうな
と思ったのと、彼女だけレズカップリングからハブられているの見て、救済したい
と思ったので、犯行に及びました。まあ、テニス部のあの子がいるけど主要キャラじゃないし。
それにしても東山奈央さんのキャラはどれも可愛い。
付き合い始めた二人の姿が見たいという人もいるかもしれませんが、マックスとの
ラストバトルで全気力を使い果たしたので、あれ以上は書けませんでした。
長編作を書くときはペース配分に気をつけましょう。
カレンファン以外の方々には本当に申し訳ない。けれどもできれば広い心で
カレンと播磨の幸せを願っていただければ幸いです。
それではまたいつかどこかで。
イチジク ◆4flDDxJ5pEでした
追伸
最後に播磨主人公シリーズ(?)の過去ログを貼っておきますので、
初見のかたはそちらの感想も聞かせて頂ければ嬉しいです。
色々と参考にさせてもらいます。
魔法少女とハリマ☆ハリオ(魔法少女まどか☆マギカ)
はりおん! ~播磨拳児はうんたんに恋をする~ (けいおん!)
GAランブル! ~播磨拳児と芸術科アートデザインクラス~(GA)
TARITARIランブルって、確かにありましたなあ。
TARITARI自体、SSもあんまりなくて人気ないのかと思って打ち切っちゃったんだけど。
あれもかなり長いです。まだレス数が残っているので、このスレで吐き出してしまうのも
手かもしれませんけど。とにかく長いです。
★お知らせ
Tari Tari Rumble を再アップする場合は、新スレを立てようと思います。
新スレ
TARI TARI RUMBLE!
TARI TARI RUMBLE! - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1401274661/)
こちらもお願いいたします。
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません