男「今のはわすれてください」
女「『筆下ろし』ではなく『書き下ろし』ですよね?」
男「おっしゃるとおりです」
女「緊張しているんですか?」
男「はい。ゴーストライターなんて、はじめての経験なんで」
男「まして、先生のような著名な方に筆下ろししてもらえるなんて」
女「二度目です」
男「失礼。緊張でカタくなっているようです」
女「編集からわたしについては、聞いてるんですよね?」
男「すこしむずかしい人だと、うかがっています」
女「それで?」
男「はい?」
女「若い人はゴーストライターに抵抗があるそうですね」
男「若い人って、先生もかなり若いですよね?」
女「わたしのことはいいんです。あなたの話です」
男「まさか自分がゴーストになるとは思ってませんでした」
女「このご時世、ゴーストのいない作家のほうがめずらしいんですよ」
男「らしいですね」
女「ウソが蔓延した結果です」
女「本だけじゃない。食べ物も。音楽も。科学も」
女「代筆屋ぐらいじゃ、世間は見向きもしなくなりました」
男「で、業界はそれを逆手にとったんですよね」
女「ええ。代筆を才能発掘の手段に変えたんです」
男「頭いいですよねえ」
男「新人が有名作家の名前を借りて本を書く」
男「そして。評価された作家に本を出させる、と」
女「おかげで短編集がかなり増えましたけどね」
男「僕は五つの短編のうち、ふたつを書かせてもらえるんですよね」
男「先生の名前を借りるんです。全力をつくします!」
女「当たり前です。仕事なんですから」
男「そ、そうですね」
女「わたしの名前を使う。そのことを自覚してください」
男「……はい」
男「それにしても編集の橋本さん。なかなか来ないですね」
女「あの人はいつも遅れてきますから」
男「大事な最初の打ちあわせなのになあ。ねえ、先生?」
女「居心地が悪いですか? わたしとふたりだと」
男「やだなあ。そんなわけないですよ」
女「顔がひきつってますよ」
男「……とりあえず、注文しません?」
女「チャイとワッフルのアボガドクリームチーズ添えで」
男「早いですね、決めるの」
女「メニュー選びは、直感でするべきなんです」
男「ひとつ気になってることがあります」
女「どうぞ」
男「先生が僕を選んだ理由です」
女「あなたの作品を読んだからです」
男「いや、そうじゃなくて」
男「僕みたいな拾いあげ作家をどうして選んだのか、気になったんです」
男「あっ。ひょっとして僕に才能を見出したとか?」
女「……わたしがあなたを選んだ理由。三つあります」
男「三つも?」
女「まずひとつめ。わかりやすい文章だったこと」
男「おおっ」
女「二つめ。引用です」
男「引用? 引用なんてしてませんよ。本当はしたかったんですけど」
女「逆です。過去の名作の引用なんてしてたら、選びませんでした」
男「え?」
女「きらいなんです。引用や自分の言葉以外を使う人」
男「ゴーストライター雇ってるくせに」
女「なにか言いました?」
男「いえいえ。どうぞ続けてください」
女「三つめ。ある意味これが一番重要です」
女「あなたが年下だから」
男「年下?」
女「ええ。今までのゴーストの方たちは、年上で面倒な人が多かったんです」
女「女で年下。それだけで、気に食わないって人もいるんです」
男「ほかになにか理由はないんですか?」
男「僕の作品、見てくれてるんですよね?」
女「わたし、人の作品にあれこれ言えるほどの人間じゃないんで」
女「ゴーストライター雇っちゃうぐらいですし」
男「……耳、いいんですね」
女「男性より耳ざといんですよ、女は」
男「ところでもうひとつ気になることがあります」
女「聞きたがりなんですね」
編集「すみません。遅れてもうしわけない」
男「ハシモトさん……」
編集「自己紹介は終わりました?」
男「自己紹介っていうか、まあそれに近いことは」
編集「それじゃあさっそく打合せに入りましょうか」
女「では。今日はこれで失礼します」
男「さよなら」
編集「だいじょうぶ? 顔がひきつってるよ」
男「ていうかなんなんですか!」
編集「なにが?」
男「『先生は顔に似合わず下ネタ大好き』っていうから」
男「勇気を振り絞って言ったら、気まずくなったんですけど!」
編集「まさか本当に言うなんてねえ」
編集「それより。先生と話した感想は?」
男「疲れました」
編集「言ったとおりだったでしょ?」
男「はい。いっしょにいて疲れる人でした」
編集「前に務めた人も、揉めてやめちゃったんだよね」
編集「よくも悪くも子どもっぽい人なんだよ、彼女」
男「子どもっぽい? どういうことですか?」
編集「んー。先生との交流はどうせはじまるんだし」
編集「いずれわかるんじゃない?」
編集「チャンスでもあり作家修行でもある。がんばりなよ」
男「チャンスかあ」
編集「今回の話が評価されれば、編集の待遇もよくなるからね」
編集「そう。二重の意味でビッグチャンスだよ」
編集「かたちはどうあれ、美人とお近づきになれるんだよ?」
男「まずコミュニケーションできるか、心配なんですけど」
編集「先生の著作は読んでるんだよね?」
男「いちおう。デビュー作と二作目、それから一番新しいのを」
編集「先生の作品から、会話を広げることだね」
男「作家先生との交流も重要なんですよね、代筆屋は」
編集「当然。最重要事項と言ってもいい」
男「まずは、打ち解けるところからかあ」
◆
男「先生はコーヒーが、好きなんですか?」
女「コーヒーを飲むと、甘いものがうまくなる。だから飲んでるんです」
男「なるほど。なるほどねえ」
店員「ご注文はお決まりですか?」
女「アメリカン。それからシフォンケーキのプレーンで」
男「じゃあ僕はドイツで!」
女「……」
男「すみません。やっぱり僕もアメリカンで」
男「先生は趣味とかありますか?」
女「趣味?」
男「ほら。先日はお互いに、全然話せませんでしたし」
女「趣味は散歩と料理です」
男「普通ですね」
女「ダメですか?」
男「ほかにはなにかないですか?」
女「映画鑑賞」
男「へえ。どんな映画を観るんですか?」
女「『モビィ・ディック』。あと比較的最近のだと『ペルセポリス』です」
男「も、もびぃ?」
女「『モビィ・ディック』。面白いですよ」
女「ひとりの人間の生き様を見る作品として、とても興味深いです」
女「ちなみに、あなたが好きな映画は?」
男「えっと。田辺誠一主演の『ハッピーフライト』です」
女「……」
男「ごめんなさい。仕事の話に入りましょう」
女「あなたのプロットは見せてもらいました」
男「『世にも奇妙な物語』のような話、と言われて書いたんですけど」
男「どうでしたか?」
女「いいんじゃないですか」
男「それだけ?」
女「それだけです」
男「でも、先生はホラー作家として評価されてるじゃないですか」
男「なにか一家言もってたりしないんですか?」
女「ありません」
男「メッセージ性とか、そういうのは?」
女「そんなものがいるんですか?」
男「え?」
女「わたしにとって、読書は娯楽です。それ以上の意味はありません」
女「すくなくともわたしの書くものは、娯楽でしかありません」
男「でも。先生のデビュー作は……」
女「わたし、責任もてませんから」
男「責任?」
女「本は得てして、人をゆがめますから」
男「どういうことですか?」
女「誰だって『自分は人とはなにかちがう』。そう思っているものです」
男「それに問題が?」
女「いいえ。むしろいいことだと思います」
女「問題は、そのちがいを不幸に見出すことにあります」
女「そして本は、そんな人間を生んでしまう可能性がある」
男「はあ。不幸な自分に酔う、みたいなことですか?」
女「近いです。でも」
女「お金がない。親がいない。仕事がない。そういう明確な不幸じゃなくて」
女「本が生む不幸は他人には理解できない、筆舌に尽くしがたいものなんです」
男「本がその手の不幸を生むってことですか」
女「ええ。自分がとくべつであるために、ありもしない不幸を生む」
女「より悪い表現をするなら、『こじらせる』とでもいいましょうか」
男「……おぼろげですけど。先生の言いたいことは、わかりました」
男「だから、テーマとかいらないって言うんですか?」
女「ええ。必要ないです。娯楽は娯楽、」
男「なるほど」
女「なるほどって顔には見えませんけど」
女「納得できないなら、どうぞ。あなたの意見を聞かせてください」
男「いえいえいえ、僕はゴーストライターですから」
男「死人に口なし。従いますよ、ええ」
女「ゴーストと死人をかけてるんですか?」
男「……わかってて聞いてますよね?」
女「バレました?」
男「ええ。顔に出てます」
女「あなた、まだ大学生なんですよね?」
男「そうですけど」
女「ふーん」
男「……」
女「あなたがどんな主義主張を、もってても構いません」
女「ただわたしは、ムダにものを歪めて」
女「自己憐憫に浸ってる人がきらいなんです」
女「人は人が思ってるよりも、しあわせな生き物なんですよ」
男「……」
男「ゴーストで思い出しました」
男「どうして先生は、ホラー系の話ばかり書くんですか?」
女「ホラーはまだスムーズに書けるので」
男「それだけ?」
女「十分な理由だと思いますが」
男「ほかにはないんですか?」
女「人物を書くのが気持ち悪いから」
男「はい?」
女「物語に登場する人物って、作者の都合よく動く奴隷ですよね?」
女「物語の都合でヒロインが主人公に惚れて」
女「物語の都合で主人公がヒロインを受け入れる」
女「逆も然りです」
男「そんなこと言ってたら、物語なんて書けないじゃないですか」
女「だからあなたが書いてるんでしょう?」
男「……」
つづく
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