モバP「君の姿」 (50)
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「プロデューサーさんって冷たいですよね」
同僚として長らく共だってきた女、千川ちひろは休憩中の世間話の延長でそう持ち出してきた。
俺としては全く思い当たる節が無かったもんだから、憮然とした顔でその一言を受け流す他に選択肢は無かった。
「聞いてますか?」
「聞いてません」
肯定するにも否定するにも、主だった根拠が俺自身の中には見当たらなかった。
まさか体温の話じゃないだろうし、冷たいというのは恐らく人当りだとか態度の事だろうが、難しい年頃の少女たちと関わっていく仕事を担う俺に、その能力が欠如しているとは俄かに考えられない事だと思った。
「やっぱり、聞いてるんじゃないですか」
「………聞こえただけですよ」
「もしかして、怒ってます?」
客観的に見れば俺は努めて無表情に湯呑からお茶を啜っているだけに見える筈だが。
本当に、怒っている訳ではない。仕事面で悪い部分を指摘されて怒りを露わにするほど子供ではない。
何と言うか、呆れた。あまりにも的外れな指摘だと思った。もし俺が彼女の言う様な冷たい奴だとしたら、この仕事で成果を挙げられた訳がない。
「怒ってないですよ。呆れただけです」
「呆れたって… 自覚無いんですか?」
「自覚、ですか」
自覚。自分の状態などを自分自身でしっかり把握しているかという意味。
この言葉は以前から常々妙な物だと思っていた。自分自身の事を、自分以外の誰がいったい掌握できるのだろうか。
「それで、ちひろさんは俺がどんな風に冷たいって言うんですか?」
俺を怒らせるかもしれないという、それこそ自覚があって態々話題として提示したんだ。相応の根拠に基だった指摘なのだから、勿論納得のいく様に説明してくれる筈だ。
「その… アイドルの子達に接する態度とか、その話し方だとか…」
なんだそれは。
…酷く具体性に欠いていると思った。それどころか、顎に手を当て唸りながら、言い出した自身が悩んでいる。
「アイドルと仕事をする上で不自由な事態に陥ったことはありませんよ。それに、話し方なんて、普通に話しているだけじゃないですか」
「それは、そうなんですけど…」
綻びを見つけて突く様な形になってしまう。別に彼女が何か悪い事をした訳でもないけれど。
もしかしたら、こういう理詰な部分が、彼女の言う様な冷たいという印象に繋がったのかもしれないと一人合点がいく。
合点はいく。だけど、納得はいかない。
「アイドルに接する態度も冷たいですかね」
依然うんうん唸っていた千川ちひろに言葉を投げかける。
このままでは会話は尻切れトンボに終わってしまいそうだったし、俺自身がもっと仕事で成果を挙げるためのスキルアップにもなる話だと思ったから。
「…え? ああ、その…」
「別に怒ったりしませんから、率直な意見を聞きたいですね」
「冷たい、と思います…?」
視線を宙に彷徨わせながらそう言った。
泳いだ目が示したのは、それが明確な根拠のあるものでは無いと言う事。それどころか言葉は尻窄みで、本人さえその意見には疑念を抱いているのではないだろうか。
だけど、彼女をそう思わせた何かが、俺にはきっとあるのだろう。
「………」
俺は目の前に話し相手が居るにも関わらず、目を閉じて思考の海に没する。
彼女の指摘はとても曖昧なもので、彼女の語気からもそれに成因が有る様には感じられなかった。
だとしたら、そう思わせた何かを、自分自身で見つけるしか無いと思った。
「プロデューサーさんの担当で一番長い子って誰ですか?」
「…はい?」
微かに耳に届いた声に、俺はハッとして目を開いた。考え事に夢中で聞き逃してしまった。
「ですから、誰と一番長く仕事をしてきましたか?」
「………肇?」
対面の彼女の質問に対して、俺も言葉尻を挙げた質問で返してしまう。それは失礼な事であるってわかっていたけど、俺自身その答えは曖昧なものだった。
「肇ちゃん、ですか?」
「恐らく… いえ、そうです」
多分。違うかもしれないけれど。それでも俺がはっきりしない返答をすれば、話は平行の一途で一向に進まないと思ったから、そういう事にしておく。
………そんな所も、冷たいと言われる所以なのかもしれない。
「肇ちゃんの事、どのくらい知っています?」
「そうですね…」
藤原肇。歳は十六だったかな。出身は岡山で、川釣りと陶芸が趣味だったと思う。
肇って名前は彼女の祖父から貰ったらしく、とても気に入っているらしい。
肩より少し長い位の綺麗な黒髪で、ちょっと垂目なのがチャームポイントってところかだろうか。
「…それから?」
「えーっと…」
それと… それと、何だろう。
図らずも今度は俺が黙す番だった。
藤原肇。俺は彼女の事をそれ以外特に思い当る事が無い。
「その、ですね…」
「はぁ」
その、とか、あの、とか。そんな感じで適当に間を持たしている俺に向かって、千川ちひろは短く溜息を吐いた。
その顔に呆れや落胆の色は無かったように思う。盗み見た対面の彼女の表情からは、まるでその事を知っていたという印象を受けた。
「そんな事は全てプロフィールに書いてあります」
「…返す言葉もありません」
肇ちゃんのファンの方が詳しいと思います、なんて、担当プロデューサーとしては酷く不名誉な言葉のおまけ付き。
俺は肇のことなんて何も知らなかったんだと気付かされる。
思えば肇とは仕事以外の話をした事なんて、片手の指で足りる程しかないだろう。
だからと言って仕事で困った事は無いし、肇の方も俺なんかと話す機会を望んでいるとは考え難い。
「やっぱりプロデューサーさんは冷たいですよ」
「今の話からどうやったらその結論に至れるんですか」
「プロデューサーさんには一生わからないかもしれませんね」
千川ちひろの顔には、今度はしっかりと呆れと落胆が張り付いていた。
俺を見据える薄く睨んだその瞳に、俺はこれ以上彼女から答えを引き出す気を削がれてしまう。
「…肇と仲良くしろ、って事ですか?」
わからなかったから。だから、一番近そうな答えを提示してみる。
一番近そうで、一番遠い所にあると思った。俺は勿論そんな事は望んでもいないし、肇からしてもそれが何になるというのだろうか。
だけど、話の流れからすると、これが導き出せた回答だった。
まるで千川ちひろは、俺が肇と仲良くすれば、冷たいという印象が無くなるとそう言っているみたいだった。
「さっきプロデューサーさんが肇ちゃんの事を話した時、なんて言ったか覚えていますか?」
「はい?」
俺の質問に対して、千川ちひろはまたしても明確な返答をせず、俺にとっては意味の理解しかねる質問をしてきた。
更に今のそれは、流石に俺を馬鹿にしているのではないかと感じた。
本当についさっきの、一分前程度の話ではないか。
俺は心の中ではしかめっ面。だけど表情は努めて冷静に保つ。変わらぬ口調で先程と一語一句同じ事を繰り返した。
趣味、年齢、容姿。そんな事は誰でも知っていると指摘された、俺としてはあまり掘り返したくない話題だった。
「それですよ…」
「だから、何がですか?」
俺は始終冷静にあろうと思ってはいるが、果たしてソレが客観的に見て出来ているかどうかはわからなかった。
同じ質問を繰り返し、更には返答を暈す目の前の女は、穏やかであろうとする神経を逆撫でする。
「らしい、思う… どうしてずっと一緒に居るのに、そんなに曖昧な事しか言えないんですか?」
「それは…」
そんなのは言葉の綾です。そう一蹴する事は容易だった筈。
だけど俺は言葉に詰まってしまう。
事実、肇から直接聞いた話ではなかった。売り込んでいく時とか、プロデュースの方針とか、その上で把握して然りだと俺は思っていたから、肇のプロフィールを見て勝手に覚えただけだった。
勿論、公式で出されている物だったから、その事実に嘘偽りは微塵も含まれていない。
だけど、俺は無意識下できっとセーブをかけていたんだと思う。
肇の真相に触れる事。肇をもっと深く知る事。
それが俺自身の曖昧な肇の評価に繋がり、目の前に座する同僚の苛立ちを増幅させているなんて、そんな事は今の今まで知りえなかった。
だけど、所詮は仕事上の関係でしかない。それだけ把握できていれば何ら問題は無い筈だ。
「クールなのは結構ですけど、今のプロデューサーさんはただの冷たい人ですよ。肇ちゃんに気を遣ってあげないと」
「俺は肇にそんな事頼まれた覚えはありませんが」
「それは、肇ちゃんだってプロデューサーさんの事知らない訳ですし、話し辛かったとか…」
「………肇に言われたんですか?」
別段俺自身がクールだとは思わない。仕事には熱意をもって取り組んでいる。
いかにアイドルとしての名を伸ばさせるか、そこにどう商品価値を付加させるか。
…そんな事はどうでもいい。ただ、千川ちひろが妙に肇の肩を持つ事に聊かの疑問を抱いた。
俺が構わないだろうと言っているにも関わらず、俺の意思を無視して肇を押し付けようとする印象を受けた。
彼女にそんな事をして何か利益がある訳でも無いだろうし、その行動は彼女の仕事に於いて何の関係も無い筈だ。
「っ………」
真直ぐに俺を見据えていた千川ちひろの瞳が一瞬揺らいだのを俺は見逃さなかった。
目は口ほどに物を言うらしい、答えはそこにあった。肇が何か彼女に言ったらしい。
だが、その根拠までは俺は掴めていなかった。肇は千川ちひろに俺に対する何を言ったのだろうか。
………肇は俺に冷たくない態度で接してほしいという事なのだろうか。
基礎を覚えず数値を公式に当てはめて解いたみたいだ。目の前に回答が転がっていても、そこに込められた意味を俺は理解できない。
「………まぁ、考えておきます」
俺は今日一番曖昧な言葉を紡いだ。酷く気まぐれな言葉だった。これは俺の態度が変わるとも取れるし、もし何の変化が無くても咎める訳にはいかない、最高の逃げ口上だ。
千川ちひろはその瞳に戸惑いを浮かべている。
自身の失言による、肇への申し訳ないという気持ちからだろうか。
それとも、冷たいと称した俺が、少しだけ態度を改めたと取ったからだろうか。
「それでは、時間なので」
この話題はもう終わりだと、そんな意味を込めて手にした湯呑をこれ見よがしに煽った。
中身はすっかり冷え切っていた。冷たくなった緑茶のなんとも言い難い独特の苦みが口内に広がる。
「………肇を迎えに行ってきますから」
千川ちひろは何か言いかける様に口を開いたが、俺は気付かない振りをして席を立ち彼女に背を向けて歩き出した。
スーツのポケットから車の鍵を取り出して手の中で転がす。
そこには肇から貰った可愛らしいキーホルダーが付いていた。肇は何処かクールな外見と、落ち着いた話し方からは見合わず、こういう物が好きだった。
俺は何も感じなかった。
強いて言えば、運転する時に膝に当って鬱陶しいって事くらい。
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__
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「お疲れさん」
いつも待ち合わせる自動販売機の陰に肇の姿を認め、俺はそう声を掛けた。
肇はペコリとお辞儀をしただけだった。
それはいつも通りの事だけど、今日はいつもとは違う所があった。
肇のいつもの気怠げな瞳は、まるで何かを期待するかのような光を帯びていた。
俺は不覚にしても、その眼差しの意味を知っていた。だから、そこには、俺に対するある種の期待は勿論の事、その裏には不安が見え隠れしていたと思う。
「…今日の服装、良く似合ってるよ」
「え………?」
期待に応えようとか、不安を解消してやろうとか… 千川ちひろの顔を立てるとか、そういう感情が一抹も無かったと言えば、それはきっと嘘になってしまう。
だけど、俺自身にも思う所が無かったと言えば、それこそ明確な嘘だった。
「綺麗だって、そう言ってるんだ」
言葉が飛躍したのには、多分な照れ隠しが含まれていた。
皆まで言わなければわからないのだろうか。元々女性に対して“綺麗だ”なんて口にするタイプではない。いざ口にしてみると、こんなにこっ恥ずかしいなんて知らなかった。
肇は小さな口を開きかけたまま固まって、あっけにとられている様子だったが、徐々にその頬を朱に染め上げていく。
俺もつられて顔が熱を帯びていくのを、肇に背を向けて誤魔化していた。
水色のワンピースに薄い黄色のカーディガン。腰のリボンがアクセント。派手さは無いが、地味ではない。
落ち着いた色合いの服装は、肇らしい知的な雰囲気を存分に引き出している。
さながらその立ち姿は九天玄女とでも言った所か。
俺はこんな仕事に携わっていながら、女性のお洒落や服装なんて正直な所よくわからないから、思った事を率直に褒めるしかなかった。
その肇らしいと形容した服装だが、背を向けたまま褒めた所で、それは果たして効果があるのだろうか。
「事務所に帰りましょうか」
「あ、ああ………」
そう言って肇は俺の裾を引っ張って歩き出した。先立って歩みを進めるから表情は窺えなかったけど、艶のある黒髪から覗く紅い耳は特に際立っていると思った。
肇の事をよく知れと、そういう話だったと記憶している。こんな、どこか一方通行な会話でも、それを糸口に出来ればいいだろうって考えていた。
千川ちひろの… 肇のお願いを受けたのは単なる気まぐれだったかもしれないけど、こうやって新たな一面を見つけられた事に、言いようのない感情を覚える。
また新しい仕事を遣れると、そう思った。
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「どこか寄り道でもしようか」
「はい…?」
昼下がりの車道。こんな時間だけど、そんなに車通りは多くなくて、快適に車を転がす事が出来ている。
そんな感じに調子よくいくもんだから、俺は普段からは考えられないような言葉が零れだした事にも、自身では何ら疑問を覚えなかった。
「ええと… それでしたら、小腹が空いたので」
助手席の肇は少しはにかんで、両手でお腹を押さえる仕草を取った。
普段のクールな雰囲気と違ってこんな顔もするんだって、俺は素直に感心する。
思えば肇が助手席に座ったのは初めてだ。たったあれだけの会話で、俺達の距離は物理的にも縮まったというのだろうか。
「ファミレスでいいかな。帽子と眼鏡は?」
売れっ子アイドルだから、変装用の道具の事。肇は「勿論です」と、膝に抱いた鞄を掲げながら言った。
「俺も腹が減ってたから丁度良かったよ」
「お昼は食べていないんですか?」
ちひろさんと肇の事話してたから。なんて、言う訳にはいかないけれど、お茶しか飲んでいなかったから本当の事だ。
何を食べるかとか、何が好きなんだとか、そんな取り留めのない世間話を肇としながら、俺自身不思議な感覚だった。
今まで肇とこんな下らない… 普通の話をしたことが無かったから。
服装を褒めたことがそんなに良かったのだろうか。見た感じそんなに変わりは無いけど、今日の肇は上機嫌に言葉を連ねていた。
「ふふ…」
「それで………? どうして笑っているんですか?」
「いや、なんでもないん」
巻き込み確認の振りをして肇を盗み見た。いや、確認はしっかりしているんだけど。
今までが今までだとは言っても、俺と肇は伊達に一緒に仕事をしてきた訳ではない。
撮影なんかで作られる笑顔と、本当の笑顔の見分けぐらいそんな俺にだって容易にできるものだった。
今の肇は心から楽しそうで、零れだした微笑みはきっと無意識からのものだろうと。
今までそんな肇を見たことが無かったから、俺はなんだか可笑しくて、こっちまで微笑が零れ落ちる。
別段面白い話をしている訳ではないのに俺が急に微笑んだから、肇からしたら怪しかったかもしれない。訝しまれても仕様がない事だった。
「あのさ、」
「なんでしょう?」
肇が楽しそうに言を連ねている最中だったが、横から口を挟んだ。
急ぐ用事でもないし、食事をしながらでもゆっくり話せばよかったのかもしれない。
でも、さっきから膝にゴツゴツ当っている肇から貰ったキーホルダーの感触を覚える度、なんだか気が急かされてしまったみたいで、俺は口を開かずにはいられなかった。
「…また、誘ってもいいかな?」
「………!」
今日みたいに、って。そう言った。会話の流れとしては不自然極まりなかっただろう。
会話と表現するには余りにも一方通行で、肇が一人で話していたのに対して俺は相槌を打っているだけだった様な気がするけれど。
それでも、俺と肇は、今日になって初めて本当の意味で言葉を交わしたんだと思った。
いつだって秋晴れの空みたいに澄ました肇の表情ばかり見てきたけど、今日、澄んだ空には確かに穏やかで暖かな陽気が射していた。
俺も陽気に中てられたのだろうか。
今までずっと一緒に仕事をしてきた俺達だったけど、このつい一間に肇の新たな面を見つける度、言いようのない高揚感に満たされた。
だから、つい口走ってしまったのだろうか。
「………まだ、終わってもいないではありませんか」
肇は俯いてそう言った。
俯いてはいるが、そこには俺に対する嫌悪だとか嫌忌だとか、そういう感情は見受けられなかった。
それは飽く迄俺の主観でしかなく、これと言った確証があった訳でも無いけど、肇の少し上ずった声がそう感じさせたから。
その声色もまた、俺の知らない肇だった。
「それもそうだな」
俺は慣れた手つきでウィンカーを上げながら、肇に言葉を投げかけた。肇はそれっきり俯いていたから表情は窺えなかった。
「だったら、とりあえず今日を楽しもうか」
俯いたままの肇に、そんな軽口を叩きながら、微笑みかけた。
慣れない動作だった。なんだか表情筋が引き攣りそうな勢いだ。
肇はハッとしたように顔を上げる。そこにはやはり、つい先ほど俺が知ったばかりの笑顔があった。
「はい…!」
肇にしては大きな声で、良い返事を貰えた。
「はい」って返事は今日これから俺と楽しんでくれるのか、それとも今後も俺と寄り道と言う名の交流をしてくれるのか、どちらに係っているかは判別できなかった。
だけど、それでもいいと思った。
またしても俺の知らない肇だった。仕事では聞いた事が無い様な、こんなに張りのある声が出せるなんて知らなかった。
この姿を見せれば今以上に人気が出るだろうって、そんな風に思ったのはきっと職業上の感想だけではないと思う。
さっきから膝に当りっぱなしの、肇らしくないと思っていた贈り物も、いずれは肇の一つの姿として理解できる日が来るのだろうか。
___
__
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「プロデューサーさん、聞きましたよ!」
一つに纏められた肩程の三つ編みを揺らしながら、千川ちひろはこちらに歩み寄ってきた。
その顔には笑みを携えて… 悪く言えばニヤついた表情で、俺は彼女が何を言おうとしているのか、それだけで大方理解できてしまった。
「最近、肇ちゃんと仲良くやってるみたいじゃないですか」
「…肇がそう言ったんですか?」
極めて冷静に端的に、表情を変えずそう言った。会話の主導をこの女に取らせると碌な事が無いって知っていたから。
「うぐ… まぁ、そうなんですけど…」
私が話した事は秘密してますよねと、千川ちひろは確認する様に声を潜める。
冷たいって言われる俺だけど別に空気が読めない訳ではない。それが肇本人に口走っていい事でないって理解していた。
「上手くやってますよ」
「上手く、ですか…」
あれから何度となく肇と話す機会があって、それなりに親しくなったのではないかと自負はある。
肇の望んだモノが果たしてそれで正解だったのかどうか、俺にはわからなかった。
肇と本当の意味で言葉を交わすようになって俺自身何を得たのか。肇の情報とか、そんな冗談では無く、本当の意味で。
だから、上手く。そうとしか言いようが無かった。
「肇ちゃん、今日はプロデューサーさんに誘われて、なんだか結構良い所に行くって張り切ってましたよ」
そう言って人差し指と親指で輪を作り手の甲を下にして俺に見せつける。
要するにお金の事。
「__ホテルのレストランの優待券を貰ったんです。一人で行くのも何でしたからね」
「だったら私を誘ってくださいよ!」
「嫌ですよ…」
まあ冗談ですけどって言いながら、残念そうな顔をして「肇ちゃんと楽しんでください」と付け加えた。
千川ちひろが本気で行っていない事くらいわかっていたから、俺も冗談で返答した。
この人と行きたくないのは、半分くらい本当の事だったけど。
「こんにちは」
「あ、肇ちゃんが来ましたよ」
そう言われて入口に目を向けると、肇の姿が。
水色のワンピースに、黄色のカーディガン。いつの日かと同じ、あの服装だった。
「良い所にいくから綺麗にして来いと言ったんだが…」
「…プロデューサーが褒めてくれたこの服が、私にとって一番綺麗なものですから」
はにかんだ肇の表情は既に見慣れたものになっていたけど、その顔を見る度普段からこうしていればいいのにってそう思ってしまう。
「肇がそれでいいなら、俺は何も言わないよ」
財布や免許証やらの荷物を確認する俺の姿を見ながら、肇は始終微笑んだままでいる。
「でも、どうして私を誘ってくれたんですか? 他にもアイドルの方は沢山いるのに…」
「別に。ただ、最近肇は仕事を頑張ってるみたいだったから、その御褒美にでもなればいいかなってね」
一転不思議そうな表情を携えながら、肇は俺に疑問を呈した。
俺として見れば肇以外に一緒に食事に出かける様なアイドル何ていなかったし、消去法といっては聞こえが悪いが、それも理由の内の一つ。
………もう一つは、本当に仕事が上手くいっているから。
急にどうしたんだろうか、肇は元より評判がよかったが、それに輪をかけて最近の働きには目を見張るものがあった。
「準備できたし、行こうか」
もしかしたら、俺と仲良くなったからなのだろうか。俺としては少し踏み込んだ会話をしただけでそんな風には思わないけど、肇がそれで満足して結果を出せるならそれで構わないと思った。
「ちひろさん、行ってきますね」
肇が千川ちひろに意味有り気な目配せをしたのに、俺は気付かない振りをした。二人の関係は知っていたけど、その目線に込められた意味までは知らなかったから。
___
「素敵なところですね」
肇の感想は率直なものだろうと思った。
エントランスを見渡して彷徨わせる視線には落ち着きが無いが、零れ落ちたその言葉に気を遣っている様子は見られなかった。
「最上階に展望レストランがあるんだ。あれに乗って行こうか」
落ち着きが無かった肇の視線を導く様に、俺はある一点を指差した。
見た目には普通のエレベーターだが、そこには肇の知らないとっておきの仕掛けが施されている。
「もっと素敵かもしれないぞ」
「………?」
「わぁ………」
肇が零した溜息もまた、言葉ではないが素直な感想だったと思う。
ガラス張りのエレベーター。夜景を楽しむのに用いられるのではないだろうか。
残念ながら今は昼だから、そこから見える景色は忙しない都会の一幕でしかないけれど。
「夜に来ればよかったかな。今の景色なんてそんなに面白いもんでもないだろう」
「いえ、そんな事ありません… こういう都会らしい風景って、少し憧れていたところがありますから」
「それはよかった」
まあ確かに普段生活している街を上から見下ろすなんてそうそうある事ではない。
なんにせよ、肇が満足してくれたようなので、それで問題ないと思った。
「きっとこれを考えた方って、とてもロマンチックな人なんでしょうね」
「………そうかもな」
ガラスを確かめるように撫でながら、肇はそう呟いた。
景観を楽しむって意味は勿論あるんだろうけど、本当の理由はそうじゃない。
でも、今そんな事を肇に突きつけるのは余りにも無粋だと思ったから、俺は適当に相槌を打っておく事にした。
「もう、ちゃんと聞いてるんですか?」
「え? ああ、聞いてるさ」
扉に凭れ掛りながら適当に返事をしていた俺を、肇は膨れっ面で非難した。
でも、語気からも表情からも、肇が別に機嫌を損ねている訳ではない事は十分把握できた。
「っぷ…」
「…もう!」
頬を膨らまして俺を見遣っていた肇の表情がなんだか可笑しくて… そして、可愛らしくて、肇らしくないと思っていた。
気付いたら笑いが込み上げてきて、本人を前に吹き出してしまう。
「悪い悪い、謝るよ。なんかおかしくって」
そのままそっぽを向いてしまった肇に、俺は笑いを噛殺しながら謝罪する。
思えば、俺自身笑ったのは何時以来の事だろうか。自分の事なのに不思議にだった。
同時に、また知らない肇に出会った事に、俺は感謝していた。
可愛い路線で売り出していくのを本気で考えてもいいかもしれない。今までのファンから批判もあるだろうけど、新たな客層の獲得には最適ではないだろうか。
落ち着いた雰囲気で、大人びていて。俺はつい最近までずっとそれが肇の全てだって思っていたけど、最近になってそうではない事を知った。
大人びているとはいっても、まだまだ十代半ばで少女の域を出ない。もしかしたら、ずっと可愛い路線に憧れを抱いていたのかもしれない。
見た目や雰囲気に惑わされがちだが、肇だって普通の女の子だった。
「………ちひろさんと話していたんです」
「え………?」
真剣に路線変更を考えていた俺に、肇は徐に言葉を投げかける。
俺があれこれ考えている内に、肇はこちらに向き直っていた。
まるで意を決したかの様なその顔は、今までの和やかな雰囲気を雲散させるには十分過ぎるものだった。
「私はプロデューサーと長らく仕事をしてきましたけど、どんな人かわからなかったんです」
「………」
俺も肇の事、知らなかった。名前とか趣味とかそういう事ではなくて。
「別に、お仕事の関係ですからそれでも良かったんです。ですが…」
ぼそぼそと小さな声で話す肇は、まるで罪を告白する罪人の様だった。さっきまであんなににこやかに話していたのに、今の肇は幽鬼の様に儚くて消え入ってしまいそうだった。
俺はそんな肇の懺悔には口を挟まず、来たるべき結論を待っていた。
何より、肇が千川ちひろと何か俺について話していたのは知ってしまっていた事だったし、以前の俺がたどり着けなかった答えを、肇自身が告白しているのだから。
「ですが、真剣に仕事に打ち込むあなたの横顔が、とても素敵だったから…」
そんなあなたに興味を持って、あなたに触れて好きになりました。
肇はそう言った。
ずっと小さな声だったけど、俺の耳にはしっかり届いていた。
最後の言葉には力があった。頬を染めて俺を真直ぐに見つめながら、あどけなさの残る肇の顔だったけど、その時は確かに一人の女性になっていたと思う。
さっき俺は、肇は可愛い路線でも行けるのではないかって考えていたけど、どうやらそれは早計だったらしい。
大人と子供が良い様に混同した藤原肇は、まだまだ俺の知らない可能性を秘めている。まだまだこの世界で伸び代があると、そう思ったんだ。
肇はそれっきり口を噤んで、肇を具に観察するような俺の視線から逃げる様に背を向けてしまっていた。
要するに、俺に文字通りの告白をした訳だから、返事を待っているのだろう。それが気恥ずかしくて背を向けている。
肇自身、良い返事を貰えると思っているのではないだろうか。
俺は胸の高鳴りを抑えきれなかった。この感覚は今までの中でも最も大きいものだった。
肇の新しい一面を見る度に感じていた。今まではそれが何かわからなかったけど、ようやく俺は、俺自身の答えに辿りつく。
だから俺は、最良の選択をする。
簡単な事だった。
それは全て肇が教えてくれた。
少しだけこちらから歩み寄ることで、いとも簡単に心を開いてくれる。
そして、秘められた一面を存分に俺へと曝け出し、新たな魅力を俺に見出させる。
本当に簡単で、単純で、そして俺自身愚かしいと思った。そんな事さえ知らなかった俺に。
俺の肇への気遣いは、決して肇自身へのものでは無かった。
それは仕事の上で必要なものを学ぶための一つの手段だった事に、今気付かされた。
………言い換えれば、肇の更なる躍進の為だったと、そう言えるのかもしれないが。
俺は肇の気持ちも感情も思いも恋慕も、何もいらない。
肇の仕事は、俺を満たす事ではないんだ。
「………俺は、さ」
背を向けたまま、俺の言葉を待ちわびる肇に最高の返事を。
透き通ったエレベーターのガラスはまるで鏡のように肇の表情を映し出している。
蒼白なその表情は、またしても俺の知らない肇だった。
終わり。
劇場の肇ちゃん可愛かった。
此処で書いたやつ(順不同)
モバP「いつまでもこのままで」
モバP「ダブルクリック!!」」
モバP「さいごの我儘」
モバP「スマフォって便利だよな」
モバP「愛してるって形」
モバP「また桜が咲く頃に」
モバP「初恋」
モバP「独りでは生きていけない」
モバP「本音と嘘とチョコレート」
モバP「サイキック催眠療法!」
藤原肇「お弁当ですか」
藤原肇「彼方へ」
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