P「君が天海春香さんだね?」 (75)



桜舞う公園で、一人の少女が歌っていた。
頭に可愛らしいリボンが乗っている。
資料によると彼女のトレードマークなんだそうだ。

P「今日から君の担当プロデューサーだ、よろしく」

少女は不思議そうな顔をしていたがすぐに柔らかな笑顔を見せてくれた。

春香「天海春香です、よろしくお願いします!えっと……プロデューサーさん!」

元気よく挨拶しながら、言い慣れないプロデューサーという言葉にはにかんでいる。
笑顔が魅力的な少女、それが春香の第一印象だった。

P「それじゃあ事務所に行こうか」

春香「はい!」

春の陽気を孕んだ風が身体を撫でるのがとても心地よかった。



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事務所でお互いの自己紹介を一通り済ませ、早速今日からレッスンの運びとなった。
まずは彼女に今出来る事を見せてもらう事に。

P「うん、ありがとう」

春香「は…はぁ…はぁ…はい……」

P「ごめんね天海さん、疲れただろうからゆっくり休んで」

春香「あ、ありがとうございます……」

P「飲み物買ってくるよ、ちょっと待ってて」

出てすぐの所にある自販機でスポーツドリンクを買い、すぐにレッスン場に戻る。
フロアで仰向けに寝転がっていたので顔にペットボトルを当ててやると驚きながら起き上がった。

春香「ひゃっ……。な、何するんですかぁ!?」


P「ははは、ごめんごめん。ついね」

春香「む~、意外といたずら好きなんですね」

P「ははは、まぁコミュニーケーションの一環ってことでさ」

春香「まぁ、いいですけど……」

むくれているけれど不満という訳ではなさそうだ。

P「今日は詰め込んじゃったけど、明日からは一つずつやっていこう」

春香「あ、あはは。そうしてもらえると助かります……」

P「それじゃあ天海さん今日はお疲れ様。また明日」

春香「はい、お疲れ様でした!」

疲れているにも関わらず元気な挨拶をしてくれた、この明るさが彼女の持ち味なのかもしれない。


次の日からもレッスン。
正直に言えばお世辞にも歌が上手い訳でもなく、ダンスにも秀でているわけでもなかった。
それでも歌っている時、踊っている時、この子は本当に活き活きと楽しくやっている。
よく転ぶし音程も外したりするけれど、その表情を見ていると不思議と引き込まれてしまって応援しようという気持ちになる。

P「よし、そこまで!」

春香「ありがとうございました!」

P「うん、大分良くなってきたな。この感じならそろそろオーディションを受けてみるのもアリか」

春香「お、オーディションですか!?」

P「あぁ、いきなり大きなオーディションには出られないけど小さな物なら十分にチャンスはある」

春香「で、でも私、まだまだ自信が……」

P「天海さん」

春香「は、はい」


P「最初は不安になるかもしれない、合格できないかもしれない」

春香「…」

不安気な視線が俺に向けられる。

P「でもな、俺はそれでもいいと思ってるんだ」

春香「え?」

P「勿論最初はって話だけど」

春香「で、でも……」

明るい表情が翳るのがわかった。

P「そりゃ受かるに越したことはないさ、だけど挑戦する勇気っていうのも大事なんじゃないかな?」

春香「挑戦する、勇気……」


P「それに、天海さんならイケると思ったから提案してるんだ。俺は大丈夫だって信じてる」

春香「プロデューサーさん……」

目に、火が灯るのが分かった。
どうやら腹を括ったらしい。

春香「私、頑張ってみます!」

P「あぁ、一緒に頑張ろう!」

春香「それと、お願いがあるんですけど……」

P「ん?何だ?」

春香「天海さんってやめませんか?」

思いがけない提案だった。


春香「何だか距離を感じちゃうから、私の事は春香でいいです」

P「……分かった。これからもよろしく、春香」

春香「はい!」

満面の笑みで喜んでいる。
オーディション、頑張ろうな。



それから数日が経ち、今日はオーディションの当日。

P「春香、初めてのオーディションだけど上手くやろうとかは考えなくていい」

春香「えぇ!?」

P「普段のレッスン通りにやれば、必ず結果は付いてくる」

春香「プロデューサーさん……。はい!私、頑張ります!」

P「うん、応援してるぞ!」

嬉しそうに走っていく春香を見送る。
そうだ、その笑顔があればきっと大丈夫だ!
走りながら途中躓いて転びそうになっていた。
そんなところまで普段通りじゃなくてもいいんだぞ……。


P「お疲れ様、春香」

春香「プロデューサーさん、お疲れ様です」

P「よく頑張ったな」

春香「……えへへ、負けちゃいました……」

P「あぁ」

春香「いつも通りにやって、いつも通りに転んで、それで……」

P「…」

春香「もうちょっと……ひっく……いつもみたく……ぐすっ……せっかく……」

膝を抱えて蹲っている春香。
隣にしゃがみこんで落ち着くのを待つ。


春香「……すいません」

P「落ち着いたか?」

春香「はい……」

P「そうか。今日は残念だったな…」

春香「……はい」

P「でもな、この前言ったろ?たとえ負けても良いんだって」

春香は何も言わずに聞いている。

P「挑戦する勇気が大事だって」

春香「でも、イケると思ったからだって……」

P「うん、それは今でも思ってる。春香ならイケるって」

春香「でもダメでした……」

俯く春香の頭に手を乗せ撫でると頭が起き上がり、目線が俺の顔を捉えた。


P「そういうときだってあるさ!」

春香「そう……ですけど……」

P「悔しいか?」

春香「はい…」

問いかけに春香は即答した。
撫でていた手を止め、頭を二度ほど軽く叩いてから下ろす。

P「なら大丈夫だ」

春香「え?」


P「この悔しさが、必ず春香を成長させてくれる」

春香「…」

P「負けた事があるというのが、大きな財産になるんだ」

春香「……はいっ」

涙で濡れた顔で、それでも力強く返事を返してくれた春香。
大丈夫、その気持ちを忘れなければ春香はきっと強くなれる。

P「今日は疲れたろ?腹減ってないか?」

春香「へ?えっと~…」

返事をする前に春香の腹の虫が元気よく返事を返してくれた。
余りにも大きな返事だったので二人で顔を見合わせて笑う。
春香にやっと笑顔が帰ってきた。


オーディション会場を後にして、薄暗くなった街を連れ立って歩く。
春香の表情に先程よりかは随分と明るさが戻ってきていた。
洒落た店に入れれば良いのかもしれないが、生憎そういった店とは無縁だったため案内できるのはラーメン屋くらいになってしまう。

がらがらと音を立てる引き戸を開けて店に入る。
活きの良い青年が大きな声で挨拶してくれた。

P「ごめんな、こういう所しか連れてこれないんだが……」

春香「大丈夫です、私もラーメン好きですよ」

P「そりゃよかった」

席について注文を済ませると春香が頭を下げてきた。


春香「今日はすみませんでした…」

P「ん?あぁ、まあそんな日もあるさ。これを引きずらないよう切り替えて次頑張ろう」

春香「はいっ。」

P「そうだなぁ、ミスをした時にどんどん表情が暗くなっていったからそれは気をつけよう」

春香「表情ですか」

P「あぁ、もっと言うなら笑顔だな」

春香「笑顔……」

真剣な表情で春香が見つめてくる。


P「春香が楽しそうに、笑顔で踊ったり歌ったりしている所がこの短い期間で見つけた春香の長所だと思う」

春香「笑顔で楽しく…」

P「テレビで歌ってるアイドルって、曲にもよるけど皆笑顔だろ?」

春香「はい」

P「ファンが見たいのは、そういう所なんじゃないかな?」

春香「なるほど……」

反省会をしているとラーメンが運ばれてきた。
食欲をそそるいい匂いだ。


P「さぁ、反省会も済んだし食べよう」

春香「はい、ありがとうございます」

二人「いただきます!」


――――――――――


――――――


―――



―――


――――――


―――――――――



P「はぁ~、美味かった!」

春香「ごちそうさまでした!」

P「おぅ、次はオーディション勝って来たいな」

春香「そうですね、頑張ります!」

P「あぁ、一緒に頑張ろう」

青々とした葉が並ぶ並木道を二人で歩く。
今日の悔しさをバネに、きっと春香は成長してくれる。
明日からも頑張ろうな!


初めてのオーディションから数日、俺たちは二度目のオーディションを迎えた。

P「春香、いつも通りに行こう」

春香「はい」

P「うん、それじゃあ見てるからな」

春香「今日は受かるように頑張りますね!」

今日も笑顔で会場へ駆けて行く春香。
その背中を見送り、控え室に向かう。
今日はコケなかったな。


P「お疲れ様、春香」

春香「プロデューサーさん……。私……私……」

オーディション会場を出た廊下で、ベンチに座りながら泣いている春香を見つけた。

P「おいおい、泣くなよ」

春香「だって……」

P「ほらほら、泣いてる暇なんか無いぞ」

春香「……はい」


P「よし行こう、収録始まるぞ」

春香「はい!」

勝っても敗けても泣くんだな、春香は。

P「春香」

収録へ向かう春香に、一言だけ告げるため呼び止める。

春香「はい、なんですか?」

まだ赤く腫らした目で俺を見据える春香。


P「オーディション初合格、おめでとう」

今日まで一所懸命頑張ってきた春香に賞賛を贈り、頭を軽く撫でる。

春香「…」

撫でられた春香は俯いて震えている。
嫌だったかな……?

春香「……うぅ……ぐすっ……」

P「春香!?」

春香「うわぁぁぁん、プロデューサーさぁん!」

胸に顔を埋めて春香はさっきよりも大きな声で泣いている。


P「あ~、その、嫌だったか?ごめんな」

春香「ち、違うんです……。ぷろ……プロデューサーさんと一緒に……頑張ってきて良かったって……

   そう思ったら……ひっく……また……」

P「一番頑張ったのは春香だよ。ほれ、泣き顔をお茶の間に晒す気か?顔洗って来い」

泣きじゃくる春香を諭して洗面所に向かわせる。


顔を洗って戻ってきた春香の目はやっぱり赤かった。
濡らしたタオルで冷やしたものの完全には治らず、結局腫れた目で収録に挑むことになった。
どうなるものかとヒヤヒヤしていたが、出演者にいじられて目立つことができた。
また、番組に合格したのがそんなに嬉しかったのかとディレクターに気に入られて時々出演することが決定した。
どう転ぶかわからないものだなぁ……。

その日の帰りに、約束通りまた二人であのラーメン屋に足を運んだ。
前とは違う気持ちで食べるラーメンは格別で、隣に座る春香は食べながらまた涙を零していた。

余談だが、それを見た大将が勘違いして味玉をサービスしてくれた。


初めての合格から数ヶ月が経ち、今ではオーディションもそれなりに受かるようになった。
ライブも精力的にこなし順調にファンを増やし、ランクもCまで上がった。

P「春香、ランクも上がってきたしそろそろフェスに出てみないか?」

春香「フェス、ですか……?」

P「あぁ、色んなアイドル達が来て競う、まぁ一種のお祭りだな。一応今までもいくつかオファー来てたんだけどな」

俺の提案に春香の目は輝いていた。
あれ以来、沢山の場数を踏んで春香は初めての事でも物怖じしなくなっていた。
自分から飛び込んで楽しもうとさえしている。



フェス当日、俺たちのステージには沢山のファンが駆けつけてくれた。
隣り合ったステージとファンの盛り上がりで雌雄を決するフェス。
その対戦相手は―――――

P「嘘だろ……?」

春香「プロデューサーさん?どうしたんですか?」

P「あぁ、いや、ちょっとな……」

公平を期すためなのか、当日まで公表されなかった相手は予想よりも、いや予想だにしなかった相手だった。

AD「765さ~ん、そろそろスタンバイお願いします!」

P「は、はい!春香、あ~、その、いつも通りに……な?」

春香「はい!」


笑顔で元気よく答える春香に相手を告げる事が出来なかった。
流石に伝えて士気に影響が出たら困るというのもある。

春香「ところで、フェスの相手って……?」

P「あ~、え~っと、その事なんだがな…」

???「あら、今日のお相手かしら?」

ステージ袖で伝えるべきか悩んでいると背後から声を掛けられた。
振り向いた先にいた人物を見ると、そこにいたのは

麗華「ふふふっ、お互い悔いの無い様に頑張りましょうね」

にこやかに微笑むアイドル、魔王エンジェル東豪寺麗華が立っていた。
一見すると人当たりの良さそうな女性だったが、何故だか寒気を感じてしまう。


春香「わぁ~、あの、魔王エンジェルの東豪寺麗華さんですよね!?今日はお一人なんですか?」

麗華「えぇ、そうよ」

春香「うわぁ~、本物だ~!いつもテレビで見てます!同じステージに立てるなんて感動です!」

麗華「ふふふっありがとう」

AD「それでは天海さん、お願いします!」

春香「はい!それじゃあプロデューサーさん、行ってきますね!麗華さん、今日はよろしくお願いします!」

麗華「えぇ、頑張りましょう」

いつも通り元気良くステージへ駆けて行く春香を見送る。


麗華「……精々無駄な足掻きをすると良いわ」

P「え……?」

麗華「あら、聞こえちゃった?」

P「今のはどういう…」

先ほど感じた寒気をもう一度感じた、今度ははっきりと。
にこやかに話していたのが嘘のように冷たい表情に変わっている。

麗華「あたしに勝てると本気で思ってんのかしら?だとしたらおめでたいわね」


本当に同一人物かと疑ってしまう程の変貌振りに、言葉を発せずにいると

麗華「こんなチンケなフェスにどうして私がいるかわかる?」

P「えっ?」

麗華「み~んな自分が勝てると信じてる、夢だの希望だのをぶち壊してやるためよ」

およそアイドルとは思えない答えに、まさに絶句してしまった。
スタッフに呼ばれてステージに向かう彼女を、俺はただ立ち尽くして見ていることしか出来なかった。

実際、始まってみると魔王エンジェルのステージは圧巻だった。
あの冷たさを一切感じさせずにファンを盛り上げていた。
流石に分が悪すぎると思ってこちらのステージを見てみると、予想外にも春香は揺れていない。
それどころか笑顔で歌って踊っている。


P「あいつ……」

結果から言えば俺達は負けた。

しかし、惨敗という程ではなく大差ではあるがランク差を考えれば健闘したと言って良い結果だ。

P「お疲れ様、春香」

春香「は……はぁ……はぁ……おつか……お疲れ様……はぁ……です……」

あの魔王エンジェルとここまで渡り合ったのだから消耗はかなり激しいだろう。
負けたのは悔しいハズなのに、どこまでも春香の表情は明るかった。


P「あ~……残念、だったな……」

春香「はぁ……はぁ……はい……」

肩で息をしながら答える春香にタオルと飲み物を渡して息を整えさせる。

春香「ありがとうございます……ん……っぷは」

渡された飲み物を美味しそうに流し込むとタオルを頭から被った。

春香「ふ~、生き返りました!」


東豪寺麗華の本番前の言葉が頭をよぎり、なんて言葉を掛けていいか迷っていると春香が口を開いた。

春香「楽しかった~!」

P「は?」

その余りにもポジティブな言葉に、思わず素っ頓狂な声が漏れてしまった。

春香「魔王エンジェルすごかったですね!」

P「いや、まぁ、な。うん、春香。お前、負けた……んだぞ?」

春香「あ、はい……。それは残念ですけど…」

負けたという事はしっかりと分かっているみたいで安心した。


春香「負けちゃいましたけど、こんなにすごい相手と一緒のステージに立てたのが私嬉しくって」

P「……ぷっ、あはははは」

春香「え?え?な、なんで笑うんですか!?」

P「いや、春香は大物だと思ってな」

春香「え?いや、私はまだCランクなんですけど…」

P「ははは、気にしないでくれ」

要領を得ないと言った表情を浮かべる春香に、着替えるよう告げて楽屋を後にした。


楽屋を出て休憩スペースでコーヒーを飲んでいると、人の気配を感じた。
目をやると、今までアンコールに応えていた東豪寺麗華が立っている。
激しいステージの後で汗をかいてはいるが、そんなに消耗しているようには見えなかった。

麗華「今頃泣いてしょぼくれてるのかしら?貴方の……なんて言ったかしら?」

P「春香です。天海春香。」

どうやら対戦相手の事はどうでもいいらしく、名前すら覚えられていなかった。

麗華「そう、まぁ何でもいいけど。」

変わりに教えてやったが別段興味ないといった様子だ。


P「笑ってましたよ、春香は」

麗華「は?」

P「貴女とのステージを、春香は楽しんでいました。かなり消耗してますけど笑顔で楽しかったって言ってましたよ」

そう、しょぼくれてなんかいない、春香はこの強大な相手に食らい付き楽しんで見せた。

麗華「楽しかった……?」

P「ええ、格上の貴女に少しも怯んでいなかった」

大差を付けて打ち負かした相手が落ち込むどころか楽しんでいた、その事実を麗華は許せなかったのかもしれない。


麗華「ふざけないで!」

人目も憚らず麗華は肩を震わせて怒りを露にした。

麗華「所詮Cランクの三流アイドルが、調子に乗ってんじゃないわよ!不愉快だわ!」

怒り心頭といった様子でその場を立ち去ろうと踵を返した麗華に声をかける。

P「東豪寺さん」

麗華「何!」


P「確かに春香はCランクで、今は三流かもしれない。

  けど、あいつは必ずトップアイドルになる。俺は、そう信じてます」

言い切った俺を睨みつけると麗華はその場から立ち去った。
すぐに携帯に着信が入り、画面を見ると春香からだった。
どうやら着替えが終わったらしく、しかもすぐ近くにいるとの事。
……今の見られてないよな?



伊織「ちょっとあんた達、何しでかしたの?」

フェスから数日が経ったある日、事務所で同じ765プロの水瀬伊織に詰め寄られた。

P「ん、何のことだ?」

伊織「この前、ウチでちょっとしたパーティがあったの。お偉いさんとかが来る

   面白くもなんともないやつがね」

伊織の家、水瀬家は政財界にも影響力を持つ国内有数企業の水瀬グループだ。
そこで開かれたパーティと俺達に関連があるとはとても思えないが……。


P「でも、それでどうして俺達が?」

伊織「あいつが一方的にまくし立ててたけど、要はあんた達にプライドが傷つけられたみたいよ」

どうやら先日のフェスの会話を根に持っているらしい。
伊織に聞いた様子ではかなりご立腹のようだ。

春香「わ、私…何か失礼なことしちゃったかな……?」

なんて案じているくらいだ。

P「大丈夫だ、春香は何もしてないよ」


実際、春香自身は何もしていない。
純粋に彼女との勝負を楽しんでいただけだ。

伊織「まぁ、何があったかは知らないけど付け入るなら今かもしれないわね」

P「どういうことだ?」

伊織「にひひっ♪冷静さを失った相手なら、たとえAランクでも隙は出来るって言ってんのよ」

意外と腹黒いんだな……。


伊織「まぁでも、気を抜かないことね。何が起こるかわからないわよ?」

そう告げて伊織は仕事へと向かっていった。
春香はまだ、何かしてしまったのかと悩んでいる。
付け入る隙か……。

それから数日が経ち、伊織の予想は的中した。




魔王エンジェル、敗北――――――

長らく頂点に君臨していた魔王エンジェルが、一人のアイドルに敗北した。
Aランクのフェスで、ユニットで臨んだ麗華達を打ち負かしたそのアイドルは

P「961プロの、天ヶ瀬冬馬か……」

事務所で新聞の芸能欄に目を通していると扉が開いた。

社長「おはよう」

P「おはようございます、社長」

社長「いやぁ、大変な事になったね」

どうやら社長も独自の情報網で知ったようだ。


社長「しかしここで961プロか……」

P「知ってるんですか?」

社長「うむ……。社長の黒井崇男は私と昔馴染みの間柄なのだが……」

何やら歯切れが悪い。

P「社長?」

社長「うむ、隠しても仕方ないな……。あくまで噂なのだが、裏で妨害等の手を回しているのではという話もある」

P「妨害工作……」


社長「まぁ、真偽のほどは分からないが気を付けるに越した事はない。よろしく頼むよ」

P「は、はい……!」

社長は肩を力強く叩いた後社長室に消えていった。
その社長と入れ替わるように春香が元気良くやってきた。

春香「おはようございます!」

P「おぉ、おはよう春香」


春香「プロデューサーさん!大ニュースですよ!大ニュース!」

P「魔王エンジェルの事か?」

春香「な~んだ、やっぱり知ってたんですね」

P「当たり前だろ?」

どうやら春香は揺れていないようだ。
相応の衝撃は受けているみたいだが、強くなったな。

961プロの?え~っと天ヶ瀬冬馬か……。
またえらいアイドルが出てきたもんだ。



魔王エンジェル敗北の報はすぐさま業界を揺るがし、天ヶ瀬冬馬は一躍時の人となった。
テレビで見ない日はなく、一方で春香の仕事は目に見えて減っていた。
それでも何とかBランクまで漕ぎ着けたのは、ひとえに春香の努力の賜物だろう。

一つ気がかりなことがある。
今まで懇意にしてくれていた番組スタッフや、記者などが相次いで春香から外れることがあった。
問い合わせても内規に抵触するので教えられないの一点張りで取り付く島もない。
社長が言っていた様に961プロが何らかの妨害工作を行っているのだろうか?



P「春香、今日はオーディションで初めて受かった番組にゲスト出演だ。凱旋出演だぞ」

春香「はい!あの時の気持ちは、忘れた事ありませんから今日はいつも以上に気合入れて頑張りますね!」

P「うん、しっかり見てるからな」

今日も元気に明るく、収録に向かっていった春香を見送る。
番組が始まったら俺に出来るのは春香を見守るくらいだ。


初出演時の泣き腫らした目の事を早速いじられている。
恥ずかしそうにしているが、心の底から楽しんでいる様だった。

番組も中盤に差し掛かった頃、異変が起こる。
司会者が特別ゲストの呼び込みをして、白煙の向こう側から姿を現したのは意外な人物だった。

麗華「みんな~、こんにちわ~!」

魔王エンジェル、東豪寺麗華と

冬馬「天ヶ瀬冬馬だ、よろしくな」

時の人、天ヶ瀬冬馬だった。

P「(なんだって!?どうなってるんだ!?)」


事態を飲み込めずにディレクターの方を見ると、バツが悪そうに目を逸していた。
……そうか、嵌められたんだな。

恐らく社長の言っていた通り961プロが裏で手を引いているとして、わからないのが東豪寺麗華だ。
彼女がどうして、自分を負かした天ヶ瀬と一緒にいるのか。
しかしその答えはあっけなく解決した。

麗華「突然ですけど、みんなに報告がありま~す」

冬馬「俺達は一緒に戦っていくことになった」

出演者、スタッフ、全員が度肝を抜かれていた。
無論、俺も。


事務所の垣根を越えた、それも頂点に君臨する者同士のユニット。
現場は騒然とし、気がつけば報道陣まで駆けつけていた。

麗華「あら?先日私と“いい勝負”を繰り広げた天海さんじゃない」

春香「へ?い、いい勝負だなんてそんな……えへへ」

麗華「……うふふ」

春香、多分今のは嫌味だぞ……。


麗華「それでは貴重なお時間をいただいて一曲披露させていただきますね」

二人が歌い始めるとスタジオの観覧席は大きく盛り上がった。
それどころか出演者も拍手喝采を送っている。
歌い終わると二人は早々に立ち去り元の進行に戻って春香が歌う事になった。

Aランクアイドル二人が歌った後にBランクの春香が歌わされる。
恐らくそれが狙いなのだろう。
報道陣の大半は二人を追っていったが、少数は残っている。
どんな記事が書かれるのか、今は考えたくもなかった。

そんな状況でも春香は折れなかった。
普段よりも表情は硬かったが、それでも笑顔を貫き通した。


P「……お疲れ様、春香」

春香「あ、プロデューサーさん……。お疲れ様です」

収録が終わった楽屋で、春香は項垂れていた。
今の春香にかける言葉が見つからない。
春香は、今何を思っているのだろうか。

P「さ、着替えて帰ろう」

そんな事務的な言葉しか掛けてやれない自分が悔しかった。


翌日の芸能欄には、天ヶ瀬冬馬、東豪寺麗華のユニットの事が大々的に取り上げられ、当て馬に使われた春香はこき下ろされていた。

その日から、春香の仕事は徐々に減っていった。
これも961プロの差金なのだろうか?
それともあの記事が原因なのだろうか?
俺にはわからない。

流石に気落ちしている様子の春香だが、一度ステージに立てば輝きを放つ。
仕事が減って時間が空いた分はレッスンに励む。
そうやって、ひたすら牙を研いでいった。


レッスンと地道な活動を続けている春香。
俺に出来ることは、足を使って出来るだけ沢山仕事を取って来てやる事だけだ。
足を棒にして各所を駆けずり回り、頭を何度も何度も下げる。
断られても、めげずに何度も。
以前の様に二人で仕事を選択することもできなかったが、それでも取れる仕事は取っていった。

その甲斐あってか、最近では徐々に仕事を回してもらえるようになった。
やはり妨害はあったが、春香はそれでも笑顔でステージに立っている。

そうして草の根活動を数ヶ月続けたお陰か、春香もランクAが見える位置にまでやってきた。


P「春香、久々に大きな仕事だぞ!」

春香「本当ですか!?」

P「あぁ、大規模フェスの出演だ!」

春香「うわぁ~!」

久しぶりの大舞台に春香の目が輝く。
この仕事、実は俺が取って来た訳じゃない。
最近では珍しく、クライアント側からの依頼が舞い込んできたのだ。
これまでの事を考えると非常に怪しいのだが、Aランク目前の春香には願ってもない仕事だった。


P「このフェスで勝利できればAランクも夢じゃないぞ!」

春香「Aランク……トップアイドル……」

P「まぁ、当日まで何が有るか分からないから準備だけはしっかりやっておこう」

その日からフェスに焦点を当ててレッスンと仕事をこなす。
不思議な事に、この辺りから妨害は無くなっていった。

そして迎えたフェス当日。
春香が競う相手は――――――。


P「予想してなかった訳じゃないけど、いざ見るとこう、キツイな……」

対戦相手は魔王エンジェルwith天ヶ瀬冬馬と書いてあった。
なるほど、このフェスで完膚無きまでに叩きのめすと言った所なのか。

春香「対戦相手、あの二人なんですね」

P「……あぁ」

正直、どうアドバイスしていいのかわからない。
単体でも力の差は大きい、それが二人も束になってかかって来るのだから。


AD「765さ~ん、そろそろスタンバイお願いします!」

P「あ、はい!」

あっという間に時間が来てしまった。
始まってしまえば、ステージで独り闘う春香を袖から見守ることしかできない。
何か力になってあげたいのに、それができない。
己の無力を呪う。

春香「それじゃあプロデューサーさん、行ってきますね」

P「あぁ、ちゃんと見てるからな」

そんな当たり障りのない事しか言えなかった。
それでも春香は満面の笑みを返して、ステージへと駆けて行った。


不安と恐怖が入り交じる中、袖からステージを見守る。
やはりというべきか、ファンの反応は一目瞭然だった。

その絶望的なまでの状況下で、春香は笑っていた。

どうしてだ……。

どうしてお前は笑っていられるんだ、春香……!!
実力の差は歴然、状況は絶望的。
なのに、春香の目は、表情は死んでいなかった。

それに気づいたのか、麗華の表情が変わる。
よりアピールしようと独り突っ走り、二人の連携が崩れた。


その隙を付いた、という訳ではないが春香の笑顔がファンを魅了し始めた。
活き活きと、楽しそうに踊る春香の人を惹きつける力。
チグハグになりつつある麗華と冬馬の連携を更に突き崩していた。

いつの間にか俺は、袖で大声を上げて春香の応援をしていた。
気がつけば頬を涙が伝っている。

勝って欲しい。

ただその一心で、声の続く限り声援を送っていた。

焦る魔王、揺れない春香。

P「頑張れ……。頑張れ春香…!!」


永遠とも思える時間の中、ついにお互いのパフォーマンスが終了した。
結果を決めるのはファン。
ここまで来たら、後は祈ることしか出来ない。
どうか……。
どうか……!


場内アナウンスが結果を告げる、割れんばかりの歓声が会場を包み、続けてアンコールが巻き起こる。
その中心にいる人物は、何が起こったのか分からないといったような表情をしていた。

春香……!
やったんだよ!
お前、勝ったんだぞ!!

やっと状況を理解したのか、春香はこれまで以上の笑顔で喜びを顕にした。

春香「皆さん、私……ひっく……私……!」

泣きながら顔をくしゃくしゃにしている、その様子を見て、俺まで涙が止まらなくなる。

アンコールに応える春香を見守っていたら、引き上げてきた二人と遭遇した。

冬馬「……やられたぜ、まさか負けるとは思わなかった」

麗華「……納得いかない、こんなのありえないわ!」

潔く負けを認める冬馬とは対照的に、認めたくない麗華。

麗華「これじゃあ何のために妨害…はっ」

その滑らせた一言を、俺も冬馬も聞き逃さなかった。


P「それじゃあ、あれは君の仕業だったのか」

冬馬「妨害ってどういう事だ?」

P「春香は、ある時から仕事が取りにくいように妨害を受けていた。その首謀者が」

冬馬「お前ってわけか」

指摘から逃れるように去っていった麗華。

冬馬「気付かなかったとは言え、迷惑かけたな」

そう言って頭を下げようとする冬馬を制した。


P「まぁ、春香が折れなかったお陰だよ」

その瞬間一際大きな歓声が沸き起こり、春香がステージから帰ってきた。

P「お帰り、春香!」

春香「プロデューサーさん、ただいまです!」

冬馬「それじゃあな」

喜びを分かち合う俺たちを尻目に冬馬が去っていった。

P「本当に、良くやったな春香!お疲れ様!」

春香「えへへ、はい!」

疲れてるのかわからないくらいの、とびっきりの笑顔をくれた。


P「なぁ、春香。聞いてもいいか?」

春香「何ですか?」

P「絶望的なまでの状況で、春香はどうして笑っていられたんだ?」

春香「簡単ですよ、プロデューサーさんのお陰です」

P「俺の?」

まるで予想だにしていなかった返答に面食らってしまう。


春香「はい、プロデューサーさんいつか麗華さんに『必ずトップアイドルになるって信じてる』って

   大見得切ってたじゃないですか。あの言葉のお陰です」

やっぱりあの時聞かれていたのか……。

春香「自分の事を信じてくれる人がいるって、本当に心強いんです。そのお陰で、私は今日まで走ってこれました」

P「俺に出来るのは、そのくらいしかないからさ」

春香「あ~、プロデューサーさん照れてる」

P「……からかうんじゃない」


二人で走ってきた結果掴み取った勝利。
この日のフェスで勝った事によって春香は無事Aランクに昇格できた。
それでも、トップアイドルまでの険しい道のりはまだまだ続いていく。
夢に見た頂を掴み取るまで、俺と春香は2人で突っ走っていく。

P「春香、これからもよろしくな!」


おわり



終わりです。

遅くなってしまいましたが、誕生日おめでとう春香。
プロデュース物を初めて書いてみましたが、力不足を痛感しました。
色々と粗いとは思いますが、これが今の全てです。


拙い作品ではありますが、ほんの少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
それではお目汚し失礼しました。

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