モバP「また桜が咲く頃に」 (20)
「もう三回目になるんですね」
四月になってもうぼちぼちと桜が散り始めている。所々緑が混じった窓の外の風景はある種趣があったし、確かな時の移ろいを感じさせるものだった。
俺の対面に座ってお茶を飲みながら、道明寺歌鈴はぽつりと呟いた。
急にそう言ったもんだから最初は何の事を言っているのか見当がつかなかったが、よくよく考えてみれば思い当る節がある。
…と言うか、俺が忘れていてはいけない事だった。
「総選挙、か」
俺は余計な修飾は加えず、これまた独り言のみたいに呟いた。
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歌鈴が独り言のように零したのに対し、俺が思案してあれこれと先に何かを言うのは可笑しいことだと思った。
「………」
歌鈴は続いて何かを言う事もせず、手にした湯呑をそっと口へと運ぶ。
淀み無い様に見えた動作の中に、微かに歌鈴の指先に震えを見て取った。
傍から見れば、総選挙に対しての期待や昂揚での武者震いか、だなんて、そう取れない事も無いかもしれない。
だけど歌鈴は、勝負事に対して躍起になれる執念と、他人を貶めて頂きに上り詰めたいという、悪く言えば貪欲さみたいな感情を持っていない。
その証拠に、ほら。歌鈴は今に涙が零れ出しても不思議じゃないくらいに複雑な表情で、ずっとテーブルを睨みつけている。
手中の湯呑はとっくに空っぽで、それにさえ気付いていないのだろうか、湯呑の材質でも確かめるみたいに両手の平で転がし続ける。
向かい合わせに並べられたソファー。とても柔らかく、体重を預けただけで沈み込んでしまいそうで、これがそれなりに良い物だという事の何よりの証左だ。
その真ん中に置かれたガラステーブル。淵と脚以外の全てが透き通っていて、そこに何もないという錯覚に陥るといえば過言だろうか。
歌鈴との実際の距離は、一メートルにも満たない。
だけど、ソファーに沈み込んだ俺と歌鈴… 俺達を隔てる様に置かれたテーブルがそう感じさせるのか、今、歌鈴をとても遠くの存在に感じた。
「………三度目の正直って言葉、知ってるか?」
歌鈴は一言紡いだ後、からっきし無言だったから、俺が歩み寄るべく言を連ねる。
そう、三回目なんだ。
普通の女の子からアイドルへ。シンデレラガールズプロジェクトと銘打たれたソレは、今年でもう三年目を迎えていた。
頭というか、顔というか… それを決めるために、今代のシンデレラガールズ総選挙は行われる。
「二度あることは三度、とも言います…」
………言ってしまえば、一昨年の一回目も、昨年の二回目も、歌鈴は残念な結果だった。
残念、と言えればまだいいのだが、歌鈴は名前さえ登らずに圏外。残念賞というには余りにもお粗末だった。
「それは、俺が………」
俺は歌鈴以外にも担当を持っている。そいつらは無難に結果を残し、CDデビューを果たした奴もいる。
俺のプロデュースが悪かったからだと、そう言って歌鈴を励まそうと口を開いたが、続きを言うことは出来なかった。
俺が悪いとそう言って歌鈴を元気づけて、少しでも今回の選挙に意欲を示してほしかったけど、そう簡単にもいかないらしい。
だって、歌鈴は俺が何を言おうとしていたのかわかったんだろうな。
ずっとテーブルを睨みつけていた視線はいつの間にか俺を真直ぐに捕えていた。
今にも泣き出すんじゃないかって、そう思わせた歌鈴の瞳は相変わらずで。
だけど、その真意は、『私の責任です』と、どう告げているのだと思った。
………人前に出て歌って踊って、それだけだと言えばアイドルなんてそんなもんだ。
だけど、それだけだというアイドル業にもやっぱり向き不向き、才能の良し悪しがあるのだと、様々なアイドルを間近で見ている俺はそう思う。
歌もダンスも音感が重要だし、ダンスには優れた運動神経が必要不可欠だ。ビジュアル面も、失礼な言い方だが、不細工だとどうしようもない。
身も蓋もない言い方だが、人を楽しませて魅了して、そうやって金をとる仕事だ。
その為の才能を持っている奴しか生きていけないって事は、誰しも口にしないけどわかっている筈だ。
時には人を蹴落として、踏み台にして、そうやって生きていき、自らを高みへと導く世界だ。
その残酷さを持っている奴こそ強い。その重圧に押し潰されず、昇華できる奴ほど人気が出る。
勿論、全員が全員、そう言う訳ではないけれど、そうであって間違いはない。
………だからこそ、歌鈴は弱かった。
歌鈴は有体にいうとドジだ。ダンスの途中で足がもつれて転ぶなんて日常茶飯事だし、歌こそ噛まないものの、自由に喋れと命ずると途端に噛んでしまう。
どちらもアイドルとしては致命的だ。これは、俺にはどうする事も出来ない事実だ。
だけど、歌鈴は可愛い。
担当アイドルだからという贔屓目でなく、素直にそう思う。
すっ転んだ時にあげる涙声や、噛んでしまった時に慌てて取り繕う様な、朱に染まった表情も、歌鈴ならではのものだし、それが狙ってやっている訳じゃないから不自然さも無い。
それに、容姿だって他の追随を許さないと思う。
肩口ほどのふんわりとしたショートカットは歌鈴の魅力を際立たせる最良の手段であるし、前髪から覗く大きな瞳も、まるで何かの宝石をも彷彿とさせる。
いつだってにこにこしてる表情も、仕事で着るという巫女の装束も、…ちょっとださい私服も、どれも歌鈴の魅力そのものだった。
「Pさんはなんにも悪くなんてないですから…」
消え入りそうな声で、全部私が悪いんですって、歌鈴はそう付け加えた。
とても小さな声で、少しでも雑音があったら聞き取れなかった程なのに、俺の頭の中で不気味なほど反響した。
頭から胸にかけて妙な苦みが広がっていき、如何ともし難い不快感が全身を襲っている。
………歌鈴は、“アイドルとして”弱かった。
人を踏み台にする強さも、人を踏み躙る残酷さも、そんなものは持っていないんだ。
そもそも、歌鈴は他を貶める感情自体知らないのではないだろうか。
そう思わせる程、歌鈴は人として正しく、情に溢れている、どこにでもいる一人の普通の女の子だった。
だからこそ、歌鈴を皆に知って欲しかった。
歌鈴にてっぺんの風景を教えてあげたかった。
きっと、ここの誰よりもアイドルらしくなくて、その誰よりもアイドルに向いている歌鈴に。
「………実は、俺も投票券持ってるんだよ」
俺はズボンのポケットから適当に丸められた一枚の紙切れを取り出す。
無造作にしまわれていたソレは、この価値と重みを知らないものからすれば、きっとゴミ同然の物だ。
俺は担当アイドルの誰か一人を贔屓する訳にもいかない。
それに、たった一票投じた位では暖簾に腕押しだってわかってはいる。だから、今までの総選挙は投票した事は無かったけれど。
でも、今回は特別だ。
しつこい様だけど、たった一票投じた位で劇的に順位が変わる訳もないし、そんなちょっとした贔屓くらいは神様だって目を瞑ってくれると信じている。
…それが勝利の女神でなければいいんだけど。
「Pさんは誰に入れるんですか………?」
実に歌鈴らしい言葉であると思った。
私に入れてくださいと言う訳でも無く、私に入れるんですかと聞く訳でも無い。だからと言って、本当に誰に入れるのかを聞いている訳でも無い。
だけど、俺はもう歌鈴とは三年来の付き合いだし、言葉の真意を読み取れる自信があった。
「ん~、そうだな…」
だから、遠回しな問いかけに、遠回しな答えを。
目の前の少女に微笑みかけながら、今度は皺を伸ばし、綺麗に折りたたんで、胸ポケットにしまう。
次は、君の下に桜の華が咲き誇ればいいと、そう切に願っているから。
みじかいけど終わり。ありがとうございました!
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