八幡「徒然なるままに、その日暮らし」(892)

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」のSSです。
漫画版から入って原作読んで見事にハマってしまい、勢いのまま書きました。
8巻が待ち遠しくて仕方ない……
遅筆ですが、ゆっくり進めていきたいと思いますので、よろしければお付き合いください。


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① 漫然と比企谷八幡は未来に思いを馳せてみる


『高等教育という言葉が市民権を得てから久しい。
戦後日本の経済復興のその目覚ましいスピードに焚きつけられるが如く、教育はその制度もその内容も加速度的に向上させ続けてきた。
もちろんこの事実とその功績を否定するつもりは毛頭ない。
今俺たちが恩恵を受けている様々な製品やサービスもまた、そんな教育や経済の発展により生み出されてきたものであり、それを手放すことを是とできる者などいないだろうことは想像に難くなく、故に否定できる道理など存在しない。

 しかし、西暦も既に二千年代に突入し、それでもなおもその加速度を緩めることなく疾走を続けんとする現状に対して、俺は疑問の声を投げかけたいと思う。
重ねて言うが、何も教育制度そのものを否定したいわけではない。
それが果たして現代の世相と照合してなお最適なものと言えるどうかと問いたいのだ。

 団塊の世代、氷河期世代、ゆとり世代――連綿と続く歴史に思いを馳せてみる。
なるほど、高度経済成長期という一つの揺るぎなき成功例が、当時の教育制度の適切さを示す一つの証拠となっていることは事実だろう。
だがその後はどうか?
時は流れ、バブルの崩壊から、見せかけだけの好景気が長く続き、そして気付いた時にはデフレの真っ只中。
明らかに減速し、あるいは衰えすら窺えてしまうのが現状だ。


 経済を動かすのも、国を動かすのも、人だ。全ては人に始まり人に収束する。
詰まる所、斯様に経済大国の名を欲しいままにしていた日本という国が、今こうした閉塞感に陥ってしまったことは、他でもなく人に起因すると言っていいだろう。
それはすなわち、経済を、国を動かす人材が、時代に即したそれでなくなった――少なくともその比率を大きく下げてしまったと考えるのが自然ではないか。

 その理由は、まず何よりも教育制度にあると思うのだ。
現行の教育制度において、学習の内容は全て画一的な形で学生の元に示され、また学ぶ際には皆が徹底的に管理されて、さながらベルトコンベアーで流れる工業製品のように作り上げられているような気さえする。
もちろんそのやり方の全てが間違っているとは言えないだろう。
型にはめるようなやり方は、大きく外れた者を現れ難くする効果が期待できる。
けれど同時に、優れて突出した者もまた現れ難くなってしまうのだ。

 皆が横並び。安定で平穏。それだけ聞けば悪いことではないようにも思えるが、決して良い事とも言い難い。
個を殺し、我を潰し、小さく型に嵌めてしまうことを、出る杭を軒並み打ち据えてしまうことを、果たして教育と言ってもいいだろうか?
学問の基礎を教えることは大事ではあるが、しかし何もかもを教科書通りに杓子定規に当てはめることが正しいとは思えない。
真の教育とは、その人の個性を見出し、伸ばし、その上で必要な知識や経験を与えることにこそ主眼を置くべきではないのか。

 誰も彼もを、量産型の、上でも下でもない中間レベルの人材に仕立て上げることが求められる時代は終わった。
一億総中流という言葉が闊歩していたのは昭和の時代までだ。
平成の時代には、当然それに即したスタイルを見出さなければならない。
それが他ならぬ現代を生きる俺たちの責務というものである。

 だから今こそ固定観念を廃棄し、俺たちは新たな視点で進むべき道を模索するべきだ。
人によっては、今まで通りの制度に邁進することが最良ということもあるだろう。
だがそうでない者にまで、この旧来通りのやり方を押しつけることは止めよう。
それが明日の日本を明るく照らす第一歩になるかもしれないのだから。

 よって俺もまた、あらゆる外的圧力を跳ね除け、あらゆる束縛から逃れ、ここで高らかに主張しよう。
従来通り、旧来通りの回答ではないかもしれないが、自分の素養と本質を見極め、最適解を提示したいと思う。
すなわち、高校を卒業したら家庭に入ることを、俺は第一に志望する』

「一度外科手術でも受けてみたらどうだ?」
「言葉の意味が分かりかねます」
「なに、医者に診てもらうだけでは足りんだろうと思ってな」
「何か問題ありましたかね?」
「お前は聞かんと分からんのか?」

 放課後の職員室で、平塚先生の悩ましい声を聞きながら、今読み上げられた渾身の進路についてのレポートを思い返してみた。
いくら俺だって、自分の意見が一般的ではないことは重々承知している。
だからこそ丁寧に且つ迂遠に攻めてみたのだが、何が不味かったのだろうか?

「あぁ、結論を最初に書くべきだったとかそういう?」
「そうだな、そうしてくれていれば長々と下らん戯言を読むことなく最初からこうできた」

 言うが早いか、先生の拳が俺の腹部にめり込んだ。
ひゅっという変な声が自分の喉から漏れる。
一瞬自分に何が起こったのか分からなかった。
……声が出ねぇ。つか息ができない。待って、これちょっとやばい。
殺人級の拳を躊躇いなく教え子にぶつけられる先生の常識も超やばい。

「悶えるな、気持ち悪い。いいから聞け」

 よくねぇよ。理不尽過ぎるだろ。
まぁいつものことといえばそうなんだけど。
いや、この理解もどうなんだ? 諦めるポイントがずれている気がする。

「全く、奉仕部で経験した様々な活動から何も学んでこなかったのか? 君は」
「学んだからこその今の結論だったんですが」
「なお悪い」

 呆れたように先生が小さくため息をつく。
少しだけ憂いを帯びたその表情は、ついさっきの蛮行が無ければ艶っぽさを感じられたかもしれない。
相も変わらず残念美人だ。天も二物くらい与えてやれよと思う。

「そもそも何なんだ、家庭に入るというのは?」
「文字通りの意味です」
「当てがあるのか? 当てが」
「今はないですけど、まぁ見つかるまでは花婿修行的な感じで」
「阿呆かお前は、いや阿呆だお前は」

 暴言で締められた。
いや、今の別に言い直す必要なかったよね。
自分で聞いといてそれはひどいと思う。
それともあれか、自分が家庭に入りたくても入れないという嫉みが……

「今何を考えた?」
「いえ何も、全然、全く、これっぽっちも」

 瞬間睨まれる。
鋭い……勘も視線も鋭過ぎるだろう。
既にして物理的圧力を錯覚する程の勢いだ。
何? もしかして俺ここで亡き者にされるの?
こんなに人目のあるところでまさかそんな、と思いつつも、背中に一筋の汗が流れた事実は否定できない。
なるほど、これが殺意というものか。

「……もういい。馬鹿な話をこれ以上続けても仕方がない。もう一度書き直して明日再提出しろ」
「どうしても駄目ですか?」
「むしろ何故これが通ると思った?」
「いや、先生の願望にもマッチしてるから、その辺の勢いでこう」
「少し黙れ」

 先生の拳が、今度は鳩尾に突き刺さった。
衝撃は一瞬。でも効果は絶大だ。
比喩じゃなく腹を貫通されたかと思った。
ちょっと待って、もう痛いとか苦しいとかじゃないよこれ。
全然呼吸できないし。生まれたての小鹿みたいに足震えてるし。
本当にこの人はどうしてこんな条件反射みたいに暴力が振るえるんだよ。
仮にも国語教師なら、もうちょっと言葉の持つ力というものを信じてほしい。

「そ、それに、大学じゃなきゃ勉強できないわけでも、働けないわけでもないじゃないですか?」

 腹を抑えながら、でも一応言いたいことは言っておく。
大学に行くばかりが正解ではないというのは、自分の偽らざる本音だ。
実際、大学に行ったからと言って勉強するようになるとは限らない。
むしろ大学に行って勉強してる奴の方が珍しいとさえ聞くくらいだ。
四年間サークルだのバイトだの何だのに精を出して、適当な論文だけ書いて、それで何がどうなると?

 もちろん社会的評価というものの存在は分かっている。
大卒という肩書きの重みも知らないわけじゃない。
けれど、どうにも俺はそれに納得できないのだ。
別に大学に行くだけが人生でもないだろう。
そもそもぼっちの俺がそんな所に行って何をしろと?
俺のそんな主張にも、しかし先生はひらひらと手を振って返すのみ。冷たい。

「いいから書き直してこい。話はそれからだ」
「はぁ、了解です」
「ちなみに次もお話にならないものだったなら、私も対話を諦めるからな」
「表現が嫌過ぎる……」

 というか今までのやり取りで対話のつもりだったんだ……ある意味そっちの方が衝撃だった。
二発入れられた拳は、合いの手か何かという認識なのだろうか? 空恐ろしい話だ。
仕方なく、突っ返されたレポートを受け取り、出口へと向かう。
その背に、平塚先生の少しだけ穏やかな声がかけられる。

「比企谷、君の言うことも決して全てが間違っているわけではない。だがそれで全てを結論付けてしまうには早過ぎる。もう少しちゃんと悩んでしっかり考えてから決めたまえ」
「……分かりました」

 とりあえず頷いておく。
しかし良いこと言ってるようにも思えるけど、正直その結論を言うだけなら、俺の腹を二回も殴らなくても良かったよね?
あれですか、欲求不満か何かですか? 何でしたら良いボクシングジムでも紹介しますよ? いやまぁ良いジムも悪いジムも知らんけど。
もちろん口に出したりはしない、超怖いし。
今これ以上のダメージは命に関わる。既に体力ゲージは真っ赤だ。何なら無双乱舞撃ててもおかしくない。いやおかしいか。

 ということで、これ以上ここにいる理由も無く、またいても俺の傷が増えるだけだし、と足を引きずるように職員室のドアへ向かう。
いや、ようにっていうか、気付けば俺、完全に足を引きずって歩いてるんだけど。
ちょっとこれ、ホントにボディ効き過ぎだって。

 え? どういうこと? ガチだったの? マジでやる気だったの? 冗談きついぞ。
というかあり得ない。どんなパンチ持ってんだ、この先生。進む道間違え過ぎだろ。
今からでもプロに転向しろ、プロに。
もっとも打たれ弱いこの人がリングに上がって本当に戦えるかどうかは割と未知数だけど。

 職員室を出ると、真っ直ぐに奉仕部の部屋へと向かう。
部室の前まで到着して扉に手をかけると、抵抗は全く感じられなかった。
つまりは、いつも通り既にあいつがいるということだ。
おつかれ、と軽く言葉をかけつつ扉を開く。

 部屋の入り口から室内を覗くと、予想に違わずその人――雪ノ下雪乃が、いつもの席でいつものように雑誌を広げている姿が目に飛び込んでくる。
静かな教室の中、窓から降り注ぐ陽光を浴びて本の頁をゆっくりとめくっているその姿は、整った容姿と相まってさながら一枚の絵画のようだ。
並みの人間には、触れることはおろか近づくことさえ許されないのではないか、とすら思ってしまう。
現実にはただ本を読んでいるだけだというのに、相変わらず何をしていても様になるもんだと感心せずにはいられない。
と、俺が入ってきたことに気付いた雪ノ下が、雑誌に落としていた視線をちらとこちらに向けてくる。

「あら比企谷くん、どうしたの? いつもより暗い雰囲気のようだけど。十円玉でも落とした?」
「お前俺のテンションがそんなことで下がると思ってんのか」
「十円を笑う者は十円に泣くわよ。そもそもあなたが十円を稼ごうと思ったら、何時間働かないといけないと思っているの?」
「俺をどんだけ劣悪な労働環境に叩き込みたいんだよ、お前は」

 開口一番の毒舌にむしろ安心する。って、んなわけあるか。
相も変わらず涼しい顔で毒吐きやがって。
労働基準法を完全無視か。
世に言う社畜と呼ばれる方々でも、まさかそこまでの悪条件で働いている事もないだろう。
そんなんだったら俺は逃げるぞ。地の果てまでも。

「んで、いるのはお前だけか。由比ヶ浜は?」
「さっき来れないかもしれないと連絡があったわ。補習があるそうよ。無理して来なくても大丈夫と伝えておいたけど」
「ふーん」

 となると、今日は二人だけの部活か。
まぁそういう日もあるよな。
ぐるりと見回すと、何故か部屋ががらんとしているような気がしてしまう。
たった一人いないだけで、こうも部屋の空気が変わるものなのか。
というか、あいつの存在感がそれだけ強いってことかね。空気の俺とは大違いだな。

「それで、実際何かあったの?」

 ぱたんと雑誌を閉じてこちらに向き直る雪ノ下。
透明な視線が、真っ直ぐに俺の目を射抜いてくる。
その余りに整い過ぎた器量のせいで、ともすれば感情に乏しく見えてしまうが、もちろん実際にはそんなことはなく。
本当の所、こいつは割と人情家だったりする。
今だってまるで興味なさそうに見えて、少し気になってるのがよく分かる。
意外と少なからず心配してくれているのかもしれない。いや、それは希望的観測が過ぎるか。

 しかしホントこいつ黙ってたらまさに完全無欠だよな。何とももったいない。
毒舌が封印されたら、それこそ全校中のアイドルにだってなれるだろうに。
そんな益体も無い事を思いつつ、鞄をいつもの場所に置いて自分の席に向かう。

「別に大したことじゃないって。ただ進路調査のレポートの再提出を命じられて、その際ボディに何発かいいのをもらったってだけだ」
「惜しいわね、どうせなら頭にもらえば良かったのに」
「それは平塚先生に言ってくれ」

 というか、惜しいの意味もどうせの意味も分からない。
今更頭に数発いいのが入った程度で直る性格だと思ってんのか? 昭和の時代のテレビかよ。
それか単純に俺が痛い目にあってほしいだけという説もある。
心配してくれているというのは、やはり俺の考え過ぎだったらしい。
今日も平常運転のようで安心した。

 と、そんな俺の思考を読んだわけでもないだろうが、ふと柔らかな笑みを浮かべる雪ノ下。
思わず見惚れてしまいそうな程に綺麗で清らかな微笑。
しかし、こいつの本性を知っている俺は騙されない。
雪ノ下は、辛辣になればなるほど良い笑顔になるのだ。
端的に、俺をおちょくってる時にこそこいつの笑顔は輝くとさえ言ってもいいだろう。言いたくもないが。
そんな俺の想像に違わず、優しげな微笑みを浮かべたまま、雪ノ下は軽く皮肉を口にする。

「それにしても進路調査の再提出ねぇ。全く先生も無駄なことをするものだわ。比企谷くんが探さなければならないのは、進路ではなく退路でしょうに」
「退路を考えてくれるとはずいぶん優しいじゃねぇか。てっきりそんなの真っ先に塞がれると思ってたわ」
「……相変わらず後ろ向きにポジティブね、あなた」

 予想と違った反応をされたせいか、どこか拍子抜けな表情。
とは言え、どうしたって呆れられるのは避けられないようだ。
約束された敗北というのは何とも空しい。

「それにしても再提出って、一体何て書いたの?」
「黙秘する」
「駄目ね、あなたに人権はないわ」
「おい待て、奪うならせめて黙秘権までにしてくれ」
「それで、何て書いたの?」

 腕を組んだいつものポーズで、冷たい視線を向けてくる雪ノ下。
こいつ人の話を聞きやしねぇ。
というか、何でいちいち見下さないと話ができないんだよ、こいつは。
もっともこの点については、いつもその視線に負けてしまう俺にも問題があるのかもしれないが。
だってこいつの睨みマジで怖いし。
思わず素直に白状してしまう俺を、一体誰が責められようか。

「……今までとおんなじだよ。家庭に入りたいって書いたら何故か怒られた」
「呆れた、まだそんなことを言っていたの? いっそ消えてしまえばいいのに」
「会話の端々でさり気なく俺の失踪を望むな」
「ねぇ比企谷くん、諦めるのは良くないわ。例え合格する可能性が限りなくゼロに近かったとしても、その確率はゼロに漸近するだけで決して無くなるわけではないのよ。だからせめて今くらい叶わぬ夢を見ておきなさい」
「お前今自分で自分の言説否定したからな。叶わないって言い切ったからな」

 別に合否判定を気にしてるわけじゃないから。
そんなことを真摯な眼差しで言ってんじゃねぇよ。
何を説き伏せようとしてるんだ、お前は。
そんな俺のジト目を意にも介さず、雪ノ下は軽く肩を竦めて呆れたような声で続ける。

「大体あなた、自分で進路は私立文系って言ってたじゃない。興味のある大学だって無いわけではないのでしょう?」
「まぁそりゃ無くはないけどさ。でもあれだ、今回のは第一志望を書けって事だったし、それならこう書くしかないだろ」
「何胸を張って戯言を言っているの? 息を吸うことか息を吐くことか、どちらかだけでも止めてくれない?」
「止めてたまるか。俺はゲイラになるつもりはない」

 あの最期は悲惨過ぎるよなー。呼吸が限界に達してから破裂する辺りが特に。
しかし雪ノ下は元ネタを知らないらしく、怪訝そうな表情で小首を傾げている。
ネタの選択に失敗したか。

「とりあえずあれだ、書き直せって言われたし、今度は普通に大学名を並べていくことにするわ」
「最初からそうしなさい。この程度のことすら言われなければ分からないなんて、あなたの頭の容量は何キロバイトなの?」
「ごく自然にフロッピー以下に設定すんな。幾らなんでももうちょっとあるっての」

 わざわざキロと付け加える辺りがこいつの性格の悪さを端的に示していると言えよう。
無駄に芸が細かいというか。
一通り俺をおちょくって満足したのか、雪ノ下がふっと小さく笑ってから話を戻す。

「そもそも、大学進学って決して悪い事ではないでしょう。元よりあなた勉強自体は嫌いではないみたいだし」
「ばっかお前、ぼっちが大学デビューとかどういう事態になるか分かってんのかよ? そんなもん悲劇しか生まれねぇよ。そりゃもうハムレットも真っ青なレベルだぞ」
「戯曲家が聞いたら激怒するレベルの暴言ね」
「ん? つーかよく考えたらハムレットとか普通に友達いるじゃん、しかも身分は王子さまだし。何それ、悲劇とか言って俺よか全然マシじゃねぇのか? そんなことで不幸だとか温いっての。んな程度のメンタルで社会を生き抜いていけると思うなよって言いたいね」
「あなたも社会から脱落寸前でしょうに、何を偉そうに語っているの?」

 半眼でこちらを見てくる雪ノ下。
この負け犬が、と言わんばかりの冷たい視線に思わず目を逸らす。
気を取り直すように一つ咳払い。

「とにかくだ。キャンパスライフとか言ってそんなリア充の巣窟に一人叩き込まれてみろ、次の日には陽のあたる場所で俺を見ることはなくなるぞ」
「一日で何が起こるのよ……」

 頭が痛いのか、雪ノ下は悩ましげな表情でこめかみを軽く押さえていた。
持てる者には想像できないかもしれないが、環境の変化に希望を見出すと変な方向にブーストがかかるのが生粋のぼっちだ。
何が起こるか分からんから怖いんだよ。
一日で急転直下引きこもりにクラスチェンジなんてざらにあることだぞ。

「そもそも、始める前から諦めているのがおかしいのよ。どうせなら大学デビューを目指して派手にやらかして、そんな自分に絶望してからにしなさい、諦めるのは」
「完全に手遅れになってんじゃねぇか」
「大丈夫、その一部始終は私が余すところなく記録しておいてあげるから。きっと素敵な思い出になるはずよ」
「なるわけあるか、トラウマにしかならねぇよ。お前俺を追い詰める為に手段選ばなさ過ぎだろ」
「今のうちにHDビデオカメラを購入しておこうかしら」
「そんなことの為に散財すんな、つーか頼むから止めて下さい」

 こいつなら本気でやりかねないから怖い。
そんな記録映像を残して誰が得するんだよ。
でも何か今の話だと、雪ノ下は大学に入ってからも俺たちのやり取りは続くって思ってるわけか?
卒業したら接点も無くなって清々するくらいのこと言われるかと思ってたけど。
ちょっと意外かもしれない。

「んで? 俺のこと散々言ってくれたけど、お前はどうなんだよ?」
「私?」
「あれだけ言うんだから、さぞかし立派な進路を考えてるんだろうなぁ」

 特に深い意味はないけど、さっきまでの仕返しとばかりに踏ん反り返って言ってやると、雪ノ下はより一層好戦的な目になった。
敵意を向けられたら、より以上の敵意で返さないと気が済まないらしい。
こいつマジでアマゾネスの末裔か何かじゃねぇの? 闘争本能が強過ぎるわ。

「まぁあなたに教えてあげる理由なんてないけれど、何も考えていないと思われるのは癪に障るし、特別に話してあげないでもないわ」
「なんでそんなに偉そうなんだよ」
「と言っても、まだ検討段階というところなのだけど」

 そう言って前置きしてから、雪ノ下は地元の国立大学の名を挙げた。
面白味も何もないけど、まぁ何しろこいつは学年一位なわけだし、当たり前というか実に妥当な結論だった。

「しかしやっぱ地元狙いなんだな」
「えぇ。ただ学部はまだ検討しているところよ。法学や経済学が強い学校と聞くし、よく考えてみようと思って」
「ふーん、法学に経済学ねぇ、やっぱ賢いやつは違うわ」

 と一瞬納得しかけたところで、ふと違和感を覚える。
確か雪ノ下って国立理系を目指しているとか言ってたような気がするんだけど。
今までにも何度か直接聞いてるし。

「なぁ、雪ノ――」

 問いかけようとしたところで、ふと思う所があって動きを止める。
よくよく考えたら、国立理系という道は、正確には雪ノ下の目指す道というよりも姉の陽乃さんの通った道だった。
雪ノ下は姉が自分よりずっと優秀だと考えていて、今までずっと追いかけながらも決して追いつけず、それでも目標とし続けていて。
その希望の進路もまた、この延長線上にあったものに過ぎない。
陽乃さんのようになりたいと思っていたが故の、それは選択。
それが本当に自分の意思と言えるかというと、正直怪しい所だろう。
きっと雪ノ下自身も、少なからずそう思っていたはずだ。

 そんな雪ノ下が、改めて自分の進路について考えていると言う。
自分の道を、自分の目指すべき姿を、今改めて。
俺はこいつの家庭の事情なんて未だに何も知らないけれど。
でも、その心の変化は、きっと雪ノ下にとって良いことなんだと思う。
いつだって自信満々で、ともすれば傲岸不遜で、決して安易に周囲に迎合せず、真っ直ぐに自分の信じる道を貫く――それが俺の知る雪ノ下雪乃という人間。
同じ所で足踏みを続ける俺なんかとは、やっぱり全然違うんだよな。

 そんなことをぼんやりと考えていたのだが、妙な気配を感じて視線を動かすと、雪ノ下がやけに剣呑な目でこちらを見ていることに気付いた。
腕を組み、俺を見下すようにおとがいを上げて、冷ややかな眼差しを向けながら苛立ちを露にしている。
何だよ、どうして急にそんなに機嫌が悪くなってんだよ。

「言いかけて途中で止めないで頂戴、気分が悪いわ、まるでファーストネームで呼び捨てにされたみたいで。一体何を言おうとしたのよ」
「別に名前呼びしようとしてたわけじゃねぇよ、ただちょっとあれだ、何というか、その……」
「何? はっきり言いなさい、職質を受けている犯罪者でももう少し挙動は自然よ」
「ナチュラルに人をこき下ろすな。ちょっと気になっただけだっての。ほら、以前は陽乃さんの後を追いかけて進路を決めてたみたいに言ってたから」
「あぁ、そういうこと」

 そこで雪ノ下も得心がいったのか、ようやくこちらに向けられていた氷点下を思わせる視線が和らいだ。
おかげでこっちも一息つける。どんなプレッシャーだよ。
俺が猟犬に睨まれた野鳥のような気分でいたことなど露知らず、雪ノ下は少し遠い目をする。

「以前は確かにそうだったわね。けれど、色々あって考えを少し改めたのよ。まだ途上に過ぎないけど」
「そうか、まぁいいんじゃねぇの? その方がお前らしいわ」

 自信に満ちた、いつもの雪ノ下の表情。
それを目にして、こっちの方が安心してしまう。
こういうのもカリスマっていうのかね?
まぁ進路だの何だのは俺が口出しすることでもないし、と思っていると、ふと雪ノ下が怪訝そうに眉根を寄せる。

「ちょっと待って。それより、どうしてあなたが姉さんのことをファーストネームで呼んでるのよ、陽乃さんとか、随分親しげじゃない?」
「え? 今更それ聞くのか? いやだってそう呼んでいいって本人に言われたし。つーか他になんて呼べばいいんだよ。ここで雪ノ下さんとか呼んだらややこしいだろ」

 何か喋ってる内にどんどん機嫌が悪くなってないか? というか普通に睨まれてるんですけど。今日一の鋭さじゃねぇの、これ。
思わず一歩引いてしまう。目なんてとてもじゃないけど合わせられない。
ここで、実際のところはお義姉ちゃんを一番に推奨されたとか口にしたら、俺の命が割と危険に晒されそうな予感がする。
いやむしろ悪寒がしてる。だから言わない。
沈黙は金。けだし名言である。

 しかし何をそんなに怒ることがあるんだ? 由比ヶ浜だって陽乃さんのことは名前で呼んでるし、別に問題ないと思うんだけど。
え? ひょっとして自分の姉を親しげに呼ばれるのが気に食わないとか、そういう怒り?
それか、俺如きが他人を名前呼びとは百年早いとかそういう系? そんなひどい。
少し腰が引けているのを自覚しつつも、逸らしていた視線を戻して、ちらと雪ノ下の様子を窺ってみる。

「……」
「雪ノ下?」

 けれど、さっきまでの鋭い視線はどこへやら、雪ノ下はこちらを見向きもせずに何やら考え込んでいる。
呼びかけても無視される始末だ。
本当にこいつが何を考えているのかさっぱり分からん。
どうしていいやら分からず黙っていると、少しの間をおいて雪ノ下がまるで判決を言い渡す裁判官のように重々しく口を開く。

「……姉さんがファーストネームで呼ばれているのに、私はファミリーネームで呼ばれているというのも、少し腹立たしいわね」
「何でだよ、そんなことで怒られても知らんわ」
「勘違いしないで。別にあなたの評価なんて塵ほどの価値も興味もないわ。だけど、だからと言ってあなたなんかに私のことを軽んじられるというのは納得いかないのよ」
「無茶苦茶言ってんなお前」

 眼光鋭くこちらを睨む雪ノ下の表情には、口にした言葉のその字面以上に怒りが滲んでいる。いや何でだよ。
負けず嫌いにしても突っかかる所がおかしいだろ。ひょっとして俺に暴言吐きたいだけなんじゃないのか?
そんな俺の不満など何処吹く風と、雪ノ下は首を左右に振って、諦めたようにぽつりと言う。

「……仕方がないわね。正直全く気が進まないけれど、いっそ不愉快とすら思う気持ちもあるけれど。この際そこは目を瞑って、特別にあなたに私をファーストネームで呼ぶことを許可してあげるわ」
「どういう理由でそんなに上から目線なんだよ」
「何よ、文句でもあるの?」
「いや文句じゃなくて」

 そう、あるのは文句ではない。支障だ。
お前軽々しくファーストネームで呼べとか言ってくれるけど、俺にはハードル高過ぎるんだよ。
(一応)同姓の戸塚相手でさえ、数えるほどしか呼んだことないってのに。
と、やんわりと抵抗の意思を視線に乗せてみたのだが、受ける雪ノ下の視線は一切揺るがない。
むしろその冷たさが増しているとさえ思えるくらいだ。ホント何でだよ。

「何? 変に意識しないでくれる? 気持ち悪いから」
「だからいちいち俺を罵倒すんな」
「別にファーストネームで呼ぶくらい気にする程のことでもないでしょう。大体あなた、由比ヶ浜さんのことも結衣って名前で呼んだことあるじゃない」
「ん……まぁ、そりゃそうか」

 言われてなるほど、ちょっと納得してしまう。
確かに、別に女子を名前で呼ぶのなんて始めてのことでもあるまいし。
変に考えるからおかしくなるんだよな。
それを言ったら葉山とかどうなるんだよって話だ。
いや全く、さすがクラスの中心だよな。葉山さんまじぱねぇ。

 しかし、そう考えると少し気も楽になった。
それにまぁこんな機会でもないと、こいつを名前で呼ぶことなんてできないだろうし。
物は試しと改めて雪ノ下へと向き直る。
対する雪ノ下の方もまた、それを受けて立つとばかりに腕を組んで、不遜な表情のまま真っ直ぐにこちらに視線を向けてきていた。
視線が交差し、周囲に静寂が訪れる。

 あとは軽く名前を呼ぶだけ。
そう考えて口を開こうとして。
どうしてか身体が固まってしまう。

 一瞬の停滞。
その間も交わされる視線。
雪ノ下の瞳は変わらず真っ直ぐに俺を見据えていて。
それを意識すると、余計に身体が強張ってしまう。
胸の奥で心臓がやけに騒いでいる。
何故か分からないけれど、凄まじく緊張していた。
もう動悸で身体が揺れてんじゃないのって疑うレベル。
何? 何なのこれ? もしかして俺死ぬの?

「……」
「……」

 一瞬開きかけた口は、しかし意に反してすぐに噤まれてしまう。
よく考えたら、いつぞやの由比ヶ浜の時とは状況が違い過ぎるのだ。
あの時は話の流れがあって、むしろ名前で呼ぶ方が自然な状況になってたし、会話の勢いでさり気なく口にすることだってできたけど、今は違う。
部室に二人きり、雪ノ下と向かい合わせ、静寂の空間。
おまけにこんな思いっきり待ち構えられた状態で、しかも真正面から見据えられた体勢でとか、何段ハードル重ねてんだよ。
かと言って今更止められもしないし、そもそも目を逸らすことさえ許されない雰囲気だし、八方塞がりもいい所だ。

 駄目だ、意識するなって考えると余計に意識しちまうぞ、これ。
何も考えるなって思うと、余計に変なことばっか考えてしまう。
血の巡りが良過ぎるのか、頭がぼーっとしてくる。
おまけに、視界に入ってくるのは、沈黙を保つ雪ノ下の姿だけなのだ。思考が暴走するのもむべなるかな。
澄んだ目してるんだなーとか、睫毛長いなーとか、髪綺麗だなーとか、何かわけのわからん考えがぐるぐる回っている。
知恵熱出そうな勢いだ。
何をそんなに緊張しているのか、自分で自分が分からない。

 中々喋らない俺に痺れを切らしたわけでもないだろうが、雪ノ下の表情がぴくりと揺れる。
それが切っ掛けとなったのか、ようやく俺の口が動いてくれた。
まるで溜めに溜めた想いを吐き出すように、一言。

「……雪乃」
「……っ!」

 その名前を、ただそれだけを、確かに自分の意思で口にする。
俺が名前を呼んだ瞬間、雪ノ下の瞳の奥が大きく揺らめいたような気がした。
でもそれ以上に、俺の心の方が激しく動揺してしまい、その事実に気を回す余裕なんて全く残されていなかった。

 ほとんど反射的に俯いて、そのまま頭を抱えてしまう。
無理! これ絶対無理! こいつを名前で呼ぶとか難易度高過ぎ!
何かすげぇ心臓がばくばく言ってるし。顔とか絶対赤くなってるぞ、これ。

 つーか動揺し過ぎだろ、俺。
何でこんなに意識してんだよ、こいつの名前って魔法か何かかよ。それも自爆系の。
しかも呼ぶ時ちょっと声震えてたし、何か少し裏返ってた気もするし。
恥ずかし過ぎる……何これ、名前で呼ぶのってこんなに大変なの? リア充ってこんなのさらっとできんの?
あいつら異星人かよ。絶対頭のネジ何本か飛んでるって。

 敗北感に打ちひしがれている俺に、しかし雪ノ下からの罵詈雑言は無かった。
何なら鬼の首を取ったように俺の無様をあげつらわれるかと思ったけど。
というか、いっそ罵倒してくれた方がむしろ気が楽だよ、これ。

 恐る恐る視線を上げると、雪ノ下の絶対零度の視線が俺に向けられている――ということはなく。
いつの間に体勢を変えたのか、俺の目に映るのはその後ろ姿だけ。
雪ノ下はこちらを見ておらず、背中を向けたまま微動だにしない。
その表情は全く窺えなかった。

「……あ、あのさ」

 俺が声をかけてみると、大げさな位にその肩がびくっと動く。
え? 何? 何があったの?

「えっと」
「黙りなさい」
「いや」
「黙りなさいと言っているのよ、頭だけでなく耳までおかしくなったのかしら、全く救い難いわね、いえそもそも安易に救うつもりなんて決してないけれど」
「だから」
「本当にどうしようもない人ね。大体さっきも言ったけれど、ファーストネームで呼ぶくらいの事で一々大仰に構え過ぎなのよ。この程度の事でじたばたしていて受験の時なんてどうするつもり? 一生を左右するかもしれない試験の緊張感なんて、こんな温いものではないわよ」
「ひょっとしてさ」
「あぁでもそうね、そういう緊張感とは今まで無縁でいたからこそ進路調査でもふざけたことばかり書けてしまうのね、よくわかったわ。いい? 進路というのはそういう軽い気持ちで決めていいものではないの。もちろん私も人の事を言えるほど立派な考えを持っているわけではないけれど、今のあなたなんて論外よ論外、そもそも――」
「お前も、恥ずかしかったの?」
「っ! 何を馬鹿なことを言っているの? あなたに名前で呼ばれた程度のことで動揺なんてするわけないじゃない。もういいわ、よく考えたら今は依頼も来ていないし、そもそも由比ヶ浜さんもいないわけだし、今日の活動は止めにしましょう。じゃあそういうことでさよなら、悪いけれど戸締りはよろしくお願いするわ」

 立て板に水といった感じで捲し立てるように早口でそう言い残すと、雪ノ下はぱっぱっと周囲を片付けて、鞄を手にとって風のように教室を出ていった。
結局、あれから一度も俺の方を見ることもなく。
故に、俺はあいつがどんな表情をしていたか、全く分からなかった。
でもそれで良かったと思う。
というかそうでなかったら困るくらいだ。
俺の表情もまた見られずに済んだわけだから。

「あぁよくわかった、俺はリア充なんて一生なれないんだな」

 こんなことさらっと毎日やるとか絶対無理だろ。
身体が持たんわ。
そう考えるとあれだな、葉山とか普通に凄いよな。
羨ましいと言うよりももう普通に尊敬するぞ。

 ため息をつきつつ、窓の外へと目をやる。
空はどこまでも晴れ渡っていて、遠く運動部の掛け声が響いていた。
あぁ、今日も皆が青春を謳歌しているのだろう。
全く自分には場違いな空気だ。

「……俺も帰るか」

 重い体を動かして鞄を手に取り、鍵を片手に部屋を出る。
戸締りを忘れたら、また明日何を言われるかわかったものじゃないし。
しっかり鍵をかけて職員室に向かう。
本当にもう、俺の青春ラブコメはいつ始まるんだろうね?

ということで、今日はここまで。
ヒッキーとゆきのんの恋愛未満って感じのやり取りが大好きです。
原作ではガハマさん優勢かもですが、逆転を期待してます、ホント。

今後ですが、別に長編ってわけじゃなく、ちょこちょことオムニバス形式で書いて行けたらいいなあ、とかぼんやり考えてます。
次の話がいつになるかとか全然確約できませんが、また随時状況報告はスレでしていくように心がけます。
気長にお待ち頂ければ幸いです。

読んで頂いて感謝です。
次の話もちょこちょこ書き始めてます。ガハマさん出さないと!

改行、開け過ぎると何か間延びしそうで怖かったんですが、もうちょっと開けた方がいいのかもしれませんね。
少し意識してみます。

どういう最後にするかは考えてますが、そこまでの流れはまだまだふんわりしてます。
ちょっとラブったり無駄にコメったりしながら日常的な話をつらつらと書いていきたいなと。
原作がちょっと不穏な感じなだけにSSの中くらい平穏に流れてほしいんですよねー。
ゆきのんには幸せになってほしい。

こんばんはです、期待の言葉に感謝!
②ですが、今で進捗率50%くらい……週末を目標にしてますが、平日は色々忙しいのでまだ断言はできない状況です。申し訳ない。
書きたいシーンもあるしもうちょっと頑張ります。

②ではガハマちゃんも活躍するよ!
さいちゃんの出番はまだ未定だけど。
しかし良いキャラが多くて好きだわー、この作品。

どうもです。
やっとこさ九割方書けました。
後は仕上げと見直しをやりつつって感じで、この調子なら土日のどっちかには上げられるかなと考えてます。
ただ最近暑くなってきて、集中力が続かんのが……

行間については、皆さん色々意見あるみたいで正解はないのかなと思い、自分の慣れた書き方で行きたいと思います。
多少なり見易くなるように気を使うようにはしますので、どうぞよしなに。

しかし八雪の絡みはいいよね。
乙女なガハマさんも可愛いし。
8巻が早くでてほしいもんです。

やっはろー、夜だけど。
お待たせしまして。
ということで②上げてきます。

もうちょっと校正してもと思わんでもなかったんですが、まぁ切りが無いのでこの辺でと。
ガハマちゃんマジ乙女。
ゆきのんマジ天使。
アニメの方も佳境だし、まだまだ楽しみが多くて何よりです。

② 決然たる意思で、由比ヶ浜結衣はその壁に手をかける


 代わり映えのしないチャイムの音が、校内に遠く響き渡る。
授業の終了――というか放課後の始まりの方が意識としては近いか――を告げるその音を聞いて、教室にいる生徒たちは皆一様にその表情に喜色を滲ませている。

 一方で俺はというと、こんな時でも平常心を忘れることはない。
否、皆が浮かれ騒ぐ時にこそ、その存在感を抑えることが肝要なのだ。
学校行事のあれこれで地に落ちた、どころか更に穴を掘って地中深く潜り込んでいるとさえ言われている俺の評判だが、最近はやや落ち着きを取り戻すことができている。
あるいは、ただ皆が飽きたってだけなのかもしれないけれど。

 とはいえ、過ごし易くなったということに間違いはないのだ。
あとは、それを引っ繰り返さないようにすることを心掛けるのみ。
どうあれ目立てば無用な軋轢を生みかねない下地は変わっていないのだから、大人しくしていた方がいい。
その方がきっと、誰もが穏やかに過ごせるはずだ。世はなべてこともなし。

 さて、そうと決まれば話は早い。
可及的速やかに撤退の一字あるのみである。

 静かに、しかし素早く。
急ぎつつも、されど動きは最小限に。
机の上を片付けて、鞄の中に荷物を詰めて、すっと立ち上がる。
流れるような動作に隙はない。
比企谷八幡はクールに去るぜ。

「あ、八幡、これから部活?」
「お、おぅ」
「ぼくも部活なんだ。大会も近いし頑張らないと。じゃあまた明日ね」
「あぁ、また明日、な」

 いつの間に傍まで来ていたのか、戸塚が俺に声をかけてきて、それから輝くような笑顔でぶんぶんと手を振りながら教室を出ていった。
対する俺はというと、茫然と見送ることだけしかできず。
振り返そうと上げかけた手に至っては、ぼんやり宙を掴むのみだった。

 見事なまでに中途半端。
静かでも素早くもなく、流れは澱み、クールでもない。
何だ、いつも通りの俺じゃないか。
そんな時間をかけたつもりはないんだけどなぁ。
とはいえ、戸塚の笑顔が見れたからもう何でもいいか。
思い返して少し癒される。戸塚さんマジ天使。

 さて、改めて気を取り直して席を立つ。
向かうはいつも通り奉仕部の部室だ。
というか、他に行く当てなんてないわけだが。

「おつかれー」

 声をかけつつ扉を開けると、部屋には既に雪ノ下がいた。
いつもの席に腰掛けて、本を広げて読書の真っ最中だ。
俺が部屋に一歩踏み出すと、ちらと視線を上げてこちらを見てくる。

 しかし俺も授業が終わって真っ直ぐにここに来たはずなのに、何で既にくつろぎモードに入ってるんだ、こいつは。
どんだけ瞬発力高いんだよ。
何? チャイム鳴った瞬間にクラウチングスタート切ってんの? 陸上の星にでもなるの?

「遅かったわね」
「お前が早過ぎるんだよ」
「愚鈍なあなたを基準に考えないで頂戴、失礼だわ」
「まずお前が俺に対して失礼だという発想はないのか?」

 挨拶代わりのやり取りを挟みつつ、鞄を置いて俺も文庫本を取り出す。
今日も今日とて、やることは変わらない。
同じくいつもの席に座り、栞を挟んでいた頁を開いて読み始めようとしたのだが。

「……」

 ふと視線を感じて、横目でちらと窺う。
何か知らんが、雪ノ下がこちらをじっと見ていた。
黙ったまま、微動だにせずに、じっと。

 相も変わらず精緻な人形のように整ったその相貌からは、表情も感情も読み取れない。
普段は俺の事なんて、道端を歩くアリよりも興味無さそうなくせに、今日に限ってどうしてまたそんなに注視してらっしゃるのでしょうか。
今日のここまでのやり取りに引っかかるような所はなかったと思うんだけど。

「雪ノ下?」

 何となく落ち着かなくなり、呼びかけてみる。
人間観察を常としている俺ではあるけれど、観察される側に回ることは滅多にない。
見るのはともかく、見られるのには慣れていないのだ。

「……」
「な、何だよ」

 呼んだ瞬間、雪ノ下の目がすっと細められた。
無言で睨まれるとちょっと怖いんですが。
整い過ぎている容姿というのは、それだけで凶器に近い。
微笑みを見せられれば心を奪われ、睨みを受ければ自由を奪われる。
一介の男子高校生が相対するには、あまりにも荷が重いのだ。

「……雪ノ下、ね」
「?」

 聞こえてきた小さな呟きに、一瞬何を言ってるのか分からず戸惑ってしまう。
が、次の瞬間思い当たった。
まさか、つい先日の名前呼びの話まだ続いてたのか?

 いや待ってくれ。
それはもう、さすがに勘弁してほしい。
雪ノ下からすれば大したことではないのかもしれないが、こっちはそうは行かないのである。

 あの時に思い知ったのだ――俺にとって、名前呼びのハードルが如何に高いのかを。
今だって、ちょっと想像してみて、それだけで心拍数が上昇する始末だ。
実際に口にしたら、それこそまた赤面して、いたたまれなくなってしまうこと請け合いである。

 そもそも、そんな風に馴れ馴れしく振舞えるような間柄でもあるまいし。
手の届かない所で咲いているからこそ、高嶺の花と呼ばれるのだ。
間違っても、俺なんかが軽々しく触れていいものではない。
地を這う蛙が月に焦がれたとして、一体何ができようか。
眺めているだけで満足しとけ、という話である。

 触れられるほどには近くはなく、見えないほどには遠くもない。
そんな距離にある事が、きっと今の俺たちにとって一番良いんだと思う。
ヤマアラシのジレンマではないけれど、今更距離感に頭を悩ませる必要なんてないはずだ。

 なので、何も言わない。
断固たる意志でもって読書を再開する。
ちくちくと視線は刺さってくるけれど、敢えて無反応を貫く。
雪ノ下の負けず嫌いは百も承知だが、こればっかりは譲ってもらわないと困る。

 そんな俺の意思が通じたのか、雪ノ下は聞こえよがしにため息をついてから、視線を改めて手元の本に戻した。
かかっていたプレッシャーが去り、俺の体もようやく緊張から解放される。
俺も盛大にため息をつきそうだったけど、そんなことしたらまたややこしいことになりかねないので、そこは忍耐の一字だ。

 本当にこいつは、もう少し自分の挙動が周囲に与える影響について自覚してほしいね。
こいつの思わせぶりな仕草に、これまでどれだけの男子が涙を流してきたか、全く想像に難くないというものだ。
思春期男子の勘違いし易さをなめるなよ。

 とは言っても、あまり自覚し過ぎるのも困りものではある。
だって、それこそ雪ノ下が陽乃さん化するだけなのだから。
何しろあの人、本当に自分の魅力を完全に理解して使いこなしてるっぽいし。
免疫の無い男子なんて、手玉に取られていることすら悟れまい。材木座とかが良い例だ。

 あそこまで達せられる位なら――うん、今のままの方がむしろいいのかもしれない。
実に悩ましいものである。

「やっはろー!」

 微妙な空気が流れること暫し。
そんな空間をぶち壊したのは、最近では耳慣れた感のある明るく陽気な声だった。
勢い良くドアを開けて入ってきたのは、由比ヶ浜結衣――奉仕部のもう一人のメンバーだ。

 普段はちょっと煩く思ってしまうこともあるんだけど、この時ばかりはちょっと感謝した。
ちょこちょこと部屋に入ってくる由比ヶ浜に、雪ノ下が微笑みを向ける。

「こんにちは、由比ヶ浜さん」
「ゆきのん、昨日来れなくてごめんね」
「気にしないで、あの男と二人きりだったこと以外に問題はなかったから」
「あはは、ゆきのんってばもー」

 その言葉が俺にとっては割と問題なんですが。
もっとも空気を読めることに定評のある八幡くんは、そんなことを口に出すような愚は犯さない。
あとどうでもいいけど、池上って話の中でそこまでディフェンス凄い描写なかったよね。

 仲良さげに会話を交わしている二人。
しかし雪ノ下も、由比ヶ浜に対しては結構自然だよな。
こうして外から見てる分には、普通に仲の良い女子高生同士にしか見えん。
あんな柔らかな表情、俺に対しては痛烈な皮肉を言う時くらいしか向けてこないけど。

 少しして、ポットから湯が沸いたことを知らせる音が聞こえてきた。
いつの間にやらティータイムの準備まで進めていたらしい。
相変わらずそつがないというか。貴女どれだけ手際が良いんですか。

「あ、お湯沸いたね、おやつにしよー」

 明るい声で言いながら、ぱっと由比ヶ浜が立ち上がり、自分の鞄の方へと向かう。
と、歩くその背に雪ノ下が待ったをかける。

「由比ヶ浜さん、今日はクッキーを焼いてきたの。良かったらどう?」
「え? ホント? やった!」

 紅茶の茶葉を用意しながら雪ノ下が口にした言葉に、由比ヶ浜が敏感に反応した。
飛び跳ねんばかりの勢いで向き直り、主に呼ばれた犬が如く俊敏に雪ノ下の傍へ駆け寄る。
元気ですね、ホントこの子。

「私の鞄に紙袋入ってるから、それ取り出してくれる?」
「おっけー、任せて」

 話をしつつも、流れるような手際の良さで紅茶の準備を進める雪ノ下。
誰が見ている訳でもないのに、指の先まで神経を使っているかのように、動作の一つ一つがいちいち綺麗で細やかだ。

 気品ってこういうのを言うんだろうなぁ。
それこそ生まれ持った素養というか。
小町が紅茶淹れても、絶対こんな風になんないもんな。

「何をしているの? ぼーっとしてないでお皿の準備くらいしたらどう?」

 ぼんやりと、つい先日の適当に紅茶を淹れていた際の小町の粗雑な振舞いを思い起こしていたところに声をかけられ、少しびくっとしてしまう。
視線を向けると、雪ノ下が手を止めて冷ややかな目で俺を見ている。
まさか俺に声をかけてくるとは驚いた。

「え? 俺?」
「何を動揺しているのよ、少しは手伝おうという姿勢くらい見せなさい。まぁいらないのなら別にいいけど」
「あれ? 食べていいの? てっきりお前ら二人だけで楽しむもんかと」

 思わず本音を零すと、深いため息で返された。
どうでもいいけど、今日はため息多いですね、幸せが逃げますよ。

「そんな仲間外れみたいな真似はしないわよ、あなたも奉仕部の一員なんだから。非常に不本意ではあるけれど」
「惜しい、最後の一言がなければ良い台詞だった」
「それで、どうするの?」
「いやもちろん手伝うに決まってるって。ぜひご相伴に預かりますって」
「無理に食べなくていいのよ」
「んなわけあるか、折角なのにそんな勿体ない。前にお前が作ったクッキーもすげぇ美味しかったし」

 由比ヶ浜の依頼で動いた時のことを思い出す。
あの時、お手本として雪ノ下が作ったクッキーの味は最高だった。もう普通に店に出せるレベル。
ちなみにその時由比ヶ浜が作ったモノは、違う店でなら出せるかもというレベルだったけど。ホームセンターとか。

「そう、まぁ一応褒め言葉と受け取っておくわ」
「いや、今の言葉をどうしたら褒め言葉以外に受け取れるんだよ、お前は」

 俺の言葉だけ謎のフィルターにかけようとするの止めてくれない?
褒める時くらい俺だって素直に褒めるわ。多分。

 それから俺も手伝って、机の上にクロスを敷き、皿やカップを並べていく。
由比ヶ浜が俺用にと紙コップも取り出してくれた。
ちなみに、それらはいずれも雪ノ下が自分で持ってきた私物だ。
何か最近加速度的にここが何をしている部なのか分からなくなってきてる感があるな。依頼も来ないし。いいのかこれ。

 そんな疑問はとりあえず脇に置き、ありがたくティータイムと洒落込む。
早速、皿の上から一枚とって口に放り込んだ。
と、程良い上品な甘さが口一杯に広がる。

「おぉ、やっぱりすげぇ美味い、もう最高」
「ホント、何でこんなに美味しく作れるの? ゆきのんやっぱすごい」
「そう言ってもらえるのは嬉しいわね、でも特別なことなんてしてないわよ、レシピ通りに作っているだけだもの」

 やはり由比ヶ浜の感想は素直に受け取るらしい。格差社会反対。
ここで不用意にツッコんで食べられなくなっても困るので黙っておくけど。

「んー、だけどあたしが作っても絶対こうはなんないし。何でかなぁ?」
「変な隠し味とかに挑戦するからじゃないかしら?」
「最近はしてないよ」

 ああでもないこうでもない、と話す二人を見ながら紅茶を一口。
鼻腔を擽る香りも、口の中にほわっと広がる爽やかな味わいも、普段家で飲むそれとは余りにも違う。
銘柄とかは分からないけど、多分これも相当いい物なんだろうなぁ。
さておき、このまま二人の様子を見てても別にいいんだけど、とりあえず思ったことを口に出してみる。

「いや、レシピ通りに作るってのが結構難しいんだと思うぞ、特に由比ヶ浜にとって」
「何? ヒッキーってば、あたしがレシピも読めないとか思ってんの?」
「違う、正確さっつーか再現性の問題だってことだよ。俺だって菓子作りとかできないしな、料理は多少できても」
「はぁ? 意味分かんないし。どういうこと?」
「菓子を作るってのは、料理作るのとは全然違うんだよ。菓子作りはとにかく正確にやんなきゃなんないの。三分かきまぜろって書いてたらきっちり三分間一定の強さでかきまぜなきゃ駄目だし、砂糖十グラムって書いてたらちょっとのズレも駄目、一ヶ所でも間違えたらもうアウト、っつーくらい厳しいもんなの」
「えー、何それ、そんなにややこしいこと本にも書いてなかったよ?」
「そりゃそこそこの出来でいいんならな。でもお前が雪ノ下レベル目指すってんなら話は別だ。それこそ秒単位ミリグラム単位でもズレが許されないと思うくらいでちょうどいい」

 実際、雪ノ下だからこそ、ここまで美味しい菓子が作れるんだと思う。
正確で几帳面で丁寧で、まぁ菓子作りにこれ程向いてる性格もないだろ。
あとは体力さえあれば、カリスマパティシエにだってなれるに違いない。別になりたいとは思わんだろうが。

「別に私も、そこまで几帳面にやっているわけではないわよ」
「例えだ例え。分かり易いだろ」
「うわー、そんなの絶対無理」

 意図通り俺の思いが伝わったらしく、かくんと肩を落とす由比ヶ浜。
うーん、ちょっと言い過ぎたか……でも、間違っているとは思わないんだよな。
というか雪ノ下が別格過ぎるだけとも言えるけど。
ホントどんだけ規格外なんだよって話だ。

「別に、そこまで菓子にこだわんなくてもいいんじゃないのか?」
「うぅー、だってまだ美味しいお菓子作ってあげれてないし……」

 俺に聞こえないようにか、ぼそぼそと小声で由比ヶ浜が何か呟いている。
どうも譲れない何かがあるみたいだけど。
何となくフォローしないといけない雰囲気を感じて、深く考えずに代替案を口にする。

「どうせチャレンジするなら、普通の料理の方にしてみたらどうだ? そっちの方がまだしもお前には向いてると思うぞ」
「え? そう?」
「途中で失敗しても後からリカバリー可能だし、そこまで正確さ要求されないし、オリジナリティとか発揮させやすいし、レシピとの違いがあってもそれが個性になったりもするしな」

 実体験からだ。伊達に何年か食卓を任されちゃいない。
そんな俺の言葉に、由比ヶ浜が顔を上げてきらきらした目をこちらに向けてくる。復活はえぇ。

「そ、そっか。じゃあさ、ヒッキーはあたしが料理作ったら食べてくれる? あ、味見としてだよ、味見として」
「そりゃ、まぁ食べていいってんなら、ありがたく頂くけど」

 そんな目で見られたら、否定の言葉なんて口にできるわけもない。
まぁ、よっぽどでない限り、そこまでひどい失敗はしないと思うし……だよね?
ちらと雪ノ下に視線を向けると、ふいと逸らされた。
え? もしかして俺、早まった?

「そうだ、ゆきのん!」
「な、何?」

 由比ヶ浜の声に、びくっと雪ノ下が過敏に反応する。
珍しい、内心少し後ろめたかったんだな。
由比ヶ浜は気付いてないみたいだけど。

「今度一緒にお料理しようよ」
「え? 一緒に?」
「うん、できればお料理も教えてほしいなって、その、できたらでいいんだけど」

 指をくにくにさせつつ、上目遣いで尋ねる由比ヶ浜。
その真っ直ぐな視線を向けられた雪ノ下はたじたじだ。
こういう風に直球で来られるのに慣れてないんだよな、ぼっちって。分かる分かる。

「駄目、かなぁ?」
「い、いえ、そんなことはないわよ」
「ホント? じゃあ」
「そうね、週末にでも家に来る?」
「やったぁ! ゆきのん、ありがとう!」

 由比ヶ浜はぱっと満面の笑みに変わると、そのまま雪ノ下に抱きついた。
見慣れた光景である。俺が蚊帳の外になってるところまでセットで。
うんうん、仲良きことは素晴らしきかな。
一人で感嘆していると、雪ノ下がこちらに冷ややかな視線を向けてくる。

「何を遠い目をしているの、あなたも来るのよ?」
「え? マジで?」
「当然よ、枯れ木も山の賑わいと言うでしょう」
「言うけど、この場合の例えとして使ってほしくなかったね」

 誰が枯れ木だよ、もっと適切な言葉を使えっての。
言いたいことが分かるだけに微妙に腹が立つ。
事あるごとに俺をディスり過ぎだろ、お前は。
常に機会窺ってんじゃねぇよ。

「うん、ヒッキーもよろしくね」
「お、おう」

 と、由比ヶ浜は輝かんばかりの笑顔をこちらにも向けてきた。
思わずどもってしまったのも仕方のないところだろう。
そんな無防備な表情を見せられると、その、何だ、困る。

「気をつけて由比ヶ浜さん、比企谷くんの目の澱みが悪化しているわ、狙われているわよ」
「ひでぇ言い草だな、おい」

 何で雪ノ下が言うんだよ、いや由比ヶ浜に言われるんならいいって意味ではなく。
全く、ちょっと動揺しただけでこれだ。
本当に俺のトラウマをさり気なく刺激するのが上手い奴だと変に感心する。

 と、そんな感じでなし崩しに週末の予定が確定してしまった。
なお、結局今日も依頼は一件もなかったんだが、これでいいのだろうか? 奉仕部って。
顧問も碌に顔を出さない時点で、まぁ推して知るべしではあるけど。

と、すいません、今日はちょっとここまでということで。
また明日続きを上げますので。
まだ半分くらいだよ……予想以上に時間がかかるなぁ。
乙女なガハマちゃんはもうちょっと先で。

デレのん、書きたいですねぇ。
でもあんまりストレートにデレるのも何か違う気がしてしまうというか。
きっとこの子、物凄く分かり難くデレるんだと思うんですよ。まぁ偏見かもですが。
そういうややこしいところも可愛く感じてしまう辺り、割と自分も重症だなと思いますw

ではまた明日に。

やっはろー、お待たせして申し訳ない。
そろそろのんびりと続き上げてきます。
まったりお付き合い頂ければ。

 時は流れて週末。
ぼっちの俺の日常に、特筆すべき点などあるわけもない。
夏休みに日記の宿題があった小学生の頃、正直に朝起きてご飯食べて宿題やって本読んでご飯食べて寝た×四十日をやったことだってあるくらいだ。
もちろんその後は皆の前で晒し者にされた苦い記憶である。

「ゆきのん、来たよー」
「今開けるわ」

 由比ヶ浜と待ち合わせをして、合流した後は真っ直ぐに雪ノ下のマンションへ。
なお料理に使う食材は、雪ノ下が事前に準備してくれるという。
予め作る料理を決めておくことでリスクを回避しようという意図が読み取れる一幕だ。雪ノ下さんマジ策士。

 到着してインターホンを押して待つこと暫く。
オートロックの扉が開き、由比ヶ浜と並んでマンション内へとお邪魔する。

「いつも思うんだけど、オートロックって廊下こんなに開いてたら意味ないんじゃないのかな?」

 以前来た時と違って余裕があるからか、歩きながらきょろきょろと周囲を見回している由比ヶ浜。
まぁ言いたいことは分かる。
だけどお上りさんでもあるまいし、あんまり不審な動きは止めてほしい。

「オートロックに不審者対策効果はあまり期待されてないだろ。ただ変な勧誘はガードできる。これがでかいんだと思う」
「変な勧誘? 新聞とか?」
「そういうのもあるけど。何よりあれだ、宗教か詐欺か知らんが変なこと吹き込んでくるやつ。一度家に来た時に相対したことがあるが、あいつら人間じゃねぇ。俺の顔見て悪い物が取り憑いてますって躊躇う事なく言い切ったからな」

 その後はお定まりの流れで、変な壺か何かを売りつけようとしてきやがった。
普通そういう時って、家に変な物が憑いてますとか言うだろ。人の顔を何だと思ってやがる。
もちろんその場で110番ちらつかせて追い出しましたが何か?

「あ、あはは、相変わらずだね、ヒッキー」

 由比ヶ浜さんは引きつった笑みを浮かべるだけで、全然フォローしてくれませんでした。
まぁ慣れっこだから気にしない。

「他人事みたいに考えてるけど、お前ぽわぽわしてて騙されやすそうだから気をつけとけよ」
「うん、ってあれ? あたし心配されてるの? 馬鹿にされてるの?」
「馬鹿だから心配なんだよ」
「何それ、ちょっと腹立つんだけど」

 ぷくっと膨れる由比ヶ浜だが、こればっかりは至極妥当な心配だと思うぞ。
きっと雪ノ下も賛成してくれる。その後で俺を追撃して撃墜するオマケ付きで。
何なら俺を攻める方がメインになってる可能性もあるくらいだ。
しかし、あいつは想像の中でさえ大人しくしてくれないのか――

 それからも暫くジト目を向けていた由比ヶ浜だったが、エレベーターを下りて雪ノ下の家の前に着いた頃には、もう笑顔に戻っていた。
良い意味で切り替えが早い子である。
こういう所も人気の理由なんだろうなぁ。

「ゆきのん、やっはろー」
「こんにちは、由比ヶ浜さん」
「おっす」
「何? 挨拶もまともにできないの?」

 恒例の由比ヶ浜の熱い抱擁は素直に受け入れたのに、後に続く俺には氷点下の視線が送られました。
何この温度差、俺の心を割りたいの?
雪ノ下的に、やっはろーは挨拶に入るけど、おっすは入らないらしい。
死ぬほど無駄な知識が増えて、喜びのあまり涙が出るわ。

「……コンニチハ」
「はいこんにちは、よくできたわね」

 褒めんな。

「この調子なら、根気よく教えれば単純労働くらいはマスターできるかしら」
「おい、褒めるならせめて最後までその姿勢を貫け」

 上げて落とすとか、笑いの基本に忠実に動きやがって。
お前は出たての芸人か。

「それじゃあ時間ももったいないし、早速始めましょうか」
「おっけー、がんばろー」

 玄関先での微笑ましいやり取りもそこそこに家の中へ。
リビングに通されて待つこと暫く、奥の部屋から雪ノ下がエプロンを身に着けつつ戻ってきた。
いつぞや買っていた黒い生地のエプロンだ。
相変わらず似合い過ぎな程に似合っている。
髪も後ろで一つにまとめていて、普段と少し違う姿にちょっとどきっとしてしまう。

 横に視線を移せば、同じくエプロンを鞄から取り出して装着している由比ヶ浜。
こちらはこちらで、雪ノ下から誕生日プレゼントにもらったものを持ってきたらしい。
見立て通りというか、可愛い感じのそれは、由比ヶ浜にとてもよく似合っていた。

 同級生たちのちょっと家庭的な姿にドキドキしている俺の心中など露ほども気にせず、二人は揃ってダイニングに並んで動き始めている。
パーフェクトに無視されるのは別にいつものことだから気にもならんけど、これ俺がいる意味あるのか?
これならまだ買い出しにでも行かされた方が気が楽だぞ。
手持無沙汰に茫然としていると、雪ノ下がちらと視線だけこちらに流してくる。

「突っ立ってないでソファに座ったら? 必要があれば呼ぶから、それまでは好きにしてていいわよ」
「お気遣いどーも」

 折角のご厚意なので、言われるがままソファに腰を下ろすことにする。
と、身体がふんわりと沈みこんでゆく。何これ、柔らけぇ!
包み込まれるような安心感に、思わず脱力してしまう。
自分の家のソファとのあまりの違いに愕然としてしまった。
他人の家に来てこんなにくつろぐのもどうかと思わないでもないけど、家主の了解も得てるわけだし、まぁいいかとその安らぎに身を委ねる。
油断してると、このまま寝落ちしてしまいそうで少し怖い。

「それで今日は何を教えてくれるの?」
「そうね、手頃と思われるもののレシピを用意しておいたわ」

 好きにしろとは言われたが、そうそう勝手な真似もできないし、そんなことしたら何を言われるか分かったものではない――というか分かりきっていると言うべきか。
なので、大人しく座ったまま、何とはなしに二人の方へと視線を向ける。
何を作るかあっさり決まったのか、早くも二人は調理に取り掛かっていた。
材料を取り出し、レシピを見ながら、雪ノ下の指導を受ける由比ヶ浜。

 時折危なっかしい感じはあるものの、思ったよりも手際は悪くないように見える。
少なくとも、あのクッキー作りの時と比べれば雲泥の差だ。
もしかしたら、家でも結構練習していたのかもしれない。
雪ノ下の教えに素直に答えて、真剣な眼差しで調理に取り組んでいる姿に、気付けば意識を奪われていた。

 料理は技術以上に気持ちが大事だとは言うけれど、その点で考えると、今日の由比ヶ浜はばっちり合格だろう。
真剣に、真摯に、素直に。
その姿勢に感心せずにはいられない。
感嘆せずには、いられない。
一生懸命に何かに打ちこむ姿は、それだけで人の心に響くものがある。
そういえば、由比ヶ浜ってこういう風に一生懸命になれるやつだったんだよな。修学旅行の時も――

「ヒッキー! ヒッキーってば!」
「お、おぅ」

 ぼーっとしていたつもりもないんだけど、つい反応が遅れてしまった。
はっと我に返ると、由比ヶ浜が怪訝そうな目でこちらを見ている。
そこでようやく自分が呼ばれていると気付いて、慌てて立ち上がりダイニングの方へ向かう。

「どしたの? 寝てたの?」
「不躾にも程があるわね、初めて訪れた他人の家でも平気で寝られるなんて。恥の概念すらないのかしら」
「まず初めてじゃないだろ、この家に来るの。さり気なく記憶から追い出すの止めろよな」

 これで、家から追い出されないだけまだマシか、と思うようになったらいよいよ末期なので気をつけないといけない。
しかしまぁ、好きにしてていいと言ってたくせにこれである。
全くもって油断も隙もない。
いやまぁ今回油断も隙もあったのは俺の方なわけだけど。

「でも、何かぼーっとしてなかった?」
「いや悪い、すごい頑張ってるなーってずっと見てたから」
「え? 見てたの?」
「あぁ、何ていうか、すごい真剣だったしさ、ちょっと感心してた」
「わ、わ、そんな……」

 正直に言ったところ、由比ヶ浜がちょっと焦ったような声を上げた。
少し頬を朱に染めつつ、手を顔にやって、首を左右に振りながら視線を彷徨わせている。
それだけ見れば非常に可愛らしい仕草なのだが、まず自分が今何をやっていたのかを思い出してほしい。

「由比ヶ浜さん! 菜箸菜箸! 危ないわよ!」
「あ、ご、ごめんねゆきのん」

 珍しく慌てた様子の雪ノ下の言葉に、由比ヶ浜もはっと我に返り、振り回す格好になっていた菜箸をまな板の上に戻す。
それを見届けてから、雪ノ下がじろりとこちらを睨んでくる。
何でだよ、別に俺が悪いわけじゃない――こともないのか?

「変なこと言って悪かったよ。で、何かあったのか? まさかド派手に失敗かまして後片付けの手伝いが必要とか?」
「べ、別に変なことじゃ……っていうか派手に失敗って何!? ヒッキーはあたしの料理の腕を馬鹿にし過ぎ!」
「いや、それくらいしか俺を呼ぶ理由が思いつかなくて」
「もう。違うって、味見に決まってんじゃん」

 呆れたように言いつつ、びしっと俺の方を指差す由比ヶ浜。
とりあえず人を指差しちゃいけません。小学校で習ったでしょ。

「ふふーん、これは結構いけてると思うよー。はいヒッキー、食べてみて」
「え? いや、ちょっと」

 俺の視線を爽やかにスルーして、由比ヶ浜は自信満々な様子で、楽しそうに小皿に乗せた料理を箸で小さく取り、俺の方へと向けてくる。
無邪気に自然に行われるその行為に、こっちの方が動揺してしまう。
いやいや、何でそんなナチュラルに俺如きに手ずから食べさせてくれようとしてんの?
それとも俺が間違ってるの? こういうのって当たり前なの? 調理実習とかでよくある風景? そんなの知らないって。

 そんな風にあたふたしている間にも、箸先は俺の口元に迫ってくる。
楽しげな由比ヶ浜の笑顔には、しかし相変わらず疑問のぎの字も窺えない。
ただ当たり前のことを当たり前にしているが如くだ。
その表情を見ていると、意識している俺の方が阿呆らしく思えてきて、もういいやと口を開いてそれを受け入れることにする。

「んぐっ」
「ね、どう? どう?」

 勢い良く突っ込み過ぎだ、ちょっと刺さったぞ。
そんな俺の抗議の視線もやはり無視したまま、由比ヶ浜がきらきらした目で尋ねてくる。
まぁ由比ヶ浜にとっては、いつぞやのリベンジも兼ねてるわけだから、高揚するのも仕方ないのかもしれない。

 さておき、あまりに真っ直ぐな目を向けられて、こちらも毒気を抜かれてしまった。
ということで、俺も口に入れられたそれを素直に咀嚼して味わってみる。
飲み込んでから、これまた素直に感想が口をつく。

「意外だ、美味しい」
「一言余計だし!」
「あぁいや悪い、何というか以前のクッキーのイメージが残っててさ。良い意味で期待を裏切ってくれたなーって感じで」
「もう、どうせなら普通に褒めてよ」
「まぁ比企谷くんにデリカシーが無いのは厳然たる事実にしても、確かにそう思うのも無理からぬところではあるわね」

 一応俺を援護してくれる雪ノ下。
でもそれなら前半部分はいらなかったよね。こういう所では本当にこいつはぶれない。
何にせよ二対一の状況になってしまったせいで、由比ヶ浜がぷくっと膨れる。

「ゆきのんまで……」
「そうは言うけど由比ヶ浜さん、今日だってここに至るまでに、どれだけの回り道があったかを忘れたわけではないでしょう?」
「えーっと、うん、それはありがとうだけど」

 少し難しい顔をしながらの雪ノ下の言葉に、ちょっとトーンが下がる由比ヶ浜。
あぁ成程、やっぱり今日も結構苦戦してたんだな。
外から見てたから気付かなかったけど。
よく見ると、雪ノ下の表情には確かに疲労の色が滲んでいる。

 ちらと流しの方に目をやると、結構な惨状だった。惨状っつーか戦場?
今日これまで如何に大変だったかが容易に窺えるな。雪ノ下も大変だっただろう。
とは言ってもだ。

「でも、それだけ頑張ったってことだろ。今すぐに雪ノ下レベルまでなろうったってそりゃ無茶だけどさ、今日一日だけで凄い上達したってことだし。胸張っていいと思うぞ」

 なぁ、と雪ノ下に視線を向けると、そうね、と頷いて返してきた。
良かった、さすがにこのタイミングで俺を罵倒はしないでくれたよ、やったね。

「比企谷くんの言う通りよ。正直最初は道具の使い方も危なっかしかったけれど、大分慣れたんじゃない? この調子なら上達も早いと思うわ」
「そ、そうかな。えへへ、ありがと」

 数回瞬きを繰り返して、俺たちの言葉の意味をのみ込むと、由比ヶ浜は嬉しそうにはにかんだ。
見ているこっちも照れ臭くなるような、明るくて真っ直ぐな笑顔。
普段なら皮肉の一つも口にするところだけど、さすがにこの場で水を差すほど野暮なこともないだろう。
たまにはこういう時間があってもいいか、と俺も黙って見守ることにした。

 それから最後の仕上げをまた二人で完成させた後、テーブルにそれらを並べ終えると、そこはちょっとした晩餐会の様相を呈していた。
ここまで敢えて突っ込まなかったけど、お前ら気合い入り過ぎだろう。
称賛こそすれ文句なんてあるわけもないけど。

 さておき、もちろん完成した料理は、夕食としてスタッフが美味しく頂きました。
こんな豪華な食事は生まれて初めてかもしれないと思わず零してしまった時の、由比ヶ浜の喜びとも同情とも取れる微妙な表情ちょっと印象的だった。

 しっかり料理を堪能してから後片付けまで終わった頃には、既にとっぷり日は暮れてしまっていて。
明日も休みとはいえ、あまり遅くなる訳にもいかないし、とそこで解散と相成った。

「じゃあゆきのん、今日はホントありがとね」
「えぇ、ちょっと大変だったけど、私も楽しかったわ、こちらこそありがとう」

 玄関で友情の再確認をしている二人。
うんうん、仲良きことは美しきかな。
またも一人感嘆していると、雪ノ下が俺の方にも視線を向けてくる。

「比企谷くんも、一応感謝しておくわ、協力してくれたわけだし」
「いや、礼を言うのはこっちだろ。美味い飯も食べられたしさ。ありがとな」
「あら、珍しく素直じゃない、皮肉を言ってきたら叩き潰す準備をしてたのに」
「お前は素直過ぎるんだよ」

 珍しく上機嫌なのか、小さく笑みを浮かべている雪ノ下。
何だかんだ言って、由比ヶ浜と一緒にする料理は楽しいことだったらしい。
その笑顔が常とは異なり、何だか無邪気な風に見えたのは、俺の錯覚なのか感傷なのか。

「あぁ、あとはこれね」
「ん? 何だ?」

 思い出したようにぽんと手を打ってから、雪ノ下が棚の上に置いていた小さな紙袋を手にとって、俺に渡してくる。
中を覗くと、可愛らしくラッピングされたお菓子が入っていた。

「お土産よ、小町さんに渡してあげて頂戴」
「小町に?」
「えぇ、前に食べてみたいと言われたことがあったのよ、だから作っておいたんだけど」
「そうか、何か悪いな、小町の為に。ってあれ? でも二袋も入ってるぞ」
「小町さんにだけ、という訳にもいかないでしょう。一つは一応あなたの分よ。だから小町さんの分を横取りしないように」
「するか、小町が俺のものを横取りすることはあっても、その逆はねぇよ」

 お前、比企谷家のヒエラルキーなめんなよ。
何なら、カマクラよりも俺の方が低い可能性も否定できないくらいなんだぞ。

 しかしそんなことで絶望する俺ではない。
居場所ってのは与えられるものではなく、自ら作り出すものなのだから。
まぁ現実作り出せてはいないんだけど。
あれ? それじゃ駄目じゃん。
事実に気付いて少しへこむ俺に、雪ノ下が呆れたような目を向けてくる。

「何を情けない事を堂々と……全く。それと由比ヶ浜さんの分はこれね」
「わぁ、ありがと。って、何か今日もらってばっかだ……」
「気にしないでいいわよ」
「そんなわけにもいかないよ。うん、次はあたしが何かご馳走するから」

 きゃいきゃいとやり取りしている二人を横目に、渡された紙袋をもう一度覗き込む。
中の菓子もそうだけど、包装まで綺麗にされていて、少なからぬ時間と手間がかけられていることが一目で分かる。
きっと由比ヶ浜に渡した物も同じだろう。
雪ノ下が俺たちの為にそこまでしてくれたという事実を前にして、心の中にじんわりと温かいものが広がるような感覚があった。

 由比ヶ浜だけではなく、きっと雪ノ下も、奉仕部での色々な活動を経て、何かが変わってきているのだろう。
では、俺は? 果たして俺はどうなのだろうか?
ふと自問してみたが、答えは浮かんでこなかった。

「ヒッキー、またぼーっとしてるの? そろそろ帰らないと」
「お、おう、分かった。んじゃまた明日な、雪ノ下」
「ゆきのん、また明日学校でね」
「えぇ、また明日。それと由比ヶ浜さん、帰り道気をつけてね、比企谷くんに危険を感じるようなら迷わず防犯ブザーを押すのよ」
「俺限定で危険を予感するの止めてくんない?」

 折角いい話で今日を締められると思った矢先にこれだ。
前言撤回、こいつやっぱ変わってねぇよ。
構成する要素に俺への敵意の成分が多過ぎるだろ、少しはバファリンを見習え。
しかし風邪薬の本来の目的を考えると、成分の半分を優しさという目的外のことに使用している点で、そのアピールは割と本末転倒って気がしないでもない。

「大丈夫だよ、ヒッキーは。あたし信じてるから」
「……」

 うん、もちろん由比ヶ浜に他意はないと思うんだけど。
雪ノ下の前言があれなだけに、むしろ釘を刺されたように思えてしまう。被害妄想かな。
いちいち心配しなくても、そんな阿呆な真似はしねぇよ。

 雪ノ下に見送られながら、エレベーターに乗り込む。
ドアが閉まって移動を始めるまでずっと、二人は手を振り合っていた。

「今日、楽しかったね」
「そだな、まぁ悪くない休日だったと思う」

 マンションを出て、由比ヶ浜と二人並んで歩く帰り道。
秋も深まりつつあるこの季節、既に周囲は闇に包まれていて、街灯が仄かに道を照らしている。
周囲に人の気配はなく、時折横の道路を車が通るくらいで、とても静かな道行だった。

「何それ、ホント素直じゃないよね、ヒッキーって」
「馬鹿言え、俺ほど素直な奴も珍しいぞ」
「うわー、どの口が言うんだか」

 くすくすと楽しそうに笑う由比ヶ浜。
面白いことを言ったつもりはないぞ。
とはいえまぁ、確かに素直な感想を言ったわけでもなし、ツッコまれるのも仕方ないところではある。

「ん、とりあえず料理はホント美味しかったぞ」
「えへへ、ありがと。そう言ってくれると嬉しい。あとはゆきのんの手助けなしで作れるようになんないと、だけどね」
「つーかよく考えたら、今日の俺って何もしてないな。お前ら二人が料理しながらキャッキャウフフしてるのを見て、出てきた料理を食べただけだし」
「キャッキャウフフって……」

 あれ? 何か言葉の選択間違えた?
そんな呆れた目で俺を見られても困る。
と、気を取り直すかのように小さく息を吐いてから、由比ヶ浜がまたこちらに視線を向けてくる。

「でも、何もしてないってことはないよ」
「いや、実際そうだし」
「ううん、ちゃんとあたしのことを見ててくれたじゃん」
「見てただけだけどな」
「それが、大事なんだよ」

 そう言って一度微笑んでから、由比ヶ浜は視線を反対側に向けた。
見ると、咲き誇る金木犀の花が、道に沿ってずっと先まで続いている。
小さなオレンジ色の花がずらりと並ぶその光景は、それなりに壮観だった。

 とは言え、俺は別に花を愛でる趣味はないので、すぐに視線を戻したけれど。
何となく手元を見下ろせば、帰り際に雪ノ下に手渡された紙袋がある。
小町に、と渡してくれたお土産だ。

「それ、良かったね、もらえて」
「ん? あぁ、まぁ小町に良いお土産をもらえて良かったわ、感想聞いて雪ノ下に伝えてやんないとな」

 金木犀の方へ視線を向けたままの由比ヶ浜の言葉に、俺も手元を見たまま素直にそう返した。
しかしまぁ、渡したら渡したで色々うるさそうな気もするけど。
今日の事も、何か根掘り葉掘り聞かれそうなんだよなぁ。
何でかあいつ、雪ノ下や由比ヶ浜が絡むとテンションが異常に跳ね上がるから。

 そんな風に、帰った後の事を想像して少しうんざりしていたところで。
由比ヶ浜の、ひどく優しげに響く呟きが、俺の耳に静かに届く。

「小町ちゃんだけ、じゃないよ」
「あー、まぁ俺にもくれたな、ついでだろうけど」
「ついで、ね――」

 くるりとこちらを振り返る由比ヶ浜。
柔らかい微笑みと、優しげな視線。
普段とは逆方向で年齢不相応とすら感じてしまう程に、落ち着きを湛えた相貌がそこにあった。
まるで子を見守る母のような温かい眼差しが、緩く俺を捉えてくる。

 知らず息を呑む。
威圧感なんて微塵もないのに、それでもなぜか圧倒されたように言葉が出ない。
こんなにも由比ヶ浜の存在を大きく感じたのは、きっと初めてだった。

 俺はそんなにも驚いた表情をしていたのだろうか――由比ヶ浜は一度大きく目を見開くと、相好を崩して悪戯っぽく笑う。
いつもの由比ヶ浜の笑顔。
それを認識した瞬間、固まっていた空気は溶け出し、止まっていた時間も動き出した。
くるりとまた前に向き直り、由比ヶ浜が明るい声で話し始める。

「金木犀、綺麗だね」
「ん、まぁそうなんじゃねぇの?」
「何それ、なんか適当」
「って言われてもな。柄でもないし、そもそも花の善し悪しなんて分からんしな」
「善し悪しじゃないよ、大切なのは」
「?」

 手を後ろで組むようにしながら、由比ヶ浜がちらりと横目で俺の方を見てくる。
とても穏やかで、ひどく落ち着いた感じの苦笑がそこにあった。
まるで、ものを知らぬ子供を見て困った顔をしている大人のような。
何だろう、今日の俺、何か失敗でもしたのか?
少し気になって、由比ヶ浜の言葉にじっと耳を傾ける。

「善し悪しとか言っちゃったら、まるでそれが分からないと駄目みたいじゃない。花を愛でるのに必要な条件なんてないよ、ただ綺麗だって感じる心があれば、それでいいの」
「何だそりゃ、それなら大抵の人間が該当するだろ」
「そうだよ、誰にだって、花を愛する資格はあるんだよ」
「ふーん」
「ね、どう? ヒッキーも、綺麗だって思う?」
「まぁそうだな、花が咲いてるのを見れば、そりゃ普通に綺麗だって思いはするぞ」

 視線を道沿いの花に向けた由比ヶ浜の横顔を窺いつつ、とりあえず素直にそう返す。
ただ、由比ヶ浜が真剣に話しているのは伝わってくるが、どうにも何を言いたいのかがよく分からない。
こいつが訳の分からんことを言い出すのは、まぁ今に始まった話でもないとはいえ。

 さておき、俺の答えに満足したのか、由比ヶ浜は小さく一つ頷いて、また俺の方へと顔を向けてくる。
歩きながらきょろきょろするのは危なっかしいぞ。
雰囲気的にそう言える感じではなかったので、黙って視線を向けるに止めたけれど。

「うん、それなら良かった」
「別にどうでもいいんじゃないのか、そんなこと」
「どうでもよくないよ、大事なことだよ、これは」

 ぴっと人差し指を俺の眼前に突きつけてくる由比ヶ浜。
だから人を指差しちゃいけませんってのに。分かんない子だなぁ。

 視線にこめたそんな俺の意思を、今回も爽やかにスルーして、由比ヶ浜はゆっくりと言葉を紡いでゆく。
軽い調子の指先の動きに反して、その目も、その声も、ひどく真剣だった。
向けるこちらの意識を全く逸らせなくなるほどに。

「花ってね、どんなに綺麗に咲いてたって、それを見てくれる人がいなかったら、愛でる人がいなかったら、意味を失っちゃうんだよ」
「意味?」
「うん。花が美しいから人が愛でるんじゃなくってさ、人が愛でるからこそ花は美しく咲くことができる。あたしはそう思う」
「そう、か」
「そうだよ、愛するからこそ美しいってね。ヒッキーには、そのことを覚えておいてほしいな」

 それだけ言うと、由比ヶ浜は話は終わりとばかりに、歩調を速めてどんどん先へ行ってしまう。
俺はというと、向けられた言葉の意味が分からずに茫然とするばかりだ。
とてもじゃないけど、軽口を返せる空気ではなかった。

 というか、そんな哲学的なことを言われてもどう答えればいいのか、という感じである。
分からん――こいつが何を考えているのか、さっぱり分からん。
今の由比ヶ浜には、俺に見えていない何かが見えているのか?
ホントどうしちゃったの、この子。夕食時にアルコールなんて出てなかったはずだけど……

「どうしたの? ヒッキー、早く帰ろうよ」
「お、おぅ」

 いつの間にか、結構な距離が開いてしまっていた。
離れた所から呼ばれてそれに気付き、慌てて駆け寄る。
その頃にはもう、由比ヶ浜の表情は普段通り、年相応のものに戻っていた。

 それから由比ヶ浜の家までは、それこそとりとめの無い話しかすることはなく。
家の近くで別れる時もやはり、さっきまでの話を全て忘れたかのように、由比ヶ浜は明るい笑顔で手を振っていた。
俺だけが悩んでいるみたいで馬鹿馬鹿しくなってくる。

 何と言うか、ボールを投げられて放置されてしまった気分だ。
もう置いてけぼり感が半端ない。
女心と秋の空とはいうものの、どうにも女子ってのはよく分からない。
こういうことで悩むのも青春の必要要素なのか?

 首を傾げながら一人歩く帰り道。
結局、その疑問に答えが見つかる事は無かった。

ということで、②はここまで。
長くなってしまいましたが、どんなもんでしょう?
作業しながらだったので進みが遅くなってしまいご迷惑をおかけしました。

ガハマちゃんっておバカキャラが定着してますが、作中一番の乙女って感じですし、割に鋭かったりすると思うのですよ。
期待込みで。

後半ちょっとシリアスっぽくなりましたが、基本的なノリは変わりません。
③は、さていつになるか……これからまたボチボチ書いていきます。
進捗状況は定期的にスレで報告してきますので、よろしくです。

あと皆さんのコメントに深い感謝を。
やっぱり楽しんで頂けてることが分かると、書き手としては本当に嬉しいです。
これを励みに頑張って書いてきます。
可愛いゆきのんを描いていければいいなぁ。

ようやく③の方向性が見えてきた!
ということで次回予告的な感じで副題だけ。
まだ(仮)なんで変わる可能性もタイトル詐欺の危険性もありますが、自分を追い立てる為にも書いときます。

次回「③ 悠然と比企谷小町は事態の成り行きを見守っている」

川なんとかさんの出番は、ごめんなさい、全然考えてません。
いや実際ゆきのんとガハマちゃんのヒロイン力が高過ぎて、何かこう他の子に意識が行かないというか。
まぁこの先どうなるかは分かりませんけども。

ということで、ボチボチ書き始めていきます。
今しばらくのお時間を。

sage忘れました、すみません……

こんばんはです。
③もようやく8割方書けてきました。
近々上げられると思いますのでご容赦を。

そろそろデレのん書きたいなぁとか思いながら、不足分は最近増えた他のSSから補給しつつの日々。
8月の7.5巻が楽しみです。

もうあとちょっとと思ってたら、思いの外長引いてしまいました。
想定以上にあの人が暴走したなぁ……
でもようやく何とか形にできそうです。

ということで、多分上げられるのは火曜とか水曜あたりになるかと。
もう少しだけお時間を。
しかしアニメはゆきのんとの文化祭デート端折られたのが地味にショックだったり……

ちょっと時間が厳しいけど、とりあえず更新しますー。
全部は無理でもできるところまで……

③ 悠然と比企谷小町は事態の成り行きを見守っている


「お兄ちゃん起きなさーい!」
「ぐほっ!」

 日曜の朝。
本来ならばもっとも安らかに穏やかに惰眠を貪ることが許される至福の一時は、非常に愛らしいソプラノと、その声にそぐわない鈍く重い衝撃により寸断されてしまった。
完全に熟睡していたところで腹部に受けた一撃は、俺の眠気を綺麗さっぱり吹き飛ばし、返す刀で俺の意識をも根こそぎ奪い取る。
端的に言って、落ちた。

「ほらほらお兄ちゃん、何いつまでも寝てんの。朝だよ、超朝だよ、早く起きないと。小町の宿題手伝う為にもほら、さぁ起きる起きる」
「うぅ……」

 リングの上ならテンカウントまで寝かせてくれるものを、この闖入者にはその容赦すらないらしく、フライングボディプレスからマウントポジションに移行し、すぐに俺の体を揺さぶり始める。
その間も腹の上の重量感はびた一文変わっていない。おまけに至極自分勝手な動機も漏らしやがった。謎は全て解けたぜ。
朝っぱらからバイオレンス極まりないが、このまま放っておいたらそれこそサスペンスに発展しかねない状況に、俺の手がほとんど無意識に動いた。
俺の身体の上でバタバタしているそいつの背を三回叩く。

「あ、やっとお目覚め?」
「おぉ、起こされて落とされて、また起こされた」
「え? お兄ちゃん何言ってんの? わけ分かんないんだけど」
「……いいから、まずは俺の腹の上から下りろ」
「あいあいさ」

 襲撃者はのそのそと俺のベッドから降りて、何故かそのまま仁王立ちしてこちらを見下ろしてくる。
休日の朝から俺の命をスリリングな場面に叩き込んでくれたのは、他でもない妹の小町だった。
身内に命を狙われるとか、いつの間に千葉は戦国時代に逆戻りしてたんだよ。そういうのは歴女の間だけにしておいてくれませんかね。

「もーホント手間かかるんだから。やっぱりお兄ちゃんには小町がついててあげないとダメだね、小町が甲斐甲斐しくお世話してあげないとダメなんだね、あ、今の小町的にポイント高い?」
「ポイント以前にテンションが高ぇよ」
「またまた照れちゃってー」

 やたらにっこにこしてる可愛い妹から少し視線をずらして時計を見ると、学校がある時とほとんど大差ない起床時刻だった。
折角の休みに何ともったいない……これで俺を起こしたのが小町じゃなかったら、垂直落下式DDTをお見舞いするレベルの暴挙だぞ。
しかし小町の可愛らしい笑顔の前に、俺に上げられる手などあるわけもなく。
はぁ、とわざとらしくため息を吐くのが精一杯の反抗だった。

「さ、ご飯にしよー」
「あ? もうできてんの?」
「まさか。一緒に作ろ」
「あいあい了解」
「愛は一回!」
「今発音おかしくなかったか?」

 部屋を出て、二人で階段を下りて一階に向かう。
ダイニングに入ると、仲良く並んで朝食の準備を進める。
休みの日には比企谷家で割とよく見られる光景だ。

「ほいお兄ちゃん、トースト焼けたよ」
「おう、あとこれがお前の分の目玉焼きとサラダな」

 二人で手分けしてやればまぁ早い早い。
できた朝食をテーブルに並べて、向かい合わせで朝食を取る。

「うん、今日のはまぁまぁの出来だね」
「パン焼くのにまぁまぁも何もないだろ、出来合いもんをオーブンで時間決めて焼くだけだぞ。時間設定をミスらん限り同じ出来になるわ」
「またそうやって水差すんだから。こういうのは気分の問題なんだよ。そうだねって頷いてくれてればいいの」
「気分の問題って言うなら、なお頷けねぇよ」
「なんで?」
「きょとんと首傾げるな」

 朝方の暴挙は既に完全に忘れてるらしい。
つーかそんな可愛い仕草されちゃ文句も言えやしない。
ジャムを塗りつつ、肩を竦めるだけに止めておく。
しかし朝から襲撃されたこっちがむしろ気を使ってるとか、俺って小町に弱過ぎだろ。

「やーでも、お兄ちゃん昨日も無駄に夜更かししてたでしょ。ダメだよ、規則正しい生活しなきゃ」
「お前は俺の母ちゃんか、いいだろ別に、休みなんだから」
「休みだからだよ。今日だって小町が放っといたら昼過ぎまで寝てたでしょ、そろそろその自堕落な生活直さないと」
「何でお前まで俺を矯正しようとしてんだよ。つーかそっちだって昨夜は随分遅くまで起きてたじゃん」
「やだお兄ちゃん、何で小町の寝た時刻把握してんの? こっそり監視とか止めてよ、小町の寝顔が見たいんなら堂々と言ってくれれば」
「違う、お前がいつまでも興奮状態でベッドの上をゴロゴロしてたっぽいから、気になって仕方なかったんだよ」

 昨夜、由比ヶ浜を送ってから帰ってきた後、なぜか俺の部屋で小町からの尋問タイムが始まり、結局根掘り葉掘り聞かれ洗いざらい話させられた。
微妙な表情で聞いていた小町だったが、話の最後に雪ノ下からのお土産のお菓子を渡してやると、表情が一転。
目をきらきらと輝かせて、ぱぁっと明るい笑顔に変わり、そこからテンションが急上昇の天井破り。
なぜか俺の背中をばんばん叩いて「やるなこいつぅ」とかわけの分からんことを言い始めたのだ。誰だよお前。

 さすがに深夜にそのテンションはあまりにも鬱陶しかったので、そろそろ寝ろと俺の部屋から追い出したのだが、何やら興奮冷めやらぬ小町は、その後も暫く自分の部屋でのたくっていた。
聞いてるこっちがちょっと怖かったくらいである。
そんなに雪ノ下の手作りのお菓子が食べたかったんだろうか? 由比ヶ浜といいこいつといい、どうにもその言動は謎に満ちている。

「いやー、これが喜ばずにいられますかって。まぁお兄ちゃんみたいなデリカシーのない鈍感の朴念仁には分からないだろうけど」
「そこでいちいち悪口を重ねんでもいいだろ」

 微妙に悪い感じの笑みを浮かべている小町。
何だかなぁ、元々それなりに辛辣ではあったけど、こいつ最近妙に毒舌が増えてきてる気がするんだよな。
雪ノ下の影響受け過ぎじゃねぇ? どうせ影響受けるならもうちょっといい方向で受けてほしいもんだ、もっと賢くなるとか。無理か。
普段より数段澱んでいるであろう俺の視線を受けてもしかし、小町はもう今にも叫びだしそうなハイテンションを維持したままだった。
正直ついていけないんだけど。そろそろ落ち着こうぜ。

「とにかく小町的には超嬉しかったわけですよ、いえーい。フラグ立ってないのかなーってがっかりする時期もあったけど杞憂だったんだね。やっぱり小町の乙女センサーに狂いはなかった!」
「朝からテンション高いよお前。何? 酒でも飲んでんの?」

 合いの手みたいに拳を突き上げんな、食事中だぞ。
ふりかけみたいに俺の頭にパンの粉がまぶされてんでしょうが。
つーかその興奮状態、まさか小町ってば雪ノ下狙いだったの?
そんな百合百合しい光景とか見せられたら多分泣くぞ、俺。

「やーやー、とにかく今後に目が離せないね、期待してるよお兄ちゃん」
「だから何の話なんだよ、全く。ほらいいからさっさと飯食え飯」

 そうして普段の倍くらい疲れる朝食を取り終わって暫く。
名状し難い力が働いて、俺が小町の宿題を手伝っていた時のこと。
いやホントなんでなのかよく分からないんだけど、気がつけば小町の宿題を手伝っていたのだ。
この子ってば兄を手玉に取るスキル磨き過ぎ。

 さておき二人で仲良く宿題をしていたところで、小町の携帯が不意に鳴り出した。
小町は素早く立ち上がって携帯を耳に当てる。

「もしもしー……あ、どーもどーも、こんにちはです。ってそんなご丁寧に。もうホントいつもご迷惑をおかけして……いえいえホントお世話になってばっかりだと思いますし」
「お前どこのリーマンだよ、携帯に頭下げても相手見えねぇから」
「うるさいよお兄ちゃん、これきっと大事な話なんだから……あ、ごめんなさい、いやもーウチの兄がいきなり――」

 じろりとこちらを一睨みしてから電話に戻る小町。
可愛い顔でそんなことしてもちっとも迫力はないんだけど、怒らせるのも何だし黙って宿題に戻ることにする。
さっさと終わらせてのんびりしたいし。

 しかし今はあんまり見なくなったけど、電話のコードを指でくるくる弄るのと電話しながら受話器に向かって頭下げるのって、日本人特有の謎の文化だよな。
でも女の子がやると普通に可愛く見えるから不思議。一度戸塚にやってもらいたい。こう指でくるくるーって。
何これ、想像しただけで胸が高鳴るんだけど。

「ほうほう、ほうほうほう。おぉー、それはそれは! いいタイミング、小町的にも実にグッドなお話です、いやもうグッデストなお話!」

 グッドの最上級くらい覚えとけよ、こいつ受験本当に大丈夫か?
いや冗談で言ってるって線もなくはないんだろうけど……
俺の不安もどこ吹く風と、相も変わらず小町はテンション高く受け答えを続けている。
どうやら相手からの突っ込みはなかったらしい。そこはかとなく残念だ。

「――なるほどなるほど、かしこまりです。後はこの小町に万事お任せを。えぇもうすぐにでも! ではでは」

 ぴっと携帯を切ると、小町がくるりと俺の方に向き直った。
頬は微かに紅潮し、眼はきらきらと輝いている。
よく分からんが、何か良い報せだったのだろうか。
さて何事かと見上げる俺に、小町は笑顔で言い放つ。

「ごめんお兄ちゃん、急用できた」
「そうかい、んじゃまぁ気をつけて行ってこい」

 ひらひらと手を振って答える。
その急用とやらが気にならないでもないけど――まさか男じゃないだろうな、とか――まぁ詮索して嫌がられるのもなんだし。
何にしても宿題の手を止めて自分の時間が戻ってくるだけ万々歳だろう。
と、思っていたのだが。

「ノンノン! 違うよお兄ちゃん、何くつろいでんのさ」
「あ? 何が違うんだよ」
「だから急用できたのお兄ちゃんの方なんだって」
「え!? 俺!?」

 びっくりした。そりゃもう近年稀に見るほど強烈な衝撃だった。
何で俺の急用が小町の携帯にかかってくるんだよ、捻り効き過ぎだろ。いやがらせか。
つーか誰だよ、そんな斬新な発想する奴。
驚きに固まっていると、小町が俺の手を取って立ち上がらせようとしてくる。

「ほらお兄ちゃん立って立って、早く着替えて準備しないと」
「何でだよ、つーか折角の日曜なのに何で外出せんとならんの? やだよ面倒くさい」
「もー何でそんな引きこもり気質なの! 小町はお兄ちゃんをそんな子に育てた覚えはないよ!」
「育てられた覚えもねぇし。つーかむしろ育てた覚えしかねぇし」
「うん確かに育てられたのかも――じゃなくて! ダメだよ行かないと」
「絶対嫌だ」

 なおも腕を引っ張ってくる小町に対して、俺も断固たる決意で腰を上げまいとする。
どうにも嫌な予感がするのだ――というか、そういう搦め手でくる相手の用事なんて碌なもんじゃあるまい。
ここは逃げの一手が正解だろう。こうなったら梃子でも動かないぜ。
そんな俺の意思を見て取ったのか、小町が眉を寄せつつ、ふぅと小さく息を吐く。

「困ったなー、もしお兄ちゃんがダメな時は、小町にデートしようって誘われてるんだけど」
「オーケー万事了解した。俺はどこに行けばいいんだ?」

 すくっと立ち上がり臨戦態勢に入る。
あらゆる思考が瞬間吹き飛んだ。もはや言葉はいらない。
梃子? 何それ美味しいの?
俺をダシに使って小町をデートに誘おうとはふてえ野郎だ。否、不貞野郎が。

 かくなる上は戦争しかあるまい。
俺が滅ぼすかそいつが滅びるか、二つに一つだ。
つまり実質一つしか許すつもりはない。

「いやー……焚きつけといて何だけど、ここまで過激に火が点いちゃうんだ。小町的にポイント高いような低いような。困っちゃうなー。でもお兄ちゃんも、そろそろ本気で小町離れすること考えた方がいいんじゃないかなーとか思ったり」
「そうだな、それはまた今度考えようか」
「あ、ダメだ、これ全く考えてないパターンだ」
「とにかく話は後でな、まずはどこに行けばいいのかを速やかに教えるんだ」
「お兄ちゃん、目が据わってるよ」
「その代わり身体は立ってるから帳尻はとれてるだろ」
「とれてないけど。まぁいいや。んーとね、相手の人だけど、ららぽのスタバで待ってるって言ってたよ」

 なるほど、東京BAYのあそこが俺の戦場か。
緑のあのマークを朱に塗り替えてしまうのは如何にも忍びないが、それも止む無しだな。

「で、標的は? 誰なんだそいつは。スタバのどこで待ってるって?」
「んー、まぁ行けば分かるよ。そう言ってたし」
「そうか、まぁ分かった」

 微妙に引っ掛かるところがないでもなかったけど、この際細かいことはどうでもいい。
小町が行けば分かるというなら行くまでのこと。
しかし、俺の知ってる範囲で小町の周りをうろちょろしてる奴となると、川……なんとかさんの弟か、あるいは俺の学校の男子かもしれないな。
文化祭で一目惚れした奴がいた可能性もあるし。小町の可愛さを考えれば何ら不思議はない。

「じゃあ小町、良い子で待ってるんだぞ、俺が全て片付けてくるから」
「ちょい待ち、その前に着替え着替え」
「あ? 別にいいよ、どうせ汚れるし」
「良くないよ、礼儀としてもほら」

 既に気持ちは家を飛び出しているのだが、小町はぐいぐいと結構な力で俺の背中を押して、部屋へと連れて行こうとする。
まぁ闘いに赴く格好というのもあると言えばあるか。
もうその辺は小町に任せよう、こっちはただ行って会って張っ倒すのみなのだから。
そうして小町に言われるがまま、何故か微妙に小奇麗な格好になった俺は、笑顔で見送られながら家を出た。

「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃーい、お土産話楽しみにしてるから。あ、寄り道しちゃダメだからね」
「もちろんだ」

 言われるまでもない。この精神状態でどこに寄り道しろと?
怒りに燃える血はマグマのように俺の身体を駆け巡り、今も見敵必殺を脳裏に囁き続けているのだ。
逸る気持ちを抑えることなく、バスに乗り込み戦場へと向かう。
公共交通機関を乗り継ぎ、昼前に目的地に到着。
ともすれば走り出したくなる足を抑え込み、体力を温存しつつ指定の場所へと歩いて行く。

 普段はリア充の巣窟であるスタバなど見るのも嫌な俺ではあるが、今はあの緑のマークを早く見たくて仕方がない。
俺の小町に粉をかけようとする馬鹿には、相応の報いを与えてやらねばならないのだから。

 そうして辿り着いた約束の地には、なぜか微妙に人だかりができていた。
有名人でも来てるのか、あるいは何か珍しいイベントでもやっているのか。
まぁどっちにしろ、俺にとってはどうでもいいことだ。

 そうして人の山を避けるようにしながら店内を覗き込んで。
瞬間、そのまま回れ右して帰れと俺の本能が脳内で叫びを上げた。

「お、来たね。思ったより早かったじゃない、小町ちゃんってばどうやって焚きつけたのかなー? さっすが言うだけのことはあるねぇ」

 が、時既に遅し。
相手の目は俺を完全に捉えており、その笑みはただ俺だけに向けられている。
具体的な言葉はなく、特別な行動もなく、なのに俺の体は凍りついたように動かなかった。
脳内で誰かが囁いた気がした――知らなかったのか? 大魔王からは、逃げられない。

「ん? 何ぼーっとしてんの? あ、さてはお姉さんに見惚れてたか? もー浮気はだめだよ。雪乃ちゃんに告げ口しちゃうぞ?」

 席に座ったままにっこりと笑っているのは、良くも悪しくも見知った顔――雪ノ下さんちの最強お姉さん、陽乃さんだった。
なるほど、人だかりができるのもむべなるかな。
日曜の昼下がり、混み合った店内にあってなお、その笑顔の輝きは他の全てから隔絶されて見えている。
色鮮やかに、彩り豊かに、いっそ周りが無色透明無味無臭に思えてしまう程に、その存在感は強く強く主張されていた。
見ればわかるとはよく言ったものだ――彼女がいるだけで、他の全てが視界から追い出されてしまう、意識から外されてしまう。

 だからこそ、俺はこの人が苦手だった。
暴力的な程に輝く光は、隠れる為の闇をも根こそぎ取り払ってしまう。
眩し過ぎて直視できない。その先に何があるのかを窺うことすらできない。
日陰に生きる俺と対極にいる、まさに陽の存在なのだ、この人は。
あまりにも強過ぎる。

 今だって、周囲の視線を一手に集めながら、まるで歯牙にもかけていない。
なのにそれでいて、嫌味な空気や冷たい雰囲気など微塵も感じさせず、むしろ荘厳な気配すら漂わせているようで。
何かもう女王様って呼びたくなってくる。
陽乃さんマジぱねぇ。

「まぁ積もる話はこれからこれから。ほらここ座って」

 陽乃さんは俺の方へ笑顔を向けたまま、くいくいと自分の前の席を指で指し示す。
言葉こそ丁寧で、笑顔こそ穏やかだけれど、有無を言わさず是非も問わない問答無用の圧力をなぜか感じずにはいられなかった。
蛇に睨まれた蛙って言葉はこういう時に使うのかな、一つ賢くなれて泣きたくなるほど嬉しいよ、ちくしょう。

 ここへ来る時の怒りの炎はどこへやら、完膚なきまでに鎮火させられて萎み切った心で、とぼとぼとその席へ向かう。
気分はさながらグリーンマイルを歩く囚人だった。
いやさすがに言い過ぎかもしれないけど、こう気分的に。
席に腰を下ろしつつ、恐る恐るという感じで話しかけてみる。

「えっと、雪ノ下さん」
「堅いなぁ、陽乃でいいって。雪乃ちゃんもOK出したんでしょ、名前呼び。それでまさかわたしだけ断らないよね?」
「何でそれを……」
「あ、その反応、ホントにOK出してたんだ。いやーそろそろかなぁと思ってはいたけど、雪乃ちゃんもちゃんと頑張ってるんだねー、お姉ちゃん安心」

 鎌を掛けてたのかよ、ホント俺の心に優しくないな、この人。
それでいて、笑顔に一点の曇りもないというのがまた実に恐ろしい。
どこまでが本気でどこまでが冗談か、その微笑みは俺に一切の推測を許してはくれないのだ。

すいません。
今日はちょっとここまでで。
また明日か明後日かに続きを上げてきます。

ゆきのんとラブったらもれなくはるのんの弄りがついてくるとか、とんだボーナスステージだぜ。
きれいなお姉さんに手玉に取られる男の子というのは見てて楽しいと思いますww

やっはろー、時間ないけど、ちょっとだけ更新しようと思います。
キリのいいところまでは持っていきたい……っ!

「さってと、まずは話の前に丁度お昼だし、何食べたい? ご馳走してあげるよ」
「いや、いいです。理由も無いのに奢ってもらうわけにはいきませんから」

 この人に借りを作るなんてそんな恐ろしい。
ただより高いものはないとは、正にこのこと。
思えば雪ノ下も文化祭の時にやっちゃってたけど、あれだってどうなったことやら。
しかし、俺が固辞することは織り込み済みだったのか、陽乃さんはぱたぱたと手を振ってあっさり手の内をばらす。

「だいじょぶだいじょぶ、雪乃ちゃんとのこととか根掘り葉掘り色々聞かせてもらうんだし、そのお代みたいなものと思ってくれればいいよ」
「それって益々奢ってもらうわけにいかなくなったんですけど」
「んー、でももう頼んじゃってるし。一杯食べて一杯喋ってね」
「……ていうか、それなら何で食べたいものなんて聞いたんですか」
「ま、社交辞令だよ。どの道ほら」

 そう言って陽乃さんは周囲を見渡す。
つられて視線を巡らせる――と、自分の表情が引きつったことを自覚した。
何がってもう、めちゃくちゃ注目を集めていたのだ、周囲から。
やっかみの視線が凄い凄い、意識したら心が縮み上がるくらい。見なきゃ良かった。

 でもそりゃそうだよね、事実はどうあれ、見た目完璧、笑顔素敵で、完全無欠な超絶美人と差し向かいでお茶してますとか。
見てる男からすれば腹立たしい事この上ないよね。
俺が周りの立場なら同じ事するもん。
何なら聞こえよがしに舌打ちするもん。
勝てそうな相手なら因縁つけるまであるかもしれない。何それ我ながらひどい。

「ね? もう逃げられないって。まぁどうしてもって言うなら、涙ながらに見送ってあげないでもないけど」
「あなた鬼ですね」
「こんな綺麗な鬼なんているかなぁ?」

 ライトノベルの世界にはまぁ、割といるんじゃないですかね? 某怪異の王様とか。
そんなことを考えながら、多分普段より二割増しで腐った目をしていたであろう俺に対して、ぴっと人差し指を突きつけてくる陽乃さん。

「小町ちゃんに言い包められてここまで来た時点で詰んでたんだよ、比企谷くん。諦めてお姉さんの言う通りにしておくことね」
「はぁ、分かりましたよ」

 がっくりと項垂れつつ答える。
この場合、俺を担いだのは果たして小町なのか陽乃さんなのか……
どちらにしてもこの二人が組んでる時点で、俺の勝ち目なんてあるわけがなかった。
もう観念するしかないだろう。
この状況でなおも足掻こうとするのは、時代劇のやられ役くらいなものである。

 それにまぁよくよく考えれば、この結果は決して悪いばかりのものではない。
だって、俺を呼びだしたのが陽乃さんだったってことは、小町を狙う悪い虫はいなかったってことでもあるわけだから。
むしろ騙されていたって事実に感謝した方がいいんじゃないかってくらいだ。

 うん、これは正しく不幸中の幸いだと言えよう。
俺が自分の手を血に染めずに済んだって点でも。
やはり平和は尊いものだ――それを痛感せずにはいられない。
ということで、今日のことはその維持の為に必要な犠牲なのだと思って観念することにしよう。
人間諦めが肝心である。

「それで陽乃さん、折角の休みなのにわざわざ俺なんか呼び出して、一体何を聞きたいんです?」

 まぁ逃げ場も無いと分かってしまえば、いっそ腹も括れるというもので。
その後に陽乃さんの指示(?)でテーブルに並んだサンドイッチやらスコーンやらを、遠慮なく頂くことにした。
我ながら変な所で神経が太くなったもんだと思う。
しかし、どうせもう逃げ場なんてないんだし、それなら最後の晩餐じゃないけど食事くらいのんびり取ってもいいだろう。
毒を食らわば皿までと、食後にティーラテまで頂きながら、改めて覚悟を決めて本題の話を切り出した。

 俺の言葉ににっこりと微笑みつつ、陽乃さんは手に持っていたカップをテーブルにそっと置く。
雪ノ下もそうだけど、この人も本当に一つ一つの所作が綺麗だよな。
なんで飯食う時でさえ、指の先まで神経使ってんだろ。
一部の隙も無いというか、見られることを意識しているというか。

 それとも、無意識にこういうことができてしまうのだろうか。
育ってきた環境も全然違うだろうし。
上流階級の嗜みって凄いもんだな。
と、ぼーっとその動作を見ていた俺に対して、陽乃さんは指を振って否定の意を返してくる

「違うよ比企谷くん、折角の休み“だから”だよ。ほら初めて会った時に言ったでしょ、今度お茶しようねって」
「そういやそんなことも言ってましたね、正直今更って感じが半端ないんですけど」
「うーん、何か熱が足りないよねぇ。こーんな美人のお姉さんとお茶してるんだし、もうちょっと嬉しそうにしてもいいんじゃない?」
「周囲のやっかみの視線がなければ、もしかしたらそう思えたかもしれませんけどね」

 からかうような声に、憮然としながら返す。
今もなお、店内の男どもはちらちらとこちらの様子を窺ってきていた。
陽乃さんへの好意の視線が七割、俺への嫉みのそれが三割ってところか。適当だけど。
しかし、こんな周囲の好奇と関心の目に晒されて、無駄に悪目立ちして、あぁ俺の本懐は何処へ、と嘆いてみる。

「またまたぁ、大して気にもしてないくせに」
「んなわけないでしょう、俺は目立たずひっそりと植物のように穏やかな人生を過ごしたい派なんです」
「嘘ばっかり。同じ学校の全生徒を敵に回してもいいって覚悟もあったくらいなんだし、見知らぬ他人の敵意なんて物の数じゃないでしょ」
「む……」

 にんまりと意地悪そうな笑みを浮かべる陽乃さん。
人が忘れようとしている過去を遠慮なくほじくり返してくるとは、全く容赦のない人である。
しかし俺を攻撃する時にやたらいい笑顔になる辺り、さすが姉妹というか血は争えないというか。何そのDNAに刻まれてる感じ。
もしかしてあれですか、比企谷家のご先祖が過去に雪ノ下家に対して何か粗相でもやらかしたんですか?
それならご先祖を恨んで下さい。それ俺じゃないですから。

「まぁ雑談じゃなくて大事な話をしたいって言うのなら、そうしてあげるのも吝かじゃないよ」
「何で俺が頼んだみたいに……」
「んー、何の話をしよっか、色々聞いてみたいことあるしねぇ――」
「……お手柔らかに」

 指を口元に当てて宙を見ながら、わざとらしく思案してみせる陽乃さん。
正直白々しいと思う。どうせこの人、何を聞くか既に決まってるんだろうし。
何が出るかな何が出るかな、とある種開き直りの境地でそのお言葉を待つこと暫し。
陽乃さんがにっこりと笑って指を一本立てる。

「うん、それじゃあ最初は軽い感じで一つ」
「何です?」
「雪乃ちゃんとキスくらいした?」
「ぐっ……げほっげほっ!」

 思いっきりむせた。紅茶が逆流して鼻につーんときてる、痛い痛い痛い。
この人笑顔で何言ってんの?
どこが軽い感じだよ、めっちゃ重いじゃん、どう考えても最初に聞くことじゃないだろ。
何? 俺にフェイクかけて楽しいの? 神奈川No.1プレーヤー吹っ飛ばしてダンクでもしたいの?

「わっ、汚いなぁもう」
「誰のせいですか、誰の!」
「あ、涙目。へぇ、上目遣いだとちょっと可愛く見えるよ」
「嬉しくない……というか、まずそもそも俺たちはそんな関係じゃありませんから。そんなことしてるわけないでしょう」
「そんな必死になんなくてもいいっていいって、ムキになると余計に怪しく見えちゃうぞ」

 悪戯が成功したみたいな笑顔で、指先をこちらに向けてくる陽乃さん。
正直ちょっといらっときた。
もっとも、いらっときたからといって、俺に何ができるわけでもないんだけど。

 だって勝ち目なんて全くないし。
正直素手での殴り合いでも普通に負けると思う。
いや、我ながら情けない話ではあるが。
そんな俺に対して、けれど陽乃さんは追撃の手を緩めてはくれない。

「それじゃあ、どこまでいったのかな? まだ手を繋いで愛を語らう程度なの? プラトニックだねぇ」
「だから前提が間違ってますって。別に付き合ってませんから、本当に、全然、全く」

 精々どつき合いがいいところだ。
それだって実質俺が一方的にやられてるだけなので、正確にはどつき合いですらなく、ただのどつかれである。
何それ、悲しい……どうせなら部費でサンドバッグでも買ってもらえませんかね?
殴るの大好きな顧問の先生もストレス発散が捗ると思いますよ。

「えー? そうなの? 全くもう二人とも奥手なんだから。一度きりの青春なのに、そんなんじゃ花咲く前に枯れちゃうよ」
「放っといてくださいよ」
「放っといたら何も変わらなさそうだから、面白半分にちょっかいかけてるんじゃない」
「自分で面白半分って言っちゃったよ……」
「あとの半分は本気だから大丈夫だって」

 陽乃さんはそう言って、からからと楽しそうに笑う。
笑われる俺はというと、やはりどうにも憮然とする他なく。
というか何が大丈夫なのかさっぱり分からない。
しかし、俺をからかうのってそんなに楽しいのだろうか。
何? 俺ってリアクション芸人でも目指すべきなの?

 しかしまあ、弄られてばっかりというのも困りものだし。
改めてよくよく考えれば、これも良い機会かもしれない。
俺だって聞きたいことがないではなかったのだ。
一つ咳払いして居住まいを正す。

「陽乃さん」
「ん? 何かね、未来の義弟くん」
「その呼称は将来本当にそうなった男に言ってやってください」
「だから期待をこめてそう呼んでるんだけどなぁ」
「……一度聞いてみたかったんですけど」

 敢えて無視して話を進める。
俺の声に少し真剣な響きが混ざったことに気付いたのだろう。
陽乃さんも姿勢を少し変えて、聞く体勢を作っていた。

「どうして、俺なんですか?」
「ん? どうしてって? 何を聞きたいのか、ちょっと分からないなぁ」

 可愛らしく小首を傾げる仕草。
けれど口にする言葉があまりにも白々しいので、それすらポーズに見えてしまう。
きっと俺の考えてることなんて全てお見通しで、けれどそれを敢えて俺の口から言わせようとしている、としか思えないのだ。
そして今の俺は、それに乗る以外に道はないわけで。
ちょっと悔しいけど、まぁ仕方ない。

 暗に人間失格って言われてる気がする。
だがそれでいい、小町の為なら道を外そうが後悔しないぜ……じゃなくて。
今は俺たちのことを話しているわけじゃないのだ。

 忘れもしない――初めての邂逅の時の、陽乃さんが俺に一瞬向けた、全てを見透かすような冷徹な眼差しを。
あの時、陽乃さんは確かに俺のことを思いっきり値踏みしてきていた。
つまり、最初は俺のことを不審の目で見ていたはずなのだ。
それもこれも何の為かというと――

「陽乃さんは、雪ノ下のことを「雪乃」……」

 どうして口を挟んだんですか?
何でそんないい笑顔してるんですか?
素敵過ぎて寒気がしますよ。

 いや、このくらいでめげて堪るか。
気を取り直して――

「陽乃さんは雪ノ下の「雪乃」……」
「雪ノ下「ゆ・き・の」……」

 しつこい……いや分かるよ、何が言いたいのかは分かるんだよ。
だけど何だろう、こうまであからさまにやられると、さすがに抗いたくなってくるのだ。
そりゃ、勝ち目なんてないことは分かっているけれど。
しかし、だからといって、唯々諾々と従ってばかりもいられないというか。
優雅に片肘つきながら、こちらを満面の笑みで眺めている陽乃さんの楽しげな様子を見ていると、なおさらである。

「あのですね」
「何かな?」
「俺の話を聞いてもらえません?」
「もちろん聞くよ、ほらほら、言って言って、恥ずかしがらずに、さぁ」

 うわー、めっちゃむかつくー。
俺をおもちゃにする気満々だよ、この人。
もうこうなったら意地でも言いたくなくなってくるな。

 と内心では思うものの、ここはクールにならないといけない。
もし相手が陽乃さんじゃなかったら、あるいは最後まで意地を張り通すこともできただろう。
しかし、逆らってはいけない相手というのは確かに存在するのだ。
これ以上は危険だ、と俺の中の何かがけたたましく警鐘を鳴らしている。

 だってほら、何か少しずつ笑みが深まってきてるし。
それがこう、苛立ちよりも恐怖を喚起させるというか。
実際、これ以上抗っても話は進まないし、怒りを買ってしまったら俺に明日が来なくなるかもしれないし。

 というわけで、そろそろ諦め時なのだろう――もういい、心を無にするんだ。
何てことはない、ただ雪ノ下のことを名前で呼ぶだけのことだ。
漢字なら二文字、平仮名でも三文字、簡単なミッションじゃないか。よし――

「陽乃さんは、ゆ、雪乃、のことを――」

 噛んだ。
うあー、駄目だ、やっぱあいつの名前ってば魔法だわ。目の前にいないのにこれだもん。
よりにもよって、一番見られたくない人に、一番見られたくないシーンを見られてしまった……くぅ、自分でも頬が紅潮してきてるのが分かるぞ、ちくしょう。
だってもう陽乃さんてば、何かすんげーきらきらした目でこっち見てるし。
何でそんな嬉しそうなんだよ。まさか、まだこの上に追い打ちを重ねようと?
もうやめて、八幡のライフはゼロよ。

「いやー、いいねぇいいねぇ、初々しいね青春だね、ご馳走さまだよもう」
「からかわないで下さいよ、いやホントに」
「うんうん、ぶっきらぼうでやさぐれた感じの男の子が、恥じらいながら女の子の名前を呼ぶのってこんなに良いものだったんだねぇ、眼福眼福。あー映像に残しときたかったかも」
「帰っていいですか?」
「ダメに決まってるじゃない」

 瞬殺でした。
そりゃそうですよね。あなたが俺に温情判決下してくれるわけないですよね。

 あー、何かもういいや。悪い意味で吹っ切れたわ。
もう気にするのは止めよう。
これぞ開き直りの境地である。

「とにかくですよ、陽乃さんは雪乃のことを大事に思ってるんですよね?」
「うんうん、そりゃもう大好きな妹だからね」
「そんな妹に変な男が近づいてるわけですよ? それなら警告なり脅迫なりするくらいが自然だと思うんですけど」
「君のわたしに対するイメージについては、一度よく話し合う必要があるかな」
「いや例えですよ例え! それにほら、あの容姿だから言い寄る男も多いでしょうし、心配になったりするんじゃないかなーっていうか」
「あの容姿って? なになに? どういう意味かな、それだけじゃどうとでも取れるよね?」
「あれだけ器量が良いなら! ですよ!」
「怒っちゃった? ごめんごめん。でもうん、比企谷くんもちゃんと雪乃ちゃんのことを可愛いって思ってくれてるんだね、美的感覚は正常なようで安心したよ」

 駄目だ、どうしたってペースを乱されてしまう。冷静でいることがこんなに難しいなんて……
てへっと笑う陽乃さんは、一見とても可愛く見えるが、正直もはやあざとさしか感じない。
というか今、何か謝りながら凄いこと言われた気がするぞ。
俺の何が正常じゃないって? 心当たりがあり過ぎて困るわ!

「とりあえず、質問には答えておこうかな。って言っても簡単な話だよ、わたしは雪乃ちゃんのことを信じてるだけ。雪乃ちゃんの判断は、できる限り尊重したいからね」
「いやでも、だからといって、俺をけしかける理由にはならないでしょう?」
「それはまた別の話だよ。初めて会った時言わなかったっけ? 雪乃ちゃんが誰かと一緒にお出かけしてるのなんて初めて見たんだもん。どうあれ雪乃ちゃんが傍にいることを許容している相手なら、信じるに値するよ?」
「あれは、由比ヶ浜の為にプレゼントを買うっていう目的があったからそうしてただけですよ」
「それでも、君を相談の相手に選んだのは事実でしょう?」
「紆余曲折色々あってというか、苦肉の策ってのが事実に近いと思いますよ。そんな甘いもんじゃないですって」
「ホントに捻くれてるねー。君らしいといえばそうなんだけど。まぁ今はそれでもいいよ、今はね」

 くすくすと忍び笑いしながら俺を見る陽乃さん。
何だかこう、その全てお見通しと言わんばかりの目で見られていると、落ち着かないことこの上ない。
実際この人は、俺のことをどこまで見透かしていて、どこまで先を読んでいるんだろう?
今日だって、一体何を狙って俺を呼んだのか、まだ全然見えてこないのだ。

 考えればドツボにはまりそうだし、かといって思考を放棄すれば、陽乃さんの思い通りにされてしまうのだから堪らない。
どうしたって、俺にとって望ましい形で白黒をつけてはくれないのである。
もうそろそろ解放してくれたら嬉しいんだけどなぁ。
そんなことを考えていると、陽乃さんがちらと腕時計に目をやって、満足げに頷く。

「さてと、さすが時間通りだね」
「はい? 何の話です?」
「う・し・ろ」

 俺の後方を指差しながらの、陽乃さんの、恐らく今日一番の嬉しそうな表情。
頬は僅かに朱に染まり、名の如く春の陽光を思わせる、穏やかで温かな微笑み。
悔しいけれど、どうしたって心惹かれてしまう、本当に美しい笑顔だった。

 だが幸か不幸か、俺にはその蕩けるような笑みに見惚れる時間が与えられることはなかった。
静かな、けれど心によく響く足音が聞こえる。

「随分と、楽しい時間を過ごしていたようね」

キリのいいところでというか、いいところで切ったというか。
さておき今回はここまでです。
続きはまた週末くらいには上げられるかな、と。
一体誰が登場したのかは、それまで暫しお待ちをw

しかし正直この話書いてて、ヒッキーが一番可愛かったような気がする。
年上の綺麗なお姉さんに良いようにからかわれる男の子っていいよね。

失礼しました、ちょっと見直して気付いた……
>>234 は、冒頭に下の会話文入ります。脳内補完で読んでやってください。

「だから、どうして俺なんかにそこまでこだわるんですか? 正直こう言っちゃうのも悲しいですけど、自分の大切な妹に俺みたいな男が近づこうとしてたら、普通排除しようとしません?」
「その発想も割と普通じゃないと思うけど」
「少なくとも俺なら、小町にそういう男が近づいてきたら排除しますよ、多分」
「いやー、シスコンの鑑だねぇ、さすがさすが」

やっはろー。
見てもらえて感謝です。
ヒッキーのヒロイン力は異常ww
これからも輝きを放ってもらう予定ですので。

で、業務連絡的な。
今夜には続き上げる予定ですー。
もうちょっとだけお待ちを。

こんばんはですー、期待のお言葉マジ感謝。
ちょっと色々作業しながらなので、少し時間かかると思いますが、そろそろ上げてきます。

デレのんは実にいいものだ……

「随分と、楽しい時間を過ごしていたようね」

 瞬間、背中に氷柱を突っ込まれたような感覚が、俺の脊髄を落雷のように突き抜けた。
冴え冴えとして冷え冷えとした、正しく極寒の真冬を思わせる凍てつくような声音。
囁きにも近いはずのその言葉はしかし、確かな重さをもって俺の身体に浸透して行く。
こ、この声は……!

 ぎぎぎと音が聞こえてきそうな程の、それこそ油の切れたブリキ人形のようなぎこちない動きで、ゆっくりと振り返る。
秋色のカーディガンとチェック柄のストールが、まず目に飛び込んできた。
季節を感じさせる上品な色合いをした装いに、しかし感嘆する暇などあるわけもなく。
恐る恐る視線を上げていくと――見慣れた感のある組まれた腕、流れるようにさらさらのストレートな黒髪、少し上げられた細い顎、そして厳しく細められたものっそい冷たい目。

 見紛うことなく雪ノ下雪乃さんその人でした。
会って早々、何かもうこれ以上ないってくらいに俺を見下してきています。えぇマジで。

 というか、今まで見たことない程に機嫌悪いんですけど。
この睨み、熊でもビビって後退りしそうな気がするぞ。
いやホントやばいよこれ、下手したら石化するよ俺。鏡の盾はどこにあるの?
秋も深まってきたような季節だというのに、背中を流れる嫌な汗が止まらない。

「やっはろー、雪乃ちゃん、来てくれたんだぁ」
「呼んだのは姉さんでしょう。それより、これはどういうこと?」

 これ、のタイミングで俺を指差す雪ノ下。
視線は変わらず冷徹無比。
発する声は絶対零度。
想起させるは根源的恐怖。

 並みの人間では、この空気の中で下手な発言などできないだろう。
実際もう、さっきまで陽乃さんに熱い視線を送っていた男たちの気配もなくなってしまっていた。
危険を察知して逃げたか、我関せずと意識を逸らしているか。
興味はあれど、生存本能には逆らえないのだろう。
その気持ちは痛いほど分かる。俺だって同じ立場なら速攻で逃げるし。

 だが、雪ノ下と今相対しているのは並みの人間ではないわけで。
陽乃さんはというと、俺と雪ノ下を交互に見やりながら、向けられる氷点下の視線を涼しげに流しつつ、変わらずにこにこ笑っていた。
動揺の色など微塵もなく、むしろ楽しそうに言葉を返している。

「んー? ちょっとねぇ、色々お話しよっかなーって思って、来てもらったんだよ」
「この男に関わると碌なことがないから止めなさい、と何度も言っているでしょう。経歴に傷がつくのは姉さんの方なのよ?」
「あはっ、心配してくれるの? でも大丈夫、この程度じゃあスキャンダルにもならないから」
「そういう問題じゃないわ、この程度の男に関わること自体がマイナスだと言っているの。大体知的レベルが月と微塵子程も差のある姉さんが、比企谷くんなんかと何を話すことがあるのよ」

 この程度とかなんかとか、いちいち暴言吐かれてるけど、今は気にもならなかった。
迂闊に口を挟めば、こちらに口撃の矛先を向けられてしまうだろうし。
苛立ちを露にしている今の雪ノ下に声を掛けられるような度胸なんて、俺にあるわけもないのだ。

 だから問題はそこではない。
問題は、びりびりと気圧されている俺を見てにやにやと笑う陽乃さんが、むしろここから更に燃料を投下しようとしている風にしか見えないことなのだ。
間違いない、この人は更に追い詰める気だ……俺を。

「んふふ、気になる? ねぇ、気になるの? わたしと比企谷くんが、雪乃ちゃんのいない所で、二人きりで、仲良くテーブル挟んでお昼しながら何を話してたか」
「何を馬鹿なことを言っているのかしら。どうして私がそんなことを気にしなくてはならないの?」
「もう、そんなに苛々しないで、ね?」
「苛々などしていないわ、言いがかりは止めて頂戴」

 煽ってる煽ってるよ、陽乃さんてば。
お願いもう止めて、どうせ雪ノ下の怒りは回り回って俺の所に来ることになるんだから。
ほら、見るからに雪ノ下の機嫌がどんどん悪くなっていってるし。
指は苛立たしげにとんとんと自分の腕を叩いていて、表情は苦虫を噛み潰したような感じで。
まるで噴火直前の活火山を見ている気分だ。これ以上の刺激は下手したら生死に関わるぞ――俺の。

 と、陽乃さんが、俺の懇願の視線に気付いたらしい。
ぱちくりと一度瞬きして、花咲くように微笑む。
その顔を見て瞬時に理解した。
この人は俺の真意を読み取って――期待の逆方向に答える気だ。

「今日はね、比企谷くんとちょっと二人のお付き合いの状況について話をしてたんだよ」
「って違うでしょ! そんな話全然してなかったじゃないですか!」
「黙りなさい比企谷くん、あなたに発言を認めた記憶はないわ。この期に及んで言い訳だなんて見苦しいと思わないの? 恥を知りなさい。そもそも何? 鼻の下をスカイツリーのように伸ばして、さぞご機嫌だったのでしょうね、汚らわしい」

 怖ぇ! だから怖いって、そんな睨まなくてもいいだろ。
視線は鋭いし、声は尖ってるし、空気は重いし、おまけに言葉もいつもの五割増しで毒が効いてるし。
一体、今日の俺のどこにそんな落ち度があったってんだよ……終いにゃ泣くぞ。
正確には姉妹に泣かされてるんだけど。上手いこと言ってる場合か、俺?

 あと鼻の下なんて伸ばしてないから。お前の眼は節穴か。
陽乃さん相手に、そんな展開あり得るわけないだろうが。
つーかスカイツリーって、俺の顔ってお前の目にどんな造形してるように映ってるんだよ。

 そんなギスギスした空間で、俺たちのやり取りを眺めている陽乃さんだけが本当にご機嫌だった。
真に理不尽にも。

「ふふ、嫉妬しちゃって、可愛いんだから、雪乃ちゃんてば」
「っ! その妄言を今すぐ撤回しなさい姉さん。誰が何をしているですって?」
「大丈夫大丈夫、お付き合いのお話って言っても、わたしと比企谷くんのことじゃなくて、雪乃ちゃんと比企谷くんのことだから。安心した?」
「冗談でしょう、むしろ鳥肌が立つわ。いえ、屈辱に身を震わせるべきかしら」

 だから何で俺を睨むんですか雪ノ下さん。
その握り締めた拳はなんですか雪ノ下さん。
そんな戦々恐々といった体の俺を見て満足したように、陽乃さんが一つ頷く。

「うん、それじゃあ十分楽しんだし、わたしはこれで退散しようかな」
「待ちなさい姉さん、話は終わっていないわ。というか、そもそも何か渡す物があると言って私を呼び出したのでしょう?」
「うん、だから、これ」
「これ?」

 二人して、俺を指差しながら自然な感じでこれ扱いである。
かくも丁重な扱いを受けるのは生まれて初めてで俺は少し落ち込んだ。
せめてこいつとかさぁ、同じ代名詞でも色々あるだろ。全くもって人称代名詞の立場がないじゃん。
さめざめと涙を流さんばかりの俺に、しかし二人は気付いてくれない。

「比企谷くんは雪乃ちゃんのだからね、わたしが手を出したりはしないよ、安心して」
「むしろその誤解に不安になるわ、何度も言うけど私は――」
「だって、先に雪乃ちゃんが出会っちゃったんだもんね」

 言いかけた雪ノ下の言葉に、敢えて被せて話す陽乃さん。
瞬間、先程までとは何かが変わったような、そんな感覚があった。
彼女の笑顔は全く変わっていないし、その声だって変わらず穏やかさに満ちている。
さながら菩薩の如きその外面……では、その内面は?
雪ノ下もそして、その何かを察したのだろう――恐らく無意識に、一歩後ずさる。

「な、何の話?」
「ん? 比企谷くんに出会ったのは雪乃ちゃんが先だったでしょ? それはわたしが勝手に手を出すわけにはいかないじゃない」
「だから何を言っているの? 姉さん、意味が分からないわ」
「そんな難しい事言ってるかなぁ? さっきも言ったけど、わたしと比企谷くんがこの先どうこうなることは多分ないよ? でも、出会いが少し違ってたらどうだったかなーって、ちょっと思っただけ」

 何でもないことのように、世間話のように。
淡々と、朗々と、陽乃さんは言葉を続けている。

 けれどその姿が。
穏やかに朗らかに、明るく優しげなその笑顔が。
俺たちから言葉を、思考を奪う。
既に周囲の空気さえ一変してしまっていた。

「ま、仮定の話なんて大して意味も無いんだけど。でも、もし比企谷くんがわたしと先に出会ってたら、わたしを先に知っていたら――もしかしたら、わたしの隣が比企谷くんの居場所になってたかもね。だってこーんな楽しい男の子、きっと手放さなかったと思うし。あ、もしかしたらちゃんと矯正もできてて、今頃凄く綺麗な目になってたりして。ふふ……」

 心底愉快そうな陽乃さんに対して、雪ノ下は気圧されたように固まってしまっている。
何かを言おうとして、けれど言葉にすることができず、結局黙り込んでしまう。
ついさっきまでの冷たい空気が、実は春の陽気だったのではないかと思うほどに、今の二人の間の空気は冷たく凍てついている。
むしろ、聞こえてくる明るい声音こそが違和感に満ちていた。

「わたしも奉仕部の部長やってみたかったなー、いろんなイベントがあったんでしょ? きっと色々楽しかっただろうし、素敵な思い出もたくさんできたと思うし。うん、雪乃ちゃん羨ましい」

 その言葉は。その真意は。
傍で聞いてるだけの俺にさえ、よく伝わってきた。
それは他でもない、雪ノ下へのあまりに露骨な挑発だ。

 すなわち――自分がその立場なら、きっともっと上手くやれている、と。
先に見つけたから、順番として譲ってあげているだけだ、と。
その居場所は、自分が関わっていなかったから手に入れられただけなのだ、と。
それこそ、反論があるなら言ってみれば、とさえ聞こえてしまう。
俺の耳ってば、いつの間にそんな高度なフィルター搭載してたの? それ何訳コンニャク? 未来デパートって意外と近くにあるの?

「……」
「ふふ、じゃあお邪魔虫になっちゃうのも何だし、お姉ちゃんはここでさよならするね」

 そして、そんな陽乃さんからのあからさまな挑発に対して、雪ノ下は無言だった。
言葉も無く、動きも無い。見えないけれど、きっと表情も。
それこそまるで、滾る熱気に思い切り冷や水を浴びせられたかのように。

 それを確認してから、変わらぬ笑顔のまま、流れるような動きですくっと立ち上がる陽乃さん。
鞄を手にとって、立ち尽くしている雪ノ下に一瞥をくれる。

 って、本当にこんな状況で立ち去るの? 散々自分の妹をボコっておいて? あなたマジで鬼ですか?
思わず立ち上がりかけたところで、しかしその動きを制するように、陽乃さんがこちらに視線を寄越してきた。
睨まれた訳でもないのに、思わず息を呑み、俺も動きを止めてしまう。
陽乃さんはやはり、俺に対してもにっこりと微笑んで見せる。

「それじゃあ比企谷くん、あとよろしく、ね」

 良い笑顔でそう言うと、手を振りながらカウンターの方へと歩いていった。
いつもと変わらず堂々とした振る舞いで、颯爽と。
一度として振り返ることなく、本当に全て、俺に丸投げで。
陽乃さんの姿が見えなくなるまで、俺も雪ノ下も、全く動けないままだった。

「……」
「……とりあえず、座ったらどうだ?」

 少しして気を取り直し、無言で立ち尽くしていた雪ノ下に声を掛ける。
口撃の矛先がこちらに向かってくることも想定していたけれど、さっきまでの怒気はどこへやら、黙ったまま大人しく席に腰を下ろす雪ノ下。
素直すぎて逆に怖い。
そうして二人の間に沈黙がおちる。
き、気まずい。

「あー、その、何か飲むか?」
「……いいえ、必要ないわ」
「そうか、なら仕方ないな」

 短いやり取り。
返事はあったものの、その声に抑揚は無く、どうにも会話が続け難い。
また重い空気が広がってしまう。

 追加注文でもできれば、ちょっとはこの空気を変えられたかもだけど、それも拒否られた今、俺に打てる手はない。
さてどうしたものかと考えていると、雪ノ下が小さくため息を吐くのが見えた。
視線を向けると、ぱっと見では普段と変わらぬ冷静な眼差しとぶつかる。

「それで、実際のところはどうなの?」
「実際のところって?」
「どうして姉さんと二人きりで会っていたのかと聞いてるのよ、言われなくても察しなさい。前後の文脈からこの程度のことすら類推できないなんて、それで本当に国語の成績が良いの?」
「前段だけで良いだろ、それ――まぁとにかく今日のことなら、小町をダシに使われて呼び出されたってだけだよ」
「呆れた。あなた本当にどうしようもないわね、それじゃ小町さんの名を騙られたら簡単に詐欺に遭うわよ」
「小町の声を俺が聞き違えることはあり得ないから大丈夫だ」

 そんな俺の言葉に、そう、と気の無い返事を寄越す雪ノ下。
表面上は普段通りのやり取りにも思える会話。
相変わらず読めない表情と、冷静な声と。

 だけど、違う。
こんな感情が抜け落ちたような、気の抜けた炭酸のようなやつじゃないのだ、俺の知る雪ノ下雪乃という女は。
最後の台詞のようなあからさまな突っ込み所を見逃すなんて、普段のこいつならあり得ない。
いつもならきっと、それこそ嬉々として罵ってきたはずだ。見下げ果てたシスコンとか何とか。
その前の罵倒だって、今一つキレがなかったし。

 あれ? 何それ、俺ってばもしかして物足りなさとか感じてんの? 今のやり取りで?
うわぁ――まさかの仮説に俺の方まで落ち込みそうだ。
何に目覚めようとしてるんだよ、俺。
そうして俺が少し凹んでいると、雪ノ下が少し躊躇いがちに口を開いた。

「……姉さんの、言う通りかもしれないわね」
「は? お前何言ってんの?」
「姉さんはいつだって、私より優れていた。奉仕部で関わってきた事柄も、それこそ姉さんならもっと綺麗に上手く解決できていたはずよ。あなたのことだって、きっと……」
「そんなの言い出したら切りが無いだろ。そもそも現実そうなってないんだから、そんな仮定なんて無意味だよ。奉仕部の部長はお前だし、事態の解決に尽力してきたのもお前だ。誰もそれを否定はできねぇよ」
「そうね、もう否定も変更もしようがないわ。でも、だからこそ考えてしまうのよ。もし私ではなく姉さんだったら――って」

 視線を落としながら、囁くような声音で話す雪ノ下。
あー、駄目だこれは。厄介な負のスパイラルに入り込んでやがる。
あの雪ノ下がこんなにも振り回されるとは、さすが陽乃さんと言うべきなのか……いや言いたくないけど。
実際さっきも、執拗に揺さぶって平静を奪いつつ、期を見て予測できない角度から一撃とか、雪ノ下を知り尽くしているが故のやり方だと思う。
しかし、本当にこいつの姉への憧れというのかコンプレックスというのか、その根は深いんだなと改めて思わずにはおれない。

 一体何度その高い壁に挑んで、そして何度跳ね返されてきたのか――今までの話から考えて、その回数はきっと数えるのも馬鹿らしいほどに多く。
そして同時に、越えられたことは、一度としてないのだろう。
だから今も、こんなに心揺らされてしまっているのか。
あり得ない前提に、しかしあり得た場合の未来を想像してしまって。

 俺は、雪ノ下の家庭の問題も、これまでどういう経験をしてきたのかも、何も知らない。
そんな俺が、こいつの抱えているものについて何かを言う事はできない。
白々しい慰めなど罵倒の言葉よりも腹立たしいことを、俺は経験で良く知っている。
故にこそ、そういう言葉なんて、間違っても口にはできない。

 だけど。いや、だからか?
今の俺に言えることはある。
他でもない、今ここにいる俺だけが言えることが。

 陽乃さんの別れ際の言葉が脳裏を過ぎる。
本当にあの人は苦手だ。
きっとこれが、これを俺に言わせることが、その選択をさせることが、あの人の今日の狙いだったんだろう。

 それを理解しながら、その思い通りにやりたくないって反発すら覚えていながら、でも。
俺はそれに抗うことができない。
そしてきっと、あの人はそこまで見抜いてしまっている――だからこそ、笑顔で俺によろしくと言って去っていったのだ。
あぁ本当に、益々もって腹立たしい。

「なぁ、無意味な仮定かもしれないけど、それでも敢えて仮定したとしてさ」
「何よ、いきなり。言語中枢でも壊れたの?」
「壊れてねぇよ。さっきの話に突っ込みを入れたいだけだよ。でだ、もし俺が陽乃さんに先に会ってたとしたらって話だったけど、その時は事態は今よりややこしくなってたぞ、間違いなく」
「……変な気の回し方は止めて頂戴、不愉快だわ」

 瞬間、ぎろりと俺を睥睨してくる雪ノ下。
普段より一段低い声に気圧されそうになるが、ぐっと堪える。
今更この程度でびびってられるかっての。
むしろ開き直ってやろうじゃねぇか。

「お前相手に気なんざ回すか、それならコマでも回してた方がよっぽど捗るわ。じゃなくて純粋な推察だよ。だって俺は、あの人のことを信用なんてできなかっただろうからな、お前と違って」
「――どうして? 身内贔屓になるけれど、あの人のことを疑うような人間なんて滅多にいないわ」
「生憎こちとら普通じゃなくてな。何しろ猜疑心の塊だぞ、俺は。綺麗な人が綺麗な言葉を口にしてるとか、そんなの疑えって言ってるようなもんじゃねぇか。ならきっと、どんな言葉をかけられたって俺はその裏を読もうとしてただろうし、そんな俺をあの人は見逃しちゃくれないだろ、叩きのめされてトラウマを一つ増やしてぼっち街道まっしぐらだよ。引きこもりにクラスチェンジだってあり得る」
「自分の惨めな敗北を、どうしてそんなに誇らしげに語れるのよ……」

 はっきりと言い切った俺を見て、額に手を当てて呆れたようなため息を零す雪ノ下。
心外な反応だな、これってむしろ俺は素直に負けを認められる潔い男だって話で、褒められてもいいくらいなんじゃないか?
だから、その虫を見るような目は止めてくれると割と喜ばしい。
まぁそれはさておき、だ。

「まぁ陽乃さんなら、もしかしたら無理やりにでも俺を更生っつーか矯正っつーか、そういうのもできたのかもしれないし、そうしたら俺の学校生活も変わってたのかもしれねぇよ。だけど、それは俺のこれまで歩いてきた道の全否定が前提だろ、そんなの絶対に御免だね」
「でも、更生できたら今よりもう少しはマシな人生を送れるのに」
「過去の自分を否定して、今の自分から目を逸らして、そこまでしてようやく手に入るような未来なんて、そんなのもう俺じゃねぇよ。欺瞞にも程があるわ」
「……相変わらず捻くれてるわね。良い人生を送りたいと思わないの?」
「前も言ったろ、こんなでも、俺は自分のことが嫌いじゃないんでね。結局大切なのは良いか悪いかじゃないんだよ、望むか望まざるかだ。押しつけられた幸せなんて不幸にも劣るわ。誰に何と言われようが、俺は今がいい。仮にもう一度選べるとしたって、先に出会うなら、俺は雪ノ下の方がいいよ」

 そもそも、俺は本当に陽乃さんのことが苦手なのだ。
後先の問題じゃないんだよ、人柄とか能力の問題ですらないんだよ。
あの人の暴力的なまでの眩い輝きは、俺にとっては薬を超えて毒にしかならない。
そういう意味でも、最初に雪ノ下雪乃に出会えたのは僥倖だったと心から思える。

「……」
「? どうした? まだ何かあるのか? 苦情なら勘弁してくれよ、もう陽乃さんの相手で満身創痍なんだから」

 ふと黙り込んでしまう雪ノ下。
とりあえず怒っているわけではなさそうだけど、何かを考え込んでいるみたいだ。
正直本当に疲れてるんで、これ以上の罵詈雑言のお相手とかは勘弁してほしいんだけど。
背もたれに体重をかけながら待つこと暫し、雪ノ下がゆっくりと視線を上げる。

「“雪ノ下”じゃ、どちらか分からないわね」
「いや、それこそ文脈から読み取れよ、学年一位さん」
「何を言っているの? 重要な部分よ、そこをはっきりしないなら、出題側の方にこそ問題があると思うわ」

 すっと目を細めて俺を見やる雪ノ下。
ややこしい奴だな、いちいち屁理屈こねやがって……って、ちょっと待て。
まさかそれ、俺に名前呼びをしろって言ってるのか?
冗談じゃねぇ、あんな恥ずかしい真似、何度もできるかよ――と言いたいところではあるけれど。

 俺に向けられた雪ノ下の透明な眼差し。
その目にも、表情にも、今は何の感情も窺えない。
けれどそれが、あるいは俺の言葉でどちらかに振れるかもしれない――そう思ってしまうと、もう駄目だった。

 ここでもし仮に、万が一にも、負の方向へその針を傾けてしまったら。
そう考えるだけで嫌だった。
何故かは分からないけれど、まだ俺には分からないけれど、でもそれは嫌だと思った。

 だったらもう、俺が恥をかいて無様に罵倒された方が余程マシというものだ。
何、さっき陽乃さんにあれだけおちょくられたことを思えば、その程度は可愛いもんだろう。

「だから――」

 だから、言ってやろう。
言った結果どうなろうが、もういい。
そもそも本当にこいつが望んでいる言葉かどうかも分からないけど、はっきりと口にしてやる。
要するに、俺は――

「俺は、雪乃がいいって言ってんの」

 雪ノ下が、その瞬間目を丸くした。
口も微かに開いて、どこか茫然としたような顔。

 おぉ、何かレアな表情だなーと思ったのは一瞬。
今、自分が何を言ったのかを、遅れて俺の脳が理解して。
全身が総毛立ってしまった。

 何言ってんだ何言ってんだ俺。
いや動揺してたにしろ言葉省略し過ぎだよ。
思い切り良過ぎっつーかもっと言い方ってもんがうあー!
これはやばい、マジでやばい、こんな言い方したら雪ノ下に何を言われるか――

「ま、待て雪ノ下。怒る前にちょっと俺の話を聞いてくれ。お叱りの言葉は後で聞くから、だからまずは言い訳をさせてほしいと言うか――」
「ふふ……」

 ばたばたと手を振る俺を余所に、雪ノ下は怒るどころか――微笑んでいた。
目を閉じて、言葉を噛み締めるようにしながら、小さくささやかに笑い声を零す。
思わずぽかんとしてしまう俺の視線の先で、雪ノ下は楽しそうに笑っている。
何これ? 何だこの構図?

「えっと、雪ノ下?」
「別に、雪乃で構わないわよ?」
「いや、それはもう勘弁してくれ……」
「だらしない男ね、名前を呼ぶ程度のことで。まぁそれもあなたらしいと言えばあなたらしいけど」
「放っとけ」

 溜め息と共に駄目出しされてしまった。
しかし何というか、思ったより毒が薄いな。
それこそあんな言い方しただけに、死ぬほど罵倒されることも覚悟してたんだけど。
意外というのか案外というのか。

 ただとりあえず、不正解の選択肢を選ばずに済んだことだけは間違いなさそうで。
俺もようやく安堵の息を吐く。
果たして自分が何に安堵したのかは、今はまだ良く分からないけれど。

「ったく、さっきまであんなにしおらしかったのに、何かご機嫌だな」
「そうね、否定はしないわ。相手はあなただし内容は些細なことだけれど、それでも姉さんよりも上だって言われるのは悪い気はしないもの。まぁ本当に些細なことだけど」
「些細なことって連呼すんな、一度言えば分かるわ」
「どうかしら、あなたの脳の容量では少し怪しいけれど」
「何で俺の脳みその容量をお前が語ってんだよ」

 あぁ、いつも通りのやり取りが戻ってきたって感じがする。
ようやく再起動した気分だ。
Windows Meでもあるまいに、立ち直るのに時間かかり過ぎだっての。正直あれこそ2000年問題だったよね。
まぁとにかく、今はこれでいい。
こんな些細な言い合いが、何だかとても心地良かった。

 一頻り言い合って満足したのか、雪ノ下が、さて、と少し気合いを入れて立ち上がった。
座ったままそれを見上げている俺。
が、何がお気に召さないのか、雪ノ下は腕を組みつつ、またしても冷厳な目で俺を見下してくる。
こいつホントこのポーズ似合うよな。

「何をしているの、行くわよ?」
「行くってどこにだよ」
「買い物よ。本当は姉さんと行く予定だったのだけど、いなくなってしまったし、あなたが代わりに来なさい」
「いや、別に一人で行けばいいんじゃねぇの?」
「……初めてのお店で、道がよく分からないのよ」
「それ、初めてってのが理由じゃないだろ、お前の場合」

 明後日の方向を見ながら、何か言い訳がましい言葉を口にする雪ノ下に、とりあえず突っ込みを入れておく。
生粋の方向音痴のくせに見栄をはるな、見栄を。
と、俺の言葉にかちんときたのか、雪ノ下の表情にまたしても怒りの色が滲んでくるのが見えた。
これ以上怒らせるのは非常によろしくないと瞬時に判断して、俺も慌てて発つ準備をする。

「分かった分かった、お供しますよさせて頂きますよ、とりあえずテーブルの上を片付けるからちょっと待ってくれ」
「不器用なあなたが片付けるより、お店の人に任せた方がスムーズよ、ほら」
「お? いや、ちょ……」

 テーブルの上のゴミや食器を片付けようとしていた俺の、その腕を。
痺れを切らしたかのように、雪ノ下がそっと掴んでくる。
手を伸ばす直前、一瞬だけ躊躇したみたいだけれど――それでも、迷いを振り切るようにしっかりと。
細く綺麗な指が、確かに俺の腕を捉えている。

 そうして掴んでしまってからは、雪ノ下の動きは早かった。
気付けば俺は立ち上がらされていて、促されるままに歩いている。
何これ? ドナドナか何か? 俺ってばいつの間に売られていく子牛になってんの?
そんな馬鹿なことを考える程度には、俺も混乱していたらしい。

 周囲の嫉妬の視線も好奇の視線も変わらず注がれているのに、それが全く気にならない。
ただ雪ノ下に掴まれている腕にばかり、意識が集中してしまう。

 雪ノ下の指は、しっかりと俺の腕を掴んでいる。
とても柔らかく、きっと優しく。
服越しでも、その温もりがじんわりと伝わってきて。
そのことを自覚して、心臓の鼓動が速まったような気がした

「さぁ行きましょう」

 店を出た所で、ぱっと手を離す雪ノ下。
思わず、掴まれていた部分をじっと見てしまう。

 安心したような、勿体ないような、そんな不思議な感覚も一瞬のこと。
気を取り直して、並んで歩き始める。
道案内は、まぁ俺がしないといけないんだろう。
歩きながら雪ノ下から店内地図を受け取り、開いて位置を確認する。

「で、どこ行きたいんだ?」
「この食器のお店よ」
「はー、食器ねぇ。皿でも割ったのか?」
「あなたと一緒にしないでほしいわね」
「おい待て、皿くらい誰だって割るだろ」
「普通の人は、故意に割ったりはしないわ」
「俺だって故意に割ったことなんかねぇよ、お前家での俺を何だと思ってやがる」
「内弁慶でしょう?」
「馬鹿言え、内でも地蔵だよ。小町にも両親にも、何ならカマクラにも逆らえないレベルだからな」
「あなたそれ、生きてて楽しいの?」
「あぁ楽しいね、これ以上楽しい人生があるかちくしょう」

 いつもと同じようなやり取り。
いつものような暴言。
けれど何となく、二人の間の距離が近い気がして。
そしてそれを悪くないと思う自分が、少しだけ不思議だった。

 まぁたまには、こういう休日も悪くないか。
帰ってから、小町に何を追及されるか分からないのが、ちょっと不安ではあるけれど。

 しかし今日のこれ、陽乃さんはともかく、小町はどこまで予想してたんだろうな? ポイントも高いんだか低いんだか。
とりあえずご機嫌取りも兼ねて、お土産の一つでも買って帰った方が良さそうだ。
そんなことを思いつつ、雪ノ下と二人でゆっくりと歩いていた。

ということで③終了!
支援感謝ですー。

やっとゆきのんがちょっとデレたよ。本当に何でこんなに難しいんでしょうね、この子。まぁそこがいいんだけど。
でも、はるのん全開で書けたのは割と楽しかった。

さて、これから④の内容を考えてかないと。
まだ大まかにしか決まってないし……また進捗はちょくちょく書いてきますんで。

やっはろー、今回の話が割と好評のようで嬉しいです。
やはり感想頂けるのは励みになりますねー。
ぶっちゃけ今回の話で一番書きたかったのがあのヒッキーの台詞だったんで、まぁ苦心の甲斐あったかなぁと。次点で嫉妬のん。

さて④ですが、少しずつ書き始めてます。
ちょっと時間かかるかもしれませんが、気長にお待ち頂ければありがたいところ。
今6.25巻の為に円盤買おうか本気で悩み中……

さて次回のタイトル予告だけ。

④ 当然ながら、雪ノ下雪乃は大抵のことをこなせるものと思われている

また完成が近付いたら連絡しますので。
以上、業務連絡でした。

やっはろー、ご期待頂き感謝です。
忙しい日が続いていて中々書き上げられません……今大体50%くらいってところです。
毎度まったりした話なんで、気長に6.25巻の嫉妬のんとかを堪能しながらお待ち頂ければと思います。
いや確かに、6.25巻はそれだけで円盤買う価値あった。ゆきのん最高。

こんばんは、お待たせしてます。
④もようやく完成が見えてきました。
多分明日か明後日には上げてけるかなーと。
素敵なさきさきSSに心惹かれますが、それでもゆきのん推しは譲れないぜ。
以上、業務連絡でした。

やっはろー、お待たせしており申し訳なかったですが、そろそろ上げてきます。
こちらは八雪平常運転で行くぜ。
穏やかな日常をお楽しみください(ぉ

でもヒッキー×ひなひなは興味あるなぁ。
誰か書いて下さい。

④ 当然ながら、雪ノ下雪乃は大抵のことをこなせるものと思われている


 一仕事を終えた後、放課後の廊下をいつものように一人歩く。
元より特別棟へ続くこの道で、人と出くわすこと自体が稀ではあるが。
何にしても、静かなのは好ましいことだ。
俺の周りで見せつけるように充実っぷりを撒き散らすような奴がいないというのは、それだけで心の安息が得られる。

 ちらりと窓の外へと視線を向けると、灰色の景色が広がっていた。
昼休み頃から降り始めた雨は、今や完全に本降りとなっており、まだまだ止む気配を見せていない。
部活が終わって帰る頃に止んでればいいけど……期待薄かな。

「お疲れー」

 扉を開けて、声をかけつつ部室に入る。
俺の声に反応して、いつも通り既に席に腰を落ち着けて文庫本を開いていた雪ノ下が、すっと顔をあげてこちらへ視線を向けてきた。

 相も変わらず整い過ぎている程に整っている凛とした顔立ちは、曇天の空を背景にしても些かの陰りも見られない。
姉である陽乃さんのような華やかさや明るさを感じさせるものではないけれど、どこか儚さを滲ませる穏やかな美しさはさながら細氷のようで、やはり否応なく人の心を惹きつける。

 こいつを見ていると、美人は三日で飽きるという言葉は、ただの嫉みからの戯言なんだろうなと思う。
ともすれば無愛想と捉えられかねない無表情も、雪ノ下がすれば神秘的と受け取らずにはおれないのだから、神の施した不平等を嘆きたくもなるというものだ。
目に映るのは、いつも通りの透明で涼やかな表情。

「遅かったわね、比企谷くん。どこに寄り道していたのかしら?」
「別に寄り道してたわけじゃねぇよ」
「あら? それにしては授業が終わってから随分時間が経っているわよ。あなた亀より歩みが遅かったの? それともまさか、雨に濡れると力が出なくなるとでも?」
「んなわけあるか、平塚先生に呼ばれてたんだよ」

 そしてその毒舌もまた、晴れていようが雨が降ろうが変わらない。
全く、ちょっと来るのが遅れただけでこれだよ。

 つーか何? 水に濡れただけで力無くすなら、水泳とか絶対溺れるじゃん。
俺を何パンマンだと思ってんの?
そんな俺のジト目を意にも介さず、雪ノ下は小さく一つ頷く。

「そう、平塚先生に。それで今度は何をやらかしたの?」
「おい何勝手に納得してんだよ、何かやらかしたことを前提にするなっての、今日は違うぞ」
「今日は、という言い方をするあたり、自覚があるんじゃない」
「ぐぬ……」

 ふっと鼻で笑われた。
くそっ、何だよその勝ち誇った表情は。
とりあえず、ここは話を戻しておくか。

「とにかく今日は、単に先生の作業の手伝いに駆り出されただけだよ。提出物運ぶのとか資料の整理とか。ったく俺を何だと思ってんだか」
「いつものことでしょう。それにしても、あなた本当に雑務という肩書きが似合うわね」
「やめろ、おいマジでやめてくれ、そういうの地味にくるんだよ」
「えぇ知ってるわ、だから言ったのよ」
「ホントお前鬼だな」
「あら、こんなに美しい鬼なんているものかしら?」

 さらっと髪をかき上げながら、雪ノ下がしれっとそんな言葉を口にした。
何かこの前聞いたような台詞だった。つーか陽乃さんと同じこと言ってやがるし。
げに血の繋がりというものは馬鹿にできないと思う。
こんなこと言ったらまた怒られそうだから黙っとくけど。

「立ち話もなんだし、座ったら?」
「お、おぅ」

 すっと視線で自分の斜向かいの席を示す雪ノ下。
最近の、俺の指定席はそこだった。

 鞄をいつもの所に置き、文庫本を取り出す。
昨日買ったばかりの新作のラノベ。汚れないように紙のブックカバーをかけて、ガードも万全だ。
やはり雨の時は読書に限るな。晴れてる時でもそうだけど。
さすが生粋のぼっちたる俺に隙は無かった。違うか。

 本を片手に、ががっと音を立てつつ椅子を引き、腰を下ろす。
机を挟んで斜め前に陣取る雪ノ下は、文庫本に視線を戻して、既に読書を再開しているようだ。
今までと比べて少し近い距離にあるその表情を、ちらと見てみる。

「何? さっきから人の顔をじろじろと。身の危険を感じるから止めてもらえないかしら」
「ちょっと視線を向けただけでそれかよ……」
「そうね、私もそれなりに慣れてきたつもりだったのだけれど」
「おい待て、そのマジっぽい感じで俺の目を揶揄するのは止めろ」
「比企谷くん、決して悪い意味に受け取ってほしくないのだけれど、あなた知らない女性にはあまり視線を送らない方がいいと思うわ」
「その台詞をどうやって悪い意味以外に受け取ればいいんだよ」

 悪天候でも絶好調だな、おい。
何でそんな晴れがましい顔してるんだよ、俺の心は土砂降りだぞ?
本当に俺の心に優しくないよな、こいつ。

 まぁいつものことだし気にしても仕方ない。
ということで、予定通り読書に勤しむことにする。
さて、表紙買いしたこのラノベ、当たりか外れか――

 そんな危惧も抱いていたけど、蓋を開けてみれば杞憂も杞憂。
暫く読み進めて行くと、思いの外熱い展開が待っており、ついついのめり込んでしまっていた。
これはめっけものだな。
さすがはガガ●文庫、一生ついて行きます。

 そんな風に、久しぶりに俺の好みにジャストミートしている本に出会えた喜びから読書に熱中していたのだが。
本の中へと飛び込んでいた俺の意識は、突如として現実に引き戻されてしまう。

「何を読んでいるの?」
「っ……!」

 耳元で囁かれた涼やかな声。
同時に、とても良い匂いが仄かに鼻腔を擽る。
思わず、びくっと背筋が伸びてしまう。

 みっともないと言うなかれ。
正直、声を出さなかっただけ頑張った方だと思う。
これで今読んでいたのがホラーだったら、悲鳴を上げていたこと請け合いである。絹を裂く様なレベルの。
いや、マジで危ない所だった。

 一息ついて振り仰げば、いつの間に背後まで来ていたのか、驚きに少し目を見開いている雪ノ下の顔がそこにあった。
近いって近いって。
思わず知らず仰け反るような体勢になってしまう。

「な、何? びっくりするじゃない、急に動かないで頂戴」
「ばっ、お前、それは完全にこっちの台詞だっつーの、びっくりさせんな」
「何よ、この程度のことで大げさね、蚤の心臓って困るわ」
「本に集中してる時にいきなり声かけられたら、誰だって驚くわ」

 不満げな表情で見下ろしてくる雪ノ下。
というか何で俺が悪いみたいな空気出してんだよ、お前は。
俺の非難の眼差しを、しかし雪ノ下は軽やかにスルー。

「それで、何を読んでいたのかしら? まさかその動揺ぶり、いかがわしい本でも見ていたのではないでしょうね?」
「馬鹿言え、んな阿呆なことするか。読んでたのはラノベだよラノベ、ほら、いつもと変わんねぇって。つーか何でそんなこと気にするんだよ」

 不意に声が冷たくなり眼光鋭く睨んでくる雪ノ下に、抗議の意を込めて、ブックカバーを外して普通の文庫本であることを示しつつ、こちらもジト目で返してやる。
雪ノ下は冷たい目をしたまま本の表紙を確認したものの、それが普通の文庫本であることが分かると、決まり悪そうにふいと視線を逸らす。
しかし沈黙は一瞬の事。
こちらに向き直った時には、既にその目は俺を責めるものに変わっていた。いや何でだよ。

「だってあなた、普段はブックカバーなんて使ってないじゃない。隠すような疾しいことがあるのかと疑うのは自然なことでしょう」
「ブックカバー使ったぐらいで疑われるのが自然とか、普段の俺ってどんだけ信用ないんだよ。昨日買ったばっかの新品だから使ってるだけだっての」
「紛らわしいわね、普段からそうしていなさい」
「何でそんな上から……」
「それで、その本は面白いの?」
「ん? あー、まぁな。俺にとっては久々にクリティカルヒット。表紙や挿絵が重視されるのも分かるけど、やっぱ中身も伴ってこその小説だよな」
「そう、随分のめり込んでいたようだから何かと思ったけれど、確かに好きになれそうな作品に出会えた時というのは嬉しいものね」

 くすりと笑って俺の傍から離れる雪ノ下。
そうして自分の席に戻り、再び閉じていた本を手に取る。
どうやら、本当にただ俺が何を読んでいるのか気になっただけのようだ。

 だけのようだとは言ったものの、これまでの雪ノ下のことを思えば、これは割と見過ごせない事象である。
何しろ“あの”雪ノ下雪乃だ。
口を開けば毒舌、目を向ければ蔑視、迂闊に近づこうものなら罵倒と共に撃退されるってのが基本姿勢だったのに。
それが今週に入ってからというもの、こういう風に急に距離を詰めてくることが増えたように思う。
座る席にしても、今まではテーブルの端と端だったのが、机を挟んだ斜向かいに座るようになってるわけだし。

 それらはけれど、考えてのことではなく、恐らく無意識のことなのだろう。
例えるなら、今まで警戒していた野良猫が態度をちょっと軟化させたみたいな感じ。
うーん、そう考えるとちょっと微笑ましく思えてくるな。

「何? その薄ら笑いは? 不気味だから止めて頂戴」
「いや、お前さ、もう少しはオブラートに包む努力とかしたらどうだ?」
「心外ね、かなり包んであげたつもりなのに」
「包めてないから、全然包めてないから。何なら思いっきり突き破ってるレベルだから」

 前言撤回。微笑ましくねぇわ、やっぱりこいつ。
露骨に眉を顰めて俺から距離を取ろうとしているあたり、その辺の容赦の無さはあまり変わってないようで少し安心する。
いや、その感想もどうかと思わんでもないけど。

 気を取り直すように、席に改めて座り直して伸びをすると、身体がばきばき鳴った。
結構長い時間本に集中していたせいで固くなってしまっていたみたいだ。
窓の外へ視線を向けるが、空模様はまるで変わらず、しとしとと雨が降り続いている。
別に雨が嫌いというわけでもないけど、こうも続くとさすがにうんざりしてくるな。

「それにしても、雨全然止みそうにないな」
「えぇ、さすがにこれだけ続くと少しうんざりするわね」
「ったく、じめじめじめじめとホントに鬱陶しい空模様だ」
「その言葉、あなたが言うと重みが違うわね」
「おい、どういう意味だ?」

 穏やかに微笑む雪ノ下。
口にした言葉が違っていれば、その笑顔も心に響くものだったかもしれないだけに実に惜しい。いやそうでもないか。
いつものやり取りを挟みつつ、ふと雪ノ下が俺の頭部をじっと見てくる。

「鬱陶しいと言えば、あなたの髪、随分伸びてきたんじゃない?」
「できれば鬱陶しいという単語で思い出してほしくなかったな、それ」
「早めにカットに行ってきなさい、正直とても見苦しいわ」
「そこまで言うか」
「自分では気付いていないのかもしれないけれど、あなたの目と長髪の相性は最悪よ。不審者か自殺志願者にしか見てもらえないと思うわ」
「お前の論旨に後半部分の表現って本当に必要だったか?」

 お前はあれか、そこまで言わないと似合わないって単語が出てこないのか?
混ぜるな危険レベルで俺の目と髪を語るなよな。
ちょっと自分で自分の髪を触って確かめてみる。
うん、確かに伸びちゃいるが――

「いやでもこれ、まだそんな言われる程は伸びてないと思うけどな。また今度行くから、それでいいだろ」
「呆れたずぼらね、他はともかく、その前髪は自分で気にならないの? 目に入りかけてるじゃない」
「あぁ、たまに入るな、確かに」

 結構髪質が硬めなので、目に入るとちょっと痛いのだ。
とんだやんちゃものである、誰に似たんだか。
ちょこちょこと自分の前髪に触れていると、雪ノ下が一際大きな溜め息を吐いた。
それから、きっ、と強い視線をこちらに向けてくる。

「切りなさい」
「お? いやちょっと待って、その言い方はおかしい。だから今金無いし、また今度行くから、それでいいだろうが」
「良くないわ、今すぐ切りなさい。言っておくけれど、これは周囲を不快にさせない為というだけでなく、あなたの為でもあるのよ?」
「基本俺の髪に関することなのに、何で俺の為がサブ扱いなんだよ、順番おかしいだろ」
「いい? 髪が目に入ることで視力障害を起こすこともあるの。これ以上目つきが悪くなるような要因を放置しておくなんて、断じて許されないことよ」
「すげぇ言われようだな、おい。つっても俺、自分で自分の髪なんて切ったことねぇし、そもそも髪切るハサミも持ってないからどうしようもないぞ」

 大仰に肩を竦めて、お手上げだと伝える。
そもそも前髪を自分で切るとか怖いわ、失敗したらそれこそ目も当てられないだろうが。

 そんな俺の態度に思う所があったのか、雪ノ下の表情が小さく動いた。
すぅっと目を細めてこちらを睥睨してくる。
相も変わらぬ冷ややかな眼差しに、思わず動きを止めてしまう。

「……そう、それなら仕方がないわね」

 数秒の溜めの後、雪ノ下は首を振りつつ立ち上がった。
表情にも態度にも動きにも、やれやれ本当はこういうことなんてしたくないのだけれど、と言わんばかりの倦怠感が滲んでいる。
そして俺の方には目もくれず、一直線に自分の鞄へと歩いて行く。
というか、そんなに嫌なら動かなきゃいいんじゃないですかね? どうにも悪い予感しかしないんだけど。

 果たせるかな、自分の鞄をごそごそ探っていた雪ノ下が次にこちらに振り向いた時、その手には鈍く輝くハサミが握られていた。
どことなく気だるげに刃物を握っている構図が、何だか微妙に恐ろしい。
正直こいつと凶器こそ混ぜるな危険だと思う。

「今何か不愉快なことを考えられていた気がするのだけれど」
「気のせいだろ。というか勘弁してください」
「なぜ謝るの? やっぱり良からぬことを考えていたんじゃない」
「違う。いきなり刃物持ってこられたら誰だってびびるだろうが」
「その結果反射的に謝るのね。その遺伝子に刻み込まれているかのような卑屈さは、とてもあなたらしいと思うわ」
「容赦なさ過ぎだろ、お前」

 何でそんな満面の笑みよ。俺をおちょくるのってそんなに楽しいの? 生き生きし過ぎでしょ。
楽しそうな笑顔のまま、俺に向かって歩み寄ってくる雪ノ下。
無表情のままよりはいいけど、笑顔は笑顔で怖いな、持っているのが刃物なだけに。

「って、おいちょっと待て、そのハサミで何をするつもりなんだ?」
「信じられない程の鈍さね、今まで何を聞いていたの? 話の流れから想像できるでしょう」
「いやできるけど、何もそんなお前がやんなくても」
「遠慮はいらないわ、さっきも言ったけれど、周囲の人たちの為だもの」
「じゃなくて、お前素人だろ。ミスられたら堪らんぞ」

 真に遺憾ながら、ここで俺は言葉の選択をミスってしまった。
突然の事態に混乱していたのは事実だけど、言葉はよく考えてから発するべきだったのだ。
口にして気付いた時には既に遅い。
こんな言葉を耳にすれば、雪ノ下雪乃は当然の如く――

「あら、随分安く見てくれるじゃない。以前にも言わなかったかしら? 私は昔から何でもできたって。本格的な調髪ならともかく、前髪を整える程度のこともできないと思われているだなんて、捨て置く訳にはいかない暴言だわ」

 ――挑発と受け取ってしまうわけで。
そして、こうなった雪ノ下はそう易々とは止まらない。
浅からぬ付き合いで、そのことはよーく分かっている。
分かってはいるが、しかしだ。

「いやいや、だからちょっと待てって。失敗したらどうすんだよ、前髪やっちまったら洒落にならないぞ」
「安心しなさい、それ以上悪くなることはないから」
「既に失敗してるみたいに言うなっての、ただちょっと伸びてるだけだから、これ」
「それが見苦しいと言っているのよ。それとも――本当に、信用できない?」

 そこで少し声のトーンが落ちる。
反射的に視線を合わせると、こちらをじっと見据える透明な眼差しにぶつかった。
それは挑発するような目でも、いつもの冷静な目でもない……どこかこちらの本心を窺うような、探るような、あるいは縋るような、そんな目。
思わず知らず、言葉に詰まってしまう。

 多分、ここで俺が否定の言葉を口にすれば。
そうすればきっと、雪ノ下は素直に引き下がってくれるだろう。
だけどそれを――雪ノ下を信用できないという言葉を、俺は口に出来るのか?
自問自答してみる無理だ。思考どころか句読点を挟む間もない即答だった。ちょっと自分でもびっくりした。

 いや例えばもしこれが陽乃さんだったとしたら、そういう俺の思考を計算してやっていると予想できるから、むしろ否定はし易いんだけど。
対して雪ノ下はというと、このあたりどうしようもなく真っ直ぐで素直なので、逆に否定し難いのだ。
あぁ本当に、改めて思い知らされる――俺は、こいつには絶対に勝てないんだな、と。
そしてまた、それも悪くないと思う自分が心の中に確かにいることも。
だから、まぁ。

「んなことねぇよ、お前のことまで信用できなくなったら、いよいよ俺も終わりだわ」

 ここでは嘘や誤魔化しは無しにする。
ただ何か恥ずかしいので、言うのは視線を逸らしながらで。

「そう……」

 見えないけど、返ってきた声音は柔らかで穏やかなものだったから。
きっとそれで良かったんだろうと思う。
しかしちょっとむず痒い感じだな、この空気。どうも慣れない。

「それじゃ、いいかしら?」
「まぁやってくれるんなら、頼むわ」
「えぇ、任せなさい」

 そっと、雪ノ下の手が俺の髪に触れてくる。
反射的にぴくっと俺の体が反応してしまう。
いやこう、他人に髪を触れさせるなんて、それこそ散髪に行く時くらいしかないだけに、どうにも落ち着かないのだ。

 変な反応をしたってことでまた何か言われるかと身構えたものの、雪ノ下からのコメントはなかった。
ほっとしたような物足りないような。

「……」

 雪ノ下は、一旦ハサミと櫛を机の上において、無言で俺の髪を指で弄っていた。
つまんだり、掌の上で転がしたり、指で梳いたり。
それは遊んでるというよりも、どこか科学者が検分してるみたいな細やかさを感じる。

 実際こいつ白衣とか似合いそうだよな。
試験管を睨みながら実験とかやってる姿が容易に想像できるし。
何やっても絵になる奴って凄いね、ホント。
ふと何か気になったのか、雪ノ下が手を止める。

「比企谷くん、少し髪が傷んでるわよ、ちゃんと手入れはしているの?」
「ん? まぁ一応それなりには」
「つまり碌にしていないのね?」
「つまるな、やってないわけじゃねぇって」
「結果として傷んでしまっている以上、やっていないのと同じよ」

 そう言って髪を少し強めに梳いてくる雪ノ下。
痛っ、ちょっと引っ掛かってるって、痛い痛い。
俺の頭で遊ばないで。

 しかし改めて思うと、他人に頭を触らせる行為って普通に怖いな。
何というか、生殺与奪の権利を握られてる感が半端ない。
ましてやそれを握っているのが雪ノ下とくれば、それは恐怖を感じない方がおかしいとも言える。
やべぇ、俺早まった?

「何か不愉快なことを考えているようね」
「痛い痛い痛い! ちょっ、こめかみぐりぐりするのは反則だろ!」

 指先でやられても痛いんだよ、うめぼしは。
ホントどうして俺の考えてることが分かるんだよ。
何? お前超能力者なの? レベル5の女王様でも目指してんの?

「全く、無駄なことに時間を使ってしまったわ」
「散々俺を攻撃しといてその言い草かよ」
「とにかく、頭皮と頭髪の手入れはちゃんとなさい。油断していると失うわよ」
「怖い言い方すんな、そんな簡単に禿げて堪るか」
「失ってから気付いても遅いのに……」
「だから止めろって。分かったよ、ちゃんと注意するようにするよ。万が一にもそんなんなったら小町と一緒に街を歩けなくなるしな」
「理由が気持ち悪いわ」

 雪ノ下が一歩後ずさった。何もそこまでマジに取らんでも。
相変わらず端的で容赦のない突っ込みをしてくれるぜ。

「放っとけ。小町の為と思うのが一番モチベーション上がるんだよ」
「そう、まぁ好きにしたらいいわ。とりあえず前髪に触れるから目を瞑っていなさい」
「お、おう、お手柔らかにな」

 言われて素直に目を閉じる。
コツコツと小さな音がして、雪ノ下が俺の正面に回ってきたのが分かった。
すっと前髪を手にとって、さっきまでのように弄られる。
長さとか確認しているんだろうか。
さすがにちょっと緊張するな。

 視覚が閉ざされている分だけ他の感覚が鋭くなっているらしく、些細なことも過敏に感じられてしまう。
嗅覚は微かに香る良い匂いを検知して。
聴覚は雪ノ下の吐息すら捉えてしまい。
触角は俺の髪に触れる雪ノ下の細い指の感触に集中していた。

 何なの俺、これじゃほとんど変態じゃん。
いくら何でも動揺し過ぎだ、と思わないでもないけど、同時にある意味では仕方の無いこととも思うのだ。
だってあの雪ノ下が――高嶺の花どころか彼方の星のような、触れることはおろか近づくことすら叶わないはずの存在が、今こんな至近距離にいるのだから。

 ともすれば触れられる距離にこいつがいるということが、俺の心をざわつかせて止まない。
果たして俺が今覚えているこの感情は、単なる違和感に過ぎないのか、それとも不安や恐怖なのか、あるいはもっと別の……?
おかしな方向に行きそうになっていた思考はしかし、雪ノ下の声で現実に引き戻される。


「癖があるわね、あなたの髪。やはり性格が捻くれていると髪にも出るのかしら」
「なるほど、オブラートに包む気のない常に直接的で直球勝負の雪ノ下さんは、だからそんなにストレートな髪なんだな」
「そうね、あなたと違って、ね」

 見えないけど、声の感じからすごい勝ち誇った顔されてるな、多分。
まぁ確かに言い返したつもりが全然否定できてないし、むしろストレートな髪で羨ましいって風にしか聞こえないし、それも止む無しか。
だってこと髪の話じゃあ、非の打ち所なんてないんだもんなぁ、こいつ。
ちょっと腹立たしいけど、さすがに認めざるを得ない。

「……んなもん仕方ないだろ、そりゃお前の髪と比べられたら誰の髪だって数段落ちるわ、綺麗過ぎるんだよ、お前の髪は」
「え?」
「つーかそんだけ長いのに毛先までさらさらとか、全体に艶があってきらきらしてるとか、手入れにどんだけ手間暇かけてんだよ。むしろ周りの子が可哀想になるレベルだわ」
「そ、そう?」

 癖っ毛の持ち主は、どうしたってさらさらの髪の持ち主に憧れるもんなのだ。
今までだって、寝癖直すだけのことで朝の貴重な時間をどれだけ奪われてきたか……
そんなことを考えていると、何やら雪ノ下が俺の頭を指でぐりぐりし始めた。
ちょっ、何? 俺の頭を擦っても何も出ませんよ?

「ま、まぁそう思うのも当然と言えば当然のことかしら、あなたもたまにはまともな事を言うのね。えぇそうよ、確かにこの髪は私の数多い美点の中でも特に自分でも気に入っている部分だわ。そのせいで余計な苦労を背負うこともあったくらいだもの。そう、周囲の嫉妬の対象としてね。もちろん学校の他の女子の中にも髪のきれいな子は少なからずいたけれど、当然ながら私と並んでなお誇れる程の美麗さを備えていた人なんていなかったわ。あとはお決まりのパターンね、みんな必死で私を引きずり降ろそうとしていたものよ、もちろん私が負けることなんてなかったけれど。それにしても、誰も彼も私の髪を持って生まれたもののように言ってくるのは腹立たしかったわ。私がどれほどその手入れに心を砕いてきたか、どれほど時間と熱意を注いでいるかをまるで理解しようともしないのだから。あそこまで行くと最早愚かしさを通り越して憐みすら抱いてしまうわね。人を妬む前にどうして自分を高めようという努力ができないのかしら。そもそも――」
「ちょっと痛いって、待て待て待て、それ以上は止めて、禿げちゃうから、十円禿げとかマジ勘弁だから」

 指の動きが言葉と共に加速してきて、さすがにストップをかけずにはいられなかった。
いやホント何かちょっと痛いから。摩擦で割と熱くなってるから。
全くとんだテロ行為である。

 しかしこいつって本当に照れると雄弁になるよな、しかもすげぇ早口で全く噛まずに言い切ってるし。
いっそ女子アナでも目指したらどうだろうか? 容姿的にも全然行けると思うぞ。
毒が効き過ぎてるのが玉に瑕だけど。いや喋りの職業にそれは致命的か?

 さておき、普段ならそんな姿も微笑ましく見られたかもしれないけど、頭髪の危機とあってはさすがに安穏とはしていられないわけで。
そんな俺の制止の声に、はたと雪ノ下の動きが止まった。
と、わざとらしく咳払いを一つ。

「――んんっ、な、何かしら?」
「何かしら、じゃねぇだろ。言っとくけど全然誤魔化せてないからな」
「誤魔化すだなんて心外ね、全く何を言っているのかしら。ほら、目を閉じていなさいと言ったでしょう、たった数分大人しくしていることもできないの? ぜんまい仕掛けのおもちゃでもあるまいし、じっとしていなさい」
「あーもう、分かったよ、大人しくしてるって」

 改めて目を閉じて大人しく待つ。
雪ノ下はゆっくりと櫛で髪を梳きながら、切る長さを思案しているらしい。
そうして大体の方針が決まったのか、髪受け用のレポート用紙をそっと俺の顔の前まで持ってくる。

「動かないでね」
「分かってる」

 しゃきっと音がして、髪が切れる感触がする。
それから断続的に、少しずつ、しゃきしゃきと髪が切られていく。
ハサミを手にした他人を前に目を閉じて無防備な頭を晒すという状況に、しかし不安はほとんどなくなっていた。

 結局のところ、何だかんだ言いつつも、俺は雪ノ下が失敗するとは微塵も思ってなかったってことなのだろう。
もちろんこいつにもできないことは少なからずあるけど、でも本人が言うように色々な事をこなせるというのもまた事実であって。
しかし何よりもまず、それを人に信じさせることができるというのがこいつの凄いところだと思う。

「あまり切り過ぎるのも何だし、このくらいかしらね」
「ん? 終わった?」
「えぇ、一先ず目立たない程度にだけど。とりあえずこれで目に入ることはないはずよ。あとは全体のバランスもあるし、早めにカットに行ってきなさい。見たら即通報レベルの不審人物になる前にね」
「最後の一言いらねぇ」

 さらりと暴言を残しつつ、ハサミと紙を脇の机に置いて、雪ノ下が再び俺の背後に回って櫛で髪を梳いてくる。
腹立たしいけど、心なしか素直に櫛が通るようになった気が……? こいつやりおる。
しかし意外とこう、人に髪を整えられるのも悪くないかもしれない。できれば暴言は勘弁だけど。
と、何となくまったりした感想を抱いた時だった。

「待たせたな! 君たち!」

すみませんが、今日はここまでということで。
続きも近いうちに上げてきますのでよろしくです。
最後に誰が登場したかは謎としておきますw

しかしやっぱり八雪が一番好きだわー。
容赦ないやり取りしつつも通じ合ってる感が堪らない。
ゆきのんの言動がいちいち可愛いし。
6.25巻の嫉妬のんとか、もうそれだけで円盤代ペイできるレベル。
7.5巻の発売が楽しみ過ぎる。

ご覧頂き感謝です。
やっぱり八雪いいよね!
で、できれば早めに続き上げてきたかったんですが、どうにも時間が取れず……週中は難しいかもです。
お待ち頂いてる方には申し訳ないですが、暫しお時間ください。週末には何とか!

そういえば6.5巻も8月でしたねーと書き込み見て気付いたww(決して円盤3巻とは言わない)
今度はどんなゆきのんが見られるのか超楽しみ。
一ヶ月って長いよなぁ。

やっはろー。
長いことお待たせしてて申し訳ないです。
そろそろ上げてきます。
少し時間かかりそうですので、気長にお付き合いください。

「待たせたな! 君たち!」

 ガラッと扉を勢いよく開けて部室に乱入してきたのは、魅惑のアラサー・平塚先生だ。
相も変わらぬ男前な笑顔と訳の分からん台詞で、先程までの静かで穏やかな空気は完膚なきまでに雲散霧消していた。
材木座も真っ青な空気ブレイカーである。
更に一段踏み込んでエアブレイカーって言うと、ちょっと中二的に格好良い気がしないでもないな、全く意味は分からんけど。

「平塚先生、何度も言っていますが、部屋に入る前にはノックをしてください」

 頭痛でもするのか、雪ノ下が櫛を持った手でこめかみを抑えながらぼやく。
聞き入れてもらえないことを理解しながら、それでも諦めない根性は天晴れだけど、無駄な努力は止めた方が双方の為じゃないか?
何だか様式美みたいになってるし。
そんな風習いらんだろ。誰が得するんだよ。

「まぁ固い事を言うな、そう眉間に皺を寄せていると綺麗な顔も台無しだぞ」
「誰のせいだと……」
「んで、何しに来たんですか? 先生は」

 多分澱んでいるだろうジト目で平塚先生を見やる。
誰も待ってないんだけど、という突っ込みは飲み込んでおいた。何か突っ込み待ちみたいだったし。

 案の定、先生は少し寂しそうな目をしていた。
何ですか、売られていく子牛でもあるまいに。
本当にこの人はいつになったら落ち着くんでしょうね?

「ふむ、まぁ特に用があるわけでもないんだがな、たまには顧問らしく部室に顔を出そうと思っただけだ」
「いや、何か今日は用事があるって言ってたじゃないですか、だから俺を手伝いに駆り出したんでしょう。それが何でまだ学校に?」

 手伝ってる時に聞いた話である。
ちょっと浮ついてる感じだったから、婚活パーティーか何かだと睨んでいたのだ。
これで良い人が見つかってくれたら(俺の心身の平穏の為に)良いんだけどなぁ、とか思いつつ生温かい目で見てたんだが。

 そんな俺の言葉に、しかし平塚先生は一転機嫌が悪くなり、ふいと視線を逸らした。何か舌打ちしてるし。
ってことは――

「中止になったんだよ、ドタキャンやらで集まりが悪いらしくてな。全くどいつもこいつも根性が足らん、肉食系の男はおらんのか?」
「雑食系じゃなくて?」
「何が言いたい?」
「い、いえ、何も――」

 ぼそっと呟いた所に強烈な睨みをぶつけられて、問答無用で黙らざるを得なくなる。
拳が飛んでこなかっただけマシではあるけど。

 しかし、思いついたら喋らずにいられないこの性格は、早めに直さないと駄目だなと思いました。
と、聞こえよがしに雪ノ下が溜め息を吐く。

「要するに、先生はここに愚痴をこぼしに来たんですか?」
「ふむ、雪ノ下よ、概ね間違ってはいないが、もう少しオブラートに包んでくれてもいいんだぞ」
「回りくどいのは苦手ですので」

 雪ノ下の容赦の無さと冷ややかさは、平塚先生が相手でもあまり変わらないらしい。
あるいは平塚先生だからこそ、遠慮なく話せるのかもしれないけど。
まぁ毒を吐かないだけ優しいもんだとは思う。
何にしても、一言言わずにおれないのは俺も同じだ。

「それで何で真っ先にここに来るんですか? 他を当たってください、他を」
「最初は陽乃のヤツに電話したんだがな、暇潰しに忙しいとか言われて切られた」
「凄いですね」

 陽乃さんにそんな愚痴を聞かせようとした先生も、仮にも恩師にそんな暴言吐ける陽乃さんも。
というか暇潰しに忙しいって、そこまで言うならもういっその事うざいって言い切っちゃえばいいのに。
それで配慮のつもりなんだろうか?

「そもそも、そういう話は同年代の友人相手にすれば良いと思うのですが」

 おっと雪ノ下も負けちゃいなかった。
暗に自分にそんな話を聞かせるなって言ってやがる。
姉と同じくばっさりだ。

 ホントこの姉妹何なの? ちょっとは平塚先生に同情してあげてもいいんじゃないの?
つーか愚痴くらい聞いたげなさいよ。俺は嫌だけど。

「馬鹿を言うな、そんなことをしたら惨めになるだけだろう」
「教え子の高校生相手に愚痴を聞かせている時点で――」
「止めろ雪ノ下、追い打ちをかけんな」

 見かねて止めに入る。
何かまだ俺の頭から離れてくれないので顔は見えないが、不満げにしていることは空気で分かる。
まぁ幸い平塚先生は特に気にした様子もないけど。

 いやそれもどうなんだ? 少しは現実に疑問を持ったりしないもんなのか。
しかし先生は何が引っ掛かったのか、まだ苛立っているご様子。

「大体、友人連中なんて結婚してるヤツも多いし、子供がいるヤツまで……そんな連中と何を話せと? 他人の惚気話なんぞ聞きたくはない!」
「んな心の狭いことだから結婚できないんじゃ――」

 ギン! と一際強烈な視線が俺に突き刺さった。
もう言葉が無くても“それ以上喋ったら殺す”というメッセージがびりびりと伝わってくるレベル。
だって知覚した瞬間全身に悪寒が走ったくらいだし。
どうしてこの人はこう大人げないんでしょうね、子供のいうことじゃないですか。

「じゃあ聞くが比企谷よ、お前だったらどうなんだ? かつてのクラスメイトが自分を差し置いて結婚し、あまつさえ子供まで出来ていて、挙句惚気話なんぞ聞かせてくれた日には」
「リア充爆発しろとしか思いませんね」
「そうだろう? 話が分かるじゃないか」
「教育者として、その発言は如何なものかと思いますが」
「教育者の前に、私も一人の人間なのだよ、雪ノ下」

 いや、正直この考え方は人間としてもかなりアウトだと思う。自分も悪乗りしといてなんだけど。
きっと雪ノ下も同じことを考えたのだろう、何か言いたげな気配が背後に滲んでいるが、さすがに自重したらしい。
何への配慮なのかは分からんが。
とりあえず一言だけでもフォローしておこう。

「まぁまぁ先生、婚活パーティーだってこれっきりってわけでもないでしょう? 次の機会に決めてけばいいじゃないですか」
「もちろんそれはそうなんだがな、一日を無駄にした怒りは何かで晴らさんと。ストレスは美容と健康の大敵だし」
「先に言っときますが、俺で晴らすのは止めて下さいよ、殴るなら専用のサンドバッグでも買ってください」
「君は私を何だと思っているんだ? 理由もなく教え子を殴るわけがないだろう」
「まず理由があれば殴っても良いという解釈を捨ててもらえませんかね?」

 これこそ教育者以前の問題だと思うんだけど。
殴られるようなことを言う俺にも反省材料があるだろうという至極もっともな意見はこの際置いといて。
そこで話が一段落したからか、平塚先生がふと真剣な表情に変わる。

「いやでも実際、私の何が問題なんだろうな。真面目な話、何をどうすれば結婚できるんだろうか」
「何でそんなマジっぽいんですか。突っ込み辛いんですけど」
「雪ノ下、女の目から見てどうだ? 私に何が足りないと思う? よければ、ぜひ忌憚の無い意見を聞かせてほしいのだが」
「そうですね、美点ではなく修正すべき点を挙げろと仰るのでしたら――そういうことを恥ずかしげも無く高校生に聞いてくる慎みの無さがまず一つ」
「うっ」

 胸を抑える平塚先生。
つーか雪ノ下の性格くらい知ってるでしょうに、ダメージ受けるの分かってて何で聞くんですかね?

 当の雪ノ下はというと、どうやら俺の背後で指折り数えているご様子。
あ、駄目だこれ、本当に容赦するつもりなさそうだわ、こいつ。
悲しいかな、善意とは時に悪意よりも残酷なのである。

「他に欠如しているものというと……礼儀、作法、所作、落ち着き、淑やかさ、細やかさ、それから」
「ちょっと待った、その辺にしといた方がいいと思うぞ、先生もそろそろノックアウト寸前っぽいから」
「あ、あら、ちょっと言い過ぎたのかしら――でも、本当に知りたいようだったから、その……」
「いやいい、むしろよく言ってくれた、雪ノ下よ」

 あ、何かふらふらしてるけどまだダウンはしてないみたいだ。
結婚したいという思いとその為の熱意は本物なんだな。

 しかしまぁ、この情熱をもっと別のことに使えれば、割と凄い功績だって上げられそうな気もするんだけど。
本当に色々と力の入れ所が間違っているお人だ。残念美人というか何というか。
生温い視線で見守る俺の前で、先生はぐっと握りこぶしを作って気炎を上げる。

「そうだ、改善すべき点があるのならば直して行けば良いだけのこと。壁は高い程越えた時の喜びは大きいしな。ふふ、燃えてきたぞ」
「いえ、ですからその考え方がまず……」

 雪ノ下が諦めずに言い募ろうとしているけど、多分無駄だと思う。
まずこの思考の端々から漂う少年マンガ臭がなくならないと、結婚は難しいんじゃないかな。
仲良くはなれるかもしれないけど、そこ止まりというか。
そんなイメージが頭から離れない。

 あれだ、これからもずっとお友達未満でいましょうね的な感じ。
……何で俺は自分で自分のトラウマ抉ってんだよ。
何だよ未満って。つまり何なのさ?

「ふむ、では逆に男の目から見たらどうだね? 比企谷よ」
「はい?」
「つまりだ、その、男のお前の目から見て、私が魅力的に映るかどうか、と聞いているわけだが」

 不意に流し目を送られて、反射的にどきっとしてしまう。
いや実際の所、中身はさておくにしても、外見的にはもちろん平塚先生は所謂美人さんなわけで。
強さと温かさを湛えた瞳といい、艶のある唇といい、さらりと流れる黒髪といい、無駄に良いスタイルといい、(喋らなければ)大和撫子と評してもまぁ決して言い過ぎということはないだろう。

 ここにきて、しずかわいいが脚光を浴びることになろうとは――まさに遅れてきたブーム、とか言ったら殴られそうだけど。
とにかくまぁそんな人に色目を使われれば、そりゃあ健全な男子高校生なら反応しない方がむしろ不自然なんじゃないかと思うのだ。
そう、普通なら。

「……」

 頭が痛い。いや精神的にではなく物理的に。
より具体的には、雪ノ下さんの手が、何故か俺の頭部へ明らかに攻撃を加えてきております。
ちょっと待って、ここって俺を痛めつける場面じゃないでしょう、平塚先生の結婚を祈念して応援する場面じゃないですか。

 そんな俺の切なる思いも虚しく、雪ノ下は手を決して緩めようとしないまま、ゆっくりと口を開く。
聞こえてくる声は予想に違わず、地の底から聞こえてくるように低く冷たい。氷の女王降臨である。

「平塚先生、冗談でもこの程度の男にその手の誘惑は止めておいた方がよろしいかと。危険以外の何物でもありませんし、そもそも一般男性とかけ離れた嗜好・感性を持つ愚の骨頂の意見など何の参考にもなりませんから」
「なぁ、俺別に何も悪いことしてないよな。何でそんなナチュラルに俺を貶してるの? 文句を言う方向がおかしいでしょ。あとそろそろ手ぇ離してくれよ、割とマジで痛いから」
「黙りなさい、愚の骨頂くん。全く、年上の女性と見ればすぐに発情して、本当に唾棄すべき下劣さね。獣でももう少し節操があるわよ、あなたいつになったら進化できるの?」
「おい、色々言いたいことあるけど、まずその呼び名は止めろ。つーかせめて何かにかけようとしろよ、一文字も合ってないだろうが、手抜きすんな」

 あと発情とか変な言葉を口にするなっての。表現がいちいち怖過ぎるわ。
平塚先生相手にそんなことしたら色々終わるだろうが。
俺はここで人生を終わらせる気は無いぞ。
と、そんなやり取りをする俺たちを、なぜかにやにやしながら見てくる平塚先生。

「ほう、これはこれは。いや何とも仲が良くて結構なことだ」
「聞き捨てなりませんね。それは冗談にしても笑えないですよ、平塚先生。この男と仲が良いなど……」
「ちょっ、落ち着け雪ノ下」

 雪ノ下の細くしなやかな指が、すーっと俺のこめかみの方に下りてきた。
所謂うめぼしの予感に知らず緊張が走り、俺も静止の声を上げたのだが――果たして彼女の耳に届いているかどうか。
脳内ではアラートが鳴りっ放しだ。

 不意打ちに弱いのは知ってるけど、それにしたって何でこいつはこうまで自然に俺に対して攻撃態勢を取れるんだよ。
これはもう、いざとなったら無理やりにでも止めないと、と身を固くしつつ推移を見守ることにする。

「ふふ……なるほど、陽乃の言った通りだな」
「姉さんが、何か?」
「いやなに、君たち二人を見ていると初々しくて微笑ましいとか、からかうと一々反応が楽しいとか、まぁ愉快そうに話していたよ」
「姉さんらしい歪んだ感想ですね、そんな妄言を真に受けるのはどうかと思いますが」
「そうかね? だが雪ノ下、聞けば君は比企谷にファーストネームで呼ぶことを許可したそうじゃないか、他の異性には許していないだろうに」
「な……っ! そ、それは、その――つまり、この男は私の姉のことも知っているから、えぇ、だからこそファミリーネームで呼ぶのでは愚かな彼には識別が困難なのではないかと判断し、その恐れを排除しておこうという思慮と配慮の結果として下された苦渋の決断によるものであって、決して他意はありません。いえ、まずそもそも――」
「ちょっ、待て! ストップストップ!」

 平塚先生のにまにました笑みを浮かべながらの指摘に、雪ノ下がこれ以上ないくらいに動揺し、いよいよ危険水域に達したと思った瞬間、俺の体が脊髄反射的に動いていた。
それこそ目にも止まらない速さどころか目にも映らない速さ、みたいな。いやごめんこれは言い過ぎ。
しかしとりあえず声を上げるよりは迅速に、俺の手は動いていた――雪ノ下の両の手を、しっかりと掴んで止める為に。

「きゃっ」

 いきなりのことで驚いたのか、そんな可愛らしい声が雪ノ下の口からもれた。
突然のことで強張ってはいるものの、掴んだ両手は信じられないくらいに柔らかく、また普段の冷徹さからは想像できないくらいに温かい。
が、今はそのことに感動している余裕なんて微塵も無く、ただ事前にダメージを防ぐことができた安堵の気持ちが心を支配していた。

「平塚先生、間接的に俺を攻撃するのは止めて下さい。そんな搦め手とか、らしくないじゃないですか。剣よりも強いペンよりも強い拳を持つ女の異名が泣きますよ」
「そもそも君を弄っていたわけではないんだが――とりあえず君は後で泣かす」

 いかん、動揺していたせいでまた口が滑ってしまった。
あれ? でも後でとは意外な気がするな、いつもなら言葉の前に拳が飛んでくるのに。

「いや、どうせならさっさと終わらせたいんで、やるなら一思いに今きて下さい」
「君のその変な諦めの良さは何なんだろうな、逆に毒気を抜かれてしまうぞ。それに今君を殴れば、とばっちりを受けてしまうからな、どの道その提案は却下だ」
「ふっ、どうやら命拾いしたようだな」
「なぜその台詞を君が言う? しかも誇らしげに」

 どうやら毒気を抜かれたのは本当のようで、平塚先生の声は怒りではなく呆れに満ちていた。
俺のこの危機回避能力の高さはちょっとしたもんだな。
もっとも危機に陥ったのも自分のせいなんだけど。何そのマッチポンプ。

 ふと気付けば、平塚先生がまた楽しそうな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
笑いを堪え切れないと言った風な表情が、妙に気にかかる。

「さて、では気も大分晴れたし、そろそろ私も帰ることにしよう」
「あぁ、やっぱりただの気晴らしだったんですね」
「そうだな、これで気分良く酒を楽しめそうだよ、君たち二人のおかげだ」

 そういう豪気なところも直さないと、益々もって結婚は難しいんじゃないですかね?
さすがに今回は思うだけで口にするのは自重した。
あるいは言ってあげるべきかもしれないけど。

「ん? でも俺たち別に何もしてませんけど」
「いやいや、いいものを見せてもらったよ。何でもできる子だと思われていても、苦手なものはあったんだな」
「?」
「では二人とも、あまり遅くならないように。あと――」

 言いながら立ち上がり、扉の方へと歩く平塚先生。
部屋を出る直前、茫然と見ている俺の方へと向き直って、一つウインクする。

「――そろそろ離してあげたまえ、さすがにこれ以上は持たないだろうからな」

 は? と俺が間抜けな声を上げるのを聞くでもなく、平塚先生は今度こそ部屋を後にする。
一瞬呆けて、それからようやく気付く……まだ雪ノ下の手を握ったままだったことに。

 と同時に、手に伝わってくる様々な感触が、堰を切ったように俺の脳内を駆け抜ける。
きめ細やかな肌の滑らかさを、その芯にある温もりを、そんな諸々を知覚して。
今更ながらに自分が何をしているかに気付き、血の気が引く思いがした。

 俺が手を掴んでから、雪ノ下は一言も言葉を発していない。
座った今の体勢では、背後の彼女がどんな表情をしているかも、まるで窺い知れない。
突然の出来事に硬直しているだけだとしたら――手を離した後、俺を極北の冷気が襲うのは間違いないだろう。

 しかし、それは真実俺の自業自得なわけで。
これはもう素直に謝るのが先決だ。

「えっと、すまん、雪ノ下」
「……ぁ」

 覚悟を決めて、謝りながら両手を離す。
その刹那、雪ノ下の口から小さな声が零れ落ちた。
それがどういう感情によるものかは分からないけど。

「これは、その……って」
「動かないで」

 正面から向き合って反省の弁を述べようとしたのだが、俺の手をがっちりと捉えたままの雪ノ下の手がそれを許してくれなかった。
あれ? これは何でしょうか?
もしかして、疑問に思う俺の代わりに首を捻ってくれるおつもりでしょうか?
それには及びませんので、解放してもらえませんかね。

「あの、雪ノ下、お前の怒りはごもっともというか、その、全面的に俺が悪かったというか」
「――少し黙っていなさい、比企谷くん」
「……」

 感情を無理矢理抑え込んでいるかのような平坦な声に、俺は口を閉ざさざるを得なかった。
決して冷たくはないけれど、その内に潜む物が何なのかがまるで見えず、むしろ不安になってくる。
暫しの沈黙と停滞。
やがて、俺の頭上で雪ノ下が区切りのように一つ溜め息を吐く。

「はぁ……全く、あなたという人は本当にどうしようもないわね、いきなり女子の手を掴んでくるだなんて、相手によっては通報されていてもおかしくはないわよ」
「いや、うん、それは本当に悪かったよ。これからは絶対しねぇから、だからその」
「ちょっと待ちなさい、比企谷くん。どうも誤解があるようね」
「んなことねぇよ、お前が俺に手を掴まれて気分を害したってことはちゃんと理解してるから」
「だから、それが間違っていると言っているのよ」
「え? 何言ってんのお前。さっき自分で口にしてたことじゃん」
「――別に、手を握られたこと自体に文句を言っているわけではないわ」

 不意にそっぽを向いたのか、少し雪ノ下の声が遠くなる。
相変わらず俺の頭は固定されたままで、その動きも表情も全く窺えない。
その物言いも気にかかったけど、それ以上に言葉の内容が引っ掛かった。

「でも、怒ってるんだろ?」
「当たり前じゃない、いきなりあんなことされたら。せめて一言断ってからにしなさい」
「あれ? 問題なのってそこ?」
「当然でしょう。もちろん私がそれを了承するかどうかは、また別の話だけれど」

 あぁ、うん、それは言われなくても分かってるけど。
それでも、常よりも少し早口だった雪ノ下の言葉の、その真意までは掴み切れない。
今こいつの心をどんな感情が占めているかなんて、まるで窺い知れない。

 ――いや、今はこれ以上考えるのは止めておこう。
きっと明かされない方がいいこともあるのだ。

 何にしても、思ってたほどは怒っていなかったみたいで、それは本当に僥倖だった。
腹を切って死ぬべきであるとか言われたらどうしようかと思った。雰囲気的にそう言われたらやりかねなかったし。
そんな風に俺が安堵の息を吐いたところで、雪ノ下が駄目押しをしてくる。

「安堵しているようだけれど、次はないわよ。もしまた許可なく勝手なことをしたら――終わらせるわ」
「何をだよ……いや分かってるよ、ちゃんと気をつけるから」

 怖い言い回し狙いやがって。
しかし今の俺は、そこを突っ込める立場ではなく。
平身低頭、唯々諾々と、何を言われようと頷く他ないわけだ。
触れるなら事前に許可を取れとかお前は役所かよ、と心の中でだけ突っ込んでおく。小心者万歳。

 と、そこでようやく雪ノ下の手が俺の頭から離れた。
一つ深呼吸してからゆっくり振り返ると、雪ノ下はいつも通りの余裕綽々の表情で俺を見下ろしていた。
本当にこいつはどうしてこうもいちいち上から目線じゃないと落ち着かないんだろうか。
何? お前どこの姫なの? 見下し過ぎて逆に見上げてたりするの?

 しかし何だな、さすがにここまで優越感たっぷりに見下ろされると、ちょっと抗いたくなってくるというものだ。
いくら俺に非があったにしたって、やられっ放しというのは気に食わないというか。
たとえ勝てないまでも、せめて一太刀。
その余裕を奪ってやれないものかと考える。

「そうだ、言い忘れてた」
「何かしら?」

 だから。
一度居住まいを正し。
雪ノ下を見上げながら。
雪ノ下に見下ろされながら。
目と目を合わせて、一言。

「前髪さんきゅな――雪乃」

「前髪さんきゅな――雪乃」

 瞬間、雪ノ下の目が少し見開かれる。
不意打ちに弱いこいつには有効打になるはず、と思っての名前呼びだ。

 しかし、予想に反して変化は一瞬だけ。
雪ノ下はすぐにまた余裕ぶった表情に戻り、どころか逆に嬉々として俺の顔を指差してくる。

「どういたしまして。それより顔、赤くなってるわよ?」
「ぐっ……」

 指摘されて、一気に恥ずかしさが込み上げてくる。
あぁそうだな、諸刃の剣だって自覚はあったよ、相討ちでもいいと思ってたんだよ。
それがまさか単なる盛大な自爆で終わるだなんて――雪ノ下、こいつ、慣れてきてやがる。
全くどうかしてるぜ、この状況。

 とか思いつつも。
一太刀浴びせるどころかカウンターをくらったわけだけど、それでも。
いつもの冷笑ではなく、してやったりという、そんな花が綻ぶような嬉しそうな笑顔を見せられたら。
負けても悪くないかなとか思ってしまうんだから、俺も大概どうかしてるのだろう。

「天に唾する行為とはこのことね、その程度の浅知恵で私の意表を突けると思うだなんて、逆に感心してしまうわ」
「――お前だって前は真っ赤になって動揺してたじゃん」
「何のことかしら? 現在進行形で顔を赤くしている人の台詞じゃないわね」
「つーかお前が慣れんの早過ぎなんだよ」
「名前を呼ぶことは私が許可したわけだし、慣れて当たり前でしょう。むしろあなたの方が慣れなさ過ぎなのよ」

 さらりと髪を流す雪ノ下。
相変わらず一つ一つの仕草がいちいち堂に入っていやがる。
凛とした立ち姿に、磨き上げられたダイヤのような輝く瞳、たおやかに綻ぶ口元からは、しかし容赦の無い罵倒。
容姿端麗にして辛口とか、何? お前日本酒か何かなの?

「簡単に言ってくれるけどなぁ」
「そもそもあなた、姉さんを呼ぶ時は全然動揺してなかったじゃない」
「陽乃さんは別だろ、あんだけ分厚い外面越しじゃあ意識のしようもねぇよ」
「図太いのか鈍いのか――それなら、私の名前を呼ぶのも自然にできるはずでしょう?」
「いや、それはちょっと……」

 ちらと雪ノ下の目に視線を向ける。
真っ直ぐに見返してくるその瞳は、深海のように深く静かな色合いで。
知らず言葉に詰まってしまう。
上手く二の句を告げない俺に対して、雪ノ下は呆れたように肩を竦めた。

「本当に処置無しね、これじゃあ先が思いやられるわ」
「放っといてくれ……ん? 先って?」

 ふと引っ掛かって問うと、雪ノ下の動きがぴたりと止まる。
瞬きを一つした後、さっと視線を逸らして、勢いよく何やら捲し立ててきた。

「何でもないわよ、あなたが気にすることじゃないわ、忘れなさい、いいわね?」
「お、おぉ」
「それより、もういい時間だわ。天気は回復しないし、依頼者も来る様子はないし、平塚先生も帰ってしまったし、今日の活動はここまでにしましょう」
「え? いやまぁいいけどさ」

 早口で言いながら、雪ノ下は手早く片付けをしている。
何もそんな慌てんでも、と思いつつぼーっと見ていると、きっと睨まれた。

「比企谷くん、あなた何をぐずぐずしているの? 呼吸する暇があるのなら今すぐ帰る準備をしなさい」
「理不尽過ぎるだろ、呼吸くらい自由にさせてくれよ」
「あなたが部室を出ないと施錠できないでしょう、そのくらい察したらどうなの?」
「分かった分かったよ、すぐ片付けるから」

 そうして追い立てられるように片付けを終えてから部屋を出て、扉の前で、また明日と別れの挨拶を交わす。
そそくさと職員室へ向かう雪ノ下の背中を見送り、それで俺も帰路に着くことにする。
窓の外は、相変わらずの雨模様だ。

 ふと気付けば、少しだけ視界が広くなっているような気がする。
それは前髪の影響か、あるいは精神的なものなのか。
何にしても、鬱陶しいくらいに雨が降っているのは変わらないけれど、今は決して悪くない気分だった。

ということで④終了です。
お待たせしまくりで申し訳なかったです。

ゆきのん幸せになってほしいですよね。
ガハマさんも良い子なんだけどね、やはりゆきのん推しの身としては、葛藤に苛まれる所があるというか。
6.5と7.5が楽しみでもあり怖くもありますな。

さて、次はどんな話にしようかと色々考え中。
近いうちに案をまとめてタイトル予告出しますので、暫しお待ちくださいませ。

この雪乃はもう自覚してるのかな?

見てる限りは意識しまくってるけど

乙乙!
更新がある際はある程度読み直しているけれど、罵倒の応酬としぐさ、それでいて流れるような会話、そして八幡キモポエム、いいですね。
ところで④ではガハマさんが全く出なかったのですが、これは仕様ですか?

やっはろー、皆様お読み頂き&感想も感謝です。
⑤も色々考えてるところです。書くのはこれからですが。
しかし八幡のポエムをゆきのんが聞いたらどんな反応をするか知りたいww
罵倒しつつ内心で喜んでたりしたら捗るなぁ。

>>432
その辺はご想像にお任せということで一つ。
まぁ行動が心を育てることもあるかなーとは思ってます。

>>433
キモポエムは外せませんよねww 多分一番書くの難しいけどww
ウチのSSでは、基本八雪で他の人たちがちょこちょこ絡んでくる形式を取ってます。
だからガハマさんも出たり出なかったりしてしまうのです。折角だしいろんなキャラを書いてもみたいので。

また定期的に状況報告してきますので。
よろしくです。

>>419の「終わらせるわ」という台詞の前に
「あなたの独身生活を」という分が浮かんだ自分は絶対何かに毒されている

>>435
最近加速する照れ隠しのんを見て、八幡のキモポエムが暴走することを勝手に期待させていただきますww
ついうっかり、独白をt

ガハマさんの件、仕様なんですね。了解しました。
っと、更新の方まーたりと、楽しみに待っていますので無理をしない程度にがんばってください。

捻デレ総受け八幡がやっぱり真のヒロインですね、分かります。
私が今まで読んできた俺ガイルSSの中で一番好
きなのでこれからも期待してます!

独白こそ俺ガイルの特徴みたいなところあるから、台詞形式よりもちゃんとした視点形式の方が合ってるね

やっはろーです。とりあえず⑤の方向性が大分決まってきました。
ぼちぼち書き始めていこうと思います、ただ平日に時間が取れないのは致命的だよなぁ……とりあえずタイトル予告だけ。

⑤ 当然のように連れ立って比企谷兄妹は街を巡り歩く

定期的に状況報告していくつもりでいますので、今しばらくお時間を。
更新速度が速い人って凄いなといつも感心しきり。

>>437
その発想はなかったww
ゆきのんが嫁になるなら墓穴でも何でも掘るのが正義だと思います。

>>439
個人的に嫉妬のんが一番好きです。ゆきのんの不器用な可愛さがもう。照れのんも好きだけど。
でも八雪ってその辺の匙加減が難しい――やり過ぎると原作との乖離が気になるし、やらなければ物足りないという。

>>441
八幡のヒロイン力は異常ですな、そりゃひなひなじゃなくても妄想捗りますわww
そしてお褒めの言葉に感謝! ご期待に沿えるよう頑張ります、ぼちぼちと。

>>442
八幡のポエムが無いとやっぱりちょっと物足りなく思ってしまいますよね。あとゆきのんの罵倒。
そこに時々ちょこっとデレが入れば、それだけでご飯三杯は行けます。

やっはろーです。
色々忙しくて中々時間が取れず、お待たせしており申し訳ない。

一応生存&状況報告。今やっと半分超えたくらいですね。
今週末――は難しいかもですが、できるだけ早く書き上げたいと思ってます。

とりあえず小町超可愛い。例の新しいジャケットの絵も凄く可愛い。
しかし陽乃さんと小町は深く考えなくても割と勝手に自由に動いてくれるので書いてて凄く楽しいです。
八幡とかゆきのんとかは中々動いてくれないのになぁ。難易度高い子たちです、ホント。

やっはろーです。
まだ道半ばもいいところですが、あんまりお待たせするのもなんですし、途中まで上げてきます。
気長にお付き合い下さい。

とりあえず、小町は可愛い。
もちろん一番はゆきのんだけど。

⑤ 当然のように連れ立って比企谷兄妹は街を巡り歩く


 時は流れて週末。全ての働く人たちと学ぶ人たちが渇望して止まない休日だ。
もちろん俺も例外ではなく、週に僅か二日しかない休みの日を心の支えに平日を乗り切っていると言っても過言ではない。

 とはいえ二日なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。
終わりがあるからこそ尊いとか、限りあるからこそ輝くとか、そんなおためごかしはいらないのに。
俺の理想はまさしく毎日が休日、エブリデイハッピー、これだ。ぶっちゃけカレンダーには休みを意味する赤色以外必要ないとすら思う。
いや本当にね、働きたい人だけ働けばそれでいいじゃないか。そんな未成年の主張。

 さておき土曜日である。
俺はこれを最大限有効活用すべく、まずは日々の疲れを癒すことに全力を注ごうと決意した。
それでなくとも朝晩が大分肌寒さを増してきた感のある昨今、温かい布団は俺を魅了して止まないのだから。
何人たりとも我が睡眠を邪魔することは許さない。
というわけで、いざ行かん夢の世界――

「お兄ちゃんおっはよー。さぁ朝だよ朝、楽しい休日に輝く朝日に可愛い妹、これもう最高のシチュエーションでしょ。ほら起きて起きてー」


 ばたんっと扉の開く音と同時に、落ちかけた意識が揺り戻されてしまう。
布団越しでも分かる、高原で聞く鳥の歌声よりも爽やかで軽やかなソプラノが、緩やかに俺の耳を擽ってくる。
温かい布団の持つ魔の誘惑とせめぎ合う天使のような呼び声。
果たして今は現実なのか夢なのか。その境界線上を行ったり来たりしているような気分だった。

 起きぬけの寝惚けた頭を、そんな取りとめの無い思考がぐるぐると回っている。
少しして、俺の体が左右にゆさゆさと揺さぶられ始めた。

「もうお兄ちゃんてば、二度寝を決め込むとか小町的にポイント低いよ、ほら寝巻洗濯するんだから起きてってばっ」
「!」


 ばさっと布団が剥ぎ取られた。
瞬間、ひんやりとした空気が全身を包みこみ、反射的にぶるっと身を震わせる。

「な、何だ何だ、敵襲か? テロか?」
「やっとお目覚め? お兄ちゃん」

 慌てふためく俺に対して、にっこりと微笑んでくる小町。
曇り一つない可愛い笑顔を前にしては、俺の睡眠を邪魔してくれたことに対する文句の言葉など口をつこうはずも無く。
大人しく朝の挨拶を交わすのみである。
千葉の兄は常に妹に勝てない。


「……おぅ、おはよう小町」
「うん、おはようお兄ちゃん。じゃ早速だけど寝巻出して」
「は? 何だいきなり」
「だから洗濯するって言ってるじゃん、ほら早く」
「あー、分かったよ、んじゃ着替えて持って下りるから」
「ダメ、そしたらお兄ちゃん二度寝するでしょ。今脱いで小町に渡すか、小町と仲良く一緒に下に行くか、二つに一つだよ」
「了解了解、それなら一緒に下りるぞ」
「オッケー、んじゃ行こー」

 楽しそうな小町と並んで階下へ向かう。
例によって例の如く、今日も今日とて両親は仕事でおらず、家の中は静かなものだった。
まぁいても寝てるだけなんだけどさ。お仕事ご苦労様です、いや本当に。


「じゃあお兄ちゃん、着替えたら寝巻は洗濯機に突っ込んどいてね、すぐ回すから」
「ん、分かった」

 ぱたぱたと台所へ向かう小町と別れて洗面所へ。
着替えて顔を洗うと気分はすっきり目元はどんより。
あぁ、どうしようもないくらいにいつも通りだ。
しかし完全に起きてるはずなのに、鏡の中の俺の目は何でこんなに澱んでるんだろうか。


 さり気なく下がったテンションのまま台所へ戻ると、小町が鼻歌交じりに朝食の準備をしていた。
俺に気付くと、ふりふりと手招きしてくる。手伝いなさいということだろう。
大人しく小町の隣に向かい、並んで状況を確認。

「あれ? 大体準備終わってるじゃん」
「うん、でも折角だし、林檎あるから皮剥いて切ってよ」
「任せとけ、何ならウサギまで仕立ててやろう」
「あ、どうせならネコにしてよ」
「いや無理だろ、そんなのどうやってやるんだよ?」
「そこはほら、お兄ちゃんの小町への愛の力で何とか」
「愛はあっても根性が足りないので却下」
「むむっ、却下されたのはアレだけど、でも小町への愛を語るのはポイント高いかもしれなくて?」


 その言葉は敢えて無視して包丁を手に取る。
むむむと可愛らしく小首を傾げている小町の相手をしていても話が進まないのだ。
まぁ本音では超愛でたいけど。
視線を手元に合わせて、しゃりしゃりと林檎の皮を剥いて切っていく。
専業主夫志望の腕前を遺憾なく発揮すれば、あっという間に完成である。

「ほれ、できたぞ、早く食おうぜ」
「ん? わぉ早いね、綺麗にできてる。さっすがお兄ちゃん」


 出来栄えに納得したのか、満足げに頷く小町。
今日の所はウサギで良かったらしい。
いや本気でネコ型にしろとか言われてもどうしようもないけど。
そうしてテーブルに皿を並べた後、向かい合って席に着く。

 いつもの光景にいつもの時間。
やはり休日の朝食はこうじゃないと駄目だよな。
トーストを齧りコーヒーを一口。うむ、美味。


「美味って、もうちょっと頑張ったら美妹になるよね」
「おい脈絡無さ過ぎだろ、何の話だよ、つーか何を頑張るんだよ」
「もう、分かってるくせに」
「いや全然」

 ちらちら流し目送ってこないでいいから。
というか小町の場合、そもそも頑張らなくても十分可愛いし。
むしろこれ以上頑張っていらん虫を引き寄せられても困るし、頑張らなくてもいいとさえ思う。
何とも難しい所だな。


 ちらと返した視線から、そんな俺の思考の全てを察したかのように、小町はにへっと相好を崩す。
何この可愛い生き物。朝も早くからこんな幸せな気分になると反動が怖いぞ。
しかし、何でこいつは俺の目を見ただけで考えてることが分かるんだろうか。
あるいは俺が分かり易過ぎるだけだったり? 謎だ。

 そんなちょっとどきどきの朝食を終えて暫く。
食器洗いなんかの片付けを終えると、完全なフリータイムである。
陽の当たるリビングで誰にも邪魔をされずにだらだらできるこの時間、これを幸せと呼ばずして何と呼ぼうか。


 そんなまったりした気分でソファでくつろぎながらスマホを弄っていると、洗濯を終えた小町が隣に腰掛けてきた。
交代制で、今日は小町の当番だったのだ。
ちょっと疲れたのか、そのままぽすっと俺の肩にもたれかかってくる。
普段なら文句の一つも口にするところだけど、さすがにそれはあんまりな仕打ちだと思ったので、されるがままに任せておく。

「はー、ようやく終わったよー」
「お疲れさん、台所の棚にミスドあるぞ」
「いや、それ昨夜お父さんが買ってきたやつじゃん、何お兄ちゃんが買ってきたみたいに言ってんの?」
「俺は別に自分で買ってきたとは言ってない、ただ棚にミスドがあるぞと言っただけだ」
「出た屁理屈、ホントお兄ちゃん屁理屈好きだよね、そういうの小町的にポイント低いよ?」
「ポイントはどうでもいいけど、どうすんだ? 食うなら紅茶くらい淹れてやるぞ」
「ホント? じゃあ食べるー」


 にぱっと笑顔になりながら頷く小町。
ホント女子って甘い物好きだよな、いや俺も嫌いじゃないけどさ。
一度小町の頭を撫でてやってから、立ち上がって台所へ向かう。
その後ろをとてとてと小町もついてきた。

 紅茶を準備する俺の横で、少しだけ真剣な表情で小町がミスドの箱を覗き込んでいる。
頭の使いどころを果てしなく間違っている気がしないでもないな、これ。
そういう表情は、参考書とか問題集とかそういうのと向き合った時にこそするべきだと思う。
そんな兄心を妹は知らず。


「何食べよっかなー」
「昼もあんだし、一個にしとけよ」
「だいじょぶだいじょぶ、分かってるって。小町だってお兄ちゃん好みのスタイルを維持する為に毎日気を遣ってるんだから。あ、これ小町的にポイント高いかも」
「そうだな、それ言わなかったら高かったかもな」
「照れちゃって、このこのー」
「うぜぇ……」

 つんつんと肘で突いてくる小町を適当にあしらいながら、茶葉をティーポットに入れる。
俺好みのスタイルかどうかについては突っ込まない。肯定しても否定しても碌なことにならんし。
お湯は準備済みなので、さっさとポット注いでいく。
正しい注ぎ方ではないかもしれないけど、雪ノ下ならともかく、俺たちはそういうのは気にならないのだ。
まぁこの辺が生まれや育ちの違いなんだろう。


「むー。よし、今日はゴールデンチョコレートにしよう」
「俺Dポップな」
「また……お兄ちゃん相変わらずセコいよね」
「セコいとか言うな、色々楽しめてお得だろうが」

 皿にゴールデンチョコレートを乗せて、Dポップと一緒にトレイへ。
あとは淹れたての紅茶をカップに注げば、ティータイムの準備完了である。
この手際の良さは我ながら見事だと思うね、誰も褒めてくれないけど。


「じゃあいただきまーす」

 言うなり、ゴールデンチョコレートを一口その小さな口に放り込む小町。
咀嚼する内にみるみるその表情が緩み、実に幸せそうである。
しかし甘い物があれば幸せになれるというのは、ある種の才能と言えるんじゃなかろうか。
こっちはちょっと気になることもあり、そこまで甘味にのめり込めないので、それがいっそ羨ましくすらあった。
一つドーナツを口に運びつつそんなことを考えていると、小町が不思議そうに首を傾げる。


「どしたのお兄ちゃん、何か難しい顔してるけど。いつも以上に目が澱んでるよ」
「一言余計だ。まぁ大したことじゃねぇよ、昨日言われたこととかちょっと思い出しただけだ」
「ん? あー、そういえば昨日何かお説教されてたね」

 昨夜、両親に成績の事でちくりと釘を刺されたのだ。
文系科目に比してあまりに理系科目が悪過ぎるということで。
特に数学の悪さについて念入りに。国語ができるなら数学だってできるだろうって、そんな無茶言われてもという話なんだけど。

 まぁ養われている身である以上、反論なんてできるわけもないので、素直に聞くしかなかった。
しかし、期末の結果も赤点なら小遣い減らすという宣告が来たのは辛い。
何が辛いって、それが分かってても打つ手がないところが特に。


「理系科目がこのままだったら小遣い減らされんだってさ」
「えぇっ、ヒモのお兄ちゃんからお小遣い取り上げるなんて、そんなひどい」
「お前の認識の方がひどいよ」

 八幡的にポイント低いぞ、それ。
俺のジト目に、たははと笑って誤魔化す小町。
その可愛さでポイントは見事に相殺された。
いや、ちょろ過ぎるだろ、俺……


「まぁ冗談はおいといて。でもじゃあ勉強するしかないよね」
「やる気が起きん。というかやっても出来ないの分かってるし。もう諦めてるよ」
「早っ、諦めるの早過ぎるよ、もっと頑張ろうよ、お兄ちゃんはやれば出来る子でしょ」
「“やれば出来る子”って言葉はさぁ、その後に“でもやらない子”って主張が隠れてると思うんだよな」
「もう、どうしてそんなに捻くれてるの? もっと言葉は素直に受け取らなきゃ」
「何にせよあれだ、俺は数学の勉強の仕方とか分からんし、どうしようもないな」

 軽くお手上げのポーズ。
実際どうにもならん事に労力を割く程空しいこともないのだ。
そんな俺を見て何を思うのか、小町はもう一口ドーナツを頬張って、むぐむぐと咀嚼している。
考えるか食べるか、どっちかにしたらいいのに。


「んー、じゃあさ、誰かに教えてもらえば?」
「ばっかお前、俺に勉強を教えてくれるような知り合いがいるとでも思ってんのかよ」
「そんな自信満々に断言しないでよ、妹として悲しくなっちゃうでしょ」
「いいんだよ、小町がいてくれれば俺はそれで十分だから」
「っ! やだお兄ちゃん、ちょっときゅんってきちゃったじゃん、そういう台詞いきなり言うの禁止!」
「何だそれ」

 腕でバッテンマークを作る小町。
いやそんなこと言われても困るんだけど。つまりどうすりゃいいんだよ、俺に喋んなと?
しかし小町は俺の疑問に答えてはくれなかった。投げっ放しもいいところである。


「話戻すよ。でも実際ほら、たくさんいるじゃない、教えてくれそうな人」
「例えば誰だよ」
「まず平塚先生とかー」
「却下だ。平塚先生は国語教師だし、そもそもあの人とマンツーマンとか身の危険が大き過ぎるわ」
「じゃあ陽乃さんは? すごく頭良いんでしょ?」
「論外だろ、あの人に教えを乞うとか、見返りに何を要求されるか分かったもんじゃねぇ」

 偏見が過ぎるよ……とか言いつつジト目で俺を見てくる小町だが、あの人の本性を知らないからそういうことを言えるのだ。
まぁでも、小町があの人の腹黒さに染められるのも嫌なので、敢えて説明はしない。
言わぬがラフレシアである。


「それじゃ戸塚さんとか」
「戸塚というのは魅力的な案だけど、迷惑かけたくないし格好悪い所見せたくないし、残念ながら無しだな」
「ここでそんな理由聞きたくなかったなぁ。他にっていうと結衣さんは?」
「はっ、それこそ話にならんわ、由比ヶ浜なんて俺と同レベルかちょっと上程度だぞ?」
「勝ってもいないのに何でそんなに偉そうなの……? じゃあもう真打登場しかないよね、雪乃さんはどう?」
「雪乃なぁ、そりゃ成績は良いんだけど、教えてくれって俺が頼んでも鼻で笑って却下してくる予感しかしねぇよ、それも辛辣な罵倒付きで」
「えー、雪乃さんもダメとかさー、って雪乃ぉっ!?」

 話の途中で、突然がたっと音を立てて立ち上がる小町。
大きく見開いた瞳のその奥が、内心の動揺を表すかのように大きく揺れていた。
そして次の瞬間、鼻息荒くこちらに詰めよってくる。


「雪乃って何!? 何なのお兄ちゃん、何で雪乃!? 何が雪乃!? どう雪乃!? っていうか如何な心境の変化がそこに!? 小町の知らない所でどんなドラマが展開してたのさっ! プリーズテルミー!」
「ちょ、ちょっと待て、少し落ち着けって小町」

 怒涛の勢いに圧倒されかけながら、なだめようと試みる。
くそっ、ついうっかり名前呼びしたのが不味かったか。
しかし動揺し過ぎだろ、何を言ってるのかがさっぱり分からない。
とりあえず喋りを止める為、Dポップの一つを、ぽいっと小町の口の中へ放り込む。


 むぐっと捲し立てていた口が閉じられた。
食べてる時は喋っではいけませんなんて行儀の基本も基本である。
きちんと教育が行き届いてる小町は当然それを守るのだ。良い子で本当に良かった。
小町はもぐもぐと咀嚼して、ごくんと飲み込んで。

「あーん」

 口を開けて次を待っている。
あれ? 何かおかしくね?
読み通りの展開と思ってたら、全然そんなことなかったんだけど。


 というか、そんな餌を待つ燕のヒナみたいなことされても。
ちらちらとこちらを窺う小町。
参った……そんな期待するような目を向けられてしまえば、逆らうことなんてできるわけもない。

「ほれ」
「あむっ」

 仕方なく、次のドーナツを小町の口へと運ぶ。
次の一個、もう一個、と繰り返す内に俺の分は綺麗に消失。
六個あったはずなのに、結局一個しか食えなかった。


 まぁいつものことである。
いやむしろ誤差の範囲と言うべきかもしれない。
小町が落ち着いたのならオールオーケーだ。

「ん……ご馳走さまでした」
「ご馳走さん」

 手を合わせてぺこりと一礼。
して、落ち着いた所作で小町が姿勢を正す。

ちょっとすいません。
今日はここまでということで。
またある程度まとまったら上げてきますのでよろしくです。

まさかのあーしさん表紙に驚愕。
ここでくるか……

やっはろーです、皆様のご感想に感謝です。
何とか時間を探して少しずつ書いてってます。次の目標は今週末!
切りの良い所まで書き上げて更新していきたいと思ってますので、一つよろしくです。

あーしさんのイラストってのが何か7.5巻の波乱を予感させますが、メインはゆきのんだと信じてます。
6.5巻の小町にも大いに期待。やっぱり小町嫁展開なんですかね? さいちゃんが持ってったらどうしよう……ww

こんばんはです、お待たせしてます。
とりあえず切りのいいところまで上げてきたいと思います。
いよいよあの人の出番が……

しかし暑さが尋常じゃないなぁ。
早いこと8月末になってほしいもんです。

 手を合わせてぺこりと一礼。
して、落ち着いた所作で小町が姿勢を正す。

「さてお兄ちゃん、聞かせてもらいましょうか、いつの間に雪乃さんとそういう仲に?」
「何だよ改まって。いや、そういうもこういうもないけど。単に名前で呼べって言われただけだし」
「なーに言ってんのさぁっ!」

 またしてもがたっと席を立つ小町。
姿勢を正した意味が全くもって無かった。
何でそんな興奮してんだよ、逆に俺が落ち着いちゃうだろ。どうどう。


「雪乃さんだよ? あの雪乃さんがそんな名前で呼んでいいなんてさらっとすらっと言うわけないじゃん。びっくりだよもう。いよいよ二人に春が来て? くーっ、小町的にポイント高過ぎてもうあれだね、今夜はお赤飯焚かないとだね!」
「だから落ち着けっての、そういうんじゃないんだって。単にほら、陽乃さんのことを名前で呼んでたら、あいつが何か対抗心燃やしてそういう話になったんだよ。ホントそれだけだから」

 で、そうやって名前を呼ぶ度にいちいち赤面してはからかわれるのも腹立たしいので、俺も練習しているというだけ。
言ってみればそれだけのことなのだ。
そうやって淡々と説明したんだが、小町はどうにも納得がいかない様子。
椅子に改めて座り直しつつも、何故かぷくっと膨れて不満を露にしている。


「むぅ、何か淡白。でも雪乃さんが男の子に名前で呼んでいいなんて、そうそうOK出さないと思うんだけど」
「そりゃあれだ、陽乃さんのことも知ってるヤツがそうそういないってだけだろ、名字で呼ぶと分かり難いんで名前で呼べって話だったし」
「えー? だってほら、お兄ちゃんのクラスの、えーっと誰だっけ? はや……はや……はやはち?」
「違う! いいか小町、その間違いだけは絶対にするんじゃない、今すぐ忘れろ」

 こんな所でおぞましい言葉を思い出させるなよな。
某腐女子が聞いてたらエラいことだぞ。眼鏡をきらーんと光らせつつ飛んできて布教を始めかねん。
もし小町がその道に引きずり込まれたりしたら、俺が世を儚んで身投げするまである。いのちだいじに。


「葉山のことだろ、言いたいのは」
「あ、そうそう、その人その人。その葉山さんもさ、雪乃さんと昔からの知り合いなんでしょ? 確か。でも名字で呼んでたじゃん」
「いやそりゃそうだけどよ、葉山の場合は、どうしたって雪ノ下と相性合わないしなぁ。実際仲もあんま良くなさそうだし。だからじゃねぇ?」
「もう、別に雪乃って呼んだらいいじゃん、早いこと慣れないとほら。はっ、小町もお義姉ちゃんって呼ぶ練習しなきゃなの?」
「せんでいいって。つかそんな構えられたら言い難いんだよ。とにかく特別な意味なんてないから」
「絶対そんなことないと思うんだけどなー」

 じとーっとこちらを窺ってくる小町だが、そんなことを言われてもどうしようもない。
実際、奉仕部の空気は甘いどころか辛辣さに満ち満ちているのが現状なのである。
そりゃ多少はあいつとの距離も近くなってるかもしれないけど、基本俺に対しては罵倒から入るという姿勢は小揺るぎもしていないのだから。


「ないない。大体この前の部活の時だって、最後に部室を出る前のあいつの台詞、呼吸する暇があったらさっさと片付けて出てけ、だぞ」
「わぁお、愛されてるぅ」
「めっちゃ棒読みじゃねぇか」

 正に冷や水を浴びせられた、といった風に小町がトーンダウンしていた。
というか、むしろ引いていた。ドン引きである。
この場合、それは言った雪ノ下に対してなのか、言われた俺に対してなのか、判断に苦しむ所だ。


 さておき、おっかしーなーとか小町が小首を傾げているのを見やりつつ溜め息を一つ。
その日にあった出来事は、きっと燃料投下にしかならないだろうから黙っておこう、と改めて決意する。

 とは言っても、正直、雪ノ下が何を考えているのか分からないのは俺も同じなのだ。
あいつとの距離が縮まっているように思うのは気のせいじゃないと思うけど、その真意までは分からない。
あの透き通るような表情の影に、一体どんな感情が秘められているのだろうか。
知りたいような、知らない方がいいような……


「つーか話逸れ過ぎだろ、何の話してたんだよ、今まで」
「え? 小町のお姉ちゃん候補の吟味をしてたんでしょ?」
「違う、俺の数学のテスト対策の話してただろ」
「あ、そうだったそうだった、すっかり忘れちゃってたよ、てへり」

 舌をぺろっと出しつつ笑って誤魔化す小町。可愛いから許す。
まぁ別に忘れられてても大して問題の無い話だし。
というか、このまま終わらせてもいいくらいだ。うん、そうしよう。


「つーことで話は終わりな」
「いやいや、終わってないよ? というか始まってさえなかったじゃん」
「始めんでいいだろ。気にするなって、最終的には黙って俺が我慢すればそれで丸く収まる話だし」
「何で良い話風に締めようとしてんの? 何も解決してないし。じゃなくて、お小遣い減らされちゃったら大変だよ、小町も困るよ」

 何で小町が困るんだよ、と言いたいところだけど、それは単にこれから俺におねだり出来なくなるのが困るってだけだと容易に想像がつくから言わない。
ホントこの子の要領の良さときたら。まぁその件に関して俺に後悔は一切ないけどな。
小町の為なら大抵のことはできる自信がある。正に兄の鑑と言えよう。違うか。


「まぁ俺の小遣いはさておき、今更数学の勉強とかやってられねぇし、まずできるとも思えんし」
「だから誰かに教えてもらうとか――」
「待て、話がループしようとしてる」
「我儘だなぁもー。とにかく!」

 小町はまたしてもがたっと勢いよく立ち上がり、俺をびっと指差してくる。
話のループは避けられたが、その結果強引にまとめられようとしていた。
甚だ遺憾であると主張したい。まぁ素直に聞いてくれる妹ではないんだけど。


「雪乃さんか誰かに教えてもらうか、お兄ちゃんが一人寂しく真面目に勉強するか、どっちかだよ! ちなみに最初のを選んだら小町ポイント三倍だから超お勧め!」
「いらんから。ていうか何? 俺が数学勉強するのは確定なの?」
「Exactly!」
「何でそこだけ無駄にネイティブっぽいんだよ、日本語で喋れ日本語で」
「そのとーり!」
「オーケー、とりあえず言いたいことは分かった」
「じゃあ?」
「だが断る」
「なんでーっ!?」

 驚きに目を丸くする小町。
ネタは通じなかったみたいだけど、意思は通じたらしい。
とりあえず良かったとしておこう。


「いやだって数学とか俺には必要ないしさ。やらなくていいことなら、やらない。やらなければいけないことなら後回し。それが俺の信条なんだよ」
「ダメダメじゃん!」

 小町は、ぱしんとおでこに手をやって大げさに嘆く。
振っといてなんだけど、ホントこいつノリがいいよなぁ。
これもコミュ力の一環なのだろうか。頼もしい妹で何よりだ。


 生温く見守る俺の目の前で、小町はやれやれと肩を竦めてから、気を取り直すように俺にもう一度向き直る。
まだ折れないのか。全く、変なところで根性があるというか。
相手をするに吝かじゃないけど、そろそろ諦めてくれてもいいのに。

「お兄ちゃん、そこに直りなさい」
「直るも何も動いてないんだけど」
「口答えしないの。真面目な話だけどさ、やっぱり勿体ないと思うんだよ」
「勿体ない?」
「うん、お兄ちゃん地頭いいんだし、数学だってちゃんと勉強したらすごいできるはずなのに」
「んなことねぇって、それに必要ないから――」
「でも赤点とかってなって、それでお兄ちゃんが低く見られるの、何かやだし」


 小町は、眉根を寄せつつ口を尖らせる。
拗ねた声と不満げな表情。
結局のところ、こいつは小遣いがどうとか以上に俺の評判の方を気にしてたってことか。
そんなことを言われてしまうと、どうにも否定の言葉が言い難くなっちまうだろうが。

「……」
「……ね?」

 思わず言葉に詰まった俺を、上目遣いで窺う小町。
いつものおねだり体勢だ。
本当にとんだ策士さんである。
こうなってしまえば、もう完全に詰みと認めざるを得ない。完璧チェックメイト。


「分かったよ、分かった。じゃあとりあえずテスト勉強はちゃんとやるよ、参考書買ってきて。それでいいだろ?」
「さっすがお兄ちゃん! 分かってくれると思ってた! 愛してるよー!」
「はいはい、俺も愛してる愛してる」
「わぁお、感情こもってなーい」

 感情こめて、んなこと言える訳ないだろうが。
さておき、いつものように明るい笑顔の小町を見ていると、それだけで陰鬱な気分なんて吹き飛んでしまう。
正直なところ数学の勉強とか面倒臭い事この上ないんだけど、まぁ小町の為という大義名分があるのならば仕方がない。
勘違いしないでよね、自分の為なんかじゃないんだから。
って、どんなツンデレだよ。どの方向を向いているのか全く分からない。


「じゃ、行こっか」
「は?」

 ぼんやりと阿呆なことを考えていると、小町がすっと俺へと手を差し出してくる。
それを馬鹿みたいな顔で見返す俺。
何? 何の話? びっくりするほど脈絡も具体性もなくて、どう反応して良いか分かんないんだけど。
脳内で疑問符と戯れていると、仕方ないなぁとばかりに呆れ顔で肩を竦められた。


「だから、参考書買うんでしょ? 小町と一緒に行こ。思い立ったが何とかだよ」
「吉日な、そのくらい覚えとけよ」
「そうそう、それそれ。いいじゃん意味通じてるんだから。とにかく今日から勉強する為にも、今から買いに行こうよ」
「えー?」
「えーじゃないよ、可愛い小町とお出かけしたくないの?」
「可愛い小町と家で一緒にのんびりじゃ駄目なのか?」
「ダメ。小町といちゃいちゃしたいなら、ちゃんと買い物済ませて帰ってからだよ」
「いや、いちゃいちゃとかは別に」
「むー、その淡白な反応、小町的にポイント低いよ。もっとこう“ばっ、お前何言ってんの!?”とか動揺したら、小町的に胸きゅんな展開なのに」
「知らんわ」


 くるくると表情を変えながら文句を言われても、俺としてはそれ以上の反応なんて返しようがない。
小町が可愛いのは否定しないというか全面的に全力で肯定するところだが、それはあくまで妹としてである。
期待の方向性が違うだろ、と突っ込んでおかないと色々と不味い所だ。
しかし何がお気に召さないのか、小町はまだちょっと膨れている。仕方がないか。

「分かったよ。じゃあ小町、一緒に買い物行くか」
「! うん、行こ行こ、それじゃー準備してくるから!」


 ぱっと笑顔に変わると、言葉の余韻を残しながら自室へと駆け上がっていく。
動き早ぇよ、トムとジェリーか。
しかしキャラの動きが完全に音楽に一致してたりとか、あれって今でも普通に通じるレベルの超良作アニメだよね。やってることは割とえげつなかったりするけど。

 いやそんな下らんこと考えてる場合じゃなかった。
こちらも準備を急がないと、また何を言われるやら分かったものじゃない。
せっかく直った機嫌をまた損ねる訳にもいかないし。
少し遅れて俺も自室へと戻り、出掛ける準備に取り掛かる。
まぁ結局小町を待つ時間の方がずっと長かったわけだが。男の立場は常に悲しい。


 それから暫く経って小町も準備完了。
家を出て、二人で連れ立って目的地へと向かって歩き出す。

 しかし休日だけあって、歩く道では結構な人とすれ違う。
人が多い所って落ち着かないんだよなぁ、と若干テンションが下がる俺と対照的に、小町ははしゃいでいると言っていいくらいのテンションの高さだった。
それこそ出がけに酒でも飲んだのかってくらい。

「おっかいものー、おっかいものー」
「変な歌を歌うなって」
「そういや久しぶりだよね、二人でお出かけって」
「ん? あぁそういやそうかも」


 俺の腕にしがみつくようにしながらご機嫌な様子の小町。
目が合うとにっこり笑って嬉しそうに話しかけてくる。
何がそんなに楽しいのかといって二人でお出かけしてることとか、それって八幡的にポイント高いよと思わず言いそうになる。
いやもちろん断固として言わんけど。

 さておき、思い返せば確かに随分こうして二人きりで出掛けることがなかった気もする。
まぁ元より俺が休日に出かけるってこと自体が稀だという事情もあるけど。
何にしても参考書を買いに行く程度のことでこれだけ楽しそうにしてもらえるなら、兄としても実に喜ばしい。


「んで、お昼はどうしよっか?」
「帰ってからでいいんじゃね?」
「却下だよ。せっかくのお出かけなんだし外で食べようよ」
「まぁいいけどさ、じゃあ買い物終わってから適当に探すってことで」
「おーけー、それじゃあお店は小町にお任せっ」
「あー、んじゃ任せるわ」

 空いてる手を天へと突き上げて気合も十分。
昼飯なんかでそこまで力入れんでもと思わなくはないが、まぁその辺はテンションの高さがなせる技なんだろう。


 しかしこのエネルギーの差はどこから来んのかね? 一応俺も小町も同じもの食べてるはずなんだけど。
俺の燃費が悪過ぎるのか、小町の燃費が良過ぎるのか。
まぁその両方ってのが一番有力な気がする。何か色々悲しいけど。

 さておき、通りからバスに乗って向かうのはいつものららぽーとだ。
捻りも何もあったもんじゃないが、そもそも参考書買いに行くのに捻りを利かせる意味はない。
それに小町もついでに買い物とかあるかもしれないし。
常に備えあれば憂い無しなのだ。
事あるごとに憂いがありまくる人生送ってる気がしないでもないけど。


「お兄ちゃーん、良いのあったー?」
「いや、つーか数学よく分からんのに参考書の良いも悪いも判断できねぇし」

 ららぽーとに到着してすぐ本屋に入り、小町と別れて参考書コーナーに辿りついたところで、俺は割と本気で頭を悩ませていた。
あれやこれやと手に取ったり、ぱらぱらとめくってみたり、矯めつ眇めつ吟味していたのだが……何が良いのか見当もつかないのだ。

 とはいえ、それもまぁある意味では当然の帰結と言えよう。
実際、知らない者が事の良し悪しを判断できる道理なんてあるわけもない。
頭を抱えている俺のところへ、自分の見たいものを見終えたのか、小町がてててと寄ってくる。
と、俺の手元を覗きこんで嫌そうな顔に変わった。


「うわー、何か難しそう、高校生になったら小町もこんなのやんなきゃダメなんだね、ちょい憂鬱」
「お前さ、現在進行形でそれを俺にやらせようとしてるってこと忘れてないか?」
「それはそれ、これはこれ」

 いっそ清々しいくらいに勝手な言い分だった。
まぁいいけど、どうせ小町も通る道なんだから。
しかし参った、こんなに分厚いとそれだけでやる気失くすわ。


「もういいや、とりあえず薄いのを一冊買ってそれで勉強するってことで」
「何か適当だなぁ。それで大丈夫?」
「赤点脱出くらいなら何とかなるだろ」
「まぁそれもそっか、少しでもやり易い方がいいよね」

 うんうんと頷く小町。
何にしても同意が得られたなら話は早い。
小町を置いてレジへと向かう。
精算を済ませたところで、待ってましたとばかりに小町が横に並んで俺の顔を覗き込んでくる。


「ちゃんと買えた?」
「おい、初めてのお使いじゃないんだから。買えんわけないだろ。俺を何歳児だと思ってんだ?」
「もー、すぐそうやって話の腰折るんだから。そこは素直に買えたって返してくれればいいの」
「めんどいなぁ。んで、とりあえず用は済ませたけど、飯はどうすんだ?」
「どうしよっか。でも丁度お昼時だから、どこもいっぱいって感じだし。困ったね」

 店を出て歩きながら、きょろきょろと周りを見回す小町。
確かに、どこを見ても人で溢れている。店先から通路からもう人ばっかり。
頭の中で人間って文字がゲシュタルト崩壊を起こし始める勢いだ。
何かもう、この光景見てるだけで胸やけしてくる。


「ったく、どいつもこいつも休みってーと外に出てきやがって。暇人ばっかりか」
「いや小町たちも一緒でしょ」
「なぁ、もう帰るってことでいいんじゃね? 買う物買ったしさ」
「えー、ダメだよ、せっかく二人でお出かけしてるのに。もう、そういうの女の子とのデートの時にしちゃ絶対ダメだからね」
「まずデートの機会がないから安心しろ」
「むしろ不安になるんだけど、それ。ていうか、そろそろ小町を安心させてほしいなーとか思ったり。ちらちら」

 ちらちらとわざわざ口で言いながら、上目遣いでこちらを見てくるが、敢えて無視することにする。
何を期待してんのか知らんが、答えようも応えようもないし。
触れぬが吉だ。


「まぁ帰るのは無しにしても、じゃあ昼はどうすんだ?」
「んー、そだねー。できればCafeがいいんだけどなぁ、ちょい難しそう」
「だから何で今日のお前はそうやってちょくちょくネイティブっぽくなるんだよ。何? その無駄に良い発音は何かのブームなの? 俺の知らない所で千葉に何が起きてるの?」
「まぁまぁ、何か今日はそういう気分なんだよ」

 どんな気分だよ。
何だかなぁ、小町こそ決して地頭は悪くないはずなんだけどなぁ。
随所で残念な感じになるのは、ホント勿体ないというか何というか。


「でも参ったね、どこもいっぱいだよ」
「じゃあ、どっかで大人しく待つか?」
「んー、でもきっとどっか空いてる所が……お?」

 せわしくきょろきょろしていた小町が、ふと俺の腕を掴んで立ち止まる。
並んで足を止める俺に向かって、袖をくいくい引きながら、ある方向を指し示す。
そちらに目を向けると、とあるファーストフードのお店――の一角。


 よく見ると、小町が示したそこは何故かそこまで混んでなさそうに見える。
より正確には、不自然に空席があるように見えると言うべきか。
休日の昼時のファーストフード店だというのに。

 しかし成程、確かにあれなら俺たちも席に座って、ゆっくりお昼と洒落込めるかもしれない。
その明らかに不自然な点に目を瞑りさえすればの話だけど。
ちらと隣の小町に目を向けるが、何故か一切疑問を覚えていないようなつぶらな瞳で見返される。
え? マジで?


「ね、結構空いてるし、あそこにしようよ」
「いや確かに空いてるけどさ、何か不自然じゃね?」
「へ? そっかな? 単にあのお店が人気ないってだけじゃない?」
「いや、それはそれでどうなんだって気もするけど。そんな店で食いたいかって点で」
「人が少ないだけだし大丈夫でしょ。何心配してんの?」

 不思議そうに小首を傾げる小町だが、どうにも俺としては素直に賛同できかねる。
どうにもこうにも嫌な予感がするのだ。虫の知らせっていうか。
碌でもないヤツが席を占拠してるとか、味が致命的にトチ狂っててマニア専門店になってるとか、バカみたいに値段が高いとか。


 こういう悪い方向の予感って大抵当たるんだよなぁ。
休みの日に、それも小町が一緒の時にそういうのとかマジで嫌なんだけど。
という意思をこめた視線を送ってみるも、小町には届かなかったらしく、ぐいぐいと俺を引っ張って店へ連れて行こうとする。
ちょっ、Wait a minute! あ、伝染っちゃった。

「ほらほらお兄ちゃん、行こうよ。小町お腹空いてきたし」
「いやだからちょっと待てって、絶対何かあるぞ、あれ。変なヤツがいたらどうすんだよ」
「だからぁ、人が一人もいないんだったらともかく、それなりにお客さんいるし、大丈夫だって。ホントお兄ちゃんびびりなんだから」
「ばっ、お前何言ってんだよ、自然界では警戒心を失った動物から死んでいくんだぞ、危険を事前に察知して回避するというのはむしろ生き抜くために必須の資質で、それはつまり逆説的に俺の優秀さの証拠でもあり――」
「いいからいいから、あ、すいませーん」


 言い募る俺を一蹴してカウンターへ向かう小町。
そこで笑顔のお姉さんと目が合ってしまう――あぁ、これじゃもう逃げられない。
さすがに俺も観念して、小町と一緒にメニューを見て、適当なセットを選ぶ。

 とりあえず値段は問題なし。というかお店自体は普通も普通。
となると……ちらと客席の方に視線を向ける。
やはり一角だけ不自然に人がいない。というか周囲の人が遠巻きにしてるって感じか?
いずれにしても、確かに俺たち二人くらいなら余裕で座れる余裕があるのは事実だった。


「お兄ちゃんお兄ちゃん、頼んだの出てきたよ、行こ」
「ん? お、おう」

 呼ばれて視線を戻すと、準備万端な二枚のトレイ。
見た感じでは普通に美味しそうである。
さて、あとはこれをどこで食べるかだけど。

「って、何でお前は迷わずそっちに行こうとしてんだよ」
「え? 当然でしょ、空いてるんだもん」
「いや、だから――」


 止める間もなくずんずん進む小町。
慌ててその後を追う俺。
おい、だから変なヤツがいたらどうすんだよって。

 しかし元より広くも無い店内。
抵抗空しく、あっという間に問題の一角に辿り着いてしまった。

 回り込むようにして辿り着いたテーブル。
さっきまで背後の壁が邪魔で見えなかったそこに座っていた人間を目の当たりにして、思わず動きを止めてしまう。
予想外もいいところだった。

「む? 誰かと思えば八幡ではないか」
「材木座かよ……」

ということで今日はここまでです。
繋ぎのお話と言うことで。
第三者の存在って大事だよね。

もう少しだけ兄妹の散策は続きそうです。
お盆で色々アレですので次は未定ですがなるべく早めに書いてきたいと思います。
そろそろ7.5巻だし! 6.5巻でもあるし! 他にも読みたいの出るし!
8月は忙しいねww
ではでは!

やっはろー。今回の展開、ご好評(?)のようで良かったです。
いや小町と街に出るってネタで誰に会うか考えてたら、何故か材の字が浮かんできて。
もうここで出さないと今後出す機会無いなと思ったらもう矢も盾も堪らずこう相成りました。
うざかっこいい彼のこの存在感の強さは異常だなぁww

さて続きもちょこちょこ書いてってます。
また上げられる目処が立ったら報告してきますんでよろしくです。

こんばんはです。
中々時間が取れてないですが、あんまりな所で止まってたので、もうちょい進めたいと思います。
もうすぐ7.5巻だし!


「む? 誰かと思えば八幡ではないか」
「材木座かよ……」
「ふむん、しかしよもやこんな所で会うことになろうとはな――げに運命の導きとは侮れぬ。いや、これでこそ待っていた甲斐もあったというものか」
「だから言ってることが相変わらず訳分かんねぇんだって、お前は。結局予想外だったのか想定内だったのか、一体どっちなんだよ?」

 席に座ってハンバーガーを食べていたのは、(残念ながら)見知った顔――材木座義輝その人だった。
というかホントに何言ってんだろうね、こいつ。
一文の中で意見を覆して何を狙ってるの? 一人だけ違う時空を生きてるの?
まさか一秒前の自分の言葉も忘れる程に日本語が不自由だったとは。
さすがゴミカスワナビと呼ばれていただけのことはあるな。


 にしても、せっかくの休日で小町と一緒にいる時にこいつに会うとか、やっぱり虫の知らせに従っときゃよかった。
誰が得するんだよ、こんな展開。
しかしまぁ、そう考えると千葉って狭いよね、意外と。
俺の生温い視線に気づかないまま、材木座がふふんと鼻を鳴らす。あ、ちょっといらっときた。

「ぬふぅ、いつも言っていることだが、八幡いる所に我あり。然らば我らがここで出会うのもまた必然だったと言えよう」
「気持ち悪いから止めろ、お前にそう言われて喜ぶ趣味はねぇよ」
「ならば、ここはより親しみを込めて兄者と呼ぼうか」
「オーケー、埋められるか沈められるか、好きな方を選べ。海か大地か、望む方で自然へ還してやる」
「ふひ……お、落ち着け我が相棒よ、目がマジになってるから。冗談、冗談だって」
「びびるくらいなら最初から言うなよな、ったく。あぁ、でもとりあえずもう一回釘刺しとくけど、小町には指一本触れんなよ?」
「う、うむ、魂の同胞のたっての頼みとあらば是非も無い」
「だから訳分からんし」


 割と本気で睨んでみると、材木座はかくかくと首を上下に振ってきた。
何? 水飲み人形の真似か何か? 結構上手いじゃん。
もういっそお前その芸で食ってったらどうだ?
可能かどうかは知らんけど、今よりは痛さがマシになると思うぞ、多分。

「もーお兄ちゃん、さっきから何言ってんの? 早く座って食べようよ」
「そうだな。なぁ材木座、ここら辺空いてるみたいだから使わせてもらうぞ」
「なに? それは我と共に昼餉を食したいということか?」
「……まぁ何でもいいよ、とにかく座るからな」


 後ろから小町にせっつかれたので、とりあえずテーブル一個分開けて席に着く。
間違っても小町と材木座を隣り合わせる訳にも向かい合わせる訳にもいかないし。
そして当然、小町は俺の向かいに腰掛ける。
うん、完璧。

「どうもー中二さん、ここ使わせてもらいますねー」
「ほむぅ、か、構わぬ、八幡の妹御であるならば遠慮など不要である」


 にぱっと笑う小町を見てしどろもどろになる材木座。
視線がビリヤードのブレイクショットをくらったみたいにあっちこっち跳ね回ってる。
お前ホント動揺し過ぎだろ。

 見ていて面白い光景と言えなくも無いけど、正直どうでもいいので放っておくことにしよう。
何にしても、まずは腹ごしらえだ。

 ということで、二人でトレイに乗ったバーガーセットを頂く。
それなりに腹も減っていたので、あっという間に大半が平らげられてしまう。
と、腹具合も少し落ち着いた所で、気になっていたことを聞いてみることにする。


「んで材木座は何でこんなとこにいんの? お前の主な生息地ってゲーセンかアニメショップら辺だろ?」
「ふむ、概ね間違ってはおらん。実際さっきまでゲーセンにいたしな、我。ここには内なる欲望を満たす為に訪れただけだ」
「要するにゲーセンに遊びに来てて、腹減ったから飯食いにたまたまここに来たってことか」
「然り」

 鷹揚に頷く材木座だが、そこで偉そうにできる理由が全くもって不明だった。
まぁ小町に説得されて数学の参考書を買いに来ただけの俺がどうこう言えた身分でもないかもしれないけど。


「んー、でもホント、どうしてこの辺こんなに人いないのかな?」

 ずずっとストローからジュースを吸い上げつつ、小町が周囲を見回している。
不思議そうに小首を傾げているが、俺に言わせれば、その原因は目の前のこいつが何かやらかしたことにあるとしか思えない。
じとっと半眼を向けてやると、案の定というか材木座はすっと目を逸らした。


「ぬ、ぬぅ、それはあれだ。我の造り出す絶対領域を突破できるだけの魔力を持つ者がそうそうおらぬというだけのこと。喜べ、お主たちは選ばれたのだ」
「選んでいらんわ。つか何の誤魔化しだよ」

 言いつつ材木座の席の辺りに視線をやると、こいつが持ってきたと思しき鞄が一つ。
その口が少し開いていて、そこから何やらちょっと露出度高めの女の子の絵があるのが見えた。
あぁ知ってる知ってる、あれってちょっとえっちぃ感じの漫画だったよな、確か。
ちなみに何でそれを俺が知っているかについては黙秘しておく。言わぬが花なのだ。


 しかしまさかこいつ、こんな公衆の面前でそんな萌え系のマンガ開いてたんだろうか?
だとすれば、一周回ってむしろ逆に感心してしまうぞ。
そんな俺の視線に気づいたのか、材木座が慌てて手元の鞄の口をさっと閉じる。
しかしまぁ時既に遅しもいいところだった。
一瞬の沈黙。

「――お前、ある意味マジで勇者だな」
「もはははは、何を言うか八幡よ、お主も同類ではないか」
「同類かどうかはともかく、さすがにこんな所で堂々とそれを読む勇気は俺にはねぇよ」


 さりげなく仲間に引き込もうとしてんじゃねぇっての。
落ちるなら一人で落ちろ。

「かっ、何を戯言を。自らの好む物を何故隠す必要がある? 自身の趣味・嗜好を偽らずに生きることが許されぬのならば、そんな世界をこそ我は拒絶しよう!」
「いや格好いいこと言ってるつもりか知らんけど、お前今隠したよな、いや今っつーか多分もっと前に」
「う、うむ、それはやんごとなき事情があったが故の苦渋の決断だ」

 そわそわと視線を泳がせる材木座。
あぁ成程、要するに意気揚々と席に着いて本を開いたけど、そこで周囲の冷たい視線に気づいて慌てて隠したってことか。
我が道を行くと言う割には周囲の目を気にするんだよな、こいつ。
本当に空気を読める奴なんだか読めない奴なんだか。


「まぁいいけどさ、とりあえずちょっと向こう行ってくれる?」
「何故さらっと排除しようとする!? 最初に席を取ってたのは我だぞ!」
「いいからいいから」
「くっ! まさか我を斯様に邪険に扱おうとは、魂で繋がった相棒に何たる仕打ち……ふん、女にうつつを抜かして、そこまで堕ちたか八幡よ」
「は? お前何言ってんの?」
「とぼけるな、お主が先週に何をしていたか、我が知らんとでも思っているのか?」
「いや、だから――」
「え? なになに? ちょっと中二さん、その話詳しく」


 俺の発言を遮って、小町が凄い勢いで食いついた。
テーブルから身を乗り出しつつ、材木座に期待の眼差しを向けている。
む、何か腹立たしいが、対する材木座の方は明らかに気圧されて狼狽えてるので、これは不問にしておいてやろう。

「ぬ、ぬぅ、それはあれだ、その――」
「小町食いつき過ぎ、落ちついて席に戻んなさいって」
「お兄ちゃんちょっと黙ってて、小町的にこれは聞き逃せない話の予感がするから」


 言いつつも、無理のある体勢だったからそれなりに辛かったのか、乗り出した身を戻す小町。
興奮未だ冷めやらぬって感じではあるけど。
何でこういう話には入れ食いなんだよ。少しは警戒しろっての。

 実際、聞いてるこっちは気が気でないのだ。
材木座の場合、当て付けにあることないこと言う可能性が否定できないし。
あんまり変なこと言ったら鼻にストロー刺してやろう。
俺が密かに決意をしていると、小町との距離が開いた事で落ち着いたのか、材木座は一つ呼吸をして遠くを見やる。


「ふ、あれは先週の安息日のことだった――」
「何? お前キリスト教にでも改宗したの? 普通に日曜って言えよ」
「我はいつもの定められた運命の道筋に沿って街を探索していたのだが」
「あ、その辺いいんで。結論だけ言っちゃってください。兄がどこで誰と何をしてたんですか?」
「ふ、ふむ、我が見たのは、八幡があの冷徹なる御仁と並んで歩いている姿だった。最初は見間違いかとも疑ったがしかし――」
「だ・か・ら! どこで! 誰と! ですか!? もー、それじゃ分かんないでしょう。ここが一番大事なんですよ? 分かってます?」
「あ、えっと、ららぽーとで、奉仕部の部長さんと、歩いてるのを、見たんです、けど……」


 しどろもどろな言い回し。あぁ材木座のヤツ、完全に素に戻ってやがる。
相変わらず女子に詰め寄られるのに弱いよな、こいつ。
俺? 俺はそもそも女子に詰め寄られること自体ないから、弱いとか強いとかもない。ぼっちマジ最強。

 そんな風に現実逃避していると、小町がぐりんと顔を向けてきた。
にんまりとちょっと悪そうな笑みを浮かべながら。
あ、駄目だこれ、こいつまた何か変な風に曲解して受け取ってる予感がするぞ。


「もぅ、何さお兄ちゃんてば、先週陽乃さんに呼ばれた後にちゃっかり雪乃さんとデートしてたんだぁ。なーんだ、陽乃さんに散々おちょくられただけとか言ってたけど、やることちゃんとやってんじゃん、照れ隠しだったのかこのこのぉ」
「待て小町、その言い方は語弊があるぞ。デートじゃないから。全然デートでも何でもないから。単にあれだ、あの時陽乃さんが雪ノ下のヤツをその場に呼んでて、それから色々あって陽乃さんが帰っちゃったから、代わりに買い物に道案内役としてついてっただけでだな」
「誤魔化さなくていいって。それよりお兄ちゃん名前名前、ちゃんと雪乃って呼ばなきゃ、でしょ?」
「誰がこんなとこで――」
「な、なぬー!」

 小町の追及を否定しようとしたところで、突然がたっと立ち上がる材木座。
わなわなと手を震わせて、驚愕の表情をこちらに向けている。
というか、こっちの方がびっくりしたわ。


「な、何だよ材木座、驚かせんなよな」
「は、八幡! 貴様どうせいつも通り一方通行だろうと思っていたら、いつの間に我を差し置いてそんな女子と名前で呼び合うなどというけしからん関係に!? 穢れておるぞ!」
「だから違うって言ってんだろ、俺と雪ノ下は別に何も――」
「あ、何か最近雪乃さんの方から名前で呼んでって言われたみたいですよー。手作りクッキーもらったりとかしてたし。もどかしいけど、こうちょっとずつ育んでいってるって感じがいいですよねー」
「に、にゃにぃ! ぷじゃけるな貴様ぁっ!」

 さり気に投下された小町の爆弾発言が駄目押しになったのか、材木座は真っ赤になりながら俺を指差して罵ってきた。
何なら頭から湯気が噴き出してんじゃないのかって錯覚するほどの怒り方だ。
さながら沸騰したヤカンを眺めているような気分である。つまりは触るな危険。


 しかし何でそんなに意味深に煽るかなぁ、小町も。
いつだってしわ寄せは俺に来るんで止めてほしいんだけど。

 俺の心中を他所に、材木座は憤懣遣る方無いとばかりに地団駄を踏みつつ涙目になっていた。
いや、泣くなよこんな下らんことで。
ちょっとは冷静に俺の話を――と思いつつもどうせ聞いてくれないだろうから諦めることにする。
そしてその判断は悲しいくらいに正解だった。


「このうなぎり者めっ! 惨めにフラれて路頭に迷え! ちくしょう、八幡なんかもう知らん! 二度とゲーセンに誘ってやらんからな!」
「裏切り者な。あと別に誘ってほしいって頼んだ覚えないから」

 捨て台詞を残して、だっと駆け出す材木座。
それでも途中でトレイとごみはきちんと片づけていく辺り、割と躾は行き届いてるのかもしれない。
しかし何か変な誤解されちまったじゃねぇか、全く。
まぁ言いふらすようなヤツじゃない(というかその相手がいない)から事実上問題は無いとはいえ――


「……」
「ん? どしたの? お兄ちゃん」

 ちらと小町にジト目を向けると、何らやましい所はありませんと言わんばかりの無垢な笑顔を返された。
どうやら俺の非難の意思は微塵も伝わらなかったらしい。
あるいは伝わったけど敢えて無視しているかだ。


「どしたのじゃねぇよ、あいつ絶対変な勘違いしてんぞ」
「小町的には勘違いじゃないと思ってるんだけどなー、ていうか嘘は一つも言ってないし」
「だから……はぁ、まぁいいか、材木座なら大丈夫だろうし。でも他の奴にはそういうこと言うなよ?」
「えー? なんでー?」

 眉を寄せながら頬を膨らませて、目一杯不満ですってアピールしてくる小町。
というか、そもそも俺と雪ノ下の間にこいつが邪推するような何かがあるわけでもないのに、何でそんなに文句言いたげなんだよ。
むしろ俺の方が文句を言ってもいいんじゃないだろうか。


「なんでも何もないだろ、そもそも雪ノ下とデートとかしてないんだって。あれは買い物に仕方なしに付き合わされたってだけでさ」
「いやそれこそ無いでしょ。あの雪乃さんが仕方なしで誰かを連れ回したりとかすると思う?」
「そりゃ、まぁそうかもしれんけど――でも状況によるだろ、そういうのって。道に迷ったりとか困ってる時なら嫌々でも」
「だからぁ、雪乃さんが嫌々誰かと一緒に行動なんてするわけないじゃん。本当に嫌なら一人で苦労する方を選ぶでしょ、雪乃さんなら。大体お兄ちゃんが付き合わされたって言うってことは、誘ったのは雪乃さんの方なんでしょ? つまりはそういうことなんだよ」
「? どういうことだよ?」
「はぁ……」

 小首を傾げていると、やれやれと言わんばかりに大仰に肩を竦められた。
だから何で今日の小町はちょくちょく欧米ナイズされてんだよ。
もしかして俺が知らないだけで、何か英語圏の人をリスペクトするようなイベントでもあったの?


「ホントお兄ちゃんってどうしようもないよね、何でそんな朴念仁なの?」
「さり気なく兄をディスるのは止めろっての。つーかお前、最近雪ノ下の影響受け過ぎだろ」
「とにかく! お兄ちゃんはもうちょっと人の言葉を素直に受け取るべきなのです」
「はぁ」

 びしっと俺を指差してくる小町。
行儀が悪いから止めなさい、とはどうにも言い難い空気だった。
でも正直そんなこと言われても反応に困る。


「むぅ、何か気の無い返事だし」
「信じる者がバカを見るこの世界で、そんな素直になれとか言われてもなぁ」
「だから捻くれ過ぎだって、もう。そんな誰彼構わず信じろなんて言ってないでしょ。ただ雪乃さんの言うことは信じなきゃダメだよって言ってるの」
「いや、そりゃまぁ雪ノ下のことを疑う気なんてないけどさ」

 そんな改まって言うことでもないだろう。
雪ノ下のことまで信じられなくなったら、それはもう本当に誰も信じられなくなったと言うに等しい。
その時は完全に社会から脱落してるぞ、俺。


「ふーん……それならまぁ、今はそれで良しとしておくね」
「だから何でそんな上から目線なんだよ」

 俺の目をじっと覗き込んでいた小町だったが、少しして満足げに頷いた。
その生暖かい視線は止めてほしい。聞いちゃくれないけど。
しかしとりあえず落ち着いたらしいので、それで良しとしておこう。


「とにかく他の奴には喋らないでくれよ、本当に」
「大丈夫だって、お兄ちゃんを困らせるようなことはしないから」
「何か引っかかるけど……まぁいいや。じゃあ小町、そろそろ帰ろうぜ」
「はい? 何言ってるのお兄ちゃん、これで帰っちゃうなんて勿体ないじゃん、却下だよ却下」
「いやでも用事も済んだし、何か疲れたし、帰って家で休みたいんだけど」
「はぁ……お兄ちゃんってホント女心が分かってないよね」
「んなこと言われてもなぁ」

 大仰なため息の後、ちょっと蔑んだような目で見られてしまった。
ちょっとこれ、本当に雪ノ下の影響受け過ぎじゃないの? その内、息するように俺を罵倒し始めないだろうな?
お兄ちゃんは小町の将来が心配です。


「とにかく、女の子と一緒の時に疲れたとか禁句だよ」
「えー? つーか何でそんなことで怒られてんの? 俺」
「とーぜんじゃん。これから雪乃さんとかとデートする時だってたくさんあるかもだし、もう今から小町がばっしばし鍛えちゃうからね!」
「死ぬほどいらんお世話だっての――んで、結局どうすんだ? これから」

 小町が何やら鼻息荒くやる気満々だったので、矛先を逸らすべくさり気に話題を軌道修正。
これ以上しんどい面倒事を背負わされちゃ堪ったものじゃない。
いらん思考よ吹っ飛べ。
願いが通じたのか、小町の動きがぴたりと止まり、思案するように口元に指をあてる。


「んー、どうしよっか」
「何か買いたいもんとかないのか?」
「今は別にないかなぁ」
「それじゃあどうすんだよ」
「目的とかいいじゃん、適当に見て回ろうよ、いいの見つかるかもだし」
「んな行き当たりばったりな」
「いいのいいの、お兄ちゃんと一緒に見て回るってのが大事なんだから。これ小町的にポイント高いよね」
「そのポイントの基準が分からないんだって」

 突っ込みを入れつつも、別に反対するつもりはない。
正直だるいはだるいけど、適当に見て回るだけで満足してくれるなら安いもんだし。小町の為だし。
ということで方針も決まり、トレイとかを片付けて店を出ると、小町が俺の手を掴んで引っ張りつつ歩き出した。
並んで歩きながらその横顔を窺う。


「で、まずどこから行くんだ?」
「だから適当だって。あっちの方から行ってみよー」
「了解了解、行き先は任せるわ」
「任されましたー」

 いつも通り元気な笑顔で意気揚々と歩く小町。
機嫌が良さそうで何よりだ。
あとは何も考えず大人しくついていくだけ。実に楽なもんだ。
願わくば人生もこうありたい。口に出したら怒られそうだから言わないけど。


 小町は人の流れに逆らわず、エスカレーターへと向かって歩いている。
そうして気楽な気分で歩くこと暫し。
周囲に人ばかりと言っても、只の背景だと割り切ってしまえば気にもならなくなってくる。そんな頃合だった。

 色を失くしたような無味乾燥な景色の中に、ふと一際鮮烈な輝きを見つけた。
さながら舞台の上に立つ主演女優にスポットライトが当たった瞬間のように、目を、意識を惹きつけられてしまう。
時を同じくして、小町も気付いたらしい。ぽそりと隣から呟く声。

「あれって、ひょっとして雪乃さん?」

ということですいません、今日はこの辺で。
しかしようやくご登場で一安心ですww
また近いうちに続きを上げたいと思いますので、しばしお待ちを。

でもまずは7.5巻の熟読が先か……?
でれのん分が補充できれば最高なんですが。
楽しみなような怖いような。

やっはろー。読んで頂いた皆様に感謝です。
しかし発売日なのに7.5巻が手に入らない……これだから田舎暮らしは困る。
とりあえず続きを書きつつ入手できるのを待つことにします。

さておき、ようやくゆきのんのターンだし、と気合い入れて書いてます。
ただ続きを上げられるのはもうちょっと先になりそうです。
楽しみにして頂いている方には申し訳ないですが、もうちょっとお待ちください。
以上、業務報告でした。

やっはろーです。
7.5巻読みました……が、正直ゆきのん分が足りない! とか我儘なことを思ってしまいました。我ながら罪深い……
でも八幡が、他の男がゆきのんに触れようとするのが許せない的な描写になってたのはアリだったww(考え過ぎかもですが)

さておき続きですが、まだ書ききれてないです。
書きたいシーンであり大切なシーンでもあるので、どうしても時間がかかってしまいますね。
何より八雪への渇望が……っ!

ということで、⑤の完結はまだもうちょっとかかりそうです。
ただまぁ全く上げないのもアレなので、切りの良い所までは上げてこうかと。
暫しお付き合い頂ければ。


「あれって、ひょっとして雪乃さん?」

 ショッピングモールの案内のパンフレットを手に、右へ左へと視線を彷徨わせているのは、紛れも疑いようもなく雪ノ下雪乃その人だった。
ワインレッドのロング丈スカートにベージュのカーディガンという秋色の落ち着いた装いの上に、艶やかな黒髪が踊っている。
例によって例の如く、通りかかる人が振り返ったり、近くで屯っている連中がちらちら視線を送っていたりと結構な注目度だが、当人はそれどころではない様子だ。
もっとも何をしているかは想像するに容易い。きっとまた道に迷っているのだろう。


 けれど、そうと分かっていてもなお、長い黒髪をなびかせながら透き通るような表情で左右を窺っているその姿は、誰しも惹かれずにいられない。
困ったように少し眉を寄せているその憂いの表情は、見ている側の方がため息をつきたくなる程の魅力を湛えている。
気付けば、さっきまで無色にも思っていたはずの風景は、その瞬間に一陣の風が全て吹き飛ばしたかのように、鮮やかな色合いを取り戻していた。

 雪ノ下は柔らかく景色に溶け込み、そしてただそれだけで周囲の風景を神秘のヴェールに包んでしまっている。
ショッピングモールの何の変哲もない窓ガラスさえ、雪ノ下の背景にあるというだけで、さながら荘厳な大聖堂のステンドグラスであるかのような錯覚を抱かせてしまう。
燦々と降り注ぐ陽光すら彼女を祝福しているようで、絵心のある人ならばきっと、この景色をモチーフにさぞ素晴らしい絵画を創り出せることだろう。


 新雪のように真白な肌と黒曜石のように輝く黒髪の鮮やかなコントラストが、彼女の存在感から現実味を削り取ってしまっている。
夢か現か幻か――人の世界にありながら、どうしてこうまで幻想的なのだろうか。
強く主張するような華麗さはないけれど、そっと寄り添うような可憐さを携えた立ち姿。

 そのあまりにも清らかな景色を壊してしまいそうな気がして、とても声を掛けることなんてできなかった。
みっともなくも、言葉もなく、ただ立ち尽くすのみ。
さながら人の無力をまざまざと見せつけられているかのように。


「雪乃さーん、こんにちはー」

 そんな静寂の空間に思いっきり風穴が開く。
俺の懊悩や葛藤など何処吹く風、と小町は果敢に雪ノ下へと声をかけつつ歩み寄っていく。
この空気をまるで気にしないとか、小町さんマジぱねぇ。

 しかし、良くも悪しくもマイペースなその振舞いにつられて、俺の方も再起動できた。
なので、先を歩く小町にのこのことついて行く。
とそこで、呼ばれた雪ノ下が振り返って小町を認め、その表情を少し緩ませる。


「あら小町さん、こんにちは、元気そうで何よりね」
「いーえー、雪乃さんこそです。でもでもこんな所で会えるなんて、凄く嬉しい偶然もあるんですねぇ」
「ふふ、そうね――ところで少し気を付けた方がいいわ、目つきの怪しい男があなたの跡をつけてきてるから」
「おい、会って早々それかよ、ご挨拶にも程があるだろ、雪ノ下」

 小町を見ていた時の穏やかな表情から一転、俺を見る時にはすーっと冷たい目に変わっていた。
お前はあれか、いちいち俺のことを罵倒してからじゃないと会話に入れない病気にでもかかってんのか。
医者行け、医者。もう手遅れかも知らんけど。


「やー確かに目はちょっとアレですけど、一応これでも小町にとってはそれなりに頼れるお兄ちゃんなんで、どーぞご安心を」
「お前もお前で実はフォローする気ないだろ」
「えー? ちゃんとしてるじゃん」
「……いやまぁいいけどさ」

 そんな今更なことを言い合ってても埒が明かんし。
しかし、何で休みの日にこうまで知り合いに会うかなぁ。
千葉って結構広いはずなんだけど。


 ぼっちの行動パターンが似通うというのも、あながち妄言とまで言い切れないのかもしれない。
そんな風にやるせない感じに浸っていると、わざわざ聞こえよがしにため息をついて、雪ノ下が改めて俺へと向き直る。

「それにしても随分奇遇ね。あなたが休みの日に出歩くなんて、明日は嵐でもくるのかしら」
「珍事みたいに言うなよな、いくら俺でも年がら年中家に閉じこもってるわけじゃねぇよ」
「そう、ではとうとう追い出されたということね」
「違うっつの。勝手に俺んちの家庭事情を想像して完結させるの止めてくれる? 今日はあれだよ、小町に上手いこと誘導されて買い物に来ただけだから」
「結局主体性はないんじゃない。あなたの生き方はどうでもいいけど、せめて小町さんには迷惑をかけないようになさい」


 相も変わらぬ上から目線でのお言葉だった。あまりのありがたみに言葉もないわ。
しかし俺への文句はさておき、何でお前が小町の姉みたいに振舞ってんの?
小町の為に生きてると言っても過言じゃない俺に対してその忠告とか、おこがましいにも程があるぞ。
口に出したら小町にさえ引かれそうだから言わないけど。

「雪乃さんもお買い物ですか?」
「えぇ、せっかくの休みだし、色々と見て回ろうと思って」


 翻って、小町の質問に対しては淡く微笑みながら返す雪ノ下。
びっくりするくらいの温度差だった。砂漠の昼夜でもこうは行かない。
大自然よりも過酷とか、雪ノ下さんマジぱねぇ。

 それにしても、この辺の使い分けを見ていると、姉との血の繋がりを感じるね。
もしかしたら、この微笑みが徹底的に強化されたら、陽乃さんのあの外面みたいになってしまうのかもしれない。
んー、そう考えるとちょっと微妙な気分になるな。もちろん雪ノ下ならそうはならないと確信はしてるけど。
まぁとりあえず買物だってんなら――


「んじゃ、そっちの邪魔するのもなんだし、俺たちはこれで。また学校でな」
「そうね、じゃあ――」
「ちょーい待ちっ! はいストップ、二人とも良い子だから待って下さいよー」
「何だよ?」「何かしら?」
「あーもう! 何でそういう時だけ綺麗にシンクロできるの!? 首を傾げる角度まで一緒だし! じゃなくて、せっかく会えたのにこれでさよならとか寂し過ぎるでしょ?」
「いや、んなこと言われても」

 そこで小町が慌てる理由が分からない。俺たちの行動のどこに問題が?
ちらと雪ノ下の様子を確認してみるが、相も変わらぬ透明な表情で、何を考えているかは容易には窺えない。
が、微かに視線を小町から逸らしているところから見て、どうも何かを隠そうとしている気がする。
というか、わざわざ道に迷うことを覚悟でこんな所まで出張ってきているというのだから、何か目的はあるはずだ。


 総合的に判断するに、多分あれだ、期間限定か店舗限定のパンさんグッズあたりが狙いなんだろう。
確かここにもディスティニーストアがあったはずだし。
だとしたら、むしろここでさよならしない方が怒りを買いかねない。

 だってこいつ、パンさん好きを隠そうとしてるみたいだし。
少なくとも、小町に知られることを喜んだりはしないだろう。
ならば黙って去るのも男の優しさ。ということで。


「まぁ聞け小町。雪ノ下も自分の買い物で来てるってんだから、邪魔しちゃ悪いだろ。目当てのもんとか色々あるだろうし。な?」
「ん?」

 俺の説得の言葉に、しかし小町は不思議そうにただ小首を傾げるのみだった。
何言ってんだこいつ、みたいな顔をしている。
そんなおかしなこと言ってないだろうに、何で通じないんだろう。

 援護射撃を求めて雪ノ下の方へ目を向けてみるも、こちらの反応も薄い。
まるで表情を変えず、ただ静かに視線を返されるのみ。
って、このままだと小町の思う壺だぞ。


 想いよ届け、と改めて目をしっかり合わせてみたものの、それでも援護どころか反応すら返ってこない。
別に見つめ合いたくてこんなことしてるわけじゃないんだけど。
おかしいな、ぼっち的に思う所は同じはずと考えてたのに。
え? 反論とかないの? それともまさか俺だけ空気読めてないとかそういうこと?――と疑問を覚えていた時だった。

「は! そういうこと!? あぁ小町としたことが!」
「な、なんだ急に?」


 突然、小町が大げさに驚きの声を上げる。
思わず身体がびくっとなってしまった。
なんだなんだ?

 振り返ると、小町は微かに頬を紅潮させつつ、食い入るように俺と雪ノ下をガン見してきている。
どうも何か変なものを受信してしまったらしい。
正直いい予感はしない。
と、小町が慌てた仕草でポケットから携帯を取り出す。


「おぉっと着信だよ! 何かな何かなっと。はいはーい……え? 何? すぐ来てほしいって、しょうがないなー、じゃあちょっと待っててね、今から行くから」

 ぴっと口に出しながら携帯のボタンを押して、俺たちに向かって敬礼してくる小町。
突然始まった寸劇に、俺も雪ノ下も言葉を挟めないでいた。
何事よこれ。っていうか着信って――

「ということで雪乃さん、残念ながら小町はよんどころ無い事情でお呼ばれしちゃったのでここで離脱します。すいませんけどお兄ちゃんの事よろしくお願いしますね! お兄ちゃんも、雪乃さんに迷惑かけちゃだめだよ。それじゃー小町はこの辺で!」
「いや待て小町、さっきお前の携帯ビタイチ反応無かっただろ! 着信とか絶対してないだろ! その寸劇に何の意味が!?」


 慌てて突っ込みを入れてみたけれど、時既に遅し。
それこそくるくると回り出しそうな程のご機嫌な勢いで、小町はあっという間に人混みの中へと消えて行った。
動き速ぇ。雑踏に気配なく溶け込むのがぼっちの特技とはいえ、さすがに次世代ハイブリッドとなると洗練されてるぜ、と変な所で感心してしまう。

 後に残されたのは、茫然と突っ立っている俺と雪ノ下だけ。
何と言うか、変に気を回されてしまったらしい。
どうすりゃいいんだよ、この微妙な空気。


「あーっと、何か悪いな、小町が変なこと言って」
「……いえ、普段のあなた程でもないし、気にしないで結構よ」

 いや、それ後半だけで良かっただろ。
どうしてお前は事あるごとに俺をディスらずにいられないんだよ。
何? お前の頭の中でそういう会話文のテンプレでも出来上がってるの?
まぁ別にいいけどさ、今更だし。


「じゃああれだ、邪魔しちゃ悪いし俺もこの辺で」
「待ちなさい」

 手を上げて立ち去ろうと思ったところを、間髪入れずに呼び止められてしまう。
見ると、雪ノ下はいつものように腕を組んで、凛とした表情でこちらを見据えている。


「何だよ」
「不本意ではあるけれど、小町さんに任されてしまった訳だし、このままあなたを野に解き放つわけにはいかないわ」
「俺を野生動物扱いするの止めてくれる?」
「似たようなものでしょう?」
「どこまで大雑把に括られてるんだよ俺は――ってかお前はいいのかよ、俺なんかと一緒に買い物とかさ。別に小町に気を使わんでもいいんだぞ」

 雪ノ下は変な所で頑固だし、責任感が強過ぎるくらいに強い。
だが、それも時と場合だ。
小町に頼まれたからと言って、自分の予定を崩す必要なんてないだろう。

 と、むしろ善意で言ってやったつもりだったんだけど、雪ノ下はというと、ふっと鼻で笑って返してきた。
さっと髪をかき上げながら、何を言っているのかしらこの愚物、と言わんばかりの挑発的な視線を向けてくる。


「何を言っているのかしら、この愚物は」
「当たってたよ……」
「心配しなくても、嫌ならちゃんと断っているわ。大体買い物なら先週も一緒だったでしょう。気を使うならもっと正しい所で使いなさい」
「お前は俺の母ちゃんか」

 何でそこでお小言が入るんだよ。
別にお前に監督責任とかないから。

 というか、こんな厳しい母親だったら大変だろうなぁ。
相当メンタル強くないと心折れるんじゃないかとすら思う。


「しかしあれだな、お前親になったら子供にも厳しく接しそうだな。躾ばっちりの超教育ママみたいな」
「そういうあなたは甘やかし過ぎそうね。躾がきちんとできるとは到底思えないわ。今だって小町さんに甘過ぎるくらいだし」
「いいんだよ、小町は。実際良い子に育ってるわけだし。まぁ教育とかで厳しくするのは嫁さんに任せるって感じで良いかなーとか」
「良くないわよ、人に嫌な役を押し付けるのは止めなさい」

 むっとした表情の雪ノ下に睨まれて言葉に詰まる。
うーん駄目か、良い案だと思ったんだけど。
って、あれ? 何かおかしくね?


「いや、何でそこでお前が怒んの? それじゃまるで――」
「……」

 俺が言いかけたところで、雪ノ下がはっとした表情を見せて固まる。
かく言う俺も自分の口にした言葉を自覚してしまい、動きを止めてしまう。
二人揃っての沈黙。


 ……まずい、変なことを想像してしまった。
俺と雪ノ下が将来――って、そんな未来予想図とかドリ○ムじゃないんだから。
こんなこと考えてるって知られたら、またどんな罵倒を受けるかわかったもんじゃないぞ。
大体そんなことあり得るかって、でも可能性だけの話なら、じゃなくて……

 駄目だ、いい感じにパニくった頭では思考の整理も覚束ない。
顔赤くなってないだろうな、とか下らない心配をしてしまう。
いや何か言わないと余計まずいよな、これ。
というか、どんだけ動揺してんだよ、俺。


「えっと、その……」
「何を想像しているの? 勝手に妄想して暴走するのは止めてくれるかしら。言っておくけれど、さっきの私の言葉はあくまでも一般論としてあなたの勝手な主張に異を唱えただけの事で、それ以外の意図は一切ありはしないわ。誤解しないように。いい?」

 俺が何か言う前に、瞬間立ち直って早口で捲し立ててくる雪ノ下。
おまけに、言葉の締めには異論反論を許さないとばかりにぎろりと睨んでくるおまけ付き。

 でも、こいつがこういう風に口数が多くなる時って大抵――いや、これ言ったらまた罵倒の嵐が始まりそうだし、飲み込んどかないと。
そもそもこれ以上続けたら、俺の方まで変な感じになりそうだ。
こういう時はさっさと話を戻すに限る。


「わかったよ。何か、その、悪かった、変なこと口走って」
「ま、まぁ、わかればいいのよ」
「それよりほら、お前買い物とか言ってたけど、どこに行くんだ? 何か道に迷ってたみたいだし、言ってくれりゃ俺が調べてやるけど」
「別に道に迷っていたわけではないわ、少しお店を探すのに手間取っていただけよ」
「それを一般に迷ってたって言うと思うんだけどな」
「見解の相違というものね」

 いや、言葉の意味はよく分からんが多分違うだろ、それ。
というか、何に対して強がっているのかがさっぱりわからない。
負けず嫌いも行き過ぎると自分を窮地に追い込むんだよなぁ。


「とりあえず行き先どこなんだ? ディスティニーストアかどっかか?」
「! どうしてそれを? あなたまさか――」
「言っとくけどストーカーとかじゃないからな。道に迷うの覚悟でお前がわざわざここまで出張るのなんて、そのくらいしか想像できなかっただけだ。お前パンさん好きだし」
「そう、そういえばあなたには知られてしまっていたわね」
「んな不覚みたいに言わんでも」

 そこで微妙に悔しそうな表情をされると、こっちの方が戸惑うだろ。
別にいいじゃん、パンさん好きだって知られても。
むしろ普段とのギャップで微笑ましくすらあると思うぞ。
まぁそういう風に思われるのが気に入らんのかもしれんけど。


「まぁとにかく、ディスティニーストアが目的地ってことでいいんだよな? なら、そこまで案内してやるよ」
「道を覚えているの? あなたなんかがディスティニーストアに行く用事があるとは思えないのだけれど、どうして知っているのかしら」
「なんかとか言うなよな、まぁ言ってることは当たってるけど。ってか俺じゃねぇよ、小町にねだられて何度も行ったことがあるから覚えてるってだけだ」
「そういうこと。いつも通り情けない理由で安心したわ」

 放っとけ。
小町の為という理由がなかったら、あんなリア充の巣窟なんぞ俺がそうそう行く訳ないだろうが。


 と、俺の携帯に着信が入る。
ポケットから取り出して確認すると、当然というか差出人は小町。
どうにもいい予感はしないな。さて内容は――

『お兄ちゃんへ。雪乃さんのエスコートしっかりね。ちゃんとデートできるまで我が家の敷居は跨がせないよ! あとちゃんと名前で呼んだげるよーに。お兄ちゃんはできる子だって信じてるから。頑張って! 小町より』


 激しくいらんお世話だった。
というかこのタイミングでこの文面とか、まさかどっかから監視してんじゃないだろうな?
慌てて周囲を見回してみるも、人が多過ぎて全然分からない。
あいつもステルス機能を完備してるわけだし、肉眼での発見は難しいか。

「何をきょろきょろしているの? 挙動まで不審になってはフォローもできなくなるわよ」
「それは俺の見た目については元から不審だって言いたいのか?」


 冷ややかな目と冷ややかな声で、まさに文字通り冷や水を浴びせられたので、周囲の探査は諦める。
というか、これはもう色々と諦めるしかないのだろう。

 何だかなぁ、俺って小町に振り回され過ぎじゃね? あるいは小町が俺をコントロールするのが上手過ぎるのか。
まぁそんなところも可愛いんだけど。いよいよ末期だと我ながらちょっと思う。
さておき、改めて気を取り直して。

「それじゃ、とりあえず行こうぜ――雪乃」
「……えぇ、では案内して頂戴」

ということで今日はここまでです。
あーやっぱ八雪が一番好きだわー。
魅力的なヒロインが多い作品だけど、それでもこの二人の組み合わせが最強過ぎて。
もっと八雪のSSが増えればいいのに。
でもそうしたら書く時間無くなるか……痛し痒しだなぁ。

さて続きですが、これからガリガリ書いてくつもりです。
ゆきのんオンステージになってからは筆が速い速い。
推敲して書き直す回数も多い多い。
トータルではプラマイゼロ。何それ悲しい。

まぁ楽しんで書けてるので、近いうちに上げていけると思います。
暫しお待ちください。

こんばんはです。
読んで頂いた方に感謝です。
ゆきのんは正義、八雪こそ王道、8巻でこのもやもやが吹き飛べばいいけど。

さておき続きはガリガリ書いてってますが、ここからまだ結構長引きそうなので、もうちょっとお待ち頂ければ。
また上げていけそうになったら報告にきますので。

しかし捻デレさんは中々思い通りに動いてくれなくて困るww

更新来てた乙乙です。

キモポエムはかどりますねwwww小町の動きも脳内再生余裕でした。
7.5巻はボリューム的にもアレでしたが、まあなんというか静さんに持って行かれたかんじです。
小町も好きなので悪くは無いと思っていますが。

雪乃オンステージで筆が捗る事を祈りつつ次回更新楽しみにしています。

お久しぶりです。
続き書くのとラストまでの詳細なプロットまとめるのにてんやわんやしてます。
⑤の続きについては九割方書けてますので、早いこと完成させて、ちゃんと見直しした上で更新していくようにします。

>>633
感想頂き感謝です!
ゆきのんオンステージはいいのですが、中々思い通りに動いてくれません。
やっぱり八幡しかコントロールできないんでしょうねぇww
続きはもう少しだけお待ちを……


ラストまで書くとなると相当長くなると思うので、また対策考えないと……
無駄にシリアスになりそうだし。
まぁ状況報告は都度してきますので、よろしくです。

こんばんはです、長らくお待たせして申し訳ない。
週明けにぎっくり腰をやってしまい、暫く碌に動けなかったので。
何とか椅子に座って活動できるようになったけど、あれは本気で辛い。トイレすら地獄。何しろ力が入らない。
いや本当に皆さんも腰は労わるようにして下さいと主張しときます。

ということで、どうにか少しは動けるようにはなったので更新してきます。
まだ本調子には程遠いのでゆっくりになると思いますが、よろしければお付き合い下さい。


「それじゃ、とりあえず行こうぜ――雪乃」
「……えぇ、では案内して頂戴」

 一瞬の間の後、小さく微笑む雪ノ下。
いや、その良くできたわねって感じの笑顔は止めてくれると助かるんだけど。
まだ慣れてないんだよ、意識すると動揺しちゃうんだよ。
いやいや、ここは無心だ。余計なこと考えなきゃいいだけなんだ。よし。


「こっちだ、一旦一階まで下りるぞ」
「そう――それにしても、あなたまだ慣れないのね。本当に処置無しだわ」
「流してくれよ、わかってるんなら」
「駄目よ、変に意識されるとこちらも困るもの。いい加減慣れなさい」
「……努力する」
「あなたが口にするとここまで信憑性が乏しくなるのね、努力という言葉は。嫌な発見だわ」

 ちくちくと容赦ないなぁ、こいつ。
いや実際否定できないんだけどさ。
ここは話題を変えるのが吉か。


「にしても、わざわざ店まで来るなんて、お前本当にパンさん好きなんだな」
「もちろんよ、悪い?」
「なわけあるか。むしろいいことだろ、何であれ好きなものがあるってのは」
「あなたにもそういうのはあるのかしら?」
「俺の場合は、まず千葉への愛が大きいからな。ふなっしーさえ愛しいレベル」
「病的ね」

 端的に抉ってくんなよ、俺の郷土愛を。
そういえば郷土愛って縮めれば兄妹に通じるよね。いやだからどうだってわけじゃないんだけど。
でもまぁあれだ。


「あとは小町がいてくれればそれで十分って感じだな」
「はぁ――あなたもそろそろ妹離れしてあげたらどうかしら」
「今は駄目だな。小町を任せられるくらいの男がいれば考える。まぁそんなの地球上にいるかどうか知らんけど」
「最後の台詞がなければまだ良かったのに」

 横合いから深いため息が聞こえる。
何で俺が呆れられなければならないのか、甚だ遺憾だ。
お前言っとくけど小町をモノにできるとか、そんなもんフィクション世界の主人公レベルのいい男じゃないと釣り合わんぞ。
もちろん汚物を見るような目で睨まれたくないので実際には言わない。


「ほれ、着いたぞ」

 適当に話している内に、目的地に到着した。
隣の雪ノ下に目をやると、表面上は普段と変わらないような様子だが、視線はちらちらと店先のPOPに向かっているのが見える。
そこには様々なパンさん関連グッズの絵が色鮮やかに踊っていた。何と分かり易い。
しかし見た目は結構怖いのに人気あるんだな、パンさんって。


「じゃあ――って速っ」

 俺が広告に目をやっている内に、雪ノ下は既に行動を開始していた。
脇目もふらずにパンさんコーナーへ向かい、俺が声をかける前に品定めを始めてしまっている。
これ以上ないってくらいに真剣な表情で。
思わず息を呑んでしまう。
何この雰囲気、ここ何処なの? 一体何が起きてるんだよ?


 しかし何かもう緊迫感とか緊張感とか、そういう気配しか感じられない。たくさんのディスティニーグッズを前にしている状況なのに、ちっとも微笑ましい光景に見えない。一言で言うなら、鬼気迫る、みたいな。
雪ノ下の様子だけ見れば、自分が今ディスティニーストアにいるということすら疑わしくなってくる。
間違っても口には出せんけど、正直なところ危険物質を扱っている最中の化学者だと言われた方が納得できるレベルだ。目が超マジだし。
キャラクターグッズ見てるだけのはずなのに、どうしてここまで張り詰めた空気を作り出せるんだよ、こいつは。

 まぁ邪魔しちゃ悪いし関わって怒られるのも嫌だし、こいつは暫く放っておくとして、さて俺はどうするかな。
案内したからってこれで帰ったりしたら小町に何言われるかわからんし、そもそも雪ノ下を放っておくわけにもいかんし。
仕方ないので、適当に店内を見て回って待つことにする。


 とは言え、然程に広くはないので、一巡りするのに何分もかかるものではなく、とりあえず人の少なめな箇所に止まって商品を眺めてみる。
うん、何が良いのかさっぱりわからん。
それを言ったらふなっしーだって何が可愛いのか答えろと言われたら困るんだけど。
世の中何が人気になるかわかったもんじゃないよなぁ。

 世の不条理を嘆きつつ、大して時間潰しもできないまますごすごと雪ノ下のところまで戻ると、まだ悩んでいるらしく、商品の前から動く気配は微塵もなかった。
俺の接近にも気付かないのか、えらく難しい顔をして睨むようにして眼前の張り紙を見つめ続けている。
どうも様子がおかしい。


「どうしたんだ? 何か難しい顔してるけど」
「これよ……」

 俺の声に気付いた雪ノ下は、ちらと俺を見て、すいっと張り紙の方を指差す。
その指に沿って視線をそちらへと向ける。
指し示された箇所には、二重線により強調された文字が並んでいた。
なになに?


「ん? お一人様一つ限りのサービス?」

 じっくり読んでみると、どうやらセール中でパンさんグッズを一定額買うとオマケとして非売品のパンさんシリーズ登場キャラの人形がもらえるらしい。
ただし人形の種類はキャラやポーズの違いなんかで幾つかあるのに、もらえるのはお一人様一点限りで、無くなり次第終了とのこと。
まぁこういうお店ではよく実施されるサービスと言える。
しかしなるほど、パンさんフリークをもって任じている雪ノ下としては、これは容易には納得できない事態だろう。


「よくある商法だけれど、される側になると本当に困るわ」
「いやまぁ厳しいかもしれんけど、仕方ないんじゃね? サービスなんだし。金に余裕のある人しか手に入れられないとか誰かに買い占められるとか、そういうことにならないような配慮なんだろ」

 こういう風に非売品のオマケで販売を促すケースはよくあるけど、世の中にはもっとあこぎな値段設定にして荒稼ぎする手合いだっているのだ。何とも世知辛い話だけど。
そう考えれば、限られた数をできるだけたくさんの人にという思慮が窺える分、これはずっと良心的な設定だと思う。
パンさんファンって結構多いみたいだし。


 もっともそれは雪ノ下も承知しているらしく、表情に浮かんでいるのは怒りというより困惑の色が濃い。
文句こそ口にしているが、何も本気で覆したいと思っているわけでもなく、それが無理だってのも理解しているだろう。

 とはいえ理屈は所詮理屈だ。いくらこねくり回したって、自分の感情をそう易々と抑え込めるもんじゃない。
そりゃ愚痴の一つも言いたくなるだろう。
それが何の解決にもならないと分かっていても、だ。

 ほしいけど、でも。意図はわかるけど、でも。
そんなどうにもならない堂々巡り。
俺の目の前で、雪ノ下は悲しげにすら見える程の困った顔で佇んでいる。


 そうして悩んでいる姿を、眉根を寄せた横顔を、憂いを帯びた表情を。
それらを見ていると、何故か俺の方が落ち着かない気持ちになってしまう。
ひどくもどかしい気分に加えて、焦燥が募ってゆくのを自覚する。

 いや、おかしいだろ――とは自分でも思う。
だって、こんなの直接的には俺に何の関係も無い話なのだ。
黙って見ていて、雪ノ下が決めるのを待てばそれで全て済む。
もちろん誰に責められる謂われもない。
それだけのことのはずだ。


 それなのに、そう理解しているのに、どうして俺の心はこんなにもざわついているんだろう。
心の内からちくちくと突かれているかのような錯覚が、なぜ消えないんだろうか。
俺は、一体何がそんなに気になっているというのか。
自分で自分がわからずに、動揺と焦燥に翻弄されてしまう。

 そもそも今、俺に出来ることなんてほとんどない。
ここで俺がミラクルを発揮して、この非売品を全て手に入れてやることなんてできるわけもないのだ。
雪ノ下だって、俺にどうこうしてほしいなんて露ほども思っちゃいないだろう。
プライドの高いこいつが、元よりそんなことを他人に期待するはずもないけど。


 俺にできることなんて高が知れているのだ。
余計なお世話かもしれない。それは分かる。
まず望まれてもいないだろう。それも分かる。
あるいは不審と不興を買うかもしれない。それすら分かっている。
だって俺も雪ノ下も、そういう人間なんだから。

 でも、だ。
だけど、それでも。
理屈では、感情を抑えきることはできない。
何よりそうしないともう気分が落ち着かないのだ。
だから――


「とりあえず買う物は決まってんだろ? オマケだってすぐには無くならないかもしれんけど、早めに買っといた方がいいんじゃねぇの? 少なくなったら選択肢も減るだろうし」
「……そうね、悩んでいても仕方ないものね」

 ふぅ、と小さくため息を吐いて、迷いを振り切るように踵を返す雪ノ下。
少し遅れて、俺もそれに続く。

 レジに並んで少しして順番が回ってくる。
商品の精算を始めると同時に、店員さんにオマケの人形一覧を提示され、雪ノ下は再び厳しい表情に変わる。
オマケを選ぶだけでここまで苦渋の表情を作る奴もそうはいないだろう。
その姿勢には逆に感心の念すら覚える。もうさすがと言う他ない。


 そして、最後の審判と思わず評したくなるような決断の時。
売り場でもしこたま悩んでいたはずなんだけど、ここでも幾つかの写真の間で視線と指先が何度も行ったり来たりしていた。
本音では順位付けなどしたくないんだろうが、それでも唯一を選ばなければならない苦悩が容易に見て取れてしまう。

 その決して短くない苦悶と懊悩の果てに、ようやく雪ノ下がゆっくりと顔を上げ、絞り出すような声で一つの商品の番号を告げる。
キャラクターグッズを選んでいるだけなのに、某クイズのファイナルアンサーばりの溜めと引きだった。
そこまでのエネルギーが必要になるとか、それじゃ俺の千葉好きを笑えないだろ、こいつ。
店員さんもきっと驚いているだろうに、それをおくびにも出さず、穏やかな笑顔で人形を差し出していた。まさにプロだ。


「はい、どうぞー。大切にしてあげてくださいね」
「……えぇ、ありがとう」

 パンさんの人形を受け取ったところで、雪ノ下の表情もようやく柔らかく緩む。
手元のそれに視線を落とし、微笑みを浮かべている。
さっきまでの苦悩が嘘のような、慈愛すら感じさせる温かな表情。
満足げに雪ノ下が出口へと向かう姿を見送ってから、俺もレジに並んだ。

 買い物を手早く済ませて店の出口に急ぐと、雪ノ下が待ち構えるように立っていた。
ほぼ仁王立ち。なぜか知らんが俺を見下す勢いだ。というか数分も待てないのかよ。
だが、出てくる俺の手に買い物袋があるのを見て、その表情に疑問の色が浮かぶ。


「あら? 随分遅いと思ったら、あなたも買い物をしていたの?」
「まぁな。せっかくだし小町におみやげでもと思って」
「そう、お気に入りのディスティニーキャラがいるのかしら」
「いや、特定の何かにハマってるわけじゃないみたいだな。ディスティニーキャラなら何でもって感じだぞ、あいつ」

 言いながら雪ノ下の近くまで早足で歩く。
それから二人で並んで店を出て、他の人たちの通行の邪魔にならない所まで進んで。
そこで立ち止まり、くるりと振り返る。
少し驚いた顔で足を止める雪ノ下。


「ちょっと、急に立ち止まらないで頂戴。なに? 忘れ物でもしたの?」

 少し不服そうな声。
けれどこちらとしては、それを気にする余裕なんて無かった。
一体どう話を切り出したものかと、頭の中でそればかりが回っている。

 しかし黙ったままでいても仕方がない。
柄にもなく緊張していることを自覚しつつ、口を開く。


「あー……えっとさ、その」
「日本語まで不自由になったのかしら。言いたいことがあるのならはっきり口にしなさい」

 上手く言えずに口ごもってしまった俺に、雪ノ下は不審そうな眼を向けてくる。
腕を組んでのいつもの詰問スタイルだ。
これ以上躊躇ってたら、不審が苛立ちに変わりかねない。
それは困る。


 意を決して、買い物袋の中からある物を取り出して、すっと差し出す。
視線が俺の手元に向かい、それが何かを理解した瞬間、雪ノ下が目を丸くする。

 それは、さっき雪ノ下が迷った挙句選ぶことのできなかった人形の内の一つ。最後まで悩んでいた片割れだ。
しっかりと確認したから間違いないはず。
パンさん関連の商品を小町へのおみやげとして買ったのは事実だけど、今回の買い物の一番の目的はこれだった。

「これ、さっきもらったから、やるよ」
「……どういう風の吹き回し? あなた何を企んでいるの? それとも何か下心でもあるのかしら」


 すっと目が細くなり、訝しむような声で問うてくる雪ノ下。
予想はしていたけど、散々な言われようだった。

 まぁそうだよな、普段の俺からは考えられないもんな、こんな行動。
俺だって自分でも不自然だって思うし。

 しかし困ったことに、何故と聞かれても、そりゃもちろん雪ノ下が言うような理由ではないのだが、だからといって自分でもその真意は上手く説明できないのだ。
咄嗟に二の句を告げない俺に対して、怪訝そうな表情のまま、雪ノ下は探るように俺の目を覗き込んでくる。
目と目が合って、一瞬互いの動きが止まった。
はっきり言わない俺に苛立ちを感じている、という様子こそなかったが、それでもはっきりと不審そうだ。


「どちらにしても、それは受け取れないわね。あなたに施しを受ける謂われはないのだし」
「いや、でも欲しかったんだろ、これ。お前最後まですげぇ悩んでたしさ」
「……そうね、否定はしないわ。だけどそれでは質問に答えてないわよ。どうしてそれを私に渡そうとするの? 何が目的なの? 自分がいらないのなら小町さんに渡せばいいのではなくて?」

 差し出したままの俺の腕と、組まれたままの雪ノ下の腕。
共に動きは無く、その距離は変わらず。
予想はしてたけど、やはり一筋縄ではいかないみたいだ。


 まぁ当然と言えば当然の話か。
雪ノ下は、たとえ自分が欲しかったものだとしても、人からただ与えられることを良しとするような女ではない。
理由もなく人から物を貰うなんて、むしろ忌避していそうですらある。
そんなこと俺だってよく知っていた。

 知っていたのに――喜ばれるどころか不審がられて、場合によっては怒りすら買うかもしれないと想像していたのに、それでも俺はこれを手に入れて、こうして雪ノ下へと差し出している。
改めて自分で自分がわからない。
こんなの、目立たず出しゃばらず波風立てずのぼっちがやることじゃないだろう。


 理屈ではわかっているのに。
なのに、どうして俺はこんなことをしているのか――自分の中の何かに突き動かされるような、そんな衝動的な行為だったけど、その何かがわからなかった。
いつだって自分の気持ちというのは、自分自身ではどうしたってままならない。

 もどかしく悩む俺を、しかし雪ノ下は何も言わずにじっと見ていた。
怒るのではなく、厭うのでもなく、ただ静かに。
黙ったまま俺の答えを待っている。


 もっと以前であれば、俺から物を貰うなんてあり得ないとか言って、話も聞かずに一蹴されていたかもしれない。
あるいは怒りすら滲ませまがら、無言で立ち去っていたかもしれない。

 でも、今は違う。
真っ直ぐに俺を見据えるその目は、ただ純粋に俺の真意を問うている。
俺の言葉を、待ってくれている。

 その目を見て、少しだけ心が落ち着く。
動かなかった頭が、ゆっくりと回り始める。
止まっていた何かが動き出すような、そんな感覚があった。


 さっき小町に煽られたから、というわけでもないけど。
以前に陽乃さんに唆されたから、というわけでもないけど。
いつか由比ヶ浜に諭されたから、というわけでもないけど。

 少しだけ、素直になってみてもいいのかもしれない、と思った。
いつも捻くれている俺だけど、斜に構えて全てを疑ってかかってばかりいる俺だけど。
たまには素直に言動を受け取って、素直に心情を吐露しても、いいのかもしれない、と。

 何よりも、雪ノ下に変な嘘や誤魔化しはしたくなかった。
はっきりと言葉にできないまでも、せめて正直に。
そう思うと、自然に言葉が口をついていた。


「――これは、小町に渡そうと思って買ったもんじゃねぇよ。これはお前に――雪乃にあげたくて、手に入れたんだ」
「だから、どうして? それを私が受け取る理由はないじゃない」
「理由とか理屈じゃないんだよ。下心とか疑われるかもしれないけど、そういうのでもなくて……何て言ったらいいんだろうな、あぁもう」
「……」

 がしがしと頭を掻き毟る。
いざとなると、やはりどうにも上手く表現できない。
動機の言語化ってこんなに難しいのかよ。


 焦りそうになる俺に、けれど雪ノ下はそれ以上の言葉を重ねない。
ただ静かに、目で続きを促してくる。
いつもの透明な表情。
正でも負でもなく、喜でも怒でもない。
けれど続く言葉次第では、どちらにも転んでしまいそうな。

 それに気付くと、ある気持ちが心にすとんと落ちてくる。
あぁそうだ、俺は雪ノ下に――


「――何ていうか、さっきしかめ面で悩んでるお前を見てたら、すごい心がもやもやしたんだよ。それが嫌だったんだ」
「それで?」
「いや、それでっていうか……だから、全部は無理にしたってせめてもう一つくらいはって思ったんだよ。そうせずにはいられなかったっつーか、そうしないと落ち着かなかったっつーか。だから別にこれを渡してどうこうとかは全く考えてねぇよ。要はただの自己満足だ、俺がそうしたかっただけ。本当にそれだけなんだよ」
「……」

 結局のところ、突き詰めてしまえばそういうことになるだろう。
一番の動機というか、そうしたかった最大の理由はこれだ。
要するに、俺は雪ノ下の辛そうな表情を見ていたくなかったのだ。
その為に何かをしたかったという、ただそれだけのこと。

 しかし気付いてしまえば、何とも自分勝手な話のように思える。
雪ノ下からすれば、本当にただの大きなお世話だろう、こんなの。


「って、まぁでも確かにこれじゃ、お前が受け取る理由にはならねぇよな……」

 口にした事で、ちょっとトーンダウンしてしまった。
実際、無理に受け取らせるのも何か違うだろう。
そんなの押しつけがましいことこの上ない。

 そう考えて腕を引こうとしたところで。
雪ノ下がそっと腕組みを解くのが見えた。
そしてそのまま俺の方へと差し出される手。
驚いて視線を上げれば、さっきと違って穏やかな表情の雪ノ下。


「相変わらず、不自由で不器用な言葉遣いね」
「うっせ、そっちも相変わらず容赦ねぇじゃねぇか」
「それが私だもの。だけど、言いたい事は何となくわかったわ。要は打算なんてなくて、それでも強いて理由を挙げるなら自分の為にそうしたかったんだと、そう言いたいのでしょう?」
「ん……まぁそうだな、そうなるな。いやそんな風に言われたら何かすげぇ自分勝手に聞こえてあれなんだけどさ」
「そうね――でも、そういう理由なら構わないわ。ありがたく受け取ってあげる」
「え?」

 一瞬、自分の耳を疑った。
まじまじと凝視してしまうが、そこに冗談やからかいの色は窺えない。
まるで、俺も理解していない俺自身の行動の理由を、全て理解しているかのように。
穏やかで晴れやかな微笑みを浮かべながら、どこか嬉しそうに、何故か楽しそうに、雪ノ下は手の平をこちらに向けて差し出している。


「なに? その表情」
「いや、だってお前、受け取る理由がないって言ってたのに」
「そうね、あなたが安易に私の為とか口にしていたなら突っ撥ねていたわ。憐れみも施しも真っ平御免だもの。だけど違うのでしょう?」
「あぁ、そうじゃない」

 強く否定する。
憐憫とかそういう感情は、普通は自分よりも立場が下にある相手に持つ感情だ。
だから決して、そういう感情で取った行動なんかじゃない。
俺の返事に、雪ノ下が少しだけ笑みを深くする。


「それならば話は別よ、あなたの行動が自分の為と言うのならね。あなたは私にそれを渡したいと思っていて、私はそれを欲しいと思っている。つまり結果として、あなたは自己満足を得られて、私は欲しい物が得られる、ということになるでしょう。であれば双方の利害が一致しているとも言えるもの。だから、ありがたく受け取ってあげる」
「相変わらず屁理屈がすげぇな。しかも、ありがたく受け取ってあげるって言い回しとか」
「間違ってはいないでしょう」

 しれっとのたまう雪ノ下。
その表情はやはりどこか楽しそうだ。
何を楽しんでいるのかまでは、今の俺には分からないけど。

 しかし確かに間違ってはいない。
俺が渡したいだけなのだから、受け取ってあげるとなるわけで。
でも自分も欲しいと思っていたものだから、ありがたくと付くわけだ。
なるほどなるほど。


 と、そこまで考えて、不意におかしくなってきた。
本当にもう、一体俺たちは何をやってんだか。
人形を手に入れてそれを渡すという、ただそれだけの事を成す為に、一体どれだけ理由を付けて、理屈を作って、言葉を重ねなきゃならないんだ?

 こんなの葉山とかその辺のリア充連中なら、悩む間もなく終わってるだろう。
『人形ほしいなー』→『じゃあ俺が手に入れたのやるよ』→『やったーありがとう』
これだけで済む話なのだ、簡単に言ってしまえば。


 それをまぁ、どこまで遠回りして頭使って言葉を尽くして悩んで迷っているんだか。
俺たち二人、揃いも揃ってどんだけややこしいんだよ。
欲しいなら欲しいと言えばいいし、渡したいなら渡したいと言えばいい。
そしてそれをお互い素直に受ければいいだけのことなのに。

 理由が無かったら物一つ渡せない。
根拠が無かったら物一つ受け取れない。
そんな不器用な捻くれっぷりを思うと、もうおかしくてしょうがなかった。
こんなの誰かに馬鹿と言われても、とても文句なんて言えないだろう。


 とは言え、である。
確かに傍から見たら無駄で間抜けなやり取りに映るかもしれないけど、それでも。
これは決してただそれだけの、そんな無意味なことではないはずだ。
そうでなかったら、俺が今こんな気分になることは、きっとなかっただろうから。

「どうしたの? 不気味な笑みを浮かべて」
「いらん形容詞付けんな。ちょっとおかしくなってきただけだっての」
「そう、ようやく自覚してきたということね」
「だからそういう意味じゃねぇ。ったく、じゃあほら、これ受け取ってくれよ」
「えぇ――ありがとう」


 パンさんの人形が、ようやくのことで俺の手から雪ノ下の手へと移った。
瞬間、何とも言えない達成感のようなものを覚える。
いや、この程度のことで何をそんな大げさなとは思う。
何しろあれだけ頭を使って精神的に疲労までして、その結果できたことと言えば、人形を一つ手渡したことだけなのだから。

 けれど、たったそれだけのことだとしても。
言葉にすればほんの一行で済み、動作にしても数秒とかからないことだけど。
それはきっと俺たちにとって、ささやかでも大切な一歩だ。


 改めて雪ノ下の方へと目を向ける。
雪ノ下はパンさんの人形を見ながら静かに微笑んでいた。
柔らかく、慈しむような優しい微笑み。
穏やかな春の日射しを思わせるような、あるいはそっと野に咲く可憐な花を思わせるような。
そんな年相応な、一人の女の子の笑顔がそこにある。

 気付けば目は釘付けとなり、言葉を失い、意識も絡み取られ、心まで奪われてしまっていた。
きっと今までの何時よりも近い距離で、雪ノ下が微笑んでいる。
むず痒いような、こそばゆいような、不思議な気分だった


 こんな笑顔を見ることができるのなら、さっきのあの苦労なんてかわいいもんだとか。
そんな馬鹿な考えさえ脳裏を過ぎる始末だ。
誰かの為に何かをすることを喜ぶような、そんな奉仕の精神なんて俺は持ち合わせていなかったはずなのに。

 俺は変わりつつあるんだろうか?
変わることができるんだろうか?
変わっても、良いんだろうか?

 すぐには答えを出すことはできないけど。
それでも、踏み出した一歩を悔む気持ちは微塵も無かった。
だったら、もう少しこのまま進んでみることにしよう。
皆の後押しがあったにしろ、何より他ならぬ自分自身が、そうしたいと思ったんだから。

俺ガイルスレ難しいのにここまで書けるとかすげえ、

俺じゃあできねえw

ちょっとすいません、⑤のラストまであとちょっとなんですが、キリが良いので一旦ストップします。
正直ちょっと色々限界なので……早ければ明日にでも続きを上げてきます。

捻デレさんってややこしいけど、傍から見てる分には結構可愛いと思う。
素直になればいいのにと思いつつ、でも素直になり過ぎると違和感がひどくなるし、この二人は色々難しいですね。
二人で幸せになればいいのに。
8巻が楽しみでもあり怖くもあり。

こんばんはです、お読み頂き感謝&ご心配おかけして申し訳ない。
何とか日常生活は送れるようになってます。
まだ仰向けでは寝れんけど。
完治したら腹筋背筋鍛えるかー。

さておき続き上げてきます。
今日こそ⑤をラストまで……っ!

>>682
お褒めの言葉感謝です。
八雪好きでしたらぜひ書いてみてくださいww
でも確かに八雪は書くの難しいですね、二人とも捻デレだし。
でもこのもどかしい感じが大好物です。


 それから、何時までも道を占拠してる訳にもいかないし立ちっ放しで少し疲れてもいたので、喫茶店へ立ち寄ることに。
幸い店もすいていたのでスムーズに注文を終えて席へ。
そこで俺もようやく一息つくことができた。が、ついたため息がひどく重い。
どうやら想像以上に疲労していたようだ。
雪ノ下が言うように、俺ももう少し慣れないと色々持たないかもしれない。

 さておき、砂糖やミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲んでくつろぐ俺の目の前で、雪ノ下は手に入れた品物の数々を整理していた。
いつも通りを装っているつもりのようだが、喜色を隠し切れていない。
笑みを浮かべそうになるのを抑えているのか、時々頬がぴくりと動くのが分かる。何とも微笑ましいもんだと思う。
口に出したら怒りを買うのは分かっているので言わないけど。


「しかしパンさんって本当に人気あるんだな、あれだけコーナー占拠してるとは知らんかった」
「当然でしょう。無知って怖いわね。全世界で愛されているキャラクターなのよ? パンさんは」
「ま、まぁ限定グッズが出るくらいだもんな。それにしてもあれだ、ファンとしちゃ嬉しいだろうけど、それ以上に大変だろ」

 今更言うまでもないことだけど、パンさん絡みとなると雪ノ下は目の色が変わってしまう。
俺の言葉でユキペディアさんが覚醒しそうになったので、咄嗟に話題を切り替える。
語り始めたら長そうだし。
そういうのはまた次の機会に、ということで。


 その判断が功を奏してか、雪ノ下がパンさんの魅力を語り始めることはなかった。
が、言葉だけじゃなく動きまで止まってしまっていて。
よく見れば、やけに難しい表情を浮かべている。

 あれ? 俺今ひょっとして地雷踏んだ?
どうにも言葉を挟めずにいると、雪ノ下が一つ息をついて再起動する。
何故かは分からんけど、ふっと遠い目をしながら。


「えぇ、その通りよ。限定グッズは時々発売されるのだけれど、全て手に入る訳ではないの。もちろん私もできる限り手を回して策を尽くして事に当たるわ。けれど一人ではどうしても限度があるから……今までだって一体何度苦杯をなめてきたことか」
「表現が一々怖いんだけど。何? お前一体何と争ってんの? キャラクターグッズの話をしてるはずなのに、どうしてそんなに殺伐とした世界観が展開されてんの?」

 微妙に悔しそうな表情で語る雪ノ下に、思わず突っ込まずにいられなかった。
夢と魔法の世界の住人を巡って、権謀術数を駆使しようとしてんじゃねぇよ。
しかし雪ノ下からすればそれは当然のことらしく、さらっとスルーされてしまう。


「お金だけの問題ならともかく、今回みたいに数量限定となると、どうしてもね。かといってネットオークションの類はどうにも信用が置けないし」
「お前も案外苦労してんだな」

 深いため息と共にしみじみと語られてしまった。
正直なところ俺には今いち理解できない大変さだ。
とはいえ、これは雪ノ下にとっては大事な問題なのだろう。
それが分かるだけに、つい言葉が口をついてしまう。


「まぁ、その、もしまたこういうのがあったら、言ってくれれば別に手くらい貸すぞ」
「あら、どういう風の吹き回しかしら?」

 さっきと同じような返し。
けれど先程と違って、怪訝そうな空気はそこにはない。
くすりと小さく笑いながら、余裕の表情での言葉だった。

 雪ノ下はきっと全て分かっているのに、それでも敢えて俺に言わせようとしているのだろう。
こいつ、陽乃さんみたいなことしやがって。
まぁ彼女に比べれば随分可愛いもんだとは思うけど。


「……さっきも言っただろ、それと同じ理由だよ。あとは察してくれ」
「人任せは感心しないわね。あなたの言葉で聞きたいのだけれど」
「お前、意地が悪いぞ。つーか何度も聞いたって仕方ないだろ、こんなの」
「そんなことはないわ――だって、悪い気はしなかったもの。あなたが純粋にそう考えてくれたことは、ね」

 人差し指をぴんと立てて口元に当てながら、片目を閉じて悪戯っぽい笑みを浮かべる雪ノ下。
その言葉に、そんな仕草に、咄嗟に何も言えなくなってしまう。
花咲くような笑顔とはこのことか。
こんなの目の当たりにしたら、抗うことなんてできようはずがないじゃないか。


 もはや否も応もない。
心の中で静かにお手上げだ。
ここまできてしまえば、もう何を喋っても一緒だ、とか。
そんなほとんどやけっぱちみたいな心境で、本音のところを口にする。

「あーもう! 要するに、俺が雪乃の力になりたいってだけなんだよ。ただの俺の自己満足、それだけ。何つーかお前の辛そうな顔とか見たくねぇし……」
「ふふ……随分と素直じゃない、珍しいこともあるものね」
「お前が言わせたんだろうが」


 優雅に微笑む雪ノ下と、憮然とした表情の俺。
けれど、俺だって別に不快な気分ではなかった。
何よりも――

「でもそうね、じゃあ、ありがたく手伝いをお願いしようかしら」

 ――目の前でそんなに嬉しそうな笑顔を見せられたら、文句なんて言えるわけがない。
元より、今口を開いたところで、まともな言葉になるのかは正直疑わしいけど。
何しろ心臓はさっきからうるさいくらいに騒いでいるし、頬もきっと赤く染まってしまっているだろうから。


 改めて思う――こんなのほとんど反則だと。
であれば当然、ただのぼっちに太刀打ちできる道理も無い。
傾国の美女という言葉のその端緒を、図らずも垣間見てしまった気分ですらある。

 持て余すような不思議な感情を抑えるように、手元のコーヒーを口に運ぶ。
さっきまで仄かにあったはずの苦みを感じられず、普段よく飲むMAXコーヒーよりも、なぜかずっと甘く感じた。
あぁ、本当に今日の俺はどうかしてるみたいだ。
仕方がない、これもまた諦めが肝心なのだと無理矢理納得しておくことにしよう。


 それから、連絡の為にと携帯の番号とメアドを交換した。
何とも今更感が半端無かったけど、それは俺だけだったようで、雪ノ下はいつも通りの冷静な表情で携帯を弄っている。
あるいは慣れない登録に手間取って他のことを気にする余裕がないだけかもしれないけど。使い慣れてなさそうだもんなぁ。

「……と。さて比企谷くん、一つ言っておくけれど、用が無い時に頻繁にメールを送ってこないように」
「言われんでも。大体俺がメールを送りまくって楽しむようなキャラだと思ってんのか?」
「まさか。むしろメールを楽しんでる人を見て、僻んだり妬んだりするキャラよね?」
「そこまで歪んでねぇよ、ただメールに縛られて可哀想だなぁって憐れむだけだ」
「より重症じゃない」
「放っとけっての」

 いいんだよ別に。そもそも大切なのは量じゃない、質だ。
小町からのメールがあるってだけで、俺は他の連中の数倍幸せな自信があるぞ。


「とにかく節度は守るようになさい。まぁ一日一通未満までは許可してあげるわ」
「おい、それはあれか、俺に一切メールを送んなって言ってんだな?」
「あら、数学が苦手という話だったけれど、よく気付いたわね」
「日本語まで苦手だって言った覚えはないぞ」
「そうね、あなたが苦手なのは生きることよね」
「ばっか、お前言っとくけど俺ほど生きる素養を持ってる奴もそうそういないぞ。生き残る為なら土下座でも靴舐めでも余裕で出来るレベルだからな」
「そんな状況に追い込まれている時点で論外でしょう……」

 こめかみに手をやって呆れたような表情を見せる雪ノ下。
全く失礼な奴だ。まぁ称賛されても引くけどさ。
生きることは大切だけど、そんなこと考えて生きている人間はいないのである。
昔の偉い人は良い事を言った。いや人じゃなかったっけ、初出は。


「とにかくあれだ、用もないのにメールはすんなってことだろ? 心配せんでも分かってるから」
「理解しているならいいわ。あぁそれと、私からのメールには出来るだけ早く返信すること。いい?」
「え? そんな厳しいこと言われんの?」
「当然じゃない、あなたが私を無視するなんて許されることではないわ。逆ならともかく。自然の理に反しているでしょう、そんなこと」
「そこまで言うか」

 相変わらず傍若無人を地で行く女である。
傲岸不遜もここまでくれば、いっそ清々しさすら覚えるな。
わざわざ言われんでも無視するつもりなんかねぇよ、そんなことしたら後が怖いし。
それに、だ。


「――まぁ手を貸すって言ったのは俺だしな。なるべく早く返すようにはするよ」
「そう……それは殊勝な心がけね」

 可愛げのない言葉。
けれど、それを口にする雪ノ下は淡く微笑んでいて。
憎まれ口を叩く気にもなれなくなってしまう
ここでそんな顔見せるとか、ずるいだろ。

 でもまぁ仕方ない、今日のところは甘んじて敗北を受け入れておこう。
せっかく喜んでるところに水を差すほど、俺は悪趣味じゃないのだ。
変なこと言ってその表情を曇らせたくもないし。
何より、総じて今日は悪くない一日だったと、素直にそう思えるんだから。


 その後、家路についてからのこと。
自宅近くまで来ていた所で携帯にメールが届いた。
普段なら本命小町、対抗由比ヶ浜ってところなんだけど、今日に限れば少し違うだろう。
そう考えつつ差出人を確認すると、想像した通り、今日登録したばかりの雪ノ下の名前がそこにある。
とりあえず開いて本文を読む。

「……えらく素直だな」


 つい呟きがもれてしまう。
届いたメールに、普段の雪ノ下からは考えられないくらいに素直な言葉が並んでいたせいである。
ストレートに感謝の意思表示、皮肉も罵倒も無し、何と珍しい。
そりゃ驚いてつい笑ってしまいそうになるというものだ。

 しかし周りに誰もいなくて良かった。
誰かに見られてたら、通報とかはないにしろ、不審な目で見られるのは間違いないだろうし。
近所に悪評が立つなんて絶対に避けなきゃいけない。とりあえず落ち着こう。


 それにしても、である。
改めて携帯に視線を落として、もう一度その文面を読み直す。
不思議と言うのか不自然と言うのか、差出人が間違ってるのでは? と、つい思ってしまうのは俺が毒され過ぎなのだろうか。
ほんの数行の文章なのに、どうにもむず痒い心地になってしまう。

 電話越しだと本音で喋れるとか、メールだと普段言えない事も言えるとか、そういう話はよく聞くけど、雪ノ下もその例に漏れないということなのか?
面と向かって直で話さなければ、こんな風に素直な感じになるのかもしれない。
それか単純に罵倒の文句を打つのが面倒だったという可能性もあるけど。
正直、そこは前者であってほしいと思いつつ、返信しようと携帯を操作する。


 返信内容を入力しているうちに、ふと頬が緩んできてしまう。
やはり今日の俺はどこかおかしいみたいだ。
悪戯心か、あるいは他の何かか、返信を打つ指が、普段の俺からは考えられないような言葉を連ねて行く。
後で見返したら後悔するかもしれないような、そんな言葉を。今日の本音の感想を。素直な今の心境を。

 あいつがこんな不意打ちで来たんだから、俺も同じように返してやるだけのこと。
そんな言い訳を頭の片隅で思いながら。


「……お?」

 返信が終わって歩き始めてすぐに、携帯がまたメールの着信を知らせる。
一瞬自分の耳を疑ってしまった。
でも気のせいでも勘違いでもなく、聞こえているのは俺の携帯の着信音だ。

 というか、リターン早過ぎるだろ。
何? あいつってああ見えて実は由比ヶ浜レベルの打鍵速度持ってたりすんの?
いや、まさかだよな。


「ぷ……」

 慌てて内容を確認したところで、つい噴き出してしまった。
返信早いはずだ、何せほんの一言しか書いてないんだから。
おまけに変換もなしで、主語も述語もありゃしない。
几帳面な雪ノ下にしては珍しいというか。

 この文面を打つ時に、果たしてあいつはどんな気分だったのか。
憤慨してたのか動揺してたのか、とか。この一言にどんな感情がこもっているのか、とか。
そんなことを想像すると、負けっ放しだったところで一矢報いたような気がして、少しほっとする。
もっともスコア的には大惨敗を喫してるんだけど。


 しかし、他人とメールを送り合って楽しいと思うだなんて。
そんな自分にびっくりだ。
でも、たまにはそんな日があったっていいだろう、きっと。

 そうこうしているうちに、我が家の門扉が見えてくる。
また小町に根掘り葉掘り色々と聞かれるんだろうなぁと思うと少し苦い心地もあるけど。
それでも今日一日を思い返すに、そのきっかけをくれた小町には感謝すべきなんだろうし、精々ご機嫌を取ることにしようか。




~Their mobile talk~



Yukino's mobile

From 雪乃
TITLE non title

今日は助かったわ、ありがとう。
あなたに貰ったパンさんの人形、大切にさせてもらうから。
また明日、学校で会いましょう。
おやすみなさい。


Hachiman's mobile

From 八幡
TITLE Re:

喜んでもらえて何より。
今日一日わりと楽しかったし、こっちも感謝してる。
また明日、奉仕部の部室でな。

しかしお前も結構可愛いとこあるんだな。
パンさん人形見てる時のお前、すげぇ優しい目してたぞ。
良いもの見れて良かったわ。


Yukino's mobile

From 雪乃
TITLE Re:2

ばか

ということで、これで⑤も完了です。
やー想像以上に長くなってしまいました。
それもこれも捻デレさん達が素直に動いてくれないせいですが。
まぁそれもまた良しということで。

しかし最大の懸念、8巻は早ければ年末にということですが……先が全然読めないので怖いですね。
早く読みたいようなそうでないような、複雑な気分です。
もうちょっと八雪の絡みが増えても罰は当たらないと思うよ。

次回の構想はある程度まとまってきてます。
腰やってる間に考えてましたww
タイトルも近いうちに連絡しますので。
ではでは。

こんばんはです、たくさんのご感想に感謝です!
mobile talk、自分でも書いてて楽しかったりしました。
ゆきのん可愛いですよねー、八雪こそ至高と思います。切に。
ここからどう話を持っていくかはまだ流動的だったりしますが、気長にお付き合い頂ければ嬉しいです。

さておき、ぼんやりとですが、次とその次のエピソードが終わった所で一つ区切りとしたいなと考えてます。
終わりじゃなくて、その後のラストエピソードが結構書くの大変そうなのでその時間を取る為に、という感じで。
ラストエピソードが何話構成になるかもまだ未確定なので、これから次第ではありますけど。
まぁ予定は未定ということで、まずは次の⑥をガンガン書いて行きたいと思います。久々にあの人が登場しますし。

8巻、和解だけで終わるのもアレですが、和解にすら届かない可能性も……?
良い意味で予想を裏切ってほしい。

⑤完走乙です。

ラストのメールトークにはやられましたが、カフェでの会話脳内でキャラが動く動くww
個人的には、こっちにやられましたね。

徒然なるままな、捻デレさん達の日常風景がココでの一番の楽しみであります。
次回更新、期待しつつのんびり待っています。お大事に

乙です。
にしてもまあ八幡がむしろデレデレだな

やっはろーです、⑤が想像以上に好評で嬉しいですね。
ホント皆さんの感想が続き書く原動力になってます。心より感謝!
そんなこんなで⑥の話も大体見えてきましたのでタイトル予告を。

⑥ 釈然としないながらも、奉仕部はその理念に則って行動する

ここから色々ややこしい話になってきそうなのですが、しっかり書いていきたいと思います。
まだまだぼんやりしてるので、気合い入れてかないと。

>>726
気に入って頂き感謝です。捻デレさん、いいですよね。
原作の雰囲気が好きなので、壊し過ぎないようにと注意はしてます。
デレてほしいけど度を越させるのも……と葛藤の日々。

>>732
まさにそこというか、八幡に一歩踏み出させたかったんですよね。
ここまで長かった……

こんばんはです。皆様の感想に心より感謝です。
ぼちぼち書き進めてますが、今で大体半分くらい。
近いうちに更新したいとは思ってますので、もう少しだけお待ちください。
ちょっと幕間っぽい話になると思います。前半は。

しかし何か8巻が11月に出る予定とかそんな噂を小耳に挟んだんですが……もし本当なら嬉しいけど刊行ペースが早過ぎな気が。
早く読みたいのは事実ですが、無理はしてほしくないなぁ。

こんばんはです。
8巻確定という朗報に衝撃。
あと二ヶ月、期待しつつ待ちます。

とりあえず続きを上げてきたいと思います。
そろそろスパートかけないと……


⑥ 釈然としないながらも、奉仕部はその理念に則って行動する


 秋も深まり隣が何をしているのか気になるとされる頃、今日も今日とて不毛な何かが始まろうとしていた。
すぅっと大きく息を吸う音が小さく耳に届く。
俺はと言うと、そいつに気付かれないようにため息をついていた。
そして次の瞬間、季節にそぐわぬ明るい声が部室内に響き渡る。

「千葉県横断お悩み相談メールー!」
「わーわー」
「……」
「二人とも全然やる気ないし!」


 元気一杯にタイトルコールをした由比ヶ浜だったが、その後の俺たちの反応に何やらショックを受けているようだった。
どうやら俺の気の抜けた合いの手はお気に召さなかったらしい。
雪ノ下に至っては読書を続けたままで、言葉もなく視線すら一ミリも動かしてなかったしなぁ。
そりゃ怒るのも無理からぬところだとは思う。

 だがしかし、だ。
俺たちにも言い分はある。言い分というか文句だけど。
腰に手を当てて不満そうな顔をしている由比ヶ浜に、俺も正直なところを吐露する。


「やる気ないっつーか、こんなんやる気になりようがないだろ、普通。むしろ何でお前はそんなやる気なの?」
「これも奉仕部の活動の一つじゃん、やる気出さなきゃダメでしょ」
「つってもお前、これただの平塚先生の思いつきだろ。大体今までのメールも思い返してみろよ、碌でもない相談事ばっかだったじゃねぇか。むしろただの愚痴レベル。居酒屋で飲んだくれてるおっさんでももうちょっとマシなこと話してる気がするぞ」
「ちょっと、それは言い過ぎだよヒッキー。ほら、体育祭のとか大事なのもあったし」
「あー、そりゃまぁゼロではなかったかもしれんけど」
「ね、そうでしょ?」

 得意げに、ふふんと鼻を鳴らす由比ヶ浜。
とは言え、そんなの例外中の例外だと思うんだけどな。
実際、他のメールの内容なんて本当に大したことのない話ばっかりだったし。
まぁそれが仕事だと言われてしまえば、返す言葉もないけどさ。
社畜まっしぐら、悲しい立場である。


「わかったわかった。とりあえず始めりゃいいんだろ。つーか今日メール来てんの?」
「えーっと、うん、何通か来てるよ」
「マジでか。しかし言っちゃなんだけど、こんな所にメール送るくらいならもっと他に頼るべき人っているんじゃね? 普通は。どんだけ暇なんだよ、そいつら」
「だから何でそんな否定的なの? メールが来てるってことは頼りにされてるってことなんだから、いいことじゃん」
「それが疑わしいんだって。そもそもこの部って本当にちゃんと認知されてんのか? 知らない奴の方が多いんじゃねぇの?」
「奉仕部のことを、あなたの教室での存在みたいに表現するのは止めなさい」

 ぱたんと本を閉じながら、雪ノ下がようやく口を開いたと思ったら、出てきたのはいつも通り切れ味鋭い暴言だった。
毎度の事ながら容赦なさ過ぎだろ、お前は。
おまけにそんな生き生きした表情をしてるとか、どれだけ追い打ち掛けてくるつもりだよ。
しかし、俺がどんな皮肉で返してやろうかと考えたところで、それより早く由比ヶ浜が突っ込みを入れる。


「そんなことないよゆきのん! ヒッキーちゃんと存在してるよ! いつも教室にいるよ!」
「そうね、よく目を凝らせば見えるかもしれないわね」
「どんだけ存在感無いの!? 違うから! ちゃんと見えてるから! 無いのは居場所だけだからぁ!」
「フォローすると見せかけてとどめを刺しに来ただと?」

 思わず戦慄する。まさかの二人掛かりだった。
何なの? その息の合ったコンビネーション。
君たち仲良過ぎでしょ、もはや事前に打ち合わせでもしてんじゃないのかって疑うレベルだぞ。どんだけ俺をおちょくるのに全力なんだよ。
いやもう何か一周回って落ちついたわ。


「はぁ。もういいだろ、話戻すぞ」
「そうね、どうでもいいことだったわね」
「後半いらねぇ……じゃあ由比ヶ浜、ちゃっちゃと終わらせようぜ、一通ずつ読んでってくれよ」
「うん、りょーかい」

 由比ヶ浜が一つ頷いてパソコンの画面に視線を移す。
さて、楽な話ばっかりだといいんだけど。
何なら俺の出る幕が無ければなお良し、である。


「えーっと、本日最初のお便りは……千葉市にお住まいの、PN:剣豪将軍さんからです」
「はい、それでは次のお便り」
「ヒッキーそれはさすがに酷過ぎ! 気持ちはわかるけど!」

 わかるんなら流してくれよ。
うんざりした気分で由比ヶ浜に目を向ける。
あっちはあっちで気だるげな表情をしていた。
雪ノ下に至っては、目を瞑って頭を抱えてしまっている。
うん、これもうほとんどテロ行為と言っていいんじゃないかな。


「何なの? これ様式美か何かのつもりなの? それともこいつで始めなきゃなんないルールでもあったりすんの?」
「あたしに言われても知らないよ、そんなの」
「つーかもう着信拒否でもいいんじゃねぇか、これ」
「それは駄目よ、直接来られたら困るもの」

 きっ、とこちらを睨んでくる雪ノ下。
言ってることは割とひどいと思うけど、正直なところ概ね同意せざるを得なかった。
由比ヶ浜も一切の躊躇い無くうんうんと頷いている。
奉仕部メンバーの心が無駄に一つになった瞬間だった。


「だから、これはあなたが処理しなさい。そもそもあなたの担当でしょう、彼は」
「え? また俺?」

 そしてあっという間にばらばらになってしまったらしい。
もういい加減その役割分担止めてほしいんだけど。
構ってやるから調子に乗っちゃうんじゃないですかね?
あんまりしつこいと、俺がここにお悩み相談メールを送っちゃうかも知れないぞ。


 といったところで聞いてくれるとは思えないので、黙って飲み込んでおくことにする。
沈黙は金であり、また人間は諦めが肝心なのだ。

 もっとも、諦めてばかりで何が変わる訳でもないとも思うけど。
むしろ諦めて何も言わなかったら消極的同意と見なされて、仕事をばしばし振られるまである。
あれ、これやっぱり諦めちゃ駄目じゃね?
今更の結論に愕然とするが、時既に遅し。


「あー、もうわかったよ、どうせやらんと終わらんのならとっとと回答して終わらせるぞ。由比ヶ浜、内容は?」
「はいこれ」

 由比ヶ浜がパソコンの画面をこちらに向けてきた。
読むのも嫌なのかよ、嫌われ過ぎだろ、あいつ。そりゃまぁ自業自得ではあるけど。
俺だって読みたくねぇよ、誰が喜ぶんだよ、このやり取り。
深く重いため息をついてから、ずりずりと椅子を引きずりつつ正面に移動して画面を覗き込む。なになに……?


〈PN:剣豪将軍さんのお悩み〉
『次のラノベ新人賞の締め切りが近いのだが、まだプロットしかできておらん。そこで我が相棒よ、お主の腕を見込んで執筆役の栄誉を与えたいと思う。今後はペアで活動していこうではないか。ペンネームは二人の名前を合わせて材木谷義満でどうだ?』

〈奉仕部からの回答〉
『まさかとは思いますが、この「相棒」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか? 一度受診することを強く勧めておきます。大丈夫、きっとまだ手遅れではないはずです』


「ひどっ!?」
「ひどくないだろ、むしろ優しさの上に優しさを重ねてるレベルだと思うぞ」

 本音を言えば、寝言は死んでから言え、くらい返してやりたいところだ。
ふざけて書いてるなら一発引っ叩かんとならんし、本気で書いてるならなお悪い。

 まずもって相変わらずプロットしか書いてないとかあり得ないだろ。
というか自分が書けないなら諦めろよ。ワナビにすら失礼だぞ、それ。
大体、お前の為に書くくらいなら自分の名前で投稿するわ。いやどうせ落選確定だから絶対やんないけど。


「これで一件落着ね、次に行きましょう」

 何もしてない雪ノ下が、なぜか一仕事終えたみたいな爽やかな顔でのたまう。
もっとも俺自身もものすごく開放感があったので何も言わない。
本気で誰も得しないやり取りだったな、これ。
時間の無駄ってこういうのを言うんだろうね。


「それじゃ、次あたし読むね」

 材木座の依頼が片付いたからか、由比ヶ浜は爽やかな顔でそう言うと、またパソコンの画面を自分の方に戻した。
うん、その態度は非常に分かり易くてよろしい。
いや決してよくはないか。
まぁ最大の嵐は去ったわけだし、とやかくは言うまい。


「んーと、次のお便りは……千葉市にお住まいの、PN:姉ちゃんの弟さんからだね」
「あぁ、それもう読まんでいいぞ」
「だからさっきからヒッキーひど過ぎだって! ていうか意味分かんないし!」
「いやもう誰か分かったしさ。そいつは俺にとっちゃ不倶戴天の敵なんだよ、わかるだろ?」
「や、全然わかんないから。もういいよ、ヒッキーは黙ってて」

 いや、わからんはずないでしょ、一人しかいないだろうが、奉仕部のこと知ってる弟キャラなんて。
川崎大志め、どこでこのメアドを……?


 というか、そもそもどうして俺たちが小町の周囲を飛び回るちんけな虫の相談なんぞを受けてやらんとならんのか。
納得いかねぇ――が、俺の恨みがましい視線は当然のように黙殺されてしまうわけで。
何事も無かったかのように、由比ヶ浜はよく通る声でメールの内容を読み上げる。

〈PN:姉ちゃんの弟さんのお悩み〉
『お久しぶりっす、お兄さんたちにご相談なんすけど、そろそろ受験も近くなってきて受かるかどうか結構不安なんす。勉強はもちろんちゃんとやってるんすけど、緊張とか不安とか、そんな感じで。何かそういうのを解消する方法があれば教えてもらえないっすか?』


「よし由比ヶ浜、俺に代われ、最適解を突きつけてやるから」
「何でそんなに殺気立ってんの!? ていうか今のヒッキーに任せられないから。一体なんて答えるつもりなの?」
「一つ、小町に近づくな。二つ、小町の名前を口にするな。三つ、俺をお兄さんと呼ぶな。これを守らんと受験に落ちるぞ。つーか俺が落とす」
「完全に私怨だっ!? じゃなくて、そんなのダメに決まってんじゃん。大体落とすってなに? 無理でしょそんなの」
「いや、あいつの持ち物にこっそりカンニングペーパー仕込んでおいて、あとはテスト中に密告電話をかけるだけでいける」
「陰湿過ぎるし!」
「んなことねぇよ。あいつは世間の厳しさを知ることができるし、俺の心も平穏になるし、誰も損しないだろ。まさにWin-Winの関係ってやつだ」
「絶対違うから、ていうか一方的にボコってるだけじゃん、それ。ホントにもう……ほら、真面目に答えたげてよ」


 かなり真面目に答えたつもりだったんだけど、そう言ったらまた由比ヶ浜の怒りを買うだけなので黙っておこう。
今も何かぷくっと頬を膨らませて不満げにしてるし。
しかし、そんなちょっと小動物っぽい仕草を見て少し毒気を抜かれた。
一呼吸置いて、俺も肩の力を抜く。

「まぁ小町絡みの相談じゃなく受験絡みの相談だし、仕方ないから普通に答えてやるか」
「最初からそうしてよね」
「それができないからこその比企谷くんじゃない」
「お前ホントいい笑顔で俺をディスってくるよな」


 今日一番の雪ノ下の笑顔だった。
というか、何で俺の“らしさ”をお前が語ってんだよ。
いや、語ってるっつーか騙ってる、か。

 本当にこいつは要所要所で的確に俺のハートを抉ってきやがって。
何なの? 聞き耳でも立ててんの? そうやっていつもタイミング窺ってんの? 俺を弄るのにどこまで全力なんだよ。
文庫本開いてんだから読書に集中してりゃいいだろうに。


「しかし何つーか、受験の不安とか緊張とか改まって言われてもなぁ。そんなもん誰だってあるもんだしよ」
「んー、そうだけどほら、それを解消できる方法があればって話でしょ。何かないの?」
「いや無いだろ、そんな方法なんて」
「即答!? ちょっとくらい考えてあげようよ」
「いやそうじゃなくてだな、完全にそういうの無くすのは無理って話だよ。皆そうなんだから。できるのは精々それを和らげることだけだ」
「あー、何となくわかる気がするかも。どうしたってゼロにはできないもんね、そういうのって」
「だな。それに受験が不安ってことは結局自信がまだ無いってことだろ。ならもっと勉強頑張るしかねぇよ。やれることは全部やったって胸張れるくらい勉強すりゃ、人に訊くまでもなく自信なんて勝手についてくるって」

 学問に王道無しとはよく言ったもんだ。
勉強に限らずスポーツだって同じで、とことんまでやって初めて自信に繋がるのである。
結局やれる限りやるしかないのだ。


 そして勉強に集中しまくって小町のことを忘れればいい。ここが大事。
もちろんそれは言わないけどな。いい話っぽく終われるし。

 由比ヶ浜もほら、何かおぉーとか言いつつ素直に感心してくれているみたいだし。
これはもう黙っておくのが優しさだと言ってもいいと思う。
俺ってばマジ優しい。

 ただこちらを無言で見据えている雪ノ下の目が若干冷たいので、こいつにはバレてるみたいだけど。
何でこんなに鋭いんだろうね、とても隠し事できる気がしねぇよ。


「それじゃあ回答はあたしが書くね」
「おう、任せた」

 にこにこと笑顔のまま、由比ヶ浜がパソコンに向かう。
さっきの投稿者の時とは雲泥の差である。
材木座がここにいたら泣いてたんじゃないか?

 あるいはそれもちょっと見物だったかもしれないけど、でもあいつの涙なんて別に見たくもないし。
総合的に考えると、やはりあいつはここにいなくて良かったということになるな、うん。


「……うん、これで良しっと」

 俺が馬鹿なことを考えていたのも束の間。
タンタンとリズム良くキーボードを打ちこんでいた由比ヶ浜が、満足そうに一つ頷く。
どれどれ、何て書いたんだ?

〈奉仕部からの回答〉
『受験に不安になる気持ちはすっごく良くわかるけど、でもそれは皆も同じだよ。だからそんなに心配しなくても大丈夫! これから受験までまだ時間あるし、勉強をちゃんと続けたらきっと自信もついてくるから。合格を信じてラストスパート頑張って。来年あなたが後輩として入学してくるのを楽しみに待ってるよ』


 おぉ、何と模範的な解答。
スクールカースト上位に属していると、先輩らしさみたいなのも自然に身に着いてくるもんなのかね。
いや本当に、最後の一文とかあいつにはもったいないくらいだ。

「しかしホントあれだな、お前が書くとまともな回答になるよな。何かもうまとも過ぎて逆に違和感出てくるレベル」
「褒めるなら素直に褒めてよ!」
「気にすんな。とにかく回答はこれでいいだろ。送信よろしく」
「もう……」


 何かぶつぶつと文句言いながらも回答を送信する由比ヶ浜。
俺としてはわりと素直に褒めたつもりなんだけどなぁ。
一言余計だったかもしれんけど。あぁそれが駄目だったのか。なるほど。

「それじゃ由比ヶ浜、次行こうぜ次。何ならこの調子でずっと由比ヶ浜のターンでも全然オーケーだぞ」
「さり気なく押し付けないでよね、ちゃんと皆で読んで皆で回答するの。いい?」
「いや、一通目はそうじゃなかったじゃん」
「……え、えーと次のお便りはーっと」


 不自然に目を逸らす由比ヶ浜。
まぁ俺もとやかく言うつもりはないけどね。
終わったことを蒸し返したくないし。
正直早く忘れたくすらある。叶うならばあいつの存在ごと。

「つーかまだ残ってんの?」
「んー、これでラストだね」
「そりゃ僥倖、じゃあさっさと読んでくれよ」
「うん。えっと、最後のお便りは、PN:美し過ぎるOGさんから」
「由比ヶ浜さん、それはもう読まなくていいわ」
「ゆきのんまでそんなこと言うの!? っていうか何で!」


 由比ヶ浜が驚きの声を上げる。
しかしご意見ごもっともだが、ここは俺も雪ノ下に同意せざるを得ない。
正直言って、許されるならこのまま見なかったことにしたいくらいだ。
でも、そうはいかないんだろうなぁ、この人相手だと。

「由比ヶ浜、落ち着けって。もう一度ペンネームをよく読め、誰が差出人かすぐわかるから」


 パニクる由比ヶ浜をどうどうと宥めつつ説明する。
奉仕部のことを知ってるOGって時点で候補がほとんど絞られるのに、かてて加えてこの手前味噌極まる形容詞が駄目押しだ。
これで差出人が陽乃さんじゃなかったら、土下座して詫びてやるよ。

 にしても、何で奉仕部宛に送ってくるかな、この人は。
いや本当にさ、姉妹のやり取りなんて直接携帯同士でやんなさいよ、君たち。
間に誰か置かんと会話すらできん訳でもなかろうに。一昔前のコントかよ。
通訳じゃないんだぞ、俺らは。


「んー……あ、もしかしてゆきのんのお姉さん?」
「残念ながら、他に思い当たる人はいないわね」

 ぱっと笑顔になった由比ヶ浜とは対照的に、物凄く嫌そうな顔で頷く雪ノ下。
苦虫を噛み潰したような表情って、こういうのを言うんだなぁとか思う。
しかし相変わらず仲の宜しくないこって。
そんな雪ノ下の反応に、由比ヶ浜は腰に手を当ててちょっと困ったような顔をする。


「もう。ゆきのん、ダメだよ、いくらお姉さんと仲良くなくても無視なんてしたら」
「別に仲が良くないわけではないわ、ただできる限り無干渉、非接触を貫きたいだけよ」
「それはもう仲が悪いってレベルだよ!?」
「まぁそれはともかく、あの姉さんが他人に悩みを相談するなんてあり得ないわ。何かあっても自分で何とかする人だもの。だからそのメールは私たちをからかう為のものとしか考えられないのよ。故に読む必要は無いものと判断できるわ」
「ふーん、何だかんだ言って、ゆきのんもお姉さんのこと信頼してるんだね」
「……あの人の能力については客観的に評価しているだけのことよ。それ以上の考えは無いわ」

 ほっとしたように笑う由比ヶ浜と、ぷいっとそっぽを向く雪ノ下。
色々複雑な事情もあるらしき雪ノ下家の人間関係も、由比ヶ浜にかかればひどく単純な話に聞こえてしまうから不思議だ。
オッカムの剃刀じゃないけど、物事の本質を考えるのには難しい言葉も多くの説明も不要なのかもなぁ。
とすれば、そういう風に素直に単純に受け止められるのも一種の才能なのかもしれない。
少なくとも俺には絶対無理だな。何かって言うと余計なことばっかり考えてしまうし。


 本当の賢さとは何なのか、とか随分と哲学的なことで悩んでしまった。
そんな俺を余所に、由比ヶ浜は小さく拳を握りつつ、改めて雪ノ下に笑いかける。

「うん、でも読まずに消しちゃうわけにもいかないし、あたしが読むから聞いててね」
「そうね、確かに奉仕部として受け取ったメールである以上は一応チェックの必要があるわけだし。それじゃあお願いできるかしら」
「任せて」

 朗らかな笑顔のままパソコンへ向かう由比ヶ浜。
開いたメールを、いつもの快活な声で素直に読み上げる。


〈PN:美し過ぎるOGさんのお悩み〉
『こんにちは、わたしメリーさん、今あなたの後ろにいるの「え! 嘘!?」』

 読んでいる途中で驚愕の表情のまま後ろを振り返る由比ヶ浜。
もちろん、その視線の先には何もないし誰もいない。
気まずい沈黙が落ちる。


「……いや嘘に決まってんだろ。騙されんなよ、お前」

 ちょっと素直過ぎるでしょ。
あるいは優し過ぎると言うべきかもしれんけど。
呆れるべきなのか心配するべきなのか、判断に困るぞ。

 雪ノ下に至っては、頭痛がするかのように手を頭にやりつつ渋い表情をしている。
果たしてどちらに対して呆れているのかについては分からないけど。でも多分両方だろうなとは思う。
敢えて口にしないのがこいつなりの優しさなのかもしれない。


「だってびっくりしたもん、こんなこと書いてるなんて思わないよ。もう、陽乃さんひどい」

 由比ヶ浜さんはぷりぷり怒ってらっしゃるが、正直気にするポイントはそこじゃないと思う。
あの人のことだから、読むのが由比ヶ浜になると推察してこういうおちょくりを入れてきたんだろうし。
思い通りに動かされた事実にこそ腹を立てるべきだと思うんだけどな。

 それでも、一頻り文句を言って気が済んだのか、それからすぐに由比ヶ浜は画面に向き直った。
おぉ、意外と大人な対応だ。
俺ならおちょくられたと分かった時点でメール消してるぞ、多分。
実際、読み上げる声音にも怒りの色は感じられない。この辺りは流石と言うべきだな。


〈PN:美し過ぎるOGさんのお悩み・続き〉
『――なんちゃって、冗談だよ、OGって事で身構えちゃうといけないと思ってジョーク挟んでみたんだけど緊張はほぐれたかな。じゃあ改めて、やっはろー、みんな元気? 今日は雪乃ちゃんたちにお姉ちゃんからお願いがあってメールしたの。実は今度わたしが参加するイベントがあるんだけど、男手が足りないんだよね。ということで、比企谷くん貸して』

「お断りします」
「また即答だし!」

 非難の声を上げる由比ヶ浜だが、今回は文句言われる筋はないと思うぞ。
あの陽乃さんの手伝いとか、何させられるか分かったもんじゃない。
余所当たってくれよ、いやマジで。


「つか何で俺を名指ししてんだよ、頼むところ間違い過ぎだって。大体あの人なら一声かけりゃそこらの有象無象どもがわらわらと集まってくるだろ。大学生なんて軽い奴らばっかりって話だし。そいつらこき使ってやればいいじゃん。よし由比ヶ浜、そう回答しようぜ」
「全体的に悪意が滲み出てるよ! そんな回答できるわけないでしょ。拒否するにしても、もうちょっとまともな答え方しないとダメだって」
「でも由比ヶ浜さん、比企谷くんに頼むのが間違いであることも含めて、彼の言っていることも一理あるわ」
「いらん修飾語つけんな」

 一応文句を言っておく。もちろん無視されたけど。うん、でもこれこそが様式美だよな。
なお、そんな雪ノ下の言葉をふんふんと素直に頷きながら聞いている由比ヶ浜も地味にひどいと思う。
雪ノ下はこちらに一瞥すらくれることなく、淡々と説明している。


「姉さんの周りにはあの人の助けになりたいと思っている人間が何人もいるし、その人たちに依頼しなさい、と返してあげればいいわ。あと、大学生にもなって高校生の手を借りなければならない程に落ちぶれてしまったの? 無様ね、と最後に付け加えてもらえるかしら」
「色々台無しだよ!? で、でもまぁそうだね、同じ大学にだって頼める人いるはずだし、ヒッキーもかわいそうだもんね」
「由比ヶ浜……」

 惜しいな、その優しさをもうちょっと早く発揮してくれてたら俺も素直に感動できたんだけど。
何にしても、二人とも今回の依頼を否定する方向でいてくれてるのはありがたい。
ほっと胸を撫で下ろす。


「じゃあ――って、あれ? 何かずっと下の方に続きがあるよ」
「は? 何それ?」

 返信しようとパソコンに向かった由比ヶ浜の言葉に、不吉な予感を覚える。
刹那、頭の片隅をふと疑問が過ぎる――もし陽乃さんが本気で俺を引っ張り出そうとしているなら、メールで依頼するだけで済ますだろうか?
答えは否。あの人の性格でそれはあり得ない。
彼女はきっと、勝利を確定させてからしか勝負の土俵には上がろうとしないだろう。

 表情が引きつるのを自覚しつつ、由比ヶ浜に続きを促す。
諦観って、こういう気分を言うんだね。
視界の片隅に、憮然とした表情の雪ノ下が映る。
こっちももう展開が読めているんだろう。


〈PN:美し過ぎるOGさんのお悩み・追伸〉
『あ、ちなみにもう静ちゃんの許可は取ってるよ。拒否はできないからそのつもりでね。じゃあ比企谷くん、詳しいことはまた連絡するからよろしくー』

「……もう相談でも何でもないじゃない」

 ぽつりと呟く雪ノ下。
その声には、何故かちょっと苛立ちが滲んでいる。
でもそうだよな、これ相談じゃなくて、もう単なる事後報告になってるし。
前段は何だったんだよ。


「おぉ、やってるな、どうだ調子は?」

 とそこで、ガラッと勢いよくドアを開けながら入ってくる人影が一つ。
全員の視線が集中したその先にいたのは、今回俺を陽乃さんに売り飛ばしてくれた張本人である奉仕部顧問の平塚先生だった。

 正直、やってるっつーかむしろよくもやってくれたって感じなんだけどな。
じとっと恨みがましい視線を送ると、なぜかにやりと笑って返された。
俺の視線をどう受け取ったんだよ、この人は。


「平塚先生、何度も言っていますが入る際にはノックを」
「また気が向いたらな。それより今は依頼メールの方が大事だろう」

 部屋に入る際のノックに気が向くも向かんもないと思うんだけど。
あっさり流された雪ノ下はというと、またも頭痛を抑えるかのように手を額にやりつつ難しい表情をしている。大変ですね。
毎回同じこと繰り返してるのに、なお根気よく教育しようとは、何とも見上げた根性だ。正直ここだけ見てるとどっちが教育者かわからない。

 そんな雪ノ下の苦悩や俺の呆れなど意にも介さず、平塚先生は豪快に笑いながら話を進めようとしている。
うん、多分今年も無理だろうね、結婚は。ぼんやりとそんなことを思いました。まる。


「さて、その様子だともう陽乃のヤツのメールは確認したみたいだな」
「ついさっき見ましたよ。ていうか何で勝手に許可出してんですか? 俺の意見くらい聞いてくださいよ」
「いや、君に聞いても答えは決まり切ってるからな、時間の無駄だろう。まぁ学外のイベントに触れる機会というのは多い方がいい。それでなくても君の場合は社会との接点が極端に少ないわけだしな。諦めて精々ボランティアに勤しんでくることだ」
「横暴過ぎる……」
「まぁ、あいつにも何か事情がありそうだったからな」
「事情、ですか?」

 怪訝そうな顔で雪ノ下が訊き返す。
言葉にこそしていないものの、由比ヶ浜も小首を傾げて不思議そうにしていた。
もちろん訳がわからないのは俺も同じだ。


「いやでも、敢えて俺を指名する事情って何ですか? そもそも自慢じゃないですけど、俺は技能もやる気もないですよ。何の役にも立たない自信すらあります。つーかむしろ邪魔してマイナスになる可能性の方が高いくらい」
「本当に自慢になってないし! ていうかそんなことないよ、ヒッキーはやる気とか根性とかそういうのは無いかもだけど、技能とかって言うんなら、何かこう色々と、その、できることとか……あるよね?」

 勢いよく俺の言葉を否定してくれた由比ヶ浜だけど、後半になるにつれてどんどん声が小さくなり、最後は疑問形になっていた。
気持ちはありがたいにしても、正直フォローできる要素が思いつかないのなら黙っていてくれた方が良かったんじゃないかな。何で俺に聞くのよ?
何ていうか、優しさって時々残酷だよね。


「比企谷くんの技能がどうこうよりも、そもそも校外のコミュニティに彼が入って上手くやれるとは到底思えないのですが」
「いかにもその通りだが、その辺は陽乃のヤツが何とかするだろう。あいつがわざわざ私に頼んできたんだからな」

 肩を竦めながらの平塚先生の言葉に、雪ノ下が深く考える姿勢を見せる。
口元に手を当てて思索に耽るその姿に、誰も言葉を挟まない。
少しして顔を上げると、雪ノ下は小さく呟いた。


「いえ、やはりどう考えても不自然です。むしろ異常と言うべきかもしれません。一体何を企んでいるのかしら……」
「一応お前の姉だろう、少しは信じてやってもいいんじゃないか? まぁ何を考えているのかは私もわからんが、積極的に他人に害を為そうとするようなヤツでもないし、別に構わんだろ。苦労するのは比企谷一人だし」
「そこは大いに構うんですけど」

 俺のぼやきはしかし、当然のように黙殺された。
平塚先生は雪ノ下の方しか見てないし。
何で俺のことなのに俺が意見を言えないんですかね?


「でも、ゆきのんのお姉さんがそんな悪巧みとかしないと思うんだけど。本当に困ってるんじゃないかな?」
「それが疑わしいのだけれど。悪巧みかどうかはともかく、あの人のことだから、私や比企谷くんをからかって楽しみたいだけという可能性も否定できないわ」
「あり得るっつーかむしろそう言われた方が納得できるな、俺を頼りにするとかどんなジョークだよ」
「だからヒッキー自虐的過ぎだって、もう」

 呆れた顔をしている由比ヶ浜だけど、陽乃さんの性格を考えたら自然な発想だと思うぞ、これは。
大体俺を頼りにする人間なんて小町一人で十分なのだ。
それ以外の方はノーサンキュー。


「何でもいいが、既に陽乃にはオーケーで回答済みだからな。比企谷もたまには外の空気に触れて来い。何事も経験だ」
「はぁ……わかりましたよ、観念しますよ」

 平塚先生の有無を言わさぬ言葉に、うなだれるように首肯して返す。
がっくりと肩が落ちるのが自分でもよくわかった。
自分の時間を他人の都合で潰されるって凄いストレスだよな。
しかも陽乃さんにこき使われるとか、想像するだけで憂鬱になるわ。


「げ、元気だしてヒッキー」
「ならお前変わってくれよ、俺ホントあの人苦手なんだって」
「って言われても、頼まれたのヒッキーだし、男手がいるって書いてるし。諦めるしかないよ。ね?」

 どうやら普段よりも更にひどく目が澱んでいるらしく、由比ヶ浜が引き気味になりながら慰めてくれる。
ありがたいんだか悲しいんだか。

 何度目かわからない重いため息を吐き出してから顔を上げると、明後日の方向を向く雪ノ下の横顔が視界に映る。
妙に苛立たしげな表情をしているのが少し引っ掛かった。
何事かと見ていると、ふと小さな声でぽつりと零すのが耳に届く。


「……気に入らないわね」

 鈴の音のように、微かでも良く響く声。
それはどこか、自身で抑えきれない感情が溢れ出たかのような言葉だった
果たしてその感情の源泉が何なのかまではわからないけど。

 いいようにあしらわれている感のある姉に対してか。
それを捩じ伏せる手立てを思いつかない自分自身に対してか。
あるいは、もっと違う何かなのか。

 面倒なことにならないといいんだけどな。
どこか他人事のように、そんなことを思いながら窓の外へと目を向けた。
秋晴れの空に、少し雲が出てきているのが見える。
もしかしたら、一雨来るかもしれない。

今日はここまでです。
そして一点、申し訳ないのですが、この続きは別の場所での投稿にしたいと考えています。
というのも、ここから話の展開をちょっとシリアスな方向にしたいと思ってまして、そうすると一つの話を一括で上げられる場所の方がいいと判断した次第です。
そうすれば話をぶつ切りにせずに済むし、余計なものも削れるし。

勝手を言いましてすみませんが、ご容赦いただけましたら幸いです。
また確定しましたらご連絡します。
今までお読み頂き、本当にありがとうございました。

こんばんはです。
混乱させてしまい申し訳ありません。
別の所に移ろうと考えた理由は、皆さんの仰る通り、書き溜めて各話を一気に上げてしまいたい為です。
1レスずつ分けると時間も手間もかかりますし、抜けやミスが出ても修正できませんし。
それよりも20~30KBくらいを一気に投稿する形の方が、自分の書き方にも合ってると思うので。
勝手を言いますが、ご容赦願います。

正直書く側としちゃスレだと一気に纏めて投稿できない、後から誤字脱字を再編集できないって点が煩わしいしな
どこに行くんだろ?

>>809
まさにそこが気になってまして。
シリアスなシーン書いてて凡ミスやらかしたら目も当てられないなと。
移るとしたらやっぱりPixivが一番いいかなと考えてます。

俺もあんまり移ってほしくないんだが… >>1的にはもうこれ確定事項?

>>812
ご迷惑をおかけしますが、移るのは本気で考えてます。
ショートストーリーなら良かったんですが、ここからまだ話も長くなりそうですし、さすがにそれを1レスずつ分けて上げて行くのもしんどいかなと。
すみませんが、よろしくお願いします。

皆様にはご迷惑をおかけしてます。
最後まで書き切るつもりではいますが、どれだけ長くなるかまだ想像つきませんし、それをここで全部上げて行くのは正直厳しくなってきたというのが本音です。
勝手を言いまして申し訳ありませんが……

移る際には、新しい所への案内はさせて頂きます。
それでも読んで頂けるのでしたらとても嬉しいです。
近いうちに作業して①から順に上げ直していきたいと思います。
宜しくお願いします。

皆様にはご迷惑をおかけしてます。
ついさっきPixivの方に①の話を上げさせて頂きました。
アドレスは以下の通りです。
ttp://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2862334

皆様の温かい言葉に心から感謝します。
またこちらで続きをという希望に沿えず申し訳ありません。
なるべく早くその他の話も上げ直して、続きを書いて行きたいと思います。
もしよろしければお付き合いください。
本当にありがとうございました。

こんばんは、皆様には大変ご迷惑をおかけしてます。
失望させてしまったこと、改めてお詫びします。
投稿のし易さやレイアウト、俺ガイルSSの数などを考えてPixivに移らせて頂くことにしました。
これまでの投稿分を上げ直したところで、こちらはHTML化依頼を出させて頂こうと思います。
申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

こんばんは、ご迷惑をおかけしております。
また、温かいお言葉を頂き感謝しています。

本日HTML化依頼を出してきました。
続きはまた向こうで頑張って書いていきたいと思います。
今まで本当にありがとうございました。

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