奉太郎「遠い記憶」(342)

投下します。

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神山高校を卒業してから、随分と時間が経った。

最初の四年は大学で過ごし。

次の六年は仕事をして過ごした。

大雑把すぎるだろ、俺。

まあ、そんな事はどうでもいい。

今は昔と比べ……本当につまらない日々を送っていると思う。

仕事を始めてすぐの頃は、叱られる事もあった。

だが慣れてからは、要領を掴み、上手い事やっていけていると思う。

しかし、何だろう。 この満たされない感じは。

あの日、あの時をもう一度やり直せるなら。

そんな考えがふと頭に浮かび、すぐに消す。

んな事、俺だって分かっている。 分かっているのだ。

……高校時代が、一番楽しかったと。

駄目だ、これを考え出すと本当に一日やる気が出ない。

ま、別に毎日やる気があるって訳でも無いし、別にいいか。

一日の仕事を終え、帰路に着く。

そんな時、見覚えがある姿が見えた。

奉太郎「ん……おい! 里志か?」

俺が声を掛けると、その影はこちらを振り返り、にんまりと笑う。

里志「おお、久しぶりだなぁ! 懐かしいよ」

奉太郎「こんな所で何を……って、ああ。 お前も帰り道はこっちだったか」

里志「はは、そうだよ」

奉太郎「にしても懐かしいって、つい先週も会った気がするんだが」

事実、先週の休み前に里志とは飲みに行っている。

里志「いやいや、だってさ」

里志「何だか、久しぶりの再会! って感じの方が感動しない?」

しない。

奉太郎「またくだらん事を」

里志「はは、それでどうするんだい?」

どうする、と言うのはつまりあれだろう。 飲みに行かないかって事か。

朝からテンションは限りなく低かったし、あまり乗り気では無いが……

まあ、明日は休みだし別にいいか。 気分を変えたいと言うのもあるし。

奉太郎「そうだな、行くか」

俺の声を聞き、里志はいつもの笑顔より更に笑顔になる。

奉太郎「お前、いつも笑顔なのはいいがな」

里志「ん、どうしたんだい?」

奉太郎「正直あれだ、あれ」

少しだけ、里志が困惑している様子だ。

奉太郎「気持ち悪い」

里志「え! いきなりそれは酷いなぁ」

奉太郎「考えても見ろ、三十近い男が二人で歩いていて、片方がニヤニヤずっとしていたら気持ち悪いだろ」

里志「うーん、僕はそう見られてもいいんだけど」

おいおい、こいつ本気で言っているのか? 長らく友人をしていたがそんな気があるとは思わなかったぞ。

奉太郎「……おい、里志」

里志「ちょ、ちょっと何でマジな顔してるのさ。 冗談だよ」

奉太郎「そ、そうか。 流石に少し焦った」

里志「はは、何より僕には大切な人が居るしねー」

奉太郎「それもそうだったな」

こうして里志と二人で、くだらない話をしながら歩いていると少しだけ懐かしい感じがする。

あの日々はもう、俺には来ない。

絶対に口には出さなかったが、本当に毎日が楽しかった。

里志と、伊原と……

あれ、おかしいな。

後、もう一人。

ああ、そうだ。 千反田だ。

……何で、俺は今アイツの事を忘れていたんだ?

もしかすると、何かの病気にでも掛かってしまったか。 アルツハイマーとか。

うう、怖い怖い。

里志「ホータロー、何一人で難しい顔してるのさ」

里志「見ている分には面白いけどさ、もう着いたよ?」

そう言い、里志は目の前にある居酒屋の看板を指差す。

奉太郎「ああ、すまん。 ちょっと考え事をしていた」

俺がそう言うと、里志は目を丸くし、驚いている素振りを見せる。

里志「はは、なんか高校時代に戻った様な気分だよ」

奉太郎「何で、また」

里志「いやいや、だってさ」

里志「あの時のホータローって、いつも何か考えている感じがしてたからさ」

里志と別れ、俺は歩きながら家を目指す。

実家にはしばらく帰っていない。 姉貴はたまに帰っているらしいが。

別に今の独り暮らしのアパートが、実家と離れていると言う訳でも無い。

……あまり、あの地には行きたくなかった。

それにしても。

奉太郎「いつも何か考えている、か」

そう、だったかもとは思う。

……いや、今日もか?

今日も多分、考え事をしている時間はかなり長い。

いつもはただ、無為に時間を消費している。

朝起きて、会社に行って、夜まで仕事をして、帰って、テレビを見て、寝る。

そのサイクル。

それを何年も、何年も続けてきた。

次第に俺は、それにも慣れた。

今が心底嫌って訳では無い、これでも自分の人生だから。

ほとんどの人が、そう思っているんじゃないだろうか?

何も変わらないサイクル。 それが自分の人生だと。

変わって欲しいとも思わない。 それが自分の人生だから。

自ら変えようとも思わない。 それが自分の人生だから。

しかし、俺には変わってしまう「きっかけ」が訪れた。

本当に唐突に、突然に。

視界の隅に、ちらりと見える人影。

あれは……

始めに感じたのは、懐かしい空気だった。

まるで、高校時代に戻った様な。

次に感じたのは、嬉しさだった。

そして、最後に感じたのは--------

奉太郎「……お前、どうして」

俺はその人影に声を掛ける。

いつからそこに居たのか、何故今更なのか。 聞きたい事は山ほどある。

しかし俺は、そう声を出すだけで精一杯だった。

そして、そいつはゆっくりと振り返り、口を開く。

える「お久しぶりです。 折木さん」

これが、俺と千反田の……十年振りの出会いだった。

千反田は、高校の時と殆ど変わらない容姿だった。

髪型はあの時と同じ、黒髪で肩辺りまで伸びている。

目は大きく、あの時と同じ輝きをしていた。

奉太郎「お、おう」

情けなく返事をする。

それもそうだ。 何せ十年ぶりだぞ?

慌てない訳が無いし、事前に連絡が無かったから衝撃はかなりある。

それでも何とか返事をしたのだ、それで十分だろう。

える「お変わり無さそうですね」

いや、おかしいだろう。

もっと他に、何か無いのだろうか。

だが、千反田自身から言ってくるのもおかしい、のか。

ならそうだ、俺が聞いてやればいい。

奉太郎「……ええと」

奉太郎「ううむ、何から聞くべきか」

える「ふふ、やはり昔と一緒ですね」

さっきまで、頭の中では「よし、言ってやろう」とか思っていたが……いざ口を開くとうまく行かない。

える「場所を変えましょうか、立ち話もなんですし」

奉太郎「ああ、そうだな。 そうしよう」

結局、ペースは千反田が握る事となってしまった。

そのまま俺は、近くにある寂れた公園へと足を向ける。

千反田は、黙って付いて来ている様子だった。

何か話しかけようか迷っていたら、いつの間にか公園が視界へと入ってくる。

俺は結局、黙って小さなベンチに腰を掛けた。

千反田もそれを見て、隣に腰を掛ける。

奉太郎「にしても、本当に懐かしいな」

える「そうですね、高校の時以来ですし」

奉太郎「……だな」

自然と、笑みが零れる。

える「ふふ、折木さんもそうやって笑うんですね」

何て失礼な奴だろうか。 俺でも笑う時は笑うのだ。

奉太郎「と言うか、それよりだ」

俺が話を切ると、千反田は顔に疑問符が出てきそうな顔で俺を見てくる。

える「何でしょう?」

奉太郎「聞きたい事は山ほどあるが、一つずつ聞くか」

自分に言い聞かせる様に、言う。

奉太郎「まず、どうしてここに?」

える「ええっと、それは中々難しい質問ですね」

える「……そうですね。 今私には時間が出来て、それで来ていると言った感じですね」

なんとも曖昧な返事である。

奉太郎「ま、いいか」

奉太郎「次に二つ目だが」

える「ちょっと待ってください」

そう言いかけた所で、千反田が声を被せて来た。

あまりそんな事をしない奴だから、思わず俺は押し黙ってしまう。

える「順番ですよ、次は私の番なんです」

奉太郎「何だそれは……」

える「今、決めたんです。 良いですか?」

人の話をぶった切って、そのまま喋ればいい物を……最後には確認を取る所が千反田らしいと言うか何と言うか。

奉太郎「駄目って言っても、どうせ聞かないだろお前は」

える「そんな、無理矢理に意見を通す人みたいに言わないでくださいよ」

奉太郎「……違ったか?」

える「違います!」

奉太郎「はは、悪かったよ」

奉太郎「で、質問とは?」

こんなくだらない話をこいつとしているだけで、本当に高校時代に戻った気がした。

あの頃に、あの時に。

える「折木さん」

える「昔の事を、思い出したいですか?」

何を言っているんだ、こいつは。

奉太郎「昔の、事?」

える「はい、高校の時の事をです」

奉太郎「高校の……時」

いやいや、おかしいだろ。

思い出すにしても、どうやって?

ただ思い出を振り返ったって限度はあるし、全部が全部思い出せる訳も無い。

それにあれだ、思い出すのは少しだけ……切ない気もする。

何故、と聞かれると困るが……その切なさの原因になる高校の時でさえ、鮮明には覚えていないのだから。

だが、俺の口は勝手に動き出す。

奉太郎「思い出せるなら、思い出したい……な」

いつの間にか、そう言っていた。

本能で? 自分の意思で?

今の俺には、分からない。

える「そうですか、分かりました」

いつに無く真面目な顔をし、千反田はそう言う。

いやいや、冗談にも程があるだろう。

と言うか、今日何度目の「いやいや」だろうか。 どうでもいいか。

それより、だ。

分かりましたと言われたが、俺は何て返せばいいんだ。

そうですか。 これはちょっと違う。

お願いします。 これも違うな。 何をお願いすると言うのだ。

心を覗かれたら「こいつ何を考えているんだ」と言われてもおかしく無い事を考えてしまう。

そんな事を考えまた、馬鹿な考えだと頭の隅に追いやる。

あれ、そう言えば千反田はどうした。 返事を待っている……のか?

その時、ふと頬に冷たい感触がした。

これは、千反田の手?

奉太郎「お、おい。 千反田?」

える「行きましょう。 折木さん」

奉太郎「行くって、何が? どこに?」

える「それでは……」

俺の問いを無視し、千反田は目を閉じる。

瞬間、目の前が光で埋まった。


~1話~
終わり

以上で1話終わりです。
次回は土曜日か日曜日辺りとなります。


待ってたぜ。

本当にさすがだな
引き込まれるよ

で、前の日常のとこに貼った方が、あっち見てた人は見つけ易いんじゃないか?

おはようございます。
投下忘れてましたよスイマセン!

>>25
今書いておきました。 ありがとうございます。

それでは第2話、投下致します。

懐かしい。 とても懐かしい空気がした。

これは、いつだ? 何年前だ?

それすら考える間も無く、意識は遠い昔へと向かって行く。

感覚的に言えば、鮮明な夢を見ている様な……そんな感じだった。


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きつい、きつすぎるだろ。 流石に。

里志「ホータロー、大丈夫かい?」

そう尋ねてきたのは福部里志。 この状況を作り出した張本人だ。

奉太郎「誰のせいで、こんな山中を歩いていると思っている」

える「ご、ごめんなさい。 私のせい……ですよね」

申し訳無さそうに謝るのは千反田える。 俺はそういう意味で言ったのでは無いんだが。

摩耶花「違うよ、ちーちゃんのせいじゃないし」

摩耶花「そもそも、体力が無さすぎる折木が駄目なんじゃない?」

この口が悪い奴は伊原摩耶花。 悪い奴では無いが、だからと言って良い奴でも無い。

奉太郎「俺が思うに、完全に里志のせいだけどな」

里志「あはは、参った参った」

とは言っている物の、悪びれた様子は全く無い。

まあ、結局は体力が無い俺のせい……なんだろうな。

俺たちは今日、古典部らしからぬ活動をしていた。

普段からこれと言って活動している訳では無いし、そのつもりも無い。

だが、この古典部四人で山を登っているのには理由がある。

高校三年となった俺たちは、生産的とは言えない日々を送っていた。

それもまあ、いつもの事だし、特に気にする奴も居なかった。

そんなある日、今から一週間前くらいだったか? 里志がこんな事を言い出す前まで。

「皆で何か、思い出に残る事がしたい」と。

俺は勿論断固拒否。 思い出とは心に残る物で、わざわざ作る物では無い! との反対意見を出した。

……正直に言えば、ただ面倒だったから。

俺の意見は伊原によって即刻却下され、古典部で思い出作りと言う名の重労働を強いられる事になった。

ちなみに、伊原に言わせれば「折木はどうせ面倒臭がってるだけ、放っておいて話を進めましょ」との事。

……間違ってはいないのが悔しい。 何か言い返したかったが、反論は出てこなかった。

奉太郎「それより、何で山登り……」

える「夏よりは、良いと思いますよ」

える「今の時期ですと、まだ少しだけ肌寒いですけど……楽しく無いですか?」

横を歩く千反田が、そう答える。

奉太郎「俺の顔を見ても、そんな事が言えるか」

える「……」

今のは失敗だったか。

千反田が俺の顔を覗き込み、じーっと見つめてくる。

える「……楽しそうな顔とは、言えないですね」

さいで。

しかし、折角のゴールデンウィークに俺は何をしているんだか。

俺達が登っている山はそんなに標高がある訳でも無く、一日あれば登って降りられるくらいの物だ。

だが、休みが潰れると言うのは変わらない訳で……

……仕方ない、か。 もう来てしまった物は仕方ない。 そう考える事にしよう。

でないと、どんどん面倒になる一方だ。

摩耶花「お、あれ休憩所じゃない?」

そう言う伊原が指差す方向には、少し開けた場所があり、店も小さくはあるが並んでいた。

里志「丁度良いし、休んでいこっか」

数歩前を歩く里志の呼びかけに、俺は「……ああ」と小さく返事をし、千反田は「はい!」と楽しそうに言った。

こいつはもしかすると、疲れと言うのを知らないのかもしれない。 恐ろしい。

~休憩所~

里志と伊原はどうやら店を見に行ったらしく、俺と千反田はベンチに腰を掛けている。

あいつらも中々に元気だ。 休まないで大丈夫なのだろうか? 等と心配になってしまう。

……いや、もしかすると俺しか疲れていないのだろうか。 あまり考えたくは無いが。

える「気持ちいいですね、折木さん」

ふと、千反田が声を掛けてくる。

奉太郎「……まあ、空気は綺麗だな」

実際の所、空気はかなり澄んでいる。 それくらいは俺にも分かった。

える「やはり、皆さんと居ると楽しいです」

奉太郎「だな、それは否定しない」

える「でも、もう一年も残って無いですよね」

千反田は少しだけ暗い顔をして、そう言った。

奉太郎「そりゃ、卒業する訳だしな。 来年には」

える「そう……ですよね」

俯く千反田の姿は、どこか幻想的な雰囲気が漂っていた。

この場面だけ切り取れば、絵画になっていてもおかしくは無い程に。

奉太郎「何だ、そんなに嫌なら……四人揃って留年でもするか?」

える「……それは良い案ですね」

おい、本気かこいつ。

える「ですが、駄目です。 ちゃんと卒業しましょう! 折木さん!」

いつの間にか、俺が留年したいと言っている空気になる。 何故だ。

奉太郎「わ、わかった。 そうだな」

こういう話をするまで、全く気にも止めていなかったが。

……もう、一年も無いのか。

千反田が今日、やたらと張り切っている理由が少しだけ、分かった気がした。

多分、一つ一つの事を大事にしたいと思っているのだろう。 決め付けは良くないが。

これでも一応、二年くらいの付き合いにはなる。 その間に千反田が思うことは少しだけ、理解できる様になった気がする。

里志や伊原も、勿論同じ気持ちは持っているだろう。

だが、千反田はそれよりも更に、一つ一つを大切にしたい気持ちがある筈だ。

……俺は、今日と言う日を少しだけ勘違いしていたのかもしれない。

奉太郎「んじゃ、そろそろ行くか」

場の空気を戻す為、俺は話をそこで切る。

える「……ええ、分かりました」

奉太郎「里志と伊原を呼んでくる、少し待っててくれ」

未だに千反田は、暗い顔だ。

柄では無いが、言っておかなければならないだろう。

奉太郎「それと、あんま暗い顔はするなよ。 折角の思い出作りなんだから」

奉太郎「俺も、その……あれだ。 今日は大切にしようと思うから」

俺がそう言うと、千反田は顔をあげる。

さっきまでとは違い、笑顔の千反田が居た。

える「ふふ、分かりました。 折木さんがそう言うのでしたら」

多分、間違っていた。

面倒くさいとか、やる気が出ないとか。

そういう風に思うこと自体が、恐らく間違っていた。

感情なんて、一人一人で違う。

一人が嫌だと思う事があっても、一人は楽しいと思う事は当然ある筈だ。

その嫌だと思う事は、もしかすると……そいつの思い込みなのか、とも思う。

それを最初から嫌がっていたら、楽しいなんて絶対に思えない。

なら、楽しもうと努力をすればいい。

一時的には楽しくなるだろうし、そっちの方が良い筈だ。

だからと言って、本当に心の底から楽しめるか? と言われれば、すぐに「はい」とは言えない。

けど今は、今日は楽しく行こうと俺は思う。

今日は、思い出作りなのだから。

~2話~
終わり

以上で2話、終わりです。
乙ありがとうございました!

こんばんは。
第3話、投下致します。

える「どうでした? 折木さん」

その声を聞き、我へと帰る。

……そう言うのもまた、変な話だが。

最早、何が何だか分からない。

奉太郎「……今のは、何だ?」

える「……何でしょうね?」

奉太郎「いや、俺が聞きたいんだが」

える「と言われましても……」

状況が全く分からんぞ。 何だこれは。

奉太郎「……超能力にでも目覚めたのか、千反田」

える「かもしれませんね」

そう言い、昔と同じ様に千反田は笑う。

奉太郎「本気で言ってるのか?」

える「それより、どうでしたか?」

質問に質問で返すとは、褒められた事では無いぞ。

奉太郎「どう、っていうのは」

しかし結局、その質問に答えているのが少し情けなく感じる。

える「昔の事を思い出して、ですよ」

奉太郎「……まあ、いいか」

何故思い出したとか、千反田にはどうやら答える気は無いらしい。

いや、本当に自分でも分かっていない……のだろうか?

それは少し考えるのは面倒だ。 ならもう仕方ないと割り切っておこう。

奉太郎「そうだな……あんな事もあった、って感じだな」

える「ふふ、良い思い出ですよね」

奉太郎「今となっては、そうかもしれない」

える「私はあの時からずっと、良い思い出だと思っていますが……」

奉太郎「人によって感じ方はそれぞれだしな、それは変わらないさ」

える「ふふ、折木さんは昔と」

そこで、一度言葉を飲み込み、千反田は再び口を開く。

える「……折木さんは、昔と変わったと思いますか?」

急に話を変えすぎだろ、一瞬何の話かと思ったぞ。

奉太郎「それは………俺が? それとも、千反田が?」

える「両方です」

奉太郎「……そうだなぁ」

奉太郎「俺は、まあ変わった……んじゃないかな」

奉太郎「時間も経ってるし、いつまでもグダグダやる訳にもいかないしな」

奉太郎「やる事はしっかり、やっておかないと」

える「そう……ですか」

何故か、千反田が少し悲しそうな顔をする。

それを見て、俺は声を掛けようかと思ったが……掛けた所で何が起きるって言うんだ。

……何も、起きないだろう。

奉太郎「あー」

奉太郎「後、千反田だっけか」

千反田の顔を見ないように、俺は続ける。

奉太郎「こんな事を言うと、怒るかもしれんが……」

奉太郎「お前は昔から、全然変わらないな」

える「むー、成長していないって事ですよね」

奉太郎「……そういう意味で言った訳じゃないけどな」

奉太郎「良く言えば、若いままって事じゃないのか」

える「そ、そうですか」

照れる仕草も、昔と変わらない。

こいつは本当に、今も昔も……千反田えるだ。

奉太郎「それより、時間大丈夫なのか?」

える「あ、私は大丈夫ですが……折木さんは、ちょっと厳しいですよね」

奉太郎「まあ……だな」

奉太郎「それじゃあ、俺はそろそろ帰るよ」

える「ええ、分かりました」

その言葉を聞き、俺は千反田に背中を向けて公園を出ようとする。

奉太郎「なあ」

俺は一度振り向き、未だにベンチに腰を掛けている千反田に向けて声を掛けた。

奉太郎「明日も、居るのか?」

える「はい、居ますよ」

その言葉を聞き、俺は「そうか」と返し公園を出る。

もう大分遅い時間になっているなぁ。

ああ、そうだ。 千反田は里志や伊原には会ったのだろうか?

ま、いいか。 明日も居るらしいし聞いてみるとしよう。

そして俺は、そのまま家へと向かって行った。

これが、俺と千反田の久々の出会い。

初夏の、ある一日の出会いだ。

何も変化が無い、俺の時間。

その中に突然現れた千反田。

昔と一緒で、あいつはどこか不思議な雰囲気を持っている。

こうして、俺の日常は少しずつ、ずれていった。

夜風に少しだけ、あの頃……あの夏の匂いがした気がする。

今となっては、ほとんど記憶に残っていない日々の出来事。

俺と千反田の物語は、一度終わり。 こうしてまた……始まった。

~次の日~

その日、俺は朝からある人物へと電話を掛けていた。

里志「珍しいね、ホータローの方から電話なんて」

奉太郎「それだけの事があったって事だ」

里志「……お、中々気になるよ。 それは」

奉太郎「んじゃ、今日会えるか?」

里志「あー、そうだ。 僕の家に来ないかい?」

奉太郎「……別に構わんが、あいつも居るだろ」

里志「大丈夫だって、昔よりは丸くなってるしさ」

と里志が言った後、電話の奥から「誰が丸くなったって?」との声が聞こえて来る。

奉太郎「……はあ」

奉太郎「ま、良い。 伊原にも一応、関係あるしな」

里志「そうかい、じゃあ待ってるね」

それを聞き、電話を切る。

里志の家も、それほど距離があると言うほどでも無い。

外は暑いし、歩いて行くのは気が引けるが……

まあ、いいか。 アイスでも奢ってもらおう。

里志と伊原は、結婚間近と言った感じである。

今年中には、と前に聞いた様な気がしなくもない。

里志は以外にも仕事は出来る方で、伊原も結局は普通の会社で普通に働いている。

どうせ、こうなる事は分かっていたのに。

昔は皆、夢を見ていたなぁ。

……また昔、か。

もういい、とりあえず……さっさとあいつらの所へ向かうとするか。

奉太郎「よう、里志。 一昨日ぶりだな」

里志「だね。 まあ上がってよ」

里志に案内され、家の中へと入る。

奉太郎「お、伊原か。 久しぶりだな」

摩耶花「懐かしいわね。 何年ぶりだっけ?」

奉太郎「さあ、それすら覚えてないな」

摩耶花「あはは、折木が覚えてる訳ないかぁ~」

里志は一体、どの口で丸くなったと言ったのだろうか。

奉太郎「失礼なやつめ。 途中のコンビニで飲み物を買ってきたんだが、伊原は無しでいいか」

摩耶花「貰うわよ!」

奉太郎「人の事を馬鹿にしておいて、その態度は逆に尊敬するぞ……」

摩耶花「……もう、分かったわよ」

摩耶花「ご、め、ん、な、さ、い」

摩耶花「これでいい?」

納得できないが、別にいいか。

俺はその言葉を聞き、左手に持っている袋から飲み物を二本取り出す。

それをそのまま、里志と伊原に手渡した。

次に、右手に持った袋から自分のも取り出すと、適当な場所に腰を掛ける。

里志「あ、あはは。 気が効くね。 ホータロー」

奉太郎「だろ?」

摩耶花「何でこの暑い中、温かいのをわざわざ買って来るのよ!」

奉太郎「単純に冷たい飲み物を買って行ったって、つまらんだろ」

奉太郎「俺なりの冗談って奴だ」

伊原が悔しそうな顔をする。 恐らく謝って損したとか、考えているのだろう。

それを見ながら、俺は自分用の冷たいお茶を飲む。

ああ、いいなこれ。 ちょっとした優越感って奴だ。

奉太郎「それじゃ、本題に入るが」

俺は温かい飲み物を飲む里志と伊原に向かい、問いかけた。

奉太郎「お前ら、最近千反田に会ったか?」


~3話~
終わり

以上で第3話、終わりとなります。
次回は来週の火曜日辺り……に投下したいですが、少し遅れる可能性があります。

乙ありがとうございました!

あわわ

すいません、日曜日には投下できそうです。

もう少々お待ちを……

こんにちは。
第4話、投下します。

里志「千反田さん?」

摩耶花「また懐かしい名前ね」

奉太郎「その反応からすると、最近は会ってないか」

里志「うん。 その通りだけど、なんで急に千反田さんなんだい?」

奉太郎「いや、実は昨日……里志と別れた後の事なんだが」

そう言い、俺は昨日あった事……とは言っても、昔の記憶を呼び起こして貰った等の事は話さなかったが。

里志「へえ、今はこっちに来てるのかな?」

里志は少しだけ驚いた様に、そう言った。

摩耶花「あたしにも連絡、来ると思ってたのになぁ」

伊原はと言うと、どうやら少し残念そうに見える。

……あれ、連絡と言えば。

奉太郎「俺にだって事前に連絡は無かったさ、本当に唐突に現れたからな」

奉太郎「それに、お前ら連絡先なんて交換してたか?」

摩耶花「してた筈……だけど。 あれ、ちーちゃんって携帯持ってたっけ?」

奉太郎「……えーっと、俺の記憶だと卒業するまで持ってた覚えは無いな」

里志「ん? 僕の記憶だと皆で連絡先交換した覚えがあるんだけどなぁ」

俺と里志と伊原では、どうやら覚えている内容に食い違いがある。

……千反田では無いが、少し気になるな。

奉太郎「皆でって、それは俺も入ってるのか?」

里志「うーん? ホータローは……携帯持ったのって、大学入ってからだよね」

里志「なら、記憶違いかな?」

俺に尋ねられても困る。

それより、俺の記憶が正しければ……古典部の誰一人、千反田の連絡先は知らなかった筈だ。

卒業式の日、あいつが遠い所へ行くと聞いても。

奉太郎「けど、本当に急だったな」

里志「千反田さんがホータローに会いに来た事?」

奉太郎「別に、俺に会いに来た訳とは限らないだろ」

奉太郎「それに、俺が言ってるのは違う」

奉太郎「卒業式の日の事だよ」

摩耶花「卒業式の日? 何かあったっけ?」

里志「まさか、摩耶花……覚えて無いのかい?」

摩耶花「……うーん。 ごめん思い出せない」

奉太郎「……あいつが、千反田が引っ越すって話をした事だ」

摩耶花「そう言われると……そんな事、あった気もするなぁ」

里志「……この年で記憶力の低下は始まるのかな? ホータロー」

小声で、里志が俺にそう問い掛けてきた。

奉太郎「さあな。 まあ俺も人の記憶力にとやかく言える立場では無いが」

奉太郎「お前はもう少し、声量を抑えた方が良いとは助言しておく」

摩耶花「ふくちゃん。 折木が帰ったらゆっくり話そうか」

怖い怖い。 鬼嫁を持つと日常からこんな感じになってしまうのか。 正確に言えばまだ結婚している訳じゃないけど。

……それに、鬼嫁と言うよりは……伊原摩耶花をと言った方が正しいのかもしれない。

摩耶花「何か失礼な事、考えてないわよね」

矛先はどうやら、こっちに向いたらしい。

奉太郎「いえ、何も」

人間、立場が上の者には逆らわない方がいい。 先程は少しからかってしまったが、思えばあれも危ない綱渡りだった可能性もある。

以後、気をつけよう。

奉太郎「んで、話を戻すが」

奉太郎「卒業式が終わってから、皆で部室に集まったんだよな」

里志「そうそう。 それで、千反田さんが皆に話があるって切り出して」

奉太郎「遠い場所へ引っ越すと、言っていたな」

摩耶花「……ううん。 確かに言われてみれば、そんな記憶もあるわね」

里志「ま、それまで進路の話とか全くしてなかったからね。 聞けばそれより前に知る事も可能だった筈だ」

奉太郎「……それは言う通りだな。 お互い無関心過ぎたかもしれない」

摩耶花「でも、二人が言ってる事が正しいとすると……折木が知らなかったのは意外かなぁ」

奉太郎「俺が? 何でまた」

摩耶花「だって、折木とちーちゃんって結構仲良かったじゃん。 今だからこんな事言えるけど……」

摩耶花「あたし、二人は実は付き合ってるんじゃないかって思ってた程よ」

伊原に "も" そんな風に見えていたのか。 全くそういう事実は無いのだが。

里志「僕もそれは思ったかな。 んでホータローに問い詰めた事、あったっけ」

奉太郎「あまり思い出したくは無いが……問い詰めたと言うよりかは、お前の場合はしつこいんだよ」

奉太郎「帰り道、俺と里志二人っきりの時は必ず聞いてきてただろ」

里志「下手な鉄砲数打てば当たる物なんだよ」

この場合、そうは言わないと思う。

摩耶花「でも、なんか良いわね」

奉太郎「何が?」

摩耶花「高校以来の友人に会うのって、凄く懐かしい気分にならない?」

奉太郎「あー、そうだな。 それはあるかもな」

里志「僕も、高校の時の友達と偶然会うと……ついつい話が弾んじゃうんだよね」

奉太郎「お前は誰でもそうなるだろ……」

里志「いいね、良い突っ込みだよ」

こういうやり取りもまた、懐かしい。

奉太郎「……俺達も随分、年取ったなぁ」

摩耶花「やめなさいよ。 老人でも無いんだし」

奉太郎「いや、高校の時と比べたらって事さ」

奉太郎「あの時は……こんな風にまた集まって話すなんて、思わなかっただろ?」

里志「確かに、そりゃそうだね」

里志「今を生きるのに精一杯だった。 ってのもあるかもね」

奉太郎「……だなぁ」

その後は、また少し昔の事で盛り上がり、気付けば時刻は午後五時を回る所だった。

奉太郎「んじゃ、俺はそろそろ帰るかな」

奉太郎「思ったより長居して悪かったな」

里志「構わないさ、たまにはこういうのも良いしね」

摩耶花「……あ!」

何かを思い付いたかの様に、伊原が口を開く。

摩耶花「折木、もしちーちゃんに会ったら呼んで来てよ」

奉太郎「……ああ、別に構わないけど」

里志「お、良いね。 古典部勢ぞろいだ」

奉太郎「一応、今日も会う予定だからな。 伝えておくよ」

摩耶花「頼んだわよ!」

そう言い、背中をばしばしと叩いてくる。

奉太郎「……伊原、筋肉付いたな」

俺はそう言い残し、そそくさと玄関から外に逃げ出た。

立場が上の人間には逆らわない方が良いと学んだが、その人間の記憶力が悪い場合に限り、別れ際にぼそっと言うくらいなら問題無いだろう。 多分。

恐らく、里志や伊原とはまだ話す必要があるだろう。

全員が全員、記憶に誤りがありそうだ。

その内どれが正しいかなんてのは分からない。 普通なら三人とも、勝手に修正を施して『そうであった筈』と決め付けるだろうから。

俺や、里志や、伊原がそうであるように。

でも少しだけ、今は普通の状況では無い。

俺の前に千反田が現れ、昔の記憶を鮮明に思い出させてくれる。

そのおかげで、昔……高校時代、何が正しい記憶なのかが分かると言う事だ。

それは果てして良い事なのだろうか?

『そうであった筈』と決め付けた事実の方が、美しい事もあるだろう。

人間は物事を良い様に記憶している。 その当時は面倒すぎた事であっても、美化して感傷に浸る俺みたいに。

しかし、知りたい。

高校時代、俺達に何があったのか。 何故、ここまで三人の記憶に食い違いがあるのか。

……多分、退屈しているんだろうな。 俺も。

そうでなきゃ、ここまで気になる事なんて無いだろうに。

俺は少しだけ、昔の千反田の好奇心の理由が……分かった気がした。

その後は家に帰り、特にする事も無くだらだらと過ごす。

辺りが暗くなり始め、蝉の鳴き声も静かになっている。

前までなら、この時間になったら休みの日はテレビでも見て無駄な時間を過ごしているだろう。

仕事がある日なら、丁度家に着くくらいの時間か。

だが今の俺には、やる事がある。

やる事……と言ったら、大袈裟に聞こえるが。

でも、普段の変わらないサイクルからして見れば、それは劇的な変化と言えるかもしれない。

そんな事を考えながら、玄関の扉を開ける。

夏の匂いは、暖かく……懐かしかった。


~4話~
終わり

以上で4話、終わりとなります。

乙ありがとうございました!

こんばんは。
第5話、投下致します。

奉太郎「よう」

公園に着く頃には辺りは既に真っ暗となっていた。

真ん中にポツンと立っている時計だけが、辺りを照らしている。

える「こんばんは。 昨日振りですね」

その灯りを見つめながら、千反田は挨拶をしてくる。

奉太郎「一つ、聞いてもいいか?」

俺は千反田の横顔に、そう問い掛けた。

える「ええ、いいですよ。 順番ですので」

一瞬、何の事かと思ったが……昨日の続きって事か。

何年経っても、記憶力は相変わらずだな。

奉太郎「お前、伊原や里志には会わないのか?」

える「……」

千反田は時計を見るのを止め、顔を少しだけ伏せた。

える「……私に、その資格があるのでしょうか」

そして、少しの間を空け、千反田は小さく漏らす。

奉太郎「どういう意味だよ。 資格って」

える「気になりますか?」

奉太郎「……まあな」

奉太郎「喧嘩でもしたのか?」

俺がそう聞くと、千反田は少し困った様な顔をしながら俺に尋ね返してくる。

える「折木さんは、私と伊原さんや福部さんが喧嘩をすると思います?」

奉太郎「……思わないが」

える「なら、はずれです。 残念ながら」

いつからクイズ形式になったというのだ。

える「それに、福部さんや伊原さんだけに限った事では無いですよ。 ……折木さんも」

奉太郎「俺も? ますます意味が分からんな……」

える「その内分かりますよ。 それでは折木さんの質問に答えますね」

える「……お二人には、会えません。 私自身も望んでいないですし、恐らくお二人も望んでいませんから」

千反田が望んでいないと言うのは態度で大体分かるが……

里志と伊原も望んでいない? そんな事あるのだろうか。

俺が知らないだけで、まさか本当に喧嘩でもしたのか?

いや、それにしては……さっきまで話していた伊原は本当に千反田に会いたがっていた。

伊原だけでは無い、里志も当然……会いたがっている筈だ。

なら、千反田の思い込みなのだろうか?

える「折木さん? 何かしら反応をして欲しいのですが……」

奉太郎「あ、ああすまん。 まあ……千反田が会いたくないって言うなら、無理に会って貰わなくてもいいさ」

える「……はい、すいません」

小さい声でそう言い、千反田は頭を下げる。

奉太郎「何も謝る事じゃないだろ。 それより次はお前の番だが」

える「……そうでした! このまま今日はお開きと言う感じになっていましたね」

奉太郎「……そうか?」

える「違うんですか?」

奉太郎「違うって訳でも無いが」

える「そうですか」

える「なら、そうですね」

える「折木さんは、三年生の時の夏休み、覚えてますか?」

また唐突に来たな……

いつもこうだ。 気付けばこいつのペースに持ち込まれている。

……それもまた悪くは無いけど。

奉太郎「夏休み……何かあった様な気はするな」

三年の夏休み。

皆が皆、受験勉強で忙しかった気がする。

でも、それでも何か大事な事があった。

それは……何だろうか。

奉太郎「何かしたのは、覚えている」

える「ふふ、そうですか」

える「では、今日はそれを思い出しましょう」

奉太郎「……俺はそれより、お前のその力みたいなのが気になるんだが」

そう言い、千反田の方を向いたときには既に、千反田は俺の方へと手を伸ばしていた。

える「頑張ってください、折木さん」

……何を頑張ると言うのだ。

------------------


奉太郎「んで、結局何の電話だ。 これは」

里志「まあまあ、前置きはこれくらいにするからさ」

八月の半ば、夏真っ盛りのこの季節に俺は里志と電話で話している。

……姉貴が家に居なければ、俺は多分電話を取る事すらしなかっただろう。

里志「先に言っておくよ、これは僕の提案じゃない」

奉太郎「……それも前置きになると思う」

里志「確かに、その通りだ。 ならさっきのは前々置きって事でどうかな?」

奉太郎「……」

里志「あはは、そう怒らないでよ。 じゃあ本題に入るけど」

俺が苛立っているのが伝わったのか、ようやく里志はその本題を話し始めた。

里志「千反田さんがね、何か思い出作りをしようって言ってるんだよ」

里志「勿論、勉強で忙しいなら気にしないでくれ。 とも言っていたけど」

里志「ホータローは、どうする?」

奉太郎「……わざわざ聞くか、それを」

奉太郎「忙しいって言っても、四六時中勉強してる訳でも無いし、別に良いと思う」

里志「オッケー。 そうこなくっちゃ」

奉太郎「たまには息抜きも必要だろうしな。 何しろ部長の頼みなら仕方ない」

里志「はは、そう言う事にしておくよ」

奉太郎「何だそれ。 ……聞いても無駄か。 んで具体的には何をするんだ?」

里志「分かってる様で分かってないよ。 ホータローは」

少しのタメを作り、里志は続ける。

里志「それを今から決める為に、ホータローの家で作戦会議さ!」

奉太郎「何故そこで俺の家が出てくるんだ。 会議するなら千反田の家の方が」

そこまで言った所で、インターホンが鳴った。

姉貴がそれに出た様で……『来客』の声が俺にも聞こえる。

「こんにちは。 折木奉太郎さんの友達の千反田と申しますが」

……里志のやつめ。

奉太郎「今度借りは返すからな。 覚えておけ」

里志「あはは。 それは悪い意味? 良い意味?」

奉太郎「悪い意味で、だ」

里志「じゃあ期待はしない方が良さそうだ。 まあ、とにかく僕も今からそっちに行くね」

それだけ言うと、里志は電話を一方的に切る。

くそ、何でこうなった。

……まあ、どの道集まるのだし手間が省けたと考えよう。

それに、俺の家を使うならこの暑い中外に出る必要が無くなる。

……そう考えた方が気楽でいい。

奉太郎「で、何か案はあるのか?」

摩耶花「どっか遊びに行く?」

奉太郎「この前も行ったばかりだろ。 里志の提案で」

里志「んだね。 何か今回は違う方向性がいいなぁ」

える「違う方向性ですか……」

奉太郎「と言うか、まず一ついいか」

える「何でしょう?」

奉太郎「この『思い出作り』を提案した奴が何も考えてないってのはどうなんだ」

える「……私にも考えはありますよ!」

おお、珍しく千反田が声を荒げている。

なら、その考えとやらを聞いてみるか。

奉太郎「ほう。 その考えとは?」

える「ええっとですね。 集合写真ですとか、アルバム的な物を作ったりですね」

奉太郎「……卒業アルバムで良いだろ」

える「そう言われますと……そうですね」

さて、千反田案が消えた所でどうするか。

里志「うーん。 でも千反田さんの案は良いと思うけどなぁ」

また掘り返すのか、こいつは。

奉太郎「何年も経って、昔を懐かしむのは良いと思うが……アルバムは卒業アルバムを貰えるんだし、それで良いだろ」

摩耶花「確かにそうよねぇ。 アルバムが二冊あっても……って思うし」

里志「いやいや、そういう意味じゃなくってさ」

里志「方向性の話だよ。 方向性」

……方向性?

奉太郎「……そうか。 つまり」

奉太郎「俺達が大人になって、昔を思い出すって方向性か?」

里志「そうそう、その通り」

なるほど、悪くは無いと思う……

しかし、違う物でってなると、何があるのだろう。

摩耶花「……うーん。 何か良い方法、あるかな?」

える「難しいですね……大人になっても残る思い出……」

……残る思い出、か。

ああ、一つあるが……まあ、駄目元で言ってみるだけ言ってみよう。

奉太郎「……タイムカプセルとか、どうだ」

俺がそう言うと、三人が一斉に俺の方へと視線を向ける。

まずい事でも言った気分になってしまうから、できればやめて欲しい。

里志「いいねそれ!」

摩耶花「テレビとかでも良くやってるしね。 良いかも」

える「私も賛成です! それにしましょう!」

……どうやら俺の案が採用されそうだな。

思いの他、あっさり決まったと言うかなんと言うか。 こいつらは俺が今出した案を一度考えたりしなかったのだろうか。

あっさり出てきそうな物だが。

まあ、手短に終わったし良しとしておく。 自分で自分を褒めたいとはこういう事だろう。 恐らく。

奉太郎「んじゃ、そうと決まれば今日は解散……」

里志「駄目駄目、まだ埋める物とか、場所とか決めないと」

摩耶花「そうよ。 あたしは何にしよっかなぁ……」

える「ふふ、実は私、埋める物はもう決まりました」

里志「もう? 僕はどうしようかなぁ。 何か未来の自分が驚く物でも入れたいけど」

この案は失敗だったかもしれない。 思いの他、三名の話が弾んでしまっている。

……今日の会議は、長くなりそうだ。



~5話~
終わり

以上で第5話、終わりです。

乙ありがとうございました。

こんにちは。
第6話、投下致します。

里志「持ってきたかい? ホータロー」

そう言いながら俺の顔を覗き込み、里志が尋ねてきた。

こいつが言っている『持ってきた物』とは、つまり今日の目的でもある。

奉太郎「流石に今日はその為に来てるしな。 忘れるなんて事は無い」

里志「はは、それもそうだね」

里志「ところで、さ」

横を歩く里志が、思い出した様に呟く。

里志「僕はこれの予定だけど」

言いつつ、右手に持っている巾着袋を掲げてみせる。

奉太郎「……それは何か未来に向けたメッセージなのか」

里志「いいや? どうして?」

奉太郎「未来のお前は恐らく、なんで僕はこんな物を入れたんだろう。 とか言うだろうな」

里志「失礼だなぁ。 いや、もしかしたらあり得るかも知れない……」

なら考え直せばいいのに、そうする気配は里志から感じられなかった。

里志「それより、そこまで言うんだったらホータローは何を埋めるんだい?」

俺に言われ少しムッとしたのか、問い質す様に里志が言った。

奉太郎「俺か、俺はまあ……埋める時になったら教えるさ」

奉太郎「これは、俺だけの物でも無いしな」

俺はそう言い、手にぶら下げている鞄に叩く。

里志「ふうん。 まあ、楽しみにしておくよ」

奉太郎「そこまで期待されても困るけどな」

里志「はは、そうかい」

そこで話は一度途切れ、無言のまま数分、俺と里志は並んで歩いていた。

「あれ? 折木にふくちゃん?」

唐突に、後ろから声が掛かる。

奉太郎「伊原か」

摩耶花「何で後ろも見ないで分かるのよ。 あんた後ろに目でも付いてるの?」

奉太郎「中学の時から一緒だろうが、それくらい声で流石に分かる」

摩耶花「へえ。 あたしは折木に同じ事されても、全く分からないと思うけどなぁ」

悪意は無いのだろうが、失礼な奴だな。

摩耶花「それよりふくちゃん、ちゃんと埋める物持ってきた?」

里志「僕に聞くのかい? それを聞くならホータローじゃ……」

摩耶花「折木は持ってきてるでしょ。 珍しくやる気あったみたいだし」

里志「やる気? ホータローが?」

余計な事を……伊原め。

摩耶花「あれ、ふくちゃんは知らなかった?」

里志「……詳しく聞かせてよ、摩耶花」

里志の表情は真剣だった。 俺がやる気を出すのがそこまで珍しいのだろうか。

……ここは、何か突っ込むべきなのか?

摩耶花「えーっと」

伊原は俺の顔色を伺いながら、話すのに少し戸惑っている様子だった。

自分で蒔いた種だと言うのに、まあ……いいか。

奉太郎「あー。 埋める物を見せてからの方がいいな」

奉太郎「俺のは、これだよ」

そう言い、鞄から『氷菓』を取り出す。

里志「……なるほど!」

摩耶花「タイムカプセルを埋めるって話になって少ししてから、折木から連絡があってさ」

摩耶花「皆自分用には買ったけど、一応皆で作った物だしって確認があったのよ」

摩耶花「ほんと、変な所で律儀なんだから」

里志「うん、僕は良いと思うよ」

里志「でも、何で言わなかったのさ? もし僕が嫌だって言ったらどうするつもりだったんだい?」

奉太郎「……何年付き合ってると思ってるんだ。 お前は好きだろ、こういうの」

里志「ははは、ごもっともだ」

摩耶花「今の会話だけ聞くと、良い感じのカップルみたいね」

奉太郎「それは里志に対する当て付けか?」

摩耶花「……ふくちゃんって、気が回らないからなぁ」

里志「あ、あはは。 ごめんごめん」

どうやら話は逸れた様で、俺は少しだけほっとする。

それもそう、変に懐かしがられて中身を見られたら、俺にとっては不味い事になる。

正直に言うと……別に、氷菓が良かった訳では無い。

確かに、古典部全員で始めて作った氷菓は思い入れがある。

だが俺の持ってきた氷菓には少しだけ、手を加えてあるのだ。

まあ、今考える事でも無いか。

タイムカプセルを全員で掘り起こすその日まで、忘れていればいいだけだ。

里志「お、そろそろだね」

いつの間にか俺の少し前を歩いている里志が、そう呟く。

摩耶花「それにしても、本当に良いのかな?」

奉太郎「あそこが一番だろ。 他に良い場所あるか?」

摩耶花「うーん、思いつかないけど」

奉太郎「なら、良いだろ。 本人もそう言っているんだし」

タイムカプセルを埋める場所に決まったのは、豪農千反田家、その庭の一角。

これ以上に良い場所なんて、恐らく無い。

何年経っても、形そのままで残っている確率も高い。

伊原は少しだけ迷惑では無いかと思っている様だが、他に良い所が無いし仕方ないだろう。

える「集まりましたね、皆さん」

千反田の家に来たのはいつ振りだろう。 少し懐かしい感じがする。

える「埋める物は持ってきましたか?」

その問いに、俺はやる気が無さそうに答え、里志はさぞ楽しい事の様に答え、伊原はいつもの調子で答えた。

奉太郎「それより、千反田は何を埋めるんだ?」

える「……そうですね。 では一緒に埋める物を見せましょう!」

こいつも随分と楽しんでいる様子。 これは恐らくだが、千反田は目的では無く、その過程を楽しんでいるのだろう。

里志「僕はこれだよ」

そう言い、里志は先程俺にも見せた巾着袋をテーブルの上に置いた。

える「福部さんと言えば巾着袋ですからね。 良いと思いますよ」

何だ、これは各自が見せた物を千反田が評価する流れなのか。

摩耶花「あたしはこれ、やっぱり好きなんだよね」

続いて伊原が出したのは『夕べには骸に』であった。

俺も多少、こいつにはお世話になっている。

える「良いですね。 私も好きです」

える「一年生の文化祭は、色々ありましたからね」

と言うか、この流れで俺が『氷菓』を出すと、恐らくこいつは。

える「次は折木さんの番ですよ?」

奉太郎「あ、ああ……俺はこれだ」

潔く諦め、テーブルの上にそれを置く。

える「それって、氷菓ですか!」

奉太郎「……まあな」

える「懐かしいですね、一番最初の氷菓ですよね」

そして俺の予想通り、千反田はテーブルの上に置かれた『氷菓』に手を伸ばす。

奉太郎「待て、ちょっと気になったんだが」

この状況を打破する方法は、一つしかない。

える「気になったんですか?」

奉太郎「あ、ああ。 そうだ」

奉太郎「何故、千反田が埋める物を評価しているんだ」

奉太郎「里志の巾着袋も、伊原の漫画も、俺の氷菓も」

あまりこの手は使いたく無い。

里志「ホータロー、もしかしてだけど」

える「……今のは、駄洒落と言う物でしょうか?」

何故なら、いらぬ恥をかかなければいけないからだ。

奉太郎「……それより、千反田は何を埋めるんだ?」

摩耶花「話逸らした」

空気が果てしなく重い。 やはりこういうのは俺のキャラでは無いな。

だがまあ、千反田の気は逸れた様だし、結果的に見れば成功か。

……少しだけ、咄嗟に思いついたにしては、面白い方であろう俺のギャグをあっさり流されたのが気になったが。

える「私ですか。 私はこれを」

そう言い、千反田が取り出したのは『手紙』だった。

奉太郎「……それは、手紙か?」

える「ええ、そうです」

里志「へえ。 未来の自分に向けたメッセージかぁ」

摩耶花「良いわね。 内容が少し気になるけど」

える「……見せませんよ?」

摩耶花「あはは。 分かってるよ、ちーちゃん」

える「それなら良いのですが……」

千反田は少しだけ、恥ずかしそうにしていた。

まあ、自分で自分に宛てた手紙の内容なんて、そう知られたくは無い物だろう。

その気持ちは、俺にはなんとなくだが理解できた。

える「では、そろそろ埋めましょうか。 早くしないと日も暮れてしまいますし」

里志「んだね。 掘るのも時間が掛かるだろうし」

摩耶花「それより、本当にちーちゃんの家の庭で良かったの?」

える「ええ。 大丈夫ですよ」

摩耶花「そっか。 じゃあ折木とふくちゃん、宜しくね」

奉太郎「ん? 伊原達は埋めないのか」

摩耶花「埋めるけど、穴を掘らないといけないじゃない」

奉太郎「ああ、だから」


摩耶花「何よ、肉体労働を女子にやらせるつもり?」

……そういう事か。

今日、伊原と千反田が作業をするのに向いていない服装をしていたのは。

里志「ホータロー。 諦めよう」

奉太郎「……割りに合わない仕事だな」

結局、全ての作業が終わった頃には空は黄昏色に染まっていた。

全員で縁側に座り込む。 俺と里志は殆ど寝転がっている感じだが。

奉太郎「……疲れた」

える「すいません、私もお手伝いすれば良かったのですが……」

摩耶花「良いって良いって、気にしないから」

お前がそれを言うのか。

里志「それより、さ」

里志「埋めた場所、皆覚えてられるのかなぁ」

奉太郎「……俺は自信が無いぞ。 と言うかいつ掘り返すかも考えて無かったな」

える「私達の誰かが思い出した時、で良いのでは?」

摩耶花「一生、掘り返す事が無いって事もありそうね……」

里志「……はは、あまり考えたくないね。 それは」

える「ふふ。 それより埋めた場所、ですか」

える「何か、目印でもあれば良いのですが……」

目印、か。

奉太郎「旗でも建てておくか」

摩耶花「すぐに取れちゃうでしょ、そんなの」

奉太郎「だろうな」

俺が真面目に考えていないのを悟ったのか、伊原は軽蔑の眼差しを俺に向けてくる。

疲れているんだ。 今日はもう頭をあまり使いたくない。

里志「うーん。 目印ねえ」

える「あの、今日は何日でしたっけ?」

ふと、千反田がそんな事を口にした。

奉太郎「今日か? 今日は八月の二十六日、だな」

える「そうですか、それなら」

そう言うと、千反田は立ち上がり先程まで埋めていた場所辺りまで歩いて行く。

える「埋め始めの頃、丁度ここに影が差していたんです」

奉太郎「影ってのは……ああ、千反田の家のか」

える「ええ、そうです」

える「時間は確か、お昼頃でしたよね」

里志「だね。 正確に言うと一時くらいだったかな?」

える「でしたら、影を目印にしませんか?」

なるほど。

奉太郎「つまり、何年後かの八月二十六日。 それも一時頃に影が差している場所を掘り返せば」

里志「タイムカプセルが見つかるって事だね」

まあ、日数まで拘る必要は無いと思うが……気持ちの問題だろう。

奉太郎「だが、それを忘れる可能性の方が高くないか?」

える「ええ、ですから」

千反田はそう言いながら、俺達の所へと戻ってきた。

える「ここの柱に、彫っちゃいましょう」

……全く、とんでもないお嬢様である。

何はともあれ、こうして俺達の思い出作りは一旦の終わりを見せた。

それぞれがそれぞれ、思い入れのある物を埋め、未来に向けた。

何年後かの自分は、それを見て何を思うのだろうか。

今はまだ、想像はできない。

だが、きっと……四人全員で掘り返す日は来るだろう。

来ない時は恐らく、俺達四人の仲が決定的な出来事で引き裂かれた時だけだ。

……いかんいかん。 こんな事は考えない様にしよう。

そんな事を思いながら、里志と伊原と別れ、一人で家に向かっている時だった。

突然、後ろから声が聞こえた。



~6話~
終わり

以上で6話、終わりです。

乙ありがとうございます。

こんばんは。

第7話、投下致します。

ぼんやりとした感じがし、辺りの音が段々と鮮明に聞こえ始める。

意識もはっきりとしてきたのが分かり、俺はゆっくりと瞼を持ち上げた。

奉太郎「……終わりか、これで」

える「みたいですね」

千反田はニコニコとしながら、俺の顔を覗き込んでくる。

える「どうでした? どんな思い出でしたか?」

奉太郎「どんなって、お前……俺が何を見てるか分からないのか?」

える「……ええ、そうなんですよ。 残念ながら」

える「ですので! どんな事を見ていたのか、気になります」

てっきり、千反田も一緒に見ている物だと思っていたが……そうでは無いらしい。

だからと言って、何がどうなる訳でも無いが。

奉太郎「ああ、今日見たのは」

奉太郎「……夏休みの事だったな」

える「夏休み、ですか」

奉太郎「そうだ。 千反田が何か、思い出に残したいって言ってたな」

える「……ありましたね。 懐かしいです」

奉太郎「それで、皆でタイムカプセルを埋めたよ」

える「ふふ、皆さん好きな物を埋めてました」

える「折木さんは確か、氷菓でしたよね?」

奉太郎「……よく覚えてるな。 その記憶力を是非俺にも分けて欲しい物だ」

える「皆さんとの大切な思い出ですから、忘れる訳ありませんよ」

奉太郎「その言い方だとあれだ、俺がお前らの事を大切にしていないみたいな言い方じゃないか」

える「……大切だと思ってくれてるんですか?」

奉太郎「そりゃ……まあ、多少は」

える「多少、ですか……」

奉太郎「……大切だと思ってるよ。 これでいいだろ」

える「……ふふ、ありがとうございます」

える「それにしても、タイムカプセルですか」

千反田は昔を懐かしむ様に、ベンチに腰を掛けながら夜空を見上げていた。

奉太郎「なあ、千反田」

える「はい、何でしょうか」

奉太郎「……やっぱり」

奉太郎「やっぱりさ、皆で集まらないか?」

奉太郎「折角思い出したんだし、掘り起こそう」

える「……意外です」

奉太郎「意外?」

える「……ええ、折木さんの口からそんな言葉が出るなんて……意外です」

奉太郎「えーっと。 それはあれか」

奉太郎「つまり、俺が面倒臭がって普段なら絶対にやらない様な事をやろうって言ったのが意外……って事か?」

える「はい、その通りです」

即答。

分かっている。 こいつに悪意は恐らく無い。 恐らく……

奉太郎「あのな、俺だって変わったんだ」

奉太郎「それに、放っておいたらまた……俺は忘れてしまうかもしれない」

奉太郎「千反田は、この思い出を時効にしたいのか?」

奉太郎「……俺は、それは少し嫌だな」

俺がそう言うと、千反田は驚いた顔をしながら口を開く。

いや、口を開くと言うよりは……思わず言葉が零れたと言った方が正しいだろう。

える「……時効、ですか」

える「……私も、私も嫌ですよ。 皆さんとの思い出はとても……とても大事な物なんです」

奉太郎「なら、一緒に行こう」

える「時間が無いんです。 それに、私は皆さんに……」

える「……いえ、何でもありません」

何かを言おうとして、すぐにその言葉を飲み込む。

やはり、何かを隠しているのだろうか。

える「ですが、出来る事なら集まりたいですね」

千反田は最後に小さく、そう言った。

奉太郎「そうか。 まあ、お前がそこまで言うなら……俺も無理にとは言わない」

える「ごめんなさい。 もしあれでしたら、私抜きで……」

奉太郎「それは駄目だ。 全員が集まって掘り起こさないと、意味が無いんだよ」

える「そう、ですか」

奉太郎「ああ、だから……気が向いたら言ってくれ」

奉太郎「いつも暇って訳じゃないが、掘り起こす時間くらいは作れるからな」

える「……ええ、分かりました」

話せばきっと、何かが見えるかもしれない。

千反田が何に悩んでいるのか、俺達に助けてやる事は出来ないのか。

まだ何も見えてすらいないが、いつかきっと。

奉太郎「それじゃ、そろそろ帰るかな」

える「ええ、時間も結構遅いですしね」

千反田はそう言い、時計の方に視線を移す。

俺はそれを見ながら、ベンチからゆっくりと立ち上がった。

奉太郎「それじゃ、また明日」

千反田にそう告げ、公園の外へと足を向ける。

……いや、向けようとした時だった。

嫌な考えが一つ、頭に浮かぶ。

さっき、俺はこう感じた。

『千反田は何かを隠しているのではないか』と。

もし。

もしそれが、隠しているのでは無く、だ。

俺が忘れているだけだとしたら。

もしそうなら、俺は無神経な言葉で千反田を傷付けたかもしれない。

千反田には何か理由がある。 里志や伊原と会えない理由が。

その理由を俺は知っていて、それを忘れているとしたら。

そんな考えが、頭を過ぎる。

気付けば後ろを振り返り、千反田に向けて声を掛けていた。

奉太郎「なあ、千反田」

幸い、千反田はまだその場からは動いていなかった。

える「どうかしましたか?」

俺は少しだけ距離を詰め、今日……千反田によって思い出した昔の記憶を辿る。

あの日の出来事は、それだけで終わりだっただろうか?

そんな訳、無い。

奉太郎「……続きが」

奉太郎「今日話した事には続きがあるんだ」

える「……続き、ですか?」

奉太郎「今、思い出した。 タイムカプセルを埋めた日の事を……全部」

える「他にも何かあったのですか? 教えてください、折木さん」

える「私、気になります」

いつもの台詞で、千反田は締めた。

それもまた懐かしく、俺は小さく笑うと再びベンチに腰を掛ける。

奉太郎「あの日、里志や伊原と別れて……一人で家に帰ってる時だった」

奉太郎「後ろから、声を掛けられたんだよ」

える「どなたかが、折木さんに……ですか?」

奉太郎「そうだ」

奉太郎「……その声を掛けてきた奴は、お前だよ」

える「私、ですか」

千反田はわざと忘れている振りをしているのだろうか?

昔と変わらない、吸い込まれる様な瞳が僅かに揺れているのが俺には分かった。

そうだ。

あの日、疲れている俺に声を掛けてきたのは千反田えるだった。

------------------

奉太郎「……千反田?」

後ろを振り向くと、息を若干切らしながら俺の方を向いている千反田が居た。

奉太郎「どうしたんだ。 何か忘れ物でもしてたか?」

える「あ、いえ……そういう訳では無いのですが」

奉太郎「何か俺に用事か?」

える「え、ええっとですね」

言い辛そうに、千反田は言葉に詰まっている。

奉太郎「……急ぎじゃないなら、また今度にしてくれないか」

奉太郎「今日は疲れているんだ」

奉太郎「俺もいつでも暇って訳でも無いしな」

自分でも酷いとは思った。 それくらい、俺は千反田に冷たい態度を取っている。

……何故だろう?

える「そう……ですよね」

える「ですが、大事なお話があるんです」

今、話しておきたいと言う事だろうか。

正直、さっきの俺の態度は普段の千反田ならすぐに諦めてくれる物だと思う。

だがそれでも、千反田は話があると言った。

なら、俺は。

奉太郎「……分かった。 少し寄り道して行くか」

える「はい。 ありがとうございます」

その言葉と共に、千反田は一礼する。

何もそこまでしなくても良いとは思うが。

俺と千反田は横に並び、あまり通らない道へと入る。

自然とこの道へは入ったが、もしかしたら千反田は知っている道なのかもしれない。

奉太郎「それで、話って?」

える「……はい」

える「このお話は、折木さんにするのが始めてなんです」

奉太郎「そうか」

える「それで、出来れば誰にも言わないで欲しいお話です」

奉太郎「約束しろって事か?」

える「……いえ、私が勝手に話しているだけなので、無理にとは言いません」

奉太郎「安心しろ。 折木奉太郎は口が堅いんだ」

える「ふふ、そうでしたか」

千反田の雰囲気が少しだけ和らいだのを感じた。

俺はそれに内心、ほっとしている。

さっきまでの千反田は何か張り詰めていて、やり辛かったからだ。

える「では、本題に入ります」

千反田は一度深呼吸をし、次の言葉を紡ぎだす。

える「私は、神山高校を卒業したら……東京へと行きます」

奉太郎「……東京? 大学がそっちにあるのか?」

える「それもあります」

奉太郎「それも?」

える「私の親族が東京に居るんです。 年配の方なのですが」

える「……その方が最近、倒れてしまいまして」

奉太郎「それで、その人の面倒を見る為に?」

える「今は入院しているのですが、退院しても面倒を見てくれる人が居ないんです」

える「親族も、今居る場所から動けない人がほとんどなので」

奉太郎「……なるほど。 それで千反田が丁度良く東京へ行くからって事か」

える「はい。 そうです」

奉太郎「でも、そこまで深刻な話でも無いんだろ?」

える「……だと思うんですけど、どうやら向こうで家の事を学ぶ事になりそうなんです」

奉太郎「家の事? って言うと、農業関係の事か」

える「ええ、そうです」

奉太郎「……そうか」

奉太郎「けど、こっちに戻ってこれるんだろ?」

える「……それは」

はい。 と千反田は言わなかった。

……俺は多分、千反田の出す空気からこうなる事を薄々分かっていたのかもしれない。

だから、さっきはあんなに冷たい態度を取ったのだろうか。

今聞いても、後から聞いても変わらないと言うのに。

奉太郎「……無責任な話だな」

える「私も……私も、そう思います」

千反田は優しい奴だ。

その親族の人の事を助けてあげたいと……千反田自身、思っているのだろう。

しかし、だからと行って向こうに行ったっきりにする事も無いのでは。

俺はその一連の流れに対して無責任な話だと言った。

……千反田は自分の意思では無いにしても、否定するかと俺は思ったが。

それは違う、千反田は肯定したのだ。

千反田が今回の事についてどう思っているのかなんてのは。

その気持ちを隠そうとしない千反田の思いは。

十分過ぎる程……俺に伝わった。



~7話~
終わり

以上で第7話、終わりです。

乙ありがとうございます。

こんばんは。
第8話、投下致します。

える「……覚えていたんですね、折木さん」

俺が話し終わると、千反田は柔らかく笑い、そう言った。

奉太郎「覚えていた、とは少し違うな」

奉太郎「……思い出したんだよ」

そうだ。

俺は今まで忘れていた。

あの日の事を……まるで嫌な事だとでも思うように、忘れていた。

自分でも驚いている、俺は知っていたのだ。

……千反田が卒業と共に、この地を去ることを。

える「それは、同じ事では無いでしょうか」

奉太郎「……同じ事?」

える「例えばです」

える「折木さんが今まで忘れていたとしても……」

える「それをたった今、思い出したじゃないですか」

える「それは、覚えていたと言っても良いのでは無いでしょうか」

奉太郎「あんな大事な話を俺は忘れていたんだぞ。 そんな風に……言える訳が無い」

千反田にとっては、とても大事な話だった筈だ。

そして、俺の勘違いじゃなければ……千反田はあの時、俺の事を信頼してくれていた。

絶対に誰にも言わないと、そう思って話してくれたんだ。

なのに俺は、言わない様にしたのでは無く。

その出来事を『忘れようと』して……千反田の言葉を事実、忘れていた。

これは許される事なのだろうか。

える「折木さんは、優しい方です」

える「もしかしてですけど、自分の事を酷い人間だと思っているのでは?」

奉太郎「……当然だろ、そんなの」

える「……そうですか」

える「では、私の話を聞いて貰えますか」

返事をする前に、千反田は語りだす。

える「もし、今のお話を他の人が聞いたとしましょう」

える「百人の方が聞き、全ての人が折木さんの事を酷い人だと、言ったとします」

奉太郎「……ああ」

千反田は笑顔を俺に向け、続ける。

える「他の方全員が酷いと言っても、私はそう言いません」

える「それでは、駄目でしょうか?」

奉太郎「お前は……」

自分自身ですら、酷い奴だと思っているのに。

それでも千反田は、そうは言わないと言うのか。

……おかしな話だな、全く。

奉太郎「……駄目な訳あるか。 十分だよ」

える「ふふ」

える「良かったです」

そう言う千反田の顔は、とても安心している様な表情で、俺も不思議と安心できた。

今日、また少しだけ……千反田がどういう人間なのか分かった気がする。

分かるのが遅すぎたのかも知れないが、今の俺にはそれで十分だろう。

奉太郎「……今日は、もう少しここに居るかな」

える「奇遇ですね。 私もそう思っていた所です」

その日はしばらくの間、千反田と一緒に夜風を浴びる事になった。

自然と目が覚める。

いつもは目覚ましで起きる物だが、久しぶりに気持ちのいい朝だった。

まだ回るのを拒否してくる頭を無理矢理回し、今日するべき事を考える。

連日迷惑かもしれないが……里志と伊原には、会っておく必要があるだろう。

幸い、今日は休みだ。

思い立ったらすぐ行動、とは良く言った物で、俺は枕元に置いてあった携帯を手に取る。

電話帳から里志の番号を呼び出し、発信ボタンを押した。

呼び出している事を知らせる音が鳴る前に、里志の声が聞こえる。

奉太郎「丁度携帯でもいじってたか、悪いな朝早くに」

里志「いいさ、それより休みの日だってのに、随分と朝早いね」

奉太郎「まあ、な」

奉太郎「話さないといけない事があるんだ」

里志「そうかい」

里志「……それは、千反田さん絡みかい?」

奉太郎「ああ」

里志「なら、断る理由は無いね」

里志「準備が出来たらうちに来てよ、お昼ご飯くらいなら用意するからさ」

奉太郎「……すまんな、急に用事があるって言って昼飯まで」

里志「いいよいいよ、気にしないで」

奉太郎「と、伊原に言っておいてくれ」

里志「……はは、りょーかい」

摩耶花「それで、話って何?」

テーブルを三人で囲み、伊原が作った昼飯に手を伸ばそうとした所で、そう切り出された。

奉太郎「食べながらじゃないと駄目か、出来れば食べ終わってからが」

摩耶花「な・に?」

……不機嫌なのは恐らく、昼飯を強制的に作らされたからであろう。

原因の一端は俺にもあるが、飯を用意すると言ったのは里志だった筈だが。

それでもしっかりと作る辺り、伊原らしいなと思った。

奉太郎「昨日の事だ。 千反田が神山を去るって言った時の話、したろ?」

里志「ああ、それね。 確か卒業式の日に……」

奉太郎「違う」

気分が落ち込みかけるが、話さなくては。

千反田には、里志と伊原に説明するとは言ってある。

元々、俺だけにした話だった事もあり、嫌がるのではと思ったが……

千反田は「そうですね。 そのお話はもう時効だと思いますので、大丈夫ですよ」と言っていた。

今思えば、千反田なりの気遣いであったのかもしれない。

奉太郎「……俺は、知っていたんだ。 里志や伊原が知る前より早くに」

里志「知っていた? それってつまり、千反田さんが遠くへ行くのをって事かな?」

顔をしかめながら、里志は俺に尋ねてくる。

奉太郎「ああ、そうだ」

摩耶花「でも、昨日の話だと」

摩耶花「折木が知ったのは、あたしとふくちゃんと一緒の時だよね?」

伊原は昨日の事を思い出すように、首を傾げながらそう尋ねてきた。

奉太郎「……そうだと、思っていた」

里志「思っていた……ね」

摩耶花「どういう意味よ」

奉太郎「俺も何故かは分からないが……忘れていたんだ」

一度深呼吸をし、話す。

奉太郎「お前ら、夏休みの事覚えてるか?」

奉太郎「千反田の家の庭に、タイムカプセルを埋めた日の事だ」

里志「……タイムカプセル」

里志「ああ! あったね」

摩耶花「……うん、あたしも思い出した」

摩耶花「確か、あたしは夕べには骸にを埋めたんだっけかな」

奉太郎「そう、その日だ」

奉太郎「あの日、俺は千反田に言われたんだよ」

奉太郎「卒業したら、神山を去るってな」

里志「……なるほど」

里志「一つ、いいかな」

里志はいつもの笑顔のまま、俺に顔を向ける。

里志「ホータローは忘れていたって言ってたよね。 さっき」

奉太郎「ああ、それがどうかしたか?」

里志「昨日の今日で思い出したのかい? 変な話だと思うんだけど」

確かに、そう言われればそうだ。

奉太郎「……昨日、千反田に会ったのは知ってるだろ」

奉太郎「その時、昔の話をして思い出したんだよ」

咄嗟に嘘を付いた。 間違っても本当の事は言えないだろう。

千反田の何か不思議な力で、昔の事を限りなくリアルに見れるなんて事……言ったら頭がおかしくなったのではと疑われるのは間違いない。

摩耶花「そっか、そうだったんだ」

里志「まあ、だからと言って何だって事でも無いしね」

……本当に、それでいいのだろうか。

それだけで済ませてもいいのだろうか?

摩耶花「それよりさ」

摩耶花「昨日の約束、忘れて無いわよね?」

奉太郎「……約束?」

摩耶花「また皆で集まろうって約束よ。 まさか本当に忘れてたの?」

してたな、そう言えば。

奉太郎「一応、言うには言ったが……」

俺は昨日あった事……千反田にそれとなく断られた事を里志と伊原に告げる。

奉太郎「との事だったが」

奉太郎「お前ら、千反田と喧嘩でもしてたのか?」

里志「はは、僕と摩耶花が千反田さんと?」

摩耶花「無いわね、絶対に無い」

奉太郎「なら、どうしてあいつは会うのを嫌がったんだ」

里志「それを僕達に聞かれてもねぇ……」

ごもっともな話である。

奉太郎「じゃあ、思い当たる事は無いか?」

摩耶花「うーん……あたしは特に……」

里志「僕もだよ」

奉太郎「……ますます分からんな」

俺がそう零すと、里志が一息付き、口を開く。

里志「と言うかさ」

里志「千反田さんと一番一緒に居たのはホータローだと思うんだけど、君の方こそ心当たりは無いのかい?」

俺が一番一緒に居た?

奉太郎「一緒に居た時間はお前らと同じくらいだと思うが、俺にも心当たりなんて無いぞ」

そう言うと、里志と伊原は顔を見合わせる。

里志「はは、昨日も言ったけど」

里志「周りから見たら、君たちは付き合ってるんじゃないかって思うほど仲が良かったんだよ」

里志「その片割れのホータローが知らないんじゃ、多分誰にも分からないんじゃないかな」

里志「勿論、千反田さん自身以外にはね」

奉太郎「……そうか」

摩耶花「ま、ここで話してても仕方ないわよね」

摩耶花「ちーちゃんは今、折木としか会う気が無いんだし……あんたがどうにかするしか無いのよ」

俺が、どうにかね。

奉太郎「伊原の言う通りだな、千反田本人がお前らと会う気が無い以上」

奉太郎「……はあ。 時間は掛かるかもしれないが、やれるだけやってみる」

奉太郎「昔の約束も、まだ果たせて無いしな」

摩耶花「昔の約束?」

奉太郎「タイムカプセルだよ。 全員で集まって掘り起こさないとな」

里志「……んだね」

今すぐには無理かもしれない。

千反田の気が変わるのを待つべきなのだろうか。

いや、あいつはああ見えて意外と頑固な所がある。 それを期待するのは馬鹿のやる事だ。

俺が、昔の事を "全て" 思い出せば……何かが分かるのだろう。

そう思いたい。

結局、頼みの綱は千反田の例の力になってしまうのがあれだが。

まあ、高校の時から謎の中心にはあいつが居たし、それは今も変わらないって事だろうな。

奉太郎「……よし、それじゃ俺はそろそろ帰る」

里志「お疲れさん」

伊原は家事でもしているのか、いつの間にか姿は見えなかった。

奉太郎「何か分かったら連絡する。 連日すまなかったな」

里志「いいさいいさ、どうせ僕も暇だしね」

里志「それに、千反田さんに何があったのか気になるし」

奉太郎「だな。 俺も気になっている」

里志「はは、まるで昔とは立場が逆だね。 僕達」

奉太郎「……どうだろうな」

奉太郎「意外とあいつ自身も、気になっているのかもしれないぞ」

里志「ありえそうだなぁ。 千反田さんなら」

「ふくちゃん! いつまでも話してないで手伝ってよ!」

玄関の前で立ち話をしていた所、家の奥の方から伊原の声が聞こえてくる。

奉太郎「呼ばれているぞ、あまり怒らせない方が良いと俺は思うが」

里志「んだね」

里志「最後に、ホータロー」

奉太郎「ん?」

里志「期待してるよ」

奉太郎「……そうか」

里志「違う違う、あの時みたいに返さないと」

あの時ってのは、高校の時の事か。

奉太郎「ああ……」

奉太郎「さいで」


~8話~
終わり

以上で第8話、終わりです。

乙ありがとうございます。

たまにはの書きながら投下を……

本編とは完全に無関係です。

ながらなので間隔が空くと思いますがご了承を

~放課後/古典部~

奉太郎「ん? 千反田だけか」

える「はい。 見ての通りです」

奉太郎「そうか」

える「伊原さんと福部さんは委員会の仕事があると仰っていましたよ」

奉太郎「ふうん。 あいつらも大変だな」

える「そうですね。 私達も何かお手伝いできれば良いのですが……」

奉太郎「【も】は余計だ」

える「折木さんはお手伝いしたくないのですか?」

奉太郎「当たり前だろ」

奉太郎「何故、俺がそんな面倒な事をしなきゃいけないんだ」

える「たまには良いと思うのですが……」

える「ですが、何も分からない私達が行っても却って迷惑かもしれませんね」

奉太郎「ああ、その通り」

える「今度、機会があったらどんなお仕事をしているのか聞いておきますね」

奉太郎「……俺はやらんぞ」

える「お話だけでも、聞きましょうよ」

奉太郎「知らん。 疲れる事はしたくない」

える「そうですか……」

奉太郎(……なんだか気まずい空気になってしまったな)

奉太郎(ま、関係無い。 俺は本でも読むとしよう)

奉太郎「……」

える「……」

える「あの、折木さん」

奉太郎「……何だ」

奉太郎「さっきの続きなら、もうさっき答えは言ったぞ」

える「いえ、そのお話じゃなくてですね」

える「私、少し気になる事がありまして……」

奉太郎「っ……」

える「折木さん?」

奉太郎「……」

える「聞こえてますよね? 折木さん」

奉太郎「……聞こえないな」

える「聞こえているじゃないですか」

える「私、気になるんです!」

奉太郎「少ししか気にならないんだろ、飲み込め」

える「先ほどまではそうだったのですが、折木さんにお話したらどうしても気になってきました」

奉太郎「なんだ、俺のせいか、なら仕方ないな聞いてやろう」

奉太郎「……ってなると思うか?」

える「思いませんが……ですが、お話だけでも聞いて欲しいです」

奉太郎「……はあ。 分かったよ」

える「本当ですか!」

奉太郎「先に言って置く、あくまでも話を聞くだけだ」

える「ええ、構いません!」

奉太郎(とは言っても、結局の所……)

奉太郎(だが、千反田がこうなった以上、素直に従った方が手短に済むな)

奉太郎「それで、気になる事ってのは?」

える「はい」

える「実はですね、折木さんが来る前まで、この小説を読んでいたのですが」

奉太郎「それは知っている。 俺が入った時に本を畳んだのが見えたからな」

える「そうでしたか」

える「それならばお話が早いです」

える「実はですね、小説の一文が気になったんです」

奉太郎「小説の文が? 誤字か?」

える「いえ、そう言う訳では無くてですね」

える「この文です。 読んでみてください」

奉太郎「……分かった、この文だな」

何気ない仕草、容姿、性格……その全てに僕は、恋をした。

奉太郎「……?」

奉太郎「別に、普通じゃないか?」

える「そうですね……普通だと、私も思います」

奉太郎「もし、千反田が俺の事をからかっているなら今すぐ帰る」

える「あ、いえ! そうでは無いです!」

奉太郎「なら、この文の何が気になったんだよ」

奉太郎(と言うか、千反田がこういう小説を読んでいる事の方が俺的には気になるが)

える「ええっとですね、私が気になったのはこれなんです」

える「この、恋と言う文字が気になったんです」

奉太郎「……まさか、恋とは何ですかって事を聞こうとしてるんじゃないだろうな」

える「流石です! その通りですよ、折木さん」

奉太郎「……はあ」

奉太郎「言っとくが千反田、お前と一緒に【恋とは何だろう】って頭を悩ませる体力は無い」

奉太郎「それに、なんとなくで分かるだろ?」

える「それは……分かりますけど」

える「ですが、折木さん」

える「似たような言葉、ありますよね?」

奉太郎「似たような言葉?」

える「ええ」

える「例えば……恋愛ですとか、愛ですとか」

える「色々、ありますよね?」

奉太郎「まあ、確かにそうだな」

える「そこでですが、それらの違いって何でしょうか?」

奉太郎「……哲学的な話か?」

奉太郎「まあ、そうだな……」

奉太郎「まず始めに、さっきの恋だが」

奉太郎「俺が思うに……一方的な感情って所かな」

える「一方的、ですか?」

奉太郎「ああ、そうだ」

奉太郎「例えばの話、恋をし合うだとか恋し合うとか、聞かないだろ?」

える「ええ、そうですね」

奉太郎「だから恋はあくまでも一方通行、要するに片想いって奴だな」

える「なるほど……確かに納得できました」

える「そうなりますと、この小説の主人公は片想いをしたって事ですね」

奉太郎「そうなるな」

える「それでは、恋愛とは何ですか?」

奉太郎「……まだやるのか」

える「はい、気になってしまいました」

奉太郎「さいで」

奉太郎「……恋愛か」

奉太郎「これはつまり、恋が片想いなら両想いって事だろうな」

奉太郎「二人が付き合ってからが、恋愛になるって訳だ」

える「……そうですか。 そうなりますと、愛とは?」

奉太郎「……それが難しい」

奉太郎「恋愛も愛も、同じ意味だと思うけどな……」

える「同じなのでしょうか」

奉太郎「……ううむ」

奉太郎「……そうだな」

奉太郎「恋が片想い、恋愛が両想いもとい既に付き合っている」

奉太郎「ここまでは、良いよな?」

える「ええ、大丈夫です」

奉太郎「なら、そうだな」

奉太郎「付き合っている状態から更に片方が片方に想う感情……と言うのはどうだろうか」

える「それは、片想いとは違うのでしょうか?」

奉太郎「違う。 既に付き合っている状態だと言ったろ」

奉太郎「つまり」

奉太郎「どちらかが恋をしてる段階では、愛しているってあまり使わないだろ?」

える「ええ、その様な使い方はあまり聞きませんね」

奉太郎「けど、一組のカップルが居たとして、その片方が相手の事を愛しているって言うのは普通じゃないか?」

える「確かに、普通だと思います」

奉太郎「んで、嫌な話になるが」

奉太郎「そのどちらかが、愛を忘れたら……それは恋に戻るんだろう」

える「……付き合う前の状態、って事ですね」

奉太郎「或いは……その恋すらも、無くなるかもな」

える「それは……少し悲しいです」

奉太郎「……かもな」

奉太郎「まあ、そうだな」

奉太郎「二人がより良い関係になる為には、愛を忘れるなって事だろう」

える「……なるほど。 」

える「良い関係を保つ為には、二人共に愛を覚えておく、と言う事ですね」

奉太郎「……ま、意識してする事でも無いと思うがな」

える「ふふ、それもそうです」

奉太郎「あー……」

奉太郎「一応言って置く、俺は恋愛経験とか誰かに恋をした事とか無いから、あくまでも適当に言っただけだ」

奉太郎「だから、そういう考えもあるんだなくらいに思ってろよ」

える「ふふ、分かりました」

える「ですが、折木さんにその様な経験が全く無いのは以外ですね」

奉太郎「そうか? そういう色恋沙汰は疲れるからなぁ」

える「そうでしょうか? 案外そうでは無いかもしれませんよ」

奉太郎「……ま、なってから考えるさ」

奉太郎「それより、千反田はそう言う事無いのか?」

える「わ、私ですか?」

える「私は……その」

奉太郎「なんだ、あるのか?」

える「そ、それよりです!」

える「折木さんは今も、恋はしてないのでしょうか?」

奉太郎「さっきも言っただろ、疲れるから……な」

奉太郎「まあ、けど……俺が気付いてないだけなのかもな」

える「そうですか、もしかして」

える「入須さんですか?」

奉太郎「なんで入須の名前が出てくるんだ」

奉太郎「嫌な奴を思い出させるな……お前は」

える「それでは……摩耶花さん?」

奉太郎「それは本気で言ってるのか?」

える「ふふ、冗談ですよ」

奉太郎「……さいで」

奉太郎「それより、元はと言えば千反田の話だろ」

奉太郎「お前は居ないのか?」

える「そ、それは」

える「……秘密です」


おわり

今更ですが
>>239
える「伊原さんと福部さんは委員会の仕事があると仰っていましたよ」 ×
える「摩耶花さんと福部さんは委員会の仕事があると仰っていましたよ」 ○

ですね、ゴメンナサイ。

こんにちは。

投下遅れていてすいません、明日には9話の投下致します。

へへへ、今日はエイプリルフールですので、実は投下なんて無いんだぜ!






って訳にも行かないと思うので、第9話投下致します

そうは言った物の、はてさてどうするか。

里志の言葉は俺に全てを託した事を意味する。 それが分からない程、馬鹿でも無い。

一番良いやり方は恐らく、記憶を戻す事だろう。

記憶を戻す何て言い方をすると、まるで記憶喪失みたいだが。

……しかし、そうも言えるかも知れないな。 あまりにも忘れすぎているし。

そしてその記憶を戻す方法だが、結局は千反田に頼るしか無い。

俺が一人で勝手に思い出せればそれで良いのだが、そこまで簡単には行かない。

断言するのにはしっかりと理由がある。 あれから何日もの間、必死に思い出そうとしていたからだ。

しかしそんな努力も虚しく、まるで思い出すことはできなかった。

もし、この状況を見ている奴が居たら。

「何故、千反田と会わないのか」

との疑問を口にするだろう。

言わせて貰うと、俺も最初はそのつもりだったのだ。

しかし、どうにもあの日から千反田には会えずに居る。

最初の何日間かは夜遅くまで公園で待っていたのだが、それが一週間を過ぎた辺りからそれも止めた。

……次の日の仕事が辛くなるから。

眠気と言う物には、どう頑張っても勝てる気はしない。

まあ、とは言っても一応は毎日……帰り際に公園を覗いてはいる。

それでも結局、今日まで会えず仕舞い。

そんな事を考えながら、平日の昼間、俺は呑気にもテレビを見ながら昼食を取っていた。

普段なら会社に居る筈の時間。

別にずる休みをした訳でも、何かの病気にかかっている訳でも無い。

休みなのだ。 お盆休み。

あまりこう言う事は言いたく無いが、俺が勤めている会社はそれなりに良い所である。

そのお陰か、休みはたっぷり二週間は貰えていた。

流石にこれだけ休みがあると、どうにも暇で仕方ない。

去年までは、どうせなら休みなんて無くてもいいな。 と思っていた程である。

今年は、少し違うが。

俺には今、やるべき事があるからだ。

良くは分からない、何故かは分からない。

どうしてそう思ったのか、またしても無駄骨に終わる可能性の方が高いだろう。

けど、俺は今日……またあの公園に行けば、千反田に会えるのでは無いかと思っていた。

やはりと言えばいいのか、こういう時。

俺はもしかすると、何か特別な力でも身に付いたのかもしれない。

える「こんばんは、折木さん」

千反田と会える日が分かる力。 どう考えても有効活用できる気がしない。

奉太郎「久し振りだな」

える「そうでしょうか?」

奉太郎「もう帰ったのかと思った。 急に来なくなったからな」

える「一応、毎日来ていましたが……」

奉太郎「毎日?」

おかしいな、その割には一度も会えなかったのだが。

える「ええ、日が沈んでからなので……八時頃には、居ましたよ」

奉太郎「……俺もそのくらいの時間には来ていた筈だけどな」

える「むむ、不思議ですね」

不思議と言うか、なんと言うか。

奉太郎「違う公園にでも行ってたんじゃないか、お前」

える「いえ、その筈はありません」

える「折木さんの方こそ、じゃないですか?」

奉太郎「俺が? うーん」

と言われると、何だか自信が無くなって来る。

でも、確かにここに来ていた筈なんだが。

える「ふふ、冗談ですよ」

奉太郎「……は?」

える「ですから、冗談です」

える「すいません、ついつい」

奉太郎「えーっと、何がだ」

える「……折木さんのお仕事が忙しそうだったので、お休みになるまで待ってたんです」

ああ……そういう事か。

いやいや、納得してどうする。 性質の悪い冗談を言う奴だ。

奉太郎「……さいですか」

える「ごめんなさい、折木さんの反応が面白かったので」

口に手を当てながら笑う千反田を見ていると、何故か俺の方が悪い事をした気分になってきてしまう。

奉太郎「……ま、いいけどな」

奉太郎「それより」

奉太郎「俺は仕事が休みの日、教えたっけか」

える「いえ、折木さんからは聞いてませんよ」

奉太郎「俺から『は』って事は、誰かから聞いたんだな」

える「はい。 その通りです」

える「入須さんに教えて貰いました」

入須……誰だっけ。

える「……折木さん、まるで誰か分からない様な顔をしていますが」

奉太郎「あー、あー」

奉太郎「入須冬実か」

危ない危ない、何とかギリギリで思い出せた。

える「……本当に忘れていたみたいなので、あまりその事は聞かないでおきますね」

良い気遣いだ、実によろしい。

奉太郎「……それにしても、何故に入須が俺の休みを把握しているんだ」

える「それがですね、私も最近知ったのですが」

える「折木さんの会社、どうやら入須さん系列の会社らしいですよ」

恐ろしい繋がり方をしてしまった。

奉太郎「入須グループ恐るべきと言えばいいのか、こんな時は」

える「それでですね、折木さんがお休みの日を教えて頂いたんです」

なんか、そこだけ聞くと少し危ない人では無いだろうか。

奉太郎「……ま、それなら納得が行くな」

える「ええ、最後に会った日」

える「折木さん、少し疲れていた様子でしたので」

これだ。

結局、こいつの根本的な所は優しさや気遣いで出来ているのだ。

だから俺も、千反田の行動には明確に嫌悪感を抱いた事などただの一度も無い。

千反田はいつだって、誰かの事を想いながら動いている。

それのどこに、嫌な気持ちを感じる奴が居るものか。

える「ところで、どうでした?」

奉太郎「どうってのは……何が?」

える「この前の事ですよ、摩耶花さんと福部さんにお話すると仰っていたので」

ああ、あれか。

奉太郎「まあ、特に変な事は言っていなかったが」

奉太郎「二人とも、会いたがっていたよ」

える「そうですか。 それは嬉しいお話です」

奉太郎「なら」

奉太郎「……いや、それはお前が決める事だな」

千反田は多分、俺がどうしてもと言えば理由は教えてくれるだろう。

教えてくれないにしても、伊原と里志には会ってくれる筈だ。

けど、俺はそんな千反田の気持ちを無視した行動はしたくなかった。

理由も知らず、無理に俺の想いをぶつける様な真似だけはしたくなかった。

奉太郎「なあ、千反田」

える「はい、何でしょうか」

奉太郎「また、この前みたいに俺の忘れた記憶、思い出させてくれるか」

える「忘れた記憶を思い出させる訳では無いですよ」

奉太郎「ん、違うのか?」

える「ええ、違います」

える「それは確かに、折木さんが覚えている事なんですよ」

奉太郎「俺が、覚えている?」

える「はい、そうです」

える「恐らく、私にも良く分かって居ないので推測ですが」

える「折木さんは、忘れようとしていたのではないですか?」

奉太郎「忘れようと……」

える「ええ、都合の良い様に、解釈していたのではないですか?」

える「意地悪かもしれませんが、折木さんの事を悪く言っている訳ではないですよ」

える「人間誰しも、嫌な事は忘れたいんです」

都合の良い様に、か。

……かもしれない。

千反田がこの町を去ると聞いて、俺はあの時……嫌だと思っていた筈だ。

それを都合の良い様に、聞いていない事にした。

だったら、俺がするべき事は何なのか。

える「そのままでも良いのではないでしょうか」

奉太郎「そのままでも?」

える「……都合の良い様に覚えたままでも、と言う事です」

奉太郎「……それは」

美しい思い出のまま残したいと言うのが、本音になる。

人間誰しも、嫌な思い出なんて忘れ去りたい筈なのだから。

それが普通。 当たり前。

このまま千反田とくだらない世間話をして、家に帰り、仕事をする。

千反田もいつまでも居る訳じゃないが、それが何も掘り返さない、一番平和的な終わり方なのだろう。

折木奉太郎の、物語の終わり方。

元はと言えば、俺はそもそも、こんな無駄な事など望んでいない筈だ。

確かに、変化は求めていたのかもしれない。

つまらない毎日、つまらない休み、つまらない生活。

そんな中で、何かの変化を求めていた。

けど、俺が求めていたのは『些細』な変化だ。

こんな、昔の事を丸々引っくり返してしまうような変化では無い。

俺は美しい思い出は、美しい思い出のままで残して居たいと考える。

ただし。

ただしそれは。

奉太郎「なるほど、確かにそうかもな」

奉太郎「都合の良い様に、塗り替えていたんだろうな、俺は」

奉太郎「良い思い出は良いままでありたいし、悪い思い出は消し去りたいだろうな」

える「……私は、そう思います」

奉太郎「なら、思い出させてくれ」

える「何故、でしょうか?」

奉太郎「さっき言った通りだ」

奉太郎「良い思い出はそのままで、悪い思い出は消したい」

奉太郎「それが出来れば、最高なんだろうな」

奉太郎「だが、俺はそんな都合の良い思い出なんていらない」

奉太郎「良い事も、悪い事も、全部まとめて今の俺なんだよ」

奉太郎「まあ、今は忘れている訳だから……今ってのは間違いかもしれないが」

正解でも間違えでも、別にどうだっていい。

ただ、千反田との思い出……いや、古典部全員との思い出は、偽りたく無かった。

える「ふふ、そうですか」

える「分かりました、折木さんのお気持ち」

える「私も出来る限り、協力します」

える「それに今の折木さん、格好良かったですよ」

そう言い、小さく拍手をする。

奉太郎「やめろ、千反田」

ニコニコと笑いながら手をパチパチさせる千反田の動作には、可愛らしい物があったが、正直恥ずかしいのでやめて欲しい。

奉太郎「ならとっとと、思い出させてくれ」

奉太郎「忘れた記憶じゃなく、本当にあった思い出を」

える「分かりました」

千反田はそう言うとすぐに立ち上がり、俺の頬を両手で挟んでくる。

意識が遠くなるのを感じながら、ふと思った。

何故、千反田の言葉には一貫性が無いのだろう?

あいつは最初、俺の記憶を思い出させるのに積極的だった筈だ。

なのに、今は……今日は、消極的だった様に思える。

何故なのか、今の俺には分からなかった。


~9話~
終わり

以上で第9話終わりです。

乙ありがとうございました。

これは前作とつながってますか?

こんばんは。
投下遅れていてすいません。 第10話を投下致します。

>>296
前作とは繋がっていません。
奉太郎「古典部の日常」
える「古典部の日常」

↑この二つは繋がっていますが、今書いている物は別物となります。

遅い。

……違うな、別にあいつが遅れている訳では無い。

俺が少々、来るのが早すぎたと言う所だろう。

ある夏の日の昼過ぎ、普段なら家の中で扇風機と向かい合っているであろう俺は、自分で言うのもあれだが、珍しく外出をしていた。

とは言っても、自ら望んでそうした訳では無い。

時間は少々遡る、今は十五時……約束の時間までは三十分程あるだろう。 暇潰しに思い出すには良い機会かもしれない。

目の前に電車が止まり、発車していく。

年季が入っているであろう雰囲気を漂わせながら、ゆっくりとその電車は、俺の視界から消えて行った。

「折木さん、この前のお約束、覚えていますか?」

そんな声が、正面から聞こえてきた。

今は部室。 一日が終わり、俺は古典部で小説を読んでる所だった。

一日と言っても、今が夜って訳では無い。 学校でするべき事が終わっただけである。

つまりは授業が終わり、今は放課後と言う事。

特に真っ直ぐ帰る必要も感じず、静かに小説を読んでいる所に、千反田が声を掛けてきたのだ。

奉太郎「約束? ああ」

奉太郎「折木さんにはお世話になったので、卒業まで部活は休みにしましょうって奴か?」

える「……そんな約束はしていませんが」

それもそうだろう。 俺だって、そんな約束はした覚えが無い。

奉太郎「冗談だ」

える「折木さんも、前に比べて随分と冗談を言うようになりましたよね」

千反田が少々おかしそうに、俺にそう言った。

そうだっけか、自覚は無いんだけどな。

奉太郎「まあ、それは良いとして」

奉太郎「約束ってのは何だ? 身に覚えが無いぞ」

恐る恐る、俺は聞いた。

何分、本当に身に覚えが無いだけあり、とんでもない約束だったらどうしようと思ってしまうから。

例えば、そうだな。

古典部でどこかに『思い出作り』に行くだとか、そんな感じか。

別に嫌って訳では無いが、前の山登りやタイムカプセルや、そんなしょっちゅう思い出作りをしていたら、ただのお遊びになってしまうだろう。

だが、千反田の口から出た言葉は俺の予想していた範囲ではなかった。

える「お墓参りです」

奉太郎「……は?」

思わず、素っ頓狂な声が出てしまう。

ええっと。 お墓参り?

千反田とお墓参りをする約束なんて、したっけか。

ううむ……

千反田の言動に脈絡が無いのは今に始まった事では無いので、俺は記憶を遡らせながら、考える。

千反田。 お墓参り。

……ああ。 あれか。

奉太郎「……あー」

奉太郎「千反田の叔父、関谷純か?」

える「はい、そうです」

確かに、確かにそんな約束をした覚えはある。

えーっと。 かなり昔じゃないか、でも。

言われなければ、多分一生俺は思い出さなかったのかもしれない。

奉太郎「そういえば、約束していたな」

奉太郎「……けど、何故今になって」

える「忘れていた訳では無いんですけど、良いタイミングがあまり無かったので」

それもそうか。

千反田の家の事情があったり、古典部での活動があったり。

神山市の行事があったり、またまた千反田の家の事情があったり。

……行事については、俺の関係の無い事だが。

と言うか、行事だけでは無く、ほとんど千反田のせいでは無いか、俺は常に暇なのだから。

けど、そうだな。

奉太郎「ま、千反田のタイミングが良いなら別に良いか」

奉太郎「分かった。 その話をしたのが確か一年生の時だから、もう二年くらい経つのか」

奉太郎「今更だが、約束を破る訳にもいかないしな」

と、渋々、仕方なく。 千反田の墓参りに同伴する事にした。

……こんな言い方をすると、まるで千反田が亡くなられたみたいな感じになるから言い直しておこう。

正しくは。

関谷純の墓参りに行く千反田に、同伴する事にした。

そして今、俺は駅のホームに設置してあるベンチへと腰を掛けている。

一般的に夏は終わっているのだが、残暑はまだまだ厳しかった。

何故駅に居るかと言うと、何でも関谷純の墓は俺たちの地元から、少しだけ離れた場所にある様なのだ。

とは言っても、電車に乗ればほんの十五分程で着く距離である。

本当の事を言えば、自転車で行っても良かったのだが、こんな暑い中、女子に自転車を漕がせるのはあまり気が進まなかった。

だから俺は昨日、千反田に電話で予め言っておいた。 必ず電車で行こうと。

念を押して。 別に俺が疲れるから自転車が嫌だと言う訳では無い。

そういう事にしておこう。

暑くない、暑くない。

いや、無理だ。 暑いものは暑い。

人間、諦めが肝心とも言うしな。

一人寂しく、そんな馬鹿な事を考えながら時間を過ごす。

暑い。 暑くない。

そんな無駄な問答を頭の中で繰り返す。

……帰ろうかな。

一応、その前に時間を確認しておこう。

ええっと、時刻は……十六時?

いくらなんでも遅すぎでは無いだろうか。

ううむ、いくつか考えられる推測はあるが……果たして。

その壱。

千反田家には伝統的に、墓参りに行こうと言って約束をすっぽかす風習がある。

その弐。

そんな風習は無いが、千反田が俺と会ってから初めてのドジっぷりを発揮し、約束自体を忘れた。

その参。

千反田の身に、何かがあった。

さあどれだろうか。

消去法で行くと、残るのは三番目か。

前の二つは絶対にありえないだろうしな。

いや、二は無いにしても、一の可能性は無くも無いか?

まあ、そんな風習があったら今後の付き合い方を考え直さねばならんが。

となると、やはり確率的には三番目、か。

全く、とんだ厄日になるかもしれないな。

と頭では思っていたのだが、体はそれよりも早く動いていた。

ベンチから立ち、駅の改札を目指す。

改札と言っても、ほぼ無人駅みたいな駅だが。

体が勝手に動くとはこういう事だろうか?

頭では探しに行くのは面倒だとか、かったるいだとか思っているが、体の方はどうやら千反田を探しに行くとの選択を取ったようである。

そうは言っても、まさか体の方に意思がある訳でも無いので、頭でもそう思っているんだろうな。

先程買った切符を改札の中に放り込み、駅から外に出る。

える「あ、こんにちは。 折木さん」

丁度出た所で、悪びれる様子も無く、千反田はそこにいた。

奉太郎「……はあ。 遅れるならそうと言ってくれ、心配したぞ」

える「あれ? お約束の時間は十五時三十分、でしたよね?」

奉太郎「そうだ。 もう十六時だぞ?」

える「……ああ、分かりました」

える「折木さんの時計、時間ずれていませんか?」

とんだ厄日だった。 全く。

千反田はやはり、時間通りに来ていたのだ。

俺はずれていた時計の時刻を千反田の時計に合わせ、二人で電車が来るのを待つことにした。

千反田の時計がずれていたんじゃないか? との反論も出来なくは無かったが、駅に設置されている時計からすると、どうやらずれているのは俺の時計の方らしい。

奉太郎「その四だったか……」

える「その四、ですか?」

奉太郎「ああ。 いや、何でもない。 こっちの話だ」

俺がくだらない可能性を考えていたのは、あまり知られたく無かった。

その壱だとか、その弐に関して、千反田に何を言われるか分かった物では無いしな。

参はまあ、考えるだけ無駄だ。

奉太郎「にしても、電車来ないな」

える「次は十六時に来るみたいですね。 十六時です」

奉太郎「何で二回言ったんだ。 わざとだろ、千反田」

える「いえいえ、そんな事ありませんよ。 次に電車が来るのは十六時です」

わざとだ、絶対にわざと言ってやがる、千反田の奴め。

奉太郎「……まあいい。 にしても千反田、やけに涼しそうだな」

える「そうですか? ですが、確かに暑くは無いですね」

奉太郎「俺は今にでも倒れそうだ。 残暑などいらない」

える「良いじゃないですか。 季節の移り変わりは、美しい物ですよ」

奉太郎「……ふうん。 俺には分からないな」

奉太郎「しかし、千反田。 本当に暑く無さそうだな。 汗一つ掻いてないし」

える「ふふ。 私、元々あまり汗を掻かないんですよ」

奉太郎「そうなのか、それは羨ましい限りだな」

との無駄話をしていた所で、どうやら時刻は十六時になった様である。

その証拠に、俺と千反田の目の前に、やたら年季の入った電車が停車した。

奉太郎「よし、それじゃ行くか」

える「ええ、行きましょう」

その言葉を聞き、電車の中へと入ろうとした所で、千反田が後ろから再度声を掛けてきた。

える「あの、折木さん。 あちらの車輌にしませんか?」

と千反田が指す先は、その電車の先頭車両であった。

奉太郎「ま、構わんが」

俺は別段、どの車輌が良いなんて好みは無いので、そこは千反田の好みに合わせてやる事にする。

奉太郎「電車は好きなのか?」

える「電車、ですか? どちらかと言われれば、好きな方になるのでしょうか? 特別好き、と言った訳でも無いですが」

奉太郎「そうなのか。 先頭が良いって言うから、てっきり電車が好きなのかと思った」

える「ああ、そう言う事でしたか」

える「特別好き、と言う訳では無いですけど。 折木さんは一番前の車輌って、ワクワクしたりしないんですか?」

奉太郎「うーん。 どうだかな。 あまり気にした事は無いかな」

える「そうですか。 では今日は思いっきり楽しみましょう!」

と言われたからと言って「わーい! 楽しむぞー!」とはならない。

そこまでの元気は無いし、流れて行く風景を見ていた方が楽しめるから。

まあ、でも。

先頭車両にだけある窓。

電車が進む道が見える窓を楽しそうに見ている千反田を見ていたら、千反田が先ほど言っていた、ワクワク感ってのが、少しは俺にも分かったかもしれない。


~10話~
終わり

以上で第10話、終わりです。

乙ありがとうございます。

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