少女「のんべんだらりと」 (86)
ある日、村に商人が来た。
ぶくぶくと太ったその商人はつまらなそうな顔で何もない村を練り歩き、土まみれの村人たちと何か話しをしていた。
そして翌日の夕卓、家族全員が集まる中で突然に父がわたしに言った。
「お前は明日から町で働くんだ」
きょとんと首を傾げるわたしに母が続ける。
「あなたはこんな寂れた村より町に行った方がいいわ。町なら一杯ご飯も食べれるし、あたたかい暖炉にもありつけるわ」
母が言うと、食卓に並んだ兄姉たちが一斉に不満の声を上げた。
「えー、なら私たちも町に行きたい!」
「一人だけずるいよ!」
そうやって唇を尖らせてむくれる兄姉たちを、母はその痩せこけた頬を緩めて優しくなだめた。
そして母は疲れたようなその笑みをそのままわたしに向けてきた。
「行って、くれるわね?」
わたしは答えず、逆に質問を返した。
「勇者様に会える?」
今度は母が目を丸くする番だった。
母はしばらく呆然とした後、困ったように、こんな小さなわたしに媚を売るよう一層笑みを深めた。
「え、ええ……、町に行けば勇者様にも会えるし、王様や王女様とも会えるわよ」
目が泳いでいた。
だがわたしは満面の笑みで即答した。
「わーい! ならわたし町に行くー!」
「よし! それなら今日は町への送り出し記念に豪勢な晩飯だ!」
すかさず父が割り込んで来て、わたしの言葉を決定事項にする。
話をとっとと打ち切るように、また何かから逃げるように。
やがて質素ないつもに比べようもない、より格段に豪勢な晩餐が執り行われる。
兄姉たちは不満たらたらにわたしに嫌味を言っていたが、今まで食卓に一度も上がったことの無い肉料理というものを母が土間から持って来たのを見て、関心はすっかりそちらに移ってしまった。
久しぶりに、みんな笑顔の食卓だった。
それだけで十分だった。
初めての肉料理、なんの味も感じなかった。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1394410459
幌馬車が村を出る。
わたしは家族が見えなくなるまで手を振り続けた。
やがて村が見えなくなると、幌馬車の中にいた屈強な身体の大男が立ち上がり、幌馬車の後ろの出入口を塞いだ。
奴隷たちを逃がさないためだ。
わたしは全部知っていた。
魔族との戦争は終わった。勇者はもういない。
王都は遠く離れていて、今から行く町に王様や王女様がいるわけもない。
わたしは売られたのだ。お父さんとお母さんに。
でも、仕方ない。
村は貧しい。連日食べる物に困るくらいに貧しい。
誰かを切り捨てなければ餓死するしかないなら、働ける兄姉より足手まといな末娘を切り捨てるというのも理にかなっている。
ただ、だけど……
わたしは幌馬車の中を見渡す。
嬉しそうに鼻歌を鳴らす男の子、無言の少女、しゃくりあげて泣いてる子。
自分と同じように売られた子が、たくさんいた。
そのまま首を回して幌馬車の外、見えないと分かっていて村の方を見ようとするが、大男に怒鳴られて顔を逸らした。
でも、こっそりとわたしは横目で幌馬車の外を見続けた。
もしかしたら、父が、母が、走って追い縋って来てくれるかもしれない。
あり得ないと理性で分かっていても、ずっと外を見続けた。
そんな淡い期待に縋らないと、大声で泣き出してしまいそうだったから。
やがて雨が降り出した。
最初ぽつぽつと幌が雨を弾く程度だったが、とうとうどしゃぶりになって雨が辺りを陰らせる。
大男と、商人と、馬を扱う御者が顔を合わせて今後の事を話していた。曰く、
「はやく町につかねば」
「視界が悪い、今日はどこか落ち着く場所で一休みするべきだ」
「そんな時間は無い」
「なら数刻ほど雨宿りをして様子見しましょう」
そう結論づいて適当な場所で雨宿り。
だけど商人ごねる。
仕方なく渋々と再出発。
追加で切り立った崖の近道強行。
雨がザーザー、ザーザーザーザー。
説明が雑になる。
ここらはよく覚えてないからしょうがない。
というのも誰しも予想がつくだろうけど……
~ 崖下 ~
少女「あ、ぐぇ……っ!」
泥の山を掻き分け、這いずり出ては口から泥を吐き出す。
何が起こったのか理解出来なかった。
轟音と衝撃に襲われたと思えば泥の中。
泥だらけの顔を降り続ける雨水で拭って振り返ってみれば、今まで自分が乗っていたはずの幌馬車が泥土と岩に押し潰されていた。
唖然とする少女だが、そこでやっと自分たちが土砂崩れに巻き込まれたと解を得た。
「は、はやく助けないと……」
意識の混濁する頭を押さえながら立ち上がろうとするが、上手く立ち上がれない。身体が痺れている。
何の気なしに、本当に何の気なしに自分の身体に目を落とし、そこで少女は言葉を失った。
自分の両脚の膝から下が無くなっていた。
泥水に汚れた脚はねじ切った不揃いな断面に砕けた骨の白と血肉の赤を覗かせ、端にボロ布のようになった皮を垂らしているだけ。足首も指もどこにも無い。
少女「……」
豪雨に晒されながら愕然と、変わり果てた自分の両脚を眺め続ける。
痺れた切断面にジリジリと痛みと熱が宿り始める。
コレは現実なのだと、夢では無いのだと、ノコギリで削られるような激痛を以て身体が執拗に訴え始めたところで、固まっていた少女はやっと動き始めた。
少女「あ、ああ……、あああぁぁぁぁーッ!!」
今まで出したことの無い悲鳴を上げながら、少女は潰れた馬車の残骸に背を向けてその場から逃げ出した。
泥の飛沫を撒き散らし、豪雨で全身水浸しになりながら全力で這って逃げ出した。
逃げるうちに、おぼろげだった頭から霧が吹き飛び、さっきまで気が付かなかった自分の状況が目に飛び込んできた。
絶望的としか言い様の無い光景だった。
腹は破れて腸が飛び出し、左腕はあらぬ方向に曲がっている。
胸はずきずきと痛み、吐く息にはおびただしい量の血が混じっていた。
そして、それらを納める視界は左半分ほどしか機能していなかった。顔がどうなっているか少女には怖くて確かめようもない。
少女は這いずり逃げながら泣き叫んだ。
少女「助けて! 助けてッ! お父さん! お母さん!」
何度も何度も、自分を売ったはずの両親の名を叫びながら助けを求めた。
少女「お父さん! お母さん!」
しかし両親の助けはあるはずも無く、降り続く雨に打たれた少女の身体は氷のように冷えきり、血はとめどなく腹から溢れて少女の這った跡を地面に赤い筋となって残した。
どれほど進んだか、命を削りながらの逃避も唐突に終わりを迎える。
少女の視界が徐々に狭まり始めた。
また急速に少女の身体から力が抜けていく。
痛覚、聴覚、あらゆる感覚が遠退いていく。
満身創痍の身体が限界を迎えたのだ。
それでも少女は必死に折れた腕を動かして身体を前進させようとするが、身体は言うことを聞いてくれず、力尽きて泥の中に倒れこんだ。
破れた肺が呼吸を止める。
心臓の鼓動が消えていく。
終わる。すべてが終わる。
死の間際、少女は最後の力を振り絞って虚空に手を伸ばした。
怖かった。
孤独に死ぬという事が、一人で恐怖を抱えたまま消えてしまう事が怖かった。
誰でもよかった。傍にいて欲しかった。たったそれだけで救われた。
だから自分の前にその影が現れたのを見たとき、それが何なのか、果たして実像か幻影かも分からないままに少女は救いと確信して安堵に頬を緩めた。
少女「……あ、りが……とう……」
虚ろな瞳で少女が最後に伸ばした手は何も掴まずに空を切った。
かすれた声でつぶやいた感謝の言葉は、どうどうと降り続ける雨に埋もれて泡沫のように消えていった。
~ アルラウネの森・広場 ~
アルラ1「あめあーめ」
アルラ2「じめじーめ」
アルラ3「水は欲しいけど日の光も欲しいのー」
ぱたぱたと両手を振る緑髪の少女たち――アルラウネ。
植物のツボミやコンパクトな切り株に下半身を収め、背丈は五十センチ程。
子供のように元気溌剌とした気性の彼女たちは妖樹族と呼ばれる魔族で、この森に人知れず群生していた。
アルラ4「何か事件ないかなー」
アルラ5「ないかなー」
アルラ6「風もないのにゆーらゆらー」
のんべんだらりと時間だけが過ぎていく。
妖樹族のスローリーな日常。
しかし突然、一人のアルラウネが静寂を破って広場に走り込んできた。
アルラ7「ちょっとみんなー! たいへんたいへん!」
アルラ8「おや、どうしたねアルラ曹長?」
アルラ9「アレだよ、トレントのジジィがセクハラこいたんだよ」
アルラ2「あのクソジジィ!」
アルラ1「よし、シメに行こう!」
アルラ3「根性焼き! 根性焼き!」
アルラ7「ちがうのー! いいからみんな来てー!」
アルラ2「ふぅ……やれやれだぜ」
アルラ6「仕方ないねぇ、まったく」
アルラ8「それでどっちどっち?」
アルラ7「こっちこっち! きてきてー!」
~ 森の入口 ~
アルラ1「ありゃー、死体だー」
アルラ2「グッド養分!」
アルラ3「穴ほって埋めちゃえ埋めちゃえ」
アルラ4「養分は山分けねー」
アルラ7「ちがうのー! このひとまだ生きてるのー!」
アルラ5「いきてる? おーい!」
少女「…………」
アルラ6「返事が無いの、ただのしかばねのようなの」
アルラ7「生きてるのーッ!」
アルラ8「息してないの、死んでるの」
アルラ9「心臓も止まってるの、死んでるの、間違いないの」
アルラ7「生きてるもん! さっきまで生きてたもん! わたしに手を伸ばして来たもん!」
アルラ1「でも今は死んでるよ?」
アルラ7「うぅ……生きてるもん! ぐすっ」
アルラ2「泣かないで、泣かないで」
アルラ7「……うん」
アルラ1「それでユーはこの人をどうしたいの?」
アルラ7「……助けてあげられないかな?」
アルラ2「難しいの」
アルラ8「しかし、不可能を可能にするのが我らアルラウネ軍団」
アルラ5「やってみるの!」
アルラ7「ありがとーみんなー!」
~ 五分後 ~
アルラウネに先導され、老木がズシリズシリと音を響かせながら森の入口までやってきた。
アルラ2「ジジィを引っ張ってきたのー」
トレント「な、なんじゃなんじゃ!? ワシは覗きなんてしとらん!」
アルラ3「……手鏡」
トレント「ぎくぅ!? それでもワシはやっておらん!」
アルラ4「コイツもう焼いちゃおう」
アルラ2「火打ち石をカチカチ……」
トレント「待て待て! おぬしらはワシに何か話があったのでは無いか?」
アルラ1「あ、うん。それなんだけど……」
アルラ7「女の子を助けて欲しいの!」
トレント「任せたまえレディ諸君!」
アルラ5「即答!?」
トレント「それでその少女とやらは?」
アルラ7「こちらです」
少女「…………」
デローン。
トレント「グロッ!? やっぱワシおりる!」
アルラ9「最低だコイツ!!」
アルラ7「お願いなの……、他に頼れる相手もいないの……」
トレント「しかし……じゃなあ? さすがに死んだ者は」
アルラ1「呼吸と心臓が止まっても、生き物はしばらくは生きてるの。望みはあるの」
トレント「じゃがなぁ……」
アルラ2「ふーん? ならもうジジィには頼まないの」
アルラ7「えっ!? でもそれじゃ」
アルラ1「しっ! 黙って見てるの」
トレント「うむうむ、面倒じゃし他に頼めばよい」
アルラ4「あーあ、もったいないなー」
トレント「む? 何がもったいないのじゃ?」
アルラ5「この女の子、助けたら文字どおり『命の恩人』になれるのになぁ……」
アルラ6「命の恩人には必死で尽くしてくれるだろうになぁ……」
アルラ8「裸で自分の胸板使って背中をゴシゴシしてくれたりもすると思うのになぁ……」
トレント「何をしておる! オペの準備じゃ! 妖樹族の黒男・トレントに不可能は無い!」
アルラ7「やったー!」
~ オペ ~
トレント「普通のやり方では無理じゃ! ワシの体を使う!」
アルラ1「いったいどうやって!?」
トレント「ワシの上部をぶった斬り、中身を放出!」
すぽーん。
トレント「筒状になった内部に少女を放り込む! よし、今じゃ! おぬしらの樹液を流し込んでくれ!」
アルラ軍団「おえーっ」
どぱどぱどぱどぱどぱどぱ
トレント「ここで回復魔法最大出力じゃー! ぐぎぎぎぎーっ!」
アルラ7「ガンバ! ガンバ!」
トレント「くぅ……、老体にはツライ! 悪いがおぬしら、森中から魔力的なサムシングを集めて来てくれ!」
アルラ2「魔力的なサムシング?」
トレント「あーこれ多分効くなー、絶対効くわー、……って感じの物品を集めて来るんじゃ!」
アルラ8「また無理難題な」
アルラ9「でもやるしかないの」
アルラ1「よし、各員散開してアイテム探しなの!」
アルラ軍団「ラジャー!」
~ さらに数分後 ~
アルラ1「黄金のカブト虫」
アルラ2「森ババアの秘薬」
アルラ3「錆びた魔剣」
アルラ4「味噌」
アルラ5「緑魔石」
アルラ6「うりえん」
アルラ7「龍の生き血」
アルラ8「セミの脱け殻に魂が宿ったモンスター」
アルラ9「いかにもラスダンまで使わなそうな非売薬」
トレント「よし! 全部ワシの中に放り込め!」
アルラ軍団「それー!」
ぼちゃん、ぼちゃん
トレント「よしよし! じっくりトロトロ愛情と手間暇かけて煮込んでいくぞ!」
アルラ1「それで、どんな感じ?」
トレント「生存率は大きく見積もっても30パーセントがよいとこじゃな」
アルラ7「うぅ……低い」
トレント「まあ、どっちにせよ、しばらくは様子見じゃて……のんびりしよう」
アルラ7「はーい、のんびり待ちますー」
アルラ2「中の女の子にエロいことしちゃダメだぞジジィ?」
トレント「大丈夫じゃ、まだ手は出さんよ」
アルラ3「……まだ?」
トレント「ふぉっふぉっふぉっ、命の恩人になった暁にはワシ専属メイドになってもらう予定じゃからな! 触り放題じゃ!」
アルラ4「お、おお……まったくブレない……っ!」
アルラ8「安心した、いつものゲスジジィだ」
アルラ6「でもそうなるとジジィは死ぬ気で女の子を治してくれるだろうから口を挟めぬジレンマ」
トレント「ふぉっふぉっふぉっ」
アルラ7「それじゃ、おまかせします」
トレント「任せよー」
~ 帰り道 ~
アルラ7「治るかな?」
アルラ1「治るよきっと」
アルラ2「死んじゃったらみんなの養分にしてあげよう」
アルラ3「そうだね、繋がりを持たないまま死ぬのはつらいからね」
アルラ4「形は無くなれど、残せる物はある」
アルラ5「その言葉いい感じ! パクっていい?」
アルラ4「ダメ!」
アルラ6「……あれ? 雨やんでる?」
アルラ8「あ、本当だ。お日さまタイムお日さまタイム」
アルラ9「もう夕方でんがな奥さん」
アルラ7「……治ればいいなぁ……」
黒く塗り潰された影絵のような人々が、地平線の向こうでゆらゆらと揺れている。
わたしはみんなと合流したくて走り続けるが、走っても走っても影には追いつけずに距離は開いていく一方。
疲れた。
わたしが足を止めたところに、ちょうどよく魔王が降臨。
魔王「乗るかい?」
ナイスバリトンボイス、ナイス魔王。
でも魔王はちょっと……。
商人「乗るかい?」
事故るって知ってるので遠慮します。
……? 事故?
言ってから思い出す。そして高速理解。
あっ、これ夢か。
景色が溶けていく。目覚めが来る。
うむ、今回の夢は60点。もう少し頑張れわたしの脳味噌。
意識が覚醒していく。
夢と現実の境界が朧になると、夢はシャボン玉のように呆気なく割れて消えた。
~ 現実 ~
少女「……」
眠りから覚めた少女はゆっくりと瞼を上げた。
周囲の景色が目に映る。
前後左右は茶色の壁。それが弧を描いてぐるりと少女を囲んでは円筒形のスペースを構築している。
空間は両腕を伸ばせるくらいには広く、わりとゆったりしていた。
少女「井戸……ッ?」
呟きと一緒に少女の口から気泡が零れた。
少女は目を丸くする。
気泡は宙に珠を浮かべ、空へ向けて登っていった。
どうやら、ここは水の底のようだった。
よくよく見てみれば、視界全体に琥珀色のフィルタが掛かっている。水の色だろうか。
というか、何故水の中なのに呼吸もせずにいられるのだろう。
少女は小首を傾けて考え、考え、考え。
少女「……すやすや」
二度寝した。
――さて、まどろみに再突入。
少女が睫毛を伏せてガン寝を決め込んだ時だった。
?「起き~ろよ~起きろ~」
少女「……?」
子供の声が聞こえた。
それは聞き間違えではなく、のんびりとした曲調の歌となって続く。
?「ね~むる子は~おっきくな~る、ことこと~じゅくせい~」
声を追って少女が見上げれば、確かに誰かいた。
きらきらと光を乱反射させる水面の向こう、小さな人影がこちらを覗き込んでいる。
――誰かしら?
目をぱちくりさせながら不思議そうに少女が見上げていると、人影は長い棒を水の中に突き込んで来た。
?「まぜまぜ~みっくすみっくす~」
人影はそのまま長い棒をぐりんぐりんと掻き混ぜるように回し始める。
が、開始一秒足らずで棒は少女の顔面にクリーンヒットした。
少女「ごぶぉっ!?」
?「まぜまぜ~」
ガンガンと棒の追い討ちが続く。
少女「ちょっ! やめっ!」
?「ぐりぐり~」
少女「痛い痛い!」
?「ぐっしゅぐっしゅ~」
少女「だー! やめてって言ってるでしょうがっ!!」
堪えかねた少女は水面から勢いよく顔を出した。
アルラ7「きゃーっ!?」
突然、人が水中から顔を出したらそりゃ驚く。
アルラウネは棒を手放して弾かれたように後ろに仰け反った。
アルラ7「あ、あわわわわ……!」
でもアルラウネの後ろには地面がなかった。
アルラウネは少女が入っていた円筒形の入れ物の縁に立っていたのだった。
必死でわたわたと手を回してバランスを取るアルラウネに気付き、少女は頭から水浸しのままあわててアルラウネに手を伸ばした。
少女「あっ! ほら、掴まって!」
アルラ7「ファイトー!」
少女「いっぱーつ!」
がっしーん。
体格差があるため少女が一方的にアルラウネの腕を掴む感じであったが、二人は固い握手を交わす。
アルラ7「ノリいいねお姉さん!」
少女「……ありがと」
アルラウネを元いたように縁に降ろす。
そのまま少女は濡れて顔に纏わり付いてくる自分の前髪を後ろに流し、手のひらで顔をざっと拭った。
そうしてぞんざいにとりあえずの体裁を整えると、少女はアルラウネに訊ねた。
少女「ところで、ここはどこ?」
少女は落ち着いたふうに装っていたが、その胸中は不安にざわめいていた。
知らない場所、知らない相手。そして陽炎のようにちらつく凄惨な記憶。
目の前にいる幼女が一目見て人間ではないということを察しても、躊躇せず知識を求めるくらいに少女の精神は追い詰められていた。
しかし、そんな少女の内心なんぞどこ吹く風のようにアルラウネはほのぼのと答えた。
アルラ7「ここ? わたしたちの森だよ?」
少女「あなたたちの森?」
アルラ7「うん。わたしたちの森」
少女「……」
――そういえば、村からそう遠くない山のふもとに妖樹族がいるとかいないとか聞いた気が。
折れていたはずの、今はすっかり治っている自分の腕を見ながら少女は頭を巡らせる。
とにかく、聞きたいことが山ほどあった。
だがアルラウネは急に少女に背中を向けた。
そしてアルラウネは下半身の切り株から根っこをウネウネと伸ばしてほぼ垂直に円筒の縁から降り始めた。
アルラ7「じゃ、みんなに知らせてくるねー!」
少女「えっ? みんな? ……って、もう行っちゃった」
少女が声を掛ける間も無く、アルラウネはその場から走り去って行った。
少女「仲間を呼ぶって言ってたけど、逃げた方がいいのかな? ……くしゅん!」
アルラウネの背中を追うように、浸かっている水から腹まで身体を出した所で吹いてきた風の寒さに肩まで水の中に引き戻る。
少女「……うん。とりあえず、もう一つ聞くことが増えたかな?」
ずずっと鼻をならしながら少女は一人頷いた。
少女「わたしの服、どこ?」
オリジナルです。
携帯からなので、まったりと進めて行く予定です。
sage忘れた(´;ω;`)
少女「でも……本当になんで……」
少女は琥珀色の水の中で、自分の左腕を右手でなぞるように擦っていく。
左腕は健在。傷一つ無い。
軽く腰を落とし口元まで水に浸かって自分の両脚を水の外に持ち上げてみるが、左腕と同じく問題ない。
宙に上げた足の指をぴくぴくと動かして確認しながら、しかし少女は首をひねった。
確かに自分は瀕死の重症だったはずだ。
だが身体に異常は無い。なぜ?
少女「夢、じゃないよね、絶対……」
むしろあの生々しくも現実的な死の体験が夢だったとしたら自分の脳ミソさんのクリエイターとしての実力を改めて見直さなければならない。悪いほうに。
少女「それにここも魔物の巣窟というより、秘境的な感じだし」
下は緑のカーペット。
青々と茂った草葉に小綺麗に咲いた花がまばらなアクセントを添え、それが地面いっぱいに広がっている。
その緑の広場を囲むように苔むした木々が立ち並び、時折吹く涼しい風に合わせて仲良く梢を揺らしていた。
頭上に枝葉を重ねる緑の天蓋の隙間から木漏れ日がまばゆい光の道となって降り注ぎ、それら森の一切を気紛れに照らしたり陰らしたり。
ほうと無意識に感心してしまう光景であるが、これは人の領域ではないからこそ存在出来る光景なのだろう。
そう考えると、少女もここにいるのはやはり危険な気がしてくる。
少女「……逃げようかな、全裸で」
ぼんやりと口に出し、即座に諦めた。
少女「無理、なんで口に出したし、わたし」
疲れたように顔を押さえて少女はため息をつき、ふとそこで自分の顔をまだ確認していないことを思い出した。
少女「崩れてない、よね?」
今こそ目は両方とも見えているが不安はある。
たぶん大丈夫、大丈夫であって欲しい、大丈夫じゃないと当分リアルに立ち直れない。
肩まで水から出しておそるおそる水面に映った自分を確認する。
顔の左半分、問題なし。
顔の右半分、こちらも問題なし。
しっとりと濡れた鮮やかな緑色の髪の下、眼窩にはかたや焦げ茶色、かたや透き通ったエメラルド色の瞳が問題なく収まって……
少女「……緑?」
少女はぴしりと固まった。
~ 全員集合 ~
アルラ7「ただいまー!」
アルラ1「あ、本当だ! 起きてる!」
アルラ2「生きてた!」
アルラ3「わーい!」
アルラ4「お腹へった」
アルラ5「ねえねえ! お話しよう!」
アルラ6「押さないでー!」
アルラ8「あれ? なんか固まってない?」
アルラ9「おーい!」
アルラ7「さあお姉さん! 今の気持ちを!」
少女「なんでみどり色なのーッ!?」
全アルラ「きゃー!」
少女「傷は治ってるし! なんか片目と髪が緑色になってるし! おまけに裸だし!」
アルラ7「お、おちついてお姉さん!」
少女「説明して! それ早く! ほら早く!」
アルラ7「あわわ……」
少女の気迫に圧倒されたアルラウネたちが一斉に縮こまる。
だが次に広場に発っせられた言葉は、少女のものでもアルラウネのものでも無かった。
?「命の恩人になんて態度だい、まったく」
少女「……だれっ!?」
アルラ1「この声は……」
アルラ2「森ババアだ!」
ババ「はいはい、みんなのヒーローの森ババアじゃよ」
広場に現れたのは魔女。そう、魔女だった。
ヨレヨレの黒い三角帽子を頭に被り、ほうきの柄に横から腰を掛けている、まごう事無き魔女スタイル。
服は胸と股関を白い布キレで覆っただけで、上から羽織った黒いボロ布の甲斐無く、すらりと伸びた足を始めとした大部分が堂々と見えている。
煽情的な格好、ともすればそう取れる格好であるが、少女の抱いた感想は別のものであった。
少女「幼女?」
ババ「だれが幼女じゃボケがーッ!! これでも160歳じゃ!」
自称ヒーローの幼女は怒ってほうきの上で脚をバタつかせたのだった。
~ 十分後 ~
木の幹の上から顔を出す少女とそれを囲むアルラウネと魔女の説明会。
アルラ7「かくかくしかじか」
ババ「~とまあ、そんなこんなでお主はアルラウネたちに助けられたのじゃ、感謝せい」
少女「はぁ、ありがとうございます」
ババ「なんじゃ、煮え切らない返事を返しおってからに」
少女「あの、感謝はしているんですけど、前と違ってわたしの髪と目が緑色になってるのはなぜ?」
ババ「ふむ、お主を助けたアルラウネたちとジジイの影響じゃな。
肉体の欠損を補うために森のマナを過剰供給させ、肉体もまた生き残るために適応した……といった所か」
少女「えと、いつ元通りに?」
ババ「一生そのままじゃ、諦めい」
少女「そ、そんな!?」
アルラ1「いのちがあっただけマシだとおもえ~」
少女「うぅ……、一生……一生って……」
ババ「それよりいつまで木の幹の中にいるんじゃお主は?」
少女「あ、これ、木の幹だったんですね……って、さっきの話のトレントさん?」
ババ「そう、お主を助けるために自分の命を使い果たしたバカじゃ。
お主はそのバカのおかげで生き延びれたのじゃ」
少女「そんな、わたしのために……」
ババ「さて、そんなお主にプレゼントじゃ」
少女「わたしにプレゼント、ですか?」
ババ「うむ、これを見よ」
魔女がぱちんと指を鳴らすと、切り株が根をタコの足のように使って木々を擦り抜けながら広場に入って来た。
少女「切り株?」
ババ「そう、アルラウネたちを見るがよい。
切り株や花のツボミを衣服兼乗り物として使いこなしておるじゃろう?」
少女「わたしにもそれをやれと?」
ババ「ほう? 意外に話が分かるではないか、分かったらやってみよ」
少女「無理ですよ。わたしはただの人間ですから……」
少しだけ声に苛立ちが混じる。
はっと気付いて少女は口を閉じた。
今の自分は命を助けられた側の人間だ、こんな態度はまずい。
もっと場に合った『役』を演じなければ……
そう思いながら顔を俯かせる少女に何を思ったか、魔女はコホンと一息ついて言葉を続けた。
ババ「この切り株はジジイの形見じゃ。お主が完治したら渡してやってくれと頼まれた」
アルラ8「ジジイの切り株?」
アルラ4「あっ、本当だ! お姉さんが入ってるの幹部分だけで切り株パーツが無い!」
少女「トレントさんの形見……」
ババ「貰ってくれるか?」
少女「……」
少女はしばし考え、やがて小さく頷いた。
少女「は、はずかしい……」
水に浸された幹から出た少女は濡れた肢体を隠すように魔女たちに背中を向けた。
アルラ9「ガンバッ! ガンバッ!」
ババ「ここにいるメンツは皆女で裸のような格好じゃ、何を気にする必要がある?」
少女「と言っても……うう……」
ババ「まったく、恥ずかしいならさっさとやれ」
少女「そうします、切り株の上に乗ればいいんですね?」
アルラ7「そうだよ! そしたら自由に動かせるの!」
アルラ5「これぞアルラウネ・マジック!」
少女「人間なんだけどなあ、わたし」
言いながら濡れた身体に風を受けて少女はびくりと肩を震わせる。
どっちみち、もうやるしかない。
少女は意を決して切り株の上に乗った。
途端――
少女「ひっ!?」
切り株から触手のように数多の根っこが伸び、少女を羽交い締めにした。
少女「なにこれーッ!? ちょっ、イヤッ! どこ触ってんのよッ!!」
がんじがらめになった少女の胸や尻を触手がいやらしく撫で回し始めた。
アルラ6「あのセクハラタッチは!?」
アルラ8「まさか!?」
トレント「どっこい生きてた! ジジイ様!!」
アルラ3「ジジイ生きてた!」
アルラ2「よかった!!」
少女「よくない!! 誰か助けて!!」
ババ「命の恩人じゃし、大目に見てやれ」
少女「そんな御無体な!? ひっ、くぅ……」
トレント「反応が初々しくて素晴らしいわい! これでこそセクハラのしがいもあるというもの!」
少女「好き勝手なことを……っ!」
ババ「硬い触手が少女の全身をまさぐっていく。
少女は恥ずかしさに頬を赤らめ、次第に吐息は熱を帯びていく。
やがてその勇壮なる剛棒の前に女としての本能を剥き出しにされ、最後はこう自分からおねだりするのであった。
『お、おねがい、もう我慢出来ないの……、そのぶっといのでわたしにパイルドライバーをキメて?』」
少女「なんて言うかドアホーッ!!」
渾身の力を込めたかかと落としが切り株の脳天にクリーンヒットした。
トレント「ごふっ!?」
アルラ1「ジジイ!?」
アルラ2「ジジイが! ジジイがッ!!」
トレント「悔いはない、一寸たりとも」
ちーん。
アルラウネたち「ジジイーッ!」
トレント享年849歳。
黒ニーソの女の子集団に踏まれ続けたいという志を胸に、男は逝った。
少女「ぜい……ぜい……」
ババ「おいおい、服は着ないのか?」
少女「『コレ』は服とは言いません! 断じて! 絶対に!」
トレント「コレ扱いはひどいのう……」
切り株がのそのそと起き上がる。
アルラウネたちは揃って喝采を上げた。
アルラたち「ジジイ生きてた! やった! 第三部完!」
少女「それはもういいから……」
ババ「だが本当に着ないつもりか? このジジイは結構手厚く保温してくれるぞ?」
トレント「ばっちこーい!」
少女「絶対、嫌です」
トレント「しょぼん」
ババ「なら全裸か、ボディペイントでもしてみるかのう?」
少女「それも嫌です」
半目で少女が睨み付けると、魔女はやれやれと肩をすくめ、腰かけたほうきの先を指で弾いた。
すると、ほうきはクルリと踵を返し、少女たちに背を向けて広場から離れ始める。
少女「あれ? どちらに?」
ババ「ちょっとワシの古着を取って来てやろう。待っておれ」
少女「えっ? あなたの古着って……、ちょっと!」
少女が言葉を飛ばすが、ぱたぱたと手を後ろに振って返すだけで魔女はそのまま広場から出ていった。
少女「……いや、サイズ的に入らないでしょうに」
少女のツッコミに答える者は誰もおらず、代わりにこれからアルラウネたちの少女に対する質問攻めが始まるのだった。
~ それからまた十分後 ~
アルラ2「ねえねえ?」
アルラ5「それでそれで?」
アルラ6「もっともっと!」
アルラ7「おしえておしえてー」
少女「うぐぐ……話しても話してもキリがない。この子たち無邪気すぎる……」
ババ「子育ての辛さを体験中かい?」
少女「はっ!? 天の助け!」
渡りに船とばかりに少女はさっとアルラウネ集団から離れた。
アルラウネたちが背後でブーたれるが、少女はそれをスルーしながら魔女に歩み寄る。
少女「ありがとうございます、あの子たち好奇心が強くてずっと質問ばかりしてきて」
ババ「よいよい、ところで古着を持って来たのじゃが、その格好は?」
少女「は、はい、おっきな植物の葉っぱを使って胸と腰まわりを適当に隠してみましたのですけど……」
原住民的なファッションで迎えた少女に、魔女はふんふんと感心したように頷く。
少女はおずおずと訊ねてみた。
少女「へ、へんですかね?」
ババ「いや、大丈夫じゃよ? 切り株に浮かぶジジイの顔が紳士状態になっておるくらいじゃからな」
魔女が切り株を指差す。
少女がつられて見る。
当のジジイは触手で腕を作り、親指を立てて聖者の如き微笑を浮かべていた。
少女「全然大丈夫じゃない!?」
ババ「さて、それじゃ古着は戻してくるとするか」
少女「待って待って! いる! それ超必要です!」
ババ「ふむ? しかし似合うとも限らぬぞ?」
少女「でも葉っぱよりは胸や股関を上手く隠せるかなって」
てへへと少女が恥ずかしそうに自分の頬をかきながら答えると、魔女は急にブチ切れた。
ババ「なっ! よりによってエロ本の星型シールみたいな使い方じゃと!? ワシの服を何だと思っておるんじゃキサマー!」
少女「きゃっ!?
だ、だって、あなたまだ子どもだし、そのお古となるとサイズが……」
ババ「サイズ? ふんっ、自分の目で見てみよ!」
魔女が古着の両袖を持ってその場にばっと広げる。
ほうきで浮かんだ魔女は少女の頭よりもやや高くに位置する。
はたして、古着はその純白の生地をふわりと広げ、一着の立派なワンピースとなって宙空に佇んでいた。
少女「え? あれ?」
大きさ的にも少女が着る分に問題なさそうである。
もっと小さいのを予想していた少女が面食らっていると、魔女はそそくさとワンピースをたたみ直し、ぷいっと少女にそっぽを向けた。
ババ「おーおー、おかしいのう? お主にぴったりなサイズじゃと思っておったんじゃが、歳はとりたくないのう?」
そう言い残して魔女は広場を去っていく。
残された少女に選択肢は一つしかなかった。
少女「待って! 待ってくださいませ魔女様!! 前言撤回しますからー!」
少女はあたふたしながら魔女の後を追って走っていった。
…………………………
少女「ふう、一安心」
ババ「馬子にも衣装とはこのことじゃな。
まあ、ワシの気品溢れる服を着ればどんな阿呆も見れるようになるわい」
無い胸を張って鼻高々に言う魔女に、少女は「むっ」と頬を膨らませる。
だが貰ったばかりで下手に言い返すことも無いだろうと思い直し、代わりに少女はつんとすました顔をして魔女に背を向けた。
それに今はそんな些細な事も気にならないほど、少女の心は弾んでいたのだった。
少女「へいへい、わたしはアホですよーだ」
少女は着ている白いワンピースの左右の裾を摘み、青草の絨毯の上で右足を軸にゆっくりとターンする。
細かに編まれたレースが木漏れ日の下で踊り、シミ一つない純白のスカートが翻る。
白鳥が湖面から飛び立ったようにフリルが一斉に羽ばたき、風を内包して花のツボミのように膨らんで舞い落ちる。
そうやって自分の動きに合わせて揺れ動く服を見ているだけで、少女はついつい嬉しくなってしまい、舞踏のように続けてステップを刻んでいく。
少女が村にいた頃は、こんな綺麗な服は着れなかった。
少女の着る服といったら、兄姉やご近所さんたちのお下がりのさらにお下がり。
破けた部位を何度も縫い直した服はツギハギだらけで、糸はほつれてシミだらけなんてのがザラだった。
なので事情はともかく、こんな綺麗な服を着れたことが少女は素直に嬉しかった。
アルラ7「わたしたちも踊るのー!」
アルラ1「奥義むげんとうぶ!」
そのうちに周りのアルラウネたちも後を競うように参加し、少女と一緒に輪を作って踊り始めた。
ババ「ほんとう、阿呆じゃなあ」
一人離れたほうきの上で魔女は腕を組み、口元を軽く吊り上げて呆れたように呟いた。
少女「~♪ ~~♪」
気分がノってきて少女が鼻歌なんか歌い始めたところ、ふと魔女が思い出したように自分の手のひらを叩き合わせた。
ババ「おっと忘れておった。服の代金を貰おうか?」
少女「……え? お金?」
少女は踊りの途中で片腕と片脚を上げた珍妙なポーズのまま動きを止め、首だけを動かして魔女を見た。
魔女はつまらなそうに小さく鼻から息を吐く。
ババ「なんじゃ? タダで貰えるとでも思ったか?」
少女「あっ、いやその……えへへ?」
身体を曲げてシナを作ると、少女は舌をぺろりと出して満面のスマイルを魔女に返す。
瞬間、ぴきりと魔女のこめかみに青筋が浮かんだ。
ババ「何が『えへへ』じゃボケナスが!」
少女「ひぃっ!?」
ババ「可愛らしくすればスルーしてもらえるとでも思ったか、このたわけ者が!!
こちらは服を与えてやった。おぬしはワシにその対価を支払うのが筋というものじゃ!」
少女「す、すいませんすいません! でもわたし文無しで……」
ババ「そんなの知っておるわ。
何も持たずにボロボロになって森に迷い込んできた時点で、おぬしが金と縁遠い人間だと丸分かりじゃ」
少女「ほへっ? ならなんで?」
ババ「なにも今すぐ払えと言う訳ではない。
今は払えずとも、いずれは金を用意して払ってもらう、まあ将来払いという事じゃ。
それで、おぬしに払う気はあるのか?」
少女「す、すぐに違う服を探して来ますのでその間だけ……ダメ?」
ババ「ダメじゃ。今すぐ返すか、それとも買うか、どちらかを選べ」
少女「う、うぅ……」
少女は頭を抱えた。
少女の父は村の帳簿係を任されていた。
それも裕福とは真逆の貧しい寒村の帳簿係だ。
少女の記憶にある父は、いつも困ったように「金が無い」と唸っていた。
そんな父の背中を、少女はお金は恐ろしい物だという忠訓として受け取っていた。
そんな生い立ちもあり、少女はお金にちょっとした忌避感を持っていたが、やはり背に腹は変えられなかった。
少女「……買いの方向で」
ババ「うむ、心得た。変更は聞かぬので忘れぬように」
少女「ふう……」
苦渋の決断。
だが仕方ない。
やっぱり全裸で動き回るのは遠慮したかった。
少女「ところで、この服の値段っていくらですか?」
何の気なしに訊ねながら少女もだいたいの目算を立てる。
――村の服が2ゴールド、村長さんの奥さんが自慢してる服が100ゴールドだから、だいたい……
茶と翠玉の瞳をさまよわせながら考える少女に、魔女は普通に答えた。
ババ「10万ゴールド」
すてーん、と少女は見事にすっころんだ。
少女「げほっ! げほっ!」
ババ「おお、どうした? いきなり寝転んでからに」
少女「いや、いくらなんでもボリすぎでしょっ!?」
少女は勢いよく飛び起きて魔女に詰め寄った。
ババ「はて? 正当な対価だと思うが?」
少女「10万ゴールドって、そんなにあったらわたしの村だと親類縁者一族全員を死ぬまで養えますよ!!」
ババ「謙虚じゃのう、ワシなら一月ともたずに使い果たすがな」
少女「一月ッ!? すげぇッ!? ……って、そうじゃなくて!」
ババ「返品は出来ぬぞ。ま、せいぜい頑張って返してくれ」
少女「あっ、待って!」
魔女は言いたいことだけ言って一際高くホウキを浮かび上がらせると、そのままホウキを加速させて広場を離れていく。
少女が引き止める間もなく、魔女の姿は広場を巡る木々の向こうに消えてすぐに見えなくなった。
少女「……行っちゃった」
全身から力が抜け、少女は草花の上に座り込む。
そして支えを失ったように後ろに倒れ込むと両手を広げて大の字になった。
少女「あーあ、なんかどっと疲れちゃった」
アルラ7「おねむ?」
少女「そうね、ちょっとお昼寝しようか……」
近づいてきたアルラウネたちの緑髪を撫でて少女は瞼を閉じる。
色々あってよほど精神的に参っていたのか、眠気はすぐにやってきた。
アルラ4「わたしも寝る」
アルラ2「お姉さんのとなり」
アルラ9「わたしもとなり」
少女「うん、いいよ」
そうアルラウネたちに答えたのを皮きりに、急速に少女の意識が薄らいでいく。
――そういえば、お母さんたちは元気かな?
村の家族のことが頭をよぎったのを最後に、少女の意識は深い眠りの中に落ちていった。
~ 眠りのあいだ ~
トレント「…………」
そ~っ。
アルラ1「ジジイ、お姉さんの尻を触っちゃダメ!」
トレント「な、なんじゃ、お前はまだ起きておったのか」
アルラ1「スケベジジイ! ダメ!」
トレント「誤解じゃよ。ワシはその娘にコレを穿かせたいだけじゃ」
アルラ1「……なにそれ?」
トレント「パンツじゃよ。妖精の服と同じ素材で織られておる」
アルラ1「パンツ? 妖精の服?」
トレント「汚れず、破けず、引っ張りにも強いパンツ。しかし水に濡れると良い塩梅にスケスケになる」
アルラ1「……? お姉さん、いま何も穿いていないからお尻を覗こうと思えばいくらでも……」
トレント「違うんじゃよ、そうではない」
アルラ1「……え?」
トレント「そうではないんじゃ」
~ 起きた ~
少女「くしゅんっ!」
寒風に頬を撫でられ、少女は一つくしゃみをした。
そした未だまどろみの中にある頭で、うっすらと瞼を上げる。
見仰ぐ空は赤く焼け、また群青に染まりつつある彼方からは鳥のさえずりが物寂しく聞こえてくる。
周囲には木、苔むした木がいっぱい。
そんな高木が辺りを囲んで空を円に切り取っていた。
ここはどこだろう、そうぼんやりと考えていたが、何だかお腹が痛い。
圧力を加えられているというか、何かが乗っかっているというか……
少女はアゴを引き、自分のお腹に顔を向け、
アルラウネたち「すぴーすぴー」
緑髪の幼女たちがいた。たくさん。
少女「……ああ」
ぱっと記憶の糸が繋がった。
少女は眠い目を擦ると、アルラウネたちを起こさないように立ち上がろうとする。
だがちょっと身動きしたところで少女はすぐに諦めて嘆息した。
少女「……こやつら、意外に重い」
たぶん下半身の切り株やらツボミやらの重量だろうが、ちょっとコレは忍びながら処理できそうにない。
肩を寄せ合って小山を作るアルラウネたちに、少女は上体を緩く持ち上げながら声を掛けた。
少女「ちょっと、みんな起きて」
アルラ7「……ふにゃ?」
一人が目を覚まし、その動きで山が崩れると、他のアルラウネたちも次々に目覚め始める。
アルラ1「……?」
アルラ2「あれれ?」
アルラ3「ここどこ?」
アルラ4「すぴーすぴー」
アルラ5「お空が真っ赤なの」
アルラ6「夕方なの」
アルラ7「夜が来るの」
アルラ8「なら寝るの」
アルラ9「おやすみなさい、すぴーすぴー」
少女「ちょっと待ってお願い起きて! あと重いからどいて!」
しかしアルラウネたちは少女の言葉に耳を貸さず、また少女のお腹の上に小山を盛り始める。
少女「やーめーてっ!」
アルラ8「ねむねむ」
少女「起きなさーい!」
そうやって少女が喚いていると、アルラウネの一人が何だか不機嫌そうに顔を歪めて少女を睨んできた。
少女「な、なに?」
アルラ3「お姉さん」
少女「うん?」
アルラ3「うるさい」
少女「……ッ!」
ぷつんと、少女の中で何かがキレた。
アルラウネたちはそんな少女の様子には気づかず二度寝を始める。
アルラウネたち「おやすみー」
少女「……ええ、おやすみなさい」
少女は引きつった笑顔でそうアルラウネたちに答える。
だがその瞬間、少女は盛大に寝返りをかました。
少女「はあっ!!」
アルラウネたち「きゃー!?」
まとめてひとかたまりになったアルラウネたちは勢いそのままに広場を転げて行った。
そして木にぶつかってパカーンと散らばるアルラウネたち。
少女は立ち上がって広場の草花を踏みしめながらアルラウネたちの方へと歩み寄る。
そしてアルラウネたちの前で背中を曲げ、上から覗き込むように話し掛けた。
少女「みんな大丈夫?」
アルラ3「頭打ったのー」
アルラ6「いたいのー」
少女「ごめんね。でも夜が近いし、危ないから」
アルラ7「危ない? なんで危ないの?」
少女「イノシンとかオオカミとか出るかもしれないし、なにより寒いでしょ?」
アルラ7「別に寒くないの」
アルラ9「寒くなったら下半身のBパーツさんの中に逃げ込むの。保温はバッチリなの」
少女「あ、さいですか。ていうか、それBパーツっていうんだ……」
アルラ1「うん、それとこの森に獣はいないから安心してね」
少女「あら、そうなの?」
アルラ7「うん、鳥やリスみたいな小さいヤツはいるけど、でっかいヤツは森の中に入って来れないの」
アルラ9「森ババアが魔法で結界を張ったおかげ。誰も入って来れないの」
アルラ1「グレート迷いの森!」
少女「ふぅん、そうなの」
アルラ6「うん『入って来れるのはワシより強い魔法使いか、死に物狂いで執念の塊みたいになった人間だけ』らしいの」
アルラ7「お姉さんは後者だね!」
少女「あ、そ、そうなんだ、……あら?」
アルラ5「どうしたの?」
少女「わたし、いつの間にかパンツ穿いてる。寝る前は確か……あれれ?」
アルラ1「お姉さん、それはジ……はっ!?」
突き刺さる視線を感じてアルラ1が少女の背後に目を向ける。
鬱蒼と生い茂る木々の向こうに、ヤツがいた。
トレント「……」
アルラ1「……」
少女「あなた、何か知らないかしら?」
アルラ1「知らないの! 何も知らないの!」
少女「……?」
背後の暗がりの向こうに消えていくトレントに気がつかない少女は、この後も不思議そうに何度も首を傾げていたのだった。
~ 妖樹族の森・本棚の片隅で朽ちた旅人の手記 ~
平らな盆地から北の山に腰掛けるよう広がっているアルラウネの森。
この森には二つの水源がある。
一つは北の山々から河川に沿って注がれてくる北山水系。
もう一つは広大な森の地下水脈からの湧水。
どちらも森が豊かな実りを迎えるのにあたって必要なものだ。
だが後者、地下水脈にはそれ以外にもう一つ、この森を維持していくための重大な仕事があった。
何を隠そう、それは外敵から森を守る結界としての仕事である。
土中を縦横無尽に走る水脈を魔方陣として利用、魔力を送り込んで術式を完成させる。
さらに森に生息する妖樹族間で任期を決め合い、代わり代わり魔力生成点として結界を強化する。
それは例えるなら心臓と血液、人間の身体の仕組みに似ている。
そして結界の中央。
脳にして心臓でもある最重要起点に、その魔女はねぐらを構えていた。
朽ちた巨木の中を切り抜き造られた八階建ての家。
他者を寄せ付けぬ湖畔の真ん中にポツンと一つだけ、水中から飛び出して天を貫き、そこに在る。
その威容はかつて神に挑んだ人間の王の傲岸不遜さを体現し、その偉容は岸向こうの木々を民として一身に祈りを捧げられている聖者を幻視させる。
少なくとも、湖畔に銀月を捉え、夜の静謐に佇む巨木はそれだけの存在感を放っていた。
そしてその巨木の中では叡知を極めた魔女が日々おどろおどろしい呪咀を人知れず吐き出している。
…………………………
……………
アルラ7「……と、いうことなの」
少女「行きたくなさすぎる……」
アルラ2「でもお姉さんは木の幹に戻りたくないんでしょ?」
少女「うーん、せっかく目覚めたんだし、樹液の中で眠るのは……」
アルラ1「じゃあ森ババアにお願いしますをしないと」
少女「泊めてくれるかなぁ……」
アルラ6「わたしたちがお願いすると結構フランクに許可してくれるよ?」
アルラ1「それにもうお姉さんも森の一員だよ、大丈夫だよ」
アルラ8「緑の髪と瞳は森の証!」
アルラ9「なかまなかまー」
少女「すごく腑に落ちない気分だけど、一応ありがとうと言っておくわね」
~ 手前まで辿り着いた ~
アルラ7「この浮き橋を渡って湖の中央に向かうの」
少女「浮き橋?」
岸から魔女の家へと伸びる一本橋。
その外観を見て少女は納得する。
橋は小舟の上に平べったい木板を載せたという造りで、それがいくつも繋がって一本の道を成していた。
なるほど、確かに浮き橋である。
アルラ1「さあ行くのー」
少女「うん、よっと……、随分と揺れるわね……」
湖中からは左右一本ずつの杭が突き出ており、点々と等間隔に魔女の家まで続いている。
その杭と杭の間に小舟は収まってロープで杭に緩く縛り付けられているのだが、やはり水面に浮かぶ物である。
傾きはしないものの、少女が脚を踏み出すたびに小舟はぐらりと上下し、少女の肝を冷やした。
アルラ1「この橋、もともとは森ババアがわたしたちのために作ってくれた物なのー」
少女「あなた達のために?」
アルラ9「森ババア、ホウキで飛んでるから橋なんて使わないのー」
少女「あー、なるほど……、わっ、きゃっ!?」
アルラ4「お姉さん、さっきから驚きすぎなの。落ちてもびしょ濡れになるだけなの」
少女「……それがイヤなのよ」
アルラ6「……?」
アルラ2「あっ、まさかお姉さんカナヅチ?」
少女「………………」
少女は無言で目を逸らした。
アルラ4「ぷーっ、くすくす」
少女「悪かったわね、カナヅチで!」
アルラ4「いひゃいいひゃいいひゃいいひゃい」
少女がアルラウネの4番のほっぺたを左右に引っ張ってお仕置きする。
しかしその最中、
少女「あれ?」
魔女の家である巨木から不意に音が響いてきた。
それはおどろおどろしい呪咀――ではなく、淀み無く流れる清水のように透き通った流麗な旋律であった。
~ 魔女ハウス ~
玄関のドアを開けると、巨木の中から光と音が溢れてきた。
ババ「ん? おやおや、これはまた大勢で来たのう」
魔女は玄関のすぐ向こうの部屋にいた。
うず高く書類が積まれた机の隣でぶかぶかの黒いローブを着込み、書類片手にロッキング・チェアに座ってゆらゆらと揺れている。
魔女は悠然とした動きで書類と鼻に掛けていた丸眼鏡を机に置き、少女たちに顔たけを向けてきた。
だが魔女は少女の顔色を一瞥すると、言葉を交わすまでもなく話を察したようだった。
ババ「ふむ、寝床を貸して欲しいなら空いている場所を使うとよい。毛布くらいは貸してやろう」
少女「あ、ありがとうございます」
すんなりと寝泊まりの許可をもらって拍子抜けする少女に、魔女は興味を無くしたように睫毛を伏せた。
そのまま魔女はランタンの暖かい灯りの下でロッキング・チェアを揺りかごのように緩慢な動きで前後させる。
辺りには少女が橋の上で聞いた曲が流れていた。
しかし、楽器も演奏者も見当たらない。
少女はきょとんとしながら不思議そうに家の中を覗き込んでいたが、アルラウネたちに急かされて我を取り戻した。
アルラ6「はやく中に入るのー」
アルラ8「はやくはやくー」
少女「あ、ごめん、……ああちょっと押さないで!」
夕闇に沈み始めた外界から巨木の内側へと一列、もとい一丸となってなだれ込む。
少女はそのまま後ろ手にドアを閉めるが、少女の興味はやはり鳴り響き続ける音楽に引き込まれていた。
ババ「ふむ、音源が気になるようじゃな?」
またもや見透かしたように魔女が片目を開けて口元を吊り上げる。
少女は何だか子供扱いされているようで気恥ずかしくなり頬を赤らめるが、結局好奇心には勝てなかった。
少女「はい、楽器も無いのに何で音が鳴ってるのか……」
ババ「それはな、蓄音機のおかげじゃ」
少女「蓄音機?」
ババ「ほれ、アレじゃアレ」
魔女が部屋の一点を指差す。
少女がそちらに目を向けると、シルクのテーブルクロスを掛けた足長の丸台の上に奇妙な木箱が置かれていた。
上には花を咲かせたみたいな漏斗状の金属の筒、隣にハンドル、中ほどに黒い円盤がくるくる回っている。
耳を傾けるまでもなく、この奇妙極まりない箱から音は確かに聞こえてきている。
ババ「さて、どうじゃ?」
何がどうなのか分からないが、少女は思った通りを口にした。
少女「……魔法?」
ババ「ぷっ、くはははははっ!」
急に腹を抱えて笑い出す魔女に、少女は耳まで真っ赤になって口を『へ』の字に引き結んだのだった。
ババ「くふふ……魔法、魔法か、くくっ……」
少女「無学で悪ぅございました!」
ババ「ああ、悪い悪い……くふふふふ」
少女は魔女に言い放つと苛立ちをあらわに腕を組んでくるりと背中を向けた。
だがその少女の様子がおかしかったのか、魔女は肩を揺すって、くつくつと短く喉を鳴らした。
それがまた少女には苛立たしくあり恥ずかしくあり……という負の連鎖。
少女「ふんっ、だ!」
ババ「まあまあ、そう怒るでない。
コレはかなり珍しいアイテムじゃ。おそらくは王都の一般市民もコレを見たら魔法と勘違いするじゃろう。
しかしそんな『普通』の反応がワシには面白くて仕方ないわけじゃが……くくくっ」
アルラ4「人を小馬鹿にした笑み、嫌いじゃない」
アルラ7「ちなみに、これって何だっけ?」
アルラ6「蓄音機だよ、……で、蓄音機って何?」
ババ「書いて字の如く『音を蓄える機械』じゃな。
原型は機械族が造った物だが、錬金術師たちが模倣して複製品を作りおった。
あやつらは金の匂いに敏感じゃからな、こういう小細工は惜しまん」
アルラ5「へー」
アルラ8「ほー」
アルラ9「これ高い?」
ババ「作ろうと思えば安く作れる。じゃが、買うとなると無駄に高い」
アルラ1「……? 安いのになんで高いの?」
ババ「ターゲットを貴族や豪商といった金持ち相手に絞ってあるからじゃよ。
貴族は他人が持っていない珍しい物を収拾しては自慢したい人種じゃ、しかもそれが実用的で優雅さを併せ持つときたら大枚をはたいても入手したい。
さらには支出の金が多ければ多いほどステータスになるというアホ原理を信奉しておるからよいカモじゃ」
アルラ3「豪商は?」
ババ「貴族と同じく箔付け、権威誇示。あとは雲の上に近づきたいという野心か。
珍しくて価値のあるものはそれだけで一目置かれる。その持ち主もまた、な」
アルラ3「なんか変な感じなの」
アルラ1「見えないモノにお金を払ってるみたい」
ババ「まあ、コイツも見えない物をふりまくように作られておるからな」
魔女はニヤリとした笑みで蓄音機を見ながら、ゆらりゆらりとイスを揺らすのだった。
今もまだ奏でられ続ける楽曲は背景と同化するように心地よく、また色褪せずに在り続けるようであった。
ババ「さて、そろそろメシにしようか?」
アルラ1「わーい!」
アルラ4「ありがてぇ……ありがてぇ……」
ババ「それで、さっきから興味津々に聞き耳を立てておるヤツはどうするかのう?」
少女「……っ!?」
魔女にあっさりと見抜かれ、少女は後ろを向いたままびくりと背筋を伸ばした。
そして逡巡。
魔女の態度はきにくわないが、その話の内容は気になるところ。
ド田舎の村から出たことのない少女にはぶっちゃけ、魔女の話は興味をそそる魅力的なものだった。
それに家に泊めてもらうのだからちょっとくらいイジられても仕方ないのでは、という諦めがつく位には少女にも聞き分けがある。
――お腹も減っているし。
それがトドメになって打算的かつ諦観的な決断を促した。
少女は一つ小さく息を吐いて肩を落とすと、背を向けていた魔女へと向き直って降参するように両手を上げた。
少女「はいはい、こっそり聞き耳を立てていましたすいません」
ババ「棒読みが気になるが、まあよい。それでお主はメシはいるかのう?」
少女「それは、もらえるなら是非とも……」
少女が目を逸らしながら答える。
すると、魔女はイヤらしく顔を歪めてみせた。
ババ「メシが欲しいのか? ならば『お願いしますゴッド』と言うがよい!」
少女「……うぐっ」
――コイツ……っ!!
屈辱的な要求に、少女は握りこぶしを作ってわなわなと震わせる。
だが、背に腹は変えられないという言葉もある。
果たして、二度目の逡巡が訪れた。
プライドとメシの両天秤。
魔女と数秒間の視線の交差の後、少女の天秤はある一方へと傾いた。
少女「お願い……します、ゴッド……」
少女はぎりぎりと歯ぎしりしながら答えを吐き出した。
完敗であった。
空腹という避けようが無い現実を前に、少女のプライドはたやすくポッキリと折られたのだった。
――でも、ご飯が食べられるなら――
そんな風に少女が自分を慰めているところに、魔女が
ババ「では今からお主が裸エプロンでワシのセクハラを受けながらメシの支度を」
少女「だれがするかドアホーッ!!」
少女はそこらにあった新聞紙を掴み、素早く丸め、調子をこく魔女の頭をすぱこーん、とぶん殴ったのだった。
ババ「むう、残念」
少女「何が残念よ、もう! ……あれ?」
少女は手に握ったモノに今さらながら気付いた。
ババ「どうした?」
少女「いえ、とっさにツッコミに使ったのだけれど、これって新聞紙?」
ババ「そうじゃが、それがどうした?」
少女「こんな森の中で?」
ババ「うむ、外界と隔絶された場所だからこその新聞じゃよ。優秀な配達人がおるから夕方には今日の分が届くしな」
少女「ふーん」
そんなものかと新聞を広げて、少女は何の気無しに流し読みする。
穀倉地帯の治水事業、魔法兵の増員、魔王軍の動向、等々。
これといって興味を引かれる物も無かったので、少女は新聞紙をそこらの机の上に戻そうとする。
しかし、そこで新聞のある一文が少女の目を掠めた。
少女「……え?」
思わず、置きかけた新聞紙を持ちなおす。
見つめる先は、上部の文字枠に沿うように印字された日付。
少女「春光の月……え? あれ?」
12の月の4番目、雪の下で冬を越した草花が芽吹き始める月である。
そんな12の月に付けられた名称は子供でも知っているのだが、それを見た少女はひどく混乱した。
少女も月名を知らない訳ではない。
ただ、そこにその月名のあることが少女には理解出来なかった。
なぜならば、
少女「今って、紅陽の月じゃ……」
紅陽の月、色の褪せた世界で変わらず赤々と燃え立つ陽の力強さを謳う月。
少女の記憶、村にいた頃の日付はまだ紅陽の月の初めであった。
紅陽の月は、12の月の10番目。
春光より月が6つ離れている。
その空白が奇妙な違和感となって、あるいはあるべき物がそこに無い気持ち悪さが込み上げてきて、少女はうろたえながら魔女を見た。
魔女は鼻から小さく息を吐き出すと、パニック一歩前といった感の少女に平然とした声で告げた。
ババ「正真正銘、今は春光の月じゃよ。お主は半年ほど眠っておったのじゃ」
その魔女の言葉にぴしゃりと顔を叩かれたように、少女は目を見開いた。
わたしの けいたいは よくでんげんがおちます。
でんげんがおちたら いちいち かきなおさないと いけません。
いっかい にかい なら がんばれるよー。
でも さんかいれんぞくでおちたら こころが こころが こころが
少女「半年……い、いやいやいやいや! そんなバカな?」
少女は否定するも、表情筋は意思に反して引きつり顔を強張らせる。
そんな少女に魔女は瞼を軽く下げ、その丸い瞳を鋭く細めてみせた。
魔女の顔から表情が消える。
変容する雰囲気に少女が言葉を断たれる。
ちょうど蓄音機からの音楽がプツリと途切れたのを見計らったかどうか、魔女は少女にいつもの淡々とした口調で告げた。
ババ「本当に半年かかった。それほどまでにお主の傷は深かったのじゃ。
樹木の中でたゆたうお主は時折、瞳を開けて空を見ていたぞ。きっと無意識なもので覚えておらぬと思っていたが……」
その語り口は真実味に溢れていた。
否が応にも少女は確信してしまう。
自分は半年間も眠っていたのだと。
同時に、ある不安がむくむくと鎌首をもたげてきた。
少女「村は? みんなは?」
不安は衝動を呼び起こす。
少女は居ても立ってもいられず突き動かされるように、さっき入って来た入口のドアへと駆けた。
だが少女がドアノブに手を掛けた所で、背後から冷ややかに声が放たれた。
ババ「村に戻ってどうする? あんな寂れた村に価値なんてありはせんじゃろう?」
少女「……っ!」
魔女の言葉を受け少女の胸奥から怒りが滲み出て来た。
生まれ育った村を卑下された事が堪らない屈辱となって少女の心中を苛んでくる。
少女は魔女の問には答えず、眉を怒らせたまま無言でドアを開け放って答えとしようとした。
しかしドアノブは不気味に固まり、少女が両手で力を入れて回してもまったく微動だにしなかった。
少女「どうして!? さっきは簡単に!」
冷たく、突き刺すような魔女の声が答えた。
ババ「お主が答えるまで帰すつもりはない。さて、お主は村に帰ってどうするつもりじゃ?
自分を売った村に、何故戻りたい?」
少女「なっ!?」
ババ「どうしてそれを知っている、という顔じゃな?
ワシは情報通じゃからな、全部知っておるよ。
借金まみれの寂れた村、人買い、ガケ崩れ、巻き込まれた馬車、以上が新聞から、そこにきてガケ崩れの至近の森で行き倒れと、これだけ情報があればお主の素性も……」
少女「全部知っていたのねッ!!」
少女の怒号が、部屋を揺るがした。
異様な空気に部屋の隅で固まっていたアルラウネたちが威竦められ、身を震わせた。
ちらと横目でアルラウネたちを見て、魔女は眉根を寄せる。
ババ「……アルラウネたちが怖がっておる。そうカッカするな」
少女「怒るなですって!?」
その魔女の淡泊な反応が火に油を注いだ。
少女は矢継ぎ早にまくし立てた。
少女「全部知っていたくせに!!
わたしが半年も眠っていた事も!
わたしが商人に売られた事も!
全部、全部知っていたくせに!!」
言いながら、少女の瞳から涙が溢れてきた。
魔女に何かをされた訳ではない。
ただ、タイミングが最悪だった。
不安と、漠然とした恐怖に包まれている時に他人に知られたくない闇が暴かれた。
考えれば相手は会って一日も経っていない上に、人間と敵対している魔族たちもわんさかいる。
疑心暗鬼に陥るのはたやすい。
……だが、それら積み重なった負の下地以上に、どうして素性を知っていると話してくれなかったのかという事が、少女の心を深く傷つけた。
それこそ、長年信頼していた友人に裏切られたように。
そして、続く魔女の言葉が決定打になった。
魔女「だからといって村に戻ってどうする?
『また』売られたいのか?」
少女「――――ッ!!」
心中察せぬ魔女の物言いに、とうとう少女の頭の中で何かがキレた。
目の奥が熱を帯びる。
重度の風邪で寝込んだ時のように視界がボヤケる。
怒りに任せて少女は入口近くにあった花瓶を掴み上げ、そして――
…………………………
トレント「どうしたどうした? あの娘っ子が飛び出して行ったようだが?」
アルラたち「ふぇ~ん」
トレント「泣いておってもわからんわい、ロリババアはどうした?」
ババ「……誰がロリババアか」
トレント「何だその格好は?」
ババ「気にするな」
魔女は尻を上に、頭を下にした、でんぐり返しの途中で固まったような格好であった。
しかも夜露に濡れた草原を抜けて来たように、着ているローブは軽く濡れて、色鮮やかに花弁を散らしていた。
ただ隣でイスがひっくり返っていたので、トレントはそれとなく事情を察した。
トレント「あの娘にやられたのか?」
ババ「いや、違う」
紐パンのような下着でかろうじて大事な所が隠れているだけの尻を高々と掲げながら魔女は言った。
その姿は疲れ果て、起き上がる気力も無いようだった。
トレント「違う?」
ババ「あやつは花瓶を投げなかった。中身がぶちまけられて、ワシは面食らってひっくり返っただけじゃ」
トレント「では結局、あの娘っ子のせいではないか、まったく」
ババ「……むう」
アルラ7「あ、あの……」
トレント「おや、どうした?」
アルラ7「お姉ちゃん、追い掛けないと」
トレント「お姉ちゃん? ああ、あの娘っ子か。しかし今はちょっと」
ババ「追い掛けてやれ」
戸惑うトレントの言葉に、魔女の断然とした声が割り込んできた。
トレントは切り株の身体を魔女に向き直らせて訊ねた。
トレント「ババア? どういうつもりか?」
ババ「あやつは頭が良いようだが、今はそれも働かんくらいに追い詰められておる。
破滅的な道だと分かっていてもなお、家族恋しさに火中へと飛び込む恐れがある。
ジジイ、お前も行ってくれ」
トレント「我輩もか? 最近コシがなあ……」
ババ「ワシのピンクコレクションの官能小説やるから」
トレント「ばっちこい! 任せておけい!」
アルラ1「わたしたちも行くの!」
アルラ5「みんなで行くの!」
アルラ7「わーい! ありがとうなのー」
ババ「決まったなら急げよ、村までに追い付かねば取り返しがつかん事になりかねん」
アルラたち「わかったのー!」
わらわらとアルラウネたちが家を飛び出していく。
最後に残ったトレントも後を続くようにドアへと向かい、だがふと足を止めた。
ババ「どうした?」
トレント「あえて気に障るような事を言ったのだろう? 歯に衣を着せるという言葉もあるぞ?」
ババ「着る服が無い」
いまだ天地を逆にしたまま魔女は尻を揺らして言った。
トレントは呆れて両枝を肩のようにすくめてみせた。
トレント「不器用者め」
ババ「すまん、フォローはしておくつもりじゃ」
トレント「どんな形で?」
ババ「誰にも気付かれないよう、ひっそりと」
トレントは再度呆れたように肩をすくめ、苦笑した。
トレント「不器用者め」
~ 森 ~
少女「はぁ、はぁ……」
土に汚れた足で地面を蹴り、森の中を息咳切って駆けていく。
日は既に落ちていた。
明かりは漆黒の空に煌めく星月の瞬きのみ。
だがそんなささやかな光も頭上に網の目のように折り重なった木々の枝葉に遮られて地面までは届かなかった。
しかし、少女の脚は止まらない。
木々の隙間を掻い潜り、地面から突き出たナイフのように鋭利な尖石をかわして歩を刻み続ける。
少女にはすべて見えていた。
少女の片眼、透き通った緑色の瞳は、闇に沈んだ森の輪郭を如実に捉えていた。
木の緑、土の茶、水の青、白の月光、様々な『色』が淡く発光して森を形作る。
それは世界を構成するマナを可視化したものであったが、ただの村娘である少女にはマナの知識すら無い。
おとぎ話の一場面のように広がる幻想的な光景に、少女は最初こそ戸惑ったがそれが夜目に代わる役立つ物だと理解するとすぐさま順応した。
自分の身体がどうなったのかという不安は少女にもある。
だが今は一刻も早く村に帰り着きたい。
使える物は使うべきであった。
やがて僅かに森の開けた場所へと辿り着くと、少女は一旦足を止めて夜空を仰ぎ見た。
少女「魔女の家の方向、今が春光の月なら日の没する方向は……」
ここまでの記憶にある地形、満天の星に描かれる星座も羅針盤の材料にして村の大体の位置を予測する。
だが所詮は素人、大雑把な最短ルートを進むのではなく、早めに森を抜けて村へと続く道のある山の方へと行くのが最適だと少女の思考は落ち着いた。
少女「道、わたしの通った道……」
乱れた呼吸を静めながら思い起こせば、嫌でも事故の場面が瞼の裏に浮かび上がってくる。
そして同時に、ある言葉も。
『また売られたいのか?』
少女「……っ! 違う!」
思わず反論するように叫んだ。
声は人気の無い森の闇に吸い込まれ、消えていった。
それがまたむなしく、否定されているようで、少女は逃げるようにその場から走りだした。
少女「違う! 違う! 違う違う違う違う違う!!」
何度も何度も繰り返し叫びながら、少女は再び森を駆け出し始めた。
~ ………… ~
天真爛漫、いつもニコニコ、ちょっと知恵が足りない、無害な生き物。
おそらく、村での自分の評価はそんな所だろう。
だけどそれはそういう『役』を演じていたからだ。
末娘の自分に求められるものはそういう『役』、それこそが『よい子』だったからだ。
産まれた子供の半分が大人に育ちきれたら御の字という環境では、子供に人権なんか無い。
比較的身体の強い子供も、病気やケガであっさり死んでしまう事もある。
誰が大人まで育ってくれるのか分からない以上、労働力として未完成の子供は大人の手をわずらわせない事が一番の『良い子』なのだ。
そんな良い子を演じる私に、父も母も兄姉も村人たちも全員騙されていた。
だけど実際は、いつも不満を胸に抱いて、自分の境遇を呪っていた。
私は変わりたかった。
物怖じせずに胸に秘めた思いを打ち明けられる勇気ある子供に。
私は変えたかった。
自分の周りの負に満たされた環境すべてを。
私は望んでいた。
心から打ち解けられる良き理解者を、明るい未来を。
だけど村は貧しいままで、私は誰からも相手にされなかった。
親ですら、私をあっさりと人買いに売り渡した。
結局、『私』を真っすぐ見てくれる人はいない。
いや、この森で出会った人ではない連中はもしかしたら『私』を見ようとしてくれていたのかもしれない。
ただ、張り付けた仮面を剥がされて本当の『私』を見られる事があまりに苦痛でついカッとなって……
少女「……あれ?」
見られたいのに、見られたくない?
悲劇のヒロイン的思考に陥りかけていた頭に理性のストッパーさんが茶々を入れる。
ついでに理性さんは答えも教えてくれた。
少女「私は単に自分の都合のいい相手を求めていただけ?」
どっと疲れが出て来て、前のめりにその場に腕を付いた。
少女「ダメじゃん、わたし……」
~ ほぼ同時刻 ~
アルラ2「あ、いた!」
アルラ6「なんか四つんばいでブツブツ言ってる!」
少女「いや、きっと私の求めてる理解者ってのは労苦を共感出来る理解者って意味で、単に思考を見抜いた相手は理解者と呼べないのでは?」
アルラ4「理論武装かっけー」
トレント「尻ターチッ!」
少女「みぎゃーッ!? ……あ、あなたたち!? いったい何でここに?」
アルラ2「お姉さんを追い掛けて来たのー」
少女「わ、わたしを?」
アルラ4「うん、命の恩人の一員な上に寝床を貸してくれた優しいババアに水をぶっかけて飛び出していった鬼畜生なお姉さんを追い掛けて来たの」
少女「ご、ごめんなさい」
トレント「では罰としてパイターチッ!!」
ぷにゅん。
少女「みぎゃーッ!? セクハラは関係ないでしょーが!!」
ゲシゲシゲシゲシ。
トレント「ふぉっふぉっふぉっ、よきかなよきかな」
アルラ2「何か拍子抜けなの」
アルラ4「このまま悪業を積んで修羅の道にルート分岐してると思ってたのに」
アルラ6「じゃあ帰ろ?」
少女「でも、その」
トレント「生まれ育った村が気になるのは分かる。しかし何よりも先にやる事があるだろう?」
アルラ8「ババアに謝るの!」
少女「……はい、そうですね」
トレント「では帰ろうか、腹も減ったしな」
アルラ6「あれれ、奇数組はどうするの?」
少女「奇数組?」
アルラ2「1、3、5、7、9の五人なの」
アルラ8「奇数組はお姉さんを待ち伏せするように先行してたの」
アルラ4「そっちと合流して帰るしかない」
トレント「そうだな、もう少し先に進んで合流してから一緒に帰ろうか」
少女「私の先回り、ですか」
アルラ2「もしかしたらお姉さんが見つからずに、人間の村の近くまで行っちゃってたりして」
トレント「ははは、そんな馬鹿な」
アルラ2「あははー、だよねー」
~ 先行組 ~
アルラ1「見つからないの」
アルラ3「急ぐの」
森の暗闇を滑るように移動するアルラウネの一団。
メインの基礎能力が絶望的に低いため、それを補うようBパーツさんはオーパースペック気味に進化していた。
それはそれは優秀すぎるくらいに。
山を超え、谷を飛び、忍者顔負けの技を披露しながら、一団が少女を追い抜いたのは数十分も前のこと。
およそ何度目か、植物に似つかわしくない跳躍力で木々を飛び移りながら、丸い月を背景にいちいち格好いいポージングを一団が決めていた時だった。
アルラウネの一人が心配そうに言った。
アルラ5「あのさ、もしかしてさ、わたしたちお姉さんを追い越してないかな?」
アルラ9「そんなばかなー」
アルラ3「ありえないよー」
アルラ5「だ、だよねー?」
アルラ5「お腹へったし、急ごう」
アルラ7「うん! 急ごう!」
疑問を払拭。
風を切り裂き、カエルのように跳ねながら一団は道無き道を行く。
だがぶっちゃけ、司令塔のアルラウネは命令を下すだけで労苦はBパーツさんに丸投げである。
その主従関係は手綱を握る御者と馬に近い。
つまり逆に言えばBパーツさんがへこたれてきていても、アルラウネが気付かないという事態も起こりうるわけで……
アルラ1「あれ?」
アルラ9「あれれ? Bパーツさんの様子が……」
一同がBパーツさんの不調にやっとこさ気が付いたのは森を抜けた先、山の斜面に差し掛かる頃だった。
あれほど軽快だったBパーツさんたちの動きは、まるで油の切れた機械のようにぎこちない物に変わっていた。
そんな自分ら下半身のBパーツさんを見たアルラウネたちの脳裏に、ある光景がよぎる。
それは暇な時のフルマラソンだったり思いつきで始めたトライアスロンだったりと別々の光景。
だけど例外無く、普段は文句一つ言わないBパーツさんがへこたれた光景でもあった。
アルラウネとして産まれて来た以上、さじ加減を間違えてBパーツさんをしょんぼりさせる経験が一度はあって然り。
びゅうびゅうと風が吹き抜けていく。
無言の間が続く。
やがて、誰かがポツリと、
アルラ9「……やべぇ」
青白い月の光に煙るなかで、先行組のアルラウネたちは立ち往生するハメになったのだった。
アルラ3「どうしよう?」
アルラ1「一度森に帰ろう? あしたの朝日を浴びたらBパーツさんも元気になるよ」
アルラ5「うん、それしかないよね」
アルラ7「ダメ! それじゃお姉さんを見つけられないの!」
アルラ9「そ、そうだね。ならどうしよう……」
アルラ3「……おや?」
アルラ1「どうしたの?」
アルラ3「ここ、よく見たら道じゃないかな?」
アルラ9「道? ……うーんと」
アルラ1「確かに……、幅広だし、馬や人の往来があった跡があるね」
アルラ7「って事は、お姉んもここを通る?」
アルラ1「可能性は高いね。お姉さんが自分の村に行きたいなら闇雲に進まずに何かを目印にして進むはずだ。
この道はその目印たりうるよ」
アルラ9「それはつまり……」
アルラ7「やったー! 先回り成功なの!」
アルラ3「まったく、お姉さんには困ったものなの」
アルラ9「じゃあ、困ったお姉さんにちょっとしたサプライズをプレゼントしてあげる?」
アルラたち「サプライズ?」
~ 数分後 ~
アルラたち「…………」
道の片隅に並ぶ五つのツボミ。
それは野花だったり、樹木の幹から顔を出したばかりの新芽だったりと見た目はまちまちである。
ただ、やたらとデカイ。
その正体はもちろん、アルラウネたちである。
Bパーツ内に上半身まで収めた完全防御形態にして背景と一体化する欺瞞形態であり、その高次元で完成された安全性と快適性から別名『おねんねスタイル』ともいう。
そしてその別名に漏れず、アルラウネたちはこぞって深い眠りに落ちていた。
アルラ1「すやすや」
アルラ3「くー、くー」
人間の場合、空腹は睡眠を阻害する。
しかしアルラウネ含む妖樹族の場合、経口摂取以外にも光合成によってエネルギーを獲得する事が出来る。
そのため陽の光の恩恵を受けられない夜間はロスを抑えるため、空腹であればあるほど本能で眠りが深くなる傾向にあった。
アルラ7「うにゅ、眠いの……」
だがそんな本能に後押しされて皆が寝息を立てる中、一人だけ眠い目を擦りながら起きているアルラウネがいた。
理由は二つ、少女を見つけて、さらにサプライズを与えるため。
『お姉さんが近づいて来たら声を上げて驚かしてやるの』
そんな意見に全員賛同しての行動である。
みんなが寝入る事で早々に破綻した案だったが、このアルラウネだけは実行しようと眠りを堪えていた。
アルラ7「お姉さんはわたしが、……うにゅ」
奇しくもこのアルラウネは少女と初めて遭遇したアルラウネである。
このアルラウネは少女の事を他の仲間たちよりも深く慕っていた。
理由はアルラウネ本人もよく分からない。
ただ時折、血塗れで行き倒れた少女の儚げな笑みがアルラウネの頭によみがえる。
恐怖は無い。
代わりに、何だか目を離しては行けないというか、何をしても助けてあげたいというか、そんな気持ちにさせられるのだ。
そして――少女は覚えていないだろうが――森ジジイの幹の中でたゆたう少女のために樹液を混ぜている時、アルラウネは奇妙な安らぎも感じていたのだった。
何度繰り返して考えてもこの感情に答えは出ない。
でも、もしかしたらとアルラウネは考える。
血塗れでアルラウネに手を伸ばした少女の口から零れた言葉、アルラウネまで届くより先に雨音に掻き消えたあの言葉が何だったのかを知れば、この自分が抱いている気持ちが分かるのではないかと。
少女との一日は目まぐるしく、今まで聞きそびれていたが、今度こそは聞いてみようとアルラウネは思っていた。
みんなが寝入っているこの状況は不安だが、何だかワクワクと胸の躍る期待感があった。
この気持ちの答えを誰にも知られず、アルラウネと少女だけの『秘密』に出来る。
それは何だか無性にこそばゆく、甘美な響きで胸を高鳴らせた。
アルラ7「むむう……」
うつらうつらと意識が遠くなっては気を引き締める。
夢と現実がごっちゃになっていき、やがてその瞬間が訪れた。
アルラ7「……むにゃ?」
何かが近付いて来る気配。
ツボミの中からは外が見えないが、音、振動が近付きつつある何者かの存在を教えてくれた。
アルラ7「お姉さんなのっ!」
アルラウネはピンと来た。
というよりも、それ以外は考え無かった。
希望的観測、無理に起き続けた疲労、それらのせいで結構重度の思考停止状態にアルラウネは陥っていた。
普段のアルラウネなら気付いたであろう。
その歩を刻む音が二足では出せないくらいに軽快で、地面から伝って来る振動は人間よりも遥かに大きい重量感を伴っている事を。
だがそこまで頭の回らぬアルラウネは相手が少女だと思い込み、予定していたイタズラを敢行してしまった。
アルラ7「いやっほーい!」
待ちかねた分だけ盛大に元気良く、アルラウネはタルに入れられた黒ヒゲのようにBパーツからスポーンと真上に向かって飛び出した。
が、外界に飛び出したアルラウネの瞳に映ったのは予想とは別の人物――どころか別の生き物だった。
馬「バヒヒィィーン!!」
アルラ7「……あれ?」
アルラウネ上昇中。
目に入って来たのは、驚いて暴れる馬と、幌付きの馬車、ついでにあわてて手綱を引く御者の姿。
思い描いていた少女の姿はどこにもない。
御者「うわわ! 落ち着け!!」
アルラ7「…………」
最高到達点で一瞬だけ停滞するアルラウネ。
時が止まったように笑顔も視線も固まる。
あわてふためく御者を見ながらアルラウネは重力に引かれて下降、Bパーツの上に着地、そして元いたように素早い動きでBパーツの中に閉じこもった。
一連の動きは自然で淀み無く、物音一つ立てない見事なものだった。
このちっこい生き物、危険察知能力だけは無駄に高いのであった。
馬「ひひーん!」
御者「落ち着け! このっ!!」
前足を高く掲げていななく馬を、御者が必死に手綱を繰って落ち着かせようとする。
アルラ7「あわわ……」
振り下ろされる馬蹄がすぐ身近の地面を叩く。
Bパーツの中のアルラウネは恐々と身を縮め、嵐が過ぎるのを待つ心持ちだった。
しかし嵐は収まらず、そうこうしているうちに新たな騒動の種が飛び込んで来た。
商人「何をやってる間抜け!」
手間取る御者のすぐ後ろ、左右から閉じていた馬車の幌がおもむろに開かれる。
青白い月明かりの下、丸々と肥えた商人がのっそりと馬車の奥から歩み出て来た。
狼狽した御者はやつれた顔に媚びるような卑屈な笑みを張り付け、ペコペコと何度も商人に頭を下げる。
御者「す、すいません。馬の前に何か変な物が飛び出して来まして……」
商人「変な物? 変な物って何だ?」
御者「えっと……、小さくて、何か叫んでいたような……」
商人「バカな言い訳をするな! どうせ居眠りでもしていたのだろう!」
御者「いえ、その……、確かに何かが……」
商人「まったく、これだからグズなヤツは……ぶつぶつ……」
ふんぞり返る商人。
すでに御者の言うことを聞くだけ無駄だと決め込んで無視している。
そんな商人の姿に御者は卑屈な笑みを痛々しく歪め、それでも商人の機嫌を害せぬようやんわりと意見した。
御者「あの、ところで大事を取って今日はもう休みませんか?
夜に馬を動かして事故を起こしては元も子もありません。
現に、半年前に御主人様のお兄様はここらの事故で……」
商人「オレを兄と一緒にするな!
それに見てみろ! 空には輝かしき月が浮かんでいる!
我らの進む道は闇夜に晧々と浮かび上がっているぞ!」
兄という単語を聞いた途端、商人は激昂して声を張り上げる。
そして舞台俳優のように芝居掛かった動きで大振りに腕を広げると、空に浮かぶ月を指差して御者に語って見せた。
見るものが見れば、何かしら惹き付けられる物があるかもしれない。
ただ、内実を知っている御者には商人の姿が滑稽な道化にしか見えなかった。
この商人は、地方でちょっとは名の知れた商館の長の息子だった。
しかし世情に疎く、器量も無く、一言で断ずるに無能そのもの。
長の父が病床に伏せると、とにもかくにも跡目欲しさに、同じく才気の欠片も無い兄と一二をめぐって争う始末。
そんな子供らを見て、聡い父は、血こそ繋がって無いが有能な部下の一人に商館の跡をひっそりと託した。
新しい長は優秀だった。
おだて、持ち上げ、言いくるめ、無能な商人兄弟を商館から遠ざけて雑用に回した。
やがて兄が事故で死に、弟は全てが手に入ると喜んだ。
それから現在、弟――もとい、御者の主であるこの商人は、いつか商館の長になれると信じて延々雑用を続けている。
知らぬは本人のみだった。
御者「……いや、そんなヤツの下にしか着けない自分も自分、か」
商人「……? 何かいったか?」
御者「いえ、別に」
商人「なら早く進め、グズが」
馬を潰す夜道の危険性も知らない温室育ちらしい無謀な命令。
しかし御者は反論の術を知らない。
御者はあくまで従者だ。
出来る事と言えば、主に気付かれぬよう顔を俯けて小さく嘆息するくらいだった。
アルラ7「…………」
商人と御者が言葉を交わす間、道の真ん中に取り残されるアルラウネ。
しかし流れ的にはベストだった。
御者の前に飛び出したことはうやむやになり、アルラウネの存在は夜陰に紛れて二人には気付かれていない。
このまま商人たちが通り過ぎれば万事オッケーだ。
アルラ7(はやく行けー、なのー)
Bパーツの内側で目を閉じ、祈る。
そんな念が通じたか、すぐに真上で御者の声が上がった。
御者「それでは、出発しますよ」
アルラ7(よっしゃ!)
小さくガッツポーズ。
逆転大勝利。
そう、このまま馬車が通り過ぎれば……通り……過ぎれば……
アルラ7「……ん?」
いやな予感。
本能の危険察知能力が働いた。
アルラウネは頭の中で瞬時に状況を組み立てる。
アルラ7「えっと……」
馬が動く。
馬車も動く。
通るのは道。
道にはわたし。
ぐしゃー、ふみふみ。
アルラ7「…………」
Bパーツさんは偉大だ。
豪傑クマの会心の一撃でさえ内部には一桁ダメージしか通らないくらいに偉大だ。
もし馬車に踏み潰されても、そのダメージは微々たるもの。
例えるならば、タンスに小指をぶつけて転げ回った挙げ句、本棚にぶつかり後頭部に辞書の一撃を追加で食らう程度に済む。
それで難を逃れられるのなら安い買い物だ。
アルラウネは決断した。
アルラ7「ごめんねBパーツさん!」
さも当然とばかりにアルラウネはBパーツから緊急脱出した。
見事な放物線を描き、アルラウネの小さな身体は宙を舞った。
ただ逃げるに際して、アルラウネも少しは考えていた。
放出角度、飛翔速度、御者の死角になるであろう弾道値を勘で選び抜いた。
そしてその試みは成功し、御者を欺く事が出来た。御者は。
馬「がぶり」
アルラ7「ぎにゃーっ!?」
馬の口がアルラウネの身体をナイスキャッチ。
馬はアルラウネの緑色の髪をもしゃもしゃと咀嚼し始める。
アルラ7「やーめーるーのー!」
馬「はみはみはみはみ」
アルラ7「くっ! こうなったら! 奥義ソーラービーム!!」
だが 日照量が 足りない。
アルラ7「しまったのー!?」
御者「な、何だ!?」
商人「何事だ!?」
アルラ7「終わったー!?」
御者&商人「うわーっ!? 魔族だーっ!?」
馬「はみはみはみはみ」
アルラ7「きゃーっ!!」
御者&商人「ぎゃーっ!?」
~ それから十分後 ~
アルラ7「むぐぐ……」
アルラウネは後ろ手に縛り上げられていた。
ついでに両脚も縛られ、口には念入りに猿轡も噛ませられている。
御者「ど、どうしますか?」
商人「どうって……うん……」
御者と商人は見た目幼女と変わらぬアルラウネからやたらと距離を取り、ひそひそと小声で会話する。
御者「つい捕まえちゃいましたけど、もう荷台から捨ててしまいましょうか?」
商人「し、しかし勿体ないとは思わないか?」
御者「勿体ない? 何がですか?」
商人「いやな、せっかく捕まえたのだから何か有効活用出来ないかと」
御者「バカは頭だけにしてください。魔族を何に活用するんですか?」
商人「そう、だな……、いやコイツ見た目は人間と大差無いし、力も弱い」
御者「まさか、売るんですか?」
商人「どの道、今から『似たようなもの』を揃えて町に持って帰るんだ。キワモノが一つ増えた所で……」
御者「……確かに、珍品が好きな相手もいますが」
商人「上手くすれば貴族連中にも取り入れるかもしれないぞ?
そうすれば雑用なんてやめて今すぐにでも商館の長に……」
御者「ま、まあ、考えは分かりました。それではこれからどうします?」
商人「決まっているだろう? 当初の予定通りに村へ行く」
御者「了解です」
話が終わると片方の男は御者台に、もう片方の男は馬車の隅に腰を下ろしてアルラウネを不安そうな目つきで見やって来る。
アルラ7「むー! むー!!」
びたーん、びたーん。
そんな中でアルラウネに出来る事と言えば、打ち上げられた突撃魚のように馬車の中を跳ね回り続けるだけだった。
~ 山道 ~
アルラ2「あ、いた!」
アルラ4「お姉さん、こっちこっち!」
少女「はぁ、はぁ……、まさか本当にこんな場所まで来てたなんて……」
トレント「しかし、人里まで行って無くて良かったな」
少女「うん、それだけが唯一の幸運ね。
ほら、みんな起きて起きて!」
アルラ1「うにゅー、ねむいのー」
アルラ3「むにゃむにゃ」
アルラ2「全員整列ー! 番号!」
アルラ1「力の1番!」
アルラ2「技の2番!」
アルラ3「両方持ってる3番!」
アルラ4「4」
アルラ5「5番!」
アルラ6「6番なの!」
アルラ8「8番でする!」
アルラ9「9番、ねむねむ」
トレント「うん?」
少女「あれ?」
少女とトレントは顔を見合わせた。
トレント「聞き間違えか?」
少女「みんなーもう一度! ぷりーず! わんもあぷりーず!」
アルラたち「♪~ 1番、2番、3番いるよー、
4番、5番、6番いるよー、
7抜き、8番、9番いるよー、
10人のアルラウネー! 10人のアルラウネー!」
トレント「……10?」
少女「いや、それも突っ込むべきなんだけど……」
アルラ4「いちまい足りなーい」
怪談話でもするような、おどろおどろしい調子でアルラウネの1人が答える。
少女は頭を抱えた。
少女「1人足りないじゃないのよーっ!?」
トレント「おや? あんな所にBパーツが……」
アルラ1「本当だ! でも中身は空っぽなの」
アルラ2「Bパーツさんをほうり捨ててどっか行くなんて、よっぽどの事があったの!」
アルラ4「大きい方のトイレか」
アルラ8「断言!? しかも4番ちゃん的に小さい方は可なの!?」
少女「うーん、でも本当どこに行っちゃったんだろ?」
アルラ5「Bパーツさんに聞いてみるといいの」
少女「え? 話せるの、コレ?」
トレント「いや、話せんよ。しかし補助分体であるコレは本体のアルラウネと精神の奥底で繋がっているのだよ。
そしてまたそれに従い、本体の元へと戻るという帰巣本能に近い性質を有している。
早い話、コレの後を追って行けばアルラウネの元にたどり着ける」
少女「でも、なんかこのBパーツ? へこたれてるんですけど……」
トレント「力を使い果たしたのだろう。ワガハイがパワーを分けてみよう」
アルラ1「ジジイ! こっちも分けて!」
アルラ5「こっちもこっちも!」
トレント「はいはい、ちゃんと一列に並ぶのじゃぞ」
少女「まるで飴売りね、……あら?」
アルラ4「どうした? ……道、……車輪の跡?」
少女「それにヒヅメの跡も、けっこう新しいし、これは……」
アルラ4「頭に浮かぶのは嫌な予感? それともトラウマ?」
少女「……あなたはちょっと口の利き方を考えなさい」
アルラ4「いたいいたいいたいいたい」
少女がアルラウネの頭を掴んでこめかみを握り拳でグリグリすると、アルラウネは短い手足を逃げるようにバタつかせたのだった。
~ 村 ~
馬車が着くと、村は青ざめた月光の下で静かに寝入っていた。
商人の唯一の従者は素早く御者台から降り、慣れた足取りで村長宅を目指す。
そして数分後、御者は外套を上に羽織った村長を引き連れて馬車まで戻って来た。
村長は馬車の荷台の上にふんぞり返る商人にうやうやしく頭を垂れる。
村長「これはこれは、よくぞおいで下さりました」
商人「出迎えご苦労、早速だが寝床と飯を用意してもらおうか」
村長「ええ、町に比べたら大したお持て成しは出来ませんが誠意を以てご用意させて頂きます。
ところで、何故このような時間に来られたのでしょう?
朝昼に来られましたら、礼を失する事もありませんでしたのに……」
言外に『夜来んなよ、迷惑だろうが』と言う村長だったが、この商人がそんな機微を解する訳もない。
商人「時は金なりだ。人の動かぬ時にこそ動く価値がある」
村長「おお! なるほど、タメになります」
商人「そうだろうそうだろう、だいたい……」
商人は丸い腹を支えながらえっちらおっちら馬車から降り、話を続けながら村長宅へと案内されていく。
そんな商人と村長の背中を見つめながら、御者は呆れたようにため息を吐いた。
どうせ今から寝るのならば無理に夜の間移動する必要が無かったのではないのか、商人なら人が動く時にこそ動けよ、とか言いたい事は山ほどあるが御者は御者台に戻って馬を操り、村長宅の脇の馬小屋に馬車を移動させた。
御者「ふぅ、向こうは柔らかいベッドに美味いメシ。かたやこちらは馬車に雑魚寝で硬い干し肉か」
御者は皮袋から黒い干し肉を一本取り出しタバコをふかすように口にくわえた。
アルラ7「むー! むむー!」
御者「お互い災難だな? 一本食うか?」
アルラ7「むぐぐーっ!! むー!」
御者「おっ? 欲しいか? おっ?」
御者は干し肉を指に挟み、まるで猫じゃらしを振るようにアルラウネの前で干し肉を振る。
アルラウネは干し肉に飛び付くように跳ね回った。
一見ほのぼのした光景だが、
『いるかボケがーっ!! どうせならキサマをぶっ倒して身ぐるみ全部剥いじゃるわい!』
と、アルラウネは鼻息荒く猿轡の内側で叫び、全力で御者に飛び掛かっていた。
だが結局、両手足を拘束されているアルラウネは力を使い果たし床に倒れたまま肩を上下させる。
眼前で振られる干し肉と御者の笑顔に、アルラウネはこめかみに青筋を作りながらきつく猿轡を噛み締めるのだった。
~ 追跡班 ~
Bパーツ「…………」
のそりのそりと太い根を動かしてBパーツは移動を続ける。
その歩みは基本的に道に沿ったもので、否応なしに終着点を予想させた。
少女「……」
――どうしよう?
みんなと並んで歩きながら少女は顔を曇らせる。
このままではおそらく故郷の村に着いてしまうだろう。
ただあんなに帰りたいと願っていた村だが、今は不安の方が大きかった。
なぜか?
現実を直視するのが恐ろしいからだ。
今は期待、願望が最後の一線を構築している。
確認しなければ、いくらでも暖かな夢想を続けられる。
確認すれば、動かしようの無い現実を突き付けられる。
でも、結局アルラウネは探しに行かなければならないし……
トレント「怖いか?」
少女「……え?」
突然、見透かされたような言葉をトレントに浴びせられる。
少女は冷や水を掛けられたようにびくりと背筋を伸ばした。
きっと自分は険しい表情を浮かべていたのだろう、相手に気を遣わせた事に少女は申し訳ない気持ちになった。
少女「ご、ごめんなさい」
トレント「かまわんよ、ところで裸足のままで大丈夫か?」
少女「ええ、尖った石は見えるし、柔らかい土の場所もだいたい分かるから大丈夫」
トレント「見える? その緑色の右目にか?」
トレントは驚いた様子だった。
少女は小首を傾げる。
少女「え? 景色がこう、ぽわーと色とりどりに淡く光って見えるのだけれど……。
あれ? 魔族的には普通じゃないの?」
トレント「驚いたな。マナを視る事が出来る奴は魔族でも一握りだ。高位の魔術師なら術式を組んで視る事も可能らしいが……」
少女「へー」
トレント「それにいくら地面が見えていても、森から山までを裸足で歩いて傷一つ無いというのは……」
トレントが難しそうにうめく。
しかし二人の会話は、前方でアルラウネたちがざわめき始めた事で幕引きとなった。
アルラ1「あれ? 何か遠くに見えない?」
アルラ8「明かりがゆらゆらと揺れてる?」
アルラ4「山奥の、寒村」
少女「……っ!」
はっとして少女は顔を持ち上げる。
勾配の緩い登り坂となって続いていた山道はそこで区切りを迎え、下り坂となっていた。
数歩と進めば坂の上から広範囲の景色を俯瞰して見て取れる。
ささやかな月明かりでは浮かぶ全体像も心細いが、少女がそれを見間違えるはずが無い。
右の緑眼のサポートを交えれば尚のことである。
少女の見下ろした先には、断崖絶壁の荒い岩肌を切り崩して無理やり造り上げた、そんな荒涼とした雰囲気の村があった。
その村の中央、村長の家の門前に揺れるランタンの灯りを遠目に見ながら、少女は呆けたような顔でその喉奥から声を絞り出した。
少女「わたしの、村……」
薄桃色の唇が、小さく震えた。
トレント「さて、どうしようか?」
少女「え? あっ、はい」
アルラ1「焼き討ち!」
アルラ2「兵糧攻め!」
アルラ9「大水計!」
トレント「こらこら、適当な事を言うな」
アルラ4「おひるね」
トレント「よし、オッケーじゃ」
少女「ちょっ! オッケーなの!?」
トレント「まあ聞け。アルラウネたちを村まで連れていく訳にもいかんだろ。
アルラウネはここでお留守番、潜入はワシとお嬢ちゃんだけだ」
少女「潜入……」
トレント「お嬢ちゃんなら村の隅々まで知っておるだろう?
しかし切り株の姿のワシは見つかってもスルーされるだろうが、お嬢ちゃんは見つかったら、ちぃとばかし危ないかもしれん。
嫌なら一緒に来なくてもいいが」
少女「いえ、行きます。連れて行ってください」
トレント「よしきた。では見つからないように身をひそめて行くぞ」
少女「はい、みんなもここで待っていてね」
アルラウネたち「わかったのー!」
~ 潜入 ~
トレント「オーソドックスに端から攻めるか」
少女「いえ、村の外周の畑には害獣対策の鳴子が仕掛けてあります。番犬が飛び起きて来ますので危険です」
トレント「では、やはり」
少女「正面からか、もしくは大回りして反対側の荒れ地からしかないですね。
いつもこの時間ならみんな寝静まっているはずなんですけど」
トレント「明かりが点いているな」
少女「はい、きっとあの馬車の跡が関係すると思います」
坂の上から眺めた際には村長宅にのみ灯っていた明かりだったが、今は村全体の家々にぽつぽつと飛び火していた。
トレント「村の長以外も叩き起こして歓待か。
はてさて、どんな大物が来たのやら」
少女「ただの商人ですよ。夜に来たのは初めて見ますけど、いつもあんな感じです」
トレント「商人? それにしては……」
少女「ある商館に村で結構な額を借金してるんですよ。こんな辺鄙な場所まで来る商人も彼らだけですし」
トレント「なるほど、二つの意味で首根っこを押さえられているのか」
少女「そう、ですね」
少女は一瞬だけ顔をしかめる。
長年住んでいた村だ。
事実ではあるが、他者にそう易々と口に出されると自分の事のようで心が痛い。
そうして少女が顔に憂色を浮かべているときだった。
不意に何かが少女の尻を叩いた。
少女「ひゃんっ!?」
トレント「落ち込むな、人生色々ある!」
言いながらまたトレントは枝の集まったような手で少女の尻を叩いてくる。
少女「ちょっ!? なにしてるの! セクハラ!!」
トレント「いやあ、肩を叩こうにも、切り株の姿では尻までしか手が届かんでなぁ……」
少女「こ、この……っ!」
――ごすっ。
紅潮した顔に怒りと恥ずかしさを滲ませながら、少女はトレントを思い切り蹴り飛ばした。
トレント「ごふっ……悔いはない……」
少女「それはもういいから! 行くわよ!」
げしげしとトレントを一通り足蹴にすると、少女は不機嫌そうにトレントに背中を向けて歩きだした。
トレント「そ、それで村へはどう潜入する?」
少女「大回りして荒れ地から入ります!
まったく、もう……」
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません