唯「猫女のキス」 (32)
唯×梓×映画
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◆最初の夜 アラン・レネ監督「風にそよぐ草」
夜 静かな室内
家具の少ない部屋
カラーボックスのような小さな本棚には僅かな本とたくさんのCD
それから 映画のDVDとブルーレイ
壁には映画のポスター
その下にはスタンドにかけられたギターが2本並んでいる
そうしたことすべてのようすから
この部屋には音楽と映画が好きな住人が住んでいることがわかる
二人の若い女性が一枚の毛布をかぶって 会話をしている
「あずにゃん、最近元気がないね。」
「そうでしょうか。」
「うん。落ち込んでるみたいだよ。なにかあった?」
「アラン・レネが死んだんです。」
「誰? あずにゃんの知ってるひと?」
「ちがいます。」
「ブラジャーのパッチンを発明したひと?」
「なんですか、それ。映画監督ですよ。フランスの。先日亡くなったんです」
「その人が亡くなったのが、あずにゃんは悲しいんだね。」
「ううん。ほんとはよくわかんないんです。
「わたし今までアラン・レネのことをそんなによく知ってたわけじゃないし、
「彼の撮った映画にもそれほど関心があったわけじゃないんですけど。
「だけど、なんだか、やっぱり同じ時代を生きていたひとが
「いなくなっちゃうのは、やっぱり、なんかへんなかんじがするんです。
「悲しいのかな、私。」
「そうなんだ。うーん、どうなんだろ。」
「なんて、唯先輩にきいてもわかりませんよね。」
「ごめんねえ。」
「ううん、いいんです。こっちこそ、心配かけちゃってごめんなさい。
「それで、今日、彼の映画を観てみたんです。何年か前に撮られた新しいやつ。
「えっと、でも最新作じゃあないのかな?」
「タイトルは?」
「風にそよぐ草。」
「たのしかった?」
「うー…たのしくは、なかった、かも?」
「ぎもんけい?」
「いえ、つまんない映画じゃなかったんですよ?
「でも、たのしいかって言われるとー…たのしい?のかな?
「うー、フランスの映画って…いっぱんてきに、ほら あんまり、
「たのしいとか、そういうものでは、なかったりしてですね」
「たのしくないのに観るの? あずにゃん、変だー」
「へ、へんじゃないですよ。
「へん…へんなのかなぁ。
「あっ、でも、思ったよりたのしかったかも。
「うん、笑えるとことかも結構ありましたし。唯先輩、好きかも。です。」
「それってけっきょく、どういう映画なの?」
「恋愛映画です。」
「わおう。いいねえ。あずにゃん、いいねえ。」
「なんですか、その目はー。やめてください、つんつんしないでくださいー。」
「つんつん。で、どんなお話なの?」
「あ、もうやめちゃうんだ…なんでもないです。
「えっと、映画は靴を買いに来た女の人がひったくりにバッグを取られちゃうとこからはじまるんです。
「女の人はお財布もなくなっちゃったから、おうちに帰るお金もなくて
「せっかく買ったばかりの靴を返品してお金を返してもらったりして。」
「かわいそう。」
「それから、別の男の人が、ショッピングセンターの地下駐車場で
「その女の人の財布を拾うんです。」
「お財布見つかってよかったね。」
「そうですね。」
「あずにゃん、その二人が恋に落ちるんだね?」
「そういうことに、なります。でもなかなかうまくは行かないんです。
「なんというか、この男の人は、悪いひとじゃないんですけど
「ちょっとへんなんです。」
「へん?」
「お財布を拾う前も、駐車場を歩いてる派手な女の人を見て
「殺してやろうか、なんて考えたりして…。
「なんていうかな、ひょっとしたら、過去になにか罪を犯してるのかも。
「たぶんそこまでじゃないんだけど、例えば、統合失調症とか、
「そういう病気で、妄想を抱きやすいたちなのかな、
「ってかんじがするんですけど。はっきりわかんないです。」
「ふんふん。」
「男の人は財布の中身を調べて、女の人の顔や名前を知ります。
「財布のなかに飛行機の免許が挟まってるんですが、
「そこに男の人は惹かれるんですね。
「この女の人はどういう人なのかな、とか。
「あとからわかるんですけど、男の人は飛行機が大好きなんです。
「うん、この映画のなかで飛行機がなんどか出てくるんですけど、
「でもなかなか画面には飛んでる姿が映らないんですよね。
「あ、飛行機が飛んでるな、って男の人が空を見上げたりするんですけど
「カメラはその視線を追わずに、飛行機を見てる男の人を映すんです。
「ふつうそういうときって、青空を飛んでる飛行機とかを見せると思うんですけど。
「映画の画面で見る飛行機ってきれいですし。
「だから、この見えない飛行機って、なにかの比喩なのかな、って思うんですけど、
「よくはわかりませんでした。
「ただ飛行機が映らないことで、なんとなくもやもやみたいのがありました。」
「うにゃー。あずにゃん、ちょっとむずかしい。」
「ストーリーのはなしに戻りましょう。
「いろいろあって警察経由で財布は女の人のもとに戻ります。
「女の人が、財布を拾ってくれたお礼の電話をかけてきます。
「その電話がトラブルのきっかけになっちゃうんです。
「というのは、女の人がお礼を言うだけだったからなんですけど。
「それで男の人が怒って『がっかりだ』って電話を切っちゃって。」
「どうしてお礼言うと怒るの?」
「男の人が『会わないか?』と訊いたら、
「女の人が『その必要はないわ』と断るからです。」
「えー、なんでそれで怒るのー?」
「男の人はもう女の人のことを好きになってるからですよ。
「そしてたぶんそれは運命の恋なんです、おそらく。」
「え?そうなの。」
「はい、たぶん。
「だから、そんな運命の恋なのに、
「女の人が真剣になってないことに、
「男は怒るわけですよ。」
「まだ会ったことないのに。」
「そうなんですよね。ちょっと、このひと勝手ですよね。
「でも、だから、つまり、ちょっとへんなひとなんです。
「それから、男の人は女の人に謝罪の手紙を送ったり、
「毎日電話をかけて留守電にメッセージを吹き込んだり、いろいろします。」
「一途だね。いやー。」
「ちょっとこわいです。女の人も怖くなって、
「ある夜、『もう電話かけてこないで』とはっきり言います。」
「失恋だー。」
「失恋です。それでちょっとおかしくなっちゃった男の人は、
「女の人の自宅まで行って、自動車のタイヤをぜんぶパンクさせちゃうんです。」
「えー、なんでー?」
「自分に関心をもってもらいたかったのかも…
「女の人はすぐに警察に通報します。」
「そうだよね。逮捕されちゃった?」
「いえ。
「でも警察に怒られて、男の人はすっかりしょげかえっちゃいます。
「女の人が警察に通報したことも『うす汚い女だ!』って罵ったりして。」
「でもその人がパンクさせちゃうから…」
「この人のなかでは、今自分たちは大恋愛中なんだから、それなのに、
「二人の問題に警察を巻き込んだことがゆるせなかったんだと、思います。」
「あ、そっか。じゃあ悲しい話だね。」
「このひとにとっては、ですね。
「それからちょっと状況が変わるんです。
「今度は、女の人が男の人のことを気にしはじめます。
「警察に通報したのはやりすぎだったかな、って。
「それでそのことを謝ろうと男の人の家に電話します。」
「ようやく恋が進みそうだね。」
「すると電話に出たのは男の人の奥さんでした。」
「えーっ。そのひと、奥さんいるのっ?」
「奥さんいるんです。子どもと、孫までいます。」
「それ浮気じゃん。だめだよ、あずにゃん、浮気はだめだよぉ。」
「そうなんですよね。浮気なんですよね。
「でも、恋しちゃうときはしょうがないのかも 浮気でも。」
「あずにゃん、浮気しないでぇ~。」
「しませんよ。」
「あずにゃーん。」
「へへ。
「それで奥さんから、男の人が映画を観に行ったことを聞いた彼女は、
「映画館の近くの喫茶店で、緊張しながら彼を待つことにします。
「映画は朝鮮戦争を舞台にした戦闘機乗りの映画です。
「アメリカ映画かな?
「映画が終わって、彼が出てきます。
「それまで二人は直接会ったことはないんですけど
「彼女はすぐに彼のことがわかります。
「店を出て、追いかけて、それから追いこして、ぱっと振り向きます。
「その瞬間、彼女は息をのむ。」
「恋しちゃった?」
「そうです。」
「ひゅー。」
「二人は今までの経緯をわすれて、仲良く珈琲店に入っていきます。
「それで、女の人は彼に『奥さんと一緒にうちにいらして』と招待するんですけど、
「それを聞いた男の人はがっかりして、女の人を置いて帰っちゃうんです。
「どうせそんなことだろうと思った、って。」
「どうして、がっかりしちゃったのかな。」
「奥さんを一緒に誘ったからです。
「二人が顔を合わせた瞬間、彼女は彼に恋に落ちたし、
「おたがいが愛し合ってること、ことばにしなくても、気づいてたんです。
「なのにまだ女の人が真剣になってないから、
「男の人は怒っちゃったんですね。」
「恋ってむずかしいんだね。」
「です。ね。
「……女の人は、それから彼のことが頭から離れなくて、
「ずっとぼーっとしてるんです。
「それを見かねた彼女の友達が、男の人に
「『彼女をそっとしといて』と忠告します。
「でもそのときの悲しそうな男の人の顔を見て、
「彼女はいっそう彼のことが気にかかるようになるんです。
「別の日の夜にまた彼のうちに電話して、
「彼は留守なんですけど、
「さっきの女友達といっしょに家に押しかけて
「彼の奥さんとお話をします。」
「なんかすごいね、対決だね。
「愛人対奥さん。」
「正確に言うとまだ愛人じゃないんですけど。
「ふたりはまだ顔を合わせただけですし。
「それから彼が帰ってくるんですけど、
「なぜか彼女の友達のほうにこっそりキスしちゃうんです。」
「ええーっ、なんでー!?違う人が好きなんじゃないの?」
「たぶん、彼女へのあてつけで…
「それに、なかなか真剣にならない彼女に、
「彼としてはもう愛想を尽かしてたのかも。」
「そうなんだ、おとなの恋ってなんかすごい……」
「女の人は男の人に
「もう顔を見せるな
「と拒絶されて、追い返されてしまいます。
「それからの女の人はかわいそうで
「このひと、売れっ子の歯医者さんなんですけど、
「混乱しちゃって治療もうまくできなくて、
「とうとう女の人は半分パニックになって
「友達にあとを任せて逃げ出しちゃいます。
「あ、この友達のひとも同じ歯医者さんです。
「いいですよね、歯医者さんって、なんか。」
「わたし歯医者さんこわい。」
「でも、いい匂いしません?
「女の人の行き先は自分の飛行機がある飛行場です。
「彼女はスピットファイアっていう飛行機を持ってるんです。
「戦争に使われてた、イギリスの戦闘機で、きれいな飛行機です。
「今でもほんとにあるのかな。
「憔悴してる女の人は、その飛行機のなかで一夜を過ごします。」
「それから?」
「それから。
「女の人は友達に電話して、彼と彼の奥さんを飛行場に連れてくるよう頼みます。
「二人を飛行機に乗せてあげたいと言って。
「男の人は迎えに来た友達にも敵意丸出しで乗り気じゃないんだけど、
「奥さんのほうが賛成して、誘いに乗ることになります。」
「ふたりはどうなるの?」
「飛行場の事務所の中で、ついに再会する彼と彼女。
「穏やかな午前の光が差し込む屋内。
「あたりにはだれもいない。
「二人っきりで見つめ合う目と目。
「通じ合う二人の心。
「彼は彼女を抱き寄せて、熱いキスをします。」
「わあ。」
「途端に鳴り響く20世紀フォックスのファンファーレ!
「彼の黒いジャケットに浮かび上がるエンドマーク!
「FIN!第三部完!」
「あれ、それで終わっちゃうの?」
「ほんとはおわんないんですけど。でも、ある意味そこで終わってるのかも。
「そこがクライマックスであることは確かです。
「それから二人は、というか奥さんを入れた三人は、
「彼女の飛行機、さっきのスピットファイアとは別の飛行機ですけど、
「それに乗って空に飛び立ちます。
「たしか、ここがようやく始めて飛んでる飛行機が映るシーンです。
「ここって考えてみるとすごいシーンですよね。
「だって、さっきキスしたばかりなのに、
「密室のなかに奥さんと夫とその愛人の三人なんですから。
「すごい。こわい。」
「こわい。ドキドキ。」
「彼女は彼に、飛んでる飛行機を運転させてあげることにします。
「よろこぶ彼。飛行機好きですからね。
「そのとき彼女は彼の社会の窓が開いているのを発見しちゃうんですよ。
「実は、さっき彼女と再会するまえに
「彼はトイレにいくんですけど、そのときチャックが壊れちゃうんです。
「ここらへんなんか緊張感なくて笑っちゃいます。
「キスしてたときも、ずっと社会の窓が開いてたんです。」
「やーん。」
「それで…それを見つけた彼女と、彼は、
「たぶんちょっとエッチなきぶんになっちゃうんですね。」
「えっち?」
「えっちです。」
「あずにゃん、えっち。」
「私じゃないです。
「奥さんいるのにえっちになっちゃうふたり、すごいですよね。
「で、そこから画面が切り替わって、
「地上でその飛行機を見つめてる人が映しだされます。
「急にアクロバット飛行をはじめる飛行機。
「最後には、飛行機は墜落してしまいます。
「はっきり映らないんだけど、たぶんしてます、墜落。
「乗ってた三人は、きっと死んじゃったのかな?
「それでおしまいです。」
「おしまいなの?」
「はい。」
「なんか奥さんかわいそうかも。」
「ですね。」
「なんにも知らずに死んじゃったんでしょ?」
「たぶん。
「それとも、二人がそういう関係だってこと、気づいてたのかな。
「そこらへん、私にはよくわかんなかったです。」
「飛行機はなんで落ちちゃったのかな。」
「映画を観てても、それはわからなかったです。
「男の人が操縦を失敗したのか、無理なアクロバット飛行で故障したのか。
「もしかして心中しようとしたのかも。」
「浮気に怒った奥さんが暴れたのかも。」
「それもありそうです。」
「あずにゃん。」
「はい。」
「この映画、たのしいかな。」
「私にもわかんないです。むずかしいんです。」
「いろいろむずかしいんだね。」
「ただ、観て後悔はしてないです。
「今までに観たアラン・レネの映画って、
「ぜんぶ白黒だったからわからなかったんですけど、
「風にそよぐ草はすごく色がきれいな映画で。
「ふしぎなストーリーと相まって夢の中みたいな感じでした。
「それに音の使い方が印象的でした。
「音楽がよくかかってるんですけど
「それだけじゃなくてハイヒールをはいて舗装された道を歩く音とか
「コーヒーカップをテーブルに置くときの音とか
「わたしたちがふだん生きてて気づかない色んな音が
「うつくしい音に聞こえました。
「それに気づかないことがうそみたいに。
「このお話も、なんというかすっきりしない展開だし結末なんですけど、
「この映画って、つまり全体がパロディなんじゃないかと思うんです。
「恋愛映画のパロディ。
「たとえるなら、ゴダールの気狂いピエロが犯罪映画のパロディであるように
「恋愛映画を茶化して、面白おかしくしあげた映画なんじゃないかな。
「今までに観てきた監督の映画って、
「戦争の傷跡とか 失われたものとか 狂気じみた愛とか を扱う
「シリアスな映画だったんですけど
「そういうシリアスさそのものを茶化す意味もあったのかもしれない。
「画面は美しいし、音も綺麗だし、
「スクリプトもところどころ緊張感がある
「前衛的な演出もたくさんある。
「だけどなんかずっと気の抜けた感じで。
「なんかハリウッドの安い恋愛映画で似たような雰囲気のあったような。
「きっと真面目さなんて、もう今の時代には無理なんだよって。
「映画も 人生も こんなふうに
「たとえば真剣な恋愛の最中に社会の窓が開いちゃうみたいに
「シリアスさを欠いたものなんだ
「って 監督が言ってる気がしました。」
「???」
「むずかしかったですね。
「けど、唯先輩といろいろ話してたら、すっきりしました。
「ありがとうございます。」
「やっぱり、あずにゃんは映画と音楽の話をしてるときが一番楽しそうだね。」
「いちばん、ってことはないでしょ?」
「んーん。いつもあずにゃんの顔見てるからわかるよー。」
「遅いからそろそろ寝ましょう。」
「あずにゃん。キス。忘れてる?」
「キス?」
「あずにゃんが映画の話をする。私がキスする。いつもの約束。」
「えー、今日はいいです。」
「はいはい、こっちいらっしゃい。ちゅー。
「ん。いいこいいこ。
「じゃあ、あずにゃんおやすみ。」
「おやすみなさいです。」
「次はたのしい映画の話してね。」
「考えときます。」
「おやすみ。」
「おやすみ。」
アラン・レネ(1922-2014)
◆最初の夜 終わり
続く
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