ひよっ子魔女と嘘嫌い (87)


 魔女がどこに住んでいるのかは誰も知らない。
 森のほとりの風車小屋とかにいるらしいとは言うけれど、
正しくこの場所! と示せる人はいないのだ。

 普段は誰にも必要とされないし魔女の方も誰かを必要としないので、
お互いが出会うことはめったにない。
 それは不思議というほど不思議なことではないけれど、
実はそれこそが魔法ということ。

 手元にあるものでは困りごとを解決できないと感じたとき、
その思いが強ければ魔女はその人の前に姿を現す。
 理由は誰にも分からない。
 もしかしたら魔女自身にも分かっていない。
 それは丸ごとまとめて不思議、つまり魔法と呼ぶのだ。


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……

 エレクが村を飛び出したのは太陽が東の空にあったときで、
今は真上あたりにあるからそれなりに遠くに来たことが分かる。
 脇目も振らずに走って、あと時々歩いたり転んだりしたので、
喉がヒリヒリと水を欲しがっていた。

 村の家々ははるか後ろに消えてしまって道の先には草原が青々と広がっているのみだ。
 不安が急に押し寄せてきて泣きたくなったけれど、
引き返すのはそれ以上に嫌だった。

 それによくよく考えたら泣くのはもうとっくに済んでいて、
怒るのも終わったし、今の心の中は冷たい隙間風っぽい感じ。


 エレクがなぜ村を飛び出したのかといえば、それにはもう大変な理由がある。
 けれども一言にまとめることもできて、ただの喧嘩とも言えた。
 そして誰との喧嘩かといえば、それは自分以外の全員なのだった。

 全員は、つまり全員だ。
 自分以外の世界すべて。
 ずいぶん大きな話だけれど、エレクはいたって真剣だった。
 ぼくは世界と戦ってるんだ。

 でも実際は戦えてない。
 だって彼は逃げ出したんだから敗走だ。
 エレクには戦う力が必要だった。


 考えながら歩いていたので前をほとんど見ていなかった。
 ふと顔を上げると右前方に森の影が見えてきていて、
川がその手前に流れているのが見えた。

 エレクは急いで川に向かう。
 そろそろ喉の渇きが限界だったのだ。
 流れは清く透明で、さし入れた手がぴりりと冷えた。

 ゆっくりすくいあげて一杯。
 それからがぶがぶと二杯を飲んだ。


 喉から胃に落ちる冷たい感じはとても心地よくて、
エレクの胸のもやもやをしばし忘れさせてくれた。

 ふうっ、と人心地ついて後ろにおしりを落として空を見上げる。
 天気はよくて空の青さが抜けるよう。
 パンのように膨らんだ雲を数えているうちに彼はなんだか眠たくなった。

(これから、どうしようかな……)
 帰りたくはないけれど、行くあてもない。
 瞼の内側でうつらうつらと考えていたときだった。
「こんにちは」
 誰かの声がして、エレクは慌てて目を開けた。


 いつの間にかそばに女の人が立っていた。
 黒っぽい野良着を着ている人で、それについてはひどく地味に思ったけれど、
対照的につややかな栗色の髪はとてもきれいだ。

 手には手桶を持っていて、エレクに一度笑いかけた後、水際に腰をかがめた。
「こんなとこに人がいるなんて珍しいね。村の人?」

 エレクはそれにうなずきながら、女の人が思ったほど年上でないことに気づいた。
 せいぜい五歳差ぐらい。
 多く見積もっても二十は越えていないだろう。
 少女と言った方が正しいかもしれない。


 彼女は水を汲み上げて脇に置くと再びエレクに笑いかけてきた。
「きっと偶然じゃないのよね。だってわたしに会えたんだから」

 なんだか奇妙なことを言う。
 エレクは変に思って訊ねた。
「どういうこと? あなたは誰?」

 彼女は考え込むように口に指をあてた。
「うーん、難しいね。あ、いや、名前は難しくないよ。わたしはミナ。
 会えたのが偶然じゃないっていうのはそうねえ……」

 短い黙考の後、彼女はぽんと手を打った。
「そう。わたしが魔女だから」


 は? とエレクは面食らった。
 けれどもそんな彼をよそにミナは機嫌がよさそうだ。
 満足のいく解答を見つけたのが嬉しいらしい。

「ついてきて。お茶でもご馳走するわ」
 手桶を持ち上げて踵を返す。

 彼女の行く先を見やると小さな風車小屋が目に入った。
 さっきまではそこにあったことには全然気が付かなかったのだけれど。

つづきます

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