P「千早に謝りたい事がある」(106)

ある日社長に呼び出されて事務所に行くと、知らない男の人がいた。

「……今日から君のプロデュースをする事になった者です」

その人は私をじっと見つめた後そう言った。

「プロデュース……では、あなたが新しく来たというプロデューサーですか?」

社長や音無さんが話しているのを聞いていた。
どうやら敏腕だというプロデューサーの話。
それがきっとこの人なんだろう。でも……

「そういう事です。これからよろしくお願いします」

私の初めてのプロデューサーは、作り笑いが気持ち悪い人だった。

…さて、この物語にはまだ続きがあります。
主人公は誰ですかって?

それはこのSSを読み切ったあなた方1人1人です

今の世の中、たくさん辛いこともある。たくさん嫌なこともある。もう誰も信じられない、信じたくない。そう思っている人がたくさんいるでしょう。

私もかつてその1人でした。でもこのSSの「男」のように(というかモデルは作者自身だったり…)懸命に生きて、今では細々とですが暮らしています。

開けない夜は、ありません。

これが、このSSで伝えたかったことの全てです。

最後の最後に、登場人物たちからのメッセージをお聞き下さい。

男「おう!まあなにやら辛いこともあるが、生きてみようぜ!開けない夜は、ないってな!」

作者「ちょっ、俺のパクったな!」

女「やれやれね、この二人は…クスッ」

友「見てくれて、ありがとな!お前らも頑張れよ!…イテッ!」

作者「(友の頭をはたきながら)読者様にお前らとか言うな!失礼だろが!」

まあなにはともあれ…

全員「読んでくれてありがとう!」

ありがとうございました!(続編をもしかしたら投下するかも…ゴホンゴホン)

P「如月さんは歌が歌いたいと」

千早「ええ。それ以外は……まぁ、必要であれば」

P「うーん、ダンスやヴィジュアル面の強化は不要、と思っているんですね」

千早「ですから、必要であれば行います」

P「なるほど。ではひと通り見せてもらってから考えます」

千早「よろしくお願いします」

P「はい、よろしくお願いします。まずダンスから見せてもらっていいですか?」

千早「わかりました。ではレッスンスタジオに……」

P「そうですね。移動しましょうか。車酔いは?」

千早「平気です」

P「では車で。……行きましょうか」

千早「ダンスには、あまり自信が無いのですけれど」

P「いえ、中々だと思いますよ」

千早「中々……ですか」

P「はい、中々です。この先通用するかどうかはわからない程度、という意味でですが」

千早「……私は、踊りたいわけではありませんから」

P「わかりました。次はヴィジュアルです。これから指示する通りの感情表現をお願いします」

千早「あの、ダンスはもういいんですか?」

P「はい?」

千早「もう少し、文句を言われると思っていました。その……姿勢に関して」

P「文句はありません。やりたい事をやって上にいけるならそれが一番良い。無理やりは良い事がない」

千早「そう、ですか」

P「では感情表現、しっかりお願いします」

千早「あ、は、はい」

P「……」

千早「……あの」

P「あぁ、気にしないでください。何と言ったものか迷っているだけです」

千早「いえ、いいんです。わかっていますから。私は、感情を表すのが苦手です」

P「どうやらそのようですね。理論で説けない事は苦手ですか」

千早「はい。理解する気もありませんでしたし」

P「なるほど……では、次のボーカルですが。こちらの指示する曲を軽く歌ってみてください」

千早「軽く、なんて無理です」

P「それは何故?」

千早「歌は……歌には、いつも全力で当たりたいんです」

P「でしたら……それもいいでしょう。ただこれはあくまでテストですので、余力を残すようにお願いします」

千早「はい、やってみます」

P「ではまず……」

千早「……ふぅ」

P「……驚きました」

千早「何が、でしょうか?」

P「歌が好きだというだけの事はある、と思ったんです。なるほど、これなら……」

千早「あ、ありがとうございます……」

P「何よりも、ヴィジュアルであれだけ苦手としていた情感を乗せる事が、歌なら出来ている。よくわかりました」

千早「歌でなら、ある程度は出来ると思っています。ただ、そうじゃない時はどうにも……」

P「なるほど。よくわかりました。要するに如月さんは……」

千早「はい?」

P「不器用なんですね。それも恐ろしく」

千早「なっ……そんな事は、無いと思いますが」

P「ダンスの時から気になっていたんです。振り付けを正確になぞるだけなら時間さえあれば誰だって出来る。それ以上となると何が必要か」

千早「私に足りない物、という意味でしょうか」

P「そういう事です。それは自己表現。振り付けの中に気持ちを込める事。ヴィジュアルレッスンは言わずもがなですね」

千早「自分の気持ちを表現する事ができていないと」

P「でも、歌では出来る。何故でしょう?」

千早「それは……歌には真剣に取り組んでいるから」

P「いいえ、違いますね。如月さんは出来るはずです。ただ、それをやる事で自分のプライドが傷付くと思っている」

千早「プライドだなんて、考えた事もありません」

P「歌が一番で無ければいけない。その為に他をセーブしてしまう。そこで上手く折り合いをつける事ができていない」

千早「……」

P「私に何がわかる、と思うかもしれませんが、これでも如月さんより十年は長く生きてますから。……ですが不器用、というのは取り消します」

千早「では、何と……?」

P「実直である、としておきましょう。恐ろしく純粋で実直である。ただ、これだけでは大人ではありません」

千早「大人ではない?確かに、私はまだ子供だと思いますが」

P「純粋で実直なだけの人は、餓鬼だと言うんです」

千早「なっ……!」

P「……あ、すみません。言い方がキツくなってしまいました」

千早「私が子供だと、甘えていると言うんですか」

P「子供である事を恥じる事も無いし、それを欠点として捉える必要もありません。可能性に溢れ、高い熱量を持つ。素晴らしいじゃないですか」

千早「でも、餓鬼だなんて……」

P「すみません、綺麗な言葉がその、思いつかなくて。これから如月さんは、そのエネルギーの使い方を覚えないといけない」

千早「……」

P「私はその手伝いをします。色々と失礼な事を言いましたが、出来ればこれから協調して行きたいんですが」

千早「……プロデューサーの言っている事、理解は出来ました。間違っているとも思いません。ですが、一つだけ条件を出してもいいでしょうか」

P「はい、なんでしょうか?」

千早「その顔、やめてください」

P「か、顔?顔は、その。どうしようもないかと」

千早「違います。その笑い方です。その愛想笑いをやめて欲しいんです」

P「……あ、え。気に障りましたか」

千早「正直、不愉快です。私に気を遣っているなら無用ですから」

P「あー、ええと、はい。わかりました。善処します」

千早「では、改めて……よろしくお願いします、プロデューサー」

P「はい。よろしくお願いします、如月千早さん」

千早「CDですか?」

P「はい。テストの時に聞かせてもらいましたが、CDデビューしていないのが不思議な程の歌唱力でした」

千早「まぁ……事務所の体力などもありますから」

P「おっと、その話は危ないですね。社長辺りが聞いていたら泣いてしまうかも」

千早「……でも、デビュー出来るんですよね?」

P「ええ。他の子達には悪いですが、如月さんを最優先にしてもらえるよう社長を説き伏せました」

千早「あ……ありがとう、ございます」

P「礼を言われるような事は。これが仕事ですから」

千早「でも、曲はどうするんですか?」

P「いくつか候補がありますが、どうしますか?如月さんが選びますか?」

千早「でしたら、プロデューサーにお任せします。何か戦略がありそうですし」

P「……わかりました。では、曲を聞いてもらいましょうか。音源は……」

千早「では、しばらく集中させてください」

千早「蒼い鳥……素晴らしい曲だと思います。でも……」

P「気に入りませんでしたか?」

千早「いえ、そうではなく。デビュー曲としては、正直地味というか……余り、大衆向けでないように感じますが」

P「そうですか。そうかもしれませんね」

千早「それとも、これから広告などを増やしていくのでしょうか。売上は気にしたくありませんが、次に繋がるかどうかが気になって」

P「如月さんがそういう事を気にかけてくれているのは個人的には嬉しいですね」

千早「それは、だって、この曲が駄目だったとしたら次は無いでしょうし」

P「そうですね、心配はいりません。むしろ技術的に難しいかもしれませんが、それを何とか出来れば……」

千早「それは何とか出来ます。いえ、きっと歌いきってみせます」

P「だったら心配ありません。如月さんが全力で歌ってくれれば大丈夫です」

千早「……はい」

P「早速歌ってみますか?」

千早「あの、この前はテストという事で八分程度で歌ったのですが、今回は……」

P「勿論、全力で。……移動しましょうか」

P「……」

千早「あの、どうだったでしょうか」

P「あ、あぁ。いや、うん。俺が思った以上だ、でした、よ」

千早「俺?」

P「あ、いや、私、私が思った以上に、その、すごい、す、素晴らしい歌唱力で……」

千早「……あの。敬語、いらないです」

P「……ん?」

千早「あと、如月さんというのも。名前を呼び捨てにしていただいて結構です」

P「嫌でしたか?」

千早「というより、プロデューサーが慣れない言い方をしてしどろもどろになっているのが……」

P「あー……バレた?」

千早「ええ、今しがた」

P「あちゃぁ……いや、すまん。興奮しちゃってさ」

千早「興奮?」

P「すごいよ、千早は。この前もすごいと思ったけど、全開の千早はもっと。これならきっといける」

千早「そう……ですか。ありがとうございます」

P「収録はいつにする?もっと歌い込みたいか?あ、それか歌詞読み込むか?CD発表が楽しみになってきたぞこりゃ!」

千早「……あの、本当は良くしゃべる人だったんですね」

P「え?……今までも口数は少なくなかったと思うけどな」

千早「あ、確かに。なんででしょうか、余り印象に残っていませんでした」

P「んー、言葉選んでたし、上っ面のセリフっぽかったのかな。ま、とにかくCD発表が楽しみだよ!この調子で頼むぞ千早!」

千早「は、はい……」

P「千早!蒼い鳥、初週100位以内入ったってよ!」

千早「本当ですか!?」

P「おう!いやー流石千早だ!」

千早「あ……でも、98位ですか」

P「まぁな。でも100位以内ってだけで俺の予想以上だ」

千早「私程度では、まだまだだと思っていたということでしょうか」

P「違う違う。蒼い鳥、宣伝にかけられる経費が全然なかったんだ。だから、捨てる覚悟……っていうと言い方が悪いが、CDデビュー自体を撒き餌にしたんだよ」

千早「CDデビューを一番派手に宣伝すべきでは?」

P「それだとどうやっても金の問題になる。で、今回あえてキャッチーな曲より難しい曲を選んだかって話になるわけだ」

千早「何故、その選択になったのでしょう」

P「アイドルとしてのファンより歌が好きなファンを増やす為だよ。万人向けを出して当たればいいけど、当たらないとどこにも引っかからない。ただし……」

P「今回みたいな、一般の中にいる音楽好きになるべく狙いを絞って発表するとだ。そこまで宣伝しなくても一定数確実に売れると踏んだ」

千早「層を絞る、ですか」

P「ああ。そして層を絞る事でその層内でファン同士の連携にも期待できる。そうする事で宣伝費をなるべくかけずに認知度をあげようと思ったんだ」

千早「それで、音楽番組ばかりに出ていたんですね」

P「もちろん、最終的には一般受けも狙うけど、今はそれでいいんだ。それもこれも、評価されるだけの実力が千早にあったからだぞ!」

千早「……驚きました。色々と考えてくださっていたんですね」

P「そりゃ、それが仕事だしな。千早のためならなんだってするさ」

千早「あっ……あ、あの、ありがとうございます!えっと、今日はまたレッスンでしょうか!?」

P「あ、あぁ、そうだけど。どうした慌てて」

千早「なんでもありませんっ!」

P「……?」

P「さて、次のCDなんだけどな」

千早「はい」

P「次までに今度は可能な限り宣伝していこう」

千早「次からは本当に全力で行くんですね」

P「そうだな。千早だけの力じゃなく、俺や事務所の力も合わせて。いよいよ全力だ」

千早「わかりました。覚悟して臨みます」

P「ま、かといって硬くなっても仕方ない。気付いてたか?最近蒼い鳥の売上伸びてるの」

千早「ランキングも上がっていましたね」

P「狙った通りの効果が出てるんだよ。ネットとかは見るか?」

千早「機械はあまり……」

P「あ、そうなのか。今時珍しいな。ま、とにかくだ。今かなり話題になってる」

千早「どこででしょうか?」

P「動画サイトでな。蒼い鳥のフルが違法アップロードされてたんだが、敢えて見逃してる」

千早「そんな、それが原因で売上が落ちるのでは?」

P「勝手に宣伝してくれてるんだ、こんなに良い事もないだろ。一定数伸びたら削除要請を出すよ」

千早「何でも利用するんですね……」

P「金がかからず、千早が有名になる。こっちにはリスク無し。ずっとやらせとくわけにはいかないけどな」

千早「わかりました。それで、次の曲は……」

P「ああ、これだ。よろしくな」

千早「はいっ!」

P「待ったか」

千早「あ、いえ。そこまででは」

P「悪いな、他の子達の仕事があって」

千早「仕方ありません、仕事ですから。……他のみんなとは、どうですか?」

P「仲良くやってる……というか、仲良くしてもらってるよ。からかい半分なんだろうが」

千早「みんなには敬語を使ったりしなかったんですか」

P「まぁな。千早に言われたので懲りたというか」

千早「そうですか……」

P「どうした、機嫌良くないな。やっぱり待たせたからか?」

千早「別に、なんでもありません」

P「おいおい……なんでも無いならそんな顔しないだろ」

千早「生まれつきこの顔です」

P「うーん……参ったな」

千早「あ……」

P「ん?」

千早「作り笑い、また」

P「あ……ああ。またやっちゃったか。癖になってるんだろうな」

千早「他のみんなは何も言わないんですか?」

P「千早だけだな、今のところ」

千早「……嫌でしたか?」

P「ん?何が?」

千早「癖を直せと、その日あったばかりの小娘に言われるのは不快でしたか?」

P「小娘って……別に、不快じゃないよ。はっきり言う子だなーとは思ったけど」

千早「すみませんでした……」

P「謝らなくていいよ。良くないとは思ってるんだ、俺も。誤魔化そうって事だからなぁ、愛想笑いは」

千早「でも」

P「それに、千早に色々言われるのは嫌いじゃない。なんか、変な話だけど。ほら、帰ろう」

千早「……ネクタイ、曲がってますよ」

P「あ、ほんとだ」

千早「ふふっ、もう。しょうがない人」

P「……面目ないな、うん」

P「熱だって?」

千早「あ……そう、みたいです」

P「参ったなぁ。最近忙しくなってたし、無理させすぎたか」

千早「いえ、体調管理も仕事の内ですから……私の責任です」

P「千早のやった事の責任取るのが俺の仕事だろ?あれ、違うか。違うかも」

千早「……ふふっ、違いますよ、多分」

P「何か欲しい物とかあるか?買ってくるけど」

千早「でしたら、一つだけお願いを聞いてもらってもいいでしょうか」

P「一つと言わず聞くぞ」

千早「しばらく、側にいてもらえませんか。その……」

P「体調悪いとな。まぁわかるよ。でも俺でいいのか?春香とかさ」

千早「風邪をうつしてしまうと大変でしょう?」

P「俺はいいのかよ」

千早「プロデューサーも風邪なんてひくんですか?」

P「そりゃ……あれ、ここ十年風邪ひいた記憶が無いな」

千早「無茶苦茶な人。でも、だったらきっと大丈夫です」

P「頑丈だけが取り柄ですってな。喋るの、辛くないか?」

千早「幸いな事に喉はそんなに。今日一日休めば大丈夫だと思います」

P「そっか。大事な時期だし、ちゃんと治さないとな」

千早「ええ、本当に……」

P「……」

千早「……」

P「……知ってるか、千早。蒼い鳥、じわじわ伸びてるんだって」

千早「そうですか……仕事した甲斐が……」

P「そうだな。もう50位に入ってるそうだ」

千早「そんなに……」

P「ああ。今も千早のメディア露出はぐんぐん伸びてる。次のCDではベスト10も見えると思ってる」

千早「素敵ですね、私の歌をそれだけたくさんの人が聞いてくれたら」

P「だろ」

千早「……プロデューサー、今までありがとうございます」

P「急にどうした?」

千早「いえ、急に言いたくなったんです。プロデューサーがいなければ、私はどうなっていたか……」

P「ダンスレッスンなんかとてもやらなかったかもな。バラエティも出ないし、歌が歌がって言って周りを困らせてたかも」

千早「本当にそう。きっと、あのまま歌が歌いたいってわがままだけ言って、上手くいかないのを環境のせいにして……」

P「冗談だって。千早なら俺がいなくてもきっと立派に……」

千早「そんな事ありません。私は子供で……餓鬼ですから。わがままを言って自分の主張を通そうとするだけの」

P「まだ根に持ってたのか。悪かったって」

千早「そうじゃありません。そうじゃ、無いんです。今は、私、変われたと思います。それはプロデューサーのおかげです」

P「……買いかぶりだよ」

千早「ねぇ、プロデューサー。どうして、私を選んだんですか?みんな、素敵な子達が、いっぱい……」

P「それ、言わないと駄目か?」

千早「こんな時じゃないと、きっと聞けません。私はまだまだ、不器用ですから」

P「うーん……恥ずかしい話だが、な。一目惚れだよ」

千早「ひと……はぁっ!?」

P「あの時、宣材の千早を見てな。この子しかいないって思ったんだ」

千早「あんな、無愛想な写真で……ですか」

P「あぁ。で、仮にもアイドルとプロデューサーだ。ケジメはつけないとって思ってだな」

千早「慣れない敬語と作り笑いで、距離を取ろうとしたんですね」

P「そういう事」

千早「私は……そんなに期待されるような……」

P「いや、千早はすごいよ」

千早「ありがとうございます……あの、プロデューサー。今は、私の事……」

P「……そりゃ、好きだよ」

千早「……ふふっ。そう、ですか……プロ……私……す……」

P「千早?おーい。……寝たか。ただの風邪だったら一日寝てれば治るだろ。さて……」

P「千早。俺はお前に謝りたい事があるんだ。けど……多分、知らない方が、お前は幸せだと思うから」

P「何言ってんだろうな、俺。じゃあ、またな」

P「いや……また、は無いか」


千早「ん……夜……?」

千早「すみません、寝てしまっ……!」

千早「プロデューサー……?」

突然、背中に冷たい物が流れた。
今は夜。プロデューサーは寝ている間に帰ったのだろう。
それだけで、それだけのはずなのに。
携帯を取り出して、プロデューサーに電話してみる。
コール音が鳴る。

「……出ない」

もう一度。
同じだ。
もう一度。

「出ない。プロデューサー、今、どこに……」

今度は事務所に電話をかけてみる。
数度のコールの後、良く知った声が聞こえた。

「はい、765プロですが」

「あ、お、音無さん?あの、私、如月千早です。あの、今そちらにプロデューサーが……」

受話器の向こうが騒がしい。
何かあったのだろうか?

「あのね、千早ちゃん。落ち着いて聞いて欲しいの」

「は、はい。何か、あったんでしょうか」

音無さんが大きく息を吐く音が聞こえた。

「プロデューサーさん、765プロを辞めるって。さっき辞表を出したみたいなの」

「は……?プロデューサーが、辞め……え?」

意味がわからない。
何故?どうして?
疑問符ばかりが頭を回る。

「詳しい話はまだ私も……あ、社長?え……はい、千早ちゃんですけど。どうかしましたか?」

受話器から声が離れる。
向こうには今社長がいるようだ。

「あー、如月君かね。私だ」

「あ、社長。あの、私、まだ良く……」

「……彼の事を話すなら、君に辛い事を言わねばならない。それでも聞くかね?」

辛い事?
プロデューサーが私の側からいなくなるより辛い事がこの世にあるのだろうか?
それも、私が何も知らないままに。

「……大丈夫です。全て、話してください」

社長は数瞬だけ躊躇ったようだった。
しかし、はっきりとこう言った。

「君が弟さんを亡くした交通事故を起こしたのが、彼の父親だというんだ」

「……え?」

「今ネットで話題になっているんだよ、それが。君が売り出し中なのもあって、非常にマズい事になっている。その責任を取るんだそうだ」

優が死んだ事故。
あの時、加害者側の家族と会った事を思い出した。
私より随分年上の子供がいる家庭だった。
あの時の彼が、プロデューサー?
信じられない、と思う自分と、不思議とぴったり重なる自分がいた。
そして……鮮明に思い出す程に、それは間違い無い事のように思えた。

思い返してみれば、彼は私に『はじめまして』と言わなかったのだ。
他のみんなに対する挨拶は勿論、音無さんにもそう言っていたのに。
私とは、昔会ったことがあった……。

「どこの記者が嗅ぎ付けたのかわからんが、これは確かに大問題だ。君の将来に関わる事でもある。内容よりも時期がまずいんだ」

「プロデューサー……が、優……の……?」

「如月君、大丈夫かね?聞こえているかね?」

「は、い。聞いています。その、それで、私は……」

「何も変えなくていい。ただ、露出は控えてもらう事になると思うよ。ほとぼりが冷めるのを待つ事になるだろう」

「そうですか、わかりました。体調が良くないので、失礼します」

一方的に言って電話を切る。
もうすぐ次のCDの発表だったのに。
勢いに乗ってるアイドルは、小さい事でもスキャンダルにされる。気をつけろ。
プロデューサーがそう言っていたのを思い出す。

「あなたが……あなたがその原因になって、どうするんですか」

ぽつりと言ったら、急に胸の奥から何かがあがってきた。
裏切られた。
騙された。
知っていたの?
秘密にしていたの?
何故?
どうして好きだなんて言ったの?
私は

あなたが

「あ」

色んな言葉を押し退けて、口から出たのはその音だった。
暗い暗い鉛色の、硬く、重い音。

「ああああああああ」

私は一瞬、その声が聞こえてくる場所がわからなかった。
無意識に口から漏れていた声の音量がどんどん上がる。
ぐちゃぐちゃな頭の中で、騒いではいけないと、ただそれだけ考える事が出来た。

「っぐ……ぅう……あぁあ……うぁ……!」

布団を頭からかぶった。
枕をぎゅっと抱き締めて、顔を思い切り押し付けた。

「うぁああああああああ!あ、ふぐっ……う……あぁあああああ!」

私の泣き声は、枕に吸い取られ、布団に吸収されて消えていった。
その日、私の胸には大きな大きな穴が開いた。

「おはよう、千早ちゃん」

翌日、春香がお見舞いに来てくれた。
私はきっと、ひどい姿をしていたと思う。

「熱はもう大丈夫?」

「えぇ、だいじょ……けふっ」

泣き腫らした目と一晩中叫び通した喉はぼろぼろで、会話するのも辛かった。

「無理に喋らなくていいよ。風邪よりも……その」

春香は気まずそうにしている。
どうやら春香もプロデューサーの事を聞いたようだ。
つまりは、私の弟の事も。

「しばらくは大人しくしといた方がいいみたいだね。勝手な噂だから、いつか消えるとは思うけど……やりにくくなっちゃったね」

「……そう、ね」

聞いたの?とは言えなかった。
春香が私を気遣ってくれているのがわかったから。

「あ、クッキー持ってきたけど……食べられないよね、その声じゃ」

「……ごめんなさい、春香」

「ううん、いいよ。あのね、千早ちゃん」

春香のこういう目を知っている。
何か、言い難いながらも大事な事を言う時、彼女はこんな目をする。

「プロデューサーさんの事、どう思ってる?」

胸に開いた穴に、その言葉が通った。

「きっと好き、だったわ。昨日まで」

「今は?」

何も、答えられない。

「あのね、私……思うんだけど。事故って、結果として被害者と加害者が出来ちゃうけど、誰かが全部悪いって事はないと思うんだ」

「春香には……わからないわ」

冷たい言い方になってしまった。
春香に当たりたいわけでは無いのに。

「……運転してた人は、確かに悪いかもしれない。でも、その家族だからって、その事故の事で悪く言われるのは違うって思わない?」

「そんな事……わかってるわよ」

「だったら!」

突然、両肩を掴まれる。
そのままの勢いで、私はベッドに倒れ込んだ。
春香を、見上げる。

「だったら……どうしてそんなに怒ってるの?どうして、そんなに悲しそうなの?私……やだよ……見たくないよ……」

顔に熱い何かが落ちた。
春香が泣いている。
私だって、本当にわかっている。
プロデューサーは悪くない。
私が怒っているのは、そこじゃない。

「ごめんなさい、春香。プロデューサーがいなくなって悲しいのは、私だけじゃないのよね」

「うぅ……千早ちゃん……」

「でも、本当にわかっているの。あの人は悪くない。恨んだ事もあったけど、あの事は……事故、だもの。誰かを責めていい事じゃない」

春香は……私に負けず劣らず、ぐちゃぐちゃな顔だ。
春香は自分のことじゃなくてもこんな風に泣ける。
少し、羨ましかった。

「だったら、なんで」

「あの人は、私に隠し事をしたの。そして、私に黙ったままいなくなった。私は……」

そう。私はただの担当アイドルの一人に過ぎない。
だから、こんな事を言うのも筋違いかもしれない。

でも。

「それが、悲しくて、腹立たしい」

春香の手を取って、起き上がる。
頬を流れる涙をそっと拭いてあげた。

「……千早ちゃん」

「心配してくれてありがとう、春香。でも、平気よ。あの人がいなくても、きっと何とか……」

「千早ちゃん、プロデューサーさんの事大好きなんだね」

「なっ……!」

「えへへ、顔真っ赤だよ?」

春香にからかわれて顔を伏せた。
自分でも驚く程頭が冷えている。
一晩泣き続けたせいか、それとも春香が来てくれたからか。
昨日のわけのわからない感情からは抜けだしていた。
その代わり……

「でも、安心した。千早ちゃんが思ったより元気で」

「……ありがとう、春香。自分で言ってみて初めてわかる事ってあるのね」

「うん。すっきりした?」

「どうかしら。……いいえ、もう、吹っ切れたわ」

そう、吹っ切れたから。
社長の意向には逆らう事になるけど……私はまだ子供だから。
大人の下した冷静な判断よりも、私の想いを優先させたい。

「これで何件目だ……くっそぅ、再就職、厳しいな」

アルバイトでも何でもいいから口を糊しないと、流石にまずい。

「あぁ、もう七時か。はぁ……明日はどうするかな」

千早の事は知っていた。
彼女は俺の事など忘れているだろうが、俺は覚えていたからだ。
親父が人殺しと呼ばれた日の事を、その時いた青い髪の少女を。
それでもプロデュースしようと思ったのは、贖罪か、それとも……。

「貯金は多少あるけど……長くても一ヶ月以内にはなんとかしないとなぁ」

千早と俺の関係がネットで騒がれているのを知ったのは、音無さんが最初だった。
千早自身すら知らない、俺が加害者の肉親であるという事実。
だから何だ、と思えるのは俺が当事者であるからで、イベントなどで目撃されていた俺への批判は凄まじい物だった。
人殺しの息子。いまさらになって親父の事が出てくるとは思ってもみなかった。
ファンは俺に対し殺意まで露わにし、アンチと呼ばれる人達も増えてきた。
千早は被害者なのに、俺が側にいるだけで無神経な女と呼ばれる。
何よりも俺が、それに我慢できなかった。

「次のCDまでは……って思ってたんだけど」

あの日。
自分の気持ちを確信してしまった。
いや、知っていた事を改めて確認したと言うべきか。
その時、こうしようと決めた。

「……十も下の女の子にここまで入れ込むとか、なんつーか病気だよな、ははは」

誰が返事をするわけでもないが、小さく笑う。
事務所をやめて数日。もう千早に会うこともないだろう。
だが、俺は忘れない。
耳を澄ませば、今でも千早の歌声が聞こえる気がする。

「……ん?」

違う。
これは俺にだけ聞こえているわけじゃない。
どこかから、千早の喋る声が聞こえる。

「まさか……!」

ビルに設置されている液晶には、この時間にやっている音楽番組が流れていた。
そこに映っているのは、見間違うはずもない……千早だった。

「おいおい、ほとぼり冷めるまで活動控えるって話じゃなかったのかよ。マズイって今は……」

『えー如月千早ちゃんです。何か、最近大変だったらしいね』

『えぇ、色々とありまして。ですが、こうして新曲を発表する事になりました』

あの司会者、どうしてそう危ない部分に触れるんだ。

『その新曲を、今日歌ってもらうわけだけど。何か言いたい事があるって聞いたんだけど』

言いたいこと……?

『はい。今、インターネットで噂になっている事についてです』

『え?何?何か噂になってるの?』

「あの野郎、白々しい……そうか、俺無しで何でこんな仕事取れたのかと思ったら」

これが目的だ。
如月千早、重大発表!とかテロップ用意してるし、これを条件に出演を許したんだろう。
しかし、千早は何故そんな話を受けたんだ?そのくらいの分別はつくと思っていたが……。

『はい。……昔、交通事故で弟が死にました。その事故を起こした人の息子が、私のプロデューサーだと言うんです』

『へぇ、そりゃ大変だね!で、千早ちゃんはその事は?』

『知りませんでした。けれど、本人が辞める時に事実だと認めたそうです』

『辞めた?プロデューサー、辞めちゃったんだ。まぁ居辛いわな、普通に。……ってか、事実なんだ。それ、平気だったの?』

やめろ、それ以上その話をするんじゃない。
それ以上喋っても、千早に得は何もない。話がややこしくなるだけだ。

『平気……ではありませんでした。でも、それは信頼していたプロデューサーが隠し事をしていたからです』

『事故に関してはいいんだ?割り切ってる感じ?結構冷たいんだね』

『そうかもしれません。事故は事故です。その事についてどうこう言うつもりはありません。私があの人に言いたいのは……』

『私はやっぱり、まだまだ子供だということ。導いてくれる人がいないと、どこにも行けないという事。そんな私を放り出したあなたを、私は許さないという事』

「千早……」

『それだけです』

『……えー、ま、罪を憎んで人を憎まずということでね。そろそろ歌ってもらいましょう!目が逢う瞬間!』

次のCDの曲だ。

「全く……何を言うかと思えば。許さないだって?元から許されると思ってないよ」

俺が耐えられなくて、逃げた。
全部、途中で放り投げて。
そんな俺が許されていいわけがない。

「……明日、事務所に行こう。そして……」

もう一度、千早と……
背中に衝撃が走った。誰かがぶつかったようだ。

「ってて……あれ?」

脇腹に見覚えのない突起物がある。
ナイフ?の柄のようだ。

「千早ちゃんの仇だ」

背後にいた男が小さい声でそう言ったのを聞いた。
ナイフを引きぬいて、そこに触れてみる。
当たり前だけど、血が大量に出ていた。

「まずい……かな、これは」

俺が千早の元プロデューサーで、やったのが千早のファンだとわかれば、騒ぎはまた大きくなる。
千早に迷惑はかけられない。
なんとかバレないように路地に入り込んだ。
ビルの隙間でしゃがみ込む。

「おぉ、貧血みたいになってきたぞ。これは……本式にやばいか」

携帯を取り出して知り合いに連絡しようとして、取り落とす。
手に血がついているのを忘れていて、滑ってしまったようだ。

「……ここでも、歌が聞こえるな」

ビルの間を響いて、千早の声が聞こえる。
目と目が逢う瞬間好きだと気付いた。
それは……俺の方……

意識が、闇に落ちた。

「……驚かせないで欲しいですね」

「……いや、俺だって驚いたよ」

気が付くと白い部屋にいて、どうやらそれは病室で、見かけた誰かが救急車を呼んでくれたらしかった。
そしてベッドの脇には千早が座っていて、眠そうな顔で俺を見ている。

「私のほうが驚きました!プロデューサーが、刺され……なんて、突然電話が入ったんですから!」

千早は持ち前の声量を存分に活かして怒鳴る。

「ちょ、千早!ここ病院!騒いだらまずいって!」

「あっ……す、すみません、つい。それもこれも、あなたが悪いんですよ」

千早の目は少し腫れている。
泣いていたのだろうか?

「……まぁ、そうだな。悪かった」

「悪かったって……それで済むと思ってるんですか!?」

油断するとまた大声を出しそうになる千早の口に手を当てる。

「っ……わかって、いるんですか?私に隠し事をして」

「ごめん」

「黙っていなくなって」

「ごめん」

「……隠し事を……して」

「いや、だってさ……」

「言い訳は聞きたくありません」

言いながら、千早は泣いていた。

「どうして、隠していたんですか」

「言うと、千早は俺を嫌いになると思った」

「そんな事……!」

「無いか?」

千早は何も言わない。

「でも、私に嫌われても構わないんじゃないですか?そもそも無理に私をプロデュースしなければ良かった話では?」

「言っただろ、一目惚れしたって」

今度は赤くなった。
こんなに表情豊かな子だったかな。

「それは、でも……嘘なんでしょう?誤魔化す為の」

「いや、嘘じゃない。あの日、千早にとっても最悪だっただろう日……俺にとっても最悪の日だったんだけどな。その日に会った青い髪の子が、ずっと心に残ってた」

だから、多分。
あの日から、ずっと。

「覚えてらしたんですか、あの時の事」

「ん、まぁな。あんまり良い思い出じゃなかったけど」

「私もです。ただ、私は気付きませんでしたけど」

「そっか……」

二人とも黙ってしまう。
千早も覚えていたのは意外だった。
まだ小さかったのに……。

「あ、そうだ。千早、テレビに出てただろ」

「え?あ……見てくれたんですか」

「うん。無茶するなよ、全く」

「いえ、本当は私、事務所を辞めようとしていたんです。プロデューサーがいないなら……ここで上に登っても意味が無いからと」

驚いてむせてしまった。

「おまっ……本当に無茶するなよ!あいててて……」

「す、すみません。軽率だったと反省しています。……でも、その話をした時、社長に言われたんです」

『やめる、というのは聞けない。彼ならいずれ連れ戻すから、君は……彼に言いたい事を言いたまえ。その為の機会は用意する』

『そりゃ、負担にはなるだろうね。だが、この事務所で一番早く君の歌に惚れ込んだのは誰だと思うね?』

『彼では無い。君を採用した、私だよ。君の行先を見てみたい。経営者としては失格かな?はっはっは』

なるほど。
社長もまた、千早の歌に魅せられた一人だってことか。

「良く考えればその通りだよな。最初に千早を見出したのは社長だ」

「それで、あのような機会を。感謝してもしきれません」

「そっか……」

また沈黙。
言いたいことは色々あっても、何から言えばいいのかわからない。

「「あの」」

二人の声が重なる。

「……千早から、どうぞ」

「あ、は、はい……では。プロデューサー、戻ってきてまた私をプロデュースしてください」

「……じゃあ、俺も。千早、もし俺が戻ったとして、もう一度プロデュースさせてくれるか?」

茨の道だと思う。
今回、かなり騒ぎが大きくなってしまったから……俺と千早のコンビは、しばらくの間どこに行っても奇異な目で見られるだろう。
プロデューサーをつけるにしても、俺以外の誰か。例えば律子辺りと組む方がよっぽど上手く行く。
千早もそれはわかっているはずだ。

「……これから先、少なくともしばらくは私達に厳しい物になるでしょう。でも、あなたが良いんです」

「俺も、同じ。……はは、全く。二人して子供だな」

「事務所には迷惑をかけますね」

「良いんじゃないか?社長が良いって言ったんだし」

「ですか。ふふっ」

「ははは」

二人共笑う。
千早はも俺も、あの時の事は忘れない。
だけど、それと今とは別の問題だ。
俺達は、少しだけ大人になれた気がした。

「あ……ツバメ?」

千早が窓の外を見て言う。

「いや、この時期にツバメも無いだろ」

「……そうですね。気のせいです。きっと」

もう一度、二人で笑った。

おわり

P「……ま、それなりに痛い目みたし。これからもキツそうだけど、よろしく頼むな」

千早「雨降って、地固まると言いますし。困難があったほうが、お互いの信頼も深まるんじゃないですか?」

P「はは、良い事言うな。じゃあそういう事にしようか」

千早「ところでプロデューサー」

P「ん?」

千早「私の事が……す、好きだというのは、嘘では無いんですよね?」

P「え?」

千早「でしたら、その……勿論、アイドルとしての活動が一段落してからでいいのですけれど。私と、その……」

P「ん、んー?」

千早「その、私も、プロデューサーの事が、す……その……」

P「……参ったな」

千早「……あ、また愛想笑い。結局その癖は治らないんですね」

P「みたいだな。ま、それも含めおいおい考えるって事で、どう?」

千早「……今は、それでいいです。でも、これからずっと一緒ですからね?プロデューサー」

つづく。

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