冬馬「天海春香とのキスシーン?」 (90)

監督「つっても、実際にするわけじゃないけどね。するフリだけ」

冬馬「はあ」

監督「まあ僕としてはガチでしてもらいたいんだけどね~765さんからNG出ちゃって」

冬馬「そうなんすか」

監督「まあでも冬馬君の方も、ガチでしちゃったら女性ファン怒っちゃうだろうしね」

冬馬「それは……どうなんすかね」

監督「んじゃあまあ、そういう感じでいくから」

冬馬「分かりました」

冬馬(……とは言ったものの、キスシーンなんて初めてだ)

冬馬(どういう風にすりゃいいんだろ?)

冬馬(プロとして、準備が不十分なまま本番を迎えるわけにはいかねぇし……)

冬馬(…………)

冬馬(……よし。あいつらに相談してみっか!)

翔太「へぇ。今撮ってる映画、春香さんとのキスシーンがあるんだ」

北斗「実に羨ましいな」

冬馬「茶化すんじゃねぇよ。それにフリだけだっつってんだろ」

翔太「まあでも、結構ギリギリまでするんでしょ?」

冬馬「ああ。1~2センチくらいまでは近付けてくれってよ」

北斗「俺なら間違いなくそのまましちゃうな」

翔太「僕もしちゃいそうだな~」

冬馬「だから真面目に聞けよ!」

北斗「聞いてるって。どういう風に演じればいいかってことだろ?」

冬馬「ああ」

翔太「えーっと、設定ではお互いにファーストキスってことなんだよね?」

冬馬「そうだ」

北斗「だったら簡単じゃないか」

冬馬「えっ」

北斗「自分のファーストキスの時を思い出して演じればいいんだよ」

冬馬「……じ、自分の?」

翔太「うん。それが一番分かりやすいよね」

冬馬「…………」

北斗「? どうした冬馬?」

冬馬「あ、ああいや別に……なんでもねぇよ」

北斗「そんな忘れるほど昔の話じゃないだろ? ファーストキスなんて」

翔太「まあでも冬馬くんはモテるからね~その後の経験が豊富過ぎて印象薄くなっちゃってるんじゃない?」

冬馬「べっ、別にそんなことねぇよ……」

北斗「じゃあ大丈夫だろ。初めて女の子の顔に自分の顔を近付けたときの緊張感、顔の角度、目を閉じるタイミング……そういうのを思い出して演じればいいじゃないか」

翔太「どっちかっていうと、した後の方が困るよね。これいつ離したらいいの? みたいな」

北斗「ああ。一番最初の時は舌入れたりしなかったしな……って、どうした冬馬?」

冬馬「えっ……あ、ああ、そ、そうだな。簡単なことだったな」

北斗「後はいかに初めてっぽく、ぎこちなく演じられるかだな」

翔太「そうだね。不自然にならないように」

冬馬「……あ、ああ、そうだな」

北斗「まあでも冬馬はともかく、春香ちゃんの方はキスの経験って無いんじゃないか? 実際のところ」

翔太「あー。それはありえるね」

冬馬「ま、まああいつは無いんじゃねぇか? 多分。し、知らねぇけど」

北斗「だったら尚更、冬馬がリードしてやらないとな」

翔太「そうだね。でも変に小慣れてる感を出しちゃうと演技としては駄目だから難しいよね」

北斗「ま、そこは冬馬の腕の見せ所だな」

冬馬「ま、まあ、そんくらいどってことねぇよ。完璧に演じきってみせるぜ!」

北斗「おお、その意気だ! 冬馬!」

翔太「名演技期待してるよ! 冬馬くん!」

冬馬「ああ! 任せとけ!」

冬馬「…………」

冬馬「……なんて、偉そうに啖呵切ったのはいいものの……」

冬馬「……俺、実際ねぇんだよな……キスの経験……」

冬馬「…………」

冬馬「……まあ、無いなら無いでしょうがねぇ」

冬馬「演じる役が実体験に無いことなんてざらだしな」

冬馬「『経験が無いから演技できません』なんてのは、プロとして失格だ」

冬馬「まだ本番までには時間がある……今日から本番まで、イメージトレーニングで完璧な演技を身に付けてやるぜ!」

冬馬「……とりあえず、その辺の店で売ってる天海春香の写真集やDVDを片っ端から買い漁ってきた」

冬馬「今の俺は天海春香の恋人……そういうイメージを自分の中で完璧に作り上げることができれば、キスシーンくらい簡単にこなせるはずだ」

冬馬「それに遠距離恋愛って設定だから、これまでの撮影では直接的な絡みはほとんど無かったからな……」

冬馬「これから佳境を迎える撮影をこなしていくためにも、どのみち入念な役作りは必要になるんだ。だったら早くしておくに越したことはねぇ」

冬馬「よっしゃ! まずはこの写真集を隅から隅まで脳裏に焼き付けるぜ!」バッ

冬馬(……こ、こいつ……こんなにスタイル良かったのか……)ゴクリ

冬馬(…………)ペラ…ペラ…

冬馬(……くそ、なんか雑念が……)

冬馬(ええい! 気にするな! 今は天海春香の恋人としての自分をイメージするんだ!)

冬馬(…………)ペラ…ペラ…

冬馬(……でもフリとはいえ、こいつとキスシーン演じるのか、俺……)

冬馬(…………)ペラ…ペラ…

冬馬(……唇、すっげぇ柔らかそうだな……)

冬馬(……い、いかん! また雑念が!)ブンブン

~5時間後~

冬馬「……ふぅ……」

冬馬「とりあえず今日はこのへんにしとくか」

冬馬「しかし今日一日で、かなり『天海春香の恋人』としての自分をイメージできるようになった気がするぜ」

冬馬「キスシーンも脳内で100回はシミュレーションしたしな」

冬馬「これなら本番も楽勝だぜ!」

冬馬「……おっと、でもあくまで『ファーストキス』って設定なんだから、初々しさは忘れないようにしねぇとな」

冬馬「よし! 本番まであと一週間……この調子で役を究めてやるぜ!」

~一週間後~

冬馬(遂にこの日が来たか……)

冬馬(あれから一週間……『天海春香の恋人』としての役作りに磨きをかけまくった俺は)

冬馬(脚本にも無い部分……天海春香と結婚して老後を迎えるシチュエーションまで完璧にイメージできるようになった)

冬馬(ここまでシミュレーションできてるんだ……たかがキスシーンくらい、お茶の子さいさいってもんだぜ)

冬馬(さあいつでも来やがれ! 天海春香!)

春香「おはようございまーす」

冬馬「!」

冬馬「…………。(あ、天海春香……ほ、本物の……って、あ、当たり前だろ! 何言ってんだ俺!?)」

春香「? あ、あの……おはようございます?」

冬馬「えっ! おおお、おぉ……おはよう」

春香「えっと……今日は重要なシーンばっかりですけど、よろしくお願いしますね!」

冬馬「お、おう……そうだな」

春香「じゃあ、また後で!」

冬馬「お、おう」

冬馬「…………」

冬馬(……な、なんか知らんが異常に緊張した……)

冬馬(何でだ? この一週間、ほとんどずっと天海春香のことばっか考えていたせいか?)

冬馬(……しかし、本物って、写真よりずっと……)

冬馬(…………)

冬馬(……って、何考えてんだ俺は!)ブンブン

冬馬(さっきあいつが言ってたように、今日はキスシーン以外にも重要なシーンばっかりなんだ! 気合い入れて集中しねぇと……)

冬馬(よし……集中……集中……)

冬馬(…………)

監督「カーット! OK!」

冬馬「……ふぅ……」

春香「やっとOK出ましたね……あー、疲れたあ~」

冬馬「こっ、これくらいでへばってんじゃねぇよ……」

春香「えへっ。そうですよね……すみません」

冬馬「べ、別に謝らなくてもいいけどよ……」

スタッフ「20分休憩の後、シーン789から撮りまーす!」

冬馬「!」

春香「はーい」

冬馬「…………」

春香「次はいよいよ山場のシーンですね! 頑張りましょうね!」

冬馬「お、おう」

春香「じゃあまた後で!」

冬馬「ああ」

冬馬「…………」

冬馬(……遂に、来たか……)

冬馬(……天海春香との……キスシーンが……!)

冬馬(今日のこれまでの撮影は、基本的に会話シーンのみ……ゆえに、天海春香と接触するシーンはほとんど無かった)

冬馬(だからこそ、天海春香を必要以上に意識しそうになっちまうのを気合いと集中でなんとかカバーし、演技だけに没頭できたが……)

冬馬(この後撮るシーンでは、遂に……)

冬馬(恋人達の別れ際、俺は自分を見送ろうとする天海春香の両肩をぐっと抱き……)

冬馬(きっ、きっ……キス、を……!)

冬馬(……くそっ! 何ここまできてビビってんだ! あんだけシミュレーションしたじゃねぇか!)

冬馬(落ち着け俺……大丈夫、大丈夫だ……!)

冬馬(そもそもホントにするわけじゃねぇんだし……)

冬馬(大丈夫だ……絶対、完璧に演じきってみせる!)

スタッフ「再開しまーす!」

冬馬「!」

春香「はーい!」

冬馬(も、もう20分も経ったのか……くそ、まだ心の準備が……)

冬馬(……って、何言ってんだ俺! さっきあんだけ大丈夫って言っただろうが!)

冬馬(落ち着け……落ち着け……平常心……平常心……)

スタッフ「じゃあ向かい合ってるところから撮ります」

春香「はい」サッ

冬馬「…………。(ち、近ぇ……って、当たり前か。恋人を見送るシーンなんだから……)」

スタッフ「ではいきまーす。5秒前! 4、3、2……」

冬馬(あ、やべぇもう始まっちまう!)

春香「…………」

冬馬「…………」

前評判からよくここまで愛されキャラになったな
童貞だからか

冬馬「」ドピュ
春香「」…

春香「……また、しばらくお別れだね」

冬馬「あ、ああ……」

春香「……寂しいけど……仕方ないよね」

冬馬「…………」

冬馬(えっと……あれ? ここでどうすんだっけ?)

冬馬(あっ! そうだ、か、肩を……)

冬馬「……!」ガシッ

春香「!」

冬馬(うおっ、か、肩ほそっ……!)

冬馬「…………」

春香「…………」

冬馬「」ドピュ
春香「」…

冬馬「…………」

春香「…………っ」

冬馬(! あ、天海のやつ……微かに、震えてやがる)

冬馬(それによく見たら、頬もうっすら上気して……)

冬馬(そうか……こいつも多分、俺と同じで……!)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

北斗「まあでも冬馬はともかく、春香ちゃんの方はキスの経験って無いんじゃないか? 実際のところ」

翔太「あー。それはありえるね」

冬馬「ま、まああいつは無いんじゃねぇか? 多分。し、知らねぇけど」

北斗「だったら尚更、冬馬がリードしてやらないとな」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


冬馬(そういう、ことか……!)

冬馬(よし、それなら、俺が……!)

冬馬(大丈夫、大丈夫だ……!)スッ

春香「…………!」

冬馬(! こいつ、マジで驚いた顔してやがる……! いや、人のことは言えねぇ。俺だってもういっぱいいっぱいなんだ)

春香「…………」

冬馬「…………」

冬馬(大丈夫、大丈夫だ……このまま、このまま……)

春香「…………」スッ

冬馬(目を閉じた天海の顔……! もう目と鼻の先に……!)

冬馬(……あ、やべぇ。なんかもう、演技とかどうでもよくなってきた)

冬馬(震える肩……紅く染まった頬……)

冬馬(ああ、だめだ。もういいか。いいよな? このまま……)

監督「カーット! ……OK!」

冬馬「!」ピタッ

春香「!」

冬馬「……え?」

春香「……あ」

冬馬「わっ!」バッ

春香「あっ」

冬馬「わ、わりぃ……」

春香「い、いえ……」

冬馬(……や、やべぇ……素でキスしちまいそうになってた……もう、1センチも無かったかも……)

春香「でも、やりましたね!」

冬馬「……え?」

春香「一発OKですよ! 一発OK!」

冬馬「え、あ、ああ……え? OK?」

春香「はい!」

冬馬「…………。(途中から、完全に演技ってこと忘れてたのに……あんなんで良かったってのか……?)」

監督「いや~、2人とも良かった! もうね、最高!」

冬馬「! 監督!」

春香「ほ、本当ですか!?」

監督「うん。まあ正直、テイク20くらいは覚悟してたんだけどね~。おそらく今以上の画はもう撮れないと思ってね」

冬馬「そ、そんなに……?」

春香「嬉しい……ありがとうございます!」

監督「いやあ、何と言っても、冬馬君の演技が光ってたね」

冬馬「え? お……俺ですか?」

監督「うん。なんというかこう、ファーストキス特有のぎこちなさというか、初々しさというか、甘酸っぱさというか……もうそういうのがビンビンに感じられたよね!」

冬馬「は、はぁ……。(それ、演技じゃねんだけどな……)」

雪歩はやらん

監督「あとアレ、キスにいく前の台詞飛ばしたでしょ、冬馬君」

冬馬「え?」

監督「いや~、あのアドリブがまた良かった!」

冬馬「…………」

監督「確かに、生まれて初めて女の子とキスしようって時に、なんか喋ったりする余裕なんか無いだろうからねぇ」

冬馬「あ、あー……そ、そうっすね……。(そういや台詞あったんだ……完全に飛んじまってた……)」

春香「私も、あそこでちょっと素で驚いちゃって」

監督「うんうん。でも春香ちゃんも、結果的にあれが良い表情になったからねぇ」

冬馬「……え? お前……それであの時、驚いた顔してたのか?」

春香「え? は、はい……だっていきなり台詞飛ばして、キスしようとしたから……」

冬馬「…………。(キス自体に素で驚いてたんじゃなかったのかよ……!)」

監督「それから春香ちゃんの演技もね、すごく良かったよ。うん」

春香「本当ですか!?」

監督「うん。肩の震わせ方とか、ちょっと上気した頬とか……これもまた、突然のファーストキスという事態に動揺する少女の様子が実によく表現できてたよ」

春香「えへへ……良かったぁ。実は結構練習してたんですよー」

冬馬「……えっ。お前……あれ、演技だったの?」

春香「え?」

冬馬「いや、肩の震えとか……上気した頬とか……」

春香「? そりゃ、演技……ですけど……?」

冬馬「…………」

監督「あっはっは。共演者でさえ演技かどうか分からないくらいの演技力だったってことだね! いやあこれは将来有望な女優さんだなあ」

春香「えへへ~そんな、褒め過ぎですよぅ~」

冬馬「…………」

~一週間後~

冬馬「……好きだ。翔太」

翔太「……冬馬君……」

冬馬「…………」ガシッ

翔太「…………!」

冬馬「…………」スッ

翔太「…………」

冬馬「…………」

翔太「…………」

北斗「……カット!」

冬馬「よし! 今のはどうだった? 北斗!」

北斗「ん~……まあ、さっきよりは良かったかな? でもまだちょっとぎこちない気もするかな……」

冬馬「そうか……よし翔太! もう一回だ!」

翔太「えぇ~。もう勘弁してよ……ていうか何でずっと僕が相手役なのさ……」

冬馬「そりゃ身長的にちょうどいいからな。北斗じゃでか過ぎるし」

翔太「そんなぁ……」

北斗(ふぅ……今日ほど自分の身長に感謝した日は無いな……)

翔太「ていうかさ、そもそも件のキスシーン自体は一発OKだったんでしょ? なんでまだ練習する必要があるのさ……」

冬馬「馬鹿野郎! あんな、まぐれ当たりのOKなんかで納得できるわけねぇだろ!」

翔太「結果オーライでいいじゃん……」

冬馬「……あのシーン、俺はほとんど素で演じちまってた。ただあの時は、たまたまそれが評価されたってだけだ」

北斗「やれやれ、また始まったよ。冬馬の熱い自己反省が」

翔太「しかも一回これが始まったら、僕らの声もほとんど聞こえなくなるんだよね……」

冬馬「しかしあいつは……天海春香は……!」

冬馬「一見すると俺と同じように、素で演じていたように見せながら……実は全て、完璧に役を作り込んだ芝居をしていたんだ! それで監督から高い評価を得た……!」

冬馬「あの時感じずにはいられなかったぜ……自分とあいつとの実力差を……!」

冬馬「じゃあ今からその差を埋めるためには何をすればいいか? 決まってる! 練習あるのみだ!」

翔太「……まあ、気持ちは分からなくもないけどさあ……」

冬馬「何だ? 何か不満でもあんのか? 翔太」

北斗(むしろ不満しかないと思うが)

翔太「要するに、演技とはいえ、女の子とのファーストキスっていうシチュエーションにアガっちゃって、演技どころじゃなくなっちゃった、って話でしょ? 冬馬くんの場合」

冬馬「う、うるせぇな。……悪いかよ」

翔太「いや、悪くはないけどさ……それなら、やっぱり女の子に相手役をやってもらわないと、根本的な解決にならないんじゃ……」

冬馬「いねぇだろ。キスシーンの練習に協力してくれる女なんて」

翔太「また春香さんに頼めばいーじゃん。あの人面倒見良さそうだし、きっと引き受けてくれると思うけど」

冬馬「馬鹿野郎! 天海になんて頼んだら、また演技どころじゃなくなるだろうが! そんなんで演技の練習ができるか!」

翔太「え、えぇ~……だからさ、それを直すために……」

北斗「……もう諦めろ。翔太」

翔太「そんなぁ……」

冬馬「よっしゃ! 次はもっと気合い入れてくぜ!」

翔太「うぅ……なんで僕がこんな目に……」

冬馬(今に見てろよ……天海春香)

冬馬(もし次、お前とキスシーンを撮ることがあれば、そのときは……)

冬馬(…………)

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