貴音「わたくしの体重は、5kgなのです」(110)
勢いだけで立てた
P「なぁ春香。貴音ってどういう奴なんだ?」
春香「どうしたんですかプロデューサーさん」
P「あいつ、961プロから移籍してきたけど、全然会話とかコミュニケーションが取れなくて」
春香「確かに言われてみればそうかも」
P「これからあいつのプロデュースも始まっていくのに、これだとな……掴みどころがないっていうか」
春香「んー。確かに貴音ちゃんってすっごく不思議な感じですよねー」
P「頼むよ、なんでもいいからあいつの情報を」
春香「難しいですね……。なんかありましたら報告しますか?」
P「頼んだよ」
春香「じゃあなんかあったら携帯にメールすればいいですか?」
P「頼む。すまない、春香」
春香「え、気にしないで下さいよ! もうすぐデビューですよデビュー! 気持ちよくいきましょうよ」
P「そう言ってもらえると助かるよ」
春香「はい! じゃあ、私はそろそろ帰ります。さようならプロデューサーさん」
P「ああ、お疲れ様。もうすぐデビューだ、体を大切にな」
春香「はい! じゃあ失礼します!」
P「ああ」
P「事務所にはもう誰もいないな」
貴音「いえ。わたくしがいます」
P「うお。なんだ貴音、いたのか。いつから居たんだ?」
貴音「それは秘密です。それよりもプロデューサー。わたくしのことを探っておられますね」
P「えっと」
貴音「どうかわたくしの事は放っておいて頂けないでしょうか。わたくしは、探られることに不快を感じているのです」
P「でもな貴音。お前は秘密が多すぎる。もうすぐ765プロの一員として再デビューをする、しかも俺のプロデュースだ。このままでは困る」
貴音「わたくしは困りません。それに貴方などいなくとも、わたくしはせるふぷろでゅーすでも何とでもなります」
P「それじゃあ駄目だ。うちの社訓は団結だ。お前一人を一人ぼっちなんて認められない」
貴音「もしかして、いえ、なんでもありません」
P「なんだ言ってみろ」
貴音「貴方が単純に一人ぼっちで、ぷろでゅーさーという立場を利用してわたくしに探りを入れて接近しようとしている寂しがりの変態なのかと思っただけなのですが」
P「すげぇ失礼だなお前!」
貴音「とにかくお願いします。わたくしのことは放っておいてください」
P「そんなことできる筈ないだろ」
貴音「……今はもういいでしょう。これにて失礼します」
P「いいや駄目だ。今日はせっかくだし、逃がさないぞ」
貴音「叫んでも宜しいでしょうか」
P「しれっと俺を犯罪者を仕立て上げるような真似をするんじゃない」
貴音「いいえ、誤解です」
P「俺の目を見て話せないか?」
貴音「殿方を見つめるなんて……」
P「じゃあせめてそのジト目だけは止めてくれ」
貴音「貴方様だけの特別です」
P「そんな特別いらねぇよ!」
貴音「平行線ですね」
P「会話すら成り立っていない気がするんだが」
貴音「わたくしは帰ります」
P「ま、待て! 外に行くな!」
貴音「……」
P「とにかく待つんだ貴音!」
貴音「階段の途中だと言うのに、手を掴むなんて危ないではありませんか」
P「そ、それはすまない」
貴音「手を離してくださいまし」
P「それはできない相談だ」
貴音「では、叫ばせて頂いても」
P「それもできない相談だよ」
貴音「ならば無理やりでも手を振りほどきとうございます」
P「え」
貴音「っ!」
P「まっ、危ないから!」
貴音「え? あっ……」
プロデューサーの手を無理やり振りほどき、階段から勢いよく落ちて行く
その勢いはそのまま、階段の踊り場を超えて手すりを越えようとしていた
貴音「なんと」
P「た、貴音っ!!」
ゆっくりと手すりを越えて貴音は地面へと落ちようとしていた
P「……」
貴音「世界は逆さまに見えます。これはなんと面妖な」
P「……おかしいだろ」
貴音「どうされたのですか」
P「いくら何でも、成人に近い女性を腕一本で支えられるはずない」
貴音「だいえっとの賜物なのです」
P「お、俺は貴音が落ちそうになって、無我夢中で手を伸ばして」
貴音「そしてわたくしはプロデューサーに足首を掴まれております。あ、下を見ないでくださいまし。すかーとなので」
P「あ、ああすまん!って待て、それ以上にいまのこの状況がおかしいだろ!」
貴音「深夜でよかったですね。こんな場面を見られては、貴方の社会的地位など地に堕ちたも同然」
P「ある意味で凄い人扱いされそうだよ」
貴音「それはなんと僥倖」
P「そんなことないと思うが……」
P「それにしても軽い。いや、そんな問題をすでにとうに超えている」
貴音「……」
P「どうしてだ」
貴音「それはとっぷしー」
P「言うと約束しないと、当分はこのままだぞ」
貴音「なんと! それは、わたくしに脅しをかけていらっしゃるのですね」
P「本当はこんなマネしたくないだが、お前が素直じゃないから」
貴音「わたくしは素直だと思うのですが」
P「よし、素直という意味を辞書で10回ほど調べてみろ」
貴音「中卒のわたくしには些か難易度が高すぎるかと」
P「お前中卒かよ!」
貴音「……」
P「なんで照れてんだよ!!」
貴音「……はぁ。分りました、お話ししましょう。わたくしのとっぷしーくれっとを」
P「本当だな?」
貴音「ええ」
P「下手にはぐらかすようなら、音無さんに言って3週間事務所のおやつ抜きだからな」
貴音「……」
P「本気でショック受けるなよ」
貴音「貴方は卑怯です」
P「なんとでも言え」
貴音「了承致しました。はぐらかさず、お話しすると約束しましょう」
P「よし。じゃあ引き上げるぞ」
貴音「お願いします」
貴音「世界が正中位に戻りました。ああ、でもぐわんぐわんします」
P「すまない」
貴音「いえ。ではこれにて」
P「待て」
貴音「……」
P「おやつ3ヶ月抜き」
貴音「なんと!?」
P「どうするんだ」
貴音「致し方ありません。お話ししましょう。わたくしの今までの経緯について」
P「それじゃあ頼んだ」
貴音「あれは、961プロを離れる少し前の話しになります」
P「あれ、お前はこっちに移籍してきたんじゃ」
貴音「世間ではそうしているのです。どの事務所にも所属していないとき、高木殿に拾って頂いたのが真実なのです」
P「それは意外だったな。まさか移籍じゃなくて、再就職の方だったとは」
貴音「あいどるならば、移籍のほうが世間体がいいだろうと高木殿が仰ってくださいまして」
P「社長ってすごいなぁ」
貴音「その間に、ある事が起きて今の体になったのです」
P「今の体っていうのは、その異様に軽い体重のことか」
貴音「左様です」
P「……話してくれ」
貴音「約束ですので。ですが、他言無用をお願いいたします」
P「任せてくれ、これでも口は固いし約束は守るほうだ」
貴音「……蟹に会いました」
P「ん?」
貴音「蟹に会いました。わたくしよりも、人よりも遥かに大きな蟹でございます」
P「いや、でも」
貴音「疑うようであれば話しはここまでにしましょうか」
P「……すまない」
貴音「いえ。貴方はこらえ性のない殿方というのは知っています。いつ襲われやしないかと注意を怠らず日々を過ごすほどに」
P「襲わねぇよ! 舐めんなプロデューサーを!」
貴音「……卑しい」
P「普通に傷つくからやめてくれ。あとそういう意味じゃないから」
貴音「そういう意味とは」
P「……お前、話しをはぐらかそうとしているだろ」
貴音「ばれてしまいましたか」
貴音「では続きを。と言いましても話しはこれにて終わりなのですが」
P「……どういうことだ」
貴音「わたくしは蟹と会い、そして気付けば体重がこのようになりました」
P「……」
貴音「俄かに信じ難いとは思います。わたくし自身も信じきれない部分が多々あります」
P「確かにそうだ。蟹に出会っただけで体重が、人の重りが軽くなるはずがない」
貴音「わたくしの体重は、5kgなのです」
P「……5kg」
貴音「人として異端です。化け物と言ってしまってもよいかと」
P「化け物?」
貴音「人でありながら人ならざる身。それが化け物と言わずになにか」
P「そんなことはない!! お前は俺の大事なアイドルの一人だ!! 化け物なんて俺が違うって言ってやる、保障してやる!!」
貴音「……ぷろでゅーさー?」
P「どうにかしてそれを治す手立てはあるはずだ!」
貴音「……」
P「とにかく、俺も手伝うから。お前のその体重が元に戻るように手を貸す!」
貴音「……」
P「だから俺を頼れ! 一人ぼっちで何とかしようとするな!」
貴音「どうして貴方はそこまでわたくしなどに」
P「さっきも言ったろうが。うちの社訓は、団結だ。一人でできないことを誰かといっしょにすることで、進んでいくんだ」
貴音「そう、ですか」
P「俺はお前のその体質について調べてみようと思う」
貴音「お願いしても、よろしいのですか?」
P「任せろ! 俺はお前のプロデューサーだ。貴音のような女の子一人守れないでどうする」
貴音「……では、宜しくお願い致します」
P「おう!」
―――
―――
―――
P「とは言ったもの、体重が軽くなる、なんて奇病。どうやって調べろって言うんだよ」
P「……はぁ」
春香「どうしたんですかプロデューサーさん。ため息なんてついて」
P「いやぁ……」
貴音のことを春香に話せるはずがない
それが約束だし、俺は約束を守ると言った
だからこそ、あいつを裏切るようなマネは何一つとして言えないし、言うつもりもさらさらない
春香「なになに? 体重が軽くなる病期? なんですかこれ、グーグルで調べてるようですけど」
P「わっひゃあっ!!」
春香「そんな病期があるなら私だってなってみたいなー」
P「あ、あはは。そうだな」
春香「でもなんか、ちょっとオカルトちっくな部分もありますよね」
P「え?」
春香「いいなーいいなー私も体重減らしたいなー」
P「なぁ春香、お前なんて言った?」
春香「え? だからそんな病期があるなら、なんてお約束展開をしたいのですか? しちゃいますか?」
P「あーはいはい! すまんかった! オカルトちっく、だろ」
春香「えー。そこはノって下さいよプロデューサーさん」
P「ノリが悪くて悪かったな」
春香「そんなんだと女の子にモテませんよ!」
P「うっ、そんな笑顔で残酷なこと言うなよー」
春香「えへへ」
春香「体重が軽くなるなんて普通は病気を想像しますよね」
P「そうだな。胃癌、腸癌っていう消化器系の病気なら体重が軽くなるからな。ちなみに調べてたらそんなのが出てた」
春香「そうです。でもプロデューサーさん、グーグルの参考履歴に”体重 軽い 5kg”とか”体重 蟹”とかあったら誰でもそう思いますよ」
P「し、しまった!」
そうだった
最近のグーグルの検索機能は一つ目のワードによって、連なる単語が履歴から引っ張られてくるんだった
なんて迂闊な行為をしてしまったのだろう
それでもまさか貴音のこととは思われないだろうけれど……
春香「だから、そんな変なワードだと、オカルトちっくじゃないですか! ま、まさか誰かを呪おうと……」
P「するかバカ!」
春香「あー! アイドルに向かってバカってなんですかもうー!」
春香「そうそう、それよりもお菓子ですよお菓子! クッキーを焼いたので食べてください!」
P「おお、ありがとう」
春香「ちょっとは疲れも取れればいいんですけれど……」
P「大丈夫だよ、春香のおかげで疲れなんてあっというまに吹っ飛んださ」
春香「ありがとうございますプロデューサーさん! ふふ」
P「……」
そうだ、確かにその通りだ
客観的に見れば”蟹と出会って体重が軽くなった”なんて言うのはただのオカルトだった
俺は体重というワード、まさしくそれが重りとなって思考を鈍らせてしまっていたのだ
どうして体重が変化したか、ではなく、どのように体重が変化したかが重要なポイントだったのだ
P「春香は凄いなー」
春香「え、ええ!? なんで私褒められたんだろ……」
P「……ワード検索を変えよう。蟹、オカルト、体重……」
P「なんだこれ? 個人サイト、なのか?」
P「少し調べてみるか」
”おもし蟹”
人間の思いを代わりに支えてくれる神様。
九州の山間あたりでの民間伝承。地域によって「おもし蟹」だったり「重いし蟹」、「重石蟹」だったりするが、「人の重みを失わせる」、という点においては名前はどうあれ共通している。
「おもし蟹」とは、「おもいし神」、つまり「思いし神」、または「思い」と「しがみ」「しがらみ」ということでもある。
下手な行き遭い方をしてしまうと、その人間は存在感が希薄になる、または存在そのものが消えてしまうとも言われる。
蟹ではなく兎だという話もあり、美しい女性の姿をしていることもある。
P「おもし蟹?」
P「まさか、貴音が出会ったというのはこの神様なのか!?」
>>37の前にこれ
春香「じゃあレッスンに行ってきます!」
P「おう! 頑張って!」
P「待て……待てよ待てよ。もしこれだとするなら、俺には何ができる」
P「神様なんて言われる相手に対してだぞ」
P「ましてやこんなのが居るなんて初めて知ったんだが……」
P「と、とにかくこのサイトの管理人に対してメールをしてみよう」
from P
突然のメール申し訳ありません
お聞きしたいことがあるのですが―――
P「ひとまずはこれでいい」
P「……貴音を呼ぶか」
貴音「どうされましたかプロデューサー」
P「突然呼び出してすまない
貴音「いえ。丁度こちらへ足を向けていたので」
P「それはよかった」
貴音「それで何があったのでしょうか」
P「ああ。例の件で少し調べられたことがあったからな」
貴音「それは真なのですか!?」
P「もちろんだ。このサイトを見てくれないか」
貴音「……おもし蟹?」
P「……そこには、人の重みを失わせる、と書いてあるんだ」
貴音「……」
P「それで、俺はこのサイトの管理人にメールを送信した。たぶん数日中に返信は来ると思う」
貴音「ありがとうございます」
P「礼にはまだ早いさ。何も解決なんてしていないんだからな」
P「なぁ、これだけ協力し合えているんだからさ」
貴音「厭らしいことをなさるつもりであれば、ここに取り出だしたる携帯電話で」
P「ちょっと待て! お前、俺に対して少し、いやかなり冷たくないか!?」
貴音「貴方様だけ」
P「そんな特別いらないからな!?」
貴音「に対する、侮蔑の気持ちなのです」
P「まさかの罵倒だった!?」
貴音「素直になりすぎてしまいましたね」
P「そんな素直ってお前かなり酷いな!」
貴音「どうせ貴方のことなのですから、もう少しわたくし自身について話せと申したいのでしょう?」
P「しかも心を読まれていた!」
貴音「わたくしは必要以上に貴方に近づきたいとは思いません」
P「ばっさり言うなお前」
貴音「……」
P「まぁいいや」
貴音「それで、貴方がわたくしに聞きたいこととは何でしょうか」
P「どうして961プロを辞めたんだ?」
貴音「ばっさりとお聞きになるのですね」
P「なんだ、俺のマネか?」
貴音「真に遺憾の意を唱えさえて頂きます」
P「どうして遺憾なんだよ!」
貴音「些細なことです」
P「俺にとっては多大なことだよ!」
貴音「そうなのですか」
P「そうなのですよ!」
貴音「それはそれは」
P「話しが進まないだろーが!」
貴音「それもそうですね」
P「じゃあ、教えてくれるか?」
貴音「それは見返りを求めているのですか」
P「いいや、お願いだ」
貴音「そう、ですか……」
P「……」
貴音「……」
P「……その、話したくないなら」
貴音「……人間関係が険悪だったのです」
P「え?」
貴音「ただ、それだけです」
P「そうだったのか」
貴音「ではこちらから質問させて頂きます。どうしてこのようなことをお聞きになされるのでしょうか」
P「ああ。961プロっていうのは、アイドル部門は無かったとしても大企業だ。どうしてそんなところを辞めたのか気になるだろ」
貴音「ああ、確かにそうですね」
P「こう言っちゃなんだが、うちは貧乏だ。それに看板アイドルもいない弱小だ。でも向こうはジュピターっていう看板がいる。これだけでも大きな違いだよな」
貴音「おっしゃられる通りかと」
P「そんな事務所を辞める理由なんて、気にならない方がおかしいだろ」
貴音「それだけなのですか」
P「……違う。本音を言うと、黒井社長はあくどい人間として有名だ。だからこそ、961プロで何があったのか知りたい」
貴音「知ってどうしようというのですか」
P「知った上で、お前を支えていきたい。悩みや苦しみがあるなら共有したい」
貴音「社訓の団結ですね」
P「違う。これは俺の個人的な感情だ。意思と言ってもいい。俺がお世話をするアイドルたちは、皆俺の大事な家族とさえ思っている」
貴音「……」
P「だからこそ、961プロで何があったのかが知りたかったんだ。何もかもからお前を守るためとさえ思ってくれて構わない」
貴音「……そんなこと、わたくしは望んでおりません」
P「ああきっとそうだろうな。これは俺の自己満足だし、偽善だよ。でも、これが俺のプロデューサーとしても覚悟だ」
貴音「覚悟、ですか」
P「そうだ、覚悟だ。お前にもあるんだろう? アイドルとしての覚悟が。だからこそ、事務所を変えてもアイドルを続けようとしているんだろう」
P「お前の覚悟を知りたい。そしてプロデューサーとしてプロデュースをして、トップを取りたいと思う」
P「事務所を辞める理由があってもなお、アイドルを続ける理由を」
貴音「……」
P「すまんな。年甲斐のせいで熱くなった」
貴音「いいえ、構いません。そこまで言われたのは初めてでございます」
P「あ、あはは」
貴音「ではわたくしも語ろうと思います。事務所を辞めた理由と、アイドルを続ける理由を」
P「……そうか。頼むよ」
貴音「はい」
貴音「黒井社長に、枕営業を促されました」
P「なんだって!?」
貴音「あれは、961プロを辞める……いえ、クビになる直前のことです」
貴音「わたくしは泣かず飛ばずのアイドルでした。そのため、レッスン費用ばかり増えて、事務所の重りという立場」
貴音「ある日、わたくしはとあるビルに連れて行かれました。そこには仮面をした中年層の男性が5、6人はいたと思います」
貴音「その殿方は我先にと手を伸ばしてきて」
P「……語るの辛いなら、もういいんだぞ」
貴音「いいえ。大丈夫です。貞操だけは守り抜きました。しかし、その場にいた殿方を皆、叩き伏せて」
P「そうだったのか」
貴音「わたくしがそれでもアイドルを続ける理由はただ一つ。頂点から見える景色をこの目で見たいが故」
P「そうだったのか」
貴音「語れば短しものです」
P「内容は重たいと思うがな」
貴音「わたくしのアイドルを続ける理由など、他者にすれば些細であり、分かち合えないと思います」
P「そんなことないぞ? 俺は少なくとも理解したいし、貴音の覚悟が聞けたからこそプロデュースのしがいもあるっていうもんだ」
貴音「……」
P「どうしたんだそんなキョトンとして」
貴音「い、いえ。961プロに居た頃の友人にこの覚悟を語ったとき、あまり共感が得られなくて」
P「そういうもんか?」
貴音「はい。あの、えと……きょ、今日は失礼させて頂いても宜しいでしょうか?」
P「ああ。いいぞ、今日はありがとうな」
貴音「いえ、ここまでして頂けたのですから。礼を言うのはわたくしの方というものです」
P「そうか? まぁいいや。気をつけて帰るんだぞ」
貴音「はい。失礼致します」
P「ああお疲れ。また何かあれば報告するよ」
貴音「では」
―――
―――
―――
~数日後~
P「お、返信が来ている」
from 忍野メメ
メールをご拝見させていただきました
それは間違いなくおもし蟹と思います
一度お会いしたいと思うので、私が指定する場所まで来ていただけないでしょうか
お時間についてはそちらのご都合を―――
P「忍野……しのぶの? メメ?……女性か?」
――とある場所――
忍野「いやはや、これはご足労ありがとうございます。忍野メメと申します」
P「(おしの、めめ……男の人だし……)こちらこそ、ありがとうございます」
忍野「それで、おもし蟹に出会ったのは貴方でいいのですかねぇ?」
P「いえ、私の知り合いなのですが。諸事情によって代理として」
忍野「なるほど。その人と貴方はどのような関係で?」
P「職場仲間……いえ、仲間ですね」
忍野「そうですかそうですか。はっはー、お話しだけならば丁度よいかもしれないなぁ」
P「……と、申しますと?」
忍野「貴方、えっと、プロデューサーさんだっけ? おもし蟹についてどのように認識していますか?」
P「おもし蟹、ですか」
忍野「僕のサイト、しかも学生時代に遊び半分で友人たちと作ったあんなサイトにメールをしたくらいだ。おもし蟹の項目には目を通したんだよね?」
P「(いつの間にかタメ口だし……)はい。人の重しを失わせるのですよね」
忍野「あちゃー。やっぱりその程度の認識だったんだね」
忍野「あれは、おもし蟹というのは怪異と呼ばれるものだ」
P「怪異?」
忍野「あ、すみませんね。ついタメ口になってましたよ。あまり敬語というものには慣れていないもので」
P「いえ、お好きなようにしてくださって構いません」
忍野「そうかい? それは助かるよ。あ、そうそう怪異についてだったね。おもし蟹、思いし蟹、思いとはしがらみ」
忍野「そう、あの蟹は人の重しを失わせるものじゃない。こんなものはついでにしか過ぎないんだよ」
P「ついでですか」
忍野「そうついで。おもし蟹の神威は、しがらみを切り離すことにあるんだ。おもし蟹の鋏によって切り離される重い思いしがらみ」
P「じゃあ蟹に出会ったのは」
忍野「貴方の想像通りだ。その人は自分では切り離せないしがらみをおもし蟹に押し付けただけ」
P「あの娘はそんな奴じゃない!」
忍野「あの娘、ってことは彼女かな? 僕はその彼女を知らないけれど、おもし蟹という怪異の性質を考えると、こう思うしかできないんだよ」
P「そんな馬鹿な」
忍野「一度その彼女に聞いてみた方がいい。彼女自身がそのしがらみをもう一度受け入れる気がないのであれば、おもし蟹の怪異から解き放たれることはない」
P「……わかりました」
忍野「その上で、おもし蟹を祓いたいというのであれば、現金で72万。メールで僕を呼んでくれ」
P「72万!? そ、そんなお金」
忍野「もちろん分割でいい。どうも貴方の着ているそのスーツ、ブランドの超1級だ。これくらいは報酬として妥当だと思う」
P「ですが……(くそ、営業のためと思って買ったスーツが裏目に出た)」
忍野「僕らも慈善事業じゃない。ましてや神と言われる存在を相手にするんだ、これでもこの業界では格安だと思うよ?」
P「分りました。では、お祓いをすると決まったときは、メールします」
忍野「ああ、そうしてくれると嬉しい。といっても、恐らく貴方は僕にメールをすると思うけどね」
P「……では」
―――
―――
―――
P「……そうやって聞けばいいんだよ」
P「961プロで起きたことを、いや、その裏側を聞かせろなんて。本当はどういう思いなのか、思いだったのか聞けなんて……」
春香「プロデューサーさん! どーしてんですか、難しい顔でぶつぶつと……ちょっと怖いですよ?」
P「わぁ! は、春香か! お前は突然現れるよな!?」
春香「ここは事務所ですよー! それに、レッスンから帰ってきた私にそんな扱いしなくてもいーじゃないですか!」
P「いや、すまない。考え事をしていて」
春香「あー、もしかして女性絡みとか……?」
P「まぁ、ある意味ではそうかな」
春香「え゛?」
P「ん、どうした?」
春香「い、いえいえー。なんでもないですよー?」
???「なんですか?ぷろふぇっさーさん?」
…
???「失礼、かみまみた」
春香「で、で! そ、その女性絡みっていうのは……れれれれ、恋愛とか!?」
P「声がうわずってるぞ?」
春香「そんなことはどーでもいいんでよ! 本当のところはどうなんですか!?」
P「ち、近い近いっ! そんな気楽な話しじゃないぞ!?」
春香「そ、そっかー……よかったぁ……って、気楽な問題じゃないと思うし……」
P「そんなに大きな問題か? 俺が恋愛絡みで悩んでたら」
春香「そそそそそうですよ! あ、あの、あれですよあれ! 相手の女性がうら、可哀想!!」
P「……そんな必死で大声で言わなくても」
春香「あわわわわ、ちがっ、違うっていうかー!」
P「……まぁいいや。少し相談してもいいか?」
春香「ちょ、ちょっと待ってください! 心を落ち着かせますんで……すーはー」
P「……」
春香「よっし、どんとこいですプロデューサーさん!」
P「大丈夫かなぁ」
春香「大丈夫ですよプロデューサーさん」
P「あのな。女の人の本音、いやこの場合は思い? 違うな、なんて言えばいいんだろう、隠した気持ちっていうか」
春香「んんん?」
P「女の人から話しを聞き出すにはどうすればいいのかな」
春香「ああ、なるほど! えっと、そこは聞き上手に」
P「自分から自分のことを話したがらない人なんだ」
春香「……難しいですね」
P「色んなことは話したんだけど。それでもなお隠している部分があるっていうか、そこを聞き出したいっていうか」
春香「なんかすごく複雑ですねー」
P「そうなんだ、複雑なんだよ」
春香「……もし私が隠している気持ちを聞かれたら、絶対に教えたいなんて思わないですもん」
P「それが普通だよなぁ」
春香「でも、本当に信頼している人なら別かも……」
P「そうなのか?」
春香「隠した気持ちや思いっていうのは、自分一人で抱えきれないときがあるんですよ。だからこそ、信頼している人に打ち明けて相談したくなります」
P「なるほどな。確かにそうかもしれない」
春香「えへへ、ちなみに私は千早ちゃんによく相談したりしています」
P「ああ千早か。お前たち、仲がいいもんな」
春香「そうなんです!」
P「友達は大切にしろよ」
春香「でも、プロデューサーさんには言えないです!」
P「な、なんで!?」
春香「それはトップシークレットなのですよ!」
P「うわぁ、似てない」
春香「に、似てないからってそんなに引かないでくれます!?」
P「……俺が本当にその人から信頼されているか、そこが重要だな」
春香「そうですね。でも大丈夫だと思いますよ! プロデューサーさん、優しいから」
P「いいや俺なんて優しくないぞ? 自己中心的だし」
春香「えっ、そうなんですか!?」
P「ああ。その人も実は俺の勝手な行動で手を出してるだけだし」
春香「手を出してるって……」
P「そ、そんな意味じゃないからな!?」
春香「ふふ、わかってますよー」
P「本当だろうな?」
春香「もっちろんですよ! 私、プロデューサーさんのこと、信頼してますから」
P「……そっか」
春香「はい! あれですよあれ! 私が信じるプロデューサーさんを信じろ、みたいな!」
P「おおう! ちょっくら気合い入れていくわ」
春香「ふぁいとー!」
――――――
――――――
――――――
貴音「お話しとは何でしょう。また何か分ったことがあったのですか?」
P「ああ。あのサイトの管理人と会ってきた。そして聞いた。おもし蟹のことについて」
貴音「……」
P「あの蟹は、単純に人の重しを失わせるわけではないんだ。いや、そのことは貴音自身が気付いていたのかもしれないな」
貴音「……はて、なんのことやら」
P「おもし蟹は、その名の通り思いし蟹。その鋏で、出逢った人の切り離せない思いを切り離す。そのついでに体重をうばう、重し蟹としてだそうだ」
貴音「……」
P「お前が切り離した思いというのは、一体なんだ?」
貴音「……それだけは言えません」
P「どうして」
貴音「わたくしは、プロデューサーに嫌われたくないから」
P「どうして俺がお前を嫌う必要があるんだ?」
貴音「申し訳ありません。言えません……どうしても、それだけは……」
P「……そうか」
貴音「は……い……っ」
P「……」
貴音「……」
P「……はは、そんな顔すんな。まるで苛めているみたいじゃないか」
貴音「……ふふ、最初の頃に苛められた記憶がありますので」
P「確かにそうだったな。でも、あの事があったから俺はお前に気付いた、気付けたんだよ」
貴音「そうでしたね」
P「なぁ、お前はその体をもとに戻したいと思うか?」
貴音「……はい」
P「切り離したその思いと、もう一度向き合えるか?」
貴音「向き合いたいと思います。そうしなければ、わたくしはここに居られない。ここに居られなければ、もうどこにも居られない」
P「……72万だそうだ」
貴音「え?」
P「おもし蟹を祓うために必要な費用のこと」
貴音「……わたくしは、その祓い人を信じてもよいのでしょうか」
P「わからない。もちろん、その費用については俺も」
貴音「いいえ。それはわたくしが一人で背負います。わたくしは、全てをおんぶ抱っこされねばならない赤子ではございません」
P「いや、しかし」
貴音「何故あなた様が費用のことを口にしたか。おそらく、このおもし蟹の重要さや、覚悟、をお聞きしたのですよね」
P「……」
貴音「あえて悪役など演じないでくださいまし。悲しくなります」
P「すまない」
貴音「いえ、わたくしはそういう所もプロデューサーを……なんでもありません」
P「ああ」
貴音「お一つ、お願い申し上げても宜しいでしょうか」
P「ああ」
貴音「この先、何があろうとわたくしを見守ってくださいますか」
P「もちろんだ。俺はお前を見捨てるようなマネはしない」
貴音「ああ、その言葉嬉しい反面、ものすごくわたくしは苦しくなります」
P「そうなのか」
貴音「はい。貴方は自らの行為を自己満足と申されましたね。今は、それでもわたくしは、偽善という優しさの真似事でも、嬉しい」
貴音「わたくしは貴方に何ができますか? 例えお祓いが失敗に終わったとしても、お礼をして差し上げたい」
P「そんなものはいらないよ」
貴音「それではわたくしの心が晴れません。こんなにも助けて頂いているのに」
P「いいや、俺は何一つとしてお前を助けたなんて思ってないよ。貴音はただ、自分から勝手に助かっているだけなんだ」
貴音「……ああ、天海春香が貴方を優しい人間と言った理由が今、たったこの今判ることができました」
P「なんだよ大袈裟だぞ」
貴音「いえ、事実でございます」
貴音「……貴方と比べてわたくしは、我侭で自分勝手なのです」
P「どうしてそんなことを言うんだよ」
貴音「これもまた、事実なのです」
P「……」
貴音「それに、臆病者です」
P「珍しいな、お前がそこまで自分のことを語るなんて」
貴音「それは、貴方を信じているからゆえです。本当の思いを語れないわたくしの、精一杯の貴方に対する敬意」
P「そうか。嬉しいよ貴音。……俺は何があってもお前を信じる、約束しよう」
貴音「ありがとうございます、本当に……ありがとうございます」
P「……お礼なんていらないさ」
貴音「これは、わたくしが勝手にしていることなので」
P「はは、確かにそうだ」
貴音「ふふ。……では、お願いします。祓い人もとへわたくしをお連れ下さいまし」
―――
―――
―――
――――――
忍野「ようこそ。やっぱり来たんだね」
P「……ええ」
貴音「お初にお目にかかります」
忍野「ああ、彼女が件の蟹の少女だね」
貴音「少女……」
忍野「ああごめんよ。こんなおじさんからすれば、君はまだまだ少女ってこと」
貴音「……」
忍野「うん。指示した通り、身を清めて白い服装……って、白襦袢っていうのもどうかとは思うけどさ」
P「さっそくお願いしてもいいでしょうか」
貴音「わたくしをお助けください」
忍野「助ける? いいや違うね。君は勝手に助かるだけだよ」
忍野「じゃあプロデューサーさんは少し離れていて貰えるかな」
P「わかりました」
忍野「それで、四条貴音ちゃんだっけ? 不思議な雰囲気の君はこの結界の中に入ってもらえるかな」
貴音「了解致しました」
忍野「それと不思議ちゃん、君は祈るんだ。思いを返して下さいって」
貴音「……」
忍野「いいかい? じゃあ始めるよ……」
忍野「――っ……――……」
貴音「…………」
がこんっ!
貴音「っ!?」
P「た、貴音!?」
忍野「プロデューサーさんはそこでじっとしていて」
貴音が突然飛ばされた
文字通り吹っ飛んだのだ、何の前触れもなく
忍野メメはそれを当たり前のように、さしたる問題でもないように大きな数珠を持って貴音に近づいていく
貴音「くっ……かはぁっ!」
忍野「苦しいよね。それが君の切り離した思いだ。でもまだだよ、ちゃんと、具体的に言葉にするんだ。言葉とは言霊。口に出すことが重要だよ」
貴音「……」
P「貴音?」
貴音が俺を見たような気がした
いや、確かに俺を見た。縋るように
忍野メメは、貴音に纏わり付いた蟹の影、おもし蟹を数珠で縛り上げた
貴音は押し付けられていた壁から剥がれ落ちて、息を整えていた
なんだこれは、これが現実なのだろうか
現実だった。怪異という、当たり前にそこにある、非日常だった
忍野「お願いするんだ。相手は神様だ。願いは言葉として、言葉は言霊として神様に聞き入られるからね」
貴音「……え……して、ください」
忍野「はっきりと言うんだ」
貴音「返して下さい!! 友達への思いを、わたくしの友人への思いを返して……ください……お願いです。わたくしの重しを……返して……だ……ませ」
忍野「……これで君はおもし蟹から解放された」
貴音「うぅ……ひぐ、ひっく……ああ……」
事の成り行きはこうだ
貴音には961プロに友人がいた
そのために、それが彼女の思いとして、重しとして961プロから離れられなくなった
故に彼女は出会った、おもし蟹に
枕営業などを行う事務所に、友人を残していく罪悪感から逃れるために
961プロを辞めるため、逃げるために重しとなる友人への思いを切り離すために
彼女は、貴音はそんな自分を我侭で臆病者と称した
そして、団結を社訓とする765プロだからこそ居場所が見つからず、ずっと一人ぼっちで過ごしていたのだった
ならば何故友人とともに961プロから逃げなかったのか
恐らく彼女のことだ、提案を何度となく出したろう
だが、とうとう受け入れられなかったのだろう。だからこそ、恐怖から、重しから、何もかもから逃げるために、彼女は切り離したのだ
忍野「……これでよかったのかい?」
P「はい。でも、あいつはアイドルを続けられるだろうか……」
忍野「それは心配ないんじゃないかな。ほら、あれ」
貴音「……」
P「だ、大丈夫か貴音!?」
貴音「はい。些か体のあちこちが痛みますが、平気です」
P「そ、そうか……」
貴音「……わたくしをどう思いますか。団結を重要視する765プロ。そして、友人を見捨てたわたくし。貴方は、こんなわたくしを」
P「もう何も言わなくてもいい。その友人も、助けてやるからさ。だから、これからは誰かを頼るんだ貴音」
貴音「……は、はいっ」
貴音「思い起こせば、わたくしは貴方に酷いことや失礼なことばかり言った気がします」
P「ああ、気にするなよ。慣れてるさ」
貴音「いいえ、それでもわたくしは貴方と特別な関係を築きたいと思います」
P「お、おう」
貴音「……」
P「……ごくり」
貴音「……わたくしのプロデュース、お願い申し上げても宜しいでしょうか」
P「そっちかよ! あ、いやなんでもない! もちろん任せとけ、トップを、頂点を見せてやるよ!」
貴音「ふふ。では、宜しくお願い致します貴方様。プロデュース、お願いします」
終わり
こんな時間に読んでくれた人がいたら、ありがとう
今年初のSSだった
宣伝
貴音「夜の向日葵、ですか」
千早「私のもの」
美希「こんな終わり方ってないの!!」
阿良々木「戦場ヶ原をフッてみる」
気が向いたら読んで欲しいな
でわ
>>49
訂正P「ああ。961プロっていうのは、アイドル部門は男ユニットしか無かったとしても大企業だ。どうしてそんなところを辞めたのか気になるだろ」
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません