苗木「ゴミ屑としての才能」 (25)
冷たい、暖かい。
寒い、暑い。
凍えそうだ。いや、干からびるのが先か。
どちらにしろ、僕みたいなゴミ屑がこれ以上歩み続けても、迷惑にしかならないのだ。
死のう。
このまま、この人と一緒に...
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...
...
苗木「...」
苗木「また...死ねなかったな」
椅子を蹴り飛ばした瞬間に白濁した世界を見て、今回こそはと思ったけど...
僕が首を吊ろうとしていた事実は綺麗さっぱりなくなって、不幸な誰かが謎の死、もしくは自殺を遂げたことになってしまった。
ああ、こんなこと思いつくんじゃなかった。無差別テロと同じ、極悪非道な行いと言ってもいいかもしれない。
ただ、尊い犠牲のお陰で分かったこともある。
苗木「...僕は死ねない」
これで確定した。どうやら僕は、生まれついての死神らしい。
他人の命を啜ってのうのうと生き永らえる悪魔。
それが僕、苗木誠。
こんな才能に目覚めたのは、物心ついてしばらく経った頃。丁度、保育園を卒業したあたりだったと思う。
リビングでテレビを眺めていると突然、頭の奥から不鮮明な景色が広がってきたのだ。
理由は置いておくにせよ、この時のことはやけに詳しく覚えている。その場所は確か山小屋のような建物だったはずだ。
突然のできごとに戸惑って立ちすくんでいると、後ろからとてつもない力で組み伏せられてしまった。
痛かった。
それだけでなく、何とも言えな息苦しさが喉をあたりを締め付けてきて、まともに呼吸をすることさえ出来なくなってしまった。
怖い。
それまで生きてきた穏やかな世界では到底経験し得ないような、生物としての恐怖。
助けを呼ぼうともがいても、縛られた手足は動かず、目の前の男を喜ばせるだけだ。
と、ここで初めて気づいた。今の自分は、自分であって自分ではない。
縛られているのは、若い女性であって苗木誠ではないことに。
その後のことについてはあまり気分のいい思い出でもないので割愛するが、その女性の命を奪ったのは野蛮な男の両手であったことだけは言っておきたい。
所謂、絞殺という手法だ。
よく比べられる首吊りとは異なり、手の力では気道を塞ぐことはできても頚動脈を締め付けることが出来ないので、脳へ酸素は送られたままの状態で意識が失われるのを待つこととなる。
その苦しみは、似通った方法に思われがちな両者の間でも、天と地程の差がある。よく推理小説などで男が憎い女を殺すときにこの手を使うのは、至極当然なことかもしれない。
と、こんなことを考えられるのは様々な死を体験した今だからこそであって、当時はただ苦しみに耐えることしかできない。
いつまでも消えない男の顔と、体の呻き。幼き日の僕は、心の底から死を願った。
ハヤクシネ、ハヤクシネ。
その後、僕の意識はまるで何事もなかったかのように小さな肉体に戻ってきた。テレビではあいも変わらずひな壇芸人たちが何かをはやしたてている。
呼吸は正常。首に痣も出来ていない。憎くてたまらなかった野獣も、どこかに消えてしまった。
夢にしては生々しく、現実というのには無理があるこの体験。
臨死。死んでしまえばそれまでだが、生きているのならその恐怖からは一生逃れられない。
ただ...僕は泣かなかった。いや、泣けなかった。身体の底から寒くて寒くてたまらなかったが、母親に泣きつくこともなく、父親に守ってもらうこともなく、一人でその場を立ち去った。
二人に何を言っても仕方がない。僕達はもう、普通には暮らせないのだから。
幼き僕の中には、どういうわけか確信にも似た思いが渦巻いていた。
今日のような出来事はこれからも続く。死からは逃れられない。
苗木「実際、そうなっちゃったしね...」
それから、僕は何回も"死"を体験した。刺殺、撲殺、毒殺、殴殺、爆殺、射殺、銃殺をはじめとする殺人事件に巻き込まれたり、はたまた交通事故、自殺などにもこの"他人の死を引き受ける才能"が反応するらしい。
引き受けるタイミングもそれぞれで、殺される直前にいたぶられている段階から憑依させられるものもあれば、苦しみが一瞬で終わるものもある。
銃を使っての自殺や首吊りなどでは、そういった傾向が強いのかもしれない。感覚が麻痺してきたのか、自分の中で自殺は楽だという思いが芽生えてきた。
...一応言っておくと、やはり実行に移すまでには時間がかかったし、結局は他人を殺してしまうだけとわかったので二度とするつもりは無い。
それと、憑依する頻度については不幸中の幸いであったと言ってもいいかもしれない。当初は人が死ぬたびに苦しまなければならないのかと恐怖したが、どうやらこんなゴミみたいな才能にも制限というものがあるらしい。
例えば...そう、テレビで大きく報道されるような事件の被害者の死に際を体験することはなく、また自分からあまりにも離れたところで起こった交通事故や自殺については、対象外として扱われるようだ。
その証拠に犯人逮捕のニュースを見ても知らない顔ばかりが表示されるし、視界に入った地名はどれも身近なものばかり。
もしこれが日本全国での交通事故、自殺に反応するのなら、僕自身まともな生活を送ることは不可能だっただろう。
四六時中憑いていたら、自分自身のことを何も出来なくなるはずだ。
まあ、勿論今の暮らしを"まとも"とする条件付きでの話だけど。
実際、小学生になってからの僕の暮らしは散々なものだった。
初めての臨死、そして続いていく死。
一度目で壊れなかった自分の精神を褒めたいところだが、常に恐怖と戦いながら生きていくのには、6歳という年齢はあまりにも幼すぎた。
自分で言うのも可笑しな話だが、僕は変わった子供であった。
言い方を変えれば、キチガイだったのだ。
小学生時代の僕の趣味は、ドッジボールでも野球でもサッカーでもゲームでもない。生き物の分解だった。
生きているアリの足をもいでみて、ああ、こいつは声には出さないけど痛がっているんだな、自分のときと同じだなと考えてみたり、ギリギリ浮くか浮かないか合わせたおもりをイモムシに括りつけて水に浮かべて、お前はもう助からないんだよと思ってみたりと、加害者側に回ることが快感だった。
家でこまるがせがんで飼いだしたハムスターがいなくなったのも、学校のセキセイインコがいなくなったのも、全部僕のせい。ハムスターはビニール袋に詰めて窒息死、インコは羽を傷つけて飛べないようにしてから野良猫に食べさせてあげた。
おそらく、僕だけがこれらの犯行について知っているのだと思う。そうでなければ、今頃問題児扱いされて何らかの施設へ送られていた可能性が高い。
ただ、不思議なことに僕は友達が多かった。勿論、表面上だけで実際には気を許した友達など一人もいなかったが、これはこれでよかったのかもしれない。
少なくとも、僕に対して明確な敵意、侮蔑、そういったマイナス方面の感情をぶつけて来られにくくなる。
負の感情を向けられるのは面倒だ。
殺したいと思ってしまう。
最初、僕は勘違いをしていた。この才能は他人の死を引き受けるだけのものと。
違う。違った。
そして、殺してしまった。
僕に友達が多かった理由としては、憑依する相手が大人である場合が多く、死ぬ前に多少混ざり合うことで精神が急激に成長していった...というのが妥当な気がする。
小学生のうちはあまり細かいことを考えずにただ思い通りに過ごすような子供が多いので、話を合わせるのに苦労はしなかった。
あと、いつもへらへらしていたのが功を奏したのかもしれない。クラスの明るいムードメーカー。そんな子供の中身がどす黒いもので渦巻いているなど、誰が想像できようか。
...いや、一度だけ見抜かれたことがある。死を重ねるたびに分厚くなっていく仮面を引っペがして、ズケズケと踏み込んできた子供がいた。
「マコトくんって、笑わないんだね。つまんない」
「寂しくないの? ずっとひとりぼっちで」
その子はお世辞にも友達が多いとは言えず、一人で読書をする姿が印象的な子だった。
ただ、何かしら人を惹きつけるようなオーラを纏っており、遠目から彼女の様子を伺う視線は多かったはずだ。
僕自身、彼女に目線をやることが少なかったわけではないし、それはクラスの男子達も同じであった。
多分、そのことで女子たちの嫉妬を買ってしまったのだろう。嫌がらせらしき行為を受けているのを何度も目撃した。
しかし、それでも輝きを失わない彼女に対し、僕は恋心を抱いていたのかもしれない。
だからこそ、その言葉を聞いたときには殺意が芽生えた。
それが、彼女を殺した。死の瞬間に立ち会ったのは、紛れもなく、僕自身だったのだ。
このSSまとめへのコメント
何かのパロ?
それともマジで自分のオリキャラに版権キャラの名前書いただけ?