澪「海底都市ラプチャー」 (128)
・2007年に発売されたFPS「バイオショック」と「けいおん!!」のクロス
・バイオショック1、2のネタバレ注意
・バイオショック未プレイの人でもわかりやすく書くつもりです
・百合描写注意
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澪「………」
澪「…?」
澪「!?」
私は暗闇の中にいた。
澪「…ボゴォ!」ゴポゴポ
澪「〜〜っっ!?」
気が付くと私は水の中でひとり漂っていた。
澪「…ボゴゴゴ!」
自分が水中にいると分かると、私はパニックに陥りそうになったが、すぐに着ている服を脱ごうともがいた。
どうしてこんなに冷静になれるのか、自覚は無かったが体が勝手に動いていた。
澪「ん〜っっ!!んーッッッ!」
何とかシャツと下着だけを残して着ている服を脱ぎ、私は水面だと思う方へ向かって必死に手を掻いた。
水面らしき場所は妙に明るく、オレンジ色に揺らいでいる。
その光を目指して、必死にバタ足をした。
澪「〜!」
澪「〜〜っ!」
澪「ん〜〜〜〜〜っ!!!!!」
澪「ぷはっ!!!」バシャン
澪「うぷっ、ぷっ!はぁっ!」
澪「はぁ…うぷ…ぶはぁ!はぁ…」
澪「はぁ…はぁ…はぁ…」
なんとか水面にたどり着けた。
沈まぬように必死に足を動かしながら両手でバランスを取る。
澪「んっ…はぁ…うぅ…」
水面は自分を取り囲むようにメラメラと燃えていて、顔に熱が伝わってくる。
炎の熱で少しだけ水が暖かい。
澪「痛ぁ!」
顔が空気に触れたとたん水が目にしみだした。
どうやら海水のようだ。
澪「うぅぅ…」ゴシゴシ
澪「あぁぁ…いたたた…」
澪「…海…?」
澪「あっ…」
トランクケースがこっちに流れてきた。
私はそれにしがみ付き、なんとか安定する事ができた。
澪「はぁ…」
澪「うぅぅ……」
澪「なんなんだ…これ」
気が付けば海の中、海面に出てみると辺りは炎に包まれている。
突然の出来事と疲労でしばらく何も考えられない。
澪「どこだ、ここ…」
澪「何がどうなってるんだ…?」
「……ぉ…ん!」
澪「…!?」
澪「声?」
「…ぉ…ちゃーん!」
擦れてよく聞こえないが聞き覚えがある声だ。
「み…ぉ…ちゃーん!」
澪「どこだ…?」
声のする方を向くと目の前に大きな影が現れた。
澪「!?」
澪「と、灯台…?」
海の上に灯台が聳え立っている。
初めは炎の明るさで見えなかったが、確かに巨大な角柱の灯台が一つ、目の前にあった。
辺りには陸らしきものは無く、ただ海の真ん中にひっそりと灯台だけが立っている。
青白い月の明かりに照らされたそれはとても不気味に見えた。
澪「ぁ…………」
私は口をポカンと開けて灯台を見つめていた。
普段の自分なら、こんな物を目にすれば、すぐに目を瞑り怖がって身を丸めているだろう。
でも、その灯台の禍々しいオーラを前に私は恐怖も忘れて呆けるしかなかった。
「みーおーちゃーん!!」
澪「はっ!?ゆ、唯!?」
唯「澪ちゃん、こっちだよ!」
灯台のふもとに唯がいる。
石造りのバルコニーから手を振っている。
澪「うぷ…唯!」
私はトランクケースをビート板代わりに、バタ足をして唯のいる灯台へ泳いだ。
唯「澪ちゃん!ほら掴まって!」
バルコニーから水面まで伸びている階段を降りてきて、半身を海水に浸かりながら唯が手を差し伸べてくる。
澪「唯!」
唯「捕まえた!ほら、はやく上がって!」
澪「うぁっ」バシャ!
澪「ぐ……はぁ!」
唯「大丈夫!?澪ちゃん?」
澪「はぁ…はぁ…な、なんとか」
澪「ありがとう…」
唯「よかったぁ」
澪「はぁ…はぁ…」
唯「あ!他にも誰かいるよ!」
澪「えっ、どこ!?」
唯「おーい!」
澪「あれは……!」
澪「りつ!ムギ!」
唯「こっちだよー!」
唯も海の中にいたのか服をずぶ濡れにしながらも必死に手を振っている。
律「はぁ、はぁ!」
紬「澪ちゃん!唯ちゃん!」
澪「手を伸ばせ!」
唯「りっちゃん!ムギちゃん!」
律「はぁ…!」
紬「んっ…はぁ…澪ちゃんありがとう」
澪「二人とも大丈夫か!?」
澪と同じく律とムギも下着姿だった。
律「あぁぁ…ぁぁ…寒い…」
紬「はぁ…はぁ、りっちゃんだけ火とは離れた所にいたみたいで…かなり凍えてるわ」
律「ぅぅぅ…」ガチガチ
澪「大丈夫か!?何か着る物…」
私は律と紬が浮き代わりに持ってきたトランクを開けようとしたが、鍵がかかっていて開かない。
澪「…だめだ!」
唯「澪ちゃんが使ってたトランクも開かないよ…」
澪「ここには入れないのか?」
灯台に入口らしき大きなドアがあるが、固く閉ざされておりびくともしない。
律「ぅぅぅぅ…さみぃ……」ガタガタ
紬「そうだ…りっちゃん。ほら」
律「ちょっ!お、おいムギなにして…」
ムギは寒さに震える律を包み込むようにそっと抱きしめる。
紬「こうすれば少しは温まるでしょ?」ギュウ
律「ま、まぁそうだけど…///」
唯「さすがムギちゃんだね」
澪「はぁ…はは、そうだな…」
バチャバチャ…
澪「ん!?」
梓「…ぱぃ!先輩!」
唯「あ、あずにゃん!?」
梓「うぷ…ぶはぁ!はぁ!」
唯「あずにゃん!」
澪「梓!」
梓「はぁ…うぐ…ぷはぁ…」
梓に気付いた私はすぐに海に飛び込んで梓を捕まえた。
梓「はぁはぁ…澪せんぱい…ありがとうございます」
澪「大丈夫?梓」
律「梓も無事だったか」
紬「よかったわ」
梓「はぁ…はぁ…」
唯「ほら、あずにゃん寒いでしょ!?」ギュゥ
梓「そりゃまぁ寒いですけど。ちょっと…待っ…」
律「はは…」
澪「………」
澪「唯…ちょっと休ませてあげろよ」
唯「ほら、あずにゃん。座って」
梓「はい…」
澪「怪我とか無いか?」
梓「はい。たぶん大丈夫です」
澪「そうか。ん?」
よく見ると梓は片方のツインテールがバラバラに千切れたように半分くらいに短くなっていた。
澪「梓、髪どうしたんだ?」
梓「あぁ、絡まって取れなかったんです。飛行機のシートベルトの金具に」
澪「飛行機…」
梓「髪がどうしても取れなくて、機内食用のナイフを見つけられなかったら座席に引っ張られて水の底へ連れて行かれるところでした。」
律「ひぇぇぇ…」
律がムギに抱きしめられながら、戦慄する。
たしかに何かに引きずられて海の底へ連れて行かれるなんて想像するのも恐ろしい。
唯「あずにゃん、無事でよかったよ」
紬「うん、みんな無事でよかったわ…」
澪「あぁ、よかった」
だんだん落ち着いていくうちにいろいろな事を思い出してきた。
私は立ち上がり、自分たちがいた海面を見渡す。
澪「あ、あれは…」
飛行機の尾翼がズブズブと音を立てながら海に引きずり込まれている。
人影は無く、投げ出されたように海面の辺り一面に浮かぶトランクケースやカバンなどの荷物、何かの残骸が、燃え盛る炎に照らされていた。
澪「私たちたしか、ロンドンに行こうとしてたんだよな…」
・・・・
・・・・
・・・・
“ヨーロッパ”
唯「ん〜!ん〜ん〜!」
律「しばらくそうしてるといい」
澪「唯?」パシャ
ラクガキした紙を顔に張り付けた唯にカメラを向けて、私はシャッターを押す。
梓「ぷっ…ふふふ」
律「じゃあそろそろちゃんと、卒業旅行の場所決めるか」
律「みんな、行きたいトコバラバラだしな〜」
澪「多数決とか?」
律「無理じゃん」
唯「トンちゃんに決めてもらうのはどう?」
梓「トンちゃんに決めてもらうって、どうするんですか?」
澪「話せるわけでも無いし」
紬「あ、いい方法があるわ」
・・・
ムギが考えたのは、ティーカップを水槽の中に入れてトンちゃんが触れたティーカップで場所を決めるというものだった。
トンちゃん「?」プカプカ
澪(それにしても食器をスッポンモドキの水槽に入れるのってどうなんだ…汚いだろ)
紬「遊園地みたいでかわいいね♪」
澪「まぁ確かに…」
澪「梓はどこも希望しなくていいのか?」
梓「だって私は…これ、皆さんの卒業旅行の行先ですし」
唯「え?あずにゃんは行かないの?」
梓「私はまだ卒業じゃないですし、みなさんで楽しんできてもらえれば…」
澪「梓も一緒に行こうよ」
唯「そうだよ!あずにゃんもいなきゃ、軽音部じゃないよ!?」
梓「皆さんがそういうなら、でもお邪魔じゃないですか?」
律「なんで?」
澪「しっかり者の梓がいてくれれば安心だよ」
梓「じゃ、じゃあ…」
唯「ああぁぁ!ととと…トンちゃんが!」
唯「私のヨーロッパの前に!」
律「まじか!?」
紬「ホント!?」
律「あ、でもこれロンドン触ってる!」
唯「えぇ!?」
澪「本当か!?」
トンちゃんは確かに、私が希望したロンドンのティーカップを触っている。
梓「じゃあ…卒業旅行の行先はロンドンって事ですか?」
律「みーお!ロンドンだぞぉ!」
紬「よかったね澪ちゃん」
澪「………」
澪「や…や…やったぁぁぁぁ!」
・・・・
・・・・
・・・・
バキッガチャン!
澪「開いた!」
紬「やった!」
私とムギは灯台に流れ着いた飛行機の残骸を使って、浮き代わりにしていたトランクケースをこじ開けた。
唯「服、入ってるね」
梓「ほとんど濡れてませんね」
皆で手元にあった二つのトランクをあけ、中に入っていた服を分け合って、全員まともな格好になることができた。
紬「女性用の物でよかったわ。サイズもちょうどいいみたい」
梓「はい。私はちょっとブカブカですけど…」
澪「持ち主には悪いけど、しかたないよな」
唯「これでひとまず落ち着けるね」
澪「………」
澪「な、なぁ…ここどこなんだ?」
律「………」
紬「………」
唯「………」
梓「………」
私の一言でみんな静まり返る。
澪「私たち、どうなったんだ…?」
律「これって、遭難だよな?」
紬「飛行機は海に沈んじゃったし、他の乗客の人は誰もいないし…」
律「生き残ったのは、私たちだけって事なのか…?」
澪「そんな…」
唯「でも、建物に着いたんだから誰かいるんじゃない?」
律「いくらノックしても誰も出てこないじゃん…」
紬「辺りにはこの灯台以外なにも無いし」
梓「そもそも、海の上にこんな大きな灯台だけあるなんておかしいですよ。ふつう岬とかにある物じゃないんですか?」
律「まぁなんにせよ、今のところ頼りなのはこの灯台だけだな」
律「辺りは暗くて一面海で何も無い。しばらくここで待つしかないよ」
律「幸いトランクの中にお菓子が少し入ってるし、朝まで待てば誰かくるかも」
澪「………」
突然こんな状況になったのに、みんなやけに冷静だ。
ガコ!
澪「!?」
ギギギギギギ…
その時大きな音がして、さっきまでびくともしなかった縦長の扉が鈍い音をたててゆっくりと開いた。
梓「あ、開いた…」
紬「まぁ」
唯「やった、誰かいるんだよきっと!」
律「よかったぁ!」
しかし中は真っ暗で、月の光に照らされて微かに床が見えるのみ。
梓「真っ暗ですよ…?」
澪「ちょっとヤだな…これ」
紬「でも寒さもしのげそうだし、外にいるよりマシだと思うわ」
律「よぉし、みんなりっちゃん隊員についてこい!」
唯「ら、ラジャ!」
律に続いて私たちはほぼ暗闇の灯台の中へと足を踏み入れた。
澪「く、暗い…やっぱ無理だよぉ…」
律「慌てるなって、どこかに電気のスイッチみたいなのが無いか探すんだ」
唯「暗すぎるよぉ。さっきのトランクに懐中電灯か何か入ってないの?」
澪「そ、それもそうだな」
キィ…バタン!
澪「え…」
澪「ひぃぃ!」
律「お、おい誰だ入口閉めたの!」
唯「私じゃないよぉ」
梓「誰も閉めるわけないじゃないですか!」
紬「何も見えないわ」
澪「りつぅ〜!」ギュウ
梓「あの、それ私です」
澪「あ、梓か…すまん」
キーン!
澪「!?」
何か甲高い音と共に、突然に辺りが真っ白になり目が眩んだ。
唯「まぶし!」
紬「きゃ!」
澪「うぅぅ…」
明かりが灯されて、皆目を眩ませる。
そして間髪入れずどこからか音楽が鳴りはじめた。
スローテンポの落ち着いたクール・ジャズだ。
律「いきなりなんなんだよ…?」
なんとか光に慣れようと、片目だけ開けて辺りを確認する。
梓「これは…」
澪「なんだこれ…」
灯台の内部は吹き抜けになっており、両脇に2本の階段が下へと続いている。
それよりも真っ先に目に入ったのは頭上の大きなブロンズ像だった。
しかめ面をした中年男性の巨大な胸像が、自分たちを見下ろしている。
律「なんなんだ…ここ」
唯「ほぇぇぇ…」
ブロンズ像の前には横断幕が掲げられ、「NO GODS OR KINGS. ONLY MAN.」と書かれている。
梓「気味が悪いですね…」
紬「でも、誰かいるのは間違いないわね」
唯「そうみたい」
唯「すみませーん!」
唯の声は階段の奥まで響き渡ったようだが、全く反応が無い。
クール・ジャズだけが「とりあえずこれを聴いて落ち着いてね」と言わんばかりに鳴り響いている。
唯「だれも出てこないね…」
律「行ってみるか…」
澪「うぅ…行くしかないよな…」
一歩一歩足を踏みしめるたびに、照明が音をたてながら点灯していく。
私たちは寄り添いながら恐る恐る階段を下っていった。
澪「ん?」
律「お?なんだこれ」
階段を降りたところには円形のプールがあり、そこには鈍く黄色に輝く球体が浮いている。
球体のガラス張りの扉が開いており、中には座席が備え付けられている。
紬「なにかしらこれ」
唯「中に入れるみたいだよ」
澪「ゴンドラみたいな…」
梓「すっごく怪しいですね…」
プールの底は確認する事ができず、ずっと下に…海の底に続いているようだ。
球体の内部の中心にはレバーがあり、どうやらこれを倒せば起動するらしい。
澪「“bathysphere”って書いてある」
律「“bath”…風呂?」
澪「いや“bathy”だよ。深いとか、深海とか…」
澪「“sphere”は球体だから、潜水球とか?」
紬「たぶんそれね。見るからにそうだもの」
律「なんなんだ。次から次へと…」
唯「これに乗れってことなのかな」
律「でもこれどうやって操縦するんだ?レバーしかないぞ?」
梓「レバー以外に何かあっても、操縦なんて無理でしょう…」
澪「とりあえずここは暖かいし、すこし休んでもいてもいいかもしれない」
唯「乗らないの?」
澪「いや、こんな変な物、簡単に乗っていっちゃマズイだろ…」
律「澪しゃん怖いの〜?」
澪「そ、そりゃそうだろ!とにかくみんな疲れてるし、いったん休憩だ」
・・・
律「どこへ行くんだぁ?」
唯「お、お前と一緒に、避難する準備だぁ!」
律「一人用のポッドでかぁ?」
澪「………」
澪「あいつら元気だな…」
私は潜水球で遊ぶ唯と律を見て溜息をつきながら、そばにある段差に腰かけた。
紬「さすがね」
澪「全くこんな状況で…」
紬「こんな状況だからじゃない?」
澪「えぇ?」
紬「りっちゃんも唯ちゃんも、ああやって遊んでる事で正気を保っているんだわ」
紬「私たちも、もっと狼狽えていてもいいはずだけど、りっちゃんと唯ちゃんがああやっているからか、割と落ち着いていられるじゃない?」
澪「それはまぁ…そうだけど」
澪「ん?」
梓「う、うぅぅ…」プルプル
澪「梓、大丈夫か?」
梓「ちょっと寒いですね…」
澪「そうか?こっちきなよ」
梓「あぅ…///」
澪「どうだ?温いか?」
梓「は、はい」
紬「ふふふ♪」
澪「疲れてるんだろ?ちょっと寝た方がよくないか?」
梓「はい…///」
澪「ふふ…」ナデナデ
澪「!?って、すごい熱じゃないか、梓!」
梓「うぅ…」
紬「梓ちゃん、風邪ひいちゃった?」
梓「そうかもしれません…」
澪「ほら、私の上着着て」
紬「さっきのトランクは外に置いてきてしまったし…」
ガーッ!ガーッ!ピー!
その時、潜水球からラジオの砂嵐のような音が流れてきた。
ガーッ!ガーッ!
律「なんだなんだ!?」
『Can you hear me?』
周りの壁に反響して無線機からの声がこだまする。
澪「英語か?」
『Can you hear me?』
『Would you kindly pick up that shortwave radio?』
律「なんて言ってるんだ?」
澪「ええと…“ラジオを拾え?”」
紬「ラジオ…たぶんこの無線機を取れって事じゃない?」
澪「たぶん…」
潜水球内部に古そうな無線機らしき機械が備え付けてあり、そこから男の声が話しかけてくる。
『Can you hear me?』
『Do you understand what I'm saying?』
無線機の向こうから話しかけてくる相手は、言葉を変えて何度も呼びかけてくる。
『Понимаете ли вы, мои слова?』
『你明白我的话吗?』
『Verstehen Sie meine Worte?』
律「なぁ、でないのか…?」
澪「でたほうがいいんだろうけど…」
助けが求められる状況にもかかわらず、この異様な空気に押しつぶされて私たちはどうにも動けずにいた。
唯「こんにちわ!」
紬「あら、唯ちゃん」
唯「助けて!私たち、遭難してるの!」
唯がそのまま日本語で無線機に応答する。
律「唯、せめて英語で…」
『Oh...Are you Japanese? Well....』
無線機の男は軽く咳払いした後、改めて話しかけてきた。
『んんっ……私の言葉がわかるかな?』
澪「!!」
唯「わかるよ!わかります!」
無線機の男『よし、時間が無いからよく聞いてくれ』
無線機の男『君たちは恐らく墜落してきた飛行機に乗っていたんだろう。でも奇跡的に助かり、その灯台にたどり着いた』
唯「そうです!私たち、ロンドンへ行こうとしてて…」
無線機の男『イギリスへ?ここから結構離れてるじゃないか…まぁいい』
無線機の男『とにかく…その灯台に入ってしまった以上、引き返す事はできない。その潜水球でこっちまで来てくれ。迎えに行く』
澪「え、でも…動かし方なんかわからないし」
無線機の男『その潜水球はレバーを倒すだけでいい。操縦は完全に自動化されている』
無線機の男『早くしないとライアンに察知されてしまう。急ぐんだ!』
律「ら、ライアン?」
無線機の男『すまないが、今は説明している暇がないんだ…もう通信を切る』
無線機の男『恐縮だが、急いで潜水球でこっちまで向かってくれ!』
その言葉を最後に、無線機からは一切音がしなくなった。
澪「どうする…?」
律「どうするもこうするも…これに乗る以外にここから出る方法なんか…」
澪「うぅ…」チラ
梓の方へ目をやる。
顔はかなり火照っていて、少し苦しそうな表情をしている。
梓「はぁ…はぁ…」
紬「澪ちゃん、行きましょ。ここにいてもしかたないわ」
澪「あぁ、梓も辛そうだし…ゆっくり休める場所に行った方がいいよな」
無線機の男の言うことを信じて、皆恐る恐る潜水球へ乗り込む。
私は梓を潜水球の座席に寝かしつけた。
梓「澪せんぱい…」
澪「大丈夫だ梓。もうすぐ助けてもらえるぞ」
唯「レバー、倒すよ?」
律「あぁ」
ガチャン、バタン
ゴポン…シューシュー…ゴポゴポ…
レバーを倒すとハッチが閉まり、潜水球はゴポゴポと音をたてながら潜水を始める。
澪「………」
律「………」
紬「………」
唯「………」
かなり深い所まで潜り、先ほどの建物から海中に出る。
カシャン!カラカラカラ…
律「な、なんだ?」
ガラス張りのハッチがスライドで覆われ、ファンファーレのような楽しげな音楽と共に、古い白黒映画のような映像が流れ出した。
“Fire at your Fingertips! Incinerate”
“PLASMIDS BY RYAN INDUSTRIES”
男性が指先から火を出して女性が持っているタバコに火をつけている、広告のような画が写される。
律「宣伝かなにかか?」
カシャン
広告が終わり、次はパイプをくわえ鼻の下に髭を生やした中年男性の写真が写された。
“I am Andrew Ryan, and I'm here to ask you a question.”(私の名はアンドリュー・ライアン。君たちに一つ、質問をしよう。)
律「これ、たぶん録音されてる物だよな?…なんて言っているんだ?」
澪「えぇと…私はアンドリューライアン。あなたに質問をする…?」
紬「さっき無線機の人が言ってた“ライアン”ってこの人の事かしら?」
律「みたいだな」
“Is a man not entitled to the sweat of his brow?”(人には自ら汗を流し、そこから得るものを受け取る資格があると思うかということだ。)
“ 'No!' says the man in Washington, 'It belongs to the poor.'”(ワシントンでは、それは貧しい者にあると言い…)
“ 'No!' says the man in the Vatican, 'It belongs to God.'”(バチカンでは神の物だと言う)
“ 'No!' says the man in Moscow, 'It belongs to everyone.' ”(モスクワでは全ての人間にあると言うようだ)
澪「えぇと…よくわからないけど、何かの資格があるかどうか聞いているみたい…」
澪「ワシントンでは貧しい物にあり、バチカンでは神の物で、モスクワでは全員にある…と言う」
楽しげなBGMとは裏腹に、潜水球の中は不穏な空気が漂い始める。
“I rejected those answers, instead, ”(私はその全ての答えを受け入れはしなかった。)
澪「私はこれらの答えを拒否し、その代わりに…」
“I chose something different. I chose the impossible.”(私の選択する答えはそのような答えではない。誰もが思いもよらぬだろう答え。それこそが…)
“I chose.”..
澪「私は違うものを選んだ。私は不可能を選んだ。私は選んだ…」
同時にスライドが引き下がり、潜水球の窓から海底が見えた。
“ Rapture ”(ラプチャー)
潜水球の窓からありえない物が目に飛び込んでくる。
律「な、なんだこれ…」
海底には高層ビルが無数にそびえ立ち、そのビルの間を様々な深海の生物が泳いでいる。
摩天楼を街ごとごっそり海底に持ってきたような異様で圧倒的な光景が目の前に広がっていた。
唯「うわぁ…海の中に街がある」
高層ビルは40年代ニューヨークのようなレトロな建築で、ビルの窓からこぼれる光と、そこらじゅうで輝く色とりどりのネオンサインによって幻想的に輝いていた。
澪「な………」
私たちはその圧倒的な光景に言葉を失い、口をポカンと開ける。
“ a city where the artist would not fear the censor, ”(芸術家たちが検閲を恐れず)
海底のありえない光景をバックに、音声が続く。
“where the scientist would not be bound by petty morality, ”(科学者たちが倫理感に縛られることもなく…)
“Where the great would not be constrained by the small! ”(大いなる者が愚かな者達に拘束されない場所)
“And with the sweat of your brow, Rapture can become your city as well. ”(ラプチャーは、君が額に汗を流し努力する者であるなら喜んで受け入れるだろう)
潜水球に揺られながら、私達は全員、音声を忘れてただひたすら海底にそびえ立つ摩天楼を見つめていた。
梓も体を起こし、その非現実的な情景に目を丸くしていた。
律「は…ははは…これって夢か…?」
律が私のほっぺをつまんだ。
澪「痛い…」
私も律のほっぺをつまみ返す。
律「ははは、私も痛いぞ」
紬「凄い。こんなの見たことない…」
唯「ほへぇ〜」
澪「ぁ………あぁ…」
もう何も考えられない。この状況と疲労で、テンションが完全におかしくなっている。
だんだん意識が遠のいていくような感じがした。
澪「うぅ…」
想像もつかないような光景に圧倒されているうちに、潜水球の発着場らしき場所に到着する。
七色のカラフルなネオンサインに照らされながら、軽音部を乗せた潜水球は建物の中へと吸い込まれていった。
■ 第一章 「 Welcome to Rapture 」 終 ■
●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
クラスメイトがハワイへ卒業旅行に行くことを知った軽音部たちは、自分達も高校卒業前に旅行へ行くことを計画する。
行き先はロンドン。
そして気が付けば澪はひとり海の中を漂っていた。
灯台にいた唯の助けを借りて澪はなんとか一命を取り留め、後に律、紬、梓含む放課後ティータイム全員が飛行機事故を生き延びた。
謎の灯台の中には怪しげな潜水球。備え付けてあった無線機から男の声が。
軽音部達は助けを求めて潜水球に乗り込む。
潜水球は海中の奥深くを潜航し、“ライアン”と呼ばれる男の映像とともに目の前に広大な海底都市が現れる。
ありえない光景を前に唖然とする軽音部達はそのまま都市の中へと吸い込まれていった。
■ 第二章 「 Somewhere Over the Rainbow 」 ■
律「広っ、すっげーなぁ」
律が空港のターミナルを見てつぶやく。
紬「先に荷物預けちゃお?」
唯「あ、それがいいね」
ひとまず荷物預かりの受付カウンターに行くことにする。
係員「大変申し訳ございません。本日、機内が大変混み合っておりまして…よろしければそちらのお荷物をお預かりさせていただきたいのですが…」
梓「え…」
唯「えぇ〜ギー太ぁ」
澪「まぁ仕方ないよな…」
大きな荷物を全て預けて、搭乗口へと向かう。
・・・
律「噂の彼とはどうなってるんですか!?」
唯「付き合ってるんですか!?」
紬「ぷく〜」
律「どうなんすかぁ!コトブキさぁん!?」
澪「はしゃぎすぎだろ…」
澪「あぶないぞ〜?まったく」
梓「………」
梓は律たちが遊んでいるのを見て、少し微妙な顔をしている。
まだ卒業に関係の無い梓にとって、この旅行では自分はお邪魔だといまだに思っているのだろうか。
澪「梓?」
梓「はい」
澪「梓がいてよかったよ…あいつらだけだと私たぶんいまごろ疲れてた」
梓「あは、そうですかね…」
梓はまだどこか申し訳なさそうにしている。
澪「あ、見て」
梓「?」
空港の広い滑走路が太陽に照らされて眩しい。
今朝は少し雨が降っていたからか、山のむこうにうっすらと虹がかかっている。
澪「綺麗だなぁ…」
澪「ロンドンに行ったら、もっと凄い景色がいっぱい並んでるんだな」
梓「楽しみですね」
・・・
・・・
・・・
澪「………」
澪「うぅ…」
気が付くと私はベッドの上にいた。
毛布から顔だけ出して部屋を見回す。
窓から青白い光が差し込み、薄暗い部屋を照らしている。
窓の外には見たことも無い魚が群れを成して泳いでいる。
澪「ここって…」
窓の外は海中で、摩天楼が幾重にも重なりながらそびえ立っている。
やはりあれは夢ではなかったらしい。
飛行機が墜落した事。
海の上の奇妙な灯台。
海底に広がる巨大都市。
澪「そんな…」
その現実から逃避するように寝返りを打つと、何か暖かい物にあたった。
澪「あ、梓…!」
横には梓が寝ていた。狭いシングルベッドに二人で寝かされていた。
梓「スヤスヤ…」
梓は澪に寄り添うように安眠している。
澪「………」
記憶が飛び飛びで、状況がよく理解できないが梓の寝顔を見ているとなんだかほっとする。
澪「とりあえずは、助かったのかな…」
梓「ん…ぅん、ぁ…澪先輩…」
澪「あ、梓。おはよう」
梓「へ…?澪先輩、なんで一緒のベッドで…///」
澪「いや、すまない。私も今気づいたところなんだ」
梓「ここは…」
澪「ここはたぶん、あの海の中の…」
ガラ
律「お、澪!梓!気が付いたのか?」
唯「澪ちゃん!あずにゃん!」
紬「よかったわ」
みんなが部屋に入ってきた。
後ろにはもう一人、男性がいる。
30代くらい、落ち着いた表情で、白人にしては小柄な人だった。
男性「やぁ。目が覚めたかな?すまないね。ベッドが一つしか用意できなくて」
澪「あ…」
男の声に聴き覚えがある。
唯「潜水球の無線機で助けてくれた人だよ」
男性「よかった。君ら二人は潜水球の発着場に着いた時、気絶していたんだ。けど、元気になったみたいだね」
梓「あなたは…」
男性「私はアトラス。この海底都市ラプチャーの住人さ」
澪「ラプチャー…」
アトラス「この街の名前だ」
アトラス「“ミオ”と“アズサ”だったかな?君たちの名前は」
梓「あ、はい…」
澪「………」
アトラス「さっそくだが、君らにも状況を整理してもうために一から説明をしよう」
私と梓は今自分が置かれている状況について聞いた。
私たちは北大西洋のど真ん中に飛行機事故で墜落したこと。
そして海の上にあった灯台はこのラプチャーという海底都市の唯一の入口で、私たちはそのラプチャーにたどり着いた事。
そして今日は1958年の10月22日だという事…。
アトラス「君たちがどうやって飛行機事故を生き延びたかは知らないが、神に疑問を持つようなことはしない主義でね」
アトラス「それよりも疑問なのは、君たちが2010年の日本からやってきたという事だ」
律「私たちは今が1958年だって事の方が信じられないぜ」
澪「え…冗談、ですよね…」
梓「どういう事なんですか?もしかして…ドッキリ?」
アトラス「私も最初は何かの作り話だと思ったよ。でも仲間が言うには君たちが乗っていた飛行機は確かに日本から来た物だし、今の技術で創り出すことは到底不可能な物だらけだったらしい」
アトラス「乗客が身に着けていた遺留品などもこの時代の物ではなさそうだ。回収するのにライアンにだいぶ先を越されたがね」
紬「そういえば、“ライアン”ってどなたなのかしら?潜水球の映像にも出てきたけど…」
アトラス「アンドリュー・ライアンはこのラプチャーを造ったヤツさ。奴がこの街の最高権力者だ」
律「なるほどなぁ…」
澪「み、みんなはなんでそんなに冷静なんだ…?」
澪「こんなの絶対おかしいよ!」
唯「うーん…よくわからないけど、アトラスさんと一緒に1日ここにいて、色々教えてもらって…もう信じるしかなかったの」
澪「私も梓も丸一日、寝てたのか…」
紬「澪ちゃんと梓ちゃんが寝ている間少し街を見たけど、どうやらここは本当に海底で、時代も1958年みたい…」
律「もうわけわかんないよ」
梓「で、でも…そんな“タイムスリップ”なんて、ありえません!」
アトラス「私もにわかには信じ難いが…」
澪「…」
アトラス「とにかく、恐縮だがしばらくはここで休んでいてくれ。誰かに見つかると色々面倒だ。特にライアンには」
澪「え、でもその…ライアンって人に言えば何か分かるんじゃ?この街のリーダーで、科学者なんですよね?」
アトラス「あぁ、科学者ではあるが、たぶん君達がここへ来てしまった原因は恐らくライアンでも解らないだろう」
アトラス「それに奴にはかかわらない方がいい」
澪「え…」
アトラス「奴はここのところ専制的でね」
アトラス「このラプチャー自体は元々外界には察知されていないんだが、ライアンは自分が作ったラプチャーの事が外部に漏れるのを恐れている」
アトラス「最近はそれが顕著に表れるようになってきて、人々を恐れて疑心暗鬼になっている」
アトラス「ついこの間まではある程度仕方の無い事だと思っていたんだが、ある事がきっかけで我々も我慢できなくなるほど独裁的な行動をとるようになってきたんだ」
律「何があったの?」
アトラス「このラプチャーでの流通や事業のほぼ全てを取り仕切るまでに成長し、大きな力を持つようになった“フランク・フォンテイン”という男がいたんだが」
アトラス「そのフォンテインは外界から物資を密輸したり、裏でいろいろな悪事に手を染めていたんだ」
アトラス「科学や芸術のために、外界からの干渉を受けないよう造られたこのラプチャーでは、そのような事は許されない」
梓「科学や…芸術…」
アトラス「そのフォンテインは当然有罪となり、ライアンは彼を死刑にするよう命じたんだ」
アトラス「まぁ、実際には死刑はされなかったんだがね。フォンテインもだいぶ抵抗したみたいで」
アトラス「でも結局、フォンテインはライアンに殺されたんだ。この街の法の名のもとにおいて」
梓「でも、それのどこが専制的なんですか?法律でそう決まっているのなら仕方の無い事なんじゃ…?」
アトラス「確かに、フランク・フォンテインは殺されて同然の事をしていた。まぁ、そこまでは我々も良かったんだが」
アトラス「フォンテインの死後、ライアンは彼の資産と事業を片っ端から自分の物にしたんだ」
アトラス「水産業だけじゃない。アダムの生産。プラスミドの流通…フォンテイン未来技術社もいまはライアン未来技術社になっている」
アトラス「私もさすがに黙っていられなかったよ」
アトラスさんの話にかなり力が入ってきた。
アトラス「ラプチャーは限りない自由…宗教や政府、道徳やモラルなどの束縛に一切縛られる事無く、科学者や芸術家、技術者たちが存分に才能を発揮するために作られたものなんだ」
アトラス「だから外の世界にラプチャーの存在が知られてはいけない。ライアンはそう考えている」
アトラス「奴はフォンテインの一件から専制的になり、あれやこれやと規制や禁止条例を出すようになった」
アトラス「希望を抱いてこの街にやってきた人達も、スパイと疑われて尋問やらなんやらされる始末だ」
アトラス「君たちも何をされるかわからない。だからこうしてかくまってあげているんだ」
軽音部は皆下を向いて黙り込む。
律「私たちが来るべき所じゃなかったんだな…」
アトラス「ラプチャーに入る事自体はさほど問題ではない。来る者拒まず…ラプチャーはそういう場所なんだ」
アトラス「しかし、入れば一生出られない。秘密のためにね」
アトラス「私も少しはましな生活ができるかと思って、妻と子を連れてこの街に来たんだが、間違いだったようだ」
アトラス「ライアンは今、自分の街を守ろうとするがために、自分の街を殺そうとしている」
アトラス「才能ある者に自由を与えるはずが、疑心暗鬼になり…人々を束縛している」
アトラスさんは少し我に返ったような表情になり、くだけて言い直した。
アトラス「はは、少し熱くなりすぎたかな。私の悪い癖だ、すまない」
澪「いえ…」
アトラス「とにかく、しばらくはここに居てくれ。ここは“ネプチューン・バウンティ”。ラプチャーでも指折りの漁港だ」
アトラス「3人には大体説明をしたから、落ち着いたら二人にもいろいろ案内をしてやってくれ」
律「あぁ、ありがとう」
澪「………」
梓「ところで、さっき言ってた“アダム”とか“プラスミド”ってなんなんですか?」
アトラス「あ、そうだ。すっかり忘れていたな。君らにはまだプラスミドをわたしていなかった」
律「へへ」
澪「?」
律が私を見て少し不敵な笑みを浮かべた。
アトラス「このラプチャーで世紀の大発見があったんだ。遺伝子工学の分野でね」
アトラス「そこで発見されたのが“アダム”」
アトラス「アダムは人の遺伝子を書き換えて、今まで人が成しえなかったような事を可能にできる力をもたらしてくれた」
アトラス「超能力っていうのかな?医学の分野にも大いに貢献している」
澪「うえぇ…なんだかちょっと怖いな…」
アトラス「確かに遺伝子を書き換えるなんて人体改造まがいなマネ、最初は皆嫌がっただろうさ」
アトラス「しかし今はそれがラプチャーでは日常茶飯事。みんな便利なプラスミドを身に着けてより良い暮らしをしている」
アトラス「あ、プラスミドっていうのはアダムによって得られた能力の事だ」
アトラス「例えば物体を宙に浮かせたり、物を凍らせたり…他にも日常生活において便利なプラスミドがいくつも流通している」
アトラス「彼女たちにもプラスミドを一つだけ分けてあげたよ」
澪「えっ!?律たちが?」
律「へっへーん。ま、火ぃ吐いたり電撃飛ばしたり、そんな物騒な物はさすがに手は出せないけどな」
梓「そんな事して平気なんですか?いったいどんな…」
唯「Azunyan, cold was cured?」
梓「へっ?」
唯「えへへ〜、どう?」
梓「唯先輩、そんなに英語話せましたっけ…」
唯「I can use a plasmid and can speak English.」
澪「すごく自然な発音だ…」
律「だろ?私もムギも、アトラスさんから英語を話せるようになるプラスミドを貰ったんだ」
アトラス「まぁ厳密に言えばトニックと言って、プラスミドとはまた別の物なんだが。アダムには変わりない」
アトラス「まだ流通前の代物でね、手に入れるのに苦労したよ」
アトラス「他にも色々使っておいた方がいい物もあったんだがね…」
紬「英語で会話ができるようになれば、ここの他の人たちとも簡単にコミュニケーションができるでしょ?これだけで十分だわ」
梓「そ、そうなんですか…」
澪「でも、そんな事して平気なのか?なにか害とかあるんじゃ…」
アトラス「アダムのすごいところはそこなんだ。軽い物ならほとんど副作用もなく力を手にすることができる。注射一本すればいいだけさ。」
澪「ひぃっ!」
梓「注射なんですか…」
アトラス「あぁ、だが少なくとも彼女たちは何も問題なかったよ」
アトラス「普通、遺伝子を書き換えている時に少しは痛みを伴うんだがね」
アトラス「私が日本語を話せたのは運が良かった。語学にはある程度心得があるんだ。」
アトラス「しかし、日本語が話せる者なんてこのラプチャーにはほとんどいない。君ら二人もこの言語トニックを一つ使っておくといい」
アトラス「私自身、英語で話せたほうが気が楽でいいしね」
梓「うぅ…なんだか気が進みませんね…」
唯「Do not worry. I'll hold you!」
梓「うぐっ!」
そういって唯は梓に抱きついた。
梓「もう、唯先輩〜///」
唯「えへへ〜」
澪「………」
唯と仲良くしている梓を見ていると、少し胸が苦しくなる。
・・・
・・・
・・・
澪「なんか嘘みたいだ」
澪「飛行機に乗って、降りたらロンドンなんだな」
律「違う国なんだよな!」
紬「本当にみんなと一緒に海外にいけるのね!」
唯「過去とか未来とか行っちゃったりして?」
梓「タイムマシンじゃないんですから…」
律「映画の見すぎだろ唯〜」
シートベルト着用のサインが点灯し、みんな離陸に備える。
離着陸時は、電車でトンネルに入った時みたいに耳が変になるらしいから気を付けないと。
唯「あずにゃん、ここからは日本語禁止だよ」
梓「え?」
唯「OK?」
梓「ぅ…アイ、アンダスタンド…」
唯「あずキャット…!」
梓「な、なんですかそれ…」
唯「ノージャパニーズ!」
梓「もう」
唯と梓が後ろの席で何やら楽しげに会話をしている。
前の席に座る私たち3人は機内サービスの食事とソフトドリンクをもらいとりあえず乾杯をした。
澪「律、コーラ好きだな」
律「ん?まぁね〜」ゴクゴク
・・・
律「ちょっとトイレ…!」
澪「さっきから飲み過ぎだって…」
唯「モイ!」
梓「はぁ…?」
唯「フィンランド語だよ〜」
梓「これから行くのはイギリスですよ」
唯「“モイ”は『やぁ、どうも』で、“モイモイ”は『バイバイ』って意味だよ〜」
唯「あずにゃん、モイ!」
梓「は、はぁ…モイ」
なんていうか、梓はなーなーに受け応えしているようだが、ああ見えて唯との何気ない会話を楽しんでるように見える。
いいよな、唯は。あんなに親密に…後輩とどんな時でも打ち解けられるんだから。
唯と席を交代して、たまには梓とふたりでいろいろ話をしてみたいものだ。
紬「あっ…」
ムギが手を滑らせてすこし飲み物をこぼしてしまった。
澪「あ、ムギ…ほらこのティッシュ使って」
紬「ありがとう」
紬「澪ちゃん、頼りになるわ」
澪「そんなティッシュくらいで大げさな」
紬「それに旅行に慣れてるって感じ」
澪「ムギだって、家族でよく海外旅行とか行ったりするだろ?」
紬「ううん、全然。お父様は仕事で忙しいし、外国だって全然連れて行ってもらった事ない」
澪「そうなんだ。なんか意外だな」
紬「澪ちゃん、ロンドン以外で海外は他に行きたい所とかある?」
澪「そうだなぁ…ジャズとかもよく聞くから、アメリカにも行ってみたいな」
紬「あぁ!ジャズかぁ〜」
澪「けど、有名な人はみんな…私たちが幼い頃に亡くなっちゃってるし、治安とかいろいろ気になってあんまり行こうとは思えないんだよね」
紬「そういえば、この前映画を見たわ。主人公は約束を果たすためにアメリカにくるのだけど、自分の国でクーデターが起こってしまって空港で立ち往生してしまうの」
澪「あぁ、あれか。亡くなった父親が集めていた物で、あと一つ足りない物があったんだよな」
澪「それを手に入れるためだけにアメリカの空港に留まって、最初は言葉もわからずに色々苦労する話だったっけ」
紬「素敵よね。約束のために、たった一つの物のために奮闘するなんて」
澪「私はあのオチ結構好きだったよ」
・・・
飛行機はロシア領空に入り、機内は消灯された。
みんなアイマスクを付けて眠る。
澪(なんで私のアイマスクだけこんな目がパッチリ開いてる柄なんだ…)
澪「………」
澪「トイレ…」
私は客室後部にある化粧室で用を済ませ、席に戻る。
梓と唯たちもぐっすり寝ていた。
アイマスクで寝顔は見えないが、梓の小さな口がちょこっと開いて寝息が聞こえる。
澪「ちょっとだけ…」
私は梓が付けているアイマスクをめくり、寝顔を確認してみる。
澪「寝てる寝てる…ふふ」
澪「あ、まずい…」
めくり過ぎて、アイマスクがずり落ちてしまった。
それでも梓はスヤスヤと眠っている。
澪「どうしようこれ…」
澪「まぁいいか」
付け直そうとすると起こしてしまいそうなので、梓には悪いけどそのままにしておく事にした。
澪「ふー…」
私は鼻で溜息をつきながら、席に座った。
・・・
・・・
・・・
まだ少し体が注射の感覚を覚えている。
でも不思議と苦痛は無く、むしろ心地よい気分だった。
私は痛い事が苦手で、そういう話を聞くだけで怯えてしまう。
注射をするなんて悪い意味で人生における一大イベントだ。
その注射器に入っているものが、遺伝子を書き換える得体の知れない物質だなんて物騒な物だった日にはもう…。
でも梓もすんなり英語がネイティブレベルで話せるようになっていて、みんなの後押しもあり結局ムギに注射をしてもらった。
澪「はぁ…」
溜息をつきながら窓の外を見る。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫…色とりどりのネオンサインや看板が海の中をぼんやりと照らしている。
高層ビルが立ち並び、ビルとビルはガラス張りの廊下でつながっていて、そこを人々が忙しなく行き来している。
その光景はどこか切なくて哀愁を感じる。
これがノスタルジーってやつなのか。
私は平成生まれで、ずっと日本で暮らしてきたのに…。
律「どうした?澪」
ワインの樽の上に丸い板を付けた洒落たテーブルの向かいから、律が私の顔色を見てきた。
机の上にそのまま置かれた大きなろうそくが律の顔を照らしている。
澪「私たち、どうなっちゃったんだ?」
律「………」
澪「飛行機が墜落して、海の底にある変な街にたどり着いて、しかも1958年だなんて…」
澪「パパとママすら生まれてないんじゃ…?なんなんだよ…これ…」
目頭に熱い物がこみあげてくる。
律「澪…」
澪「家に帰りたい」
私が泣き出そうとしたとき、律はテーブルの上のろうそくをベリと剥がして隅にやり、私の手をとりテーブルの上で優しく握った。
律「澪…大丈夫。よくわからないけど、来れたんだからきっと帰る方法だってあるはずさ」
澪「………」
律「飛行機は墜落して、ロンドンには行けなかったけど、私たちは生きてる」
律「生きていれば、なんとかなるだろ?」
律の手から体温が伝わってくる。
澪「うん」
律「帰る方法なんか見当もつかないけど、放課後ティータイムの仲間もみんないる」
澪「…律はなんでそんな強いんだ」
私は律の顔を見る。
涙で歪んでよくわからないけど、律はとても強気な顔をしている。
そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると…
律「部長だからな」
と言うのであった。
澪「………そうだったな」
私は律の手を強く握り返す。
紬「おまたせ」
紬と唯がビンを抱えて戻ってきた
唯「あっちのテーブル開いてるって。あずにゃんが取っておいてくれてるよ」
紬「広いテーブルでお茶にしましょう」
ここはラプチャー有数の漁港区画、ネプチューン・バウンティ。
その区画にある“ファイティング・マクドナー”という酒場らしい。
アトラスさんが言うには、ここはライアンの系列の店らしいが、ラプチャーじゅうがライアンの傘下のようなものなので、どこに隠れるのもさほど代わりはないらしい。
私たちが着いた潜水球の発着場の近くに、たまたま知り合いがいるファイティング・マクドナーがあったため、アトラスさんはここに私たちを匿ってくれた。
紬「はい、どうぞ」
ムギはバーで貰ってきたと思しき紅茶やソフトドリンクを並べてくれた。
澪「ありがとう」
唯「ありがとう、ムギちゃん」
梓「いただきます」
律「なんだか妙に懐かしい気分だなぁ」
こうやって軽音部のみんなと一緒にお茶するのが10年ぶりくらいに思えてくる。
酒場は今は営業しておらず、店内には私たちとカウンターで開店準備をしている店長だけだ。
店長はアトラスさんと知り合いらしく、私たちを快く受け入れてくれたらしい。
律「ん〜」
律がコーラらしき物を一口飲むと、テーブルに腕をついてみんなを見回す。
みんな何を話題にお茶をすればいいのかよくわからないみたいだ。
唯「ねぇりっちゃん。私たち、いつまでこうしていればいいのかな?」
飛行機事故によってこの海底都市にたどり着いて3日。
私たちは未だにこの酒場から出たことは一度もない。
アトラスさんに酒場の外には出るなと言われている。
ほとぼりが冷めてきたら、その内ラプチャーで暮らせる所を探してくれるらしい。
律「なんだかなぁ〜。なにもする事ないしなぁ」
慣れとは恐ろしい物で、この異様な状況に混乱する事にも飽き、皆暇を持て余していた。
梓「せめて、楽器でもあればいいんですけど」
梓はそう言って、酒場のジュークボックスに目をやる。
ジュークボックスからは、アダルティックなジャズソングが流れていた。
梓「フランク・シナトラだ…」
唯「あ、聞いたことある!」
梓「かなり有名なジャズ・シンガーですしね」
唯「へぇ〜。よくわからないけど、ジャズってなんだか私たちにはまだ早い、大人の世界って感じだよね」
澪「まぁたしかに、若者はあんまり好んで聴いたりしないよな」
梓「そうですね。日本でも人気は下火ですし、ジャンル自体がマイナーになっている気がします」
梓「全盛期がちょうど1950年代からで、今でも懐古なジャズを好む趣向が玄人の中で根付いていて、ファンの間でも新しい物はあまり受け入れられない傾向にあります」
梓「一時期はフュージョンなんてロック要素を取り入れたジャンルがジャズファン以外の層でも流行りましたけど」
梓「やはり伝統的なジャズを支持するファンのほうが多いみたいですね」
唯「ジャズにゃん!」
梓「はぁ…」
自分に指をさしながら言う唯を見て、梓は飽きれたように答える。
律「あぁ〜なんか思いっきりドラム叩きたくなってきたぁ〜」
澪「いつもは雑誌とか読んだりして練習しない癖に…」
紬「ほんと、なにか楽器でもあればまたみんなで演奏できるのに」
唯「ギー太ぁ……」
その時、酒場の入口の方でなにやら騒がしい音がした。
澪「?」
アトラス「早く!部屋へ戻るんだ!」
アトラスさんが血相を変えて酒場に入ってきた。
唯「え?何!?」
アトラス「ライアンの手下に嗅ぎ付かれた!裏口に案内するから、早く!」
律「まじかよ!」
私たちは飲み物をテーブルに残したまま酒場の奥へ行こうとするも、遅かった。
入口から数人の男がなだれ込んできて、私たちを取り囲む。
手には銃らしき物を持っている。
「アトラス。ライアンさんの命令なんだ」
銃を構える男たちの後から早歩きでスーツの男が出てきた。
アトラス「サリバン…」
澪「誰なんですか…?」
アトラス「このネプチューンバウンティの管理人だ」
サリバン「俺は法を執行しているだけだ。ここに来た者はライアンさんに一度会わないと…」
サリバンという男は申し訳なさそうな態度で説得する。
アトラス「こんな若い少女達にまで尋問する気なのか?この子たちが中国やそこらのヒューミントに見えるか!?」
サリバン「それはライアンさんが決める。さぁ、おとなしくその子達を渡してくれ」
チャキン!ガシャン!
サリバンの手下たちが銃の撃鉄を起こす。
澪「う…」
本物の銃を目の前にしたら、きっと恐怖で震え上がると思っていたが、私は意外と冷静だった。
これが現代の日本人特有の平和ボケというヤツなのだろうか。
この人たちは私たちには本気で撃つように見えないし、どことなく事務的に仕事をこなしているだけのように思えた。
ギュウ…
澪「?」
梓「うぅ…澪センパイ…」
梓が今にも泣きだしそうになりながら私の腕を掴んできた。
澪「梓…」
極端におびえる梓を見て、やはりこういう反応が正しいのだろうと思い、少し自分の冷静さを恥じる。
しかし仮にも部活の先輩なわけで、こんなにおびえている後輩を見過ごすわけにはいかない。
澪「…っ!」
私は銃を構えている男たちから守るために、梓を覆うように抱き寄せた。
梓「ぅぅ……」
梓は私の胸の中で小さく震えている。
唯「アトラスさん」
アトラス「く………」
銃を向けられ、アトラスさんはどうにもできないといった表情だった。
紬「りっちゃん、どうすれば」
ムギもかなりおびえているようで律にくっついている。
律「………」
律は向けられた銃におびえながらも少し下を見て考えている。
律「なぁ、ここはおとなしく従おう」
唯「え、りっちゃん?」
律「私たちがスパイじゃないって証明できればそれでいいんだ」
律「私たちは飛行機事故でたまたまここへやってきた女子高生なんだ」
律「それをライアンとかいうヤツに言ってやればいい」
澪「おい、律!そんなの信じてもらえるのか!?」
私が抗議すると、律は少し小声で言った。
律「大丈夫…だと思う。少し考えがあるんだ」
そして律は一歩前に出て言う。
律「わかった。行けばいいんだろ?」
アトラス「おい、待て!」
サリバン「おぉっと、よせよアトラス。今回は見逃してやるって言ってるんだ。お前もライアンさんのところへ行くか?」
サリバンはアトラスさんに銃を向け威嚇する。
アトラス「…っ!」
澪「………?」
サリバン「じゃ、行くぞ。ライアンさんのところへまではこの目隠しをしてもらう」
律「う…」
一人一人サリバンの手下達に目隠しをさせられる。
紬「りっちゃん…!りっちゃん!」
ムギが泣き叫びながら律の名前を呼ぶ。
律「大丈夫、大丈夫だから!」
二人に黒い布の袋をかぶせられる。
唯にも袋が被せられ、そしてとうとう抱いていた梓も引き離され、男たちに捕まえられる。
梓「澪先輩!」
梓が涙で顔をぐしゃぐしゃにぬらしながら私の名前を呼ぶ。
澪「梓、大丈夫だ。私が付いてるから!」
梓「うぅ…澪…せんぱい…」
そして私は再び暗闇の中に連れて行かれた。
・・・
・・・
・・・
澪「………」
暗い。
私はつけていたアイマスクをはずす。
澪「ん〜っ!」
私は伸びをして飛行機内を見回した。
そろそろ到着する頃なのか、他の乗客は何人かすでに起きていて荷物をまとめたりしていた。
澪「律?」
律「ん、あぁ…もうすぐか?」
澪「多分」
機内はさほどざわついていないが、着陸の準備をしている他の乗客を見ると、なんだかドキドキしてくる。
律「いよいよか」
澪「だな」
唯「もうすぐ着くの!?」
唯も起きていたみたいで、座席のうしろから声をかけてきた。
澪「うん。もう少しかかるとはおもうけど…」
後ろを見ると梓は唯の肩を借りてぐっすり寝ている。
澪「………」
私はまだ寝ているムギを起こさないように、手を伸ばして窓のプレートを上げた。
なんとも言えない景色だ。雲の上だけど、どこか冷たい感じがした。
律「ムギと梓はまだ寝てるんだな」
澪「まぁ、まだ早いしそっとして…うわ!」
グラッ!
機体が揺れ、席を立っていた他の乗客がバランスを崩す。
ガタガタガタ
律「乱気流ってやつか?」
ポーンと案内音が鳴り、シートベルト着用のランプが点灯する。
飛行機はまだ小刻みに揺れていて、客室乗務員が乗客に席に着くように呼びかけている。
澪「あわわ…」
私はシートベルトを閉めながら後ろの二人を確認する。
梓も起きていて、唯に寄り添って心配そうにしていた。
澪「うぅ…」
私は座席の肘掛けに掴まり、体を安定させる。
律「澪、ムギ起こした方がいいんじゃないか?」
澪「え、ああ…ムギ…!」
私はムギを起こしてシートベルトを締めるよう言った。
機内は少しざわつき始め、乗務員の人達が長い棒を持ち、客席の窓を閉めてまわっていた。
ムギもそれを見て窓を閉める。
機長『お客様にお知らせします。当機はただ今、晴天乱気流に差し掛かり、機体が多少揺れております』
ドラマでよく聞くアナウンスが放送される。
機長『各自ご自分の席にお戻りになり、シートベルトをしっかり締めてご着席ください』
機長『尚、多少の揺れはございますが、10分ほどで乱気流を抜ける見通しとなっております。ご安心ください』
律「なんか飛行機ってかんじだよな〜」
普段経験の無い事なので、律がすこしはしゃいでいる。
澪「なにがだよぉ…」
律「へへへ」
ガタガタガタ…
次第に大きくなっていく揺れに怯えて、シートに必死に掴まる私をみて律が笑っている。
澪「うぅぅ…」
律「大丈夫だって。よくある事らしいから」
澪「ほんと…?」
律「あぁ、だけど飛行…おうッ!?」グラッ
ガタン!と大きく揺れ、明らかに異常なほど機体が振動している。
律「あわわわわ…!」
もう横を向く余裕もないほど振動が強くなってきた。
澪「うあぁっ!」
もう一度グワンと上下に大きく揺れ、シートベルトを締めていなかった人が席から飛び出して天井に叩きつけられた。
機内は物と人でゴチャゴチャになり、頭上から黄色い酸素マスクが落ちてきた。
悲鳴とざわめきでさらに慌ただしくなり、人々は目の前にあるマスクを必死に装着している。
澪「ひぃぃ…!」
私も慌ててマスクを装着する。
揺れはどんどん大きくなって、機体が軋む音が聞こえ私は震え上がった。
澪「〜!!〜!!!」
澪「〜〜〜!!!」
澪「ぅ……」
澪「」
■ 第二章 「 Somewhere Over the Rainbow 」 終 ■
とりあえず今はここまで投下しておきますので、念のためトリップつけておきます。
ここまで読んでくれた方がいれば、ありがとうございます。
投下再開します。
まだ最後まで書けていないので、今後章ごとに小出しにしていく予定です。
●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
搭乗していた飛行機が乱気流により大きくコースを外れ、北大西洋に墜落してしまった軽音部達は、謎の海底都市「ラプチャー」にたどり着く。
潜水球の無線機でコンタクトしてきたラプチャーの市民“アトラス”によって軽音部はなんとか助かることができた。
しかしこの海底都市ラプチャーは一度入れば出ることは許されない秘密の都市。
都市の最高権力者“アンドリュー・ライアン”は、裏社会の商人“フランク・フォンテイン”の登場により、以前よりも独裁的な体制をとるようになっており、新参者の軽音部達をスパイと疑って尋問をしようとしている。
アトラスはライアンから軽音部達を守るため、仲間のいるネプチューンバウンティ地区の酒場に軽音部達を匿ってくれた。
しかし、ライアンの手下たちに居場所を突き止められ、拘束される軽音部達。
全員目隠しをされ、ライアンの所へ連行されてしまう。
■ 第三章 「 Beyond The Sea 」 ■
頭に被されていた布が取られる。
バサッ!
澪「はぁっ…!」
律「うはぁ…」
唯「ふはぁ…」
梓「うぅ…」
紬「はぁ…はぁ…」
膝に手をつきながら新鮮な空気を必死に吸う。
辺りを見回すとどうやら執務室のような所らしい。
豪華な装飾に大きな地球儀、石像などが置かれて、目の前には上等そうな事務机がある。
ここにたどり着くまでどれだけ歩かされただろう。潜水球も二回ほど乗り継いだ気がする。
気が付くとサリバンと手下はもうおらず、辺りには誰もいないように見えた。
カコン
何か音がしてその方向を振り向く。
茶色のスーツを着た男が、室内用のパター練習マットでゴルフボールをカップに入れている。
澪「アンドリュー…ライアン?」
ライアン「その通り」
ライアンと思しき男は渋く落ち着いた声でそう答えると、振り向いてこちらへやってきた。
潜水球の映像で見た通り、スーツを着て鼻の下に髭がある中年男性だ。
ライアン「さて、君たちは一体何者かな?見たところアジア人のようだが、私は人民解放軍の糞参謀どもにラプチャーの事を教えてやるつもりはないぞ」
澪「わ、私たちは…」
私が言いかけると、唯が割って入った。
唯「私たちはスパイなんかじゃないよ!ただの女子高生だもん!」
ライアンはそれを聞くと大きく首を振った。
ライアン「言うは易しだ」
ライアン「まぁ、しかし…確かに君らがどこぞの国の寄生虫共の使いだという証拠はどこにもなかったわけだが…」
ライアンは部屋の隅に置かれた荷物を、ゴルフのパットで指す。
唯「あ、私たちの荷物!」
唯は自分のギターケースがあるのを見て、荷物に飛びつこうとしたが、ライアンがパットを掲げて唯を止めた。
唯「私たちの荷物返してよ!」
ライアン「………」
唯とライアンが火花を散らすようににらみ合う。
律「おい、唯。落ち着け」
唯「でも…」
律に言われ、唯はしぶしぶ元の位置に戻る。
ライアンはそれを見て薄気味悪い笑みを浮かべた。
ライアン「君たちの事を調べさせてもらったよ。じつに興味深い代物をたくさん持っていた」
律「私達の荷物を漁ったのかよ…」
ライアン「そうだ…苦労したよ。墜落した飛行機から乗客リストを手に入れて、遺体と照らし合わせ、一人ひとり誰なのか“当たり”をつけていくのは」
ライアン「飛行機はばらばらになっていて、街の端から端まで探したよ」
ライアン「そして5人の乗客がまだ生存している事に気が付いた。君たちだ」
ライアン「君らはいったい、どこから来たんだ?あの未知の技術が使われた飛行機はなんだ?」
澪「………」
律「………」
私と律は目を合わせる。
それから決心して、私たちはライアンに自分たちがどこから来た何者なのか、今の状況を全て話した。
・・・
ライアン「ふむ…つまりこういうことか」
ライアン「君らは2010年の日本からやってきた。その日本は先の大戦の後、めまぐるしい経済成長を遂げ、文化的にも技術的にも世界をリードする先進国となっている」
ライアン「君たちはその日本の高校に通う普通の女子高生で、全員軽音部なる部活の仲間どうし。そして高校卒業の記念に、イギリスに旅行しようとしていた」
ライアン「しかし運悪く飛行機は乱気流に飲まれ、大西洋のど真ん中に墜落。気が付けばこの1958年のラプチャーにたどり着いていたと…」
律「その通りだ…」
ライアン「馬鹿馬鹿しいが、興味深くもある」
ライアン「たしかに、敗戦からの日本の復興は今すさまじいらしい」
ライアン「実際にその事を裏付けるような代物は墜落した最新鋭の飛行機自体がそうであるし、乗客の死体や荷物を見ても到底この時代の物とは思えない」
澪「………」
ライアンはパットを振り回しながら部屋を闊歩した。
ライアン「しかし、最近は特に“クレムリン”なぞはどんな変わった工作をしてくるか分かったものではないからな」
ライアン「それだけでスパイではないと決めつけてしまっては…」
ライアンはコツコツと靴をならしながら私達の荷物の方へ歩み寄る。
ライアン「ギター…ベース…」
ライアン「君たちもアーティストの端くれ。という“設定”のようだな?」
ライアンが私たちの楽器を見ながら言った。
律「!」
律が少しピクリと反応する。“設定”という侮辱的な言葉にではなく、まるでライアンの口から“アーティスト”という言葉が出るのを待っていたかのようだ。
ライアン「あまり進歩していないな。この前も科学技術者だとかなんとか言って、この街に土足で侵入してきた“寄生虫ども”がいた」
ライアン「その皮を剥いでみると、そいつらは科学の科の字も知らないようなクズ以下のゴミで、このラプチャーをあろうことか我が物にしようなどと企んでいた」
ライアン「彼らの態度を見ていたらすぐにわかったよ。詰めが甘い。だから地上にのさばる連中は嫌いなんだ」
ライアン「君たちも、彼らと同じように魚の餌になりたいかね?」
私たちは震えあがり、文字通り手も足も出ない状態だった。
しかし律が決心したように表情を変えて一歩前に出た。
律「ら、ライアンさん!チャンスをくれ!」
澪「…律!?」
律「私たちの演奏を聴いて欲しい」
梓「律先輩…?」
ライアン「ほう」
ライアンは律が申し出てくるのを知っていたかのような笑みを浮かべながら答える。
律「このラプチャーは科学者や芸術家たちのために造られたんだろ?」
律「私たちだって、放課後ティータイムなんてふざけた名前だけど、れっきとしたバンドなんだ」
律「もし私たちの演奏を聴いて、この街にふさわしくないと思ったら…尋問でもなんでも好きにしてくれればいい」
澪「ちょ…律っ!」
律「だから、お願いします!」
律はライアンに向かってこれでもかと頭を下げてお願いした。
ライアン「…いいだろう」
ライアン「それが君たち一人一人の理性による選択なら」
私たちは荷物から自分の楽器を手に取って、準備をした。
私のベースは思ったよりも濡れていなかったようで、少しカビていたが演奏には全く問題なかった。
律はライアンに頼みドラムセットを手配してもらい、ムギもライアンの執務室にあったグランドピアノについた。マイクもアンプも用意され、準備は万端だ。
皆の顔を見ると、すこし強張っているものの、目の前に立ちふさがった試練を乗り越えようと猛っているようにも見える。
さっきまで泣いていた梓も、ギタリストとしてのプライドのおかげか覇気を取り戻し、ライアンを睨みながらムスタングを構えている。
澪「律…」
律「考えるな。いつものように演奏すればいいんだ」
律「言うは易し…なら行動で示すんだ。私たちが何者なのか」
唯「うん…そうだね」
紬「やりましょう!」
梓「私たちの音楽をみせてやるです」
律「唯、何にする?」
唯「」
律「唯?」
唯「っ?…え?」
律「曲!」
唯「え…あ!きょ、曲…」
澪「?」
唯「か、カレーのち…」
律「え…?」
唯「ううん!やっぱりここは、ふわふわ時間!」
律「よし。オーケー」
澪「………」
私たちは「ふわふわ時間」を演奏した。
演奏中の事はよく覚えていない。みんな必死に演奏し、唯も一生懸命歌っていた。
ライアンはその様子をじっと見ていたが、あまり感銘は受けてないように思えた。
ライアン「………」
律「ど、どうでしょう…?」
ライアンは険しい顔をしながら、こちらをみつめる。
ライアン「ふむ…演奏技術はさておき…」
律「(バッサリだー)」
律が小声で私を見ながら言う。
澪「(わ、わかったから…)」
ライアン「聞いたことのないサウンドだな。地上で今流行の“ロック”に似た物を感じるが」
ライアン「ここでそれが認められるかどうかは別だが…それでも、過去の栄光にしがみ付き、同じような物をダラダラといつまでも垂れ流す似非芸術家のような連中よりはよっぽどましだ」
律「じゃ、じゃあ…」
ライアン「甘い蜜を分けてもらおうと地上からやってくる“寄生虫”とは違うようだな?君たちは」
澪「それって…!」
ライアン「すくなくともどこぞの国のアホスパイではないだろう。あのような連中に、このような演奏はできまい」
ライアン「いいだろう、認めよう。尋問はしない」
律「よかったぁ…」
みんなひとまず助かったように思え、ホッとする。
澪「なら…」
私は家に帰りたい。
唯「じゃあ、私たち…家に…むぐっ!」ムガガ…
唯が「家へ帰りたい」と言う前に、律が唯の口を手で押さえた。
唯「ん〜!!りっちゃんなにするの!?」
律「(ちょっと静かにしてろ!)」
律は唯に小声で言うとライアンの方へ向き直り言う。
律「じゃあ私たち、この街にいてもいいんだな?」
ライアン「いいだろう、ラプチャーへようこそ“クインテット”」
澪「(律!?)」
律「(どうせこの人が帰り方を知っていたとしても、外には出してもらえないよ)」
澪「(そりゃまぁ、そうみたいだけど…)」
ライアン「君たちには特別に住居を提供しよう。しばらく生活できるだけの金も渡しておこうじゃないか」
澪「……え?」
ライアン「このラプチャーで新しいサウンドを創り出すイノベーターとして、努力してくれ?」
律「あ、ありがとう」
ライアン「さぁ、荷物は返してやる。私の気が変わらないうちに行け」
ライアンに言われ軽音部はそれぞれ自分の荷物を持って執務室を出る。
ライアン「そうだ、お前。ちょっと来い」
律「…私か?」
紬「え…」
澪「?」
律だけ呼ばれて、皆不安な表情をする。
律「ま、まだ何かあるの?」
ライアン「お前がバンドリーダーだな?」
律「あれ、どうして知ってるんだ?」
ライアン「見れば分かる。よくもまぁ、あんなマイペースな小娘たちをまとめていられるものだな」
律「………」
律「まぁな」
ライアン「ふん。いいか、このまま仲間を一つにしていろ。誰ひとり、帰りたいなんて本気で思わせてはいけない」
律「え…」
ライアン「お前が仲間をまとめるんだ。もし誰か一人でもこのラプチャーから逃げ出そうものなら、必ず全員捕まえて…殺してやる」
律「こ、[ピーーー]って…」
ライアン「分かったな?」
律「あぁ。分かった」
ライアン「いいだろう、さぁ受け取れ。部屋の鍵だ」
律「さ、サンキュ!」
律がライアンとの話を終えてこちらへ戻ってきた。
律「おまたせ」
澪「なんだったんだ?」
律「あ、いや…部屋の鍵渡すの忘れてたって」
唯「あは、なるほどね」
律「じゃあ行くぞ。話はそれからだ」
澪「う、うん…」
私たちはライアンの手下たちに連れられて外に出た。
律(私がしっかりしていないと、みんな…殺される!)
・・・
・・・
・・・
澪「バカ律!」ゴチン
律「いてっ!」
いつものように私は悪ふざけが過ぎて澪に殴られる。
痛いのが極端に苦手なくせに、自分以外には容赦ないんだもんな、全く。
紬「まぁまぁ、とりあえずお茶にしましょう」
ムギは部室にある戸棚からティーセットを出して、ティータイムの準備を始めた。
律「ほかのやつらは遅いな」
澪「なにしてるんだろ」
ガチャ
唯「おまたせ〜」
和「お、おじゃまします」
律「あれ、和?」
唯「私が勝手に連れてきました!」
唯はビシッと手を前に出して、説明する。
和「お邪魔ならすぐに帰るわよ」
澪「いや、全然邪魔じゃないよ。今はのんびりしてるだけだし」
紬「和ちゃんもお茶どうぞ」
和「ありがとう、頂くわ」
律「生徒会長を拉致ってくるとは、お前もワルよのぉ?」
唯「にっしっし」
・・・
ガチャ
梓「遅れてすみません」
唯「あ、あずにゃ〜ん」
梓「あれ?和先輩?」
和「お邪魔してるわ」
梓は和を見ると、私の方を見てあきれた表情をした。
梓「はぁ、律先輩…また何か忘れてたんですか?」
律「は?いや、今回はなんも忘れてないよ!」
唯「ちょっとお茶しに来ただけだもんね〜?」
和「まぁあなたに無理やり連れてこられたんだけど」
梓「そうだったんですか。てっきりまた律先輩がなにかしでかしたのかと…」
律「なんだとこのやろ〜」
澪「律。お前、人望なさすぎ…」
律「うぅ…澪しゃんまで…」
和「まぁそこまでは言わないけど、律はもう少し部長としてしっかりして欲しいわね」
律「面目ない」
唯「そうだ、りっちゃんが演奏の方に集中できるように、マネージャー募集してみるとか!?」
澪「マネージャー?」
紬「マネージャー!」
梓「マネージャー…」
澪梓紬和「憂ちゃんとか?」
律「みんな同じこと考えてるよ…」
紬「前に唯ちゃんのフリして憂ちゃんが入り込んできた時は、ギターもかなり弾けてたね」
梓「あぁ、あれはヤバいですね。絶対裏でなにかしてますって」
澪「一人で姉の世話と家事ができて、姉よりギターが完璧に弾けるって超人すぎだよな」
唯「えへへ〜、すごいでしょ?」
律「別にお前は褒められてないぞ〜?」
和「でも、マネージャーが必要なほど活動してるわけでもないでしょ?」
唯「あはは、そうだよね〜」
律「………」
・・・
唯「じゃ、また明日ね〜」
紬「バイバイ!りっちゃん、澪ちゃん」
律「おう、またな〜」
澪「また明日」
テクテク
律(部長か…)
澪「あ、律。ちょっと買いたい物があるから、10GIA行こうよ」
律「ん?いいよ〜」
・・・
・・・
・・・
律「セイレーン通り、プラザ・ヘドネ…ここか」
部屋にたどり着き、みんな荷物を下ろす。
パッと見、まるで修学旅行みたいだ。
でもみんなの顔からはそんなムード、1ミリも伝わってこない。
澪「律!」
律「まぁとりあえず座ろうぜ…」
皆、基本的な家具くらいしか何もない部屋で思い思いの場所に腰かける。
梓は窓際に置いてあった机に乗り窓の外を見た。
律「すまないな。“ふざけた名前”なんて言っちゃって」
澪「そうじゃない!あのライアンに言えばなにか分かるかもしれないのに」
澪「帰りたいと直接言わなくても、なんでここにきてしまったのか…それらしい話題を言ってみて手がかりだけでもつかめたんじゃないのか!?」
律「どうだか…どうせ原因を知ってたとしても、私たちがこの街を出ようとするきっかけになるような事は、毛の先ほども教えるつもりはないだろうさ…」
紬「私もそう思う…アトラスさんの言う通り、最初は私たちをかなり疑っている様子だったもの」
澪「………」
唯「でもあのおじさん、思ったよりやさしかったね。こんな立派な部屋までくれて、お金だってこんなに」
紬「私たちの演奏が通じたのかしら」
澪「そんな簡単な話でもないと思うけどなぁ…」
私はふと梓に目をやった。
ずっと、窓から海中の“夜景”を眺めている。
澪「梓はどう思う?まぁ、こんなわけわかんない状況で、どうもこうもない気もするんだけど…」
梓「………」
梓「私は…」
梓はしばらくして、窓に目をやったままゆっくり話し始めた。
梓「私は、あのライアンとかいう人は嫌いですけど、この街は好きです」
その意外な答えに上級生たちは驚いた。
澪「梓…」
梓「なんだか、ここにいると落ち着くんです。たしかに、いろいろ大変な事はありましたけど…それでもこの街を見ていると、不思議と心が安らぎます」
律「まぁ言いたい事は分かる気がするよ…」
澪「うん」
私も梓の気持ちには賛成せざるを得ない。実際、私はこの街にどこか懐かしさと望郷に似た哀愁を感じていた。
元の世界…自分が元いた世界で、パパやママ…和やさわ子先生、憂ちゃんやクラスのみんなとまた一緒に笑いたい。その気持ちはもちろんある。
だけどこのどうしようもできない状況と、どこから来るのかそのノスタルジアにそれをかき消され、妙に落ち着ける。
唯「私もあずにゃんの気持ち、ちょっと分かるよ」
唯「もちろん家に帰りたいし、憂にも会いたいけど、でも今は私たちじゃどうにもならない」
唯「だったら帰る方法が見つかるまでここで過ごすしかないと思う」
唯「どうやったら帰る方法が見つかるかなんてわからないけど、ここへ来たのには何か理由がある気がする」
唯「私たち5人全員助かったのにも何かわけがあるはずだよ」
唯もこの街のオーラにやられたのか、それとも元々なのか。
こういう大事な時はやけに気持ちの整理が早く、気をしっかり保つことができる気がする。
唯だけじゃない。律もムギも、その表情には確かに帰りたいという気持ちは現れているものの…大西洋の真ん中に放り出されて、絶望に打ちひしがれるような顔じゃない。
紬「そうね。何か運命みたいな物を感じる。私たちみんな一緒なら怖くないわ」
律「あぁ。なんて言ったらいいのかよくわからないけど、人生の新たな第一歩って言うのかな」
皆の思いに、私もなんだか自信が湧いてきた。
澪「あ、あぁ…そうだよな。みんないるなら…どこだってやっていける気がする」
澪「なぁ、梓?」
私は梓を呼んだ。
梓はこっちを振り向いて、ニッコリ微笑む。
梓「はい」
少し涙目になっていたように見えたが、その顔にはもう恐怖なんてものは見えない。
梓が机から降りて、みんなの元へやってくる。
そして誰からともなく、みんな円陣を組むように右手を前に出した。
左手は隣にいる仲間の肩に回し、スクラムを組む。
律「生まれ変わった放課後ティータイムの新たな幕開け…」
律が少し大げさな口調で言う。
唯「バンド名、変えるの?」
律「いや、別に変えなくてもいいだろうけど…」
ふと私の頭の中で不謹慎な名前が浮かぶ。
「墜落後ティータイム」なんて…
澪「ぶふっ!」
すごく不謹慎なのに吹き出してしまった。
律「な、なんだよ澪wwどうした?」
紬「澪ちゃん、思い出し笑い?」
私につられて、みんな笑顔になっていく。
澪「くふっ、あははは…!」
律「だからwwどうしたんだってww」
梓「澪先輩?ww」
唯「あはは!みんなつられてるwwあははは!」
律「ふふふ、とっ…とにかく活動名は放課後ティータイムだろ。こんなところへ来たからってわざわざ変更する必要も無いよ」
唯「そうだね、ずっとこのままだよ!」
紬「素敵ね♪」
梓「はい。私たちのバンドはいつまでも変わりません」
澪「あぁ」
皆手を指し出し直す。
律「おっしゃ!放課後ティータイム、新たな生活の始まりだ!」
律「気合入れていくぞ!」
紬「おー!」
澪「えいえいお…あれ?」
唯「よっしゃぁー!」
梓「………」
梓「ぷふっ!ww」
唯「あ、あずにゃんが吹き出した」
梓「みなさん、ばらばら過ぎですって!くふふふ!」
律「ははは!」
紬「ふふふふ♪」
澪「ぷっ!あはははは!」
帰る方法なんて見当もつかない。
ここは大西洋のど真ん中、しかも深い深い海の底で、1958年だなんて…
きっとアインシュタインだって…一人こんな所に放り出されたら、帰ることを諦めてこのユートピアシティでの生活を楽しんでいたに違いない。
でも、私はここに一人で置き去りにされたわけじゃない。
・・・
1958年11月11日火曜日、私たちはこの海底都市ラプチャーで新たな生活を送っていた。
ライアンが提供してくれた物件はラプチャーの中でも比較的治安が良く、中流階級の人々が好んで訪れる活気のある区域にある。
元々は大工や建築家といった人々が住む職人街だったそうだが、今はいろいろな店が立ち並ぶ歓楽街になっていた。
なかには娼館なんて、私たち女子高生からしてみたらやましくてしょうがない施設もあったりするが、ユートピア・シティであるラプチャーでは特に珍しい物でもないらしい。
澪「よいしょっと」
ラプチャーは何年か前はもっと栄えていたらしいが、最近は少し衰退しているみたいだ。
治安の悪化、アダムを巡ってたまに起きる小競り合いやおかしな宗教団体によるデモ。ライアンが敷く理不尽な規制や条例。
人々は一昔前の活気に満ち満ちていたラプチャーに思いを馳せて、どこか悲しげな顔をしていた。
それでも桃源郷と呼ばれるほどのラプチャーにはまだまだ活気が残っていて、人々は時々ダンスホールで舞踏会を行ったり、劇場でオペラを楽しんだりしている。
律「そういや、アトラスさんは元気かな?」
澪「あれ以来会ってないな」
律「まぁ、あいつ…誰だっけ?サリなんとかってヤツは“見逃してやる”とか言ってたし、私たちのせいでアトラスさんがどうこうされたって事はないよな?」
澪「たぶん。短い間だったけど、お世話になったもんな…元気にしてるといいけど」
律「うん」
澪「あ、律?それこっちにお願い」
私たち軽音部も、なんとかこのラプチャーに慣れようと必死に努力している。
初めは、私たちの演奏する曲が人々に受け入れられなくて、働き口がなかなか見つからなかったが、珍しいバンドがいるという事で何度かディナーショーのライブなどに招待されたりして、なんとか打ち解けていく事ができた。
今でもたまに日雇いで5人そろってジャズバーで演奏したりすることもあるが、最近はもっと安定した収入を得るためにみんなで手分けして働いている。
全員一緒の店で働きたいのは山々だが、どの店もバンドは間に合っているようで、5人全員雇ってくれる所なんて無かった。
澪「あぁ、ちょっと待って…はい」
私と律はセイレーン通りから少し離れた、パウパードロップと呼ばれる地区にある本屋で働いている。
“Pauper(貧民)”なんて呼ばれるこの地区は、もともとラプチャーメトロの整備区画で、多くの労働者たちが働く場所であった。
しかし、自家用潜水球が普及してからは、ラプチャーメトロは寂れてしまい、鉄道会社で働く人たちは職を失った。
働き口を探そうにも、他の地区に移る余裕もなく、整備区画の労働者たちは文字通り“Pauper drop”してしまったらしい。
ムギは私たちの住居があるすぐ近く、セイレーン通りのリトルエデン地区にあるマーメイド・ラウンジというダイナーで給仕をしている。
働くのが好きで、誰にでも明るく振る舞うムギはすぐに客の人気者となり、たまに店でピアノ演奏も披露するらしく“ラプチャーに迷いこんだマーメイド”なんて言われているみたいだ。
唯と梓は、“フォートフロリック”という地区にあるレコード屋の店員として働いている。
フォートフロリックはかなり遠くにあるので少し心配だが、裕福層の地区らしいので治安はラプチャーの中でもかなり良いらしい。
劇場やカジノ、ギャラリーなど、娯楽と芸術に特化した場所らしく、梓と唯はそこをとても気に入っていた。
演奏の仕事ができないのは残念だけど、5人揃ってできないのならむしろこっちの方がいい。
澪「律、売れ残った雑誌なんか読んでないで、はやく並べるの手伝ってよ」
律「あぁ…ちょっと待って」
律は新しく並べるはずの雑誌のブロックの上に座りながら、雑貨や新商品の紹介雑誌を読み漁っている。
澪「りーつ!それ今日中に出版社に返送しないといけないんだから…」
律「よっこらしょっと」
律はやれやれといった感じで腰を上げ、雑誌を閉じる。
澪「オッサンかお前は」
私と律は古い雑誌を整理し、綺麗にまとめて箱詰めする。
澪「じゃあ、行ってきます」
店主「あぁ、頼んだよ」
本屋の主人が“テレキネシス”というの念力のようなプラスミドを使って本を空中に浮かせ、手の届かないところに陳列しながら答える。
律「私たちも何か便利なプラスミド一つくらい欲しいなぁ」
雑誌の入った段ボールを抱えながら律がつぶやいた。
澪「や、やめとけって!この間スプライスしすぎて気が狂った人見ただろ!?」
“スプライス”とは、アダムを使ってプラスミドの力を得る行為の事で、遺伝子を繋ぎあわせる(splice)という意味からそう呼ばれている。
二つ三つくらいならスプライスしても問題は無いようだが、何回も遺伝子改造を重ねると精神を蝕まれ、狂人になってしまうらしい。
この貧困地区でも、そういう人を稀に見かける。人々はその廃人と化した人間を“スプライサー”と呼んでいた。
律「あぁ、あれはたしかにキモかった」
私たちは水密扉を出て、ガラス張りの廊下を歩く。
壁も天井も一面ガラスで、外は海の中…水族館みたいだ。
この地区はかなり下層にあるので、街の景色は見えないけど。
律「あ、そういえばこの間、唯がサー・プライズに行ってきたらしいぜ」
澪「おいおい、カジノなんかで遊んでるお金ないんだぞ?」
律「一緒にいた梓も最初は止めたらしいんだけどな」
律「仕事帰りに唯がどうしてもって言うから、一度だけスロットで遊んできたらしい」
澪「で?」
律「5ドル勝ったって」
澪「微妙だな…まぁ負けるよりかはいいか」
そんな他愛もない話をしながら、私たちは郵便局に着いた。
このラプチャーの郵便や荷物の運送は“ニューモ”と呼ばれる装置で成り立っている。
管の中に荷物を入れて、空気圧で目的地まで届けるらしい。なんだか面白い。
澪「これ、お願いします」
係員「はいよ」
雑誌をニューモの運送業者に預けて一仕事終える。
律が壁にもたれかかるように座り、腕時計を確認している。
このラプチャーは海底にあるため、今が朝なのか夜なのか、窓の外を見ても見当がつかない。
律「これで終わりかな。ノド乾いた〜!」
私も時計を確認する。そろそろ仕事をあがる時間だ。
澪「帰りにフィッシュボウルにでも寄って、なんか飲もうか?」
律「そだな〜」
私と律は本屋に戻り、残していた仕事を片付けてから仕事をあがった。
・・・
フィッシュボウル・ダイナー。この地区にある大きな食堂。
カウンターと丸い椅子、見るからに座りにくそうな赤とシルバーのボックス席など、一昔前のアメリカ映画に出てくるようなプレハブ式簡易食堂に似せた作りになっている。
こんなところでハンバーガーかホットドッグでも食べれば、オールディーズな気分を味わえること間違いなしだ。
私と律はその座りにくそうなボックス席に腰かけ、飲み物をオーダーした。
夕食は家に帰って皆で作るので、ハンバーガーなんかは食べない。
律「仕事の後のコーラは最高だぜ」
澪「コーラってなんか、食べ物と一緒じゃないと飲めない」
律「まぁ、それはわかるけどさ」
澪「それにカロリーオフとかこの時代には無いしなぁ…」
律「おい、マクフライ!ここで何してる?」
澪「なんだってぇ〜?」
律が私を指さしてふざけだしたので、私は拳を振りかざそうとする。
律「ひぇぇ〜、マクフライじゃなくてビフだった…!」
澪「そっちの方が嫌だよ!まったくもー…」
私はコーヒーをすすりながら肩の力を抜く。
店にはチラホラ客がいるが、私達の事は気にせず新聞を読んだり談笑している。
律「あ、そういえば…」
澪「?」
律がカレンダーを見てふと何かを思い出したようだ。
律「今日が何の日か覚えてる?」
澪「え、何?」
澪「今日って…。あっ……」
ラプチャーに迷い込んでから色々あったし、毎日大変な日々を送っていたから、地上にいた頃のようにはいかなかった。
普段なら一週間前くらいから気にしだして、あれやこれやとみんなで考えていただろう。
私と律はその事を思い出し、コーヒーを飲み干すとすぐに勘定を済ませて店を出る。
澪「もっと早く気付いておけばよかった」
律「ん〜…にしてもどうすりゃいいんだ?何か買うにも大したお金も持ってないし」
澪「だよなぁ…」
・・・
澪律「ただいま〜」
紬「あら、おかえり」
私たちの住居に戻ると、ムギがすでに夕食の支度をはじめていた。
紬「今日はちょっとしたご馳走よ」
そう言ってムギは卓に食器を並べていく。
ムギも今日が何の日か覚えていたらしい。
澪「私たちも手伝うよ」
紬「ありがと♪」
ルーム貝のパスタや白身魚のソテーなど、魚介類が安いこのラプチャーならでは食事だが、ここに来たばかりでお金の無い私たちにとってはご馳走だ。
私たちは一通り調理を済ませて、唯と梓の帰りを待つ。
律「お腹すいたよぉ〜」
律が出来上がった料理をつまみ食いしようとする。
澪「こら、律!」
律「いでっ!」
唯「ただいま戻りました〜!」
梓「遅くなってすみません」
唯と梓が戻ってきた。
部屋に入り、梓は食卓に並べられたいつもより豪華な食事を見て驚く。
梓「あれ、もう用意しちゃったんですか?ていうかいつもに比べて豪華な気が…」
唯「わーい。美味しそう!」
澪「おかえり二人とも。梓、今日は何日だ?」
梓「え、今日?今日は11月11…あっ…」
梓も忘れていたらしい。
律「…」ニタァ
律が横目で私を見ながらニンマリと笑う。
梓「もしかして…もしかして…」
澪律紬「誕生日おめでとう!」
それを聞いて梓は目をうるうるさせた。
今日は11月11日、梓の誕生日だ。
梓「うぅ…みなさん、ありがとうございます!」
唯「おめでと、あずにゃ〜ん!」
唯はそう言って梓に抱きついた。
梓「ありがとうございます…ありがとうございます!」
梓はサプライズに感激して、ずっと感謝の意を述べている。
澪「ささやかだけどプレゼントも用意したんだ」
梓「プレゼントだなんて、そんな…」
うれし涙をぬぐいながら、梓が恐縮する。
律「て言っても、こんなものしか買えなかったけどな」
律は私と仕事帰りに土産屋で買ったイルカのキーホルダーを渡した。
律「このラプチャーにはこんなものしか無かった!」
律はお手上げ状態なポーズをしてへりくだった。
梓「いえ、うれしいです。ありがとうございます!」
澪「私はこれ。カメ」
私は律と選んだカメのぬいぐるみを梓に渡す。
梓「ありがとうございます。トンちゃんみたいですね」
律「それどちらかというと澪の趣味だろ〜」
澪「う、うるさいな…かわいいからいいじゃないか」
唯「あ、澪ちゃんもぬいぐるみなんだ〜」
唯は鞄からプレゼント用に簡単に包装された包みを取り出した。
梓「あれ!?唯先輩、いつの間にそんな物用意したんですか?」
唯「えーとね、あずにゃんがさっきトイレ行ってる時にこっそり買っておいた」
梓「そ、そうなんですか…///」
唯「はい、開けてみて〜!」
梓「じゃあ、遠慮なく…」
梓は包装を丁寧に解いていく。
梓「…ん?……なんのぬいぐるみですかこれ」
唯「かわいいでしょ〜?」
唯が梓にプレゼントしたのは、潜水服を着たキャラクターのぬいぐるみだった。
丸い小窓がいっぱい付いた潜水用のヘルメットを被り、右手はドリルになっている。
どういうキャラクターなのかよくわからないが、ゴツイ潜水服とドリルの組み合わせに、デフォルメされたちんちくりんな見た目のギャップは確かにかわいい。
梓「変な物が好きな唯先輩らしいですね」
唯「えへへ〜。私も買っちゃったんだよね〜」
唯はそう言って、自分用に買った潜水服男のぬいぐるみを自分のギターケースに付けた。
唯「おそろいだね」
梓「はい。にゃ…!?」
唯はまた梓に勢いよく抱きつく。
梓「うぐぐ…唯先輩ってば〜!」
紬「さぁ、冷めちゃうから早く食べましょう」
紬「私は梓ちゃんにケーキを作ってあるの。後でみんなで食べましょう♪」
唯「やったぁ〜ケーキだ〜」
律「おっしゃー、食べるぞぉ」
みんなご馳走を食べながら談笑する。
梓「でも、今は1958年ですよ?まだ生まれてないのに誕生日だなんて、なんだか変ですね」
唯「じゃああずにゃんは今、マイナス34歳だね!」
梓「なんだかヤな響きですねそれ…」
唯「あ…今度は私の誕生日だから、あずにゃんも祝ってよね。私のマイナス35歳」
律「ははは、なんだそれww」
紬「ふふふ♪」
澪「あはは…」
ここは今、世界中の海底の中で一番暖かい場所だ。
たぶん、そこらの海底火山よりもぬくもりを感じられる場所に違いない。
でも私はまだ素直に笑う事ができずにいる。
このラプチャーに慣れ、心から笑って…この生活を楽しんでしまっている自分に気付くたび、我に返って色々考え込んでしまう。
このままいくと、どんどん海の底に引きずり込まれ…二度と水面に這い上がる事が出来なくなってしまうような気がしてくる。
もうずっと、この海底都市で暮らさなくてはいけないのだろうか?
そう思うと、胸が痛い。まるで自分の心が、どこか海を越えてもっと深い所にいってしまうような、そんな感覚に襲われる。
■ 第三章 「 Beyond The Sea 」 終 ■
とりあえず午前はここまでです。
時間があれば、今日中にまた投下します。
もう一章投下します。
●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
ラプチャーの最高権力者“ライアン”と対峙した軽音部達は、自分たちがスパイではない事を証明しようとバンド演奏をする。
その演奏がライアンに認められ、軽音部達はラプチャーでの居住権を手にした。
「軽音部達をまとめられず、脱走する者がいれば全員[ピーーー]」とライアンに言われた律は、リーダーとしての立場を追及される。
絶望的とも言える状況の中、自分たちではどうする事もできず、軽音部達はラプチャーで暮らすことを決意する。
■ 第四章 「 Who could ask for anything more? 」 ■
1958年11月27日木曜日
みなさん頑張って働いている事もあって、収入はなかなか安定してきたし、蓄えもできてきた。
それぞれの仕事で得た収入は自分で管理しているが、私も先輩達もみんな、軽音部の部費のような感覚で共有しているつもりでいるらしい。
今日は唯先輩の誕生日だ。マイナス35歳の。
梓「………」
ていうか、あの理屈から言えば唯先輩の次の誕生日はマイナス35歳じゃなくて、マイナス33歳なのでは…?
唯「ふ〜ふ〜ふ〜ふ〜♪」
梓(まぁ、いっか…)
ということで、お金に余裕ができてきた私たちは、誕生日を楽しみにしている唯先輩になにかできないかと考え、唯先輩自身の希望により中流階級層の地区で行われるディナーショーに行くことになった。
唯「ふふふっふ、ふふふっふ♪」
唯先輩は鼻歌を歌いながらレコードの手入れをしている。
梓「ゴキゲンですね」
唯「えへへ、だってぇ〜♪」
唯「こ〜の〜リーズーム♪」
唯「こ〜の〜ミュージック!」
唯先輩はノリノリでLPの溝に沿って布を滑らせている。
唯先輩自体が蓄音機みたいに見えてなんだか面白い。
梓「その歌って“I Got Rhythm”ですよね」
唯「あ、そうなんだ〜。曲名は知らなかった」
梓「知らずに歌ってたんですか…どこで知ったんです?」
梓「ここにLP置いてありましたっけ」
唯「ううん。知ったのはここに来る前からだよ〜」
梓「へぇ…」
唯「ん〜とね、中学生の時に劇を見たの」
唯「なんて名前だったかなぁ…クレイジーなんとか?」
梓「あぁ、あれですね。クレイジー・フォー・ユー」
唯「そうそれ!修学旅行で、東京の劇場で初めてミュージカルを見て凄く感動したの」
梓「へぇ〜学校の修学旅行で行ったんですか。いいですね中学校でそんな所連れて行ってもらえて」
唯「野球とミュージカルどっちか選択式だったんだけどね。野球はあんまり興味なかったから」
梓「なるほど…」
唯「でも、私本当に感動しちゃって…修学旅行が終わった後、よく劇を家族で見る友達にチケットを取ってもらって、もう一度見たんだよ!」
梓「同じクレイジー・フォー・ユーを見たんですか?」
唯「うん」
梓「別の物見てみても良かったんじゃないですか?」
唯「まぁね。でも、もう一回同じのを見たくてしたなくて」
梓「で、二回目はどうでしたか?」
唯「それがね、二回目は京都で見たんだけど…音楽が録音されたのだったからちょっとがっかりした…」
梓「それは萎えますね。ていうか、東京の劇場はピットで生演奏だったんですか」
唯「あ、そうだよ。ステージの手前下に大きなスペースがあって」
梓「それはうらやましいですねぇ…」
私は「はぁ〜っ」とわざとらしく溜息をついた。
唯先輩が感動してしまうわけも分かる。
中学生時代、青春真っ只中の時期に修学旅行テンションで生オケのミュージカルなんて物を見れば誰でも心躍るはずだ。
唯「演技してる人も、落とし穴みたいな所でモニター見ながら演奏している人もみんなとっても楽しそうだった!」
梓「なかなか素敵な話じゃないですか。まぁ二回目が録音だったのはちょっと残念ですけど」
唯「でも、二回目もとっても面白かったよ!ステージ全体で、役者さんが目の届かないような所でもしっかり演技してて」
唯「一回見ただけでは目が追い付かなかったから、二回目もとっても新鮮だった」
唯先輩はそう言って立ち上がり、履いている靴の底を床にたたきつけてタップダンスのマネをした。
唯「どうしてあんなにカチカチ気持ちいい音が出せるんだろね」
梓「あぁ、あれはたしかつま先とかかとに金属の板を付けたタップダンス用の靴を履いているんですよ」
唯「あ、そうなんだ〜」
唯先輩は適当なリズムで靴をパコパコと鳴らす。
梓「唯先輩って、結構いろんな所に行ってるんですね」
いつもだらけてばかりなイメージの唯先輩がそんな教養のある経験をしているとは思わなかった。
唯「見直した〜?」フンス
梓「まぁ、少しは」
私は話に区切りをつけて作業に集中しなおす。
・・・
一仕事終えて私は窓際に座った。
どうしてこの街は、こんなに心地よい哀愁を私の胸に与えてくれるのだろう?
オーラというか雰囲気というか…。
この街の幻想的な景色を見ていると、自分はちっぽけな存在で、どこに居ようが…何をしようがそれは変わらない…
そんな気持ちで胸がいっぱいで切ないけど、とても懐かしくてどこか優しく感じる。自分のいるべき本来の場所はここだったんじゃないかとも思えてくる。
唯「ありがとうございました〜」
唯先輩は帰りたいと思っているのだろうか。
律先輩は以前よりもしっかりしてて、なんだか地上にいた時よりも部長らしい振る舞いを心がけている気がする。
ムギ先輩もこの街を楽しんでいるように見えるし。
澪先輩はどうだろう…?
たしかにこの街はどこか異常に狂ってるような部分もある。
まるでドラッグが切れてしまったかのようにアダムを追い求める人々。
自分の理想を見失い、人を束縛するライアンや小競り合いを起こすどこかの狂信者たち。
それでも、科学と芸術の為に作られたこの街は、額に汗を流して努力する人々の活気で満ちていて、音楽に携わる私たち軽音部がここへたどり着いたのも偶然では無い気がしてくる。
そんなこのラプチャーを見ていると、自分は地上での生活にどこか憂いていた気がしてくる
上辺だけの薄っぺらい友情で結成するも、人間関係なんて理由で解散するバンド。
知名度、売り上げ、金……“芸術性”なんかへとも思っていない、音楽を金儲けの道具としか考えていないメディア。
私の周りだってそうだ。何の目的も持たず、ただ日常を浪費していくクラスメイトたち。
それは、日々怠惰に暮らしていた軽音部の私たちも例外ではない。
でもこのラプチャーに来てからは、そんな事微塵も思わない。
唯「あ、これですか?少々お待ちください!」
私たち軽音部は、地上にいたころよりも一体感がある。
みんな毎日を真剣に生きている。
将来がどうなるかなんて見当もついていないだろうけど
仲間を思い、協力し合っている。
音楽を愛し、自分達の演奏に誇りを持っている。
このラプチャーが私たちを“導いた”のなら、私はそれをとても光栄に思う。
でも、このラプチャーで一生を過ごすのも気が進まないし、元の世界に帰る事ができるのならそれはそれでとても嬉しい。
なんていうか、どちらか一方に結論を出したくない自分がいた。
こういう事自体、あんまり深く考えたくはない。
そういう意味では、ここに来てから軽音部の中で自分が一番、怠惰なのかもしれない。
梓「はぁ…まぁ成り行きに任せればいいかな」
唯「あずにゃん?」
梓「あ、はい」
唯「今日はもう仕事終わりだって」
梓「そうですか。少し早いですね」
唯「そだね〜、とりあえず支度しよっか。もうお店も閉めちゃうみたいだし」
梓「はい」
私たちは仕事帰りにすぐディナーショーへ行けるよう、着替えのドレスを持って来ていた。
そのような催し物に参加するのは生まれて初めてなので、どこまでめかし込めばいいのかよくわからないが。
皆で頑張って貯めたお金で買った安物で慎ましやかなドレスを着て、ディナーショーの準備をした。
唯「あずにゃんかわいいよぉ〜」
私は露出が少なめで暗めの菫色をしたイブニングドレスを着ている。
唯先輩はスカートが長めの白のチュニックワンピースのような厚手の洋服着て、私に抱きつこうとしてくる。
梓「唯先輩、せっかくのお洋服がくしゃくしゃになりますよ」
唯「あぁ、ごめんね〜あずにゃんがどうしてもかわいくて」
オードリー・ヘップバーンみたいな爽やかで元気な笑顔をしながら、唯先輩はギターケースを背負う。
梓「ギー太、店に置いて来ればよかったじゃないですか」
唯「えぇ〜ギー太を一人にしておいてはいけないよぉ」
めかし込んだ格好にギターケースは少しミスマッチだ。
こんな人、海底どころか地上を探しても唯先輩しかいないと思う。
唯「よいしょ、おっととと…」
履き慣れない靴のせいか、ギターを背負おうとした唯先輩はバランスを崩してよろめく。
梓「あ!先輩危ない!」
唯「うわ!」
ドス!
唯先輩はよろめいて通りかかった男の人にぶつかってしまった。
唯「あ!ごご、ごめんなさい!」
男「あぁ〜これはすまないね御嬢さん」
結構歳を取ってそうな感じのその男の人は、少し不気味な高い声であいさつした。
唯「その、ぶつかったのは私ですし…」
男「気にすることはない。お互い様だ」
どこか小気味良いリズムの話しかただ。
動物を愛でるときのような甘い口調でしゃべるその男の人は、仮面舞踏会で付けるような、ウサギを模した仮面をかぶっており、素顔は確認できない。
ピシッとしたタキシードを着て、イギリス紳士のように髭がカールしている。
男「では失礼するよ、芸術を愛する子猫ちゃんたち」
男の人はそう言い、どこかへ行ってしまった。
唯「なんであずにゃんが猫だってわかったのかな?」
梓「いや、たまたまそう言っただけでしょう。…あれ?」
私が目を下に落とすとハンカチが落ちていた。
梓「これ唯先輩のですか?」
私がハンカチを拾い上げて唯先輩に見せる。
唯「え?違うよ〜。もしかしてさっきの人の物かな?」
梓「でしょうか…」
ハンカチをよく確認すると、金の刺繍で名前が書いてある。
梓「サンダー…コーエン!?」
唯「知ってる人?」
梓「知ってるっていうか…唯先輩、このフォート・フロリックでずっと勤めててサンダー・コーエンさんを知らないんですか?」
唯「え…」
梓「フォートフロリック地区の管理者で、あの大きな劇場“フリートホール”のオーナーですよ」
梓「ラプチャーでもとびきり有名な芸術家で、彫刻品や絵画、楽曲なんかをいっぱい発表してる人です!街の施設のデザインにも携わっているみたいですよ」
唯「そうなんだぁ」
梓「これは何かの縁ですね…このハンカチ、コーエンさんに届けないと」
唯「そだね。まだ時間はあるし」
私たちは劇場の関係者の人にコーエンさんの自宅を訊き、ハンカチを届けに行くことにした。
コーエンさんの自宅は、オリュンポスハイツ地区にあるマーキュリースイートという高級住宅にあるらしい。
・・・
梓「ここですね」
ガラス張りの海中トンネルを走る路面電車に乗り、私たちはマーキュリースイートまでたどり着いた。
建物は吹き抜けになっておりその中心をエレベーターが貫いている。
唯「S.COHEN…ここじゃない?」
梓「ですね」
コンコンコン
いかにも高級そうなドアをそっとノックする。
唯「反応ないね」
梓「でも劇場の人は、コーエンさんは自宅に戻ってるって言ってましたよね?」
唯「そうだよねぇ…?」
ガラ
私たちがどうしようか悩んでいると扉が開いた。
唯「開いたよ?入れって事じゃない?」
梓「そうですかね」
私たちは恐る恐る部屋に入る。
コーエン「さっきの野良猫ちゃんたちじゃないか。さぁ、こっちへおいで」
コーエンさんの声がどこからか響いてくる。
唯「お邪魔しまーす!」
梓「お、お邪魔します」
コーエン「調子はどうかね、野良猫達よ…しっぽをくねくねさせてご機嫌そうではないか」
梓「あ、あの…コーエンさん、さっきはすみませんでした。その、これコーエンさんの落し物ではないかと思って届けに…」
私はハンカチを差し出す。
コーエン「あぁ〜わざわざ私の家までとどけてくれてすまないね。お礼と言ってはなんだが、お茶でもしていくかな?」
梓「いえ、そんなお礼だなんて。コーエンさんに会えるだけでも嬉しいです」
梓「コーエンさんの曲、いくつか聴きました」
コーエン「それはそれは、こんなお嬢様方にも芸術を理解してもらって嬉しいねぇ」
芸術という単語を強調しながら、甲高い声でコーエンさんは言う。
コーエン「そうだ、この老いぼれを少し手伝ってはくれないかね?」
コーエン「今、私の弟子達にダンスの手ほどきをするために部屋を片付けていたところでね…」
中央の広々とした部屋にはグランドピアノや背もたれの高い椅子が並べられている。
片付けているというよりも、すこし模様替えして配置を変えるつもりだったみたいだ。
私たちはそれを快諾して部屋の模様替えを手伝う。
コーエン「すまないねぇ、レディにこんなことさせてしまって」
唯「いえ、このくらいへっちゃらです!」
唯先輩は蓄音機を運びながら答える。
梓「その蓄音機はどうするんですか?」
コーエン「それはこのテーブルに置いてくれ」
コーエンはグランドピアノの傍に配置した丸い小さなテーブルを指さす。
コーエン「あぁ〜でもすこし高さが足りないようだ。なにか本の上にでも重ねて置いてくれ」
唯「本…?本…」
あたりには本らしき物は無く、山のように積まれたピアノスコアの束くらいしかない。
唯「これでいいかなぁ〜」
唯先輩は近くにあった大きな厚紙の箱を丸いテーブルの上に置き、その上に蓄音機を置いた。
コーエン「上出来じゃないか。ちょうどいい高さだ」
梓(あれって銃の弾の箱なんじゃ…)
そう思ったけど、コーエンさんも特に気にしていないらしいし、ツッコむのはやめておいた。
コーエン「助かったよ、若き芸術家たち…ささやかな礼だ。土産にするといい」
コーエンさんは、純銀の装飾の入った手製のウサギの仮面を一つずつ、私たちにくれた。
唯「わぁい、ありがとうコーエンさん!」
コーエン「礼には及ばないよ。君たちの演奏は前に一度聞いたことがある」
唯「ほんと!?」
コーエン「あぁ、もちろん。芸術を愛する者たちがここへやって来るのはうれしい限りだ」
梓「あ、ありがとうございます」
私がふと時計を見ると、もうディナーショーに遅れそうな時間になっていた。
梓「じゃあ、私たちこれで失礼します」
唯「あ、ほんとだ。ディナーに遅れちゃう!」
コーエン「また会おう。ぜひ私の舞台も見に来てくれたまえ」
梓「はい。機会があれば是非!」
私たちはコーエンさんの部屋を出て、再び路面電車に乗る。
梓「ちょっと変わった人でしたね。たしかに芸術家って感じがしました」
唯「白い人の彫刻みたいなのがあったね〜」
仮面を付けながら唯先輩が言う。
なんだか夏祭りの帰りのようだ。
梓「石膏かなにかですかね?等身大であんな物つくるなんて大変そうですよね」
私もコーエンさんにもらった仮面をつけてみる。
唯「あ、あずうさちゃんだ〜」
梓(あずうさ?あずぴょんとか言い出すと思ったら…)
梓「ぴょんぴょん、わたしあずうさ。飛び跳ねるのに、耳が少し邪魔なの」
なんてね。
唯「おーよしよし〜」
・・・
澪律「誕生日おめでとう、唯〜!」
紬「唯ちゃんおめでとう♪」
梓「おめでとうございます、唯先輩」
唯「ありがと、みんな!」
私たちは中流地区の大きくて豪華なダンスホールで唯先輩を祝った。
唯先輩はディナーショーでみんなと食事するだけでいいと言ったので、プレゼントは用意していない。
私たちは予約していた席を囲んでオンテーブル・ビュッフェ、いわゆるバイキング形式でめいめいが取ってきた好きな料理を食べながら、お話を楽しむ。
律「少し前にみんなで弁当食べてる時にさ、和が突然むせだして…澪は自分の水筒のお茶を和に注ごうとしたんだ」
律「でも澪はその時、水筒にエナジードリンクをスポドリで割った物を入れてること忘れてて、そのまま和に飲ませちゃったんだよ」
律「そしたら、お茶だと思って飲んだ和がエナジードリンク吹き出して、もっと咳き込んじゃってさ…ぶふっ!ww」
澪「ちょっ、その話はやめろよ!っ…ぷふふww」
律「私は必死に和を鎮めようとしてるのに、澪はその時だけはお腹抱えて笑ってんの…!」
律先輩は向日葵みたいに明るい黄色のイブニングドレスを着ている。律先輩らしい色のチョイスだ。
紬「私もそれしてみたいわ♪」
紬先輩は深い赤。臙脂色のストレートなワンピースドレスで、すごく大人っぽい。
澪「だからやめろー!ムギも何をどうしてみたいんだよ!」
澪先輩は恐らく律先輩の着ている物の色違いだろう。真っ黒で落ち着いた雰囲気をしていて、ムギ先輩とは違った意味で大人っぽく見える。
梓「あはは」
最初、周りの人たちは結構ラフな格好をしていて、地味ではあるが着飾ってきてしまった私たちは周りから浮いて見えないかと心配したが、ガッチリした正装で来る人や、露出度の高い派手なドレスを着た女性なども現れてきてホッとした。
普段着など動きやすい格好の人は、後のダンスなどで思いっきり踊る気でいるのだろう。
唯「あ、そうですよ〜。え?あはは、照れるなぁ〜///」
唯先輩は、食事を取りに行くと他の人から声をかけられたようで、向こうで楽しそうに談笑している。
どうやら、ギターを持っていたので他の演奏者から話しかけられたみたいだ。
梓「ふふふ、はぁ〜ぁ」
私は先輩たちと楽しいお喋りをしつつ、ダンスホールを見回した。
他の人たちも、席に座って食事を楽しんだり、立ったまま色々会話したりしてパーティを楽しんでいた。
200人くらいいるだろうか、私たちのお喋りなんか簡単にかき消されてしまう。
ステージでは8名からなるビッグバンドが、比較的落ち着いたスウィング・ジャズを演奏している。
彼らが奏でるアンサンブルは、私なんかが「凄い」と言うのもおこがましいほど素晴らしい物だ。
高度な技術とチームワーク、耳に心地よいアレンジと、ブラボー!と思わず声がでてしまうソロパート。
ジャズバンドをしている両親にも、この素晴らしい演奏を聴かせてあげたいと思った。
曲が終わり、会場は拍手に包まれる。
私も感動して必死に手を叩いた。
ここで、ビッグバンドの最前列で一人ヴァイオリンを弾いていたリーダーらしき人物が、メンバーを一人一人紹介していく。
楽器と名前をリーダーが叫び、そのサイドメンが技術を見せつけるように短いフレーズで音を奏でそれに応える。
一人一人紹介されるたび、客席にいる人々は大きな拍手をした。
律「いいよなぁ。こういうのだよなぁ」
澪「あぁ…そうだな」
澪先輩と律先輩が、昔話を思い出すみたいに意気投合している。
バンドを結成する決意をした時の事を思い出しているのだろうか?
唯「りっちゃん、澪ちゃん…!」タタタタ
唯先輩が息を切らしながら帰ってきた。
律「ん〜?どうしたんだ唯?」
澪「なにかあったのか?」
唯「いやぁ…それがぁ…///」
唯先輩は嬉しいのか困っているのかよくわからない顔をしながら焦っている。
リーダー「さてみなさん、お待ちかね…ダンスの時間ですが」
リーダー「ここで、今日は特別ゲストに急遽参加してもらう事になりました」
ビッグバンドのリーダーがそう言うと、唯先輩の方に手を向けた。
会場にいる人の視線が一気に唯先輩の方へ集まる。
律「えぇ!?なんだ唯、お前…えぇ!?」
澪「ゲストって…!?」
唯「ち、違うんだって…ギター持ってて一緒に弾かないかって、リーダーの人が私たちの事知ってて…!」
唯「今日はたまたまギターの人がケガして演奏できなくて…」
梓「で、ギターをたまたま持ち合わせてた唯先輩を“ギグ”に誘ってくれたんですか」
唯「そ、そうみたい…///」
律「へぇ〜そんな事もあるんだなぁ」
澪「ビッグバンドに飛び入りって、そんなことあるものなのか?」
梓「普通ありえませんよねぇ…」
紬「よっぽど気に入られてたみたいね」
唯「うん、えと…その…ダメかなぁ?」
律「私は別に唯一人だけ行ったって気にしないぞ!」
澪「あぁ、私も。ていうかもう呼ばれちゃってるし」
紬「頑張ってね唯ちゃん!」
梓「唯先輩の思うように楽しんでください。今日はそういう日なんですから」
唯「うん!みんなありがとう!」
唯先輩は申し訳なさそうに喜びながら、ギターを持ってステージへ向かった。
リーダー「このラプチャーに突如現れた、期待の新星バンドHTT ギター ユイ・ヒラサワ!」
人々はさらに大きな拍手をし、会場は熱気に包まれる。
唯先輩は頭をペコペコ下げながら恥ずかしそうに笑っている。
律「いや、なんか弾いて応えろよ!」
律先輩が席に座りながらビシッと手を出してツッコむ。
澪「まぁいいんじゃないか?こんな事、全くの予想外だし」
梓「そうですね…」
ホールの半分はダンスの為に広々と開けられており、参加客のムードはピークに達していた。
みんな、まだかまだかと待ちわびている。
唯先輩はビッグバンドのメンバー達と軽い打ち合わせをした後、すぐに定位置について演奏を始める。
コミカルで明るく、軽快なノリのディキシーランド・ジャズが会場を湧き立たせる。
人々は立ち上がり、一人でに踊りだしたり、二人組を作りホールに躍り出てステップを踏み始める。
唯先輩は、目の前で自分が奏でるメロディに合わせながら思い思いに体を動かす人々を見て満面の笑みで演奏していた。
自分の演奏でこんなに楽しそうに踊ってもらえるなんて初めての経験で、自分自身もそのうち踊りだしてしまうんじゃないかというくらい嬉しそうだった。
梓「凄いですね…」
ビッグバンドと即興で演奏するなんてとんでもなく難しい事を唯先輩は難なくこなしている。
互いの息もなかなかあっているみたいだ。
澪「楽しそうだなぁ」
梓「はい」
演奏する人、踊る人、それを見て楽しむ人…会場はもうお祭り騒ぎのようだった。
澪「………」
澪「なぁ…梓…?」
梓「なんですか?」
澪先輩が笑顔で私の手をとり、決心したかのように言った。
澪「私たちも踊ろう」
梓「え!?」
いきなりの誘いに私はすこし戸惑った。
梓「で、でも私…ダンスなんてしたこと…」
澪「そんなの適当でいいんだよ。さ、早く!」
梓「あ、はい…うわわ…!」
澪先輩が私の手を引っ張り、人ごみの中へ進んでいく。
澪「ほら、こっちだ」
澪先輩は踊っている人々をかき分けて、ダンスホールの真ん中へ私を導いた。
梓「み、澪センパイ…///」
恥ずかしがり屋じゃなかったのかとツッコみたくなってくるが、私も会場の熱気と陽気なジャズに惹かれて体が勝手に動き出す。
澪先輩は右手を私の背中にまわし、もう一方の手で私の右手をとりホールドした。
私もそれに応じ、さらに身を寄せてステップを踏む。
澪「ふふふ」
梓「え、えへへ…//」
こんな幸せそうな澪先輩を見たのは初めてかもしれない。
澪先輩は目を合わせながら左右にリズムをとって軽快に踊り、私をリードする。
私もそれについて行こうと体を動かした。
私達の席を見ると、律先輩とムギ先輩も二人で体を左右に揺らしながらノリノリで私たちのダンスを見守っている。
唯先輩もこちらを確認するとさらに演奏に気合が入った。
私はタイミングを見計らって、澪先輩の手を軸にくるりと回ってみる。
上を見上げると大きなシャンデリアが万華鏡みたいに回転していた。
素早く一回転しているだけなのに、その瞬間だけスローモーションのように妙に長く感じる。
澪先輩の方に向き直ると、私の回転の勢いを優しく受け止めてくれた。
澪「いいぞぉ」
梓「やってみるもんですね」
二人の息はバッチリで、私たちのダンスをみんなが羨むように見ている…そんな気さえした。
曲が終盤に近づき、二人の動きは落ち着いてきて、徐々に洗練さが増していく。
澪「なぁ梓…」
踊る人たちの間を縫うようにゆっくり流れながら、澪先輩が呟くように言った。
梓「はい澪先輩」
澪「私は怖いんだ…」
澪「この海底でも私たちはこんなに笑いあえている」
澪「それに気付く度に、私の心はどこか海の底深くに引きずり込まれて…もう戻れなくなってしまう…」
梓「………」
澪「そんな気がするんだ…」
澪「そう思うと怖くて…怖くてしかたがない」
梓「………」
澪「でも…」
澪「私には友達がいる、一緒に付いてきてくれる後輩がいる…」
澪「何かいい話があって、それを一緒にお喋りする仲間がいる。それだけでも人生は捨てたもんじゃない」
梓「澪先輩…」
澪「だから決めたんだ」
澪「今を大事にしようって…」
澪「踊り出したら、曲が終わるまで踊り続けるしかない」
澪「演奏を始めたら、曲が終わるまで辞めることなんかできない」
澪「途中で失敗しても最初からやり直すことなんて、できやしない…」
澪「だから、今を一生懸命生きていこうと思う」
澪「軽音部のみんなと一緒に」
澪先輩がどうしてこんなことを言い出すのか私にはよくわからなかった。
だけどきっと、澪先輩は自分自身の決意と同時に、後輩である私を元気づけてくれているのだと思った。
澪先輩の目は戸惑いなんて一切無く、希望と決意でいっぱいで…そんな目をした澪先輩に私は自分の胸の鼓動が高まるのを感じた。
梓「澪せんぱい…///」
梓「…わわっ!?」
澪先輩に見惚れて、私はリズムが狂い足を絡ませてしまった。
澪「おぉっとと…梓!?」
バランスを崩し後ろに転げようとした私の背中に澪先輩が腕を回して受け止める。
私たちはタンゴのフィニッシュポーズのような、片方が背中を逸らせ片方がそれを支える形で静止した。
澪先輩も私を支えるために前のめりになって、私と澪先輩の顔は手のひら一つ分しか離れていない。
曲が終わり、会場が再び拍手と熱気に包まれる。
梓「はぁ…はぁ…///」
澪「はぁ……///」
私と澪先輩はフィニッシュポーズのままお互いを見つめ合い、放心状態になっていた。
梓「は…ぁ…」
二人とも息を荒立たせて顔が赤い。
澪先輩の唇が目の前にある。間近で見るととても綺麗で麗しい。
なんだか、このままキスしてしまいそうな…
澪「大丈夫か?」
梓「あ、はい。ありがとうございます」
私は澪先輩に支えられながら立ち上がり、ドレスを整える。
澪「楽しかったな」
梓「はい…///」
会場の熱気が冷めてゆく。
ショーは終わり、徐々に人々は家へ帰っていった。
ディナーに参加していた人たちはたまに、唯先輩に「よかったよ」とか「今度演奏聴きに行く」とか言って通り過ぎていく。
ビックバンドも私たちに別れの挨拶をして撤収していった。
律「最高だったぜ、唯」
唯「ありがとりっちゃん!私もすっごく楽しかった!」
紬「うん、こんなに楽しいパーティ、生まれて初めてかも!」
澪「ちょっと疲れちゃったな」
梓「そうですね」
皆、満足げな表情でホールの出口に集まる。
澪「じゃあ、帰ろう…ん?」
私たちが住居に戻ろうとした時、散り散りに解散していく人々の中から、一人の女性が私たちに近づいてきた。
壮年を迎えた40代後半の女性で、淡い水色をした厚手の地味なワンピースに、濃い青のジャケットを羽織った、いかにも50年代アメリカのファッションといった感じだ。
しかしその落ち着いた振る舞いと両端が少し尖った大きなメガネから見える目は、とても知性的である。
壮年の女性「ミス・ヒラサワ…いい演奏だったわ」
女性はとても知的で、優しげな声をしていた。
唯「あ、ありがとうございます!」
女性は一言だけそう言うと、すぐに立ち去って行った。
律「ファンが増えたな、唯?」
唯「あ、うん。そうだね!」
紬「さ、行きましょうか。もう、遅い時間だし」
律「よーしかえるぞー」
澪「家に着いたら風呂に入りたいよ」
梓「そうですね」
澪先輩と踊って、とても良い汗をかいた。
私も風呂に入りたい。
いつもは唯先輩が無理やり一緒に風呂に入ってくるけど、今日は澪先輩と一緒に入りたいなんて思った。
・・・
1958年11月30日金曜日
澪「おまたせ」
紬「おかえり澪ちゃん」
律「よっしゃ、揃ったな」
梓「はい」
唯「おなかすいた〜!」
律「じゃあ行くか」
今日の夕食は外で食べる事になった。
外と言っても、もちろん“家の外”って意味だけど。
発端は今朝、私がなんとなく発した一言だった。
・・・
澪「肉が食べたい」
唯律紬「!!!!!」
梓「?」
かじりかけの朝食のパンを手に、私は何気なくボソっとつぶやいた。
日常会話の一部のように、本当に無意識のうちにそんな事を口走っていた。
唯律紬「………!」プルプルプル
澪「こんな缶詰のボロボロした肉じゃなくてさ、なんかこう…焼肉とかステーキみたいな」
律唯紬「〜〜〜〜〜!!!!」
梓「………」
澪「たまには食べたいよなぁ。…あれ、みんなどうしたの?」
澪「なんで3人ともそんな悶えてるの…」
律「えぇぇぇぇい!!」
紬「きぇぇぇぇい!!」
澪「ひっ!?」
澪「ぇ…あの、みんな?」
律「よくも…よくも…」
澪「な、なんだよ…」
唯と律とムギが俯いて息を荒立たせている。
まぁムギは律と唯をマネてノリでやってるんだろうけど。
律「よくもそんな事が言えるな!」バンッ
紬「言えるな!」バンッ
唯「フンスッ」バンッ
澪「落ち着けよ…」
梓「………」
律「私だって食べたいぞ!」
紬「私も!」
唯「私も!」
梓「たしかにそうですね」
このラプチャーでは魚はとにかく安く、簡単に手に入る。貧しい庶民の味方だが…
毎日毎日、魚料理なのにはさすがにみんな辟易していたらしい。
律「あぁ〜!もう我慢できなくなってきた!」
律が頭を掻き毟って、アダムで狂ったスプライサーのようにビクビクしている。
紬「今日の夕飯はなにか新鮮な肉が食べたいわね」
唯「にくぅ〜にくぅ〜…」
唯が両手をあげて梓に襲い掛かる。
梓「ふんっ!」
ゾンビのマネをする唯を、梓は片手で軽くあしらって静止させる。
唯「うぐぐぐ…」
律「にしてもそんなジョートーな肉売ってるとこ見たことないぞ」
紬「そうね、この近くの市場には缶詰の肉しか売ってないし」
梓「ファーマーズ・マーケットでも見かけませんでしたね」
律「なにか方法は無いのか…」
唯「澪ちゃんはなんで急にそんな事言いだしたの?」
澪「な、なんとなく言ったんだけどな」
澪「昨日、繁華街の方で結構カジュアルなアメリカ料理の店を見つけてさ」
澪「ステーキとかスペアリブとか…」
律「そ、それだぁぁぁぁ!!!」
澪「えぇぇぇぇ!?」
唯「すぺありぶって何?」
・・・
そして夕方。
律「こ、ここだな」
澪「うん」
私たちは繁華街のバーベキュー・リブ専門店に来た。
1階から5階までのフロアが吹き抜けになっているアーケードのような場所で、吹き抜けの天井はガラス張りになっている。
外には色とりどりの魚が泳ぎ回っていて、南国のリゾート地にやってきたような気分になれる。
その巨大な商店街の4階にあるアメリカ料理屋もといバーベキュー・リブ専門店で私たちは夕食をとる事になった。
紬「不思議な場所ね」
唯「すごいね〜」
ワイワイガヤガヤ
比較的狭いアーケードの道に沿って、さまざまな店がネオンサインを光らせながら立ち並ぶ。
行き交う人々もかなり多く、「これぞ大都会」と言った感じの地区だった。
澪「すごいなぁ、梓」
梓「そうですね。なんだかリゾート地のショッピングモールなんかに来たみたいです」
澪「あながち間違いじゃないな」
律「じゃあ入るか」
店員「いらっしゃいませ。5名様ですね、お席にご案内します」
暗めの照明で落ち着きがあって、なんだか“イマドキ”って感じだ。
このレトロなラプチャーにしては洗練されたデザインの内装で、スタイリッシュな高級感がある。
紬「なかなか新しい店なのね」
梓「そうみたいですね。綺麗な所です」
私たちは席に座り、メニューを開く。
唯「リブってのが肉なの?」
紬「そうね。牛肉や豚肉のロースの部分よ」
紬「私たちが普段食べるようなのは“かたロース”」
紬「リブロースはその近くの肋骨にある、厚くてきめの細かい部分の肉なの」
律「よく知ってるな」
紬「私の働いてるダイナーでもメニューにあるから」
紬「でも、ここの肉はすごくよさそうなのを使ってるわね」
唯「おいしそ〜」
澪「リブとBBQチキン…リブとサーロインステーキ…リブとラムチョップ…」
梓「リブだらけですね」
紬「お値段も思ったより良心的ね」
律「でも、何を頼めばいいのかよくわかんないな」
唯「とりあえず二つくらい頼んで、みんなで分けようよ」
澪「それがいいかもな」
・・・
店員「お待たせしました当店オリジナルソースのフルスラブ・バックリブでございます」
律「おぉぉ!」
唯「ひぇぇ…!」
澪「でかいなぁ」
梓「美味しそうです」
持ち上げるには両手でしっかり握りしめないといけないような、こんがりジューシーに焼けた大きな長い肉が出てきた。
身に沿って骨が12本連なって、皿からはみ出しそうだ。横にはフライドポテトが添えてある。
唯「これがスペアリブ…」
律「これ、どうやって食べればいいんだ?」
紬「えぇとね」
ムギはナイフとフォークを持って、肉を切り分けていく。
あらかじめ骨単位である程度切られており、フォークで刺して持ち上げると、骨と一緒にホロリと肉がほぐれていいサイズになった。
紬「はいどうぞ、りっちゃん」
律「あ、ありがとう。いただきます!」
律はナイフとフォークを使って食べようとしたが、食べにくかったようで骨を手で持ってかぶりついた。
律「……ムシャムシャ」モグモグ
律「なんだこれ…やわらかっ!」ハムハム
唯「わ、わたしも!」
皆ムギに習ってフォークで肉を切り離して自分の皿に取り分ける。
澪「いただきます」
澪「もぐもぐ」
澪「おぉ…おいしい」
口の中でほろりと崩れ、肉汁が口の中であふれる。
少しトウガラシの効いたソースと肉が絶妙にマッチしている。
ソース自体の味付けは控えめで、肉の旨味を引き出す立役者のような、クドくなくすっきりした甘辛さだ。
梓「むぐむぐ」
梓も両手で骨をつまんで、行儀良さげに肉に食らいついている。
律「このグラタンとドンタコスみたいなのは?」
紬「これはアーティチョークディップね。こうやってトルティーヤチップスにこのグラタンみたいなものを乗せてたべるの」
紬「チップスで直接掬ってもいいわね。後は好みで一緒に付いてる色々なソースを付けてみてもいいわ」
澪「どれどれ」
梓「もぐもぐ」パリパリ
律「へぇ〜なんかアメリカって感じだよなー!」
澪「このジャンクでカジュアルな感じがな」
梓「でもとってもおいしいですね」モグモグ
店員「こちらフィンガーボウルでございます」
店員がシルバーのずっしり重たい小さな器を並べた。
中には透明の液体が入っている。
唯「これはなに?」
紬「フィンガーボウルは指を洗うためのものよ」
紬「食事で汚れた指先を、レモンやハーブを入れた水につけて綺麗にするの」
律「そういえばそんな物どこかで見た覚えがあるな。一瞬、なにかの飲み物かと思った」
梓「たしかに、知らない人から見れば何か料理の一部に見えますよね」
澪「昔、大日本帝国陸軍の大将の人が、自分が主宰したホテルの宴会で客がフィンガーボウルの水を知らずに飲んでしまったのを見て、自分も咄嗟に同じことをしたって話があるな」
澪「主宰者として客に恥をかかせないためにって」
唯「へぇ〜なんかカッコいいね」
梓「マナーに縛られず、それぞれが楽しめるように気配りする事こそマナーって事ですね」
律「なんで澪はそんな変な話知ってるんだよ」
澪「あれ、フィンガーボウルと言えばこの話だと思ったんだけどな…」
・・・
バーベキュー・リブを楽しんだ後、デザートにアップルパイを食べてコークを飲む。
恐らく明日の朝は胃がもたれて寝起きは最悪の気分だろう。
私たちは長い時間お喋りをした後、食事を終えて店を出た。
唯「りっちゃん隊員、もう食べられません…」
律「私もだ…唯!」
紬「美味しかったわね♪」
梓「ちょっと食べ過ぎちゃいました」
澪「私も」
みんな吹き抜けの手すりにもたれ掛ってしばし休憩する。
澪「………」
ガラス張り天井の外を魚が泳いでいる。
街の明かりが鈍くそれを照らして、とても幻想的だ。
律「なんだこれすげぇ!」
唯「おもしろーい!」
紬「どうなってるのかしら♪」
あの三人はもう復活して、商店街の店の表にある商品で色々遊んでいる。
澪「………」
梓「元気ですねぇ…みなさん」
お腹を抱えながら、梓も私の隣に来た。
澪「どんな高性能な胃袋してるんだろ」
梓「ふふふ」
梓「はぁ〜…」
梓「なんだか、充実してますね」
澪「ん?あぁ、そうだな」
梓「毎日一生懸命働いて、みんなで生活して、いろんな所でいろんな経験して」
梓「元の世界にいた時よりも、有意義な気がします」
澪「うん…」
梓「あっ、その…ごめんなさい。澪先輩…」
澪「いや、確かにそうだ」
澪「私も、ここはここで楽しいもん」
澪「でもやっぱり、元の世界の方が私は気が楽でいいよ」
梓「そうですよね…」
梓「そういえば、律先輩や唯先輩がこの前言ってましたね」
梓「ここに来たのはなにかの試練で、ある条件を満たせば試練は終了して元の世界へ帰ることができるって」
澪「あはは、漫画の読み過ぎだろ」
梓「ふふ、そうですよね」
梓「でも、なんだか本当にそんな気もするんです」
梓「私、ここへ来てからすごく意識が変わった気がします」
梓「成長したっていうのかな?バンドもそれなりに上手くいってるし、毎日なにか目的があって行動できている気がして」
梓「あと何か一つ大きな事をやり遂げれば、元の世界に…」
澪「梓」
梓「はい」
澪「本当にそう思ってる?」
梓「えっ?」
澪「何かを達成すれば帰ることができるって」
澪「なら、一つだけ試してみたい事があるんだけど」
梓「なんですか?」
澪「キスとか」
梓「へ!?」
梓「ききき、キスですか?」
澪「うん。キスすれば元の世界に帰れるかも」
梓「な、なんでキスですか?」
澪「いや、ほらよくあるネタだから」
梓「え、で…でも…///」
澪「はは、冗談だよ冗談」
梓「えぇぇ…もう、澪先輩!///」
澪「でもそういうのってなんか素敵だよな」
梓「ま、まぁそうですけど…わざわざ私としなくても///」
澪「あはは」
梓「………」
梓「澪先輩、“今を生きる”ってどういう事ですか?」
澪「?」
梓「ダンスの時言ってたじゃないですか」
澪「あぁ…それはな」
澪「なんかこう、過去に囚われない生き方っていうのかな?」
澪「いつまでも家に帰りたいと思っていたら、ここじゃ何もできない」
澪「いい思い出は、麻薬みたいなもので…ずっと引きずっていたら足枷にしかならない気がする」
澪「特にこのラプチャーでは」
澪「でもそんなの急には変えられないし」
澪「過去を捨てるなんて、少なくとも私には絶対に無理だ」
澪「あの時言ったのは、なんていうのかな?決意と言うよりは、戒めかな」
澪「半ば自分に言い聞かせながら、少しずつ自分の意志を変えていこうっていう努力みたいなものだよ」
澪「唯も律もムギも、なにかと適応が早いだろ?」
澪「私もいつまでもグズグズしてないで、少しでもついて行かないとなって」
梓「なるほど」
澪「だから、あんまり気にしないで。そこまで思いを固めて言った事でもないし」
澪「あはは、ほんとクサい台詞だよな。言うのは簡単だよ」
梓「いいえ、私すごくいいと思います」
梓「私も、前まではどっちつかずって感じで…結論を出したくないから、そういう事あんまり考えないようにしてました」
梓「帰りたいけど、帰ることができないならここにいてもいいかなって」
梓「でも、澪先輩の言葉を聞いてちょっと自信がつきました」
梓「今を生きるって、とっても前向きで…私たちにぴったりだと思います!」
澪「そんなに言われるとなんか恥ずかしいな…///」
澪「まぁ帰るに越したことはないんだけどなぁ」
紬「澪ちゃん、梓ちゃん。アルカディア地区にとっても素敵な雰囲気のティーガーデンがあるんだけど、そこに行ってみない?私、そこに一度行ってみたかったの!」
澪「ん?ティーガーデン?」
律「文字通り、お茶飲みながら自然と触れ合えるトコらしいぜ」
唯「行こうよ澪ちゃん!」
澪「そういえばアルカディアは、ラプチャーの酸素を供給するための植物を育ててる場所なんだっけ」
澪「たまには自然と触れ合うのもいいかもな」
梓「そうですね。ずっと海底にいると、なんだか窮屈でまいっちゃいます」
澪「じゃあ、いくか」
梓「はい!」
■ 第四章 「 Who could ask for anything more? 」 終 ■
●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
ラプチャーでの生活に慣れ、毎日を有意義に過ごす軽音部達。
そして今を生きる事を決意する澪。
そんな澪に思いを馳せ始める梓。
こんな海底都市でも、青春を謳歌できている放課後ティータイムだったが…………
今日はここまでです。
読んでくださっている方、ありがとうございます。
ちなみにインフィニットのほうはキャンペーン一周はしました。
今1999モード頑張ってます。
けいおんも好きだけどバイオショックシリーズのファンで独特なSFホラーの感じが好きだったから
無理矢理けいおんと混ぜたせいで原作の雰囲気が損なわれてて読んでて不快になったわ
この「平穏な日常」がいつ崩れ去るかとハラハラさせられるな。
ここで質問。
メール欄にsagaと入れた方が良くないか?
そうすれば、「殺す」と書いても変換されずに済むし。
それから、百合要素は澪梓ってことでOK?
>>87
申し訳ないです。その点につきましては、大変恐縮しております。
荒廃する直前の、栄えていた時のラプチャーでの暮らしを軽音部で書きたかったんです。
>>88
失念してました。以後そうします。
ここまでの[ピーーー]二つは「殺す」と読み替えてもられば幸いです。失礼しました。
後、カプは澪梓以外にもあります。
■ 第五章 「 The most lasting love is unrequited love 」 ■
紬「お待たせしました」
客「ありがとう」
1958年12月3日水曜日
ラプチャーに来てから一か月ちょっとくらい経つ。
ここにはいろんな人々がいて、地上にいたとき以上の刺激を私に与えてくれる。
軽音部のみんなもこの生活に慣れてきているけど、やっぱり元いた世界に帰りたいはず。
りっちゃんと唯ちゃんは結構楽しんでいるみたいだけど、梓ちゃんはよく窓の外を眺めているし、澪ちゃんは時々夜中に泣いていたりする。
私だって元の世界にみんなで戻ることができれば、それはとても嬉しい事だ。
でも、ここでずっと暮らしているのも悪くないと思ってる…みんなには申し訳ない気がするけど。
だってここは多分、私が望んだ…私が求めていた理想の世界に限りなく近い所だから。
すくなくとも、もといた世界よりは…。
紬「ありがとうございました〜」
店長「ツムギ、給仕はもういいから、またピアノを弾いてくれないか?お客さんが聴きたいって」
私がいつも通り給仕の仕事をしていると、店長さんがいつものお願いをしてきた。
そう言われて客席の方を見ると、一人の女性と目が合った。
女性は私と目が合ったことに気付くと、微笑みながら軽く手を振った。
紬「あ……」
恐らく、あの人が私のピアノをリクエストしたのだろう。
紬「はい、わかりました」
私はやりかけていた作業を終え、一度バックヤードに戻り着替える。
そしてピアノスコアを手に、店の中央にあるアップライトピアノの側まで行き、お客様に一礼してから椅子に座る。
ゆっくりと鍵盤に指を添えて、なでるように弾きはじめる。
ここの人々はやはりジャズが好みらしく、店に用意されているスコアも聞いたことの無い曲から、21世紀になっても誰もが知っているスタンダード・ナンバーのジャズばかりだ。
店長さんは気さくな人で、たまに私が書いてくるジャズアレンジの放課後ティータイムの曲も弾かせてくれる。
・・・
■ 第五章 「 The most lasting love is unrequited love 」 ■
紬「お待たせしました」
客「ありがとう」
1958年12月3日水曜日
ラプチャーに来てから一か月半くらい経つ。
ここにはいろんな人々がいて、地上にいたとき以上の刺激を私に与えてくれる。
軽音部のみんなもこの生活に慣れてきているけど、やっぱり元いた世界に帰りたいはず。
りっちゃんと唯ちゃんは結構楽しんでいるみたいだけど、梓ちゃんはよく窓の外を眺めているし、澪ちゃんは時々夜中に泣いていたりする。
私だって元の世界にみんなで戻ることができれば、それはとても嬉しい事だ。
でも、ここでずっと暮らしているのも悪くないと思ってる…みんなには申し訳ない気がするけど。
だってここは多分、私が望んだ…私が求めていた理想の世界に限りなく近い所だから。
すくなくとも、もといた世界よりは…。
紬「ありがとうございました〜」
店長「ツムギ、給仕はもういいから、またピアノを弾いてくれないか?お客さんが聴きたいって」
私がいつも通り給仕の仕事をしていると、店長さんがいつものお願いをしてきた。
そう言われて客席の方を見ると、一人の女性と目が合った。
女性は私と目が合ったことに気付くと、微笑みながら軽く手を振った。
紬「あ……」
恐らく、あの人が私のピアノをリクエストしたのだろう。
紬「はい、わかりました」
私はやりかけていた作業を終え、一度バックヤードに戻り着替える。
そしてピアノスコアを手に、店の中央にあるアップライトピアノの側まで行き、お客様に一礼してから椅子に座る。
ゆっくりと鍵盤に指を添えて、なでるように弾きはじめる。
ここの人々はやはりジャズが好みらしく、店に用意されているスコアも聞いたことの無い曲から、21世紀になっても誰もが知っているスタンダード・ナンバーのジャズばかりだ。
店長さんは気さくな人で、たまに私が書いてくるジャズアレンジの放課後ティータイムの曲も弾かせてくれる。
・・・
演奏を終え、店内にいるお客さんたちの拍手が響く。
私は今日の仕事は早めにあがっていいと言われ、着替えを済ませて店を出た。
紬「よし、今日は少しゆっくりしちゃおう」
私は店の向かいにあるバーでアルコールの入っていないカクテルを注文する。
初めのころはバーなんて少し躊躇ったけど、好奇心には逆らえず、大人な気分を味わおうとバーでお酒を注文した。
アルコールはやはり私には早かったけど、気分が安らぐので仕事が終わったらたまにここでゆっくりしている。
紬「うふふ、元の世界だとこんな所行けないものね」
バーは庶民的だが落ち着いた雰囲気で、向かいのカウンターでは小奇麗な中年男性がマッチの火で葉巻の先を炙りながらバーテンダーと会話している。
紬「………」
紬「あの人、きれいな人だったわ…」
先ほど店で目が合った女性の事をふと思い出した。
大きな瞳、肩下からすこしカールした長くしなやかなブロンドの髪。
妖艶な顔つきをしていて、動きの一つ一つに色気があった。
紬「はぁ…」
私はカクテルを一口飲んで溜息をつく。
「どうしたの?」
唐突に後ろから声をかけられる。
紬「え?」
私が振り向くとさっきの女性がいた。
女性は私が座っているカウンターの角を挟んで向かいの席に座り、私の方を見る。
女性「溜息なんかついて…」
女性「いい演奏だったわよ?」
女性は目を細めながら微笑した。
紬「あ、ありがとうございます」
改めて見ると、女性はかなり派手な格好をしている。
薄手の真っ赤なワンピースに、ガーターベルトのついたサイハイストッキングをはいていた。
いわゆる“コールガール”だろうか。
女性「あら、ごめんなさい。私みたいなのが、気安く話しかけちゃって…」
紬「あ、いえ別にそんな……」
紬「私の演奏聞いてくれて…みなさんピアノの事はあんまり言ってくれなくて…」
私は、何故か緊張して言葉を詰まらせた。
女性「あなた、人気者よね。たびたび男から声をかけられてる」
紬「あ…いぇ…」
女性にそう言われますます緊張してきた。
とても大人びた話し方で、妖美な声だ。
女性「でも、どんなに誘われてもみんな断ってる…」
紬「仕事ですから…」
何か探りを入れるように女性は話しかけてくる。
女性「ラプチャーでの暮らしには慣れたの?」
紬「え?」
女性「知ってるわよ。あなた、ストレンジャーズの一人でしょ?」
このラプチャーでも情報の駆け巡るスピードは恐ろしく早く、私たちが飛行機事故でここにたどり着いた事は、ラプチャー市民の間でも話題になっている。
それが誰なのかはまだ広く知られていないようだが、生き残った5人がこのラプチャーのどこかで生活しているという話を仕事先でも耳にする。
ラプチャーに来る者は珍しくないが、飛行機事故でたどり着いたという人間は例に無く、しかもそれが未来からやってきたというオマケ付きだ。
人々は私たちの事をストレンジャーズ(訪問者)とか、ドリフターズ(漂流者)とか呼んだりしているようだ。
この間5人でディナーショーに参加した時も何人かにそう呼ばれた気がする。
女性「ま、別にそれはどうでもいいの」
紬「はあ」
私も別に気にはしていないし、考えた事も無かった。
女性「この間、ライブ見たわよ。かわいい子たちね」
紬「あ、どうも…ありがとうございます」
なんだか話がかみ合わないというか、この人は私に何を話したいのだろう。
よくわからないけど、とにかくそれとなく受け応えしてやりすごそうと思い、カクテルを口にした。
女性「誰と付き合ってるの?」
紬「ぶふっ!?」
女性「あはははは」
女性は私の隣の席に座ってきた。
女性「かわいいわね」
私の頬に手をやり、恍惚とした表情をする。
女性「あなた…レズビアンでしょう?」
私の唇に触れながら、女性は訊いた。
こんな間近で顔を近づけられて、こんな表情されて訊かれると、もう嘘なんかつけない。
紬「はい……」
顔が熱い。というか体全体が熱い。
身体全体が火照っているのが分かる。
息も荒くなってきた。
女性「ほんとうにかわいいわね…」
そういって女性は今にも泣き出しそうな私にキスしようと顔を近づけてきた。
紬「あ、あの…」
女性「ん、何?」
紬「すみません…けど…」
女性「嫌?」
紬「………」
紬「好きな人がいるんです」
私がそう言うと女性は席を立ち、ニッコリと笑った。
女性「そ」
女性「ごめんなさい、許してね」
紬「あ、あの…」
女性「また演奏聴きに行くわ」
そして女性はバーから立ち去って行った。
紬「………」
胸がまだ少しドキドキしている。
すこし苦しい…私はカクテルを飲み干してバーを出た。
紬「はぁ…」
澪「あ、ムギ」
律「おームギ、ただいまー」
バーを出ると仕事から帰った澪ちゃんとりっちゃんに出会った。
紬「あ、澪ちゃん」
紬「…りっちゃん」
また胸が高鳴ってくる。
律「ん?どうしたんだ、なんか顔赤いぞ?」
紬「な、なんでもないわ…」
私は必死に顔を逸らす。
律「ていうか、もしかして泣いてた…?」
紬「なんでもないったら…」
律「え、でも…」
紬「なんでもないってば!」
澪「こら律。ムギ、なにか悩み事か?」
私はなんとか作り笑いをして二人に向き直る
紬「ううん、なんでもない。ちょっと居眠りしてたからかな」
紬「戻って夕食の支度しましょう」
澪「あ…あぁ、そうしよう」
律「そうだな〜。じゃ、行こうぜ」
紬「うん!」
・・・
・・・
・・・
三花「え〜!?ありえないよ」
紬「?」
エリ「え、え…?なんで?」
三花「だって、女の子同士だよ!?」
紬「…っ!」
エリ「そこまで!?別によくない?」
アカネ「まぁ他人の恋愛は勝手だろうけど、私も無いと思う」
エリ「そっかなぁ〜?」
律「なに話してるんだろ?」
紬「さ、さぁ…?」
律「ちょっと気になるな、聞いてみようぜ」
紬「え、りっちゃん…!?」
律「なんの話〜?」
三花「あぁ、りっちゃん、むぎちゃん。昨日、1組の子がさぁ文恵にコクったらしいよ」
律「え、まじかよ」
エリ「かなり本気みたいだったってさ」
紬「あらまぁ」
三花「さすがにちょっとねぇ…?文恵もちょっと困ってたし」
エリ「そこまで気にすることかなぁ?別にいいじゃん女子同士でもさ」
アカネ「いや、流石にちょっと引く」
アカネ「ていうか、エリはもっと信心深いと思ってた。宗教ってそういうのタブーでしょ?」
エリ「仏教はそういうのには割と寛容だよ?ていうか、私が好きなのは宗教じゃなくてあくまで仏像だし」
律「女子同士ねぇ」
三花「りっちゃんはどう思う?」
律「ん〜?私は別になんとも思わないけどなー」
律「文恵が困ってるってのはちょっと考え物だけど」
律「でも結局はその二人の問題だし、私たちがどうこう言うほどの事でもないんじゃね?」
律「なぁ?ムギ」
紬「う、うん。そうよね…」
三花「そうかなぁ…?」
アカネ「でもやっぱりそういうのは堂々とやってほしくないなぁ…」
紬「………」
・・・
・・・
・・・
1958年12月7日日曜日
澪「いただきます」
昼は仕事をし、帰宅したらみんなで家事を分担する。
そんな家族みたいな暮らしをし始めて一か月ちょっと。
今日は休日で、みんなはテーブルを囲んですがすがしい朝を迎える。
すがすがしいとは言っても、窓から朝日なんて射してこないし、小鳥がチュンチュン鳴いているわけでもない。
その代わりにビルの窓や看板の光がぼんやりと窓際を照らして、見たことも無い魚がプカプカ泳いでいる。
澪「………」モグモグ
人は太陽の光が無いと生きていけないと言うが、無いなら無いでそれなりに生きていけると思う。
現に私たちはもうずっと日光を浴びていないけど、別に頭がおかしくなったりはしていない。
本当に人間の環境適応能力には驚かされる。とか思いつつ、いつもの朝食を食べている。
それとも、私たちはまだ…おかしくなる前なだけなのだろうか?
律「そういえばさ」
律が缶詰の肉と豆で作ったトマト煮を食パンの上に乗せながら、唐突に話題を振る。
律「さっき整備エリアを通った時、でっかい潜水服を着たゴーレムみたいな奴と、こんな小さなピンクの洋服を着た女の子が一緒に歩いてたんだけど…」
律「潜水服のヤツは変な唸り声あげてたし、女の子は目が光ってて、注射器みたいな物持ってたし…なんだったんだろう、あれ」
澪「それ私も見たぞ…唯と梓がもってるぬいぐるみのヤツじゃないか…?」
私は少しおびえながらも会話に入る。
梓「あぁ、あれって“ビッグダディ”と“リトルシスター”って呼ばれてるらしいですよ」
梓「このラプチャーでは何組も存在してるらしいです」
紬「へぇ、梓ちゃんは知ってるのね」
梓「この間、レコード屋の仕事でジュークボックスの修理に行ったんですけど、その帰りに見かけました」
梓「店長に聞いてみたら、あの少女たちがアダムを作りだしているみたいです」
律「あんな小さい女の子が?アダムを作り出すってどうやって…?」
梓「私もよくわかりませんけど…ビッグダディはその少女の護衛役だそうです」
澪「なんだか気味が悪いなぁ」
このラプチャーでは気味が悪い事だらけなので、この手の話にはだいぶ慣れてきた。
唯「わたしまだ見てない!!」
紬「私も!」
唯が立ち上がり、紬もそれに続いた。
澪(なんか嫌な流れだな…)
律「うーん」
律「よし!」
律「じゃあ今日は休みだしそいつらを見に行ってみるか!」
澪(やっぱり…!)
澪「ちょっと律…水族館にイルカを見に行くんじゃないんだぞ」
澪「そんな得体のしれない物、ほっとけば…」
唯「え、でもこんなにカワイイんだよ!?」
唯がギターケースに付いたビッグダディの人形を指さした。
澪「それはぬいぐるみだから!」
梓「話によると、極端に近づいたり、その二人に直接危害を加えない限り大丈夫みたいですよ」
澪「いやそういう問題じゃなくて…」
私は唯と律と紬の顔を見た。
三人とも楽しい休日の予定ができて、目を輝かせている。
律「わたしもちらっと見ただけだから、しっかり見てみたいな」
唯「見よう!見よう!」
紬「楽しみね♪」
梓「まぁ別に私は構いませんけど…」
澪「えぇぇぇ〜…」
・・・
そして昼…。
私たちは整備エリアの一角にある、リトルシスターがよく現れるという場所に張り込むことにした。
リトルシスターは、ラプチャー内に張り巡らされた通気口のような専用の穴の中を行き来しており、ビッグダディがその通気口の前で合図するとリトルシスターが顔を出すらしい。
私たちは通気口から少し離れた物陰から、ずっとビッグダディがやってくるのを待っている。
律「来ないな」
梓「来ませんね」
澪「よし、帰ろう!」
律「ちょちょちょ、もうちょっとだけ…」
踵を返し家へ戻ろうとした私は服を掴まれ、律にぐいと引き戻された。
澪「一向に来る気配無いじゃん…もう帰ろうよ!」
ドシン
澪「それに私たちに襲ってこないなんて保障ないし…」
ドシン
律「しっ!」
律は人差し指を口にあてて、私をむりやりしゃがみこませる。
澪「え?なな何!?」
律「足音がする…」
ドシン、ドシン…
音がだんだん近づいてくる。
正面にある廊下の方向からだ。
私は息をのんで物陰に隠れながら周囲を確認する。
ドシン、ドシン、ドシン…
紬「あっ…」
廊下の奥から、黒い大きな影がこちらへやってくるのが見える。
梓「あれですね」
黒い影は、唯の持っているダディ人形のシルエットそのままで、頭部には8つの点が鋭く光っている。
次第に細部の形や色がはっきりと見えてきた。
澪「ひぃぃ…!」
唯「うわぁ〜」
紬「あれがビッグダディね」
アメコミみたいにデフォルメされたかのような大きな手と足と頭。
錆びついた焦げ茶色の潜水服と右手の大きなドリル。
ヘルメットの小窓からこぼれる光が不気味に周囲を照らして、その姿はまさに怪物だった。
梓「あ、私がこの前見たのは恐らく違うタイプのビッグダディですね」
梓「ヘルメットの小窓は一つしか無くて、もっとスマートな体系でした」
律「へぇ、いろいろ種類があるんだな」
大きな足音を立てながら、ビッグダディはリトルシスターの通気口の前へ歩いて行った。
紬「いよいよね」
ビッグダディはヒマワリを模った通気口を叩き、ゴーン、ゴーンと鈍い音を出してリトルシスターを呼んだ。
唯「………」
律「………」
紬「………」
梓「………」
澪「………うぅ」
通気口を叩いたが、反応が無い。
ビッグダディは少し戸惑ったような動きをし、気を取り直してもう一度通気口を叩く。
その後ろ姿はどこか悲しげで、少しかわいかった。
「ん、ん〜」
律「お?」
通気口から目が光った少女が顔を覗かせ、すぐに引っ込んだ。
そして今度はか細い足が出てきて、ビッグダディはそれを受け止めるように支えた。
紬「あれがリトルシスターね」
少女が穴からはい出ると、ビッグダディはそれをやさしく抱えて地面にそっと降ろした。
リトルシスター「おはよう、ミスターバブルス」
ビッグダディ「ヴォォォン」
ビッグダディは低いうなり声を上げ、大きな手で優しくリトルシスターの頭を撫でた後、自分の肩の上に乗せた。
唯「かわいいねぇ〜」
唯はその様子を見てご満悦の様子だ。
まぁ確かに見た目はグロテスクだが、和気あいあいとしていて、和まなくもない。
リトルシスター「こっちよ、ミスターバブルス。天使が私たちを待ってるんだから」
ビッグダディ「ヴォォォォォォォン」
自分が歩く振動でリトルシスターが転げ落ちないように手を添えながら、ビッグダディは歩いていく。
まるで父親が幼い娘を肩車しているみたいだ。
律「よし、私たちも行くぞ!」
澪「えぇ!?」
唯「ラジャー!」
紬「尾行ね!」
澪「えぇぇ…もういいじゃん、十分見ただろ!?」
律「いやーリトルシスターがどうやってアダムを作るのか見てみたいじゃん?」
紬「あの注射器、何に使うのかしら?」
みんな興味津々に、ビッグダディの後についていく。
梓「はぁ…」
梓もすこしあきれた様子だが、仕方なく後を追う。
澪「ちょ…待ってよぉ〜!」
・・・
唯「なんか…臭いよね?」
律「あぁ、臭い」
紬「なんの臭いかしら?」
確かにクサい。とてつもなく臭い。
ビッグダディが通った所は、なにかものすごい刺激臭がする。
梓「自分に懐かせるために、リトルシスターが好むフェロモンを付けてるそうですよあの潜水服お父さん」
梓が自分の鼻をつまみながら鼻声で解説する。
律「こんなくさい物をか!?わけわかんねーな」
唯「こんな臭いであの子たち寄ってくるんだ…」
紬「へぇ〜」スンスン
みんな異様な刺激臭に鼻を塞いでいるが、ムギだけはクンクンと鼻を動かし、フェロモンの臭いを嗅いで関心していた。
クサい物ほど嗅いでみたくなる気持ちもわからなくはないが、この臭いは流石に耐えられない。
リトルシスター「みて、天使よ!」
ビッグダディはリトルシスターを肩からゆっくりと降ろした。
律「ん…?」
リトルシスターがちょこちょこと歩いて行く、その先には誰かが倒れていた。
澪「ひっ!?」
梓「あれって死体ですかね…」
貧困層の地区では、たまに死体が通りに転がっているのを見かける。
スプライスしすぎで死んでしまった人や、時々に起こる事件の犠牲者だろうか。
唯「なにしてるのかな…?」
リトルシスター「天使が踊っているのが見えるわ!」
リトルシスターは死体に歩み寄り、持っていた注射器を勢いよく死体に突き刺した。
ザクッ!ザクッ!
律「うっ…なんだあれ…」
唯「うぇぇ〜」
注射器は深々と突き刺され、遺体に残っている血を吸いだしている。
リトルシスターはザクザクと何度も何度も別のところに突き刺して、まるで刃物でメッタ刺しにしているみたいだ。
紬「なんてこと…」
澪「見えない聞こえない…」ブルブル
唯「ひぇぇ……あ、うわっ!」グラッ
その時、唯が段差から足を踏み外して転げ、大きな音をたててしまった。
ビッグダディ「ヴォォォォォォォ!!!」
律「や、やべ!」
ビッグダディがこちらを向き、ドリルを回転させながらものすごい剣幕で威嚇してくる。
唯「ひえぇえ!ごごご、ごめんなさい!!」
紬「怒らせちゃった!?」
ビッグダディ「ヴォォォォォォォ!!!」
ビッグダディはリトルシスターをかばうようにしながら、両手を構えてこちらの様子をうかがっている。
唯「ご、ごめんねダディちゃん!そんなつもりはなかったんだよぉ」
律「おい唯、近づいちゃダメだって…」
ビッグダディ「ヴォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!」
唯「ひぇぇぇ!!!」
リトルシスター「悪い奴!悪い奴!」グサッ
リトルシスターが唯めがけて注射器を刺してきた。
唯「痛っ!や、やめて!」
唯「ごごご、ごめんってば!」
律「大丈夫か!?唯、はやくこっちへ戻れ!」
律「に、逃げるぞみんな!」
律「澪もほら!」
澪「………はっ?え!?」
ビッグダディ「ヴォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!」
澪「いやぁぁぁぁぁ!!」
・・・
コポコポコポ…
紬「はい澪ちゃん。ハーブティーよ」
澪「あ、ありがとう。っ…あちち…」
命からがら逃げてきた私たちはひとまず自宅にもどり尾行後ティータイムをする。
梓「これからはもう少し考えて行動しましょう」
律「いや、わりぃ…」
唯「びっくりしちゃったよ」
紬「唯ちゃん、まだ痛む?」
唯「ううん、もう血も止まったし、あんまり深くは刺さらなかったから大丈夫」
澪「これからはもっと消極的に生きよう…」
梓「………」
紬「でもなんだかショックね、ラプチャーの発展を担うアダムの裏にはあんな子たちがいたなんて」
梓「あの注射器で採った血を何かに使って、アダムを作り出しているんでしょうね…」
紬「まだ幼いのに、あんな事強いられているなんて、かわいそう…」
澪「………」
科学の発展には何かしら暗部があり、数々の犠牲を伴って今の私たちを支えている。
それはこのラプチャーでも変わらないようで、先ほど見てきたものはまさにラプチャーにおける暗黒面そのものだったようだ。
この日は皆あまりおしゃべりもせず、夕食の時も皆黙々と料理を食べていた。
・・・
・・・・
・・・・・
『あいつは?』
『死にました。いくら痛めつけても、何も喋りませんでした』
『アダムがあれば、もうすこしマシなやり方でできたんですがねぇ…』
『はあ』
『どうします?』
『ま、いいだろう。どうせ奴を支えている取り巻きも、頭の悪い連中だからな』
『すぐ荒れる方に向かっていく。結果は変わらないさ』
『それにまだ策は残っている……』
唯「?」
・・・・・
・・・・
・・・
1958年12月10日水曜日
今日は久しぶりに5人で演奏ができる。
このラプチャーでもとびきり有名なレストラン「カシミール」で、ディナーショーのライブをする事になったのだ。
梓「今日もポセイドンプラザの洋裁店が閉店されたんです」
澪「またか…」
最近なにかと暗い話題が絶えない。
ライアンの規制がさらに厳しくなってきたためだ。
このラプチャーで力を付け、ライアンに恐れられたほどの豪商フランクフォンテイン。
彼と以前つながりがあった店は検挙され、通りの店にはClosedの札がいくつもかかっている。
フランク・フォンテインはライアンに殺されたとはいえ、その人脈はまだ健在で、多くの人がフォンテインを殺したライアンを憎んでいる。
そうでない人たちも、最近のライアンの独裁的な姿勢に反発し、小競り合いが頻繁に起きてきている。
この間も、中流層のアパートで小規模な銃撃戦があったようだ。
フォンテインの死、ライアンの独裁に耐えかねて、また新たにレジスタンスなる組織が立ち上がったらしい。
私たちの地区はまだ安全だとは思うが、なんだか心配だ。
澪「はぁ…」
でも今日は久々にみんなでバンド演奏ができる。
そう思うと、こんな世の中でもすこしは気が和らぐ。
・・・
唯「こんばんわ!放課後ティータイムです!」
レストラン指定の衣装に身を包んで、私たちはステージの上に立っている。
一曲弾き終わり、ここで唯のMCとメンバー紹介だ。
唯「知っている方もいるかもしれませんが、私たちは飛行機でここまでやってきました」
別に隠す必要も無いし、みんな知っていることだ。
でも未来から来たって事は極力内緒にしている。
どうせ信じてくれる人なんて誰もいないけど。
唯「最初は分からない事だらけで戸惑ってたけど、このラプチャーの人々に支えられて、ここでこうして演奏する事ができてます」
唯「毎日が新鮮で、私たちは色々な事を学びました」
唯「あ、そうそう。この間、前の負けを取り返そうと、サー・プライズに行ってスロットをやったんですけど…」
律「んん!」
律がそのくらいにしておけと咳払いをする。
唯「あ、えぇとスロットって時間もかかるし、あんまりお金増えないなぁ〜なんて」
レストランにいる客たちはすこし苦笑いをしながら、唯のMCに耳を傾けている。
唯「じゃあさっそくメンバー紹介します!」
唯「ベース、秋山澪ちゃん!」
私はボボボボンと低い音を出し、ラグタイムでジャズっぽいスケールを軽く弾いた。
人々は慎ましやかに拍手する。
唯「ギター、中野梓ちゃん!」
ギュィーンとムスタングを鳴らし、梓が応える。
普段梓はアームを使わないが、今日は気分で付けてきたのか、フレーズの最後に見事なアーミングをしてみせた。
やはりこの手のエレキな音はラプチャーではまだまだ珍しいようで、人々は互いの顔を見合わせて珍しがっている様子だ。
唯「ピアノ、琴吹紬ちゃん!」
ムギはタラララララと素早く鍵盤をたたき、会場の人を沸かせた。
すずしい顔してよくあんなもの弾けるものだ。ここへ来る以前からクラシックに精通していて、今では仕事でたびたび弾いているらしいから、腕前はかなりの物になっているに違いない。
唯「ドラム、田井中律ちゃん!」
律はスティックを軽く握り、ダダダンとタムを交互に叩く。
目立たないから「ドラムやだ」とか言っていた割にはかなり奥ゆかしいソロだ。
唯「そして私がボーカルとリードギターの平沢唯です!よろしく!」
メンバー紹介が終わり、会場は大きな拍手に包まれる。
ステージから遠く離れ、飲食を楽しんでいる人々もこちらに向かって拍手をしてくれている。
唯「では演奏に戻りたいと思います…!」
ムギのピアノから始まる、このラプチャー用の“ジャズアレンジ ふわふわ時間”
いつも演奏する私たちの曲はかなりラプチャーで認められてきて、たまにライブに招待されたりする。
しかし今日は上流階級地区一番ともいわれるレストラン・カシミールでの演奏なので、雰囲気に合ったものを頼まれた。
私たちが演奏するステージの前には広いスペースがあり、レストランの客がダンスを楽しめるようになっている。
ダンススペースの周りをぐるりと円形にテーブルとイスが取り囲み、人々はそこで談笑をしあっているが、曲が始まると紳士淑女が互いに手を取り合ってダンスを始めた。
みな落ち着いた表情で、ゆっくりと踊り始める。中流階級のディナーショーの時とは全く違った感じで、少し緊張する。
・・・
曲目が全て終了し、私たちは一息つく。
唯「今日はありがとうございました!」
会場が再び拍手に包まれる。今日のショーはこれで終わり。後はギャラを貰って帰るだけ。
唯「楽しかったね〜」
澪「うん、こうやってみんなで演奏できるとやっぱり気持ちがいいよ」
梓「そうですよね!」
律「久しぶりだったからな〜。すこし変に筋肉使っちゃって節々が痛い」
紬「私も。グランドピアノなんて普段弾かないから、すこし感覚が変ね」
私たちが撤収準備をし始めようとすると、客の中から一人、仮面を付けた紳士がこちらへ歩いて来た。
仮面の男「素晴らしい演奏だったよ。ありがとう」
男はまだ成人したくらいの若い声で、薄気味悪く笑った表情をした仮面を付けている。
唯「ありがとうございます!」
唯は仮面の男に明るく返事をした。
仮面の男「そうだ。これ、君にプレゼントがあるんだけど…」
そういって男は懐に手を入れる。
唯「え、プレゼント?」
仮面の男「えぇと、ほら…これだ。……からのプレゼントだ」
男は懐からプレゼントを取り出し、唯の頭に付きつけた。
唯「えっ…」
パァン!
乾いた音がレストラン中に響き渡る。
その音に驚いた客たちは悲鳴をあげた。
澪「唯っ…!?」
唯の顔には赤い血が飛び散っていた。
律「唯!?」
紬「唯ちゃん!?!?」
梓「え!?唯先輩!!」
唯「あ、あわわ…?」
澪「………?」
よく見ると先ほどの仮面の男が頭から血を流して倒れていた。
仮面は粉々に砕け、あたりには鮮血が飛び散っている。
律「唯!」
律は駆け寄り、唯を確かめた。
律「これ…お前の血じゃないよな?どこも怪我してないよな!?」
唯「う、うん…たぶん平気…」
唯は今起こった出来事が理解できず、ただ茫然としている。
唯に“プレゼント”を渡そうとした男は、回転式拳銃を握りしめたまま、ステージの前で死んでいる。
律「こいつ、唯を撃とうとした…?」
その時、バン!と勢いよくレストランの入り口が開き、3人の男たちがなだれ込んできた。
みな円形のマガジンの付いたマシンガンを構え、唯を取り囲む。
唯「えっ?え!?」
男A「大丈夫、無傷だ!」
男B「すぐに連れていくんだ」
男の一人が唯に手をかざした。
唯「え、ちょ!うわ!」
唯はギターを落として独りでに宙に浮きあがり、じたばたする。
律「おい、唯!」
そして男たちの元へ引き寄せられ、捕まえられた。
律「おいやめろ!なにすんだ!?」
律が男たちに掴みかかろうとする。
律「お前らなんなんだよ!?」
唯「うぐっ、やだぁ!りっちゃん、助けてぇ!」
澪「唯!」
紬「どうなってるの!?」
律「このやろ!」
男C「邪魔だ!」
律は男に掴みかかったが、振り払われ床に叩きつけられた。
律「がぁ!痛っ!」
紬「りっちゃん!」
唯「うわぁぁあん!たすけて!放して!」
レストランはパニック状態で、客たちはみな悲鳴をあげて逃げ惑っている。
男たちは走りだし、唯を連れてレストランを出た。
澪「唯!!」
梓「唯先輩!!」
私と梓もそれを追ってレストランを出る。
澪「はぁ…はぁ!!」ダッ
唯「嫌ぁぁ!放してよ!」
男たちは唯を取り囲むようにして廊下を逃げていく。
梓「はぁ、はぁ!唯先輩!」
男たちのスピードは速く、私たちでは追い付けずどんどん遠ざかっていく。
フゥッ!
次の瞬間、男たちがなにか手を掲げたと思ったら、空間が揺らいで唯ごと全員、どこかへ瞬間移動したように消え去ってしまった。
澪「え!?」
勢い余って空間が揺らいだ場所を通り過ぎ、急いで立ち止まる。
澪「消えた!?」
梓「え?え!?」
男たちが消えた場所には何もなく、ただ空中に塵のようなものが舞っている。
澪「どこへ行ったんだ!?」
梓「突然…消えた!?」
澪「あぁ、一瞬で……はぁ…はぁ…」
梓「んっ…はぁ…唯先輩…唯先輩…」
澪「唯…唯ぃぃぃ!!」
梓「唯せんぱぁぁい!!」
唯の姿はどこにも無く、ガラス張りの渡り廊下に私たちの声がむなしく響き渡るだけだった。
・・・
澪「………」
梓「………」
律「………」
紬「………」
律「……っ…いつつつ…」
紬「我慢してね」
ムギが律の怪我を治療している。
梓「唯先輩が…唯先輩が…」
まさに一瞬のできごとであった。
仮面の男が近づいてきて唯の頭に拳銃を突きつけたと思ったら、その仮面男は他の誰かに射殺され、次は別の男たちが押し入ってきて、唯を誘拐した。
梓「うっうぅぅ…うぅ…グスン」
澪「………」
私たちはあたりをくまなく探し、ラプチャーの自警団にも届け出たが、結局唯は見つからなかった。
梓「唯先輩……」
・・・
・・・
・・・
ゴツン
梓「ん…?」
何か柔らかい物が私にぶつかった。
私はアイマスクを外して横の席を確認する。
梓「ん…唯先輩?」
飛行機内で睡眠中に、唯先輩が私の方へ寄りかかってきたみたいだ。
梓「よいしょっと…」
私は寝ている唯先輩を窓際の方へ押し込んだ。
梓「ん?」
唯先輩の机にメモ帳が置いてある。
梓「何か書いてたのかな?」
梓「なにこれ…ワールドワイド…?」
唯「ん…え!?わぁ!」
梓「え!?」
バタン!
唯「………」
梓「………」
他の乗客も寝ている中で大きな音を出してしまい、私と唯先輩はしばし沈黙する。
唯「………」
梓「………」
唯「あずにゃん、なんか見た?」
梓「え、あ…いえ…」
唯「………」
唯「そっか」
唯先輩はパタムとメモ帳を閉じて言った。
梓「あ、えぇと…」
唯「本当に見てない…?」
梓「み、見てませんってば!」
唯先輩がいつにも無く真剣な眼差しでこちらを睨んでくる。
唯「………」
梓「ぇ……」
唯「さっき、私のノート手に取ってたよね?」
梓「あ、その…」
唯「見たんだ…」
梓「あうぅ……ご、ごめんなさい…」
唯「………」
唯先輩はそっぽ向いて再び眠りにつこうとする。
梓「あ、あの…なに書いてたんですか?」
唯「別に…」
唯「………」
梓「………」
・・・
・・・
・・・
律「はあ……」
1958年12月12日金曜日
唯が何者かに誘拐されてからまる二日…私たちは仕事を休んで、一日中唯を探して街を歩きまわり、聞き込みや張り紙までした。
けど、なにも手掛かりは掴めず五里霧中の状態で、私たちはこのラプチャーにたどり着いて以来の窮地に立たされていた。
律「ただいま…」
アルカディア地区での張り紙を終えて、私は住居へ戻る。
澪「………」
梓「………」
紬「………」
みんな食事を用意して私を待っていてくれたみたいだ。
というか、唯が連れ去れた事と、ラプチャーじゅうを必死に探し回った疲労からくるストレスで食欲を失い、なにも食べたくなかったのであろう。
私は完全に静まり返った食卓につき、スプーンを手に取る。
律「じゃあ、いただきます…」
私は冷めかけたオートミールを頬張った。
今は何も感じない…どんな美味しい料理を食べても、どんなに素晴らしい音楽を聴いても、何の感銘を受けないだろう。
澪「いただきます」
私が食べ始めるとそれに続いてみんなも夕食を食べ始める。
いつもは私や唯が、ここで話題を振ってお喋りに花を咲かせるはずなのだが…。
部屋は静まり返り、食器のカチャカチャという音だけが響き渡っていた。
律「あ、あのさ…」
私が何か話題を振ろうとみんなに声をかけた。
澪「………」
梓「………」
紬「………」
律「………」
律「ぃや…なんでもないや」
・・・
私たちは食事を終え、後片付けを始める。
律「ほら、澪」
澪「あ、すまない」
みんな最小限の言葉でしか会話せず、淡々と作業をこなしている。
片づけを終え、再びみんな卓につく。
澪「私、今日は寝るよ」
梓「私も寝ます…疲れました」
律「あ、あぁ…ゆっくり休め」
澪と梓は就寝の準備のため風呂場へ行った。
紬「………」
律「………」
紬「ちょっとお外で涼んでくる」
律「え…?」
ムギはそう言って部屋を出て行った。
律「お外で涼んでくるって…」
・・・
・・・
・・・
紬「素敵よね。約束のために、たった一つの物のために奮闘するなんて」
澪「私はあのオチ結構好きだったよ」
澪「ムギも映画とかよく見るんだな」
紬「たまにね。小さい頃は執事の斉藤がレンタルしてきた古い映画なんかを一緒にたくさん見てたわ」
澪「へ〜結構遊んでくれたんだ、斉藤さん」
紬「そうね。映画の他にも将棋とか色々教えてくれたわ」
澪「ふ〜ん」
澪「………」
紬「………」
紬「ねぇ澪ちゃん」
澪「ん?」
紬「席、代わらない?」
澪「私が窓際に?なんで?」
紬「えぇと…その…」
紬「ううん、やっぱりいい」
澪「え…?」
澪「別に代わってもいいよ?」
紬「大丈夫」
澪「そ、そう…」
紬「澪ちゃんはりっちゃんとはいつから友達なんだっけ?」
澪「ええと、小学校くらいかなぁ」
澪「作文を全校集会で発表しなきゃいけなくなった時とか、いじめっ子にいじめられてた時とか」
澪「何故かいつも律が助けてくれて…いつのまにか、一緒にいるようになってた」
紬「そうなんだ。やさしいのねりっちゃん」
澪「まぁ、でも…律は律で色々困ったところがあるんだけどね」
紬「そう?」
澪「そうだよ。いつも何かにつけて私をからかってくるし」
澪「私が怖いのダメだってわかってて変な映画とか一緒に見ようとか言い出すし」
紬「ふふふ、楽しそうじゃない」
その場の流れでなんとなく言ったのであろうムギの言葉に、澪はすこしイラっとした。
澪「他人事みたいに…」
澪「ムギは律の事全然知らないからそんな事言えるんだよ」
紬「………」
澪「ぁ…」
ムギは下を向いて黙り込んでしまった。
澪「ぁ…ムギ、なんかごめん」
紬「……いいの」
そう言ってムギは窓の外を見た。
律「あ〜すっきりしたー」
律「ん…?」
これからロンドンへ旅行だというのに、澪とムギはお葬式みたいに黙り込んでいる。
律「………」
律「ほらっ、ヒゲッ!」
紬「………」
澪「………」
律「ぅ…なんだよ…お前ら、喧嘩でもしたのか」
澪「いや、別に」
紬「………」
律「そ、そう…」
律(感じ悪っ…)
・・・
・・・
・・・
律「お外で涼んでくるって、どこ行ったんだよムギ…」
不安になってムギの後を追ったが、どこにも姿は無い。
もう時間も遅く、通りには誰もいない。
律「うーん」
唯は何者かに誘拐されたが、その直前は銃を突きつけられて殺される寸前だった。
銃口を向けられたのは唯だが、それは私たちにも向いていたかもしれない。
私たちは命を狙われる覚えなんてないが、実際にそれはあった事なのだ。
律「危ないからあんまり一人でうろうろすんなよなぁ…」
ムギの仕事先のダイナー、マーメイド・ラウンジの前に来た。
律「閉まってるよな」
看板の明かりは付いていない。
律「ん?」
しかし中からピアノの音がする。
律「ムギか?」
入口の扉は開いており、私は店内に入った。
ガラ…
律「………!」
律「ここにいたのか、ムギ」
ムギは店の中央にあるピアノを弾いていた。
紬「りっちゃん」
律「いいのかよ、勝手にあがりこんで」
私はそう言いながら近くのボックス席にドサッと座り込む。
紬「さぁ?」
ムギは少しくだけた表情をして答えた。
律「はぁ…」
紬「りっちゃん、来て」
律「え?」
紬「となり」
ムギはそう言うと、椅子の端に詰めて私を呼んだ。
律「ん…あぁ」
律「よっこらしょ」
椅子は狭く、私たち二人でぎりぎり座れるくらいだ。
お互いの肩が触れ合い、なんだかちょっと恥ずかしい。
紬「ふふ…りっちゃん、よっこらしょなんて言っちゃだめ」
律「え、あぁ…ごめん」
紬「ふふふ」
ムギは落ち着いた感じで笑っているものの、悲しげな表情は隠しきれていない。
律「ムギ…」
少し悲しげな曲が終わり、店の中は静まり返る。
ピアノの近くにある水槽の中を熱帯魚が悠々と泳いでいる。
紬「りっちゃん…見て」
そういってムギは再びピアノを弾き出した。
細くて綺麗な手をゆっくり鍵盤に添えて、優しく叩き出す。
とても楽しげだけど、哀愁に満ちていて、胸が締め付けられそうなワルツが店内に響く。
幸せの絶頂にいるのに、心のどこかでその幸せが終わることを恐れている…そんな感覚に駆られるメロディだった。
紬「ほら」
律「あ、おぉ…!」
水槽の熱帯魚が音楽に合わせて踊っているかのように元気よく泳いでいた。
オレンジ色の熱帯魚たちは曲に合わせて水槽の中を行ったり来たりして、フレーズの後にある心地よいパッセージに合わせ、水槽の中を素早く動き回る。
律「あはは」
まるで小さなダンスパーティだ。
紬「餌をあげる時にピアノを弾いてるとこうやって踊り出すようになったの」
律「すげー」
紬「りっちゃん、餌あげてくれる?」
ムギは水槽の横にあった小さなエビのような生き物が詰まった瓶を見た。
律「あぁ、いいぜ」
私は水槽にぱらぱらと餌をまく。
熱帯魚たちが集まり、元気に餌を食べている。
そのくらいでいいとムギに言われ、私は再びムギの横に座った。
紬「ありがとりっちゃん」
律「おう」
私たちは互いに目を合わせて微笑んだ。
曲が終わり、再び店内に静寂が訪れる。
紬「ふぅ」
律「今の曲、なんて名前なの?ムギのオリジナル?」
紬「私の曲じゃないわ。昔見た映画の曲」
律「へぇ〜」
紬「豪華客船の中で生まれて、一度もその船から降りたことのないピアニストの物語」
紬「映画の主人公がはじめてそのピアニストに出会うシーンの曲なの」
私は静かに相槌をうち、ムギの話に耳を傾ける。
紬「私、小さい頃は習い事のピアノが大嫌いで、よく練習をサボったりしてたの」
紬「でも、映画で見たそのシーンがとっても素敵で、何度も何度も繰り返し見て…元気づけられた」
紬「それでピアノを頑張ろうと思ったの」
律「そうなんだ」
紬「そのおかげで、りっちゃん達に出会えた」
紬「放課後ティータイムのみんなと一緒に、演奏する事ができた」
律「…うん!」
紬「………」
私は笑顔で応えたが、ムギは少しするとうつむいて泣き出した。
紬「っ…ぅぅ…グスン…」
律「ムギ…」
紬「私たち、どうなるの…?」
紬「ぅぅぅぅ…グスッ…」
律「ん………」
私も泣き出してしまいたくなったが、泣いているムギを見ると放っておけず、うずくまるムギの頭を優しく抱きしめた。
紬「っ!ぅぅ…りっちゃん…グスン」
律「わからない、わからないけど…」
ムギは私を抱きしめ返し、私の顔を見上げる。
紬「りっちゃん…やさしいのね」
そういってムギは私の胸の中にうずくまり、鼻をスンスン鳴らして私の匂いを嗅いだ。
律「あ、悪い。汗臭かったかな?まだ風呂入ってないし…」
紬「ううん…りっちゃんとってもいい匂い…」
律「え…あ、あはは?」
紬「りっちゃん…私…」
ムギの声が心なしかだんだん甘く、切ない声になってきた。
律「む、ムギ…?」
ムギは私の胸から首筋を沿うようにして顔を近づけ、私をさらに強く抱きしめてきた。
紬「りっちゃん…わたしもう……我慢できない」
律「え、ちょ!?ムギ!?」
ムギは私をピアノの椅子に押し倒し、両手で私の頬を押さえてキスをした。
律「んん!?!?!?」
私は驚いたが、ムギに覆いかぶされて身動きができない。
紬「ん…ちゅ…はぁっ!はぁ…はぁ…」
律「むむむむ…むぎ!なにを…!?」
紬「りっちゃん、とってもかわいいわ…」
ムギの頬は真っ赤になっていて、髪の毛も乱れ、とても切なそうな顔をしている。
私は言葉を失って、ひたすらムギの顔を見つめる。
紬「りっちゃん…大好き。愛してるわ…」
そしてムギはまた私に吸い付くように、ディープなキスをした。
律「んん…んん…」
紬「んっちゅ…はぁ…はぁ…」
紬「あっ…」
ムギが私の顔を見て、我に返ったように表情を変えた。
律「ぅ…ぅぅぅ……」
私は涙を流して泣いていた。
律「むぎ、やめてくれ…グスン」ポロポロ
紬「!…りっちゃん…あ、その…」
律「う…うぅ…」
私はムギを振り払ってなんとか立ち上がり、自分の髪と服を整えなおした。
律「はぁ…!はぁ…!」
心臓が破裂しそうだ…。
紬「りっちゃん…ごめんなさい!」
律「くっ…」
私はムギの顔を直視できず、後ろを向く。
自分の胸ぐらを掴み、なんとか呼吸を整えようとした。
紬「りっちゃん…ごめんなさい…私…私!」
律「むむ…むぎ…!」
私は突然の出来事に驚き、どうしていいのか全くわからなかった。
紬「りっちゃん…許して!」
律「うっ…」
泣きながら詰め寄ってくるムギに、思わず後ずさりしてしまう。
紬「りっちゃん!お願い…キライにならないで!」
恐怖とはまた違うが、私はこの場にいることに耐えきれなかった。
律「ムギ……ごご…ゴメン!」
私は店を飛び出して、自宅に走って行った。
店を出るとき、ムギが必死に私の名前を叫んでいた気がする。
律「はぁっ…はぁっ!」
澪「あっ、律!どこ行ってたんだ!?」
玄関の前に澪が立っていた。
澪「心配してたんたぞ!?気がついたら律とムギがいないから」
律「うぅ…澪…ごめん」
私は泣いているのを隠して、なんとか平静を装った。
澪「ムギはどうしたんだ?」
律「ムギは…ムギは…」
私はムギを置いてきてしまった事を思い出し、我に返った。
澪「一緒にいたのか!?」
律「戻らないと…」
・・・
律「ムギ!?」
すぐに私と澪はマーメイド・ラウンジに戻ったが、そこにムギの姿は無かった。
澪「律…どういう事だよ!?ムギはどこ行ったんだ!?」
律「ぁ…あぁぁ…」
私は床に膝をつき、激しく後悔した。
ムギは唯がさらわれた事でストレスがいっぱいになり、それまで秘めていた思いが爆発して私にすがってきた。
なんとか元気に振る舞おうとしていたようだが…恐怖でいっぱいだったんだろう。
そんなムギを、私は突き放して、受け入れる事を拒んでしまった。
律「ムギ…ムギぃ…!」
ピアノは閉じられ、椅子もキチンとしまわれ、店にはもう誰もいない。
水槽の中を泳ぐ熱帯魚だけが、私を慰めるようにこちらを向いて口をパクパクさせていた。
■ 第五章 「 The most lasting love is unrequited love 」 終 ■
取り敢えず乙。
いよいよ「日常」が崩壊してきたな。
もう一つ質問。
差し支え無ければ過去作を教えて頂きたい。
>>123
以前に書いた物で、このSS速報に投下したのは
澪「趣味は麻雀とラーメンです」
澪「ラーメンと後輩」
の二つですね。
SS自体、今年に入ってから書き始めました。
今のところ、けいおんでしか書いてません。
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