澪「グレイッシュ・ガール」 (60)
けいおん
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1431420691
【純白の夜】
唯「澪ちゃん……」
澪「うん……」
唯「……愛してるよ」
澪「……知ってる。わかってるから」
唯「ありがと……じゃあ、するよ?」
澪「ん、うん……っ」
――その夜、私と唯は心だけでなく身体でも結ばれた。
まだ20年も生きてない身だけど、少なくともそれまでの何よりも幸せな時間だったと、心から思った。
【秋の朝】
晶「――こらー、唯ー! 起きろぉおー!!」バァァァン
唯「わああっ!?」
澪「うわああ!?」
……そんな幸せな時間からの目覚めは、慣れたとはいえまだ寝起きに聴くには恐ろしい声によるものだった。
晶「……えっ、なんで澪もいるんだ? 唯の部屋だよなここ」
澪「え、あ、えーっと、わ、私は今日は午前中は講義ないから……」
晶「ああ、幸もそう言ってたけど……それでなんで唯の部屋に? お前らが集まるときって大体澪の部屋だよな?」
はいその通りでございますよくご存知で!
……実際、皆で集まる時は私の部屋、唯と二人きりで会う時は唯の部屋…と、私と唯はそう使い分けてきた。
そして、今日までは唯の部屋で夜を越すことはなかった。つまり晶と万が一にも鉢合わせする要素は無かったんだ。
今日という日までは……
澪「え、えーと、唯に勉強教えてて、うん。そう」
晶「ふーん? 私に唯の世話を押し付けたくせに?」
澪「そ、それは学部が一緒だからで! だからこそ、こうして何も無い日には学部に関係ないところは私が教えておこうと、な?」
晶「ふーん…? まあ、助かるけど」
ご、誤魔化せたかな?
唯と一緒に寝てたのは怪しまれても仕方ないけど、よくある「裸で一緒に寝てた」みたいな致命的ミスだけは犯してないから大丈夫…なはず!
……今が夏だったらやらかしてた可能性高いけど。その、………か、身体を重ねることがこんなに疲れることだったなんて知らなかったし。
夜がそこそこ冷える今の季節じゃなけりゃ、間違いなくそのまま寝てたよな……
晶「どうだ唯、私と澪のどっちが教え方上手い?」
唯「え、えーっと、ど、どっちも…?」
晶「そうかそうか。まあ得意ジャンルはそれぞれ違うだろうしな」
唯「そ、そうだねーそうだよねー」
晶「夜の保健体育は澪先生のほうがお上手ってとこか」
唯「そうだねぇ……って、あっ」
澪「ちょっ唯いぃぃぃぃぃぃい!?!?」
晶「あ、やっぱり?」
澪「誤魔化せてなかった!? うわぁぁぁぁあ!!!」
は、恥ずかしい!
やめて!そんな目で私を見ないで!!!
晶「き、気にするな澪、確信はなかったし。それに深く聞いたり言いふらしたりするつもりもないからさ」
澪「ほ、本当…?」ウルウル
晶「かわいいなお前」
澪「え?」
唯「だ、ダメだよ晶ちゃん! 澪ちゃんは私と添い遂げるんだから!」
晶「妙に凝った言い方するなよ……」
澪「添い遂げ…///」
晶「乙女かっ!ご馳走様だよチクショウ! っていうかよくわからんけどそういうことした後ならシャワー浴びてこい唯!遅刻するぞ!」
唯「ひゃいっ!!!」
唯が適当に着替えを引っ掴んで浴場へと駆け出す。
よって、唯の部屋なのに晶と二人きりという妙な空間が出来上がった。
とりあえず、今のうちにこれだけは言っておきたい……主に私のために。
澪「あの、晶、図々しいお願いかもしれないけど、他の皆には黙ってて欲しいんだ……」
晶「ん? ああ、大丈夫、言わないっての」
澪「あ、ありがとう!」
晶「お前らは人の過去を面白おかしく掘り返してくれたけどな……」
澪「ご、ごめん! そ、その、好きな人がいる身としても興味があって、つい……」
晶「……まあいいよ、澪はあの場で一番マトモだったし。それに、先輩に断られた時、慰めてくれたのも怒ってくれたのもお前らだったし、さ」
澪「……あ、晶はまだ諦めてないんだよな? 応援するから!」
晶「おぅおぅ、一夜を共にした経験者ゆえの上から目線ですかァア?」ギロリ
澪「ち、違う! 本心だよ本心!」ガクブル
晶「ジョーダンだよジョーダン。ありがとな」
澪「う、うん……」
晶「とりあえず澪、応援するならその綺麗で長い髪を全部くれ」
澪「やっぱり怒ってる!?」
晶「ジョーダンジョーダン」ケラケラ
澪「………」
目が本気だったぞ、とは言わなかった。っていうか晶のボケとかギャグとかあまり聞かないからノリがよくわからない……
そういえば晶ってなんかツッコミってイメージだな、と思ったけど、単に唯に振り回されてるだけか。
でもそう考えると、唯に振り回されてる者同士としていろいろ話せることはあるのかもしれないな。いつかもっと深い話をしてみるのもいいのかも。
晶「で、話は戻るが、誰に黙ってりゃいいんだ? 逆に言えばお前らの関係は誰なら知ってるんだ?」
澪「えっ、皆に黙っててほしいんだけど……」
晶「皆って…律にもか? 幼馴染なんだろ、恋愛相談の一つくらいしなかったのか?」
澪「……恥ずかしくて……」
晶「………」
なんかすごい呆れられた目で見られた。
本当はそれだけの理由じゃないけど、でも半々くらいなのでその視線に対して何も返せません。
晶「もしかして、皆に黙ってて欲しいって理由も?」
澪「……付き合いの長い律にさえ言えないのに……」
晶「それもそうだが、だからってお前………いや、お前らしいといえばそうなのかもな」
澪「まだ出会って一年も経ってない相手にそう言われるなんて……」
晶「唯からいろいろ聞かされてるからな、お前の武勇伝。……講義中に」
澪「二重に唯を叱っておく理由が出来た」
晶「いきなりケンカ別れとかやめてくれよ?」
澪「別れるもんか!!好きだから!!!」
晶「あっコイツめんどくさそう」
澪「えっ、唯にもそう思われてるかなあ…?」ウルウル
晶「い、いや、そんなことないぞ! 唯の話も今思えば惚気みたいだったしな!」
澪「そ、そうかな? ありがとう晶!」パアッ
晶「ハハハ……気にするな……」
入学式でも軽音部でも晶とは(唯絡みで)いろいろあったけど、今となってはいい友達を持ったと思う。
……晶の唇が「めんどくせぇ」の形に動いたような気がしたのは気のせいだ。
唯「ただいま戻りました!」ガチャ
晶「時間は…ギリギリか? 急ぐぞ唯!」
唯「うん! じゃあね澪ちゃん、またあとで!」
澪「あ、ああ。また後で」
晶「澪。黙っといてやる代わりに、今度馴れ初めとか聞かせろよ?」
澪「ええっ!?」
晶「ハハ、じゃあな!」
澪「あっ、あ、ありがとうな、晶!」
私の言葉に対し、晶は口角を吊り上げるだけの爽やかな笑みで応え、ドアを閉めて去っていった。
内面はともかくとして晶の外見は怖いばかりだと思っていたけど、こういうことするとカッコよく見えるんだな。新発見だ。
澪「……っと、一人で唯の部屋にいても仕方ないか」
一人。
そう口にしてしまうと、妙な寂しさが胸の内からこみ上げてきた。
かといって昨夜のことを思い出すのもそれはそれで妙なキモチになるので早々に部屋を出るとしよう。
誰にも見つからないように出て、私もシャワーでも浴びて、お昼過ぎたら講義だ。
うん、いつもの毎日だ。少なくとも、唯と一緒にいない間は。
【あの子の事とあの子の事】
――晶に取引として馴れ初めの話とかを聞かせろと言われたものの、実は私と晶が二人きりになることはほとんどない。学部の同じ唯と晶なら結構あるだろうけど。
ちなみに先日のことで唯を一応叱ってはおいた。どれだけ効くかはわからないが。
でも仮に効いてなくて唯が口を滑らせても晶が気を配ってくれるんじゃないか、とも思う。晶は見た目は怖いけどいいやつだから。見た目は怖いけど。
私でさえわかっているそれを、もっと知っているのが付き合いの長い菖と幸。講義中以外、晶の周りには常にあの二人がいる。
まあ、私の周りにもありがたいことにいつも3人いてくれるんだけど。だからこそ、晶と二人きりになることはほとんどない。
よって、話はあまり進まない。
話は少し変わるけど、いつも周囲に誰かがいるという意味では唯の右に出るものはいない。
律ならいい勝負が出来そうだけど、それでも僅かに及びそうに無いと私は思う。
律が劣っているという意味ではない。律のコミュニケーション能力はなんだかんだで私も評価している。でも、それでも届かない気がするんだ。
なんというか、一言で言ってしまえば、唯の愛され方は人間のそれとは一線を画しているとさえ思う。
いや、唯という人物の内面、人間性が、良い意味で『普通の人間』らしくないのかもしれない。
人によっては放っておけなく映るのかもしれない。人によっては物珍しく映るのかもしれない。
人によっては面白可笑しい奴と映るのかもしれない。人によっては性的に映るのかもしれない。
私にとっては……考えはわかりやすい奴のはずなのに、何故か捕まえられない、捉えきれない。
そんな奴だった。
ふわふわだった。
想いを伝えるまでは。
【数日後/いつもの毎日】
香奈「澪ちゃん! 例のブツ、持ってきてくれた?」
澪「あ、はい…一応」
菖「えっ、何を密輸してるの澪ちゃん?」
澪「大したものじゃないよ…」
そう言いつつ、その『例のブツ』を広げて部長に見せる。
本当に大したものじゃない。学祭の時に私達が着た、唯がさわ子先生と結託して作り上げたTシャツだ。
香奈「大したものじゃないですって!? 澪ちゃんにはわからないの!? このTシャツの素晴らしさが!!」
澪「え、えっと…?」
菖「かわいくていいなぁとは思うけど」
香奈「菖ちゃんもわかってないわね! このTシャツの!Tシャツの!えっと、この……手触り!たぶんなんかいい生地使ってる!!」
澪「………」
菖「……部長、制服好きキャラのわりに雑ですね」
千代「ほら、香奈はほとんど制服専門で、尚且つ収集家寄りだから」
言って、廣瀬先輩がこっそり私に目配せする。軽く流して欲しい、ってことだろう。
合宿の件などがあって部長の制服好きは唯にまで知られるような事態になってしまっているけど、それでも根っこの真相を知っているのは私だけだ。
変にバレてしまってもよくないと思うし、協力しよう。……部長に脅されている身でもあるし。
澪「な、なるほど、制服以外の服とか、ましてや作ったりとかは専門外ってことですね!」
菖「澪ちゃんもそこまで服に詳しくないもんね?」
澪「う、うるさいな」
香奈「作ってみたいとは思うんだけどねー。そういえばこのTシャツ、誰が作ったの? ムギちゃん?」
澪「えっと、高校時代の先生です」
香奈「家庭科の?」
澪「いえ、音楽の……」
香奈「おんがく…?」
澪「……軽音楽部の顧問だった人です。あと合唱部も」
香奈「……なんで服作れるの?」
澪「さ、さあ……?」
今更だけど、実に今更だけど、なんでだろう。
裁縫できる・簡単な服を作れる、くらいなら大人だからでいいけど……以前見せてもらった衣装の数々(軽音部負の遺産)の懲り様・出来栄えと言ったら……大人だからの一言では済ませられない気がする。
香奈「しかもこんなに丁寧に!可愛く! まさに匠の技!」
菖「あ、ホントだ、いい生地使ってる~。作りもしっかりしてるし」サワサワ
千代「いい先生だったんだね」
澪「えっと……そう、ですね。それは確かです」
先生としては良い所もたくさん見せてくれた。生徒に好かれるいい先生だったのは確かだ。
それを帳消しにしそうなほどダメな面も見てきたしいろいろされたけど……でも、私達にとって一番近くの『大人の理解者』だったように思う。
あの先生と過ごした高校時代のことは、きっと一生忘れない。
……いや、うん、忘れたいこともたくさんあるけど……とってもたくさんあるけど……
香奈「……弟子入りしようかな」
千代「今から進路変える?」
香奈「そういうわけにもいかないよねぇ……はあ、あな口惜しや……」
千代「………」
菖「………」
……さわ子先生、あなたは一人の学生の進路を狂わせかけましたよ、今。
【あの頃のこと】
――晶に聞かれた時の為に整理しておこうと思う。
まず、実は私が唯と恋人関係になったのは高校二年の時だ。
一年間一緒にいて、私は自分の気持ちが恋心だと確信を持った。そして2年時に告白した。
こんな性格の私にしては勇気を出したほうだと思う。
……なんて、過去の自分を美化してもしょうがない。
あの時の私は、一人だけクラスが別れてしまったことと、梓という可愛らしい新入部員の存在によって一人で勝手に追い詰められ、焦っていた。
クラス分けについては和がいたんだけど、当時の私にとっては何よりも軽音部の中で私だけが唯と離れてしまったことが大きかったのかもしれない。和の存在がとても大きな助けだったと気付くのはもう少し後のことだ。
梓については、まあ、よくある『唯を取られないか』という嫉妬だ。唯がかわいがっていたから。こちらもすぐ後に梓という人物が皆から愛される可愛らしさとひたむきさを持っているだけだと気付かされるのだけど。
とにかく当時、周囲がまるで見えていなかった私は焦り、混乱し、悩みながら告白の言葉を唯に告げた。
……確か、「宇宙で一番唯が好き」とか言った気がする。うん、コメントは止めてくれ。何も言わないでくれ。
でも、唯はその言葉にとても瞳を輝かせ、涙を流してくれた。要するに感動してくれた。思いっきり抱きついてくれた。だから結果的には良かったんだ、と思いたい。
ただ、その後もいろいろあって、夢の中の恋愛と現実の恋愛は良くも悪くもまるで違うんだということも私は知った。
まず、前述の告白の流れで一つ。告白された側が「私も好きだったの!」なんて答えることは稀なケースだということ。
後に聞いてみてわかったんだけど、唯は恋愛というものをしたことがなく、故に恋愛感情というものを知ってこそいたものの身をもって理解してはいなかった。皆を好きだった。
でも私に告白されて、唯曰く「嬉しくて、胸がウズウズして、何がなんだかわからなくなって、とにかく澪ちゃんを逃がしたくなかった」という気持ちが芽生えたらしい(狩人かお前は)。
私だって女の子だ、ずっと前から両想いだった、という恋愛に憧れを持っていた。でもこの場合に限っては、相手が唯だからそこまでショックでもなかった。
あんなに天然な唯なら恋愛感情というものをわかってなくてもあまり不思議じゃなさそうだし、逆にそんな唯に初めての恋愛感情を芽生えさせたのが私だと考えれば誇らしくもある。
一番悪い考え方をあえてしてみて、恋愛感情をわかっていない唯が、告白を受けて反射的に相手を好きになっただけ――いわゆる『刷り込み』のような現象――だとしても、だ。それは逆に、私が唯に愛される権利を持つ証明にしかならない。
仮に『告白してきた秋山澪』を唯が好きになったのだとしても、それだって他ならぬ『私』だ。私がそれを一番わかってるし、一番信じてるから、そこは揺らがない。
それが、当時一晩悩んで出した私の結論だった。
【数日後/ネットの海にて】
晶『マジで? 結構前から付き合ってたんだな』
澪『一応、今が3年目になるかな』
結局、「二人きりで会う時なんてまず無ぇじゃんか!」という晶の意見により、パソコンのチャットソフトを使って会話することになった。
現状、友達との会話は会って話すかメールで事足りるからこういうのはあまり詳しくない。ので、晶に言われるがまま『この為だけに作る適当なプロフィールの捨てアカウント』を作って会話している。
通話もできるらしいが電話番号のところは空白にしてあるし、メールアドレスもデタラメ。登録情報だけ見れば職業さえ不明な30歳男性同士が恋バナをしている光景、となる。
あっ、違う、晶のやつは職業『ホスト』ってなってた。そこはバンドマンじゃないのか!? っていうか30歳のホストってどうなんだ!? セーフなのか!?
晶『にしても全然気づかなかったな。お前らみんな仲いいし』
澪『まあ、あまり二人きりの時間とか取ってたわけでもないしな』
律やムギにもバレてないはずだから、付き合いの浅い晶達にバレないのはむしろ当然と言える。
ちなみに、バレてないのは徹底的に隠そうとしていたから……ではない。
晶には言わないでくれと頼んだけど、唯には頼んでいない。唯が明かしたいと言い出したら明かすつもりだった。もちろん恥ずかしくはあるけど、それが唯の望みならそうするつもりだった。
もし唯がベタベタしてきた結果、皆にバレる……ということになっても唯を怒るつもりもなかった。だから唯の行動を制限するような真似はしなかったし、そもそも元からしたくもなかった。
要するに、私か唯の口から言うか、あるいは自然に感付かれるか。そのどれかなら構わないと思っていた。
でも唯は何も言わなかった。何も言わないし、付き合ったからといって過剰にベタベタしてくることもなく。むしろ片想いの時期の私のように、たまに赤い顔で私を見つめるくらい。
そう、その行動はまるで、『私自身』を見ているようだった。誰かから見た私自身を。
そんなわけだから、関係はなかなか進展しなかった。まあ正直、関係が進むということはいろいろと恥ずかしいことも多いだろうから私としては助かってたんだけど……
晶『うーん』
『余計なお世話かもしれないが、お前らそれで良かったのか?』
『あっ、良かったからこの前あんなことになってたんだな、スマン』
『本当に余計なお世話だった』
澪『いや、いいけど……「あんなこと」とかあまり言わないで……』
晶『おー、スマンスマン』
晶の言うとおり、なかなか進まずとも着実に進んではいたので、これでいいと思う。
それにしても不思議なもので、このソフトを使うのは初めてだけど意外と現実に顔を突き合わせているのと大差ない会話が出来ている。
まあ、私の周囲にいる人達はメールでも現実とあまり変わらないし(ムギが多少丁寧なくらい)、こういうものなのかもしれないな。
晶『でも本当に上手く隠してきてんだな。唯って隠し事なんて出来そうにないタイプだと思ってたが』
澪『私もそう思ってたよ、付き合うまでは』
【あの頃のあの子は今私の隣に居ます】
唯はわかりやすいやつのはずなのに、どこかふわふわしていて捉えどころのないやつ。
私はそう思っていた。
簡単に言えば、『自分に正直すぎで、それ故に時々私の理解や想像の上を行くやつ』だ、と。
そう思っていたんだ、想いを伝えるまでは。
今ではこう思う。
多分、ふわふわばかりの唯の中にもとても小さく細く、でも揺るがない一本線みたいなのがあって、私にはそれが見えていないだけなんだ、と。
私はその唯の周囲のふわふわが好きになったと同時に、その一本線に触れてみたくなったのかもしれない。
相手の深いところを、あるいは全部を知りたい、そんな感情も恋と呼べるなら。
そのあたりは例の、私の中の恋愛における夢と現実の違いの話にも繋がる。
想いが叶って両想いになって、二人の距離がグンと縮まって……その先で、まるで一心同体のごとく、お互いのすべてをわかりあっている二人になれるんだって、そう思ってた。
そんなことはなかった。
私は、いまだに唯の中心の一本線を見つけられていない。
正確には、ちょっとだけなら見つけてはいる。いや、唯が見せてくれた。新たに足された、その一本線の一部を。
「澪ちゃんのことが大好き。愛してる。宇宙で一番」
唯は何度もそう言ってくれた。唯がわかりやすいやつだと言う事を捨て置いても、その言葉と行動は疑いようがない『唯の中心』だった。
私がそう信じたいだけ? ううん、そうじゃない。
私に愛を語る唯の言葉とその時の行動は、私が痛いほど理解できるものだったから。私にも『見える』部分だったから。
私と唯はどこかが似ていて、どこかが正反対で、また別のどこかが似ていて、別のどこかが正反対で……そんな二人だった。
唯の『真ん中』の部分は、一体どっちなんだろう?
\\\\\\\\\\\\\\
【とある日の晶ちゃん】
ある日、晶ちゃんが珍しく赤い顔で私に尋ねてきた。
晶「な、なあ唯、ちょっと」
唯「ん? どうしたの?」
晶「ちょっとこっち…あんま人のいないとこで」
唯「?」
晶「あ、あのさ、おまえら……お前と澪はさ」
なんだろ。すごく珍しくすごく歯切れが悪い晶ちゃん。めずらしい。
晶「な、何回くらい『した』の?」
唯「ほえ? したって何を?」
晶「だ、だから、その……二人で愛を確かめ合うやつを」
唯「えっち?」
晶「そ、そうとも言う……」
唯「……んふふ」
晶「な、なんだよそのニヤニヤ笑いは」
唯「晶ちゃんもやっぱりそういうの気になるんだねぇ、お年頃だねぇ、華の現役女子大生だもんねぇ」
晶「相変わらずおっさんくせぇ……いいよ、お前に真面目に聞いた私がバカだった」
唯「ああん、冗談だってば」
晶「じゃあ言ってみろやぁ」
唯「実はこの前のが初めてなのです!」
言いながら、ちょっとだけドキドキしてた。
呆れられるんじゃないかとか。怒られるんじゃないかとか。
怒られるは言いすぎかもしれないけど、相手があの晶ちゃんだからねぇ……
とか思ってたけど、そんな反応は返ってこなかった。
晶「……やっぱり澪のやつが嫌がってたのか?」
返ってきたのは考えようによっては結構ひどい反応だった。
唯「ううん、私のせいもあるんだよ。そういう雰囲気に持っていく方法とかわからなかったし」
晶「意外だな、いつもベタベタひっついてくる奴が」
唯「いつものノリで流されるように『しちゃう』のって澪ちゃん怒りそうじゃない? っていうか、私がされる側でもちょっとなぁって思うし」
晶「お前に常識とかデリカシーとかの概念ってあったんだな……」
唯「ひどくない!?」
晶「あっはっは、悪い悪い。でもホッとしたよ、そのへんはちゃんとしてて」
唯「澪ちゃんを幸せにしないといけないからねー……」
晶「また惚気かよ、もういいよそういうのは。ほら行くぞ、引き留めて悪かったな」
唯「うん」
……ううん、半分くらいはノロケじゃないんだよ、晶ちゃん。
自分のことなら思うままにするけど、他の人のこととなると私でも慎重になっちゃうよ。
だから、澪ちゃんとの関係もなかなか進展しなかったんだよ。好きだっていう気持ちを、言葉にして、いつもみたいなくっつきの中で伝え続けることしかできなかったんだよ。
失敗しちゃうのが怖かったし、それに……本当に私でいいのかなって気持ちも、ずっとあったから。
私にとってラッキーだったのは、そんな私の臆病な一面を、理由は違うけど同じく臆病な面もある澪ちゃんはちゃんとわかってくれたこと。ちゃんとわかってるってことを勇気を出して伝えてくれたこと。
あと、晶ちゃんの恋愛絡みでいろいろ刺激を受けたのも大きいかな。だから私もやっと勇気を出せた。澪ちゃんに切り出せた。「今夜、しよう」って。
切り出すのは私の役目だって思ってたから、あっ、別にこのあたりは澪ちゃんと話し合ったわけじゃないんだけど、なんとなくキャラ的に?あと告白してくれたのも澪ちゃんだったし?
それに……できれば澪ちゃんに触って、確かめたかったし。まあこんな打算みたいな考え、してる最中にはすっぽり抜け落ちてたんだけどね。澪ちゃんのためにって必死だったから。
とにかく私から言いたいって思ってたから、晶ちゃんには感謝だね。晶ちゃんの行動に背中を押されたところもあるんだし、今度ちゃんとお礼を言わなくちゃ。
今度、ね。
\\\\\\\\\\\\\\
【とある日の私と幸】
唯も言っていたけど、大学のキャンパスはとにかく広い。
桜が丘高校も、校舎こそ一棟だけではあるものの敷地自体は結構広く取ってあった…と思う。他所の高校と比較したことがあるわけじゃないけど。
まあ桜が丘高校が他所と比較してどうだったかは置いておいて、ここN女子大は桜が丘高校と比較してはるかに広い。その面積の広大さに比例して教室も多いから最初のうちはとにかく迷った。
そしてついでに、面積が広大だからこそ、遠目に知った顔を見かけることがよくある。目が合ったなら手を振ったりするが、そうでなければわざわざ呼んだりするのも憚られる、そのくらいの距離で。
幸「あっ、あれ、唯ちゃんと晶だよね」
澪「うん。確か二人ともまだ講義あるって言ってたよな?」
幸「そうだね、移動中かな。私達はこれで終わりだけど」
澪「だな……」
「今は忙しそうだな。やめておこう。」
「唯とはまた部活の時に会うし、今じゃなくてもいいか。」
「……明日でもいいか。いつでも会えるんだし」
最近、私がよく使う言い訳はこのあたりだ。使うと言っても脳内でだけど。
何に対する言い訳かというと……その、今度唯と『する』時は私の方から誘おう、と考えているんだけど……それに対する言い訳だ。
何て言って誘えばいいかわからない、という言い訳だけは出来ない。唯もそうだったんだから。それはわかってる。わかってないといけない。
だからホントにタイミングだけのせいにして、勇気の出せない自分をごまかしている。
……うん、全部わかってるんだ。私が一歩踏み出せていないだけなんだって、ちゃんと自分でわかってる。
それでも……
幸「……澪ちゃん、顔赤いよ?」
澪「そ、そう? ちょっと昔の恥ずかしい話を思い出しちゃって」
幸「聞いていい話?」
澪「や、やめてくれると助かるかな……」
……やっぱり、想像すると恥ずかしい。
でも、やっぱりずっとウジウジしてるわけにもいかないよな。唯が勇気を出して言ってくれたのは、私にもちゃんと伝わってるんだから。
わかってるんだからこそ、私も行動しないと。じゃないと唯を悲しませてしまう。
唯を悲しませるために付き合ってるわけじゃない。それは確かなんだ。
でも……でも、やっぱり、恥ずかしいっ……! こんなんじゃダメなのにっ!
澪「……幸」
幸「何?」
澪「……今まで黙ってたけど、実は私、恥ずかしいのとか、すごくダメなんだっ……!」
幸「……うん、そんな気はしてたけど」
澪「何か、何かいい解決法とか知らないか!?」
幸「背を伸ばして注目されるのに慣れるとかどう?」
澪「………」
幸「………」
澪「……ごめん」
幸「冗談だよ?」
\\\\\\\\\\\\\\
【とある日のりっちゃん】
律「うっす、唯」
唯「やほー」
週末が近くなると、部室にはだいたいりっちゃんが一番乗りしてる。
週の頭のほうにまとめて講義を取ってるせいで、後の方になるとヒマだから、らしい。
そう聞いて最初のうちは羨ましかったんだけど、りっちゃんは結局レポートとかで毎回毎回澪ちゃんに迷惑かけてて、とうとうこの前「次からはあんなバカな取り方するな!」ってハッキリ言われちゃってた。
それを見て、私は次からも普通に取ろう、って思いました。しっかり下調べしてる澪ちゃんムギちゃんや、決断力のある晶ちゃんを参考にしてれば間違いないよね。
律「そういえば唯、晶から聞いたか?」
唯「今日は恩那組は来れないって話?」
律「それそれ」
唯「晶ちゃんがロザリーの部品を取りにいくから、とか言ってたけど」
律「あいつのギター、いろいろ細かいところ凝ってそうだからなー」
唯「ペグを決まった順番で回すと変形するとか?」
律「ばっか、それくらいジョーシキだろ」
唯「そうなの!? じゃあギー太も!?」
律「ギー太は……残念だが……せいぜい眼からビームが出るくらいだな……」
唯「そ、そんなぁ……ごめんねギー太、持ち主の私がふがいないばっかりに……」
律「………」
唯「………」
律「……ツッコミがいねぇ」
唯「ビームが出れば充分だよね……」
律「っていうか眼ってどこだよっての……」
唯「この前サングラスかけてあげた時の感じだとこのへんかな……」
律「お前、服だけじゃなくてグラサンまで……」
唯「晶ちゃんが持ってたからつい……」
律「晶か……ならしょうがないな……」
唯「だよね……」
律「ああ……」
唯「………」
律「………」
今日はどことなく空気が寒い気がするよ。
唯「もう冬かなぁ?」
律「どした急に。もう少ししたらじゃね?」
唯「冬といえばさー」
律「んあー?」
唯「りっちゃんって澪ちゃん怒らせちゃった時ってどうしてる?」
律「冬全然関係なくね?」
唯「澪ちゃんって氷属性っぽくない?」
律「でもお前のほうが手冷たいじゃん」
唯「………」
律「………」
唯「で、どうしてるの?」
律「無視かよ」
唯「で、どうしてるの?」
律「あー……何、なんか怒らせるようなことでもしたん?」
唯「してないけどさ、しちゃった時のために参考にしたくて」
正確には「してないと思う」だけど。
律「うーん……私から見れば澪はお前には結構気を遣ってると思うから、そもそもそんなに怒ることがないと思うけど」
唯「……私、気を遣われてるの?」
律「だって殴られてないじゃん」
唯「殴られてるのがまずりっちゃんだけだよ」
殴られたがってる人ならいたけど。
律「そうだっけ」
唯「そうだよ。その理屈だと澪ちゃんはスーパー気遣いガールマンになっちゃうよ」
律「よく考えたら唯も私と同じボケ体質なのに殴られないのは不公平だよな」
唯「ちっちっち、少しくらいの不公平は受け入れないとオトナになれないぜ、ボーイ」
律「でも唯って殴られるの好きだろ?」
唯「自分のことのはずなのに初耳だよ!?」
律「菖が言ってたぞ、唯はマゾっぽいって」
唯「えぇー……いつも殴られて喜んでるのはりっちゃんじゃん」
律「あれはほら、ボケとツッコミだから」
唯「でも喜んでるじゃん」
律「ツッコミの大事さはさっき思い知ったばかりだろ、私達」
唯「それもそうだね」
それにしても、マゾ、かぁ。
マゾってあれだよね、だいたいの意味しか知らないけど、する方じゃなくてされる方、ってことだよね。
だったらこの前は私じゃなくて澪ちゃんだったし。あ、もしかして澪ちゃん、される方は嫌だったのかな。
……澪ちゃんとはそういう話はしないから、よくわからないんだよね。でも確かに日頃ツッコミ係やってる澪ちゃんならする方が合ってるのかも?
……一回えっちしたくらいじゃ、まだまだわからないことだらけだね、澪ちゃんのこと。
でも、それを確かめようにも、どうすればいいのかわかんないんだ。
そういう話を切り出そうにも、そもそもそういう話自体、澪ちゃんは苦手そうな感じするし。苦手なら、私から聞けるわけないし。
えっち自体も、もしかしたら澪ちゃんは苦手かもしれないし。一度目は私達の関係が進展したってことで受け入れてくれても、次からはわからないし。
それに、澪ちゃんはあの夜、幸せだって言ってくれたけど……そうやって大きな意味を持つ『初めての夜』と同じくらいの幸せを、今また与えてあげられる自信はないから。
……どうすればいいのかなぁ。まったくわかんないや。
誰かに相談してみるべきなのかなぁ。こういうことを相談できる相手、一人しか知らないけど……
\\\\\\\\\\\\\\
【翌日/悩みと距離】
……今朝から、唯がちょっと暗い。
「唯のことならなんでもわかる」とまではまだ言えない私だけど、それでもずっと唯のことを見てきた身だし、これくらいはわかる。
一緒に朝ごはんを食べた時点から暗かった。昼間は生憎会えなかったからわからないけど、部活の時間になっても唯の調子は変わっていなかった。
あくまでちょっと暗いという程度で、いつものように元気な顔も見せるんだけど、そろそろ皆も気づいてるんじゃないかな。
唯はわかりやすいやつだから。
……ただ、特に私と話す時に元気が無いような気がするのは、さすがに気のせいであって欲しい……
『唯と何かあったのか?』
たった今届いた、晶からのメールだ。
『なんか唯ちゃん元気ないね。何か知らない?』
10分前に届いた、ムギからのメールだ。
『澪、なんか唯に避けられてね?』
15分前に届いた、律からのメールだ……
どうやら誰から見ても気のせいじゃないらしい。でも、どのメールにも何も返信できずにいた。何と返せばいいかわからずにいた。
私、何かしたかな……と考えるも、すぐに逆の発想に行き着く。
ずっと唯に何もしなかったのが、この結果なんじゃないかと。例の件を、悩むばかりで口にできなかった結果がこれなんじゃないかと。
つまり、唯に愛想を尽かされたのではないか、と。
ずっと一途に愛を囁いてくれた唯の気持ちを疑うという意味じゃない。
私が、愛想を尽かされても仕方ないくらいどうしようもなく不甲斐ない臆病者だということを、今、ようやく自覚したということ。
自覚し、ここまで追い詰められて、ようやく私は動いた。
悩む暇も怯える間もなかった。メールの返信も忘れ、今が部活中だということも頭から抜け落ちて、ただ焦り丸出しで唯に近寄った。
澪「唯っ! あの、あ、後で話があるんだけど!」
唯「……澪ちゃん。あ、あのね、私も後で話があるから……メールするね、場所とか」
澪「あ、う、うん……」
唯「練習、しよ?」
澪「……うん」
あっさりと全てを先送りにされ、その場には私のやり場のない焦りと、周囲の人達の戸惑いの視線だけが残った。
……今まで唯とのことを先送りにし続けてきた私が、それに対してどうこう言えるはずもなく。
ただ、隣でギターを奏でる唯が、とても遠くにいるような気がしてしょうがなかった。
◇
その夜。唯が指定してきた場所はカラオケボックスだった。
要は個室という環境が欲しかったのだろう。大学や寮のすぐ近くというわけでもないが、歩いて行ける距離だ。
ただ、そこまで一緒に行くのではなく、唯が先に部屋を取って待ってる、ということが私を不安にさせた。
もちろん一緒に行くとなればそれはそれで気まずい空気が流れることは間違いないのだけど、一人で向かうのもそれはそれで道すがら後ろ向きなことばかりを考えてしまう。
そもそも唯のほうから告げられる話、というものに心当たりがない。
別れ話以外には。
告白したのが私からだから、別れを告げるのは自分から……とでも考えて、唯は全てのお膳立てをしたのだろうか。
別れを告げられた私は、どんな行動に出るのだろうか。
悪いのは私の煮え切らなさなんだから、全てを黙って受け入れたい、と今は思っている。でもきっと、いざ告げられたら惨めに泣き付いたりするんだろう、私のことだから。
でも、出来ればその件で皆に心配や迷惑をかけたくはないな。
別れを告げられた後も、私が告白する前のような4人でいたい。そこに晶達や、来年には梓達も加えて、皆で楽しくやれたらいいな。
それが……きっと理想なんだろう、と思うばかり。
私の夢見てきた恋愛にも、読んできた物語にも、こんなシチュエーションは描かれていなかったから、何が正しいのかはわからない。
◇
……後ろ向きな思考の山に埋もれた私が、恐る恐る個室の扉を開いた先。
そこに座る神妙な顔をした唯が、同じように恐る恐る私に言い放った言葉は……
唯「……ごめん澪ちゃん! 憂達にバレちゃった!」
澪「……へ?」
唯「言いふらすつもりはなかったんだけど、「澪はそういうの嫌がるから」って晶ちゃんにも言われてたから、本当にそんなつもりはなかったんだけど、でも、昨日憂にそれとなく相談したらあっさりバレて……」
澪「…………」
唯「憂はもちろん誰にも言わないって言ってくれたけど、やっぱり私のせいだから、私が馬鹿だから、またいつこんなことになるかわからないから、その……」
澪「……………」
唯「その、澪ちゃんが、迷惑だって言うなら、わ、わたしは、嫌われても、別れられてもしょうがないって、おもいます……っ、ぐすっ」
……なんか、唯が泣いてる。
泣きたいのは私のほうなのに。きっと意味は違うだろうけど私も泣きたいのに、唯が先に泣いてる。
えっと……なんだ、こういう時、どうすればいいんだろう……?
まあ、とりあえず……
澪「……はあぁぁぁぁ」
とりあえずホッとしたので、ものすごい溜め息と共に唯に抱きついてみた。
唯「み、澪ちゃん!?」
澪「……私のほうが、別れ話を切り出されるとばかり思ってたよ」
唯「な、なんで!? 澪ちゃんは何も嫌なことしてないし……」
澪「でも、するべきこともしてないから。だから唯に嫌われたかなって思ってた」
唯「するべきこと、って…?」
澪「……今夜、唯の部屋に行ってもいい?」
唯「えっ? う、うん……」
澪「そして……その、えっと、あの日みたいな、甘くとろける、チョコレートみたいな時間を、二人で過ごしませんか…?」
唯「………」
澪「………」
唯「…………」
澪「…………」
唯「………ぷっ」
わ、笑われた!?
唯「素敵だよ、澪ちゃん。とっても素敵で、うれしい。……けど、本当にいいの?」
澪「いいって、何が?」
唯「……それは、私を許すってこと、だよね?」
澪「許すも何も、別にそれくらい。いつかは皆に明かさないといけないって思ってたし。うん。いつか。そのうち……きっと……」
唯「………」
澪「うん………」
むしろこんな風にグダグダでバレるほうが私達らしい気さえしてきた。
澪「と、ともかく、いつかは明かさなきゃいけないってのは本心だから、それくらいで唯を嫌いになるなんて絶対ありえないよ」
唯「………あのね、澪ちゃん。もうひとつ」
またしても神妙な面持ちの唯が、口を開く。
じっと、私を見つめながら。
唯「もうひとつ、謝らなきゃいけないことがあるんだ……」
澪「……なに?」
唯「……ずっと、ずっと隠してる秘密が、私にはあるんだ。澪ちゃんにはいつかは明かさなきゃいけないってずっと思ってるんだけど」
澪「……うん」
唯「……でも、明かして澪ちゃんに嫌われたらって思うと、怖いんだ」
澪「………」
それはもしかしたら、唯の奥底、『真ん中』の部分に関係することなのかもしれない。
私がいくら見ようとしてもほとんど見えないところ。
わかりやすいはずの唯の、唯一のわからないところ。
唯自身が、きっと必死にひた隠しにしているところ。
それを隠し続ける理由が「怖いから」であるなら、私はそれを見せてくれなんて言えない。
きっと私だけは、絶対に言っちゃいけない。
唯「私は、澪ちゃんを愛してるって言いながら、ずっと隠し事をしてる……」
澪「………」
唯「……嫌われてもしょうがないって、自分でも思う。打ち明ければ済むだけなのに、その勇気もないんだ」
澪「……その勇気は、私にもないよ。だから私は、それだけじゃ唯を嫌いにはならない」
唯「っ………」
どんなことがあっても、何を隠していても、私は唯のことを嫌いになんてならない。
それが今の私の本心で、私が伝えたい言葉だ。
だけど、きっと唯が求めている言葉は違う。
怯え震える唯に、私が臆病者として言える言葉が、きっとあるはずなんだ。
澪「……黙っていれば、もしかしたら死ぬまで私に隠し通せたかもしれないのに」
唯「……自分のため、だよ。隠し事をしてるってことは信頼を裏切ってるってことだから、とっても胸が痛い」
澪「……うん。わかるよ。私もずっと胸が痛いから」
唯「……りっちゃんやムギちゃん達に?」
澪「うん。特に律に。唯、高校3年の時、律がこっそり曽我部先輩と会ってた時のこと、覚えてる?」
唯「もちろん覚えてるよ。私という彼女がいながら澪ちゃんはりっちゃんが彼氏を作ったことにプンプンしてたからね、面白かったし」
あああああ、そうだ、唯に長時間愚痴電話してたっけ。
「お付き合いは成人してから」「普通友達に相談くらいするだろ」なんて自分を棚に上げて偉そうなことも言っちゃったなあ。
でも、それにはちゃんと理由があるから言い訳させてほしい。
受験前の大事な時期だったっていうのがひとつと、あと……
澪「あのさ、唯。私が唯と付き合ってることを皆に明かしたくない理由だけど。勿論恥ずかしいってのもあるけど、皆で一緒にいられる時間も大事にしたかったからなんだ」
唯「……えーっと、つまり?」
澪「律……はわからないけど、ムギとかは私達が付き合ってるって知ったら変に気を利かせそうじゃないか?」
唯「ことあるごとに二人っきりにしてくれたりとか?」
澪「そんな感じ。そんな風に気を遣わせるのが私は嫌だったし、あとは……唯が律やムギと話す時間を奪っちゃうのも嫌だった」
唯「……よくわかんない。澪ちゃん、私に告白したのに私を独り占めするのが嫌なの?」
澪「嫌ってわけじゃない……けど、皆に好かれてこその唯だって思ってるから」
前も言ったけど、異様なほど皆に好かれる唯に、私も惹かれた。
だから、告白したからってそれを全部奪ってしまうのは何か違う気がしたんだ。
唯「……違うよ、澪ちゃん。私は澪ちゃんになら全部奪われたって構わないよ。だから……だから逆に、私からも全部を見せるべきだって、思って……」
澪「あ、ありがとう……っていうかそういえばそういう話だったな、元々」
話の途中で一周して先の唯の隠し事の話に戻ってきてしまった。狙ったわけじゃないけど。
澪「じゃあこっちは簡潔に済ませるけど、要はそうやって皆の時間を大事にしたかった私と逆に、律は彼氏を作って外で会おうとしたりしてるように見えたから、なんか、こう、考え方の違いが嫌だった」
唯「だから澪ちゃんはプンプンしてた、と」
澪「そういうこと。でもそれが全部私の勘違いで、挙句の果てに律は私に言ってくれたんだ。「これからは澪に隠し事はしない、何でも言う」って。彼氏が出来たら真っ先に報告するって」
唯「……ああ~…さすがに馬鹿な私でもわかるよ、そうやって誠意を見せてくれてるりっちゃんに対して、その時の澪ちゃんは既に隠し事一周年だもんね、気まずいよね」
澪「結局その場は憎まれ口を叩いて話題を逸らすことしか出来なかったよ……」
唯「………あっ。ねえ澪ちゃん、私気づいたんだけどさ……」
澪「ん?」
唯「……あの、ね?「皆との時間を大切にしたいから」ってことで澪ちゃんは隠し事をしてるけど、えと、その時にそこまで言ってくれるようなりっちゃんなら隠し事はされたくないんじゃないかな……」
澪「………」
唯「その、私達のことがバレた時、怒るんじゃないかな……いつか明かしたいって澪ちゃんは言うけど……」
澪「………」
唯「………」
澪「…………」
唯「…………」
その通りだ。
その通りすぎて、私は言葉を失った。
あの時明かすべきだったのか。最初から全部隠さないでおくべきだったのか。……だなんて、一歩引いた目で状況を見る余裕すらなかった。
ただただ消えたかった。
気づかぬうちに、ずっと前から大きな矛盾を抱え、大きな過ちを犯していたんだ、私は。
むしろなんで今まで気づかなかったんだろう。
今から謝って、律は許してくれるだろうか。
きっと無理だ。
あの時が最後のチャンスだったんだ。
なのに私はあろうことか憎まれ口まで叩いてしまった。
救われない。
もう無理だ。
唯「み、澪ちゃん! 今から謝りに行こう! 私も一緒に謝るから! 全部私のせいにしていいから!」
何かを察したのか、唯が全力で私の手を引き、カラオケボックスを飛び出した。
【謝】
寮へ戻って律の部屋に向かうまで、私はずっと泣いていた。
私が愚かだった、自業自得だったという事実が、今まで私が胸の内で重ねてきた律への罪悪感を爆発させた。
本当に、みっともないくらい涙を流すばかりだった。
律「うわっ、どうした澪、唯!?」
唯「りっちゃん! あのね――」
律の部屋に着き、唯が事情を説明する。
唯が罪を被ろうとしたところは、必死で声を振り絞って否定した。
そして、一番言わなくちゃいけない言葉も、どうにか搾り出す。
澪「りづぅ……い、いままでごめん……」
ちゃんと言えた……と思う。
許してもらえないに決まってるけど、ちゃんと言わないといけない。
私は、唯一無二の親友を傷つけ続けたんだから……
律「そ、そんなことでここまで大泣きしてるのか!? 落ち着け澪! そんなのとっくに知ってるから!」
唯「……へ?」
…………へ?
律「――いや、スマン、自分から言い出すまで待ってようと思って……。あとバレてないつもりのおまえら見てるの楽しかったし」
唯「そ、そんな……」
ほら、と律がペットボトルのジュースを手渡してくれる。
久しぶりに入った律の部屋は思ったより片付いてて、床に三人座ってもまだ余裕があった。
私がジュースに口をつけたのを見て、律が続きを語りだす。
律「でも……澪がそんなに自分を追い詰めてるなんて気づかなかった。去年のアレもいつものやり取りに思えたしな……ごめんな澪、気づいてやれなくて」
律いわく、私達が付き合い始めたのはすぐに察したらしく。
去年、曽我部先輩と会うのをごまかすためにどうするか、となった時に「彼氏」という案を真っ先に採用したのも私達がいたからだという。
澪「じゃ、じゃあ律、怒ってないの……?」
律「怒るも何も、私は見て楽しんでたからなー。私に隠してる理由も、もしかしたら日頃の仕返しじゃないかって思ったくらいだし……」
唯「りっちゃん……業が深いよ……」
律「うん……むしろ澪が私達のことを思って隠そうとしてたなんてな。自分の小ささが嫌になるぜ……」
澪「そんな……褒められるようなことじゃないよ……」
律「二人の仲がなかなか進展しないのも、私達に気を遣ってたからだったんだな」
唯「それは普通に私も澪ちゃんもぴゅあぴゅあはーとだったからだね」
律「座布団没収」
唯「あーん」
澪「……ぷっ」
律「お、やっと笑った」
澪「……あのさ、律――」
律「「ごめん」は無しだぞ? さっきも言ったけど、私は何も傷ついてない!全部澪の勘違い! だからな」
澪「……ありがとう、友達でいてくれて」
律「お、おお? そう来たか……ま、いつぞやのお礼ってことで。それでいいだろ?」
澪「……うん」
律「あと、バラすのが恥ずかしいのは澪の性格上仕方ないけど、私達に気を遣ったりはしなくていいからな。さっきも言ったけど見てて楽しいし」
澪「そう、かな」
律「っていうか! そんなに私達のことが大事なら後ろに下がるんじゃなくて前に出て努力しろよ!友達との時間と恋人との時間の両方を大事にしてやるってくらいの漢気を見せてみろよ!!」
唯「おおっ! 熱い、アツいよりっちゃん!」
律「うおおおお! 唯! あの夕日に向かって走れぇぇぇぇえ!」
唯「コーチ! 私、どこまでもついていきます!!」
澪「いや、どこ行くつもりだよお前ら」
律「甲子園?」
唯「重いコンダラごと私を連れてって~」
律「ってくらいの漢気を澪にも持ってもらおうと思って」
唯「ジャンケンで負けたら奢ってもらえるのかなぁ」
ダメだ、この二人が揃うと手に負えない……会話がすぐに迷子になる……
「私は女だ!」ってツッコミを入れるタイミングも逃してしまった感じさえある。
律「というわけで漢気を見せる第一弾として、このままムギにもバラしに行ってこい!」
澪「えっ……」
と、反射的に戸惑うような態度を取ったけど、すぐに思い直す。
確かにこれ以上の絶好の機会はない。というかむしろ、律と同じように隠し通してきたんだから、明かすタイミングも律と同じ時以外にない。
そして、さっきは唯に言わせてしまったから、今度は私が。
澪「……そうだな。漢気はどうでもいいけど、ムギにもちゃんと私の口から言っておかないと。唯、いい?」
唯「……うん、もちろんっ!」
律に背中を押され、唯の笑顔に励まされ、どうにか立ち上がる。
去り際にもう一度律にハッキリお礼を言い、唯と共に部屋を出た。
◇
そして。
紬「まあ!まあまあまあ!やっぱりそうだったのね!ううん、自信はなかったからりっちゃんにももちろん当事者の澪ちゃん唯ちゃんにも聞けなくて一人で悶々してたんだけど!もぉーそういうことなら早く言ってくれればよかったのにぃ!いつから?お互いのどこに惚れたの?告白はどっちから?デートは何回?新婚旅行はどこへ?もうキスとかしちゃったの?今度私の別荘貸すね!」
とまあ、ムギはある意味では私の危惧した通りの反応をしてくれた。
けど律に続き、隠してたことを責めたりは全くしなかった。
心広すぎるよ、二人とも……
澪「ありがとう、ムギ。ホントにありがとう……」
紬「ど、どうしたの澪ちゃん、そんなに畏まって……」
澪「だって私、ずっと律やムギに隠してて……」
紬「……辛かった? ごめんね、気づいてあげられなくて」
澪「そ、そうじゃない! そうじゃなくて! 悪いのは隠してた私だ! だからムギは……私に怒ってもいいと思う……」
なんで律もムギも、同じことを言うんだろう。
私が悪いはずなのに、私に謝るんだろう。
紬「だって……澪ちゃんだし」
澪「え…?」
紬「澪ちゃんだから、隠してても自然っていうか……むしろ隠さず言えってほうが無理があるっていうか……」
澪「え、えぇー…?」
紬「唯ちゃんが誰にも言わなかったのも、相手が澪ちゃんだからでしょ?」
唯「う、うん……澪ちゃんのことだから恥ずかしがるだろうな、って思って。私も言うべきかどうかはわからなかったし、晶ちゃんにも口止めしてたらしいし」
澪「あ、晶のは――」
紬「え~!? 晶ちゃんも知ってたの!? それはなんか悔しい!」
唯「晶ちゃんには、ついうっかりイチャイチャしてるところを見られちゃって」
澪「う、うん、あれは事故のようなもので……とはいえ、ごめん、ムギ」
紬「まあ、後になったのは残念だけど澪ちゃんが勇気を出して自分から言ってくれたのは私の中ではとっても大きいから良しとしましょ」
律には唯が流れで言ったようなものだし、そう考えると私が頑張ったのは今だけ、これが初めて、か。
ムギは喜んでくれてるけど、私個人としてはちょっと情けないような気もするような……
唯「うんうん、その気持ちわかるよムギちゃん。私も澪ちゃんに告白された時そう思ったもん」
あっ、そういえばそうか、告白も私からだった。
忘れてたわけじゃないんだけど。思い出すだけで身悶える記憶ではあるけど……
紬「ええ~、澪ちゃんからだったの!? いいなぁ唯ちゃん、女の子として最高の幸せよね!」
唯「うんうん! その時の澪ちゃんの言葉がねぇ――」
澪「だああああ! 唯ストップ!」
身悶える記憶なので、唯の口を後ろから手で塞ぎ、会話を止める。
そのまま唯を引きずって、
澪「そ、そういうわけで。今日はありがとう、ムギ。また明日……」
紬「あぁん、もっと聞かせてほしいのにぃ」
澪「で、でも……」
紬「ふふっ、冗談よ。これからもいくらでも時間はあるんだし、のんびり聞かせてもらうから」
さりげないその言葉は、私達が付き合っていても等しく友達であるということを表していて。
根掘り葉掘り聞かれるのは恥ずかしいけど、私にとってその言葉はかけがえのないものであり。
澪「……ありがとう、本当に」
唯「むーむーっ」
結局、律の時と同じように何度もお礼を告げ、部屋を後にすることとなった。
◇
唯「二人ともぜんぜん気にしてなかったねぇ」
澪「そうだな……ありがたいことだよ、本当に」
寮の廊下を歩きながら、唯が口を開く。
厳密には律とムギでちょっとだけ認識は違うものの、私達が隠し事をしてたことを責めなかったという点では一緒だ。
二人とも、とても人間が出来ていると思う。私もそうありたいと思う。
……そうありたいと思い、憧れるということは、私はその域に達していない小さな人間ということだ。
今回の私の判断はきっと間違っていた。いや、恥ずかしいから、という理由が含まれる時点でこれは判断なんて高尚なものではなく、ただのワガママだったんだ。
ワガママというものは相手が受け入れてくれるか、あるいはそもそも自分の内に留めておくかの二つしか良い解決法はない。
今回は前者だったけど、後者も選べるようにならないと、きっと私はいつか唯を傷つける。
後者を選べるようになること、それが大人になるということなのかもしれない。
と、思い知ることが多かった今回の一件だけど、純粋に学んだこともある。
ひとつは、私はやっぱり全然ダメなやつだということ。
そして、ダメなやつだからこそ……
澪「ねぇ、唯――」
唯「澪ちゃん、あの――」
不意に発したはずの声が被った。
澪「あっ、えっと、何?」
唯「あ、私からでいい?」
澪「い、嫌なら私から言うけど」
唯「ううん、私からがいい」
澪「そ、そっか」
唯「……あのね澪ちゃん、私達、もっと話し合ったほうがいいんじゃないかなって、思った」
ちょっと驚いた後、頷いた。
驚いたのはもちろん、同じことを考えていたからだ。
唯「私、澪ちゃんに甘えてたよ。何も出来ない臆病な私を、澪ちゃんがちゃんとわかってくれることに甘えてた」
澪「その言葉はそのまま私も返すよ。甘えてたし、唯に私と同じようなところがあるのは嬉しかった。ちょっと意外だったけど」
唯「……あのね、多分だけどね、そのあたりは私の『隠し事』も影響してると思うんだ。だから、そのあたりも含めて、いろいろ話し合って決めたほうがいい、と思う……」
澪「……隠し事、か」
そうだ、そもそもそういう話だった。
途中で私の大きな間違いのほうに話がシフトしていったけど、そもそもは唯が後ろめたいっていう話だったはずだ。
……後ろめたいから、嫌いになられても、別れるって言われても仕方ない、って話だったはずだ。
ということは……
唯「私の隠し事も、ちゃんと話すから。話して、話し合って、澪ちゃんがこんな私がイヤだって言うなら――」
澪「わ、別れたくはないからなっ!? 唯の秘密がどんなものなのか想像はつかないけど、ずっと好きだったんだから余程のことじゃないと嫌いになんてならないからな!?」
唯「……よっぽどのこと、かもしれないよ」
澪「………」
そりゃそうだ。
唯が「怖い」と言い、「胸が痛い」と言い、泣きそうな顔で明かそうとしてるんだ。
余程のことであるという覚悟を、明かされる側の私はしないといけない。そうでなきゃ失礼だ。
だから、唯の秘密は余程のことであり、私がそれにショックを受ける、という前提で考えないといけないはずだ。
澪「…………」
私は考えた。
唯は何も言わず、私の返事を待ってくれた。
そして、私が考え、至った答えは。
澪「……ごめん。どうなるか、聞いてみないとわからない」
そんな情けないものだった。
他に何も思いつきやしなかった。
つくづく私はダメなやつだった。
唯「……だよね、えへへ」
澪「……でもっ!」
でも、困ったように笑う唯に、先に言っておきたいことくらいはある。
澪「私は、明かすのが怖いっていう唯の気持ちは、よくわかるつもりだ」
唯「………」
澪「だから今すぐ明かせなんて言わない。明かさなかったせいでひどいことになった私だから、それが正しいなんて絶対言い切れないけど……」
唯「……あはは」
澪「そして、これはただの私の理想だけど。どんな秘密だったとしても、笑って受け入れたいって思ってる。律やムギみたいに」
唯「…………」
澪「でも、それを信じろ、なんて言えないのもわかってる。相手を信じていても、一歩を踏み出すのは結局自分の意思だから、勇気を出せるかどうかなんだよな。ほら、例えるならバンジージャンプみたいに」
唯「う、うん」
相変わらず困ったように笑う唯に、私の言葉は届いているだろうか。
澪「バンジージャンプで背中を押されたりしたら私なら怒るから、私は唯の背中を押すようなことは言わない」
唯「……うん」
澪「でも、私は唯が勇気を出して行動したら、それを受け入れたいと思ってる」
唯「うん」
澪「だから……えっと……そうだ、バンジージャンプで例えるなら唯の次の人が私で、唯が跳んだら私もすぐに跳ばなきゃいけないような立場なんだ!」
唯「……澪ちゃん?」ジト
澪「うん、ごめん、何言ってるかわかんなくなった……」
唯「そもそも無理してバンジーに例え続けなくても……」
澪「そうだな……」
こんな言葉で何が届くというのだろうか……
と思ってたけど、意外にも唯は笑っていた。
唯「……あはは。澪ちゃん面白いよね、やっぱり」
澪「嬉しくない……」
唯「ううん、私は澪ちゃんのそういうところ好きだし、かわいいって思うよ」
澪「そ、そう思ってくれるのは…嬉しいけど……」
唯「……でもごめん、澪ちゃん。私、澪ちゃんのこと好きだから、やっぱり隠し続けるのは耐えられない。引っ張れば引っ張るほど、もし澪ちゃんに嫌われた時、澪ちゃんの傷が深くなると思うから」
澪「……そっか」
唯「……ごめん、偉そうな言い方だった。ホントにそう思ってるなら、告白された時点で言うべきなのに……」
澪「大丈夫、わかってるから」
唯のその臆病さを、当然私はわかってる。
皆といられる楽しい時間を壊したくないから、自分の秘密を言えなかった。
壊したくない。だけどもしどの道壊してしまうとしたら早いほうがいい。
その二つの板挟み。
ただそれだけのこと。
澪「わかってる。だから、聞くよ」
唯「……ありがと。ねぇ、澪ちゃん。夜、私の部屋に来るって言ってくれたよね」
澪「う、うん」
唯「……じゃあ、その時話すね」
澪「……わかった」
勿論、本来は『そういうこと』をするために訪ねるつもりだった。
それはそれで私は緊張しまくっていたと思うけど、唯の秘密を聞くために訪ねることに変わった以上、別の方向で緊張することになりそうだ。
【灰色の秘密】
――そして明かされた秘密は、本当に衝撃的なものだった。
唯「……実は私、宇宙人なんだ」
……え?
……宇宙人?
宇宙人っていうとあの、銀色で背が低くて頭の大きいあれだろうか。
全然そうは見えないけど、でもそうなのだろうか。
よく覚えてないけど、指が3本だったりもしたっけ。
私を触ってくれた、唯の指が……
澪「っ」
寒気がした。
怖かった。
唯「……ごめんね、気持ち悪いよね」
澪「そ、んな、ことは……」
唯の秘密を、受け止めると言った。
疑ってはいない。こんな真剣な唯の言葉を疑えるはずがない。
でも、笑って受け入れるなんてことは、到底出来ていなかった。
唯「……ごめんね」
信じたくなかった。
ちゃんと指も5本ある。ギターも弾ける。歌も歌える。そんな唯が宇宙人だなんて、私と違う存在だなんて、信じたくなかった。
……信じたくなかった、からだろうか。
私は、怖いはずなのに、唯に近づき、その手を握っていた。
厳密には、唯の指を調べ始めていた。
唯「……み、澪ちゃん?」
澪「………」
何も変わらない。
私と何も違わない。
ギターを弾き続け、指先の皮がやや硬くなった、いつもの唯の指がそこにあった。
ぷにぷにしていた。
澪「……何も……」
唯「……え?」
澪「何も! 違わないだろ!!」
なぜか、私は怒っていた。
澪「指も! 顔もっ!!」
唯の頬に、手を添えて。
澪「何もかも!私と変わらないだろ!!全部!!!」
確かめたわけじゃないけど、きっと全部。
……心までも、きっと私達と何も変わらない。
唯「み、澪ちゃん、あのっ」
澪「……何なら、確かめてもいいんだぞ。身体の隅々まで、唯と私のどこが違うか、探してもいいんだぞ…っ」
唯「澪ちゃん……泣いてるの?」
いや、私は怒っている。何にかはわからないけど。
怒っているはずなのに、何故か涙も止まらないけど。
澪「っ、うぅっ……」
私は怒っているのだろうか。それとも悲しんでいるのだろうか。
それはわからないけど、他にわかることはある。
そんな気持ちばかり溢れ出るほど、私は唯のことが好きだ、ということ。
宇宙人だと明かされても、まだ好きだということだ。
澪「唯っ……」ギュッ
唯「み、澪ちゃん……」
澪「怖くない。気持ち悪くなんかない。宇宙人は怖いけど、唯は怖くない」
唯「で、でも……」
澪「わからないよ、私には。唯と私の、何が違うのか……」
唯「………私にも、わからないよ。でも、違うらしいから……だから、私は……」
……ああ、そういうことだったのか。
唯の中心の一本線、私に見えなかったのも当たり前だ。なぜならそれは唯にも明確には見えていなかったんだから。
唯は宇宙人で、私達は地球人。その違いを唯はいつもどこかで意識し、地球人らしくあろうとした。
でもその具体的な違いは何もわかっていなかった。意識して、気にして、隠そうとして……わかりやすく言えば怯えていた。
強いて言うなら、それは『見えないものに対する怯え』だったんだ。
見えないものに怯えているからこそ、見える範囲では誰よりも『人』らしかった。それだけなんだ。
それだけのものが作り上げた『唯』に、私は惹かれたんだ。
澪「……聞きたい」
唯「えっ?」
澪「唯の生い立ち。知らないことだらけだから、聞きたいよ」
唯「……そうだね、答える義務があるよね、私には」
澪「そんな堅苦しいものじゃないよ。好きな人のことを、ちゃんと知りたいだけ」
唯「澪ちゃん……!」
この時ようやく、唯が私のことを抱きしめ返してくれた。
◇
唯「私が宇宙人だって知ったのは、だいぶ小さい頃だったよ。お父さんとお母さんが教えてくれた」
澪「ということは、ご両親も?」
唯「うん。お父さん達が自分の星を捨てて地球に来て、それから私と憂が産まれたんだって」
澪「あ、そうか、唯もご両親も宇宙人ということは憂ちゃんもなのか」
とはいえ、不思議と納得はできる。
人という枠に収まらないほどの魅力を持つ点は、唯も憂ちゃんも共通しているから。
唯「でもね、だいぶ小さい頃だったからお父さんお母さんも詳しくは教えてくれなかった。「唯は他の子とは違うけど、それは内緒にして、忘れて、普通に皆と一緒に楽しく生きなさい」だったかな? そんな風に」
普通に、か。
今更だけど、宇宙人と聞くと『地球を侵略しに来た』みたいなイメージがある。
でも少なくとも平沢家にはそんな目的は無い様だ。
唯のことを信じると言った私にとって、その事実はホッとする…というよりは嬉しい事実だった。
唯「詳しく教えてくれたのは、中学生の頃だったかな。「宇宙人」ってハッキリ言われて、証拠も見せられて、私の疑問にも全部答えてくれた」
澪「……証拠って?」
唯「……うちの家系がどう探しても遡れないこととか、親戚付き合いがないこととか、かな」
澪「……身体的な違いとか、そういうのじゃないんだ?」
宇宙から移住してきた、という前提があるから、確かにご両親の提示した証拠も説得力はあるけど。
それよりも自身が体感しやすい相違点を証拠として提示するほうが唯自身にも(ついでに私にも)わかりやすい、と思う。
唯「うん、なるべく身体的に自分達と近い星を探した、って言ってた」
澪「へえ……」
唯「実際、私にも違いはわからないんだ。見た目も違わないし、身体のなかのほうも澪ちゃんと変わらなかったし」
澪「なか?」
唯「……きもちいいところとか?」
澪「なっ!? そ、それはっ///」
唯「あはは。………あのね、そういうところで違いがバレるのも、ホントはすごく怖かった。だから私達の関係をなかなか進められなかったっていうのもあったんだ。ごめん」
唯の笑顔が、一瞬で引っ込んでしまう。
それはとても悲しいことに思えた。
澪「……謝らないで、唯。あまり早く進まない関係に甘えてた面もあるから、私も」
唯「……よかった。えっと、それでね、やっぱりどう見ても私と他の人の身体の違いはわからなかった。でも、お父さん達の言うことを信じない、なんてことも出来なかった」
澪「そう、だな。私からすれば荒唐無稽な話だけど、だからって唯をうそつき呼ばわりして嫌いになるなんて出来そうにないし、それと一緒か」
唯「……ありがと」
澪「……信じたくない気持ちも確かにあったんだから、お礼を言われるようなことじゃないよ」
唯「ううん。澪ちゃんに嫌われるのだけが私は怖かったから。いっそ信じてもらえなくてもよかったくらい。だから、嫌われてないってことだけでとっても嬉しい」
……まだ、唯のことは好きだ。それは胸を張って言える。
言えるけど、それを口にするよりは唯のことを理解したい、って思う。
唯が背負い続けてきたものを全部聞きたいって思う。
全部知って、その上でもう一度ちゃんと唯を好きだと伝えたいって思う。
唯「それでね、実際私も他の人達と何が違うのかなんてわからなかったけど、わからないなりにずっと考えてた。悩んでた。それで周りの人にはだいぶ心配かけたと思う」
「そんな中学時代を過ごしたから、高校では逆になるべく考えないようにした。やっぱり私は頭が良くないから、難しいこと考えないで思うままに生きよう、って」
「忘れて普通に生きていいって言われてたしね。実際、そうして生きているのは楽しかった。みんなに会えて、毎日がとっても楽しかった。でも……」
澪「……そこに、私が告白しちゃったわけか」
唯「とっても嬉しかったんだ、人に愛されるってことが。言われた通りに普通に生きてて良かったってホントに思った。だからこのまま普通に生き続けるべきなんだって思った。……ううん、思ってた」
澪「………」
……私のせい、か。
どうにか言葉にする寸前で思い留まったけど、要はそういうことになるんだろう。
唯から見ればそんなことはなくても、私から見ればそういうことになるんだろう。
唯「澪ちゃんを好きになればなるほど、隠し事をしてるのが申し訳なくなっちゃって。普通に生きるって決めたんだから言わなくてもいい事にも思えるけど、それを決めるのはきっと私じゃないと思った」
澪「……私、なのかな」
唯「たぶん。でも、それを決めるにも聞かなくちゃいけないから意味ないよね」
澪「そうだな……」
唯「……聞いて澪ちゃんが傷つくなら、隠し通さないといけない。でも隠し通してたら、もしバレた時に隠し事をしてたことそのものに澪ちゃんが傷つくかもしれない」
「どっちが正解かわからないまま、ずっと時間が過ぎてった。正解は見えないのに、隠し事をしてるってこと自体の罪悪感はどんどん大きくなってた」
「隠し事をしてるって時点で負い目があって、その上にさらに失敗を重ねて信用を失うのが怖かったから、澪ちゃんとの関係を進める勇気もぜんぜん出なかった」
原因が宇宙人であることにあるとはいえ、信用を失うのが怖いから踏み出せない、という気持ちはわかる。
でも、やはり唯らしくはない。「普通に生きる」と言ってた唯にとって、そんな自分らしくない自分を見ることがどれほどの苦しみだったか……私にはわからない。
……唯に私と同じ臆病なところがあることを喜んでいたさっきの自分を殴ってやりたい。
澪「……ごめん、唯。気づいてあげられなくて。好きだって、ずっと見てたって言いながら、全然気づいてあげられなくて、ごめん」
唯「……必死に隠してたからね。だって、気づかれたら宇宙人だってことまで言わなきゃいけないし。なかなかの演技力でしょ? まあ結局言っちゃったんだけどね」
澪「……唯のことは、わかりやすいやつだって思ってたんだ、私、ずっと。わかりやすいけど、時々想像もつかないすごいことをする。そんな唯が好きだった」
唯「澪ちゃん……」
澪「ある意味では、そんな私の思い描く唯そのままなんだけど。でも、唯の一番の秘密を知ってしまったからには、私も考え方を変えたい」
変えたいというか、私が変わりたいのかもしれない。
気づいてあげられず、唯を苦しめたのは事実なんだから。
澪「私は、唯のことを全部理解して、悩みに気づいて、隣に立って大切にしたい。そんな私になりたい……」
きっとそんなこと、到底無理なんだろう。
でも、そうありたい。そうなりたい。
唯が宇宙人だろうと何だろうと関係なく。
澪「そう思うくらいには、唯が好きだ」
唯「……私だって、頑張って隠そうと思えば頑張れるんだよ、澪ちゃん」
澪「………」
そう言われると返す言葉がない。実際、さっきまで隠し通されていたんだから。
私からは、これから頑張る、としか言えない。
唯「……でも、もう澪ちゃんに隠し事はしたくない……もうこれ以上は耐えられない。そう思うくらいには、澪ちゃんが好き」
澪「……そうか。そうかあ。そう言ってくれるかあ……」
唯「ほ、本心だよ!」
澪「うん、私も本心だよ。唯の秘密の内容自体は、何も関係なかったみたいだ」
唯「そ、そっか……よかったぁ……」
宇宙人という存在は未知のもので怖いけど、どこか未知なところもある唯を私は好きになったんだ。
そして、唯の存在は怖いなんて言葉とは程遠い。
大体、自分でも違いがわかっていないような宇宙人を、違うからという理由で拒絶なんて筋も通らない話だし。
そもそもどこかが同じでどこかが違う、そんな唯に惹かれた私が違いを理由に嫌いになんてなれなかったんだ。嫌いになりたかったわけじゃないけど。
……ああ、そっか。
嫌いになんてなりたくないなら、嫌いになんてなるはずないか。
澪「……唯」
唯「……澪ちゃん」
澪「……い、いい?」
唯「……うん」
それだけで、唯は察してくれた。
目を閉じる唯に近づき…………キスをした。
唯「……えへへ」
澪「じゃ、じゃあ、そういうわけで私達の関係はこのまま、ということで」
唯「うん…!」
澪「そ、そうだ、そういうわけだから、まだ私達の関係を明かしていない梓達にも電話して言っておいていいかな!?」
唯「あ、そうだね。りっちゃん達には言ったんだし、あずにゃん達にも言わないとね」
澪「うん。あと憂ちゃん――は知ってるんだっけ。他には和とか」
唯「和ちゃんはいま留学してるよ?」
澪「あっ、そ、そうだった」
唐突に、本当に唐突にある日、和から留学するという内容のメールを貰った。
ごく最近のことだけど、あの時は本当に驚いた。驚くばかりで、それどころか少し引き留めかけたりもしてしまって、慰められながらパソコンのメールアドレスを教えてもらった。
パソコンのアドレスということは、携帯電話は使わない、あるいは使えないということ。出来ればメールじゃなくて電話で伝えたかったんだけど……仕方ないかな。
唯「そういえばね澪ちゃん、憂がお詫びにって秘密を教えてくれたんだけど」
澪「お詫び? 何の?」
唯「私達が付き合ってることを知っちゃったお詫び」
澪「あ、ああ、あの時にか。律儀だな憂ちゃん……」
唯「自慢の妹ですから。でね、なんと憂はあずにゃんと最近いい感じらしいよ?」
澪「えっ、それって、その、そういうことか?」
唯「そういうことらしいよ」
澪「そ、そうか……びっくりだ。っていうか私に教えてよかったのか、それ……」
唯「憂のやることだから大丈夫だよぉ。きっとそのうち皆に言うつもりなんじゃないかな」
澪「うーん……とりあえず、おめでとうって言っておくよ」
唯「そうしてあげて。憂も喜ぶよー」
澪「お姉ちゃんみたいだな」
唯「お姉ちゃんだよ!?」
澪「ふふ、冗談だよ」
……唯のツッコミ、好きかもしれない。
澪「っと、じゃあそういうわけだから……電話したほうがいいかな? 梓と憂ちゃんに」
唯「そうだねぇ、電話にするなら早めにしたほうがいいかも。特に憂は早寝早起きだから」
澪「少なくとも唯より?」
唯「少なくとも私より」
澪「じゃあ、今から電話するよ」
そう言い、立ち上がって唯の部屋を出ようとした時。唯の微妙な表情が目に入った。
澪「……どうかした?」
唯「ううん。憂とあずにゃんによろしくね」
澪「う、うん……あ、二人一緒に報告するか?」
唯「うーん、それは帰省の時に取っておこうよ」
澪「そ、そうか。じゃあ……」
唯「うん、また明日ね、澪ちゃん」
ひっかかりを感じつつ、部屋を後にした。
……唯の表情の意味に気づくのが就寝直前になってからで、翌日また今日とは別の勇気を出して唯の部屋を訪ねることになるとは、この時の私は知る由もなかった。
【透明な輪】
憂ちゃんは素直に祝福してくれた。
宇宙人であることも知った、と告げると少しだけ不安そうな声を出したけど、すぐに「それでも唯のことが好きだから」と言ったら安堵してくれた。
たとえ宇宙人でも何も変わらず、素敵な姉妹だと思う。
梓も祝福してくれたが、その直後に梓のほうから憂と付き合っているということも明かされた。
「憂から聞いてますか?」と言われたので同意した後、せっかくだから根掘り葉掘り聞いておいた。まあ、あまり教えてくれなかったが。
梓が明かしたがっていたから、憂ちゃんも私と唯にすんなり明かしたんだろうか。
そしてもうひとつ。嬉しいことに、憂ちゃんがパソコンで通話して和と連絡を取り合っていることも知れた。
しかも私が晶に教えられたあのソフトで。というわけで、晴れて私のアカウントに憂ちゃんと和の連絡先が追加された。
チャットでもいいけど、遠くにいる人との会話なんだしせっかくだから声も聞きたい。というわけで同時に自分の電話番号も追加しておいた。けどプロフィールを変えるのを忘れてたので二人にものすごくツッコまれた。
唯もパソコン買えばいいのに、と思ったものだが、
澪「唯は憂ちゃんと和が話してることとか知らなそうな感じだったけど?」
憂『私は教えてもいいと思うんですけど、和さんがダメって』
澪「へえ……変な話だな、あの和が唯に教えたがらないなんて」
憂『和さんいわく、「唯にパソコンなんて使いこなせないだろうし、仮に使いこなせてしまったらますます勉強しなくなるわ。きっと毎晩話に付き合わされるわよ」だそうで』
澪「あ、ああー……唯も毎日頑張ってはいるんだけど、否定しきれないな……」
憂『ですよね……』
……とのこと。
付き合いの浅い私やついつい甘やかしてしまう憂ちゃんとは違い、唯のことをよくわかっているクールな意見だった。
そんな話をパソコンを通して和にしてみると、
和『……私だって、唯と話したくないわけじゃないのよ。来年くらいになれば教えるつもりでいるわ』
来年度ではなく来年となると、最短だと一ヶ月後くらいか。
最短なら、だけど、要するに和もそんなに長い間『唯断ち』が出来るわけではないようだ。
澪「……和がデレた」
和『何よデレって。唯と付き合っているなら、そこは同意してくれないと困るわ』
澪「そ、それもそうだな。わかるよ、うん」
和『そもそもメールは続けてるしね』
澪「あっ、そうなんだ」
話を聞いたところ、和の携帯電話だと海外での使用に多少の設定が必要らしく、面倒なので家に置いてきたとのこと。よって連絡方法はパソコンに限られているとのこと。
パソコンに限られること自体は予想通りだけど、その理由が「面倒なので置いてきた」って……和も唯に負けず劣らず時に予想外なことをするから困る。
……もしかして、和も宇宙人だったりするんだろうか? と一瞬思うけど、さすがにそこまで誰彼構わず疑うのは自分を嫌いになりそうなのでやめる。もっとも仮に宇宙人だとしても接し方を変えるつもりもないけど。
あっ、そういえば、和は唯が宇宙人だということを知ってるんだろうか? 付き合いは長いから知ってそうでもあるけど……どうだろう?
知らないなら勿論黙っておく。唯の秘密をバラすわけにはいかないから。でももし知ってるなら何か貴重な話が聞けるかもしれない。
どうにかそのあたりを探れないだろうか。わかる人にだけ伝わるような、そんな言い方はないかな……
澪「そ、そういえば和。話は変わるけど、宇宙人っていると思う?」
悩んだ結果、こうやって世間話から軽くジャブを入れていく感じで探る方法を考えた。
とりあえずこれで和の出方を伺えば、少しは見えてくるはず――
和『……ああ、唯のこと聞いたのね? 良かった、言うべきか悩んでたのよ』
澪「え、ええー!? こっちが見抜かれた!?」
和『そんなに驚かれても……久しぶりの電話で振る世間話にしては澪らしくないし、相手が唯の恋人だし、そして何より澪、声が上擦ってるわ』
澪「そ、そんな冷静に分析されても……」
和『澪はわかりやすいのよ。まあ軽音部全員わかりやすい良い子達ばかりだけどね』
澪「うぅ……」
散々唯をわかりやすいやつとか言ってきたけど、他の人から見れば私も同レベルだったのか……
律に関係を見抜かれてたという前科もあったけど、電話でまでそう言われるとなんというか、身悶える恥ずかしさがある。
和『それで? 唯が宇宙人だと知っても恋人として付き合うって決めてるのよね? だから私に報告したんでしょ?』
澪「う、うん、その通りです……。和はどうだった? 唯が宇宙人だって知って、何か変わった?」
和『別に何も』
うん、その返答はなんとなく予想してた。だって和だし。
和『澪も何も変わってないんでしょう? だったらいいじゃない』
澪「そうなんだけど……唯に関して知っておけることがあるなら知っておきたい、って思う。もっと唯のことを理解したい」
和『唯を理解、ねぇ………………無理じゃない?』
澪「そ、そんな!」
和『澪には無理、という意味ではなくてね。私から見ても唯は本能のままに好きなことして破天荒に生きてるから時に行動が読めなくて、私からできるアドバイスは何もないのよ』
澪「破天荒って」
和『宇宙人だって言う割には、私達より人間らしい欲望に忠実よねぇ』
そう言って、和が笑う。
和は真面目な人だけど、真面目というだけの枠には収まらない豊かな人間性を持っている。
それにはきっと、唯も影響しているんだろう。
和『……澪。あんな唯だってね、自分の存在に悩んでた時期はあったのよ』
澪「「あんな」って。……でも、うん、それは聞いたことある。中学くらいだったっけ」
和『そうね。そして悩んだ結果、唯は何も変わらなかった。いえ、何も変えないように頑張る、と決めた……ように私には見えたわ』
唯自身は考えることを止めたような言い方をしていたけど、それは周囲から見れば和の言うように映るのかもしれない。
まあ、その結果今の素敵な唯がいるのだから、表現の違いなんて些細なことだ。
和『何も知らなかった頃の唯も、悩んでた頃の唯も、頑張ってる頃の唯も、私は全部見てきたけど……どれも唯なのよ、やっぱり』
澪「………」
和『高校に入ってからは澪のほうが距離が近いかもしれないから、わかるんじゃないかしら』
澪「……うん」
唯の横顔を、高校でずっと見てきた。
和の説明の通りだとすれば、私の見ていた高校の唯はずっと頑張っていたのかもしれない。
何も変わらないように、何も変えないように。
勉強して、部活に入って、遊んで、そして私の告白にもちゃんと向き合ってくれて。
そんな風に。
和『唯を理解したいという澪の気持ちを否定はしないわ。人を好きになるということがそういうことであるなら、それは素敵なことだと思う』
澪「……うん」
和『ただ、唯の全部を理解しているとは到底言えない私から出来るアドバイスはない、というだけ。ごめんね、力になれなくて』
澪「ううん、そんなことはないよ。相談に乗ってくれてありがとう。それに、私より長く唯の隣にいた和でもわからないことがあるって聞いて、焦る必要はないんだってわかったから」
和『ふふっ、そうね。澪なら唯が何かヘンなことやらかしても「だって唯だから」で受け止めてくれそうだし、安心ね』
澪「安心って、なんか、それは……」
和『……唯のこと、よろしくね、澪』
……晶に任せたはずの唯の世話が、今度は和から任せられてしまった。
澪「……学科とかは違うから、一日中ずっとってわけにはいかないけど……一緒にいられる時は、ま、任せて」
和『うん』
……責任重大だけど、唯と一緒にいたいのも本心だから、「任せて」くらいは言える。
さて、次は菖と幸にも言わないと。晶には「黙っててくれてありがとう」って言わないとな……
【数日後/銀盤と黒雲】
――身近に宇宙人というものがいるとわかったせいか、ここ最近はオカルトや超常現象にも少し目が行くようになった気がする。
もちろん怖いのはご免だけど、時に子供の頃のような好奇心を刺激されたり、未知なるものへのワクワク感が沸いてくるようなものもある。
澪「ドッペルゲンガー……は怖いな。身近に現れないことを祈ろう」
律「河童は?」
澪「……かわいい絵で描かれてるものあるからなあ……」
律「でも尻子玉を抜いて殺してくるんだぜ?」
澪「だ、だよなぁ……やっぱりこわい」
菖「徳川の埋蔵金とかは?」
澪「それは何か違うような……」
幸「じゃあネッシー」
律「あれはイタズラだって聞いた時はガッカリしたな~」
紬「ええっ、そうなの!? ショック……」
幸「だよねぇ。あんなに大きいのにどうやって隠れて生きてきたのか興味あったのに」
澪「つ、ツッコミづらいな」
香奈「永遠の若さ!美貌!乙女の生き血!」
千代「香奈は早くレポート終わらせて」
香奈「あ、はい」
部長が唐突に会話に入ってくるのはわりとよくあることだけど、なんとなくいつもより廣瀬先輩のツッコミが厳しい気がする。
部長も部長でおとなしく従ってるし。まあ、さすがに理由がレポートともなれば真剣にもなるか。
あれ? でも、そもそもレポートともなれば本来は自室でやるはず。それをわざわざ部室に持ち込んでいるということは……そうか、もしかしたら私達に対する監督責任があるから、なのかな?
となれば、なるべく邪魔はしたくない。
澪「……なるべく静かに話そうか」
千代「こっちのことは気にしなくていいよ。全部香奈の自業自得だから」
紬「でも……」
香奈「いいのよ、先輩が後輩の部活動の邪魔をするなんてカッコつかないじゃない」
千代「既にカッコついてないからね」
香奈「はい……」
部長が大人しく頭を垂れたと同時に、部室のドアが開く。
いつものメンバーの中で、今足りない二人がそこにいた。
晶「すいません、遅れました」
唯「失礼しまーす……」
二人は申し訳なさそうな雰囲気ではあるものの、ぶっちゃけ私達は開始時間を厳密に決めているわけではないので誰も責めることはない。
終了時間はきっちり決まってるから練習時間が短くなることに変わりはないんだけど……放課後ティータイムはともかく、恩那組もそのあたりはマイペースなようだった。
唯「何の話してたの?」
澪「ん……」
一瞬、言葉に詰まる。
目の前にいるオカルトじみた存在である唯に対し、それらで盛り上がってた、なんて言うのは少し抵抗があった。
……オカルトは言いすぎかな。宇宙人ってジャンル的には何に分類されるんだろう、SF?
って、そんなことは後で考えるとして――
律「なーんか私達の身の回りにも面白いこと転がってないかねー、って。そもそもの発端はムギなんだけど」
紬「この前、ウチの別荘の浜辺にね、変な図形が描いてあったらしくて。菫が写真を送ってくれたんだけど……」
私が止める間もなく、律とムギが話を進める。
もっとも、私が変に止めてしまうのもそれはそれで不自然だ。唯が宇宙人であるということをまだ二人は知らない。止めてしまえば、その理由を問われてしまう。
唯が律とムギにも自分から伝えたいと言っていたから、こんな形でなし崩し的にバレてしまうのは絶対望ましくない。
そんなこんなでいまだに口を開けない私を置き去りに、ムギが携帯電話の画面を唯に見せ、律が語る。
律「ほら、これ、ミステリーサークルとかナスカの地上絵とか、そんな感じの意味ありげな記号に見えね?」
唯「わぁ、ホントだねぇ」
……内心、とてもホッとした。ミステリーサークルだなんて単語を出されても、唯は自然な反応をした。
……唯の中で積み重ねられた『何も変えない頑張り』の前には、私の心配なんて無意味なようだ。
晶「って、別荘だって!? 今更だけど、マジモンのお嬢様なんだな……」
律「広くて快適ですごいんだぜー」
紬「今度晶ちゃん達も来る? スタジオもあるのよ?」
晶「マジか! それは良い環境だけど……本当にいいのか?」
紬「もちろん。あ、でもどの別荘が取れるかは親に聞いてみないとわからないわ……」
菖「……「どの」って言った? 今」
幸「いくつあるんだろうね、別荘……」
晶「すげぇな……」
唖然とする晶たちを尻目に、私達が思うことは。
澪「……なんか」
律「数年前の私達を見ているようで微笑ましいな」
澪「うん」
くらいである。
当時の私達も相当驚いたけど、大学で立派な庶民へと成長したムギしか見てない人にとっては輪をかけて予想外なんだろうなあ。微笑ましい。
律「とりあえずさ、そんなこんなで「よく聞く不思議な話ってどんなのがあるっけ?」みたいな感じで皆で言い合ってたってワケ」
唯「ふーん……ねぇムギちゃん、お願いがあるんだけど」
紬「ん、なぁに?」
唯「その別荘に描かれてた図形、他にもあったら見せてほしいんだけど……ダメ?」
紬「うーん、唯ちゃんの頼みなら聞いてあげたいのはやまやまなんだけど、他にはないみたいなのよ。これが描かれてたのも今朝みたいだし……」
唯「そっか……」
紬「……また描かれてたら送るように伝えておくね?」
唯「うん、ありがと、ムギちゃん」
紬「唯ちゃん、こういうの好きなの?」
唯「かわいいよね!」
紬「……この写真、唯ちゃんの携帯に送っとくね」
唯「わーい、ムギちゃんありがとー!」
澪「………」
なんとなく。
なんとなく、唯がミステリーサークル(とも取れる)写真を欲した、というのが不安になった。
なったので、部活が終わった後に唯を捕まえて二人きりで聞いてみた。
澪「……唯、どうしてあの図形がそんなに気になるんだ?」
唯「……あれはミステリーサークルだよ、澪ちゃん」
澪「……やっぱりそうなのか」
唯「あの丸っこい図形、かわいいよね」
澪「………」
唯「……って思って勉強した時期があるから、私、ミステリーサークルで書かれてることだけは読めるようになっちゃったんだよね。基本的に宇宙人の文化は知らないんだけど」
澪「読む? あれはやっぱり宇宙人からのメッセージなのか?」
唯「というか宇宙語らしいよ。地球で一番使ってる人が多いのが英語、って感じで、宇宙全体で見ればあの図形が言語として一番使われてるんだって。惑星間の会話に」
澪「へ、へぇ……」
地球人も宇宙に進出して交流を行おうとするなら、あれを覚えなくちゃいけないってことか……和が留学して英語を活用しているように。
英語もコツを掴めば覚えること自体はそこまで難しくないから、宇宙語もそうなのだろうか。
澪「それで、これは何て書いてあるんだ?」
流れでそう聞いたけど、唯の顔は曇った。
唯「……『拝啓、平沢唯様』って」
澪「………えっ」
唯「日本語で言うならそんな感じの挨拶の言葉と、後のことは続けてまた連絡します、みたいなことも書かれてる」
澪「そ、そうか、だから他にないか聞いたんだな……」
かろうじて自然な受け答えはできたはずだけど、頭の中はだいぶパニックになっていた。
何故、ミステリーサークルで唯が呼ばれているのか。
すなわち、宇宙人として宇宙人に呼ばれているのは、何故なのか。
誰が、何のために…?
澪「ゆ、唯の地球人としての名前を知る宇宙人…? 一体誰……?」
唯「……わたし、いちおう地球生まれ地球育ちなんだけど」
澪「あ、ああ、そっか、他に名前はないんだな、うん。っていうか地球生まれなのに宇宙人っておかしくないか」
唯「澪ちゃん、いまさらそーゆーこと言うの?」
澪「ああ、うん、ごめん、ちょっと混乱してる」
唯「うん、私も混乱してるから気持ちはわかるよ……でも、とりあえず相手の用件がわからないとなんとも言えないね」
澪「……冷静だな、意外と」
唯「なんとなく、悪そうな人じゃないからね」
澪「なんで?」
唯「畑とかじゃなくて浜辺に描いてるから、かな」
そう言われてみれば、ミステリーサークルの定番といえば畑とか草原とか、そのあたりだ。
唯「多分だけど、綺麗に整えられた畑とかは地球の文化を知らない宇宙人にとっては文字の書きやすいキャンバスにしか見えないんだよ」
澪「……なるほど。宇宙人からすればそうでも、地球人からすれば稲とかがダメになるから迷惑なことで……」
唯「それをわかっててあまり被害が出ない砂浜に書いた、ということだとしたら」
澪「地球の文化を知ってて、他人に迷惑をかけないような気遣いもできる人、ということか」
唯「まあそれでもムギちゃん家の別荘に不法侵入しちゃってるんだけどねー!」
澪「ゆ、UFOで空中から書いたのならきっとセーフだよ、うん」
ってなんで私は宇宙人の肩を持ってるんだろう。
ま、唯が悪そうな人じゃないと言ったんだし、肩を持つくらいはいいかもしれないけど。
あ、でも唯が宇宙人と最初に聞いたときは怯えた私だし、さっきの発端のミステリーサークルの話の時だって言葉に詰まったし、この宇宙人の肩だけ持つのは唯から見れば気分のいいものじゃないかも…?
……と思っていたが、唯は予想に反して、いや、予想外なほどに満面の笑顔だった。
澪「……どうしたんだ?」
唯「ううん。澪ちゃんとこうして宇宙人について普通に話せるのが、なんか嬉しくて」
澪「そ、そうか……」
そうか、唯は私と普通に話がしたいのか。
……やっぱり、あまり気を遣うのも唯に悪いのかもしれないな。
気遣いが丸出しだと相手に申し訳なさを抱かせてしまうものだし。それでなくても唯の積み重ねてきた頑張りは多少のことでは揺るがないものだってわかったし。
澪「と、とりあえず続きが送られてくるまではこちらからすることは何もない、ってことだな」
唯「そういうことだねぇ。いつも通り過ごすことにするよ。いつも通り澪ちゃんとイチャイチャしとくー」
澪「い、イチャイチャってお前な……」
唯「えへー」
澪「っ……///」
ま、まあ満更でもないんだけど。
◇
――だけど、その満更でもない日々はそう長くは続かなかった。
律「澪ー、帰省の準備は進んでるかー?」
澪「お前こそ早く帰れるように頑張れ」
律「ぐっ、痛いところを……」
澪「日頃からレポートちゃんとやってればいいだけのことだろ。唯だってちゃんとやってるんだから」
律「あれは澪と一緒に帰りたいがために頑張ってるだけだろ。いつも通りなら唯もこっち側だっての」
澪「そ、そうかな……えへへ」
律「けっ。ご馳走様ですよーだ」
ミステリーサークルの話から、ほんの数日後。私達はそれぞれ冬の帰省に向けていろいろと準備をしていた。
もう既にほぼいつでも帰れるような状態にあるのが私。あと僅かなのが唯とムギ。全然ダメで今夜も私の部屋に来てまで必死こいてるのが律、という現状。
『大体の人は』もうすぐ帰省、ということで、部活も今日が最後ということだった。部長達4回生も忙しそうだったので、あの人達を慕う身としてもそれでいいと思う。
現状といえば、唯はまだ宇宙人であるということを明かせていない。一方、ミステリーサークルの写真は毎日送られてきている。
むしろいまだに毎日送られてきているから明かせていないのかもしれないが、何にせよ私は急かしたりはしないようにしている。
というかそもそも私個人としては、唯のご両親が言ったように唯は宇宙人だということは忘れて生きていいとさえ思う。
それほどまでに何も変わらない。私も何も変わらず唯を好きだから。唯もそんな私の姿とご両親の言葉に従うか悩んでいるのかもしれない。
ミステリーサークルに込められたメッセージの内容についてもそろそろ結論が出てもいい頃だと思うけど、こちらも唯が自ら口にするまでは急かしたりしないようにしていた。
もちろん、唯が相談してくれたら喜んで飛びつくけど。でも自分で決められる限りは唯が決めるべきだと思った。……これも気遣いになってしまうのだろうか。
澪「……唯、遅いな」
紬「……あの、澪ちゃん」
ムギが恐る恐るといった感じで口を開く。
今夜のムギは口数が少ないと思ってはいたけど……
紬「もしかしたら、私のせいかも……唯ちゃんが遅いの」
澪「えっ? どういうこと…?」
紬「あの、今日のミステリーサークルの写真見せたらね、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、表情がこわばったように見えて……」
澪「………」
……どうやら、そろそろ核心に触れることが書かれていたらしい。
だとしたら今、唯は悩んでいるのだろうか。考えているのだろうか。
でも、どんなことが書かれていて、どんなに唯が悩んだとしても、きっと唯は私には話してくれる。
宇宙人であることを隠し続け、あれだけ悩み苦しんだ唯だから。最悪でも私にだけは話してくれる。はず。
澪「っていうかそれ、別にムギは悪くないような……」
紬「で、でも、わかんないし……」
律「まあ、唯が来たら聞いてみようぜ。もし私達には言えないことでも、カノジョには言うだろうし」
澪「……茶化すな」
と言いつつも、内心は私もそう信じていた。さっきも言ったけど、唯だから言ってくれると信じていた。
……でも、そうはならなかった。
ほんの数分後に私の部屋を訪れた唯の口から放たれた言葉は、そういうものではなかった。
唯「……ごめん、みんな。私、実は宇宙人なんだ」
律「………」
紬「………」
唯「それでね、ムギちゃんちのミステリーサークルでね、私、呼び出されたから……できるだけ早く帰らなくちゃいけないんだ」
澪「………」
唯「それでね……その……えっと、帰っていい、かな?」
律「……落ちてるものでも食べたか?」
唯「ひどい!」
律「いや、だってそんな一気に言われて信じろっていうのもなあ」
紬「私は……信じたいな。唯ちゃんの言うことだし……」
律「えぇー……私も唯がそんな器用にウソが吐ける奴だとは思ってないけどさ……でもさあ、宇宙人って……なあ澪?」
澪「あ、いや、悪い律、私はそこは信じてる」
律「マジかよ。……じゃあ私もそこは信じるよ」
唯「……ありがと」
そう、そこまではいいんだ。
律達にとっては驚きの事かもしれないけど、私にとっては知ってた事。
律達には悪いけど、私にとっての問題は、その先。
澪「……で、唯、相手は誰だったんだ?」
唯「………」
紬「……家族、とか?」
無言で首を振る唯。
律「じゃあ誰だ?」
唯「…………ごめん、それだけは言えない」
「言えない」と、ハッキリ言われた。
隠し事をされた。
あまりこういう言い方はしたくないけど……裏切られた気持ちになった。
律「おいおい……まあ説明しにくい相手なのかもしれないけど、あまり隠し事をすると澪は心配するぞ?」
唯「……うん、わかってる。澪ちゃんを傷つけてること、わかってるつもり。だからりっちゃん、何かいい方法はないかな」
律「へ? 方法って?」
唯「澪ちゃんを心配させない方法。澪ちゃんを安心させる方法。澪ちゃんに、私を信じて待っててもらえる方法。何かないかな? あるよね? ねぇ、ねぇりっちゃん!」
律「お、おい、落ち着け唯!」
唯「言えないんだ、どうしても。言えないんだけど、でも澪ちゃんに嫌われたくないの!! 澪ちゃんに嫌われたら、私っ……!!!」
律「落ち着けって!つーか痛いわ!離せアホ!離さんかじじい!!」
紬「あ、あわわわ……」
澪「………」
……なんだ、この光景。
慌てふためいてる唯にしがみつかれて揺さぶられてる律と、どうすればいいかわからずオロオロしてるムギと、完全に蚊帳の外の私。
っていうか、蚊帳の外とはいえ私の目の前で私のことについて相談しようとしてる唯は何なんだ。意味ないんじゃないかそれ。私に告げる前に相談すべきじゃないのかそれ。
……なんだろう、唯が隠し事をしているのかしていないのかわからなくなってきたぞ。
いや、少なくとも隠し事をしてはいるんだけど。でも何というか、望んで隠したいわけではないんじゃないか、とぐらいは思える。
……そりゃそうか。あれだけ隠し事をして苦しんだ唯なんだ。私にも少しはわかる苦しみをずっと背負ってきた唯なんだ、隠し事をしたいわけがない。あの苦しみをもう一度味わいたいわけがない。
それなら。
それでも隠さないといけない理由があるとしたら。
澪「……唯」
唯「ひっ!」ビクッ
澪「だ、大丈夫だって、唯。信じる、信じてるから」
そうだ、信じることだ。私にできることはきっとそれだけだ。
とはいえ、『唯が隠し事をしない』と信じるのは、きっと間違いだ。
だって、たぶん、今回の場合は、
澪「……相手が誰か言えないのは、相手のためを思ってのことだろ?」
唯「! そう! そう、なんだけど……」
澪「……唯は優しいな。そういうことなら聞かないよ、私も」
逆に考えてみれば、すぐに可能性のひとつとして出てくることだ。
『地球人として生きる宇宙人の唯を宇宙人として呼んだ』相手が、唯と同じように『地球人として生きている宇宙人』である可能性は。
だから、相手が誰かと聞かれて特定の誰かと答えれば、その人が宇宙人であると明かしていることと同じ。
宇宙人であることを隠してきた唯なら、同じように隠して生きている相手の秘密を明かすような真似はしない。できないはずだ。
もっとも、これが100点満点の正解かはわからない。
でも、こんな感じの理由で唯が隠し事をする可能性は充分にある。
あるいは、同じように私も唯に隠し事をしてしまう可能性も。
だから、私が信じるべきは、『唯が隠し事をしない』というところ、ではなくて。
澪「……唯は、まだ私のこと、好きだよね?」
唯「っあ、当たり前だよ! まだっていうか、ずっとずっと、澪ちゃんだけが大好きだよっ!!」
その気持ちを、信じること。
……悪く言えば、常に自分が好かれていると思い上がること、だけど。
でもこれもこれで結構な勇気がないと出来ないから、臆病な私が掲げる命題としては結構いい感じなんじゃないかな。
……唯は隠し事はしても、私のことは裏切らない。ずっと好きでいてくれる、私が唯をずっと好きなように。
ちょっとでも唯を疑ってしまった自分に対する戒めとして、胸に刻みながら……唯を抱きしめる。
澪「……行っておいで。でも、絶対帰ってきて、私のところに」
唯「澪ちゃんっ……うん、うんっ!」
私を抱きしめ返す腕の強さが、そのまま唯の想いの強さな気がした。
だから、何も不安なんてない。
律「…………あ、解決した?」
紬「しっ!りっちゃん、お邪魔虫は退散しましょ」
澪「そういうのいいから!」
◇
……明日、唯は発つそうだ。
私も帰ろうと思えば明日帰れるんだけど、唯を信じて送り出す立場を選んだわけだし、帰るのは明後日にしよう。
……そう思っていた。
寝る前に届いた一通のメールを読むまでは。
この時の私には、このメールの差出人の意図も、そして唯があのタイミングで皆に秘密を明かした本当の理由も、全く見えていなかった。
【白色に埋もれた桜の街にて】
――結論から言うと、結局私は唯の少し後に桜が丘に帰省する形になった。
といっても、唯の件は関係ない。メールの差出人が私に会いたいと言い、時間まで指定してきただけのこと。
……一応、出来れば唯には内緒で、とは言われているが。
内緒にしてほしそうではあるがそれを強制するわけでもない、という姿勢は端から見れば不自然かもしれないが、相手が相手なのでそこまで私は不自然には思わなかった。
だって相手は。
憂「……お待ちしてました、澪さん」
「家の前に着いたら、普通に呼び鈴を鳴らしてください」
憂ちゃんに指示されたのはそこまでだった。
そんな普通のことまで指示するのもおかしな話ではあるが、特に気にせず玄関をくぐる。
そこで気づいたが、玄関にどこかで見たような靴があった。
澪「……唯、帰ってきてる?」
その疑問に憂ちゃんは答えず、唇の前に人差し指を立てた。
静かに、ということだ。
憂「今日は澪さんとお話がしたいんですが、まずはその前に、今来ているお客さんのお話を盗み聞きして欲しいんです」
優しく小声で語りかけてくる。内容はあまり優しくない気もするけど。
それに倣い、私も小声で返す。
澪「ぬ、盗み聞きって……良くないよそんなこと」
憂「大丈夫です、いつかは澪さんも知ることですから。ただ、私は今すぐに知ってほしいんです。知った上で、私の相談に乗ってほしいんです」
澪「で、でも……」
憂「……お願いします、助けてください。澪さんの意見が欲しいんです。責任は私が負いますから」
憂ちゃんがこんなにも私に縋るのは初めてのことで、逆に私が負い目を感じそうなほどだった。
責任の所在はどうでもいいけど、ここまで弱々しい姿を見せられては……さすがに断れなかった。
憂ちゃんの力になりたいと思う気持ちのほうが上回ってしまった。
澪「……わかった、どうすればいい?」
憂「……ありがとうございます。お客さんは二階のリビングにいるので、見えないところで聞き耳を立てといてもらえれば。あとでメールで連絡するので、携帯はマナーモードにしておいてください」
頷いて、言われるまま携帯電話の設定をいじる。
その後、出来るだけ気配を消して憂ちゃんの後ろについて二階へ向かった。
……といっても気配の消し方なんて知らないので、出来るだけ足音を立てないようにして、呼吸も細く長く小さくするようにする、くらいだけど。
……二階への階段を上りきる寸前で、憂ちゃんは一度私に頭を下げた。よろしくお願いします、ということだろう。
私が頷き返すと、憂ちゃんはそのまま階段を上りきって曲がり、リビングへと入っていった。
確か唯の家のリビングは扉も何もなく、階段のすぐ隣だったはずだ。私はこれ以上前に出ないほうがいいだろう。
その場で息を殺し、意識を耳に集中してみる。するとすぐに会話は聞こえてきた。
唯「誰だったの?」
憂「宅急便屋さん。隣のおばあちゃん家と間違ってたみたいだから少しだけ教えといた」
唯「なーんだ」
……なんだ、やっぱり唯は帰ってたのか。ちゃんと帰れたことにはとりあえず安心だな。
………いや、でも、これはちょっとよろしくないんじゃないか?
だって、唯が今日帰省したのは誰かと会うためで、その相手のことは内緒にしたかったわけで。
憂ちゃんいわくここには「お客さんが来てる」らしくて、そのはずの場に唯もいて。
……ということはもしかしたら唯が隠したがった相手がここにいるのでは?
さっきの、どこかで見たような気がする靴の相手が、すぐ向こうに……
梓「……で、唯先輩、どうでしたか? 私達のライブは」
……梓!?
この声、間違えようがない。そこにいるのは……憂ちゃんの言う「お客さん」は、間違いなく梓だ…!
唯「うん、すごかったね。あずにゃんの軽音部、いい子達ばかりでとても楽しそう」
……梓の率いる『わかばガールズ』の学園祭での公演を、私達は直接見に行くことは出来なかった。不幸にも私達の学園祭と日程が被ってしまったからだ。
梓には前もって謝っておいたが、もちろんそれだけで済ませることなんて出来ない。
『何故か』ムギが持っていた梓達のライブ映像をその日の夜のうちに皆で観て、感想を一気に梓に送りつけた。その日のメールは深夜まで続いたことを覚えている。
私達の誰もが、梓達のその姿に刺激を受けたのは間違いなかった。ゆえに今の唯の言葉はその時の皆の総意でもあった。
……でも、何故? 何故梓が今ここにいて、その話を唯にしているんだ?
梓「ありがとうございます。……ってそれはもうたくさん聞きました!」
憂「でも嬉しいんでしょ? 部長」
梓「嬉しいけどっ! 今言いたいのはそういうことじゃなくて!」
唯「………」
梓「……どうでしたか、唯先輩。私が、いえ、私達がこの星でする最後のライブとして、相応しいと思ってくれましたか?」
……えっ?
唯「……本当に、あの星に帰るの? 私は地球生まれだからわからないけど、ひどい星だってお父さん達は言ってたよ?」
梓「私だって地球生まれですし、親から同じように聞いてます。でも、だからこそ一目見てみたいと思いますし、同時にあの星のために何か出来るならやってみたいとも思うんです」
唯「……いいじゃん、このまま地球で暮らそうよ。楽しいでしょ?」
梓「それはもちろんです。いえ、むしろ楽しすぎるから今しかないって思ったんです。このまま先輩達と同じ大学に行ったら、きっともう機会はありません」
唯「……そう、かな。私にはよくわかんないや」
梓「……もう大学も辞退してきました。もう戻れない……ってことはないですけど、でもそのくらいには決意は固いつもりです」
唯「……憂も?」
憂「……わからない。梓ちゃんの、一度母星を見てみたいって気持ちは、わかる。でもお父さんお母さんが捨てたような星を、私達だけで何とかするのは……難しいと思う」
梓「……私も、命をかけてまでやろうって心意気じゃないよ。無理ならすぐに戻ってくるつもり」
「でも、もしも私達が地球で学んだこの『楽しさ』を、ほんの僅かに分けるだけでも苦しむ人が減る、としたら……って思うと、止まらなくて」
唯「ひどい星だからこそ、ってこと?」
梓「はい。だからこそ私みたいな小さな存在でも、小さな小さな波紋にくらいにならなれるんじゃないかって。たとえ全部をひっくり返すのは無理だとしても」
唯「……それが終わったら、帰ってくるの?」
梓「はい。いつになるかはわかりませんが……」
唯「………」
梓「やっぱり、ダメ、ですかね。やめといたほうがいいですかね」
唯「……………」
梓「……憂まで連れて行こうって言うんですから、先輩としては尚更ダメですよね」
唯「それは……憂次第、だよ。そこまでは口は挟めないよ。もちろん、憂がいなくなるのは寂しいけど」
憂「お姉ちゃん……」
唯「でも、好きな人と一緒にいたいって気持ちは、よくわかるから。わかるようになったから」
梓「澪先輩、ですか」
唯「うん。私ももし澪ちゃんがどこかに行くって言うならきっとついていきたいって思うはずだから」
……自分の名前が話に出てきたことで、ようやく頭が回り始める。
えっと、要するに梓も宇宙人で、っていうか平沢家と同じ星出身で、大学には行かず、自分の星に帰ろうとしている?
今はその方向だけど絶対の決定というわけではなく、憂ちゃんや唯の顔色を伺っているのが現状で。
唯としてはあまり認めたくなさそうな感じ、かな? 梓の意思を全部否定したいというわけではないにしても。
憂ちゃんは……半々? あ、いや、そうか、憂ちゃんが相談したいと言ってきたのはこの件に関してなのか。
彼女もいろんなものの板ばさみになっていて、決めかねているのか。
……もしかしたらそれは憂ちゃんだけじゃなく、全員そんな感じなのかもしれないけど……
……と、情報を整理するのにいっぱいいっぱいで気づかなかった。気を配れなかった。
澪「ひいっ!?」
……いつかポケットの携帯電話が振動する、と言われていたのに、備えられなかった。
梓「……今、誰かの声がしなかった?」
唯「っていうか、澪ちゃんの声が……」
憂「あ、あー、え、えっと……猫じゃないかなぁ?」
ね、猫!? 猫の鳴き真似をしろってことか!?
ええい、私のせいには違いないんだし、どうにでもなれ!
澪「に、にゃぁ~お……」
梓「あっ、あずにゃん二号の声に似てる!」
唯「猫がいるならいるで問題だよ!? 出してあげないと!」
憂「あ、ま、まってお姉ちゃん!」
……果たして、私の猫真似は成功したのかしてないのか。
それはわからないが、その結果、めでたく唯とご対面することになった。
唯「澪ちゃん……どうしてここに?」
梓「澪先輩!? い、今の聞いてました?」
澪「え、えっと……」
梓「あ、あの、冗談ですからね!? 宇宙人がどうとかって! 唯先輩は普通の人ですからね!」
憂「あ、梓ちゃん、落ち着いて!」
唯「それは大丈夫だよあずにゃん、澪ちゃんは知ってるから。でも――」
梓「あ、そ、そうなんですか? よ、良かったぁ……」
澪「……? いや、私が驚いたのはむしろ梓が宇宙人だってことなんだけど……そこは隠さないの?」
梓「まあ、そのうち明かすつもりでしたから。隠したまま星に帰れはしないでしょうし」
唯「あ、なんだ、そうなんだ……」
そういや憂ちゃんも「そのうち知ることになる」って言ってたっけ。
梓が何を計画しているのかそもそも知らなかった唯は気を遣って隠そうとしたけど、今の梓のあっけらかんとした態度を見るに結局それは不要だったようだ。
とはいえ、そんな気遣いが出来る優しい唯を私が好きなのは変わらない。
梓「はあぁ……ヒヤヒヤしましたよ。私が唯先輩を呼び出したせいでとんでもないことになっちゃったかと……」
その発言の意味をちょっと考えて、すぐに思い至る。
唯が気を遣ったように、梓も唯の秘密がバレないように気を遣ってミステリーサークルで唯を呼び出したんだ。
中でも怖がりな私にバレた日には別れ話にまで発展するかもしれない、とまで考えてくれていたんだろう、今の言葉から察するに。
……梓が宇宙人だと知っていれば、私だって梓に伝えてたさ。唯が宇宙人だということは承知の上だ、と。
ということは今のこの事態は、私と唯と梓、それぞれが一部の情報を知らなかったが故に起こったすれ違いなわけだ。
そう考えると面白い……けど、面白い反面、そのすれ違いの外にいながらも事情を知っている人に皆の視線は向かう。
それぞれの事情を知っていてもおかしくない相手だから、必然的に。
唯「……澪ちゃんを呼んだの、憂だよね?」
梓「そこに澪先輩がいるってわかってそうな口ぶりだったし」
憂「……ごめんなさい」
唯「あ、ううん、責めてるわけじゃないよ。結果的にだけど、隠す必要なかったんだし」
梓「……あ、もしかして、むしろ憂は隠す必要がないってわかってたから澪先輩を呼んだの?」
憂「……ううん。隠す必要はないってわかったから呼べただけで、澪先輩を呼びたかったのは別の理由」
俯きながら、憂ちゃんは言葉を吐き出す。
その姿は今にも泣き出しそうで、私は内心ハラハラしていた。
憂「……この場に、澪さんが居て欲しかったんです。梓ちゃんに対する私の立場に相当するのは、お姉ちゃんに対する澪さんですから」
澪「それは……そうかもしれないけど」
梓「でもそういうことなら、こっそり呼ばなくてもいいじゃない? 事情を全部知ってる人を呼ぶってことなら、私達も反対なんてしないよ? ですよね、唯先輩?」
唯「うん、そうだよ憂」
憂「……でも、私の立場に相当するのは澪さんだけ」
梓「う、うん」
憂「そして、そんな澪さんをこの場に普通に呼んだら、澪さんも澪さんとして意見を求められちゃう」
澪「………」
憂「そうなったら……私は、誰にも相談できなくなっちゃう」
俯いたままの憂ちゃんに気づかれないよう、さっき見損ねたメールを見る。
そこには、『澪さんはどう思いますか?』とだけ書かれていた。
ただそれだけ。ただ、私の意見を聞きたかっただけ。何の条件も前提もない、私の思うままの意見を吐き出して欲しがってる一文。
そして、それを梓や唯よりも先に、自分だけにぶつけて欲しがっている。
それらの意味するところは。
澪「………憂ちゃんは……流されたかったんだな」
決められなかった。選べなかった。動けなかった。
言い方はいくつもあるけど、真の意味でそんな状態になった時の解決法はそんなにない。
……一番手っ取り早く確実なのは、外部から作用する力に頼ることだ。
『時間が解決してくれる』とかは典型的な例だ。絶対的な影響力を持つ、自分の意思とは無関係な外部の力。
時にそういうものに頼らなくちゃいけないことがあるのは理解している。ただ、他ならぬ憂ちゃんがそんな状況になっているということが意外すぎた。
私にとっても、もちろん他の二人にとっても。
憂「私は……自分の意見が持てませんでした。梓ちゃんにはちゃんと自分のしたいことがあるのに……」
梓「憂……」
誰よりもしっかりしていると評される憂ちゃんが、自分の全てを誰かの意見に委ねる。
恐らく誰もが初めて見るであろうその姿は、自棄になっているようにさえ映る。
梓「……そんなっ、私は、憂をこんなに追い詰めるつもりなんて…!」
憂「……ううん、ちゃんとしたいことのある梓ちゃんは素敵だと思う。だからこそ、梓ちゃんの足は引っ張りたくなかったんだけど……」
梓「ごめん、ごめんね、憂っ……!」
憂「……私のほうこそ、ごめんね、梓ちゃん……」
唯「っ………」
唯も何も言えずにいた。
唯の口にした「憂次第」という言葉は、憂ちゃんに決断を強いるだけの言葉。
ずっと悩み続けてきてもなお答えの出せない憂ちゃんにとって、そんな言葉は何の意味も無い。
それが憂ちゃんの意見を尊重したいという意味で言ったのだとしても、そもそもその意見が持てないのだから。
自分の意見を持っていた梓。
他人の意見を尊重したかった唯。
その中間にあり、どちらにも動けないのが憂ちゃんだった。
いや、唯だって『他人の意見を尊重したい』という自分の意見を持っている。それに反し憂ちゃんは、なまじどちらの言い分もしっかり理解しているがために……
……決めかねている、なんて言葉で表しちゃいけなかった。憂ちゃんは、悩み苦しみ、焦燥していた。
……力になりたい。そう思った。
澪「……梓、唯」
そう思ったのは、きっとこの二人も一緒だと思うけど。
澪「憂ちゃんに相談されたのは私だ。だから、ちょっとだけ憂ちゃんのこと、任せてくれないか?」
……二人とも、申し訳なさそうな、縋るような、そんな複雑な表情とともに頷いてくれた。
◇
――別に、何か策があったわけじゃない。
ただ、まだ自分の意見を言っていない私だからこそ出来ることがあるんじゃないかと思っただけ。
……というかそもそも私もまだ自分の意見が持てていないんだけど。
というわけで、とりあえず情報の整理がしたかった。故に憂ちゃんの部屋で憂ちゃんと二人で、ひとまず現状を把握しよう、ということに。
梓の意見のほうは簡単だ。優しく前向きな梓が、ひどい状態にあるらしい祖星(とでも言うのだろうか)をなんとかしたい。なんとか出来なくとも一目見てみたい。それだけだ。
それに対し、それら全ては地球人としての普通の生活を捨ててやるほどの価値は無い、と否定したそうなのが唯だ。キツい言い方をするなら。
もっとも梓や憂ちゃんをあんなにも溺愛している唯だから、そんなの建前で単に二人と離れたくないというだけの可能性もある。が、それは今は考えないでおく。前述の理由にどれほどの説得力があるかが今は問題だ。
そしてその理由の元は、祖星を捨ててきたご両親から聞かされた当時の様子によるものが大きいと思われる。梓も似たような感じで両親から聞かされているらしいが……
澪「……私も、憂ちゃんのご両親から当時の話を聞いてみたい。判断の材料にしたい」
憂「……わかりました。メールしてみますね」
澪「うん、ありがとう」
憂「……あの、澪さん。私を責めないんですか…?」
澪「え? なんで??」
憂「……私は、澪さんを利用したと思われても仕方ないと、今なら思えます。梓ちゃんやお姉ちゃんに隠し事をしたのも悪いことだと思ってます」
澪「……うーん、多少の隠し事くらい、してもいいと思うよ。今日の唯だって、梓と会うってことを私に隠してたわけだし。もちろん梓も私に黙って私の彼女と会おうとしてたわけだし」
憂「でも、それは――」
澪「うん、そこにはちゃんと互いを思い遣っての理由がある。憂ちゃんだってさっき言ってたじゃないか、梓の足を引っ張りたくないって。だから自分なりの結論を出そうと急いで、私を呼んだ」
憂「……たとえそれで隠し事のほうは許されても、自分の都合で澪さんを利用したことは許されません」
澪「利用? おかしいな、私は悩みを相談されてるだけなんだけど?」
憂「で、でも……」
澪「こんなもの言い方次第だよ。そして私の感じ方次第。さらにもっと言うなら、今の憂ちゃんになら利用されたって構わないって思う」
憂「………」
澪「……なんて、さっきドジして台無しにした本人が言っていいセリフじゃないか。ごめんね、うまく出来なくて」
憂「い、いえ! あの、今となってはちょっと、バレてよかったなって思える面もあるんです……私から頼んでおいて、勝手な言い分ですけど」
澪「そうなの?」
憂「はい。少なくとも、梓ちゃんに謝る機会がもらえたので、それだけでも良かったです。私の決断も待っててくれた梓ちゃんに……」
澪「………」
見た限り、梓が謝られることを望んでいたとは思えなかったけれど。憂ちゃんも決断を急ぎたかっただけのはずだけれど。
それでもお互いに謝り合う結果になってしまった。そして、私はその結果を招いた一人なんだ。もっと二人に向き合わないといけない。
憂「……梓ちゃんは多分、お姉ちゃんにはっきりダメって言われたらすんなり引き下がったんじゃないかなって思うんです」
澪「……うん、そうかもしれないな」
私は先輩と後輩として接することが多かったから、憂ちゃんの見てきた梓とはイメージが違うかもしれない。
でも、大切な人の忠告を無視し、悩み続ける恋人をも無視して自分の望みを叶えたがるタイプではない。
きっと梓は、今日ダメと言われれば諦めたし、それ以降でも憂ちゃんが嫌と言うなら行かなかっただろう。
それを「その程度の熱意」だなんて言うつもりはない。「その程度の熱意」なら自身の退路は断たないし、憂ちゃんをここまで悩ませもしない。
自身の望みと、憂ちゃんへの気遣い。両方を前面に押し出しただけなのだと思う。
澪「……梓は、偉いな」
憂「……はい。私のことを気にかけながらも、自分の意思で、やりたいと思ったことに真っ直ぐに進んでいます。私もそうありたかった……」
……これは私の勝手な想像だから本人には言わないけど、憂ちゃんの今の状態は、やはりどちらにも動けない状態だと思う。
梓と一緒に居たいけど、この星を離れたいわけではない。つまり、どちらかを切り捨てるという前提だとどちらも選ぶことができない。
梓のやりたいことを邪魔したくはないけど、梓のやりたいこと自体にはあまり賛同できない。でも祖星を見たいという気持ちは理解しているし、自分もそういう気持ちはある。
梓の足を引っ張りたくはないけど、それでも梓のようにはなれない。かといって梓の考えを変える、なんてのも望んではいない。
……参ったな、まるで解決策が見えないぞ?
憂「……お父さんとお母さん、夕方には戻るそうです」
澪「そっか。じゃあ……そうだな、普通にだらだらと喋って待ってていいかな? 梓と唯も一緒にさ」
憂「……はい。じゃあまたリビングに行きましょうか。お茶とお菓子、用意しますね」
澪「手伝うよ」
憂「いえ、これくらいはさせてください。相談に乗ってもらってるんですから……」
◇
――その後の4人での会話の中で、私だけが知らなかった事実がまた少し出てきた。
特に大きいのは、私が焦って告白する切っ掛けのひとつでもあった、唯が梓にべったりしてた(ように私には見えた)件について、だ。
何でも当時から平沢姉妹は梓が祖星を同じとする人じゃないかと疑っていたらしい。よって部活では唯が、教室では憂ちゃんがよく近くにいたというわけだ。
憂「なんとなく、でしたけどね、なんとなく他の子と違う感じがして」
梓「私は全然わからなかったなぁ……なんとなく、唯先輩や憂の近くは、その、安心する感じはありましたけど……」
唯「えへへ、かわいいこと言ってくれるねぇ仔猫ちゃん」
梓「む、むぅ……」
まあ見ての通り、疑っていたと言っても相手があんな出会い方をした梓なので警戒していたというわけではなく、むしろ宇宙人だとわかってもお互い地球生まれなので何も変わらず、最終的にはやはり普通に人間として仲良くなったらしい。
ちなみにその件が解決してからもずっと憂ちゃんは梓の近くにいてくれて、意識してしまった梓と意識された憂ちゃんの距離は恋愛的な意味で近づくことになり、今に至るとのこと。
密かにミステリーサークルを使った宇宙語の知識も三人で共有しており、それがたまたま今回活用できたということになる。
唯「あっ、そういえばあずにゃん、ムギちゃん家の別荘のあれは不法侵入でしょ。そんないけない子に育てた覚えはありません!」
梓「育てられてないですけどあれはちゃんと許可取ってます」
唯「あ、そうなの。ちぇっ、ごめんね」
梓「「ちぇっ」って何ですか……ちゃんと菫に――あ、えっと、ムギ先輩の家に一緒に住んでるお手伝いの家系の子に許可を取りました」
澪「うん、その子のことはムギから聞いたことあるよ。ドラムの子だよな」
梓「はい。憂と純はスミーレって呼んでますね。良い子ですよ」
唯「……あれ? ということはそのスッミーレちゃんはあずにゃんが宇宙人だってことを知ってるの?」
梓「スッミーレって何ですか……まあ、大学を辞退した時点で隠しきれませんからね、部員全員にはその時明かしました」
唯「そっか……」
梓「……はい」
憂「………」
やはり、空気は少し重かった。問題は何も解決していないんだから当然といえば当然だ。
他ならぬ私が問題を先送りにした身だから、その空気を責められるはずもない。
その後も何度か唯のおかげで明るい空気になりかけたが、やはり些細なところから当面の問題に話が戻ってきてしまったり、そうでなくても妙な沈黙が挟まれたりして、この空気を払拭することは出来なかった。
問題は先送りしたんだから今払拭してもしょうがないんだけど、それでも、居心地の悪い空気だ、と思った。
【黒を語る】
唯父「――やあ、久しぶり。唯の父です」
唯母「母です」
前に会ってから一年も経っていないから当然かもしれないが、二人の姿はあまり変わっていなかった。
今回の話は建前上は宇宙人として今まで何があったのかを聞きたい、ということになっている。梓と憂ちゃんの件は伏せたまま話を進めないといけない。気をつけよう。
澪「お邪魔してます、秋山澪です。えっと、急な話で申し訳ありません」
唯父「ううん、いいんだ。むしろ待たせてしまってすまないね、せっかく唯のことを――いや、僕達一家のことを理解してくれる人が現れたというのに」
唯母「梓ちゃんのことも、かしら?」
梓「あっ、はい。大丈夫です」
確かに、この場に梓がいるということは、私が梓も宇宙人だということまで知っている。という前提になる。
ついさっき知ったばかりなんだけど、そんなことまで言う必要はないか。
唯父「そういえば中野さんのご両親ともお話したことがあってね。いくつか交えて話すよ。もちろん、中野さんが宇宙人だというのは二人と中野さんが打ち解けてから知ったんだけど」
澪「あ、そうなんですね。よろしくお願いします」
唯父「うーん、どこから話そうか。唯から大体のことは聞いてるとは思うけど」
唯「……あの、お父さん、澪ちゃん、その前に。私達も一緒に聞いてていい?」
私達、と言う唯の隣には、もちろん憂ちゃんと梓も並んでいる。
おじさんは「僕は何も構わないけど」とだけ言い、私に視線を向けた。三人の視線も私に向かう。
とはいえ私としても、
澪「う、うん、別に不都合はないと思うし、むしろ一応一緒にいて欲しいかな」
唯「……ありがと」
唯父「……よし、じゃあ最初から全部話そうか。気になることがあったら何でも聞いてくれ、一切の隠し事はしないよ」
澪「あ、ありがとうございます、よろしくお願いします」
唯父「一応、唯や中野さんからの質問も受け付けるけど?」
唯「……まあ、何かあったら、ね」
梓「そうですね、その時はお願いします」
唯父「わかった。じゃあ話そうか。ええと、そもそもの切っ掛けは――……」
――おじさんは話上手で、わかりやすく短く話をまとめてくれた。
まず、自分達の星は徹底された管理社会で、それを嫌って星を捨てる人は結構いた、ということ。
唯父「『モダン・ディストピア・ワールド』って映画を見たことはあるかい? あんな感じさ、生きる理由も目的も手段も、全てがあらかじめ定められ管理され、僕達に自由は一切無い。娯楽も無く、愛する相手も選べない」
「しかしそのくせ、自由という言葉を知る機会はあったし、星を捨てて逃げ出すことに成功した人は割といた。半数くらいかな。移住する先は地球がいいという噂まで流れてくる始末だ」
「管理しつつも選別するのが目的だったのかもしれないが、まあ、今となってはどうでもいいことだね。あの惑星に未練はない」
移住先に地球が選ばれていた理由は『人の外見が瓜二つだから』ということ。一時期流行ったタコみたいな異星人というのもどこかに実在するらしい。
そして平沢家が祖星を捨てた理由は『愛する相手を選びたい』というところにあり、同様に中野家のほうの理由は『娯楽という文化に憧れた』かららしい。特に私達が熱中しているような『音楽』という娯楽は斬新に映ったとのこと。
納得は出来る。目の前の夫婦はどこに行くにも一緒なラブラブ夫婦だし、梓のご両親も共にジャズ奏者だと聞いた。そのようなバックボーンがあるとすればごく自然な成り行きだ。
そして同様に、ラブラブ夫婦の娘である唯が皆に愛を振り撒き、誰からも愛される存在であることも。それでいて私との恋愛には臆病すぎるほど真剣になってくれていることも。
幼いころから音楽に触れていた梓が、その道に対して非常に真摯で一途であることも。その理由を知り、逆に祖星に持ち込みたいとまで思うほどに音楽を愛していることさえも。
全て、自然な成り行きだ。
……唯が梓を引き止める理由が、両親から聞かされた祖星の環境の話だった。なら、それを聞けば私も唯の心境が理解できるのではないか……
そう思って話を聞きたいと申し出たはずだった。
いや、実際理解は出来る。でも同時に今の話は、梓が祖星に音楽を持ち込みたいと思うほどにそれを好きな理由の裏付けでもあった。皮肉にも。
憂ちゃんや唯が梓を引き止めたい理由も、しかし強く引き止められない理由も、両方がわかってしまった。今の説明だけで充分すぎるほどに。
唯父「生憎、あの惑星の状態を写真に撮ったりは出来なかったから証明は出来ないけど。そのあたりはしっかり見張られていたからね、こう聞くと都合のいい話のようだけど」
澪「……いえ、疑うつもりはありません。ちなみにおじさんの目から見て、今は少しはマシになっている可能性とかは…?」
唯の意見の根拠も梓の意見の根拠も、どちらも痛いほど理解できた。なら、もしその根拠が全てひっくり返れば……?
当時はそうでも、今はわからない。もし今はもっと良い環境になっていれば、唯が引き止める理由もなくなる、あるいは梓が娯楽を広める必要もなくなる。どっちに転ぶかはわからないけど、前提が変われば全てひっくり返る。
……でも、逆に言えばこの程度の発想しか浮かばなかった。もしかしたら、という前提でしか意見できなかった。もしかしたら当時よりもっと酷い環境になっているかもしれないというのに。
唯父「無いと思うけどね。興味があるなら見に行ってみるかい?」
澪「え、えっ? そんな簡単に行けるんですか?」
唯父「もちろん簡単ではないよ。でも僕達や中野さんが乗ってきた宇宙船、いやUFOかな? まあどちらでもいいけど、それがちゃんと都心の奥深くに隠してあるから不可能ではないよ、という話」
ということは、梓や憂ちゃんも許可を得てそれを使う算段なのだろうか。思わぬところから仮説が出来てしまった。
でもまあ、そこは今は問題じゃない。というか、問題だったところはもう語ってもらってしまったのだけれど。
唯父「ただ、あまり望ましいことではないね。僕達は地球人として永住したいと政府に許可を得て居座っている。ありがたいことにすんなり許可は出た。そして僕達はそれに報いるため、信頼を得るためにこの星、この国で働いてきた」
「なのにもう一度この星から出してくれ、と頼むのは、僕達夫婦を同じ職場に置いてくれたり、国外旅行の権利とかも日本人として扱うなど心優しい便宜を図ってくれてるこの国を裏切る行為に若干近いのは確かだね」
その言葉に、梓の表情がやや曇ったのを見た。
「事情を説明すればわかってくれるかもしれないけど」とおじさんの言葉が続いていたが、それを聞いても梓の表情は晴れはしなかった。
梓のことだ、自分の行動が親に迷惑をかけるかもしれないことくらいは想定済みだっただろう。親に止めろと言われれば止めただろうし、むしろ既に親に相談済みの可能性もある。
ただ、その件で平沢家までもを含む宇宙人全体が不利益を被る可能性があるとなれば、仮に親が許してくれていたとしてもなかなか割り切り難い事なんじゃないか、と思う。
もっとも、ここには若干の話の食い違いがある。おじさんの言う話はおじさんが頼んで私を連れて行く場合、の話だ。
梓や憂ちゃんが祖星を見たい、という場合はそれこそ「事情を説明すればわかってくれるかもしれない」。第二の故郷を見たいという気持ちは理解できる範囲のはずだ。
だが、梓という人間にとっては自分以外の人に迷惑をかける可能性を前にして、「かもしれない」程度の根拠では動けないのもまた事実なのだろう。
唯父「本題に戻ろうか。とは言っても、もうほとんど語ることもないかな? この星に辿り着いて、今言ったように許可を貰い、いろいろ学んだ上で僕達は普通の地球人と変わらない暮らしをしている」
「させてもらえている、と言った方がいいかな。一方、唯達は地球で生まれたわけだから普通の地球人として扱ってもらえるように頼んである。これも許可は貰えているね」
唯「私にも忘れて生きろって言ってたもんね」
唯父「僕達としても、一応唯と憂に伝えるかは悩んだんだ。受け継いで誇りとするような事柄では絶対にないしね。いっそ一生知らないほうが幸せかもしれない、とも思った」
「でもやっぱり、自分のことを自分が知らないっていうのは哀しいじゃないか。知ったことでこの子達が悩み苦しむとしても、哀しみよりはマシだと思ったんだ」
「……もっとも、実際に悩む二人の姿を見て、それが独り善がりな感情だったということは思い知ったんだけどね」
独り善がりと言い切るということは、伝えたことを後悔しているのだろう。
実際、宇宙人であるということを伝えなければ中学時代に唯は悩みはしなかっただろうし、私と付き合うことになってからも私に隠し事をしている罪悪感に苛まれ続けることもなかった、と言える。
でもそれ以外にも言えることはある。私の口から言えることがひとつだけある。
澪「……独り善がりだったかどうかはわかりませんが、そうして全部を受け止めて育った今の唯のこと、私は好きですよ」
唯父「……そうか。ありがとう、秋山さん」
澪「いえ…………」
……あっ、い、今のセリフ、唯を愛してますって意味で取られたのかな!? 実際そんな関係ではあるけど、そんな意味で言ったんじゃないよ!?
っていうかもしかしたら既に私と唯の関係も知ってるかも!? 唯のご両親との対面は二回目だから私の口からは言ってないけど、唯が言ってないとも限らない――
唯「お父さんお母さん、今ので察したかもしれないけど、前に言ってた恋人っていうのは澪ちゃんのことなんだよ」
言ってなかったーーー!
唯父「なるほど、それで宇宙人について聞きに来てくれたんだね。そこまでの関係なら安心して唯を任せられるよ」
唯母「そうねー。こんな娘ですが、よろしくお願いします、澪ちゃん」
澪「えっ、いや、あの、その、こちらこそふつつかものですが……よろしくお願いします」
唯母「ええ、もちろん」
ずっと笑顔で黙って話を聞いていたおばさんだったけど、この時は三割増で笑顔だった。
何故か梓からの視線を感じる気がするけど気のせいだと思う。
唯父「……唯。せっかくだから今言っておくけど、もし子供ができた時は、宇宙人だと伝えるかは真剣に考えなさい」
唯「……うん、わかった」
澪「………」
……こんなギャグめいた展開でも、すぐに現実的な問題に持っていかれてしまう。宇宙人だということは、やはり当事者達の中で大きな問題なんだ。
唯を好きになり、事情も知った私も既に無関係ではいられない。そして今は別の問題も抱えている。梓と憂ちゃんの件も。
……それぞれが抱えている事情の裏は取れた。後は……考えるだけだ。
◇
唯父「……さて、多分大体話し終えたと思うけど、何か質問はあるかい?」
澪「いえ……多分、特にないと思います」
唯父「そうか。いつでも何でも聞いてくれていいよ。今日でなくても、必要な時は唯に番号を聞いて電話してくれてもいいし」
唯母「あっ、そうだ、澪ちゃん今夜泊まっていったらどうかしら? 梓ちゃんも、せっかくだから」
澪「えっ、えーと……」
ど、どうしよう。そう言ってもらえるのはありがたいし、聞きたいことがまだ出てくるかもしれないから合理的ではあるんだけど、急にそう言われても決めにくい。
梓にも視線で問いかけてみるも、同じように戸惑った顔をしていた。
唯父「こら、急に言っても迷惑だろ。親御さんの許可もいるだろうし、秋山さんに至っては今日こっちに帰ってきたばかりなんだろう? ご家族だって会いたがっているはずだ」
澪「あ、いえ、親には言ってみないとわかりませんけど、私自身は迷惑だなんてことは……むしろ嬉しいです」
唯父「そうかい? 秋山さんに問題がなければ、僕としても大歓迎だけど」
唯母「梓ちゃんは?」
梓「……そうですね、じゃあ、お世話になります」
さっきは戸惑っていたのに、この短時間で決めたのか、梓は。
……いや、昔からハッキリするべきところはハッキリする子だったな、梓は。
澪「私は一度帰って、親に聞いてみていいですか? 泊まるなら着替えも持ってこないといけませんし」
唯父「わかった」
憂「……あ、あの、澪さん」
澪「……ダメって言われても、ちゃんと結論は出して伝えるよ、憂ちゃん」
……そうだ、憂ちゃんの悩みを預かった責任はある。
解決策は見えないけど、そこから逃げるつもりはない。
梓「あっ、私も着替え取りに戻ります。途中まで一緒に行きましょうか、澪先輩」
澪「え、うん、いいけど」
梓がそう言い出すことと、言ってること自体はそこまで不自然な行動ではない。……ないはずなのに面食らってしまった。
どこかで感づいていたんだろう。それだけで済むわけがない、と。
【彼女の夕暮れ あかね色】
梓「――ズルいです、澪先輩は」
やはりというか、玄関をくぐって外に出た瞬間、梓からそう言われた。
澪「な、何がだ?」
梓「……両親公認の仲なのが、です」
澪「い、いや、あれは……唯が勢いでバラしちゃっただけだし」
梓「その前に澪先輩自身も言ってるじゃないですか」
澪「あれはそんなつもりじゃなかったんだって! 自分でも言い方が悪かったって思ったよ! 本当に!」
梓「……ふふっ、わかってますよ。澪先輩は真面目だから、時々周りが見えなくなるんです。知ってます」
澪「……私は梓にこんなイジワルな一面もあるなんて知らなかったよ」
梓「憂はきっと知ってますよ。逆に私の知らない澪先輩の姿も、きっと唯先輩なら知ってるんでしょうね」
澪「……そうかな」
梓「そうですよ、きっと。人を好きになるって、きっとそういうことです」
「……私も、前まではそう思っていたよ」
唯の秘密を知る前の私なら、きっとそう返しただろう。でも知ってしまった今の私なら、そんなことは到底言えない。
唯の知らなかった面を、告白してからたくさん知った私なら。唯自身がひた隠しにしていた秘密まで知った私なら。
紆余曲折あって、ずいぶん時間もかかったけど、結局は私が唯に告白したからこその結果だ。
だからやっぱり、人を好きになるって、そういうことだと思う。
梓「……私も、澪先輩と唯先輩のカップルみたいに、両親に許しを貰いたいです」
澪「………」
梓「……でも、今の私の場合、そこが終わりじゃないんです。許しを貰って、憂と一緒にこの星を出る。そこがゴールです」
澪「……うん」
梓「そこまで全部ちゃんと伝えないといけません。憂のご両親に」
澪「うん」
梓「……到底、許してもらえそうにはないですよね」
澪「……駆け落ちするとかは、考えないんだな」
梓「当たり前です。誰かを不安や不幸にさせる選択なんて、私も憂も望みません」
澪「うん、梓はそういう子だ。それは知ってた」
梓「……それは、どうも、です」
「でも梓がこの星を出れば、悲しむ人がいるんだよ」
そんな言葉は飲み込んだ。
そんな言葉は承知している梓だからこそ唯に許可を貰いに来たんだし、今もこうしてご両親に全て隠さず伝えようとしている。そして誰か一人にでも反対されたら自らの意見を引っ込めるだろう。
しかし。
そんな言葉を承知している梓のことを、きっと私達は誰一人として止められないんだ。誰かを悲しませたくない梓を、私達は悲しませたくないから。
……それこそ、憂ちゃんの両親が、親として、あるいは大人として止めない限りは、誰一人として。
……いや、正確には、もう一人だけいた。
梓「……行くの、やめようかとも思うんです。そうすれば憂は悩まずに済むし、ご両親もきっと認めてくれます」
澪「………」
梓「……でも、それは自分勝手の極みですよね。憂を含む周囲の皆をこれだけ振り回した挙句、やっぱりやめる、なんていうのは」
澪「……でも、さっきのおじさんの話にもあったように、梓が地球を出ることで地球在住の宇宙人が信頼を損なう可能性もあるんだ。それを考えたら、ここで引き下がるのもひとつの冷静な判断だと思う」
梓「……澪先輩は、私を引き止めますか?」
澪「っ……」
頷けなかった。
引き止めることは、出来ない。
おそらく私自身は引き止めたい側だ。でも強制なんて出来やしない。梓の意思を否定なんて出来やしない。
結局、唯と同じ側にいるということになる。いや、唯より下の場所にいる。「寂しい」と気持ちを口にした唯に対し、私はせいぜい理屈を並べ立てただけだ。聞き齧ったに過ぎない理屈を。
こんなことでは憂ちゃんに何も答えられない。こんな私の気持ちを憂ちゃんに強いることなんて絶対に出来やしない。
私には……何も出来ない。
梓「……自分の意見を貫いて誰かを悲しませるか、私自身が諦めるか。その二択しかないんですよね、今となっては。たぶん澪先輩達もだと思いますけど」
澪「……そうかもな」
梓「私がワガママ言ったせいですよね、全ては」
澪「……ワガママじゃないよ。誰かを助けたいって気持ちは、何よりも尊いものだから」
梓「ありがとうございます。でも、その気持ちが皆を悩ませているんですから、やっぱりワガママなんですよ。私の好きなもので誰かが幸せになってくれれば……って思ったんですけどね」
澪「………」
梓「それに、憂を巻き込んだのは間違いなく私のワガママです。実際は憂が自ら名乗り出てくれたんだとしても、そうなること自体がわかっていたんですから、私には。私が憂の立場でもそうしますから」
何か言い返したかった。でも言い返せなかった。
梓は不意に歩を早め、私の手が届かないくらいに離れたところで振り返る。
梓「だから、やっぱり行くのやめます」
その顔は、曇り無き笑顔だった。
梓「澪先輩達をこんなに悩ませてるんだから、私もワガママばかり言ってられません」
澪「ぇ……っ、あ、梓、違うよそれは、そうじゃない。それはダメだよ」
梓「そうですね、今更取り止めたって、失ったものは戻ってきません。憂は、もう第一志望の大学には行けません。私のワガママのせいで」
「あー、そう考えると既に憂の恋人失格なのかもしれませんね私。あはは……まあ、どうにかして償っていきますよ、一生かけてでも」
澪「っ、あ、梓っ、待って!」
走り、手を伸ばし、梓を捕まえる。
避けられたらどうしようかとも思ったが、そんなことはされなかった。
梓「……澪先輩。私、ずっと間違ってたみたいですね」
澪「梓……違うよ、だって、みんな、誰も梓の意思を否定なんてしてないだろ…!」
梓のやりたいことは、とても尊いものだと私は思う……けど、そんなの関係なく、梓のやりたいことだというなら何だろうと私達はきっと否定しない。悪いこと、間違ったことでない限りは。
澪「………ぁ」
……いや、違う。
違う気がする。
だって、私達は、梓の意志を否定こそしなかったものの、応援もしなかったじゃないか。
梓「……誰にも、憂にさえも、結局一度も全てを肯定してもらえませんでした。だから、間違ってたんですよ、私は」
そうだ。
否定しないというだけで、肯定もしなかった。
結論を出せず、悩んでいた。だから仕方ない? 違う、そういう問題じゃない。
どちらの言い分も理がある。だから仕方ない? 違う、そうじゃなかったんだ。
「気持ちはわかる」とか言いながら、結局は梓を一人で戦わせていたんだ、私は。
理解してくれる人はたくさんいても、あの場で梓の意見を肯定していたのは梓一人だったんだ。
きっと、同じように唯も。
「寂しい」と気持ちを口にしたのは、あの場で唯だけなんだから。
どちらも否定できないから、どちらにも立たない。
結果だけ見れば、その行動はどちらの背も押していない。それどころか、どちらからも距離をとっているようにさえ…!
さっきから、梓の満面の笑みが、とても寂しそうなものに見えてしょうがない。
唯は今日はどんな顔で笑っていただろうか。どうしても思い出せない。
澪「………偽善者か、私はっ……!」
悔しかった。
情けなかった。
だから、きっとまた私は怒りながら泣いていた。
梓「み、澪先輩…?」
澪「ごめん……ごめんね、梓……」
梓「い、いいんですって、私が決めたことです、澪先輩には何も責任は――」
澪「そうじゃないっ……辛い思いをさせてごめん、って……」
梓「そ、そんなことは……」
澪「……それと……やっぱり、諦めちゃダメだ、と思う、から」
梓「えっ……?」
澪「尊いって、言ったから。私は、梓の言い分を応援しないと、いけないっ」
梓「で、でも……」
澪「もちろん、唯の言い分もわかるから。だから、そのままは応援できない、けど、梓が諦めるのは、やっぱり違うっ…!」
どちらの言い分もわかるし、尊重したい。言ってる事自体はさっきまでと何も変わらない。
けど、違う。今の私は違う。とにかく行動したくてたまらない。
情けない自分は、もう嫌だ。
ダメでも構わない。ダメで元々。ダメなら誰かが止めてくれるよ。だから進もう。
何もしない自分も、何も出来ない自分も、もう嫌だから。
澪「梓、結論を出すのは、もう少しだけ待って。それと、やっぱり私は今日は泊まれないっておじさんとおばさんに伝えておいて。すいませんって」
梓「は、はい……」
澪「……じゃあ、また明日」
【白夜】
――梓と別れてから、私は奔走した。
といっても、文字通りに走ったのは家への帰路だけ。
息を荒げて帰宅した私を見てパパとママは驚いていたけれど、切羽詰っていることを真相は伏せてどうにか伝えたら納得してくれた。
それから、まずは憂ちゃんに連絡した。
「やることが決まったから、協力してほしい」と。
元々私に流されることを選んだ憂ちゃんだったけど、さっきの出来事と私のこれからの考えを聞いたら一も二もなく同意してくれた。
それから私は、携帯電話とパソコンと自分の頭を駆使し、下準備に奔走した。
そしてやるべきことを全て終え、最後に唯に電話をかけた。泊まれなかったことを謝ろうと思った。
唯『……もしもし、みおちゃん?』
澪「あ、唯。えっと、もう寝るところ?」
唯『うん。みおちゃんが来てくれないからギー太と不倫するもんねー』
澪「……ごめん、行けなくて」
唯『じょーだんだってば。憂から聞いたよ、頑張ってくれてるって。あとあずにゃんがすごく申し訳なさそうにしてた』
澪「……梓は何か言ってた?」
唯『んーん、何も。何かあったのかなぁとは思ったけど』
澪「……明日言うよ。待ってて」
唯『……うん、わかった』
澪「……ごめん、隠し事みたいになって」
唯『うん』
澪「でも、梓と唯の意見の間にいる私だから、今はどっちかにだけ言うってことは出来ないんだ、ごめん……」
後ろめたさはやっぱりある。唯を不快にさせてしまうんじゃないかという怖さもある。でも梓にも明かしていない以上、やっぱりここは譲れなかった。
そんな私に、今までとはうって変わってトーンの低い唯の声が襲い掛かった。
唯『……ねぇ澪ちゃん。澪ちゃんはまだ、私のこと好きだよね?』
澪「あ、当たり前だろ! なんでそんな――って、あ、そっか」
唯『えへへ。澪ちゃんみたいに言ってみたくて。大丈夫だよ澪ちゃん、信じてるから』
澪「あ、ありがとう……」
自分のセリフをそのまま返されるというのは、とても恥ずかしいものでした。
澪「あ、あのさ、唯」
唯『んー?』
澪「わ、私も信じてるから言うけど、あの、私のアイデアがダメだったらちゃんと言ってほしいんだ。憂ちゃんが協力してくれてるから大丈夫だとは思うんだけど……」
唯『……自信ないの?』
澪「……うん。ちょっと」
唯『……澪ちゃん、秘密にしてる相手にそれは無いんじゃない? ここは「私を信じて待て!」くらい言って欲しかったよー』
澪「……ごめん」
唯『えへへ。いつものみおちゃんだ』
澪「ど、どういう意味だそれ」
唯『明日楽しみにしてるって意味ー。じゃあね澪ちゃん、おやすみ! チュッ』
澪「お、おやすみ……」
チュッ、までは言えなかった。
【未来の色は】
――そして、その時はやってきた。
昨日と同じように、平沢家のリビングに私達は集合した。
といっても、そこにいるのは私と唯と憂ちゃんと梓の4人だけ。
澪「ご両親は?」
唯「ちょっと用事があるって。また夕方くらいには戻るって言ってたけど」
澪「そっか。助かる……かな。まずは唯と梓の判断を仰がないといけないし」
現在時刻は正午少し前。
舞台を整えるのにやや時間がかかってしまった。
澪「えっと……そうだ、憂ちゃん、ちょっとこっちに来て。私の後ろにいて」
憂「あ、はい」
リビングの入り口を背に私が座っているので、そのやや後ろ、より階段に近い場所に憂ちゃんが座り。
そして、机を挟んで私達と向かい合う形で唯と梓が座る形になっている。
澪「……おほん。まず、私から二人に言っておかないといけないことがあります」
唯「………」
梓「………」
澪「えっと、まず、梓の考え。ひどい状況らしいご両親の居た星、これをどうにかしたい、という考えだけど。誰かのために何かをしたいと考えられる梓のことを私は尊敬するし、その考えを尊重したいって思ってる」
梓「……ありがとうございます」
澪「それを抜きにしても、自分の第二の故郷とも言える星を一度見たいという気持ちは尊重したいと思う。ここは憂ちゃんと一緒かな」
憂「はい」
澪「でも、梓と憂ちゃんがいなくなるというのは寂しい! ……これは唯と一緒の意見のはずだ」
唯「……うん」
付け加えるなら、梓も私達がそういう気持ちを抱いてくれていることは痛いほど知っている。だから引き止められれば止めるつもりだった。
そして唯や私も、そんな優しい梓が心から願ったことを単なる自分のワガママで妨げたくない。引き止めたくない。
……このあたりは、もう嫌というほど葛藤したところだ。誰もが。
澪「誰の気持ちもそれぞれわかるから、皆の希望が叶う選択肢を見つけようとしてた。でも……ごめん、それは見つけられなかった」
見つける前に、梓が身を引く選択をしてしまった。
時間切れだった。
もし梓が身を引かなくても、今度は唯が自分の気持ちを引っ込めただろう。
先輩なんだから、とか適当な理由をつけて、梓を見送る道を選んだだろう。
それも今と同じく時間切れ。どちらにせよ現状は変わらない。
唯「……澪ちゃんが謝る必要はないと思う。抱え込む必要はないと思うよ、私達みんなの問題なんだから。っていうかむしろ私達宇宙人が抱え込むべきだよね」
梓「いえ、というかそもそも私がこんなこと言い出したから……」
憂「……ううん、澪さんに頼ったのは私。澪さんを巻き込んだのは私」
澪「……というわけで! はい! 誰も私を責めないなら、ここでひとつ、私から解決法の提案があります!」
吹っ切れた、とでも言うのだろうか。
善人ぶるのはやめにして、いっそ責められるくらい極端な行動を起こしてみよう。そう思ったんだ。
澪「誰も傷つかない解決方法は思いつかなかった。だから逆に、全員それぞれ願いの一部を諦めてもらおうと思う」
唯「えっ、ええっ…?」
澪「じゃあまず唯。唯の願いに反して、梓はこの星を出ることになる。そこは諦めて欲しい」
唯「う、うん、そっか……そうなったら寂しくなるね……」
澪「次は梓。今言ったとおりこの星を出ることは可能だ。けど、今すぐに、というのは諦めてもらう」
梓「は、はぁ……」
澪「私自身は誰も傷つかない解決方法を諦めた。だから不満が出たら私が全部一人で受け止める義務がある。誰かが傷ついたならそれは私の責任だから遠慮なく責めてくれ」
憂「………」
澪「そして、流されることを望んだ憂ちゃん。梓は今すぐはこの星を出られないことになるので、その間何をするか、自分で考えて欲しい。そう昨日伝えたね」
憂「はい。間に合うなら進学したいです。ダメなら一年アルバイトでもして、来年また今年受けた大学を受けようかと。梓ちゃんが良ければ、ですけど」
澪「そうか。じゃあこれ、ギリギリ間に合う大学をリストアップしておいたから、目を通しておいて。もちろん梓が良ければ、だけど」
梓「……え、えっと、そう言われましても、結局どうなるんですか? 私はいつ頃この星を出ていいってことになるんですか?」
澪「そうだな……厳密に何年後、と言えるわけじゃないんだ。皆の頑張り次第、とでも言おうか」
梓「……よくわからないんですけど……」
唯「私も……」
梓と唯が頭を抱える中、憂ちゃんが私の肩を叩いた。
それが何を意味するかは知っているから、ただ頷く。そしてそれを受けて憂ちゃんが席を立った。
澪「憂ちゃんが戻ってきたら説明するよ」
なんて余裕っぽく振舞ってみたけど、内心ドキドキしている、なんてレベルじゃない。怖い。
今になって逃げ出したくなってきた。いつもの私が戻ってきた。
だって、ここが山場だから。梓と唯を傷つけてしまうか、二人に怒られるか、そうでないかの山場。
もう既に取り返しはつかない。怒られることになれば、きっとそのまま私達の友情も愛情も砕け散る。
怖い。どうしようもなく怖い。二人に審判を下される、その時から逃げ出したい。
でも……その足音は、既にすぐ後ろにまで迫っていた。
憂「お待たせしました」
梓「あ、憂――」
その足音は、ひとつじゃない。
律「よっ、梓」
紬「やっほー」
唯「りっちゃん、ムギちゃん!?」
梓「な、なんでここに!? って、あ、澪先輩が呼んだんですね……」
澪「……うん」
律「澪から電話もらってさ。元部長として決意表明してくれないか、って」
紬「もちろん私もお呼ばれ~」
昨夜のうちに大急ぎでこの二人には手を回しておいた。憂ちゃんや和と相談しながら。
律のやつはちゃんとレポート終わらせてから来たのかわからないけど、急な呼び出しに駆けつけてくれたことには感謝しかない。
律「というわけで決意表明だ、よく聞け梓」
梓「っ、は、はい」
律「我々HTTの目標は、プロデビューでも武道館ライブでもない! それらを超えて宇宙に進出することだ!!」
梓「………!」
『梓の望みを叶え、宇宙に行く。誰も寂しくないように、不安にならないように、皆で』
私の考えた解決法はこれだった。
勿論、容易い道ではないけれど。
律「……OK?」
梓「な……っ、え、と、あの……」
唯「………いいじゃん! いいじゃんそれ!! さっすが澪ちゃん!大好き!」
澪「わっぷ!」
紬「うふふ♪」
唯が飛びかかってきた。嬉しさのあまり。
そこを疑うつもりはない。唯はそこは素直だし、昨日も言ってある。ダメだったらちゃんと言ってくれ、と。
だからそのことにはホッとした。けれど、もちろんそれだけで済ませていいとは言えない。
澪「……梓、ごめん、勝手に言っちゃって」
梓「え、あ、いや、それはいいんですけど、どうせ明かすつもりでしたし」
憂ちゃんに相談済みとはいえ、そこも危惧していたからとりあえずはホッとする。
でも、梓の表情は晴れてはいない。
梓「……いいん、ですか? いや、やっぱりダメですよ、皆さんにはこの星での生活が……」
律「この星での生活って、みんなでバンド続けることだろ? 唯もおばあちゃんになっても一緒にバンドしてたいって言ってたし、歳取りすぎる前に宇宙くらい見ておかないとな」
梓「そんなこと言ってたんですか……唯先輩らしいというか」
紬「ちなみにおばあちゃんになってもユニフォームは制服らしいよ」
梓「それは嫌ですね」
唯「あずにゃん冷たい……」
梓「って、そうじゃないです、そういうことじゃないです! ダメですよ、私のワガママに皆さんを巻き込むのは!」
紬「でも私、せっかくバンド続けるんなら目標は大きいほうがいいと思うの!」
律「さすがムギ、話がわかる!」
梓「あーもー! っていうかそんな簡単に宇宙に行けるわけないでしょう!」
唯「ちっちっち、甘いねあずにゃん。「そんな簡単に行けるわけがない」場所に急に行くって言い出したのは誰だい?」
梓「ぐっ……」
唯「頑張れば行けるって、あずにゃんもわかってるんでしょ?」
……唯の言うような精神論ではなく現実的な話をすると、今の私達の文明では、宇宙飛行士になるには相当な訓練を積まなくちゃいけない。
でも昨日のおじさんの話ではそのあたりは一切触れられず、私に「行ってみるかい?」とまで言ってのけた。
そこから推測するに、恐らくだがおじさん達が乗ってきた宇宙船は『誰でも乗れる』のだと思われる。
よって、その宇宙船を使うか、あるいはこの国の文明がそれに追いつきさえすれば……
澪「……行けるよ、私達でも。いつか皆で、一緒に」
梓「……澪先輩……」
紬「……あっ、もしかして梓ちゃん、憂ちゃんとの新婚旅行のつもりで言ってた?」
澪「あっ、しまった、二人きりがいいってことか。その可能性は考えてなかったな」
梓「違います!違いますから! 憂と行きたい場所はこの地球上にたくさんありますから!」
憂「……梓ちゃん///」
律「ひゅーひゅー」
……結果的にただの話の脱線だったけど、よかった。
その可能性を考えてなかったのは本当だったから。だから梓が拒むんだとしたらお手上げだった。
もっとも、この説では本当に何年後になるかわからない。宇宙船を使うなら国の許可がいる。文明の発達を待つなら同じように宇宙に行きたがる人達との競争に勝たなければいけない。
つまりどちらにせよ、何よりもまずは宇宙に行くことを許され、認められるレベルのバンドにならないといけない。きっと時間はかかる。
梓がそれをダメとするならこれまたお手上げだが……
梓「……本当に、いいんですか?」
紬「卒業してからの進路の目標も決まったようなものだし、私はいいけど?」
律「はあ、勉強頑張らないとなー、これから」
唯「でも、ずっと皆で一緒にいられるなら頑張れるよ!」
憂「梓ちゃん、私達はどこの大学にする?」
梓「大学……あっ! そ、そうだ、あの……」
澪「……何か問題が出てきた?」
梓「い、いえ、その、あの……」
なにやらすごく言いにくそうにしているが、私には皆目検討がつかない。
唯なんか「あずにゃんおしっこ?」とまで言い出す中、一人だけ察したようだった。
憂「あの……ひとつだけ、私のワガママを聞いてもらってもいいですか?」
梓「う、憂?」
憂「……純ちゃんと、スミーレちゃん、直ちゃん。私と梓ちゃんの事情を知ってるこの三人にも、今のこと、伝えていいですか?」
律「お、一緒に行く?」
唯「あ!じゃあじゃあ、和ちゃんもマネージャーあたりで乗せていい?」
澪「マネージャーって」
紬「でもそうよね、ここにいる人に限定しなくても、私達の事情を理解してくれる人ならウェルカムよね」
律「少なくとも10人以上にはなるのか。いいねぇ、大所帯だ。ワクワクしてくるな、澪!」
澪「……そう、だな」
不思議と私も、律の言うとおりワクワクしていた。妙に。
まだ目標を掲げたにすぎないのに、成し遂げられる気がしてしょうがなかった。
律「もしかしたら晶達と宇宙でバンド対決する日がくるかもしれないなー。今度こそ私達が勝つ!」ウオー
紬「宇宙事業に投資するように親に伝えておかないと……」ブツブツ
梓「憂……ありがと」
憂「ううん、私こそ。それに、もっとお礼を言うべき人はいるよ」
梓「そうだね。澪先輩、ありがとうございます」
澪「……お礼を言われるようなことじゃないよ。梓の望みは一部叶わなかったんだから」
梓「でも、望みが叶うことを約束してくれたようなものです。それも最高の形で」
唯「そうだよ、澪ちゃん。澪ちゃんは私達に最高の未来をくれたよ」
澪「それは気が早いんじゃないか。私達がそれぞれ頑張って自分の手で掴まなくちゃいけない未来だよ」
唯「でも、私は澪ちゃんがいれば頑張れるしー」
澪「ん、うん、まあ、それは私もだけど……///」
ってそうじゃない、そうじゃなくて、ほら唯、律や梓が白けた目で見てるぞ!
……って言おうとしたけど、なんか、ま、いいか。とりあえず今は、私の案が受け入れてもらえたことを喜ぼう。
受け入れてもらえたことと、それと、
唯「えへー」
それと、色々あったけど今も変わらずこの笑顔が隣にあることを喜ぼう。
そうすれば、きっと私達は明日も明後日も前を向ける。
目指す未来に向けて。きっと、ずっと……
唯「……宇宙で一番大好きだよ、澪ちゃんっ!」
/|
|/__
ヽ| l l│<owari
┷┷┷
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません