澪「シンクロナイズドドリーミング」 (75)



 「ようこそ澪ちゃん、恋の願いを叶える夢の世界へ!」



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急にそんな事を言われた私は、しばらく呆けていたと思う。
呆けても仕方ないと思う。だって急だったんだから。

いや、いやいや、落ち着け。落ち着け私。まずは状況を把握しよう。
周囲を見渡してみる。見慣れた風景だ。いつもの部室。桜高の音楽準備室だ。・・・パッと見は。
よくよく見てみると色々おかしい。真っ先に目に付いたのは入り口の側に律のドラムが無い事。そしてその隣にあるはずのムギのキーボードも無い。
そのまま時計回りに視線を動かし、窓の外に目をやればいつもの景色は見えず、何故か闇夜の中に見渡す限りの草原が広がっている。
ソファはその上に一人の女の子を乗せてはいるが相変わらず部屋の中央あたりに鎮座してて、奥に机と椅子も4人分ちゃんとある。オルガンや食器棚もある。この辺りはいつも通りか。
ホワイトボードにも変なところは見当たらず、側には私のベースと唯のギターが立てかけてある。
・・・あっ、違う、ホワイトボードに何か変な事が書いてあった。『目指せ武道館!』じゃなくて、これは・・・


澪「『目指せ恋愛成就!』!? なんだこれ!?」

?「だからさっきも言ったじゃん、恋の願いを叶える夢だって」


ソファに座ったままの女の子が、入り口から数歩歩いた所に立つ私に言う。結構近い距離で向き合う形だ。
その女の子は・・・唯の顔をしている。平沢唯の顔を。でも、私の知る唯とは違う点もある。

黒いのだ。

具体的には髪の色が黒い。たぶん、私と同じくらい黒い。
髪型自体は変わっておらず、似合ってない事はないが見慣れた私からすれば違和感がある。
まあ、見慣れたと言ってもまだ出会ってから半年程度しか経ってないわけだけど。それでも違和感は確かにある。
さて、これらの状況から考えるに、結論はひとつだ。


澪「そうか、これは夢か」

唯?「だからさっきから夢だって言ってるじゃん・・・私の話聞いてないの?」


あっ、この唯性格も黒いかもしれない。
結構当たりがキツいこの黒い唯の事を、私は心の中で黒唯と呼ぶ事にした。


黒唯「というわけで、私との恋愛成就目指して頑張ろうね、澪ちゃん」

澪「私と、って・・・ちょっと待って、質問していいか?」

黒唯「いいよー」


目の前で笑顔を見せる、唯のようで唯ではなさそうな黒唯に対し、聞きたい事はいくつもある。
ここはどこ? お前は誰だ? 恋愛成就って何の事だ? などなど。
いくつもあるからこそ、まず何から聞くかが大切だ。幸いにも、目の前にある笑顔のおかげで頭は冷えている。わからない事だらけなのにも関わらず。


澪「・・・ええと、この夢は、唯が・・・いや、『あなた』が私に見せている、ということ?」

黒唯「おおっ、優等生な質問だねぇ。よくできましたー」

澪「・・・」

黒唯「話の取っ掛かりとしても満点だし、それでいて真理を突いてるからね。本当にいい質問の仕方だと思うよ。そしてその質問に対する答えはイエスです」


黒い唯の姿をした、唯じゃない『あなた』。
唯を演じているだけの人格、あるいは意識が存在すると踏んで尋ねたのだが、正解だったようだ。
私が自分勝手に見ている夢にしては明瞭すぎるし、明瞭すぎる割にはわからない事だらけすぎる。なら、誰かの意思が介在していると考えないと説明がつかない。
もっとも、頭の中に誰かの意思が入ってきているだなんて考えるだけで恐ろしい事のはずだ。でもその相手が唯の姿をしているからか、そこまで恐怖はない。
まあ、今はまだ半信半疑なだけかもしれないけど。というわけで、もっと質問を重ねていこう。


澪「じゃあ、もう一ついいかな」

黒唯「ん? いいけど・・・このまま私が話を進めてもいいんだよ?」

澪「話を進めるなら尚更だよ。ややこしくなりそうだから、唯と『あなた』は区別して喋って欲しいんだけど・・・それは出来る?」


きょとん、と。目を丸くして、鳩が豆鉄砲を食らった顔をして、黒唯は黙り込んだ。
別に鳩に豆鉄砲をぶつけた経験は無いんだけどね。それはそれ。
しばらくそうしていた黒唯だったが、次には私に訝しむような視線を向けて、言った。


黒唯「・・・澪ちゃん、冷静すぎない? 怖いんだけど」

澪「怖いって何だよ・・・怖がりは私の専売特許なんだけど」

黒唯「だから私も怖いんだよ。それとも・・・澪ちゃんは私のこと、好きじゃないの?」

澪「ふぇあっ!?」


黒唯「ふふふー、知ってるよ? 私は唯であり、私でもあるけど、澪ちゃんでもあるんだからね」

澪「そ、それってどうい、う、いや、私は唯のことをそんな風には別に!」

黒唯「落ち着いて落ち着いて。大丈夫、こわくないこわくない。ね?」


別に怖がっていたわけではないけれど、まあ、唯に大丈夫と言われたんだ、落ち着かないわけにはいかない。
深呼吸深呼吸。ここは夢の中らしいけど深呼吸。ふう。
・・・さて、ええと、何だったっけ。ああそうだ、私が唯のことを、す、好きだとか、あと目の前の黒唯は私でもあるとか・・・?
そんな事急に言われても思考が追いつかないけど、考えるだけ考えてみようか。ええっと・・・


黒唯「・・・私から全部説明しようか? 希望通り、『唯』じゃなくて、『私』から」

澪「えっ、いいのか?」

黒唯「基本的にはしないけど、別にダメと言われてる訳でもないからね」

澪「・・・じゃあ、お願い」


私の希望が通った形になるんだ、断る理由はなかった。
実際は黒唯の状態で説明してもらっても大筋は同じになるんだろうし、落ち着いて考えればある程度なら私自身でも答えを導き出せるかもしれないけど。
それでも、黒唯ではなく『中の子』――あえて呼ぶなら『彼女』か――に語ってもらった方がきっと理解しやすいんじゃないか。そう思う。
ついでに今のやり取りからも、彼女に指示を出している、あるいはルールのようなものを教えた存在がいる可能性が見えてくるけれど、それは今はいいか。


  「・・・こほん」


咳払いと共に、彼女の纏う『黒唯』は消え去った。
姿形が変わったわけじゃない。それでも私はもう彼女を唯とは――黒唯とさえも――呼べなかった。それほどまでに彼女は無表情・・・いや、無そのものになった。上手く言えないけど。
じゃあ何と呼べばいいのか、と考えるも、やっぱり『彼女』と呼ぶのが関の山だ。
初対面なのだから当然といえば当然なんだけど、同時に私は彼女の名前を呼べる時が来ないような気もしていた。
彼女を彼女としか呼べないような気がしていた。どうしてか、それも当然の事のように思えたんだ。


彼女「最初に申し上げた通り、この夢は私が貴女に見せている夢です。貴女の夢という舞台を借り、演目だけ私が決めている状態ですね」

澪「け、敬語なんだな」

彼女「はい、その方が個性が出難いので。私は私ではありますが、ひとつの集合意識でもあります。そして演者でなくてはならない。個としての個性は持つべきではないのです」

澪「集合意識・・・?」

彼女「一つの共通目的の為にのみ存在する、とお考えください。その目的の為に誰かを演じている個体が、私以外にも存在するのです」

澪「・・・その共通目的というのは、やっぱり・・・」

彼女「はい、恋愛成就です。主に同性間での縁結びを取り扱っております」

澪「なるほど・・・」


納得するほどの素材は揃っていないけど、理解はした。
理解すると同時に、彼女の存在がどういうものか、わかりやすいイメージが頭の中に描き出される。
恋愛を成就させるために存在し、個人に個性が無いため区別はつかず、そしておそらく上からの指示で動いている。
それはまるで・・・


彼女「我々は人の幸せを願う者。説話における恋のキューピッドのようなものとお考えください」


うん、まさにその通りだ。ハートの矢を持ち、射る事で縁を結ぶ天使。
でもキューピッド自体も本来は愛の神であるはずなのに、私の中にある『カミサマの命令で縁結びを行う、言わば実行部隊の天使』みたいなイメージは一体どこで培われたものなんだろう?
って、そんな事はどうでもいいか。恋のキューピッド、それ自体はロマンチックでいいと思うし。


澪「要するに、そのキューピッドさん達のうち一人が私の恋を叶えるためにここにいる、と」

彼女「そういうことです」

澪「・・・一応聞いておきたいんだけど、個別に名前とかは・・・」

彼女「ありません。個性は持つべきではないのです」

澪「やっぱりか・・・」


私の中では彼女は彼女のままであり、名無しの存在のままのようだ。
彼女の中にそういうルールがある以上は流石に勝手に名前をつけるわけにもいかないし・・・これはどうしようもなさそう。
そのことをどこか哀しく思う私のこの気持ちも、彼女には一切向けるべきじゃないんだろうな。


澪「・・・それで、あなたは私の恋愛成就のために唯を演じてくれる、と。夢の中であなたを相手に練習しろと」

彼女「理解が早くて助かります」

澪「でもそれなら、さっき言った、唯でもあり、私でもあり・・・そして私でもある、というのは?」


『唯』でもあり『彼女(中の人)』でもあり『澪』でもある、と彼女がさっき言った件についての話だ。
ちょっとわかりにくい言い方になってしまったため、指差しを駆使して意思の疎通を試みたが、彼女はすぐに理解した。


彼女「我々のユリームシステムは、今はまだ平沢唯の夢と同調出来ていません。よって彼女を完全に演じる事が不可能なのです」

澪「・・・今、なんて?」

彼女「? 何処の話でしょうか?」


無表情で首を傾げられると若干怖い。


澪「・・・ゆりーむしすてむ?って何?」

彼女「百合ドリームシステム、略してユリームシステムです」

澪「あ、あぁ、そう・・・」


さっき主に同性間での縁結びって言ってたけど、そのネーミングだと女の子同士しかサポートされてなさそうじゃないか?


彼女「ユリームシステムは同性に恋愛感情を抱いた人の夢を捕捉し、同調します」

澪「・・・じゃあ、私と同調出来て唯と出来ていないってことは」

彼女「はい。お察しの通り、平沢唯は同性に恋愛感情を抱いていない、という事と同義です」

澪「そ、そうなのか・・・」


あの天真爛漫で誰にも笑顔の唯が誰かを特別に見てる可能性が低いことなんて、わかりきっていたことだ。
なのに・・・私はどうして、少しだけ落ち込んでいるんだろう。
いや、っていうかそもそも私のこの感情だって恋心と言うにはきっと早計だよ。ユリームシステムとやらは恋だと判断したようだけど、私から見ればこれは憧れとか親愛とかそんな感じの――


彼女「いいえ。落ち込んだという事は、貴女の中にあるその感情は歴とした恋心なのですよ。いくら表面上で否定しようとも」

澪「・・・私の考えてることがわかるのか? これが私の夢だから?」

彼女「いいえ。先程の話の続きになりますが、我々はまだ平沢唯を完全に演じる事が出来ません。今は貴女の中の平沢唯像を寄せ集めて形作っているのです」

澪「なるほど、私を通しての唯だから、逆にその唯の一部は私とも言える、と。だから私の考えもわかる、と」



黒唯の髪が黒いのは、私の要素が含まれているからだろうか。
でも、そうだとしてもちょっと再現性低くないか? 唯はあんなに性格悪くないぞ?


彼女「そうですね、今のは理由としては半分以下程度のものです。貴女の思考が読める最も大きな理由は、私が貴女に後悔と反省を促す存在でもあるから、ですね」

澪「え、えっ? 恋のキューピッドじゃなかったの・・・?」

彼女「そうですよ?」


だから無表情で首を傾げないで。


澪「だ、だったらおかしくない・・・? 恋愛成就の為に導いてくれるんじゃ・・・?」

彼女「導きますよ? 貴女の間違いを正す事によって」

澪「え、えぇ? ちょっと意味が・・・」

彼女「人は失敗を糧に成長する生き物です。人付き合いともなれば多くの間違いを犯すでしょう」

澪「あっ、それはちょっとわかるかも」


私は人付き合いがそこまで得意ではない。失敗も数多くしてきた。
律という親友を持てたのは数少ない成功例で、最近でさえ最初の頃はムギとの接し方にも戸惑っていた。
だからこそ唯に憧れたのかもしれないけれど。


彼女「失敗に気付くのは自分です。向き合って糧に出来るのも自分だけです。であれば、自分自身と向き合える場所は多くあるに越した事は無いでしょう?」

澪「な、なるほど、つまりあなたは・・・」

彼女「はい、私は平沢唯を投影するスクリーンであると同時に、秋山澪を映す鏡でもある。唯の性格がややキツいのは貴女が自己を省みる為です」


だから私の考えも読める、と。確かにこちらのほうが説得力がある。遥かにありすぎる。
そして、考えようによってはこのやり方のほうが健全にも思える。夢の中で自身と向き合い、反省しつつ唯の顔をした子と話して備え、次の日に私自身が頑張る、そんなやり方。
この方が、何も考えず悩まず後悔せずキューピッドに導かれるまま結ばれる恋よりは、きっと健全で悔いのないものになるだろう。
とはいえ結局は自分の足で歩むことになるのだから、恋愛テクに自信の無い私としては不安が多分に残るのも事実ではあるけれど。
それに・・・初恋は実らないものだって言うし。怖くないと言えば嘘になる。


彼女「ご安心ください。共に未来を見据え、不安を和らげる為に我々は存在するのですから」

澪「・・・ありがとう」


ここまで説明を受けて、私は全てを疑う事なく受け入れていた。
想像だにしなかった非現実的な出来事ではあるけれど、同様に非現実である夢の中での出来事だからだろうか。
それはわからないが、確かなのは・・・目の前の子は無個性だけど、悪い子ではなさそうだという事。
協力してくれるのならお礼を言いたくなるし、信じたくもなる。その程度には良い子に見える、という事だ。


彼女「余談ですが、もしも平沢唯の再現度に不満があるならば、彼女に恋愛感情を抱かせれば解決します。システムが同調出来れば性格の正確な投影も出来るようになりますから」

澪「・・・それ、一見耳寄り情報に見えるけど、それが一番難しいんじゃないかなぁ・・・」

彼女「難しくても、最終的に目指す場所から考えれば通過点です」

澪「通過点、か・・・最終的に目指す場所っていうのは、つまり、そういうことだよな」

彼女「はい。では、今日は説明だけで終わってしまいましたが・・・これから頑張ってくださいね。我々は貴女の恋を応援しています」

澪「えっ? 終わりって・・・」


と、問い返すまでもない。彼女が終わりと言ったということは、夢の終わりということ。
部室の窓から明るい光が差し込んできて、全てを白に染めていく。
その光景が眩しすぎて私は目を閉じ・・・そして、目を覚ました。

***


確かに、初めて会った時から、どことなく放っておけない子だとは思っていた。
よく喋り、よく笑い、見ていて飽きない子であると同時に、集中力があまり無かったりギターについて何も知らなかったり勉強が不得意であったりと危なっかしくもあった。
そんな良くも悪くも目が離せない子なんだ、唯は。

そして私はよくそんな唯の世話を焼いていた。
誰かを助けるのは嫌いじゃない。人を引っ張っていくことは苦手だけど、誰かを支えることは嫌いじゃない。
楽器も迷わずベースを選んだくらいだ、私はきっと根っからのサポート体質、縁の下の力持ちタイプなのだろう。少なくとも性格的には間違いないはず。
だから唯の世話を焼くことも苦じゃなかった。唯はいつも笑顔を返してくれるから世話の焼き甲斐もあった。
最初から居心地のいい関係だったことは疑いようが無かった。

でも、そんな唯があの日、私の目に眩しく映ったんだ。
光の中でギターをかき鳴らす唯。
その姿はまばたきすら許さないほどの眩しさで、そこに私は光り輝く未来と、夢と幻を見た。そして魅せられた。遠い未来に立つ唯に。
そして光が消え、未来から現在に戻ってきてからも、唯は可能性を私に見せ続けてくれた。
未来の唯は、私を魅了する憧れの存在だったと言って差し支えない。
反して現在の唯は憧れるほどではない・・・けど、未来に向かって共に歩みたい、ずっと共に高め合いたいと心から思える存在になった。
要するに、この時から唯を見る目がちょっとだけ変わった、ということだ。

だから、その日の終わりの露天風呂で楽しかったと言われ、手を取られて私のおかげだと言ってもらえた時、許しをもらえた気がした。唯の隣にいることの許しを。
隣にいていいよって言われた気がした。いてほしいとまでは言われていなくとも、少なくとも自分に資格はあるのだと、そう思えた。
・・・きっとこの時が始まりだったのだろう。今にして思えば。

**


そんな夢を見た翌日の事。
今日は律がやらかしたせいで軽音部が部活として認められていないことが明らかになったが、唯の幼馴染である和さんが助け舟を出してくれて事なきを得た。
・・・かと思いきや、そもそもうちの部に顧問がいなかったことが判明。顧問がいないと部とは認められないとのこと。
言われてみればそうだよなぁ・・・何故誰も気付かなかったのか。
幸い、唯の慧眼(?)と律の脅迫により、顧問は音楽担当の山中さわ子先生が引き受けてくれることになったけど・・・その夜に、少し気になることがあった。
学園祭で演奏する曲の為に歌詞を書いていた私の元へ届いた、一通のメール。


  From 紬

   sub (non title)
     添付ファイルなし
  ===========

   こんばんは。
   紬です。



   さわ子先生が顧問に
   なってくれて、
   なんだかドキドキし
   ています。




   歌詞作り頑張って。
             』

冒頭にある通り、差出人はムギだ。
そこは問題ではなく、私が気にしたのは本文の方。本文中の、とある単語。


澪「ドキドキ・・・?」


部活中、先生と律に熱い視線を向けていたムギが思い出される。
ドキドキするという感情自体は、私も理解する。唯にドキドキし、心奪われたばかりだから。っていうか丁度それを思い出しながら歌詞を書いていたところだから。
でも、メールの文面から察するに、その相手はさわ子先生・・・? 先生に一目惚れ? そうなら応援したいけど、噂では校則で禁止してる学校もあるとか。桜が丘はどうだっけ――
いやいや、待って、冷静になろう。あの聡明で育ちのいいムギの事だ、仮に一目惚れしたとしたら校則や法律などの私の思いつく範囲の事は調べるはずだ。そして自分で結論を出すはずだ。
『なんだかドキドキしています』なんてフワッとした内容で恋愛感情を打ち明けては来ないはずだ。たぶん。
そうだ、私自身が女の子に恋愛感情を持ってるからといって、ムギまでそうだと決め付けるのは早計だ。うん、きっとそうだ。
そんな結論に達した私は、頭の中に浮かんだ想像を切り捨てるためにわざと声を出して「まさかな」と呟いた。

>>9
うわっ、カギカッコめっちゃズレとる・・・




澪「――それにしても、細かい所までちゃんと再現されてるんだな」


夢の世界で、舞台である部室を見回しながら呟く。
律とムギの楽器やホワイトボードなどの意図的に手を加えられたと思しき点を除けば、この部室の再現度は相当なものだと思う。
もしも窓から見える光景まで再現されていたなら、これが夢の中だという事を忘れてしまうのではないかと思うほどだ。


黒唯「ここは澪ちゃんの記憶を元に再現してるからね。ちゃんと再現できるほど、澪ちゃんが部室を――部活の時間を大事に思ってるってことじゃない?」

澪「そ、そうなのか・・・」


それは嬉し恥ずかしだが、それなら対照的に外の風景が適当なのは、もしかして私は・・・


黒唯「あっ、外は私の判断で作ったからね。必要ないかなぁと思って、夜っぽく、かつ夢の中っぽい風景にしました」

澪「あ、そうなのか。良かった」

黒唯「もちろんりっちゃんとムギちゃんの楽器が置かれてないのも私の判断だけど、もし澪ちゃんが欲しいって言うなら元に戻すよ?」

澪「いつもの部室、という意味では欲しいけど・・・」

黒唯「でも、ここですることは『いつもの部活』じゃないんだよ。それはわかるよね?」

澪「う、うん・・・」


そう、私と唯の楽器だけがここに存在する理由。寄り添うようにして立てかけられている理由は、つまりはそういう、えぇと、暗喩みたいなものなのだろう。
彼女の望み、そして私の望みの暗喩。同時に、この夢の中には二人以外の人間は必要ないという事の暗喩。メタファーだ。
でも・・・そうだな、私は唯の事が好きなのかもしれないけど、それでも、他の二人のいない部室は、なんか嫌だ。


黒唯「・・・うん、じゃあ明日からは戻しておくね」

澪「よ、読まれた?」

黒唯「心を読むっていうか、なんとなくわかっちゃうんだってば。この場で考えていることは、ね」

澪「あれ、この場でだけ?」

黒唯「うん。ユリームシステムによってシンクロしてる夢の中でだけ、ね」


その名前が出てくるたびになんか物申したい気持ちになるんだけど、この気持ちも伝わってるんだろうか。
伝わっててなおスルーしてるのだとしたら、彼女ら自身も思うところがあるのか、それとも既に何度も言われ続けて辟易してるのか。
まあ、どちらでもいいか。



澪「じゃあ、現実にあった出来事まで見えてるわけじゃないんだ?」

黒唯「一応建前上は、ね。でも、この場ですることは反省と予習復習が主だから」

澪「そっか、どのみち私が思い出さないと意味がないし、私が思い出せばく・・・唯にも伝わるってことか」

黒唯「そゆこと」


黒唯って言いかけたの、バレてるんだろうなあ。ニヤニヤしてらっしゃるし。くそぅ。


澪「えっと、あー、じゃあ思い出そうか・・・今日あったことは・・・――」

黒唯「――・・・ふむふむ。なるほど。澪ちゃんの歌詞、楽しみだなー」


そういえば歌詞作りの途中で寝たんだっけ、という所まで一通り思い出し終えたタイミングで、黒唯が言う。
本当にシンクロしてるんだなあ、便利だなあと漠然と思った。


黒唯「じゃあ今日はここでその歌詞の続きを考えよっか」

澪「えっ、反省と予習復習をするんじゃないのか?」

黒唯「そうだよ、そのために、だよ」

澪「どういうこと?」

黒唯「トボけないでよ澪ちゃん。どんな想いを乗せた歌詞を書こうとしてたの? 言ってみてよ」

澪「うっ、それは・・・」


ムギからのメールで早合点してしまうくらいに、あの時私が歌詞を書きながら考えていた事。
言うまでもなく、書こうとしていた歌詞は恋愛絡みだ。
もっと言うなら・・・


黒唯「ほらほら~」

澪「・・・せ、切ないラブソングにしようかと、思ってる」

黒唯「へぇ~。いいんじゃない?」


意味深な笑みを浮かべる黒唯。
唯の事を思い浮かべて歌詞を書いていたのだから、夢の中で歌詞を考えるという事はすなわち唯の事を想うという事。
そういう意味ではこれも予習復習だよ、と、その笑みはまるでそう語っているかのようだ。


黒唯「じゃあ一緒に考えていこっか! どこまで書いたの? さぁ思い出して!」

澪「うっ、うん・・・」


は、恥ずかしい・・・けど、仕方ない。
というか、そもそもそんなに進んでないし、一緒に考えてくれるなら助かる面があるのも確かだし、うん。
というわけで、一文字一文字正確に頭の中で思い出していく。
すると・・・



黒唯「・・・」


黒唯から表情が消えた。


彼女「題:ふわふわ時間・・・? 澪さん、私はかれこれ多くの女の子を演じ、多少なりとも文化を知ってきたつもりですが、現代ではこれを切ないと言うのですか?」

澪「・・・歌詞を見せた瞬間に素に戻られるととてもつらい・・・」

彼女「申し訳ありません。平沢唯がどんな反応をするか未知数なので、素で反応させてもらいます」


確かに、唯が私の歌詞を気に入ってくれるかと言われればわからないとしか言えない。
今まで歌詞を人に見せた事なんて無かった。せいぜい、律の特訓を受けて全校生徒の前で作文を発表した時くらいだ。
あの時は律の特訓のおかげで全員がパイナップルに見えて、リラックス出来た反面そのせいで皆がどんな反応をしたのかまでは見えなかった。
もっとも、その時は集会という場だったし、目立つような反応なんて誰もしなかったのかもしれない。でも今回は違う。
唯どころか律やムギだってどんな反応をするかわからない。私にわからないのだから、当然彼女にもわからないのだ。素に戻ってしまうのは仕方ないとも言える。
・・・素に戻るくらい私の歌詞が変だったってわけじゃないと思う。きっと。


彼女「私は貴女とも同調――シンクロしているので、この歌詞を変だとは思っていませんよ」

澪「そ、そっか、よかったぁ・・・」

彼女「ただ、『私』として見た場合に少々文化の壁を感じたというだけの話です」

澪「ぶ、文化の壁って・・・」

彼女「いきなり「ハートDOKI☆DOKI」ですよ、私からすれば青天の霹靂です」

澪「冒頭のインパクトってきっと大事だよ!根拠はないけど!」


自分の色を出していくのってきっと大事だと思うんだ! 個性大事!


彼女「・・・では次にいきなりマシュマロが出てくるのは?」

澪「丁度そのタイミングでムギが電話してきて、なんか漠然とマシュマロ食べたいなぁって思って・・・」

彼女「いつもお菓子を持ってきてくれる人だからですか?」

澪「うん」

彼女「彼女の肌の色と肉付きからマシュマロを連想した訳ではないのですね?」

澪「そ、そんなこと考えたこともないよ!!」

彼女「ならいいです」

澪「うぅ・・・私をどういう目で見てるんだ」

彼女「ところで澪さんは日常からインスピレーションを得て歌詞を書くタイプなのですか?」

澪「えっ、どうだろう。そうなのかな?」


自分で意識した事は無かったが、唯の事を考えてハートDOKI☆DOKIを書いて、ムギの電話を受けてマシュマロみたいにふわふわを書くくらいだ、そうなのかもしれない。
少なくとも今回の歌詞についてはその方向で統一したほうがいいかもしれない。


彼女「そしてテーマは切ないラブソング、と。という事は、私が過去の平沢唯を演じ、澪さんに歌詞の糧になるような想いを抱いてもらうのが最良でしょうか」

澪「切ない気持ち、を?」

彼女「はい。例えばこうして、私がギターの練習をする平沢唯を演じます」



立てかけてあるギターを手に取り、彼女は唯の顔を作り、いつもの唯のように楽しそうにギターを弾き始める。
そして私は・・・


澪「・・・そんな唯を部室で眺める私は・・・ベーシストとして隣から眺める私は・・・」


唯の横顔を見る。
楽しそうに、でも頑張ってギターを弾く唯の顔。


澪「・・・」


彼女はあくまで過去の唯を再現しているにすぎない。だから、私がじっと見てても何も言わない。
でも、それは私から見れば、頑張るばかりに私の視線に気づかない唯、という構図になる。


澪「ずっと見てても・・・気付かないよね」


・・・ああ、なんか書けそうな気がする。私の想いを込めた、最高の歌詞が。
どこからともなく紙と鉛筆を取り出し、綴る。
いつもがんばる、キミの横顔――


黒唯「書けそう? 澪ちゃん」

澪「うわっ、びっくりした!」


ちゃんと唯になった彼女が、紙に向かう私を肩越しに覗き込んでくる。いきなりだし、近い。
ちゃんと唯になっている事も含め、なんとも心臓に悪い。


黒唯「えへへー、ごめんごめん。あ、書けそうだね、このやり方で」

澪「う、うん・・・ありがとう、唯」

黒唯「・・・ちゃんと本物の唯にも言ってあげなよ?」


耳元で囁かれ、驚きとは違う方向でちょっとドキッとする。
・・・はぁ。夢の中なら、私達二人の距離はこんなに近いのになあ・・・

**


唯律紬「出来た!?」

澪「あ、ああ」


昨日の夜の時点ではほとんど出来てなかった歌詞だけど、黒唯の協力もあって夢の中で完璧に仕上がってしまったため、今日持ってきた。
だけど・・・


唯「見せて見せてー!」

澪「ええっ、もう!?」

律「いや、「もう」って・・・」

紬「私も見たいなぁ」

澪「で、でもやっぱり恥ずかしい・・・」


うん、冷静になれば皆の前で歌詞を公開するなんてやっぱり恥ずかしいような気がする・・・!
朝は歌詞が出来上がった嬉しさと、その夢の中で作った歌詞を現実に書き起こす為の早起きからくる寝不足テンションで嬉々としてカバンに突っ込んで持ってきたけど。
一日授業を受けて頭の冷えた今となっては、やっぱり恥ずかしさが先んじてしまう。
そんなわけで、歌詞を見せたくない私とお預けを食っている皆との間でしばらく攻防が続いた。

唯「だーいじょうぶだよぉ、笑ったりしないしー」
律「そーそー」
澪「でも・・・ああっ待って!」
律「待てない!持ってきたってことは見せるってことだろ!?」
紬「澪ちゃんおねがい!」
唯「ちょちょーっとだけ、こそーっと私にぃ」
律「あっずりぃ、見せるなら私が先だろ?」
唯「ええっなんでー?」
律「何故なら!私が部長だから!」
唯「ぬっ、ならば私は澪ちゃんの心の友だから!」
紬「じゃあ私は澪ちゃんの心の友その2だから」
律「こしゃくな!私なんか澪の心のふるさとだぞ!」
澪「いつからそうなった」
唯「あー、田舎のおばあちゃん元気かなあ」
律「いや、今関係ないから」
澪「あ、去年年賀状出したっけ」
律「話を逸らすなー!」

・・・そして、その攻防に終止符を打ったのは昨日顧問になってくれたさわ子先生。ある意味、顧問らしい事をしてくれたと思う。


さわ子「早く見せんかーい!!!」

澪「ああっ!」


さわ子先生の手によって奪われ、強制的に公開される歌詞。
それを見て、律と先生がイマイチのような反応をしたから落ち込みかけたけど・・・唯だけは私の手を取り、表情を輝かせながら褒めてくれた。
予想以上のキラキラっぷりには驚いたけど、正直、とても嬉しかった。たとえこれが唯の事を想い、唯と相談して書いた歌詞だという事を唯が知らなくとも。
・・・そしてそのまま、いつの間にか私の歌詞は採用されていた。


唯「よかったねぇ澪ちゃん」

澪「あっ・・・うん」


良かったというか、すべては間違いなく唯のおかげだろう。私の方からお礼を言うべきだ。なのに唯に先に褒められた私は気の利いた言葉を返せないでいる。
もっと何か言わないと、と唯の顔を見たまま悩んでいた時、正面に立つ律がとんでもない事を言い出した。


律「じゃあ澪がボーカルってことで」

澪「へぇっ!?」


な、何言ってるんだ律!? ボーカル!? 無理!絶対無理!
学園祭で皆の前で歌うなんて時点で絶対無理だけど、この歌詞だとそれに輪をかけて無理!
だって実在の人物を想って書いたラブソングだよ!? 目の前で唯を再現してもらってまでして私の想いを詰め込んだ歌詞だよ!?
それを大勢の生徒の前で歌うって!? 想いをさらけ出せって!? しかも想い人の隣で!? 何の問題もなく無理!
せめてラブソングじゃない普通の歌詞ならまだ一考の余地はあったかもしれないけど――


澪「こんな恥ずかしい歌詞なんか歌えないよ!」

律「オイ作者!」



・・・そんなこんなで、最終的にボーカルは唯がやってくれる事になった。
ただ、ギターとボーカルの両立はなかなか難しいらしく、さわ子先生が唯に付きっきりで特訓する、という流れに。


さわ子「じゃあ振り落とされないようについて来なさいよ!」

唯「らじゃー!」


二人とも楽しそうで何よりである。
・・・そして、私は気付いてしまった。私が最初に気付いてしまった。そんな二人に熱い視線を送るムギに。
また、昨夜の想像が頭を掠める。ムギがさわ子先生の事を好きなのではないかという想像が。
早計だ。昨夜はそう判断した。でも、こう二日続けてさわ子先生の方に熱い視線を送っているのを見ると・・・もしかしたら、と思えてくる。
相談してみようか。ふんわりと、あくまで「もしかして」の話である事を前提に、第三者の意見を聞きたい。
幸い、付き合いの長い相談相手が隣にいる。


澪「・・・律。ムギってさ、もしかしてさわ子先生のこと・・・」


だが不幸にも、付き合いの長い相談相手はデリケートな気遣いというのには無縁だった。


律「えっ、マジで!? ムギー、さわ子先生のこと好きなのかー?」

澪「待っ、ちょっ、馬鹿!」


慌てて律の口を押さえても、時既に遅し。
ムギの方を見てみると、鳩が麦鉄砲、じゃなくて豆鉄砲を食らった顔がそこにある。


紬「・・・ふえ?」

澪「・・・へ?」


・・・しばし、沈黙。


紬「・・・あぁいえ、ただ、女の子同士っていいなぁって」

澪「・・・なーんだ、良かった」


そんな言葉が自然と口をついて出てきた。
その時の私の心情の内訳は、結局私の考えは外れていたため、律のストレートすぎる問いにムギが気分を害する事もなく全てが丸く収まった事による安堵が半分。
もう半分は・・・なんとなく自分の恋を応援されたような気がしたから、だと思う。
しかし、続くムギの言葉には少し思考が停止してしまった。


紬「ほ、本人達が良ければいいんじゃないでしょうか」

澪「えっと、あー、うん?」

律「な、何を言っているんだ・・・?」


ど、どういう事だろう?
若干頬を染めている事から察するに、ムギの中では先程のさわ子先生と唯が付き合っているように見えているのか? それを応援するという意味での言葉なのか?
という事は、昨日の場面ではさわ子先生と律が付き合っているように見えていたのか? それで熱い視線を送っていたのか?
さわ子先生が顧問でドキドキするというのは、教師と生徒という禁断のカップルが見られるから・・・なのか?
憶測ばかりでイマイチはっきりしないけど・・・でもまあ、ムギに恋を応援されたような気がしたのは確かだから、今はそれで良しとしよう、うん。




黒唯「――で、お礼は言わなかったんだね?」

澪「言わなかったというか、言えなかったというか・・・」

黒唯「気の利いた言葉も言えなかったんだね?」

澪「・・・はい」

黒唯「あと、心の友って言われて内心嬉しかったんでしょ? りっちゃんにツッコミは入れるのにそっちはスルーってどういうこと?」

澪「いや・・・嬉しい気持ちばかりで、つい。唯のすぐ後にムギも続いてくれたことまで含めて嬉しくて・・・」

黒唯「そんなに嬉しかったなら尚更、なんで言葉にしないの?」

澪「・・・そう言われると返す言葉もありません」


そういう空気じゃなかった、なんて言い訳も出来るけど、言葉にしておけばよかったと後悔する気持ちも確かにある以上、言い訳はするべきじゃないだろう。
黒唯もそれを見越して言っている。さすがは私を映す鏡だ、その言葉は誰よりも私に刺さる。


黒唯「まったく、私の弱みには簡単に付け込んで世話を焼くのに、自分が焼かれたらこの体たらくっていうのはどうかと思うよ?」

澪「確かに・・・唯は素直に喜んでくれて、私もそれが嬉しくて・・・そんな関係だったな」


唯本人は私がそんな間の抜けた反応をしようと気にしていないようだったけど、それに甘えちゃいけないんだろう。
至極シンプルに考えたとしても、私は唯から貰った笑顔を唯に返せていないことになるのだから。


黒唯「それに、気にしてないってことは今までと何も変わらないってことだからね。それじゃ私も困るんだよ、わかる?」

澪「・・・うん」

黒唯「・・・あんまりモタモタしてると、取られちゃうかもよ?」


いつの間にか黒唯は、ムギのキーボードの前に立っていた。
人差し指だけで鍵盤に触れる。間の抜けた音が一つ鳴った。


澪「・・・誰に取られるんだ?」

黒唯「さあ? わかんない」


キーボードを見つめたまま、どうでもよさそうに呟かれる。
という事は実際、相手は誰でもいいのか。いや、全員に可能性があるのか?
そうだ、そのキーボードの持ち主――ムギが昨日は律と先生を、今日は唯と先生を見て目を輝かせていたように、『誰と誰とがいつ付き合おうと不思議じゃない』のかもしれない。
どこかの誰かに唯を取られてしまう可能性も、ゼロだなんて到底言えないのかもしれない。
もしそうなった時、私はどうするのだろうか。わからない。わかりたくない。考えたくない。
考えたくない程度には・・・私は唯の事を好きなのだろう。


澪「・・・同じ失敗は二度としないよ」

黒唯「そうだね、澪ちゃんは頭のいい子なんだから、そうしてもらわないと」

澪「キツい言い方だなあ」


そう言いつつも、私はそのキツい言い方をありがたく思っていた。

**


しかし、そんな私の決意に反して、汚名返上の機会は全く訪れなかった。
さわ子先生との特訓という名目で、唯は放課後は部室に来ずに先生の家へ直行しているからだ。
唯と私はクラスも違うため、部活という接点が無くなると話す時間も機会も激減する。
黒唯にも何も報告できない日が続き、彼女自身もつまらなそうにしていたが・・・学園祭という一世一代の舞台の為だ、仕方ない。


黒唯「そう自分に言い聞かせてるんじゃないの?」

澪「・・・まあ、そんな面もあるかもしれないかもしれない」

黒唯「メールくらいしてみてもいいんじゃない? がんばれー、って」

澪「・・・それもそうか」


そんなアドバイスを受け、私は翌日の夕方、唯にメールを送った。
私の歌詞に唯の歌声が乗るのを楽しみにしてる、とか、そんな感じの文面で。
ほんの少しでもいい、このメールが頑張る唯のやる気の支えになればいいんだけど。
・・・特訓が始まって明日で一週間、か。早いなぁ。


**


さわ子「練習させすぎちゃった☆」

唯「声枯れちゃった☆」ハスキー

律「カワイコぶってもダメだー!」


一週間ぶりに会えた唯は、とんでもないハプニングを持ち込んで(持ち帰って)きた。


唯「いやぁ、澪ちゃんの作詞と期待に応えようとがんばりすぎちゃった☆」


しかも原因の一端は私がメールでやる気出させたせい!?


紬「そんな、じゃあボーカルは・・・」

和「変更するなら今日中よ?」

律「えっ、そうなのか!? だとすると・・・」


そんなこんなで代役を立てる訳になったのだが、誰になったんだったっけ。
誰かは知らないが生徒達の前で歌わなくちゃいけないなんて緊張するだろうな。がんばれー。


紬「頑張ってね、澪ちゃん」

唯「ハスキー唯からもお願い~」


・・・あっ、私か。




黒唯「でも真っ赤になって倒れながらも引き受けてくれたんだから私は感謝してるよ」

澪「そうかな・・・それなら救われるけど・・・」


現実世界の唯はハスキーボイスだったけど黒唯は普通の声だ。
もっとも、そこまで再現されても困るというか、中の彼女に悪いけど。わざとあんな声を出すのは疲れるだろうし。


黒唯「・・・ごめんね? 『私』の言うことじゃ信用できないよね」

澪「あっ、いや、そういう意味じゃ・・・」


いけない。嫌な事柄が目の前にあると露骨に態度に出てしまう上に周囲が見えなくなるのは私の悪い癖だ。
唯のギターを買う為のバイト探しの時も、そうやって唯を困らせたじゃないか。
・・・同じ失敗は二度としない、なんて言っておいてこれでは格好がつかない。挽回しないと。


澪「唯はいい子だから、きっと責任は感じてるよ。そんな唯の代わりだから引き受けたんだ、私は」

黒唯「・・・そっか。ありがと、澪ちゃん」


・・・ん? あれ? 何かおかしくないか?
何だろう、えっと・・・そうだ、黒唯と私の思考はシンクロしているはずなんだ。
今言った言葉は、私の心からの言葉。なら、それを黒唯が察せないはずはない。
ならどうして、答えのわかりきっている問いをしたのか?
何故か答えを察せなかったのか、あるいは察していてもなお言わなくてはいけなかったのか。どっちだ?
・・・いや、思い出せ。さっきの言葉から察するに、それは・・・


澪「・・・『あなた』も責任を感じている?」


さっきの「私の言うことじゃ信用できないよね」という言葉には、贖罪の意味が含まれていたのでは?
答えを察していてもなお言わなくてはいられない程度に、自分を責めているのでは? 答えよりも、私に伝える事に意味があったのでは?
・・・どうやらその推測は当たりだったらしく、黒唯の雰囲気が消え去り、『彼女』が姿を現した。



彼女「・・・メールをしよう、と提案したのは私です。その結果平沢唯が喉を枯らし、貴女が重荷を背負う羽目になったのですから、責任くらいは感じます」

澪「へぇ・・・」

彼女「何ですか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして」


その表現、私と合わせて三度目だよ。
・・・そう、二人合わせて考えていいはずなんだ。その程度には私達は似ている。何故なら・・・


澪「あなたは私の映し身でもあるんだから、あなたの提案も私の中のどこかにあったはずなんだ。どちらが先に気付いたかの問題なんだから、一人で責任なんて感じなくていいよ」

彼女「・・・そう言って貰えると助かりますが」

澪「それよりも「責任」なんて言葉が出てくることが意外だったよ。キューピッドが神か天使かはともかく、どちらにせよ私達人間よりは上の存在だし」

彼女「・・・キューピッドのようなもの、としか言ってませんよ、私は」


少し私から目を逸らしながら、彼女は言う。


彼女「人を導くように振舞ってこそいますが、私は自身を上位の存在だと考えた事はありません」

澪「そう、なの?」

彼女「はい。私は――いえ、我々は、むしろ貴女達を羨ましく思っていますよ」

澪「・・・そっか」

彼女「はい」


何と言えばいいのかわからなかった。
勝手に上位の存在だと決め付けていた私は、彼女の事を何も知らなかったから。
私に協力してくれるのも単なる仕事程度のドライな認識だろうと思っていたから。
羨ましく思われていたなんて知らなかった。彼女がどんな思いで協力してくれていたのかなんて考えた事もなかった。
キューピッドであると言われ、集合意識と言われ、個性を持たないようにしていると言われた程度で、決め付けてしまった。
私は今、後悔している。胸の中にあるこの感情は間違いなく後悔だ。そしてきっと、この感情はすぐにでも彼女にも伝わってしまう。
だったら思うままに言ってしまおう。これ以上、彼女に気を遣わせたくない。


澪「一つ、質問があるんだ」

彼女「何でしょう?」

澪「同じような子が沢山いるって言ってたけど、担当してる子を途中で交代するようなことは無いよね?」

彼女「はい。貴女の恋愛が成就するまでは、貴女の担当は私です」

澪「よかった、嬉しいよ。これからもよろしく」


握手を求める形で手を差し出す。
流石に掌返しが過ぎるかな?と思いつつも、でもこれ以外のやり方なんて思いつかない。
上位の存在である事を否定した彼女と、私は対等な存在として仲良くなりたいと思ってしまったのだから。
助けてもらっている立場ながら図々しいとは思うけど、だからこそ思い切って私から近づいたんだ。
出会った次の日に唯が距離を縮めてくれて、私にいろいろなものを与えてくれたように。
私の方から彼女に近づく事で、何かを与えられたらいいなと思って。
そんな私が差し出した手を、彼女は僅かな間の後、握ってくれた。


彼女「貴女の恋愛が成就するまでの間ですからね」


そう言う彼女の顔は、唯には及ばないとはいえ、確かに笑顔だったように思えた。


彼女「では今日からは学園祭に向けての特訓と行きましょうか」

澪「・・・うん?」

彼女「対等な関係なのでしょう? ならこれからはもっと厳しくいきますよ。振り落とされないようについて来てくださいね?」


・・・あれ、笑顔ってこんなに怖かったっけ?

**


まあ、理屈はわかるんだ。共に立つ舞台で格好いい完璧な演奏を見せれば唯の気を引けるかもしれないっていう、その理屈は。
実際、唯ほどではないけど私もベースを演奏しながら歌を歌うのは難しかったから、そこに協力してくれた彼女には感謝している。
でも、それだけじゃ足りない。演奏は皆と一緒にするものだ。皆で合わせて練習する時間が必要なんだ。
そう考え、私は学園祭当日も早めに部室へ向かった。とにかく皆と練習がしたかった。

・・・実際はそれら全て、ただの私の現実逃避だった。
彼女はこれ以上ないくらいに私を仕上げてくれていたし、ムギや律も、唯までも一度のミスもなく演奏出来るようになっていた。
何も足りないものなんてない。私達軽音部は完璧な仕上がりになっていた。
ただ一つ、私の覚悟を除いて、だけど。

結局、いくら彼女と楽器の反復練習をしても、いくら皆と音を合わせても、上がり症で臆病な私の内面だけは変わりようがなかったのだ。
嫌になる。つくづく嫌になる。


律「もうすぐ本番なのに、そんな調子でどうするんだよ・・・」

澪「・・・もうやだ・・・」


さっきから、心臓の動悸が止まらない。嫌な汗もかいているし、胃まで痛くなってきた。
私がこんな性格だってこと、律ならわかってるはずなのに・・・


澪「律ぅ~・・・りづぅ~・・・」

律「はーなーせーってば!」


律はああ見えて面倒見のいい性格として知られている。でもこの件に関してはほとんど助け舟を出してくれない。
確かに、他に方法なんてないのはわかってる。わかってるんだけど・・・


唯「ごめんね澪ちゃん、私のせいで」


わかってるんだけど、せめて背を押す一言くらい欲しい。
そんな甘えた考えを抱いていた私に、頭上から枯れた声が降ってきた。


唯「私がこんな声にならなかったら、澪ちゃんが歌うことなかったのに・・・」

澪「唯・・・」

唯「やっぱ私がボーカルするよ!」ハスキー

律「いやいやいやいや」

澪「ご、ごめん唯、そんなつもりじゃなかったから!」


そうだ、そんなつもりじゃない。ただ単に緊張して嫌になっただけで、律に甘えていただけで、唯に押し付けるつもりなんて毛頭ない。あるわけがない。
どんなに嫌になっても、舞台に立てないほどでも、唯にだけは押し付けない。責任を感じている唯の代わりを務めたいって思ったのは確かなんだから。
こんな私を気遣ってくれる優しい唯の代わりだからこそ、引き受けたんだから。
それを思い出し、立ち上がる。
まだ怖い。まだ緊張する。出来る気なんて全然しない。でも・・・それでも私は・・・



律「あ・・・そうだ、MC考えておかなきゃ」

唯「MCって何?」


律が急に何か言い出し、唯の質問に答えた後にMCの真似事を始めた。いつものように、明るくおバカなノリで。
真似事が一段楽した後、皆で声を上げて笑った。
もしかしたら律は、立ち上がった私をずっと見ていてくれたのではないだろうか。
そんな気がしたけれど、直接尋ねる事はせず、私達は舞台へと向かう。

幕が上がる。

ちゃんと演奏出来るのか、歌えるのか、それはわからない。
でも、ダメでもいい。私が恥をかくだけで済むのだから。唯に負担はかけないで済むのだから。
半分くらいはそう開き直っていた。勿論そうならないに越した事は無いけど、最悪でもそれで済むだろうと思っていた。

観客の無数の視線に射抜かれるまでは。
その視線に興味と、それ以上に期待が篭っている事に気づくまでは。

私は、それに応えなくてはいけない。
私はこの時になって初めて、自身が観客の寄せる期待に応える義務がある事に気づいた。
出来ない、では済まないのだ。私が恥をかくだけでは済まないのだ。観客は、私達に興味を抱き、自らの時間を割いて見に来てくれているのだから。

観客の中に、いるはずのない『彼女』の姿が見えた気がした。

そうだ、彼女もきっと私に期待を寄せている。私の成功報告を待っている。あれだけ特訓につき合わせておいて「出来ませんでした」なんて許されるはずがない・・・!
そうだ、失敗なんて許されないんだ。観客だけじゃない。唯も律もムギも、私と違って成功させるつもりでここに立っているんだから・・・!

ダメだ。
ダメじゃいけないんだけど、ダメだ。
緊張するとか怖いとか、そういう問題じゃない。これだけの人達の期待に応えられる自信なんて、今まで重ねてきた練習の時間を裏切らない自信なんて、私には――


唯「澪ちゃん!」


興味と期待からくる無数の拍手の音の中でも、その呼びかけは私の耳に真っ直ぐ届いた。
それはきっと、今の私が見たかったものが、そこにあったから。


唯「みんな、澪ちゃんが頑張って練習してたの、知ってるから!」


そう言って、唯は笑った。
その笑顔の向こうに、私は確かに未来を見たんだ。また見えたんだ、光り輝く未来が。
今までの練習通りに、いや、それ以上にこのライブは成功する。そんな未来が。


律「そうだよ、澪」


その未来は正しい。そう言っているようにも聞こえる、律の言葉。


紬「澪ちゃん」


その未来へ向かおう、と、そう言っている様にも聞こえるムギの言葉。
三人の言葉が、私の背を押してくれた。


唯「絶対大丈夫だよ、頑張ろう!」


うん、大丈夫だ。頑張れる。そんな気がしてきた。
背を押してもらった。また背を押してもらった。
また、だ。だから、今度こそはちゃんと伝えたい。


澪「・・・ありがとう、みんな。私、頑張るよ。頑張るから・・・見ててね」


頑張る私の横顔を見ててね、唯。




――大成功だった。そう言っても過言じゃないだろう。会場を包み込む、割れんばかりの拍手がそれを証明している。
ハスキー唯も負い目からかコーラス等で一緒に歌ってくれて、私個人としても楽しい時間となった。
観客の人達も、楽しんでくれたなら嬉しい。


澪「みんな・・・ありがとー!!!」


私が叫ぶと、歓声と拍手がさらに増す。
本当に私達のライブは大成功を収めた。唯の見せてくれた未来通りに。
唯のおかげで。唯と一緒に居られたおかげで・・・


唯「・・・えへへ」


ちらりと唯を見遣ると、まだ演奏後の高揚感が抜け切っていない赤い顔で微笑み返してくれた。
それに満足して、客席の方に向き直り、一礼。その後、撤収しようと舞台袖に向けて数歩歩いた瞬間――何かに、足を取られた。


澪「うわっ!?」

唯「澪ちゃん危ない!」


倒れる――そう思い目を瞑ったけど、訪れた衝撃はごく僅か。
感じられたのは柔らかいものに抱き止められた程度の衝撃と、楽器同士が軽くぶつかった様な音だけだった。
恐る恐る、目を開ける。


唯「大丈夫? 澪ちゃん」

澪「あ・・・唯。あ、ありがと」

唯「私もあのへんでつまずいたからねー。澪ちゃんのほう見ててよかったよ」

澪「あ、あはは・・・最後にコケてちゃ格好つかないよな」

唯「そんなことないよ。澪ちゃん、かっこよかったよ」


抱き止められたまま間近で語り合うというのは思っていたよりかなり恥ずかしく、どう返事をすべきかわからない。
ぜんぜん頭が回らない。せめて相手が想い人でなかったなら違うんだろうけど。
っていうか、そうだ、離れればいいんだ。近いからこうなるんだ、うん。
一つの結論に達した時、ようやく頭が少し冷えた気がして、周囲の状況も見えてくる。
・・・気のせいか、黄色い声とカメラのシャッター音が鳴り響いているような?


律「ええい、撤収だ撤収! 澪!唯!行くぞ! ムギもいい加減現実に戻って来ーい!」

紬「・・・はッ!? はい!」

澪「も、戻ろう、唯」

唯「う、うん」


・・・なんだろう、黄色い声とシャッター音の原因がよくわからないんだけど、なんか嫌な予感がするような・・・あとムギは何があったんだろう・・・
・・・ま、まあ、深く考えないようにしよう、うん。



律「・・・はぁ。まあそのなんだ、若干トラブルはあったけど、何はともあれお疲れさん!」

澪「ああ・・・本当に疲れた・・・」

紬「片付けは明日でいいし、今日の部ももうほとんど残ってないから、後はみんなで部室で休憩にしましょうか」

唯「いいねー、お茶とお菓子が恋しいよ~」

紬「今日はとっておきのを持ってきてるから、期待しててね」

唯「わーい! さっすがムギちゃん!」

律「あっはは。一大イベントを終えても我が軽音部は変わらんなぁ」

澪「むしろ終えたから、じゃないか?」

律「そうかもな。この空気が好きだよ、私は。仲間に恵まれたなって思える」

澪「うん・・・私も、それは思う」


いつもは練習しろと言う側だけど、大成功を収めた今、そんな事は忘れていいだろう。
今日ばかりは、私も早く部室で皆と一緒にゆっくりお茶をしたい。大切な仲間と一緒に。
心から、そう思う。





黒唯「大成功だったね澪ちゃん!」

澪「うん、ありがとう。唯のおかげだよ」

黒唯「でへへ、それほどでも」

澪「それと・・・」


さて、どう切り出したものか。
どのみち私の考えている事はすぐに筒抜けになる。思考より先に言葉を吐き出さないといけない。


澪「それと『あなた』のおかげでもある。そこで・・・その、一つ相談があるんだけど・・・」

黒唯「・・・」

澪「えっと・・・出来ればその、お礼を言いたいから・・・」

彼女「・・・『私』に出て来い、と?」

澪「・・・うん。ごめん」


結局、彼女が察する方が早かった。
相変わらず私はアドリブに弱いというか、機転が利かないというか・・・あれっ、よく考えたら今日のステージでも自己紹介すらしなかった気がするぞ?
こ、こんなんで大成功と言ってよかったのだろうか・・・



彼女「大成功ですよ。軽音部でやってきた事、私と特訓した事、それら全てを確かに出し切ったのですから」


足りないものはあったかもしれないけど、日頃の積み重ねを披露する舞台としては大成功だ。
不満があるなら次に活かせばいい。彼女はそう言ってくれているんだ。


澪「ありがとう。お礼を言いに来たつもりなのに励まされてるなんて、どうにもしまらないけど」

彼女「貴女には前向きになってもらわないと困りますからね。私の役目は学園祭で大成功を収めさせる事ではないのです」

澪「あっ・・・そうか」


それはそうだ。彼女はキューピッド、私の恋を成就させる存在。学園祭なんて通過点に過ぎない。
それなのにわざわざ彼女を呼び出して礼を言わせてくれだなんて、もしかして私、図々しすぎた? 思い上がってた?


彼女「・・・とはいえ、今日くらいは先の事など忘れて成功を祝いたいのも確かです。ほんの僅かとはいえ手を貸した身ですから」

澪「そ、そう? よかった、嬉しいな」


仲良くなりたいと願った相手に、そう返されて嬉しくないはずがない。
思い上がっていたかもしれないと後悔していたところだったから尚更。


彼女「それに、貴女の頑張りが少しずつ何かを変えていっているようにも見えます。もしかしたら近々良い知らせを持ってこれるかもしれません」

澪「何か? 良い知らせって?」

彼女「平沢唯が貴女を意識し始める日も、そう遠くはないのかもしれない、という事です。そういう意味でも今日は貴女を称えたいですね」

澪「ゆ、唯が私を!? そ、そんな、どうしよう!?」

彼女「私と練習すればいいんです。その為に私は居ます。何も心配する必要はありませんし、今の時点で心配しても意味がありません」

澪「れ、冷静なんだな・・・」


私なんか自分が恋愛対象として見られる日の事なんて想像するだけで頭が真っ白になりそうなのに、っていうか真っ白になるのに。
その冷静さは頼もしい。少なくとも今の時点で心配しても想像しても何の意味もないのは確かだ。落ち着こう、うん。


彼女「今日は貴女の成功を祝いましょう。貴女と、かけがえのない仲間達の」


流石は私の映し身、私が仲間に恵まれている事もちゃんとわかってくれてる。

**


学園祭の翌日。丸一日を使った後片付けが終わり、私達はいつものように部室に集合していた。


律「みんな、昨日はお疲れさん!」

唯紬澪さわ子「お疲れさまー」

律「唯は初ライブにしてはなかなかのものだったよ」

唯「いやぁ・・・えへへ」

さわ子「ふふっ」

律「澪は・・・ファンクラブまで出来たらしいぜ!」

紬「わああっ、すごい」

澪「ええっ!? ちょっ、なにそれ聞いてないんだけど!」

律「私は朝聞いたけど、せっかくだから黙っといた」

澪「なんで」

律「それはッ!ズバリぃっ!そっちの方が面白いからだぁぁぁぁあ痛ッ!?」


とりあえず一発。


唯「私も知らなかったよー、いいなぁ、私達も入れるのかなぁ?」

紬「そうねぇ、入りたいわねぇ」

さわ子「元々仲の良い部員は入れないんじゃないかしら。それとは別に、唯ちゃんは絶対無理でしょうね」

唯「ええー? なんで私だけ?」

さわ子「そのファンクラブね、実は『澪×唯ファンクラブ』になる一歩手前だったのよ」

唯澪「なにそれ!?」

律「まぁ見てた人達からすりゃかっこいいボーカルを披露した子が次の瞬間にはいきなり同じ部の子と抱き合ってりゃダブルインパクトだわな」

紬「わかります」


嫌な予感は無事に的中したようだ。
昨日のは唯が私を助けてくれただけの出来事なんだけど、見てた人達にとって大事なのは過程よりも結果だったのだろう。
いや、私達が抱き合ってた時間が長すぎたからいけなかったのかも? 確かにあの時の私は頭が回ってなかったし・・・


さわ子「さすがにそういうのは学校側としても看過できないから私が止めたんだけどね」

澪「私一人ならいいんですかっ!?」

さわ子「二人一緒にいるだけであることないこと騒ぎ立てられるよりはいいでしょ?」

澪「ま、まあ、そう言われるとその通りですけど」


勝手にコケた私のせいで唯にまで迷惑がかかるよりは、そっちの方が遥かにマシだ。


紬「真のファンは騒ぎ立てたりはしませんよ、そういうものはそっと心の中に秘めておくものなのです・・・」

律「お、おう、そうか」

さわ子「そうだとしても、看板を掲げられると澪ちゃんも唯ちゃんも視線を気にしちゃうでしょう?」

律「確かに、澪なんかはてんでダメそうだな」

唯「私だって気にするよー!?」


そうか、今日の片付けの最中にもたまに視線を感じたのはそういう事だったのか。
でも唯はそもそも全然視線を感じてなさそうだったから心配しなくていいと思う。


さわ子「ともかくそういうわけで、せめて一人のファンクラブにしなさいって伝えた結果、澪ちゃんファンクラブになったのよ」

律「ボーカルで目立ってたしな」


澪「経緯はわかりましたけど、そもそも、そもそもですよ、ファンクラブなんてものを先生が容認していいんですか!?」

さわ子「あら、私もそういう視線を向けられる側なのよ? 生徒達のそういう憧れは尊重しないと」

律「さわちゃん外面はいいからなー」

紬「美人先生って評判ですからね」

さわ子「うっふん」

唯「・・・でも、そうなると澪ちゃんもさわちゃん先生みたいな遠い存在になっちゃうってこと?」

澪「・・・唯?」


珍しく弱気な声で、唯が呟く。
呟きといえども、その声は全員に届いていた。それに最初に応えたのは律だった。
珍しく弱気な唯に対し、いつもと何ら変わらぬ元気な律が。


律「心配するな、私らが気にする事は無いんだよ、唯。澪が公認したわけでもない非公式ファンクラブなんだ。追いかけたい人が入るだけで、追いかけられる澪は何も変わりはしないさ」

紬「そうよ。それに澪ちゃん自身もあまり特別視されたくないだろうし。ね?澪ちゃん」

澪「う、うん。それはもちろん・・・普通に接して欲しいというか」

唯「・・・そっか」


ムギが律の後に続いて、さらに私自身の口から答えを引き出した事により、唯は納得したようだ。
・・・こういうのもきっと、私の口から真っ先に否定するべきだったんだろう。情けない限りだ。
情けない限りだけど・・・でも、同じ失敗を何度も重ねたくはない。
何でもいい。何か言いたい。弱みを見せてでも、唯を励ましてあげたい。


澪「・・・唯はいつも通りにしていてほしい。また私がつまずいた時、近くで支えて欲しいよ」

律「うわっ、澪がデレたぞ!」

紬「あらあら」

澪「んなっ!?」


間違ってはいないけど、何もこのタイミングで茶々入れなくてもいいだろバカ律!
・・・と思ったけれど、横を見ると唯はまんざらでもなさそうな顔をしていたので私の選んだ言葉は間違っていなかったのだろう。
そう思うと、律に怒る気も失せてくるというものだ。


唯「・・・うん、ありがと澪ちゃん。嬉しい」

澪「う、うん・・・」

さわ子「っていうか唯ちゃん、あなたは仮にも教師にちゃん付けしてるくせに澪ちゃんの時は悩むわけ?」

唯「い、いやぁあはは・・・。でも、楽器のこといろいろ教えてくれた澪ちゃんも、つきっきりで特訓してくれたさわちゃんも、私は尊敬してるから」

さわ子「・・・なんだろう、教師の喜びっていうのがわかっちゃった気がするわ。気持ちいい・・・」

澪「尊敬、か・・・」


教師の喜びとは違うだろうけど、そう言われて悪い気はしない。
っていうか、正直、照れる。
きっと今の私は顔が赤くなってる事だろう。一方のさわ子先生はなんか恍惚としてるけど。


唯「・・・えへへ」


それでも、出来ればこの笑顔の可愛い子に尊敬以上に好かれたいと、贅沢な悩みを抱いてしまってもいる。




昨夜(というか今朝)、目覚め際に彼女は言った。


彼女「平沢唯が貴女を意識し始めれば、我々は彼女の意識と同調できます。貴女の前に立つ私が今まで以上に完成度の高い平沢唯になった時は、そういう事だとお思いください」

澪「両想いになりつつある証、ってことか?」

彼女「はい。完璧な解答です。そしてその時が訪れれば、私の目的も半分は達成されたという事になります」

澪「そ、そこまできてまだ半分なのか・・・」

彼女「言うでしょう? 『百里を行く者は九十を半ばとす』と。後は想いを伝えるだけですが、そこを急ぐわけにはいきません。慎重に、且つ確実に成し遂げなくてはならないのです」


確かに、デリカシーもロマンチックさも無い告白では成功率も下がるだろう。
私の背を押す立場としては、押した結果当たって砕けた、では許されないのだろう。
彼女は決して無責任ではない。むしろ責任感に溢れている。ついでに彼女には上司のような存在がいるのではないかと今までの会話から予想される。
よって、彼女は絶対に私の恋を成就させたがる。そんな彼女の言う事は正しい。
私もまだ道半ばと心得て、慎重に唯と接しよう。


彼女「いえ、貴女の場合は慎重というより臆病なので、もう少し前に出てもらわないと。あくまで私が慎重になるだけの話ですから」

澪「・・・余計なお世話だよ! 私自身が一番わかってるよ!」

彼女「平沢唯と同調できた暁には、そんな事言っていられなくなりますよ? 現実のように今の内に覚悟を決めておいて貰わないと」

澪「・・・わかったよ」


その時はそう言いつつ、そんなに早くその時は訪れないだろうと内心思っていた。臆病な私がそこまで唯にアピール出来ている筈がないからだ。
そして、今夜。夢の中の部室で私はまた『唯』に会ったのだが・・・


唯?「やっほー、澪ちゃん!」


その唯は、いつもの黒唯ではなかった。
具体的に言えば黒くなかったのだ、髪が。本物の唯と同じ、栗色の茶髪になっていた。
これは、つまり、そういう事なのだろうか? 昨日も言われた通り、唯と両想いになりつつあるという事? そしてつまり――


唯?「どしたの澪ちゃん?」

澪「ち、近い!」


つまり、現実と何ら変わらぬ唯が、現実の唯のように接してくる、という事。
それを理解した上で練習だと割り切り、積極的に唯に接する覚悟が私に求められているという事。
・・・うん、やっぱり私は全然覚悟が出来ていなかったようだ、昨日ああ言われたのに。
どうしよう、どうすればいいんだ。とにかく喋るか。


澪「え、えー、こんばんは唯。本日はお日柄も良く・・・」

唯?「こんばんはなのにお日柄っておかしくない?」

澪「い、いや、あれは本来天気のことじゃなくて、その日自体の吉凶の話なんだ。大安とか仏滅とかカレンダーに書いてあるだろ?」

唯?「あー、そうなんだ」

澪「そうそう。だから、うん、おかしくない」

唯?「へー」

澪「確か今日は先勝だったはずだし。うん」

唯?「あっ、ところで澪ちゃん――」

澪「いや、待って、今は夜か。先勝は午前中が吉なんだけど、夜って午前扱いなのか午後扱いなのかわからないな・・・」

唯?「・・・えっと」

澪「日付が変わる前なら午後か?変わってれば午前か?それとも時間は関係なく――」

唯?「ちょっと、澪ちゃん。私が何の為にここにいるかわかってる?」

澪「あっ、ごっ、ごめんなさいっ!」


睨まれた。現実と何ら変わらない唯の顔なのにありえないくらい睨まれた。
怖い・・・けど、なんだかんだで黒い要素は残ってるのか。なら引き続き黒唯と呼んでも大丈夫なのかな。外見は唯そのものだけど。


黒唯「なんだかんだで、じゃないでしょ。せっかく本物と何ら変わらない唯と接することが出来る機会なのになんで私が出てきて澪ちゃんに説教しなきゃいけないわけ?」

澪「・・・うん、ごめんなさい・・・」

黒唯「なんで自分の世界に入っちゃってるわけ? 現実でもこんな感じなの?」

澪「いや、その、急すぎて混乱しちゃって・・・」

黒唯「ちなみに先勝で凶とされる午後はだいたい14時から18時を指すらしいから覚えておいてね。現実でそんな風に混乱しないためにも」

澪「はい・・・」

黒唯「・・・念の為聞くけど、嬉しくないの? 私がこういう姿になれるくらい、澪ちゃんは好かれてるんだよ?」


嬉しくないわけはない。好かれたいと思ってしまったのだから、嬉しくないわけがない。
そして、黒唯がそれをわかっていないはずもない。念の為なんて言ってはいるが、念なんて入れる必要もないんだ、私達の間には。
なら、この質問の真意は一つだ。
大きく深呼吸して、黒唯の目を見て宣言する。


澪「・・・嬉しいよ。私は唯のことが好きなんだから、嬉しくないわけがない」


そう言葉にして、覚悟を決める事。それが求められているんだ。
事実、その私の答えに対して黒唯は唯の顔をして笑った。


黒唯「良かった。嫌われたかと思っちゃった」


黒唯は――彼女は、もう唯になっている。
なら私は、唯に伝えたい言葉を伝えなければ。これは彼女の言っていた通り、練習なんだから。
現実で伝えられなくなる事が無いように、この場で伝えておかないといけない。どんな歯の浮くような恥ずかしい言葉であっても、だ。


澪「・・・嫌うわけないよ。私は唯をずっと想い続けてきたんだから」

黒唯「ずっと? ずっとっていつから?」

澪「・・・きっかけは色々あったけど、結局は最初からずっとなのかもしれない。いつも唯のことを気にしてた。初めてだったんだ、唯みたいなタイプの友達は」

黒唯「それって、私の性格がちょっとでも違ったら好きになってなかったってこと?」

澪「そうかも。だから考えようによっては本当に『運命の出会い』なんだ、私にとっては」

黒唯「澪ちゃん・・・」


やや熱の篭った唯の視線から思わず目を逸らす。
別にそれが嫌だったわけではなく、恥ずかしい言葉のオンパレードで自ら招いた事態に私自身が耐えられなくなっただけだ。
もうこれ以上は恥ずかしい言葉も言えそうにない。話を変えよう。


澪「ゆ、唯はどうなんだ? なんで私のことを気にしてくれるようになったんだ?」

黒唯「私も最初からだったのかも。正確には会った次の日からかな。澪ちゃんの外見と中身とのギャップは、すごく可愛いって思ってた。私も澪ちゃんみたいな子と会ったのは初めてだった」

澪「そ、そっか」


聞く方も聞く方で案外恥ずかしいな、これ。


黒唯「でも、学園祭からかな、特に意識し始めたのは。あの時の澪ちゃんはとってもかっこよくて、輝いてた。一緒に歌えることが嬉しくて、もっともっと一緒にバンドしたいって思った」

澪「ぁ・・・」


驚いて、咄嗟に言葉が出なかった。
その気持ちは、私が抱いているものと同じだったから。一緒に居たいという気持ちが、確かに同じだったから。


黒唯「それに昨日だって、「つまずいた時には支えて欲しい」なんて言われちゃって。そんなこと言われたら、ねえ?」

澪「ねえ?って・・・そんなに変なセリフだったかなぁ?」


黒唯「私にとってはね、つまずいた時のことを持ち出されるのは大きかったんだよ。あの時、私は澪ちゃんに見惚れてたんだから。言ったよね、澪ちゃんのほう見てた、って」

澪「あ、あれはそういう意味だったのか。唯もつまずいたって言ってたし、てっきり私がつまずくことを予測していたのかとばかり」

黒唯「予測してたならもっと先に言うよ。私もつまずいたから澪ちゃんがつまずいた時に反応できたっていうのはあるかもしれないけど」

澪「どっちにしろ私のほうを見てなければ無理だった、ってことか」

黒唯「そゆこと。澪ちゃんに目を奪われてなければ、ね」

澪「て、照れるな・・・全然気付かなかったよ」

黒唯「それは私もだよ。この世界で会うまで、澪ちゃんに好かれてるなんて思いもしなかった」

澪「お互い様、ってことか」

黒唯「うん、お互い様。私の視線に気付かなかった澪ちゃんもだけど、私自身も案外にぶちんなんだよね」

澪「うーん、唯は鈍いというより、ライクとラブの違いもわかってなさそうだなって思ってた」

黒唯「失礼だなぁ、それくらいはわかってるよぉ」

澪「確かに、この世界に来てるってことは、そういうことなんだよな」


私の中の唯の像が反映されているだけならば、こんな事は起こり得ない。私の知らない唯の姿を黒唯が見せてくれるなんて事は。
目の前の唯がちゃんと本物の唯の思考と繋がっているんだという事を実感する。

・・・そして同時に、これが練習に過ぎないんだという事実が頭の中に蘇る。
さっき覚悟を決めて、必死になった瞬間に頭の中から抜け落ちた事実が。本物の唯に接するように本気で練習を頑張ったせいで抜け落ちた事実が蘇ってくる。
本気で練習をしていたせいで練習である事を忘れるなんてなかなか皮肉が効いていると思う。

つい一瞬前まで照れて赤くなっていたであろう顔が、冷えていくのを感じる。
そうだ、目の前にいるのは本物の唯じゃない。赤くなってどうするんだ。確かに本物の唯のようにストレートな言葉をぶつけてくるけど・・・
いや、違う。本物の唯と何ら変わらない存在なんだと言っていた。シンクロしている存在なんだと。ならばそれは唯の言葉と同じ。

そう結論を出した瞬間、また一つの疑問が浮かぶ。

唯のような子は、言葉に感情を乗せる。心や魂を乗せてくる。私に感情的な反応をさせるくらいに、だ。
そんな重みのある言葉を、私はここで、夢の中で聞いてしまっていいのだろうか? 現実より先に、フライングして聞いてしまっていいのだろうか?
現実の唯が言葉として発する前に私が知ってしまうという事は、すなわち唯の心の中を覗いてしまっているのと同じではないのだろうか。
相手があの唯だからこそ。言葉に感情を乗せる唯だからこそ、だ。


黒唯「・・・なるほど、そういう考え方もあるのか」


私の考えを読んで言葉を発した彼女は、丸くかわいいいつもの唯の目ではなく、若干座ったような目つきをした『黒唯』だった。
黒唯は少し思案した後、私に確認を取るように尋ねる。


黒唯「ここでの唯の言葉は、限りなく似せてあるけど所詮は私という偽者の言葉だよ。私はそう認識してる。けど澪ちゃんにはそういう考え方が出来ない、ってことだね?」

澪「唯という人間自体は底が知れないけど、言葉はほとんどそのまま受け取っていいタイプだから」


唯とて、絶対に嘘を吐かない人間というわけではない。見栄くらいは張る。だから「ほとんど」ではある。
けれど、底の知れない人間性に反して嘘や見栄は目に見えて薄っぺらい。例外としてもほとんど考慮しなくていいくらいに。


澪「だからその底が知れない部分をシンクロしたあなたが再現してしまったなら、それはもう唯だ」

黒唯「うーん・・・確かに、ここまで裏表のない子は初めてなんだよねぇ、私も」


黒唯も・・・いや、正確に言うなら中の『彼女』も困惑しているようだ。
しまったな、彼女を追い詰めるつもりで言ったわけではないのに。私に親身になって協力してくれている彼女を。


澪「あ、いや、あの、助けてもらってる側だからあまり偉そうなことは言えないんだけど・・・」

黒唯「気を遣わなくていいよ、澪ちゃん。唯のことも澪ちゃんのことも理解して二人をくっつける、それが私の仕事なんだから」

澪「・・・ご、ごめん」

黒唯「謝らないでよ。私だって誇りを持ってこの仕事をやってるんだから。恋愛成就に導く集合意識として、システムとして、そして元人間としての誇りを」

澪「えっ・・・元人間?」


若干怒ったような物言いの中の聞き過ごせない言葉をオウム返しに問い返すと、いかにも「失敗した」といった感じの顔をされた。
これは黒唯の、彼女の素の失言ということか。まるで私がわざと怒らせて失言を引き出したみたいな形になってしまったけど。



黒唯「・・・親身になるには、それなりの理由があるってこと。本物かと見紛うほど上手く真似れるのにも、ね」


・・・元人間だから親身になってくれて、元人間だからシンクロして思考回路さえ理解してしまえば完璧に真似られる、という事か。
納得はしたけれど、彼女が元人間だったという事の衝撃は大きい。
彼女を天使か何かと思い込んでいた時と同様、元人間だなんて可能性は最初から頭の中に無かったからだ。
過去を想像もしなかった。彼女と仲良くなりたいと思ったくせに、私は彼女の根本的なトコロに目を向けていなかった。


黒唯「・・・これ以上の質問はNOだからね」


後悔に浸るまもなく、ピシャリと言い切られる。
まさに取り付く島もない。私は何も言えずにいる。悪いのは私なのに・・・


黒唯「・・・澪ちゃんが後悔してるのも、私に対して悪いと思ってるのもちゃんと伝わってるから大丈夫だよ。気にしないで、話を戻そう?」

澪「・・・うん、ありがと」


彼女のためを思うなら話を戻し、進めるべきだ。
私が招いた後悔で彼女の足を引っ張るなど、私自身も望んでいない。


澪「えっと。あなたは今まで、唯のような人間を見たことは無かった、ってこと?」

黒唯「ついでに澪ちゃんみたいな子もね。正確に言えば澪ちゃんみたいに臆病な子はいたし、唯みたいに天真爛漫な子もいた」

澪「あ、一応いたんだ」

黒唯「でも唯は突き抜けすぎている、一種の才能のように。澪ちゃんは臆病なくせに変なところで意地っ張りで強情で、そして誠実だから難しい。こんなタイプの組み合わせは初めてだよ」


そう、唯の突き抜けた天真爛漫さはまさに才能なのだろう。だから底が見えないし、だから輝いて見える。
でも私の評価はよくわからない。自分の事は自分が一番わかるなんて言うけどあれ嘘だよ絶対。


黒唯「・・・ふうん。じゃあ、また確認だけど、澪ちゃんは今やってることが唯の心の中を覗くような真似に思えて抵抗を覚えてるんだよね?」

澪「うん、罪悪感がある」


そうだ、罪悪感だ。そう呼ぶのがしっくりくる。
唯がその口で伝えてくれるはずだった物事を、私は先に知ってしまっているという罪悪感。
予め習う『予習』であるが故の罪悪感。そういうものがある。


黒唯「うん、そうだね。じゃあ予習って何のためにすると思う?」

澪「えっ?えっと、予め学んでおくことで理解しやすくするため・・・?」

黒唯「それもあるけど、この世界の場合はそっちじゃないね。当日に間違わないように、失敗しないようにするため、の方だね」

澪「あっ、それもそうか」

黒唯「そうだよ、だから大事なの。恋愛成就のために。でもたぶん罪悪感を抱いてる澪ちゃんはそれでも予習に抵抗を感じるよね」

澪「・・・うん。あなた達がしてくれることを否定するつもりじゃないんだけど・・・」

黒唯「それは気にしなくていいから。そもそも前提が違うんだからさ」

澪「前提?」

黒唯「そもそも今までにいた子は罪悪感を抱くくらい開けっ広げな子じゃなかったり、とかね。ちゃんと隠すところは隠す子。私もそれを正確に再現する」

澪「だから罪悪感を抱く余地はない、と」


黒唯「未来を知る、ということ自体に罪悪感を抱く子はいるよ。でも相手が開けっ広げな子じゃないから、その子の喜ぶ正解を知りたいという気持ちの方が強くなるわけ」

澪「相手を理解し、喜ばせたいという気持ちから、か。それは正しいような気もするな」


例えば誕生日プレゼントを選ぶ時とかは、相手の心が読めたらいいなと思う時があるだろう。
私が貰う側ならどんな物でも喜ぶけれど、選ぶ側はやっぱり最善を尽くしたくて悩むものだから。
全ては相手の喜ぶ顔が見たいから、だ。


黒唯「私も願ってるんだよ。未来を教えることで想い合う二人の涙がなくなり、笑顔が溢れてくれればいいなって」

澪「・・・ありがとう」

黒唯「でも、澪ちゃんはそれに罪悪感を抱いてる。理由としては前述の通り、唯が隠し事をしない子だから。言葉がそのまま心を映し出している子だから」

澪「うん」

黒唯「でもそれは半分。もう半分は澪ちゃんの誠実さから来てる。そうでしょ?」

澪「えっ? そう言われてもよくわかんないんだけど・・・」


確かに何かを見落としているような気はする。
相手を喜ばせたいから未来を知る。その気持ちには私も共感できる。なのに心の中から罪悪感は消えない。唯に対する申し訳なさが消えない。何故だろう?
他の子達は、未来を知れば相手を喜ばせられると判断したということだろう。でも私はそうならなかった。相手を喜ばせたい気持ちはわかるのに、だ。
私は、未来を知るだけでは唯が喜ぶには足りないと思っているのだろうか? それとも逆に、未来を知ったら喜ばせられないと思っているのだろうか?


黒唯「澪ちゃんは理屈っぽく考えちゃうタイプだよね。実際それが上手くて、今回もいい線行ってるんだけど。もうちょっと自分の感情を見てもいいと思うよ?」

澪「感情・・・?」

黒唯「上がり症で臆病だからこそ感情は意外と豊かなんだけど、そういう人って自分を客観視するのって苦手だったりするよね」

澪「うっ・・・」


そう言われるとそうかもしれない。というか客観視できないからこそ上がり症なのではないかと疑ってさえいる。
黒唯がそのあたりに詳しいのは、多くの人を演じてきた経験からだろうか。


黒唯「仕方ないなぁ、答えを言おうか。澪ちゃん、さっき、『唯』の言葉を聞いて顔を赤くしてたでしょ?」

澪「う、うん。自分の顔が見えるわけじゃないしあまり認めたいことでもないけど」

黒唯「言い訳はいいから。で、その後、これが練習だと気付いてその頬の熱も冷めた」

澪「うん」

黒唯「どうして?」

澪「えっ? どうしてって・・・練習で赤くなってもしょうがないし」

黒唯「練習で赤くなってもしょうがない。本番で赤くなるべきだ。そう思ったんでしょ」


そう言われるとなんかすごく恥ずかしい奴に思えてくる。
まるで自分の赤面に価値があると思っているような・・・


黒唯「価値じゃないけど、そこに意味があるって澪ちゃんは思ってるんだよ。正直な唯に対して、自分も正直な反応を返さないと意味が無いって思ってる」

澪「あっ・・・」

黒唯「そんなフシあるでしょ?だから予習することでその反応が鈍ってしまうことを恐れている。素直な反応を返せない可能性が出てくること自体が、唯への罪悪感になってる」

澪「・・・それが、誠実だってこと?」

黒唯「素直な子に対して素直でありたい。それは誠実さって呼べるんじゃないかな」

澪「・・・そっか」

黒唯「澪ちゃんは自身の客観視が苦手なのに加え、変なところで意地っ張りだったり見栄っ張りだったりするから自覚しにくいんだろうね」

澪「褒められてるのか何なのか・・・」

黒唯「事実を言ったまでだよ、鏡は嘘を吐けないからね。唯はそういうところもかわいいと思ってるみたいだけど」

澪「そ、そういうフォローはいらないです・・・」


黒唯「あ、そっか、これも未来を知ってしまったうちに入るのか。ごめんごめん」


そういうわけではなく単に恥ずかしいからだったんだけど、言われてみればそうとも取れる。
黒唯モードで喋る内容にまで注文をつけてしまうのはますます本意じゃないんだけど・・・


黒唯「あー・・・」

澪「・・・?」

黒唯「そうだねぇ、じゃ、今までのやり方に戻そうか?」

澪「今までの、って、今まで通りの?」

黒唯「うん。『私』は唯とはシンクロしないで、向こうも澪ちゃんとはシンクロしないようにして。ついでに姿も、こう」


言った瞬間、スッ、と一瞬で黒唯の髪の毛が黒に染まる。私の感覚としては染まるというか戻ると言ったほうがいいか。こちらのほうが見慣れている。
見慣れているし、こちらのほうが黒唯って感じがしてしっくりくる。


黒唯「遮断完了。一応いつでもシンクロ状態には戻せるからそこは心配しないでね」

澪「あ、うん、ありがとう・・・いや、でも良かったのか? ありがたいけど」

黒唯「マニュアルも大事だけど、当人達の意思が一番大事だからね。そこを尊重しないと必ずどこかで歪みに変わるよ」


要するに黒唯自身もこれが最善と思っての判断らしい。本当にありがたい。
ただ、それとは別にさっきから気になっている事がある。
一瞬何かを考え込んだような黒唯の態度。私の前の黒唯だけではなく、本物の唯の前にいる私の方もシンクロを遮断したらしき事。「当人達」という言葉。これらの意味するところは?


黒唯「さすが、するどいね。実は本物の唯も未来を見ることに難色を示したんだよねー」

澪「へぇ、そうなのか・・・」

黒唯「唯がどんなことを言ったのかはこんな会話の後だし言わないでおくけど。澪ちゃんよりシンプルに、澪ちゃんと同じようにこのやり方を嫌った、とは言っておくね」

澪「・・・さすがだな、唯は」


いつだってそうだ、唯は私には想像のつかないようなやり方で正解を導き出す。
いや、正解という言い方は違うか。この未来を予習するシステムが間違ってるとは言わない。きっと私達みたいな二人には合わなかっただけなんだ。
何にせよ、唯と答えが一緒だったという事実はなんだか嬉しくなる。


澪「・・・ん? もしかして、唯が何を言ったかとかまであなたにも瞬時に伝わるシステムなのか?」

黒唯「あ、説明してなかったね。一組のカップルにつき一人がつくようになってるの。澪ちゃんのほうも唯のほうも、相手してるのは私ってこと」

澪「えっ、並列処理ってこと? 大変じゃないのか? それに、身体が二つあるってことか?」

黒唯「大変は大変だけど、他の人に任せたらすれ違いが起きるし。身体については夢の世界だからで説明がつくでしょ。澪ちゃんの身体はそこに『ある』の?」

澪「ああ、そっか・・・。えっと、その、私も頑張るからこれからもよろしくお願いします」


苦労をかけてる相手に対する社交辞令・・・などではなく、やり方に文句をつけた身として、ちゃんとがんばらないと。
そう決意を告げると、黒唯は以前までの黒唯と同じように、若干性格悪そうな顔をして言うのだ。


黒唯「うん、頑張ってね澪ちゃん、期待してるよ」

**


澪「――って、ああああ!? ちょっと待って、まだ覚めないで!!」


目が覚める直前に、とんでもない事に思い至り、私は叫んだ。
が、手遅れだった。私はすでに夢の舞台からは退場していて、私の声は現実世界で響き渡る羽目となる。
マ――お母さんの私を気遣う声に返事をしながら、一人で考える。
まずい、まずい。これはよくない。
考えると言いながらどう見ても今の私は焦っていないか、なんて自分を顧みる余裕も無い。
肝心な事を聞きそびれてしまった。正確に言えば確かめ損ねてしまった。目が覚める瞬間まで疑問を抱けなかった。長々と真面目な話をしていたせいでそこまで頭が回らなかった。

昨夜の夢の世界。あの時私の前に黒唯が立っていたのと同様、唯の前には私と同じ姿をした彼女が立っているはずだ。これは彼女の話からしても確実だ。
そして、私の前に立つ黒唯は完全に唯の姿をしていた。なら同様に唯の前に立つ私も完全な姿をしていたはずだ。
つまり、唯の方から見ても私が恋愛感情を抱いてユリームシステムに捕捉されている、という事は明白。いくら唯でも彼女の説明を聞けば理解するはずだ。
そしてそれは、私が唯に恋愛感情を抱いているという事が筒抜けである事と同義なんじゃ・・・?

・・・いや、一応抜け道はある。説明を聞いた限り、恋愛感情さえ抱いていればシステムは姿を再現する。つまり、自身に向けての恋愛感情である必要はないわけだ。
つまり唯から見れば、『彼女』が私を演じて唯に迫ったりしていない限りは確証は持てない状況のはずだ。
まあそれでも私が恋をしてるという事は筒抜けなわけだが、本人にバレてしまうよりは恥ずかしくない。

もっとも、私は唯を再現した黒唯に迫られたため、唯が私を気にしてくれている事は知ってしまっている。
それなのに唯には隠し通そうというのは、フェアじゃないといえばフェアじゃない。
だから、まあ、バレてしまっていたなら仕方ない。同じラインに並んだだけの事だと受け入れよう。

・・・ただ、バレてるのかバレてないのかわからない状態自体が拷問にも等しいという事が問題なわけで。


澪「ど、どっちなんだろう・・・うぅ、唯に会うのが怖いな・・・」


会うのは怖いけれど、顔を見たくないわけではない。そんな複雑な乙女心(自分で言うか)を抱えて、私は学校へ向かう。

――そして、唯に会う。
不運にも、校門の所で偶然鉢合わせしてしまった。こういう時に限って不運にも一人で登校していたりする。
もっとも、唯に会える事自体は幸運なのだが。


唯「あっ、澪ちゃん、おはよー」

澪「お、おはよう!」


クラスも違うし、家もほどほどに離れている。会うのは放課後になるだろうと高をくくっていた私は、完全に不意打ちを喰らった形となった。
しかし、唯の振る舞いはわりと普通、いたっていつも通りだ。


唯「あっ、ねぇ澪ちゃん、辞書持ってきてない? 授業で使うんだけど忘れちゃって・・・」

澪「あ、ああ・・・持ってるよ。こっちは使う授業ないし、貸してあげるよ」

唯「わーい、ありがと! でもなんで授業ないのに持ってきてるの? あ、歌詞書くときに?」

澪「うん、そんなとこ」


またいつ歌詞が必要になるかわからないし、学校で何か思いつくかもしれないし、常に備えておきたいと思って持ってきている。
もっとも、本当は学校で歌詞が書けるなんてそこまで期待はしてないんだけど、備えあれば憂い無し。
実際こうして唯の役には立てたわけだし、悪くない。忘れ物をした唯は悪いけど。
そうだな、なんか唯もいつも通りみたいだし、私もいつも通りに接しよう。



澪「ほら。まったく、次からは忘れないようにな?」

唯「はぁい・・・ごめんね、迷惑かけて」

澪「・・・」


いつも通りに怒っただけなのに、私は少しの間、言葉に詰まった。胸の内をぐるぐると考えが巡る。
私が怒らなくても幼馴染の和さんが怒っただろうか。
いくら唯が悪いとはいえ、出過ぎた真似だっただろうか。
それに・・・せっかく唯に好かれつつあるのに、怒ったりなんかして嫌われないだろうか。
いや、でも悪い事は悪いと誰かが言ってあげるのも大切な事のはずだ。部活ではそれは私の役だったはずだ。
出過ぎた真似だったかもしれないけど、間違った事はしていない・・・はずだ。


澪「・・・大丈夫だよ、次からちゃんとしてくれれば。あと今日中にちゃんと返してくれれば」

唯「それはもちろん返すよ!任せといて!」

澪「たったそれだけの事で胸を張るなよ・・・唯らしいと言うか何と言うか。ふふっ」

唯「いやぁ、えへへ・・・」

澪「ほら、行こう、唯」

唯「うん!」


怒りはしても、最終的には唯には笑っていて欲しい。そう思ってしまう私は、どこか甘いのかもしれない。
けど、さっきまで唯に会う事に不安を覚えていた反動だろうか、こんないつものやり取りと唯の笑顔が何よりも尊いものに思えた。
大丈夫だ、きっと私は間違っていない。きっと。





でも、謎は残っている。
唯がいつも通りなのはわかった。ただ、唯にどこまでバレているのかがわからない、という朝からの謎は未だハッキリしていない。
そして、何故唯はいつも通りなのか、という事も謎といえば謎だ。夢の世界で何かしらの説明は受けたはずなのだから。
とはいえ私にはそれを唯に直接尋ねる勇気はない。今日が終わってから黒唯に尋ねるとしよう。
唯としてではなく黒唯として、あるいは彼女として答えてもらおう。ダメだったら・・・まあ、諦めようか。
そんな事を考えながら一時間目の授業を受け、休み時間になった。
授業中は切っている携帯電話の電源を入れる。自動でいくつか受信したメールの中に、唯からのものがあった。


  From 唯

   sub 澪ちゃん!
     添付ファイルなし
  ==========

   ちょっと廊下に来て~!
   (オネガイの絵文字)
                    』

メールの時間を確認するより先に、反射的に廊下に目を向ける。
見慣れた髪が見えた気がして、私はそのまま席を立った。



澪「・・・唯。なんだ、普通に呼んでくれればいいのに」

唯「えへへ、いやぁ、ちょっとね。あ、はい、辞書ありがと」

澪「早いな、一時間目だったのか。うん、確かに受け取りました、と」

唯「ほんとに助かったよ。でも和ちゃんに怒られちゃった、「軽音部の人にあまり迷惑かけちゃだめよ」って」

澪「次からはしっかりしないとな?」

唯「もちろんだよ。学園祭の時だって澪ちゃんに迷惑かけちゃったし・・・そろそろちゃんとしないとダメだよね」

澪「・・・」


もしかして結構気にしているんだろうか。
そりゃ私だってボーカルしたかったわけじゃないけど、それでも唯を恨んだ事なんて一度もないし、そもそも私が頑張れたのも唯のおかげだ。
唯にしっかりしろと言ったのは私だけど、唯に支えてもらったのだって私だ。
だから・・・えっと、何と言えばいいのか・・・


澪「・・・しっかりしろとは言ったけど、慌てなくていいんだよ。いつも通りの唯で、自分のペースでやれば、きっと唯は大丈夫だよ」


たぶん、これでいいと思う。
だって、私はいつだって、私の知らなかった唯に心奪われてきたんだから。
予想外の事をする、いつも通りの唯が、私は好きなんだから。


澪「・・・なんて、日頃からうるさく言ってる私が言えた義理じゃないか。ごめん」

唯「う、ううん、そんなことないよ! 澪ちゃんが何をすればいいか教えてくれるのは、とっても助かってるから」

澪「そ、そう?」

唯「うん。澪ちゃんにも、今まで通りでいてほしい。いつもの澪ちゃんでいてほしいよ」

澪「・・・そっ、か。ありがとう」


私が心から唯に望む事を、私自身も唯に望まれてしまった。
だとすれば、唯のそれも本心なのだろう。こんな性格の私でさえ心から望んでいるのだから、私より素直な性格の唯がどうかなんて言わずもがなだ。
それに応えないなんてこと、出来るはずもない。


唯「じゃあね、澪ちゃん。また部活の時に!」

澪「ああ。遅刻するなよー?」

唯「うんっ!」


いつも通りの笑顔の唯を、いつも通りに笑って見送った。




黒唯「――で、放課後になって部活の時も特に変化なし。よって私に聞くことにした、と」

澪「う、うん、そうと言えばそうなんだけど・・・」


唯の心は知りたくないと言っておきながら、唯がどこまで知っているかだけは聞きたいというのはズルいといえばズルい。
それに朝も考えたが、私は唯が私に興味を抱いてくれつつある事を知っている。ならフェアに唯にも知られていた方がむしろ良いとも言える。
確かめたいというのは私の臆病さから来る保身の為の欲なんだ。良くない事なんだ。いつも通りの唯と一日過ごして、私の考えはそっちの方向に傾いていた。
それに何より・・・唯が私にいつも通り、今まで通りを望んだんだ。変に突飛な事はしない方がいい。きっとそうだ。


澪「・・・やっぱり、聞かなくていい。ごめん、忘れて」

黒唯「ふぅん・・・ま、聞きたくないことを教えたりはしないよ」

澪「聞きたくないわけじゃないんだけど、聞かないほうがいい気がするんだ」

黒唯「・・・でも、わかってる? 『いつも通り』ってことは、二人の関係に進展はほとんど望めないんだよ?」

澪「・・・そうかもしれないけど、でも、きっと少しずつでも進展はするよ。私が唯を好きなんだから」

黒唯「・・・」


大きく溜息。そして、若干の不快感を込めてるように見える視線で私を見る。
ああ、そうか、くっつけるのが仕事の彼女にとっては、私の答えは望ましいものとは言えないのか。


黒唯「・・・本当に、こんな二人は初めてだよ」

澪「・・・ごめん」

黒唯「唯とのシンクロは遮断してあるから澪ちゃんの視点だけで言うけど、澪ちゃんだってイチャイチャしたいって願望はあるんだよね?」

澪「い、イチャイチャって・・・まあ、最終的には、うん」

黒唯「そこで「最終的」って言葉が出てくるのがまず変だと思うよ。人生は有限なんだから生き急がないと」


そこは人の性格による気がするのだが、黒唯が元人間だと知っている今、真っ向から反論するのは躊躇われた。
一度人生を終えている人の言葉として聞くと、その重みには到底反論なんて出来やしない。


黒唯「早く幸せを手にすれば、その分長く幸せでいられる。現実的に考えて何もおかしくないよね。実際今までの子達は大体そうだった」

澪「・・・それは、確かに」


自分達のやり方がどうであれ、幸せを求める他の子達のやり方を否定するつもりはない。
それに、現実的に見れば早く幸せを掴みたい気持ちは当然のもののはずだ、黒唯の言う通り。
他の子達はリアリストだった、とも言えるのかもしれない。


黒唯「その反面、澪ちゃんみたいなのはロマンチストが過ぎるね。テレビやマンガみたいな運命の恋を求めすぎてる。今までいろんな人を見てきたけど、ここまで酷い人はいなかったよ」

澪「ひ、ひどいって・・・」

黒唯「むしろアクシデントを求めてるような節さえあるよね。それを乗り越えて結ばれたい、みたいな。恋に奇跡を期待してるような。恋に恋する乙女だね」

澪「うぅ・・・」


言いたい放題である。
でも事実ゆえに言い返せないから、言われたい放題なのである。



黒唯「慎重にやるって言ったのは私だけど、それは私自身の話であって、当人達はもっと生き急いでいいと思うんだけどねー」


黒唯ではなく『彼女』モードだった時にも言われたな、私のはただの臆病だからもっと前に出ろって。
その時は唯とシンクロする事を前提とした会話だったから今とは少し状況が違う。それでも同じ事を言うという事は、それはキューピッドたる彼女自身が常に思っている事なのだろう。
だけど、私だってただの臆病でこの選択をしたわけじゃない。


澪「・・・唯と私は、同じ選択をしたんだよ。求めているものが同じだったんだよ。私はそれが嬉しかった」


特に何か話し合ったわけでもないのに、夢の世界でシンクロした相手と練習したわけでもないのに、私達は同じ事を相手に告げた。
「いつも通りに」とお互いに言い合った。それが嬉しかった。嬉しかったから、それを裏切るようなズルはしたくなくなった。昨夜の唯の事を聞きたくなくなった。
うん、一連の流れに何もおかしなところはないはず。っていうか、そうだ、そもそも臆病ゆえの選択なら私は今頃ズルしてるんじゃないか?
そう逆に問おうとしたが、二度目の大きな溜息に阻まれた。


黒唯「・・・そうだね。臆病なはずの澪ちゃんは情報を得て安心する道を選ばなかった。変化を恐れないはずの唯も、二人の関係を変化させる道を選ばなかった」

澪「・・・唯と同じ選択をした時点で、私は安心出来たんだよ。唯だって何一つ変えないつもりじゃない。ゆっくり変わっていくつもりなんだと思う」

黒唯「ずいぶんと自信ありげだね。まるで自分の事みたい」

澪「確かに私らしくはないけど、誰よりも理解したい相手のことだからね、ちょっとは自信あるよ」


私と唯の違う所、似ている所、それらを捜していきたい。私はそう思っている。
いつも通りのやり取りの中で、唯という女の子を理解していきたい。常々そう思ってきた私が唯を見て出した結論だ、多少なら自信も持てようというもの。
・・・見栄や意地や虚勢じゃない事くらい、私とシンクロしてる彼女ならわかってそうだけど。


黒唯「・・・今日の澪ちゃんは100点満点だよ」

澪「そ、そう? 急に褒められるとなんか怖いな・・・」

黒唯「少なくとも、予習も何もなしに唯が喜ぶ言葉をかけた。例外に戸惑う私を説得した。その二つについては本当に満点だよ」

澪「せ、説得って、そんな偉そうなことした覚えは」

黒唯「私を納得させた、でもいいよ。恋する乙女は生き急ぐべき、という私のポリシーは変わらないけど、それが二人に適用されないことは認めるから」

澪「・・・ありがとう」

黒唯「でも、毎日少しずつでもいいからちゃんと距離は縮めてね? じゃないと私のいる意味がなくなっちゃう」

澪「うん。頑張る」

黒唯「・・・やれやれ、長い付き合いになりそうだね、私達も」

***


――それからあっという間に半月以上が過ぎた。
さすがにこれだけ経つと、以前と比べて変わった事が多い。

例えば世間はクリスマス前の慌しさに染まっている。
前は街中の飾りを見る度に気が早いな、と思っていたけれど、今は本当に目前だからそんな事は言えない。
今年のクリスマスはどう過ごそうか。出来れば唯と、とは思うけど。

私と唯の関係は、言葉にこそ出していないもののお互いに「相手に好かれている」と自信が持てる程度には進んだ。
唯は私と喋るだけで嬉しそうにしてくれるし、きっと私もそうだろう。黒唯もそう言っているのだから間違いない。

そして、黒唯。
私と唯がゆっくりやると決めたあの日から、彼女は唯になりきる事がめっきり減った。予習と称して演じる事をしなくなった。
もちろん、私の映し身として反省には付き合ってくれている。キューピッドを放棄した訳ではない。
単にずっと黒唯のままなのだ。だから今となっては彼女が「私」と言えばそれは唯を指すのではなく黒唯を、あるいは中の『彼女』自身を指す。
そのあたりが最初の頃とは結構変わってしまった。もっとも、それ自体に不満はない。彼女と話すのは楽しいし、唯に会いたいのなら現実世界で会えばいい。
ただ、以前は『唯』と『彼女』の間に居たに過ぎない『黒唯』が表面化した今、『唯』になりきらなくなったのと同様に『彼女』も表に姿を見せなくなった。
それが少し寂しい。もっとも、黒唯の中身がほとんど『彼女』なのはわかってるんだけど・・・それでも寂しいのは、何故だろう。


**


そんな12月22日、終業式の日。我々軽音部の今年最後の部活の時間に、律が突然何かを取り出しながら立ち上がった。


律「クリスマス会のチラシを作ったよー!」

澪「あれ? クリスマス会ってやることになってたの?」

律「誰にも言ってないけどね!」

澪「言えよ」


まあ、クリスマス会自体には反対しない。出来れば唯と、なんて思っていたのも確かだけど、皆をないがしろにするつもりもない。
でもやっぱりもっと早く言えよと思う。特に場所をムギの家に勝手に決めるなんて・・・


紬「あの・・・その日はうち、都合悪いの・・・」


ほら。まあムギの家は特例な気がするし、律もダメ元だったみたいだけど。


紬「りっちゃんのおうちはどう?」

澪「あー、ダメダメ。律の家は汚くって足の踏み場もないから」

律「何だとーッ!? 澪の部屋なんか服が脱ぎ散らかってるくせに~。パンツとか」

澪「うわぁッ!? まッ、真顔でデタラメ言うな!」


脱ぎ散らかす事が一切無いとは流石に言えないけど、常日頃からちゃんと片付けてるぞ! 来客がある日なんか特に念入りに!
例え付き合いの長い律が相手だろうとそれは一緒だし、それに何よりそもそもパンツは脱いでない!


唯「えっ、澪ちゃんって家では裸族なの?」

律「おうよ、証拠は写真にバッチリ」

澪「ウソつけ~!」

唯「見せて見せて~」


なんで唯はそこで食いつくんだよ!
まあ、結局律が自慢気に取り出したのはパンが二つのアホらしい写真だったから良かったけど。
っていうかなんでこんなのを仕込んでるんだ、律は・・・



律「甘いな澪、他にも・・・」


そう言って写真をズラすと、後ろから出てきた二枚目、三枚目の写真には確かに、確かに見られてはヤバそうなものがチラリと!
さすがにあれは唯達に見られたらマズい。っていうか唯に見られたくない!
そんな一心で写真を持つ律の手を掴むが、写真本体をなかなか離してくれない。


唯「どれどれ~」

澪「の、覗こうとするなぁっ!」


興味を持たれてるのは嬉しいような気がしないでもないけど、見られたくないものは見られたくない。
律との引っ張り合いは拮抗状態が続いていて、唯に覗かれるのも時間の問題・・・だったが、そこでムギがタイミングよく助け舟を出してくれた。


紬「ゆ、唯ちゃんのおうちは?」

唯「あ、別にいいよ」

律「お、やった~」


あ、写真離した。
ありがたや、ムギ。本当に助かった・・・後はこれがデジカメで撮ったものでない事を祈るだけだ。
クリスマス会の会場の話も唯の家で何も問題はないとの事で、ついでに当日はプレゼント交換をしようと決め、まるで子供のように楽しみにするムギにほっこりしながら下校となった。
すると、校門の所で偶然にも和さんと出会い、その姿を認めた唯が近寄っていった後に律も近づき、クリスマス会に誘っていた。
もちろん、和さんを誘う事に私としても異論はない。


律「人数増えたほうが、使えるお金も増えるし・・・」

澪「それをどうする気だ」

紬「あ、あはは・・・」


確かにチラシには会費1000円とあったけど、実際のところどうするんだろう、これは。


律「まあ、料理を準備してくれる憂ちゃんに渡すのが妥当かなあ。材料費って言って」

澪「・・・なんだ、意外にもちゃんと人道的な使い道を考えてるのか」

律「私を何だと思ってるんだ!?」

澪「てっきり会費1000円って書いてみたかっただけかと思ってた」

律「それもある」

澪「あるんかい・・・」

唯「うーん、でも憂は受け取るかなぁ、それ・・・」

和「そうねぇ、そういうの遠慮する子よね」

紬「でもお世話になりっぱなしっていうのも悪いし・・・」

和「ま、せっかくお呼ばれしたんだし、私からも説得してみるわ」

唯「わーい、和ちゃん頼もしい!」

和「あんたも一緒にやるのよ」

唯「ええっ!? 自信ないよぉ~」


そんな会話をしながら五人で歩いていたら、すぐに解散地点に辿り着く。
解散というか、いつもはここで私と律、唯とムギの二手に別れるのだ。今日は和さんが唯の方に加わるけど。



律「んじゃまた明後日な~」

唯「ほいほーい、またね~」


みんなで軽く手を振り合い、別れる。向こうに和さんがいる事以外はいつも通りの光景だ。
ただ、その直後に律が言った言葉はいつも通りじゃなかった。


律「んでさ、澪。今更だけど本当に良かったのか? クリスマス会して」

澪「え、なんでだ? ムギには劣るかもしれないけど、私も楽しみにしてるぞ」

律「いや、その・・・澪は唯と二人きりのクリスマスが良かったんじゃないかって思ってさ」

澪「はあっ!? な、なななンでそンなことを!?」

律「裏返りすぎ裏返りすぎ・・・いやね、なんか最近仲いいじゃんお前ら。だからさ」

澪「な、仲いいって・・・で、でも二人きりで過ごすような関係じゃないし」


仲いいのは否定したくないけど、二人きりで過ごすような関係でもないのも事実。
っていうか、なんだ、律にはバレてるのか!? 私が唯を好きって事も!?


律「あ、そーなん? まあ確かにラブラブとまでは言えなさそうだったけど・・・あのさ、実はさ、クリスマス会を勝手に企画したのも当てつけだったり・・・」

澪「・・・なんだって?」

律「いや、冗談冗談! あ、いや、半分は冗談・・・半分は・・・えっと・・・ごめんなさい!」

澪「・・・いや、なんというか、謝られてもどう怒ればいいのかわかんないし・・・」


えっと、つまり、何だ? 律は妬いていたという事か? 写真まで持ってきて私をイジったのもそのせい?
いや、半分と言っていたし、企画の話をする時は楽しそうにしていたし、そこまで強く妬いていたというわけでもないのか?
そもそも妬いて企画したにしても、クリスマス会自体は全然悪い事じゃないし・・・嫉妬からの行動にしては空回りの度合いが低すぎる。
これは単純に、私と唯の反応を探ろうとしていた意図の方が強そうに思える。まだ疑われている段階、という事か。
・・・バレてなくてホッとするべき場面なのに、律に疑われているという事実に居心地の悪さばかりを感じる。
でも、律の方から切り出してきたという事は、律はどこかに罪悪感を感じていたという事なのか。疑う事のどこかに。
そしてそれを私に白状し、謝り、罪悪感を消そうとした。
だったら私も、この居心地の悪さをなんとかしたい。疑われた原因を取っ払い、律に疑われない私になりたい。
でもそれには当然、この胸の恋心を吐露しないといけないのだろう。もし僅かでも私が妬かれていたのだとしたら、それは火に油になりかねない気もする。
悩み、何も言えずにいると、律が私の顔をおそるおそる覗き込むようにして言った。



律「・・・許してくれる?」

澪「それは、うん。先走りがちなのは律の悪いところだけど・・・逆に勇気を出せないのが私だから」

律「まあ、正反対といえば正反対だよな、私達。面白いくらいに」

澪「それでずっと上手くやってきたんだから、許すも許さないもないよ。このくらいの喧嘩なら、何度でもしてやるさ」

律「・・・唯とくっついた後でも?」

澪「ひ、引っ張るなぁ」

律「仮に、だよ。仮にでいいよ」

澪「・・・仮に唯とくっついたとしても、律との関係は何も変わらない。好きな人がいるからって理由で、他の友人をないがしろにはしたくない」

律「へえー、案外欲張りなのねっ、アナタ」

澪「・・・マジメな話をしてるのに」

律「ごめんごめん。でもそうか、澪がそういう考えなら、私がどうこう喚くわけにはいかんよなー」


隣り合って歩きながら、律は言う。
いつだって、どんな時だって、最初の時からずっとこうして隣り合って歩いてきた律が言う。


律「そりゃ、澪が巣立っていくようで寂しい気持ちはあるけどさ、それでも澪の幸せを祈らないといけないんだろうな、私は」


隣を見れば、いつだってこの横顔があった。
今は少し寂しそうな横顔にも見える。当然か、律は「寂しい」と口にしたのだから。


澪「・・・いずれ誰かと付き合うことになったら、真っ先に報告するよ」


親友だから、そうしたい。
私を疑ってもいい。変に先走ってもいい。喧嘩してもいい。何をしてもいいよ、それでも私は律を親友として大切にしたいから。
今はただ、そう思う。

そんな思いを、律がどれだけ汲み取ってくれたのかはわからない。
本当に唯の事が好きなんだと律に告げ、この場で覚悟を強いる選択もあったかもしれない。
でも、律は笑って「待ってる」と言ってくれた。だからこれで良かったんじゃないかな。

**


次の日は、そんな律と今まで通りにバカなやり取りをしながら明日使うプレゼントを買いに行った。
たまたま唯と和さん、そしてムギと出会うというイベントこそあったものの、その場ではムギの強運を目の当たりにしたくらいで特に何もなくその日は別れた。
ちなみに肝心のプレゼントだが、私は若干物珍しく、音楽に興味のある軽音部員らしいものを選んだ。部活には使えないだろうけど、ほどよく奇抜でほどよく使い道はあると思う。
律のは・・・何も言うまい。知りたくなかったような、知っていて良かったような、そんな品だ。
しかもあれ一発ネタのくせに地味に高かったし。こういうところでネタに走り、散財を厭わない律はなんとも刹那的な生き方をしているなぁ。





黒唯「そうだね。りっちゃんとも仲良く。みんなとも仲良く。澪ちゃんの選択は何も間違ってないと思うよ」

澪「そっか、ありがとう」

黒唯「そして明日はクリスマス会。それはいいとして、その後は?」

澪「え? 後って?」

黒唯「それから後の予定。24日はみんなで過ごすとして、唯と過ごす日は?」

澪「・・・25日は家族でクリスマスだし、大晦日も家族と年越しする予定だし・・・あ、初詣にはみんなで行く予定だけど」

黒唯「それだってムギちゃんの予定が合わないからって2日になったんでしょ? だいぶ日が開くけど、それでいいの?」

澪「そう言われると・・・」

黒唯「年内にもう一回くらい会っておいてもいいんじゃない?」

澪「・・・クリスマスが終わってから考えるよ」

黒唯「そ。しっかりね」


・・・この時は、この「もう一回」があんなに遅くなるとは思わなかった。

**


クリスマス会ではいろいろな事があった。
具体的には唯がミニスカサンタを着たり私がさわ子先生に脱がされそうになったりミニスカサンタを着たり律のプレゼントで先生が壊れたり唯の天然が炸裂したりした。
唯の天然の恐ろしさも目立っていたが、何よりも目立ったのは平沢姉妹の仲の良さだ。
常に唯を支え、時には唯を庇う憂ちゃん。理由はただ一つ。心温まる唯の笑顔が見たいから。私もそこは共感できる。
「これはこれでいいコンビなのかもね」という律の言葉にも異論はない。そして、極めつけはプレゼント交換の時の出来事。
互いに相手の事を想って選んだプレゼントが、上手い具合に相手に渡る。それは私から見れば奇跡であり、運命的でさえあったんだ。

クリスマス会自体は楽しめた。軽音部の友人として、この上なく楽しめた。
ただ・・・唯に恋する者として、あの姉妹の間に割って入れる勇気は無かった。
奇跡や運命を超えられる気がしなかった。そして何より、唯を奪うという形であの姉妹の仲を引き裂く気にはなれなかった。




黒唯「それで? 諦めるの?」

澪「・・・わからない。諦めたくはないけど・・・」

黒唯「諦めたくはないけど、前に進むことにも納得できない、か」

澪「・・・今まで考えたこともなかったんだ。自分が幸せになることが、誰かの幸せを奪うことに繋がるなんて」

黒唯「・・・りっちゃんの件と同じだと私は思うけどなあ」

澪「同じじゃないよ。私と律の関係なら、壊さないように私が頑張ればいい。でも唯と憂ちゃんの関係なら、部外者の私は一方的に壊す側だ」


正確には、私に限らず誰もが壊す側にしかなれないと思う。
それくらいあの姉妹の仲の良さは二人だけで完結していて、完成されている。姉妹なんだから当然だよな。
でも、その『当然』を私は壊し、引き裂かなくてはならないんだ。自分の幸せなんていう自分勝手な想いのために。

いずれまた律と喧嘩したなら、いくらでも頭を下げるだろう。
でも憂ちゃんに対しては、いくら頭を下げても足りないだろう。

そう思ってしまったから、これ以上踏み出せる気がしない。人を傷つける事に納得できない。黒唯の言う通りだ。


黒唯「・・・諦めるなら、唯にちゃんと伝えないとね。さんざん気がある振る舞いをしてきたのは澪ちゃんなんだから」

澪「諦めるとは言って――」

黒唯「わかってるよ。でも進めもしないんでしょ? どうするの? とりあえず一人で悩んでみる? 無駄だと思うよ」

澪「・・・いつになく当たりが強いな」

黒唯「・・・澪ちゃんを助けるのが私の仕事だよ。そんな私は、これはりっちゃんの件と同じだと思ってる」

澪「・・・同じじゃ、ないよ」

黒唯「そう、最初の認識の時点でこうしてすれ違っちゃってる。だったら私は、澪ちゃんのために澪ちゃんに強く当たることしかできない」

澪「・・・」

黒唯「私は澪ちゃんでもあるんだからわかるよ。このまま一人で抱え込んでても答えは出ない。そして、私の言葉じゃ澪ちゃんに答えをあげられない」

澪「・・・だから諦めろと?」

黒唯「・・・私がそんなこと言うと思う?」

澪「だってさっき――」


黒唯の表情を見たら、それ以上の言葉は出てこなかった。
黒唯は、哀しそうな顔をしていた。

落ち着け私。今はまだ諦める気はない、それは彼女もわかってくれている。そもそも彼女の立場上、諦める事を推奨するはずもない。
冷静になれ、私。彼女が信頼の置ける人だと判断したのは私じゃないか。
冷静になれ。彼女の言動から、真意を導き出せ。
諦めろと言っているわけではない。一人で悩む事を勧めていない。でも彼女自身も答えをあげられない。となると・・・


澪「・・・唯に話せ、と?」


「唯に伝えないと」という言葉がヒントだったのではないか、と考えた。
考えて、私が導き出した答えに、黒唯は微笑みだけで応え、否定も肯定もしない。
でも肯定だろうと思う。他に答えは出てこない。なのに肯定しないという事は・・・私に悩めと言っているのだろうか?
一人で悩んでも無駄だと言われた。だから唯に話す。しかし、何をどう、いつ話すかという全てが・・・私に委ねられているのか? 私が全て自分で決めるのか?
確かに彼女は今までだって私を導くというよりは私の背を押す存在だったけど・・・それをありがたく思った私もいたけど・・・
なのに、いざ全てを丸投げされると不安でしょうがない。


黒唯「大丈夫だよ、澪ちゃん。最近の澪ちゃんはしっかりしてる。自信を持っていいよ」

澪「そう言われても・・・」

黒唯「頑張ってね。いい報告を待ってるから」

澪「・・・えっ? あれっ?」


その言葉を最後に、黒唯の姿が消えた。
夢の世界から、部室の中から姿が消えた。
そして、次の日から――唯に言葉を告げるその日まで、私がこの世界に呼ばれる事はなかった。

***


彼女は私の恋愛成就を心から願ってくれている。
その彼女が丸投げしたという事は、今の私ならどんな選択をしようと成功する、という事なのかもしれない。
でも、生憎私はそんなに自分に自信を持てていない。
全く持てていないわけではない。黒唯にああまで言ってもらえたんだ、多少は持とうと努力している。
学園祭の日に唯が大丈夫と言ってくれたおかげで歌えたように、黒唯に言われた今、唯と話さないという選択肢は絶対にありえない。
でも・・・正解は見えてこない。彼女は私を信じてくれたけど、私は自分を信じられない。
正解を見つけられぬまま、皆で初詣に行く1月2日を迎える事になってしまったのも必然とさえ言えるだろう。


***


唯「年末年始はこんなでした~」

律「憂ちゃんくれ!」

紬「相変わらずいい姉妹ねぇ」


微笑ましい仲良し姉妹のエピソードにも、私は曖昧な笑みを返すだけで割って入れずにいた。
その後の体重の話にはさすがに物申さずには居られなかったが。


唯「澪ちゃん、晴れ着気合入ってるねえ」

澪「律が昨日着ていくのって聞くから・・・」

律「聞いただけー」

澪「んなっ、何ぃー!?」

唯「今年も澪ちゃんのポジションは変わらずかぁ」


変わらず、か。
悔しいけど、その通りなのかもしれない。私には何も変えられないのかもしれない。
でもそれでいいのかもしれない。今のままの方が、全ては丸く収まる。長く悩みすぎたせいか、そんな考えに思考が傾く。
律にからかわれ、自分の無力さを実感し、何かと悔しくてつい「着替えに帰る」と言って皆に背を向けてしまう。


唯「そのままでいいじゃん、カワイイよ?」

澪「そ、そう・・・?」


唯の声につい足を止めてしまったが、ネガティブに傾いた思考と、帰ると言い出した意地から唯の顔を見れずにいる。
でも、すぐに「そうだよー」と私の手を取り、唯が満面の笑みを見せてくれるものだから、釣られて私も笑ってしまう。
・・・ネガティブに傾いた思考も一瞬でどこかに飛んでいってしまった。なんだ、私って案外ちょろい奴なんだな。
そしてそれ以上に・・・やっぱり、私は唯が好きなんだな。
正解を見つけられていないまま唯に会うのは憚られて今日まで会えずにいたが、会えばたったこれだけの事でも恋心があふれ出す。
結局、私はどうしようもないくらい唯が好きなんだ。

なのに。
こんなに好きなのに・・・自分がどうすればいいか、わからない。



律「さて、そろそろお参りに行くか?」

唯「あ、ちょっと待ってりっちゃん。ちょっとだけここで待っててもらえないかな?」

律「ん? 別にいいけど、トイレか?」

唯「ちょっと澪ちゃんにお話がありまして」

澪「えっ、私?」

紬「あらあら?」

唯「うん。一緒に来て?」

澪「えっ、えっ?」


私の返事も待たず、唯は私の手を取り、人の流れに逆らう方向に小走りで駆けだした。
晴れ着の私を気遣ってだろうか、そのペースは非常に遅い。
しかもそんなに長く走るわけでもなく、すぐにちょっとだけ脇道に逸れ、僅かに人の少ない所で立ち止まる。


澪「どうしたんだ、唯。話って?」

唯「うん、えっとね、あまり人の多いとこで言うようなことでもないんだけど」

澪「まあ、それは察してるけど」

唯「でもせっかくカミサマの前だし、こういうのもいいかなって」

澪「・・・?」

唯「・・・あのね、澪ちゃん。私、澪ちゃんのこと、好きなんだ」

澪「えっ・・・」


頭が真っ白になった、という表現がピッタリだろう。
唯が私を意識してくれている事は知っていた。嬉しい事だと思っていた。
なのに告白された今、何も考えられないでいる。
嬉しいはずなんだ。喜んでいい事のはずなんだ。私も唯を好きなのだから。両想いという事なのだから。
それでも喜べず、それどころか何も考えられないのは・・・単にタイミングが悪いからだろう。
私が正解を見つけ出せていない、このタイミングなのがいけないのだろう。


唯「あ、返事は今じゃなくていいからね。でも澪ちゃんが良ければ、お参りの時に私達二人のこともカミサマにお願いしてほしいなぁって思って、一緒に」

澪「な、なんで、告白・・・」

唯「・・・ダメだった?」

澪「だっ、ダメなんかじゃない!けど・・・」

唯「・・・澪ちゃんのほうが、私のことを長く想ってくれてたんだよね? だから告白する時は私のほうからするべきかなぁって」


何も考えられなかった頭がようやく回り出す。
私が尋ねたかったのは理由ではなく、「なんで今なんだ」という事だ。でもそれを唯に言うわけにはいかない。嬉しい事なんだから。
そうだ、だってそれは私の勝手な都合。一人で勝手にずっと悩んでいたせい。
そう、そのせいで・・・こんなタイミングで告白を受けてしまった。私は・・・それをもったいないと思っている。
もったいない。そうだ。唯が勇気を出して、気を利かせてくれたロマンチックな告白を、私はこんな心境で受けている・・・
もったいないし、それ以上に何より唯に申し訳ない。その勇気にも心遣いにも、今の私は応えられない・・・!



澪「・・・ごめん、唯・・・」


罪悪感が、口を衝いて出た。勝手に。私の意志とは関係なく。
唯の困惑する顔が目に入る。違う、そうじゃないだろ私。唯を困らせてどうする。悪いのは私なんだ。


澪「違っ、違うんだ唯。気持ちは嬉しいし、私もそうなりたいと思ってる。ただ、その・・・悩んでるんだ、私」

唯「・・・悩んでる? 何に?」


説明しないわけにもいかないだろう。唯の不安を取り除くためにも。
なるべくわかりやすく、シンプルに。


澪「・・・唯と付き合うということは、憂ちゃんから唯を奪うことなんじゃないかって。寂しい思いをさせてしまうんじゃないかって」


そう思うと、一歩が踏み出せない、と。そう伝えた。
長く悩んではいるものの、言葉にしてみるとそう長いものではないんだな。なのに私には、どうすればいいのか――


唯「その考え方だと、私はりっちゃんから澪ちゃんを奪うことになるのかな」

澪「・・・えっ?」

唯「そうなるよね。確かにりっちゃんを悲しませるのは、私も望まないよ」


いや、違う。違うはずだ。
だって、その件についてなら私の中で結論は出ている。


澪「・・・唯は、そこに悩む必要はないよ。私と律の関係なら、変えないように私が努力するから」

唯「じゃあ、私と憂の関係も私は変えないよ。澪ちゃんが悩む必要はないよ」

澪「・・・」

唯「・・・」


あれ?
もしかしてそれだけの話なのか?


唯「それに、私も澪ちゃんと付き合ったとしてもりっちゃんやムギちゃんと仲良くしなくなるわけじゃないし」

澪「・・・私も、憂ちゃんと仲良くすればそれで済む・・・のか?」

唯「そうだよ。私たちが付き合っても、みんながみんなと仲良くすれば何も問題はないよ」


皆を大切にする。それは、誰とも仲良くなれる唯らしい理想論。
だけど、少なくとも唯ならその理想を一切疑わず苦もなく叶えるだろう。
そして私もそんな未来を望んでいる。唯の作り出す未来を。
同時に、そんな人間になりたいとも思っている。皆を大切にし、誰とも仲良くなれる人間になれたらいいなと思っている。
だったら・・・それで済む問題なのだろう。


澪「・・・まったく、唯らしいというかなんというか。でも確かにその通りだな」

唯「澪ちゃんは意外と頭が固いよねぇ」

澪「うっ・・・」


確かに、結局は黒唯に言われた通り、律の時と同じ結論で済む事だったのだ。単に私が唯の気持ちを想像できないくらい頭が固かっただけで。
悩みを明かす時の恥ずかしささえ上回るくらい、自分の視野の狭さが恥ずかしい。
でも、今回の件で改めて思った。私に見えていない正解を容易く導き出す唯は、やっぱり素敵だ。



澪「・・・ありがとう、唯。話してよかった。話すきっかけをくれて、そして正解をくれて、ありがとう」

唯「でへへ、照れるねー。どういたしまして。澪ちゃんから見れば頼りないかもしれないけど、たまには頼ってね」

澪「頼りないなんてことはないよ。唯はいつだって真っ直ぐで、輝いてて。そんな唯のことが・・・好きだから、私」

唯「・・・もう、返事は後でいいって言ったのに」

澪「あはは・・・ごめん。でも、今伝えたかったんだ」

唯「謝らなくていいよ、嬉しいから。ね、それじゃあさ」


唯が一歩近づく。
唯の顔が、すぐ近くにある。


唯「これで私達――」


唯が何か言おうとしたその瞬間、唯の顔の表面に、私は『誰か』を見た。
何故か、その子は悲しげな顔をしていた。
理由はわからない。唯の言葉も・・・そこから先を紡いでいない。


唯「っ、ご、ごめん澪ちゃん。その、えっと・・・」

澪「・・・もしかして、同じことを考えてたんじゃないかな、私達」

唯「えっ?」


確たる根拠なんてない。全く同じタイミングで動きが止まった事。唯の瞳に映る私が、唯と同じような表情をしていた事。それくらいしかない。
でも・・・私の好きな唯なら『この考え』に至ってもおかしくない。


澪「たった今決めたことに、当てはまらない子がいることに気付いた。違う?」

唯「!!」


『彼女』との付き合いが長くなってしまった私。
『彼女』と会ったのは私より遅いけど、誰ともすぐに仲良くなれる優しい唯。
そんな私達が、皆と仲良く、なんて決めた直後に、互いの顔を間近で見たら・・・


唯「お別れ、なんだよね、あの子と・・・」

澪「次の子のところに行くだろうから、そうなるだろうな・・・」

唯「・・・」


悔しそうな顔をしていた。
慰めならいくらでも言える。それが彼女の仕事だからしょうがないとか、そもそも夢の世界の住人なのだからとか、唯に責任はないのだからいくらでも言える。
でも、どう慰めたって唯の表情は晴れないだろう。そこに仲良くなった子との別れがある限り。恐らくは永遠のであろう別れがある限り。
そもそも唯は悲しんでいるわけではなく、悔しがっているように見える。
悲しみなら慰めは意味を成すし、時間も心を癒やしてくれる。でも悔しさに慰めはほぼ無意味だし、時が流れれば余計に後悔として募るばかりだ。
後悔はいつか、どこかで払拭しなくてはならない。彼女が教えてくれた事だ。でも永遠の別れでは払拭する機会が得られない。
だから、私はある提案をした。非常識な言葉を唯に告げた。


澪「・・・付き合うの、もう少し先延ばしにしようか」


最悪の延命策。みっともない引き伸ばし。そして何より、告白してくれた子に対して言うのは到底許されない言葉。
だけど、唯は一も二もなく頷いてくれた。
この時確かに、私と唯の胸の内はシンクロしていたのだろう。『彼女』との別離を拒む、その一心で。




嬉しい告白も、新たな悩みの種も、どちらも二人に気取られないようにいつも通りに振舞おう、と唯と決めた。
その結果唯はいつも以上にボケボケで、お参りの時に律に鉄拳を喰らうほどだったが・・・まあ、誤魔化せたと思う。
ちなみに、新たな悩みが生まれたとはいえ、唯との関係を進めるつもりは変わらずある。カミサマにこっそりしっかり祈願しておいた。

その後、帰りに何か食べてく?と唯は提案していたが、ムギが難色を示した(私も内心同意した)のと、これ以上唯がボロを出さないようにと早期の解散を提案した。
あと地味に晴れ着も疲れたし・・・ね。
そんな解散直前に、唯があることを尋ねた。


唯「そーいえばさ、肝心のりっちゃんのお願いは何だったわけ?」

律「私? 部員が増えますように、って」

唯「ぶいん?」

律「おいおい・・・今年はもう私達は二年生になるんだぞ? となれば軽音部にも新入生を迎え入れたいと思わないか?」

紬「新入生・・・後輩?」

唯「後輩!いい響きだねぇ!」

律「だろ?わかるだろ?」

唯「よーし、もう一回お参り行ってお願いしてくる!」

澪「いやいや、ただでさえ一回やり直して時間食ってるのに二度目なんて迷惑だろ」


他の参拝客になのかカミサマになのかはわからないけど。


律「それに見てみ? あの行列」

唯「わあ・・・」

紬「私達が来た時より倍くらいに増えてる・・・」

律「あれにまた並ぶつもりか?」

唯「うーん・・・」

澪「いいじゃないか、唯。部長が代表して願ってくれたんだ、後は部員の私達が頑張ればきっと叶うよ」

唯「そだね、そういう考え方もあるよね! よーし、待ってろ新入生!」


やっぱりどうにも唯のテンションが高すぎる気がするが、上手く誤魔化せているのだろうか。
律もたまーに、唯ほどではないにしろ予想外な鋭さを発揮する事もあるし油断は出来ない。
ムギは思慮深いから違和感を感じてもこの場で問い詰めたりはしないだろう。そういう意味では安心できるが、勿論それに甘えていいという意味ではない。
むしろ思慮深く心優しいムギだからこそ、心配をかけたくなくなるというものだ。
とにかく、この問題は出来るだけ早く解決する必要がある。可能な限り今日中に。
何か、何か良い方法はないのだろうか・・・何か良い作戦は・・・




・・・そうして迎えた夜。私は久しぶりに夢の中で部室に立っていた。


澪「良かった、今日もここに来れないかと思った」

黒唯「恋心の高まりをシステムが感知したからね。ちゃんと唯と話せたんでしょ?」

澪「それなんだけど・・・ここに唯を呼ぶことって出来る? 私が唯の所に行くのでもいいけど」


問いには答えず、眠りに就く前に唯と話し合って決めた段取り通りに話を進める。
問いに答えれば、必然的に私は思い出してしまうからだ。神社での出来事も、ついさっき話し合った段取りも。
そしてそれが黒唯に筒抜けになる。この時点で筒抜けになる事は作戦上避けなければならない。
そう、作戦上、だ。


黒唯「出来るけど・・・なになに? ここでご報告でもするの?」

澪「まあ、そんなところ」


昼間、薄ぼんやりと考えていた作戦はこうだ。
今日中に解決策を見つけられたなら、今やっているように黒唯に考えを読まれないように注意しながら、先手必勝とばかりにその解決策をぶつける。唯と一緒に。
それだけ。シンクロしているんだからいくら注意したところでどうせそのうち見抜かれるだろうから、とにかく解決策を先にぶつける事が重要となる。
もしバレた時に具体的な解決策が無いと、それだけで相手に反論の余地を与えてしまうだろう。
それが昼間、可能な限り今日中に解決策を見つけなければならないと考えた理由だ。
律とムギに気を遣わせない為に解決を急ぐ意味合いも勿論あったが、今日中に、とまで急ぐのは作戦の為という方が大きい。

作戦と呼べるほどの作戦でもないが、その時の私はこれで上手くいくと思っていた。


黒唯「ふーん? まあいいや、じゃあ唯をここに呼ぶね。別々に相手するよりは私も楽だし」

澪「ありがとう、助かるよ」


でも、唯と話し合って気付いたのだが、この作戦は穴が多い。
先に心を読まれないようにと注意する時点で、注意している事が黒唯には筒抜けなのだ。今、私が若干訝しがられているように。
今くらいの怪しまれ方ならまだいいが、警戒までさせてしまっては解決策をぶつけるも何もあったものじゃない。
それ以前に、仲良くしたいはずの相手を警戒しつつ、口先だけで納得させるようなやり方を唯は好まなかった。せっかく考えが筒抜けでも仲良くできた相手なのに、と。
そう言われてしまっては返す言葉もない。後ろめたさは私自身も感じていたから。
そして何よりも「どうせ私からバレちゃうよ、隠し通せる自信ないもん」と唯が言った。その一言だけでこの作戦の中止は決まったようなものだった。
唯の前に立つのも私の前に立つのも同じ『彼女』である以上、そこはどうしようもないから。

というわけで、実は私の作戦が中止になった今、黒唯に隠し通す理由はあまりない。
単に唯が来る前にバレるのがなんか嫌だという、それだけの理由だ。
唯と話し合って練り上げた『作戦その2』では、いつバレようとも何の問題もない。
そう、今はその『作戦その2』に従って私達は動いている。一応、最初からずっと作戦上ではあるのだ。



澪「あ、そうだ、唯が来たらややこしくなるから、あなたは唯じゃなくて『あなた』に戻っておいて欲しいんだけど」

黒唯「それもそうだね。えっと、どうしよう、ヘアピンでも外しとく?」

澪「そうじゃなくて、中身の話なんだけど」

彼女「・・・わかってますよ。これでいいですか」

澪「・・・もしかして今の私、ボケ殺しだった?」

彼女「ノーコメントです」

澪「・・・えっと、ありがとう。いろいろ注文つけてごめんね」

彼女「お気になさらず」


纏う雰囲気が『彼女』のものになり、唯の個性でもあるヘアピンもちゃっかり取っ払われ、彼女の『無』っぷりが更に際立つ。
でもそんな事はどうでもよくて、私はただ『彼女』に久しぶりに会えた事を嬉しく思っていた。
それに、彼女の事をそれなりに知っている今となっては、その『無』っぷりも逆に個性と思えない事もない。
というか、内面は言うほど『無』ではない事はちゃんと知ってるしね。あくまで表面上の話だ。

・・・あと余談だけど、ヘアピン外した唯を見てみたくなった。

そんな事を考えている間に、唯が到着する。
さて、ここからが本番だ。


唯「おおっ、黒い私がいる・・・」

澪「えっと、紹介するべき?」

彼女「今更必要ないでしょう。それで、今日はどうなったのですか?」

澪「・・・お互いに好きだと伝え合ったのは確かだよ」


私の言い方に怪訝な顔を見せる彼女。
それを尻目に、私は頭の中で今日の出来事を思い出す。きっと横では唯も思い出している。
一通り思い出した後に改めて彼女の表情を伺ってみると、やはりというか当然というか、彼女は怒っていた。
いつもより更に冷たい声で、彼女は言う。


彼女「何を考えているんですか」

澪「や、やっぱり怒るよね?」

彼女「当然です。私に遠慮して付き合うのを止めるなど、誰も得しない選択肢です」

唯「で、でもっ」

彼女「私の事を想うなら構わず付き合ってください。貴女達の幸せが、私が使命を果たした証。それで私も幸せだというのに」


澪「・・・それでも、そこにあなたはいない。私達はそれがどうしても嫌なんだ」

彼女「元々住む世界が違うのです。現実世界と夢の世界、どちらを優先するべきかすら判らない貴女達ではないでしょう?」

唯「優先とかじゃなくて、どっちも欲しいの。恋人も欲しいけど、友達も大切にしたいの。それっておかしなこと?」

彼女「おかしくはないですが、同じ世界に住む人との間だけでしか通じない理屈ですね。もう一度言いますが、私と貴女達は住む世界が違うのです」


感じた情のままに行動した私達を、理で屈しようとする彼女。
こうして会話が平行線になるのは最初からわかりきっていた事。この『作戦その2』は、嘘も隠し事もない、要するにただの真正面からの殴り合いなのだから。
でもきっと、切れる手札はこちらの方が多い。勝算はそこにある。私はそう信じ、いかにも唯向きなこの作戦に乗ったのだ。
そう、嘘や隠し事は苦手だけど、突飛な発想が得意な唯向きの。


彼女「それにそもそも――」

唯「――だったら、住む世界を同じには出来ないのかな」

彼女「!?」


私と唯の考えを感じ取ったであろう彼女の顔に、驚きの色が映る。
始めて見る類の表情を引き出した事が、少し誇らしい。


澪「あなたがどういう経緯でここにいるのかはわからない。どういう原理でここで生きているのかもわからない。わからないことだらけだから、この世界を作った人と話したい」


唯の突飛な発想を私が補う形で出した、解決策とも呼べない解決策。

『この世界について、今から知る』

行き当たりばったりにも程があるけれど、これをしない事には何も見えてこないだろう、というのが私の結論だった。
唯の突飛な発想の実行が可能なのか不可能なのか、それさえも私達は知らない。だから知る必要がある。
普通に考えたら不可能に思える。でも、そもそもが他人の意識を読み取り、夢に介入するというトンデモな事をやらかしているこのユリームシステムだ、常識では測れない。
それにキューピッドのイメージ通り、彼女の上に立つ存在がカミサマである可能性もある。カミサマなら不可能はないはずだ。
・・・全ては、この世界について知る事が出来れば明らかになる。


彼女「・・・そんな事を口にした人は初めてです」

澪「いつもいつもあなたにとって想定外のことばかり言ってて、悪いと思ってる。けど、何も知らないまま諦めたくはないんだ」

唯「っていうか、ちゃんと知ってても諦めたくないけどね」

彼女「・・・この世界、ひいてはユリームシステムを作った人なら確かに存在します。私の上司とも言える存在。彼女は女神様と呼ばれています」

唯「女神様・・・」

彼女「しかし残念ながら、女神様との連絡は常に一方通行です。私の方から女神様を呼び出す方法はありません」

澪「そんな!」



しまったな、それは予想外だった。
となると・・・こちらから出向くしかなさそうだ。この部室の外に私達が出られるのかはわからないけれど、他に手はない。
この部室は彼女が作ったと言っていた。外に出るにも彼女の協力さえ得られればきっとまだ可能性はある。
そう思い、彼女を説得しようとしたその時。唯が叫んだ。


唯「女神様ー! お話がありまーす! 出てきてくださーい!」

澪「・・・おいおい唯、いくら叫んだところで相手に聞こえてるかどうか――」

???「――もう、そんなに叫ばなくても聞こえてますよ」

唯澪「うわあっ!? 誰!?」


唐突に背後から声がして、唯と一緒に驚きながら振り向く。


???「貴女達が私と話したいって言ったんじゃないですか、もう」

彼女「女神様!」


こ、この人が!? いきなり背後に立っていたこの人が、この世界を作り、ユリームシステムを作った女神様・・・?
その女神様の外見は、特に誰かに似ているというわけでもないのだが、金髪で長身、かつ豊満な肉体を持ち、大人の女性といった雰囲気をしていた。
「さわちゃん先生を日本人っぽくないくらいに綺麗にした感じだね」と唯が小声で囁いたが、確かにそんな感じだ。
もしくはムギをもう少し外人っぽくして大人にしたような感じだろうか。


澪「あなたが女神様、つまりこの子の上司なんですね?」

女神様「はい、そうです。カミサマですよ。神としての名前も別にあるのですけど、そこはナイショでお願いしますね」

唯「は、はい・・・うわあ、本物のカミサマなんだあ」

女神様「うふふ、そうですよー」

彼女「女神様、見ていらしたのですか」

女神様「もちろん。上司ですからね、部下の様子はちゃんと気にかけておかないと」

澪「ということは、私達の話も聞いていたんですね?」

女神様「ええ、もちろんです。結論から言っちゃいますと可能ですよ」

唯「・・・え?」



唯だけではない。私も彼女も呆けていた。
そんな中で女神様が若干うろたえながら言葉を続ける。


女神様「あ、あら? この子と一緒に現実世界で生きたいのでしょう? その願い、叶える事は出来るんですよ?」

澪「・・・ハッ。ほ、本当ですか!」

女神様「ええ。ですが、いろいろと問題はありますけど・・・」

唯「問題?」

澪「願いを叶える代償が必要、とかですか?」

女神様「そこまで重いものではないけれど・・・そもそも私達の手を離れた時点でこの世界の事は忘れてしまうようになってるんですよ」

唯「手を離れる?」

彼女「貴女達で言えば、要するに恋人として成立し、私達を必要としなくなった時点で、ですね」


彼女は知っていたのか、自分が忘れられてしまう事を。
それが大前提にあるから、私達との別れも当然のものとして受け入れようとしていたのだろうか。


女神様「一方のあなたは私が手続きすれば正式な卒業生として送り出す事は可能です。ですが、同様にここでの事は忘れてもらう必要があります」

彼女「・・・」

女神様「ですから、貴女達もこの子もこの世界の事を忘れてしまう。そんな状態でまた出会えるかは、私からはなんとも言えません」

唯「そんなっ!」

女神様「それに、卒業という形で送り出してしまうとこの子は転生扱いになります。つまりそちらの世界では赤ちゃんとして産まれてくる事になります」

彼女「それでは何年後に再会できるかもわかりませんね」

女神様「一応、貴女達の子供として産む事も出来ますよ? 女の子同士での妊娠を可能とする技術が確立されるまでは保留になりますけど」

澪「そ、それは・・・///」


視界の端でチラリと唯を見てみると、珍しく唯も顔を赤くしていた。かわいい・・・
って、そうじゃなくて! 子供なんてまだ考えてないからその方法は論外としても、お互いの事を忘れての転生というのは不安が残る。
他に手がないなら仕方ないけど、不確実な方法はなるべくなら採りたくない。
もっと言うなら、出来る事なら忘れたくない。



澪「あの、転生というやり方しかないんですか?」

女神様「それが正しい輪廻のあり方ですから。一度人としての死を迎えたこの子は、新たに一から命を育むべきなのです」

唯「えっ・・・」

彼女「・・・」


唯は聞いていなかったのだろう、驚いた表情をしている。
私だってたまたま彼女が口を滑らせてくれたから知っているに過ぎない。迂闊だった。あまり転生という言葉を前面に出すべきじゃなかった。
唯にはちょっと重い事実だったかもしれない。大丈夫だろうか・・・


彼女「そうやって胸を痛めてくれるだけで充分ですよ、唯さん。もう過去の事です。今の私にはこうやって居場所があるんですから」

女神様「ここにいる子達は、誰もが生前に恋愛も出来ずに若くして命を散らした子。そういう子が来世で素敵な恋愛が出来るよう、カミサマの下で働く事はよくある話なのですよ」

唯「そう、なんですか・・・」


唯は若干落ち込みつつも受け入れているようだが、早世したという事までは私も知らなかった。
以前、「人生は有限なんだから生き急がないと」と言われた事を思い出す。あの時の言葉は、私が思っていたより遥かに重かったんだ。
同時に、自分の経験からくる言葉を私に投げかけてくれる彼女はやっぱり誠実で、いい子だと改めて思う。
私も唯のように静かに受け入れよう。きっと彼女もそれを望んでいる。


女神様「もちろん、同性が好きな子、異性が好きな子、男女それぞれをカミサマが役割分担をして、ね。本人の望む所で働いて学んでもらっています」

澪「なるほど・・・」


推測するに、さっきの私の質問にある「ここで生きている経緯、原理」という問いに対する答えがこれなのだろう。
カミサマが、その権限において転生する前の彼女の魂を一旦預かり、ここでこうして形にしているのだ。
最初に『彼女』が言っていた「なるべく個性を持つべきではない」というのは、むしろ生前の自分を忘れようとしているのかもしれない。来たるべき転生の日に備えて。


澪「そういう仕組みが出来上がっているということは、やっぱり他に方法はない、と?」

女神様「・・・無い事はないです。カミサマの力でズルは出来ます」

唯「ほんと!?」

女神様「ですが、ズルはズル。人の世界ではバレたら怒られる事です。カミサマのズルはバレないし怒られない代わり、代償があるのでオススメはしません」

唯「代償・・・」


唯がこちらを見る。私は頷く。
代償なら、私達が払う。払えるはずだ。唯と確認したんだ、切れる手札はこちらの方が多いと。
はっきり言って、この展開は予測済みだ。どこまでの代償なら払えるかも打ち合わせ済みだ。



澪「代償とは何ですか? 私達で払えるものなら何でも差し出します」

女神様「現実世界での思い出、とでも言いましょうか。記憶に残る情報。頭にデータとして刻まれたモノ。それらを誰かからいただく事になります」

唯「それで・・・私達がそれを忘れればズルができるの? どういう仕組み?」

女神様「簡単に言えば、地球上にある思い出の総量はカミサマの基準でデータ化、数値化してみると常に一定なんです。人が生まれれば増えて、亡くなったり忘れたりすれば減り」

唯「思い出を・・・数値化?」

女神様「思い出というか、記憶と言った方がわかりやすいでしょうか。頭の中に刻み込まれる物事全て、です」

澪「・・・たぶん唯は自分に当て嵌めればわかりやすいんじゃないか。勉強を頑張ったらコード忘れるじゃないか、唯は」

唯「おおっ、なるほど。私の頭みたいに一定量しか覚えられないんだね、地球も」


気を悪くするかとも思ったけど普通に納得してくれた。ちょっと胸が痛い。


女神様「厳密にはいろいろあるのですが、簡単に言うとそうなります。ここでの出来事もそのデータ量を圧迫しているので、終わったら忘れてもらう必要があるのですよ」

澪「・・・つまり、人が物事をどうしても忘れてしまうのは、地球の、そしてカミサマの意思?」

女神様「正確には地球というよりも空間ですね。空間に存在できるデータの総量の問題です。データ量を一定に保たないと歪みが発生してしまうんですね」

澪「・・・なんか怖いことになりそうですね」

女神様「うふふ、そうですね」


落ち着いた笑顔で言われても結構困る。
しかし、そうか。世界がそういう仕組みになっているという事は、どうあってもここでの出来事は忘れてしまうという事か。
出来れば忘れたくはなかった。けど、忘れる事で彼女と現実世界で友達になれるというのなら、仕方がないと思える。
現実世界で今を生きる事と、夢の世界での思い出。どちらを優先すべきかと問われたら、要らないのは思い出だ。



女神様「それで本題ですが、代償として記憶データを差し出してもらうと、もちろんそこに空白が出来ますよね。そこにこの子の情報を入れるんです」

澪「それで・・・現実世界に存在できるようになる?」

女神様「私がズルして『生きている』この子の情報を入れる事で、世界がこの子の存在を認識します。そうすれば後は世界がこの子を生かしてくれます、自然に」

唯「おおっ!」


唯が喜ぶ。私も喜びたいのはやまやまだが、まだまだ女神様の説明では不透明な部分が多いから楽観視は出来ない。
それにそもそも、このズルに女神様や『彼女』が賛成してくれているのかもいまいちわかっていない。喜ぶには、まだ早い。


澪「ところで、どんな思い出を差し出せば『彼女』の情報量と釣り合うんですか?」

女神様「あら、そうね、一番大事な所を説明してませんでしたね。頭がいいのは知ってましたけど、流石ですね」

澪「あ、ありがとうございます・・・?」

女神様「そうですね、そもそもこの子がどんな立場で現実世界に降りるか等によっても必要な情報量は変化します。極力貴女達と無縁な立場が望ましいですね」

澪「立場・・・ああ、なるほど」

唯「? なんで?」

澪「例えば唯のもう一人の妹という立場にしたとする。すると唯や憂ちゃん、そしてご両親の頭の中にその子との思い出がないと不自然になるだろ?」

唯「うん、そうだね」

澪「つまりそれだけ情報量を必要とする=空間の情報量の空きが必要になる。でもこれがもし「最近引っ越してきた知らない子」だったら、唯達の中に思い出は要らない」

唯「そのぶん楽ってこと?」

澪「楽っていうか・・・」

女神様「楽っていうか、差し出す貴女方から見ればお得でしょうか」


その言い方もどこかおかしいような。


女神様「カミサマとして言わせて貰うなら、澪さんが言ったようにいろんな人の記憶を弄る必要があるような立場だと必要な情報量が跳ね上がるのでオススメしません」

澪「となると、やっぱり無縁な子にするべきなのか」

女神様「そもそも記憶を弄られるのもイヤでしょう? 私としてもなるべく記憶に手を加えずに済むならそれが一番ですし」

澪「た、確かに」

唯「でも、それじゃ私達と会えなくなるんじゃ・・・?」


そうだ、お互いにここでの記憶は無くなるはずだ。情報量という見地からも忘れた方がいいのは確かだし。
だったら唯の言う通り、結局会えるかどうかという不安は残るんじゃ・・・


女神様「無縁だけど会う運命にある子、にすればいいのです。それこそ例えば隣に引っ越してくる予定の子、とかですね」

澪「な、なるほど」

唯「会う運命にある子、かぁ・・・」

女神様「運命なら私達カミサマの得意分野ですからね、多少の無理は通してみせます。安心して任せてくれて大丈夫ですよ」


運命、すなわち未来の事なら人の記憶を弄る必要もほとんどないだろうし、カミサマとしても楽なのかもしれないな。
・・・と、そこで一つの閃きが私の頭の中に生まれた。
今日の出来事から連想された閃き。これは我ながらいい閃きだと思う。


澪「あのっ!どんな立場になるか、私達の希望を言ってもいいですか?」

唯「澪ちゃん?」

女神様「いいですよ。何なら立場だけじゃなく性格とかも言っていいですよ。今のこの子はまっさらですから」

彼女「め、女神様!?」

女神様「あら、何か希望がありましたか?」

彼女「い、いえ、そういうわけではないのですが」

女神様「だったら、あなたの為に記憶を差し出してくれるあの子達の希望を聞くくらいいいでしょう?」

彼女「・・・自分の性格が勝手に作られるというのは居心地が悪いです。それにそもそも、私は彼女達の記憶と引き換えの生なんて望んでは・・・」

唯「えっ、一緒に来てくれないの・・・?」


危惧していた展開。他ならぬ『彼女』自身が拒むという、最悪の展開。
可能性としては充分にあった。彼女はそれほどに誠実で真面目で責任感がある。
私達が一方的に代償を差し出すだけで自分は何もしないなど、認められるはずがないのだろう。
実際、次の瞬間にその通りの事を彼女は言った。


彼女「・・・気持ちは本当に嬉しいです。ですが、自身は何もせずに幸せを享受するなど、私自身が認められません」

唯「幸せ、だって。そう言ってくれるのは嬉しいなー」

彼女「・・・問題はそこではありません」

澪「あなたは私達に幸せをくれたよ。だから、その幸せが少しくらいあなたに返ってきてもいいはずだ」

彼女「・・・ですが・・・」

澪「・・・せっかくだから私達が差し出す予定の記憶についても言っちゃおう。唯、いいよね?」

唯「うん。カクゴの上だよ」


変にカッコつけた唯に微笑みかけ、もう一度『彼女』に向き直る。
これから言う言葉は、彼女を怒らせるだろう。女神様も怒るかもしれない。でも、それだけの覚悟が私達にはあるという証明だ。
唯と利き手同士で手を繋ぎ、大きく息を吸い、口を開く。


澪「――私達の恋心と引き換えだ。私達とまた友達になって欲しい」

彼女「なッ!?」

女神様「!?」

彼女「何を・・・何を考えているんですか! 貴女達二人が本当に心から互いを好きだったことは知っています!なのにそれを自ら手放すなど!」

唯「本当に好きだから、だよ。本当に好きだし、一度ここまで近づけたんだから・・・一度忘れてもきっとまた好きになれるって、信じてるんだ」

澪「あなたの後押しはないだろうから、いつになるかはわからないけどね。もしかしたら高校生のうちは無理かもしれない」

唯「でも、絶対にいつかまた好きって言えるようになる」


私達は、そんな未来を信じている。それが私達が話し合って出した結論だった。
『彼女』に沢山背を押してもらっておきながらこんな結論を出すのは説得力が無いかもしれない。でも、根拠はある。
私達はお互いに、出会った時から相手の事が気になっていたのだから。それでいて恋心だと自覚するまでは、私達らしい日常を過ごしていたのだから。
だから、出会いから全て無かった事にならない限りは、きっと辿り着く未来は同じ。私達はそう信じてる。


唯「だから、この気持ちを差し出すことで友達を一人引き止められるなら、それでいいかなって」

彼女「そんな・・・そんなこと・・・!」

女神様「・・・その選択は、この子の頑張りを無に帰すということですよ?」

澪「いいえ。さっきも言いましたが、彼女の頑張りが彼女に返ってくるだけのことです。善因善果です。決して無にはなりません」

女神様「・・・」


しばらく黙っていた女神様だったが、ゆっくりと両手を胸の前に持って行くと・・・ハートマークを作った。


女神様「満点です。それだけの『重い』想いなら、この子を現世に送り込むのに何の不自由もありません。貴女達の希望もほとんど叶えられるでしょう」

唯「やったー!」

彼女「め、女神様!?」

女神様「そろそろ卒業かなあと丁度悩んでいたところです。見知らぬ人の処に転生するか、二人の想いに応えるか・・・自分で決めなさい」

彼女「ですが・・・ですが、この二人は本当に純粋に、お互いの事が好きでっ・・・!」

女神様「ええ。この二人は純粋すぎるのでしょう。恋人と友人のどちらも大切にしたいと欲張ってしまう。それでいて恋情も友情も永遠だと信じている。それはとても危うい」

澪「あ、危ういかなぁ・・・私は唯を信じてるだけなんだけど」

唯「私も澪ちゃんを信じてるだけだよ」

彼女「・・・純粋に妄信してるように見えます」

女神様「でしたら、あなたはたとえ全てを忘れようとも、友として近くにいればいい。彼女達が道を踏み外さぬように、友として『楽しい日常』を提供すればいいのです」

彼女「楽しい・・・日常・・・」

女神様「日常で薄められた恋心は、僅かずつですが確実に積み重なっていきます。そしていずれ、二人にとっての幸せな未来へと正しく至る」

澪「幸せな未来・・・」

女神様「焦ったり、変に急ぎさえしなければ、そもそも私達のような月下氷人なんて必要ないのですよ♪」

彼女「女神様がそれを言いますか・・・」


月下氷人。縁結びのカミサマ。すなわち仲人。
それを必要無いとは、心強い言葉ではあるけど女神様が言うとなんかいろいろと台無しなような。
日常を過ごしていれば大丈夫と言われたんだから、本当に心強いんだけどね。



女神様「さて、この子の決意も固まったところで話を戻しましょうか」

唯「固まったの?」

彼女「・・・」

女神様「大丈夫、固まってますよ。ちょっと素直になりきれてないだけです」


確かに固まってはいるのだろう。私なら俯きがちに頬を染めたその表情から察せる。
小さくない代償こそあったものの、私達の望み自体は叶っての決着という事だ。とても嬉しい。


女神様「それでは、引き続き希望を聞かせてもらいましょうか。この子の・・・設定の」

澪「極端に身も蓋もない言い方になった!?」

唯「ねえねえ澪ちゃん、さっき言おうとしてたことってもしかして」

澪「あ、ああ。うん、どうせなら新年の律のお願いと合致したほうがいいかなって」

唯「やっぱり。ということで私達の後輩で新入部員って設定でお願いします!」

澪「唯まで設定って言い出しちゃったよ」

女神様「ふむふむ、後輩キャラですね。性格等の希望はありますか?」

澪「うーん、私としては今のまま、真面目でいい子でいてくれれば特には」

唯「はいはい! ギター大好きでまっすぐな子がいいです!」

澪「まっすぐ、か。唯みたいに感情に素直な子なのは確かにいいかも。後輩だからって遠慮しないでさ」

唯「あ、じゃあ澪ちゃんみたいに演奏が上手い子がいいです!」

澪「そうだなあ、唯に教えられるくらい上手い子なのも面白いかもな。唯の新年のお願いがそれだったし」

唯「うっ、そ、そこまでしなくても・・・どうかなぁ」

女神様「ふふっ、つまり『心から音楽が好きな子』って事ね」

唯「まあ、軽音部に入部するくらいだからそうなるよねー」


うまくオチがつき、設定が固まったところで彼女に向き直る。
それを察した彼女は、ようやく顔を上げて視線を合わせてくれた。


澪「じゃあ、その時が来たら先輩として頼ってくれ」

彼女「・・・はい、よろしくお願いします」

唯「お礼に可愛がってあげるからね!「入部希望なんですけど!」って来るといいよ! あ、でも今みたいな堅苦しい敬語はやめてね!」

彼女「・・・考えておきます」

女神様「まあ設定を反映するのは私なんですけどね。大丈夫、ちゃんと堅苦しすぎない普通の子にしますよ」

澪「ありがとうございます、お願いします」

女神様「・・・ただ、恋心と引き換えという性質上、若干惚れっぽい子になってしまう可能性はありますが」

彼女「今何か聞き捨てならない言葉が聞こえませんでしたか?」

女神様「大丈夫、恋する事は素敵な事です。私の下でお手伝いをしていたあなたなら、それはわかっているでしょう?」

彼女「・・・それは、まあ・・・」

女神様「ところで澪さん達。せっかくですからこの子の名前まで考えていきますか?」

澪「えっ、いいんですか?」

女神様「それくらいはサービスしますよ。愛と絆の大切さを知っている子達に、我々カミサマが応えないわけにはいきませんからね」

澪「あ、ありがとうございます」


といっても、自分のネーミングセンスに自信があるわけではないんだけど。
でも『彼女』と目が合うと頷いてくれた。これは間違いなく光栄な事だ。唯と相談しつつ、一枚噛ませてもらおう。


唯「なんか可愛い感じでお願いします澪ちゃん!」

澪「あれっ丸投げ?」

唯「いやー、私はあだ名とか、既にある名前をちょっとイジる感じのなら好きなんだけどね」

澪「一から考えるのは嫌、と」

唯「嫌というかー、苦手というかー、自信ないっていうかー・・・恋のキューピッドだからキューちゃん!とかなら言えるけど」

澪「・・・」

彼女「・・・」

女神様「普通の子の名前としては、ちょっとイマイチですねぇ・・・」



唯の自由な発想力は魅力の一つでもあるのだけど、それが真面目な名付けに向いているかはまだ未知数だ。
とはいえ、自信がないのは私も同じ。最終的には『彼女』の判断に任せたいところだ。


唯「あ、キューピッドじゃなくて恋のほうから取って恋ちゃんとか!?」


・・・未知数だ。


彼女「今のところ、あんまり上手くないですね」

唯「ば、バッサリだー!?」

澪「でも、漢字一文字っていうのはいいかもな」

唯「そ、そうだよね、今のところ軽音部はみんなそうだもんね!」


それに、唯のように何かしらの由来から考えるというのはいいと思う。
『彼女』の姿とか、してくれた事とか、その辺りから何かアプローチできないだろうか。
姿は・・・あ、唯をベースにしているからダメか。本当の姿がわかっているならまだ考えようはあったけど。
してくれた事は・・・私や唯になりきったりしつつのアドバイス、か。なんか言葉面だけ見ると口寄せをするイタコみたいだな。
分類としては私の苦手な心霊現象に含まれそうな口寄せだけど、良い話でも耳にする事があるので私でも知っている。イタコも同様だ。
あ、いや、イタコって恐山周辺の巫女の事を言うんだったっけ? なら職業としては巫女、でいいのかな。巫女は神子とも書くし、今の彼女にはピッタリだ。

という事で・・・ミコちゃん? いや、漢字一文字に出来ないし、若干安直な気もするし、これは無しかな。
じゃあ何か巫女の別名からとか? イタコのようなのが他にもあったはずだ。ええと・・・


唯「そういえば今更だけど、恋のキューピッドなのに弓矢は持ってないんだね」

彼女「本当に今更ですね・・・ギターの弦で矢を放てば満足ですか?」

唯「ギターの弦と弓矢の弦は違うからね!?」

澪「・・・ん?」


弓矢・・・? 何かひっかかる・・・私が昔同じ疑問を抱いたからというのではなくて、何か今考えてる事と関係するような・・・
あ、そうだ、イタコみたいに口寄せをする巫女の別名で「大弓」というのがあったっけ? あったような気がするような?
しかしまぁ、弓なのか巫女なのか、字面だけ見るとややこしいな。二つくっつけてユミコ、なんちゃって――


澪「――あっ」


唯「澪ちゃん?」


弓。巫女。くっつく。
それらから思いついた名前。漢字一文字にもなる名前。


澪「・・・梓、なんてどうだろう」


もっとも、思いついたとはいえこれでは最早ただの連想ゲームだ。
弓、巫女、それのどちらにも共通して使える漢字、くっつけることで意味のある単語になる漢字。

それが『梓』。

梓巫女は梓弓を携え、口寄せを行う巫女。でも彼女は弓を持っていないし、彼女のした事も似てはいるものの口寄せではない。
彼女自身を由来とするには遠すぎる、遠回りしすぎた連想ゲーム。
でも、案外いい名前じゃないかな?


彼女「・・・悪くないですね」

唯「梓ちゃん、かあ・・・」

女神様「ふふっ、決まりですね。この子が地上に降り立つ時には、その名を授けましょう」

唯「やったね澪ちゃん、名付け親だね!」

彼女「いい名をありがとうございます」

澪「て、照れるな・・・本当にいいのか? 何というか、思いついた経緯があまり胸を張れるものじゃないような・・・」

彼女「はい。どのような考えで梓に至ったのかもちゃんと知った上で、いい名だと言ったんですよ」

澪「・・・シンクロしてるんだもんな、今更か。わかった、ありがとう」

彼女「いえ、こちらこそ」


女神様「・・・さて、それでは覚悟はいいですか?」


女神様が、間を置いてから真剣な声色で言う。
それの意味するところは言うまでもない。少しばかりの、別れの時だ。


女神様「最後の確認です。これが終われば貴女達二人の恋心は消え、私達の事も忘れ、そこから連鎖する形でこの子と出会った事により起きた出来事まで忘れます」

澪「・・・彼女に背中を押してもらった結果起きた出来事まで忘れる、ということですか?」

女神様「そうです。全ては恋心が由来なのですから、覚えていては不自然になりますからね。それらの存在しない、ある意味では正しい歴史に戻るとも言えます」

澪「・・・存在しなくなって、正しい歴史に、ですか」

女神様「・・・それでも、本当にいいのですね?」


・・・正直、怖くないなんて言えない。でも、信じると決めたんだ。前を向かなくてはいけない。
未来を、信じると。
それに今の説明だとやっぱり出会いは変わらないし、もっと言うなら私が恋心を抱くきっかけになった出来事も忘れないはずだ。そこに『彼女』は関与していないのだから。
大丈夫。きっと大丈夫。胸を張って、未来を信じよう。
唯を、そして私自身を信じよう。


唯「・・・澪ちゃん」

澪「・・・うん」


唯が見せてくれた未来を信じる。
私が歩むであろう未来を信じる。
仲間達と共に在る未来を信じる。
恋人と一緒に歩く未来を信じる。

そして。
梓とまた出会える未来を信じる。

だって、そんな未来が一番欲しいと思ってしまったんだから。
だったら、そこに辿り着けると信じるしかないじゃないか。

信じる事から始めよう。
みんなで信じれば、きっとその想いはシンクロするはずだから。
みんなが夢見た未来は、叶うはずだから。


彼女「・・・また会いましょう。信じてますから」


まばゆい光の中で、私は確かに彼女の声を聞いた。





「――ふぅ。記憶を消すのも大変ですね。ようやく終わりましたよ」

「特にあの二人、舞台で抱き合ったりまでしてたから・・・その穴を埋めるようなインパクトのある出来事に差し替える必要がありました」

「もっとも、その他のほとんどは二人だけで完結していたので、そこは苦労しませんでしたが。誰かに相談したりもしなかったようですし」

「ん? そうですよ、あなたの為に消す記憶の方ではなく、世界の辻褄合わせの方の話です」

「データ量を減らしすぎてもいけませんから、名残を残したり、あるいは全く別の出来事に差し替えたり・・・大変でした」

「さて、次はあなたを設定通りの姿にしないといけませんね」

「身長は・・・後輩らしく小さめでいいかしら。髪の色の希望はありますか?」

「そうですか。だいぶあの子の事を気に入っていたようですね」

「あなたはよく働いてくれました。正直に言うと、手放すのは惜しいです」

「・・・ところで、両親の性格の希望とかはありますか?」

「普通、と。「こら梓、宿題しなさい!」・・・こんな感じでいいですか?」

「え? いえいえ、言ってみただけですよ? 深い意味はないですよ? 本当ですって」

「・・・さて、誰か暇そうな人を捕まえてきましょうか。これから忙しくなりますね・・・」






――何かが足りないような、そんな想いがずっとある。
日常が満ち足りていないのか、そもそも日常に何かが足りていないのか、それはわからないけれど・・・
そんな想いをずっと心の片隅に抱えたまま、それでも表に出さずに楽しく過ごした三学期は終わり、私達は無事進級した。

そして新年度。新入生歓迎会で唯とアイコンタクトをしたりされたりで楽しくボーカルをした後に、それは訪れた。
女の子が、訪れた。


?「入部希望、なんですけど・・・」

唯「・・・え? 今、なんと?」

?「入部希望・・・」


その言葉を頭が認識した時、何かが満たされた気がした。
心の中の一部か、全部か、どちらかが満たされた。
頬が熱い。笑顔が零れる。
嬉しい。その子がここにいる事が、とても嬉しい。


律「確保ーーーっ!!」

?「っ、えっ?ひゃあああ!?」


幼馴染の突拍子もない行動に咄嗟に手を伸ばすも、喜びでしばらく動けなかった身では届くはずもなく。
でも、同様に突拍子のない行動でお馴染みのもう一人の部員に目を向けると、彼女もどこか私のような――
――心の中の何かが満たされたような、そんな満面の笑みを浮かべて立っていたので、この件で律を怒鳴るのはやめにしようか。

その子は後に梓と名乗った。
その名を聞いて、私は・・・この五人でずっと仲良くやっていけたらいいなと、そう思った。
ずっと、ずっと、遠い未来までずっと。
そんな未来を、夢見た。


そして、願わくば――――

おわり

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