幸子「12cmの贈り物」 (27)

「プロデューサーさん知っていますか?」

 アイドル生活を始めて1年ちょっとが経った冬の季節。クリスマスイベントを先駆けたり、2周年記念のイベントをやったりと大忙しな時期に差し掛かった頃。

 事務所の仲間は忙しそうに各所を駆け巡っているけども、自分の山場は終えてしまったので時々こうして事務所にいる担当プロデューサーさんにちょっかいをかけている。

「なにが?」

 こちらを一瞥もすることなく、キーボードを叩き年末年始のスケジュール調整を慣れた手つきで行っている男性こそがボクのプロデューサーさんである。

「12cmの距離です」


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 いつものように、ふふん、と鼻を鳴らし、プロデューサーさんの顔を覗く。精悍な顔立ちとはほど遠い、男性にしては少し幼気ある顔立ち。長い前髪、黒ぶちのメガネ、その奥にある疲れきった瞳。そして決してかっこよくはない風貌。

 プロデューサーさんは不機嫌そうな顔をしてようやくこちらを向いた。

「……だから?」

「ボクとプロデューサーさんの距離のことです」

 そう言うとよりいっそうむっとした顔をして、ぶっきらぼうにプロデューサーさんは呟いた。

「それは、なんだ。言わない約束だよね」

「そうでしたか? それでも事実は事実ですからね。ボクがカワイイのと同じように、プロデューサーさんもプロデューサーさんです」

「流石に怒るよ」

「そんなに気にすることですか?」

「気にするものだ」

「いいじゃないですか――」

 ふぅ、とプロデューサーさんは一つため息をつく。じとりとこちらを一瞥した後、またキーボードをカタカタと叩きだした。

 こうやって軽口を叩き合うのは嫌いではない。むしろ、こうやって誰もいない、二人だけの事務所で子供っぽく離すのは好き。

 ちょっと嗜虐心を煽られて、というよりはいつも無茶な仕事を持ってこられるからこそこうして発散するという方が正しいのだけれども、 だからいつも以上に悪戯っぽく笑って最後に一言、こう伝える。

「――ボクから見てもカワイイと思いますよ、154cm」

「だからぁ!!」

――――
――


「プロデューサーさんは小さくて困りません?」

「まだ続くのその話。困るよ、凄い困る。でも小さいのは幸子も同じだ」

 誰もが出払ったこの事務所で、ボクとプロデューサーさんが二人だけでする軽快な会話。こんな日常は嫌いではない。

 昼下がりの、少し暖かい時間。窓から差し込む陽の光の温もりをソファーに座りながら感じ取りながら、プロデューサーさんに一つ笑いかける。

「ボクは確かに小さいですけど、それがまたカワイイですからね」

「……羨ましいなぁ、それ」

 プロデューサーさんはそう言いながらメガネを外し、目頭を抑える。そしてまたメガネをつけ、こちらを振り向く。

「それで、一体何が聞きたいの? からかってるだけならもう付き合わないよ」

「ああごめんなさい、ただわからないんですよ」

「わからないって、何が」

「男の人って身長にこだわりますよね。ボクからしたらそれがよくわからないんです」

 その言葉を聞くやいなや、プロデューサーさんは大きくため息を吐いた。

 何か大きなことを言われるのかな、と思ったら、プロデューサーさんは少し恥ずかしそうにこちらを見つつぼそりと呟く。

「ぷ、プライドとか……」

 プライド、自信、そんな言葉をボクの前で言いたくは無かったのだろう。だけども、ボクにとってはちっぽけなものでも彼にとっては大きなものなのかもしれない。

「身長にプライドを割くなんて、可哀想ですね。ボクのプロデューサーとして自覚ないんじゃないんですか?」

「ご、ごめん」

「そう思うならもっと胸を張ってください! 別にプロデューサーさんが小さくてもボクは気にしません!」

 こんな言葉を吐きたいわけでもない。投げかけたいわけでもない。そんな思いがぐるぐると脳内を駆け巡るけども、この天邪鬼なくちびるはどうにも止められそうもない。

「でもね、やっぱり仕事しているときとか感じるものなんだよ」

「プライドがですか?」

「違う違う」

 そう言うとプロデューサーさんは立ち上がり、話が長くなりそうだからといって給湯室に入っていった。紅茶で良いかという少し張った声に、反射的にお願いしますと答える。

 プロデューサーの淹れる紅茶は嫌いではない。昔に齧った程度の知識らしいのだけど、普通にボクが淹れるよりかは美味しい。それがまた、女の子としても悔しいところだったりする。

 ソファーにもたれかかりながら、プロデューサーさんを待つ。部屋の中は暖かい。冬のこんな時期だというのに、暖かいというのは幸せなことなのだろう。

 ふと、窓を見ると、外との気温差で結露ができていた。飽和水蒸気量、だとかが関係しているだなんて学校の授業で習ったのを思い出した。

 窓に近づき、指を動かす。きゅ、きゅ、きゅと音がして、雫がたらりと垂れた。

「何やってるの?」

「ひゃ、ひゃい!?」

 突然かけられた声に素っ頓狂な声をあげて、後ろを振り向く。盆の上にポットとカップを載せ、俄然悠然と立っているプロデューサーさんだった。

「紅茶、はいったよ」

「あ、ありがとうございます。ボクの舌に合うかどうか、飲んであげますね!」

 そう言うが早く、プロデューサーさんの背を押してソファーまで促す。仕事が残ってるのになぁとぼやかれた気もしたけど、気にしない。

「ボクとティータイムを過ごせるなんて光栄なことですよ? 話の続きをお願いします!」

「はいはい、でね、まぁ仕事の時は度々思うんだよ」

 カップに紅茶を注ぎながらぽつりぽつりと話しだす。紅茶が入る前のカップは、ほんのりと温かかった。

「営業先の人とかにね横柄な態度を取られたり。まぁ理由は言わなくても、幸子ならわかるよね」

 その言葉に胸を詰まらせる。今はもうないけれども、ボクがデビューし初めの頃なんかは、その、言葉に表したくないことだってあった。

「それに、共演者にだって下に見られることがある。自分もそうだけど、アイドルも」

 横目で伺うプロデューサーさんの顔は悲しそうな表情をしていた。こんな顔は、最近はあまり見なかった。

「でもやっぱり、事務所に所属するアイドルに舐められてるのもプライド的に傷つくよなぁ」

「あ、あはは」

 そんな乾いた笑いしか出せなかった。冗談で言ったのかは定かではないけども、ジトリとこちらに向ける瞳だけは冗談だと信じたい。

「まぁ纏めるとね、仕事柄ナメられるってのはあってはならないんだよ。それが自分の身長のせいになるのは申し訳ないところが、ね?」

「……見返せばいいじゃないですか」

「幸子みたいに?」

「そうですよ! ボクがカワイイってみんなが、ファンが認めてくれたのはここまで上り詰めたからですよ? そんなボクのプロデューサーさんが弱気になってどうするんですか! 自覚が足りませんね、自覚が!」

 少し、プロデューサーさんが情けなく思ってしまった。いつも横で見ている仕事振りは、アイドルである自分としてもプロデューサー業を全うしていると思う。

 だけども本人はそう思ってなかったとなると、ボクの取り柄である自信が、プロデューサーさんに分けてあげられていないということにもつながる。

 アイドルは、みんなに何かを与えること。そう言ったのはプロデューサーさんだからだ。

「自覚は足りなかっただろうね。でも幸子、考えてみてよ」

「……何がですか?」

「今こうして、みんなが事務所から出払っているわけかな」

「……はぁ」

「怒った?」

「周りくどいです。ボクに心配させるのは罪ですよ」

「ごめんごめん」

 要するに、今みんなが忙しいくらい仕事に入っている、そのくらいは見返してあるということなのだろう。

「ボクだからわかるものの、他の人じゃ愛想つかれますよ?」

 本日何度目かのため息を吐く。プロデューサーさんがなんだかんだ言って、女性の扱い方を得意としていないのはうすうすみんなが気がついているところでもある。

「まぁまぁ、でもこういうこと、本当はあんまり誰かに話すつもりもなかったんだけどね、つい言っちゃった」

「それはきっとボクだからですね。カワイイは罪、はっきりわかりますねぇ」

 そう言うとプロデューサーさんは大きくはっはっはっと笑い出した。何がおかしいのか、ボクがカワイイことに間違いはないのに。

「まぁ、幸子だからってことには変わりはないよ」

「フ、フフーン! ようやくプロデューサーさんもボクのことを理解できるようになったんですね! 嬉しいですよ!」

 突然の言葉に胸が高鳴るものの、プロデューサーのしたり顔を見ると少し悔しく思う。

「まぁ自信家の幸子がいて、そのプロデューサーの俺がいる。だからじゃないかな」

「『カワイイが、一番が絶対である幸子が、その重圧感に負けないように気を許せるところを作るのが、プロデューサーの役目だから』ですか?」

「……初めてのライブからどれだけ経ったかなぁ」

「9ヶ月近く、ですね。ずいぶん遠く感じます」


 初めてのライブ、初めての歌。緊張しないアイドルなんていないだろう。

 菜々さんや、茜さん。他にも同じ日に初ライブのアイドルがいた中、ボクは気丈に、いえ、虚勢を張って皆さんを鼓舞していたのは記憶の奥底に焼き付いている。

 みんなが歌って、帰ってきて、笑っていて。段々と心細くなってきたときに、隣にいた154cmの男性から言われたのが例の言葉。

『カワイイが、一番が絶対である幸子が、その重圧感に負けないように気を許せるところを作るのが、プロデューサーの役目だから』

『だから、安心して胸張ってこい』

 そんなちょっと的ハズレな言葉を貰って、くすりと笑ったのを覚えている。そして、一つ彼を怒らせるような一言を返した。

「あの時から良くも悪くも、12cmの距離だったんだよね」

「それは、身長的にですか?」

「悪くはそうだけど、ほら、幸子が初ライブの時に言っただろ?」

「「12cmの距離を埋めておいてくださいね」」

「……ですよね?」

 言葉が被り、二人して顔を合わせる。狐につままれたような顔をする目の前のメガネ男子に対して、いたずらっぽくふふんと鼻を鳴らすボク。次第に、それは笑顔へと変わっていった。

「覚えてるじゃないか幸子。何だ、安心した」

「それで、12cmの距離は埋まったんですか? プロデューサーさんはまだ縮んでいるようには見えませんが」

「一言余計だよ」

「事実ですから」

 ジトリと、またも睨むプロデューサーさん。やはり、こうやって軽口を叩くのは嫌いではない。

「それでどうなんです?」

「いいや、埋まってないさ」

「それじゃあどうして」

「ようやく、12cmになったってところかな」

 そう言うと、今度はプロデューサーさんがいたずらっぽく笑う。

「それじゃあ、まるでボクが端からプロデューサーさんとの距離が12cmだって――」

「そりゃ、身長的にはね?」

 ぐぬぬと、一つ悔しそうに畝る。プロデューサーさんは、それを見るなり一つ笑みを零し一つ言葉を伝える。

「だから、良くも悪くも12cm。紅茶が冷めちゃったね、淹れ直してくるよ」

 立ち上がるプロデューサーさん。そのスーツの袖を掴んで一つ、意を決する。

「じゃあ、教えてあげますプロデューサーさん」

「え?」

 驚いてこちらを振り向くプロデューサーさんの頬を手で挟む。ひんやりとしたボクの掌が、プロデューサーさんの暖かな頬を撫でる。

「12cmの距離は――」

 ぐっと顔を引き寄せる。どんな顔をしていいのかわからなくなる。きっと、ボクの頬は、耳はとても紅くなっているのだろう。だけど知ったものか。

 プロデューサーさんとボクの距離は良くも悪くも12cm。だけども、その12cmはプロデューサーさんからの贈り物なのかもしれない、だなんて言うと怒られてしまいそう。

 プロデューサーさんはこの後なんて言うだろうか、怒るのか、恥ずかしがるのか。照れるなら、一緒に照れてしまいそうだけど、この天邪鬼なくちびるには、期待できそうにない。




「――キスをしやすい身長差なんですよ」

 それから先、何が会ったかはボクからは伝えたくはない。ただ、みんなが忙しそうにしている冬のとある日。暖かな部屋の中で紅茶の香りを楽しんだことを忘れることはないだろう。

 小さいプロデューサーさんと、カワイイボク。みんなからしたら小さい彼は、ボクにとっては大きい彼。

 12cmの距離を埋めるには、まだまだ遠い道のりなのかもしれない。

終わりです。クリスマス幸子? 知らない子ですね……。

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