雪歩「ラヴェルのボレロと缶コーヒー」 (27)
お仕事が終わって事務所を出て、もう2時間は経ったでしょうか。
私は未だに、ひとりであの人を待っています。
「……はぁ」
真ちゃん、まだお仕事が終わらないのかなぁ。
すっごく嬉しくて、待ち合わせ場所に1時間も早く来てしまったから……自業自得、だと思います。
21時。冷たい風をコートでしのぎました。
22時。首元をあたためようと、マフラーをつけました。
23時……まだ、来ません。
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「ジュースでも買おうかな」
100円玉で買えるぬくもり。
あるアーティストは自分の歌の中で、そのセンテンスでホットコーヒーを表現したそうです。
私も素敵な文章を書きたいなぁ、なんて思いながら100円玉を取り出します。
缶コーヒーは120円。彼の生きた時代とはもう変わってしまっていることを、肌で感じました。
ブラックの缶コーヒーを飲めるようになったのはつい最近。
真ちゃんの趣味です。
無糖どころかカフェオレすら飲めなかった私も、いつしかコーヒーを好きになっていきました。
真ちゃんとお話したいなあ。誕生日ももうすぐ終わってしまいます。
「……いいや」
プルタブを起こす前に、このコーヒーをカイロ代わりに使おうと思って開けるのをやめました。
メッセージは未読のまま。30分前にした電話も、留守番電話でした。
遅れる、という連絡もないから……少し不安になります。
デパート横の街頭ビジョンから延々とリピートされているクラシック曲。
ラヴェルのボレロ。
「なんでこの時期なんだろう?」
ボレロはクリスマスソングではなかったはずです。
お店の人の趣味なのかなぁ。
いつかお父さんがプレゼントしてくれた銀の腕時計は、今の時間が日付の変わる30分前だということを伝えてくれました。
「……電話、しちゃおうかな」
電話帳をタップすると出てくる名前。
特に電話をかける人の名前欄には、最初に星のマークをつけています。
そしてよみがなの最初に「あ」と入れることで、一番上に来るようにしているんです。
「…………でもずっと電話が来ない、ってことは」
忙しいんだろうな。
そんな時に電話をするのも、悪いなぁ。
それでも……もし、事故にあっていたら。
恐ろしい考えが頭のなかを駆け巡って、私は通話をタップしました。
『もしもしー? どうした雪歩』
……プロデューサーの。
「あ、いえ……その、お疲れ様です、プロデューサー」
『おー。俺はもう仕事が終わって家に帰る途中だけどな』
ちょっと待っててくれ、ハンズフリーに切り替える。と言って、数秒静かになります。
『どうしたんだ?』
「その……今日、真ちゃんと待ち合わせをしていたんですけど、まだ……来なくて」
『あー、そっか。連絡してなかったな。真、今日の収録が長引いちゃってさ。終わったのがさっきなんだよ』
……良かった、忘れてたわけじゃなかったんだ。
「そ、そうなんですか……」
『うん、22時になるちょっと前だな』
それなら、事務所からそれほど遠くないこの場所にはもう着いているはず。
やっぱり何かあったのかもしれません。
『……だってもう、日付が変わっちゃうぞ。今夜はどうするんだ』
「本当は22時にご飯を食べて、スイーツを食べて……ビジネスホテルに泊まる予定でした」
そして明日の朝、温泉街の旅館に移動して……2日間のオフを使って旅行をするんです。
そういうとプロデューサーはため息をつきました。
『雪歩、そういうのはちゃんと俺に伝えてくれないと』
「ごめんなさい、律子さんには伝えたんですけど……」
プロデューサーはいつも忙しそうにしているから、言おうと思っても言えなかったんです。
今日の仕事だってずっと真ちゃんにつきっきりで。
真ちゃんが言ってくれてたんだと思ってました。
「……すみません、プロデューサー。真ちゃんが来たら連絡します」
『分かった。俺も真に電話してみるよ』
「ありがとうございます。それじゃあ、おやすみなさい」
『ああ、おやすみ。……あと、誕生日おめでとうな』
「あっ、ありがとうございます!」
そう言えば、今日はプロデューサーに会っていなかったなぁ。
ちゃんと覚えててくれたんだ。嬉しいな。
マフラーの端をぎゅっと掴みます。
日付が変わる20分前。まだボレロは流れていて、その単調なリズムが一層と私の不安をかきたてていきました。
「……大丈夫、かな」
前に真ちゃんが倒れたことがあったんです。
今年の夏、春香ちゃん、千早ちゃん、私、真ちゃんの4人でプールに行こう、となったとき。
前日の仕事が夜遅くまで続いたようで……真ちゃんがプールサイドでふらついていたのを、千早ちゃんが支えていました。
寝不足の身体で体力を消耗したから、フラッと倒れてしまって。
それ以来です。
みんなが前よりもずっと、お互いの身体のことを気遣うようになったのは。
ポケットから缶コーヒーを取り出すと、さっきよりもずっとぬるくなっていました。
そろそろ飲んじゃおうかな。
……真ちゃんも、まだ来てくれない。
「……寒いな」
携帯電話の電池も、残り少なくなってきました。
せめて真ちゃんから電話が来た時にすぐにかけられるように、バッテリーをもたせておかなきゃ。
東京の気温は7度。
雪は降りません。
ただ寒いだけのクリスマスは、少し味気ないように思えます。
ホワイトクリスマスだね。
この間収録が終わった単発ドラマで、私の演じるヒロインが何度も言っていた台詞です。
実際に雪が降れば、素敵なクリスマスになるんだけどなぁ。
もう何度も聞いたかわからない、ボレロのクライマックス。
同じテンポで進んでいく曲が段々と壮大になって、最高潮を迎えていきます。
大きなシンバルの音で、音楽が止まりました。
千早ちゃんに、ボレロのストーリーを聞いたことがあります。
酒場の舞台で足慣らしをしていた踊り子が、だんだん振りを大きくすると、
無関心だった周りのお客さんが興味を持ちだして、みんなで一緒に踊る。
曲を聞いていると、その光景が目に浮かぶようです。
ずっと同じリズムを保ちながら、徐々に鳴り響く楽器も増えていって――一番盛り上がった所で収束する。
私がアイドルになってから今に至るまで、と少し似ているような気もします。
プロデューサーがいたから、アイドルの仲間がいたから。
たくさんのファンの期待に応えようとお仕事が出来る。
それってとっても、幸せなことなんだな……って、思うんです。
街頭ビジョンから流れていたボレロは、さっきと同じようにリピート再生がされないまま。
何も流れてきません。
2時間以上延々と流れていたのに、どうして急に止まっちゃったんだろう?
そう思って、真後ろの街頭ビジョンの方向を向いた瞬間、でした。
「……あ」
駅の出口から、私の待つこの場所まで――。
ペデストリアンデッキを走ってここに向かってくる人がいました。
見覚えのある、私と色違いのコートを着て。
「真ちゃん!」
「雪歩……ごめん! こんなに遅れちゃって」
「私、真ちゃんに何かあったんじゃないか、って心配で」
「雪歩への誕生日プレゼントを買う時間が無くて……選ぶのに、時間がかかっちゃってさ」
そんでほら、と真ちゃんは真っ暗な画面の携帯電話を取り出します。
「電池、無くなっちゃって」
公衆電話を探す時間が勿体無くて、急いでここに来た……ということみたいです。
「でも……間に合って、良かった」
「え?」
「24日のうちに、雪歩に会えたから」
時計を見ると、針は限りなく0時に近づいていて……でも、まだ日は変わっていません。
「お誕生日、おめでとう。雪歩」
「ありがとう……ありがとう、真ちゃん」
「わわっ、日付が変わっちゃう」
真ちゃんは黒いデジタルの腕時計を見て、慌てて鞄から赤い包装紙で包まれた箱を取り出してきました。
「……誕生日プレゼント」
「ありがとう……開けてもいい?」
「うん」
包み紙を丁寧に剥がして、箱を開けると。
ガラスの中には、かわいいサンタクロースとトナカイさんがいました。
楽しく踊っているのかな。ボレロの踊り子みたいに。
「……スノードーム?」
「そう。でもね、それだけじゃないんだ」
真ちゃんは前のフタを開けてみて、といいます。
電池ボックスのようなプラスチックのフタを開けると、銀色の指輪が2つ、出てきました。
「……ペアリングだ」
そう言えば秋ぐらいに、おそろいのアクセサリーが欲しいねって言ったなぁ。
覚えててくれたんだ、真ちゃん。
「……ありがとう、ありがとう。真ちゃん」
「えへへ。ボクのほうこそ、雪歩とこうやって過ごせて……すっごく嬉しいよ」
真ちゃんと一緒に、指輪を左手の中指にはめます。
親友のことを大切にするには、中指にはめるのが良いらしいから。
「……おそろい、だね。雪歩」
「うん……ふふっ」
突然、聞き覚えのあるメロディーが聞こえてきました。
後ろの街頭ビジョンから聞こえる、鈴の音。
『You better watch out... you better not cry...』
「誕生日、終わっちゃったね……ごめん、本当に遅くなって」
「……いいの、こんなに素敵なクリスマス、過ごしたことないもん」
サンタが街にやってくる。
クリスマスの定番のその歌は何度も聞いたはずなのに、初めて聞いた歌のように新鮮に身体の中に入って行きました。
「……よいしょ」
真ちゃんがスノードームのスイッチを入れると、白い明かりが中のサンタクロースたちを照らしました。
そしてオルゴールの音と一緒に、雪が降り始めました。
「……真ちゃん」
「うん?」
「ホワイトクリスマス、だね」
素敵なクリスマス。微笑んだ真ちゃんの手を握ると、さっきのコーヒーよりもずっと温かい気がしました。
「ご飯、どうする?」
「もともとお店のことは何も考えてなくて……ファミレスでもいいかな」
「ボクは構わないけど……雪歩はそれでいいの?」
「うん。真ちゃんと食べるご飯だったら、なんでもおいしいよ」
「嬉しいこと言ってくれるなぁ」
手を繋いで夜の街を歩くクリスマス。
イヴよりも素敵な一日になりますように。
サンタクロースには、そんなことをお願いしてみたり。
誰かを待ってる雪歩がかわいいなーと思って書きました。
お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。
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