ん
雪歩「今日は特に冷えるね」
私がそう言うと千早ちゃんはこくりと頷きました。
私と千早ちゃんは二人で冬の街を歩いています。
千早ちゃんは手袋をしていない、指先がすっかり赤くなってしまった手を
こすり合わせています。
千早「本当に寒くなったわね…」
私は手袋をしていたので、手はまだ温かいままでした。
千早ちゃんの綺麗な指先を見つめていると何故だか急に悲しくなってきて、
私はぎゅっと千早ちゃんの手を握りました。
千早「萩原さん…?」
雪歩「あっ…ごめんね、寒そうだったから」
私たちの間を沈黙が支配しました。
千早「あ…そう…」
千早ちゃんが呟くようにそう言いました。
その間に私は片方の手袋を外して、千早ちゃんに渡しました。
千早「えっ」
雪歩「千早ちゃん、寒いでしょ。はい、手袋」
千早ちゃんはちょっと微笑んでそれを受け取ってくれました。
本当に綺麗な頬笑みだと思いました。
雪歩「でも片方しかないんだ、ごめんね」
千早「いいの、十分暖かいわ」
千早「萩原さん、ありがとう」
雪歩「ねえ、千早ちゃん。手繋いでもいい?」
千早ちゃんはすっと自分の手を差し出しました。
スラリと伸びた白い指を私はそっと撫でます。
千早「ひゃ、萩原さん…くすぐったいわ」
そして私の指を千早ちゃんの指を絡めるようにして手を繋ぎました。
いわゆる『恋人繋ぎ』です。
千早ちゃんの氷のような冷たさが私の手に直に伝わってきます。
ひと組の手袋しか持たないのもいいかもしれない、そして手袋が無い片方の手
は誰かと温もりを分け合った方が暖かいのかもと私は思ってしまいました。
千早「萩原さんの手、暖かい」
呟くように千早ちゃんが言ったので私はなんだか照れてしまいました。
私の照れをかき消すように北風が吹きます。
まるでその感情を捨てなければいけないと言われているようで私は悲しく
なりました。
千早「ねえ、萩原さん」
雪歩「なあに?」
千早「家に来ない…?」
千早ちゃんがそんな提案をしたことに私はまず驚きました。
それ以上に私を驚かせたのは千早ちゃんの表情です。
千早ちゃんのそんな顔を見るのは初めてでした。
縋るような瞳で千早ちゃんは私を見つめていたんです。
そんな顔をされたら…断れないよ。
雪歩「行ってもいいの?」
千早ちゃんは静かに頷きました。
雪歩「うん、行くね」
私たちは電車の駅まで歩きました。
そしてふたりで自動販売機の暖かいお茶を買って飲みました。
千早「暖かいわね」
千早ちゃんの指先は繋いだ時より暖かくなっていました。
私の温もりが伝わって千早ちゃんを温めたのなら、凍えるような冬の寒さも
悪くないと思えました。
電車の中にはシルバーシートに座ったお爺ちゃんとお婆ちゃんの老夫婦と、
サラリーマン風の男の人と疲れた顔をした女の人と…。
そして私たちふたりだけでした。
電車の中ではお互い一言も喋りませんでした。
千早ちゃんは真っ直ぐ前を見据えています。
私はじっと窓の外の景色を眺めていました。
ここからでも街の色々な表情が分かります。
ネオン街に住宅街、どちらの街も暗闇の中に光を灯していました。
三駅目でお爺ちゃんとお婆ちゃんはとても仲良く会話しながら降りて行きました。
お年寄りになっても仲睦まじい夫婦っていいなあ、と思いながら私はふたりの背中を
見つめました。
千早「着いたわ、萩原さん」
雪歩「ここが…千早ちゃんの住んでる駅なんだね」
千早「ええ」
千早ちゃんは私の手を取りました。
そしてさっきまでと同じように手を繋いで、千早ちゃんの家まで歩きました。
雪歩「ねえ、千早ちゃん」
千早「なに?」
雪歩「なんでお家に来ないって誘ってくれたの?」
千早「そ…れは…」
千早ちゃんの瞳が揺らいだのが分かりました。
千早ちゃんは目を伏せて呟きました。
千早「萩原さんと一緒にいたかったから…」
自分でも笑ってしまうくらいに胸の鼓動が速くなるのが分かりました。
私は絡んだ手をぎゅっと握り返しました。
だめ、千早ちゃんは大切なお友達。そういう感情で見たらダメ…。
そう思いながら私は今まで千早ちゃんと接してきました。
その身体を抱きしめたい、その唇にキスしたい、千早ちゃんをめちゃくちゃにしたい。
そんな気持ちを封じ込めて今まで。
千早「萩原さん…?」
千早ちゃんの家に入ってから、私は言いました。
雪歩「好き…」
絞り出したようなか細い声は千早ちゃんに伝わったようでした。
千早「ええ、私も好きよ」
千早ちゃんに好きと言われた瞬間に分かりました。
ああ、千早ちゃんの好きと私の好きは違うんだなって。
千早ちゃんは私のことを友達としてしか見ていない。
そんな当たり前の事実が私の胸を抉りました。
雪歩「ありがとう…」
少しの沈黙のあと。
雪歩「ねえ、千早ちゃんは…好きな人いるの?」
千早「それって…」
雪歩「恋のお話だよ」
分かり切っている質問をしてしまいました。
私は千早ちゃんをずっと見つめてきて、千早ちゃんが誰に恋をしているのかなんて
分かっていました。
千早「…お茶、淹れましょうか?」
下手な誤魔化し方…千早ちゃんらしいね。
雪歩「ううん、私が淹れるよ。」
千早「お茶、ありがとう。萩原さんのお茶は美味しいわね」
雪歩「えへへ…」
千早「私の好きな人のこと、話すわね」
雪歩「いいの?」
私の身体はびくっと震えて、おまけに声まで小さくなってしまいました。
千早ちゃんに気付かれちゃったかな…?
千早「優しくて」
雪歩「うん」
千早「いつも私を支えてくれる」
雪歩「うん」
千早「そんな人」
雪歩「そっか…」
やっぱり、なんだね…。
千早「萩原さんは、好きな人いる…?」
雪歩「…うん」
雪歩「その人はね、とっても歌が上手なの」
自分に言い聞かすかのように私は話していました。
雪歩「でも少し脆くて、守ってあげたい感じの子」
千早「えっ…」
千早ちゃんの顔が驚きの顔に変わっていきました。
そっか、気付いてくれたんだね。ありがとう。
雪歩「千早ちゃん、あなたのことが好きです」
よかった、ちゃんと言えた。
千早「萩原さん…」
千早ちゃんがそっと私の身体を抱きしめました。
やっぱり千早ちゃんは優しいね、だから私は…
千早「萩原さん、私を好きになってくれてありがとう」
それはそれは優しい声でした。いつもの歌姫の千早ちゃんとも、事務所で話し
ているときの千早ちゃんとも違う、本当に暖かい声でした。
雪歩「…うぅ…」
そんな優しい声を聞いた途端に涙が溢れだして止まらなくなってしまいました。
ああ、泣かないって決めてたのになぁ。
雪歩「…ひっく」
滲んだ視界に見えるのは千早ちゃんだけ。
千早ちゃんにぎゅっと抱きしめられると私は安心できました。
雪歩「好き…好きだよぅ…」
千早「私も好きよ、萩原さん」
違う、違うんだよ千早ちゃん…。
雪歩「雪歩って…呼んで」
千早「雪歩…」
苦しくて、息もできなくなっちゃいそうでした。
好きになってくれる人だけを好きになれたら…いいのに。
雪歩「千早ちゃんにキスしたいって思ってたの」
千早「雪歩…」
雪歩「千早ちゃんを抱き締めたかったの」
千早ちゃんはなにも言わずに私を抱きしめる手を強くしました。
千早「私も雪歩のことを好きだったらよかったのに」
千早ちゃんはそう言って目を伏せました。
残酷な言葉です、本当に。
そんな言葉を言わせちゃった私も大概ですよね。
雪歩「千早ちゃんの好きな人って、春香ちゃんだよね」
千早「…うん。いつの間にか好きになってた」
私と同じだね…。
千早「春香は優しくて明るくて、私の持ってないものを持ってる。」
雪歩「最初は千早ちゃんはプロデューサーのことが好きなのかと思ってたよ」
千早「私も雪歩はプロデューサーのことが好きなのかしらって思っていたわ」
ふふっと私たちは微笑みあいました。
今頃噂されたプロデューサーはくしゃみしてるかも…。
千早「でも春香はプロデューサーのことが好きみたい」
雪歩「…うん」
私も春香ちゃんがプロデューサーのことを好きなのは気付いていました。
いつも太陽のような笑顔の春香ちゃんがプロデューサーの前では恋する乙女の
顔になっているから。
お菓子の包装も私たちにくれるものとプロデューサーにあげるものではちょっと
違うんです。ちょっと巻くリボンがカールしてあるだけだったけど、千早ちゃん
も気付いてたんだね。
千早「でも、私は春香が幸せでいてくれることが一番嬉しいと思う」
雪歩「そっか」
千早「だからこれからも親友でいるわ」
雪歩「うん…」
そっか、千早ちゃんはそう決めてたんだね。
すっかり冷たくなったお茶を飲むと少し心が落ち着きました。
窓の外には相変わらずの冬の空。
雪歩「あっ…」
千早「雪歩?」
雪歩「千早ちゃん、雪が降ってる…」
千早「あ…気付かなかった…」
いつの間にか北風がこの街に雪を降らせていたみたいです。
暗い空から降る雪はとても素敵で浪漫がありました。
雪歩「綺麗だね…」
千早「ええ、雪は雪歩によく似合うわ」
雪歩「えへへ」
そっか、雪の中を歩くような難しさが恋なんだ。
すぐに足元をすくわれそうになったり、ふとした拍子に溶けてなくなったり。
そんなことを考えてしまう自分にちょっと苦笑してしまいます。
雪歩「千早ちゃんが私を好きになる可能性ってあるのかな?」
千早「ええ、あるかもしれないわね」
雪歩「ほんとかなぁ…?」
千早「今日、私は雪歩のこと好きになったわ」
雪歩「ええ!?」
千早ちゃんは驚いた私をみてクスッと笑いました。
千早「雪歩が私のことを好きだって言ってくれたとき本当に嬉しかったから」
雪歩「うぅ~」
ちょっとの間、照れてから私ははっきりと言いました。
いつもの私では考えられないくらいはっきりとした物言いだったと思います。
雪歩「…うん、私は千早ちゃんが私を好きになってくれるように頑張る」
雪歩「でも春香ちゃんの真似はしないよ」
雪歩「千早ちゃんに私自身を好きになって欲しいから」
そこまで言い切ってはっとしました。
私、恥ずかしいこと言っちゃったかなぁ…。
千早「雪歩って時々ものすごく強いわよね」
雪歩「えぇ~?」
千早「芯が強いのかしら」
千早「一見、強そうに見えて脆い私とは大違い…」
悲しそうな顔をして千早ちゃんは床の方を見つめました。
私はそんな千早ちゃんの手をぎゅっと握って目を見つめました。
雪歩「千早ちゃん、私はそんな千早ちゃんの力になりたいんだと思う」
千早「雪歩…」
雪歩「千早ちゃんの弱いところ、もっと見せて欲しいよ」
千早「ありがとう…」
雪歩「うん、頼りなさそうな私だけど一応お姉さんだから…」
千早「もうそろそろ寝ましょうか」
千早「とは言ってもベッドしかないのだけれど」
千早ちゃんの部屋はとてもシンプルで、ベッドの周りにも余計なものは何も
ありませんでした。
そんな部屋が本当に彼女らしくて私は何とも言えない気持ちになりました。
雪歩「一緒に…寝てもいいの?」
千早「ええ、勿論。その方が暖かいわ」
雪歩「明日には雪、積もってるかなあ」
千早「どうかしらね」
きっと積もっている、何故だか私はそんな気がしました。
明日は早く起きて千早ちゃんに雪うさぎを作ってあげたい、そう思いました。
雪歩「千早ちゃん、電気消すね」
千早「ええ」
電気を消すと本当に部屋は真っ暗になって、私と千早ちゃんのふたりしかこの
世界には存在しないんじゃないかという錯覚に囚われてしまいました。
私は不安になって千早ちゃんをぎゅっと抱きしめました。
雪歩「千早ちゃん、おやすみなさい」
千早「おやすみなさい、雪歩」
歌詞のように『今すぐ抱いて』とはとてもじゃないけど言えませんでした。
私が物思いに耽っている間に、抱きしめている千早ちゃんは寝息を立てはじめました。
それから私は千早ちゃんを起こさないように抱きしめていた手を解きました。
そして間近で千早ちゃんの顔を見つめました。
いつもは大人びた千早ちゃんですが、こうしてみるとまだ幼さの残る顔立ちで可愛らし
かったです。
私は千早ちゃんの頭をそっと撫でました。
千早ちゃんの髪はさらさらしていてシャンプーの良い香りがしました。
雪歩「千早ちゃん…好き…」
千早ちゃんのほっぺたにそっと触れました。
肌荒れのないすべすべした肌でした。
雪歩「ごめんね」
そのほっぺたに私はそっと口づけをしました。
今はこれだけ、これだけで十分なんです。
ううん、これだけで精いっぱい。
雪歩「卑怯なことしてごめんね…千早ちゃん」
千早ちゃんは先程と変わらず寝息を立てているだけでした。
それからカーテンをそっと開けて雪が降るのを見ていました。
真っ白な雪。
だけど本当は埃とかが付着していて目に見えるほど綺麗じゃない、むしろ汚い
ってニュースか何かで見た覚えがあります。
なんだか今日はその話を鮮明に思いだして、そしてとても納得してしまいました。
ごめん
風呂入りm@s
その日はなんだか眠れませんでした。
今までのこと、これからのこと、色々なことを頭の中で考えながら、千早ちゃんの
寝顔を見つめているうちにいつの間にか夜が更けていました。
雪歩「あっ」
私はそっと部屋を抜け出し、外に出ました。
雪歩「うぅ…寒いよぅ」
冷たい外気が私の身体に突き刺さるようでした。
そのなかで私はしゃがみながら積もった雪を集めて、丸めました。
雪歩「できた」
雪歩「えへへ、特製雪うさぎですぅ」
そんな独り言を言いながら、私は千早ちゃんのマンションの階段を上がっていきました。
千早ちゃんの部屋のドアをあけると一気に暖気が流れ込んできて、ああここは
こんなにも暖かい場所だったんだなと不意に泣きそうになってしまいました。
千早「雪歩?」
そこには起きぬけであろう千早ちゃんがぼーっとした目で私の方を見ていました。
雪歩「あっ、千早ちゃん起きてたんだね」
千早「どうしたの、こんな朝早くに」
千早ちゃんが私の頬に触れました。
そのことで心臓の鼓動が早まってしまうのはもう仕方のないことでした。
千早「もう、こんなに冷えて…風邪ひいちゃうでしょう?」
雪歩「ふふ、ごめんね」
雪歩「これ千早ちゃんにあげたいなって思ったから」
私が雪うさぎを見せると千早ちゃんは目を見開きました。
それから花が咲くように微笑みました。
ああ、千早ちゃんはやっぱり綺麗だなあと私はその表情に見惚れてしまいました。
千早「雪歩…このうさぎ大切にするわ」
雪歩「でも、すぐ溶けちゃうよ?」
千早「ううん、溶かさない。ほら」
そう言って千早ちゃんは雪うさぎを冷凍庫にいれました。
千早ちゃんはまるでサンタクロースにプレゼントを貰った子供のように嬉しそうでした。
千早「雪歩は私のサンタクロースね」
雪歩「ええ?!」
千早「暖かいプレゼントをくれるじゃない」
ありがとう、と千早ちゃんは呟いてちゅっと私の頬に口づけをしました。
雪歩「千早ちゃん?!」
顔がみるみる真っ赤になっていくのが自分でも分かりました。
千早ちゃんはずるいですぅ…
千早ちゃんからも私はたくさん暖かいものを貰ってるよ?
千早「ねえ雪歩、これからもよろしくね」
雪歩「うんっ」
街は一面の銀世界で太陽に照らされた雪は煌めきを増しています。
おなじみのお天気キャスターは今日は一段と冷えます、と言っていて。
片思いなんて辛いことだらけで、挫けそうになったりもしたけれど好きな人が
微笑んでくれるだけで幸せだと思えることが幸せなのだと気付きました。
その感情を教えてくれたのは千早ちゃんだから。
昨日も今日も明日も明後日も。
今までもこれからも。
私は千早ちゃんを好きなままだと思います。
雪歩「お茶を淹れるね、千早ちゃん」
千早「ええ、ありがとう雪歩」
雪歩「今年も冬が深まってきたね」
千早「ええ」
私たちはお互いを見つめて微笑みました。
寒い寒い冬の日のことでした。
きっと春の芽生えはもうすぐです。
END
無計画でたてちゃったけど完結できてよかった
支援ありがとうございました。
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