ほむら「こんな、こんなはずじゃ……!」(175)
ほむら「鹿目さん! 私も魔法少女になったんだよ!」
ほむらはまどかの手を取って微笑んだ。
ほむら「これから一緒にがんばろうね!」
まどか「ふえっ? えぇっと、うぅ……」
顔を赤くして目をそらすまどか。
それでもほむらは願いを叶えることができて幸せだった。
これが、後に長く続くループの始まり。
マミ「ここね……行くわよ!」
まどか「はい!」
ほむら「はッはいぃ!」
変身して結界に飛び込む三人。
滝がいくつも逆流する苔むした廃墟のなかに、魚と虫が融合したような使い魔がうじゃうじゃと溢れていた。
ほむら「ひぃぃっ」
マミの張ったリボンの防壁の隙間から放たれたまどかの弓が使い魔を爆散させる。
まどか「ほむらちゃん、走って!」
次の弓を番えながら、まどかが振り返ってそう言った。
ほむらは涙目になりながら頷くほかなかった。
マミ「終わらない曲で踊りなさい!」
召喚した幾つもの銃でマミが使い間を駆逐していけば、
まどか「ちょっと通してね!」
走りながら撃ち続けるまどかがさらに道を拓く。
ほむら「わひゃあぅっ」
ぶち撒けられた青緑色の血と内臓に悲鳴を上げながらほむらは二人の後に続いた。
山の斜面上に折り重なるような廃墟を登っていく。
ほむらは血でぬめる足元に注意を払いながら必死で駆けた。
マミ「ここね……」
疲れを見せないマミが大きな扉の前で足を止めた。
まどか「ほむらちゃん、準備はだいじょうぶ?」
息を整えながらのまどかの問いかけに、
ほむら「は、はい! が、がんばります……」
マミ「さぁ数多のきざはしを昇って見える景色はどんなものかしら!?」
錆ついた大扉を、マミが開いた。
まどか「………?」
なかは、がらんとした広間。
四方の窓硝子はすべて割れている。
ほむら「なにも、いない……?」
マミ「違うわ!」
ぎぎい、と音を立てて、誰も触れていないのに大扉が閉まった。
マミ「魔女は外にいるわ!」
窓から見えるのは青い空だけ。
その空が、震えた。
まどか「この部屋が、魔女の中なの!?」
腐った果実を踏み潰したような音をさせて、青色が部屋の中へと浸入してきた。
ほむら「えっ、あの、これ、私、どうすればっ」
マミ「鹿目さん!」
目の前にリボンを編み上げるマミ。
まどか「はい!」
リボンの網目からまどかが矢を放つ。
囲まれたときの常套戦法である。
数本の矢が窓の外の青色に突き立つ。
マミ「……なんですって……!?」
まどか「うそ……!」
ほむら「ひぃぃぃっ」
まどかの矢はすべて魔女に呑まれて消えた。
潮が満ちるように青色が部屋の床を拡がる。
マミは舌打ちした。
マミ「鹿目さん、暁美さんをお願い!」
まどか「はい!」
ほむら「と、巴さん!?」
リボンの障壁を一部消し去って、マミがその外へと飛び出す。
マミ「的が大きくて、とってもラクね!」
空中で巨砲を喚び出したマミ。
マミ「ティロ・フィナーレっ!」
正面の窓の空色へと、銃弾を打ち込んだ。
びくびくと魔女が痙攣し、嘔吐するような絶叫が響いた。
ほむら「や、やったの……!?」
マミが青色の肉に着地した。
だが依然その目つきは厳しい。
マミ「魔女の反応は消えてないわ」
そして、結界も消える気配は無い。
撃ち抜かれた正面の窓の向こうは、ぽっかりと闇が広がっていた。
まどか「マミさんッ!」
マミの足元の震えを見たまどかが叫んだ。
同時に、
マミ「くうっ!」
床に広がる肉が幾本も針状に膨張し、マミを突き刺した。
ほむら「ととと巴さんっ!」
慌てるほむらに、マミは笑って見せた。
マミ「これくらい、へっちゃらよ!」
彼女の胸元から伸びたリボンが宙を舞い、ことごとく針を切り捨てる。
ぽたぽたと血を垂らしながらマミが両手に砲を出現させる。
まどか「だいじょうぶだよ、ほむらちゃん」
残るふたつの窓に向けて、マミが砲撃。
同時にまどかが床に拡がる青色を掃討する。
二重に響いた絶叫を背景音に、床の肉も消えていく。
ほむら「や、やった!」
なにもできずにいたほむらが最初に喜んだ。
二人の背後の大扉がゆっくりと開く。
マミ「鹿目さんッ!」
その叫びが終わらぬ間に、まどかの腹から針が飛び出した。
まどか「――ぇ……」
少し開いた大扉の隙間から、青色をした巨大な虫の頭が覗いていた。
その口器が一本の針となって、まどかを貫通している。
ほむら「え、えっ? えっと……」
魔女【オホホッオホホホホホ! オホホホホホホホホ!】
複眼が、笑った気がした。
マミ「暁美さん、逃げてぇっ!」
ほむら「え? な、なん、ですか、これ?」
まどか「ぐっ……げほっ!」
弓矢を取り落とし、まどかは血を吐いた。
マミが瞬時に銃を取り出し、まどかの横へと回りこむ。
正面からではまどかが邪魔で魔女を撃てないからだ。
魔女【オホホホホホホホホ!】
軋むような音を上げながら口器が回転する。
まどか「うぅぅああぁぁっあぁっ!」
ほむら「ひぃ、ひぃぃっ!」
ほむらはぺたりと床に尻を落とした。
まどか「うぅぅぅっ!」
明滅する視界のまま、まどかは両手を伸ばして背中の口器を掴んだ。
マミ「鹿目さん、ムリしないで!」
銃を構えるマミだが、大扉からは口器しか出ておらず、それもまどかに掴まれている。
しかもその向こうにはほむらがへたり込んでいるのだ。
魔女【オホホホホホッ! オーホッホッホッホ!】
マミ「暁美さん、扉の中に爆弾を投げて!」
走り寄りながら指示を飛ばすマミ。
ほむら「う、うあ、うわぁぁっ」
しかしほむらは震えたまま、貫かれたまどかから目を離すことすらできない。
マミ「くっ、仕方ないわね……!」
まどか「あぁぁぁぁっ! ふぐううぅぅぅぅ」
魔女【オホホッ! オホホホホッ!】
掴まれている部分が爆発するように棘を生やした。
まどかの手を数え切れない棘が貫き、手袋を裂いた。
まどか「あぁぁっ!」
ほむら「ひぃっ、ふわ、あぁ」
マミ「だぁっ!」
銃を放り捨ててマミが床を蹴った。
マミ「黄金の飛脚が炸裂するわよ!」
魔女【オホッ!?】
マミの飛び蹴りが魔女の口器に叩き込まれ、ぼきりとへし折った。
ほむら「わひゃああああっ」
頭をかばうほむらの上を飛び越えてからマミが着地。
すぐさま駆け戻って二人の手を引き、大扉から離れる。
魔女【オホッオホッオホッ】
折れた口器から青緑色の血を滴らせながら、魔女が後退する。
大扉が閉まり始めた。
マミ「逃がすもんですか!」
マミの早撃ちが魔女の眉間に命中する。
魔女【オッ……】
複眼が破裂して、青色の小魚がぼたぼたと零れ落ちる。
同時に風景が揺らめき、結界とともに魔女は消え去った。
マミ「よし……」
もう一丁銃を握っていたマミが息を吐く。
まどか「うあああああッ!」
倒れこんだまどかが腹を抑えて丸くなる。
魔女の口器が消えたことによって血がどくどくと流れ出していた。
ほむら「あっ、か、鹿目さん、だ、だい、じょうぶ、ですか……っ」
マミが即座に傍らに膝をついてまどかに手をかざす。
マミ「大丈夫よ鹿目さん。前に教えたとおり、痛みを遮断して」
ふわ、と光がまどかを包む。
まどか「は、い……! ううぅっ、っはぁ、はぁっ」
ほむら「ふえっ。きゃ……」
手に触れたまどかの血に声を上げるほむら。
マミの治癒魔法によりまどかの傷がふさがっていく。
まどか「はぁっ、はぁ、はぁ、はぁ……」
マミ「オッケー。鹿目さん、もういいわよ」
まどか「はぁ、は……、ありがとう、ございます、マミさん……!」
三人は変身を解いた。
まどかは青い顔のまま弱々しく笑った。
まどか「後ろから、やられちゃいました。油断してましたね」
マミ「特殊な魔女だったわ。私だってやられていたかもしれないわ」
ほむらがしゃがみこんだ。
ほむら「うぷ……おえぇぇ」
口を抑えた手のすきまから吐瀉物がこぼれる。
涙をにじませるほむら。
まどか「ほむらちゃん!?」
ほむら「げほっ、うぇ、げええぇぇ」
ひとしきりほむらに吐かせ、吐瀉物を処理してから、三人はマミの部屋へと帰った。
もう日が沈もうかという時刻である。
マミ「気分はどう? 暁美さん」
紅茶をカップに注ぐマミ。
まどかはずっとほむらの背中をさすっている。
ほむら「ごめ、なさっ、わた、わたしっ」
やつれた顔を床に向けて、ほむらは涙を流した。
両手はぎゅっと握り締められている。
ほむら「か、鹿目さんを、たすけ、られなくって……!」
まどか「大丈夫だよ、ほむらちゃん。しかたないよ」
マミ「そうよ暁美さん。気に負うことはないわ」
ほむら「ごめんなさい、私、ぐすっ、こわくて、鹿目さんが苦しんでたのに、な、なにも、なにもできなかった!」
マミ「魔女との戦いは命がけよ、暁美さん。決して甘くないわ」
まどか「マミさんっ?」
ほむら「は、はい……」
マミ「だから、戦い方をしっかり覚えなさい。そして魔女にやられないようになりなさい」
ほむら「わ、私に、できるか、わかりませんけど……」
おどおどとほむらが視線をさまよわせた。
マミ「できるわ!」
ほむらに手を伸ばして、マミが力強く笑った。
マミ「私の後輩だもの!」
ほむら「……えっと……」
ゆっくりと上げられたほむらの手を、マミがそっと握る。
その上からまどかがさらに手を乗せた。
まどか「一緒にがんばろうね! ほむらちゃん!」
にっこり笑うまどかに、ほむらは少しためらっていたが、
ほむら「は、はい……!」
少しだけ、強く、頷いた。
マミ「よーし、それじゃあ今日の祝勝会と行きましょう! 今日はモンブランよ!」
まどか「わぁーいっ!」
ほむら「あ、あはは……」
マミ「きゃあああああああっ!」
数週間後、見滝原に上陸したスーパーセルの中心で、マミは絶叫した。
ほむら「巴さんッ!」
マミは使い魔に翻弄され、落ちてきたビルから逃げ遅れた。
結果、その胸から下をビルとビルに挟まれてしまった。
まどか「くっ!」
空中でまどかはマミを振り返るが、炎と使い魔が彼女をその場から動かさない。
ほむらがマミのもとへと跳ぶ。
マミ「あああああああああああああああッ!」
めりめりめりとさらにビル同士が圧縮される。
目を充血させて、口から血反吐を零すマミ。逃れた片手で顔を掻き毟る。
ほむら「巴さん!」
マミ「助けて! 痛い、いたいの! し、死んじゃう! ごほっ! 死んじゃうわ!」
ほむら「ッ……!」
そばに着地したほむらは、声を失った。
瓦礫の隙間からぐちゃぐちゃになったマミの内臓が見えた。
マミ「ああああああっいたいっいたいいいいいいい! たすけてええええええ!」
ほむらはどうしたらいいかわからなくなった。
もう死なせたほうが、楽にさせてあげたほうが良いのではないか。
それともなにか助かる方法があるのか。半身以上を喪ってなお。
マミ「あけみさあああああああああああああああんッ!」
爪の剥がれた手がほむらの足を掴んだ。
ほむら「ひっ!」
とっさにほむらは身を引いた。
マミ「たす、たすけて、あけみさん、いたいの、ねえ、ねえ! あけみさん!」
血の絡んだ声で請うマミの声に、ほむらは耳をふさいだ。
早くこの地獄のような状況が変わればいいと思いながら、目も瞑った。
マミ「あぁっさむい、さむいの、ねえ、どうして? さむい、さむい、さむ」
震えるほむらの足を掴むマミの手の力がぎゅうっと強くなったかと思うと、
マミ「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
搾り出されるような絶叫が響いて、それで終わった。
ほむら「ごめんなさい、マミさん、ごめんなさい……っ」
泣きながら、硬く握り締められたままのマミの指を一本ずつ、ほむらは外した。
マミの顔を正視できなかった。
ぱたりと垂れた腕は制服である。
ほむら「そんな……!」
逃げるように向けたほむらの視線の先で、まどかがぼろぼろになって落ちていく。
そこへとさらに炎の追い討ちがかかった。
ほむらは目を背けて、盾に手を掛けるほかなかった。
―――時間遡行。
―――
――
―
ほむら「っ!」
病室でほむらは目を覚ました。
突然、吐き気がこみあげてきて、ほむらは急いで洗面台へ走った。
ほむら「げえッ! けほっ、うぇぇ……」
胃の中身がなくなるまで、しばらくかかった。
ほむら「はぁ、はぁっ、ぺっ。はぁ、はぁ……」
鏡を見ると、顔面蒼白で涙目の嫌いな顔が移っていた。
ほむらは水で口をゆすいだ。
ほむら「………」
ベッドでふとんにくるまって、ほむらはがたがたと震えていた。
戦うのが怖くてしかたがなかった。
腹のしたのほうが冷えて、体の震えが止まらなかった。
ほむら「……鹿目さん……!」
その夜、ほむらは眠れなかった。
それでもまた、ほむらが登校したのは惰性以外の何者でもなかった。
病室にひとりでいるのが怖かったからでもある。
マミ「時間停止ね……確かにすごい魔法だけれど、使い方が問題よね」
また繰り返している。
ほむらはそう思った。
しかしその数日後、ほむらは知らない事態に遭遇する。
さやか「あたしも魔法少女になっちゃいましたー!」
マミ「叶えたい願い、決めたのね。美樹さん」
まどか「一緒にがんばろっさやかちゃん!」
ほむら「よろしく、おねがいします……」
さやか「えいえいおーっ!」
四人になった魔法少女らも、そのあとも何度も繰り返したように、魔女と戦った。
ワルプルギスの夜が現れる約二週間前。
魔女の結界のなかでさやかの片腕が飛んだ。
さやか「うああああッ!?」
まどか「さやかちゃん!」
さやかの肩から血が噴き出す。
魔女【ゴロゲログルルガル】
八本足の機械製の虎のような姿をした魔女。
そのうちの二本に握られた日本刀が、さやかの片腕を切り落としたのである。
マミ「ティロ・フィナーレ!」
必殺の砲撃を、滑るような動きで魔女が回避する。
四本の足にはタイヤがついているのだ。
マミ「速い……っ!」
さやか「うおおおおおっ!」
肩に治癒魔法を施しながらさやかが魔女に飛び掛る。
魔女【グロガログゲロゴロ】
魔女の刀がさやかの剣を受け止めた。
まどか「やぁっ!」
振り上げられたもう一本の刀ごと、まどかの矢が魔女の腕を吹き飛ばす。
魔女【ガルゲルグロロッ!】
飛びのきざまに魔女はさやかを振り払った。
ほむら「わひゃあっ」
さやかはほむらにぶつかって、二人で転がった。
まどかの矢がさらに魔女の足を撃ち抜く。
ほむら「ご、ごめんなさい美樹さん……」
さやか「いいから立って! もっかい行くよ!」
再び魔女に向かって疾駆するさやか。
マミ「美樹さん、ダメよ!」
飛び掛っていたさやかに向けて、魔女の背中から鉄製の杭が射出された。
ほむら「美樹さんッ!」
さやか「あ゛ッ!」
杭は見事にさやかの腹を貫き、背骨を折って後ろへと突き抜けた。
まどか「さやかちゃあああああん!」
制服に戻ったさやかがどさりと地面に落ちる。
腹に刺さった杭が地面に突き立ち、まさに串刺しだった。
マミ「暁美さん、今よ!」
リボンで魔女を縛り上げたマミの声にほむらは反射的に時間を止めた。
結局、その後のワルプルギスの夜には勝てず、ほむらは時間を巻き戻した。
またさやかは魔法少女になったが、今度は絶望して魔女化するに至った。
手を組んでいた杏子と、錯乱したマミも失ってしまった。
まどか「いやだぁ……」
膝をつくまどか。
まどか「もういやだよ、こんなの……!」
泣き崩れるまどかに、ほむらが歩み寄る。
ほむら「大丈夫だよ、二人でがんばろう?」
しゃがみながら、ほむらが声を掛けた。
ほむら「一緒にワルプルギスの夜を倒そう?」
涙を流しながら頷くまどかに、ほむらは微笑んだ。
だが、まどかは次の魔女との戦いで、動けなくなっていた。
ほむら「鹿目さん!」
まどか「だって、だって……! この魔女も魔法少女だったんだよ!? できないよ!」
蛸の足が絡まったような魔女が蠢く。
その吸盤のすべてに少女の顔がついている。
ほむら「でも……」
まどか「わたし、撃てない……!」
力無く手を下げるまどか。
ほむらは意を決して振り返り、盾の中から自動小銃を引きずり出した。
まどか「ほむらちゃん!?」
安全装置を弾くように解除。
ほむら「やああああああああっ!」
魔女【イヤアアアアアアタスケテエエエエエエエエ】
血を撒き散らし、暴れる魔女。
すべての顔面が叫び出す。
まどか「いや、いやだよ! こんなのってないよ!」
耳をふさいで目を瞑り、しゃがみこんでまどかは首を振った。
ほむら「わあああああああああ!」
銃声が鳴り響く。
熱された空薬莢が散らばる。
魔女【イタイイタイイタイイタイイタイイタイ】
魔女【タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ】
慟哭する魔女を睨みつけながら、ほむらは必死に引き金を引き続けた。
そして、銃口からは煙しか出てこなくなった。
ほむら「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」
荒い息をするほむらの前で、最後までのたくっていた触手がぱたりと落ちて、そして消えていった。
ほむらは銃を仕舞って、変身を解いた。
ほむら「鹿目さん……」
まどか「ごめん、ごめんね、ほむらちゃん」
立ち上がれずに、まどかは謝った。
まどか「わたし、ほむらちゃんに辛いこと押し付けて、逃げてただけだよね」
ほむら「そ、そんなこと、ないよ!」
まどか「ごめんね。……わたし、やるよ。魔女は、倒すしかないんだよね」
ほむら「うん……」
その夜。
ひとりきりの部屋でほむらは眠れずにいた。
目の前でマミを見殺しにしてからずっと睡眠導入剤を利用していたが、
今夜はそれを飲んではいけないという思いに駆られていた。
ほむら(私は、ずっと、人を殺してたんだよね……)
ほむら(今日、鹿目さんに言われるまで、知らないフリをしてた)
ほむら(でも、私は、……人殺しなんだ……)
吐き気がした。
眠気は無く、目は冴えるばかりだ。
そして涙はすこしも出なかった。
ほむら(私、どうすればいいのかな……)
ほむら(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……)
そのまま、ほむらは夜を明かした。
翌週、まどかとほむらはワルプルギスの夜と対峙した。
しかしやはり、勝つことはできなかった。
瓦礫の山と化した見滝原で、二人は横たわり雨に打たれていた。
まどか「あたしにはできなくて、ほむらちゃんにできること――お願いしたいから」
人魚の魔女のグリーフシードをほむらのソウルジェムに押し当てるまどか。
まどか「ほむらちゃん、過去に戻れるんだよね。こんな結末にならないように、過去を変えられるって、言ってたよね」
ほむら「うん……!」
まどか「キュゥべえに騙される前の、ばかなわたしを、助けてあげてくれないかな……?」
まどかの瞳から、涙がこぼれる。
ほむら「約束するわ……! 絶対に貴女を救ってみせる。何度繰り返すことになっても、必ずあなたを守ってみせる!」
まどか「よかった……」
蚊の鳴くような声で、まどかは笑った。
―――時間遡行。
病室で目覚めて、再びほむらは嘔吐した。
手が震えている。
ほむら(まどかを殺した。私が。まどかを殺した。殺した。殺した。私が殺した)
引き金の感覚を思い出して、ほむらは洗面台を殴りつけた。
ほむら(私が殺した。私がまどかを殺した!)
目を瞑るとまぶたの裏にまどかの最期の表情が浮かんできた。
もう一度吐き気がして、ほむらは目を開く。
鏡に映った自分の顔は、ひどくやつれていて、目許のしわに想像を絶する苦難がべっとりと塗りこまれていた。
ほむら(今までは、殺さなくては殺されていた。でも今回は違う)
ほむら(もちろん、頼んだのはまどかだ。でも、どちらにしろ手を掛けたのは私じゃないか!)
ほむら「……ぺっ」
慣れた様子でつばを吐き捨て、ほむらは額にソウルジェムをかざした。
ほむら(もう、誰にも頼らない。誰に判ってもらう必要もない)
そのとき、ほむらに残っていた人間らしい感情がこそげ落とされた。
彼女は不安や同情といった感覚を失い、絞り込まれた目標のためだけに動くようになった。
ほむら(もうまどかには戦わせない。すべての魔女は私ひとりで片付ける!)
ほむらの戦い方は研ぎ澄まされていった。
どんなときでも冷静であり、倫理や道徳を歯牙にもかけず、精確に火器を操って魔女を殺す。
いくつもの戦闘の経験が攻撃と防御、潜伏などの感覚を磨き上げた。
ほむら(そして今度こそ、ワルプルギスの夜を、この手で……!)
何度も繰り返す中で楽に殺せるようになった魔女へ弾丸をぶち込む際に、心の中でひややかに笑ったことすらあった。
まどかとの約束のためならば、先輩だったマミも、仲間になったさやかや杏子を切り捨てることも厭わなかった。
それでも、
ワルプルギスの夜を倒すことはできなかった。
まどかが契約し、夜を倒して、魔女化した。
―――時間遡行。
ほむら(繰り返す。私は何度でも繰り返す)
ほむら(同じ時間を何度もめぐり、たったひとつの出口を探る)
ほむら(貴女を、絶望の運命から救い出す道を――)
ほむら(――まどか……!)
ほむら(たった一人の、私の友達……!)
ほむら(貴女の、貴女のためなら、私は永遠の迷路に閉じ込められても、)
ほむら(構わない!)
そして、運命の時が来る。
マミ「いくわよ!」
さやか「はいマミさん!」
杏子「負けねーかんなッ!」
ほむら「………」
槍を担いで跳んだ杏子を追い抜いて、対戦車弾がワルプルギスの夜へと飛んでいく。
全弾命中に続いて、杏子の投擲した槍が夜に突き立った。
さやか「うおりゃあああああっ!」
多数の剣を召喚し、投げつけるさやか。
それらすべてが夜に突き刺さり、爆発を起こす。
ぐらついた夜へと、今度は迫撃砲が叩き込まれた。
マミ「戦場の風花と散りなさい!」
夜の背後へと回りこんだマミが巨砲を撃ち込む。
魔女【アハハハハハハハハ!】
しかし傷一つないワルプルギスの夜。
高笑いしながら、街の中心部へと、ゆっくりと迫る。
ほむら「行かせない……!」
タンクローリーを運転して、夜へとぶつけるほむら。
杏子「あいつなんでもアリかよ!」
さやか「杏子、下がって!」
大爆発がワルプルギスの夜を飲み込んだ。
マミ「派手ね、暁美さん。羨ましいくらいに……!」
杏子「ばかなこといってねーで次だ!」
さやか「はい杏子もちゃんと合わせなよー」
杏子「うっせえ!」
対艦ミサイルがワルプルギスの夜に叩き込まれ、再び激烈な爆発を起こして夜を地に落とした。
ほむら「………」
一千を越えるクレイモア地雷が一挙に爆裂、夜を業火へと巻き込む。
杏子「ひゃっほー燃えろ燃えろォッ!」
跳んだ杏子を追うように巨大な槍が地面をぶち抜いて現れる。
さやか「いっけえ杏子ぉっ!」
杏子「ここがテメエのゴルゴタだッ!」
巨大な槍がワルプルギスの夜へと突き込まれ、貫いて磔にした。
杏子が戻る途中でマミとハイタッチを交わす。
ほむら「………」
突如、土煙を破って黒い衝撃が急襲。
さやか「ほむら、危ないっ!」
電光のように反応したさやかに突き飛ばされ、ほむらはそれを回避した。
使い魔【キャハハハハハハ!】
さやか「あぐっ!」
片足を喰われて転がるさやか。
ほむら(まだなの……っ?)
杏子「さやかぁっ!」
さやか「へーきへーき……! こんなの屁でもないってば!」
回復した足で地面を踏みしめ、さやかは使い魔らを斬り捨てた。
マミ「さぁ見なさい! すべての悲劇の幕は、ここに下ろされる!」
宙を舞っていたマミが全力を込めた巨砲を生み出す。
マミ「終わりよ! ティロ・フィナーレッ!」
槍に縫いとめられたままかすかに身じろぎしていた夜に、最大火力が命中した。
ほむら「………」
ほむらはゆっくりと起き上がった。
マミ「やすらかに眠りなさい……」
ほむらの隣に着地したマミが満足げに紅茶を飲んだ。
同時に、垂れ込めていた暗雲が吹き払われた。
杏子「おっ……」
突風が吹き荒れ、砂塵を巻き上げていく。
それが晴れたあとに、ワルプルギスの夜の姿は、なかった。
杏子「おっしゃあーっ!」
さやか「やったあーっ!」
ほむら「倒した……? ワルプルギスの夜を、倒した……」
マミ「ええ、そうよ。私たちなら、できるって信じてたわ」
ほむら「やっと、やっと……!」
抱き合って喜ぶさやかと杏子を横目に見ながら、マミは微笑んで紅茶を飲み干した。
ほむら「……マミさん!」
マミに抱きつくほむら。
驚いたマミの手から落ちたティーカップがリボンに変わって消える。
マミ「あ、暁美さんっ!?」
ほむら「や、やりました! 私、やっと、まどかを救うことができました!」
マミ「え、えぇ、そうね……? えぇっと、鹿目、さん?」
さやか「おやおやぁ? 転校生ってばまどかにご執心かーい?」
杏子「いやつーかなんかキャラ違くね?」
ほむら「まどか、そうだ、まどか! まどかに会いたい!」
がばりとほむらはマミから身を離し、満面の笑みで青空の下、駆け出した。
ガチンッ
ほむら「え」
―――時間遡行。
―――
――
―
ほむら「えっ?」
病室でほむらは目覚めた。
風にはためくカーテン、白いふとん、マーカーで消されたカレンダー。
どこまでも、何度も見た病室だった。
ほむら「……戻、った?」
ほむら「………」
上半身を起こしてめがねをかけ、カレンダーをじいっと見つめる。
何度確かめても、やはり時間は戻っていた。
ほむら「うそ、よ」
声が震えた。
ほむら「こんな、こんなはずじゃ……!」
思わず頭までふとんをかぶって目を瞑る。
夢なら覚めてと、心の中で叫びながら。
ほむら「………」
だが、なにも変わらなかった。
空腹を覚えて、ほむらはのそのそと起き出した。
置いてある病院食のトレイをベッドへと運んで、食べ始めた。
ほむら「………。ふぇ」
ぽろ、とその目から涙がこぼれた。
ほむら「うぅぅ、ぐすっ、ひくっ、うぁぁぁ」
ぼろぼろと泣きながら、ほむらは食事を終えた。
最近の週ならば即刻退院して活動を始めていたのだが、今回はまったくやる気が起きず、
病院から出ることなく転校初日を迎えた。
学校にいったのは、いつかと同じように惰性というほか無かった。
挨拶のときにまどかの顔を見て泣きそうになるのをこらえるのが大変であった。
ほむら(それでも……ワルプルギスの夜は倒せるということはわかった)
自宅でほむらは考え込んでいた。
ほむら(まどかを契約させず、三人と協力すれば、あいつは倒せる……!)
ほむら(もう一度、もう一度よ……! 必ず、まどかを救ってみせる!)
睡眠導入剤を服用して、ほむらは床に就いた。
その後、ほむらは前回と同じように三人に協力を取り付け、まどかの契約を阻止して、ワルプルギスの夜を迎えた。
戦略も同じ。
そして、結果も同じだった。
杏子「おっしゃあーっ!」
さやか「やったあーっ!」
ほむら「………」
ほむら(やはり倒せる……でも……)
マミ「やったわね、暁美さん。私たちなら、できるって信じてたわ」
微笑むマミを無表情に見返すほむら。
その左腕で盾が音を立てた。
ほむら(あぁ――)
―――時間遡行。
―――
――
―
ほむら「どうして、なの」
病室でほむらは目覚めた。
風にはためくカーテン、白いふとん、マーカーで消されたカレンダー。
やはり、時間が戻っていた。
ほむら(ワルプルギスの夜を倒しても、時間が戻ってしまう……!)
ほむら(これじゃ何度あいつを倒したって、意味が無い……)
ベッドの上で、ほむらはまた静かに泣いた。
まどかをその手で殺めてから出ることの無かった涙が、今取り戻されるようだった。
ほむらは泣きつかれて眠った。
夢を見た。
何度も何度も見た、悪夢。
―――まどか「うぅぅああぁぁっあぁっ!」
―――マミ「たす、たすけて、あけみさん、いたいの、ねえ、ねえ! あけみさん!」
何度も何度も、数えるのを諦めるくらいに見てきた、仲間たちの苦しむ姿と、死。
マミが錯乱する姿。
絶望していくさやか。
杏子の魔女。
撃ち殺したまどかの最期の顔。
そして、それらすべてを背負って、冷徹に魔女を狩る自分自身。
ほむらは震えながら夢から覚め、朝まで一睡もすることができなかった。
それから数度、ほむらは同じ方法でワルプルギスの夜を撃退した。
そして、同じ数だけ時間遡行し、病室で目覚めた。
ほむらは朦朧とした意識で考えた。
ほむら(なにがいけないの……どうすればいいの……)
ほむら(とにかく……試せるものはすべて試すしかない……)
まず、一ヶ月間分の時間を一気に使ってみた。
砂がすべて落ちきった時点で、やはり、時間が巻き戻った。
次に、時間停止をほとんど使わずに過ごしてみた。
ワルプルギスの夜が街をめちゃくちゃにしたあと、時間が巻き戻った。
今度は、ワルプルギスの夜から逃げ出した。
学校にも行かずに新幹線で遠くへ移動してみた。
一ヵ月後、時間が巻き戻った。
さまざまな条件を変えて、実験を繰り返した。
それでもなお、時間遡行は止まらなかった。
盾を壊そうとしたこともあったが、壊れた途端に時間が巻き戻った。
ほむら「……まどか」
転校前、まどかの部屋の窓の外にほむらは立っていた。
まどか「えっ? だ、誰?」
ほむら「………」
ゆっくりと、握った拳銃の劇鉄を起こす。
ほむら「ごめんなさい。まどか」
撃った。
まどかが死んでも、一ヵ月後には時間が巻き戻った。
インキュベーターに直接尋ねてみても、もともと彼に契約の記憶は無い。
詳しく説明しても、のらりくらりと逃げられるばかりだった。
どうすることもなくなって、ほむらは呆然とした。
ほむら(………)
ほむら(………)
ほむら(………)
彼女に残っていた最後のなにかが、そっと音もなく溶けて消えた。
ほむら(………)
ベッドから降り立って、ほむらは病院を抜け出た。
ふらふらと夜の街を彷徨う。
人に突き飛ばされ、罵られ、誘われたりしているうちに、誰もいない墓地へとたどり着いていた。
ほむら「………」
ソウルジェムが反応している。
魔女だ。
力の無い足取りで、ほむらは結界に進入した。
無数のライトに照らされた、誰もいない駅前のような結界。
足元はひたひたと水に満たされている。
ほむらは駅の改札へと近寄った。
静かだ。
改札を通ってホームへ下りると、線路の上に骨にくるまった裸の少女が丸まって眠っていた。
ほむら「魔女……」
今のほむらは変身すらしていない。
ぴくり、と魔女が反応した。
骨を引き連れて、少女が起き上がる。
少女には顔が無かった。
それでも、魔女が哂った。
ほむら「ぐっ……」
パジャマ姿のほむらの胸に、腹に、腕に、尖った骨が突き刺さる。
少女がずるずると近づいてくる。
ほむら「………」
血が溢れ、白い肌を伝って床に落ちる。
さらに数本の骨がほむらを傷つける。
ほむら「あぐっ……!」
何本も、何本も。
ほむらは抵抗せずに、されるがままだった。
床に倒れ、少女に顎を掴まれて引き上げられる。
ぼたぼたと血が垂れる。
魔女【ヒャハッ】
びりびりと少女の顔が裂け、その中の真っ赤な唇が開いて、哂った。
ほむらも薄く笑った。
ほむら「……さいよ……」
魔女の唇から伸びた舌がべろりとほむらの顔を舐める。
ほむら「殺しなさいよ……!」
がぱりと魔女の口が頭ごと開き、ほむらを飲み込もうとする。
ほむら「あはは……」
震えて、血を流して、失禁しながら、ほむらは笑った。
まどか「そこまでだよっ!」
可憐な声が響き、魔女の頭が吹き飛んだ。
ほむらはどさりと床に落ちる。
ほむら「っ!」
マミ「ティロ・フィナーレ!」
魔女の体が骨ごと燃やし尽くされた。
まどか「危ないところだったね」
笑いかけるまどかを見て、ほむらは大きな声で泣き出した。
まどかにすがりつく。
まどか「怖かったよね。でももう大丈夫だからね」
ほむら「ありがとう」
懐から拳銃を取り出してほむらは撃鉄を起こした。
まどか「え」
マミ「ま―――」
なにか言おうとしたマミのソウルジェムが打ち抜かれて砕かれる。
制服姿に戻ってマミが倒れた。
まどか「ひっ」
ほむら「えへへ。まどか」
拳銃を捨てて、ほむらはまどかを抱き寄せ、その胸元に口を寄せた。
ほむら「まどか。だいすき」
まどか「やめ―――」
恐怖に顔を歪ませたまどかを見つめたまま、ほむらはその桃色のソウルジェムを噛み砕いた。
まどかも制服姿に戻り、くたりと力を失う。
ほむら「えへ。えへへ」
ソウルジェムの破片を咥えてほむらが笑う。
愉しそうに。
嬉しそうに。
まどかの死骸を抱きしめて、ほむらはずっと笑っていた。
おわり
ありがとござしたー
なんか途中で聞かれてたのは、ほむらが操作できる時間は一ヶ月だけだから、その分全部ってことね
一ヶ月時間を停止した。ループは終わったとはいってない。
いやーほむらは愛されてるなぁ。
じゃあおやすみー
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