P「偶像の仮面」(174)

「じゃあ、真ちゃん。気をつけてね…」

「分かってるよ。子供じゃあるまいし」

「でも……」

あぁ、また始まった。雪歩の心配性が…
何度目になるか分からない雪歩の小言を聞き流しながら、プロデューサーを目だけで窺う

「ハニー、いってらっしゃい! 今日はいつ帰るの?」

「事務所に戻るのは十九時過ぎになるかな」

「それじゃあ今日はもう会えないの…。ね! 付いていってもいい?」

「無理だよ。別に今生の別れじゃないんだ。また明日だって会える」

「ハニーはいつも堅いこと言うの。真面目すぎるって思うな……」

「…早めに帰れよ? 何かあったら俺が困る、な?」

「……うん」

よくもあの美希を扱えるもんだ。素直に尊敬するよ……

「ねぇ。あれ、してもいいかな?」

「え? あ、うん…」

そう言うと雪歩は、僕の身体に抱きついた。鎖骨の辺りに深くうずめるように、頭を動かす
その性的とも言える仕草に、僕は辟易した

「……真。そろそろ行こう」

「あっ! は、はい! …じゃあねっ、雪歩」

「あ……」

待っていたとばかりに、僕はプロデューサーの後を付いていく
もの言いたげな雪歩を残して……

「うわっ…」

ビルの扉をくぐった途端、金切り声が耳をつんざく
…出待ちの女の子達だ
彼女達はどうしてこうも、アイドルを前にしたってだけで、甲高い声が出せるのだろう?

「はい、退いて。道を開けてください」

プロデューサーに先導されて、黒のワンボックスカーに乗り込む
運転席に回ったプロデューサーがドアを閉めると、車内にはほっとした空気が流れた

「はぁ、疲れた……」

「まさか裏口にも回られるとはな…」

「もううんざりですよ」

男性に出待ちをする人は少ないのか、事務所にまでファンが押し掛けるのは僕だけだ
それも女としての追っかけじゃない
真様、真様、ばっかり…

その歓声が事務所に届くのが、僕にはとても屈辱だった
皆にまで、女としての価値がないって見られるんじゃないかって…

「父さんが悪いんだ…。ボクに男らしさなんてものを押しつけて…!」

「……」

プロデューサーは無言で車のキーを捻る
迷惑だろうが、構うもんか

「舞台でも男役をやらされる羽目になって! おかげでこんな茶番をやらなきゃいけなくなっちゃって!」

「雪歩だって……!」

そう言いかけて、やめた
今口に出してしまえば、彼女へ抱いている気持ちが、本当になってしまう気がして…

「雪歩か…。どうするんだ?」

「そんなの分かりませんよっ!」

プロデューサーが、言葉に詰まった部分に目ざとく反応してきた
悩みを聞くのもプロデュースの内って言うんでしょうけど…
そういうとこ、ちょっと鬱陶しいですよ

「俺も真の気持ちは分かるよ」

「…へぇー。プロデューサーも、演技をしてるっていうんですか? アイドルみたいに?」

「周りの期待に合わせて行動するってのは、誰でもやってるさ。
それが本当の自分と矛盾している辛さが分かるくらいには…俺もな」

「……ふぅん」

「そもそもプロデューサーの仕事ってのは、アイドルの要望を笑顔で叶えてやることだからな」

少し自虐の入った笑み。僕の気持ちが分かるっていうのも、多分、真実の話なんだろう
けれども、さっき嫌な質問をされた腹いせか、僕は少し意地の悪い返しを思いついた

「そっか。だから美希にも好かれちゃったワケだ」

「……」

「美希の想いには気付いてるんでしょ? アイドルとプロデューサーだから付き合えないっていうんですか?」

「アイドルだとかは関係ない」

プロデューサーは無表情のまま、強い口調で言い切った

「だったら応えてあげればいいのに…」

「…こう言えばいいのか? あいつは俺の趣味じゃない」

大人の方便が返ってくると思っていた僕は、予想外の告白に慌ててしまう

「はは、あはは…美希が聞いたら大変だ…」

「言うのか?」

「い、言いませんけど……でも何が不満なんです? 年齢ですか?」

「年齢、な…。確かにそうだ…」

「なんだかんだまだ中学生ですからね……」

「……」

「美希、納得しますかね…」

「俺も上手くやるさ…。だから、な?」

気まずい空気を払うようにプロデューサーが呟く
似た問題を抱えていると知った彼の言葉に、僕の心も少しだけ和らいだ

「はい…。ボクも真面目に考えます。雪歩のこと」

そうして僕たちの乗った車は、テレビ局へ向かって、ゆっくりと車線変更をした

~~~~~~~~~

仕事終わりには堪える階段をようやく登りきって、俺は光の漏れる事務所のドアを開ける
そこには書類の整理をしている律子がいた

「ただいま、律子」

「お帰りなさい…真はどうしたんですか?」

「途中の駅で降ろしたよ。そこからの方が早いんだと」

「なるほど……」

椅子に座り、ネクタイを緩めて一息つく。すると、場違いなほど元気な声が響いた

「あ。お帰り兄ちゃん!」

「お勤めご苦労!」

「…ああ、頑張ってきたよ」

「で、なんでお前達がまだ居るんだ?」

「一時間前には上がれって言ったんですけどね…。
プロデューサーに挨拶するって聞かないもんですから」

「そうか……」

「なんでとは酷いよね~」

「クールな顔しちゃってー、本当は嬉しいくせにー」

「…はいはい、嬉しいよ」

亜美に対して俺は本心からそう言うと、彼女達を送り出すために立ち上がった

「わざわざありがとうな。時間も時間だし、家まで送ろうか」

「いいよ、今日は駅までパパが迎えに来てくれるんだって」

「そうなのか。でも…」

「もしかして変質者でも出るんじゃないかって心配してんの?
大丈夫だよ。駅までの道は明るいし」

「まぁ、な…」

「兄ちゃんって真美達には過保護だよね」

…クスクスと明るく笑う彼女達とは裏腹に、俺の心は冷えきっていく

「「じゃあねー!」」

ドアが閉じられてやっと、俺は安堵のため息をついた

「あんなに懐かれて、まったく羨ましい限りです」

律子が書類に目を戻しながら軽口をこぼす

懐かれている、か…
それは俺にとって果たして喜ばしいことなのだろうか

いや、彼女達にとっても……

~~~~~~~~~

冷蔵庫を開けてビールを取り出す
プルタブを引きながら、俺はテレビを点けた

「…容疑者が実況見分に立ち会い、警察は、犯行当時の状況をさらに詳しく…」

連日の残業のおかげで、見るのも久しぶりだったこの時間帯のニュースでは、
数週間前に起きた女児殺害事件の続報が流れていた

…ああ、そんな事件もあったな
なぜ忘れていたのだろう。決して無関心でいられる話題ではなかったはずなのに

テレビでは、犯人の性癖について揶揄するコメントが続けられていく

俺の中にはいつの間にか、棄てていたはずの感情が蘇ってきていた

――こんなのは、性癖なんか関係ない

単にこいつが、犯罪者だっただけだろう

だって現に俺は、犯罪を犯していないじゃないか――

そう叫びたくなる衝動を呑み込むように、俺は缶の中身を啜った
強めのアルコールと氷のような冷たさは、高ぶっていた気を鎮めてくれる

…そうだ。誰も居ない部屋で一人、テレビに向かって叫んだところでなんになるんだ

結局は、これが世間の総意なのだから

「風呂にでも入るか……」

空になった缶を潰して、風呂へ向かう

スイッチを何度か切り替えて、間抜けをやっている自分に気づく

「あぁ…、電球、切れてたんだったな…」

今朝、帰りに買おうと決めて家を出たのに、すっかり忘れていた

「仕方ない。また洗面台のを使うか…」

安アパートのユニットバスでは、洗面用の小さな光でも、風呂に入るのに苦労はしなかった

蛇口をひねると、熱いシャワーと白い湯気に包まれる

シャワーカーテン越しの明かりを頼りに、洗髪を済ませていく

その明るすぎない光は、妙な安心感を俺に与えてくれた

「……」

シャワーを浴びながら、一日を振り返る

真には、おしゃべりが過ぎたかもしれない。だが、あいつの指摘は確かに正しかった
図星を指されて意地になったのか…

美希……俺は、お前の望むままをやり過ぎてしまったのだろうか
皆にいい顔をするのは、そんなにいけないことなのか?

「そろそろ潮時か……」

事務所を離れるか…
そう考えた途端、皆の顔が脳裏をよぎっていく
そうして、最もあそこを離れたなくない理由に、辿りついた

今日も、彼女は綺麗だった

「――美……」

「はぁ…はぁ…」

「あぁ…」

「なんで……」

~~~~~~~~~

その日…ついに自分を慰めることは出来なかった


代わりに、俺は手記を記すことにした


手記の中では、俺は自由だった
自分でも驚くほどに言葉が出てくる

彼女を愛でる表現においては、かの文豪を越えられるんじゃないかと、馬鹿な想像をするくらいに

ああ、こうするだけで心が楽になる

何故だろうか。文字に起こすだけでスリルと興奮を感じられるのは

俺にはこの行為が酷く背徳的なものに思えていた

~~~~~~~~~

「よくそれで持ちますね。プロデューサー殿は」

「大豆とか、玄米とか…まるで精進料理みたいです」

「爺臭いんじゃないですか?」

「これでいいんだよ」

事実、これは精進料理のようなものなのだ
俺はもう何年も肉を断っていた

先日から抱えている不全……理由は分かっていた
きっと、俺は長い間欲望を抑え過ぎてきてしまったのだ

長い月日をかけて抑圧された感情は徐々に歪んで、
もはや正常な方法だけでは処理出来なくなっていたのだ

理性だけで本能を無くすことは、元から不可能だったということだろう

想像するだけでなく、この手に抱いてみたい、汚し尽くしたい
そういう欲望が、常に頭を離れない

だから、こういう生活をしている


「でも、すごくバランスが良いかなって…」

…他の子では駄目なのかという考えが、ふと起こる

やよいは……いや、駄目だ

彼女の母親らしさ……母性というやつだろうか
それが、俺の中に潜んでいる恐怖心を呼び起こさせる

俺が求めているのは母ではない。そんな要素はいらないんだ

伊織や美希も、俺にしてみれば大人び過ぎていた

やはり、俺の救いになるのは彼女しかあり得なかった

「おはよー」


…………来た

「やっほー! 兄ちゃん元気?」

「ああ、元気だよ…。お早う」

背もたれ越しに、彼女が抱きつく
子供特有の甘い香りが、脳髄を痺れさせる

「今日は相方は、どうしたんだ?」

「ん~、今日は別々の仕事」

「そうか…」

「だからさ、暇なんだよね! ねぇ、兄ちゃん遊んで~」

ゆらゆらと揺さぶられる
その鼻にかかった幼い声と小さく白い手、弾力のある肌は、
俺の五感を刺激するには充分だった

「どうしたの? 息が荒いよ?」

「暑苦しいんだよ。少し離れろ」

「ちぇっ、兄ちゃんのいけず…」

彼女に指摘されて、俺は隠しきれていない自分を恥じた

…美希、お前が惚れているのは、こんなにも醜い男だ


…なんとかしなければ……

~~~~~~~~~

「美希、入るぞ」

楽屋のドアを形式的にノックして、ノブを回す

「ハニー! どうだった!?」

「ああ、最高のパフォーマンスだったよ。お疲れ様」

うっすらと汗を浮かべながらこちらに駆け寄る美希
純粋な感想と労いの言葉をかけると、彼女は笑うでもなく俯いた

「……そっか。ならね、ハニー…」

「美希、それ以上は言うな」

いつもと違う態度に嫌な予感がして、俺は美希の言葉を遮る

「なんで!? ミキ頑張ったよ? トップランクのアイドルにもなれたの!」

「こんなミキじゃ不満なの? それともアイドルだから? だったら…!」

「馬鹿を言うな! そんなんじゃない」

「ならどうして!? 美希に大人の魅力がないから?」

「そうじゃない。そうじゃないんだ……」

矢継ぎ早に不満を口にしていく美希に、俺は喉がつかえたような感覚に陥る
いつかこういう日が来るとは思っていたが、いざとなると閉口するしかない

「……好きな人がいるんだよ」

美希の気持ちを思うと、こう告げるのは心苦しかった
勿論、真実を言っている訳じゃない
あくまで彼女を諦めさせるためだ

だが、美希から返ってきた答えは更に俺を困らせるものだった

「…どんな人?」

「……そんなこと聞いてどうする?」

「知りたいの! 知って……ハニーに相応しい人か、確かめる」

「冗談はよしてくれ……」

「じゃないと、諦められないの!!」

美希が、涙を溜めてこちらを睨みつける

一度言い出したら聞かないやつだ
俺はこの頑固を絵に描いたような顔がひどく嫌いだった
ひっぱたいてでも分からせてやりたいという思いが、こみ上げてくる

「こいつ……!」

俺のことが好きならなんで分かってくれない
分かってくれれば、俺だって……

「もういい!! 好きにしろ!」

「…………」

「一人でも帰れるな? 今日はご苦労だった。しっかり休養をとれ」

事務的な言葉を述べて、俺は楽屋を出た

最後に見た美希は、やはり俺の嫌いな顔をしたままだった

~~~~~~~~~

車の窓から吹き入る生暖かい風は、ユウウツな私の気分を、ちっとも晴れやかにしてはくれない

「なんで真美だけ仕事なのさ……」

さっき亜美と別れたばかりの私には、とりわけそれが不公平に感じられていた

「亜美は竜宮小町で忙しかったからな。律子が休ませたんだろう」

……質はともかく、同じくらいの量は、私もこなしてるはずだ

「…兄ちゃんも、亜美は特別だって言うんだね」

「……そんなことはない」

「みーんな亜美基準でさぁ。陰じゃ真美は双子の竜宮じゃない方って言われて…」

「しまいには亜美の真似してみて、って友達にお願いされるし」

「そうか……」

「曲のジャンルだって亜美とは全然違うのに……」

少し前までならむしろ嬉しかったはずの事が、今は笑って流せなくなっていた
私の価値って何なんだろう……

「あ、これならいっそソロアイドルじゃなくて、亜美の代わりやってた方が良かったかもねー!」

「…冗談でもそんなことは言うんじゃない」

いつもの私らしくない雰囲気を変えようと、おちゃらけながら言ったつもりだったけど、
兄ちゃんには誤魔化しきれなかったみたいだ

「真美、俺は今だってお前達の違いが分かるよ。
それぞれがそれぞれなりに成長した、とも思う」

「……本当?」

「本当だ、だから心配するな。
二人共これからもっと大人になって、もっと自分なりの道を見つけていく」

「お前達はたまたま自分のそっくりさんが居たから、それが感じづらいかもしれないけどな」

嬉しい言葉。だけどもっと確かな答えが欲しくて、つい続きをせがんでしまう

「…例えば?」

「そうだな…。真美は優しくなった。
俺にはたまに愚痴を言うけど、亜美の前では聞いたことがないからな。
それって周りに気を使えてるってことだろ」

「あ……。そっか、そうなんだ」

「ああ…」

くしゃっとした、泣いているのか笑っているのか分からない顔で、そう肯定してくれる
私はこの笑顔が好きだった

…好き。そう、好きだ

これが恋、なのかな?
いつかはあずさお姉ちゃんのドラマみたいに、大人の恋愛が出来るんだろうか…

今は…これでいい
兄ちゃんが私のことを知っていてくれるなら、
このままゆっくり大人になるのも、悪くはないって思えた

「ああ…」

近頃彼女を見るたびに俺は言い様のない苛立ちを覚えていた
いや、もっとちがう何か…
多分これは……焦りだ


彼女を知らないうちはよかった

それが目の前にあっても耐えられた

だが、
刻一刻と、
その宝石のような若さが目の前で失われていくことが、耐えようもなく苦痛なのだ

ああ、あの果実をはやくもぎとらなければ、熟してしまう。腐ってしまう

ああ

ああ


ああ――

~~~~~~~~~

「あれ、ミキミキどうしたの?」

私が一人、閑散とした事務所でゲームに熱中していると、
険しい顔をしたミキミキがバッグを片手に入ってきた

「律子…と小鳥は?」

「えっと…、どっか行っちゃったかも?」

「ふーん、そう……」

辺りを見回しながら気のない返事をすると、彼女は突然兄ちゃんのデスクを弄りだす

「ちょ、ちょっと何やってるのさ!」

「亜美も手伝って、ハニーの手帳を探すの」

「…手帳?」

「最近ハニーは新しい手帳を買って…一人になると何か書いてるの」

「へぇ~。よく見てるね…」

「だってハニーのことだもん」

「言うねぇ…。でもなんでわざわざ見る必要があるのさ?」

「そこに好きな人のことが色々書いてあるかもしれないの」

「ええっ!? 好きな人?」

「そう。だから一緒に探して?」

好きな人というフレーズに、心が動く

…これって、真美のためにもなるよね?

真美が兄ちゃんを気にしてるのは知っていた
双子だから、すぐに分かった

…だったら、妹として応援しなくちゃっしょ?

「ねぇ、その表紙ってどんな感じ?」

イタズラ好きな自分にとってみれば、隠し場所を当てるくらいはなんてことはなかった
ほどなくして手帳が見つかる

「あ、もしかしてこれじゃん!?」

「それなの! これでハニーの秘密が分かる……」

「で、でもやっぱり兄ちゃんに悪くないかな?」

今さらながら芽生え始めた私の罪悪感などお構い無しに、彼女はぺらぺらとページを進めていく
が、すぐにその手が止まった

「何、これ……亜美たちの名前がある……」

「え? どれどれ…」

様子のおかしい彼女に気付かず、手帳を受け取ろうとする
それは彼女の手から離れているかのように、するっと抜けた

第一印象は日記、だった
いや、詩だろうか? 漢字が多く書き込まれている……
文章を読もうとすると、ピントがあったように内容が理解出来てくる

「……嘘」


――鳥肌がたった

~~~~~~~~~

真美を無事に送り届けて、俺は事務所へと戻ってきた

風通しをよくする為に開け放たれたままの玄関を通ると、奇妙な光景に出くわす

…椅子に座った亜美と美希を囲んで、社員や真、雪歩が立っている

俺が入ってきたことには、一人も気付いていない

何故美希がいるんだ? あいつは休みじゃなかったか?
いや、それ以前に様子が変だ

「ただいま戻りました」

いくつもの疑問を感じながら声をかけると、皆は跳ねるようにしてこちらを見た

「…………」

「…ハ、…プロデューサー…」

その輪の中央、机に広げられているものを見て俺は全てを理解した
……俺の手記だ

「…そうか。見たのか」

「勝手に内容を見たのは謝ります。ですが…」

「いや、いいさ」

「これ…本当なんですか?」

真の視線がこちらを貫く。嘘は許さないとでも言いたげな目だ
俺は正直に答える

「ああ、全部俺の実感だよ」

「亜美たちのこと、厭らしい目で見て……普通じゃないよ」

「……」

しゃがれた声で、亜美が絞り出すように言う

そうか、彼女を泣かせてしまったのか
けどな、そんなことは、言われなくても充分わかってるよ

成り行きを静かに見ていた社長が口を開く

「君、向こうで少し話そうか……」

「ええ、分かりました」

俺は思いの外冷静だった
静まり返っている皆に背を向けて社長室へと足を進めると、美希に背後から罵られる

「プロデューサーの変態…!! 信じてたのに……!」

信じてた? 何をだよ? 俺が普通だってことをか?

けれども、俺は彼女に反論する術を持たない

「……そうだな。俺は変態だ」

「犯罪です…」

侮蔑のこもった雪歩の言葉に、足が止まる

犯罪……? これは犯罪なのか…?

なにかが、俺の心を逆撫でる

「違うっ!!!」

「ひっ…!」

声を荒げて、涙目になった雪歩を睨みつける

あれ? 俺はなにを怒っているんだ?

「俺は、犯罪者じゃない……」

あんな蔑みの眼差しを受けて、プライドを失って、まだこんな情動が残っていたのかと驚く

だが、一度溢れ出した激情は、自分でも制御出来なかった

「ぷ、プロデューサーさん……」

「お、落ち着きなさい…」

「黙れ!!!」

社長を殴りつけて、俺は、事務所を飛び出した
この時の俺が何を考えていたかは分からない
ただそれは、動物が本能で生存を選択するのと同じだったんだと思う

俺は、終わりたくなかったのだ

~~~~~~~~~

「ここまで来れば…」

乱れた息を整えながら、路地裏の汚いゴミ箱の隣に腰を下ろす

「何やってるんだ俺は……」

あの場から逃げただけで、何が変わる訳でもない
また全てを失うのだ……
このまま消えてしまうのも悪くはない
とさえ思えた

「いや、待てよ…」

そもそも俺は何の為にこんなことになってるんだ


俺が悪いのか?

俺はあいつらのルールを守ってきたし、常識だって尊重してきた
誰よりも模範的に生きてきたんだ

それを知ろうともせずに、あいつらは人の中にずかずかと入ってきて、
俺の心まで縛りつけようとする…

そこまでされる謂れがあるのか?

俺が、あいつらに何で義理立てする必要がある?

「そうだ……」

そう考えた途端、思考が明瞭になっていく、身体が軽くなっていく

しっくりくる……
まるでずっと前から、解答が用意されていたみたいだ
身体を巡る興奮に、血が沸き立つ

「そうだ。俺は……」

俺は、生まれて初めて自由を知った気がした

~~~~~~~~~

「痛つつ……」

「大丈夫ですか? 社長…」

「まさか彼がこんなことをするとはね、未だに信じられん…」

社長は、小鳥さんが持ってきたアイスパックを頬に当てながら、そう漏らした

「これからどうするべきなんでしょう…?」

「少なくとも、彼には辞めてもらわなければならない。
ただ心配なのは、彼が自棄を起こさないかどうかだ。事は慎重に運ばなければ…」

社長の言葉に後ろめたさを感じたのか、雪歩が顔を伏せる
けれど、その悠長な言い回しに、僕は違和感を覚えた

「ねぇ…プロデューサーがヤケになるっていうのは、
自分だけに限ったことじゃないでしょ?」

僕の発言に律子達は顔を見合わせる

「どういうこと? 真」

「その…、誰かを巻き込む可能性もあるんじゃないかってことです」

「それは……」

嫌な想像に表情を曇らせていく律子達とは逆に、
美希と一緒に泣いていた亜美が、顔を上げた

「ねぇ…、真美は…?」

~~~~~~~~~

「朝は来れないって言ってたのに、
急に迎えに来てくれるなんて、気前がいいじゃん!」

「ああ、ドライブに行こうと思ってな」

出来るだけ不自然でない表情を作って、真美に話しかける

「ドライブ?」

「海辺にな。いいだろう?」

「うーん、いいけど…」

「さぁ、乗った乗った。俺が荷物を持つから」

「あっ、亜美にメールしようと思ってたのに…」

「後でも大丈夫だよ」

真美が車に乗りこんでいる隙に、素早く携帯を探る
ああ、丁度着信が入ったようだ。間に合ってよかった
せっつくようなバイブレーションを無視して電源を切ると、後部座席に荷物ごと放る

「少しは周りのことは忘れろ。せっかくの遊べる機会なんだ」

「う、うん。……へへ」

彼女の笑顔を目に焼きつけて、俺は座席のドアを閉めた

~~~~~~~~~

「き、切れた……」

青ざめた顔で、律子が呟く

「切れたって…律子さん」

「途中までは、繋がってたんです…」

「ということは…」

「誰かが、電源を切った……」

「…………」

痛いほどの沈黙が場を支配する
最悪の展開に、皆が色を失っていく

「いやあぁっ!!!」

亜美が叫びをあげるのを聞いて、僕達はようやく我に返った

「け、警察……警察を呼んで下さい社長!」

「あ、ああ…」

何故だか、そこで受話器を上げた社長の手が止まった

「何してるんですか!? 早くしてください!!」

「……」

亜美をなだめていた小鳥さんが気付いたように話しだす

「もし…もし警察沙汰になったら…」

「なっ……! そんなこと気にしてるんですか!? いいからかけて下さい!!」

「信じられません!! 真美の一大事ですよ!?」

「しかしだね……」

「もういいですっ!!」

そう言い放つと、律子は支度をし始めた

「律子、どこへ行く気なの?」

「分からないわよ! けどここにいるよりずっとマシでしょ!?」

駄目だ……
律子も律子で冷静さを失っているように見える

「亜美……亜美は何か分からない?」

「…そう言えば…」

僕の問いかけに、亜美がぼそぼそと口を開いた

「パパが……ケータイとは別に…位置が分かるの…持っとけって」

「それ、亜美からも分かるの?」

「うん…遊んでる時に、使ったことあるから……」

「なら、それで真美の場所を突きとめよう!」

僅かでも手がかりを掴めたことに、僕の鼓動ははやくなる
そんな僕を制するように、誰かが袖を引っ張った

「亜美?」

「…待って、亜美も行く」

「駄目よ! 危険があるかもしれないのに!」

「…律子さん、行かせてあげて下さい。私も付き添いますから」

亜美の言動に感じるところがあったのか、小鳥さんがそう頼んだ

「……分かりました。車を回して来ますから、準備しといて下さい」

「美希は…どうする?」

「嫌っ! 行かない! ……あんなの、ミキのハニーじゃない…」

「……そう」

耳を塞ぎながら叫ぶ彼女の姿はまるで、駄々をこねる子供のようだった…

~~~~~~~~~

夕暮れの浜辺に立ち寄った私と兄ちゃんは、
砂浜を二人、散歩している最中だった

「ははっ、見てよ兄ちゃん!」

「……」

波を蹴りあげて振り向くと、彼は何も言わずに佇んでいた

自分がひどく子供染みた真似をしていると気づいて、恥ずかしくなる

ふと、彼の瞳がこちら…の奥に向けられる

「真美、あそこの灯台へ行こうか?」

「ん…あの崖の上にあるやつ?」

兄ちゃんの視線の先には、緑に覆われた岬に建つ、白い灯台があった

「ああ、あの灯台だ」

~~~~~~~~~

僕達の車は、高速道路を飛ばしていた

防音壁が続く代わり映えのしない景色は、いやが上にも僕達の焦りを募らせる

「はい……はい、了解しました」

社長からの電話を受けている小鳥さんの声だけが、車内に響く

「律子さん、社長が水瀬財閥のお力を借りれるように、手配してくれたそうです」

「そうですか…」

多分、律子も今更と言いたかっただろうけど、
この状況では、多少なりとも救いを感じられたのは確かだった

僕の隣では、亜美が祈るように真美の名を呼んでいた

「真美……」

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